南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。ヴォーカルとギターのロベン・フォード(1999年8月28日、2004年4月21日、2004年10月22日、2004年12月17日、2008年8月31日、他)を、13キャッツやアル・マッケイ(2012年12月28日、他)らのサポートで来日経験があるはずのスティーヴン・バクスター(トロンボーン)、リッキー・ピーターソン(オルガン、2012年3月3日)、普段はカントリー畑で弾いているらしいブライアン・アレン(全曲ウッド・べース)、まだ幼さをどこか残したアフリカ系のトニー・ムーア(ドラム)という面々がサポートする。
2013年新作『ブリンギング・イット・ホーム・バック』(プロヴォウグ)は解説盤ということを除いてもかなりの傑作であり、完全にその指針に則ってのライヴをフォードは見せる。同作、ニューオーリンズR&B曲やブルース曲を素材にトロンボーンを1本入れた5人編成の固定バンドで事にあたっていたが、トロンボーン音とオルガン音を絡ませるというグルーヴィな行き方を、フォードはどこから得たのか。いや、まったくの卓見と、この晩も思ってしまった。なお、フォードとバクスターは同じだが、レコードのほうの他の参加者は、ラリー・ゴールディングス(オルガン。2012年11月12日)とデイヴィッド・ピルチ(ベース。2010年4月2日、4月4日)とハーヴィ・メイソン(ドラム。2010年7月9日、他)。ながら、ピーターソン(少し痩せたかな?)をはじめ代役陣に不足はまったくなかった。
アーシーかつグルーヴも抱えた曲を彼なりの洗練や広がりを加味し、披露する。そんな課題をかなり上質に行った実演。いいバンド・サウンドを得て、フォードの歌やギター演奏も過去触れたなかで一番いい感じに聞こえた。新作に入っていた唯一オリジナルの「オー・ヴァージニア」はスロウ佳曲。我が道に悔い無し、といった悟りみたいなのがあって、スロウ曲嫌いのぼくなのになかなかグっと来た。それからアラン・トゥーサン(2012年10月15日、他)の「フェア・チャイルド」カヴァーはちょいザ・バンドのアップ曲を意識したような感じがあって、その際のリッキー・Pのオルガン・ソロはガース・ハドソンみたいだった。にっ。ともあれ、今まで見たフォードのなかで、一番共感できたライヴ・パフォーマンスであったのは疑いがない。
ところで、ブルーノート東京はちょい改装された。少し、落ち着いた雰囲気になったような。それと、PAなども入れ替えたようで、音がよくなったかな。
<今日の、トロンボーン>
という項目を、かつてこのブログで、作ったことがあった。2003年8月6日とか、2003年8月29日とか。佐藤さんはトロンボーンが似合いますよ、という言葉とともに、トロンボーンをいただいたことから、一時吹いたときがあったのだ。ここ2年半ずっと続いている<今日の、〜>シリーズはそれがあったからこそ、始めたのかもしれない。ってのはともかく、ああああ。そのトロンボーンはずっとトランク・ルームに置いたまま。スティーヴン・バクスターの姿/演奏に触れながら、少し焦燥感のようなものを覚えたワタシでした。
2013年新作『ブリンギング・イット・ホーム・バック』(プロヴォウグ)は解説盤ということを除いてもかなりの傑作であり、完全にその指針に則ってのライヴをフォードは見せる。同作、ニューオーリンズR&B曲やブルース曲を素材にトロンボーンを1本入れた5人編成の固定バンドで事にあたっていたが、トロンボーン音とオルガン音を絡ませるというグルーヴィな行き方を、フォードはどこから得たのか。いや、まったくの卓見と、この晩も思ってしまった。なお、フォードとバクスターは同じだが、レコードのほうの他の参加者は、ラリー・ゴールディングス(オルガン。2012年11月12日)とデイヴィッド・ピルチ(ベース。2010年4月2日、4月4日)とハーヴィ・メイソン(ドラム。2010年7月9日、他)。ながら、ピーターソン(少し痩せたかな?)をはじめ代役陣に不足はまったくなかった。
アーシーかつグルーヴも抱えた曲を彼なりの洗練や広がりを加味し、披露する。そんな課題をかなり上質に行った実演。いいバンド・サウンドを得て、フォードの歌やギター演奏も過去触れたなかで一番いい感じに聞こえた。新作に入っていた唯一オリジナルの「オー・ヴァージニア」はスロウ佳曲。我が道に悔い無し、といった悟りみたいなのがあって、スロウ曲嫌いのぼくなのになかなかグっと来た。それからアラン・トゥーサン(2012年10月15日、他)の「フェア・チャイルド」カヴァーはちょいザ・バンドのアップ曲を意識したような感じがあって、その際のリッキー・Pのオルガン・ソロはガース・ハドソンみたいだった。にっ。ともあれ、今まで見たフォードのなかで、一番共感できたライヴ・パフォーマンスであったのは疑いがない。
ところで、ブルーノート東京はちょい改装された。少し、落ち着いた雰囲気になったような。それと、PAなども入れ替えたようで、音がよくなったかな。
<今日の、トロンボーン>
という項目を、かつてこのブログで、作ったことがあった。2003年8月6日とか、2003年8月29日とか。佐藤さんはトロンボーンが似合いますよ、という言葉とともに、トロンボーンをいただいたことから、一時吹いたときがあったのだ。ここ2年半ずっと続いている<今日の、〜>シリーズはそれがあったからこそ、始めたのかもしれない。ってのはともかく、ああああ。そのトロンボーンはずっとトランク・ルームに置いたまま。スティーヴン・バクスターの姿/演奏に触れながら、少し焦燥感のようなものを覚えたワタシでした。
六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。昨年に続く来日(ぼくは見ていない)、彼のものすごく久しぶりに出た『ザ・ブレイヴェスト・マン・イン・ザ・ユニヴァース』(XL)はリチャード・ラッセルやデイモン・アルバーン制作のエレクトロ・ソウル調の内容のアルバムだったが、まさかこれだけきっちりソウル様式=ウーマック流儀に則ったソウル・ショウを展開してくれるとは!! そう感じてしまったのは、彼(1944年生まれ)が初期の癌であったりアルツハイマーであると伝えられたり、実際『ザ・ブレイヴェスト・マン・イン・ザ・ユニヴァース』の歌声はどこか枯れていると思わせるところもあったから。だが、4人のホーンや3人の女性コーラスを擁する13人編成のバンドとの実演はかつての異名“ラスト・ソウル・マン”たる威厳と訴求力に満ちていた。もちろん、新譜での電気的要素を出すこともなかった。
おなじみの曲群を、正攻法で。確かに少し身体は弱っているのだろう。ショウの半分は椅子に座って歌ったはず。本来お得意のギターを弾くこともなかった。だが、歌は衰えていない。音程も確か。彼の1990年代のパフォーマンスはどうしてあんなに青筋立てて力んで歌うのかと誰もが?印を呈したくなるものであったので、今ぐらいの歌唱のほうががいいとも思える。間違いなく、パフォーマーとして、彼は今も大丈夫。アルツハイマー云々というのも、皆目わからず。歌詞を忘れて歌が途切れるなんていうこともなかったし(万が一、忘れてもオイラのノリで歌声を出せば立派な彼の歌唱になるわけだが)、バック・コーラスの人のファースト・ネームを忘れたりもしなかった。あと、オバマを地蔵顔にしたようなスーツを行儀良く来た付き人さんが最高。かいがいしくつくとともに、ステージ袖でガンガン踊っているんだもの。バンドを含めて彼の回りにはいい人がいるとも、思わせられました。
よかったっス。とにかく、掛け替えのない、うれしい何かがたっぷり。ほんと、素晴らしいソウル・ミュージックの体現者。もっともっと、ぼくたちはこの傑物に触れる必要がある。確か、彼の初来日は1987年あたりか。東京公演は、五反田の郵便貯金ホール。その際の同行ドラマーは当時LA在住の沼澤尚(2013年1月7日、他)だった。なんだ、あの日本語しゃべったドラマーは? そのときはどんな奴か知らなかったけど、その次に戻ってきたとき共通の知人がいたこともあって仲良くなり、ぼくがLAに行くと運転手をやってもらったり、向こうが東京に帰って来るたびにぼくの家に遊びに来ていたりしていた。そういえば、ホーム・パーティや花火大会に誘ったりもしていたな。今、Jリーグ開幕20周年なんて言われているが、それよりぜんぜん昔のことだな。なお、沼澤はサッカーではなく、熱心な野球少年だった。
<今日の、むーん>
2日前には雨天の予報のはずだったが、ひえ〜ってぐらいに晴天。これはこれはと言う感じで、新宿区の国立競技場に向かう。そのあと、六本木にも都営地下鉄1本、たった2駅でいけるしナ。この日あったのはJ2のサッカーの試合で、東京ヴェルディvsヴィッセル神戸。わー両チームともウ濁点をちゃんと正式表記に用いるんだな。レコード会社だって、ユニバーサル・ミュージックとかエイベックスとか、ウ濁点を回避する所もあるのに。。。新宿区居住者や勤労者は無料とか記念のお菓子をくばるなど、いろいろ頑張ったようなヴェルディ(考えてみれば、20年前のJリーグ発足記念の国立球技場ゲームの二分の一チームではないか。ぼくはあの試合の、マリノスのディアスの得点後のポーズと笑顔にやられた)主催マッチなはずなのにええっていうぐらいガラガラなのにおののく。まあ、隣とか気兼ねせずに見れるのはいいが。会場に着いたところで、ヴェルディ嫌いのぼくはとっても濃い緑色(ヴェルディの色ですね)が入っている上着を持っていることに気付き盛り下がる。そんなわけで、神戸(そのオーナーにもいい印象は持てないが)を応援しながら見ていたが、”神戸の時間”だったのに高原直泰が最後に鮮やかに決めて2−1で負けてどよーん。高原は憎からず感じる選手で、その2ゴールはうれしいものの、ナンデコウナルンダあ。応援しているチームが入れたなら最高だが、逆だとサイアク。あ〜あ。
おなじみの曲群を、正攻法で。確かに少し身体は弱っているのだろう。ショウの半分は椅子に座って歌ったはず。本来お得意のギターを弾くこともなかった。だが、歌は衰えていない。音程も確か。彼の1990年代のパフォーマンスはどうしてあんなに青筋立てて力んで歌うのかと誰もが?印を呈したくなるものであったので、今ぐらいの歌唱のほうががいいとも思える。間違いなく、パフォーマーとして、彼は今も大丈夫。アルツハイマー云々というのも、皆目わからず。歌詞を忘れて歌が途切れるなんていうこともなかったし(万が一、忘れてもオイラのノリで歌声を出せば立派な彼の歌唱になるわけだが)、バック・コーラスの人のファースト・ネームを忘れたりもしなかった。あと、オバマを地蔵顔にしたようなスーツを行儀良く来た付き人さんが最高。かいがいしくつくとともに、ステージ袖でガンガン踊っているんだもの。バンドを含めて彼の回りにはいい人がいるとも、思わせられました。
よかったっス。とにかく、掛け替えのない、うれしい何かがたっぷり。ほんと、素晴らしいソウル・ミュージックの体現者。もっともっと、ぼくたちはこの傑物に触れる必要がある。確か、彼の初来日は1987年あたりか。東京公演は、五反田の郵便貯金ホール。その際の同行ドラマーは当時LA在住の沼澤尚(2013年1月7日、他)だった。なんだ、あの日本語しゃべったドラマーは? そのときはどんな奴か知らなかったけど、その次に戻ってきたとき共通の知人がいたこともあって仲良くなり、ぼくがLAに行くと運転手をやってもらったり、向こうが東京に帰って来るたびにぼくの家に遊びに来ていたりしていた。そういえば、ホーム・パーティや花火大会に誘ったりもしていたな。今、Jリーグ開幕20周年なんて言われているが、それよりぜんぜん昔のことだな。なお、沼澤はサッカーではなく、熱心な野球少年だった。
<今日の、むーん>
2日前には雨天の予報のはずだったが、ひえ〜ってぐらいに晴天。これはこれはと言う感じで、新宿区の国立競技場に向かう。そのあと、六本木にも都営地下鉄1本、たった2駅でいけるしナ。この日あったのはJ2のサッカーの試合で、東京ヴェルディvsヴィッセル神戸。わー両チームともウ濁点をちゃんと正式表記に用いるんだな。レコード会社だって、ユニバーサル・ミュージックとかエイベックスとか、ウ濁点を回避する所もあるのに。。。新宿区居住者や勤労者は無料とか記念のお菓子をくばるなど、いろいろ頑張ったようなヴェルディ(考えてみれば、20年前のJリーグ発足記念の国立球技場ゲームの二分の一チームではないか。ぼくはあの試合の、マリノスのディアスの得点後のポーズと笑顔にやられた)主催マッチなはずなのにええっていうぐらいガラガラなのにおののく。まあ、隣とか気兼ねせずに見れるのはいいが。会場に着いたところで、ヴェルディ嫌いのぼくはとっても濃い緑色(ヴェルディの色ですね)が入っている上着を持っていることに気付き盛り下がる。そんなわけで、神戸(そのオーナーにもいい印象は持てないが)を応援しながら見ていたが、”神戸の時間”だったのに高原直泰が最後に鮮やかに決めて2−1で負けてどよーん。高原は憎からず感じる選手で、その2ゴールはうれしいものの、ナンデコウナルンダあ。応援しているチームが入れたなら最高だが、逆だとサイアク。あ〜あ。
マリアリー・パチェーコ。オリアンティ
2013年5月13日 音楽 マリアリー・パチェーコはキューバ生まれの女性ジャズ・ピアニスト(30歳ちょいぐらい?)。同国のミュージシャンの例にもれず英才教育を得て今があるらしいが、若い時分から国外に出て、現在まで5枚ほどリーダー作を出しているようだ。また、MCではハバナから来ましたァみたいなことを行っていたが、そのHPによれば、2009年からオーストラリアのブリスベンに居住しているよう。でも、英語のMCは達者な感じではなかったな。ともあれ、耳にしたアルバムがキューバ出身者であることが見え隠れしつつ甘さを排した現代的なピアノ弾きであること出していて、少しでもその生に触れたいと思った。
モーションブルー・ヨコハマ、ファースト・ショウ。丸の内にコットンクラブができる前は月に何度も行っていたりもしたが、今は本当に足が遠のいてしまったな。場内の席配置/構成が変わっていたが、なるほどアトラクティヴな内装を持つハコだと再認識。普段こぎたないクラブ公演をこなしている外国人ミュージシャンがここに来て演奏したら、感激するだろうなあと思った。
ショウはソロにて。ステージに出て来たパチェーコはすらり長身、人懐こい情緒を振りまく人で、陽気。弾いている最中にも笑顔をこぼしたりする。で、悠々と指を這わせるわけだが、やはりどこかにキューバンらしいアクセントを残しつつ、硬質なフレイズを連ねて行く。少し、キース・ジャレッットも好きなんだろうなと思わせるところも顔を出す。スタンダードや自作をやったのかな? それと、キューバの曲をやったときは少し色彩感を増し、華やかなメロディ感覚も前に出た。
その後は、六本木・ビルボードライブ東京に。こちらの出演者は、故マイケル・ジャクソンの幻のツアー“ディス・イズ・イット”の構成員に抜擢され、そのリハの様をまとめた同名映画(2009年10月30日)で紹介されたことで一躍脚光を浴びた金髪ギタリストのオリアンティ(2011年11月22日。今はLA在住のようだが豪州出身、ユニヴァーサル系列から3作のアルバムを出している。
そのリーダー作を聞くと、中途半端に機械ビートなども使った産業ポップ・ロックを聞かせていて、ぼくの興味対象外と感じずにはいられないが、実演はそれと繋がらないものでおもしろかった。とともに、アルバム群は船頭たちが売れ線を狙って彼女のやりたいことをツブしているんだろうとも、思わずにはいられず。ま、なんにせよ、きっちりギターが弾けるだけでなく、ちゃんと歌えもする総合的なロッカーであるのを出していた。
