チャールズ・ロイド。ナッシン・バット・ファンク
2013年1月6日 音楽 南青山・ブルーノート東京のチャールズ・ロイド(2008年4月6日、他)公演で、2013年のライヴ享受の日々はスタート。テナー・サックス(1曲、アルト・フルートも吹く。横にはアルト・サックスも置いてあったようだが手にしなかった)を吹く彼に、ピアノのジェイソン・モラン(2007年1月16日、1月17日、他)、ベースのルーベン・ロジャース(2005年5月11日、2009年4月21日)、ドラムのエリック・ハーランド( 2005年5月11日、2007年10月3日、他)、ここ数年一緒にやっているワーキング・カルテットによる。前回公演の顔ぶれににベーシストを加えた編成なり。
そして、やはり。今活動しているリード奏者のなかでもっともジャズの深淵/不可解/素敵を描ける最たる大家という感慨を強く引き出す実演であったのは間違いない。セットによっていろいろと行き方を変えている感じが大だが、CDで確認できるものとも(まあ、2011年作はギリシャ人歌手を入れてのものだったから、少し別物なのだが)けっこう位相を異とする、随所にナイフを忍ばせつつも静謐な、悠々感と先鋭感を併せ持つ演奏を開きまくる。これに、しびれずにいられようか。ああ、ジャズっていいなと痛感せずにいられようか。
その後は、六本木・ビルボードライヴに移動して、沼澤尚(2012年10月10日、他)を軸とする米日勢が重なり合うファンク・ジャム・グループ(2011年10月8日、他)のパフォーマンスを見る。こちらは、ファンクっていいな、ミュージシャンたちの屈託ないお手合わせっていいナと思わせられる。3月のサンタナ公演でまた来日するカーラ・ペラッゾはかなり役者ね。
<長年の、違和感>
アップル社のマッキントッシュ。それを認知していらい、幾許かの違和感をずっと抱いて来ている。長年のユーザーでありつつも。それは、名付けの真似っこ体質ゆえ。だって、同社はネーミングに関しては独創性ゼロ。アップルといえばザ・ビートルズの面々が1968年に設立した会社名であり(社章もリンゴをポップに描いたものだった)、マッキントッシュと言えば1949年代設立のオーディオの有名米国ブランドではないか。よくもまあ、そんな著名な名前をぬけぬけと用いたものだ。とともに、その元が音楽関連の名称であるのが、音楽を軽視、音楽に関して無神経な感じにつながり、ぼくの気にほのかに障る。音楽を愛する者、敬意を払う者が昔のアップルにはいなかったのか。とほ。そんな会社が独創性を評価され、i-チューンズで稼ぎをあげているのはギャグだと思う。
そして、やはり。今活動しているリード奏者のなかでもっともジャズの深淵/不可解/素敵を描ける最たる大家という感慨を強く引き出す実演であったのは間違いない。セットによっていろいろと行き方を変えている感じが大だが、CDで確認できるものとも(まあ、2011年作はギリシャ人歌手を入れてのものだったから、少し別物なのだが)けっこう位相を異とする、随所にナイフを忍ばせつつも静謐な、悠々感と先鋭感を併せ持つ演奏を開きまくる。これに、しびれずにいられようか。ああ、ジャズっていいなと痛感せずにいられようか。
その後は、六本木・ビルボードライヴに移動して、沼澤尚(2012年10月10日、他)を軸とする米日勢が重なり合うファンク・ジャム・グループ(2011年10月8日、他)のパフォーマンスを見る。こちらは、ファンクっていいな、ミュージシャンたちの屈託ないお手合わせっていいナと思わせられる。3月のサンタナ公演でまた来日するカーラ・ペラッゾはかなり役者ね。
<長年の、違和感>
アップル社のマッキントッシュ。それを認知していらい、幾許かの違和感をずっと抱いて来ている。長年のユーザーでありつつも。それは、名付けの真似っこ体質ゆえ。だって、同社はネーミングに関しては独創性ゼロ。アップルといえばザ・ビートルズの面々が1968年に設立した会社名であり(社章もリンゴをポップに描いたものだった)、マッキントッシュと言えば1949年代設立のオーディオの有名米国ブランドではないか。よくもまあ、そんな著名な名前をぬけぬけと用いたものだ。とともに、その元が音楽関連の名称であるのが、音楽を軽視、音楽に関して無神経な感じにつながり、ぼくの気にほのかに障る。音楽を愛する者、敬意を払う者が昔のアップルにはいなかったのか。とほ。そんな会社が独創性を評価され、i-チューンズで稼ぎをあげているのはギャグだと思う。
マルコス・スザーノ、沼澤尚、勝井祐二、Saigenji
2013年1月7日 音楽 ブラジル屈指のパンデイロ奏者のマルコス・スザーノ(2009年9月26日、他)とドラマーの沼澤尚(2013年1月6日、他)が軸となった即興演奏ライヴ。ぶっとい信頼関係を持つ、その2人が軸となるセッションは本当に過去たくさん東京周辺で企画されてきている。ぼくもなんだかんだ5回以上は見ていると思うが。
元住吉・Powers2、2ショウにて。2人に、このセッション常連とも言えるヴァイオリン奏者の勝井祐二(2012年12月23日、他)、そしてブラジル味応用ポップ表現の才人であるSaigenji(2012年6月13日、他)が歌やガット・ギターやフルートで重なる。卓をやっていったのは、ダブ・ミックスの名手にして、スザーノ×沼澤のライヴ盤でのエンジニリアリングも担当していた内田直之(2011年12月9日、他)。
両セット、気分で流れる1カタマリの演奏を一つづつ。やはり沼澤とスザーノの絡みは刺激的で、メロディ楽器なしでも十二分に興行が成り立つと思わずにはいられず。なにより、やっている本人たちがうれしそう。いや、まったくもって。Saigenjiは少し遠慮している部分も見受けられたが、やはり誇るべきフィーリングと歌心とパッションを持っており、それはちょっとした楽器演奏にも顕われる。彼の昨年リリース新作『ONE VOICE,ONE GUITAR』(ハピネス)はギター弾き語りの傑作だが、ぼくは彼に一度インスト作を作ってほしいとも願っている。
<今日の、初めて>
川崎市元住吉の駅に、初めて降りる。急行が停まらない駅ながら、それほど渋谷から時間を要する所ではない。降りたら、まだ新しいっぽい駅の感じがモダン(欧州の新し目の駅を思い出させるとも書ける?)でにっこりできる。東急電鉄、何気にお金かけているじゃんと思った。そこから徒歩10分弱の場所にあるPowers2というヴェニューも今回初めて行く。満員。思ったより広く、ちゃんと食事も提供する、いい感じのお店。横浜のサムズ・アップを少し思い出させるが、何気にヨコハマに愛着を持っている知人も横浜的なものをお店に感じると言っていたな。ところで、マルコス・スザーノは2年続けて、奥さんと日本で年越ししているよう。
元住吉・Powers2、2ショウにて。2人に、このセッション常連とも言えるヴァイオリン奏者の勝井祐二(2012年12月23日、他)、そしてブラジル味応用ポップ表現の才人であるSaigenji(2012年6月13日、他)が歌やガット・ギターやフルートで重なる。卓をやっていったのは、ダブ・ミックスの名手にして、スザーノ×沼澤のライヴ盤でのエンジニリアリングも担当していた内田直之(2011年12月9日、他)。
両セット、気分で流れる1カタマリの演奏を一つづつ。やはり沼澤とスザーノの絡みは刺激的で、メロディ楽器なしでも十二分に興行が成り立つと思わずにはいられず。なにより、やっている本人たちがうれしそう。いや、まったくもって。Saigenjiは少し遠慮している部分も見受けられたが、やはり誇るべきフィーリングと歌心とパッションを持っており、それはちょっとした楽器演奏にも顕われる。彼の昨年リリース新作『ONE VOICE,ONE GUITAR』(ハピネス)はギター弾き語りの傑作だが、ぼくは彼に一度インスト作を作ってほしいとも願っている。
<今日の、初めて>
川崎市元住吉の駅に、初めて降りる。急行が停まらない駅ながら、それほど渋谷から時間を要する所ではない。降りたら、まだ新しいっぽい駅の感じがモダン(欧州の新し目の駅を思い出させるとも書ける?)でにっこりできる。東急電鉄、何気にお金かけているじゃんと思った。そこから徒歩10分弱の場所にあるPowers2というヴェニューも今回初めて行く。満員。思ったより広く、ちゃんと食事も提供する、いい感じのお店。横浜のサムズ・アップを少し思い出させるが、何気にヨコハマに愛着を持っている知人も横浜的なものをお店に感じると言っていたな。ところで、マルコス・スザーノは2年続けて、奥さんと日本で年越ししているよう。
Zs、EP-4 unit3
2013年1月10日 音楽 いやー、びっくり。まったくノーマークだった対象ゆえ、その驚き、手応え、感興は大きい。あわわわわ。代官山・UNIT。
Zsはブルックリンをベースとする現代ジャズ・トリオ。と、書いてしまっていいのか。一応、テナー・サックス、ギター、ドラムという単位なのだがそれぞれエフェクター/機材音やPC音なども介して抽象的な音を出し、重ねたりもする。で、現代的音像や音色、芒洋感や刺々しさなどを存分に持つ拮抗表現を、他にあまり例を出せる感じナシに鮮やかに提出する。なんでも彼ら、マンハッタン・スクール・オブ・ミュージック(4年制の老舗音楽大学)の生徒たちで組まれた〜そういえば、先日のジェイソン・モラン(2113年1月6日、他)もそこを出ているはず〜そう。構成員の年齢は30代前半? ギタリストはこぎれいだが、サックスは仙人のような髭を蓄えている。
30分ぐらいのかたまりを2本。繰り返すが、我が道を行くフレッシュきわまりない、即興演奏を聞かせてくれたなあ。彼ら、きっと旧来の流れにあるフリー・ジャズ演奏もできると推測されるが、そういうクリシェを避け、装置/機材の効用や他の音楽の動向なども掌握しつつ、大胆にして鮮やかな現代狼藉表現を提出する様にはヤラれた。おお、まだまだジャズ/インプロヴィゼーション音楽の行き方/個性の出し方はあるじゃんと実感。そのさい、その反復音/フレーズの採用は新奇さを導くおおいなる要素であると思うのだが、それも昨年暮れにぼくを感激させたニック・ベルチュ(2010年12月26日、他)の使い方より、スカしたアートな感覚からは離れ、もっと感覚が大胆で新しいと思ってしまう。
今の時代、進行形ジャズの世界において、欧州勢に比すと米国のグループは少し軽んじられるところがなくもないとぼくは思うが、彼らは間違いなく素晴らしい。もし、彼らがブッゲ・ベッセルトフト(2012年4月29日、他)のジャズランドから送り出されたら、かなりの話題を呼ぶのではないか。とはいいつつ、ぼくが聞いたCDは実演内容よりもだいぶ落ちるのだけど。ともあれ、米国人の彼らの場合、繊細さや周到さだけでなく、コイツら普段デカいステーキをわしわし食っているんだろうなと思わす、ガサツさというか骨の太さを持っているのもいい。まあ、実は彼ら、ヴェジタリアンかもしれないが、生理のカンカクとして……。
アンコールは5分強の一発もの。その際、ギター奏者が活躍したのだが、それはもろフリー・ジャズ・ギターの大家、デレク・ベイリー流儀にあるもの。笑った。やはり、おさえるべき先達の表現を通ったうえで、彼らは自分たちの道を進んでいるんだと思う。なお、この曲ではサックス奏者はサックスを吹かず、足元のエフェクターで音を出すことに終始していた。なお、彼らは2年前に来日しているようで、固定のファンもついているような感じもあった。
前座で、昨年30年ぶりにライヴを行った京都発のアヴァン・ファンク・バンドのEP-4のメンバーである、佐藤薫と(川島)BANANA UGの音響系ノイズ・ユニットであるEP-4 unit3がパフォーマンス。PCや鍵盤でプリ・セット音や手弾き音を投げ出し合う2人に加えて、ドラマーの千住宗臣(2012年3月21日、他)が生気を加味する。今様な、ときに暴力的な音響表現。明快なベース音が効き、1980年頭のマテリアル(2005年8月20日)/ビル・ラズウェル(2011年3月7日、他)表現を想起させるような曲も一つ披露されたが、ぼくは大昔、彼らの事を日本のマテリアルみたいな感じで聞いていたのを思い出した。構成員の二人がヤレてなく、何気に健やかそうで、良かった。
<今日の、わあい>
両グループともに、音はデカかったな。双方、自前の映像を背後に流していたのも同様。ところで、面白かったのは、Zsのテナー・サックス奏者は有線のマイクを朝顔に突っ込んで、音を取っていたこと。そんな乱暴、いや直接的なやり方をしている人を初めて見た。そして、MCも彼がほんわか担当していたのだが、その際は朝顔からマイクを抜いて、手に持ちながらしていた。そんなことも含め、ぼくにとってZsは本当にラヴリーきわまりないグループだった。
Zsはブルックリンをベースとする現代ジャズ・トリオ。と、書いてしまっていいのか。一応、テナー・サックス、ギター、ドラムという単位なのだがそれぞれエフェクター/機材音やPC音なども介して抽象的な音を出し、重ねたりもする。で、現代的音像や音色、芒洋感や刺々しさなどを存分に持つ拮抗表現を、他にあまり例を出せる感じナシに鮮やかに提出する。なんでも彼ら、マンハッタン・スクール・オブ・ミュージック(4年制の老舗音楽大学)の生徒たちで組まれた〜そういえば、先日のジェイソン・モラン(2113年1月6日、他)もそこを出ているはず〜そう。構成員の年齢は30代前半? ギタリストはこぎれいだが、サックスは仙人のような髭を蓄えている。
30分ぐらいのかたまりを2本。繰り返すが、我が道を行くフレッシュきわまりない、即興演奏を聞かせてくれたなあ。彼ら、きっと旧来の流れにあるフリー・ジャズ演奏もできると推測されるが、そういうクリシェを避け、装置/機材の効用や他の音楽の動向なども掌握しつつ、大胆にして鮮やかな現代狼藉表現を提出する様にはヤラれた。おお、まだまだジャズ/インプロヴィゼーション音楽の行き方/個性の出し方はあるじゃんと実感。そのさい、その反復音/フレーズの採用は新奇さを導くおおいなる要素であると思うのだが、それも昨年暮れにぼくを感激させたニック・ベルチュ(2010年12月26日、他)の使い方より、スカしたアートな感覚からは離れ、もっと感覚が大胆で新しいと思ってしまう。
