シカゴの超党派ミュージシャンたちで組まれた、この4人組を見るのは20
03年1月30日以来のことか。が、サム・プレコップ(ヴォーカルとギター。
1999年6月6日)、2005年7月2日)、アーチャー・プレヴィット(ギター
。2005年7月2日)、ジョン・マッキンタイア(ドラム。2001年11月7日、
2005年1月7日)らは別プロジェクトで来日していたりしてて、4年半ぶり
の来日になるようには思えない。

 が、彼らの曲を一緒に歌える人はそんなにいないだろうと思わせる、暖簾
に腕押し的に捉えどころのない微妙な含みと揺れと刺を持つギター・ロック
表現に基本的な変化はなし。基本は渋いシンガー・ソングライター表現があ
り、そこに視野の広いバンド音が絶妙な噛み合いの仕方を見せながら絡み合
い、もう一つの文様を描いていく……。でも、なんか今回は活力ある、疾走
感がある。よーな気がして、その感想を横ににたぼくよりもこの辺に入り込
んでいるだろう同業者に言うと、「今回はロックっぽいですよ」と即答。今
回は練習してきたという話もあるが、07年師走のザ・シー・アンド・ケイク
はそういう案配だったのだ。渋谷・クラブクアトロ。


 昨年(2006年11月13日)もやっている、ブルース・インターアクションズ
打ちの公演。最初に出てきたのは、ソウライヴ(2007年10月9日、他)を送
り出したヴェロアが新たに抱える白人オルガン・グループのビッグ・オルガ
ン・トリオ。ただし、オルガン、ギター、ドラムというオルガン・トリオの
定番編成ではなく、オルガン、ベース、ドラムという編成を若い彼らは取る
。でも、オルガンの指裁きに合わせてベース奏者は随時ブイブイっとプッシ
ュするわけで、これはこれで今の世代にアピールするところはあるはず。オ
ルガン奏者はちゃんと腕が立つしね。彼はオルガンの背のほう立ち、逆にオ
ルガンを弾いて沸かせたりもした。また、見たい。生理的にロックぽいが、
もっとロックぽく行ってもいいと、ぼくは感じた。

 続いて登場のデイヴィッド・パストリアス&ローカル518 はジャコ・パス
トリアスの甥を中心とするフロリダ州ベースのバンド。おお、デイヴィッド
さんは叔父と違って筋肉質で小柄なんだな。そんな彼はマイク・パットン(
2005年9月5日)の諸グループが好きとのことだが、基本はときにファンキ
ーな所もあるロッッキッシュなフュージョンを聞かせる。思っていたより、
稚拙だったな。渋谷・クラブクアトロ。
 多量ではないが年末行事がはいってきたり、宴会話を持ちかけられたりし
て、ああ師走。すでに5誌の年間ベストものを出しているしなあ。普段から
日が暮れたら机に向かわない主義のため、がんがん飲み会があろうがライヴ
があろうがそんなの関係ねえと涼しいカオしていたいのだが、だんだんそう
もいかなくなってきてるー。当然、ライヴ三昧原稿は後回しになりますね。
ハードな飲みが多いと、予備日(お酒が残って使い物にならなくなる日に充
当する。近年、また残りやすくなっているにゃ。そういえば、お酒に弱くな
ったと思う一つの根拠は、昔は夜半に帰宅してもライヴ三昧の原稿を酩酊の
なかエイヤっと書く事も少なくなかったが、今は絶対やる気がしない事)も多
めに取らなきゃいけないし、ふううはああ。てなわけで、今日も7時30分起
きできっちり原稿仕事をこなしている。

  で、ふひ今日も仕事をちゃんとやったなーという充実感のもと、南青山・
TIME & STYLEで米国在住ピアニストのケイ赤城の日本でのワーキング・ト
リオ(2004年8月18日。MCで、7年続いていると言っていたかな)を見る。
リズム隊の杉本智和(2007年4月12日、他) と本田珠也(2000年5月9
日)は菊地雅章オン・ザ・ムーヴ(2002年9月22日、2003年6月10日)のそ
れでもありますね。なお、本田は菊地成孔(2007年11月7日、他)の新しく
組んだダブ・セクステットのメンバーでもある。

