ローズ・ロイス

2008年1月7日
 夜はライヴ享受を柱とする、快楽的でありたい生活がまた始まる。

 正月にふと、オレってけっこう仕事人間なのだナと思った。だって、日々
の生活でやったァとか気持ちいい〜とか思う事の大きな一つが、思うような
原稿を書けたナとか馬鹿みたいに原稿がスラスラ書けちゃったゾとか感じる
ときだったりするから。もちろん、他人からあからさまに褒められたときや
なんかおねえちゃんからモテてんなと思えたときなども人間ができていない
ぼくはとっても嬉しい心持ちを得るが、回数的にはぜんぜん前者のほうが多
い。タハハ。実は昨年は例年以上に多くの原稿を書いた1年だったのだが、
仕事でワクワクしちゃう感触もいろいろ得たもん。原稿書きが天職だとは絶
対に思わないが、どっちかと言うと向いているほうの職業についていると思
いたいぼくにとってそれはかなりヘルシーなこと。08年はもっともっとヘル
シーに行けたらいいナ。もっともっと、楽しいことや嬉しい出会いがあると
いいな。

 というのはともかく、08年はもう少し身体をいたわりたい(いつまでも若
くないんだから〜)のと、本を2冊ぐらいは読みたいなあと思っている。も
ともと読書好きではないというのはあるのだが、昨年は1冊も本を読まなか
った。今のぼくには本を読んだり、いろいろ映画を見たりする時間はない。
だからこそ、夜これだけ遊び回っていてもしっかりと原稿仕事をこなせるわ
けだ。ただ、本は読まないといっても子供のころから新聞はけっこう読む(
ずっと2紙とっている。起床して、コーヒーを飲みながら興味ひかれる記事
や広告をふんふんと見るのはかなり好きな時間だな)し、かつては雑誌とマ
ンガはそれなりに見ていた。が、近年は雑誌とマンガもあんまし見なくなっ
た事に気づき、ちょい愕然としているワタシ。別に文章は<(本能で)喋る
ように書く>をモットーとしているから本を読まなくてもなんら困ることは
ないのだが、なんか行いの幅が狭くなっているように感じるのがイヤ。年末
年始はけっこう車を運転したけど、運転する事にも喜びを感じなくなくなっ
ているなー。この2年で、1万キロしか乗っていない。ふむ、マニュアル・
シフトから上がるのが早いか、運転するのをやめるのが早いか。なんにせよ
、もう少し行動ヴァリエーションのささやかな広がりを日常生活に求めたい
となんとなく思っている。でも、かつてはマンガは追われる原稿書きからの
逃避みたいな感じで買い求めていたりもしたので、興味を持たなくなったの
はそれでいい事なのかもしれないが。とにかく、マゾじゃないぼくはなるべ
く楽なほう、心地いいほうに流れながら、笑顔でいきたいにゃ。

 で、08年ライヴ享受+アルファは新年あけの月曜からスタート。ローズ・
ロイス(英国高級車/エンジン・メイカーのロールス・ロイスをもじったネ
ーミングだろう)はデビュー時に出した76年映画『カー・ウォッシュ』(ワ
シントンD.C.のキャブ会社を舞台とする、“持たざるもの”の心意気を描い
た作品。けっこう好きな娯楽映画だったナ)のテーマ曲が全米1位に輝き、
80年代前半にかけて恵まれた活動を見せた女性シンガーをフロントに置く大
人数グループ。その「カー・ウォッシュ」はモータウンの数々の名曲を作っ
たノーマン・ホイットフィールドが書いた曲で、ローズ・ロイスはホイット
フィールドに見いだされてデビューしたグループであり、メアリー・J・ブ
ライジ(2002年3月13日)がカヴァーした彼らの「アイム・ゴーイング・
ダウン」なんかもホイットフィールド作だったはず。