今の時代、進行形ジャズの世界において、欧州勢に比すと米国のグループは少し軽んじられるところがなくもないとぼくは思うが、彼らは間違いなく素晴らしい。もし、彼らがブッゲ・ベッセルトフト(2012年4月29日、他)のジャズランドから送り出されたら、かなりの話題を呼ぶのではないか。とはいいつつ、ぼくが聞いたCDは実演内容よりもだいぶ落ちるのだけど。ともあれ、米国人の彼らの場合、繊細さや周到さだけでなく、コイツら普段デカいステーキをわしわし食っているんだろうなと思わす、ガサツさというか骨の太さを持っているのもいい。まあ、実は彼ら、ヴェジタリアンかもしれないが、生理のカンカクとして……。
アンコールは5分強の一発もの。その際、ギター奏者が活躍したのだが、それはもろフリー・ジャズ・ギターの大家、デレク・ベイリー流儀にあるもの。笑った。やはり、おさえるべき先達の表現を通ったうえで、彼らは自分たちの道を進んでいるんだと思う。なお、この曲ではサックス奏者はサックスを吹かず、足元のエフェクターで音を出すことに終始していた。なお、彼らは2年前に来日しているようで、固定のファンもついているような感じもあった。
前座で、昨年30年ぶりにライヴを行った京都発のアヴァン・ファンク・バンドのEP-4のメンバーである、佐藤薫と(川島)BANANA UGの音響系ノイズ・ユニットであるEP-4 unit3がパフォーマンス。PCや鍵盤でプリ・セット音や手弾き音を投げ出し合う2人に加えて、ドラマーの千住宗臣(2012年3月21日、他)が生気を加味する。今様な、ときに暴力的な音響表現。明快なベース音が効き、1980年頭のマテリアル(2005年8月20日)/ビル・ラズウェル(2011年3月7日、他)表現を想起させるような曲も一つ披露されたが、ぼくは大昔、彼らの事を日本のマテリアルみたいな感じで聞いていたのを思い出した。構成員の二人がヤレてなく、何気に健やかそうで、良かった。
<今日の、わあい>
両グループともに、音はデカかったな。双方、自前の映像を背後に流していたのも同様。ところで、面白かったのは、Zsのテナー・サックス奏者は有線のマイクを朝顔に突っ込んで、音を取っていたこと。そんな乱暴、いや直接的なやり方をしている人を初めて見た。そして、MCも彼がほんわか担当していたのだが、その際は朝顔からマイクを抜いて、手に持ちながらしていた。そんなことも含め、ぼくにとってZsは本当にラヴリーきわまりないグループだった。
さいたま新都心・さいたまスーパーアリーナ。2日間持たれるうちの、初日。U2(2006年12月4日)とか、レディオヘッド(2008年10月4日)とか、本当に選ばれた担い手だけができる大型室内会場で2日もやってしまう。そりゃ、人気あるとは思っていたが、こういう事実に触れる(初日は2階席正面後部、および3階席には人を入れていなかった)と、ミューズは今英国を代表する人気ロック・バンドなのだなと思わずにはいられない。
今の最たる大衆ロックの担い手という言い方もできるのかもしれないが、その大きな支持を支えているのは、聞き手の心の琴線を臆面もなくくすぐらんとする、叙情性盛り込み術のアピール度ゆえか。そして、彼らの場合、それがヘヴィなギター・ロックから電気効果音を巧みに介したモダン・ポップ路線まで、本当に幅広い行き方のなかに破綻や違和感なく差し込めるのが要点。といったような見解を、よく構成された実演に接していると、了解せずにはいられない。とともに、ちゃんと響く歌にせよ、ちょっとした演奏にせよ、主にフロント・マンのマシュー・ベラミーの能力によるが、個人力の高さもきっちり認知させられる。彼は途中でピアノの前に座り、弾き語り基調しっとり曲もきかせるが、それもばっちり決まる。うち1曲は、日本のコメディアンの鉄拳がパラパラ漫画をつけて世界的な評判をよんだ静謐センチ曲だが、その際はその漫画が映し出されて、より歓声は高くなった。
もともとライヴ・パフォーマンスには定評のあるバンドではあるが、プリセットの音もうまく用いての(でないと、音と照明や映像があんなにちゃんとシンクロできないはず)それは、まさしくプロのショウ。舞台美術の見せ方に長じるのはアリーナ級クラスのバンドとしての当然のことなのだが、最初は地味のように思えた電飾/舞台装置も徐々にあっと驚く展開を見せ、さすがと思わせ、見る者をおおいに湧かせた。基本エンターテインメント一直線で難しいアピールはなし、だからこそ聞き手に対して働きかけるパワーは大きかったとも思えた2時間弱のショウ。
<今日の、(使えない)JR>
日経新聞のライヴ評を受けていたので、遅刻厳禁とけっこう早めに着くように、家を出る。やはり慣れない土地に行くのは少し気構える。普段そっちのほうから東京にライヴに見に来ている人も沢山いるはずで、文句は言えないよなー。終演後は大勢で飲み屋に流れ、皆で帰れば怖くない? 渋谷方面には複数のJR線が使えるのだが、さいたま新都心駅や途中で乗り換えた駅(赤羽だった?)は線ごとにホーム取りしていて(つまり、同じ線の上りと下りが同じホームに入る)、実に不便。たとえば、京浜東北線と高崎線の上り方面行きを同じホームに入るようになぜしないのか? そしたら両線使える者は素直に早く来た電車に乗れるのに。と、慣れない我々は思いました。
今の最たる大衆ロックの担い手という言い方もできるのかもしれないが、その大きな支持を支えているのは、聞き手の心の琴線を臆面もなくくすぐらんとする、叙情性盛り込み術のアピール度ゆえか。そして、彼らの場合、それがヘヴィなギター・ロックから電気効果音を巧みに介したモダン・ポップ路線まで、本当に幅広い行き方のなかに破綻や違和感なく差し込めるのが要点。といったような見解を、よく構成された実演に接していると、了解せずにはいられない。とともに、ちゃんと響く歌にせよ、ちょっとした演奏にせよ、主にフロント・マンのマシュー・ベラミーの能力によるが、個人力の高さもきっちり認知させられる。彼は途中でピアノの前に座り、弾き語り基調しっとり曲もきかせるが、それもばっちり決まる。うち1曲は、日本のコメディアンの鉄拳がパラパラ漫画をつけて世界的な評判をよんだ静謐センチ曲だが、その際はその漫画が映し出されて、より歓声は高くなった。
もともとライヴ・パフォーマンスには定評のあるバンドではあるが、プリセットの音もうまく用いての(でないと、音と照明や映像があんなにちゃんとシンクロできないはず)それは、まさしくプロのショウ。舞台美術の見せ方に長じるのはアリーナ級クラスのバンドとしての当然のことなのだが、最初は地味のように思えた電飾/舞台装置も徐々にあっと驚く展開を見せ、さすがと思わせ、見る者をおおいに湧かせた。基本エンターテインメント一直線で難しいアピールはなし、だからこそ聞き手に対して働きかけるパワーは大きかったとも思えた2時間弱のショウ。
<今日の、(使えない)JR>
日経新聞のライヴ評を受けていたので、遅刻厳禁とけっこう早めに着くように、家を出る。やはり慣れない土地に行くのは少し気構える。普段そっちのほうから東京にライヴに見に来ている人も沢山いるはずで、文句は言えないよなー。終演後は大勢で飲み屋に流れ、皆で帰れば怖くない? 渋谷方面には複数のJR線が使えるのだが、さいたま新都心駅や途中で乗り換えた駅(赤羽だった?)は線ごとにホーム取りしていて(つまり、同じ線の上りと下りが同じホームに入る)、実に不便。たとえば、京浜東北線と高崎線の上り方面行きを同じホームに入るようになぜしないのか? そしたら両線使える者は素直に早く来た電車に乗れるのに。と、慣れない我々は思いました。
ロベルト・フォンセカ。坂田明+坂田学
2013年1月12日 音楽 キューバ愛(年に半分は海外に出ているものの、家を構えるのはキューバ以外考えられない、そう)をじっくり育みつつ、ジャズとヒップホップ他の今様ビート・ミュージックの間を自由に行き来する辣腕ピアニスト(2010年1月26日、他)の3年ぶりの来日公演、南青山・ブルーノート東京にて(ファースト・ショウ)。ずっと独エンヤからリーダー作を出していたフォンセカだが、仏ワールド・ヴィレッジに移籍して出した新作『ジョ』は本人も「生まれ変わった」というほどの新機軸作であり、今回はけっこう新作収録曲をやったか。
その新作のポイントはキューバン・ラテンの妙味/滋味と、西アフリカ語彙(新作では複数のマリとかの打楽器奏者や歌手を起用している)を美味しく交錯させていることであり、一方ではそれと遊離せずに今様な音質やビートを採用してもいること。2曲は英国人敏腕DJのジャイルズ・ピーターソン(2012年9月13日、他)がプロデュースしている。とかなんとか、結果、やはり彼は今のジャズ派生の現代表現を担える実力者であると深く頷かされるのだ。
ピアノやキーボードや歌の本人に加え、ギター(いなくても良かったな)、電気/アコースティック・ベース、パーカッション、ドラムの4人はキューバのミュージシャン。そして、コラや歌を担当するギニア人ミュージシャンも1人。そのセコウ・コウヤテが弾くコラはぼくがこれまで見た中で一番奇麗/アートな造型をしていると思えた。
その後、ビル立て壊しのために一時閉店するBar Issheeで、明(2012年10月3日、他)と学の坂田親子によるフリー・フォームなデュオ演奏をセカンド・ショウから見る。これが本当に同所のバー・イッシーとしては、最後の出し物。椅子や机とかはすでに搬出されていて、いつもより人は沢山入れたはずだが、出演者の良さ、場所の惜別度の強さ(ライヴ終了後、店主はお客さんから写真を撮られていた)などで、超満員。第一期バー・イッシーの幕切れを飾るいい出し物だったと思う。
本当にわかりあった丁々発止。これに触れると、本当のところはどうか分らないが、けっこう家で2人でジャムったこともあったのかと思えたりして。大昔、音楽雑誌の編集者だったころ、坂田明とジャマラディーン・タクマの対談というのをやったことあった。その際、誤植ミスしちゃったところがあって、ぼくのなかではお父さんのほうを見るといまだ申し訳ない気分になる。
坂田明は東京にでてきたころ三軒茶屋に住んでいて、最初にやったライヴが渋谷・BYGで阿部薫や高木元輝らとのライヴだったなんてMCもしたな。
<今日の、『平家物語 実況録音 映像編』>
ずうっと意欲的にいろんな活動を展開している坂田明御大だが、有名古典「平家物語」を下敷きに、彼が一人で物語を朗読や肉声やいろんな楽器音でふくらませたCD『平家物語』(ダウトミュージック)は彼のキャラクター/特殊技能全開の怪〜快作だ。あんなにサカタなる飛躍や蘊蓄が分りやすく出されたブツもそうはないのではないか。彼は2012年6月24日に新宿ピットインで、その坂田編「平家物語」をライヴ・パフォーマンスしたが、この日はちょうどそのDVD『平家物語 実況録音 映像編』(ダウトミュージック)の発売日。さっそく、店内でも販売されていて、買い求める人も少なくなかった。
その映像作、協調者を加えてのもので、パーソネルは坂田明(サックス、アルト・サックス、クラリネット、バス・クラリネット、鳴り物、ヴォーカル) 、ジム・オルーク(ギター、ヴォーカル。2010年11月17日、他)、 田中悠美子(義太夫三味線、浄瑠璃、朗読) 、石井千鶴(小鼓、締太鼓、ヴォーカリーズ)、 山本達久(ドラム、パーカッション。2012 年1月10日、他) 。アルバムで提示したものを根に置きつつ、坂田明なる素敵が有機的に飛翔し、奔放に流れ出て、消えて行く。息を飲む瞬間、大きく頷く部分、笑えるところなど、いろいろ。映像演出は高平哲郎で、場内映像にも凝り、商品にも一部美術処理が加えられ、見る者のキブンを高める。録音とミックスのクレジットはジム・オルーク。
古文嫌いだったぼくは「平家物語」のなんたるかをよく知らないが、それでもこの坂田映像版『平家物語』は日本人的心情/スタンスを不思議となでつつ、ジャズで培った感性/創造性のもと自在にソースを底上げしていると思う。その興味深い楽器編成もあり、また著名人オルークが入っていることもあり、ぼくは海外でも大々的に売ってほしいと思わずにいられないが。もともと外見が若々しくなかった坂田明(1945年生まれ)はまだ70代にはなっていないし、元気そのもの。アルトの音も叫びも張りがある。ディス・イズ・サカタ……なんか、御大の偉大な個性を痛感する昨今……。
その新作のポイントはキューバン・ラテンの妙味/滋味と、西アフリカ語彙(新作では複数のマリとかの打楽器奏者や歌手を起用している)を美味しく交錯させていることであり、一方ではそれと遊離せずに今様な音質やビートを採用してもいること。2曲は英国人敏腕DJのジャイルズ・ピーターソン(2012年9月13日、他)がプロデュースしている。とかなんとか、結果、やはり彼は今のジャズ派生の現代表現を担える実力者であると深く頷かされるのだ。
ピアノやキーボードや歌の本人に加え、ギター(いなくても良かったな)、電気/アコースティック・ベース、パーカッション、ドラムの4人はキューバのミュージシャン。そして、コラや歌を担当するギニア人ミュージシャンも1人。そのセコウ・コウヤテが弾くコラはぼくがこれまで見た中で一番奇麗/アートな造型をしていると思えた。
その後、ビル立て壊しのために一時閉店するBar Issheeで、明(2012年10月3日、他)と学の坂田親子によるフリー・フォームなデュオ演奏をセカンド・ショウから見る。これが本当に同所のバー・イッシーとしては、最後の出し物。椅子や机とかはすでに搬出されていて、いつもより人は沢山入れたはずだが、出演者の良さ、場所の惜別度の強さ(ライヴ終了後、店主はお客さんから写真を撮られていた)などで、超満員。第一期バー・イッシーの幕切れを飾るいい出し物だったと思う。
