ケニー・バロン・トリオ。映画『パッセンジャーズ』
2009年1月7日 音楽 年末からずうっと、昼間はお日様がさす(家にいると、温室みたいであったかーい)穏やかな日々がつづく。近年稀な、という言い方もしたくなるか。夜遊びもあまりしていないため、けっこう早寝早起きの日々。普段乱れた生活しているためもあり、そういう健全なのって心地いい。……年賀状、送っていただいた方、どうもありがとうございます。それなりの付き合いを持つ人なら知っていると思うが、ぼくは年賀状を一切ださない(大学のゼミの担当教授だけは唯一出していたが、それも出さなくなってしまった。そろそろ、退官かなあ)。面倒くさいし、出してない人から届いてあちゃーごめんよおとなることもない。でも、全然届かなかったら寂しいだろうし、いや届くぶんには嬉しい。オレって、本当に勝手だ。そういうの、悔い改めるときは来るのだろうか。
午前中、懸案だったテープ起こし(取材先で録音機を借りて録ったら、やたら録音状態が悪い)をちょい気合いだしてやって原稿にまとめ、午後三に渋谷・ショーゲート試写室へ。「パッセンジャーズ」という映画を見る。コロンビア人ノーベル賞作家ガルシア・マルケスの映画監督をやっている息子のロドリゴ・マルケス(メキシコ育ち、なのか)が撮った作品。暗いトーンのなか、思わせぶりで疑心暗鬼な場面が綴られる。好みじゃないと思って見ていたが、最後の力技の展開でがらりと印象が変わる。気持ちが晴れる。微妙な余韻がじわんと沸いて来る。へえー。ご都合主義というか、かなり曖昧な含み〜展開も見られる映画だが、そんなとこは南米属性を持つ人が監督した映画だと思わせるか、な? ←それ、こじつけですね。脚本は出来合いのものをガルシアが気にいり、撮影に入ったようだが。ロケ地はカナダのヴァンクーヴァーで主要な役者は皆アメリカ人(準主役のパトリック・ウィルソンはスティーヴ・ウィンウッドに似ている)、米国トライスター映画配給なり。その後、カメラマンの森リョータくんの恵比寿で今日から始まった個展を覗いたあと、丸の内へ行って今年最初のライヴ。熟達ピアニストのケニー・バロンで、コットンクラブのセカンド・ショウ。
前回みたとき(2001年11月20日)はダイヤのピアスが一番印象に残ったバロンだが、この晩は多分していなかったな。アルバムだと広がりや現代感覚を趣味よく盛り込む彼だが、ライヴ・ショウにおいては緩い感じで老成した演奏を展開。が、弾く曲は我をほんのり出すかのようにオリジナルが中心、「NYアティチュード」とかベタな曲名を付ける人なんだな(その曲が入っていたアルバムは『NYの秋』というタイトル)。ソロ・パートを与えられた曲だけ、ドラマーはしゃかりきになって叩きまくって笑えた。リズム隊はNY在住の北川潔とフランシスコ・メラ。新作『ザ・トラヴェラー』のそれでもあり(そこには他に、傾向外ギタリストのリオネール・ルエケ;2007年7月24日他やシンガーらが加わる)、ここのところはライヴも一緒にやっているのだろう、彼らの前に譜面は一切なかった。バロンは本編中盤とアンコールで1曲づつソロ・ピアノを披露。
午前中、懸案だったテープ起こし(取材先で録音機を借りて録ったら、やたら録音状態が悪い)をちょい気合いだしてやって原稿にまとめ、午後三に渋谷・ショーゲート試写室へ。「パッセンジャーズ」という映画を見る。コロンビア人ノーベル賞作家ガルシア・マルケスの映画監督をやっている息子のロドリゴ・マルケス(メキシコ育ち、なのか)が撮った作品。暗いトーンのなか、思わせぶりで疑心暗鬼な場面が綴られる。好みじゃないと思って見ていたが、最後の力技の展開でがらりと印象が変わる。気持ちが晴れる。微妙な余韻がじわんと沸いて来る。へえー。ご都合主義というか、かなり曖昧な含み〜展開も見られる映画だが、そんなとこは南米属性を持つ人が監督した映画だと思わせるか、な? ←それ、こじつけですね。脚本は出来合いのものをガルシアが気にいり、撮影に入ったようだが。ロケ地はカナダのヴァンクーヴァーで主要な役者は皆アメリカ人(準主役のパトリック・ウィルソンはスティーヴ・ウィンウッドに似ている)、米国トライスター映画配給なり。その後、カメラマンの森リョータくんの恵比寿で今日から始まった個展を覗いたあと、丸の内へ行って今年最初のライヴ。熟達ピアニストのケニー・バロンで、コットンクラブのセカンド・ショウ。
前回みたとき(2001年11月20日)はダイヤのピアスが一番印象に残ったバロンだが、この晩は多分していなかったな。アルバムだと広がりや現代感覚を趣味よく盛り込む彼だが、ライヴ・ショウにおいては緩い感じで老成した演奏を展開。が、弾く曲は我をほんのり出すかのようにオリジナルが中心、「NYアティチュード」とかベタな曲名を付ける人なんだな(その曲が入っていたアルバムは『NYの秋』というタイトル)。ソロ・パートを与えられた曲だけ、ドラマーはしゃかりきになって叩きまくって笑えた。リズム隊はNY在住の北川潔とフランシスコ・メラ。新作『ザ・トラヴェラー』のそれでもあり(そこには他に、傾向外ギタリストのリオネール・ルエケ;2007年7月24日他やシンガーらが加わる)、ここのところはライヴも一緒にやっているのだろう、彼らの前に譜面は一切なかった。バロンは本編中盤とアンコールで1曲づつソロ・ピアノを披露。
蜂谷真紀×スガダイロー
2009年1月8日 音楽 夕方、元ディキシー・タンタス(1999年4月23日、同6月23日、同9月30日)〜ポンティアッッック・ブルーズ(2003年9月9日)の山浦“アニキ”智生くん(http://yamatomo.music.coocan.jp/index_pc.htm)と会い、渋谷でビールをぐびぐび。現在、彼はメインのバンドとしてバック・ソウル・インヴェイダーズというのをやっていて、『NEW FRONTIER』というアルバムを作って間もない。ブルース・イクスプロージョン的な音を出していたポンティアック・ブルーズからディキシー・タンタス(とっても、大好きでしたァ)でやってたようなグルーヴ・ポップ・ロック表現に戻っているところはあるか。メロディと歌心と塊感と心意気やダンディズムと洒落心がいい感じで、そこには混在する。いい出来、やっぱり才あるよなと思う。彼はピアノ弾き語りのライヴなんかもやっているという。
その後、入谷・なってるハウスに。合羽橋道具街の近く。冒険心を持つジャズの担い手を実直に扱っているという好イメージをぼくは持っていて、一度行きたかったヴェニュー。けっこうきれいなハコで、小さいながらグランド・ピアノも置いてある。出演者はヴォイス・パフォーマーの蜂谷真紀(2008年8月24日)と渋さ知らズ(2007年6月13日、他)の一員としても活躍するピアニストのスガダイロー、そのお二人の完全即興のパフォーマンス。耳を研ぎすまし、反応し合い、自在にながれていく45分ぐらいのものを休憩を挟んで一つづつ。蜂谷はいろんな歌い方をするとともに、時に鳴りもの各種やピアニカなんかも扱い、気持ちの行方を具現化しようとする。スガはアヴァンギャルドに弾いてもタッチが綺麗で明晰。黒い感覚はあまり持たないものの、(彼の生ピアノ演奏には初めて触れたが)いい弾き手だと思った。ここでは、日本酒とワインを飲む。滅茶苦茶な飲み方しとるなあ。
12時近く、銀座線に乗り換えたら、昨年の新年会以来となる旧知の週刊誌記者とばったり。おお。今年も“引き”はよさそうだ。こりゃ、流れるっきゃないでしょと、もりあがる。初めてお会いした同僚嬢とはとても交遊関係が重なっていて、びっくり。夜中、共通の知り合いに電話したりして(出やしねえ)。焼酎と沖縄ラム(やはり、焼酎ぽい)をごくごく。
ところで……。昨年暮れ(12月29日)にジャズ・トランペッターのフレディ・ハバード(1938年生まれ)が亡くなった。以下の文章は、07年春にSJ誌増刊用に書いた原稿。70年代前半までの彼、もう好きでした。
兄貴。変な意味ではなく、尊敬と憧憬の念
をとっても持てて、多少は近しく感じられる
存在に対してそんな呼び方をしたくなったり
はしないか? ぼくにとって、ジャズの世界
でそう感じた数少ない一人がハバードである。
いやあ、浪人生のころブルーノート時代の
彼のアルバムが大好きで、バカみたいに聞い
てたことがあったのだ。で、そこから得た所
感を糧に自分なりのジャズのイメージを構築
していったみたいな部分がぼくはある。と書
いてて、認知している以上にハバードはぼく
のジャズ観を規定している部分があるんじゃ
ないかと思えてきた。彼に感謝。
でも、明るい先を信じて吹きまくる様は本
当に輝いていた。60年代中期になるとちょっ
とアブストラクトなノリも入ってくるが、そ
れも本当に胸が高鳴るもの。こういうのが、
俺の求めるジャズなんだと無条件に感激しま
くったっけ。エリック・ドルフィー、ビル・
エヴァンス、ハービー・ハンコック他、その
ころのサイドマン参加演奏もきっちり耳を引
きつける。彼がマイルス・デイヴィス役を担
当したと言えるV.S.O.P.が高い評価を受けた
大きな理由は、彼がデイヴィスに媚びずに威
風堂々とした振る舞いに徹したからではない
のか。ぼくはそう感じている。それからもう
一つ、実は彼の名前は今のダンス・ミュージ
ック愛好者からは何気に知られているかもし
れない。だって、彼がCTI時代に発表しV.