大味なドラマーとベーシスト(ピック弾き)を従えての、トリオによるライヴ。プリセット音使用はなく(一部分、あれっという所はあったが)、どすこいな生音で勝負。途中2曲でローディみたいなお兄さんが補助ギターを弾いたが、別に入らなくても平気だったような。
3人でやるのは基本、もうタネもしかけもない、古くささ100%の鈍重なロック。どう見たって、それは20代の女性がやるものではなく、60ぐらいの駄目おやじが某弱無人にコレしかできないんですとやるような感じのもの。ときに、エモが入ったポップ・ロック調曲もやったが、全体のトーンを定めるのは時代錯誤調ロック。それだけだったら、ぼくは興味をひかれることはなかったのだが(頭のほうは少し苦々しい思いで実演に接していた)、なんとそこかしこから、ジミ・ヘンドリックスやブルース(スライド・バーを用いた曲もあった)に対する思慕のようなものがこぼれてくる! それには、おおおお。応援したくなる。そっちのほうに、舵を切ったアルバムを出してほしいと切に思う。彼女、絶対にヘンドリックス/ブルースも好きだし、知識も持っている。いやあ、ライヴ見なきゃ本質見えないときもやっぱあるのだなあ。
<今日の、T・レックス>
T・レックスの『ザ・スタイダー』の発売40周年セットという名目のブック装丁仕立ての2CD+DVD+のブツが届く。ザ・ビートルズはリアル・タイムでほぼ聞けなかったが、T・レックスはリアル・タイムで接することができた僥倖……みたいな原稿を書いたことがあるぼくとしては胸弾む。制作者トニー・ヴィスコンティの最新磨き込み音の検証についてはこれからゆっくり。DVDにはヴィスコンティの最新インタヴュー映像が収められていて、ほうヴィスコンティってこういう人なのか。いい感じぢゃ。そして、マークは精神性をもっていたが、その正しさゆえ仏教にもヒンドゥー教にもはまらなかった、みたいな発言内容も興味深い。次世代のマーク・ボランなるものというと、ぼくはまずプリンスを思い浮かべてしまう……。
モーションブルー・ヨコハマ、ファースト・ショウ。丸の内にコットンクラブができる前は月に何度も行っていたりもしたが、今は本当に足が遠のいてしまったな。場内の席配置/構成が変わっていたが、なるほどアトラクティヴな内装を持つハコだと再認識。普段こぎたないクラブ公演をこなしている外国人ミュージシャンがここに来て演奏したら、感激するだろうなあと思った。
ショウはソロにて。ステージに出て来たパチェーコはすらり長身、人懐こい情緒を振りまく人で、陽気。弾いている最中にも笑顔をこぼしたりする。で、悠々と指を這わせるわけだが、やはりどこかにキューバンらしいアクセントを残しつつ、硬質なフレイズを連ねて行く。少し、キース・ジャレッットも好きなんだろうなと思わせるところも顔を出す。スタンダードや自作をやったのかな? それと、キューバの曲をやったときは少し色彩感を増し、華やかなメロディ感覚も前に出た。
その後は、六本木・ビルボードライブ東京に。こちらの出演者は、故マイケル・ジャクソンの幻のツアー“ディス・イズ・イット”の構成員に抜擢され、そのリハの様をまとめた同名映画(2009年10月30日)で紹介されたことで一躍脚光を浴びた金髪ギタリストのオリアンティ(2011年11月22日。今はLA在住のようだが豪州出身、ユニヴァーサル系列から3作のアルバムを出している。
そのリーダー作を聞くと、中途半端に機械ビートなども使った産業ポップ・ロックを聞かせていて、ぼくの興味対象外と感じずにはいられないが、実演はそれと繋がらないものでおもしろかった。とともに、アルバム群は船頭たちが売れ線を狙って彼女のやりたいことをツブしているんだろうとも、思わずにはいられず。ま、なんにせよ、きっちりギターが弾けるだけでなく、ちゃんと歌えもする総合的なロッカーであるのを出していた。
大味なドラマーとベーシスト(ピック弾き)を従えての、トリオによるライヴ。プリセット音使用はなく(一部分、あれっという所はあったが)、どすこいな生音で勝負。途中2曲でローディみたいなお兄さんが補助ギターを弾いたが、別に入らなくても平気だったような。
3人でやるのは基本、もうタネもしかけもない、古くささ100%の鈍重なロック。どう見たって、それは20代の女性がやるものではなく、60ぐらいの駄目おやじが某弱無人にコレしかできないんですとやるような感じのもの。ときに、エモが入ったポップ・ロック調曲もやったが、全体のトーンを定めるのは時代錯誤調ロック。それだけだったら、ぼくは興味をひかれることはなかったのだが(頭のほうは少し苦々しい思いで実演に接していた)、なんとそこかしこから、ジミ・ヘンドリックスやブルース(スライド・バーを用いた曲もあった)に対する思慕のようなものがこぼれてくる! それには、おおおお。応援したくなる。そっちのほうに、舵を切ったアルバムを出してほしいと切に思う。彼女、絶対にヘンドリックス/ブルースも好きだし、知識も持っている。いやあ、ライヴ見なきゃ本質見えないときもやっぱあるのだなあ。
<今日の、T・レックス>
T・レックスの『ザ・スタイダー』の発売40周年セットという名目のブック装丁仕立ての2CD+DVD+のブツが届く。ザ・ビートルズはリアル・タイムでほぼ聞けなかったが、T・レックスはリアル・タイムで接することができた僥倖……みたいな原稿を書いたことがあるぼくとしては胸弾む。制作者トニー・ヴィスコンティの最新磨き込み音の検証についてはこれからゆっくり。DVDにはヴィスコンティの最新インタヴュー映像が収められていて、ほうヴィスコンティってこういう人なのか。いい感じぢゃ。そして、マークは精神性をもっていたが、その正しさゆえ仏教にもヒンドゥー教にもはまらなかった、みたいな発言内容も興味深い。次世代のマーク・ボランなるものというと、ぼくはまずプリンスを思い浮かべてしまう……。
レバノン生まれ、英国在住のシンガー・ソングライターの実演を見た。前々回の公演(2009年11月30日。前回の2010年来日公演は、誰かのそれと重なっていて、ぼくは泣く泣くパスしている)を見たとき感激したが、今回も質は高く、とても楽しめた。新木場・スタジオコースト。チケット売り切れが報じられダフ屋も出ていたが、過剰に混んではおらず、良識的なチケット販売をしていると思わせられた。客の女性率、高め。
ステージは、緑色の水玉模様基調のディスプレイがほどこされる。ときに鍵盤を弾きながらも歌う長身痩身な本人に加え、キーボード(一部、アルト・サックスやクラリネットや生ギターも弾く)、ベース/鍵盤ベース(最後にヴォーカルでフィーチャーもされる)、ギター、ドラム、パーカッションという布陣。彼らはよく整備されており、とってもアトラクティヴに、ソウル・ミュージックの旨味も吸ったピアノ基調ポップが展開される。いろんなものがかなり高水準で開かれた場で綱引きされ、若い聞き手は当然のこと、おやじももうにっこりという感じ也。
数曲で、水玉模様のコスチュームをまとった6人の若い日本人女性たちがダンサーとして加わる。また、デカい緑色の風船が沢山横から客席フロアに出てくる場面もあり。そうしたショウの進め方はフレイミング・リップス(2000年8月5日、2006年8月12日)のそれと重なるナ。
前々回のショウではかなり日本語をしゃべっていた(だから、日本語が堪能なゴティエのショウ〜2012年8月18日〜を見て、ぼくはミーカをすぐに思い出した)が、今回は基本なし。いったいあれはなんだったのだー? それについて、あのときはイアーフォンで日本語を受けて、それに倣い発していたという話を今日聞いた。なるほど、それだと、少しのタイム・ラグが日本語を考えているように端からは見えたりもするよな。インタヴューした人も普通に英語の通訳を交えてやったというし、そーだったの?
<今日の、不思議>
2軒流れた後に乗ったタクシー。個人ではなく法人営業車なのに、運転手の座席裏にポケットがしつらえられていて、お菓子やキャンディがいろいろおいてある。また、携帯の充電できますと言う張り紙があったり、助手席のヘッドレストには鏡がセット。朝乗る女性のお客さんに評判いいんですよと、運転手さん。彼、得意げに皆さんに喜んでいただきたくてやってますと、言う。降車の際にも、話のネタに(お菓子を)持って帰ってくださいとも言う。いろんな人がいて、いろんな事があり。ところで、新木場駅でチャージしたさい、5500円ぐらい入っているパスモを落としたみたい。その後の降車駅で財布に入っておらず。落としたことよりも、ボケているのを認知させられるのが悲しい。でも、チャージしたとき一緒に知人もいたが、何も指摘されていない。ま、世の中、ミステリアスなことが起こるということにしておきましょう。
ステージは、緑色の水玉模様基調のディスプレイがほどこされる。ときに鍵盤を弾きながらも歌う長身痩身な本人に加え、キーボード(一部、アルト・サックスやクラリネットや生ギターも弾く)、ベース/鍵盤ベース(最後にヴォーカルでフィーチャーもされる)、ギター、ドラム、パーカッションという布陣。彼らはよく整備されており、とってもアトラクティヴに、ソウル・ミュージックの旨味も吸ったピアノ基調ポップが展開される。いろんなものがかなり高水準で開かれた場で綱引きされ、若い聞き手は当然のこと、おやじももうにっこりという感じ也。
数曲で、水玉模様のコスチュームをまとった6人の若い日本人女性たちがダンサーとして加わる。また、デカい緑色の風船が沢山横から客席フロアに出てくる場面もあり。そうしたショウの進め方はフレイミング・リップス(2000年8月5日、2006年8月12日)のそれと重なるナ。
前々回のショウではかなり日本語をしゃべっていた(だから、日本語が堪能なゴティエのショウ〜2012年8月18日〜を見て、ぼくはミーカをすぐに思い出した)が、今回は基本なし。いったいあれはなんだったのだー? それについて、あのときはイアーフォンで日本語を受けて、それに倣い発していたという話を今日聞いた。なるほど、それだと、少しのタイム・ラグが日本語を考えているように端からは見えたりもするよな。インタヴューした人も普通に英語の通訳を交えてやったというし、そーだったの?
<今日の、不思議>
2軒流れた後に乗ったタクシー。個人ではなく法人営業車なのに、運転手の座席裏にポケットがしつらえられていて、お菓子やキャンディがいろいろおいてある。また、携帯の充電できますと言う張り紙があったり、助手席のヘッドレストには鏡がセット。朝乗る女性のお客さんに評判いいんですよと、運転手さん。彼、得意げに皆さんに喜んでいただきたくてやってますと、言う。降車の際にも、話のネタに(お菓子を)持って帰ってくださいとも言う。いろんな人がいて、いろんな事があり。ところで、新木場駅でチャージしたさい、5500円ぐらい入っているパスモを落としたみたい。その後の降車駅で財布に入っておらず。落としたことよりも、ボケているのを認知させられるのが悲しい。でも、チャージしたとき一緒に知人もいたが、何も指摘されていない。ま、世の中、ミステリアスなことが起こるということにしておきましょう。
ベニー・ゴルソン・カルテット
2013年5月15日 音楽 このジャズ界に確かな活動歴を残すテナー・サックス奏者は何度も来日している(今回は5年ぶりのよう)はずだが、ぼくは今回初めて彼のことを見る。1929年1月生まれというから、すでに84歳。そろそろ、というのもありえるかもと思って見にいったんだけど、年齢より若く見えて、とても元気そうに思えた。MCや他者のソロのときは椅子に座ることも多かったが、歩行も普通だし、ぼくのなかの印象だと10歳は年下だな。そんなゴルソンさんはテナー・サックス奏者であるだけでなく、作/編曲の分野で多大な功績を残している人物。それゆえ、1960〜70年代にかけては映画/TV音楽作りで大々的に活躍したりもした。
出て来たゴルソンを見てすぐに思ったのは、エスタブリシュされている感が大ありということ。彼はいい感じで、ノーネクタイでスーツを着こなす。それは他のアフリカ系のリズム隊も同じ。華と格式を見る者に与えるな。で、一発吹いただけで、テナー音に風情あることも了解。くぐもった、スモーキーな響きはやはりヴェテランの味。そして、そんな彼→ピアノ→ベース→ドラムと判で押したようにソロを回して行く、危なげのない、穏健なジャズがゆうゆう披露される。壊れたジャズ、先を見たジャズが好きなぼくの好みからは離れるが、王道のジャズを豊穣な雰囲気のもと楽しみたいという人にはぴったりの出し物ではなかったか。先に書いたように出演者たちは名分を感じさせるし、ゴルソンのMCも風情あるし、演奏時間も長めだったし……。ましてや、このサックス奏者は、自由の象徴としてジャズを扱ってもいた、トム・ハンクス主演の2004年スピルバーグ映画「ターミナル」にキャミオ出演している人なんだよ、な〜んて蘊蓄を同行者に語ることもできるし(笑い)。
ずっと一緒にやっているカルテットのようで、白人のマイク・ルドン(ピアノ。1957年生まれ)、バスター・ウィリアムズ(ベース、1942年生まれ)、カール・アレン(ドラム。1961年生まれ。2012年3月3日、他)、3人ともかなりな数のリーダー作を出している腕利き達。とくにウィリアムズはセクタント期のハービー・ハンコック(や同傾向のエディ・ヘンダーソン)、ウディ・ショウ、マッコイ・タイナー、ベニー・モウピン、ラサーン・ローランド・カークなど、かつてぼくがよく聞いた1970年代上半期のジャズ・アルバムによく名を連ねていた人で、見ることができてうれしい。彼はロン・カーター(2012年12月11日、他)とともにウッド・ベース音を過剰目にアンプリファイドさせる傾向にあった奏者であったが、カーターが自然な音色で弾くようになった今も、彼はブーストしたベース音のもとひっぱるようなフレイズを繰り出していた。
曲はデューク・エリントンの「A列車で行こう」から、有名自作「ブルース・マーチ」まで。他人の曲も自作も、ジャズ史のなかでの横並びの財産という思いを出していた? もっと自作曲をやってもいいと思ったが、ワン・ホーンでやっていることはスタンダード多用となるのに繋がりを持つか。やはりゴスソン曲と言うと、管楽器の粋な絡みというのが重要事項として頭に思い浮かぶし。セロニアス・モンク/クーティ・ウィリアムズ作の「ラウンド・ミットナイト」もやったが、それはなんとバンマス抜きのピアノ・トリオにて披露された。
黒のスーツを見にまとい、やはりエスタブリッシュ感のある奥さんがずっと後ろで見ていた。すごく私生活、充実してそうだな。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
<今日の、新宿区霞ヶ丘町>
また、国立競技場にサッカーを見に行っちゃった。この日曜に行って、行くのがあまりに楽なことを再確認したゆえ。大江戸線の国立競技場駅出口の隣がスタジアムの入り口、家から30分で着いちゃうもの。しかも、陸上トラック付きの会場ではあるものの、味の素スタジアムよりもピッチが近く感じられるのもいい。その東京FC本拠地の味スタやさらにピッチが遠いマリノスがホームにする横浜国際総合競技場のサッカー会場としての存在価値って一体なんだ? ともあれ、500円高くなる当日券でも自由席で2000円なり。コストパフォーマンスの高い娯楽だな。
ナビスコ・カップの、東京FCと新潟アルビレックスの試合。Jリーグが1993年のこの日にこの会場で始まったということで、初代チェアマンの川淵三郎が試合前にスピーチ。今は名誉欲まるだしの妖怪じじいという所感を与えるようになってしまったが、20年前は颯爽と理想主義に燃えている感じが本当にあった。Jリーグの当初の成功はやはり彼に負う所も小さくないのではないかな。