本当にわかりあった丁々発止。これに触れると、本当のところはどうか分らないが、けっこう家で2人でジャムったこともあったのかと思えたりして。大昔、音楽雑誌の編集者だったころ、坂田明とジャマラディーン・タクマの対談というのをやったことあった。その際、誤植ミスしちゃったところがあって、ぼくのなかではお父さんのほうを見るといまだ申し訳ない気分になる。
坂田明は東京にでてきたころ三軒茶屋に住んでいて、最初にやったライヴが渋谷・BYGで阿部薫や高木元輝らとのライヴだったなんてMCもしたな。
<今日の、『平家物語 実況録音 映像編』>
ずうっと意欲的にいろんな活動を展開している坂田明御大だが、有名古典「平家物語」を下敷きに、彼が一人で物語を朗読や肉声やいろんな楽器音でふくらませたCD『平家物語』(ダウトミュージック)は彼のキャラクター/特殊技能全開の怪〜快作だ。あんなにサカタなる飛躍や蘊蓄が分りやすく出されたブツもそうはないのではないか。彼は2012年6月24日に新宿ピットインで、その坂田編「平家物語」をライヴ・パフォーマンスしたが、この日はちょうどそのDVD『平家物語 実況録音 映像編』(ダウトミュージック)の発売日。さっそく、店内でも販売されていて、買い求める人も少なくなかった。
その映像作、協調者を加えてのもので、パーソネルは坂田明(サックス、アルト・サックス、クラリネット、バス・クラリネット、鳴り物、ヴォーカル) 、ジム・オルーク(ギター、ヴォーカル。2010年11月17日、他)、 田中悠美子(義太夫三味線、浄瑠璃、朗読) 、石井千鶴(小鼓、締太鼓、ヴォーカリーズ)、 山本達久(ドラム、パーカッション。2012 年1月10日、他) 。アルバムで提示したものを根に置きつつ、坂田明なる素敵が有機的に飛翔し、奔放に流れ出て、消えて行く。息を飲む瞬間、大きく頷く部分、笑えるところなど、いろいろ。映像演出は高平哲郎で、場内映像にも凝り、商品にも一部美術処理が加えられ、見る者のキブンを高める。録音とミックスのクレジットはジム・オルーク。
古文嫌いだったぼくは「平家物語」のなんたるかをよく知らないが、それでもこの坂田映像版『平家物語』は日本人的心情/スタンスを不思議となでつつ、ジャズで培った感性/創造性のもと自在にソースを底上げしていると思う。その興味深い楽器編成もあり、また著名人オルークが入っていることもあり、ぼくは海外でも大々的に売ってほしいと思わずにいられないが。もともと外見が若々しくなかった坂田明(1945年生まれ)はまだ70代にはなっていないし、元気そのもの。アルトの音も叫びも張りがある。ディス・イズ・サカタ……なんか、御大の偉大な個性を痛感する昨今……。
リーは1970年末にエリック・クラプトン(2006年11月20日)・バンドに入って、名前を広く知られるようになった英国人ギタリスト。1970年代中頃からLAを拠点としてジャクソン・ブラウン(2003年5月2日)やエミールー・ハリス他のレコーディングに関与、クラプトン・バンド入り(数年間、在籍)と前後してA&Mとソロ契約を獲得し、以後ソロ活動を行っている人物だ。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。
1943年生まれと言うから、今年で70歳。おお、白髪長髪の彼は年齢よりは若く見える。身体もスリムさを保っているし。すべての曲でリード・ヴォーカルを取るが、それも通る声で歌い、コクはないものの若々しい。サポートはキーボード、ベース、ドラム、みんな結構な年齢で、普段から一緒にやっている人だろうか。取り上げる曲は多くが他人曲。ロカビリー、カントリーとロックが重なったような曲をさらりと披露。なお、彼はすべて1本のギターで通し、一度もチューニングはしなかった。ジェフ・ベック(2009年2月6日)にしても、ジム・カロビロンゴ(2012年11月8日、他)もそうだったが、名手はギターなぞ無駄に換えないものなのダ。また、終盤にはキーボードを弾きながら、少女趣味と形容したくなる曲を歌ったりもした。
ショウの最中、ぞんぶんに伝わってきたのはいい人そう、ということ。彼は本当にうれしそうに演奏していたが、それも若く見える要因だと思う。ショウが終わった後はすぐに出て来て、ファン接待に勤めていました。
<今日の、山盛り>
ライヴ終了後、毎度のことだが、知人と流れる。いやあ、話が弾んで、おおいに飲み、食べ、店をルンルンはしごする。怒濤、楽しくてしょうがねえ。
1943年生まれと言うから、今年で70歳。おお、白髪長髪の彼は年齢よりは若く見える。身体もスリムさを保っているし。すべての曲でリード・ヴォーカルを取るが、それも通る声で歌い、コクはないものの若々しい。サポートはキーボード、ベース、ドラム、みんな結構な年齢で、普段から一緒にやっている人だろうか。取り上げる曲は多くが他人曲。ロカビリー、カントリーとロックが重なったような曲をさらりと披露。なお、彼はすべて1本のギターで通し、一度もチューニングはしなかった。ジェフ・ベック(2009年2月6日)にしても、ジム・カロビロンゴ(2012年11月8日、他)もそうだったが、名手はギターなぞ無駄に換えないものなのダ。また、終盤にはキーボードを弾きながら、少女趣味と形容したくなる曲を歌ったりもした。
ショウの最中、ぞんぶんに伝わってきたのはいい人そう、ということ。彼は本当にうれしそうに演奏していたが、それも若く見える要因だと思う。ショウが終わった後はすぐに出て来て、ファン接待に勤めていました。
<今日の、山盛り>
ライヴ終了後、毎度のことだが、知人と流れる。いやあ、話が弾んで、おおいに飲み、食べ、店をルンルンはしごする。怒濤、楽しくてしょうがねえ。
ロビン・ガスリー・トリオ。ストレンディッド・ホース
2013年1月16日 音楽 ガスリーは1980年アタマから90年代前半にかけて陰影と耽美性に富んだUK浮遊ロックを送り出したコクトー・ツインズのギタリスト。すぐに、4ADというレーベル名を思い出す人もいるだろう。21世紀に入ると我が道を行く響きに留意したインストのリーダー作をいろいろ出しており(ハロルド・バッドや元ウルトラボックスのジョン・フォックスとの共演作も)、それはまさにアンビエント・ミュージック傾向にあるようだ。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。足元にはエフェクターや機材がずらり。横に置かれたテーブルには、小さなノート・パソコンも配置。ながら、それを彼はをわざわざマウスを用いて操作していた(笑い)。それらを介し、いろいろとギター音を加工したり重ねたりしながら漂う音の流れを作り出し、ベースとドラマーはそれに寄り添う。ドラマーはシンプルなセットを用いているのに、クリス・デイヴ(2012年9月21日、他)が使っていた、リンゴの皮をむいたようなむシンバルを並べる。それ、鋲打ちのシンバルのような音がするのだな。
ガスリーの風貌や体格はまったく昔とは別人。あまりに違いすぎて、これはきっと本人に違いないと逆に思うしかないような域。で、エフェクター経由のもう一つのギター表現を家に日々こもって研鑽しまくった末の風貌とも思わせられる? 全曲、悟り(?)と隣り合わせの、淡々なパフォーマンス。アンビエント的とはいえ、けっこうセンチ&下世話なコード進行を持つものも披露し、ぼくにはニュー・エイジ・ミュージックと言われたほうがしっくり来るものもあった。1曲はピンク・フロイドの「ブリース(イン・ザ・エアー)」(『ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン』収録)の一節を思わせるインスト曲だった。
そして、飯田橋・日仏学院のラ・ブラッセリーで、フランスのシンガー・ソングライターのストレンディッド・ホースのソロ・パフォーマンスを見る。こちらも風情としては、淡々。妙にオイラはおいらだもネというノリをふわっと出す人。まだ、20代なのかな。
外見は、優男ふう。前髪で、両目の5分の3は隠れている(笑い)。それはシャイっぽい風情を見る者に与えるが、柔らかい歌い方ながらけっこう歌声には芯があり、押し出し感は意外にある。とともに、それはまっとうなシンガー・ソングライターという感想も引き出す。と、その所感は女々しい歌声に録られているCDとの比較から生まれるものでもあるが。そして、おもしろいというか、大きな個性であるのは、アコースティック・ギターを弾きながら歌うとともに、彼はコラの弾き語りもすること。変なヤツ。コラは自作のものを2本持参、なんでも彼はけっこうアフリカにも行ったりしているのだそう。そこらへんはフランス人ぽいな。英語で歌っていたけど。
<今日の、残り雪>
祭日であったこの月曜にけっこう降雪し、都内はパニック気味。←安息日にしといて、本当に良かったア。3月に降ることはあるが、東京の1月のまとまった降雪は1998年いらいじゃないかな。で、まだまだ随所に雪は残っている。歩くのに、少し注意を要する。こりゃ、とうぶん残るんだろうな。駅に行く途中、それなりに大きめな雪だるまがあって、ニッコリ。日仏学院の前はかなりの傾斜の坂道、大変だったろうな。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。足元にはエフェクターや機材がずらり。横に置かれたテーブルには、小さなノート・パソコンも配置。ながら、それを彼はをわざわざマウスを用いて操作していた(笑い)。それらを介し、いろいろとギター音を加工したり重ねたりしながら漂う音の流れを作り出し、ベースとドラマーはそれに寄り添う。ドラマーはシンプルなセットを用いているのに、クリス・デイヴ(2012年9月21日、他)が使っていた、リンゴの皮をむいたようなむシンバルを並べる。それ、鋲打ちのシンバルのような音がするのだな。
ガスリーの風貌や体格はまったく昔とは別人。あまりに違いすぎて、これはきっと本人に違いないと逆に思うしかないような域。で、エフェクター経由のもう一つのギター表現を家に日々こもって研鑽しまくった末の風貌とも思わせられる? 全曲、悟り(?)と隣り合わせの、淡々なパフォーマンス。アンビエント的とはいえ、けっこうセンチ&下世話なコード進行を持つものも披露し、ぼくにはニュー・エイジ・ミュージックと言われたほうがしっくり来るものもあった。1曲はピンク・フロイドの「ブリース(イン・ザ・エアー)」(『ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン』収録)の一節を思わせるインスト曲だった。
そして、飯田橋・日仏学院のラ・ブラッセリーで、フランスのシンガー・ソングライターのストレンディッド・ホースのソロ・パフォーマンスを見る。こちらも風情としては、淡々。妙にオイラはおいらだもネというノリをふわっと出す人。まだ、20代なのかな。
外見は、優男ふう。前髪で、両目の5分の3は隠れている(笑い)。それはシャイっぽい風情を見る者に与えるが、柔らかい歌い方ながらけっこう歌声には芯があり、押し出し感は意外にある。とともに、それはまっとうなシンガー・ソングライターという感想も引き出す。と、その所感は女々しい歌声に録られているCDとの比較から生まれるものでもあるが。そして、おもしろいというか、大きな個性であるのは、アコースティック・ギターを弾きながら歌うとともに、彼はコラの弾き語りもすること。変なヤツ。コラは自作のものを2本持参、なんでも彼はけっこうアフリカにも行ったりしているのだそう。そこらへんはフランス人ぽいな。英語で歌っていたけど。
<今日の、残り雪>
祭日であったこの月曜にけっこう降雪し、都内はパニック気味。←安息日にしといて、本当に良かったア。3月に降ることはあるが、東京の1月のまとまった降雪は1998年いらいじゃないかな。で、まだまだ随所に雪は残っている。歩くのに、少し注意を要する。こりゃ、とうぶん残るんだろうな。駅に行く途中、それなりに大きめな雪だるまがあって、ニッコリ。日仏学院の前はかなりの傾斜の坂道、大変だったろうな。
ザ・ヴァクシーンズ。ザ・ニュー・マスター・サウンズ
2013年1月17日 音楽 渋谷であった英国の4人組バンドの公演を2つ、はしご。
まず、AXで順調に評価をのばしているロック・バンドのザ・ヴァクシーンズを見る。見てくれも垢抜けて堂々とし、音もデカく押し出しが強くなり……。初来日時(2012年2月15日)と比べると、いろんな部分で成長しているなと思わずにはいられず。で、今回のショウに接して聞いて思ったのは、なんか彼らはブルース・スプリングスティーンみたいな垢抜けない曲をやるなあ。。。。スプリングスティーンにまったく興味が持てないぼくの脳内イメージに従っての感想ですが。まあ、一言で言えば、どこかに英国的襞を持つ歌謡ロックを、愚直と言いたくノリもちらせかつつ披露していた。1時間弱の本編を見て、場所を移動する。
クラブクアトロのほうは、白人ファンク・インスト・バンドのザ・ニュー・マスター・サウンズ(2010年1月23日、他)。ザ・ミーターズの影響が強い表現を聞かせるのは変わらずだが、あれれリーダーのエディ・ロバーツってリーゼントだったっけ? でもって、ベーシストって黒人だったっけ? その長身髭面のベーシストはなかなかに格好よく、槍が降ろうが何しようが黙々と弾いているんじゃないかと思わせる佇まいがな〜かなか。前回、ゲスト同行していた中年のリード奏者がおらず、それは視覚面にはおおいにプラスをもたらす。あと、彼らって扇情性を獲得するためにオルガンの音色はかなりキンキンしたものを採用しているのだな。