 美意識と審美眼に富んだアコースティック・ピアノ・トリオ表現なのだが
、途中からこのトリオはけっこう凄いところに来ていると思わずにはいられ
ず。それはリズム隊のアグレッシヴさがもたらすものが大きい。もう、トニ
ー・ウィリアムズ流儀(ようは、ロック的感性も持つ爆裂ジャズ・ドラミン
グね)で叩きまくる本田にぼくは釘付け。快感。杉本はそれを繊細かつ大胆
に受け止める。こりゃいい現代ジャズ・ピアノ表現じゃあと身を乗り出しま
した。なお、杉本は5弦のアコースティック・ベース(チェロの領域もカヴ
ァーするものとして、ちゃんとクラシックの世界では昔からあるみたい)
を使用、本田のドラムはノーPAの生音だったはず。
   
 つづいて、原宿・アストロホールに来る。UK多少根暗系シンガー・ソン
グライターのトム・マクレー(2001年7月29日)の出演。彼、韓国で人気で
訪韓後についでに東京に寄ったという。当初はソロ・パフォーマンスの予定
だったが、韓国でのパフォーマンスで雇ったキーボード奏者とチェロ奏者を
そのまま自費で同行させてきたそう。で、頭のほうをマクレーがソロでやっ
た(1曲目はキーボードの弾き語り)後、まだ20代半ばぐらいだろう二人の
現代的な感じの女性奏者が加わる。見てて、中川五郎(1999年8月9日、20
04年2月1日、2005年6月17日。バッキング奏者に女性を雇う傾向にある)
が羨ましがりそうだなーと思ったら、終演後に見にきていた彼と会う。ここ
のところミュージシャン業に邁進し、自分のライヴが忙しくてほとんど他人
のライヴには来なくなっているので、なんか本当に会うのは久しぶり。予定
を変更、終演後に二人で居酒屋に流れる。やっぱ、マクレーのライヴを羨ま
しいなーと思って見ていたそうな。その前にマクレーや韓国女性陣と話す機
会を得たのだが、キーボード奏者の娘は英語が堪能。とてもいい感じで接し
てくれる。自国ではなんでもやっていて、日本には遊びで5回ほど来ている
という。あのー、明日以降もしお時間があるのなら美味しいお店でも行きま
せん&東京でどっか行きたい所ありません? とかお誘いしたかったが、予
定がきっちりつまっていて、不可能。師走なんか、嫌いだぁ〜。
 六本木・ビルボードライブ東京。ファースト・ステージ。デビューして10
年となる、しなやかR&Bシンガー。ときに嬉しいスライ・ストーン趣味を
見せたりもし、同時期デビューの男性シンガーのなかではトップ・クラスに
好きなほうの人だな。キーボードのケネス・クラウチを音楽ディレクターに
、ギター、ベース、ドラム、二人のバック・ヴォーカルという編成にて。悠
々、伸縮性のある現代R&Bを展開。もう少し重量感があればなと少し思う
。それから、ポロ・シャツとジーンズというラフな恰好だったが、もう少
し着飾ってほしかったナ。そのあと、南青山・月見ル君想フに行ったらお目
当ての出し物は終わっていた。あー、うまく行かねー。そこで、パターソン
のベーシストはレイモンド・マッキンレー(2001年6月29日、2002年8月1
2日、2003年2月11日、2004年4月15日)であることを知る。

チェカ

2007年12月7日
 代官山・晴れたら空に豆まいてで、カーボベルデのシンガー・ソングライ
ターを見る。基本、呑気な人物。島では釣り(もぐり)ばかりしているそう
。電気ベースと打楽器奏者がサポート、一人はポルトガルに住んでいるよう
だが、ともにカーボベルデ人のようだ。ラウル・ミドン(2007年11月26日
)のような技巧にたけた人に触れたばかりだと驚かないが、パーカッシヴな
ギター奏法は現地のパーカッション演奏の妙味をなんとかギター奏法に移そ
うとして会得したとか。

