ダンス・レザブル+田中悠美子。アラマーイルマン・ヴァサラット
2013年4月7日 音楽 爆弾低気圧のため大荒れだった土曜日を経て、風は強いものの好天の日曜、スカンジナヴィア圏の演奏者にいろいろと触れる。
まず、渋谷・公園通りクラシックスで、ECM契約グループであるダンス・レザブル(Dans Les Arbres)のギグを見る。ピアノ、クラリネット、電気ギターやバンジョー、打楽器という編成で、ノルウェイ人2、ノルウェイ/オーストリアのミックス、フランス人という内訳。実演が始まる前、小物がいろいろと置いていたりもする楽器関連セッティングを見て(なんか、楽しくもなる)も、これは普通のジャズ系グループではないと思わされたか。この日の公演は三味線の田中悠美子(彼女は坂田明〜2013年1月12日、他〜の『平家物語』の録音/実演に関与している)を加えてのもので、彼女は対等な演奏者という形で最初から最後まで演奏に加わる。
で、音が出始めると、CDでおおまかなノリは知っていたものの、そうかそうかとおおきく頷く。まず、みんな素直な楽器音を出さずに、従来の楽器奏法から大きく離れたやり方で、その楽器固有の音色とはおおいに異なる音を出す。ピアノはプリペアド多様だし、弦楽器奏者はエフェクターをつなぐとともに小物で弦を押さえたりはじいたしするし、バカでかい太鼓その他の打楽器奏者も細やか&イマジネイティヴなアクセント/状況設定音を自己流儀のもと繰り出す。それらは、明快に彼らの自在なスタンスや美意識を映し出す。
でもって、多少のモチーフはあるのかもしれないが、基本インプロヴィゼーションによる楽器音の呼応は静的にして、柔らか。なんなんだ、この抑制の美は! そのナチュラルな音群は、木々のざわめきや水のせせらぎのようなもの……少し誇張して言えば。ああ、この世でもっとも聞く者にストレスを感じさせないインプロ表現?
そんな演奏なわけで、最初は田中の音数が多すぎる(音も、他の人たちより少しデカく聞こえた)と感じもしたが、ずっとやっている4人に難なく重なっていたのはすごい。過去に共演歴があるのだろうが、問題なく加わっていたよな。彼女もまるで本来の奏法からは慣れた音響音発生装置として三味線を用いるわけだが(呼称は恥ずかしながら知らないが、和の小さな鍵盤系楽器も一部用いた)、その端々から、まっとうなクラシック教育享受や伝統和音楽研鑽を経ての飛躍であると思わせる確かさも抱えていたか。
かようにみんな楽器本来の使い方をしていなかったわけだが、クラリネット奏者だけは別。彼はノーマイクで普通に吹く事だけで多様な情緒を持つクラリネット音を出し、他の音に溶け込んでいて、うなる。うぬ、実力者だな。ま、高力量であるは他の人たちも同じ。ちゃんと楽器や音楽の“正”の部分を知りつつ、それを秀でた発想のもと一度ごわさんにした上で、音を漂わせ、共振させる様は滅茶格好よい。いやあ興味深い、うわあ瑞々しい、うひょう楽しい。
本編は、1時間ぐらいの文様を思うまま描く。アンコールはもう少し語調の強いものを10分ぐらいやったか。そのとき、田中は長唄みたいな歌も入れた。ぜんぜん違和感なかった。音楽観のちょっとした洗濯になりました。
そして、浅草に向かい、アサヒアートスクエアで、フィンランドの変則6人組インストゥルメンタル・バンド(2009年10月2日)を見る。ソプラノとチューバックスという超低音サックスを吹くリーダーに加えて、トランペット(彼は自作のテルミンも一部操る)、チェロ2人、鍵盤、ドラムという編成。前はハンサム君もいると思ったような気もするが、今回はそう感じない。まあ、その分、キャラ立ち濃度はよりあがっている。トロンボーン奏者→トランペット奏者という以外にも、メンバー・チェンジはあったのかしら。そういえば、前回重なり方が地味だと思った2人のチェロ奏者の絡みが今回はいろいろ耳をひくものになっていて、良かったア。