前回は2部制でライヴがもたれ終演は22時を回っていたはずで、それが頭にあったのでハシゴすることを決めたのだが、今回は2時間ぐらいの1ショウにてのパフォーマンス。それゆえ、ぼくは後半しか見ることができなかったが、まあその気安くも確かな訴求力は変わっていないように思えた。アンコールでやったレゲエ曲も良かった。もし彼らが米国で活動していたなら、ジャム・バンド・ミュージックのムーヴメントがイケイケだったころなら結構な人気バンドにもなったんじゃないかとも、今回見ていてほんわか思ったかな。彼ら、来月は米国ツアーをすることになっていて、ニューオーリンズのティピティナズ(2007年2月2日、2007年2月4日、参照)にも出演。それ、ザ・ファンキー・ミーターズ(2009年7月25日)と一緒の出し物のよう。
<今日の、公園通り>
両会場とも満員という感じではなかったが、反応はそれぞれにかなり熱かったナ。とともに、アーティストと観客側の気持ちの疎通がなりたっていたような。AXに行くには公園通りを使うが、久しぶりに歩いて、かつての目抜き通りもけっこう寂れていると思わずにはいられず。人通りが少なく、店の並びも地味。そういえば30年強前、今の公園通りにあるアップルストア渋谷店の2、3軒先にディスクユニオンの渋谷店があった。ロックやファンクやブルースの新譜は別のお店で購入していたが、フリー・ジャズ欧州盤と中古盤購入については同店に本当にお世話になりました。
まず、AXで順調に評価をのばしているロック・バンドのザ・ヴァクシーンズを見る。見てくれも垢抜けて堂々とし、音もデカく押し出しが強くなり……。初来日時(2012年2月15日)と比べると、いろんな部分で成長しているなと思わずにはいられず。で、今回のショウに接して聞いて思ったのは、なんか彼らはブルース・スプリングスティーンみたいな垢抜けない曲をやるなあ。。。。スプリングスティーンにまったく興味が持てないぼくの脳内イメージに従っての感想ですが。まあ、一言で言えば、どこかに英国的襞を持つ歌謡ロックを、愚直と言いたくノリもちらせかつつ披露していた。1時間弱の本編を見て、場所を移動する。
クラブクアトロのほうは、白人ファンク・インスト・バンドのザ・ニュー・マスター・サウンズ(2010年1月23日、他)。ザ・ミーターズの影響が強い表現を聞かせるのは変わらずだが、あれれリーダーのエディ・ロバーツってリーゼントだったっけ? でもって、ベーシストって黒人だったっけ? その長身髭面のベーシストはなかなかに格好よく、槍が降ろうが何しようが黙々と弾いているんじゃないかと思わせる佇まいがな〜かなか。前回、ゲスト同行していた中年のリード奏者がおらず、それは視覚面にはおおいにプラスをもたらす。あと、彼らって扇情性を獲得するためにオルガンの音色はかなりキンキンしたものを採用しているのだな。
前回は2部制でライヴがもたれ終演は22時を回っていたはずで、それが頭にあったのでハシゴすることを決めたのだが、今回は2時間ぐらいの1ショウにてのパフォーマンス。それゆえ、ぼくは後半しか見ることができなかったが、まあその気安くも確かな訴求力は変わっていないように思えた。アンコールでやったレゲエ曲も良かった。もし彼らが米国で活動していたなら、ジャム・バンド・ミュージックのムーヴメントがイケイケだったころなら結構な人気バンドにもなったんじゃないかとも、今回見ていてほんわか思ったかな。彼ら、来月は米国ツアーをすることになっていて、ニューオーリンズのティピティナズ(2007年2月2日、2007年2月4日、参照)にも出演。それ、ザ・ファンキー・ミーターズ(2009年7月25日)と一緒の出し物のよう。
<今日の、公園通り>
両会場とも満員という感じではなかったが、反応はそれぞれにかなり熱かったナ。とともに、アーティストと観客側の気持ちの疎通がなりたっていたような。AXに行くには公園通りを使うが、久しぶりに歩いて、かつての目抜き通りもけっこう寂れていると思わずにはいられず。人通りが少なく、店の並びも地味。そういえば30年強前、今の公園通りにあるアップルストア渋谷店の2、3軒先にディスクユニオンの渋谷店があった。ロックやファンクやブルースの新譜は別のお店で購入していたが、フリー・ジャズ欧州盤と中古盤購入については同店に本当にお世話になりました。
米国中西部のオハイオ州とミシガン州をベースとする、新旧(と書いていいかな)R&Bの担い手のショウをはしご。
まず、米国黒人音楽の積み上げられてきた滋味を山ほど持つ大娯楽ファンク集団、ザップ(2010年2月11日、2011年4月24日)を見る。彼らがいかに素晴らしく、起爆力と楽しさにあふれているかというのは過去の2度の公演記録を見ていただくとして、今回も“鉄板”のパフォーマンスを繰り広げた。イエイ。ただし今回は、過去のショウに同行していた元エレクトラ契約喉自慢歌手のシャーリー・マードックは同行せずに、ザップのみで実演。でもって、今回は6人とバンドの人数が少なくなっていたのだが、ぼくはなんら問題なく、楽しんだな。絶え間ない楽器の持ち替え、七変化的な格好とフリの数々、なんとも勘所をついたヴォコーダー使用も含め、もう彼らならではのめくるめく魅力はこれでもかと届けられたもの。うぬ、多少R&Bとつながった賑やかしなバンドをやっている人はザップのショウを必見であると思う。なぜか、今回50分とステージの時間は短め。でも、起伏に富んだ、生理的にカラフルな、あまりに周到で、正のヴェクトルを持つライヴに過剰な短さを感じる人はあまりいなかったのではないか。そりゃ、彼らのようなグループは短いよりは長くやったほうがいいけど。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。
もう一つは、デトロイト・ベースの自作派メロウ派R&B歌手のケム。こちらは、南青山・ブルーノート東京。洒脱で、でもちゃんと美味しい黒さも持つ、今様洗練ソウルを存分に表出できる担い手であり、その見解をなんら裏切らないパフォーマンスを見せる。キーボード、ギター、ベース(縦も一部弾いた彼がバンド・リーダーを勤めているよう)、ドラムというバンドも整っていて、ショウとしての完成度は高い。ケムを含めそれぞれ思い思いにスーツを着用、それも出し物の音楽的内容と合う。ケムは円満で紳士的な雰囲気を持つ人だが、2003年以降モータウンから音楽を送り出す前は、ホームレスで薬中毒であった人物。が、ステージ上の彼をただ見るぶんにはそんなこと全然分らない。そういえば、ヤク中&ホームレスを経験しているR&Bシンガーというと故ハワード・テイト(2003年12月13日)のことが思い出されますね。なお、2曲では、ケムはピアノを弾きながら歌う。アンコールは西海岸の弛緩ブルースの大家チャールズ・ブラウンで一番知られる「メリー・クリスマス・ベイビー」をしっとり&スウィートに。なんで年明けにクリマス・ソングをやるのかと思ったら、彼の2012年新作はクリスマス・アルバムで、そこにもこの曲は収められているんだよな。1969年ナッシュビル生まれだからもう40歳を過ぎているが、見た目はもう少し若く見えた。彼ら、90分ぐらいやりました。
<今日の、扁桃腺>
えーん。昨日から扁桃腺が腫れ気味。当然、少し体温も上がっていると思われる。肩だるい。ながら、できるだけ平常心(薬も飲まず、とうぜん医者にもいかず)で仕事をし、夜は遊ぶ。
まず、米国黒人音楽の積み上げられてきた滋味を山ほど持つ大娯楽ファンク集団、ザップ(2010年2月11日、2011年4月24日)を見る。彼らがいかに素晴らしく、起爆力と楽しさにあふれているかというのは過去の2度の公演記録を見ていただくとして、今回も“鉄板”のパフォーマンスを繰り広げた。イエイ。ただし今回は、過去のショウに同行していた元エレクトラ契約喉自慢歌手のシャーリー・マードックは同行せずに、ザップのみで実演。でもって、今回は6人とバンドの人数が少なくなっていたのだが、ぼくはなんら問題なく、楽しんだな。絶え間ない楽器の持ち替え、七変化的な格好とフリの数々、なんとも勘所をついたヴォコーダー使用も含め、もう彼らならではのめくるめく魅力はこれでもかと届けられたもの。うぬ、多少R&Bとつながった賑やかしなバンドをやっている人はザップのショウを必見であると思う。なぜか、今回50分とステージの時間は短め。でも、起伏に富んだ、生理的にカラフルな、あまりに周到で、正のヴェクトルを持つライヴに過剰な短さを感じる人はあまりいなかったのではないか。そりゃ、彼らのようなグループは短いよりは長くやったほうがいいけど。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。
もう一つは、デトロイト・ベースの自作派メロウ派R&B歌手のケム。こちらは、南青山・ブルーノート東京。洒脱で、でもちゃんと美味しい黒さも持つ、今様洗練ソウルを存分に表出できる担い手であり、その見解をなんら裏切らないパフォーマンスを見せる。キーボード、ギター、ベース(縦も一部弾いた彼がバンド・リーダーを勤めているよう)、ドラムというバンドも整っていて、ショウとしての完成度は高い。ケムを含めそれぞれ思い思いにスーツを着用、それも出し物の音楽的内容と合う。ケムは円満で紳士的な雰囲気を持つ人だが、2003年以降モータウンから音楽を送り出す前は、ホームレスで薬中毒であった人物。が、ステージ上の彼をただ見るぶんにはそんなこと全然分らない。そういえば、ヤク中&ホームレスを経験しているR&Bシンガーというと故ハワード・テイト(2003年12月13日)のことが思い出されますね。なお、2曲では、ケムはピアノを弾きながら歌う。アンコールは西海岸の弛緩ブルースの大家チャールズ・ブラウンで一番知られる「メリー・クリスマス・ベイビー」をしっとり&スウィートに。なんで年明けにクリマス・ソングをやるのかと思ったら、彼の2012年新作はクリスマス・アルバムで、そこにもこの曲は収められているんだよな。1969年ナッシュビル生まれだからもう40歳を過ぎているが、見た目はもう少し若く見えた。彼ら、90分ぐらいやりました。
<今日の、扁桃腺>
えーん。昨日から扁桃腺が腫れ気味。当然、少し体温も上がっていると思われる。肩だるい。ながら、できるだけ平常心(薬も飲まず、とうぜん医者にもいかず)で仕事をし、夜は遊ぶ。
セイント・エティエンヌ
2013年1月22日 音楽 英国の“渋谷系”ポップのユニット、18年ぶりの来日公演とか。へんな手のフリをつけながら歌う中央に立つサラ・クラックネルに加え、鍵盤や音出し担当の後に地味に立つ2人の男性陣。3人ともオリジナル・メンバーで、クラックネル嬢が産休したときはあったものの、これまで解散はしていないのだとか。クラックネルはそんなに容色おとろえず、そしてバッキング・コーラス(一部、ピアニカや鳴り物も)の女性は1990年代から彼女たちやザ・ポーグスのレコーディングに参加しているようだが、あまりうまくなかった。
でも、うまさで売る人たちではないし、あまり気にならず。ちょっとしたところから、愛らしさや趣味の良さを出し、聞き手をふふふとさせるユニットでしょう? それもまた、ポップ・ミュージックのあり方と言えるし、実際お客さんは皆幸せそうだった。なお、熱心なファンによれば、旧曲のトラックも少しリファインされているらしい。なるほど、彼女たち、ほんわかした音楽性を持っているのに、意外なくらい四つ打ちのビートを採用する曲が多いと再認識した。MCによればニール・ヤングのカヴァーもやったようだが、ぜんぜん分らなかった。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。
<今日の、映像>
ステージ背後には、いろんなところから引っ張ってきたレトロでポップでどこかミステリアスな映像が流される。松田聖子が出てくるウォークマンのTV-CF映像とか、古い「セサミ・ストリート」の映像とか、どれも許諾は得ていないんじゃないかと思わせる。昔のヒット・チャートを伝えるTV映像も流されたが、1960年代にヒットを出したレゲエ歌手のデスモンド・デッカー(ボブ・マーリーとは刎頸の友)とザ・セックス・ピストルズが一緒にそこに入っていて、それは英国のそれらしいと頷く。
でも、うまさで売る人たちではないし、あまり気にならず。ちょっとしたところから、愛らしさや趣味の良さを出し、聞き手をふふふとさせるユニットでしょう? それもまた、ポップ・ミュージックのあり方と言えるし、実際お客さんは皆幸せそうだった。なお、熱心なファンによれば、旧曲のトラックも少しリファインされているらしい。なるほど、彼女たち、ほんわかした音楽性を持っているのに、意外なくらい四つ打ちのビートを採用する曲が多いと再認識した。MCによればニール・ヤングのカヴァーもやったようだが、ぜんぜん分らなかった。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。
<今日の、映像>
ステージ背後には、いろんなところから引っ張ってきたレトロでポップでどこかミステリアスな映像が流される。松田聖子が出てくるウォークマンのTV-CF映像とか、古い「セサミ・ストリート」の映像とか、どれも許諾は得ていないんじゃないかと思わせる。昔のヒット・チャートを伝えるTV映像も流されたが、1960年代にヒットを出したレゲエ歌手のデスモンド・デッカー(ボブ・マーリーとは刎頸の友)とザ・セックス・ピストルズが一緒にそこに入っていて、それは英国のそれらしいと頷く。
オブ・モンスターズ・アンド・メン。ジョン・セカダ
2013年1月24日 音楽 まず見たのは、アイスランドのアークティック・モンキーズなんても言われ方もされるオブ・モンスターズ・アンド・メン。昨年発表したデビュー作が今年に入って米国でも総合チャートのトップ10入りしたりして、注目の新進ロック・バンドと言えるのか。この後、シンガポールのフェスや豪州を回った後に入っている欧州のギグの多くはチケットが売り切れているようだ。原宿・アストロホール。すごく久しぶりに行ったが、ちょい内装に手が入れられて、少し大きくなった?
