良かったねー。終了後に出会う知り合いの口から、笑顔で次々にそんな言葉こぼれた公演。やっぱ、半端じゃない、バーンは。渋谷・アックス。

 当人を含め、登場者たちは全て白い衣装で統一。中央でギターを弾きながら歌うバーンに加え、キーボード(派手ではないが、かなりバーニー・ウォレル;2007年8月4日 の飛び音をモノにしていた)、ベース(左利き、曖昧にして魅力的な低音を出していた)、ドラム、パーカッション(おそらく、ブラジル出身者)の演奏陣に加え、3人のコーラス隊。黒人の男女と、白人の女性。で、彼女の事をMCでジェニー・マルダーと紹介。ならば、ジェフとマリア(2006年8月23日)の娘さんで、80年代後半のトッド・ラングレン(2008年4月7日、他)“ニアリー・ヒューマン”ツアーのときバック・コーラス(レトロなガールズ・グループ風の出で立ちをしていた)として来日しているよな。でもって、母親違いの妹のクレア・マルダー(2005年5月22日)は来月やってきますね。そして、さらには半分強の曲では男性一人女性二人のダンサー(皆、肌は白い)も出てくる。で、コーラス隊とダンサーたちは(ときのは、バーンも)曲趣にあわせて絡む。それ、コレオグラファーの指導をばっちり受けてのものだったはず。そのアーティスティックで個性的であらんとする様はさすが80年代からショウの見せ方に鬼のように留意してきた、NYアートの真っただ中にいる人物(例、映像作品『ストップ・メイキング・センス』)と痛感させる。とともに、人間がきっちり事を行っているという主眼を出すような行き方はカミーユ(2008年10月3日)を思い出させたりも。お、やっぱりカミーユって凄いナ。
 
 書きやすいから、視覚面の事(ステージ美術や照明はいたってシンプル)をずらずらと書いてしまったが、凄いショウだと唸らされせるのは、音的にもとても充実していて、音と見え方が有機的に噛み合い、意思と意気を持つ大人のロック的行為として結晶を見ていたからだ。今回の7年ぶりの来日はブライアン・イーノとの双頭作『エヴリシング・ザット・ハプンズ・ウィル・ハプン・トゥデイ』の評判を受けて実現したものと考えられるが、緩いそこからの曲をときにやりつつもショウの柱となったのは、トーキング・ヘッズの白眉期(と、ぼくは思う)『フィア・オブ・ミュージック』(79年)や『リメイン・イン・ライト』(80年)のころのファンク傾向曲(……まったくもって、素晴らしい財産!)。それが、ルアカ・バップ(かつてバーンが仕切っていた、中南米ポップを送り出すレーベル)の運営内実を加味したような感じで、肉感的かつブライトに送り出される味の良さといったなら。そして、跳ね曲にせよフォーキー曲にせよ(バック・ヴォーカル男性、ダンサー男性、打楽器男性と3人が生ギターを持ったときもあった)、それらは同じ理想を内に持つゆえか落差はない。それから、バーンの歌声もよく出ていて、じいーんとさせられたな。数年前にトーキング・ヘッズのベスト盤を聞いたときにバーンの歌ってこんなに情けなかったのかァと驚愕した記憶があるが、歌の面でも彼はどんどんインプルーヴしている!

 実は、クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー!(2006年1月24日)登場以降、TVオン・ザレディオにせよフォールズ(2008年7月28日)にせよ、優秀な若手バンドはトーキング・ヘッズの影響を感じさせること多々。だが、この日のパフォーマンスに触れて、バーンは若手がおいつけないところに飄々と、見事に移っている……なーんて、所感を得ることもできたか。

 本編1時間20分、アンコールには3回でてきて、そのときも密度濃し、ウィットあり。終始、熱い反応を受けて(やはり、オーディエンスの年齢層は高め)、出演者たちもとてもうれしそう。バーンは信頼できる、ロック賢人なり。天晴あっぱれ。