S.O.P.でも取り上げている「レッド・クレイ
」はその道の大ネタ(多々、サンプリング使
用されていること)曲になっているから。
90年代を回ると健康上の理由から、ハバー
ドは一気に第一線を退いてしまった。だが、
ぼくのなかには冒険心あるサウンドを採用し
てバリバリと吹きまくる彼がしっかりといる。
で、彼の「クライシス」(61年)のテーマ
とか、ときどき口ずさみたくなる。フレディ
・ハバードはぼくにとって永遠の、リアル・
ジャズの兄貴なのだ。
その後、入谷・なってるハウスに。合羽橋道具街の近く。冒険心を持つジャズの担い手を実直に扱っているという好イメージをぼくは持っていて、一度行きたかったヴェニュー。けっこうきれいなハコで、小さいながらグランド・ピアノも置いてある。出演者はヴォイス・パフォーマーの蜂谷真紀(2008年8月24日)と渋さ知らズ(2007年6月13日、他)の一員としても活躍するピアニストのスガダイロー、そのお二人の完全即興のパフォーマンス。耳を研ぎすまし、反応し合い、自在にながれていく45分ぐらいのものを休憩を挟んで一つづつ。蜂谷はいろんな歌い方をするとともに、時に鳴りもの各種やピアニカなんかも扱い、気持ちの行方を具現化しようとする。スガはアヴァンギャルドに弾いてもタッチが綺麗で明晰。黒い感覚はあまり持たないものの、(彼の生ピアノ演奏には初めて触れたが)いい弾き手だと思った。ここでは、日本酒とワインを飲む。滅茶苦茶な飲み方しとるなあ。
12時近く、銀座線に乗り換えたら、昨年の新年会以来となる旧知の週刊誌記者とばったり。おお。今年も“引き”はよさそうだ。こりゃ、流れるっきゃないでしょと、もりあがる。初めてお会いした同僚嬢とはとても交遊関係が重なっていて、びっくり。夜中、共通の知り合いに電話したりして(出やしねえ)。焼酎と沖縄ラム(やはり、焼酎ぽい)をごくごく。
ところで……。昨年暮れ(12月29日)にジャズ・トランペッターのフレディ・ハバード(1938年生まれ)が亡くなった。以下の文章は、07年春にSJ誌増刊用に書いた原稿。70年代前半までの彼、もう好きでした。
兄貴。変な意味ではなく、尊敬と憧憬の念
をとっても持てて、多少は近しく感じられる
存在に対してそんな呼び方をしたくなったり
はしないか? ぼくにとって、ジャズの世界
でそう感じた数少ない一人がハバードである。
いやあ、浪人生のころブルーノート時代の
彼のアルバムが大好きで、バカみたいに聞い
てたことがあったのだ。で、そこから得た所
感を糧に自分なりのジャズのイメージを構築
していったみたいな部分がぼくはある。と書
いてて、認知している以上にハバードはぼく
のジャズ観を規定している部分があるんじゃ
ないかと思えてきた。彼に感謝。
でも、明るい先を信じて吹きまくる様は本
当に輝いていた。60年代中期になるとちょっ
とアブストラクトなノリも入ってくるが、そ
れも本当に胸が高鳴るもの。こういうのが、
俺の求めるジャズなんだと無条件に感激しま
くったっけ。エリック・ドルフィー、ビル・
エヴァンス、ハービー・ハンコック他、その
ころのサイドマン参加演奏もきっちり耳を引
きつける。彼がマイルス・デイヴィス役を担
当したと言えるV.S.O.P.が高い評価を受けた
大きな理由は、彼がデイヴィスに媚びずに威
風堂々とした振る舞いに徹したからではない
のか。ぼくはそう感じている。それからもう
一つ、実は彼の名前は今のダンス・ミュージ
ック愛好者からは何気に知られているかもし
れない。だって、彼がCTI時代に発表しV.
S.O.P.でも取り上げている「レッド・クレイ
」はその道の大ネタ(多々、サンプリング使
用されていること)曲になっているから。
90年代を回ると健康上の理由から、ハバー
ドは一気に第一線を退いてしまった。だが、
ぼくのなかには冒険心あるサウンドを採用し
てバリバリと吹きまくる彼がしっかりといる。
で、彼の「クライシス」(61年)のテーマ
とか、ときどき口ずさみたくなる。フレディ
・ハバードはぼくにとって永遠の、リアル・
ジャズの兄貴なのだ。
渋谷・クラブクアトロ。前座で日本人の四人組バンドが出てきて、20分ぐらい演奏。スマッシュ扱いの外タレ公演で、こういうの珍しい。女性みたいに聞こえたシンガーのベタついた感じの歌声がまったく好みじゃなくこりゃヤダと思ったが、少ししたらまっとうな歌ものロックを提供しているゾと感心。けっこう若そうな感じもあったけど、演奏技量も確かと感じた。バンド名は聞き取れず。
そして、カナダのスターズ(2008年3月7日)。メロディにしてもサウンドにしても、なんら新しいところはなく、酷い言葉で書けば手垢にまみれた語彙を使いまわしたポップ・ロックを送り出す。と書くと、かなり否定的な感じになるが、その語彙の押し出し方はとても誠意のあるもので、ふんわかいい所感を受けちゃうのだ。ポップ・ミュージックとしてのおいしいツボを抑えている、とも書けるかな。男性ヴォーカリストの声がフィル・コリンズみたいだと思える部分がありました。
深夜、個人タクシーに乗ったら、またヒュンダイ車。運転手さんが言うには、この前(2008年12月14日)の説明とは違い、日本メイカーは法人だけにしかLPガス車を卸さなくなったので、個人タクシーはヒュンダイが多くなっている……。それから、昨年秋にスペインで車ネタでうわあと驚いたことがあったんだけど、記すのを忘れていた事が一つ(スペインの車事情は、2007年10日28日の項で少し書いていますが)。それは、最後にホテルから空港まで乗ったタクシーがセアト(VW系のスペイン・ブランド)の1600ccクラスの新車だったのだが、その車がオートマティック(さらに、パワー・ウィンドウ付き)だったこと。まさに初めてスペインでオートマ車と遭遇したわけで、ものすごく衝撃(と書くと、ちょっと違うかな)を受けたのだった。おお、ついに営業車ドライヴァーがオートマ車を使い始めた! いまだマニュアル車全盛の欧州でもオートマ車が徐々に増えていくのだろうか。長年、マニュアル車に乗っているぼくは、今クラッチのない車を運転する自信がない。一昨年、オーストラリアに行ったときに一瞬オートマのレンタカーを運転しようとしたけと、恐くてすぐにやめたもんなー。
そして、カナダのスターズ(2008年3月7日)。メロディにしてもサウンドにしても、なんら新しいところはなく、酷い言葉で書けば手垢にまみれた語彙を使いまわしたポップ・ロックを送り出す。と書くと、かなり否定的な感じになるが、その語彙の押し出し方はとても誠意のあるもので、ふんわかいい所感を受けちゃうのだ。ポップ・ミュージックとしてのおいしいツボを抑えている、とも書けるかな。男性ヴォーカリストの声がフィル・コリンズみたいだと思える部分がありました。
深夜、個人タクシーに乗ったら、またヒュンダイ車。運転手さんが言うには、この前(2008年12月14日)の説明とは違い、日本メイカーは法人だけにしかLPガス車を卸さなくなったので、個人タクシーはヒュンダイが多くなっている……。それから、昨年秋にスペインで車ネタでうわあと驚いたことがあったんだけど、記すのを忘れていた事が一つ(スペインの車事情は、2007年10日28日の項で少し書いていますが)。それは、最後にホテルから空港まで乗ったタクシーがセアト(VW系のスペイン・ブランド)の1600ccクラスの新車だったのだが、その車がオートマティック(さらに、パワー・ウィンドウ付き)だったこと。まさに初めてスペインでオートマ車と遭遇したわけで、ものすごく衝撃(と書くと、ちょっと違うかな)を受けたのだった。おお、ついに営業車ドライヴァーがオートマ車を使い始めた! いまだマニュアル車全盛の欧州でもオートマ車が徐々に増えていくのだろうか。長年、マニュアル車に乗っているぼくは、今クラッチのない車を運転する自信がない。一昨年、オーストラリアに行ったときに一瞬オートマのレンタカーを運転しようとしたけと、恐くてすぐにやめたもんなー。
ヘイリー・セイルズ、マット・グランディ
2009年1月14日 音楽 南青山・カイでの、サーフロック・インターナショナル仕切りのショーケース・ライヴ。まず、ドノヴァン・フランケンレイター・バンドのベース奏者であるマット・グランディが出てきて、ナイロン弦生ギター(形が小さめだった)を弾き語り。スクエアな顔の持つ人だが、飄々と行儀の良いパフォーマンスを繰り広げる。ある意味、正統的な弾き語りを見せる、とも書けるかな。なんとなく、ゴードン・ライトフットの表現が頭に浮かぶ。
その後に、86年米国DC生まれ、今はカナダ西海岸の自然豊かな島に住むと言う女性シンガー・ソングライターのパフォーマンス。弾力性のあるベーシストとドラマーがついてのもので、15曲強を披露。ユニーバーサル・カナダ原盤のデビュー作『サンシード』は“ジャック・ジョンソン・ミーツ・ノラ・ジョーンズ”という鬼に金棒と言いたくなる味を持っていたが、実演はもっとキャピっとしてて闊達。写真より綺麗に見えたし、生ギターの技量も含め実演能力も思った以上にあるとすぐに感じたが、デヴュー作は3年前に録音されたものだというので、そりゃ異なる印象を得ても当然だろう。何曲か後打ちビートの曲を嬉しそうにやったりして、レゲエはかなり好きそう。まあ、ベン・ハーパーは大好きらしいしな。なんにせよ、今後もっと注目されるべきタレントであることは見事にアピールしていました。