アーティスト写真は6人で写っていたりもするが、この日のステージには7人であがる。男性4人、女性3人。トランペットとアコーディオンを兼ねる奏者がいることが示すように、素朴さや妙な手作り感覚をうまく介するバンド(一方で、2人いる鍵盤奏者がほんのり現代的な響きを付けたりもする)で、和気あいあいとしたなかから、音楽をする歓びや明快な歌心をナチュラルに開いていくタイプの人たち。まあ小さな会場なのでとても混んでいたが、これは受けて当然とも思わせられる。人懐こさも随所でこぼれる彼ら、客扱いや気持ちの出し方も巧みで、かなり熱烈な反応を受けていた。あと、若者受けも中年受けもしそう、とも、思った。
それから、ジョン・セダカが出る、南青山・ブルーノート(セカンド・ショウ)に移動。
ところで、グラディス・ナイト&スティーヴィ・ワンダー、リンダ・ロンシュタット、ルイス・ミゲール、アントニオ・アルロス・ジョビン、クリッシー・ハインド、ウィリー・ネルソン、ニール・ダイアモンド……。この大物リストはフランク・シナトラの『デュエットⅡ』(キャピトル、1994)に参加していたミュージシャンたち。そして、ジョン・セカダも同作でシナトラ御大とデュエットしていたシンガーだ。1962年キューバ生まれ〜米国育ちで、キューバ生まれ/マイアミ大学卒という同じ経歴を持つグロリア・アステファン(ザ・マイアミ・サウンド・マシーン)のバック・コーラスや楽曲提供などを経て、1990年代頭にソロ・デビューした。そしたら、すぐにヒットをとばし、グラミー賞を2度も受賞するなど、スター街道を歩んで来た人……。
なんて、知ったかぶりして書いているが、ぼくはセカダのことを一度も意識して聞いたことがないし、ラテン・ルーツの米国の人気歌手という漠然としたイメージしかもっていなかった。だから、来日するという情報を得ても、無理して見に行く感じではないよなあいう気持ちでいた。が、この日は原宿でオブ・モンスターズ・アンド・メンを張り切って見る。なら、ブルーノートにも足を伸ばして、普段は接する機会があまりないラテン・ポップ担い手の佇まいやマナーに触れるのも良いだろうとなり、急遽見に行く事にした次第。そしたら、彼、今はラテン・ポップの人じゃないのよね〜。びっくりした。が、その後はかなり頭を縦にふった。
ピアノ、ギター、縦と電気両刀のベース、ドラムというバンド(見た目は白人2人、リズム・セクションの2人はアフリカ系。後者は、アンプ・フィドラーとクエストラヴを想起させる外見で、ぼくはうれしくなった)はちゃんとジャズができる人たち。で、彼はけっこうジャジーなノリ、ジャズとつながったエンターテイナーのノリを前面にだして、悠々とショウを展開して行く。「ボディ&ソウル」や「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」などジャズ系のスタンダードがはまりまくりの。知らない曲もいろいろと歌い、それは彼の持ち歌だったりするのかもしれないが、それもラテン的なアクセントはなしに、ジャジーかつしっとりアダルトに開かれる。先に触れた、シナトラとのデュエット曲「ザ・ベスト・イズ・イエット・トゥ・カム」(サイ・コールマン他作の1959年曲で、シナトラが1964年にとりあげて有名曲とした)は最初プリセットのオリジナル・ヴァージョンを流し、途中から滑らかにセカダとバンドのパフォーマンスに移行した。
さすが、10代前から米国居住しているだけあって、MCはポライトな英語で、スペイン語曲もなし。それについてはほんの少し残念に思わなくもなかったが、シナトラやトニー・ベネットをもう少しポップにしたようなとも説明したくなる決まったエンターテイニングなパフォーマンスは非のうちどころなし。歌うまい、仕草もこれって感じィ。こういうのに日本で触れられるのは貴重だし、自分はアメリカの偉大なアダルト娯楽表現の一パターンをどっぷり楽しんでいるのだと思わずにはいられず。もう、これは個人の音楽的趣味を通り越して、大多数は正の所感を得るのではないのかと思った。お金のとれる、成熟した音楽ショウでした。
<今日の認知>
昼近く(実は今日は5時起きで、パカパカ原稿を打っていた)、日差し穏やか、なんか温か目なので、気分転換&食事外出もかねて散歩。で、”マレーシア”とぼくは無意識に表記するだろう同大使館の横を通ったら、<マレイシア大使館>と表記されていて驚いた。日本語表記は、音引き使うことが多いもの。。。
アーティスト写真は6人で写っていたりもするが、この日のステージには7人であがる。男性4人、女性3人。トランペットとアコーディオンを兼ねる奏者がいることが示すように、素朴さや妙な手作り感覚をうまく介するバンド(一方で、2人いる鍵盤奏者がほんのり現代的な響きを付けたりもする)で、和気あいあいとしたなかから、音楽をする歓びや明快な歌心をナチュラルに開いていくタイプの人たち。まあ小さな会場なのでとても混んでいたが、これは受けて当然とも思わせられる。人懐こさも随所でこぼれる彼ら、客扱いや気持ちの出し方も巧みで、かなり熱烈な反応を受けていた。あと、若者受けも中年受けもしそう、とも、思った。
それから、ジョン・セダカが出る、南青山・ブルーノート(セカンド・ショウ)に移動。
ところで、グラディス・ナイト&スティーヴィ・ワンダー、リンダ・ロンシュタット、ルイス・ミゲール、アントニオ・アルロス・ジョビン、クリッシー・ハインド、ウィリー・ネルソン、ニール・ダイアモンド……。この大物リストはフランク・シナトラの『デュエットⅡ』(キャピトル、1994)に参加していたミュージシャンたち。そして、ジョン・セカダも同作でシナトラ御大とデュエットしていたシンガーだ。1962年キューバ生まれ〜米国育ちで、キューバ生まれ/マイアミ大学卒という同じ経歴を持つグロリア・アステファン(ザ・マイアミ・サウンド・マシーン)のバック・コーラスや楽曲提供などを経て、1990年代頭にソロ・デビューした。そしたら、すぐにヒットをとばし、グラミー賞を2度も受賞するなど、スター街道を歩んで来た人……。
なんて、知ったかぶりして書いているが、ぼくはセカダのことを一度も意識して聞いたことがないし、ラテン・ルーツの米国の人気歌手という漠然としたイメージしかもっていなかった。だから、来日するという情報を得ても、無理して見に行く感じではないよなあいう気持ちでいた。が、この日は原宿でオブ・モンスターズ・アンド・メンを張り切って見る。なら、ブルーノートにも足を伸ばして、普段は接する機会があまりないラテン・ポップ担い手の佇まいやマナーに触れるのも良いだろうとなり、急遽見に行く事にした次第。そしたら、彼、今はラテン・ポップの人じゃないのよね〜。びっくりした。が、その後はかなり頭を縦にふった。
ピアノ、ギター、縦と電気両刀のベース、ドラムというバンド(見た目は白人2人、リズム・セクションの2人はアフリカ系。後者は、アンプ・フィドラーとクエストラヴを想起させる外見で、ぼくはうれしくなった)はちゃんとジャズができる人たち。で、彼はけっこうジャジーなノリ、ジャズとつながったエンターテイナーのノリを前面にだして、悠々とショウを展開して行く。「ボディ&ソウル」や「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」などジャズ系のスタンダードがはまりまくりの。知らない曲もいろいろと歌い、それは彼の持ち歌だったりするのかもしれないが、それもラテン的なアクセントはなしに、ジャジーかつしっとりアダルトに開かれる。先に触れた、シナトラとのデュエット曲「ザ・ベスト・イズ・イエット・トゥ・カム」(サイ・コールマン他作の1959年曲で、シナトラが1964年にとりあげて有名曲とした)は最初プリセットのオリジナル・ヴァージョンを流し、途中から滑らかにセカダとバンドのパフォーマンスに移行した。
さすが、10代前から米国居住しているだけあって、MCはポライトな英語で、スペイン語曲もなし。それについてはほんの少し残念に思わなくもなかったが、シナトラやトニー・ベネットをもう少しポップにしたようなとも説明したくなる決まったエンターテイニングなパフォーマンスは非のうちどころなし。歌うまい、仕草もこれって感じィ。こういうのに日本で触れられるのは貴重だし、自分はアメリカの偉大なアダルト娯楽表現の一パターンをどっぷり楽しんでいるのだと思わずにはいられず。もう、これは個人の音楽的趣味を通り越して、大多数は正の所感を得るのではないのかと思った。お金のとれる、成熟した音楽ショウでした。
<今日の認知>
昼近く(実は今日は5時起きで、パカパカ原稿を打っていた)、日差し穏やか、なんか温か目なので、気分転換&食事外出もかねて散歩。で、”マレーシア”とぼくは無意識に表記するだろう同大使館の横を通ったら、<マレイシア大使館>と表記されていて驚いた。日本語表記は、音引き使うことが多いもの。。。
ロバート・グラスパー・エクスペリメント・フィーチャリング・レイラ・ハサウェイ
2013年1月25日 音楽 同じ高校同窓生のビヨンセ(2001年6月25日、2006年9月4日)は2年下なんだと言っていたことがるので、1979年ぐらいの生まれとなる現代ジャズ・ピアニスト(2007年10月3日、2009年4月13日、2009年12月19日、2010年12月16日、2012年6月12日)の4人組ワーキング・グループの公演は毎度の面々によるもの。で、昨年新作『ブラック・レディオ』(ブルーノート)はいろんな歌手をフィーチャーしての、<ジャズを知っている私の現代ブラック・ポップ作>と言うべき仕上がりだったわけだが、今回のショウはそこにも入っていたレイラ・ハサウェイ(2002年5月 13日、2004年5月10日、2008年5月13日、2010年7月13日、2012年1月5日)を伴ってのもの。
とはいえ、最初の40分強はヴォーコーダーやエフェクター経由のアルト・サックスを駆使するケイシー・ベンジャミン(そう言えば、今回はお得意のショルダー・キーボードは持たず。手元ではちまちま小さい装置を扱っていたものの)をフィーチャーする毎度のスタイル。そして、その後の30分はハサウェイ(今回、眼鏡をしてステージに出て来た)が出てくるものの、全面的にフィーチャーされるということはなく、やはりベンジャミンが主体になる曲があったりして、彼女は1曲づつリード・ヴォーカルとベンジャミン主体曲でスキャットをとった。もったいねえ、もう少し歌わせても良かったのではないか。かつて、ミント・コンディション(2006年6月25日、2008年7月26日、2009年7月10日)のストークリーをフィーチャード歌手として伴ったショウ(2010年12月16日)は疑問を覚えさせることなくいい案配で重なっていたのにな。
過去のライヴの項でも指摘しているが、グラスパーはトリオでやった初来日の時と比較するなら、ものすごくソロを取らない。ショウの最初にソロでピアノを弾いたり、カリンバを模したような音を出す電気キーボードでソロを取ったりもしたが、フレイズの反復を基調とするそれは旧来のジャズの文脈からは大きく離れると書けるもの。けっこう鍵盤を弾かずに傍観者/統括者でいる場合もあったが、それはベンジャミン以外の2人のメンバーにもたっぷりソロのパートを与えたからでもある。そのドラムと電気ベースのソロもイビツ(でも、意外にシンプル)なシークエンスを綻びの感覚を孕みつつ呪術的に重ねて行くような感じで、従来のジャズ系奏者のそれとはけっこう違う。だが、あそこまで延々とやらせる必要はあったか。まあ、一時はグラスパー以上に彼を見に来ているライヴ客が多いんじゃないかと思わせもした変則ドラム王たるクリス・デイヴ(2012年9月21日、いよいよ彼が叩いているディアンジェロの新作がリリースされるようだ)にかわってエクスペリメントに加入したマーク・コレンバーグは外様ノリが払拭されていたけど。
この4人組だとハービー・ハンコックのザ・ヘッドハンターズ〜ヴォコーダー使用表現のノリを色濃く出す傾向が過去はあったのだが、今回それは後退ぎみ。あと、左手はエレクトリック・ピアノをおさえ、右手でアコースティック・ピアノを弾くという場合が少なくなく、その組み合わせをグラスパーは好きなんだなと認知。これまでぼくが見た彼のショウのなかで一番バランスが悪いなあと思わせられつつ、完全にヒップホップ系のあんちゃん格好でステージにいるグラスパーの不可解さ〜それは、もちろん美徳である〜を再認識させられたという感じか。ジャズと現代ポップの間の迷宮で……。よく分らない部分、煮え切らない部分、足を踏み外している部分もあると感じるが、グラスパーは自分のいるべきところを求めんと腐心していたのは確か。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。
<今日の、体験>
そのバンド名である“エクスペリメント”は字義通り、音楽の試みを与えたいという思いからなのか。よく知らないが、そのグループ名は、その横繋がりの単語である“エクスペリエンス”という言葉を自分のトリオに用いた2人の先達を、ぼくに思い出させたりもする。ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとザ・ジャキ・バイアード・エクスペリエンス。やはり少し電波な視野の広さを持っていたジャズ・ピアニストであるバイアードはヘンドリックスのバンド名を真似して名乗ったと考えられるが、その同名の1968年作(プレスティッジ)にはラサーン・ローランド・カークもゲストで入っていた。
ところで、昼間はともかく、日が落ちると冷え込みがすごい。翌日にかけて、天気予報ではこの冬一番の寒さという情報も流された? ライヴのあと流れ流れて、遭難しそうになりました。プルプルプル。こんな体験はなるべく、ご免被りたい。
とはいえ、最初の40分強はヴォーコーダーやエフェクター経由のアルト・サックスを駆使するケイシー・ベンジャミン(そう言えば、今回はお得意のショルダー・キーボードは持たず。手元ではちまちま小さい装置を扱っていたものの)をフィーチャーする毎度のスタイル。そして、その後の30分はハサウェイ(今回、眼鏡をしてステージに出て来た)が出てくるものの、全面的にフィーチャーされるということはなく、やはりベンジャミンが主体になる曲があったりして、彼女は1曲づつリード・ヴォーカルとベンジャミン主体曲でスキャットをとった。もったいねえ、もう少し歌わせても良かったのではないか。かつて、ミント・コンディション(2006年6月25日、2008年7月26日、2009年7月10日)のストークリーをフィーチャード歌手として伴ったショウ(2010年12月16日)は疑問を覚えさせることなくいい案配で重なっていたのにな。
