ジャパドロイズ。ナタリー・ダンカン
2013年2月18日 音楽 まず、渋谷・WWWで、カナダのデュオ・バンドのジャパンドロイズを見る。ギターとドラムのデュオ、ヴォーカルは両方取るが、主にリード・ヴォーカルはクネクネ良く動き、ポーズも決めるギター君のほうが担う。で、ショウが始まって、即こりゃ音がデカいと少し慌てる。完全2人による演奏ながら、なぜか単純なベース音も出ていて、その音が耳に刺さる。近年では一番、耳に負担がかかるライヴだと思わせられた。しかし、そのベース音、最初はギターの低い弦の音が分けられてベース音として出ているのかとも思ったが、ギターを弾いていない時も認めることができ、かといって2人の演奏が走ってもきっちりズレずに重なっているし、どういう仕組みなのだろうか。
ライトニング・ボルト(2009年11月15日)とかKIRIHITO(2011年12月1日)とか、バンドという形式に逆らうような2人のロック系バンドというと、変なものがいろいろ散見されるが、彼らもそういう部分は少し出していたかな。通り一遍にさらっと曲をやる場合は産業ロック調曲を2人で杜撰にやっているだけという感じだが、キブンで進める度数が増してよく曲調が分らない感じのもの(歌がうまくないので、そのノリはよく増幅される)だと、酔狂さやいい人ぽさと表裏一体のやぶれかぶれさやイケイケの意欲がもわっと湧いて来て、わはは頑張れという気持ちも出てくる。なお、ドラマーは英国の若い人たちと違い、手数は多いながら叩き口はしっかりしている。渋谷・WWW。このスペース・シャワーが持つハコには何度か来ているが、外国人アクトを見るのは今回が初めて。大き目ふっくら目の外国人の客も散見されたが、彼らはカナダ人だったのだろうか。
そして六本木に移動して、ビルボードライブ東京で、1988年生まれの新進英国人シンガー・ソングライターのナタリー・ダンカンを見る。ギター、ベース(電気とウッドの両刀)、ドラム、女性バッキング・コーラス(グロッケンシュピールも担当)という面々と一緒のもの。ギリシャとジャマイカのミックスらしい本人は可愛らしい女性ラッパーみたいな顔つき(つまり、そのデビュー作『デヴィル・イン・ミー』のジャケ写とはかなり別人)だが、ネクタイ/スーツで行儀良く固めた男性の3人の演奏者は整った外見の白人さんたちだった。
ショウのスタートは無伴奏で歌いだし、そこにピアノやバンド音を重なっていく、アルバムのタイトル・トラック。それだけで、彼女は選ばれた才を持つ人だと思わされる。何かが、接する者に突き刺さる。大体の曲は彼女のピアノ弾き語りに、控え目にバンド音が寄り添うという構図を持つ。なるほど、ほんの少し慣れていない所を感じさせる場合もあるが、これはいいシンガーであり、作曲者であり、パフォーマーであると思わせられるな。世に紹介されるべき、優れた人です。実は彼女のデビュー作のプロデューサーは、米国人実力者のジョー・ヘンリー(2012年10月16日、他)。それをつかさどるのに際して、ヘンリーはパトリック・ウォーレン(2010年4月2、4日)やグレッグ・コーエン(2006年6月2日、他)ら馴染みの米国人奏者を英国(リアル・ワールド・スタジオ)まで連れていってじっくり録音した(予算も潤沢だったんだろう。英国からは、お馴染みジョン・スミスも参加)のにも頷ける。とはいえ、ぼくの耳には、ヘンリー制作のアルバムのなか、もっともヘンリー色の薄いアルバムにも聞こえるが、それも彼女の個性ゆえであったろう。
基本、暗目の曲が多い(本当に暗い、絶望的な時期に作ったからだそう)が、それがある種の灯火的な輝きとともに悠然と広がる。クラシック的な部分とR&B/ブルージーな部分の両方を併せ持つことも実演ではより出していたが、これからいろいろと変わっていきそうとも感じた。次作に入るだろう、「ホールド・ユア・ヘッド」という新曲は完全ピアノ弾き語りにて披露。良い。それで、十分とも思わせる。が、実は次のアルバムではもう少し、エレクトリックな音も入れたい意向を彼女は持っている。
<先週の、ダンカン>
