橋本一子presents“室内楽的 未来への扉”
2009年11月19日 音楽 渋谷・公園通りクラシックス。橋本一子(ピアノ、少しヴォーカル)、橋本眞由己(ヴォーカル)、堀沢真己(チェロ)、小田島亨(フルート、オーボエ、クラリネットなど、リード類を6種類ぐらい用いたか)、加藤みちあき(g)という布陣によるライヴ・パフォーマンス。いろんな意味で、驚いたし、新たに思うことをいろいろ得た実演だった。
1部と2部あわせて7分の4ぐらいは、今年ソロ・アルバムを出した橋本眞由己のヴォーカルをフィーチャーするのだが(他は演奏陣によるカルテットで。ときにはデュオやトリオでも)、その総体をなんと説明したらいいのか。……アートとポップ、その間を行き来するというか、いろんな音楽様式と繋がりつつも、それらに属するのを拒否するような表現というか。壮絶さは随所に、であるのに物凄く優美な表現たりえてもいる。しかも、それはこの顔ぶれによるライヴ・パフォーマンス用のもの(リハもけっこうなされたはず)で、アルバムにはなっていないというのもすごい。そのうち、形になるのかもしれないが、今のことろは“宙に溶けていく音楽”というわけで、ほんと生理的に贅沢なライヴ・ミュージックであると思わずにはいられなかったな。
高度なセンスと多大な積み重ねありきの難しそうな楽曲を飄々と、ときに悪戯っぽく開示。楽譜に書かれたものながら、その先を読み取り、協調しながら広げて行こうという意思がそこにはおおいに横たわる。みんな上手いし、ほんとスタイリッシュ。ぼくはわりとギター奏者がよく見える所にいた前にいたのだが、その感性の権化のようなエフェクター多用の演奏にはシビれた。ぼくは今回初めて彼に接したが、普段は演奏家として以上に、作曲家/プロデューサーとして活躍する人らしい。また、そこに乗る橋本眞由己のヴォーカルの上手くて、風情のあること。やはり、それはどこにも属さぬ感覚も。いやあ、すごい。ちゃんとした歌だけだと、姉(橋本一子)を凌駕しますね。
「ラーゼフォン」というアニメがあって、橋本一子(2002年5月3日、2006年10月25日)は音楽だけでなくそこで声優もやっているのだそう。それで、2部の始まりでは、同アニメの監督とまずは対談。この分野に興味が持てないぼくには、まるで雲をつかむような話(ようは、ワケが分かんねー)だった。2部はそのアニメのために書いた曲なんかもやったよう。うち1曲はそのためにJ・ポップを意識して書いたとのことだが、ぼくにはまったくそうには聞こえず。だって、メロディ性はあったかもしれないけど、それは照らし出すものが深く、またあまりに示唆に富むものであったから。なんにせよ、冒険心や我が道を行く超然としてて高潔な、大人の美意識に富んだボーダーレス・ミュージックがそこにはあった。
終了後、急いで西早稲田でやっているナイスな1歳先輩の誕生会に行く。なるほど、今日はボジョレー・ヌーボウの解禁日でもあったのか。今年は出来が良いらしいが、1杯飲んだだけでは(いや、沢山飲んでも、かな)、よく分かんねえ。やっぱし、ヘヴィなほうがぼくはうれしい。珍しいっぽい焼酎があったので、そっちをぼくは楽しむ。ま、いまだ飲めれば何でもいい、というところがなくはないぼくですが←それ、改めたい。
1部と2部あわせて7分の4ぐらいは、今年ソロ・アルバムを出した橋本眞由己のヴォーカルをフィーチャーするのだが(他は演奏陣によるカルテットで。ときにはデュオやトリオでも)、その総体をなんと説明したらいいのか。……アートとポップ、その間を行き来するというか、いろんな音楽様式と繋がりつつも、それらに属するのを拒否するような表現というか。壮絶さは随所に、であるのに物凄く優美な表現たりえてもいる。しかも、それはこの顔ぶれによるライヴ・パフォーマンス用のもの(リハもけっこうなされたはず)で、アルバムにはなっていないというのもすごい。そのうち、形になるのかもしれないが、今のことろは“宙に溶けていく音楽”というわけで、ほんと生理的に贅沢なライヴ・ミュージックであると思わずにはいられなかったな。
高度なセンスと多大な積み重ねありきの難しそうな楽曲を飄々と、ときに悪戯っぽく開示。楽譜に書かれたものながら、その先を読み取り、協調しながら広げて行こうという意思がそこにはおおいに横たわる。みんな上手いし、ほんとスタイリッシュ。ぼくはわりとギター奏者がよく見える所にいた前にいたのだが、その感性の権化のようなエフェクター多用の演奏にはシビれた。ぼくは今回初めて彼に接したが、普段は演奏家として以上に、作曲家/プロデューサーとして活躍する人らしい。また、そこに乗る橋本眞由己のヴォーカルの上手くて、風情のあること。やはり、それはどこにも属さぬ感覚も。いやあ、すごい。ちゃんとした歌だけだと、姉(橋本一子)を凌駕しますね。
「ラーゼフォン」というアニメがあって、橋本一子(2002年5月3日、2006年10月25日)は音楽だけでなくそこで声優もやっているのだそう。それで、2部の始まりでは、同アニメの監督とまずは対談。この分野に興味が持てないぼくには、まるで雲をつかむような話(ようは、ワケが分かんねー)だった。2部はそのアニメのために書いた曲なんかもやったよう。うち1曲はそのためにJ・ポップを意識して書いたとのことだが、ぼくにはまったくそうには聞こえず。だって、メロディ性はあったかもしれないけど、それは照らし出すものが深く、またあまりに示唆に富むものであったから。なんにせよ、冒険心や我が道を行く超然としてて高潔な、大人の美意識に富んだボーダーレス・ミュージックがそこにはあった。
終了後、急いで西早稲田でやっているナイスな1歳先輩の誕生会に行く。なるほど、今日はボジョレー・ヌーボウの解禁日でもあったのか。今年は出来が良いらしいが、1杯飲んだだけでは(いや、沢山飲んでも、かな)、よく分かんねえ。やっぱし、ヘヴィなほうがぼくはうれしい。珍しいっぽい焼酎があったので、そっちをぼくは楽しむ。ま、いまだ飲めれば何でもいい、というところがなくはないぼくですが←それ、改めたい。