De La FANTASIA

2009年11月1日 音楽
 この日は、<Voices of Females>と題されていて、3カ国の女性ヴォーカリストがパフォーマンスを行った。恵比寿・リキッドルーム。

 まず、出てきたのは、米ポートランド在住の個性派シンガー・ソングライターのローラ・ギブソン。乱暴に言ってしまえば、先端ロック音像感覚のなかで訥々としたフォーク・ミュージックを広げているような人(日本盤は、ヘッズから出されている)で、今回の来日は何作もリーダー作を出している同郷のエレクトロニカ系クリエイターのイーサン・ローズを伴ってのもの。ともに弦楽器や装置を扱って淡い漂う音を出し、そこにギブソンはふわーとウィスパーな歌声を載せる。一部はなぜか、ビュークの影響を感じるときがあったが、それは不可解な現代性を持つゆえか。その総体は記憶の底にある断片を拾い上げて反芻しているような感触を持つかも。立って聞くにはもう少し動の部分も欲したくなる(二人も座ってパフォーマンスしていた)が、十分にその美意識と個性は感じることができた。

 次はエゴ・ラッピン(2004年2月5日、2005年7月31日、2006年12月13日、2006年11月17日、2006年11月17日、2009年8月8日)の中納良恵が出てきて、ピアノを弾き始める。彼女のピアノの弾き語りには初めて接するような気がするが、これにはびっくり。まっすぐ楽器と向かいあい、自分の音楽を出すのだという純真に溢れまくっていて。ピアノのタッチが強く、それに乗る歌声もとってもふくよかにして太い。力のある、ピアノ弾き語り表現! ぼくはえらく感じいってしまった。曲もいい感じだったが、それはエゴ・ラッピンでは歌っていない曲なのだろうか。途中には、エゴ・ラッピン・バンドのドラマーの菅沼雄太(2009年8月3日のYOSSY〜でも叩いているのかな)も加わる。また、声や効果音をサンプリングするときもあった。とにかく、味と誘いが力とともにたっぷり。ぼくが感じている以上に、中納は才能と広がりを持つ人だった。

 続いては、クラムボン(2007年9月24日)の原田郁子の番で、やはりピアノの弾き語り。こちらは、柔和で、こまやかで、微笑みがあり、また別の手触り、ポップ・ミュージックとしての輝きを持つ。2曲で、おおはた雄一(2009年4月4日)がギターで協調。プロの弾き味と思わせる熟達味アリ。うち、1曲は原田とおおはたの共作の曲と言っていたな。実は、中納もおおはたの曲を1曲歌っていたりもしていて、おおはたはモテモテだなあ。

 そして、最後に出てきたのは、フィンランドからやってきた金髪のハンネ・ヒュッケルバーク。ギター/効果音担当者とドラム/効果音担当者を二人同行させてのもので、ギターを手にしながら歌う。刺々しい襞を持つ現代的性と透明感を合わせるロック曲から結構あっけらかんとしたニュー・ウェイヴ調曲まで、いろんなタイプの曲を披露。ファジーな電気的効果のもと妖しい個性を迷宮乗りで出すという印象を彼女に持っていたが、生の所感はもっと生理的にストレート。それは、彼女がアルバムの印象を覆すようにけっこう朗々と歌っていたからかもしれない。このパフォーマンスに合わせて、“De La FANTASIA”の初日(金曜)に出演した細野晴臣(2009年10月12日)さんも会場内にやってきていました。

 あっさりと、いろんな才に触れられてにっこり。なんか、ありがたやーとなりました。
 63年フロリダ州生まれの、盲目の黒人ジャズ・ピアニスト。80年代中期にウィントン・マルサリス(2000年3月9日)のバンドに雇われて知名度を得て、80年代後期からリーダーとして大々的に活動している人で、やはりニューオーリンズとの接点を持つ(マルサリス家はニューオーリンズの名ジャズ・ファミリーですね)レギュラーのリズム隊を伴ってのもの。ベーシストはアラン・トゥーサン(2009年5月29日)やブライアン・ブレイド・フェローシップ(2007年9月24日)に同行しているベーシストのローランド・グルーリン、ドラマーのジェイソン・マルサリスはもちろんマルサリス四兄弟の末弟ですね。二人はリーダーとして、何作もアルバムを出していたりもする。また、ビル・サマーズがニューオーリンズで組んでいるロス・ホムブレス・カリエンテスに両者は関与したことがありますね。

 ステージ中央にどっか〜んとスタインウェイ&サンズの細長いピアノが置いてあり、3人はステージに向かって左側にまとまって位置する。ロバーツは長身のマルサリス(ばしっとスーツで決めた風貌は穏健にして、かなり格好いい)に手を引かれて登場。なるほど、こじんまりとステージに位置したほうが出入りは楽だろう。とともに、あまり三者が離れていないほうが微妙な気のようなものは交換しやすいかな。なーんて書いたのは、その3人の噛み合いはとても密なもので、緩急入り交じり、ときにかなり構成されたものだったから。コール・ポーターの「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」やスコット・ジョプリンの「エンターテイナー」など超有名曲もやったが、それらもゆったりとしつつ相当にひねりをかましていた。モダン・ジャズ・カルテット(2009年8月29日参照)を少し想起させる部分もあったかも。

 かつてロバーツのリーダー作を聞いたとき、録音のされ方もあるのだろうが、とっても左手の演奏が強くて驚いたことがあったが、そのときの印象ほどではないにしろ、心地よい粒立ちを持つ弾き手であるのは間違いない。1曲ではストライド/ブギウギの様式を入れたピアノ・ソロを披露し、アンコール曲はゆったりとトリオでブルース曲を演奏する。それらは、過剰に弾きすぎてはおらず、まろやかさを持つもので、それは意図してのものだろう。伝統を受けつつ、自分なりのストーリー性に長けたジャズ表現を求めたいという気持ちを随所に感じたナリ。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 今なにかと話題の、コロンビアのデジタル・クンビアの担い手の来日公演。04年のフジ・ロックでアメリカ在住のがらっぱち集団ヴェリー・ビー・ケアフル(2004年7月29日、2007年10月3日)に接していらい、クンビアはぼくにとってもう一つの桃源郷的胸騒ぎビート・ミュージックになっていたりもするわけで……(って、詳しくないけど)。

 ボンバ・エステーレオは女性シンガー(アーパー=無邪気突き抜け系と言えるか。それゆえ、ニュー・ウェイヴ調クンビアと、その表現を聞くといいたくもなる)をフロントに置く末広がりユニットだが、ロンドンで肝心のリリアナ・サウメット嬢がパスポート盗難にあって出国できず、来日できた男性演奏陣3人だけでパフォーマンスする事になったという。でも、歌があろうがなかろうが、ちゃんと彼の地の流儀を持つ人がやるなら絶対に興味深いものになるはずと思って、ぼくは会場入りした。南青山・月見ル君想フ、相当に混んでいた。喫煙者が多かったのか煙くて、最後のほうは目が痛くなり涙が出てきちゃったよー。

 実演は、ギター、ベース/機械音、ドラム(打楽器も少し)という編成でごんごんと突き進む。おお、コロンビアン・ジャム・バンド。3人の腕はそれぞれ確か。特徴的なビートと大まかな骨組みに沿って、ソツなく3人は流れる。彼らはけっこうインスト系のエレクトロ表現も作っていたりもするが、ループ音を下敷きにしたときはあるものの、今回の片肺パフォーマンスにおいて彼らは完全に人力による表現に終止。シンガーを擁する場合とはまったく別物であったろうが、やはり面白かった。唯一意外だったのは、演奏陣が少し歌ったり肉声を加える局面もあるのかと思っていたら、それは一切なかったこと。そのかわり、2曲で日本人のちゃんと声が出るMC(誰だったんだろう?)がフリースタイルでシット・イン。ニッコリ見れた。それから、背景にはいい感じの映像をずっと映していました。