 彼のマネイジャーはマイラ・アンドラーデ(2007年10月25日)と同じパリ
在住の長痩身の人。先日セヴィーリャで会ったばかりなのに声を掛けられな
いとぜんぜん気づかないオレって……。でも、あのときアンドラーデの取材
を10分でやれと言ってきたりして(結局、25分ぐらいはやったけど。ラティ
ーナ誌の1月号にインタヴューが出ます)、ヤな奴だったんだよな。オマエ
なんかとはあんときゃちゃんと挨拶してねー。今回、やあやあという感じで
少し話をしたところ、ブラジル人の彼はレニーニ(2000年6月16日)のマネ
イジャーをかつてやっていて、日本に3度来たことがあるそうな。レニーニ
とけっこう似ているナと思ったら、血縁関係はないもののよく兄弟に間違え
られたりしたそう。その関係で、チェカの次作はレニーニがプロデュースし
ている。ショウ終了後、流れた飲み屋で某レコード会社邦楽宣伝ウーマンの
転勤お別れ会に遭遇。懐かしい人といろいろ会う。そういう引きがまたここ
のところ、強いんだよなー。
 

 まず、P−ヴァインが送るフィンランド出身の自作派ブルー・アイド・ソ
ウル・シンガーのトゥオモを見る。キーボードを弾きながらバンドを従え、
柔和に歌う。良き隣人、てな風情あり。ときに、キラリとしたものが出そう
な感じが少しするときも。精進精進。渋谷・クラブクアトロ。

 会場には最近退任したブルース・インターアクションズ/P−ヴァインの
創設者でもあった会長と社長の姿も。ご隠居ですか? と、ねぎらいになら
ない言葉をそれぞれにかける。……なんか、時代がまた移り変わっていくの
を感じたかな。考えてみれば、ぼくが最初に原稿を書いた雑誌が旧ブラック
・ミュージック・リヴューだった。学生時代は雲の上のような存在に感じて
おり、故に社会人になって付き合いができたときはうれしかった。かつての
ブラック・ミュージック・リヴューやP−ヴァインのアナログから得たもの
のなんらかは確実にぼくの音楽観を規定しているとこがあるはずだし、ぼく
の原稿にも出ているはず。お世話さまでした。

 六本木に移動、ビルボードライブ東京で60年代後期〜70年代中期ロックの
立役者/水先案内人と言えるだろうアル・クーパー(2003年6月18日)を
見る(セカンド・ショウ)。60年代にボブ・ディラン、ザ・フー、ザ・ロー
リング・ストーンズ(2003年3月15日)、ジミ・ヘンドリックスらのレコー
ディングに参加し、またBS&Tを作りブラス・ロックの流れを導き、また
マイク・ブルームフィールドらと即興要素をロック界に持ち込まんとするス
ーパー・セッッション・ブームを演出し、70年代にはレイナード・スキナー
ドをデビューさせてサザン・ロックの流れを作った人……。が、そんな名声
なんかどうでもいいじゃん的なやれたじいさんの、初老の仲間たち(かつて
クーパーがボストンの学校で音楽を教えていたときの同僚という触れ込みだ
が、それほど腕が立つとは思えない)との、カヴァーも少なくない、ときに
ジャジーでもある(二管を擁する)、飾り気のないパフォーマンスを例によ
って披露。御大はギーボードだけでなく、途中はギターを弾きながら歌った
りも。最後の2曲では三味線の上妻宏光(2002年5月13日、2004年2月3日
)も加わる。それ、クーパーの求めで実現したらしい。そういえば、05年の
梅雨時に彼に取材したことがあったけど、ものすごいiTunes のヘヴィ・ユ
ーザーで、米国のインディ・バンドに詳しいのに驚かされたことがあったっ
け。上妻への興味もそれと繋がるものかもしれない。白人である自分がブル
ースやR&Bが好きで音楽をやってきただけ、その取材ではそういう趣旨の
発言を繰り返していたことも印象に残っている。

 