その後に、86年米国DC生まれ、今はカナダ西海岸の自然豊かな島に住むと言う女性シンガー・ソングライターのパフォーマンス。弾力性のあるベーシストとドラマーがついてのもので、15曲強を披露。ユニーバーサル・カナダ原盤のデビュー作『サンシード』は“ジャック・ジョンソン・ミーツ・ノラ・ジョーンズ”という鬼に金棒と言いたくなる味を持っていたが、実演はもっとキャピっとしてて闊達。写真より綺麗に見えたし、生ギターの技量も含め実演能力も思った以上にあるとすぐに感じたが、デヴュー作は3年前に録音されたものだというので、そりゃ異なる印象を得ても当然だろう。何曲か後打ちビートの曲を嬉しそうにやったりして、レゲエはかなり好きそう。まあ、ベン・ハーパーは大好きらしいしな。なんにせよ、今後もっと注目されるべきタレントであることは見事にアピールしていました。
ザ・スウェル・シーズン。ドノヴァン・フランケンレイター
2009年1月15日 音楽 ちっぽけな個人映画でもちゃんと内容があれば大きな支持を受け、米国〜ハリウッドも頭を垂れる……近年、その最良の例と言えるかもしれない映画『onceダブリンの街角で』(その音楽はアカデミー賞もグラミー賞も該当部門を獲得)の主人公の男女お二人、もといアイルランドの人気ロック・バンドであるザ・フレイムズのグレン・ハンサード(ギター、ヴォーカル)と彼の若い音楽仲間であるチェコ人のマルケタ・イルグノヴァ(ピアノ、ヴォーカル)、2人によるユニットの公演。『onceダブリンの街角で』の監督がザ・フレイムズでベースを弾いていた事が縁で、本来音楽しか担当しないはずのハンサードたちは映画に出ることになったというが、そういう話も含めて、<ハプニングの素敵>を感じちゃうな。
渋谷・クラブクアトロ、めっちゃ入っていて、客は熱烈な反応。ベース、ヴァイオリン、ギター/キーボード、ドラムがサポート。彼らは、ザ・フレイムズのメンバーたちが主になるようだ。最初はハンサードがアコースティック・ギター(使いすぎて、カッティングがあたってボディに穴があいている。いまやトレードマーク?)の弾き語り。おお、一発目から振り絞るように熱唱。続いて、イルグノヴァが出てきてデュオとなり、3曲目からは基本バンドにて。が、曲によって、臨機応変なバッキングがなされたとも書けるかな。ときに、イグノヴァが中央に出てきて生ギターを手にしながら歌い、ハンサードがピアノを弾いたりも。両者ともまったくの余芸で、それ、イグノヴァがたまには真ん中で聴衆と向き合って歌いたかったからなんだろうな。
澄んだ気持ちと歌心あふれる……。で、驚いたのは、基本アコースティックな公演なのに、出音が相当に大きかった事。繊細さはたっぷりながら、一方ではとてもパワフルなパフォーマンスであったのは、そういう物理的な要素もあったのかもしれない。ハンサードの力ある歌を聞いていると、先達ヴァン・モリソンのことを思い出す。彼はモリソン曲も歌った! 今回、2公演ともにソールドアウトになったみたいだし、次はザ・スウェル・シーズンとザ・フレイムズの二本立て公演でもう少し大規模に興行してほしいっ。
その後、渋谷・Oイーストに移動して、ドノヴァン・フランケンレイター(2003年9月30日)を途中から見る。近年のポップ路線を踏む形のものをバンドで和気あいあいと展開。途中、昨日見たヘイリー・セイルズ(この日は前座で登場)も加わり、華をそえる。最後は生ギター弾き語り(やっぱり、彼はこっちのほうが合っているかな)、2歳にならないぐらいの子供を伴い、彼にハーモニカを吹かせたりも。
渋谷・クラブクアトロ、めっちゃ入っていて、客は熱烈な反応。ベース、ヴァイオリン、ギター/キーボード、ドラムがサポート。彼らは、ザ・フレイムズのメンバーたちが主になるようだ。最初はハンサードがアコースティック・ギター(使いすぎて、カッティングがあたってボディに穴があいている。いまやトレードマーク?)の弾き語り。おお、一発目から振り絞るように熱唱。続いて、イルグノヴァが出てきてデュオとなり、3曲目からは基本バンドにて。が、曲によって、臨機応変なバッキングがなされたとも書けるかな。ときに、イグノヴァが中央に出てきて生ギターを手にしながら歌い、ハンサードがピアノを弾いたりも。両者ともまったくの余芸で、それ、イグノヴァがたまには真ん中で聴衆と向き合って歌いたかったからなんだろうな。
澄んだ気持ちと歌心あふれる……。で、驚いたのは、基本アコースティックな公演なのに、出音が相当に大きかった事。繊細さはたっぷりながら、一方ではとてもパワフルなパフォーマンスであったのは、そういう物理的な要素もあったのかもしれない。ハンサードの力ある歌を聞いていると、先達ヴァン・モリソンのことを思い出す。彼はモリソン曲も歌った! 今回、2公演ともにソールドアウトになったみたいだし、次はザ・スウェル・シーズンとザ・フレイムズの二本立て公演でもう少し大規模に興行してほしいっ。
その後、渋谷・Oイーストに移動して、ドノヴァン・フランケンレイター(2003年9月30日)を途中から見る。近年のポップ路線を踏む形のものをバンドで和気あいあいと展開。途中、昨日見たヘイリー・セイルズ(この日は前座で登場)も加わり、華をそえる。最後は生ギター弾き語り(やっぱり、彼はこっちのほうが合っているかな)、2歳にならないぐらいの子供を伴い、彼にハーモニカを吹かせたりも。
大貫妙子。チャーリー・ハンター・トリオ
2009年1月16日 音楽 まず、六本木・STB139で大貫妙子(2005年9月14日)の公演を見る。MCによれば、アコースティックな設定のものが続いたなか久しぶりのバンド編成によるもの、とのこと。そのため、昔の曲もやろうといろいろ聞き直したけど、歌詞の部分で今は合わなくなっているものが多くなってしまっているのだとか。そうした、知りえていい情報を伝えもするMC(歌声よりも低音なんですね)は控えめに。日本担い手のライヴ・ショウに行くと長〜い垂れ流しMCに閉口しちゃうことがよくあるのだが、さすがわきまえた(?)熟練者……。いや、やはり洋楽感覚を内のどこかにちゃんと抱えていると取ったほうがいいのかな。
適切に薄口な、温もりを持つサウンドのもと、クールネスと美意識と心智をもつ大貫の声/佇まいがさあーっと溶けて行き、彼女ならではの世界がぽっかりと浮び上がる。それ、洋楽でも邦楽でもない、不可分な領域を自在に漂うもの、なんても形容したくなるか。やはり、古めの曲は拍手が沸くようで、隣の人がある曲で一句一字もらさずと言う感じで嬉々として口を動かしていたナ。バンドはキーボードの森俊之(2005年9月14日、2008年1月30日、2008年1月31日、他)、ギターの小倉博和(いろいろギターを持ち替えていた)、べースの鈴木正人(2007年1月27日、2008 年1月31日、他)、ドラムの林立夫(2001年12月16日)という名のある面々。邦人ロック・ドラムの大御所である林立夫のブラシやリム・ショットなども用いるドラミングは不器用な味を持つんだけど、ときにけっこうジャジー。流れに乗ってアクセントを加えていくという感じもあった。
最後のほうで退出し、丸の内に移動。コットンクラブ(セカンド・ショウ)で、ジャム・バンド系の人気者でもある、特殊ギター使用の変種ギタリストのチャーリー・ハンター(1999年6月22日、2002年1月24日、2006年4月17日)のギグを見る。で、好ましい方向に完全に舵を取ったと思わせるものだったナ。今のトリオの編成は、ベース音も出す彼とオルガン奏者とドラマー。のらりくらりな曲調やものすごーく曖昧な情緒のなかからそこはかとない気分を出すというのは変わらないのだが、なんせギターでオルガン音を模さなくなったぶん(当初、彼がギターとベースの音を一緒に出す奏法を編み出したのはオルガン音を出したかったから、と伝えられる)、ギタリストとしての凄さ、面白さが、素直に伝わるようになった。音楽として正しい明解さを彼は出すようになった。嬉しい押し出しが強くなった。
とにかく、太いほうの弦を上下のサム・ピッキングで出すベース音はすごいし、アルペジオのように弾く複音ギター音主体演奏も彼一流と感じさせ、やっぱりこりゃ無条件にすげェと思わせる。ときにブルース・コード曲もやったが、単音弾き主体の演奏も訴求力ばっちり(そのときは、オルガン奏者がベース音を出したときも)。その総体はまったくもって我が道を行く秀でたギタリストであるぞと思わせるものになっていたわけで、さすがマイケル・フランティ(2006年10月5日、他。大昔組んでいた、ヒップホップリシー〜時代の同僚なり)やプライマスのレス・クレイプール(ハンターのデビュー作はクレイプールがプロデューサーを務める)、ディアンジェロ(その大傑作『ヴードゥー』はハンターの個性的なギター・リフが基調になったものアリ)からも慕われた逸材じゃと実感。そして、全体から漂う、なあなあな気分……。それに触れていると、さすが筋金入りのヒッピーの母親のもと赤ちゃんのときから全米を放浪し、西海岸バークレーに定住するまで靴を履いたことがなかった、なんてエピソードにも納得させられるのだ。
適切に薄口な、温もりを持つサウンドのもと、クールネスと美意識と心智をもつ大貫の声/佇まいがさあーっと溶けて行き、彼女ならではの世界がぽっかりと浮び上がる。それ、洋楽でも邦楽でもない、不可分な領域を自在に漂うもの、なんても形容したくなるか。やはり、古めの曲は拍手が沸くようで、隣の人がある曲で一句一字もらさずと言う感じで嬉々として口を動かしていたナ。バンドはキーボードの森俊之(2005年9月14日、2008年1月30日、2008年1月31日、他)、ギターの小倉博和(いろいろギターを持ち替えていた)、べースの鈴木正人(2007年1月27日、2008 年1月31日、他)、ドラムの林立夫(2001年12月16日)という名のある面々。邦人ロック・ドラムの大御所である林立夫のブラシやリム・ショットなども用いるドラミングは不器用な味を持つんだけど、ときにけっこうジャジー。流れに乗ってアクセントを加えていくという感じもあった。