 秀でた楽器技巧を“魔法の物差し”とし、米国ルーツ音楽を好奇心たっぷりに探り、その興味が年齢とともにどんどん広がり、独自の私の考えるワールド・ミュージックなるものを飄々と40年も作り続けている米国人特殊ギタリスト←←ライ・クーダー。パブ・ロックの名バンドであるプリンズリー・シュウォーツ(ザ・バンドのフォロワーでもありましたね)のベーシスト/シンガーであり、パンク/ニュー・ウェイヴ期にはプロデューサーとして同シーンの広がりに寄与した事もあった、滋味ありUK自作自演派←←ニック・ロウ(2002年11月8日)。という、二人の双頭公演。なんでも、昨年に二人はフェスだかチャリティ・イヴェントだかそーいうので一緒にやったのがきっかけで、この夏に欧州で共同のショウをやるようになったという。二人は、ジョン・ハイアットとジム・ケルトナーとともにリトル・ヴィレッジというバンドを90年ごろに組んだこともありましたね。

 水道橋・JCBホール。当然のごとく、ずっと聞いていますよという感じの、年齢高めのお客さんだらけ。だが、二人はすぐには登場せずに、最初にパフォーマンスしたのはライ・クーダーの義理の娘のジュリエットさん(ラスト・ネームはCommagere。読めん)。映画『ブエナ・ヴィスタ・ソーシャル・クラブ』にも出ていた、ドラムをやっているクーダーの息子のヨアキムの嫁ですね。なんでもヨアキムとジュリエットは高校時代からの付き合いのようで、彼女はクーダー親子が参加しているリーダー作を昨年リリースしている。とともに、彼女はミレニアム以降(ようは、ノンサッチと契約してから)のライ・クーダー作品にもヴォーカルで入っている。と、思ったら、そのオープナーはライ・クーダーの05年作『チャヴェス・ラヴィーン』に入っていた茫洋ポップ曲「エイ・U.F.O.カヨ」。その曲にジュリエットは作曲関与していますね。

 ときにキーボードや5弦マンドリンを弾きながら歌う彼女に加え、ドラム(当然、ヨアキムですね)、電気ベース、ギター、女性コーラス/キーボードという布陣で、6曲演奏。なんか捉えどころのない、アメリカ人のもう一つの、視野の広いアダルトなポップ・ロックと説明したくなるものを淡々と披露。やっぱり、アメリカ人は演奏がうまい(とくに、ベーシストには感心)と思わせられたりも。彼女、ゴスとメイド服が混ざったような格好をしていたな。

 休憩のあとに、ライ・クーダー、ニック・ロウ、ヨアキム・クーダーのトリオによる主役アクトのパフォーマンスが始まる。歌はそれぞれの持ち歌+αを交互に取る感じで(少しクーダーが歌うほうが多いか)、2、3曲でロウは生ギターを手にする(その際は、ベースレスによる)。彼、ベースは親指にサム・ピックをつけて、それで弾いていたな。一方のクーダーは殆ど電気ギターを手にし(いろいろ、持ち替えてはいた。何本のギターを持っていたのか)、3分の2ぐらいではスライド・バーを小指につけての演奏だったか。そのため、基本ロックぽい曲(スライド・ギターが効いているときは、リトル・フィートを想起させられたりも)が主に披露され、生理的に込みいった異国情緒曲はあまりやらず。それ、古いロック・ファンなら歓迎の行き方であったか。なお、やはり3分の2ぐらいでは前座に出ていた二人の女性がかなりいい感じでコーラスをつける。その際、ジュリエット嬢は着替えていた。

 鷹揚に、くつろぎつつ。余裕と、渋さと、まだまだ若いぞというほんの少しの突っ張りと。けっこうぷっくりしたライ・クーダーはまだ60歳少しだそうだが、70歳近いように見えた。でも、妙味はいっぱい、ギターも雄弁で、やはり上手いなあと思わずにはいられない。歌もあんなに芝居気たっぷり(言い方を変えれば、ユーモアがある)だったけと思わせられたか。昔は笑みをたたえつつももっとストイックな感じもあったと思うが、いまはサバけた感じが前面に出ている。いろんな良い技と流儀と、彼らだけの味。ぼく、個人の見解としてはそんなにこの米と英の熟達さんは音楽性が合うとは思っていないのだが、ぜんぜん違和感もなく、それぞれの味を出し、それらがちゃんと一つのものとして繋がっているのにはへえ。なるほど、二人は本当に仲がいいと思わせられるとともに、ヴェテランの熟達したミュージシャンシップを感じずにはいられませんね。満足ぢゃ。見る人によって意見が別れる場合は多々あると思うが、今コンサートはかなりの度合いで見た後の観客の見解が重なるのではないだろうか。彼らは90分ほど、実演する。

 そして、即タクシーに飛び乗ったものの、当然次のライヴには遅刻。南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)でジョー・サンプルを見る。彼の曲説明、長え。ぼくの知っている外国人アーティストのなかでもトップの部類か。ライ・クーダーも曲によっては少しウィットに富んだ曲説明(というか、曲のマクラとなるお話)を長めにしていたな。

 ザ・クルセイダーズ(2005年3月8日)のキーボード奏者のトリオ名義の公演は近年ザ・クルセイダーズに加わっている息子のニック・サンプル、そしてなんとニューオーリンズの名ドラマーであるジョニー・ヴィダコヴィッチ(2007 年2月4日)とのもの。ジョー・サンプルはグランド・ピアノのみを弾き、電気ベース奏者というイメージのあるニック・サンプルも全曲アコースティック・ベースを弾く。という指針に表れているように、私の考える、くだけたジャズ・ピアノ・トリオを求めたショウを披露したと言えるか。

 実は今回はサンプル目当てではなく、神経質でコワそうな顔をしたヴィダコヴィッチの演奏に触れたくて行った。この知る人ぞ知る名手の来日はザ・ミーターズの「シシィ・ストラト」をカヴァーしていたころ(80年代末)のジョン・スコフィールド(2009年9月5日、他)・バンド以来かと思ったら、近年のジョー・サンプルとランディ・クロフォードの双頭公演のときも同行しているのだとか。

 実は1年半前ぐらいだったか、ヴィダコヴィッチの弟子であるギャラクティック(2007年12月11日、他)のスタントン・ムーアが自分のウェッブサイトで、かつてはレッスンを受けるために通ったヴィダコヴィッチの自宅が大幅改修を必要としていて、その費用にあてる寄付を呼びかけたことがあった。ヴィダコヴィッチは右手親指関節炎を患っており、今は治癒に向けて演奏しないでほしいとの希望もムーアはそこで表明していた……のだが。ともあれ、傍目には彼が休んでいた感じはあまりなかったし、ここでもフツーに演奏しているように思えた。だが、残念ながら、グルーヴィな曲はやらず。ヴィダコヴィッチたる(ぼくが考える)妙味はあまり出されていなかった。残念。