晴天で陽が暮れて……気持ちいい最高っとビール片手にうかれて見ていたら、途中から寒さを感じるようになる。だけど、売店ではアルコールはビールしか売っていない。トイレに何度も行ってしまったな。あ、それから主審は家本政明。かつてありえねー的レフリングの連発でJリーグ史上もっともディスられまくられた悲しいキャリアを持つ御仁。いつのまにか、普通の試合さばきをするようになっている。
今年絶好調の渡邉千真(現在J1のトップ・スコアラー!)やアルビレックスのブラジル人ボランチのレオ・シルバあたりはぼくの見たい筆頭選手であったが、彼らはこの試合サブか登録外でお休み。でも、リーグ戦の合間の平日に行われる傾向にあるカップ戦はキー・メンバーの1人や2人は休ませるのが常で、それはしょうがない。子供をくだらねえ校則で縛るようなJリーグのベスト・メンバー規定なんてなくなればいいのに。でも、逆にカップ戦だからこそ先発で出場することができた石川直宏のファイン・ゴールを見ることができたし、何より本人が超うれしそうなのは良かった。あと、後半に新潟の鈴木武蔵を見る事ができたのはうれしかった。
FC東京も新潟もともにまっとうなノリを持つ応援団だと思うが、それでも応援の太鼓やかけ声がぼくにはうるさすぎる。全体/付和雷同主義のダサさをやんわり認識させもするそれらは、ぼくがスタジアムに生試合を見に行くのを阻害する要因となるものであると再確認。ぼくはもっとゆったりサッカーを見たい。ただ、ACLのアウェー試合のときは、彼らのあり方を頼もしく感じて大肯定しそうな気も(唯一ACLで残っている柏が、今日アウェー試合で勝った!)。って、なんか書いていることがバラバラぢゃん。あと、ハーフタイムのときの、東京FCのマスコットと新潟のサポーターたちのやりとりが微笑ましかった。
で、そのあと、ブルーノート東京に行ったわけです。
ところで、後発の地下鉄線である大江戸線の駅はどれも地中深く設けられているが、混雑緩和のために「国立競技場駅」はより、わざと深めに作られているというのは本当だろうか。確かに、歩く(上り下りする)距離を長くすれば、人の混雑はバラける方向となるわけで……。
出て来たゴルソンを見てすぐに思ったのは、エスタブリシュされている感が大ありということ。彼はいい感じで、ノーネクタイでスーツを着こなす。それは他のアフリカ系のリズム隊も同じ。華と格式を見る者に与えるな。で、一発吹いただけで、テナー音に風情あることも了解。くぐもった、スモーキーな響きはやはりヴェテランの味。そして、そんな彼→ピアノ→ベース→ドラムと判で押したようにソロを回して行く、危なげのない、穏健なジャズがゆうゆう披露される。壊れたジャズ、先を見たジャズが好きなぼくの好みからは離れるが、王道のジャズを豊穣な雰囲気のもと楽しみたいという人にはぴったりの出し物ではなかったか。先に書いたように出演者たちは名分を感じさせるし、ゴルソンのMCも風情あるし、演奏時間も長めだったし……。ましてや、このサックス奏者は、自由の象徴としてジャズを扱ってもいた、トム・ハンクス主演の2004年スピルバーグ映画「ターミナル」にキャミオ出演している人なんだよ、な〜んて蘊蓄を同行者に語ることもできるし(笑い)。
ずっと一緒にやっているカルテットのようで、白人のマイク・ルドン(ピアノ。1957年生まれ)、バスター・ウィリアムズ(ベース、1942年生まれ)、カール・アレン(ドラム。1961年生まれ。2012年3月3日、他)、3人ともかなりな数のリーダー作を出している腕利き達。とくにウィリアムズはセクタント期のハービー・ハンコック(や同傾向のエディ・ヘンダーソン)、ウディ・ショウ、マッコイ・タイナー、ベニー・モウピン、ラサーン・ローランド・カークなど、かつてぼくがよく聞いた1970年代上半期のジャズ・アルバムによく名を連ねていた人で、見ることができてうれしい。彼はロン・カーター(2012年12月11日、他)とともにウッド・ベース音を過剰目にアンプリファイドさせる傾向にあった奏者であったが、カーターが自然な音色で弾くようになった今も、彼はブーストしたベース音のもとひっぱるようなフレイズを繰り出していた。
曲はデューク・エリントンの「A列車で行こう」から、有名自作「ブルース・マーチ」まで。他人の曲も自作も、ジャズ史のなかでの横並びの財産という思いを出していた? もっと自作曲をやってもいいと思ったが、ワン・ホーンでやっていることはスタンダード多用となるのに繋がりを持つか。やはりゴスソン曲と言うと、管楽器の粋な絡みというのが重要事項として頭に思い浮かぶし。セロニアス・モンク/クーティ・ウィリアムズ作の「ラウンド・ミットナイト」もやったが、それはなんとバンマス抜きのピアノ・トリオにて披露された。
黒のスーツを見にまとい、やはりエスタブリッシュ感のある奥さんがずっと後ろで見ていた。すごく私生活、充実してそうだな。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
<今日の、新宿区霞ヶ丘町>
また、国立競技場にサッカーを見に行っちゃった。この日曜に行って、行くのがあまりに楽なことを再確認したゆえ。大江戸線の国立競技場駅出口の隣がスタジアムの入り口、家から30分で着いちゃうもの。しかも、陸上トラック付きの会場ではあるものの、味の素スタジアムよりもピッチが近く感じられるのもいい。その東京FC本拠地の味スタやさらにピッチが遠いマリノスがホームにする横浜国際総合競技場のサッカー会場としての存在価値って一体なんだ? ともあれ、500円高くなる当日券でも自由席で2000円なり。コストパフォーマンスの高い娯楽だな。
ナビスコ・カップの、東京FCと新潟アルビレックスの試合。Jリーグが1993年のこの日にこの会場で始まったということで、初代チェアマンの川淵三郎が試合前にスピーチ。今は名誉欲まるだしの妖怪じじいという所感を与えるようになってしまったが、20年前は颯爽と理想主義に燃えている感じが本当にあった。Jリーグの当初の成功はやはり彼に負う所も小さくないのではないかな。
晴天で陽が暮れて……気持ちいい最高っとビール片手にうかれて見ていたら、途中から寒さを感じるようになる。だけど、売店ではアルコールはビールしか売っていない。トイレに何度も行ってしまったな。あ、それから主審は家本政明。かつてありえねー的レフリングの連発でJリーグ史上もっともディスられまくられた悲しいキャリアを持つ御仁。いつのまにか、普通の試合さばきをするようになっている。
今年絶好調の渡邉千真(現在J1のトップ・スコアラー!)やアルビレックスのブラジル人ボランチのレオ・シルバあたりはぼくの見たい筆頭選手であったが、彼らはこの試合サブか登録外でお休み。でも、リーグ戦の合間の平日に行われる傾向にあるカップ戦はキー・メンバーの1人や2人は休ませるのが常で、それはしょうがない。子供をくだらねえ校則で縛るようなJリーグのベスト・メンバー規定なんてなくなればいいのに。でも、逆にカップ戦だからこそ先発で出場することができた石川直宏のファイン・ゴールを見ることができたし、何より本人が超うれしそうなのは良かった。あと、後半に新潟の鈴木武蔵を見る事ができたのはうれしかった。
FC東京も新潟もともにまっとうなノリを持つ応援団だと思うが、それでも応援の太鼓やかけ声がぼくにはうるさすぎる。全体/付和雷同主義のダサさをやんわり認識させもするそれらは、ぼくがスタジアムに生試合を見に行くのを阻害する要因となるものであると再確認。ぼくはもっとゆったりサッカーを見たい。ただ、ACLのアウェー試合のときは、彼らのあり方を頼もしく感じて大肯定しそうな気も(唯一ACLで残っている柏が、今日アウェー試合で勝った!)。って、なんか書いていることがバラバラぢゃん。あと、ハーフタイムのときの、東京FCのマスコットと新潟のサポーターたちのやりとりが微笑ましかった。
で、そのあと、ブルーノート東京に行ったわけです。
ところで、後発の地下鉄線である大江戸線の駅はどれも地中深く設けられているが、混雑緩和のために「国立競技場駅」はより、わざと深めに作られているというのは本当だろうか。確かに、歩く(上り下りする)距離を長くすれば、人の混雑はバラける方向となるわけで……。
ルーマー。ザ・ダズ・バンド
2013年5月16日 音楽 まず、六本木・ビルボードライブ東京で、パキスタン人と英国人を両親とする、イスラマバード生まれ/ロンドン在住女性歌手を見る。ピアノ、ベース(一部、ウッド・ベース)、ドラム(レギュラー・グリップで叩く)の3人がサポート。
その2作目『ボーイズ・ドント・クライ』はホール&オーツ(2011年2月28日、他)、ロジャー・ニコルズ/ポール・ウィリアムズやアイザック・ヘイズ(2007年7月18日)などの選曲が絶妙。かつ、それらをどこか霞がかかったとも言いたくなる落ち着いたテイストで再提示した作品で、そここに現代的な儚さのようなものがあると思え、ぼくはかなり抗しがたい魅力を覚えたりもした。そしたら、実際の彼女はもっと“ミドル・オブ・ザ・ロード”と言うしかない、素直な歌い口をまっすぐに開くタイプの人だった。ゆえに、ぼくはアルバムのほうに魅力を感じるが、それはそれ、お客からけっこう熱い反応を受けていた。
その後は丸の内・コットンクラブで、1977年にオハイオ州クリーヴランドで結成された、今はLA拠点となるソウル・バンド(2006年7月24日、2007年11月9日)を見る。デバージなんかとともに1980年代上半期のモータウンを彩ったグループだが、ライヴ・ショウとしてはほぼ文句のない好パーマンスを提供。ウキっ。黒の帽子やスーツや赤いネクタイでかためた(みんな、微妙に色合いや型が異なる)格好もうれしい。ベーシストは左利きで、右利き用のベースを逆さにして弾いていた。そうする(ジミ・ヘンドリックス影響下にあることを謳歌する)ギタリストはたまにいるが、ベースを逆さに構える人はたぶん初めて触れる。
<今日の、油断>
ライヴ後、有楽町でちゃらちゃら飲んでいたら、終電を逃す。ありゃ? えーん。タクシーに乗ったら、高速(道路)にしますかと問われる。有楽町から高速を使うという発想はなかったが、高速は渋滞していても一般道と異なり時間でメーターが上がることがないんですよと言うので、高速料金がかかっても“上”で行くことに。そしたら、えっと言うぐらいすいすい。そのことと関係あったか只もっと飲みたかっただけか、渋谷ランプで降りて(って、我が家もここで降りるのだよな)、もう一軒よっちゃう。そして、夜半帰って無防備に寝たら寒さで目が覚める。わーん、風邪ひいちゃったよ〜。
その2作目『ボーイズ・ドント・クライ』はホール&オーツ(2011年2月28日、他)、ロジャー・ニコルズ/ポール・ウィリアムズやアイザック・ヘイズ(2007年7月18日)などの選曲が絶妙。かつ、それらをどこか霞がかかったとも言いたくなる落ち着いたテイストで再提示した作品で、そここに現代的な儚さのようなものがあると思え、ぼくはかなり抗しがたい魅力を覚えたりもした。そしたら、実際の彼女はもっと“ミドル・オブ・ザ・ロード”と言うしかない、素直な歌い口をまっすぐに開くタイプの人だった。ゆえに、ぼくはアルバムのほうに魅力を感じるが、それはそれ、お客からけっこう熱い反応を受けていた。
その後は丸の内・コットンクラブで、1977年にオハイオ州クリーヴランドで結成された、今はLA拠点となるソウル・バンド(2006年7月24日、2007年11月9日)を見る。デバージなんかとともに1980年代上半期のモータウンを彩ったグループだが、ライヴ・ショウとしてはほぼ文句のない好パーマンスを提供。ウキっ。黒の帽子やスーツや赤いネクタイでかためた(みんな、微妙に色合いや型が異なる)格好もうれしい。ベーシストは左利きで、右利き用のベースを逆さにして弾いていた。そうする(ジミ・ヘンドリックス影響下にあることを謳歌する)ギタリストはたまにいるが、ベースを逆さに構える人はたぶん初めて触れる。
<今日の、油断>
ライヴ後、有楽町でちゃらちゃら飲んでいたら、終電を逃す。ありゃ? えーん。タクシーに乗ったら、高速(道路)にしますかと問われる。有楽町から高速を使うという発想はなかったが、高速は渋滞していても一般道と異なり時間でメーターが上がることがないんですよと言うので、高速料金がかかっても“上”で行くことに。そしたら、えっと言うぐらいすいすい。そのことと関係あったか只もっと飲みたかっただけか、渋谷ランプで降りて(って、我が家もここで降りるのだよな)、もう一軒よっちゃう。そして、夜半帰って無防備に寝たら寒さで目が覚める。わーん、風邪ひいちゃったよ〜。
渋さ知らズ+ワークショップ 大オーケストラ
2013年5月19日 音楽 わー、こんなのあるんだァ。びっくりし、なんか感動を覚えた。いわきアリオス・中ホール。
いわき市の複合文化施設“アリオス”の開館5周年(震災時には避難所になり、それを経て再び稼働していく様は、「文化からの復興 市民と震災といわきアリオス」という本になっている。水曜社刊)を祝う公演。渋さ知らズ(2010年9月19日、他)はホール公演をするだけなく、<音楽>、<ダンス>、<パフォーマンス>、<アート>と4つの枠組みのもと〜それは、いみじくも渋さ知らズが抱える広範な表現領域を指し示す〜市民ワークショップを開催。そして、その参加者たちは渋さ知らズ大オーケストラの公演にも参加するという設定なり。4つのワークショップにはそれぞれ10人強の人たちが参加し、<音楽>組以外は高校生の比率が高かったよう。不破大輔(2011年7月10日、他)以下のコア・メンバーは早々に現地入りをし、木、金、土曜と3日間のワークショップを行い、日曜日の本公演にのぞんだ。
ワークショップ最終日となる土曜日17時から30分間、渋さ知らズ選抜隊&ワークショップ参加者たちはいわき駅前周辺を演奏やダンスしながら練り歩くという野外パフォーンスを行い、そこから見ることができた。“夜明け市場”と名付けられた、被災した方たちが飲食店を出しているという小径を含む一角を数周。やはり生理的にカラフルで、やんちゃにサバけている。こういうとき、すちゃらかした「本多工務店のテーマ」は映える。どんどん人も集まって来て、パレードをする面々の後を追ったりもし、いろんな人のワクワクが呼応しあうのが手に取るように分り、とっても愉快。こんなに冷たい視線を向けられない、アウェイ感ゼロの路上演奏も珍しいと感じた渋さメンバーもいたようだ。
日曜日のホール本公演は、「A Song For One」や「フィッシャーマン・バンド」や「ナーダム」など、おなじみの曲のもと伸縮自在に3時間。驚いたのは、<音楽>ワークショップ参加者たちは当日にどさっとやってきた大オーケストラ構成員たちと分け隔てなくステージ上に始めから終わりまでいて、重厚なアンサンブル音に関与するだけでなく、重要ソロ・パートをふられた人もいたこと。一方、<ダンス>、<パフォーマンス>、<アート>のワークショップ組は曲や局面におうじてステージに出てくるのだが、それらも違和感なく噛み合う。さすが、3日間の準備の甲斐がありですね。とともに、彼らのキラキラした意気や所作はきっちりといつもの渋さ知らズに新しい動機や衝動をもたらしていたののは疑いがない。
渋さの若いいわきの仲間たちは思い思いの格好で跳ね、踊り、肉声をだす。インターナショナル派でもある百戦錬磨の中年集団と彼(女性のほうが多かったはずだが)らは一体となり、触媒にもなりえる。その様には、小さくない感慨をえる。プロとかアマチュアチュアとか、出自とか、年齢や性別とか、そういう属性を超えた部分で、胸を張ったそれぞれのワタシが重なり合い、大きなアークのようなものをこしらえる。ワークショップ参加者たちは、“お客さん”ではなかった!