最後のほうで退出し、丸の内に移動。コットンクラブ(セカンド・ショウ)で、ジャム・バンド系の人気者でもある、特殊ギター使用の変種ギタリストのチャーリー・ハンター(1999年6月22日、2002年1月24日、2006年4月17日)のギグを見る。で、好ましい方向に完全に舵を取ったと思わせるものだったナ。今のトリオの編成は、ベース音も出す彼とオルガン奏者とドラマー。のらりくらりな曲調やものすごーく曖昧な情緒のなかからそこはかとない気分を出すというのは変わらないのだが、なんせギターでオルガン音を模さなくなったぶん(当初、彼がギターとベースの音を一緒に出す奏法を編み出したのはオルガン音を出したかったから、と伝えられる)、ギタリストとしての凄さ、面白さが、素直に伝わるようになった。音楽として正しい明解さを彼は出すようになった。嬉しい押し出しが強くなった。
とにかく、太いほうの弦を上下のサム・ピッキングで出すベース音はすごいし、アルペジオのように弾く複音ギター音主体演奏も彼一流と感じさせ、やっぱりこりゃ無条件にすげェと思わせる。ときにブルース・コード曲もやったが、単音弾き主体の演奏も訴求力ばっちり(そのときは、オルガン奏者がベース音を出したときも)。その総体はまったくもって我が道を行く秀でたギタリストであるぞと思わせるものになっていたわけで、さすがマイケル・フランティ(2006年10月5日、他。大昔組んでいた、ヒップホップリシー〜時代の同僚なり)やプライマスのレス・クレイプール(ハンターのデビュー作はクレイプールがプロデューサーを務める)、ディアンジェロ(その大傑作『ヴードゥー』はハンターの個性的なギター・リフが基調になったものアリ)からも慕われた逸材じゃと実感。そして、全体から漂う、なあなあな気分……。それに触れていると、さすが筋金入りのヒッピーの母親のもと赤ちゃんのときから全米を放浪し、西海岸バークレーに定住するまで靴を履いたことがなかった、なんてエピソードにも納得させられるのだ。
フレッド・フリス、アマッド・コンパオレ+オノ セイゲン
2009年1月17日 音楽 外見はほのぼの、熊さんみたい(ずっと昔からだよなあ)ながら、フリスは一部の人にとっては相当にリジェンダリーなミュージシャン。会場の飯田橋・東京日仏学院のラ・ブラスリーはもう満杯。49年英国生まれ(ぎりぎりまだ50代なんだァ)、彼の地のジャズとロックの関係がまだ刺激的だった70年代初頭に登場し、ヘンリー・カウ〜ジ・アート・ベアーズという意義たっぷりのアヴァン・ロック・バンドに参加したあと、80年前後からはNYのフリー/ボーダーレス・ミュージックのシーンに身を投じて、好奇心向くままに様々な人といろんな音を出している“枠をこえた”ギター奏者……。近年はオークランドの大学の教授となり作曲を教えているらしが、ウィンター&ウィンター、ツァディック、RERなど、ミレニアム以降、一段とリーダー作リリースを活発に行っていたりもする。
そんな彼を今回呼んだのは、今は日本に住んでいるという、アマッド・コンパオレというドラム/打楽器奏者。いろいろと米国のアヴァンギャルド奏者を知るらしい彼、両親はブルキナ・ファソ人とエジプト人で、サウジアラビア生まれでフランス育ちという経歴を持っているそうな。
ファースト・セットは、その2人による約45分の即興パフォーマンス。半分ぐらいは調性を感じさせる、対話……。フリスは座っているためほとんど演奏している様は見えず、ゆえにどんな奏法をしているのかまったく分らなかった(とても、残念。弓を手にしていたときがあったのは、確認できた)が、本当に多彩な音が繰り出され、舞う。コンパレオは的をいたフリー・ジャズ流れのインプロ流儀で対応。その総体はいろんなカタチをこさえる。終わったあと、こんなの音楽じゃないと一緒に来た人に小声でぶつぶつ言っているおじいさんがいるのが可笑しかった。
休憩を挟んで、その2人に、世界的なエンジニアでもある作曲家のオノセイゲン(2000年3月12日)がやはり電気ギターで加わる。フリスは彼の88年作『COMME des GARCONS』に参加してもいるが、オノセイゲンが行うライヴ・パフォーマンス(昨年は、またスイスのモントルー・ジャズ祭に出演したのか)の題材はいつも自分の曲であったわけで、どういうものになるのかと興味津々で追ったら……。おお、すげえ。面白い。そりゃ、技量的にはつたない部分はあったろうが、彼の反応や新たな展開の提示などはいけてて、さすがジョン・ゾーンをはじめNYの自由音楽シーンの逸材たちと長年渡り合ってきている人物だと思わせられる事しきり。というか、彼の耳の良さや豊かな知識に支えられた鋭敏な勘や瞬発力なんかがあらゆる活動の礎になっているんだろうなと思わずにはいられず。
出だしは、オノが弾くリフから始まり、2人が音を重ねていく。その流れでオノの弾く低音の単音アクセントがそうだったからもしれないが、ちょっと70年ごろのマイルズ・デイヴィスみたいと感じた局面も冒頭はあったか。1部と比較するなら、2部はより具体的でダイナミック。もっとメロディがあって、ステディなビートが存在したパフォーマンスと言える。こちらでフリスはシング・トークをはじめ、3、4カ所ぐらいで肉声も繰り出した! 楽器をセッティングするときちょい打ち合わせしただけらしいが、望外の具体性や力強さはなんか逆に新鮮だったな。
アンコールはオノがつまびくボサ調の調べから始まり、延々とメロディアスな協調が続く。おお、これはオノの既発のほのぼの曲(「She is She」)じゃないか。最後のほうはフリーフォームになりましたが。18日はスーパーデラックスでギグがあるが、そちらはフリス、コンパオレ、大友良英という即興のあっち側まで知り尽くした奏者のお手合わせなゆえまったく異なるもになるはずで、このセカンド・セットはとても貴重なものだったのではないかしら。この晩の演奏はしっかり録音されたようだが、製品化はなるか。
そんな彼を今回呼んだのは、今は日本に住んでいるという、アマッド・コンパオレというドラム/打楽器奏者。いろいろと米国のアヴァンギャルド奏者を知るらしい彼、両親はブルキナ・ファソ人とエジプト人で、サウジアラビア生まれでフランス育ちという経歴を持っているそうな。
ファースト・セットは、その2人による約45分の即興パフォーマンス。半分ぐらいは調性を感じさせる、対話……。フリスは座っているためほとんど演奏している様は見えず、ゆえにどんな奏法をしているのかまったく分らなかった(とても、残念。弓を手にしていたときがあったのは、確認できた)が、本当に多彩な音が繰り出され、舞う。コンパレオは的をいたフリー・ジャズ流れのインプロ流儀で対応。その総体はいろんなカタチをこさえる。終わったあと、こんなの音楽じゃないと一緒に来た人に小声でぶつぶつ言っているおじいさんがいるのが可笑しかった。
休憩を挟んで、その2人に、世界的なエンジニアでもある作曲家のオノセイゲン(2000年3月12日)がやはり電気ギターで加わる。フリスは彼の88年作『COMME des GARCONS』に参加してもいるが、オノセイゲンが行うライヴ・パフォーマンス(昨年は、またスイスのモントルー・ジャズ祭に出演したのか)の題材はいつも自分の曲であったわけで、どういうものになるのかと興味津々で追ったら……。おお、すげえ。面白い。そりゃ、技量的にはつたない部分はあったろうが、彼の反応や新たな展開の提示などはいけてて、さすがジョン・ゾーンをはじめNYの自由音楽シーンの逸材たちと長年渡り合ってきている人物だと思わせられる事しきり。というか、彼の耳の良さや豊かな知識に支えられた鋭敏な勘や瞬発力なんかがあらゆる活動の礎になっているんだろうなと思わずにはいられず。
出だしは、オノが弾くリフから始まり、2人が音を重ねていく。その流れでオノの弾く低音の単音アクセントがそうだったからもしれないが、ちょっと70年ごろのマイルズ・デイヴィスみたいと感じた局面も冒頭はあったか。1部と比較するなら、2部はより具体的でダイナミック。もっとメロディがあって、ステディなビートが存在したパフォーマンスと言える。こちらでフリスはシング・トークをはじめ、3、4カ所ぐらいで肉声も繰り出した! 楽器をセッティングするときちょい打ち合わせしただけらしいが、望外の具体性や力強さはなんか逆に新鮮だったな。
アンコールはオノがつまびくボサ調の調べから始まり、延々とメロディアスな協調が続く。おお、これはオノの既発のほのぼの曲(「She is She」)じゃないか。最後のほうはフリーフォームになりましたが。18日はスーパーデラックスでギグがあるが、そちらはフリス、コンパオレ、大友良英という即興のあっち側まで知り尽くした奏者のお手合わせなゆえまったく異なるもになるはずで、このセカンド・セットはとても貴重なものだったのではないかしら。この晩の演奏はしっかり録音されたようだが、製品化はなるか。