 考えてみれば、まったくの偶然だが、この晩は名のあるオヤジがそれほどは名のない息子(関わるプロジェクトは多くは父親絡みのものとなる)を伴う公演を二つ続けて見たことになるのだな。深夜、家に戻り、酔っぱらいつつザ・クルセイダーズの74年作『スクラッチ』を探して(よく、すぐに出てきたな)回す。その表題曲は、ぼくのなかでNo.1ファンキーなエレピ・リフ/ファンキー・インスト曲として燦然と輝いている曲で、それをヴィダコヴィッチのサポートで聞きたかったのだが。実は黄金期ザ・クルセイダーズにおいて(ぼくが笑顔になれるザ・クルセイダーズは70年代中期まで。以降は、甘すぎて心から楽しめない)、ファンクネスを抱えた好曲を書いていたのはドラマーのスティックス・フーパー(リーダーでもあった)とトロンボーン奏者のウエイン・ヘンダーソン(2008年7月10日)で、ジョー・サンプルはなんか退屈な曲ばかり提供していてザ・クルセイダーズ作品の質を低めていたという印象がぼくにはある。ながら、ザ・クルセイダーズのなかでぼくが一番好きな「スクラッチ」はサンプルの作曲ということでぼくは一目置いていたのだが、改めてその作曲クレジットを見たらなんとウエイン・ヘンダーソン作ではないか。ありゃあ。……間違って記憶していることはもっともっとあるんだろうなー。シュンっ。で、今後は歳とともに新たな曲解事項が増えて行くのかも。ガクっ。

 丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。キーボード二人、ギタリスト(彼だけ白人)、ベース、ドラムに3人のブラス隊(サック、トロンボーン。トランペット、サックスは日本人)という編成のバンドが出てきて演奏が始まり、少し遅れて5人の男性ヴォーカル陣がでてきて、ステージ前方に横並びに位置する。5人は鮮やかなブルー基調の華やかなスーツを身にまとう。そして、見栄をきるだけで、じわーんと嬉しい思いが。そして、ショウが進めば進むほど、その楽しさや感慨の度合いは増していく。おぉオレは、米国黒人音楽界きってのソウル・コーラス・グループのいろんな様式や醍醐味に触れているぞォ、やっぱりこれは得難すぎる、という思いが沸き上がっちゃう。

 ときにお茶目な5人の絡みや踊りや仕草、(低音担当者や高音担当者がちゃんといるからこその)まさに重厚なヴォーカルの重なり、そして「マイ・ガール」や「ジャズト・マイ・イマジネーション」や「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」ら珠玉の名曲群……。それら嬉しい項目を、本当に何の過不足もなく、彼らは開いていく。名前を冠されたデニス・エドワーズは60年代後期にデイヴィッド・ラフィンに代わってリード・シンガー加入し、その激動の時代を支えた人物(80年代中期にはソロとしてモータウンからアルバムを出し、その1作目はけっこうなヒット作となった)。ゆえに、ここにはオリジナル・メンバーはいない。そういうこともあり、エドワーズが引っ張るユニットは“ザ・テンプテーションズ・レヴュー”と名乗っているのだろう。だが、きっちり過去の妙味を抱えたパフォーマンスにはなんの不満もない。充実した、“歌舞伎”的ショウ。そういえば、ステージ上の端には執事風の白人おじさんが椅子に座り待機し、曲が終わると飲み物やタオルを差し出したりも。なんか、そういう?な、他愛ない設定もいいかもと思わされる。

 今回、5人のシンガー(それが、テンプスの決まり、なり)のなか新顔が一人いて、まさしく一人だけ若い。彼はなんと、オリジナル・メンバーのポール・ウィリアムスの息子とか。野太い声ながら声のコントロール能力はいまいちの彼も2、3曲フィーチャーされる。各人リードをとり、そこに4人のコーラスが絡むというスタイルでショウは進んで行くわけだが、その際リードをとるシンガーは基本一番端に位置することになっていて、5人の立ち位置は曲ごとに変わっていく。エドワーズが一番MCをとり、やはり彼を中心にパフォーマンスは動いて行くのだが、一番リード・ヴォーカルをとっていたのは、90年代にビクター音楽産業からリーダー作を出していた(彼はその前にテンプス加入をこわれたものの断ったことがあって、その際のキャッチは“テンプスの誘いを蹴った男”みたいな感じだったハズ)、喉自慢のデイヴィッド・シー。南部アラバマ州バーミンガム生まれ/在住で(ロス五輪のサッカー競技の会場になり、日本チームもそこで試合をしましたね。実は、エドワーズもそこの生まれ)、ここのところはテンプス・レヴューの一員として何度か来日している人だ。90年代中期にプロモで来日した際にインタヴューしたことはちゃんと記憶に残っているが、その充実した歌声に触れていたら、ぼくはビクターと契約する前に彼が出演していたミュージカルをLAで見たことがあるのを思い出した。別の人の取材で行ったときに、現地の知人(2006年10月30日、参照)に連れていかれたことがあったよなー。それは実在のソウル・スターたちを登場人物とするソウル・ミュージカルで、彼はオーティス・レディング役だったんだっけか(忘れた)。前回の項で、曲解と書いたが、それよりか忘却のほうが多いんだろうな。くすん。

 有楽町・東京国際フォーラム(ホールA)。その欧州ツアーにも同行していたという、ドイツのエレクトロ・ロック・ユニットのキソグラムが前座として35分ほど演奏。プリセットされた音を基調するものの、サポートのドラマーを加えて3人にて実演する。シンガーはけっこうギターをかき鳴らしながら歌っており(後半はギターを置き、歌に専念)、電気音主体のCDよりずっとロックっぽい。冒頭は尖り気味で時代の空気をひっかくような感じが少しあったが、あとは曲が往年のニュー・ウェイヴ調ポップと言えるようなものが連発されて、どんどん個性/ぼくにとっての聞き所が散っていった。初来日という彼ら、それで最初のギグの場が5.000人規模の会場というのは幸せなんだか、不幸なんだか。

 休憩をはさんで、スコットランドの人気ポップ・ロック・バンドのフランツ・フェルディナンドが登場。ステージ美術は地味、なのはいいとしても、背後に映し出される映像についてはもう少し質の高いものを採用してもいいのではないか。なんか、お洒落じゃない。あ、そういえば、中心人物のアレックサンダー・カブラノス(ギター・アンプの上に立つのが好きなんだなー)は過去きっちり格好を決めていたのに、今回はTシャツで悲しいと嘆く御夫人もおりました。

 ミレニアム以降、トップに成功したUKのバンドという印象があるが、ぼくは04 年のフジ・ロックで見て以来か。で、驚いたのは最後の部分を除いて(後述します)、彼らは一切テクノロジーの力を借りずに4人の演奏だけで勝負していたこと。ときにカラフルだったり、ときにダンザブルだったりする味付けを、その指針はスポイルするものであっても、生身の音だけで勝負しようとしている様には不可解な太さを覚えたか。でも、それは悪い事ではないと、ぼくは思う。それから、もう一つびっくりしたのは、観客の歓声/嬌声。きゃあああわあああ、という声がこんなに飛び交う公演は久しぶり。そういえば、ここの2階席はとても揺れる(1999年10月16日、参照)という印象を持っていたが、1回のフロアもけっこう揺れていた。

 本編は1時間を切る長さだったが、アンコールはけっこう長めにやった。最後のほうはサンプリングした楽器音を延々シーケンスさせ(新作『トゥナイト』は『Blood』というリミックス作的なダブ・アルバムを生んたが、そっち方面との繋がり多少アリ?)時間差で一人ひとりステージを去る。そして、完全に終わったあと、また4人は出てきて仲良く中央でペコリ。

 この日曜日あたりから、駅という駅(ホームも)に警察官を見かける。(ケンカ売るような感じにならないように丁寧に、そのなかの一人に)聞けば、オバマ来日(13日に到着する)を受けての警備ということだが、相当な人数がかり出されているんだろーなと思うことしきり。とともに、それがどのぐらい役にたつのかと疑問に思わずにはいられないが。もし、ぼくがたまたまこの時期に海外から来た旅行者だった(そして、オバマの件を知らなかった)ら、そうとう東京の印象が悪くなるとも思った。そういやあ、成田空港入りするときの関所でのチェック、いいかげんやめにしないのかな。無駄と思う。