ギャラクティック

2007年12月11日
 アストロホールでやるリキッド・ソウルをほんの少し見てから(今、英国
でトレンドと言えるだろうレトロ気分なポップを実践する人達ゆえ、ちょい
実像をチェックしたかった)、ギャラクティック(2000年8月13日、2000年
12月7日、2001年10月13日、触れてないが、2002年7月28日:ジョージ・
クリントンが乱入、2004年2月5日)を見ようと思った。が、なんか面倒く
さくなり、最初から渋谷のクラブクアトロに行ってニューオーリンズのLA
混沌ファンク・バンドを見ちゃう。でも、正解。燃えたっ。オーとかヤーと
か、声をあげながら見る。デカ声を出す頻度としては今年トップの公演だっ
たかもしれない。

 とにかく、バンド音が強力。太くタイト、そして弾む。そんなスタントン
・ムーアたちのビートに触れると、いかに日々のライヴで触れるリズム音
が最上質なものではなかったか痛感させられちゃう。昔の実演だと、ザ・
ミーターズを想起してしまいどこかちゃらさを感じちゃうところがあったが
、それも過去の話。まあ彼ら、ニューオーリーンズ・セカンド・ラインのア
クセントがどんどん低めになっているのも確かだけど。

 今回の来日公演の売りは、ヒップホップ濃度が高い(それは、ジャム・バ
ンド〜ライヴ・バンドと括りから逃れたい彼らの意思の反映)新作に合わせ
るようにジュラシック5のチャリ・ツナ(オゾマトリにいたこともあり
ましたね)、DJシャドウとも仲がいいリリクス・ボーン、ブーツ・ライリ
ーの3MCを同行させていること。インスト・パートに挟まれるように3人
は別々に登場し、自慢の喉を鉄壁のファンク・サウンドに乗せる。高揚した
頭のなかで、かつてのメンバー(ヴォーカル担当)だったハウスマン・デク
ロウのことを少し思い出したりも。カトリーナ被災で非難したあと被害のひ
どい地区に住んでいた彼はまだ帰っていないと聞いたが(山岸潤史情報、07
年2月現在)、今はどうなのだろうか。

 ところで、会場暑すぎ。ここのところ4度ほどこの会場に来て、4度とも
すぐに閉口した。なぜ、大勢が集まり発散する場なのに、暖房を入れるのだ
ろう。皆を薄着にさせて、ロッカーを使用させるため? だったら、ロッカ
ーの数が足らんだろう。軽装の従業員の感覚に合わせているからかなあ。地
下鉄とかに乗っても暖房が入っていて暑くて辟易する(長距離線と違い、コ
ートとかは脱がんゾ)が、それもコートを着ていない運転手と車掌に合わせ
ているせいだと、ぼくは思い込んでいる。もっとお客本位の商行為を!
 うわあ、ココロを持って飛ばしていたな。ディー・ディー・ブリッジウォ
ーターのそれ(2007年8月24日)を思い出したりして。素晴らしい。頭が下
がります。バック・バンドは生ギターを弾くブラジル人が音楽ディレクター
を勤め、他の奏者(電気ギター、ベース、ドラム、打楽器)はアフリカ出身
者のよう(一人は西インド諸島出身と紹介していたかな)。アフリカのベニ
ン出身の国際派シンガー(2000年8月4〜5日、2004年8月5日)、本日も
晴天なり。南青山・ブルーノート東京、セカンドショウ。   
 電気ベースの人気者(2006年9月3日、他)、六本木・ビルボードライブ
東京のファースト・ショウ。毎度の面子(そっか、前回もギターレスの編成
だったんだ)による、マーカス・ミラー流儀横溢のショウ。キーボードのボ
ビー・スパークスはホーナーのクラヴィネット他ヴィンテージのキーボード
をずらりと並べる。ハーモニカのクレゴア・マレ(2004年9月7日、他)は
普通のホーン・セクションのように使われたりするが、それだと音が埋もれ
ちゃっていた。ぼくの今回のミラー実演の最大の興味はジャネイ(ノーティ
・バイ・ネイチャー人脈でデビューした女性二人組。「ヘイ・ミスター・D
J」という94年大ヒット曲あり)にいたジーン・ベイラー(昔は、ジーン・
ノリスと名乗る)がゲスト・シンガーとして同行していたこと。彼女は2曲
しか歌わなかったけど、柳腰的な滑らかさのなかに少しキリっとした質感を
感じさせる歌声は健在。かなり、崩した歌い方も見せていて、その手法も問
題ない。
 