過去のライヴの項でも指摘しているが、グラスパーはトリオでやった初来日の時と比較するなら、ものすごくソロを取らない。ショウの最初にソロでピアノを弾いたり、カリンバを模したような音を出す電気キーボードでソロを取ったりもしたが、フレイズの反復を基調とするそれは旧来のジャズの文脈からは大きく離れると書けるもの。けっこう鍵盤を弾かずに傍観者/統括者でいる場合もあったが、それはベンジャミン以外の2人のメンバーにもたっぷりソロのパートを与えたからでもある。そのドラムと電気ベースのソロもイビツ(でも、意外にシンプル)なシークエンスを綻びの感覚を孕みつつ呪術的に重ねて行くような感じで、従来のジャズ系奏者のそれとはけっこう違う。だが、あそこまで延々とやらせる必要はあったか。まあ、一時はグラスパー以上に彼を見に来ているライヴ客が多いんじゃないかと思わせもした変則ドラム王たるクリス・デイヴ(2012年9月21日、いよいよ彼が叩いているディアンジェロの新作がリリースされるようだ)にかわってエクスペリメントに加入したマーク・コレンバーグは外様ノリが払拭されていたけど。
この4人組だとハービー・ハンコックのザ・ヘッドハンターズ〜ヴォコーダー使用表現のノリを色濃く出す傾向が過去はあったのだが、今回それは後退ぎみ。あと、左手はエレクトリック・ピアノをおさえ、右手でアコースティック・ピアノを弾くという場合が少なくなく、その組み合わせをグラスパーは好きなんだなと認知。これまでぼくが見た彼のショウのなかで一番バランスが悪いなあと思わせられつつ、完全にヒップホップ系のあんちゃん格好でステージにいるグラスパーの不可解さ〜それは、もちろん美徳である〜を再認識させられたという感じか。ジャズと現代ポップの間の迷宮で……。よく分らない部分、煮え切らない部分、足を踏み外している部分もあると感じるが、グラスパーは自分のいるべきところを求めんと腐心していたのは確か。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。
<今日の、体験>
そのバンド名である“エクスペリメント”は字義通り、音楽の試みを与えたいという思いからなのか。よく知らないが、そのグループ名は、その横繋がりの単語である“エクスペリエンス”という言葉を自分のトリオに用いた2人の先達を、ぼくに思い出させたりもする。ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとザ・ジャキ・バイアード・エクスペリエンス。やはり少し電波な視野の広さを持っていたジャズ・ピアニストであるバイアードはヘンドリックスのバンド名を真似して名乗ったと考えられるが、その同名の1968年作(プレスティッジ)にはラサーン・ローランド・カークもゲストで入っていた。
ところで、昼間はともかく、日が落ちると冷え込みがすごい。翌日にかけて、天気予報ではこの冬一番の寒さという情報も流された? ライヴのあと流れ流れて、遭難しそうになりました。プルプルプル。こんな体験はなるべく、ご免被りたい。
ヴァン・ダイク・パークス
2013年1月29日 音楽 ワーナー・ブラザーズの大人志向のロック・アルバムの制作に同社社員(1960年代後半〜?)として関わるとともに、視点とひねりが効いた洒脱作品を悠然とリリースしてきている人物。ロック時代の“米国趣味の音楽”の権化のような人、という言い方もぼくはしたくなる。彼は年があけて、70歳になった。
米国西海岸の滋味ありドラマーのドン・へフィントン(1970年代後半から、エミール・ハリス他のセッション活動を開始、1980年代半ばにはボブ・ディランにも重用された)以外は、日本で調達された奏者がサポート。ベースの鈴木正人(2011年5月22日、他)、チェロの徳澤青弦、ハープの彩愛玲という面々。そんな事実に顕われているように、普段はバンドを持たず、そんなにライヴ・パフォーマンスもやっていないのかもしれない(HPも持たないようであるし)が、送り出された音楽は極上。なんら疑問なく、夢心地になれた。1日のリハで公演にのぞんだらしいが、決して簡単ではないアンサンブルを日本人奏者はちゃんとこなしていたよなあ。パークスのピアノ演奏はアンサンブルを土台的演奏で導くというよりは、アンサンブルの隙間をひらひらと舞って行く感じもあり、ありそうであまりない聞き口にけっこう魅了される。また、歌も瀟洒ながら艶や声量があることもあり、聞く者のなかにちゃんと入ってくる。
そんな総体が描くのは、あまりに優美で、しなやかな、アメリカン・ミュージック。御大は南部ミシシッピ州の生まれであることをMCで強調していたが、米国南部を鍵とする音楽的財産や興味を、誰でもない自分の流儀で、時空や音楽様式を超え、優雅な都会派アダルト表現として出しているのだと感じずにはいられず。なんかショウに接していて、映画「フォレスト・ガンプ」とか「ドライヴィングMissデイジー」なんかに出てくるような、南部の建築様式を持つ邸宅でくつろいでいる思いを得たりも。1800年代の曲も複数やったはずだが、往年に見せたカリプソ趣味はこの編成でもあるし、出すことはなかった。
アンコールはまずピアノの弾き語り。1968年ファースト作に入っていた自作曲? そして、他の奏者とともに細野晴臣(2012年9月5日、他)が出て来て、細野はギターを弾きながら「ホンコン・ブルース」など2曲を歌う。そして、締めはパークスが1972年ソロ作でも取り上げていたリトル・フィートの「セイリン・シューズ」で、彼が歌う。とうぜん、アルバムのときのアレンジとは大きく異なり、“レディ・イン・ア・ターバン、コカイン・トゥリー”というラリった歌詞で、あぁこの曲なのと気付く。六本木・ビルボード東京、ファースト・ショウ。このあと流れた店で、セカンド・ショウに行く前の知人たちや、ぼくと同じ会を見た夫婦たちと会う。たはは、寒いし、近くで飲食したくはなるよな〜。
ところで、細野晴臣もMCで同様のことを指摘していたが、パークスはガーシュインとかフォスターとか米国ポピュラー音楽の大作家の系譜に入るような人だとも、その妙味に触れると感じる。そして、同様のことを90年代のアルバムやライヴでぼくに感じさせてくれたジョン・サイモン(1999年4月21日)のことが、ふと頭をかすめる。同年代(サイモンのほうが2歳上)であり、個人アーティストであるとともに秀でた制作者/サウンド統括者であるなど、サイモンのほうがより米国ルーツ・ミュージックに根ざしている部分があるものの、何かと両者は重なる部分があるだろう。パークスは西で、サイモンは東。近年、あまりサイモンの話題を耳にしないが、健康なのかな。また、ライヴを見て、えも言われぬキブンを得たい。
<今日の、プロフェッショナル>
1曲終わったときだったか、2階の正面に座っている人を指差し、パークスはまくしたてる。どうやら動画を撮られているのに気付き、なじったようだが、そのマジな怒り様に場内はけっこう凍る。わー。フェアじゃねえとも言っていたが、それが後でユー・チューブにアップされたりするのがどうにも我慢できなかったよう。自分の年齢まで出して、不快の念を出していた。が、その後、客が退き気味のなか、彼は再びおっとり、ときにお茶目に、優雅な音楽を十全に奏でる。それに接し、一時の感情でブチかましたというよりは、強いプロとしての矜持を下敷きにする、パークスのなかでは理知整然とした所作であったのダと了解しました……。
米国西海岸の滋味ありドラマーのドン・へフィントン(1970年代後半から、エミール・ハリス他のセッション活動を開始、1980年代半ばにはボブ・ディランにも重用された)以外は、日本で調達された奏者がサポート。ベースの鈴木正人(2011年5月22日、他)、チェロの徳澤青弦、ハープの彩愛玲という面々。そんな事実に顕われているように、普段はバンドを持たず、そんなにライヴ・パフォーマンスもやっていないのかもしれない(HPも持たないようであるし)が、送り出された音楽は極上。なんら疑問なく、夢心地になれた。1日のリハで公演にのぞんだらしいが、決して簡単ではないアンサンブルを日本人奏者はちゃんとこなしていたよなあ。パークスのピアノ演奏はアンサンブルを土台的演奏で導くというよりは、アンサンブルの隙間をひらひらと舞って行く感じもあり、ありそうであまりない聞き口にけっこう魅了される。また、歌も瀟洒ながら艶や声量があることもあり、聞く者のなかにちゃんと入ってくる。
そんな総体が描くのは、あまりに優美で、しなやかな、アメリカン・ミュージック。御大は南部ミシシッピ州の生まれであることをMCで強調していたが、米国南部を鍵とする音楽的財産や興味を、誰でもない自分の流儀で、時空や音楽様式を超え、優雅な都会派アダルト表現として出しているのだと感じずにはいられず。なんかショウに接していて、映画「フォレスト・ガンプ」とか「ドライヴィングMissデイジー」なんかに出てくるような、南部の建築様式を持つ邸宅でくつろいでいる思いを得たりも。1800年代の曲も複数やったはずだが、往年に見せたカリプソ趣味はこの編成でもあるし、出すことはなかった。
アンコールはまずピアノの弾き語り。1968年ファースト作に入っていた自作曲? そして、他の奏者とともに細野晴臣(2012年9月5日、他)が出て来て、細野はギターを弾きながら「ホンコン・ブルース」など2曲を歌う。そして、締めはパークスが1972年ソロ作でも取り上げていたリトル・フィートの「セイリン・シューズ」で、彼が歌う。とうぜん、アルバムのときのアレンジとは大きく異なり、“レディ・イン・ア・ターバン、コカイン・トゥリー”というラリった歌詞で、あぁこの曲なのと気付く。六本木・ビルボード東京、ファースト・ショウ。このあと流れた店で、セカンド・ショウに行く前の知人たちや、ぼくと同じ会を見た夫婦たちと会う。たはは、寒いし、近くで飲食したくはなるよな〜。
ところで、細野晴臣もMCで同様のことを指摘していたが、パークスはガーシュインとかフォスターとか米国ポピュラー音楽の大作家の系譜に入るような人だとも、その妙味に触れると感じる。そして、同様のことを90年代のアルバムやライヴでぼくに感じさせてくれたジョン・サイモン(1999年4月21日)のことが、ふと頭をかすめる。同年代(サイモンのほうが2歳上)であり、個人アーティストであるとともに秀でた制作者/サウンド統括者であるなど、サイモンのほうがより米国ルーツ・ミュージックに根ざしている部分があるものの、何かと両者は重なる部分があるだろう。パークスは西で、サイモンは東。近年、あまりサイモンの話題を耳にしないが、健康なのかな。また、ライヴを見て、えも言われぬキブンを得たい。
<今日の、プロフェッショナル>
1曲終わったときだったか、2階の正面に座っている人を指差し、パークスはまくしたてる。どうやら動画を撮られているのに気付き、なじったようだが、そのマジな怒り様に場内はけっこう凍る。わー。フェアじゃねえとも言っていたが、それが後でユー・チューブにアップされたりするのがどうにも我慢できなかったよう。自分の年齢まで出して、不快の念を出していた。が、その後、客が退き気味のなか、彼は再びおっとり、ときにお茶目に、優雅な音楽を十全に奏でる。それに接し、一時の感情でブチかましたというよりは、強いプロとしての矜持を下敷きにする、パークスのなかでは理知整然とした所作であったのダと了解しました……。
ザ・ミーターズ・エクスペリエンス
2013年1月30日 音楽 ザ・ミーターズのギタリスト、リオ・ノセンテリ(2012年9月12日)を中央に置く出し物で、あっという人たちが参加。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。
最初、ノセンテリと一緒に、ギャラクティック(2012年7月27日、他)のドラマーのスタントン・ムーア(2012年7月30日)、1980年代にラムゼイ・ルイス(2011年8月22日、他)のバンドにいたベーシストのビル・ディケンズ(6弦を使用)、ザ・ニューオーリンズ・サスペクツというNOLAファンク・ロック・バンド(ザ・ダーティ・ダズン・ブラス・バンド〜2007年5月15日、他〜のテナーやギター、ザ・ネヴィル・ブラザーズ〜2004年9月18日〜のドラムもメンバー)を率いてもいるキーボードのC.R.グラヴァー、パーカッションのスティーヴ・ペリルーが出てくる。あちらでも時に、リオ・ノセンテリズ・ザ・ミーターズ・エクスペリエンスとして、この顔ぶれでやっているようだ。
最初、ベース機材の不備があって、ノセンテリは延々、1人でカッティング。普段は聞けないはずで、これはラッキー。トラブルが解決し、キメのあるファンク・インストで始まり、ザ・ミーターズの「ファイアー・オン・ザ・バイヨウ」や「シシー・ストラト」などをジャムっぽくやる。ノセンテリは単音でもがんがんソロを取るが、只のギタリストがやったらぼくは拒否反応を示すだろう、それは手癖感たっぷりの閃きにはかける演奏。だが、ノセさんなら許す。ファンとは、そういう場合もある。ムーアは基本マッチド・グリップで叩くが、一部ではレギュラー・グリップでセカンド・ラインを叩き出したりも。また、左手でハイハットを叩き、右手でスネアを叩く(通常は逆)変則演奏も一部でしていた。彼のがちんこに叩く勇士を見ながら、サイモン・フィリップスではなく、彼が上原ひろみのバンド(2012年12月9日、他)に入ればいいのにとも思ってしまったナ。
その体制で40分強やったあと、さらにザ・JBズ/P−ファンクのトロンボーン奏者のフレッド・ウェズリー(2008年4月1日、他)とP-ファンクのバーニー・ウォレル(2012年7月27日、他)が加わる。そして、まずはウェズリー主導で、「パス・ザ・ピース」と「ハウス・パーティ」をやり、場内はさらに発情。おお、これは乱暴ながら、ザ・JBズ・エクスペリエンス?