 ステージ上に表れた彼らは全9人、女性ヴォーカル、三管(トランペット
2、テナー)、2キーボード、ギター、ベース、ドラムという布陣。うち4
人が当初から在籍している人たちのようだが、あちらのライヴ・サーキット
できたえられているらしく音は上々。なんか、チームワークの良いバンドだ
なあとも思わせられたな。ときに入れられる踊りやフリもニコっとさせるも
のだし、メンバー紹介などのやりかたも勘どころをつかんだもので、顔がど
んどんほころぶ。ヴォーカルは新参者らしいおばさんの女性シンガーと、そ
してときにトランペッターが主にとる。それに関してはもう少しストロング
であったならと思えなくもなかったが、そう感じたのはローズ・ロイスが年
季を積んで、より総合的なテイストを持つソウル・バンドに成長していたか
らでもあったろう。全盛のころはディスコ・ポップ調や電気音などもいれ、
時流に乗った(少し、ちゃら目の)表現を志向した彼らもいまやバリバリの
オールド・スクール。だけど、それがぼくには心地よかったし、うれしかっ
た。丸の内・コッントクラブ、セカンド・ショウ。

ジョン・ピザレリ

2008年1月14日
 ロックといってもいろいろあるように、ジャズと言われる表現にもいろい
ろある。この晩に見た洒脱系シンガー/ギタリストのジョン・ピザレリはそ
うとう柔らかい方向にある和み傾向のジャズ表現を聞かせる人と言えるだろ
う。彼の父親はバッキー・ピザレリというスウィンギンなジャズとサバけた
イージー・リスニングの間を行き来してきたギタリストで、ジョン・ピザレ
リは父親と同じ道(レトロ味のギタリスト)を歩みつつ、それだけじゃ芸が
ないと思ったのか飄々とした質感を持つ歌もうたっており、地元ニュージャ
ージーの大学を卒業してすぐにアルバムを出して以降、おおむね順調に来て
いる人物だ。キャリアを重ねるごとに小粒ではあるが、ナット・キング・コ
ールやフランク・シナトラに代表されるようなジャズとポピュラー・ヴォー
カルを兼ねるようなスタイルを見せるようにも彼はなっている。

 なーんて、わかったフリして書いているが、ジャズに狂気や越境や血や精
液の感覚を求めるぼくはその名は知っていてもちゃんとその表現を聞いたこ
とはなかった。が、ある雑誌からライヴ評の打診があったのも何かのご縁、
新年で浮足立っている(今週は3件、新年会の予定が入っているなー)こと
だし、和みのジャズ・ヴォーカル表現もいいんでないかい、と聞きにいった
わけ。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。この冬、一番の寒
さとのことで、初めて家でエアコンを大々的に使用(相変わらず、洒落でエ
コロな生活をやろうとしてまーす)。でも、外に出たら過剰に寒くなかった
よーな。

 そしたら、まあ予想どおり、新年ボケの耳には心地よい、スウィンギンか
つ娯楽精神に満ちたパフォーマンスが適切な緩さとともに、スタンダード曲
中心にて展開される。ギターを持ち歌う(枯れた、ときにユーモア感覚を持
つソロも取る)ピサレリを、ピアノ、ベース(ジョン・ピザレリの弟)、ド
ラムがソツなくバッキング。みんなちゃんとスーツ着用、それが似合う実演
だったとも書けるかな。

 ジャズの横にあるポップ表現やエンターテインメント感覚や末広がりの気
分やハレの場の感覚、……そこにはある種のアメリカで温められてきた娯楽
にまつわる記号が山のように折り込まれていたのは間違いない。なお、若い
ころの写真を見るといかにも育ちのいい好青年という風情のピサレリだが、
初めて触れる彼(60年生まれ。イタリア系なのかな。なんにせよ、ラテン入
っている感じ)はかなりオヤジくさくなっていて、ディーン・マーティン的
というか、ちょい悪代官ふうだった。
 

 酔狂な奴らに、悪いヤツはいない。やはり、いろいろクスっと出来るとこ
ろあったなー。ブルース・エクスプロージョンのジョン・スペンサー(2000
年7月5日、2004年7月14日、2004年12月13日、2005年11月25日)とダチの
マット・ヴェルタ・レイ、二人のシンガー/ギタリストがつるんだ、ロカビ
リー・ビヨンド・グループ。その二人にプラスして、ギター/コーラス/キ
ーボード担当、アコースッティック・ベース奏者、ドラマーがつく。のだが
、ギター/コーラス/キーボード担当者は卓いじりもやっていて、コンソー
ルのところに位置して、楽器を演奏したり歌ったりしている。ハハハハ、ん
なの初めて見た。会場の渋谷・デュオはコンソールが2階に置かれているか
ら、余計に生理的な距離があき、変テコさが増す。