 このハコはステージ裏がガラス張りになっていて、それを通して東京メト
ロポリス夜景が鮮やかに見えるようになっている。演奏中はデカいカーテン
がしかれ夜景は隠れるが、ライヴが終わりるとカーテンが開いて再び夜景が
さーと広がる。ぼくが見た回は本編が終わるとすぐに客電がつけられてしま
ったのだが、ミラーたちは再び出てきてアンコールを演奏(タワー・オブ・
パワーの「ホワット・イズ・ヒップ」)。そのとき、後ろのカーテンは開け
られたままだったのだが、注意が削がれる感じもなかったし、音もそれほど
変わる感じもしなかったし、ここのライヴはそれで行ったほうがいいんじゃ
ないか。その方がキブンです。

 終了後、誘われたので、楽屋に行く。プージーやマレは、それぞれにリ
ーダー・アルバムを練っている。ベイラーさん(たぶん、イエロージャケッ
ツのドラマーのマーカス・ベイラーと結婚して、苗字が変わったんだと思う
)に「ルックス変わらないね」(けっこう、そうなの)と言うと、喜ぶ。で
、自己プロデュース中心の5曲入りのCDをもらったが相当いい。大人のし
なやかR&B、うちアンソニー・ベル(ジル・スコット、ラヒーム・デヴォ
ーン他)が制作した曲は8分半のピアノだけをバックにするもの。どこか、
曲増やして出さないかな。
                 
 深夜、そんなに苦労せずにタクシー(そいうやあ飲むと、いつタクシー代
があがったんだという話になるな)を拾う。ホっ。ところで、アイク・ター
ナーが死んだ。2003年に入国できなかった(2003年5月25日の項、参照
のこと)のはかえすがえす残念……。
 毎年ひらかれるケルト系アクトが出演する年末開催のイヴェント、錦糸町
・すみだトリフォニーホール。まず、チーフタンズ(1999年5月29日、20
01年5月29日、2007年6月1日)の若手外様メンバーたち、アイルランドと
カナダの若手ミュージシャンらによるトレッドがパフォーマンス。ハープ
(トリーナ・マーシャル:2007年6月18日)、フィドル、ギターによるト
ラッド曲演奏に、随所に挿入される男性2と女性1のダンス。やっぱ、踊りが
すごっ。もう、こっくりしちゃう。そして、もわーんとケルト圏文化の嬉し
い流儀を感じることができる。
    
 休憩を挟んで、アイルランドの中世の宗教曲から静謐オリジナル曲までを
清楚な混声コーラスにて届けるアヌーナ。キャンドルを沢山配した舞台上
が綺麗。ステージに登場したのは女性/男性ともに6人。一番若い女性メン
バーがこの日ハタチの誕生日を迎えたようだが、意外に皆さん若めに見えた
。で、1曲だけ生ギターを男性メンバーが弾いた曲があったが、それ以外は
どの曲も無伴奏にて。一応、マイクが立っている感じもあったけど、ほば生
音だったのではないか。というのも、曲によっては一部の女性メンバーが客
席側に下りて歌ったりもし(2階席に一人が出たときもあった)、それでも
ちゃんと歌声はホールに響いていたから。で、メンバーが通路を移動しなが
ら歌たったりもする(歌声の動きがよく判る)、アナログなサラウンド表現
は興味深くもとても感心。アヌーナは音響が練られたこのホールに向いた(
ある意味、ダイナミックな)出演者であったし、彼女たちは今トップ・クラ
スにSACDマルチ・チャンネル録音に適したグループであると言えるので
はないか。そんなわけで、当初は綺麗綺麗すぎてぼくには辛いかもな〜んて
思っていたのだが、かなり興味津々に聞くことができた。

 例年ケルティック・クリスマスには3組のアーティストが出るが、2組の
ほうが世話しなく各々のパフォーマンスを楽しめるし、最終部の両者の絡み
も丁寧になるし、2組のほうがぼくはいいと思う。出演者の数の多さを美徳
と考える客層でもないだろうし。

