シー・アンド・ケイク(2003年1月30日)の中心人物サム・プレッコップの
、久しぶりの個人名義公演。前座に彼のサポート・プレイヤーでもあるコルネ
ットのロブ・マズレク(2000年10月15日、2004年1月20日)とドラムのチャド
・テイラーによるシカゴ・アンダーグウランド・デュオが登場というのは、前
回のプレコップ公演(1999年6月6日)と同じ。ただし、前回と異なり今回は
ずっと二人で演奏を繰り広げたが。場所も同じく南青山・カイ。客はかなり男
が多かった。そういうやあ、シカゴ系って大方ルックスはお粗末だよなあ。

 <寒い国で一人知恵の輪遊びを淡々とやっているようなギター弾き語りにジ
ャズ・コンボがたるバック陣が寄り添う>とぼくは前回公演報告文で書いてい
るが、今回のプレコップはもう少し温かみがあったと言えるか。バック・バン
ドにはアーチャー・プレヴィット(ギター)やタウン&カントリー(2003年11
月27日)のジョシュ・エイブラムス(ベース)がいて、なかなかに興味深い。
風通しは良いながらサポート陣との重なりがもっと緊密になり、そのなかでな
んか誘われる歌をプレコップは歌っていた。

 ところで、会場に行く前に夕刊記事でルーサー・ヴァンドロスが亡くなった
ことを知る。この公演ではその話題を分かち合える人はいないかもなと思って
いたら、黒モノ好きという印象をぼくが持つ某レコード会社のディレクター氏
もいて、彼とその話をひとしきり。54歳でした。

ティム・リース

2005年7月3日
 99年以降、ザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)のツアーで
ホーン・セクションの一員を務めているリード奏者がリースだ。北テキサス大
学他、米国における最高クラスのジャズ教育を受け、80年代前半にメイナード
・ファーガソン楽団を入口にジャズ/セッション業界に入った人物。円満で落
ちついていて、ちょい坊ちゃんぽい感じも与えるもするか。「あまりポップ・
ミュージックには浸っていない。でも、ストーンズ命じゃないからこそ、スト
ーンズの面々は僕のことを気に入ってくれたんじゃないかな」とは本人の弁だ
。ストーンズの前回ツアーをまとめたライヴ盤『ライヴ・リックス』にはキー
ス・リチャーズが歌うジャズ・スタンダード「ニアレス・オブ・ユー」が収録
されているが、リチャーズが(チャーリー・ワッツの次にジャズ好きなのは彼
であるという)その曲をやりたいと急に言いだして、泊まっていたホテルの部
屋にホーン・セクションが呼ばれてアレンジしたのだという。そして、リース
は同ツアーをやっているうちにストーンズの曲を自分なりに繙きたくなって、
ビル・フリゼール(2000年7月21日)やブライアン・ブレイド(2000
年12月6日)からノラ・ジョーンズ(2002年5月20日、2002年9月21
日、2004年1月19日)やシェリル・クロウ(1999年10月16日、200
2年10月21日)、もちろんワッツ(2001年10月31日)やリチャーズらも入
ったストーンズ・カヴァー集を作ってしまう。米国では暇を見て何度かそのノ
リ(面子は純ジャズ・マンのみ)でライヴを彼はやっていたりする。

 六本木・スイートベイジル136 。当人に加えギター、生ベース、ドラム(彼
のみ、黒人。まだ24才とか)という布陣によるもので、ピアノはときに少しだ
けリースが弾く。NYのジャズ・スタンダード(2004年9月13日)での過去
ライヴではビル・チャーラップがちゃんと弾いていたはずで、いわば片肺と言
えるものではあったろう。クリス・クロス他に5枚リーダー作を残すリースで
はあるが、この日はすべてストーンズ曲を演奏する。本人はそのストーンズ・
プロジェクトをサックス奏者だけでなくアレンジーとしての自分を大きく出し
たものと言っていたが、洗練されたオトナの感性でストーンズ曲を開こうとし
ていたのは間違いない。イヤな感じはなし、ただもう少し爆発的だっり、グル
ーヴィだったりするほうが個人的には好みではあるが。学生時代、一番コピー
したことがあるバンドなので、一言もちたくなってしまいますね。さすが、リ
ースの各種サックス演奏は流麗ではありました。