見事な、創意と歓び溢れる、いろんなものがつながったお祭り。しなやかにして、なんか生理として太く強く。すげえな、渋さ。いいぞ、ワークショップ参加者たち。“ワン・サイズ・フィッツ・オール”というフランク・ザッパのアルバム・タイトルも、なんか頭にうかんだかな。そして、その底に横たわっていたのは、なんでもアリ〜面白がりの精神であり、表現とは垣根を持たない自由なものという真理であり、それらはシェアされてナンボという哲学ではなかったか。
<今夏の、渋さ>
9カ所ほど、欧州フェスを回るよう。今年は南仏、スペインやポルトガルなど、ラテン圏が多いみたい。
いわき市の複合文化施設“アリオス”の開館5周年(震災時には避難所になり、それを経て再び稼働していく様は、「文化からの復興 市民と震災といわきアリオス」という本になっている。水曜社刊)を祝う公演。渋さ知らズ(2010年9月19日、他)はホール公演をするだけなく、<音楽>、<ダンス>、<パフォーマンス>、<アート>と4つの枠組みのもと〜それは、いみじくも渋さ知らズが抱える広範な表現領域を指し示す〜市民ワークショップを開催。そして、その参加者たちは渋さ知らズ大オーケストラの公演にも参加するという設定なり。4つのワークショップにはそれぞれ10人強の人たちが参加し、<音楽>組以外は高校生の比率が高かったよう。不破大輔(2011年7月10日、他)以下のコア・メンバーは早々に現地入りをし、木、金、土曜と3日間のワークショップを行い、日曜日の本公演にのぞんだ。
ワークショップ最終日となる土曜日17時から30分間、渋さ知らズ選抜隊&ワークショップ参加者たちはいわき駅前周辺を演奏やダンスしながら練り歩くという野外パフォーンスを行い、そこから見ることができた。“夜明け市場”と名付けられた、被災した方たちが飲食店を出しているという小径を含む一角を数周。やはり生理的にカラフルで、やんちゃにサバけている。こういうとき、すちゃらかした「本多工務店のテーマ」は映える。どんどん人も集まって来て、パレードをする面々の後を追ったりもし、いろんな人のワクワクが呼応しあうのが手に取るように分り、とっても愉快。こんなに冷たい視線を向けられない、アウェイ感ゼロの路上演奏も珍しいと感じた渋さメンバーもいたようだ。
日曜日のホール本公演は、「A Song For One」や「フィッシャーマン・バンド」や「ナーダム」など、おなじみの曲のもと伸縮自在に3時間。驚いたのは、<音楽>ワークショップ参加者たちは当日にどさっとやってきた大オーケストラ構成員たちと分け隔てなくステージ上に始めから終わりまでいて、重厚なアンサンブル音に関与するだけでなく、重要ソロ・パートをふられた人もいたこと。一方、<ダンス>、<パフォーマンス>、<アート>のワークショップ組は曲や局面におうじてステージに出てくるのだが、それらも違和感なく噛み合う。さすが、3日間の準備の甲斐がありですね。とともに、彼らのキラキラした意気や所作はきっちりといつもの渋さ知らズに新しい動機や衝動をもたらしていたののは疑いがない。
渋さの若いいわきの仲間たちは思い思いの格好で跳ね、踊り、肉声をだす。インターナショナル派でもある百戦錬磨の中年集団と彼(女性のほうが多かったはずだが)らは一体となり、触媒にもなりえる。その様には、小さくない感慨をえる。プロとかアマチュアチュアとか、出自とか、年齢や性別とか、そういう属性を超えた部分で、胸を張ったそれぞれのワタシが重なり合い、大きなアークのようなものをこしらえる。ワークショップ参加者たちは、“お客さん”ではなかった!
見事な、創意と歓び溢れる、いろんなものがつながったお祭り。しなやかにして、なんか生理として太く強く。すげえな、渋さ。いいぞ、ワークショップ参加者たち。“ワン・サイズ・フィッツ・オール”というフランク・ザッパのアルバム・タイトルも、なんか頭にうかんだかな。そして、その底に横たわっていたのは、なんでもアリ〜面白がりの精神であり、表現とは垣根を持たない自由なものという真理であり、それらはシェアされてナンボという哲学ではなかったか。
<今夏の、渋さ>
9カ所ほど、欧州フェスを回るよう。今年は南仏、スペインやポルトガルなど、ラテン圏が多いみたい。
あわわわ。前回の来日リーダー公演(2008年10月15日)と同様にトリオ編成で2部構成によるライヴであったが、感興のデカさは今回のほうが倍はあるナ。というのも、今回はクリアリー(2007年4月6日、2009年9月5日)のAOR的側面表出はナシにして、<ニューオーリンズ・ファンク/R&B>にヤラれた英国人の私の思いの強さを前面に掲げたものになったから。実は歌とかは弱いという印象をずっと持っていたが、この晩はそういう思いを得なかったし、ボニー・レイット(2007年4月6日)にしてもジョン・スコフィールド(2009年9月5日)にしても、なるほど彼を鍵盤奏者に置くことで多くのものを得ていたのだと思わされた。
ニューオーリンズ的勘所をばっちり押さえるアフリカ系のリズム・セクションを従え、ニューオーリンズ内外のR&B曲を砕けつつ、肉感的かつ伸縮性抜群に開いて行く様はまさに夢心地。浮かれちゃう。開かれた場での、ジョン・クリアリー版『ガンボ/ドクター・ジョン』なるもの、なんて説明もなんかできなくはない? 2部の前半には、プエルトリコ出身の打楽器奏者も加わった。会場は渋谷・クラブクアトロで、満員。もち、皆の反応が熱い。このハコは客が高揚しまくったさい稀に、一つの器として共鳴しちゃうような感覚を来た者に与える美点を持つが、この晩はまさしくそうだった。あと、ジャック・ダニエルがこの晩はサーヴされているのがうれしかった。
<今日の電車>
明るい時間に、大江戸線にのったら、そんなに混んでいない車内でがっつり化粧している20代の女性と遭遇。スーツを来ている、わりと好感の持てる顔つきの方。 おおいに抵抗を覚えました。
ニューオーリンズ的勘所をばっちり押さえるアフリカ系のリズム・セクションを従え、ニューオーリンズ内外のR&B曲を砕けつつ、肉感的かつ伸縮性抜群に開いて行く様はまさに夢心地。浮かれちゃう。開かれた場での、ジョン・クリアリー版『ガンボ/ドクター・ジョン』なるもの、なんて説明もなんかできなくはない? 2部の前半には、プエルトリコ出身の打楽器奏者も加わった。会場は渋谷・クラブクアトロで、満員。もち、皆の反応が熱い。このハコは客が高揚しまくったさい稀に、一つの器として共鳴しちゃうような感覚を来た者に与える美点を持つが、この晩はまさしくそうだった。あと、ジャック・ダニエルがこの晩はサーヴされているのがうれしかった。
<今日の電車>
明るい時間に、大江戸線にのったら、そんなに混んでいない車内でがっつり化粧している20代の女性と遭遇。スーツを来ている、わりと好感の持てる顔つきの方。 おおいに抵抗を覚えました。
トム・トム・クラブ。パット・メセニー・ユニティ・バンド
2013年5月21日 音楽 トム・トム・クラブはトーキング・ヘッズのメンバーの夫妻が組んだ、サバけた外しの感覚を持ち、ヒップホップやエスノ・ミュージックの要素も取り込んだビート・ポップ・バンド(2009年8月8日)。全盛期は1980年代前後で、そのころ渋谷公会堂で見た記憶があるような。それ、トーキング・ヘッズ公演の前座だった? もうあの頃は来日アーティスト公演のライヴなんてまさに“イヴェント”で、行く前からドキドキし、一から十まで受け止め記憶しようと気張った(あー、その頃はライヴを見ながらお酒を飲むという発想もなかったな)はずだが、やっぱり忘れちゃうものだなあ。六本木。ビルボードライヴ東京。
歌とベースのティナ・ウェイマスとドラムのクリス・フランツに加え、オリジナルと同じだろう女性コーラス(ウェイマスの姉)、ミュージカル・ディレクターもしているような打楽器と鍵盤、ギター(スライド・バーをはめたりもする)、DJ(いなくても大勢に影響無し)という布陣。演奏は生バンド・サウンドで、それにふれて皆うまいのだナと感じる。とともに、耳馴染みのあるかつての曲に触れて彼らはやはり高感度なことをやっていたとも深く再認識する。
最後のほうはトーキング・ヘッズも取り上げていたアル・グリーンの「テイク・ミー・トゥ・ザ・リヴァー」を披露。うう、アガる。それ、フォガットやブライアン・フェリーなどいろんなロックの担い手のカヴァーがあり、南部ソウルのハイ・レコード発の楽曲のなかでもっともロック側に浸透している曲と言えるかな。そして、最後はトーキング・ヘッズの「サイコ・キラー」を披露したが、その際サプライズが。トーキング・ヘッズとはかつて交遊を持っていただろう、立花ハジメと中西俊夫のお二人がギターを持って登場。和服を着て坊主頭の立花はもろに僧侶のよう、演奏はスライド・バーを用いてのアート・リンゼー(2011年6月8日、他)流儀によるもの。サバけた感じが変わらずいい感じの中西は近く自著が出版されようで、それ面白そう。
その後は、南青山・ブルーノート東京で、人気ギタリスト(2012年3月3日、他)が昨年組んだ新カルテットのショウを見る。彼にプラスして、これまでのワーキング・バンド(2002年9月19日)にも関与してきたドラマーのアントニオ・サンチェス(2011年7月20日、他)、テナー・サックスのクリス・ポッター(2012年5月28日)、ベースのベン・ウィリアムス(2013年4月1日、他)。冒頭はピカソ・ギターを手にしてのソロ演奏、2曲目以降はユニティ・バンドによるパフォーマンスで、最後のほうにはオーケストリオン(2010年6月12日)も用いられ、バンド演奏との併用もされる。
後日、ウィリアムスには取材することになっているので、この晩は主役以上に彼を注視した? なんてことはないか。彼、けっこう固い音色を採用しているんだな(実は今、右手を痛めているそう)。メセニーの髪は伸びて、よりこんもり。なんか、鉢担ぎという言葉が頭のなかに浮かぶ。一部でヅラ説もあったりする彼だが、ヅラだったらもう少しマシな形にするだろうなと思った。とともに、彼は常規を逸したギターの虫であり、髪の毛のことなぞどーだっていいんだろうとも。それよりも、いろんなギターをいろんなふうに触り、オーケストリオンを整備するのにいまだ夢中なのだろうな。この日は初日、前日はオーケストリオン設置/稼働準備(てんやわんやらしい)のため、お休みだったそう。なるほど、出演するたびに、メセニーはブルーノート東京のことを本当に大好きみたいで、地球で一番好きなハコみたいな言い方をするよな。
<今日の、パンク>
東京オリンピック誘致の長方形バッジをしている人をたまぁに見かけるが、電車のなかで逆さに付けているスーツの男性を一瞥。それ、積極的な誘致反対の意思表示? 都職員がそれをやっていたら、ヒンシュク指導が入るや否や。
歌とベースのティナ・ウェイマスとドラムのクリス・フランツに加え、オリジナルと同じだろう女性コーラス(ウェイマスの姉)、ミュージカル・ディレクターもしているような打楽器と鍵盤、ギター(スライド・バーをはめたりもする)、DJ(いなくても大勢に影響無し)という布陣。演奏は生バンド・サウンドで、それにふれて皆うまいのだナと感じる。とともに、耳馴染みのあるかつての曲に触れて彼らはやはり高感度なことをやっていたとも深く再認識する。
最後のほうはトーキング・ヘッズも取り上げていたアル・グリーンの「テイク・ミー・トゥ・ザ・リヴァー」を披露。うう、アガる。それ、フォガットやブライアン・フェリーなどいろんなロックの担い手のカヴァーがあり、南部ソウルのハイ・レコード発の楽曲のなかでもっともロック側に浸透している曲と言えるかな。そして、最後はトーキング・ヘッズの「サイコ・キラー」を披露したが、その際サプライズが。トーキング・ヘッズとはかつて交遊を持っていただろう、立花ハジメと中西俊夫のお二人がギターを持って登場。和服を着て坊主頭の立花はもろに僧侶のよう、演奏はスライド・バーを用いてのアート・リンゼー(2011年6月8日、他)流儀によるもの。サバけた感じが変わらずいい感じの中西は近く自著が出版されようで、それ面白そう。
その後は、南青山・ブルーノート東京で、人気ギタリスト(2012年3月3日、他)が昨年組んだ新カルテットのショウを見る。彼にプラスして、これまでのワーキング・バンド(2002年9月19日)にも関与してきたドラマーのアントニオ・サンチェス(2011年7月20日、他)、テナー・サックスのクリス・ポッター(2012年5月28日)、ベースのベン・ウィリアムス(2013年4月1日、他)。冒頭はピカソ・ギターを手にしてのソロ演奏、2曲目以降はユニティ・バンドによるパフォーマンスで、最後のほうにはオーケストリオン(2010年6月12日)も用いられ、バンド演奏との併用もされる。
後日、ウィリアムスには取材することになっているので、この晩は主役以上に彼を注視した? なんてことはないか。彼、けっこう固い音色を採用しているんだな(実は今、右手を痛めているそう)。メセニーの髪は伸びて、よりこんもり。なんか、鉢担ぎという言葉が頭のなかに浮かぶ。一部でヅラ説もあったりする彼だが、ヅラだったらもう少しマシな形にするだろうなと思った。とともに、彼は常規を逸したギターの虫であり、髪の毛のことなぞどーだっていいんだろうとも。それよりも、いろんなギターをいろんなふうに触り、オーケストリオンを整備するのにいまだ夢中なのだろうな。この日は初日、前日はオーケストリオン設置/稼働準備(てんやわんやらしい)のため、お休みだったそう。なるほど、出演するたびに、メセニーはブルーノート東京のことを本当に大好きみたいで、地球で一番好きなハコみたいな言い方をするよな。
<今日の、パンク>
東京オリンピック誘致の長方形バッジをしている人をたまぁに見かけるが、電車のなかで逆さに付けているスーツの男性を一瞥。それ、積極的な誘致反対の意思表示? 都職員がそれをやっていたら、ヒンシュク指導が入るや否や。
1990年代後期から異才を放つ活動をしているマイス・パレードは、含みと広がりある現代ロックを送り出しているNYベースのバンド。過去に実演を見たことがあるような気もするが、ざっと探してもこの項の原稿は見つからない。プロデューサーやドラマーとしても活躍する中心人物のアダム・ピアース(2004年8月16日)がいろんな活動をしていて、それらと混同している部分もあるのか。
