TOKYO BOOT UP! 2013。ヴィニシウス・カントゥーアリア
2013年11月9日 音楽 TOKYO BOOT UP!は2010年(2010年9月3日、参照)から始まった、日本人ポップ・ミュージック系アーティストが集う音楽見本市。かつてのNYのCMJミュージック・マラソンや、現オースティンのサウスバイ・サウス・ウェストの東京版を目指すものと、言えるだろう。そのプリイヴェントを見たことはあった(2011年6月17日、2011年7月7日)ものの、本編を見るのは今年が初。この金、土、日と3日間の開催で、新宿を会場とする。MARZ(天井が高く。3会場の中では一番立派)、MOTION、MARBLE(異臭は気になったが、飲み物が安い。ジャック・ダニエルのロックを頼んだら、300円だった)と、同じ道の並びに隣接する3つのライヴ・ハウスが会場となる。そこに、次々にバンドが出て、その数は3日間で80組。
各ライヴ・ハウスの入り口(そこから地下への階段を下りたり、5階にエレヴェイターで登ったりはするが)は徒歩20秒圏内にあるので、そりゃ頻繁に会場を行き来するようになる。ショーケースのライヴゆえ、各出演者のパフォーマンス時間は25分。3時半すぎから4時間近くの間に、ぼくは8組のアクトを見た。エラソーに上から目線で見るのはやめようと思って接したんだけど、成功を夢見る若いバンド群を見て、ぼくはちょっと甘酸っぱい気持ちになった。
審査を経ての出演ではあるのだろうが、それら出演者は総じてちゃんとしている。かつて、ぼくは日本と海外のポップ・ミュージック勢の違いは喉力の差が一番大きいと感じていたが。みんな歌も良く聞こえる。ぼくは歌詞はどうでもいいと思う人間だが(2013年9月28日、参照)、耳に入ってくる言葉(8組は皆、日本語で歌っていた)にハっとできた瞬間はなかった。←って、普段もそうないか。なんか、自分に酔ったかゆい内容なら、意味のないおちゃらけた歌詞のほうがぼくはずっといいな。
それから、みんな真摯。ちゃんと自分たちのことをアピールしたいという気持ちは伝わるし、TOKYO BOOT UP!への謝辞を表明する人たちも多かった。暴れたり、服ぬいだりとか、破綻を持ってこようとする出演者も皆無。って、そういうノリの担い手はこういう催しには参加しないのか。それとも、そういう時代ではない? 8組中7組が女性メンバーがいて、女性のバンド参画比率高し。ま、スポーツより、性差なく男女が渡り合える分野ではあるのだろう。
スポーツと言えば、ぼくは彼らに接していて、Jリーグ/サッカー界との無謀な比較をしてしまっていた。当然、音楽だけで食べている人はいないだろうし、今回の出演者でちゃんと名をなす人が出てくるかどうかは分らない。大多数は、そのうち別の道を歩むようになるに違いない。だが、彼らは、これこそ自分たちの生きる道、最大の自己発揮の手段といった感じで、今はバンド活動に邁進している。自分の信じる音楽をやりたい、それが多くの人の耳に届けば……という、大志だけで。その様を見て、選手に対する報酬の低さやセカンド・キャリアに対するケアの薄さに言及されるサッカー選手たちは恵まれているのかもとも、ふと思った。選手キャリアの短さはあるが、サッカーのほうがそれとつながる職は得やすいかもしれない。それに、長友や香川らを生んでいるサッカーのほうが現実的な夢があるだろう。ここに出ている人はJ2どころかJFLより下の地域リーグでやっているようなもの。だが、彼らはなんの保証も得ることもなしに、ヤリタイコトハヤリタイ、と、音楽に邁進する。でも、それが、ポップ・ミュージックというものなのだ。だから、我々のものであり、自由でもいられる。
僕が見たバンド群は、TOKYO BOOT UP!出演者のほん一部(よくまとめられているブックレットを見ると、本当にいろんなタイプのバンドがいるようだ)。そして、TOKYO BOOT UP!に出た人たちも、世にいるバンドのあまりにほんの一部。あちこちにライヴ・ハウスはあり、いろんなバンドが毎晩いくつかのバンドとともにやっている。マジ、知らないバンドが山ほど存在する。CDが売れないと、ずっと音楽産業の不振が叫ばれ続けているが、はたしてそうだろうか、なんても、ぼくは会場で思ってしまった。明日を求めて、自らの存在をかけて、音楽活動をしている担い手は本当に数多。CDが売れてもロクな音楽しかないのと、売れなくても続々と創意を抱えた担い手が控えているのと、どっちがいいだろう? ぼくは、ほんのちょっとの間にいくつかのバンドに触れて、なんか捨てたモンじゃないぞという心持ちを得た。