そして、その後はウォレルをフィーチャーしての、P-ファンク・エクスペリエンスの巻。単音シンセサイザー、ハモンド・オルガン、エレピやクラヴィネット音色のキーボードを操るだけでなく、彼は歌も歌う。うち、1曲は「ギヴ・アップ・ザ・ファンク」。“P-ファンク・ロック”とか言ってやった曲は確かにロックぽい。ともあれ、エリスやウォレルが出て来て、2月に公演が予定されているメイシオ・パーカー(2010年2月16日、他)、そしてジョージ・クリントン(2011年1月22日、他)の公演をやっぱし見に行かなきゃと、強く思う。
最後は、ザ・ミーターズの「ヘイ・ポッキー・ウェイ」。その際、メンバーは客席にネックレスをまく。これ、ニューオーリンズのマルディグラにおけるパレード(2007年2月3日)の流儀。ザ・ワイルド・マグノリアス(2010年8月4日、他)もライヴ・ショウでいつも同様のことをやっていますね。それに触れ、ニューオーリンズはもうすぐカーニヴァルのシーズンなんだと認知。あー、また行きてえ。とかなんとか、面々はうまい感じでまとめて終了。アンコールなしながら、90分は平気でやったな。3つの流儀が継ぎはぎされたショウでうまく一つのカタマリを持った感じで終われるのかあと思っていたら、締めの感じはばっちり也。
<今日の、美術館>
午後、清澄白河駅が最寄りの、東京現代美術館に行く。“MO+”という、表記もあるのか。なんの略からきているのだろう。そういえば、1980年代後半に初めてNYの”MoMA”(ニューヨーク近代美術館)に行ったときはドキドキしたなあ、なんてことをぽわ〜んと思い出す。今日、寒いなか下町まで行ったのは、10月下旬からそこで“アートと音楽”(総合アドヴァイザーとして、坂本龍一の名が冠される)という出し物をやっていて、それが来月3日で終わってしまうから。出展者のオノセイゲン(2012年6月7日、他)と飲んだときに行くよ〜んとか言っていて、それをなあなあにしてしまうのは、ぼくの主義に反する。セイゲンが坂本龍一(2012年3月28日、他)と高谷史郎と展示したのは、茶室がコンセプトだ。それ、人が並んでいて、中に入るのを断念。ともあれ、いろいろ、世の中になくてもいいものが展示されている。でも、だからこそ、日常から離れたところにある美味しい何かがある。ジョン・ケージや武満徹の1960年代の脱楽譜的楽譜の展示もあった。今の作り手の出し物は、やはりテクノロジーを介したものが多い。もっと、がつんとアナログなアイテムも、ぼくは欲したが。簡単明快だからか、ぼくが一番親しみを持てたのは、セレスト・ブルシエ=ムジュノという1961年生まれのフランス人の出し物。直径15メートルぐらいの底の浅い円形プール(展示して時間が経っているのか、底に埃がたまっているのが残念)に、沢山の大小の白磁ボウルが浮き、それらが機会仕掛けの静かな水の流れでランダムに回り、偶発的にぶつかることでいろんな鳴り音が生じ、明るい会場に響くというもの。知人に言うと、子供ですねと言われた。否定しません。確かに、あの出し物が一番素人受けするかもなあ。ぼくのように駆け込みで来る人もいたのか、場内は混んでいた。幼稚園児だろう集団もいた。皆おとなしく回っていて、騒いだら駄目よとけっこう事前に言われたんだろうなー。その展示物が子供たちになんらかの刺激を与えますように。
帰り道、駅への道すがら、深川めしを出すお店を複数みとめる。深川めし未体験なぼくはとてもテイストしたくなる。時間的にもかろうじて有余はあったし。だが、ライヴを見た後、どうせ飲み食いするわけだしと我慢。うー、その判断は正しかったのだろうか。
<今日の悲報>
なんと、ギタリスト/ヴォーカリストのジェフ・リー・ジョンソンが亡くなった。50歳と55歳の間、死因不明のよう。昨年夏の来日(2012年9月9日)は、アルバム・レコーディングにも参加していたエスペランザ・スポルディングのショウへの同行だった。ジョージ・デュークもいろいろレコーディングに誘うなどお気に入りで(エリカ・バドゥ〜2012年3月2日、他〜も同様ですね)、このフィラデルフィアンを自分の来日ショウ(2004年10月28日)に伴ったこともある。業界スタートはフィリー・ソウルの界隈、1970年代に彼はテディ・ペンダーグラスやザ・デルズらのアルバム録音に関与している。だが、その一方、彼はオーネット・コールマン門下の怪物ドラマーのロナルド・シャノン・ジャクソンのバンドに入ってキレキレの演奏を披露しだす。やはり、ぼくにとってのジョンソンというと、パンク・ジャズ流れにある演奏がまず思い浮かぶ。そんな彼はけっこうリーダー作も出していて、それらは一筋縄で行かなくて、実に面白い。結構、歌もの(一言で言えば変で、傾向外)もやっていて、本当に奇想天外な、アフリカン・アメリカン音楽の素敵な不可解さを存分に持ち続けた愛すべきミュージシャンであった。顔は、根暗ではあったけど。なお、彼の『Thisness』という2000年代半ばのリーダー作に入っている「コンペアード・トゥ・ホワット」(もちろん、レス・マッキャンの有名曲)は多少ハーモロディクス流儀。3月16日(土)に四谷の“いーぐる”で「オーネット・コールマン/ハーモロディック・ファンク再考」というテーマで話をする予定だが、そのとき追悼もこめて、この曲をかけようか。
残念です、ぼくはあなたの真価の1割もまだつかんでいないかもしれない。
最初、ノセンテリと一緒に、ギャラクティック(2012年7月27日、他)のドラマーのスタントン・ムーア(2012年7月30日)、1980年代にラムゼイ・ルイス(2011年8月22日、他)のバンドにいたベーシストのビル・ディケンズ(6弦を使用)、ザ・ニューオーリンズ・サスペクツというNOLAファンク・ロック・バンド(ザ・ダーティ・ダズン・ブラス・バンド〜2007年5月15日、他〜のテナーやギター、ザ・ネヴィル・ブラザーズ〜2004年9月18日〜のドラムもメンバー)を率いてもいるキーボードのC.R.グラヴァー、パーカッションのスティーヴ・ペリルーが出てくる。あちらでも時に、リオ・ノセンテリズ・ザ・ミーターズ・エクスペリエンスとして、この顔ぶれでやっているようだ。
最初、ベース機材の不備があって、ノセンテリは延々、1人でカッティング。普段は聞けないはずで、これはラッキー。トラブルが解決し、キメのあるファンク・インストで始まり、ザ・ミーターズの「ファイアー・オン・ザ・バイヨウ」や「シシー・ストラト」などをジャムっぽくやる。ノセンテリは単音でもがんがんソロを取るが、只のギタリストがやったらぼくは拒否反応を示すだろう、それは手癖感たっぷりの閃きにはかける演奏。だが、ノセさんなら許す。ファンとは、そういう場合もある。ムーアは基本マッチド・グリップで叩くが、一部ではレギュラー・グリップでセカンド・ラインを叩き出したりも。また、左手でハイハットを叩き、右手でスネアを叩く(通常は逆)変則演奏も一部でしていた。彼のがちんこに叩く勇士を見ながら、サイモン・フィリップスではなく、彼が上原ひろみのバンド(2012年12月9日、他)に入ればいいのにとも思ってしまったナ。
その体制で40分強やったあと、さらにザ・JBズ/P−ファンクのトロンボーン奏者のフレッド・ウェズリー(2008年4月1日、他)とP-ファンクのバーニー・ウォレル(2012年7月27日、他)が加わる。そして、まずはウェズリー主導で、「パス・ザ・ピース」と「ハウス・パーティ」をやり、場内はさらに発情。おお、これは乱暴ながら、ザ・JBズ・エクスペリエンス?