過去、バンドでライヴ・パフォーマンスをしているはずだが、今回はアコースティック・セットと言えるようなものを、トリオ編成にて披露。アコ—スティック・ギターを弾いたりカホーンを叩いたり歌ったりするピアースに加え、もろなフラメンコという演奏をけっこうガット・ギターで繰り広げるダン・リップル、そして清楚な手触りを持つヴォーカルをとったりウクレレを手にしたりする女性(近年のメンバーである、日本在住のキャロライン・リフキン?)という3人でパフォーマンスにあたる。
もちろん音響に留意した、現代的にしてエッジィな連なりを見せるところもある(第4のメンバーと、エンジニアはMC紹介されていた)が、今回の編成でより前面に出たのは、フラメンコ調ギターの偏重(そういえば、彼らの新作は『Candelani』という、もろにスペインなタイトルを持つ)に顕われているように、広義のワールド・ミュージック様相を発展の種においていること。曲調も南米ぽい(アバウトな形容で申し訳ないっ。インカという言葉やウルグアイという国名を思い浮かべる場合も)と思わせたりするものもあり、なんかムズムズしながら、頷いてしまったりもした。ピアースらはミニマル調音響とフォーキーなトラッドを同一軸に置いているのは間違いない。
恵比寿・リキッドルーム。俺たちは、飄々と“別の所にいたい ”という独歩の感覚や音楽する純な歓びをすうっと出していて、それもマル。翌日はカヴァー曲をやるシング・アロングなショウと、ピアースはMCで言っていました。
<今日の、ゴホゴホ>
いやはや。けっこう蒸し暑さも感じさせるようになってきたが、不注意な寝方が災いして、風邪をひいている。横になると咳がでやすいようで、夜中に咳き込んで目を覚ましたりもしているよう。微熱も出ているのか、鼻の粘膜も炎症をおこしている。えーん。だからといって、医者に行くどころか薬を摂る気も一切なし。この晩も少しダルいとは思いつつ、直帰する気はぜんぜんない。寄った店が映像モニター環境を新しくしていて、これは地上波TV放送が見る事ができないぼくにとって、サッカーの日本代表戦を見る際の強い味方になるなと思った。来月のコンフェデ杯、どのぐらい見ようか。直りが悪い予感もあり、風邪ひずっているかもナ。
過去、バンドでライヴ・パフォーマンスをしているはずだが、今回はアコースティック・セットと言えるようなものを、トリオ編成にて披露。アコ—スティック・ギターを弾いたりカホーンを叩いたり歌ったりするピアースに加え、もろなフラメンコという演奏をけっこうガット・ギターで繰り広げるダン・リップル、そして清楚な手触りを持つヴォーカルをとったりウクレレを手にしたりする女性(近年のメンバーである、日本在住のキャロライン・リフキン?)という3人でパフォーマンスにあたる。
もちろん音響に留意した、現代的にしてエッジィな連なりを見せるところもある(第4のメンバーと、エンジニアはMC紹介されていた)が、今回の編成でより前面に出たのは、フラメンコ調ギターの偏重(そういえば、彼らの新作は『Candelani』という、もろにスペインなタイトルを持つ)に顕われているように、広義のワールド・ミュージック様相を発展の種においていること。曲調も南米ぽい(アバウトな形容で申し訳ないっ。インカという言葉やウルグアイという国名を思い浮かべる場合も)と思わせたりするものもあり、なんかムズムズしながら、頷いてしまったりもした。ピアースらはミニマル調音響とフォーキーなトラッドを同一軸に置いているのは間違いない。
恵比寿・リキッドルーム。俺たちは、飄々と“別の所にいたい ”という独歩の感覚や音楽する純な歓びをすうっと出していて、それもマル。翌日はカヴァー曲をやるシング・アロングなショウと、ピアースはMCで言っていました。
<今日の、ゴホゴホ>
いやはや。けっこう蒸し暑さも感じさせるようになってきたが、不注意な寝方が災いして、風邪をひいている。横になると咳がでやすいようで、夜中に咳き込んで目を覚ましたりもしているよう。微熱も出ているのか、鼻の粘膜も炎症をおこしている。えーん。だからといって、医者に行くどころか薬を摂る気も一切なし。この晩も少しダルいとは思いつつ、直帰する気はぜんぜんない。寄った店が映像モニター環境を新しくしていて、これは地上波TV放送が見る事ができないぼくにとって、サッカーの日本代表戦を見る際の強い味方になるなと思った。来月のコンフェデ杯、どのぐらい見ようか。直りが悪い予感もあり、風邪ひずっているかもナ。
艶やかさをほんのり出すジャズ・ヴァイオリニストの2デイズ公演の2分の1、渋谷・JZブラット。この日はバークリー音楽大学時代の仲間達との、嬉々としたパフォーマンスを聞かせる。朱 恵仁(ピアノ)、 棚橋俊幸(ウッド・ベース)、 吉川昭仁(ドラム)、本間将人(アルト・サックス)。ピアニストは普段は関西でラテン・ジャズをやっていて、アルバムを出して間もないよう。ファァースト・ショウだけ見たが、2部では別のピアノ・トリオがつく。演目はオリジナルとスタンダード、みんな自分を出しつつ、まとまった演奏となっていたけど、それなりにリハをしているのか。それとも、昔ととった杵柄? なんにせよ、小さくない何かを共有できた知己がいるのはいいナと思わせられることしきり。
<今日の、髭>
ゴールデン・ウィークから髭をのばし始めている。学生のときから40歳になる頃までは基本的にムスタッシュを中心にのばしていた。が、それ以降は下唇の下を部分的にのばしたことはあったものの、基本のばしていなかった。今回もまたすぐ剃るつもりだったが、新鮮な反応を示す人がいたりて、少し続けようか……。
<今日の、髭>
ゴールデン・ウィークから髭をのばし始めている。学生のときから40歳になる頃までは基本的にムスタッシュを中心にのばしていた。が、それ以降は下唇の下を部分的にのばしたことはあったものの、基本のばしていなかった。今回もまたすぐ剃るつもりだったが、新鮮な反応を示す人がいたりて、少し続けようか……。
カフカ&ソウル・アイランダーズ
2013年5月24日 音楽 訥々としたヴォーカルをオルガンを弾きながら披露するカフカ(その名は、出身地である北海道礼文島の地名から来ているよう)と手だれの奏者たちによるパフォーマンス。代官山・晴れたら空に豆まいて。当人を含め、ときに加わったマウンテン・モカ・キリマンジャロ(2012年12月6日、他)の栗原健(リード)以外の演奏者は先月の前野健太のライヴ(2013年4月21日)の参加たち。ただし、こちらはあのときと異なり、楽器の持ち替えはしない。基本のバンドは、ピアノの石橋英子、ギターのジム・オルーク、ベースの須藤俊明、ドラムの山本達久、ヴァイオリンの波多野敦子。最初にカフカも加わるmooolsが出たようだが、会場入りしたのはちょうどインターミッションのとき。
カフカは山梨県でレコーディング・スタジオをやっていて、この日も出て来て歌った前野健太のレコーディングもそこでなされたようだが、なんか和気あいあいとした実演に接し、彼のスタジオでのライヴに招き入れられた思いも得る。カフカの友人という外国人も2人出て来てきた。そしてふと、ダリル・ホール(2011年2月28日、他)がいろんな人を自宅に呼んでお手合わせをする公開ライヴ・シリーズ“ライヴ・フロム・ダリルズ・ハウス”のことを思い出す。そういえば、先週その“ライヴ・フロム・ダリルズ・ハウス”についてステージ上で言及していた人がいたな。ルーマー(2013年5月16日)だったっけ?
モータウン曲「アイル・ビー・ゼア」やプロコル・ハルム「青い影」他、往年のポップ名曲を、じんわりと取り上げる。レイ・チャールズの当たり曲「ジョージア・オン・マイ・マインド」を含めザ・バンドの『アイランズ』収録曲も2曲やったな。また、シカゴ(2010年2月19日)の「サタデイ・イン・ザ・パーク」はシカゴ出身のジム・オルークがぬぼーっと歌う。カフカにホーム・カミング・ソングと紹介されたら、彼はシカゴには戻りたくないと返す。オルークは前野健太登場の際には、ザ・ナックの「マイ・シャローナ」を歌う。タイトルのリフレイン部分は「マエノケンタァ」と置き換えて……他愛ないが、そういう微笑ましい仲間感覚があふれていたショウでもあったと書けるのだろうな。
<今日の、夕刊>
1面トップで、個人のデーターを一括し番号で扱う“マイナンバー”制度導入が参議院でも可決されたことが報じられている。アメリカのドラマを見ると、本人確認のため社会保障番号を聞いてくるシーンがあるが、日本でもそうなったりするの? 新聞記事には、それを成すには莫大なお金がかかることと、個人情報漏洩に対する多大な危惧にも触れられていたが、マイナンバー導入によって大儲けを画策している悪党がいるのは確かだろう。そういえば、住基ネットってどうなった?
ぼくは大昔に導入された郵便番号にも、未だ疑問を持っている。だって、欧米諸国と異なり、県→市町村→番地や建物名と大から小に流れる日本の住所において、それは必要であったのか? まあ現在、郵便番号は機械で読み取るようになって配達側の利便性にはつながってはいるのだろうが、かつては人による識別であったはず。3桁から7桁に変更になった際に、その7桁の郵便番号があれば、住所表記は丁目と番地の番号だけでOKと言われたが、そうしている人はほとんどいないでしょう? その利点を使わない手はないだろうと、ぼくは請求書を郵便番号と丁目番地番号だけを記して郵送したりもするが、受け取った人からはナンダコイツ?とか思われているんだと思う。
マイナンバー導入により個人データーが一括に管理され、役所関連サーヴィスが円滑になるというが、ぼくはそういうサーヴィスを受ける機会がないためか、これまで不便や理不尽を感じたことはない。諸外国と比すれば、日本はまだそこらへんの対応はましじゃあないのか。まして、公務員に対する風当たりが強くなっている昨今、そうした対応はより細やかになっているのではないか。と、考えると、情報漏洩に対するマイナスのほうが導入による利点よりもべらぼうに高いと思わざるをえない。国会を通ってしまったのでもう後戻りはないのだろうが(憲法改正もそうなるゾゾゾっ)、推進に関与した人物の名前を公表してほしいとも思う。その人が濡れ手で粟な利益を得るかどうかはともかくとして、結果的に国民の安心感低減と税金浪費を導いたスットコドッコイの名は残されていいと思う。
ちっ、夕刊見ながらムカムカ来て、意固地なこと書いちゃった。。。どこかで一括管理されるキブンが嫌なのかな?
カフカは山梨県でレコーディング・スタジオをやっていて、この日も出て来て歌った前野健太のレコーディングもそこでなされたようだが、なんか和気あいあいとした実演に接し、彼のスタジオでのライヴに招き入れられた思いも得る。カフカの友人という外国人も2人出て来てきた。そしてふと、ダリル・ホール(2011年2月28日、他)がいろんな人を自宅に呼んでお手合わせをする公開ライヴ・シリーズ“ライヴ・フロム・ダリルズ・ハウス”のことを思い出す。そういえば、先週その“ライヴ・フロム・ダリルズ・ハウス”についてステージ上で言及していた人がいたな。ルーマー(2013年5月16日)だったっけ?
モータウン曲「アイル・ビー・ゼア」やプロコル・ハルム「青い影」他、往年のポップ名曲を、じんわりと取り上げる。レイ・チャールズの当たり曲「ジョージア・オン・マイ・マインド」を含めザ・バンドの『アイランズ』収録曲も2曲やったな。また、シカゴ(2010年2月19日)の「サタデイ・イン・ザ・パーク」はシカゴ出身のジム・オルークがぬぼーっと歌う。カフカにホーム・カミング・ソングと紹介されたら、彼はシカゴには戻りたくないと返す。オルークは前野健太登場の際には、ザ・ナックの「マイ・シャローナ」を歌う。タイトルのリフレイン部分は「マエノケンタァ」と置き換えて……他愛ないが、そういう微笑ましい仲間感覚があふれていたショウでもあったと書けるのだろうな。
<今日の、夕刊>
1面トップで、個人のデーターを一括し番号で扱う“マイナンバー”制度導入が参議院でも可決されたことが報じられている。アメリカのドラマを見ると、本人確認のため社会保障番号を聞いてくるシーンがあるが、日本でもそうなったりするの? 新聞記事には、それを成すには莫大なお金がかかることと、個人情報漏洩に対する多大な危惧にも触れられていたが、マイナンバー導入によって大儲けを画策している悪党がいるのは確かだろう。そういえば、住基ネットってどうなった?
ぼくは大昔に導入された郵便番号にも、未だ疑問を持っている。だって、欧米諸国と異なり、県→市町村→番地や建物名と大から小に流れる日本の住所において、それは必要であったのか? まあ現在、郵便番号は機械で読み取るようになって配達側の利便性にはつながってはいるのだろうが、かつては人による識別であったはず。3桁から7桁に変更になった際に、その7桁の郵便番号があれば、住所表記は丁目と番地の番号だけでOKと言われたが、そうしている人はほとんどいないでしょう? その利点を使わない手はないだろうと、ぼくは請求書を郵便番号と丁目番地番号だけを記して郵送したりもするが、受け取った人からはナンダコイツ?とか思われているんだと思う。
マイナンバー導入により個人データーが一括に管理され、役所関連サーヴィスが円滑になるというが、ぼくはそういうサーヴィスを受ける機会がないためか、これまで不便や理不尽を感じたことはない。諸外国と比すれば、日本はまだそこらへんの対応はましじゃあないのか。まして、公務員に対する風当たりが強くなっている昨今、そうした対応はより細やかになっているのではないか。と、考えると、情報漏洩に対するマイナスのほうが導入による利点よりもべらぼうに高いと思わざるをえない。国会を通ってしまったのでもう後戻りはないのだろうが(憲法改正もそうなるゾゾゾっ)、推進に関与した人物の名前を公表してほしいとも思う。その人が濡れ手で粟な利益を得るかどうかはともかくとして、結果的に国民の安心感低減と税金浪費を導いたスットコドッコイの名は残されていいと思う。
ちっ、夕刊見ながらムカムカ来て、意固地なこと書いちゃった。。。どこかで一括管理されるキブンが嫌なのかな?