昨週末に、ダンカンには取材した。ボクシングが趣味という、会った限りは、快活な女性。そして、自分の言いたい事、気持ちをちゃんと伝えられる人だった。ジョー・ヘンリーと絡んだのは、彼の仕事はあまり知らなかったようだが、ヘンリーが送って来た熱くも詩的なメールが決め手となったとか。レコーディングは最初かなりビビったらしいが、途中ではけっこうヘンリーと色づけでやりあったそう。ピンク・フロイドのような響きが欲しい曲が私にはあったと言っていたが、なるほど、フロイドの『ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン』から触発されたようなのも2曲あるナと、ショウを見ながら、ぼくは感じました。
ライトニング・ボルト(2009年11月15日)とかKIRIHITO(2011年12月1日)とか、バンドという形式に逆らうような2人のロック系バンドというと、変なものがいろいろ散見されるが、彼らもそういう部分は少し出していたかな。通り一遍にさらっと曲をやる場合は産業ロック調曲を2人で杜撰にやっているだけという感じだが、キブンで進める度数が増してよく曲調が分らない感じのもの(歌がうまくないので、そのノリはよく増幅される)だと、酔狂さやいい人ぽさと表裏一体のやぶれかぶれさやイケイケの意欲がもわっと湧いて来て、わはは頑張れという気持ちも出てくる。なお、ドラマーは英国の若い人たちと違い、手数は多いながら叩き口はしっかりしている。渋谷・WWW。このスペース・シャワーが持つハコには何度か来ているが、外国人アクトを見るのは今回が初めて。大き目ふっくら目の外国人の客も散見されたが、彼らはカナダ人だったのだろうか。
そして六本木に移動して、ビルボードライブ東京で、1988年生まれの新進英国人シンガー・ソングライターのナタリー・ダンカンを見る。ギター、ベース(電気とウッドの両刀)、ドラム、女性バッキング・コーラス(グロッケンシュピールも担当)という面々と一緒のもの。ギリシャとジャマイカのミックスらしい本人は可愛らしい女性ラッパーみたいな顔つき(つまり、そのデビュー作『デヴィル・イン・ミー』のジャケ写とはかなり別人)だが、ネクタイ/スーツで行儀良く固めた男性の3人の演奏者は整った外見の白人さんたちだった。
ショウのスタートは無伴奏で歌いだし、そこにピアノやバンド音を重なっていく、アルバムのタイトル・トラック。それだけで、彼女は選ばれた才を持つ人だと思わされる。何かが、接する者に突き刺さる。大体の曲は彼女のピアノ弾き語りに、控え目にバンド音が寄り添うという構図を持つ。なるほど、ほんの少し慣れていない所を感じさせる場合もあるが、これはいいシンガーであり、作曲者であり、パフォーマーであると思わせられるな。世に紹介されるべき、優れた人です。実は彼女のデビュー作のプロデューサーは、米国人実力者のジョー・ヘンリー(2012年10月16日、他)。それをつかさどるのに際して、ヘンリーはパトリック・ウォーレン(2010年4月2、4日)やグレッグ・コーエン(2006年6月2日、他)ら馴染みの米国人奏者を英国(リアル・ワールド・スタジオ)まで連れていってじっくり録音した(予算も潤沢だったんだろう。英国からは、お馴染みジョン・スミスも参加)のにも頷ける。とはいえ、ぼくの耳には、ヘンリー制作のアルバムのなか、もっともヘンリー色の薄いアルバムにも聞こえるが、それも彼女の個性ゆえであったろう。
基本、暗目の曲が多い(本当に暗い、絶望的な時期に作ったからだそう)が、それがある種の灯火的な輝きとともに悠然と広がる。クラシック的な部分とR&B/ブルージーな部分の両方を併せ持つことも実演ではより出していたが、これからいろいろと変わっていきそうとも感じた。次作に入るだろう、「ホールド・ユア・ヘッド」という新曲は完全ピアノ弾き語りにて披露。良い。それで、十分とも思わせる。が、実は次のアルバムではもう少し、エレクトリックな音も入れたい意向を彼女は持っている。
<先週の、ダンカン>
昨週末に、ダンカンには取材した。ボクシングが趣味という、会った限りは、快活な女性。そして、自分の言いたい事、気持ちをちゃんと伝えられる人だった。ジョー・ヘンリーと絡んだのは、彼の仕事はあまり知らなかったようだが、ヘンリーが送って来た熱くも詩的なメールが決め手となったとか。レコーディングは最初かなりビビったらしいが、途中ではけっこうヘンリーと色づけでやりあったそう。ピンク・フロイドのような響きが欲しい曲が私にはあったと言っていたが、なるほど、フロイドの『ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン』から触発されたようなのも2曲あるナと、ショウを見ながら、ぼくは感じました。