以下、ぼくが見たバンドの簡単な感想だ。
▶toitoitoi
ときに鍵盤を弾きながら歌う女性と男性ギタリストのデュオだそうだが、この日はベース、ドラム、打楽器奏者もサポート。歌声の精気と切実さ、多大。
▶ELECTRIC LUNCH
響きに留意した、まっとうな今様ギター・バンド。リズム・セクションが女性だった。
▶Merpeoples
おそろいの格好をしていた、女性バンド。見ていて、楽しい。採用する曲は普段洋楽を聞いているぼくからは少し離れた所にあると感じさせたが、それゆえ外からは個性的と受け取られる可能性もありそうで、海外需要はぼくがこの日見たバンドのなかでは一番ありそうとも感じる。
▶strange world’s end
骨太な、男性3人組。出音が大きかった。真っすぐなのはいいんだけど、採用する曲がぼくにとってはフォーク調と感じさせるタイプで、ちょい趣味外。
▶星屑オーケストラ
ベースが女性の、4人組ギター・バンド。ぼくがこの日に見た中で一番プロっぽいと思わせる質量感/安心感のようなものがあった。
▶Drop’s
女性5人組バンド、ぼくが会場に入ったとき、シンガーがマラカスを持ちながら歌っていたのはR&B調のビート曲。その後、シンガーがギターを手にして歌ったじっとり目の曲はぼくの好みにあらず。
▶海月ひかり
普段はキーボード弾き語りでやっているそうだが、この日はバックグラウンド・ヴォーカル、ギター、ドラムがついてのパフォーマンス。1曲やった弾き語りより、ぼくはサポート・メンバーがついたときのほうが好感を持てた。女性コーラスが効いていたし。自分の声や流儀を持っているが、それを“強弱”の“強”で出し過ぎと感じる。なんか、綾戸智絵(ぼくは、苦手です)のJ・ポップ版てなテイストあり。
▶軍艦オクトパス
鍵盤を弾きながら歌う女性と、男性リズム・セクションの組み合わせのトリオ・バンド。主は女性だろうが、ベースとドラム(少しエコーを効かせ過ぎ?)の個性とワザあり具合におおいに耳をひかれる。最後の曲は、PE’Zがやっていてもおかしくなさそうと思った。
その後、丸の内・コットンクラブへ。在NYブラジル人ギタリスト/シンガー(2013年5月26日)のアントニオ・カルロス・ジョビン曲を歌うという仕立てのソロ・パフォーマンス(セカンド・ショウ)に触れる。場内前方両側にマイクが立ててある。レコーディングしているのか。また、ナイロン弦ギターの音を拾うマイクも2つ設置。へえ。
漂う感覚を持つ歌といろんな弾き方がなされるギター音が絡み合う簡素な音構成のショウだが、まるで飽きず。アンコールも含めて1時間のパフォーマンス時間だったが、もっとやってェという気分になった。淡々としたなかにある、振幅、積み重ね、技の膨大なこと。そんな彼は、譜面台なども置かず(なんか、譜面台置かれることに、ぼくは過剰に拒否感をいだくところがある)、本当に気ままな感じで、いろんなジョビン曲を鼻歌きぶんで、思うまま繰り出す。どうってことないのに、与える感興のデカさは相当なもん。ある種の魔法があった、とも書きたくなるか。
そんな、経験と含蓄のカタマリのような彼も若い時分はロック・バンドをやっていた。そして、どんどん、自分やルーツを掘り下げ、可能性を追求し、住む所も変わり、現在はこんなシンプルなことをやるようにもなり、絶大な何かを与えている。TOKYO BOOT UP!出演者の人の中にも、こんな人が出てくるかなーと、ふと考えた。
<今日の、苦労>
今年一個目の<年間ベスト・アルバム>選考依頼が来ていて、四苦八苦。毎年、そのつどそのつどメモを取って、年末のこの手の企画に備えようと思うんだが、残念なことに毎度できねえ。このブログは、CDはブツを引っぱり出せば追体験できるが、ライヴは2度と立ち合えないし、忘れちゃうから備忘録として書いておこうという気持ちが大で、1999年から書いている。なんだかんだ、よく続いているナ。ま、小野島大さんの当時張り切っていたブログの一コーナーとして書かないと頼まれたのが、発端だが。やはり、他者の手を介したり、他人の目に触れるとなると、一筆書き原稿(2000字1時間はかけまい、というペースか。誤字脱字や単語の重なりなど、後から気付き、直すのは日常茶飯事)でOKと思ってはいるものの、ちゃんと書くよな。そういえば、ずっとここの原稿は1週間ぶんぐらいためてエイヤっと書いて、まとめてアップするのが常となっていたが、考えるところがあり、この1ヶ月は1回ごとにちゃんと翌日午前中にアップした。その裏には、いくら酔っていても、朝に帰っても、無理して寝る前にだだだだと見たライヴの所感を打つようにしたから、可能となったのだが。でも、やっぱしカラダに悪いような気もするし、これからどんどん寒くなるし、年末は忙しくもなるだろうし、“勤勉ブログ”は一過性のもので終わるような気がする……。ま、なりゆきなりゆき。
