ハーシュは1955年、オハイオ州シンシナチ生まれのジャズ・ピアニストで、1970年代末からアート・ファーマーやビリー・ハーパー(2012年10月17日)のコンボ演奏で頭角を現し、1984年以降、様々な個あるジャズ系レーベルからリーダー作をごんごん出している(40作ほどになる?)、まさにミュージシャンズ・ミュージシャンと言える実力者。研ぎすまされたなかに、いろんな思索や情緒を湛えたピアノを、彼は長年聞かせてきた。

 ハーシュといえば、HIVポジティヴであり、その発病のため一時は深刻な状況と言われたこともあったが、薬の進歩もあり、現在は普通の生活をするのにはなんの妨げもないようで、それは今回のソロによるパフォーマンスに接しても良く分った。

 思っていた以上に、優しい指さばき、という所感を持つ。ときに、アブストラクトな弾き方も見せるという印象もぼくは持っていたが、今回のショウはそんなことはなく、柔和にしてしなやかな調べが無理なく聞き手に働きかけるといった感じ。持つセンスが秀でているという感じはやはりあり、過剰に難しいことをやらなくてもテクニックあるぞと、思わせられる。

 オリジナル曲とスタンダードを交え、約80分ぐらいのパフォーマンスだったか。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。ショウが終わると、ポーンポーンと調整が始まる。本人はすぐに出て来て、サインに応じていた。ぼくの隣には楽譜を持った外国人が座りメモをとっていたが、はやりピアノを弾く人やピアノ愛好家の客比率が多かったのだろうか。お店には、普段は置かれていない、HIV/エイズについての知識を提供する小冊子が(日本語のそれと、英語の小さなものの2種)が置かれていた。

<今日の、その後>
 原宿であったハイネケンのパーティにちょい顔を出す。ロクに場所も確認せず行ったが、歩道に人がどばっと溢れていて、すぐに場所が分る。18時半からやっているはずだが、人多すぎ。外国人比率も高し。早い時間にはケントモリ(2011年12月13日)も出たよう、DJはケンイシイ(2004年1月30日)と案内状に記されていたので、流れていた音楽は彼によるものだったのだろうか。ここで提供していたのは、普通の小瓶のみで、ダーク・ビールの供給はなかった。まだハイネケン・ダークのほうが、好きなワタシ。ところで、ハイネケンというと、夏フェスでのサプライヤー度の高いビール会社としてぼくの頭のなかには入っているが、日本の受け皿になっているのはキリンであるのを初めて知る。普段、飲まないものナ。その後、女性もいたが、流れた店でどうしてバド・ガールのハイネケン版はいないのかという話になる。なじみの3人、2軒でワインをポンポンポンポンポン。今、トップ級にダラダラ飲む顔ぶれであるのを再認知。そういえば、別な人とよく飲んでいた頃、一緒に行くと深い午前様になるので、ぼくら2人を<悪の枢軸>と呼ぶ知人がいた。