 南青山・ブルーノート東京(ファースト・ショウ)。リーダーのマシュー・ギャリソン(70年生まれ)は過去ジョン・スコフィールド公演(1999年5月11日)やハービー・ハンコック公演(2001年12月27日)に同行したことがある電気ベース奏者だが、なんとジャズ史に燦然と名を残すベーシストのジミー・ギャリソン(1936〜74年)の息子だったのか。そのジミー・ギャリソンはなによりジョン・コルトレーンの飛翔期〜壮絶期(1961〜67年)をじっくりと支えた人物として知られるが、やはりコルトレーン壮絶期に仕えたドラマーのラシッド・アリ(1935年〜2009年、エルヴィン・ジョーンズの後釜ですね)の息子アミン・アリも電気ベース奏者だよな(ジェイムズ・ブラッド・ウルマーとの関わりで著名。ミレニアム以降は情報が伝わってこないような)。

 父の死後はイタリアで育ち、音楽の道を進むためにまた合衆国に住むようになったマシュー・ギャリソン(70年生まれ)だったが、まったく父親の影を感じさせない、手慣れたエフェクター使い込みで5弦電気ベースをペニャペニャ弾く。うーん、ぼくの趣味ではない。彼はスティーヴ・コールマンの5エレメンツにも昔入っていたことがあったけど、こんなふうだったけか。親指多用の右手のフィンガリングは少し個性的だったかも。それと、なんか音楽の虫という風情がかなり出ている人とも感じた。

 共演者は、西海岸ハード・フュージョンの主任(?)ギタリストでなぜかジョー・ザヴィヌル(2003年10月8日)のザヴィヌル・シンジケートにいたスコット・ヘンダーソンと仲良しのスコット・キンゼイ(キーボード)と、ものすごーく来日回数を重ねているだろうキューバ出身ドラマーのオラシオ“エルネグロ”エルナンデス(2004年12月15日、他)。三者ともリーダー作を持ちますね。キンゼイはヘンダーソンの流れから晩年のザヴィヌルにけっこう可愛がってもらっており、ギャリソンもザヴィヌル作に参加していたこともあり、今回のショウはザヴィヌルに捧げるという名目がついてのもの。そのお題目ついてはよく分からなかったが、確かな手癖が下敷きとなるパワー・フュージョン演奏を繰り広げたと言えるか。ギャリソンとキンゼイはともに横にPCを置いていた。MCによると、二人は相当に親近感をもっているようだ。

 12時近く、渋谷駅の半蔵門/田園都市線駅に降りると、夕方にはあれだけ目についた警官が一人もいない。偶然かもしれないが、なんで〜。ちゃんと公務員勤務時間内に従っての警備? 
 ジョン・スクワイア(2003年2月20日)は90年前後にロック界で一世を風靡したザ・ストーン・ローゼズのギタリストだった人物。なるほど、ローゼズ時代からアルバム・ジャケットのアート・ワークを手がけていたわけだが、今はモダン・アートの作り手のほうに力を注いでいるのか。個展をやり本格的にアーティスト活動をはじめたのは04年とのこと、なるほどラストとなるソロ・アルバムは04年の発表。彼のホーム・ページを見たら音楽のことは一切のっていなかった。

 会場は、原宿・TOKYO HIPSTERS CLUB。キャンヴァスや特殊な紙(22×30〜34×34のサイズ)に油絵の具などで描かれた(それは、版画的な手法のような感じで描かれているように、素人目一瞥には思えた)ものが26点、制作年度はどれも2009年で、一応共通するモードや手法のものが並んでいる。他の個展での展示物はもっとドロウイングっぽかったりもするので、時期によっていろんなことを試みているのだろう。“don’t talk to strangers”とか”jet”とか“angle poise”とかいろんなタイトルが付けられたそれらは、19万円弱から82万円弱の値付け。うち、プリント売りしているもの(25点限定)もあって、それは37.800円なり。また、Tシャツも販売していた。

 この日はプレミアで、会場には当のスクワイアもマンチェの飾らないお兄さんという感じでいた。この”Negative Afterimages"と題された個展は、12月6日まで開かれている(無料)。

 今週はけっこう寒くなり、雨も降ったり。この日の午前中はびっくりするぐらい風が強かったが、午後からは晴れて、温かい。南青山に移動中、汗ばむ。そして、南青山・月見ル君想フ。

 ボストン在住のデーモン・クルコウスキー(生ギター、歌)とナオミ・ヤン(歌、キーボード。今回、ベースは弾かなかったよな)……ギャラクシー500のときはリズム・セクションを組んでいた男女のパフォーマンスを見る。二人に加え、米ドラッグ・シティと延々契約している日本アシッド・バンドのゴーストの栗原道夫が響くエレクトリック・ギターで加わる(途中で、少し抜ける)。前回の来日公演(2008年1月21日)も両者はシェアしていたし、00年にサブ・ポップから共演アルバムも出しているし……ということで、その重なりは自然にしてとても効果的。また、フルート奏者と各種リコーダーを担当する日本人男性二人が加わるときもあった。彼らも譜面などを置くこともせず無理なく重なっていたけど、そこそこリハやっているのかな。

 いろいろと思慮が施されたアルバムと違い生の場で開かれるその簡素な表現は、乱暴に言ってしまえばあっけないほどフォークである。刺激やデコボコの感覚はほとんどないワビサビ表現であり、グルーヴもない。本来ならそれって、けっこうぼくは苦手とするほうのポップ・ミュージックのはず。なのに、その余韻にほんわかーと浸れちゃうのは、80 年代後期オルタナ/インディ・ロックを支えた精神や態度の無理のない行方があるからだし、もっと言えば、現在の彼らが持つ高潔な生活観が見えるからではないのか。そういえば、デーモン・クルコウスキーは絶版の実験文学を復刻する趣味の出版社をやってもいるそう。二人は、ジャックス(再評価を受けている、60年代後期の日本のフォーク・ロック・バンド。その後、メンバーの早川義夫は音楽界復帰前に本屋さんをやっていたことがありましたね)の曲も日本語で1曲披露。

 追記)デーモン・クルコウスキーのお母さんは、知る人ぞ知るジャズ歌手のナンシー・ハロウ(村上春樹も大ファンとか。その11月下旬の来日公演にもLPを持ってかけつけたという)。ナット・ヘントフの肝いりで60年にデビューした人(キャンディド・レーベルから!)で、引退していた時期は編集者をやっており、そんな彼女はスコット・フィッツジェラルドに捧げたコンセプト・アルバムも作っていたりする。なるほど、そんな人の子息でもあったのですね。ハロウはザ・ビートルズ曲集やボブ・ディラン曲やボブ・マーリー曲らを取り上げているアルバムもあるが、それについてはデーモン・クルコウスキーのなんらかの関与があるのかも……。

 うひー、ライヴはこんなん。うひゃー、大笑い。ボストンからもそんなに遠くないロードアイランド州プロヴィデンス(マフィアの街だったんだっけ?)を本拠に置く、ドラムとベースの疾走二人組。痛快まるかじり、バカバカしくも我が道を行こうとする、その姿勢にゃ、もう頭を垂れました。

 ベースとドラムのデュオといっても、字義通りとってはいけない。ドラマーのブライアン・チッペンデイルはマイクを口元にマスクで固定し、エフェクターがかかったようなもごもごとした声を発しながら爆裂ドラムを叩き倒す。実は、ビョークは近作『ヴォルタ』で彼を起用していますね。一方、ベース奏者のブライアン・ギブソンはどういうエフェクターかけてんだか良く分からぬが、多彩にギターのような音を出し、翔びまくり。もう、マジ一人二役〜三役といった感じで、それが二乗三乗で相乗し、音塊が聞き手に押し寄せる。しかも、緩急自在で、二人は噛み合い妙の術を良く知っていて、1コードぽい感じの曲でもヴァリエイション豊かに聞かせきる。……エクスペリメンタル系ハード・コアのジャム・バンド? 曲は基本切れ目なく送り出され、思っていたほど音量はデカくなかったが、アイツらは基礎体力が違うとも思わされるか。変てこな意味不明さや諧謔も随所に溢れていた。