爆音的ギター・サウンドとどこか人なつこいキブンが合わさったロックを聞かせるスコットランドの4人組、若い頃のU2みたいなまっすぐさを感じたりもし、昨年出たUK発の新人としてはかなりあっぱれと思わせた人たちで、かなり楽しみに行ったのだが。……ぼくは、CDのほうが好きだな。ヴォーカルくんは皮ジャン/リーゼント。隣にいた同業者がけっこうジョー・ストラマーと似ているんですよと、耳打ちしてくる。へえー、なんかMCの声がストラマー(2001年11月2日、他)みたいに聞こえてきたりして。それを伝えると、骨格が似ていると声も似るんじゃないですかねえ、との返事。なんか、ノンビリした会話してんなあ。でも、それも過剰な緊張感がない公演だったからかも。グラスヴェガスには女性が一人いてドラム担当なのだが、これが座らず立って(足は使わず)タムやシンバルを叩くだけ。まあ、定石から逃れていると褒められるかもしれない(ああいうドラミングのスタイル、ロカビリーにあるじゃん。と、その後の飲みの席で発言した者あり。なるほどォ)が、これが稚拙と言わざるをえないわけで。なんか、拍子抜け。ありゃあ、発散のロックとしては大減点になっちゃうよなー。まあ、歌の力やバンドのまとまりはあったと思うが(照明も、そこそこ考えられていたかな)。約1時間のショウの最後の曲は、ロネッツの63年大ヒット曲でもある著名アメリカン・ポップ曲「ビー・マイ・ベイビー」。恵比寿・リキッドルーム。
電車があるうちに、帰宅。なんか、あまり寒くない。昼間は曇りで陽がささず寒く感じて、今シーズンほぼ初めて仕事部屋でエアコンを使ったのに。先週とかは帰り道が寒くて、しばらく夜遊びは控えようかと思ったこともあったよな。うれしくなって、途中でアイス・バーを買って、歩きながら食べる。ふぁはは。家に着いたら、お、ちょうどオバーマの就任式の中継をやっている。酔っぱらいつつ、ぼやーっと見て、いろんなことを考えた。
電車があるうちに、帰宅。なんか、あまり寒くない。昼間は曇りで陽がささず寒く感じて、今シーズンほぼ初めて仕事部屋でエアコンを使ったのに。先週とかは帰り道が寒くて、しばらく夜遊びは控えようかと思ったこともあったよな。うれしくなって、途中でアイス・バーを買って、歩きながら食べる。ふぁはは。家に着いたら、お、ちょうどオバーマの就任式の中継をやっている。酔っぱらいつつ、ぼやーっと見て、いろんなことを考えた。
ショーン・レノン、他。メイシオ・パーカー
2009年1月21日 音楽 まず、ホンダのファミリー・カーのTV-CFに出ていたりもするショーン・レノンが新たに作ったレーベル、キメラ・ミュージックのお披露目をかねたライヴ・ショウを恵比寿・リキッドルームで見る。
豪華顔ぶれが揃う。基本、バンドは日本人によるもので、ギターを黙々と弾く小山田圭吾やあらきゆうこ(ドラム)らに、在NYの元チボ・マットの本田ゆか(キーボード)らが加わる。で、そのバンドの前にギターを持つレノン、3人の外国人女性シンガー(うち、一人はレノンのガール・フレンドのよう)らが立ち、いろんな設定で曲が披露される。円満。そして、しなやか。後で名前をチェックしたら、なんと女性陣の一人はチャーリー・ヘイデン(2001年11月20日、2005年3月16日)の娘でベック他の表現に助力しまくり、リーダー作も出しているヴァイオリニスト/シンガーのペトラ・ヘイデン(レニー・ワロンカーの息子のジョーイとスペインというバンドや、同じくワロンカーの娘のアンナとザット・ドッグというバンドをやっていたこともあった)じゃないか。なお、妹のターニャ・ヘイデンは俳優のジャック・ブラックと結婚しているので、ブラックにとってペトラは義理の姉になる。さらに蛇足だが、そのヘイデン・シスターズやブラックやエルヴィス・コステロらが参加したチャーリー・ヘイデンの08年カントリー系ポップ作は目茶素敵な手触りを持つ。
そして、最後には母親のヨーコ・オノが登場、このときが一番客は沸いたかな。もう、とっくに70歳を超えているはずだが、毅然と我が道を行っていたのは間違いない。アンコールを含め、彼女は3曲で奇声を発する。ショーン・レノンとは腹違いの兄、ジュリアン・レノンは今どういう暮らしをしているのか、ショウを見ているとき、そんなことを思ったりも。恵比寿・リキッドルーム。
そして、南青山・ブルーノート東京に移動して、メイシオ・パーカー(2005年9月6日、2007年9月13日、他)。基本の顔ぶれは不動。ただし、トロンボーン奏者が元ホーニー・ホーンズのグレッグ・ボイジャーからかつてコートニー・パイン(2004年9月26日、他)の公演に動向していた英国人のデニス・ロリンズ(2000年5月30日、2001年3月12日)に代わっていた。で、なんにせよ、プロ意識みなぎる実演は好調。ほう、と感じたのは、ビートがより溜めた、含みを持つとも書ける、少しゆっくり目のそれでだいたい統一していたこと。JB曲でもそうだったので、それは意識的なはず。ファンクであることを貫きつつ、少し老成したノリを求めている、という所感もぼくは得た。「2%のジャズと、98%のファンク」という、かつての有名キャッチをメイシオは久しぶりにステージで言ったりも。2時間は平気でやった実演。十分、高揚した。
後日、ショーン・レノンにはインタヴュー。基本は、静的な印象を与える人。やっぱり父親の面影はいろいろありで、父上の大ファンであるぼくは感慨深い。彼はなんのためらいもなく、父や母とのこともいろいろ話してくれる。キメラ・ミュージックはかつて所属したグランド・ロイヤルの趣味性なんかを手本にしたいところはあるみたい。とともに、統一バンドのもといろんな人が歌うというのは、モータウン・レヴューへの憧憬なんかもあるそう。彼はニック・ケイヴやキース・リチャーズ他らいろんな人が関与したハル・ウィルナー制作のマリアンヌ・フェイスフル新作に参加しているが、それは母親とフェイスフルが知り合いで両者から頼まれたそうで、ウィルナーとは面識がなかったそう。一曲だけ参加のはずがけっこう弾いちゃった、とか。
彼は「ちょうどいい ほん」(講談社)という絵本を出したばかりだが、取材中に彼はぼくの顔をペンで描き出す。うひゃー。じっと、顔を覗き込まれたりして。“For Sato-san From Sean Lennon 2009AD”と署名付きのその絵は家宝とする。
豪華顔ぶれが揃う。基本、バンドは日本人によるもので、ギターを黙々と弾く小山田圭吾やあらきゆうこ(ドラム)らに、在NYの元チボ・マットの本田ゆか(キーボード)らが加わる。で、そのバンドの前にギターを持つレノン、3人の外国人女性シンガー(うち、一人はレノンのガール・フレンドのよう)らが立ち、いろんな設定で曲が披露される。円満。そして、しなやか。後で名前をチェックしたら、なんと女性陣の一人はチャーリー・ヘイデン(2001年11月20日、2005年3月16日)の娘でベック他の表現に助力しまくり、リーダー作も出しているヴァイオリニスト/シンガーのペトラ・ヘイデン(レニー・ワロンカーの息子のジョーイとスペインというバンドや、同じくワロンカーの娘のアンナとザット・ドッグというバンドをやっていたこともあった)じゃないか。なお、妹のターニャ・ヘイデンは俳優のジャック・ブラックと結婚しているので、ブラックにとってペトラは義理の姉になる。さらに蛇足だが、そのヘイデン・シスターズやブラックやエルヴィス・コステロらが参加したチャーリー・ヘイデンの08年カントリー系ポップ作は目茶素敵な手触りを持つ。
そして、最後には母親のヨーコ・オノが登場、このときが一番客は沸いたかな。もう、とっくに70歳を超えているはずだが、毅然と我が道を行っていたのは間違いない。アンコールを含め、彼女は3曲で奇声を発する。ショーン・レノンとは腹違いの兄、ジュリアン・レノンは今どういう暮らしをしているのか、ショウを見ているとき、そんなことを思ったりも。恵比寿・リキッドルーム。
そして、南青山・ブルーノート東京に移動して、メイシオ・パーカー(2005年9月6日、2007年9月13日、他)。基本の顔ぶれは不動。ただし、トロンボーン奏者が元ホーニー・ホーンズのグレッグ・ボイジャーからかつてコートニー・パイン(2004年9月26日、他)の公演に動向していた英国人のデニス・ロリンズ(2000年5月30日、2001年3月12日)に代わっていた。で、なんにせよ、プロ意識みなぎる実演は好調。ほう、と感じたのは、ビートがより溜めた、含みを持つとも書ける、少しゆっくり目のそれでだいたい統一していたこと。JB曲でもそうだったので、それは意識的なはず。ファンクであることを貫きつつ、少し老成したノリを求めている、という所感もぼくは得た。「2%のジャズと、98%のファンク」という、かつての有名キャッチをメイシオは久しぶりにステージで言ったりも。2時間は平気でやった実演。十分、高揚した。
後日、ショーン・レノンにはインタヴュー。基本は、静的な印象を与える人。やっぱり父親の面影はいろいろありで、父上の大ファンであるぼくは感慨深い。彼はなんのためらいもなく、父や母とのこともいろいろ話してくれる。キメラ・ミュージックはかつて所属したグランド・ロイヤルの趣味性なんかを手本にしたいところはあるみたい。とともに、統一バンドのもといろんな人が歌うというのは、モータウン・レヴューへの憧憬なんかもあるそう。彼はニック・ケイヴやキース・リチャーズ他らいろんな人が関与したハル・ウィルナー制作のマリアンヌ・フェイスフル新作に参加しているが、それは母親とフェイスフルが知り合いで両者から頼まれたそうで、ウィルナーとは面識がなかったそう。一曲だけ参加のはずがけっこう弾いちゃった、とか。