 それから、特筆したいと思ったのは3分の1強ぐらいで歌っていたバーナー
ド・ファウラーの歌の聞き味の良さ。器用だけど味の軽い広角派シンガーとい
うイメージをぼくはずっと持っていたが、声の輪郭がはっきりしていて、すう
っと気持ちが聞く側に入ってくるなかなかの歌い手だとぼくは感じた。前回
ストーンズのサポートで来日した際のシークレット・ギグ(2003年3月13
日)ではそんなふうには感じなかったのだが。80年代前半以降ビル・ラズウェ
ルの舎弟といった感じでいろんなセッョンに関わるようになり、ロン・ウッド
の92年作『スライド・オン・ディス』を共同でプロデュースしていたりもする
彼は当然のことながら関わったアルバムは山ほどあるものの正規リーダー・ア
ルバムはない。ニッケルバックという名義でスティーヴィ・サラス(2004年8月3日)との双頭ユニット作品を10年ぐらい前にポニーキャニオンから出したことがあったと記憶はするが(それ、もちろんロードランナー所属のバンドとは別モノね)。自分のアルバムを1枚ぐらい作っても良いんではないか、その実演に触れながらぼくはそう思った。

 リース(とファウラー)はまたストンーズのツアーにかりだされる。
 1929年ニューヨーク生まれ、東欧系ルーツの大御所女性ジャズ・ヴォー
カリスト……。ジャズにせよロックにせよ、ぼくはそんなに女性シンガー愛
好者ではないのだが、やっぱり“ニューヨークのため息”なんて異名も持つ彼
女には不思議な愛着を覚えるところあるかも。50年強前のクリフォード・ブ
ラウンとのエマーシー盤は本当に好きだな。南青山・ブルーノート東京、ファ
ースト。1週間やってた、最終日。遠目には顔ツルツル。皺取り手術、やって
るんだろうなあと思う。

 バックはテッド・ローゼンタール(ピアノ)が中心となる、とても紳士ぽい
風情を出しているトリオ。さすが、まだヴァリューは朽ちていないようで、い
いミュージャンたちを従えている。喉はときに音程が不安定だったりし、衰え
ている。とくに、「マイ・フェヴァリット・シングス」のとき結構旋律を外し
てておおおおって感じ。だが、痛々しいという感じはあまりなく、それも滋味
あるシンガーの今であるのだとマイナスの感想を持たずに受け止めることが出
来るのは、彼女のパフォーマンスにジャズ・シンガーらしい品格があったから
。媚びた、いやしらい所もなく。MCには日本語の単語を混ぜるが、彼女は67
年から約5年間、旦那の赴任かなんかで一緒についてきて日本に住んでいたん
だよなあ。その時期、けっこう日本のジャズマンとも絡んだはずだ。それ、た
とえば80年代にリンダ・ロンシュタットが突然東京に住みだしちゃうのと同じ
ような感じかな。

 向かってステージ右手にはギターが2本置かれていて?と思っていたら、途
中になんと息子のアラン・メリルが登場。両親と一緒にやってきて、アイドル
系グループサウンズを東京でやってた人。そのころの表現を聞いたことはない
が、東京期最後のほうに彼が組んだウォッカ・コリンズというロック・バンド
のことは子供ゴコロに記憶に残っている。それに彼はあの故ローラ・ニーロと
も従兄弟の関係にあるというのは有名な話だよな(すると、ニーロとヘレン・
メリルの関係は?)。日本語も達者な彼は2曲歌う。1曲目はブルース・ロッ
ク調の曲で、2曲目はジョーン・ジェットやブリトニー・スピアーズなんかで
知られる「アイ・ラヴ・ロックンロール」。へえ、これは彼の曲であったのか
。後で調べたら、ウォッカ・コリンズ(10年前弱に再結成盤とか出ているらし
い)の後、英国に渡って組んでいたジ・アロウズ時代の曲らしい。今もNYで
活動しリーダー作を出しているようなアラン・メリルだが、別にどうっていうこ
とはないパフォーマンス。そのとき、正調ジャズ・トリオは情けなく8ビート
のバッキングをつけてて大笑い。また、母親は横で本当に嬉しそうに息子の実
演を見守る。すげえ、親馬鹿。でも、なぜかイヤな感じはしなかった。そうい
えば、彼女は04年盤でレディオヘッドの曲(「ユー」)をカヴァーしていた
けど、それは息子の意向は関係ありか。