各ライヴ・ハウスの入り口(そこから地下への階段を下りたり、5階にエレヴェイターで登ったりはするが)は徒歩20秒圏内にあるので、そりゃ頻繁に会場を行き来するようになる。ショーケースのライヴゆえ、各出演者のパフォーマンス時間は25分。3時半すぎから4時間近くの間に、ぼくは8組のアクトを見た。エラソーに上から目線で見るのはやめようと思って接したんだけど、成功を夢見る若いバンド群を見て、ぼくはちょっと甘酸っぱい気持ちになった。
審査を経ての出演ではあるのだろうが、それら出演者は総じてちゃんとしている。かつて、ぼくは日本と海外のポップ・ミュージック勢の違いは喉力の差が一番大きいと感じていたが。みんな歌も良く聞こえる。ぼくは歌詞はどうでもいいと思う人間だが(2013年9月28日、参照)、耳に入ってくる言葉(8組は皆、日本語で歌っていた)にハっとできた瞬間はなかった。←って、普段もそうないか。なんか、自分に酔ったかゆい内容なら、意味のないおちゃらけた歌詞のほうがぼくはずっといいな。
それから、みんな真摯。ちゃんと自分たちのことをアピールしたいという気持ちは伝わるし、TOKYO BOOT UP!への謝辞を表明する人たちも多かった。暴れたり、服ぬいだりとか、破綻を持ってこようとする出演者も皆無。って、そういうノリの担い手はこういう催しには参加しないのか。それとも、そういう時代ではない? 8組中7組が女性メンバーがいて、女性のバンド参画比率高し。ま、スポーツより、性差なく男女が渡り合える分野ではあるのだろう。
スポーツと言えば、ぼくは彼らに接していて、Jリーグ/サッカー界との無謀な比較をしてしまっていた。当然、音楽だけで食べている人はいないだろうし、今回の出演者でちゃんと名をなす人が出てくるかどうかは分らない。大多数は、そのうち別の道を歩むようになるに違いない。だが、彼らは、これこそ自分たちの生きる道、最大の自己発揮の手段といった感じで、今はバンド活動に邁進している。自分の信じる音楽をやりたい、それが多くの人の耳に届けば……という、大志だけで。その様を見て、選手に対する報酬の低さやセカンド・キャリアに対するケアの薄さに言及されるサッカー選手たちは恵まれているのかもとも、ふと思った。選手キャリアの短さはあるが、サッカーのほうがそれとつながる職は得やすいかもしれない。それに、長友や香川らを生んでいるサッカーのほうが現実的な夢があるだろう。ここに出ている人はJ2どころかJFLより下の地域リーグでやっているようなもの。だが、彼らはなんの保証も得ることもなしに、ヤリタイコトハヤリタイ、と、音楽に邁進する。でも、それが、ポップ・ミュージックというものなのだ。だから、我々のものであり、自由でもいられる。
僕が見たバンド群は、TOKYO BOOT UP!出演者のほん一部(よくまとめられているブックレットを見ると、本当にいろんなタイプのバンドがいるようだ)。そして、TOKYO BOOT UP!に出た人たちも、世にいるバンドのあまりにほんの一部。あちこちにライヴ・ハウスはあり、いろんなバンドが毎晩いくつかのバンドとともにやっている。マジ、知らないバンドが山ほど存在する。CDが売れないと、ずっと音楽産業の不振が叫ばれ続けているが、はたしてそうだろうか、なんても、ぼくは会場で思ってしまった。明日を求めて、自らの存在をかけて、音楽活動をしている担い手は本当に数多。CDが売れてもロクな音楽しかないのと、売れなくても続々と創意を抱えた担い手が控えているのと、どっちがいいだろう? ぼくは、ほんのちょっとの間にいくつかのバンドに触れて、なんか捨てたモンじゃないぞという心持ちを得た。
以下、ぼくが見たバンドの簡単な感想だ。
▶toitoitoi
ときに鍵盤を弾きながら歌う女性と男性ギタリストのデュオだそうだが、この日はベース、ドラム、打楽器奏者もサポート。歌声の精気と切実さ、多大。
▶ELECTRIC LUNCH
響きに留意した、まっとうな今様ギター・バンド。リズム・セクションが女性だった。