 そして、二人ならではのバカヤロはそれだけに終わらない、実は彼らはステージ上に上がる事を良しとせず、観客フロアに楽器をセッティングし、すぐ横に客が立つことをのぞむ。客と演奏者の壁をとっぱらい、同列で熱狂や疾走を享受しよう! もう、見事な定石はずし。この晩もフロアの一角で客に密に囲まれて演奏(ゆえに、ステージ上も観客スペースとなったみたい)。そうした彼らにあおられて会場の5分の2くらいは大モッシュ状態。久しぶりに、激しいモッシュに接したかも。特に最初のほうは、本当にかつがれて宙を舞う人たち多数(天井に足がつく人も)。でも、彼らの酔狂にしてイケてる流儀に接すれば、鼓舞されまくらなきゃウソだァという感じ。そのあまりにも極端な“草の根主義”指針による実演の様は、すぐ側にいる客にしか確認できないもので(そりゃ、フロアで演奏しているんだもの)、飲み物を買い易い位置にいたぼくはマジ演奏の様子は何も見ることができなかった。でも、熱気も心意気も伝わるし、百聞は一見にしかずと痛感。

 今回、彼らのことを初めて見たぼくは、まだまだロックのやり方はあるのだなとも、深く頷きました。抱えた、いろんな意義や示唆の質量は多大。そんな連中が、ルインズやボアダムズら日本のバンドに影響を受けているとうのは本当に誇らしいな。日本をいろいろ回った彼らは、年内はオセアニアや英国でギグを意気盛んにやることになっているよう。

 満員で、場所は新代田・フィーヴァー。今年春先にできたハコで、かつてはスーパーだったそうで、駅前の1階にある。その上はスイミングスクールで、プールも上階にあるのだろうから、とても頑丈に作られた建物なのだろうな。ライヴ・スペース自体は思ったほど広くはなかったけど、その他スペースは余裕を持ってとられている感じ。禁煙会場でないのは、タバコ嫌いのぼくには残念……。

 元ジェリーフィッシュ(cf.ロジャー・マニングJr.)、90年代中期以降はリーダー作を発表しているマルチ・プレイヤーの気もあるシンガー・ソングライターで、時に熱心なザ・ビートルズ愛好者であることも出している在LAミュージシャンが、フォークナーさん。ジョン・ブライオン(2007 年7月19日)、クリス・コーネル(サウンドガーデン)、ベック(2009年3月24日、他)、フランスのエール、ポール・マッカートニーらとも付き合いをこれまで持ち、最近では曲者ダニエル・ジョンストンのプロデュースを担当するなど、才人という印象は持っていたけど、そのライヴは想像以上に充実。感心しちゃったな。渋谷・O-ウェスト。

 ギター、ベース、ドラムからなる自己バンドを率いてのもので、本人は歌とギターを中央で担い(2曲だけ、電気ピアノを弾く)、とても剛性感の高いパワー・ポップを披露。もう力一杯、音もデカい。それらは、いい曲、いい歌、いい演奏の三位一体表現と言えるもの。ビル・ネルソンがいた70年代UKバンドのビー・パップ・デラックスの曲もやったのかな。

 アンコールは、生ギターの弾き語りで4曲。そして、再度出てきてバンドでまた4曲。と、たっぷりパフォーマンス。会場内が混んでいて、飲み物販売カウンターまで行くのがやっかいなうえに、トイレに行くのも大変そうなので、ビール2缶で自粛し、少しストレスがたまったためもあるけど、終わったあとは腰がガタガタ。ふうっ。それにしても、業界のスタートは、プリンスのペイズリー・パークからアルバムを出したこと(88年)もあったザ・スリー・オクロックへの加入。なのに、まだちゃんとロック青年風情を残しているのはなかなかに立派。まあそれは別としても、その質のある実演に触れて確実に日本ではアンダーレイテッドな人物であるとも思わされました。

 ステージに出てきたときの一声で、これは本物と思わせるものがあったな。輝いて、弾んでいて、それは特別なものと感じずにはいられなかった!

 六本木・ビルボードライブ東京(ファースト・ショウ)。82年生まれでデフ・ジャムから2作品をリリースしているニューヨーカーのショウは、キーボード2、ギター、ベース(部分的には鍵盤を弾く)、ドラムというサポートを得てのもの。いい歌声と歌い口を無理なくアピールしていて、どんな曲を歌おうと聞き手はけっこう魅了させられるはずと思う。顔はそんなに丸くないが(髪型はジャケット・カヴァーがそうであるように、オール・バックっぽいもの)、体型は意外に太目。ではあったけど、それも余裕と艶のある歌い口に触れるとソレデイイノダと思っちゃいますね。ステージ前方にもキーボードが置いてあり、自身の弾き語りから始められた曲もあった。大学では音楽を専攻し、ジャズなんかにも触れていきているようだが、なるほど急に4ビートっぽくなって少しスキャットを噛ます場面もありました。

 その後は、丸の内・コットンクラブで、ジャズ界きっての偉人(1899〜1974年)の名を引き継ぐビッグ・バンドの公演を見る。前回来日(2005年4月13日)のときと同じ15人編成(正装デス)だが、少し顔ぶれは変わっているのかな。今回、ベーシストは男性だった。で、何よりの違いはコンダクターとして、孫のポール・エリントンが同行していること(他に、メルセデスという孫もいるらしい)。スキンヘッドで両耳にピアスを付けたポールさんはまだ30歳前後か。で、肌の色がかなり白く、あまりアフリカ系には見えない。指揮の様子はいてもいなくてもいい感じとぼくには思えたが、まあ縁起モンみたいなものですね。他の中年奏者たちもピアスを付けているのが数人。楽曲はエリントン楽団絡みの有名曲で、一部アレンジは初老ピアニストのトミー・ジェイムズがやっているようだ。ちょっと酩酊キブンという風情(あくまで風情で、飲んではいなかったかな)を持つジェイムズさんは要所を気分屋っぽく押さえる演奏で、それはまさにリズム・ギターならぬ“リズム・ピアノ”という感じ。ポール・エリントンがファースト・ショウにもいた人はと問い、お客に挙手させたら、ジェイムズも子供のようにハーイと手を挙げる。ハハ。ともあれ、肩のこらないビッグ・バンドの醍醐味はいろいろで、ふふふ。

 晴れの娯楽の場のために存在し続けてきたジャズのビッグ・バンドに女性シンガーが帯同するというのはなかば決まり事だが、今回同行したシンガーはぼくがかなり好きなニコール・ヘンリー(2008年4月25日)。うれしい。コンテンポラリーな柄のドレスを来て登場した彼女は身長が高いのでとても見栄えがする。アルバムだと余分な澱をいっさいつけないニュートラルな歌い方がポイントとなる彼女だが、ここでは厚いバンド音に負けずにエモーショナルに、ときにけっこう気張ったスキャットなども見せ、確かな地力があることをあっさりアピール。感心。歌ったのは4曲ほどだったか、もっとフィーチャーしてほしかったな。

 ヘンリーは、フィリー生まれ。6年間チェロを学び、マイアミ大学で建築を専攻し、女優業(けっこう、マックやアムトラックなど大クライアントのTV-CFにも次々出ていたよう)やダンス・ミュージック経験も持つ彼女は、ジャズ一直線ではない人。実はジャズに邁進するようになって、まだ7年たらずで、いまだ新鮮にジャズに恋をしているという人物である。話を聞くと快活にしてクール、マイアミに住みつつちゃんとレコードを出して行くために自分のレコード会社(バニスターという)を運営してもいるとか。そんな彼女は、クリスマス・シーズンに自分のワーキング・バンドを伴って再び来日する。