彼は「ちょうどいい ほん」(講談社)という絵本を出したばかりだが、取材中に彼はぼくの顔をペンで描き出す。うひゃー。じっと、顔を覗き込まれたりして。“For Sato-san From Sean Lennon 2009AD”と署名付きのその絵は家宝とする。
峰厚介、板橋文夫、岡田勉、村上寛
2009年1月22日 音楽 峰厚介(リード、44年生まれ)、板橋文夫(ピアノ、49年生まれ)、岡田勉(ベース、48年生まれ)、村上寛(ドラム、48年生まれ)。60絡みの熟達ジャズ・マン四者によるギグ、一応フォー・サウンズという名前のもとの公演。ぼくは何より、板橋文夫(2004年8月20日、2004年10日10日)目当てでみにいった。MCは峰がリーダーぽくこなし、演目は板橋の曲が一番おおかったはず。で、板橋は浮き気味、他の3人と見ることができる世界が違うという感じもあったな。基本、ストレートなジャズを披露。丸の内・コットンクラブ、ファースト。アンコールはドン・チェリーがじじいになってからの曲「アール・デコ」。
ステージに登場したのは、黒い髪のいかり肩の女性。顔はキリリとしていて、けっこう男性的。あれれれ、金髪だった前回の来日時(2005年1月27日)の風情や顔つきとだいぶ違うゾ。が、歌い出すと、ちょいボニー・レイット(2007年4月5日〜6日)を思い出させるハスキー声や人の良さそうなMCで、やっぱり前見たのはこの人だったよなと納得。エレクトリック・ピアノ(ヤマハを使っていたな。今日日、珍しいかも)を弾きながら歌う彼女に加え、ギター、ベース、ドラム、キーボード奏者がサポート。声はよく出るし、いろんな曲調のものも歌った。公演途中や終盤にはバンドを下げてキーボード弾き語りを披露したりも。……ノラ・ジョーンズ・フォロアーなのりでメジャー・デビューしたときはわりと抑えた歌い方をしていたわけだが、今のほうが自分のやりたいように音楽が出来ているんだろうな、と皮膚感覚で思わせるところもありました。六本木・ビルボード東京。ファースト・ショウ。
その後、某所でラフな新年会。当日午後3時ぐらいに飲み会だアと突然言ったらなんと8人も集まったときも含めれば、今年5度目の新年会。これで、打ち止めとなるはず。
その後、某所でラフな新年会。当日午後3時ぐらいに飲み会だアと突然言ったらなんと8人も集まったときも含めれば、今年5度目の新年会。これで、打ち止めとなるはず。
レデシー。面影ラッキーホール。キース
2009年1月25日 音楽 有楽町・コットンクラブ、盛況。キーボード2、ギター、ベース、ドラム、女性コーラス2という布陣にて。で、今回は過去以上にR&Bっぽい行き方を取っていて、鉄砲ノドをぶちかました(あれ、こんなにチャカ・カーンぽい歌い方したっけ、と感じた時アリ)。でも、前回(2007年11月12日)はドレスを着ていたのに対して、今回はカジュアルな格好だったのでそれは意図したことだと思う。アクションも白熱。ただし、途中で1曲、セロニアス・モンク作の大器楽スタンダード「ストレイト、ノー・チェイサー」を無伴奏でスキャット風でもってぶちかましも。確か、この曲は初来日のとき(2002年6月12日)も披露していたはず。なんにせよ、実力を痛感させる、かなりイケてたソウル・ショウ。堪能。……コットンクラブの日曜のファースト・ショウは5時からなので、いろいろその後の時間は使える。
続いて、渋谷・クラブクアトロで、日本人大所帯バンドの面影ラッキーホール。ナンセンスな日本語曲がかかるなか、お茶目な見せ方にも気を使うだろう面々は登場。初めて見るが、楽しいっ。洋楽をいろいろ知った先にある、外しの歌謡ポップ・バンドという認識を持っていたが、ぼくが触れることができた曲は旋律もけっこう洋学的な日本語ポップ曲という印象を得る。それが肩すかしでもあり、聞きやすくもあり。でも、そこにあるエンターテインメント精神は素直に笑かすものだし、フェラ・クティやワシントン・ゴー・ゴーも知っているのよというサウンドも魅力的。会場はけっこう混んでいたが、もっと受けてもいいと思えた。米々CLUBが天下をとったことがあるならば。予定時間より始まるのが遅くて、数曲しか聞けず、とても悲しい。
そして、恵比寿・リキッドルーム。マンチェスターの若手4人組のキースの出演。その2作目『ヴァイス&ヴァーチュー』を聞いて気にいってしまって、やっぱしちゃんと聞きたかった。ちゃんとひっかかりのある曲を作れ、それを勢いと適切なサイケ感覚を通して、押し出せる連中。今のマンチェスター・サウンドはなんですかと問われたら、キースをきけばぁと答えるな。ルックスもいいらしいちゃんと歌えるヴォーカルくんはときに鍵盤ひいたり、ギターを弾いたり、打楽器を叩いたりと忙しい。最後のほうで繰り出したシロフォンみたいな音を出した楽器はスティール・ドラムのような面を叩くスイス産のシンセ楽器だそう。やっぱ、褒めるに足るUKのバンドでした。
続いて、渋谷・クラブクアトロで、日本人大所帯バンドの面影ラッキーホール。ナンセンスな日本語曲がかかるなか、お茶目な見せ方にも気を使うだろう面々は登場。初めて見るが、楽しいっ。洋楽をいろいろ知った先にある、外しの歌謡ポップ・バンドという認識を持っていたが、ぼくが触れることができた曲は旋律もけっこう洋学的な日本語ポップ曲という印象を得る。それが肩すかしでもあり、聞きやすくもあり。でも、そこにあるエンターテインメント精神は素直に笑かすものだし、フェラ・クティやワシントン・ゴー・ゴーも知っているのよというサウンドも魅力的。会場はけっこう混んでいたが、もっと受けてもいいと思えた。米々CLUBが天下をとったことがあるならば。予定時間より始まるのが遅くて、数曲しか聞けず、とても悲しい。
そして、恵比寿・リキッドルーム。マンチェスターの若手4人組のキースの出演。その2作目『ヴァイス&ヴァーチュー』を聞いて気にいってしまって、やっぱしちゃんと聞きたかった。ちゃんとひっかかりのある曲を作れ、それを勢いと適切なサイケ感覚を通して、押し出せる連中。今のマンチェスター・サウンドはなんですかと問われたら、キースをきけばぁと答えるな。ルックスもいいらしいちゃんと歌えるヴォーカルくんはときに鍵盤ひいたり、ギターを弾いたり、打楽器を叩いたりと忙しい。最後のほうで繰り出したシロフォンみたいな音を出した楽器はスティール・ドラムのような面を叩くスイス産のシンセ楽器だそう。やっぱ、褒めるに足るUKのバンドでした。
デイヴィッド・バーン
2009年1月27日 音楽 良かったねー。終了後に出会う知り合いの口から、笑顔で次々にそんな言葉こぼれた公演。やっぱ、半端じゃない、バーンは。渋谷・アックス。
当人を含め、登場者たちは全て白い衣装で統一。中央でギターを弾きながら歌うバーンに加え、キーボード(派手ではないが、かなりバーニー・ウォレル;2007年8月4日 の飛び音をモノにしていた)、ベース(左利き、曖昧にして魅力的な低音を出していた)、ドラム、パーカッション(おそらく、ブラジル出身者)の演奏陣に加え、3人のコーラス隊。黒人の男女と、白人の女性。で、彼女の事をMCでジェニー・マルダーと紹介。ならば、ジェフとマリア(2006年8月23日)の娘さんで、80年代後半のトッド・ラングレン(2008年4月7日、他)“ニアリー・ヒューマン”ツアーのときバック・コーラス(レトロなガールズ・グループ風の出で立ちをしていた)として来日しているよな。でもって、母親違いの妹のクレア・マルダー(2005年5月22日)は来月やってきますね。そして、さらには半分強の曲では男性一人女性二人のダンサー(皆、肌は白い)も出てくる。で、コーラス隊とダンサーたちは(ときのは、バーンも)曲趣にあわせて絡む。それ、コレオグラファーの指導をばっちり受けてのものだったはず。そのアーティスティックで個性的であらんとする様はさすが80年代からショウの見せ方に鬼のように留意してきた、NYアートの真っただ中にいる人物(例、映像作品『ストップ・メイキング・センス』)と痛感させる。とともに、人間がきっちり事を行っているという主眼を出すような行き方はカミーユ(2008年10月3日)を思い出させたりも。お、やっぱりカミーユって凄いナ。
書きやすいから、視覚面の事(ステージ美術や照明はいたってシンプル)をずらずらと書いてしまったが、凄いショウだと唸らされせるのは、音的にもとても充実していて、音と見え方が有機的に噛み合い、意思と意気を持つ大人のロック的行為として結晶を見ていたからだ。今回の7年ぶりの来日はブライアン・イーノとの双頭作『エヴリシング・ザット・ハプンズ・ウィル・ハプン・トゥデイ』の評判を受けて実現したものと考えられるが、緩いそこからの曲をときにやりつつもショウの柱となったのは、トーキング・ヘッズの白眉期(と、ぼくは思う)『フィア・オブ・ミュージック』(79年)や『リメイン・イン・ライト』(80年)のころのファンク傾向曲(……まったくもって、素晴らしい財産!)。それが、ルアカ・バップ(かつてバーンが仕切っていた、中南米ポップを送り出すレーベル)の運営内実を加味したような感じで、肉感的かつブライトに送り出される味の良さといったなら。そして、跳ね曲にせよフォーキー曲にせよ(バック・ヴォーカル男性、ダンサー男性、打楽器男性と3人が生ギターを持ったときもあった)、それらは同じ理想を内に持つゆえか落差はない。それから、バーンの歌声もよく出ていて、じいーんとさせられたな。数年前にトーキング・ヘッズのベスト盤を聞いたときにバーンの歌ってこんなに情けなかったのかァと驚愕した記憶があるが、歌の面でも彼はどんどんインプルーヴしている!