渡辺貞夫

2007年12月16日
 渋谷・オーチャードホール、2部構成にて。ラッセル・フェランテ(ピア
ノ)、デイヴィッド・フィンク(ベース)、マーカス・ベイラー(ドラム)
という3人を従えた、純アコースティックなパフォーマンス。フェランテと
ベイラーは西海岸の長寿コンテンポラリー・ジャズ・バンドのイエロージャ
ケッツのメンバー。今月13日の項で、偶然、ジーン・ベイラーとの関係を推
測しているが、マーカス・ベイラーはやっぱし旦那だそう。たまたま、それ
ぞれ別の仕事で東京に来ているわけだ。

 派手なフレーズを出すフィンクは今のジャズ界でやたら立った弾き方が
出来るアコースティック・ベース奏者の筆頭格。その演奏から少し似た弾き
口を持つジェシー・マーフィ(2002年1月24日、2005年8月17日)のような
多少今っぽい外見の持ち主なのかと思えば普通の行儀良さそうなおじさん(
すごく、長身)で多少拍子ぬけ。また、ベイラーも純4ビートとは少し(と
きに、だいぶ)離れる叩き方をする人で、そのリズム・セクションはそれだ
けで“安住の地”に止まることを拒否するノリを出していたか。フェランテ
の事を大昔にぼくはフュージョン界のなかでもっともセロニアス・モンク的
な美しい捩じれを持つ人物と書いた事があるが、今回の顔ぶれはフェランテ
とフィンクのことを大好きな渡辺貞夫がまず選択し、フェランテの推薦でベ
イラーがそこに加わったという流れを持つようだ。

 披露する楽曲は渡辺貞夫のオリジナルを中心に、スタンダードも。2部は
押鐘貴之ストリングスという15ピースの弦音隊がカルッテット演奏に加わる
。そのアレンジは部分的に指揮もしていたフェランテがやっている模様。ス
トリングス音が無指揮のもと途中からすうっと入ってくる場面もあったが、
それなりにリハは積んだのかな。当初、ぎこちなく感じる部分もなくはなか
ったが、優美だったりダンディだったりする情緒をストリングスは加えてい
たはずだ。“ウィズ・ストリングス”というと渡辺貞夫のなかにはチャーリー
・パーカーのそれが強くあるようだが、彼は今回すべてアルト・サックスで
押し切った。
 いけねえ、11時間強も寝ちまっった。外出時間までの3時間弱で原稿2500
字、打ちまくる。いや、当人のなかでは、撃ちまくるという感覚だな。くう
っ。

 ジェフ・テイン・ワッツは現純ジャズ界の、最たる働き盛りドラマー(60
年生まれ)。マルサリス兄弟のバッキングをはじめ80年代あたまから、いろ
んなジャズ・アルバムに参加するとともに、数枚のリーダー作を出してきて
いる。今回のバンドはここ数年の彼のリーダー作のレコーディング・メンバ
ーの選抜群ともいうべきもので、マーカス・ストリックランド(テナー。と
きにソプラノ)、デイヴィッド・キコウスキ(ピアノ。一部、キーボードも
)、クリスチャン・マクブライド(ベース。電気ベースも置いていたが、こ
のセットはすべて縦を弾く。2005年1月18日、2006年9月17日。なお、こ
の日は普通の靴を履いていた)を従えてのもの。テイン&ジ・エボニクスと
いうバンド名(それは、07年の新譜タイトルから来たもの)が付けられてい
て、各人ともに数枚づつリーダー作を出している手練たちですね。

 覇気(テインの叩き音はデカかった)のある、今のジャズを1時間半弱(
6〜7曲演奏したか)。ワッツは4ビート曲はレギューラー・グリップ(左
手は、掌を上に向けるようにスティックを握る)で叩き、叩き込む曲や非4
ビートのときはマッチド・グリップ(両手とも、スティックを鷲掴み的に握
る。ロックやR&Bのドラマーは多くがこっちなはず)で演奏。曲調によっ
て握り方を使い分け、曲の途中でも変えたときがあったな。本編最後にやっ
た、メンバー全員の烏合の衆的なヴォーカル(かなりいい感じ)を出だしと
クロージングに用いるワッツ曲「JC・イズ・ザ・マン」はけっこうオーネ
ット・コールマン(2006年3月27日)ぽい曲だった。丸の内・コットンクラ
ブ、ファースト・ショウ。