会場に向かうときに会ったファースト・ショウを見た知り合いとか、会場で会った知人とか、この女傑系R&Bシンガーのショウに接した人はみんな大絶賛。わあ、というほどに。前回の来日時(2007年10月9日)にぼくは仰天したので、今回はわりと冷静に見れたが、頭を垂れまくりの、なんとも傑出した歌手じゃとまた思わせられたのは間違いない。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。
前回と同様の白人主体のバンドはベストと言えるものではないけれど、その功罪も絡み、ラヴェットの喉力は生々しくアピールされる。いやはや、今67歳のようだが、老いた感覚も皆無。話もうまいし、ロック曲(現在はアンタイと契約していて、ここ4作はロック曲カヴァー比率が高い)にしろR&B側にある曲にしろ、ぎゅっと自らの拳でわしづかみし、自分色に染上げて聞き手を射抜く匠の歌唱芸が70 分強。最後は演奏陣が一人づつステージを降りていき、彼女だけが残る。そして、シニード・オコナー曲「アイ・ドゥ・ノット・ウォント・アイ・ハヴント・ガット」をアカペラで歌う。一部ノー・マイクの声もとってもうまく活用、すごい訴求力。そして、歌い終わった後は、観客のスタンディング・オヴェイションを受けながら、まさしく役者のようにステージに立つ。その風情とか、ちっとした表情とか、完璧にハマった(計算された)それは、なんかシャンソンの大御所歌手みたいともぼくは思った。そして、その様に触れながら、なんか適切なストーリーとともにプレゼンテーションされたら、彼女はホール級の会場でできるぐらい一般的な人気を日本で獲得することも可能なのではないかとも、ぼくは思わずにはいられなかった。たとえば、かつてのジミー・スコット(2000年4月21日)のように。
<今日の、異邦人トリオ>
生粋のニューヨーカーであるジェシー・ハリス、ここ20 年はNYのブラジル人であるヴィニシウス・カントゥアリア、ずっとカリオカなダヂ、そんな3人に午後にインタヴュー。どんなときだって怒った顔つきのカントゥアリア(表情だけ、です。インタヴュー中もギターを離さず。取材後、ストーンズの曲の弾き方を彼はハリスに教えたりも。そんな彼の趣味は料理)と終始ほのぼの笑顔のダヂは対照的。彼らはトリオ・エストラジェイロスと名乗って、26日からツアーに入る。それは、ダヂとカントゥアリアも入っているハリスの2012年作『サブ・ローザ』(ダチが制作関与のマリーザ・モンチの『あなたが本当に知りたいこと』にはハリスとカントゥアリアが参加)から持ち上がった単位だ。アート・リンゼイ制作のカエターノ・ヴェローゾ『エストランジェイロ』(参加ギター奏者はビル・フリゼールやマーク・リーボウ)のことでも、取材中に一部話は盛り上がる。インタヴュー終了後、ハリスは取材を受けた建物(スパイラル・ビル)の開放感ある階段の踊り場で、新作『ボーン・アウェイ』をプロモーションするギター弾き語りライヴを30分行う。その新作、絢爛豪華参加者を持つ前作から一転、質素な設定で作られたプライヴェートなノリの一作で、ハリスがこれまであまり見せていなかったじとォっとした一面を出した、スウィート・ビターな内容。過去作と一線を画すよねと感想を言うと、彼は大きく肯定。この日、ハリスはここで2本のフリー・ライヴをやったが、夜にやったもう1本にはカントゥアリアとダヂも加わったという。1970年代に一緒にバンドを組んだこともあり、ともにカエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)の覚えもめでたいヴィニシウスとダヂだが、前者はハタチぐらいの娘(ながら、1歳未満の子供もいる)、後者(もうすぐ、生まれる孫が楽しみでしょうがない)は奥さんを今回伴っている。それから、いろんな人との付き合いを持つハリスはこのサマー・フェス期間、ジョン・ゾーン(2006年1月21日、他)の“ソング・プロジェクト”でノース・シー・ジャズ祭他を回る。演奏陣はジョン・メデスキ(1999年8月15日、2000年8月13日、2001年2月5日、2002年9月7日、2004年1月24日、2007年5月10日、2008年12月16日 、2012年3月2日)やマーク・リーボウ(2011年8月4日、他)ら。ハリスとともにそこにシンガーとして加わるのはマイク・パットン(2005年9月5日)!。なお、そのソング・プロジェクトの曲も1曲、ハリスはそこで披露した。
前回と同様の白人主体のバンドはベストと言えるものではないけれど、その功罪も絡み、ラヴェットの喉力は生々しくアピールされる。いやはや、今67歳のようだが、老いた感覚も皆無。話もうまいし、ロック曲(現在はアンタイと契約していて、ここ4作はロック曲カヴァー比率が高い)にしろR&B側にある曲にしろ、ぎゅっと自らの拳でわしづかみし、自分色に染上げて聞き手を射抜く匠の歌唱芸が70 分強。最後は演奏陣が一人づつステージを降りていき、彼女だけが残る。そして、シニード・オコナー曲「アイ・ドゥ・ノット・ウォント・アイ・ハヴント・ガット」をアカペラで歌う。一部ノー・マイクの声もとってもうまく活用、すごい訴求力。そして、歌い終わった後は、観客のスタンディング・オヴェイションを受けながら、まさしく役者のようにステージに立つ。その風情とか、ちっとした表情とか、完璧にハマった(計算された)それは、なんかシャンソンの大御所歌手みたいともぼくは思った。そして、その様に触れながら、なんか適切なストーリーとともにプレゼンテーションされたら、彼女はホール級の会場でできるぐらい一般的な人気を日本で獲得することも可能なのではないかとも、ぼくは思わずにはいられなかった。たとえば、かつてのジミー・スコット(2000年4月21日)のように。
<今日の、異邦人トリオ>
生粋のニューヨーカーであるジェシー・ハリス、ここ20 年はNYのブラジル人であるヴィニシウス・カントゥアリア、ずっとカリオカなダヂ、そんな3人に午後にインタヴュー。どんなときだって怒った顔つきのカントゥアリア(表情だけ、です。インタヴュー中もギターを離さず。取材後、ストーンズの曲の弾き方を彼はハリスに教えたりも。そんな彼の趣味は料理)と終始ほのぼの笑顔のダヂは対照的。彼らはトリオ・エストラジェイロスと名乗って、26日からツアーに入る。それは、ダヂとカントゥアリアも入っているハリスの2012年作『サブ・ローザ』(ダチが制作関与のマリーザ・モンチの『あなたが本当に知りたいこと』にはハリスとカントゥアリアが参加)から持ち上がった単位だ。アート・リンゼイ制作のカエターノ・ヴェローゾ『エストランジェイロ』(参加ギター奏者はビル・フリゼールやマーク・リーボウ)のことでも、取材中に一部話は盛り上がる。インタヴュー終了後、ハリスは取材を受けた建物(スパイラル・ビル)の開放感ある階段の踊り場で、新作『ボーン・アウェイ』をプロモーションするギター弾き語りライヴを30分行う。その新作、絢爛豪華参加者を持つ前作から一転、質素な設定で作られたプライヴェートなノリの一作で、ハリスがこれまであまり見せていなかったじとォっとした一面を出した、スウィート・ビターな内容。過去作と一線を画すよねと感想を言うと、彼は大きく肯定。この日、ハリスはここで2本のフリー・ライヴをやったが、夜にやったもう1本にはカントゥアリアとダヂも加わったという。1970年代に一緒にバンドを組んだこともあり、ともにカエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)の覚えもめでたいヴィニシウスとダヂだが、前者はハタチぐらいの娘(ながら、1歳未満の子供もいる)、後者(もうすぐ、生まれる孫が楽しみでしょうがない)は奥さんを今回伴っている。それから、いろんな人との付き合いを持つハリスはこのサマー・フェス期間、ジョン・ゾーン(2006年1月21日、他)の“ソング・プロジェクト”でノース・シー・ジャズ祭他を回る。演奏陣はジョン・メデスキ(1999年8月15日、2000年8月13日、2001年2月5日、2002年9月7日、2004年1月24日、2007年5月10日、2008年12月16日 、2012年3月2日)やマーク・リーボウ(2011年8月4日、他)ら。ハリスとともにそこにシンガーとして加わるのはマイク・パットン(2005年9月5日)!。なお、そのソング・プロジェクトの曲も1曲、ハリスはそこで披露した。
トリオ・エストランジェイロス
2013年5月26日 音楽 前日の追加記載から、続けて見てくださいナ。
優男シンガー・ソングライター表現ここに極まれりといった感じも持つジェシー・ハリス(2012年7月16日、他)、ブラジル音楽とロックやジャズ他の非ブラジル音楽を交錯させた末に我が道を行く洗練や技巧が舞う表現を提出するヴィニシウス・カントゥアリア(坂本龍一のお気に入りでもありますね)、マリーザ・モンチ他の制作者としても活躍し南青山・プラッサオンゼでの2007年リーダー・ライヴ盤もうれしいダヂの3人からなるトリオ。在NYブラジル人であるカントゥアリアが間に入っているように思われる方もいるかもしれないが、ブラジルが大好きでよく行くハリスとダヂはここ2年ほど大の仲良し。その後、ハリスの家から車で20分ほど離れた所に住むカントゥアリアとも付き合いを持つようになった。ハリスはマリーザ・モンチ、マリア・ガドゥ、アレクシア・ボンテンポという3人のブラジリアン女性の快新作に関与しているが、それもダヂの紹介がモノを言っている。
横浜・サムズアップ。わあ、3人は曲により、ごんごん楽器を持ち替える。おお、これはこれは。ハリスはギターとベースとドラム(2曲ほど)、ヴィニシウスはギターとドラム(ハリスより多く叩く)、ダヂはギターとベース。歌は曲によって、それぞれがリードを取る。ハリスとカントゥアリアは1人でギター弾き語りした曲もあり。3人の持ち曲やカエターノ・ヴェローゾの曲やジョルジ・ベンの曲なども披露。ヴィニシウスのちょっとしたギター音は耳を引く。彼の影響か、ハリスは自分の曲でこれまで見せなかったギターの押さえ方を見せたりもした。
サム・ピック主体でときにアルペジオみたいにつま弾くダヂのベース演奏はメロディアスにして、いい味あり。流石。彼らは4月にリオで3日間だかのライヴ・パフォーマンスをやっていて、それを日本ツアーにつなげた。ツアー初日のこの晩は25曲弱を披露し、90分強の尺だったか。途中、ジェシーは曲順を間違い(でも、他の2人はすずしい顔でついてくる)、曲を終えた後に「ブラジリアン・ミステイクさ」とのたまう。しなやかさ、ミュージシャンの友情や信頼関係、ブラジル音楽要素の理屈を超えた有効性やロック的感性の大人のあり方、歌心の出し方など、いろんな“素敵”がいとも簡単に交錯し合う。鷹揚にして、しなやか。今後ギグを重ねるうちに、自在にその絡み方や楽曲も変わっていくんだろうなーとも思う。
この来日中に3人は2日間スタジオに入って、トリオ・エストランジェイロス名義のアルバム録音をすることになっている。さあ、能ある3人のストレス・フリーなプレイグラウンド的表現はどう実を結ぶか。終盤、ハリスがノラ・ジョーンズに提供した「ドント・ノウ・ホワイ」もハリスのヴォーカルで披露。いい曲だしやりたいなと、ブラジル人側から言い出したりして。ヴィニシウスの仏ナイーヴ発2012年作には、やはりハリスやジョーンズも関与している。
<今日の、月>
ほぼ、満月。ビルとビルの間から月が見える風景を好きなことを自覚した。
優男シンガー・ソングライター表現ここに極まれりといった感じも持つジェシー・ハリス(2012年7月16日、他)、ブラジル音楽とロックやジャズ他の非ブラジル音楽を交錯させた末に我が道を行く洗練や技巧が舞う表現を提出するヴィニシウス・カントゥアリア(坂本龍一のお気に入りでもありますね)、マリーザ・モンチ他の制作者としても活躍し南青山・プラッサオンゼでの2007年リーダー・ライヴ盤もうれしいダヂの3人からなるトリオ。在NYブラジル人であるカントゥアリアが間に入っているように思われる方もいるかもしれないが、ブラジルが大好きでよく行くハリスとダヂはここ2年ほど大の仲良し。その後、ハリスの家から車で20分ほど離れた所に住むカントゥアリアとも付き合いを持つようになった。ハリスはマリーザ・モンチ、マリア・ガドゥ、アレクシア・ボンテンポという3人のブラジリアン女性の快新作に関与しているが、それもダヂの紹介がモノを言っている。
横浜・サムズアップ。わあ、3人は曲により、ごんごん楽器を持ち替える。おお、これはこれは。ハリスはギターとベースとドラム(2曲ほど)、ヴィニシウスはギターとドラム(ハリスより多く叩く)、ダヂはギターとベース。歌は曲によって、それぞれがリードを取る。ハリスとカントゥアリアは1人でギター弾き語りした曲もあり。3人の持ち曲やカエターノ・ヴェローゾの曲やジョルジ・ベンの曲なども披露。ヴィニシウスのちょっとしたギター音は耳を引く。彼の影響か、ハリスは自分の曲でこれまで見せなかったギターの押さえ方を見せたりもした。
サム・ピック主体でときにアルペジオみたいにつま弾くダヂのベース演奏はメロディアスにして、いい味あり。流石。彼らは4月にリオで3日間だかのライヴ・パフォーマンスをやっていて、それを日本ツアーにつなげた。ツアー初日のこの晩は25曲弱を披露し、90分強の尺だったか。途中、ジェシーは曲順を間違い(でも、他の2人はすずしい顔でついてくる)、曲を終えた後に「ブラジリアン・ミステイクさ」とのたまう。しなやかさ、ミュージシャンの友情や信頼関係、ブラジル音楽要素の理屈を超えた有効性やロック的感性の大人のあり方、歌心の出し方など、いろんな“素敵”がいとも簡単に交錯し合う。鷹揚にして、しなやか。今後ギグを重ねるうちに、自在にその絡み方や楽曲も変わっていくんだろうなーとも思う。
この来日中に3人は2日間スタジオに入って、トリオ・エストランジェイロス名義のアルバム録音をすることになっている。さあ、能ある3人のストレス・フリーなプレイグラウンド的表現はどう実を結ぶか。終盤、ハリスがノラ・ジョーンズに提供した「ドント・ノウ・ホワイ」もハリスのヴォーカルで披露。いい曲だしやりたいなと、ブラジル人側から言い出したりして。ヴィニシウスの仏ナイーヴ発2012年作には、やはりハリスやジョーンズも関与している。
<今日の、月>
ほぼ、満月。ビルとビルの間から月が見える風景を好きなことを自覚した。
ジョルジオ・モロダー
2013年5月28日 音楽 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。わー、完全なDJセット。DJクリス・コックスと名乗る音出し役を担う太っちょの青年を従え、本人はパッドを押したり、ツマミをほんの少しいじったり(音を全部落として、お客にリフレイン部の唱和をうながしたりもした)、手拍子をしたり、人差し指を立てた両手を前に出してかわいらしく身体を揺らしたり。それら所作のなか一番魅力的に思えたのは、小さな鍵盤を押さえながらヴォコーダー・ヴォイスを出すとき。彼がステージに出て来た際、「コンニチワー、ジョルジオ・モロダーでーす」と、まずはそれを用いロボ声で自己紹介したのだが、それにはワーイという気分になった。
と書きつつ、そんなにモロダー表現にハマったことはないのだが、流される曲の曲名は分らなくても8割は聞いたことがあるという曲だったナ。ジョルジオ・モロダーについて、サウンド制作者という印象をもっていたが、秀でたメロディ・メイカーでもあったのだと、ぼくは再認識した。
イタリア人ながらドイツのミュンヘンを根城に、アナログ・シンセ使用のピコピコしたディスコ系音楽を送り出し一世を風靡した御仁。1970年代中頃から約15年ほどが我が与の春。プロデューサーとしてドナ・サマーからスパークス(2009年4月23、24日)まで様々な担い手を扱い、再編集「メトロポリス」や「フラッシュダンス」ら映画音楽にもいろいろ関与。クラブ・ミュージックが出てくる前の、ダンス・フロアー基調のポップ・ミュージック作り実力者の最たる1人なんて言い方もできるか。近年でも、彼はダフト・パンクが彼と絡んでいますね。
そんなモロダーは1940年生まれだが、かつてのうさん臭い外見からは大きく離れた、普通にジャケットやシャツを着る、性格良さそうな老紳士という感じ。けっこうハンサムなんだなとも、ぼくは感じた。今の生活はボーナスじゃという感じで、悠々自適の老後を楽しんでいるようにも、ぼくには思えた。
<今日の、ひえっ>
夏場の計画予定を友人から問われて、一瞬ひるむ。少し考えるところはなくはないが、まだなんももってない。基本、毎年いきあたりばったりだし。世間の、とくに勤め人はそういうことに考えを巡らす時期なのか。ぼくの場合、お盆の時期のお墓参りの日取りを母親と決めたぐらい。それ、ぼくの中では最上位に入る親孝行で、夏場の重要イヴェント。あと、夏に向かって考えるているのは、今年の夏を飄々と生き延びられるか(なんか、今年は猛暑らしいですよと、言う人がいるな)ということと、ノー・エアコンで行く”エコな私”を今年も続けるか否かということ。今日ライヴ会場で、そんなにエアコンがきいているわけではなかったろうが、けっこう寒さを感じた。暑さにゃ弱いが(寒さもそうだが)、エアコンにも弱くなっている。もっと、鈍感な身体が欲しい?