 メンバーの二人と縦ベース奏者は黒のスーツを着用。スリムだから、様に
なる。とくに、スペンサーはやはり風体だけでカッコいいなあ、なんかやり
そうだなあと思わせる。嫁(cf. ボス・ホッグ)と息子同伴の彼、今回は生
ギターをがしゃがしゃ弾いていた。パンクで黒い疾走ビート・ロックを標榜
するブルース・エクスプロージョンと異なり、ロカビリーを根っこに置くヘ
ヴィ・トラッシュはもう少しレトロでなあなあで、笑顔がある(白人的生理
に忠実、という言い方もアリか)。やっぱ、ブルース・エクスプロージョン
だと青筋立てて音楽と格闘している感じがあるものなあ(あれを見ていると
、誰かスペンサーに麻酔銃を撃ってくれと思ちゃったりするもん)。が、後半
、スペンサーがギターを置いて歌うあたりから、ネジが巻かれてきた感じが
あって、ロックな気持ちがよりぐりぐり押し出されたか。とともに、JB的
黒人音楽語彙もやんわり加味されるようにもなった。結局、奥にあるのは同
じ……、だな。

 前座で、日本人トリオのレディオ・キャロライン。ガツンと、一直線。や
はり黒のスーツの着こなしがカッコいいベースのナイス・ガイくんには、数
年前に流れで深夜にラーメンをおごってもらったことがありました。

クーラ・シェイカー

2008年1月16日
 10年強前に停滞するUKロックの救世主といった感じで出てきて2枚のア
ルバムを出して解散した、特に日本で大受けした人気バンド。05年再結成後
は3度目となる来日公演(前2回はフジロックへの出演)、恵比寿・リキッ
ドルーム。最初に15分、スキンヘッドのおじさんが出てきて生ギターの弾き
語り。どうってことないが、日本語を用いた曲などもまじえ、場を和ませる
。けっこうな拍手をもらって、本人もとても嬉しそう。

 その後、相当な歓声が沸くなか登場した4人は、古いロック様式と同時代
的な鮮やかさをうまく両立させた、質量感のあるロックをきっちり送りだす
。やっぱ、フロントに君臨するクリスピアン・ミルズは実力があると再認識
。ヴォーカルとギターが一体化した彼のパフォーマンスの様に触れながら、
(旧来の)ロックの歩みとは概ねエレクトリック・ギタリストの創意工夫が
導く歴史なんだなと痛感。また、クリスピアンはやっぱルックスがいいナと
も思う。そりゃ、人気を得ますね。パフォーマンス前にはR&Bが場内には
流されていたけど(クリームの「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」の女性
歌手のカヴァーは誰なんだろう?)ときに黒っぽく感じるときもあったり、
ボブ・ディラン曲を下敷きにしたみたいな曲があったのは新鮮(歌い方もそ
う)。じつは、前日のヘヴィ・トラッシュよりウキウキ見れた。ヘヴィ・ト
ラッシュのほうはデビュー作のライナーノーツを書いたりして、より聞き込
んでいて、既知感たっぷりだったせいがあるかもしれぬ。一人オリジナル・
メンバーではないキーボーディストは揉み上げが長く口髭を蓄えた人物。な
んか、タイム・マシーンに乗ってやってきたみたいだった。感じとしては、
60年代後半のロビー・ロバートソンやラリー・コリエルあたりを想起させた。
 渋谷・オネスト。まず、もう四半世紀に渡るキャリアを持つらしい、米ド
ラッグ・シティから作品を出している日本人サイケ・バンドのゴーストが出
てくる。ほう、こんなん。この晩は、近々再結成する大老舗J・ロック・バ
ンドであるフラワー・トラヴェリン・バンドの石間秀機も全面的に加わる。
想像していた以上にいろんなエスノ・ミュージックから影響を受けていると
感じるが、リズムの扱いが雑、というかあんまし揺れがなくて、うーむ。後
半、いっぱいいるギター奏者がけっこう怒濤の相乗を見せ、それには少しウ
フフとなれたが。約1時間の流動的演奏なり。