実は、クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー!(2006年1月24日)登場以降、TVオン・ザレディオにせよフォールズ(2008年7月28日)にせよ、優秀な若手バンドはトーキング・ヘッズの影響を感じさせること多々。だが、この日のパフォーマンスに触れて、バーンは若手がおいつけないところに飄々と、見事に移っている……なーんて、所感を得ることもできたか。
本編1時間20分、アンコールには3回でてきて、そのときも密度濃し、ウィットあり。終始、熱い反応を受けて(やはり、オーディエンスの年齢層は高め)、出演者たちもとてもうれしそう。バーンは信頼できる、ロック賢人なり。天晴あっぱれ。
当人を含め、登場者たちは全て白い衣装で統一。中央でギターを弾きながら歌うバーンに加え、キーボード(派手ではないが、かなりバーニー・ウォレル;2007年8月4日 の飛び音をモノにしていた)、ベース(左利き、曖昧にして魅力的な低音を出していた)、ドラム、パーカッション(おそらく、ブラジル出身者)の演奏陣に加え、3人のコーラス隊。黒人の男女と、白人の女性。で、彼女の事をMCでジェニー・マルダーと紹介。ならば、ジェフとマリア(2006年8月23日)の娘さんで、80年代後半のトッド・ラングレン(2008年4月7日、他)“ニアリー・ヒューマン”ツアーのときバック・コーラス(レトロなガールズ・グループ風の出で立ちをしていた)として来日しているよな。でもって、母親違いの妹のクレア・マルダー(2005年5月22日)は来月やってきますね。そして、さらには半分強の曲では男性一人女性二人のダンサー(皆、肌は白い)も出てくる。で、コーラス隊とダンサーたちは(ときのは、バーンも)曲趣にあわせて絡む。それ、コレオグラファーの指導をばっちり受けてのものだったはず。そのアーティスティックで個性的であらんとする様はさすが80年代からショウの見せ方に鬼のように留意してきた、NYアートの真っただ中にいる人物(例、映像作品『ストップ・メイキング・センス』)と痛感させる。とともに、人間がきっちり事を行っているという主眼を出すような行き方はカミーユ(2008年10月3日)を思い出させたりも。お、やっぱりカミーユって凄いナ。
書きやすいから、視覚面の事(ステージ美術や照明はいたってシンプル)をずらずらと書いてしまったが、凄いショウだと唸らされせるのは、音的にもとても充実していて、音と見え方が有機的に噛み合い、意思と意気を持つ大人のロック的行為として結晶を見ていたからだ。今回の7年ぶりの来日はブライアン・イーノとの双頭作『エヴリシング・ザット・ハプンズ・ウィル・ハプン・トゥデイ』の評判を受けて実現したものと考えられるが、緩いそこからの曲をときにやりつつもショウの柱となったのは、トーキング・ヘッズの白眉期(と、ぼくは思う)『フィア・オブ・ミュージック』(79年)や『リメイン・イン・ライト』(80年)のころのファンク傾向曲(……まったくもって、素晴らしい財産!)。それが、ルアカ・バップ(かつてバーンが仕切っていた、中南米ポップを送り出すレーベル)の運営内実を加味したような感じで、肉感的かつブライトに送り出される味の良さといったなら。そして、跳ね曲にせよフォーキー曲にせよ(バック・ヴォーカル男性、ダンサー男性、打楽器男性と3人が生ギターを持ったときもあった)、それらは同じ理想を内に持つゆえか落差はない。それから、バーンの歌声もよく出ていて、じいーんとさせられたな。数年前にトーキング・ヘッズのベスト盤を聞いたときにバーンの歌ってこんなに情けなかったのかァと驚愕した記憶があるが、歌の面でも彼はどんどんインプルーヴしている!
実は、クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー!(2006年1月24日)登場以降、TVオン・ザレディオにせよフォールズ(2008年7月28日)にせよ、優秀な若手バンドはトーキング・ヘッズの影響を感じさせること多々。だが、この日のパフォーマンスに触れて、バーンは若手がおいつけないところに飄々と、見事に移っている……なーんて、所感を得ることもできたか。
本編1時間20分、アンコールには3回でてきて、そのときも密度濃し、ウィットあり。終始、熱い反応を受けて(やはり、オーディエンスの年齢層は高め)、出演者たちもとてもうれしそう。バーンは信頼できる、ロック賢人なり。天晴あっぱれ。
プライマル・スクリーム
2009年1月28日 音楽 臨海副都心・ゼップ東京。おお、このUKバンド(2000年2月11日、2002年11月16日、2005年7月31日)を見るのはなんか久しぶりのキブン。でもって、ゼップ東京(やっぱ、広い会場だなと再認識)に行くのもけっこう久しぶり。ここは飲めなくてもちんたら電車乗り継ぐよりはマシと車で行く会場なのだが、家を出ようとしたら車の鍵が見つからず、いじけつつ電車でゴー。銀座線で新橋まで行き、ゆりかもめに乗り換える。本当にこの無乗務員システムを取るモノレールはゆっくり動く。メトロポリスな夜景が綺麗だからまあいっかという気になるが、そんなの関係ない毎日の通勤客による負の情念が車両の天井にべったり張り付いている、なーんて思う。
相変わらずスリムで、歌が上手いんだか下手なんだかよくわからぬぶっきらぼうな歌い方をするボビー・ギレスビー(その様に触れながら、これはこれで英国ロック的なありかただよなーと思う)を中心に、扇情度の高いギター・ロックを送り出す。ときには、シークエンス音を膨らし粉っぽく効果的にまぶす。ステージ後方にはデカいヴィジョン、そしてそこからは派手な緑色のレーザー光線がときに発されたりもする。よく練られた、鼓舞する力が大きいロック・ショウ……。ただし、「ロックス」だったか、プリセットの女性バッキング・ヴォーカルがしらーっと重ねられたのには興ざめ。今のサポートのギタリストはケヴィン・シールズ(1999年12月5日参照)を経て、リトル・バーリー(2005年6月6日、2006年12月11日)のバーリー・ギャドガン。彼、歌えるんだから、もっとバッキング・ヴォーカルで活用すればいいのに。ギレスピーはアンコールで、「ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツに捧げる」と言ったような。彼らは、テディ・ペンダーグラスも在籍したことがある、スウィート・ソウルの名コーラス・グループだ。
帰路は知り合いの手引きで、JRりんかい線に初めて乗る。うわー、近い。20分かからず、渋谷についてしまう。ゆりかもめに乗っている時間よりも短いか。不思議、魔法みたい。往復で1.000円かかるものの、少しゼップ東京が身近になった。長年、東京に住んでいても、知っている事なんて、微々たるもんだよなー。
相変わらずスリムで、歌が上手いんだか下手なんだかよくわからぬぶっきらぼうな歌い方をするボビー・ギレスビー(その様に触れながら、これはこれで英国ロック的なありかただよなーと思う)を中心に、扇情度の高いギター・ロックを送り出す。ときには、シークエンス音を膨らし粉っぽく効果的にまぶす。ステージ後方にはデカいヴィジョン、そしてそこからは派手な緑色のレーザー光線がときに発されたりもする。よく練られた、鼓舞する力が大きいロック・ショウ……。ただし、「ロックス」だったか、プリセットの女性バッキング・ヴォーカルがしらーっと重ねられたのには興ざめ。今のサポートのギタリストはケヴィン・シールズ(1999年12月5日参照)を経て、リトル・バーリー(2005年6月6日、2006年12月11日)のバーリー・ギャドガン。彼、歌えるんだから、もっとバッキング・ヴォーカルで活用すればいいのに。ギレスピーはアンコールで、「ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツに捧げる」と言ったような。彼らは、テディ・ペンダーグラスも在籍したことがある、スウィート・ソウルの名コーラス・グループだ。
帰路は知り合いの手引きで、JRりんかい線に初めて乗る。うわー、近い。20分かからず、渋谷についてしまう。ゆりかもめに乗っている時間よりも短いか。不思議、魔法みたい。往復で1.000円かかるものの、少しゼップ東京が身近になった。長年、東京に住んでいても、知っている事なんて、微々たるもんだよなー。
下北沢・風知空知。米国在住の大学生シンガー・ソングライターのショーケース・ライヴ。米国人と日本人のハーフで京都生まれ、1歳からシアトルで育ち、現在はLA在住。ジャズトロニックの曲で歌ったり、去年や今年のShingo02のツアーに鍵盤奏者/シンガーとして参加しているという。
鼻にすこしかかった声を含め、キャロル・キングを思わせる(ところが、一番多いと思う)英語曲鍵盤弾き語り表現を披露。ジャジーだったりする場合もあるが、どう行こうとまっとうな才を感じさせるのは確か。であるとともに、ノラ・ジョーンズ的な手触りをそれほど与えないところは、逆に今武器にもなるだろう。フツーに日本語もしゃべれる彼女は現在日本語の歌詞の曲もいろいろ作っているようで、この日も2曲披露。なんか、はっぴーえんどの言葉の乗せ方と重なる感じをそれは持つか。
鼻にすこしかかった声を含め、キャロル・キングを思わせる(ところが、一番多いと思う)英語曲鍵盤弾き語り表現を披露。ジャジーだったりする場合もあるが、どう行こうとまっとうな才を感じさせるのは確か。であるとともに、ノラ・ジョーンズ的な手触りをそれほど与えないところは、逆に今武器にもなるだろう。フツーに日本語もしゃべれる彼女は現在日本語の歌詞の曲もいろいろ作っているようで、この日も2曲披露。なんか、はっぴーえんどの言葉の乗せ方と重なる感じをそれは持つか。