と書きつつ、そんなにモロダー表現にハマったことはないのだが、流される曲の曲名は分らなくても8割は聞いたことがあるという曲だったナ。ジョルジオ・モロダーについて、サウンド制作者という印象をもっていたが、秀でたメロディ・メイカーでもあったのだと、ぼくは再認識した。
イタリア人ながらドイツのミュンヘンを根城に、アナログ・シンセ使用のピコピコしたディスコ系音楽を送り出し一世を風靡した御仁。1970年代中頃から約15年ほどが我が与の春。プロデューサーとしてドナ・サマーからスパークス(2009年4月23、24日)まで様々な担い手を扱い、再編集「メトロポリス」や「フラッシュダンス」ら映画音楽にもいろいろ関与。クラブ・ミュージックが出てくる前の、ダンス・フロアー基調のポップ・ミュージック作り実力者の最たる1人なんて言い方もできるか。近年でも、彼はダフト・パンクが彼と絡んでいますね。
そんなモロダーは1940年生まれだが、かつてのうさん臭い外見からは大きく離れた、普通にジャケットやシャツを着る、性格良さそうな老紳士という感じ。けっこうハンサムなんだなとも、ぼくは感じた。今の生活はボーナスじゃという感じで、悠々自適の老後を楽しんでいるようにも、ぼくには思えた。
<今日の、ひえっ>
夏場の計画予定を友人から問われて、一瞬ひるむ。少し考えるところはなくはないが、まだなんももってない。基本、毎年いきあたりばったりだし。世間の、とくに勤め人はそういうことに考えを巡らす時期なのか。ぼくの場合、お盆の時期のお墓参りの日取りを母親と決めたぐらい。それ、ぼくの中では最上位に入る親孝行で、夏場の重要イヴェント。あと、夏に向かって考えるているのは、今年の夏を飄々と生き延びられるか(なんか、今年は猛暑らしいですよと、言う人がいるな)ということと、ノー・エアコンで行く”エコな私”を今年も続けるか否かということ。今日ライヴ会場で、そんなにエアコンがきいているわけではなかったろうが、けっこう寒さを感じた。暑さにゃ弱いが(寒さもそうだが)、エアコンにも弱くなっている。もっと、鈍感な身体が欲しい?
ミュージカル「ヘアー」
2013年5月29日 音楽 ロック/ヒッピー・ムーヴメント〜カウンター・カルチャーの興隆を下敷きに、新たな価値観(そのタイトルは、どんな髪型をしてもいいのダという意思から来ているという)の台頭を主題とする1967年オフ・ブロードウェイ初演ミュージカル(翌年には、ブロードウェイに移る)が「ヘアー」だ。その名称を目にすると、ぼくはほのかに胸騒ぎを覚える。その日本キャストの初演は1969年。ぼくは小学生だったが、出演者たちが葉っぱでパクられて興行が中止になったという報道を見て(新聞愛読小僧だったからナ)、わああと反応したのだ。反道徳的イケナイはヤバいけどなんかシビれる。そのミュージカルの主題などは知るよしもなかったが、子供心にぼくはそう感じたのではなかったか。そういえば、TVニュースでは学生運動の軋轢がその頃よく報道されていたが、ぼくはそれをカッコいいと感じるガキだった。
その後、何度か興行されるとともに、大きく変えられて映画化もされてもいるようだが、ぼくはその「ヘアー」群を見聞きすることはなかった。この新版(数年前にダイアン・パラウスという女性によって演出された)は米国各地を回ったものが日本に持ってこられていて、副題には“ザ・アメリカン・トライバル・ラヴ・ロック・ミュージカル”と記されている。あ、このミュージカルは初のロック・ミュージカルという位置づけがされるのだっけ? ロック・ミュージカルとして良く知られる英国主導(元締めはRSOレコードを立ち上げたロバート・スティグウッド)の「ジーザス・クライスト・スーパースター」が出てくるのは1970年代に入ってからだ。
音楽は7人編成(鍵盤2、リード、ギター、ベース、ドラム、打楽器。ミュージカル・ディレクターの鍵盤奏者とドラマーは女性)のバンドが奏で、それにあわせて歌われる歌唱やセリフはよく聞こえたので、マイクで拾われているよう。本ミュージカル派生の有名曲「アクエリアス」(ザ・フィフス・ディメンションが1969年にNo.1ヒットさせ、グラミー賞もとった)は冒頭で歌われる。稀にジミ・ヘンドリックス調ギターやゴスペル調曲もでてきたりもする音楽については今の耳で聞くならそれほどロックぽくはない。オリジナルの脚本と作詞はジェイムズ・ラドーとジェローム・ラグニーという初演時に主役の役柄を演じた2人の若い俳優が作り、音楽を作っているガルタ・マクダーモットは南アの大学でクラシックを学んだカナダ人であるという。
スタート時、主役がすぐに客席におり、カタコトの日本語を交え、客をいじる。ダンスの場面で何度か出演者の一部は客席側に降りたり(2階席にも出て来たよう)、別の役柄の人が客席側から出入りする場面もあり。それなりに、動的な印象を与えるか。
台詞や歌詞の日本語訳はステージ左右に置かれた細長い表示板に縦書きで字幕表示される。アレン・ギンズバーグがアレン・ジンズバーグと表記されるときも。多分、脚本の台詞を翻訳したのだろうが、有名文化人の名を誤表示されるのには違和感を覚えた。劇中でも役者は、ギンズバーグと言っていた。
舞台は、1967年のニューヨーク。街角につるむ、フラワー・ムーヴメントに感化され自由な価値観を謳歌せんとする若者達(トライブ)のやりとりが柱となる。性別や人種も散った彼らは、いかにもラヴ&ピースなカラフルな格好や髪型をしていて(するとステレオタイプではあるが、アフリカ系男性はジミ・ヘンドリックス的外見となる)、それはもろに1960年代後半の薫りむんむん。甘酸っぱい。その手の愛好者はたまらないだろう。とともに、その時代はまだ徴兵制があり(大学に行くと免除になり、くじ引で招集される人が選ばれた時代?)、米国はヴェトナム戦争をやっていた。高校をドロップアウトしたトライヴのなかの1人に召集令状が届き……そこには反戦のテーマが大きく横たわる。
話がとぶが、設定された場所と時期は、ザ・ビートルズ曲を素材に用いたロック・ミュージカル映画「アクロス・ザ・ユニバース」(2008年8月31日)とまったく重なる。というか、同映画の筋や主題はミュージカル「ヘアー」があってこそのものなのだと、ぼくは気付かされた。とともに、それらの符合は、戦争や徴兵は当時の米国において少なくない数の人々が感じざるを得ない陰や傷や恥であったのではないか。ぼくは劇を見ながら、社会/為政者の愚行とポップ・ミュージック/大衆娯楽表現との関係をいろいろ反芻したりもしていた。日本ではなく米国でも欧州諸国でもいいのだが、もしそちらで原発事故がおきたとしたら、彼の地に住む人たちの表現はどういうふうに変質したかということも、不謹慎ながらいろいろ考えてしまった。
ラヴ&ピースの気運があった1960年代へのほのかな憧憬を孕む、動的な若者群像ミュージカル。LSDによるトリップという設定で、リンカーンやカスター将軍ら合衆国史上の偉人が出てくる場面があり、アリサ・フランクリンも出て来て、声を張り上げる。
20分の休憩を挟んで、2時間半の出し物。とっても、観客フレンドリーな終わり方をとっている。興行初日であったためか、終演後は出演者たちがホワイエに出て来て、来場者に花を配っていた。この後の移動その他があるので、ぼくはもらわず。だって、おっさんが花一輪手にして街中にいる図はどうにも……。渋谷・シアターオーブ。6月9日まで、やっている。
<今日の、東急>
かつて日本人キャストの同ミュージカルが初演された会場は、渋谷・東横劇場であったのだとか。きせずして、同じ東急系の渋谷にある建物で、その新しい本国版が披露されているわけになるのか。渋谷駅上の東急百貨店東横店の上階にあった同劇場でエルヴィス・コステロがライヴを行ったことがあって、それは1984年。もちろん見ているが、ぼくにとっての東横劇場というと、小学低学年の夏休みにミュージカル「青い鳥」(チルチル、ミチルのお話ですね)をここで見たことがあって、それが忘れがたい。かなり引き込まれ、終演後はかなり高揚したはず。ではあったものの、ミュージカルや演劇というものにはその後ぜんぜん興味を持たなかったというのはどうしてか。ロックはすぐに海外文化の享受という悦楽に結びついたのにたいし、ミュージカルはぼくのなかではそうではなかったからか。それに音楽の場合は、自分の部屋で楽に受け取れるしね。しかし、渋谷ヒカリエ(かつては、プラネタリウムが最上部に持たれた東急文化会館があった。そのプラネタリウムでは、UKソウル・マンのグレン・スコットがライヴをやったことがありました。2002年4月18日)にあるシアターオーブは自由スペースがほぼガラス張りでとにもかくにも眺めよすぎ。なんもないとき、改めて来たいナと思うほどに。身近な場所の風景だから、より興味もひかれるのか。その上階はオフィス用途フロア、そこで働いている人はどんな思いを得ているのだろう? 慣れと忙しさで、どーでもよくなっちゃうのかなー。
その後、何度か興行されるとともに、大きく変えられて映画化もされてもいるようだが、ぼくはその「ヘアー」群を見聞きすることはなかった。この新版(数年前にダイアン・パラウスという女性によって演出された)は米国各地を回ったものが日本に持ってこられていて、副題には“ザ・アメリカン・トライバル・ラヴ・ロック・ミュージカル”と記されている。あ、このミュージカルは初のロック・ミュージカルという位置づけがされるのだっけ? ロック・ミュージカルとして良く知られる英国主導(元締めはRSOレコードを立ち上げたロバート・スティグウッド)の「ジーザス・クライスト・スーパースター」が出てくるのは1970年代に入ってからだ。
音楽は7人編成(鍵盤2、リード、ギター、ベース、ドラム、打楽器。ミュージカル・ディレクターの鍵盤奏者とドラマーは女性)のバンドが奏で、それにあわせて歌われる歌唱やセリフはよく聞こえたので、マイクで拾われているよう。本ミュージカル派生の有名曲「アクエリアス」(ザ・フィフス・ディメンションが1969年にNo.1ヒットさせ、グラミー賞もとった)は冒頭で歌われる。稀にジミ・ヘンドリックス調ギターやゴスペル調曲もでてきたりもする音楽については今の耳で聞くならそれほどロックぽくはない。オリジナルの脚本と作詞はジェイムズ・ラドーとジェローム・ラグニーという初演時に主役の役柄を演じた2人の若い俳優が作り、音楽を作っているガルタ・マクダーモットは南アの大学でクラシックを学んだカナダ人であるという。
スタート時、主役がすぐに客席におり、カタコトの日本語を交え、客をいじる。ダンスの場面で何度か出演者の一部は客席側に降りたり(2階席にも出て来たよう)、別の役柄の人が客席側から出入りする場面もあり。それなりに、動的な印象を与えるか。
台詞や歌詞の日本語訳はステージ左右に置かれた細長い表示板に縦書きで字幕表示される。アレン・ギンズバーグがアレン・ジンズバーグと表記されるときも。多分、脚本の台詞を翻訳したのだろうが、有名文化人の名を誤表示されるのには違和感を覚えた。劇中でも役者は、ギンズバーグと言っていた。
舞台は、1967年のニューヨーク。街角につるむ、フラワー・ムーヴメントに感化され自由な価値観を謳歌せんとする若者達(トライブ)のやりとりが柱となる。性別や人種も散った彼らは、いかにもラヴ&ピースなカラフルな格好や髪型をしていて(するとステレオタイプではあるが、アフリカ系男性はジミ・ヘンドリックス的外見となる)、それはもろに1960年代後半の薫りむんむん。甘酸っぱい。その手の愛好者はたまらないだろう。とともに、その時代はまだ徴兵制があり(大学に行くと免除になり、くじ引で招集される人が選ばれた時代?)、米国はヴェトナム戦争をやっていた。高校をドロップアウトしたトライヴのなかの1人に召集令状が届き……そこには反戦のテーマが大きく横たわる。
話がとぶが、設定された場所と時期は、ザ・ビートルズ曲を素材に用いたロック・ミュージカル映画「アクロス・ザ・ユニバース」(2008年8月31日)とまったく重なる。というか、同映画の筋や主題はミュージカル「ヘアー」があってこそのものなのだと、ぼくは気付かされた。とともに、それらの符合は、戦争や徴兵は当時の米国において少なくない数の人々が感じざるを得ない陰や傷や恥であったのではないか。ぼくは劇を見ながら、社会/為政者の愚行とポップ・ミュージック/大衆娯楽表現との関係をいろいろ反芻したりもしていた。日本ではなく米国でも欧州諸国でもいいのだが、もしそちらで原発事故がおきたとしたら、彼の地に住む人たちの表現はどういうふうに変質したかということも、不謹慎ながらいろいろ考えてしまった。
ラヴ&ピースの気運があった1960年代へのほのかな憧憬を孕む、動的な若者群像ミュージカル。LSDによるトリップという設定で、リンカーンやカスター将軍ら合衆国史上の偉人が出てくる場面があり、アリサ・フランクリンも出て来て、声を張り上げる。
20分の休憩を挟んで、2時間半の出し物。とっても、観客フレンドリーな終わり方をとっている。興行初日であったためか、終演後は出演者たちがホワイエに出て来て、来場者に花を配っていた。この後の移動その他があるので、ぼくはもらわず。だって、おっさんが花一輪手にして街中にいる図はどうにも……。渋谷・シアターオーブ。6月9日まで、やっている。
<今日の、東急>
かつて日本人キャストの同ミュージカルが初演された会場は、渋谷・東横劇場であったのだとか。きせずして、同じ東急系の渋谷にある建物で、その新しい本国版が披露されているわけになるのか。渋谷駅上の東急百貨店東横店の上階にあった同劇場でエルヴィス・コステロがライヴを行ったことがあって、それは1984年。もちろん見ているが、ぼくにとっての東横劇場というと、小学低学年の夏休みにミュージカル「青い鳥」(チルチル、ミチルのお話ですね)をここで見たことがあって、それが忘れがたい。かなり引き込まれ、終演後はかなり高揚したはず。ではあったものの、ミュージカルや演劇というものにはその後ぜんぜん興味を持たなかったというのはどうしてか。ロックはすぐに海外文化の享受という悦楽に結びついたのにたいし、ミュージカルはぼくのなかではそうではなかったからか。それに音楽の場合は、自分の部屋で楽に受け取れるしね。しかし、渋谷ヒカリエ(かつては、プラネタリウムが最上部に持たれた東急文化会館があった。そのプラネタリウムでは、UKソウル・マンのグレン・スコットがライヴをやったことがありました。2002年4月18日)にあるシアターオーブは自由スペースがほぼガラス張りでとにもかくにも眺めよすぎ。なんもないとき、改めて来たいナと思うほどに。身近な場所の風景だから、より興味もひかれるのか。その上階はオフィス用途フロア、そこで働いている人はどんな思いを得ているのだろう? 慣れと忙しさで、どーでもよくなっちゃうのかなー。
野瀬栄進。ホッド・オブライエン
2013年5月30日 音楽 タイプの異なる(まあ、普通そうだけど……)、ジャズ・ピアニストを続けて見る。その2人が出た両会場とも、ピアノはスタンウェイ製のもの。
まず、渋谷・タカギクラヴィア 松濤サロンで、北海道出身で1992年以降はNYに居住する野瀬栄進のソロ・パフォーマンスを見る。