松田美緒

2005年7月11日
 基本、ポルトガル語で歌う20代半ばの歌手。ファドにやられ、ポルトガルに
住んでそのエッセンスを会得した行動派の人のよう。ながら、今はブラジルも
のなんかにも興味を持ち、そちらにも住んだりもし、結果としてポルトガル語
が繋ぐ広角型の郷愁音楽を求めていると言ったほうがいいのかな。生ギター、
そしてサックス(ぜんぜん、知らない人だったがいい奏者でした)がバッキン
グ。なんとなく、姿勢が嬉しく感じられるシンガー。北青山・プラッサオンゼ
。とっても久しぶりに、カイピリーニャをグビグビ飲んじゃった。
 まず、現在LAに住むシンガー・ソングライターのコンヴェンション・ライ
ヴを六本木・ハードロックカフェで見る。ここに来るのはとっても久しぶり、
昔トッド・ラングレン(2002年9月19日、9月28日)のコンヴェンショ
ンをやったとき行っていらいか、それともT.M.スティーヴンス(2001年10
月31日)やスティーヴィ・サラス(2004年8月3日)と一緒だったとき
か。ここ、ミュージャンが行くと、宣伝効果に繋がるから只なんだよね。アメ
リカでもほとんど無名の人ながら、アルバムを聞くとG・ラヴやプリンスの影
響を感じさせる人であり、ソウルやファンクの要素をうまく自分なりに出せる
人。ぼくはなんとなくジェドソン・スペンスを思いだしたりもした。実演は生
ギターの弾き語りにて。自作曲にまじえ、なんとプリンス(2002年11月19日
)の「キッス」をフルで演奏。うわあ、本当に好きなのだなあ。彼からは、ジ
ェイ・ケイ(ジャミロクワイ、1999年11月17日)っていい人じゃんという興
味深い話を聞く。へえ〜。そのネタはBMR誌にて。

 そして日本武道館に向かいヒップホップ界の売れっ子、ネリー。この日は電
車で行ったが、もう人格低すぎの声のかけ方をするダフ屋には閉口(そういう
こと、前にも書いたことがあったな)。ほんとにヤ。この会場だけは車で行き
たい。あの人たちに遭遇せずにすむから。

 前座にあちらではシングル・ヒットをかましている新進R&B歌手のエイコ
ン。セネガル生まれで、父親はNYのフリー・ジャズ系セッションでけっこう
活躍しているパーカッション奏者。バンドを従えての20分の実演だったが、よ
く伸びる声やなんとなく出自を思い出させるような揺れる感覚をソツなくアピ
ール。

 そして、現ヒップホップ界で売れっ子の最たる一人だろうネリーの実演は、
彼がずっと地元で組んでいるヒップホップ集団のセント・ルナティックスとの
もの。彼に加え、マーフィー・リーら3MCに、マスクを付けた狂言回し役ダ
ンサー。そして、1DJ。で、これがもう最初から終わりまで、全員での総力
戦(途中には、セント・ルナティックス主体のパートも。そのとき、ネリーは
完全にわき役に徹する)。もうみんなが声を出し、動き回る。訛りたっぷりで
歌うようにラップすると揶揄されるネリーのフロウはいまいち軽いと感じたが
、その声群の重なりやみんなの絡みの妙には深く納得。原始的にして今でもあ
る、いい米国黒人芸能ではないかと、ぼくはかなり満足した。少し、3人の女
性ダンサーが出てくるときも。