▶Merpeoples
おそろいの格好をしていた、女性バンド。見ていて、楽しい。採用する曲は普段洋楽を聞いているぼくからは少し離れた所にあると感じさせたが、それゆえ外からは個性的と受け取られる可能性もありそうで、海外需要はぼくがこの日見たバンドのなかでは一番ありそうとも感じる。
▶strange world’s end
骨太な、男性3人組。出音が大きかった。真っすぐなのはいいんだけど、採用する曲がぼくにとってはフォーク調と感じさせるタイプで、ちょい趣味外。
▶星屑オーケストラ
ベースが女性の、4人組ギター・バンド。ぼくがこの日に見た中で一番プロっぽいと思わせる質量感/安心感のようなものがあった。
▶Drop’s
女性5人組バンド、ぼくが会場に入ったとき、シンガーがマラカスを持ちながら歌っていたのはR&B調のビート曲。その後、シンガーがギターを手にして歌ったじっとり目の曲はぼくの好みにあらず。
▶海月ひかり
普段はキーボード弾き語りでやっているそうだが、この日はバックグラウンド・ヴォーカル、ギター、ドラムがついてのパフォーマンス。1曲やった弾き語りより、ぼくはサポート・メンバーがついたときのほうが好感を持てた。女性コーラスが効いていたし。自分の声や流儀を持っているが、それを“強弱”の“強”で出し過ぎと感じる。なんか、綾戸智絵(ぼくは、苦手です)のJ・ポップ版てなテイストあり。
▶軍艦オクトパス
鍵盤を弾きながら歌う女性と、男性リズム・セクションの組み合わせのトリオ・バンド。主は女性だろうが、ベースとドラム(少しエコーを効かせ過ぎ?)の個性とワザあり具合におおいに耳をひかれる。最後の曲は、PE’Zがやっていてもおかしくなさそうと思った。
その後、丸の内・コットンクラブへ。在NYブラジル人ギタリスト/シンガー(2013年5月26日)のアントニオ・カルロス・ジョビン曲を歌うという仕立てのソロ・パフォーマンス(セカンド・ショウ)に触れる。場内前方両側にマイクが立ててある。レコーディングしているのか。また、ナイロン弦ギターの音を拾うマイクも2つ設置。へえ。
漂う感覚を持つ歌といろんな弾き方がなされるギター音が絡み合う簡素な音構成のショウだが、まるで飽きず。アンコールも含めて1時間のパフォーマンス時間だったが、もっとやってェという気分になった。淡々としたなかにある、振幅、積み重ね、技の膨大なこと。そんな彼は、譜面台なども置かず(なんか、譜面台置かれることに、ぼくは過剰に拒否感をいだくところがある)、本当に気ままな感じで、いろんなジョビン曲を鼻歌きぶんで、思うまま繰り出す。どうってことないのに、与える感興のデカさは相当なもん。ある種の魔法があった、とも書きたくなるか。
そんな、経験と含蓄のカタマリのような彼も若い時分はロック・バンドをやっていた。そして、どんどん、自分やルーツを掘り下げ、可能性を追求し、住む所も変わり、現在はこんなシンプルなことをやるようにもなり、絶大な何かを与えている。TOKYO BOOT UP!出演者の人の中にも、こんな人が出てくるかなーと、ふと考えた。
<今日の、苦労>
今年一個目の<年間ベスト・アルバム>選考依頼が来ていて、四苦八苦。毎年、そのつどそのつどメモを取って、年末のこの手の企画に備えようと思うんだが、残念なことに毎度できねえ。このブログは、CDはブツを引っぱり出せば追体験できるが、ライヴは2度と立ち合えないし、忘れちゃうから備忘録として書いておこうという気持ちが大で、1999年から書いている。なんだかんだ、よく続いているナ。ま、小野島大さんの当時張り切っていたブログの一コーナーとして書かないと頼まれたのが、発端だが。やはり、他者の手を介したり、他人の目に触れるとなると、一筆書き原稿(2000字1時間はかけまい、というペースか。誤字脱字や単語の重なりなど、後から気付き、直すのは日常茶飯事)でOKと思ってはいるものの、ちゃんと書くよな。そういえば、ずっとここの原稿は1週間ぶんぐらいためてエイヤっと書いて、まとめてアップするのが常となっていたが、考えるところがあり、この1ヶ月は1回ごとにちゃんと翌日午前中にアップした。その裏には、いくら酔っていても、朝に帰っても、無理して寝る前にだだだだと見たライヴの所感を打つようにしたから、可能となったのだが。でも、やっぱしカラダに悪いような気もするし、これからどんどん寒くなるし、年末は忙しくもなるだろうし、“勤勉ブログ”は一過性のもので終わるような気がする……。ま、なりゆきなりゆき。