 で、休憩時に向かいにある、渋谷・デュオに行って、元ミスティーク(20
03年11月11日)のアリーシャのシューケースのショウを見る。会場入りし
、知り合いと歓談してたら、始まる。時間のやりくりばっちりじゃん、つま
んない事に喜びを感じた。UKブラック、DJをバックに健気に歌い、とき
にラップぽい節回しをし、男性ダンサーと絡む。かなり綺麗で、これは華が
ある。20分ぐらいとパフォーマンスは短かったけど、みんなニコっとなれた
んじゃないかな。

 で、再びオネストに戻り、元ギャラクシー500 の3分の2である、清新系
フォーク・デュオのデーモン&ナオミ。何度か来ているはずだが、ぼくが彼
女たちのことを見たのはもう10年前ぐらいだよなあ。歌とギターやベースを
担当する円満な二人に、なんと管楽器奏者を含む3人がやんわりサポート。
表現ヴァリエーションの幅は広いとは言えないが、歌心はちゃんと零れでる
。前身バンドから含めれば、もう四半世紀以上もボストンをベースにしてい
る人達だが、ほのかにボストンの機微を感じることもできたかも。


J.ホリデイ

2008年1月23日
 朝、起きたら雪。うひょお、先週頭ぐらいからけっこう寒い日が続いてい
る。と、後年に見たとき、そっかーとうなずけるように書き留めておこう。
夜は寒々しく雨、吐く息が白〜い。渋谷・デュオで、デビュー早々に本国で
大成功を収めている、23歳R&B歌手のショーケース・ライヴ。会場は超満
員、何人はいっていたろう。もったいぶることなくステージに登場したホリ
デイ君は思ったより貧相で小柄。ま、それは可愛いらしいという感想も導く
ものであるか。アルバムではしなやかさのなかに好ましい刺のようなものを
感じさせる彼だが、なるほどちゃんと歌える人。見事に迸りの感覚を持つゆ
えに、見ててすぐに高揚しちゃう。また、ちょい声を張り上げたとき、どこ
かアフリカ的なものをぼくは感じたりして、それもいいナ。恰好やステージ
の進め方は今ふう、後半は上着をどんどん脱いでいき、上半身はハダカにな
る。もちろん、ジーンズはアンダーウェア丸出しでずり下げている。床に向
かって腰をグラインドした際が一番沸いたかな。そんなパフォーマンスはカ
ラオケではなく、ちゃんと3人のバンドを伴ってのもので、それも好印象に
繋がる。バンド構成員はまだ若そうだったけどなんの不満もない音を出して
いて、みごとにホリディをバックアップ。マーヴィン・ゲイに一番影響を受
けていると伝えられる彼だが、実演を見て誰々ふうということは想起させず
、伸び盛りの若鮎くんとして完成されたものをきっちり出していたというう
れしい所感をぼくはもった。やはり、ここんとこデビューの米国男性R&B
歌手の筆頭に挙げるべき逸材か。大好きなルーファス・ウェインライト(国
際フォーラムC)に後ろ髪ひかれつつ、こっちに来ちゃったけど、オーライ
じゃ。
 ヴェガは80年代中期にデビューしていらい、瑞々しいシンガー・ソングラ
イター表現で安定した(と、書いていいんだよな)支持を集めているニュー
ヨーカー。ずっとA&Mから作品を出してきていたが、昨年6年ぶりとなるア
ルバム『ビューティ&クライム』はブルーノートからのリリースとなる。会
場は有楽町・国際フォーラム ホールC。来ている人の年齢層はかなり高そ
う。ぼくが学生だったらかなりビビるだろうな。それとも、オレは大人の音
楽を聞きにきているのだと、軽い自負のようなものを覚えるだろうか。

 まず一人で出てきた彼女は、左肩が異常に出た黒いワンピース(と、途中
で外したが黒い帽子)を着用。そして、アカペラで「トムズ・ダイナー」を
歌い始める。バック・バンドはギター、ベース、キーボード、ドラムという
編成で、それに合わせてメンバーが少しシアトリカルな感じで出てきて、2
曲目からはバンドによるパフォーマンスとなる。ヴェガは生ギターを手にし
たり、しなかったり。1曲はギター弾き語りのときもあったし、ベースとの
デュオで披露する曲もいくつかあった。ぼくは見ていないが、05年に来日し
たときも同じデュオ編成による公演だったそうだ。