 タイプもやっていることも異なるが(ジャズは豊かなアメリカの文化という認識を持っているというのは重なるかも)、実力も姿勢も秀でた二人のアフリカ系米国人女性歌手の実演に触れることができてうれしい夜……。

 渋谷・公園通りクラシックス。橋本一子(ピアノ、少しヴォーカル)、橋本眞由己(ヴォーカル)、堀沢真己(チェロ)、小田島亨(フルート、オーボエ、クラリネットなど、リード類を6種類ぐらい用いたか)、加藤みちあき(g)という布陣によるライヴ・パフォーマンス。いろんな意味で、驚いたし、新たに思うことをいろいろ得た実演だった。

 1部と2部あわせて7分の4ぐらいは、今年ソロ・アルバムを出した橋本眞由己のヴォーカルをフィーチャーするのだが(他は演奏陣によるカルテットで。ときにはデュオやトリオでも)、その総体をなんと説明したらいいのか。……アートとポップ、その間を行き来するというか、いろんな音楽様式と繋がりつつも、それらに属するのを拒否するような表現というか。壮絶さは随所に、であるのに物凄く優美な表現たりえてもいる。しかも、それはこの顔ぶれによるライヴ・パフォーマンス用のもの(リハもけっこうなされたはず)で、アルバムにはなっていないというのもすごい。そのうち、形になるのかもしれないが、今のことろは“宙に溶けていく音楽”というわけで、ほんと生理的に贅沢なライヴ・ミュージックであると思わずにはいられなかったな。

 高度なセンスと多大な積み重ねありきの難しそうな楽曲を飄々と、ときに悪戯っぽく開示。楽譜に書かれたものながら、その先を読み取り、協調しながら広げて行こうという意思がそこにはおおいに横たわる。みんな上手いし、ほんとスタイリッシュ。ぼくはわりとギター奏者がよく見える所にいた前にいたのだが、その感性の権化のようなエフェクター多用の演奏にはシビれた。ぼくは今回初めて彼に接したが、普段は演奏家として以上に、作曲家/プロデューサーとして活躍する人らしい。また、そこに乗る橋本眞由己のヴォーカルの上手くて、風情のあること。やはり、それはどこにも属さぬ感覚も。いやあ、すごい。ちゃんとした歌だけだと、姉(橋本一子)を凌駕しますね。

 「ラーゼフォン」というアニメがあって、橋本一子(2002年5月3日、2006年10月25日)は音楽だけでなくそこで声優もやっているのだそう。それで、2部の始まりでは、同アニメの監督とまずは対談。この分野に興味が持てないぼくには、まるで雲をつかむような話(ようは、ワケが分かんねー)だった。2部はそのアニメのために書いた曲なんかもやったよう。うち1曲はそのためにJ・ポップを意識して書いたとのことだが、ぼくにはまったくそうには聞こえず。だって、メロディ性はあったかもしれないけど、それは照らし出すものが深く、またあまりに示唆に富むものであったから。なんにせよ、冒険心や我が道を行く超然としてて高潔な、大人の美意識に富んだボーダーレス・ミュージックがそこにはあった。

 終了後、急いで西早稲田でやっているナイスな1歳先輩の誕生会に行く。なるほど、今日はボジョレー・ヌーボウの解禁日でもあったのか。今年は出来が良いらしいが、1杯飲んだだけでは(いや、沢山飲んでも、かな)、よく分かんねえ。やっぱし、ヘヴィなほうがぼくはうれしい。珍しいっぽい焼酎があったので、そっちをぼくは楽しむ。ま、いまだ飲めれば何でもいい、というところがなくはないぼくですが←それ、改めたい。

 レイ・チャールズ、マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル、ダイアナ・ロス、チャカ・カーンらのものをはじめ様々な名曲を60年代中期から提供し、70 年代に入ると自らもパフォーマーとして活動するようになった夫婦デュオの実演……。ピアノ、キーボード(白人のおばさんだったが、コーラスを本当にうれしそうに取っていた)、ギター、ベース、ドラム、バッキング・シンガーという布陣。もう次から次へと、聞く者を幸せなキブンにさせるメロディアスで張りのあるソウル曲が送り出される。その様に触れながら、彼らは米国黒人音楽史のある種の部分をしっかりと担っている偉人チームなのだなと思わずにはいられず。2、3曲でヴァレリーは少しピアノを弾いたりも。いい感じぢゃん。たぶん、旦那のニコラス・アシュフォードは歌詞のほう、女房のヴァレリー・シンプソンのほうは旋律のほうの主導権を取ってきているのではないかな。

 今回、生の場で円満な気持ちのもと開かれる楽曲群を聞いて感じずにはいられなかったのは、それらの骨幹をなすのは正統なゴスペル感覚であるということ。それを、二人は同時代的なテーマ(ストーリー)や洗練を与えて、その時々の輝かしいR&B楽曲にしていた! すばらしい、手練。アシュフォードは1942年生まれ(ジミ・ヘンドリックスと同じ)で、シンプソンは1946年生まれ。とくに、アシュフォードのほうは全然ふけないなあ。シンプソンは少しふとったが、可愛らしさを維持。そんなお二人、いまだ仲が良さそうなのはなにより。なんでも、シンプソンのほうがオフでは主導権を握っているそう。

 南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。今年早々にライヴのCDとDVDが出たのは知っていたが、買ってはいなかった。買いにいかなきゃ。

 うわー、朝10時からの取材。しかも、場所が(生理的に遠さを感じさせる)お台場のホテルということで、久しぶりに目覚ましをセットして起きる。余裕を見て、8時40分に家を出た。普通だったら、車で行くところだが、時間もいまいち読めないこともあり素直に電車を用いる。どんどん、運転が好きくなくなっているかも。この時間の池尻大橋駅はまだまだ車両が混む。田園都市線の沿線に引っ越した知人は行き帰りの混んだ車内が嫌で、みんな後悔してるよなー。渋谷駅手前にさしかかると、前が詰まっているのかのろのろ運転。それも、なんかストレス溜まる。そして、車内放送は、銀座線が渋谷〜三越前の間で止まっている事を伝える。表参道乗り換えで銀座線経由でゆりかもめを使うか、渋谷乗り換えでりんかい線で行くかキブンで選ぼうと思っていたが、OK、東京テレポートで降りてから少し歩くけどりんかい線で行きましょう。複数の選択肢があると問題ないが、一つだけの交通手段しかなかったら、こういう事があると怖いな。

 正午少し前に家に戻ってきてガンガン原稿を打ち、日が暮れて、またライヴの時間。渋谷・クラブクアトロで、米国でブレイクしちゃった(シングル1位とアルバム8位)、アウル・シティーと名乗るはミネソタ州在住のニュー・カマーを見る。ラヴリーなポップ曲を自宅録音ぽい設定で聞かせるというイメージがあったが、プリセットの同期音はつかっていたものの、ちゃんとアルバムから発展したものを開こうとしていたのはあっぱれ。それを具現するために用意したミュージシャンはヴァイオリン、チェロ、キーボード、ドラム。ドラマー以外は女性で、20代半ばとおぼしき彼はけっこうまっすぐな情緒を出しながら歌う。電気ギターやキーボードを弾く場合もあるが、ただ立って歌う場合も多かった。ちゃんと、曲を書く事ができる人が売れるのはいいこと。そして、そんな彼はちゃんと色づけに留意する意欲を持っているというのを了解。実は、彼は前座で、このあとメイ(2008年2月15日)がフロント・ライナーとして登場したはずだが、移動する。入場時に、かつてフジ・ロックでのファットボーイ・スリム公演(2005年7月30日)の際に配ったような3Dの眼鏡をもらったが、彼らはそういう設定の実演をしたのだろうか。