ザ・プレジデント・オブ・ザ・ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ
2009年1月30日 音楽 夕方、取材のために出かけて駅に入ると、田園都市線の電車が少し遅れている。ここのところ何度かそういうことがあって、遅延が多くなっているのか。で、乗り換えようとした千代田線も同様。なんとなく不吉だな、と思う。本来なら数分の遅れなぞに目くじらたてることではないのかもしれないが(過密状況にある小田急線の朝の遅延は慢性化しているとも聞く)、なんか、な。乗り入れもすくなくない今の首都圏ダイヤ状況、限界にきているのかもしれない。
乃木坂を経て、雨のなか、恵比寿・リキッドルームに。新ギタリストを迎えて再結成なった、日本語の単語も巧みに表現に織り込みけっこう我が国でも愛された(10年以上前のコロムビア時代のときに、擬音や弱肉強食とか四字熟語とかの発音を彼らに聞かせて、意味を当てさせるというおバカな取材をしたことがあったな)トリオ・バンドの久しぶりの日本公演。そのショウ冒頭の第一声は、「イラッシャイマセー」。かつて親しんでやってきたファンも多いのだろう、オーディエンスの反応は終始ホット。途中、かつてカヴァーしたバグルスのヒット曲「ラジオ・スターの悲劇」のときは大合唱でした。
と、書くとなんか色モノみたいだが、いいバンドだな。アルバムはヴァラエティに富むが、ライヴ・パフォーマンスにおいては基本、陽性でお茶目なパワー・ロックでせめまくる。で、そのことに関してはほぼ非のうちどころがない、と言いたくなる。イナセ。しゃきっとしてて、気を見て敏なサーヴィス精神もあって。ときに見せる、ベースとギターのフリも楽しいぞ。ギターリストが達者だけどソロを取らないのもマル(歌うベーシストが復音弾き、するときも)。出音はけっこう大きく(かなり音が良かったと思う)、バスドラの音はかなり強力で、久しぶりにそれを身体で感じたナ。
乃木坂を経て、雨のなか、恵比寿・リキッドルームに。新ギタリストを迎えて再結成なった、日本語の単語も巧みに表現に織り込みけっこう我が国でも愛された(10年以上前のコロムビア時代のときに、擬音や弱肉強食とか四字熟語とかの発音を彼らに聞かせて、意味を当てさせるというおバカな取材をしたことがあったな)トリオ・バンドの久しぶりの日本公演。そのショウ冒頭の第一声は、「イラッシャイマセー」。かつて親しんでやってきたファンも多いのだろう、オーディエンスの反応は終始ホット。途中、かつてカヴァーしたバグルスのヒット曲「ラジオ・スターの悲劇」のときは大合唱でした。
と、書くとなんか色モノみたいだが、いいバンドだな。アルバムはヴァラエティに富むが、ライヴ・パフォーマンスにおいては基本、陽性でお茶目なパワー・ロックでせめまくる。で、そのことに関してはほぼ非のうちどころがない、と言いたくなる。イナセ。しゃきっとしてて、気を見て敏なサーヴィス精神もあって。ときに見せる、ベースとギターのフリも楽しいぞ。ギターリストが達者だけどソロを取らないのもマル(歌うベーシストが復音弾き、するときも)。出音はけっこう大きく(かなり音が良かったと思う)、バスドラの音はかなり強力で、久しぶりにそれを身体で感じたナ。
ミッドナイト・スター。クリスチャン・スコット
2009年1月31日 音楽 前々日と同様に取材のため夕方少し前に電車に乗ったらまさしく定時に電車はやってくる。いちおう東急電鉄の名誉(?)のために記しておく。ぼくがすんでいる建物は、東急コミュニティが管理。今年度からまたとても久しぶりに、管理組合の役員になったワタシ。柄にもないけど、こればかりは住人だったらしょうがない。
まず、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)で、ミッドナイトスターを見る。客のおやじ/おばん度、高し。80年代にソーラー・レーベルで鳴らした、ケンタッキー州立大学の学生バンド起点のセルフ・コンテインド・グループ。かつてはもっと大所帯だったが、ステージには6人で登場。後にキャロウェイを結成したりもするキャロウェイ兄弟は抜けたままだが、キーボード奏者以外はオリジナル・メンバーで固めている。ステージ第一列に、紅一点のベリンダ・リプスコム(歌)、キーボードも少し弾くボー・ワトソン(地声の歌、ファルセット、ラップを器用に使い分ける)、ギターと歌のメルヴィン・ジェントリー(途中はギターを置いて、リード・ヴォーカルをがんがんとる)が位置し、彼女たちはフリでもいろいろと楽しませる。
彼らの熱心な愛好者と行ったのだが、彼が言うには全盛時のヒット曲はあまりやらず、こんなに電気色が強くなってしまったとは……。全面的にドラマーのボビー・ラヴレイスは叩くものの、同軌音は基本用いていたはずで(ベーシストのケネス・ギャントは四弦と鍵盤ベースを併用)、サウンドは確かにキーボード音が支配する。昔はシンセ/シークエンス音を多用したグループも今の実演は生音度数を高める、というパターンが多いが、彼らはそれに当てはまらない。だが、いま流行りのロボ声ももちいられたりもし、なかなかいい感じではないか。というか、それぞれの歌は力があるし、まっとうなファンク/グルーヴ感もあるし、ぼくは相当にいい気分になれたな。やー、立派。彼らは立ち上がる事を求めたり客をステージに上げたりとか、過剰なオーディエンスへの働きかけはしない(それも、いいと思えた)が、途中からはけっこうお客さんは立ち上がっていた。
そして、ブルーノート東京に移って、ニューオーリンズ出身在NYの鼻っ柱の強い若手トランペッター(2008年7月23日、2008年9月10日)を見る。ピアノ、ギター、ウッド・ベース、ドラムという布陣。うち、白人はギタリストだけだ(よな?)が、スコットはそのマシュー・スティーヴンスをおおいに信頼、MCで“マイ・ミュージカル・パートナー”と紹介する。で、そのとりとめのないギター演奏が目立つ、陰鬱で茫洋とした集団演奏が展開される。基本は、新作のライヴ盤のノリ。そのココロは大好きなレディオヘッド的なテイストをジャズの文脈で求めてみたい(まあ、それだけではないが)……ほんとうに、レディオヘッド(2008年10月4日、他)の影響力はすごいもんがあるわけだ。で、スコットのソロはサウンドに合わせてもわもわーって感じで流れていくわけだが、確かに(本人も言っていたが)吹き口のちょっとした所にニューオーリンズっ子らしい開放性/弾みが表れる。それを感じるたびに。ぼくはクスクスしていた。現在の彼の行き方が旧来のジャズの聞き手から好意的に受け入れられるとは到底おもえないし、一方クラブ・ミュージックのファンからも支持を集めるとは考えにくいが、現代ジャズを作らんとツっぱってシーンを闊歩しようとするスコットにぼくは目一杯拍手を送る。
まず、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)で、ミッドナイトスターを見る。客のおやじ/おばん度、高し。80年代にソーラー・レーベルで鳴らした、ケンタッキー州立大学の学生バンド起点のセルフ・コンテインド・グループ。かつてはもっと大所帯だったが、ステージには6人で登場。後にキャロウェイを結成したりもするキャロウェイ兄弟は抜けたままだが、キーボード奏者以外はオリジナル・メンバーで固めている。ステージ第一列に、紅一点のベリンダ・リプスコム(歌)、キーボードも少し弾くボー・ワトソン(地声の歌、ファルセット、ラップを器用に使い分ける)、ギターと歌のメルヴィン・ジェントリー(途中はギターを置いて、リード・ヴォーカルをがんがんとる)が位置し、彼女たちはフリでもいろいろと楽しませる。
彼らの熱心な愛好者と行ったのだが、彼が言うには全盛時のヒット曲はあまりやらず、こんなに電気色が強くなってしまったとは……。全面的にドラマーのボビー・ラヴレイスは叩くものの、同軌音は基本用いていたはずで(ベーシストのケネス・ギャントは四弦と鍵盤ベースを併用)、サウンドは確かにキーボード音が支配する。昔はシンセ/シークエンス音を多用したグループも今の実演は生音度数を高める、というパターンが多いが、彼らはそれに当てはまらない。だが、いま流行りのロボ声ももちいられたりもし、なかなかいい感じではないか。というか、それぞれの歌は力があるし、まっとうなファンク/グルーヴ感もあるし、ぼくは相当にいい気分になれたな。やー、立派。彼らは立ち上がる事を求めたり客をステージに上げたりとか、過剰なオーディエンスへの働きかけはしない(それも、いいと思えた)が、途中からはけっこうお客さんは立ち上がっていた。
そして、ブルーノート東京に移って、ニューオーリンズ出身在NYの鼻っ柱の強い若手トランペッター(2008年7月23日、2008年9月10日)を見る。ピアノ、ギター、ウッド・ベース、ドラムという布陣。うち、白人はギタリストだけだ(よな?)が、スコットはそのマシュー・スティーヴンスをおおいに信頼、MCで“マイ・ミュージカル・パートナー”と紹介する。で、そのとりとめのないギター演奏が目立つ、陰鬱で茫洋とした集団演奏が展開される。基本は、新作のライヴ盤のノリ。そのココロは大好きなレディオヘッド的なテイストをジャズの文脈で求めてみたい(まあ、それだけではないが)……ほんとうに、レディオヘッド(2008年10月4日、他)の影響力はすごいもんがあるわけだ。で、スコットのソロはサウンドに合わせてもわもわーって感じで流れていくわけだが、確かに(本人も言っていたが)吹き口のちょっとした所にニューオーリンズっ子らしい開放性/弾みが表れる。それを感じるたびに。ぼくはクスクスしていた。現在の彼の行き方が旧来のジャズの聞き手から好意的に受け入れられるとは到底おもえないし、一方クラブ・ミュージックのファンからも支持を集めるとは考えにくいが、現代ジャズを作らんとツっぱってシーンを闊歩しようとするスコットにぼくは目一杯拍手を送る。