今回改めて聞いて、変種のプログ・ロックの〜インプロヴィゼーション要素を持たない〜担い手であると、強く感じた。それは、先にダンス・レザブルを聞いたが故ではないと思う。単純なヘヴィメタ調ビート曲のほうが客からは受けていたような気がしたが、このいろんなポイントを持つバンドのファンは普段どういうものを愛好する人たちが多いのか。明確に見えない、それはそれで彼らの型破りな魅力を写すものか。
凝った曲設定のもと、山あり谷ありの、一座的と言いたくなるキブンの演奏が1時間ほど。チェロ演奏が激しいので、それ以上の長尺演奏は不可能と聞いた。だが、そこに込められた妄想や情報の量は多く、そして、そこからは山ほどの諧謔や酔狂さや人間くささやアンチの姿勢が迸る。ブルージィなベース・ラインが強調された曲は大昔のザ・ラウンジ・リザースのノリも受けた。
<今日の、会場>
1本目のハコは、渋谷の公園通りの山手教会の地下駐車場の一角奥にある。かつては演劇その他の出し物を提供していたジャンジャンという一時代を彩った著名スペースもあり、山手教会と聞くと胸がうずく方もいるだろうが、ぼくはジャンジャンには一度も足を運んだことがなかった。なんせ、最初に同所に行ったのは21世紀に入ってから、そこに事務所を置くHEADZにトータス(2011年11月21日、他)だったかシカゴ・アンダーグラウンド(2004年1月20日)だったかを取材するときだった。話はとぶが、ザ・パステルズの16年ぶりのドミノ発新作はトータスのジョン・マッケンタイアが共同プロデュースをしている。相変わらずのでれでれ、ほんわかポップ。「ロング・ライト」とか、ちょいスコティッシュ風情を滲ませる曲に誘われる。
そして、2本目のライヴ会場もとっても有名な場所ですね。黄金の炎とビールのジョッキをかたどったという、あまりに酔狂な造型を持つ建物として。ちょうどできたのはバブル期のようだが、変な気張り方のため、ぼくはもっと古い建物かと思っていた。というのはともかく、よくもまああの設計にOKが出されたものだとも思うし、立ってしまってからあの爆笑モノの見てくれを咎める声はあがらなかったのか。よく分らんが、あのビルを見るたびに(首都高速からも良く見えます)アサヒビールはすごい、パンクじゃと思わずにはいられない。<こんな”美しい”ビルでライヴをできてうれちい>みたいな出演者のMCは、客に受けてたな。今は浅草駅/吾妻橋対岸側から見ると同ビル横奥に東京スカイツリーがいい感じで立っていて、会場の行き帰りともに、写真を撮る少なくない人たちを認めた。
まず、渋谷・公園通りクラシックスで、ECM契約グループであるダンス・レザブル(Dans Les Arbres)のギグを見る。ピアノ、クラリネット、電気ギターやバンジョー、打楽器という編成で、ノルウェイ人2、ノルウェイ/オーストリアのミックス、フランス人という内訳。実演が始まる前、小物がいろいろと置いていたりもする楽器関連セッティングを見て(なんか、楽しくもなる)も、これは普通のジャズ系グループではないと思わされたか。この日の公演は三味線の田中悠美子(彼女は坂田明〜2013年1月12日、他〜の『平家物語』の録音/実演に関与している)を加えてのもので、彼女は対等な演奏者という形で最初から最後まで演奏に加わる。
で、音が出始めると、CDでおおまかなノリは知っていたものの、そうかそうかとおおきく頷く。まず、みんな素直な楽器音を出さずに、従来の楽器奏法から大きく離れたやり方で、その楽器固有の音色とはおおいに異なる音を出す。ピアノはプリペアド多様だし、弦楽器奏者はエフェクターをつなぐとともに小物で弦を押さえたりはじいたしするし、バカでかい太鼓その他の打楽器奏者も細やか&イマジネイティヴなアクセント/状況設定音を自己流儀のもと繰り出す。それらは、明快に彼らの自在なスタンスや美意識を映し出す。
でもって、多少のモチーフはあるのかもしれないが、基本インプロヴィゼーションによる楽器音の呼応は静的にして、柔らか。なんなんだ、この抑制の美は! そのナチュラルな音群は、木々のざわめきや水のせせらぎのようなもの……少し誇張して言えば。ああ、この世でもっとも聞く者にストレスを感じさせないインプロ表現?