 次は、ホテルグランパシフィック・ル・ダイバのバカでかい宴会場で、フランスのスーパー・スターのパトリック・ブリュエルを見る。ほんと、映画俳優でもある彼(過去の来日は、映画祭がらみ)は本国では物凄い人気者らしい。そんな大物シンガー・ソングライターが突然ひょっこりやってきたのは、在日フランス商工会議所が威信をかけた豪華ガラ・パーティ(正装の方々が650人いたよう)に出演するため。前日に来日し、翌日には帰国。彼にはその様を収めるTVクルーが同行してきているという。

 9時すぎに、彼は生ギターを弾きながら登場。もう、フランス人はまさに拍手喝采、文字通りに。ピアノを弾くときも少しあったが、基本はギターの弾き語り。途中からはサポートのギタリストも加わり、二人でショウを進める。驚いたのは、いつ覚えたのか、日本語のMCをけっこうしたこと。2曲目はなんと日本語で歌う。うわあ。よほど耳や頭がいいのか、努力の人であるのか。主のMCもあまりフランス語はつかわず、まだ日本人には分かり易いと判断したのか、英語でする。若い頃はやんちゃ坊や的な魅力でアイドル人気を得たんだろうと思わせる彼は、気配りパフォーマンスの見事な達人だった。

 ショウは1時間を超えるものだったが、簡素なお膳立てにも関わらず、華やかになんら飽きさせることなく、聞き手を引き付けていたのは流石。いろんな曲をうまく並べ、巧みなステージ・マナーとともに思うまま自分を開く様には力がたっぷり。あと、歌声が朗々、よく通る。それも、聞く者をしっかりと引き付けますね。やはり、タマが違います。最後の方で、古いシャンソン「メニルモンタン」をやった際は、うながされてフランス人の方々は男女で腕を組んで踊る。途中にはキャロル・キングの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」を、広がりのある和音の置き換えを施して披露もした。

 冒頭に触れた朝一の仕事はそのブリュエルのインタヴューだったわけだが、面白かった。やはり、名をなす人はそれなりのモノを持っていますね。彼はアルジェリア生まれ(1959年当時は、まだフランス領)で、3歳からパリ在住。アルジェリアという事項だと著名サッカー選手のジダンを思い出すが、彼も子供のころはサッカーに夢中だったという。とうぜん、パリ・サンジェルマンの熱烈応援者。サッカー界では、いまワールドカップ予選のフランスvs.アイルランドの試合の誤審が話題(フランスのアンリがハンドの反則をしたあとに点が入って勝利。それで、アイルランドは本大会出場を逃した。FIFAは再試合しないことを決定)だが、彼は“あれは再試合をするべきだと思っている”ときっぱり。リベラルな人。彼はライヴ・アルバムを数多く出していることにも表れているように、ライヴが好きで力を入れている人だが、でも人種差別を掲げる極右政党に所属する市長が選ばれている都市では公演をしないようにしているらしい。そんな彼はめっぽう腕の立つポーカー(トランプ)・プレイヤーで、それでものすごい額を稼いでいることでも本国では知られるよう。また、ミレニアム以降でも3度結婚しているとの情報があるなど、女性についてもお盛んとか(でも、4歳と6歳の息子がかわいい、とも言っていた)。ロッド・スチュアートのように女性についてはどん欲なようですがと問うと、「声がかれているから似ているんじゃないかナ」。ポーカーと女性、どちらが音楽にいいリアクションを与えていいますかと聞いたら、さらりと女性と言って微笑む。ブリュエルさん、素敵です。

 フィッシュボーン(2007年4月6日、他)は実存する人たちのなかで唯一絶対服従のバンド。常日頃からそう言って憚らない私ですが、やはりそれは正しい、と思ってしまったかな。

 そのフロント・マンのアンジェロ・クリストファー・ムーアがひょっこり来日中、各所で日本在住のミュージシャンたちと重なり、ボエトリー・リーディング主体のパフォーマンスを鋭意やっている。ドクター・マッド・ヴァイブという名前は自分の言葉を中央においたソロとしての活動を行うときに用いる名前で、その名を冠したソロ・アルバムを彼は3枚(たぶん)出している。とくに、05年発表のホーン音が百花繚乱しいろんな肉声とぶつかったり溶けたりする『Dr. Madd Vibe’s Medicine Cabinet』(Mooremapp)は超音楽的でもあり、オルタナティヴ・ラップの大傑作とぼくは信じる。

 横浜・グラスルーツ。まず犬式のフロントマン、三宅洋平が特徴的な声でリーディング。犬式の歌詞にもサッカーねたが出てきたりもするが、すごいサッカー好きなんだな。彼が30分ぐらいやったあと、その設定を引き継ぐようにアンジェロ(例によって、ちゃんと気を使った格好なり)のギグが始まる。ハンサムな在日米国人電気ベーシストや日本人電気パッド奏者を従え、本人はサックスやテルミンを操りつつ、フリー・スタイルで存在感のある肉声を投げ出して行く。途中からは、けっこう歌う感じもあったりし、あのフィッシュボーンのアンジェロという手応えがごんごん押し寄せてくる。生々しくも、怒濤。うーん、やっぱりこの言葉にならないうれしい感覚はアンジェロでしかありえないという思いとともに、感激がもあもあもあもあ〜。アンジェロと協調者との関係もかなり有機的なものであったはずで、それには少し驚く。

 会場は小振りな店なこともあり、とうぜんフル・ハウス。けっこう若い人や女性が多かった。会場では、『Dr. Madd Vibe’s Medicine Cabinet』のジャケット絵も描いているシンパの日本人アーティストとコラヴォレイトしたTシャツ(1500円。安いっ)やコミックとCD(2曲入り。傑作)のセットを販売していたりも。今回は詩集は販売していなかった。

 B.T.エクスプレスはNYのブルックリン(名前の最初のキャップはブルックリンの略ではなかったか)で結成されたファンク・バンド。クール&ザ・ギャングとかを追う存在として日本でも70年代中期にはけっこう紹介されていたはずだが、ぼくはちゃんと聞いたことはなかった。でも、この手のバンドの実演は間違いないハズで、なんかぼくの期待値はかなり高いものがあったかも。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。

 ステージ上には8人がずらり。おお、昔の由緒正しいセルフ・コンテインド・グループという感じがたっぷり。うち、ベース奏者とパーカッション奏者とドラマーは老けているので、古くからのメンバーなんだろうなと推測。あとは、女性シンガー(ちゃんとしたマナーを持つ。金属的な声質は好き嫌いが別れるだろうが)、キーボード、サックス二人(ともに、ジャズの道を通ってきたのが分かる)、ギターという編成。で、がちんこなファンキー傾向曲でずんずん進んで行く。インスト部にも力を置くバンドだけに、演奏は確か。MCで11年ぶりの来日と言っていたが、そうか来日も過去しているのか。

 リック・ジェイムズ曲やシック曲、ブルース曲なんかもやる。それにより、ちょいトップ40バンド的な安さが出るようにも思うが、それは長年のライヴ活動を続けているうちに出された指針でもあるのだろう。アンコールはインスト傾向曲ながら75年に米国総合トップ10内に入った(そういう時代だったのだ)、ヒット曲「エクスプレス」。が、途中からそれはマヌ・ディバンゴの「ソウル・マコッサ」となり、彼らはうれしそうにそれを延々と続ける。ぼくも、とってもうれしくなる。あとで調べたら、カメルーン出身の豪快ファンキー・マコッサ野郎の同曲は米国で唯一の彼のヒット曲だったのだな。それは73年のことだったので、それに親しみつつ、「エクスプレス」を作ったのかもしれない。演奏時間はちょうど1時間半。