 そして、南青山・ブルーノート東京に移動。今年2度目の来日となるデイ
ヴィッド・T・ウォーカーが出演。受付階に下りると人が沢山いる。なるほ
ど、演奏時間が長いのだな。それゆえ、ファーストとセカンド・ショウの入
替え時間が押してしまうというわけだ。

 モータウン他、R&Bバッキングのヴァーチュオーソ。60年代後期からリ
ーダー作も出すようになっていて、フュージョンとはならないギター・イン
スト表現を控えめながら世に送り、しっかりと人々のココロに火を灯してる
人。朋友ジェリー・ピータース(キーボード)や一緒にザ・クルセイダーズ
のサポートをしたンドゥグ・チャンスラー(ドラム)など、気心の知れた名
手たちを従えてのもの。

 メロウ。まったくもって、唯一無二の嬉しい手癖。適切なひっかかりを持
ちつつ曖昧な文様を描くようなその特殊演奏はアーニー・アイズレーの複音
弾き演奏とともに、米国黒人音楽/流儀の嬉しい何かをしかと教えるもの。
かつ、デイヴィッド・Tの場合は人徳というか、ある種の高潔さみたいなの
があるのがポイントですね。演目はジャジィに気儘に流れていくような曲が
主体、そして「ラヴィング・ユー」、「ホワッツ・ゴーイン・オン」や「ウ
ォーク・オン・バイ」などの有名曲も取り上げる。個人的には単純なファン
ク・リフに乗って弾きまくり、妙味が溢れ出るような曲が1曲ききたかった
な。彼はセミアコ・タイプのギター(をステージに置いてはいたものの)を
弾かずに、カスタム・メイドっぽいソリッドなエレクトリック・ギターを弾
いていた。

 彼の演奏を聞きながら、ぼくが最初にLAに行ったのは89年だったことを
思い出す。ちょうどNYとワシントンD.C.とシンシナティに遊びに行く機会
があり、ならついでにLAにもおいでよと誘ってきたのが、当時デイヴィッ
ド・Tのアルバムをプロデュースしていた基本LA在住の日本人Oだったの
だ(ぼくは海外出張と重なり出ていないが、駒場エミナースでやった彼の結
婚披露宴にはデイヴィッド・Tも出席したはず)。ぼくがLA入りする日と
Oが東京からLAに戻って来る日を合わせて、LAXで待ち合わせ。もし、
なんかあったときの保健で彼はデイヴィッド・Tの自宅の電話番号を教えて
くれたっけ。NYやロンドンは何度か行っていても、LAはそのときが初め
てで、その後LAに行く仕事が増え、Oのアパートには2、3度ほど延長滞
在時に泊めてもらったことがあった。なんて、デイヴィッド・Tの絶妙な指
裁きに触れつつ、遠い昔のことがふんわり浮かんできた。

 デイヴィッド・Tの演奏は聞き手の遠い昔の記憶と繋がった甘美な音であ
る。だが、その豊かな昔の音は今という時もやんわりやさしく、でもしっ
かりと揺り動かす力を持つものでもあると思う。

ドゥウェレイ 

2007年12月20日
 昨年の来日のとき(2006年4月19日)より、ギター奏者とバック・ヴォー
カリストがもう一人増えた布陣にてパフォーマンス。前回の記載を見ると全
員黒人と書いてあるが、今回ギター奏者とベース奏者は白人。また、前回や
っていた酔狂なDJ儀式はなしで、しなやかなサウンドに乗り彼は気持ちの
良い流麗ソウル・ヴォイスを乗せていく。やっぱり、普通にやっていても、
颯爽とした風を持つショウになっていたはず。そこには、ヒップホップ時代
の柔和なR&Bという内実があったと思う。南青山・ブルーノート東京、フ
ァースト。そのあと知人たちが飲んでいる某所に行って飲んでいたら、某レ
コード会社洋楽部門忘年会流れの人達がやってくる。ぐじゃぐじゃ。もう、
そんなのばっか。深夜、カラオケに拉致される。ものすごく、久しぶり。や
っぱり、好きになれねえ。とはいえ、下町兄弟(2005年12月8日、2006年
12月21日)の曲が複数入っているのは嬉しかった。酔っぱらってホテルで
H〜と、彼のラップ曲をがなってしまいましたとサ。うひゃ。