 アンコールでの曲を含め、20曲を披露。本編最後の曲はバンドによる「ト
ムズ・ダイナー」。2度目のアンコールのとき、彼女は裸足で出てきた。ち
ょうど1時間半ぐらいの演奏時間だったかな。でも、ちゃんとした軸を持ちつ
つ、いろんな編成で披露された実演はもう少し長いように感じられた。とき
に指し込まれる、短いMCもウィットあるように感じられたし。なお、シン
プルなキーボード伴奏とコーラスに徹していたなんかいい人そうでもあった
バンドの一人のライラ・ビアリはカナダ人で、ソロでも活動しているジャ
ズの素養を持つ人物。先達カナダ人シンガー・ソングライターたちの曲を主
にカヴァーした彼女の『From Sea To Sky』はけっこういい味を持つ。
                                
  実は海外で初めて取材した音楽家が彼女(その際、主だったのはジョー・
ジャクソンの新曲一発録りライヴ・レコーディング=『ビッグ・ワールド』
取材だったけど)。1986年1月に、デビュー作をプロデュースしたスティー
ヴ・アダボ同席のもとまだヴィレッジにあったフォーク・シティでやったん
だっけ。オレも若かったが、彼女もとても若かった。妹がNY在住の日本人商
社マンと結婚する(した、かもしれない)なんて、そんとき言っていたな。
そんなヴェガも2度結婚し、娘は10代らしい。初々しさと成熟をいい案配で
併せ持つ彼女の実演に触れていたら、なんか時間がすうっと止まり、ゆっく
りと小僧のころに時間が逆戻りしたような不思議な心持ちを得たりも……。
いや、少し感傷的な気持ちになった。

 そして、フォーラムとは道を挟んで向かいにある丸の内・コットンクラブ
へ行って、NY在住イタリア人シンガー・ソングライターのキアラ・シヴェ
ロを見る(セカンド・ショウ)。バークリー音楽大学を出ているだけあって
、そこそこジャジーで、ピアノ/キーボード/アコーディオン、アコーステ
ィック・ベース、ヴァイブラフォンを含む打楽器(彼はNY在住の日本人)
、ドラムという布陣による。シヴェロも生ギター持って歌ったり、ピアノを
弾いて歌ったり。そして、途中でスザンヌ・ヴェガの「キャラメル」のカヴ
ァーも。ヴェガ自身も披露していて、この日2度目の「キャラメル」。後で
調べたら、シヴェロは1枚目でカヴァーしていた。なんでも、現在の彼女のマ
ネージャーはかつてヴェガのそれをやっていたそうな。また、現在のヴェガ
・バンドのギタリストはかつてシヴェロのバンドにいたことがあったそう。
世の中、狭いです。


ピーボ・ブライソン

2008年1月28日
 熟練の喉自慢シンガー(2006 年2月9日)、南青山・ブルーノート東京。
ファースト・セット。相変わらず、安定し、圧倒的な歌唱(でも、PAは歌に
リヴァーブがききすぎと感じる)を披露。そして、相変わらず、客に対して
は度を超したおもてなし。我がショウへようこそ! バンド(鍵盤2、ギタ
ー、ベース、サックス/打楽器、ドラム。そして、女性コーラス2)が演奏
するなか出てきた彼は会場を回り、ほとんどの人と握手をする。日本語を入
れたMCもたっぷり。例により、女性客への赤いバラを配るサーヴィスもあ
り。
 
 へえっと感じたのはイントロに続く1曲目が「イフ・ユー・サムバディ・
セット・ゼム・フリー」、4曲目が「エヴリィ・ブレス・ユー・テイク」と
スティングの曲を2曲も(全10曲ぐらいのなか)やったこと。新作『ミッシ
ング・ユー』に入っていた「カウント・オン・ミー」はmimi(2001年4月1
8日、2003年2月13日、2006年12月18日)が昨年初頭に出したアルバムに
も入っていた曲だが、やっぱり好メロディ曲だ。アンコールはチャカ・カー
ン&ルーファスの「エイント・ノバディ」。中盤でやったシャーデー曲「キ
ング・オブ・ソロウ」ともども、オリジナルとは大分違うようになっていて
、キャリア組の技と矜持を感じましたね。あと、生ギターによるソロを少し
長めに披露した曲もありました。やっぱ、ギター好きそうだな。