 続いて、南青山・ブルーノート東京に。出演者はブルガリアの方々だったのだが、場内はちゃんとした格好をした外国人とわりと年配の日本人が多く、いつもと雰囲気が違う。それは、ブルガリア大使館関係者がたくさん、と説明したくなるものであったか。

 カヴァルという木製の縦笛(羊飼いが用いたものとかで、欧州最古の楽器とも言われるそう)奏者に、ピアニスト(ピアノの上に置いたキーボードでベース音を出す場合も)とドラマーが付く。そのサポートの二人はもろにジャズの流儀をもっており、ぼくは思わずコラ・ジャズ・トリオ(2009年8月30日)のブルガリア版かと思ったり←誇張あり。ただ、ジャズ・スタンダードなんかはやらず、彼らはすべてスパトフの微妙な濃淡/紋様を感じさせる静謐な自作曲(うわあ、すげえ曖昧な書き方。実は、ブルーノートのあと3軒ハシゴしちゃって、細かいこと忘れちゃった)をやっていたんではないか。乱暴な言い方になるが、3人はブルガリアのある種の断面とジャズ的整合性を握手させたようなパフォーマンスを展開した。ただ、もろなインプロものからけっこうクラシック調やエスノ調までかなり彼の作品は振り幅があるようなので、この晩のパフォーマンスはその一部分なのだろう。ちなみに、カヴァルは素朴なフルートといった感じの音色だったかな。それを、スパトフはあっさり雄弁に吹く。また、彼は少し歌い、“口(くち)タブラ”みたいな口芸も延々と見せたりも。そういうの、ブルガリアの伝統にあるのだろうか。それから、途中からはブルガリアのいいとこの娘さんてな感じ(事実、父親は同国クラシック界の大御所らしい)の女性歌手が出てきて、涼し気に歌ったりも。なお。彼女が前面に立ったときは、「ワン・ノート・サンバ」や「イパネマの娘」といったブラジル曲を歌った。音大の打楽器学科を出ているそうな彼女は一部ではコンガをソツなく叩いたりも。

 来日した際には、重要な事項をすっ飛ばしてでも、見に行く価値があるパフォーマー(2007年8月24日、2008 年12月4日、他)。その最たる人……。いつ見ても強固な自分とともに歌える事や米国黒人音楽の底なしの素晴らしさを出す様にはほんと頭がさがっちゃう。しかも、旬の輝きを毎度もっているんだから! 丸の内・コットンクラブ。セカンド・ショウ。1時間半のパフォーマンスはあっという間でした。

 今回もろなスキンヘッドになっていた(!)彼女の同行者は、ベーシスト、ピアニスト、ドラマー、リード奏者という布陣。来年2月にビリー・ホリデイ・トリビュートのアルバムを発表するようで、今回はその設定によるもののよう……。というわけで、今回は真面ジャズ色が強い設定の上で、鉄砲ノドや破格のキャラを開放していたと言えるはず。だけど、途中にノリでJBの真似をしたりもし、相変わらず問答無用のアタシ全開のココロあるパフォーマンスが展開されたな。とにかく、言葉を失うぐらいに、器量と技量が破格! 結論:米国黒人音楽が好きだったり、興味があったりしたなら、ジャズに興味がなくても絶対にディー・ディーには触れておくべきだ。

MIKA

2009年11月30日 音楽
 レバノンのベイルート(83年)生まれ〜ロンドン育ちの自作自演派の公演は、新木場・スタジオコースト。昨年出たファースト作を聞いて夢見る王子様的ピアノ・ポップの才ある担い手というイメージがぼくのなかに出来上がっていたが、実演に触れると、もっと広がりがあって、豊かな含みを持つ。うーむ、興味が倍加し、相当に感心した。

 バンドはキーボード、ギター、ベース、女性のドラム、女性バッキング・コーラス(日本人の血が半分はいっていると紹介されていた)という陣容。彼らは、ちゃんと統一したトーンの衣装で着飾っている。冒頭はそのバンド・メンバーによる寸劇。一人をのぞく4人が次々に出てきてステージ中央に置かれたソファーに座り、(ステージ背後のヴィジョンに映し出される)旧いモノクロ映画やBBCニュースを見ていて、そのニュースは米国のロケットの発射の様子を伝えるもの。そのさい、いい感じで流されていたのは、ノスタルジックなスウィング・ジャズ。それに合わせて手拍子していた聴衆はロケットが発射された時にはメンバーたちと一緒に拍手喝采。もう、それだけで、このショウはすげえ一体感を持っているゾと思わせられる。そして、ヴィジョン前に設えられた渡り廊下のようなところに宇宙飛行士が登場し、宇宙服を脱ぐ。それがミーカだった。

 てな、具合で始まったショウは、きらびやかで、設定も起伏に富む。音楽のほうも、歌も演奏もばっちり。とくに、褐色の女性ドラマーには♡。どかすか力まかせにジャストなビートを送り出していてクッキリ、最初プリセットのビート音を併用しているのかと思ってしまったもの。エレクトロ・ポップ調の曲では一部つかっていたかもしれないが、基本はばっちり生音で勝負していたはず。そして、感心させられるのはそういうめくるめくバンド音をちゃんと彼が掌握し、導いていると思わせた事。あと、生だとミーカはよりソウル・ミュージックの影響を受けていると思わされる。その、笑顔の芸能感覚、ファルセット多用のイケてるヴォーカリゼイションなんかに触れると。そして、そうしたもろもろのことを鑑みると、彼に一番影響を与えているのはプリンス(2002年11月19日)ではないかとも思ってしまう。あと、ときに他愛ない、子供っぽい設定を大真面目に広げるところはベック(2009年3月24日、他)の諧謔感覚と似ているかも……。

 といったわけで、ショウの進め方にしても、音楽自体の質にしても、これはアルバム2枚出したばかりの20代半ばの青年がやることではない。すごい、手だれ。でもって、客扱いがとてもお上手。熟達者のように奥はきっちり締め、表面上はニコニコとポップ・スターのように(実際、そうなんだけど)ヘラヘラとショウを進める様には、素直に降参。物事の両面を持つことは美徳なり。また、感心したのはMC。それも気安くウィットに富むものなのだが、彼はけっこう日本語を連発する。そして、ショウが進むうちにはっきりしてきたことは、彼はにわかで覚えたものを言っているのではなく、英語で言った事、伝えたい事の内容をちゃんと考えてたどたどしいながら日本語に置き換えてしゃべっていた! 親日家であるらしいが、彼はちゃんと日本語を勉強しているナ。また、途中では、仲良しらしい宇多田ヒカルを呼んで、一緒にクリスマス・ソング(「レット・イット・スノウ」だったかな)をほほえましく歌った。

 ポップで、チャーミング。そんなパフォーマンスを笑顔で気持ちをこめて進める彼なんだもの、そりゃ満員のオーディエンスが熱狂/発情しないわけがない。彼らは(いや、“彼女たち”のほうが比率は高いはず)熱烈な反応をかえすだけでなく、よく歌詞も覚えていて、一緒に歌う。こんなに合唱大会になる公演もそうはない。

 終演後、偶然知り合いと合う。その知人は、チケットを確実に購入するため(事実、この公演はすぐに売り切れたようだ)にわざわざスマッシュのチケット会員になったのだそう。きっと、そういう熱心なファンがたくさんいるんだろうな。この素敵きわまりない公演を見て、ぼくはそう思わずにはいられなかった。

 先にベックを引き合いにだしたが、彼はツアーのたびに設定を思うまま変える人。一時期はかなりプリンスにカブレたそれを提示したとこもあったのだが、そんなベック同様に、ミーカも今後、ツアーのたびに設定を思うままころころ変えて行くのではないだろうか。今後が楽しみでしょうがないな。すでに提出済みの、クロスビート誌の年間ライヴ・ベスト5のリストのなかの一つを、この公演に差し替えることにしました。