出て来たのは、ピアノ演奏にある“研ぎすまされた、こだわり感”とは相容れぬ、無頓着っぽいあんちゃん風情の人。少しずっこけたが、ながらサバけた話はけっこう面白い。この前、名古屋でやったときには親戚関係の7人が見に来たものの、フツーにオリジナル曲をやったらファースト・セットで全員帰ってしまったのだという。時と場合を考えて、(親しみやすい)スタンダードとかも織り交ぜようと思ったと言いつつ、この日も冒頭3曲はオリジナル曲をかます。音の連なりの美意識とフレーズの歯切れの良さは感じたものの、ぼくは別に難解だとは思わず。スタンダードはたとえば、「イパネマの娘」をやったが、それはリオから秋のヘルシンキの海辺に移ったと書きたくなる手触りを持っていた。
MCによれば、野瀬が初めて接したジャズ・ピアニストはケニー・カークランドで、それはスティング(2000年10月16日)のザ・ドリーム・オブ・ザ・ブルー・タートルズ・バンドでの演奏で高校生のときとか。今でも、カークランドのことは好きなよう。また、NYではリッチー・バイラークに個人レッスンを受けていたそうで、自作では彼の「サンディ・ソング」(とってもメロディアスで、優しい好曲。バイラークの1977年ECM盤『ヒューブリス』が初出かな)にインスパイアされたと説明した曲も演奏した。彼の近作はNY在住の打楽器奏者の武石聡(2004年5月28日、2006年6月28日、他)とのデュオ作品だ。なお、ぼくはファースト・セットで失礼したが、それは演奏についていけなかったためではなく、次に見るものがあったからナリ。
その後は丸の内・コットンクラブで、1936年生まれヴェテラン白人バップ・ピアニストのホッド・オブライエンのトリオを見る。余裕綽々、ココロ踊る。ベーシストは結構ボンボンという肉感的な音を出していたな。彼と言えば、一時はジャズ界から離れて大学で数学や現代音楽を学んだこともあったり、ライヴ・ヴェニューをもったこともあったようだが、そういう一筋縄では行かない広がりがくつろいだ演奏の奥にひそんでいたか。その流儀はもちろん旧式なものだが、軽やかにして確かな味があり。そこには変わらなくていい小粋なジャズの美点が横たわり、ぼくは疑問なく楽しんだ。
<今日の、徒歩>
最初の会場はだいぶ渋谷駅からは離れ、大雑把に言えば、家のほうに近いので、歩いてでかける。へえ、なんか町並み、お店が変わったりもしているナ。環6から東急百貨店に向かう道はとっても広くなっていて、驚く。街は生きている、というほのかな所感も得たか。なんか、へえ〜、はあ〜という感じで、会場についた。
まず、渋谷・タカギクラヴィア 松濤サロンで、北海道出身で1992年以降はNYに居住する野瀬栄進のソロ・パフォーマンスを見る。
出て来たのは、ピアノ演奏にある“研ぎすまされた、こだわり感”とは相容れぬ、無頓着っぽいあんちゃん風情の人。少しずっこけたが、ながらサバけた話はけっこう面白い。この前、名古屋でやったときには親戚関係の7人が見に来たものの、フツーにオリジナル曲をやったらファースト・セットで全員帰ってしまったのだという。時と場合を考えて、(親しみやすい)スタンダードとかも織り交ぜようと思ったと言いつつ、この日も冒頭3曲はオリジナル曲をかます。音の連なりの美意識とフレーズの歯切れの良さは感じたものの、ぼくは別に難解だとは思わず。スタンダードはたとえば、「イパネマの娘」をやったが、それはリオから秋のヘルシンキの海辺に移ったと書きたくなる手触りを持っていた。
MCによれば、野瀬が初めて接したジャズ・ピアニストはケニー・カークランドで、それはスティング(2000年10月16日)のザ・ドリーム・オブ・ザ・ブルー・タートルズ・バンドでの演奏で高校生のときとか。今でも、カークランドのことは好きなよう。また、NYではリッチー・バイラークに個人レッスンを受けていたそうで、自作では彼の「サンディ・ソング」(とってもメロディアスで、優しい好曲。バイラークの1977年ECM盤『ヒューブリス』が初出かな)にインスパイアされたと説明した曲も演奏した。彼の近作はNY在住の打楽器奏者の武石聡(2004年5月28日、2006年6月28日、他)とのデュオ作品だ。なお、ぼくはファースト・セットで失礼したが、それは演奏についていけなかったためではなく、次に見るものがあったからナリ。
その後は丸の内・コットンクラブで、1936年生まれヴェテラン白人バップ・ピアニストのホッド・オブライエンのトリオを見る。余裕綽々、ココロ踊る。ベーシストは結構ボンボンという肉感的な音を出していたな。彼と言えば、一時はジャズ界から離れて大学で数学や現代音楽を学んだこともあったり、ライヴ・ヴェニューをもったこともあったようだが、そういう一筋縄では行かない広がりがくつろいだ演奏の奥にひそんでいたか。その流儀はもちろん旧式なものだが、軽やかにして確かな味があり。そこには変わらなくていい小粋なジャズの美点が横たわり、ぼくは疑問なく楽しんだ。
<今日の、徒歩>
最初の会場はだいぶ渋谷駅からは離れ、大雑把に言えば、家のほうに近いので、歩いてでかける。へえ、なんか町並み、お店が変わったりもしているナ。環6から東急百貨店に向かう道はとっても広くなっていて、驚く。街は生きている、というほのかな所感も得たか。なんか、へえ〜、はあ〜という感じで、会場についた。
フェイス・エヴァンス。カサンドラ・ウィルソン
2013年5月31日 音楽 2人の女性アフリカ系アメリカ人歌手のショウをはしごする。偶然、彼女たちは現在、米国のE-1というレーベルから作品を発表している。
最初は、メアリー・J・ブライジ(2002年3月13日)に続くようなノリで90年代半ばにソロ・デビューし、以後私生活のお騒がせ情報もいろいろとありつつ活動を続けている女性R&B歌手のフェイス・エヴァンス。彼女の新作のタイトルはずばり『R&Bディーヴァ』、それ彼女がシリーナ・ジョンソン(2003年1月28日)ら3人のシンガーと出ているケーブルTV番組のタイトルでもある。というわけで、自己申告のワタクシ様表出から来る表題ではないのだが、ステージでの様はなかなか自信家っぽい風情が流れていたか。さすが、4人の子持ちって、それは関係ないな。そんな彼女は15センチはありそうな高いヒールの靴を履いていた。
バンドはキーボード、ギター、ベース、ドラムに3人の男性コーラス。彼らはファルセット主体の歌声を出し、なんか女性コーラス隊の声のように聞こえる。エヴァンスの歌声はけっこう喉に負担がかかりそうな感じのもの、それもまた彼女のフンあんたたちィ的な強さを醸し出すところもあったか。曲のイントロが始まっただけでキャアとか歓声が起こる事が多い。けっこう、熱心なファンが集まっているナとも感じた。六本木・ビルボードライブ東京。
続いて、南青山・ブルーノート東京で、広角型の現代アフリカン・アメリカン女性歌手としてもっとも実のあることをやっていると言いたくなるカサンドラ・ウィルソン(2011年5月5日)のショウを見る。うーん、その存在を知って30年近く(最初はスティーヴ・コールマンのバンドにいるときか)、以来ずっと熱をあげて聞いて来ているけど飽きな〜い。
今回の音楽監督はスイス人ハーモニカ奏者のグレゴア・マレ(2011年5月5日、他)と紹介され、そこにかつてライヴの音楽ディレクターを勤めたこともあるギターのブランドン・ロス(2011年12月14日、他)やアップライト・ベースのロニー・プラキシコ(2011年5月5日)、そしてさらにはジェイムズ・ブラッド・ウルマーとの共演で知られるヴァイオリン奏者のチャールズ・バーナム(2004年9月13日)、1983年にマイルズ・デイヴィスのバンドに抜擢されて以降NYのフュージョン・シーンで活動するフランス生まれの打楽器奏者のミノ・シネルがつく。お、シネルってなかなか格好いい人だな。彼のブルー・サム発2000年リーダー作を聞くと、彼がカサンドラのバンドに入ったのもよく分る。
途中でカサンドラは『ブルー・ライト』が出て20年と言いい、ブルーノート移籍第一作『ブルー・ライト』の収録曲をやる。ああ、そうか。今回の編成は複数の弦楽器とパーカッション(非ドラム)を用いた編成で汎アメリカン・ミュージックを描いた一大転換作として燦然と輝く同作をほのかになぞるものであるとも指摘できるのか。マレはハーモニカでアコーディオンぽい音を出したりもしたが、『ブルー・ライト』にはロスやプラキシコが録音関与していた。蛇足だが、そこには故クリス・ウィートリー(2004年9月15日)やヴィンクス(2008年8月23日)も入っていた。
また、彼女は「"ポリドールK.K."から出た『ブルー・スカイ』は25周年よ」とも言った。確かにそのとおり、明晰だなあ。当時、スティーヴ・コールマンやカサンドラらNYの冒険系ジャズ側立ち位置アーティストを鋭意送り出したのはドイツ在住のステファン・ウィンターが立ち上げたJMTレーベル(現ウィンター&ウィンター)であったが、その一連のレコーディング資金を出していたのが、日本のポリドール・レコード(POLYDOR K.K.というのは、その英字表記)だったのだ。しかし、JMTやヴァーヴ(ジャズ・スタンダード作である『ブルー・スカイ』は米国ではそこからリリースされた)の名を出さず、お金を出した日本のポリドール社の名を出すカサンドラも何気に細かい(笑い)。
いつごろからか、彼女はくつろいだノリを出して歌うようになったが、今回もうれしそうに、ふくよかに歌う。それこそ、『ブルー・ライト』のころは醒めた何かを持つ<寒色系のヴォーカル表現>を提出していたが、今は人肌キブンがおおいに横溢している。終盤のほう2曲で、カサンドラはテレキャスターを手に取りサム・ピッキングで弾きながら、歌った。なんか、うれしいやね。そういえば、『ブルー・ライト』のころギターを再び手にすることで私の表現は変わったし、ジャズでは鬼っ子楽器であるギターを重用できるのは私の強みだみたいなことを、彼女はかつてインタヴューで言っていた。今回、彼女はヒールの低いブーツを履いていて、それで歌った。ここのところ、裸足で歌うのをやめていますね。あと、半数ぐらいの曲では椅子に座って歌っていたが、その様には初めて接するような。前にも、そういうのあったっけ?
<今日の、残念>
今回の来日時に、久しぶりに彼女をインタヴューする予定だったが、直前に出された取材指定日が日曜。東京にいないので、残念ながらキャンセルとなる。でも、まだまだ彼女表現活動は続くし、また来るだろうし。ところで、この夏のビョークの22.000円公演のネット申し込みが外れましたとの結果メールあり。かなり高ハードルとは思っていたが、かなしい。
最初は、メアリー・J・ブライジ(2002年3月13日)に続くようなノリで90年代半ばにソロ・デビューし、以後私生活のお騒がせ情報もいろいろとありつつ活動を続けている女性R&B歌手のフェイス・エヴァンス。彼女の新作のタイトルはずばり『R&Bディーヴァ』、それ彼女がシリーナ・ジョンソン(2003年1月28日)ら3人のシンガーと出ているケーブルTV番組のタイトルでもある。というわけで、自己申告のワタクシ様表出から来る表題ではないのだが、ステージでの様はなかなか自信家っぽい風情が流れていたか。さすが、4人の子持ちって、それは関係ないな。そんな彼女は15センチはありそうな高いヒールの靴を履いていた。
バンドはキーボード、ギター、ベース、ドラムに3人の男性コーラス。彼らはファルセット主体の歌声を出し、なんか女性コーラス隊の声のように聞こえる。エヴァンスの歌声はけっこう喉に負担がかかりそうな感じのもの、それもまた彼女のフンあんたたちィ的な強さを醸し出すところもあったか。曲のイントロが始まっただけでキャアとか歓声が起こる事が多い。けっこう、熱心なファンが集まっているナとも感じた。六本木・ビルボードライブ東京。
続いて、南青山・ブルーノート東京で、広角型の現代アフリカン・アメリカン女性歌手としてもっとも実のあることをやっていると言いたくなるカサンドラ・ウィルソン(2011年5月5日)のショウを見る。うーん、その存在を知って30年近く(最初はスティーヴ・コールマンのバンドにいるときか)、以来ずっと熱をあげて聞いて来ているけど飽きな〜い。
今回の音楽監督はスイス人ハーモニカ奏者のグレゴア・マレ(2011年5月5日、他)と紹介され、そこにかつてライヴの音楽ディレクターを勤めたこともあるギターのブランドン・ロス(2011年12月14日、他)やアップライト・ベースのロニー・プラキシコ(2011年5月5日)、そしてさらにはジェイムズ・ブラッド・ウルマーとの共演で知られるヴァイオリン奏者のチャールズ・バーナム(2004年9月13日)、1983年にマイルズ・デイヴィスのバンドに抜擢されて以降NYのフュージョン・シーンで活動するフランス生まれの打楽器奏者のミノ・シネルがつく。お、シネルってなかなか格好いい人だな。彼のブルー・サム発2000年リーダー作を聞くと、彼がカサンドラのバンドに入ったのもよく分る。
途中でカサンドラは『ブルー・ライト』が出て20年と言いい、ブルーノート移籍第一作『ブルー・ライト』の収録曲をやる。ああ、そうか。今回の編成は複数の弦楽器とパーカッション(非ドラム)を用いた編成で汎アメリカン・ミュージックを描いた一大転換作として燦然と輝く同作をほのかになぞるものであるとも指摘できるのか。マレはハーモニカでアコーディオンぽい音を出したりもしたが、『ブルー・ライト』にはロスやプラキシコが録音関与していた。蛇足だが、そこには故クリス・ウィートリー(2004年9月15日)やヴィンクス(2008年8月23日)も入っていた。
また、彼女は「"ポリドールK.K."から出た『ブルー・スカイ』は25周年よ」とも言った。確かにそのとおり、明晰だなあ。当時、スティーヴ・コールマンやカサンドラらNYの冒険系ジャズ側立ち位置アーティストを鋭意送り出したのはドイツ在住のステファン・ウィンターが立ち上げたJMTレーベル(現ウィンター&ウィンター)であったが、その一連のレコーディング資金を出していたのが、日本のポリドール・レコード(POLYDOR K.K.というのは、その英字表記)だったのだ。しかし、JMTやヴァーヴ(ジャズ・スタンダード作である『ブルー・スカイ』は米国ではそこからリリースされた)の名を出さず、お金を出した日本のポリドール社の名を出すカサンドラも何気に細かい(笑い)。
いつごろからか、彼女はくつろいだノリを出して歌うようになったが、今回もうれしそうに、ふくよかに歌う。それこそ、『ブルー・ライト』のころは醒めた何かを持つ<寒色系のヴォーカル表現>を提出していたが、今は人肌キブンがおおいに横溢している。終盤のほう2曲で、カサンドラはテレキャスターを手に取りサム・ピッキングで弾きながら、歌った。なんか、うれしいやね。そういえば、『ブルー・ライト』のころギターを再び手にすることで私の表現は変わったし、ジャズでは鬼っ子楽器であるギターを重用できるのは私の強みだみたいなことを、彼女はかつてインタヴューで言っていた。今回、彼女はヒールの低いブーツを履いていて、それで歌った。ここのところ、裸足で歌うのをやめていますね。あと、半数ぐらいの曲では椅子に座って歌っていたが、その様には初めて接するような。前にも、そういうのあったっけ?
<今日の、残念>
今回の来日時に、久しぶりに彼女をインタヴューする予定だったが、直前に出された取材指定日が日曜。東京にいないので、残念ながらキャンセルとなる。でも、まだまだ彼女表現活動は続くし、また来るだろうし。ところで、この夏のビョークの22.000円公演のネット申し込みが外れましたとの結果メールあり。かなり高ハードルとは思っていたが、かなしい。