 それから、パフォーマンスに接していて感じずにはいられらなかったのは
、紳士であれ、というスタンス。それはバック・コーラスの人達の恰好を見
ても明らかでだろう。普通のソウル・マンならビッチな恰好をさせるところ
、本当におそろいで上品な恰好をさせていたもの。また、彼女たちにそれぞ
れ平等に1曲づつデュエット曲を振り分けていて、それにもうなずく。普通
は複数いるコーラス担当者のなか一人をフィーチャーしがちで、それは希有
なケースなように思う。彼、フェミニストね。
                        
 ところで、ショウが終わったあと、セカンド・セットが始まる前にブライ
ソンはインタヴューを受ける。通常は昼間にホテルでやるのだが、こんなこ
とは珍しい。お食事しているメンバーたちがいる楽屋の奥にある個室楽屋に
て、彼は親身に受け答え。やはり、男のオレがポっとなるほど、いい人やあ
。そんなにへりくだるのはやめて下さいという度数では、ぼくがインタヴュ
ーしたなかではB.B.キング(2007年2月3日)、ナラダ・マイケル・ウォル
デンにつぐ。本当に日本が好きな事が良く判りもしたな。話の内容で一番興
味深かったのは、祖母、母親、姉と女性たちに囲まれて育ち、しかも彼女た
ちが本当に尊敬できる存在だったそうで(新作は亡くなった母と姉に捧げら
れている)、自分のラヴ・ソングはそんなことからも他の人が歌うものとは
自ずと違ってくるかもと自己分析していたこと。なるほど、それには膝をう
つ。彼の楽屋にはシャツやジャケットやパンツがいろいろと沢山ハンガーに
かけられていた。さすがワードローブ係はいないようだが、マネイジャーは
二人ついているよう。いろんな色合いのポッケトチーフも10枚以上置かれて
いたな。1つだけ別にかけてあった面白い縫製と生地によるジャケットはロ
ンドンのテッド・ベイカーのもの。あ、それから、セカンド・ショウでも配
るバラもしっかりありました。



沼澤尚、他

2008年1月30日
 青山・月見ル君想フ。最初にパニックスマイル(2001年9月22日)のドラ
マーである石橋英子のピアノ/歌に、ドラマー(山本達久)とダンサー(タ
カダアキコ)が即興的に絡むというステージ。へえ、いろなこと出来る人な
んだあ。
 
 そして、沼澤尚(ドラム)+勝井祐二(ヴァイオリン)+森俊之(キーボ
ード)with迫田遙(映像)。この顔ぶれの実演は2006年5月30日いらい、見
ることになるのかな。演奏陣についてはサンパウロ(2002年11月15日、2004
年1月30日)から佐藤タイジが抜けて勝井が入ったという書き方も一応でき
るのか。いや、ぜんぜん違うナ。この日は“ULTIMATE MUZIC”と名付けられ
ていてプロデュースが沼澤となっていたが、聞けばこっちのほうしか関与し
ていないとか。ノリ一発、久しぶりに見たせいもあるだろうが、過去のクリ
シェに陥らないところあり。けっこう、それぞれが扉を開けていたとこはあ
ったのではないか。そして、見てて羨ましナと思えるミュージシャンの愉悦
があった。

TOYONO

2008年1月31日
 六本木・スイートベイジル139 。昨日に続き、沼澤と森の演奏を聞く(実
はいきあたりばったりではなく、ちゃんと歌の伴奏をしなければならないこ
ちらは少し緊張モンであったよう)。ブラジル音楽に触発された歌をうたう
女性シンガー(1999年6月3日、2007年8月23日)の特別仕立てライヴで、
他に竹中俊二(ギター)、ROVO他の岡部洋一(打楽器、2006年7月7日
、他)、鈴木正人(ベース。2007年1月17日、他)、佐野聡(トロンボーン
、他)、吉田修(リード)。昨年出たマルコス・スザーノ関与の『ペリカー
ノ・ヘヴン』曲とともに、本人がこれまでのキャリアを俯瞰するかのように
彼女のなかに残っている曲を拾ってみましたという感じか。こっちにも、羨
ましいミュージシャンシップの交換があったな。一部の曲で普通っぽいフュ
ージョン調バッキングになっていたのには、もったいないと感じた。