 二日間ということで2階などは空席もあったが、オーディエンスは女性のほ
うが多い。で、驚かされたのはその反応。けっこう密なコール&レスポンスが
あり、リフレインの合唱があり。全米1位常連者らしい完成度の高いショウ(
ラップに珍しく長く、1時間半やった)に、それに見合う反応のいいお客さん
でした。
 渋谷・Oイースト。ノルウェー出身、ニューヨーク在住のハタチの女性ポッ
プ・ロックの担い手。コンヴェンション・ライヴ。ギター2本、ベース、ドラ
ム、キーボードからなる(あまり上手くない)男性バンドを率いて、本人はギ
ターやドーボードを弾きながら歌う。そのサウンドや曲調は趣味ではないが、
ちゃんと歌える人であるのは間違いない。ときに、弾き語りで歌う曲も。「ヘ
ッズ・ウィル・ロール」とか、最後のほうは曲調も違和感ないものも。アンコ
ールの「レット・ミー・イントロデュース・マイセルフ」という曲が一番ぼく
は好きだなと、セット・リストを見ながら思った。

 そして、南青山・ブルーノート東京。今年のジョイスはドリ・カイミをゲス
トに呼んでもの。去年(2004年7月15日)同様、“空洞ギター”を手にし
、ベース(今回は電気ベースだけを弾く)とドラムは同じ人ながら、絶妙な絡
みを見せる二人のリード奏者はおらず、そのかわり若いピアニスト(かなり達
者にジャジーなソロを取る)を従えてもの。鍵盤入りって、珍しくないか。と
いったわけで、バッキング・サウンドは去年とけっこう違う。まあ、ジョイス
が歌うと、いいもん聞いているという気になり、軽く思考停止してしまうが。
中盤(全体の5分の3ぐらいだったか)、かなり米国にも進出していてクイン
シー・ジョーンズが持っていたクェスト・レーベルからアルバムを出したこと
もあるカイミが加わる。彼も空洞ギターを手にする。彼がギターを弾いている
ときは、ジョイスはギターを手にしない。そういうものなのか。
 代官山・ユニット。すごく湿度の高い日、家から会場まで20分強歩いていっ
たらもう汗だく。うぎい。着いたら、パニック・スマイル(2001年9月22日)
は終わっていた。しばらくして、ザゼン・ボーイズ。ナンバーガール(199
9年12月22日、20001年2月13日、他)はある雑誌でよくインタヴュー
していたせいもあって何度も見ていたが、ザゼンをちゃんと見るのは初めてと
なるのか? やっぱり、向井秀徳は特異なというか、興味深い存在。彼の個性
/言語感覚とパンク・ファンク語彙が掛け合わせられる。
 
 で、ジェイムズ・チャンス。まさか、この人を日本で見られるとは……って
、軽い感慨を覚えるよなあ。学生時代、パンク・ジャズにはまり追いかけたな
かの印象深い一人だもの(ZEレーベルも好きだが、それは彼がいたからこそ
。あとは、オーガスト・ダーネル/キッド・クリオールもそうだけど)。ひし
ゃげ、こわれ、情けなくなったJBプラス・ジャズ的α。アルト・サックス(
ときに、キーボードも)と歌の本人に加え、ギター、ベース、ドラム。ドレミ
を吹けるようになる前に、嘶きのやり方の練習をしたんじゃないかというアル
トのブロウを聞いてふふふ。基本的なノリや引出しは四半世紀前と変わりがな
いが(身体は太くなったものの。けっこう、小柄な人なのだな)、それはそれ
でいいじゃないかともぼくは思えた。ただ、彼のライヴを見ながら、やっぱり
白人は得だよなあとも感じる。別にチャンスさんをくさすわけではなく。だっ
て、彼と重なったりしていたディザズを率いていたルーサー・トーマスなんて
全然話を聞かないもの。