そんな演奏なわけで、最初は田中の音数が多すぎる(音も、他の人たちより少しデカく聞こえた)と感じもしたが、ずっとやっている4人に難なく重なっていたのはすごい。過去に共演歴があるのだろうが、問題なく加わっていたよな。彼女もまるで本来の奏法からは慣れた音響音発生装置として三味線を用いるわけだが(呼称は恥ずかしながら知らないが、和の小さな鍵盤系楽器も一部用いた)、その端々から、まっとうなクラシック教育享受や伝統和音楽研鑽を経ての飛躍であると思わせる確かさも抱えていたか。
かようにみんな楽器本来の使い方をしていなかったわけだが、クラリネット奏者だけは別。彼はノーマイクで普通に吹く事だけで多様な情緒を持つクラリネット音を出し、他の音に溶け込んでいて、うなる。うぬ、実力者だな。ま、高力量であるは他の人たちも同じ。ちゃんと楽器や音楽の“正”の部分を知りつつ、それを秀でた発想のもと一度ごわさんにした上で、音を漂わせ、共振させる様は滅茶格好よい。いやあ興味深い、うわあ瑞々しい、うひょう楽しい。
本編は、1時間ぐらいの文様を思うまま描く。アンコールはもう少し語調の強いものを10分ぐらいやったか。そのとき、田中は長唄みたいな歌も入れた。ぜんぜん違和感なかった。音楽観のちょっとした洗濯になりました。
そして、浅草に向かい、アサヒアートスクエアで、フィンランドの変則6人組インストゥルメンタル・バンド(2009年10月2日)を見る。ソプラノとチューバックスという超低音サックスを吹くリーダーに加えて、トランペット(彼は自作のテルミンも一部操る)、チェロ2人、鍵盤、ドラムという編成。前はハンサム君もいると思ったような気もするが、今回はそう感じない。まあ、その分、キャラ立ち濃度はよりあがっている。トロンボーン奏者→トランペット奏者という以外にも、メンバー・チェンジはあったのかしら。そういえば、前回重なり方が地味だと思った2人のチェロ奏者の絡みが今回はいろいろ耳をひくものになっていて、良かったア。
今回改めて聞いて、変種のプログ・ロックの〜インプロヴィゼーション要素を持たない〜担い手であると、強く感じた。それは、先にダンス・レザブルを聞いたが故ではないと思う。単純なヘヴィメタ調ビート曲のほうが客からは受けていたような気がしたが、このいろんなポイントを持つバンドのファンは普段どういうものを愛好する人たちが多いのか。明確に見えない、それはそれで彼らの型破りな魅力を写すものか。
凝った曲設定のもと、山あり谷ありの、一座的と言いたくなるキブンの演奏が1時間ほど。チェロ演奏が激しいので、それ以上の長尺演奏は不可能と聞いた。だが、そこに込められた妄想や情報の量は多く、そして、そこからは山ほどの諧謔や酔狂さや人間くささやアンチの姿勢が迸る。ブルージィなベース・ラインが強調された曲は大昔のザ・ラウンジ・リザースのノリも受けた。
<今日の、会場>
1本目のハコは、渋谷の公園通りの山手教会の地下駐車場の一角奥にある。かつては演劇その他の出し物を提供していたジャンジャンという一時代を彩った著名スペースもあり、山手教会と聞くと胸がうずく方もいるだろうが、ぼくはジャンジャンには一度も足を運んだことがなかった。なんせ、最初に同所に行ったのは21世紀に入ってから、そこに事務所を置くHEADZにトータス(2011年11月21日、他)だったかシカゴ・アンダーグラウンド(2004年1月20日)だったかを取材するときだった。話はとぶが、ザ・パステルズの16年ぶりのドミノ発新作はトータスのジョン・マッケンタイアが共同プロデュースをしている。相変わらずのでれでれ、ほんわかポップ。「ロング・ライト」とか、ちょいスコティッシュ風情を滲ませる曲に誘われる。
そして、2本目のライヴ会場もとっても有名な場所ですね。黄金の炎とビールのジョッキをかたどったという、あまりに酔狂な造型を持つ建物として。ちょうどできたのはバブル期のようだが、変な気張り方のため、ぼくはもっと古い建物かと思っていた。というのはともかく、よくもまああの設計にOKが出されたものだとも思うし、立ってしまってからあの爆笑モノの見てくれを咎める声はあがらなかったのか。よく分らんが、あのビルを見るたびに(首都高速からも良く見えます)アサヒビールはすごい、パンクじゃと思わずにはいられない。<こんな”美しい”ビルでライヴをできてうれちい>みたいな出演者のMCは、客に受けてたな。今は浅草駅/吾妻橋対岸側から見ると同ビル横奥に東京スカイツリーがいい感じで立っていて、会場の行き帰りともに、写真を撮る少なくない人たちを認めた。