前々日と同様に取材のため夕方少し前に電車に乗ったらまさしく定時に電車はやってくる。いちおう東急電鉄の名誉(?)のために記しておく。ぼくがすんでいる建物は、東急コミュニティが管理。今年度からまたとても久しぶりに、管理組合の役員になったワタシ。柄にもないけど、こればかりは住人だったらしょうがない。

 まず、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)で、ミッドナイトスターを見る。客のおやじ/おばん度、高し。80年代にソーラー・レーベルで鳴らした、ケンタッキー州立大学の学生バンド起点のセルフ・コンテインド・グループ。かつてはもっと大所帯だったが、ステージには6人で登場。後にキャロウェイを結成したりもするキャロウェイ兄弟は抜けたままだが、キーボード奏者以外はオリジナル・メンバーで固めている。ステージ第一列に、紅一点のベリンダ・リプスコム(歌)、キーボードも少し弾くボー・ワトソン(地声の歌、ファルセット、ラップを器用に使い分ける)、ギターと歌のメルヴィン・ジェントリー(途中はギターを置いて、リード・ヴォーカルをがんがんとる)が位置し、彼女たちはフリでもいろいろと楽しませる。

 彼らの熱心な愛好者と行ったのだが、彼が言うには全盛時のヒット曲はあまりやらず、こんなに電気色が強くなってしまったとは……。全面的にドラマーのボビー・ラヴレイスは叩くものの、同軌音は基本用いていたはずで(ベーシストのケネス・ギャントは四弦と鍵盤ベースを併用)、サウンドは確かにキーボード音が支配する。昔はシンセ/シークエンス音を多用したグループも今の実演は生音度数を高める、というパターンが多いが、彼らはそれに当てはまらない。だが、いま流行りのロボ声ももちいられたりもし、なかなかいい感じではないか。というか、それぞれの歌は力があるし、まっとうなファンク/グルーヴ感もあるし、ぼくは相当にいい気分になれたな。やー、立派。彼らは立ち上がる事を求めたり客をステージに上げたりとか、過剰なオーディエンスへの働きかけはしない(それも、いいと思えた)が、途中からはけっこうお客さんは立ち上がっていた。

 そして、ブルーノート東京に移って、ニューオーリンズ出身在NYの鼻っ柱の強い若手トランペッター(2008年7月23日、2008年9月10日)を見る。ピアノ、ギター、ウッド・ベース、ドラムという布陣。うち、白人はギタリストだけだ(よな?)が、スコットはそのマシュー・スティーヴンスをおおいに信頼、MCで“マイ・ミュージカル・パートナー”と紹介する。で、そのとりとめのないギター演奏が目立つ、陰鬱で茫洋とした集団演奏が展開される。基本は、新作のライヴ盤のノリ。そのココロは大好きなレディオヘッド的なテイストをジャズの文脈で求めてみたい(まあ、それだけではないが)……ほんとうに、レディオヘッド(2008年10月4日、他)の影響力はすごいもんがあるわけだ。で、スコットのソロはサウンドに合わせてもわもわーって感じで流れていくわけだが、確かに(本人も言っていたが)吹き口のちょっとした所にニューオーリンズっ子らしい開放性/弾みが表れる。それを感じるたびに。ぼくはクスクスしていた。現在の彼の行き方が旧来のジャズの聞き手から好意的に受け入れられるとは到底おもえないし、一方クラブ・ミュージックのファンからも支持を集めるとは考えにくいが、現代ジャズを作らんとツっぱってシーンを闊歩しようとするスコットにぼくは目一杯拍手を送る。