そして、その後はウォレルをフィーチャーしての、P-ファンク・エクスペリエンスの巻。単音シンセサイザー、ハモンド・オルガン、エレピやクラヴィネット音色のキーボードを操るだけでなく、彼は歌も歌う。うち、1曲は「ギヴ・アップ・ザ・ファンク」。“P-ファンク・ロック”とか言ってやった曲は確かにロックぽい。ともあれ、エリスやウォレルが出て来て、2月に公演が予定されているメイシオ・パーカー(2010年2月16日、他)、そしてジョージ・クリントン(2011年1月22日、他)の公演をやっぱし見に行かなきゃと、強く思う。
最後は、ザ・ミーターズの「ヘイ・ポッキー・ウェイ」。その際、メンバーは客席にネックレスをまく。これ、ニューオーリンズのマルディグラにおけるパレード(2007年2月3日)の流儀。ザ・ワイルド・マグノリアス(2010年8月4日、他)もライヴ・ショウでいつも同様のことをやっていますね。それに触れ、ニューオーリンズはもうすぐカーニヴァルのシーズンなんだと認知。あー、また行きてえ。とかなんとか、面々はうまい感じでまとめて終了。アンコールなしながら、90分は平気でやったな。3つの流儀が継ぎはぎされたショウでうまく一つのカタマリを持った感じで終われるのかあと思っていたら、締めの感じはばっちり也。
<今日の、美術館>
午後、清澄白河駅が最寄りの、東京現代美術館に行く。“MO+”という、表記もあるのか。なんの略からきているのだろう。そういえば、1980年代後半に初めてNYの”MoMA”(ニューヨーク近代美術館)に行ったときはドキドキしたなあ、なんてことをぽわ〜んと思い出す。今日、寒いなか下町まで行ったのは、10月下旬からそこで“アートと音楽”(総合アドヴァイザーとして、坂本龍一の名が冠される)という出し物をやっていて、それが来月3日で終わってしまうから。出展者のオノセイゲン(2012年6月7日、他)と飲んだときに行くよ〜んとか言っていて、それをなあなあにしてしまうのは、ぼくの主義に反する。セイゲンが坂本龍一(2012年3月28日、他)と高谷史郎と展示したのは、茶室がコンセプトだ。それ、人が並んでいて、中に入るのを断念。ともあれ、いろいろ、世の中になくてもいいものが展示されている。でも、だからこそ、日常から離れたところにある美味しい何かがある。ジョン・ケージや武満徹の1960年代の脱楽譜的楽譜の展示もあった。今の作り手の出し物は、やはりテクノロジーを介したものが多い。もっと、がつんとアナログなアイテムも、ぼくは欲したが。簡単明快だからか、ぼくが一番親しみを持てたのは、セレスト・ブルシエ=ムジュノという1961年生まれのフランス人の出し物。直径15メートルぐらいの底の浅い円形プール(展示して時間が経っているのか、底に埃がたまっているのが残念)に、沢山の大小の白磁ボウルが浮き、それらが機会仕掛けの静かな水の流れでランダムに回り、偶発的にぶつかることでいろんな鳴り音が生じ、明るい会場に響くというもの。知人に言うと、子供ですねと言われた。否定しません。確かに、あの出し物が一番素人受けするかもなあ。ぼくのように駆け込みで来る人もいたのか、場内は混んでいた。幼稚園児だろう集団もいた。皆おとなしく回っていて、騒いだら駄目よとけっこう事前に言われたんだろうなー。その展示物が子供たちになんらかの刺激を与えますように。
帰り道、駅への道すがら、深川めしを出すお店を複数みとめる。深川めし未体験なぼくはとてもテイストしたくなる。時間的にもかろうじて有余はあったし。だが、ライヴを見た後、どうせ飲み食いするわけだしと我慢。うー、その判断は正しかったのだろうか。
<今日の悲報>
なんと、ギタリスト/ヴォーカリストのジェフ・リー・ジョンソンが亡くなった。50歳と55歳の間、死因不明のよう。昨年夏の来日(2012年9月9日)は、アルバム・レコーディングにも参加していたエスペランザ・スポルディングのショウへの同行だった。ジョージ・デュークもいろいろレコーディングに誘うなどお気に入りで(エリカ・バドゥ〜2012年3月2日、他〜も同様ですね)、このフィラデルフィアンを自分の来日ショウ(2004年10月28日)に伴ったこともある。業界スタートはフィリー・ソウルの界隈、1970年代に彼はテディ・ペンダーグラスやザ・デルズらのアルバム録音に関与している。だが、その一方、彼はオーネット・コールマン門下の怪物ドラマーのロナルド・シャノン・ジャクソンのバンドに入ってキレキレの演奏を披露しだす。やはり、ぼくにとってのジョンソンというと、パンク・ジャズ流れにある演奏がまず思い浮かぶ。そんな彼はけっこうリーダー作も出していて、それらは一筋縄で行かなくて、実に面白い。結構、歌もの(一言で言えば変で、傾向外)もやっていて、本当に奇想天外な、アフリカン・アメリカン音楽の素敵な不可解さを存分に持ち続けた愛すべきミュージシャンであった。顔は、根暗ではあったけど。なお、彼の『Thisness』という2000年代半ばのリーダー作に入っている「コンペアード・トゥ・ホワット」(もちろん、レス・マッキャンの有名曲)は多少ハーモロディクス流儀。3月16日(土)に四谷の“いーぐる”で「オーネット・コールマン/ハーモロディック・ファンク再考」というテーマで話をする予定だが、そのとき追悼もこめて、この曲をかけようか。
残念です、ぼくはあなたの真価の1割もまだつかんでいないかもしれない。
アラバマ・シェイクス
2013年1月31日 音楽 恵比寿・リキッドルーム。10分強前に会場入り。話題の新人バンドだけど、思ったほどは混んでいないなあなぞと悠長に構えていたら、おおお。定時にショウが始まって回りを見回したら人人人、ギチギチ。飲みモノを補給しに出たら、元の場所には帰れない事を悟る。ぼくもクロスビート誌の2012年のベスト10にそのデビュー作を入れたけど、やはり注目を集めているのだなー。ま、本国ではもっとそう。総合チャート8位まで登ったという数字以上に業界評価は高いようで、グラミー賞で3部門もノミネートを受けているようだ。グラミー賞って業界の内輪賞賛会みたいなものでとったから偉いと言うべきものでもないが〜行儀のいい担い手はじじい受けして、受賞しやすいいなんてハナシもあったりしたな〜、なんか1部門はとるのではないだろうか。
バンド名にあるように、米国南部アラバマ州のアセンズ(R.E.M.他を輩出しているジョージア州アセンズとは別ね)から飛び出した白人バンド。歌とギターのブリタニー・ハワードを中心に、ギター、ベース、ドラム。そして、ステージにはサポートだろう、とっぽい外見を持つキーボード奏者もあがる。彼女たちが送り出しているのは、ざっくりとした南部調ロッキン・ソウル。ハンブル・パイのようなギター・バンド基調のR&Bなんて、説明もできるか。レトロというかオールド・スクールとういか、それは存分に古くささを持つものである。
アルバムを聞いたときに何より印象に残ったのは、ハワード嬢の声の持つ掠れ。先達表現への憧憬をたっぷり抱えたそのソウルフルな喉/歌い回しの上澄みのようなものが、ぐわりと空間をゆがませ、なぜか今っぽい襞を感じさせるところがあって、とても興味深く思えた。そこら辺たとえば、特にアルバムではレトロ感覚一辺倒のヴィンテージ・トラブル(2012年8月20日)とは大きく異なる。なんか、彼女たちのアルバムには古い感じでも、不思議な今がどこかにあった。
なるほど、写真で確認できように、太目で眼鏡をしたハワードはルックスで売るタイプではない。そういう側面は、ジャニス・ジョプリンをもろに思い出させるだろう。自分だけにしか見えない光をつかもうとするかのように白人離れしたソウルフルな喉を絞るという構図もかなり重なる。だが、屈強な味がバカでかい暗部/虚無感のようなものを導いたジョプリンに比して、仕草やちょっとした発言が明るいハワードの歌には陰の部分はあまりない。もっと円満、学生サークル的な和気あいあいさも持つ。であるのに、ヒリヒリしたギザギザ感覚が彼女の歌に在するのが実演ではより露で、聞く者をとんどん自分の領域に引き込んじゃう。わあ、受け手は不可解な高揚を覚えざるをえない。やはり、すごい訴求力を持つし、今に生きる歌手なのだと頷かせるところを彼女は持つ。そこらへん、うまく言葉では説明できないのだが。
彼女たちの曲は皆アラバマ・シェイクス名で作曲クレジットされていて、それはどれもジャムりながら曲が完成されることを示しているだろう。ほのかな既知感はあり、部分的にCCR他を思い出させる曲もある。また、バンドの伴奏はうまくない。でも、そうした至らない面なんかクソくらえ、それより優先するもの、その先に燦然と輝くものが彼女たちにはある。久しぶりに、理屈を超えたポップ・ミュージックの素敵を存分に感じさせられたとも言えるか。とともに、将来ある若者たちが、本物のサザン・ソウル様式に体当たりし、何かをスパークさせている様が、見る者の心を打つのダと了解。また、ぼく個人的には、南部的なおおらかで飾らない価値観を彼らが送り出している事実にも大きな魅力を覚えた。部分的には力がないのに、とっても力のある存在を、ぼくは真っ向から受けた。
当然のことながら、客の反応も熱い。一部の客は暴走気味。かけられるわちゃくちゃな嬌声、多数。すぐ後ろの女性客は時々思いついた(取り憑かれた?)ように、はなもげら調で音程もリズムも狂った歌声を合わせて出す。決して小さくはない音量で、それには気を散らされてまいった。いつも以上に心酔している熱心なファンが集まっていた公演であったのも疑いがない。
<今日の、コンピ盤>
EMIミュージック(日本でも3月に、ユニバーサル・ミュージックと合併しちゃうなー)は新作情報を定期的にメールで送ってくる。そこからログインすると、新譜の音や資料をダウンロードできるのだが、今日その件名を見てびっくり。<女医が教える 本当に気持ちのいいセックスのためのCD>。助平系のスパム・メールかと一瞬思ってしまった。が、正真正銘EMIからのもので、コワイもの見たさで資料を見ると、「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」という女性産婦人科医が書いた本がベストセラーになっていて、その1976年生まれの著者が自ら選曲した商品であるのだという。およ。ぼくは下品というかあざとさを感じる、ジャケット絵は本と共通のようだ。で、どんな曲が選ばれているのかとチェックしてみれば、これがまっとうなジャズ曲だらけ。やっぱ、エッチな気分を高める音楽というと、ザ・アイズレー・ブラザーズやフィリー・ソウル系のバラードなんかをぼくはすぐに想起するが、そんな通り一遍のモノではなかった。繰り返すが、それ自体は実にちゃんとしていて、4ビートのアコースティック・ジャズが持つ崇高さをうまく括っていると思う。ナンパな感じや媚びた感じもゼロで、聞き味はどっしり重厚。ま、黄金期のジャズのカタログをいろいろ持っている会社発のコンピレーションなので、どう組んでもそれなりの質は保てるだろうと思いつつ、ふむふむと聞けちゃう。ザ・ジャズ・クルセイダーズの「ナイト・テーマ」なんて重々しくも静謐な曲で、彼らってかつてはこんなに真摯なジャズ・バンドだったのと思いを新たにしちゃうブツまで入っている。だが、この渋くも確かな内容が、本当に性欲を高め、よりよい性交を導くのだろうか。????、山ほど。曲タイトルでちゃっちゃっと決めてしまったのではという思いも一瞬頭をかすめたが、きっと高邁な理念と積み重ねられてきた経験のもと組まれた編集盤なのだろう。いやあ、またまた、ぼくは洒落のわからない、常識にとらわれた、つまらない人間であると、ほんの少し思わされました。
バンド名にあるように、米国南部アラバマ州のアセンズ(R.E.M.他を輩出しているジョージア州アセンズとは別ね)から飛び出した白人バンド。歌とギターのブリタニー・ハワードを中心に、ギター、ベース、ドラム。そして、ステージにはサポートだろう、とっぽい外見を持つキーボード奏者もあがる。彼女たちが送り出しているのは、ざっくりとした南部調ロッキン・ソウル。ハンブル・パイのようなギター・バンド基調のR&Bなんて、説明もできるか。レトロというかオールド・スクールとういか、それは存分に古くささを持つものである。
アルバムを聞いたときに何より印象に残ったのは、ハワード嬢の声の持つ掠れ。先達表現への憧憬をたっぷり抱えたそのソウルフルな喉/歌い回しの上澄みのようなものが、ぐわりと空間をゆがませ、なぜか今っぽい襞を感じさせるところがあって、とても興味深く思えた。そこら辺たとえば、特にアルバムではレトロ感覚一辺倒のヴィンテージ・トラブル(2012年8月20日)とは大きく異なる。なんか、彼女たちのアルバムには古い感じでも、不思議な今がどこかにあった。
なるほど、写真で確認できように、太目で眼鏡をしたハワードはルックスで売るタイプではない。そういう側面は、ジャニス・ジョプリンをもろに思い出させるだろう。自分だけにしか見えない光をつかもうとするかのように白人離れしたソウルフルな喉を絞るという構図もかなり重なる。だが、屈強な味がバカでかい暗部/虚無感のようなものを導いたジョプリンに比して、仕草やちょっとした発言が明るいハワードの歌には陰の部分はあまりない。もっと円満、学生サークル的な和気あいあいさも持つ。であるのに、ヒリヒリしたギザギザ感覚が彼女の歌に在するのが実演ではより露で、聞く者をとんどん自分の領域に引き込んじゃう。わあ、受け手は不可解な高揚を覚えざるをえない。やはり、すごい訴求力を持つし、今に生きる歌手なのだと頷かせるところを彼女は持つ。そこらへん、うまく言葉では説明できないのだが。
彼女たちの曲は皆アラバマ・シェイクス名で作曲クレジットされていて、それはどれもジャムりながら曲が完成されることを示しているだろう。ほのかな既知感はあり、部分的にCCR他を思い出させる曲もある。また、バンドの伴奏はうまくない。でも、そうした至らない面なんかクソくらえ、それより優先するもの、その先に燦然と輝くものが彼女たちにはある。久しぶりに、理屈を超えたポップ・ミュージックの素敵を存分に感じさせられたとも言えるか。とともに、将来ある若者たちが、本物のサザン・ソウル様式に体当たりし、何かをスパークさせている様が、見る者の心を打つのダと了解。また、ぼく個人的には、南部的なおおらかで飾らない価値観を彼らが送り出している事実にも大きな魅力を覚えた。部分的には力がないのに、とっても力のある存在を、ぼくは真っ向から受けた。
当然のことながら、客の反応も熱い。一部の客は暴走気味。かけられるわちゃくちゃな嬌声、多数。すぐ後ろの女性客は時々思いついた(取り憑かれた?)ように、はなもげら調で音程もリズムも狂った歌声を合わせて出す。決して小さくはない音量で、それには気を散らされてまいった。いつも以上に心酔している熱心なファンが集まっていた公演であったのも疑いがない。
<今日の、コンピ盤>
EMIミュージック(日本でも3月に、ユニバーサル・ミュージックと合併しちゃうなー)は新作情報を定期的にメールで送ってくる。そこからログインすると、新譜の音や資料をダウンロードできるのだが、今日その件名を見てびっくり。<女医が教える 本当に気持ちのいいセックスのためのCD>。助平系のスパム・メールかと一瞬思ってしまった。が、正真正銘EMIからのもので、コワイもの見たさで資料を見ると、「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」という女性産婦人科医が書いた本がベストセラーになっていて、その1976年生まれの著者が自ら選曲した商品であるのだという。およ。ぼくは下品というかあざとさを感じる、ジャケット絵は本と共通のようだ。で、どんな曲が選ばれているのかとチェックしてみれば、これがまっとうなジャズ曲だらけ。やっぱ、エッチな気分を高める音楽というと、ザ・アイズレー・ブラザーズやフィリー・ソウル系のバラードなんかをぼくはすぐに想起するが、そんな通り一遍のモノではなかった。繰り返すが、それ自体は実にちゃんとしていて、4ビートのアコースティック・ジャズが持つ崇高さをうまく括っていると思う。ナンパな感じや媚びた感じもゼロで、聞き味はどっしり重厚。ま、黄金期のジャズのカタログをいろいろ持っている会社発のコンピレーションなので、どう組んでもそれなりの質は保てるだろうと思いつつ、ふむふむと聞けちゃう。ザ・ジャズ・クルセイダーズの「ナイト・テーマ」なんて重々しくも静謐な曲で、彼らってかつてはこんなに真摯なジャズ・バンドだったのと思いを新たにしちゃうブツまで入っている。だが、この渋くも確かな内容が、本当に性欲を高め、よりよい性交を導くのだろうか。????、山ほど。曲タイトルでちゃっちゃっと決めてしまったのではという思いも一瞬頭をかすめたが、きっと高邁な理念と積み重ねられてきた経験のもと組まれた編集盤なのだろう。いやあ、またまた、ぼくは洒落のわからない、常識にとらわれた、つまらない人間であると、ほんの少し思わされました。