 若手のジャズ・ヴォーカルの担い手が一緒に出演する出し物で、南青山・
ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。ステージ上にはタイ着用の全17人
(日本人も3人混ざっていた)がずらり、強弱のダイナミクスに富んだビッ
グビッグ・バンド伴奏によるショウ。やっぱ、それだけで生理的に絢爛豪華
、なんか年末を飾るという感じもあって悪くない。昨日で年内の原稿仕事は
終わりにしたので、よりそう感じるのかもしれないが。

 まず、登場したのは、1982年シアトル生まれLA在住のサラ・ガザレク。
かつて見たショウの項(2006月3月22日)で触れているように自己スモール
・グループと一体で少しポップな方向にもかする方向性を取る彼女、この正
統仕様にうまく乗れるのかなと思ったら初々しくもソツなくこなす。大学の
専攻がジャズだったから、ビッグ・バンドで歌う機会もあったんだろうと推
測する。日本は4度目とかで、MCではけっこう日本語でしたりも。日本が
大好きなのがとっても良く伝わる。5曲歌ったかな。

 そして、ガザレクと入れ代わりで、78年カナダ・トロント生まれで、現在
はラスヴェガスを拠点としているダスクが登場。エンターテインメント性と
洒脱が同義語となる、ある意味ジャズ・ヴォーカルとしては王道と言えるだ
ろうフランク・シナトラとかハリー・コニックJr. ( 2000年3月31日 )ら
の系統に入るショウを悠々と披露する。新味はないが、まっとうなパフォー
マンス。ルックスも悪くないしね。バンドは彼のものなんだろう、彼の曲に
なると音のヴォリュームが一目盛り大きくなった。彼のなかでビッグ・バン
ドを従えたジャズ・ヴォーカル表現はアメリカの豊かさを象徴するものでも
あるそうだ。ダスクはトロントの大学でジャズを専攻、ピアノを弾きながら
歌うこともできるそうだが、100 パーセントお客さんと対峙できなくなるの
で、ステージでそれをするつもりはないと言う。彼は空で歌えるスタンダー
ド曲のリストが載せたカード(そこには、曲毎に適正キーも書かれている)
をポケットに忍ばせていて、いつでも他者とお手合わせできるようにもして
いる。なんかあったとき、ここにある曲なら歌えるよと奏者にそのリストを
見せるわけだ。彼はハンサムで真摯なジャズ・キャットだと思う。

 アンコールはダスクとガザレクが一緒に手を取り合って出てきて、「ベサ
メ・ムーチョ」をベタなデュエット・ソングの如く歌う。笑えました。

フランク・マッコム

2007年12月28日
 この秀でたシンガー/コンポーザー/キーボーディストについてのぼくの
所見は前回公演の項(2006年12月7日)で書いたとおりだ(他に、2004年4
月15日、2004年5月10日、2006年9月3日)が、過去の単独公演のときよ
りけっこう歌ったかも、いやインスト部が邪魔に感じる部分が少ないナとい
う感想をもった。やはり鍵盤ソロもけっこう取るのだがそれが不毛じゃなく
聞こえるときが多かったし、前回と違いリズム隊の音が大きくなかったのも
幸いした(前回と同じく、ベース、ドラム、打楽器がサポート。ベーシスト
だけ留任しているよう)。ただ、マッコムの歌はもう少しPAから大きく出し
てもいいと思ったかな。それ、過去より彼の歌声が伸びていなかったと
いう、ぼくの印象から来るものかもしれない。亡くなったオスカー・ピー
ターソンに捧げますと言って、スティーヴィー・ワンダーの「リボン・イン
・ザ・スカイ」を披露したりも。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショ
ウ。07年のライヴはこれにて打ち止め也。