 この日は3日間の最終日、オープニング・アクト勢の人気でどの日も盛況だ
ったよう(他の日はデート・コース〜:1999年12月22日他、レックと大
友良英と中村達也:2005年4月26日。今回はフリクション曲で疾走したようだ
!)。1時間ちょいぐらいだったかな、実演が終わると、白いタキシードみた
いなのを着ていたチャンスはとうぜんのこと、痩身の嫁(実演の間は、ステー
ジそででノリノリで見守る)のほうも着替えていた。なんでも、オフの彼は子
供のような人で、それを奥さんが母親のようにきっちりケアするのだという。
今回のザ・コントーションズのベースはザ・ラウンジ・リザーズで鳴らした敏
腕のエリック・サンコ。非常にニューヨーカーらしい雰囲気を持つ、恰好いい
人。彼にちょいザ・ラウンジ・リザーズのことを尋ねたらジョン・ルーリーは
今音楽をやってないとのことで、その分スケルトン・キーで頑張りたいみたい
なこと言ってたっけな? その後、いっぱい飲んじゃってよく覚えてないや。
 アイスランドのジャズの担い手が出た公演。やはり、愛知万博流れだという。
テアトロ・スンガリー青山。過去に公演とコンヴェンションで1度づつ来たこと
がある会場だが、普段はロシア料理屋で、加藤登紀子のお店なんだそうな。へ
え。彼女の亡くなった旦那さんの弟(藤本雄三さん)はジャズ評論家/編集者
をやっていた。大昔、ちょっと付き合いがあったけど、お元気かなあ。

 かつてビョークがジャズ・アルバムを出したことでも示唆しているように、ア
イスランドでもジャズの担い手がいるのは認知していたが、リーダーとなる40
歳少しのアルト・サックス奏者は同国のジャズ大学の学長なのだという。人口
30万人弱しかいないのに、それがあるというのはへ〜え。で、同国の名手を集
った(20代から50代までといった感じか)特別編成のカルテットのようだが、
これがなかなか。1曲10分を超える尺できっちりインタープレイしながら、ち
ゃんとジャズの肝たる冒険の気持ちや洒脱を出していて。感心させられたのは
楽曲の良さ。どの曲もちゃんと流儀に則りつつ、自分なりの創意工夫が出され
たもの(サックスが書いているのかな?)で、ぼくは感心した。

 2部は、やはり同国で活躍するクリスチャーナという女性。彼女もちゃんと
ジャズの本懐を掴んでいる人だが、演奏陣の味の良さに触れちゃうとちょっと
普通。アルバムだと時々スキャットをかましていたが、アンコールの曲(スン
ダードの「バイ・バイ・ブラックバード」だったっけ?)のみ彼女はそれをや
っていた。こちらのときは、彼女に合わせて演奏陣(先の4人)もいたって常
識的なジャズ伴奏に徹する。落差ありすぎ。でも、それは手抜きということで
はありません。



ヒュー・マセケラ

2005年7月20日
 南アフリカ出身の、ジャズにやられ世界に飛び出し、けっこう米国進出を果
たしてきたフリューゲル・ホーン奏者(1939年生まれ)。本人に加え、サック
ス、キーボード2人、6弦電気ベース、ドラム、パーカッションという編成に
て。みんな、アフリカの人達のよう。

 やっていることはおおまかな書き方になるが、総じてはおおらかなアフリカ
ン・ポップ〜アフリカン・フュージョン。御大は不器用なフリューゲル・ホー
ンだけでなく、けっこう歌もダミ声で歌う。メンバーもときにみんなで声を出
す。その歌声の重なりは一発でいいナ、もっと聞かせてと頷かせるものであっ
た。

 娯楽を求めつつ、随所から自分の故郷/独立を思う気持ちが溢れ出る。ぼく
はマセケラのことを大御所とも書きたくなるが、それはそういう部分で積み重
ねてきたことの大きさもあるんだろうなと肌で納得。とくに、ポップで感動的
なネルソン・マンデーラを讃える曲にはうきっとなりつつ、じいーん。“マン
デーラを家に、ソウェトに”というリフレインは一緒に歌えたりもしたけど、あ
れ誰の曲だったか? 不幸な成り立ちを持つ国の生まれでなかったら、彼はど
んな音楽人生を歩んでいたのか……、ステージに触れながらそんなこともほん
の少し思った。南青山・ブルーノート東京。セカンド。演奏時間はテンポがゆ
ったりとしてたり、けっこう語りを入れてたこともありたっぷり1時間半越え。
 南青山・ブルーノート東京、セカンド。アントニオ・カルロス・ジョビンの
息子(カルテート・ジョビン・モレレンボウム)や坂本龍一との関わりで知ら
れるブラジル人夫妻が出演。もちろん、チェロ奏者である旦那のほうはなんと
言ってもカエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)に欠かせぬ協調者ですね。

 最初の4、5曲はパウラ(変なフリをつけて歌う)と、キーボード(いわゆ
るキーボード音から、ストリングスや管楽器音を出すだけでなく、きっちりベ
ース音も担当)、ギター(ずっとエレクリトリック・ギターを弾くが、生ギタ
ー音が出てくる場合も)、ドラムという編成でやる。
 
 そして、ジャキスが出て来るのだが、まずステージに上がってすぐに女房に
キスする。基本アルコ弾きでサウンドに、官能性や滑らかや奥行きや、広がり
を与える。当たり前といえば当たり前だが、さすが。1曲はパウラ抜きで、イ
ンストゥメンタルでやったりも。

 ありゃあと思わせられたのは、けっこうな有名曲をやっていたこと。ブラジ
リアン・ソングの夕べ、みたいな感じで。ときに、プリセット音なども用い、
多少コンテンポラリーなほうにも振らんとする意思がほんのり伺わせつつ。

 ステージを降りるときも、旦那は女房にさっと手を差し出したりして、本当
に恐妻家なのだナというのがよく分かる。パウラは多大な印象を残す歌い手で
はなかったけど、とても気持ちを込めてパフォーマンスしていたのは間違いな
い。それから、やっぱり普通のジャズやポップの公演では感じえない、寛げる
何かがあったことも……。

マカコ、ブンブリ

2005年7月26日
 スペインのポップ・アーティストが二組出る、愛知万博のスペイン・パビリ
オンが主催する無料の公演。<スパニッシュ・ホット・サマー>と題し、ポッ
プ・アーティストからちょっと演劇がかったほうまで数アーティストの数公演
を太っ腹に只で打ったよう。いろいろあってぼくはこれしか見れなかったが、
スペインって太っ腹。印象良すぎるゾ。渋谷・デュオ。

 台風上陸の日(今年、最初となるのか)。もうずぶ濡れになってもいいとい
う備えで、徒歩で会場に向かう。単パン、裸足にサンダル履き。なんか、子供
のころから台風ってワクワクしちゃうところあるんだよなあ。不謹慎で申し訳
ないが。やっぱり、悪天候のため入りが悪い部分、あったんだろうな。前売り
買っていたほうが、無理していくわな。

 まず、マカコ。2MC、キーボード、ベース、DJ、ドラム、パーカスとい
う編成のミクスチャー・バンド。DJとパーカスは長めのソロ・パートを与え
られる。その場合はやはり奏者が映し出される映像音とのセッションみたいな
ことも両者やる。基本はヒップホップとロックの掛け合わせ。レッチリ(20
02年11月2日)の「ギヴ・イット・アウェイ」みたいな曲もあったが、ギタ
ー奏者がいないのはミソかも。それだけで、通常のロックからは離れる部分は
あるから。さらにラテン要素やラガ要素も大いにあり。同じ、バルセロナをベ
ースとするオホス・デ・ブルッホ(2005年5月30日)から見るともう少
し英米的価値観に近い部分があり、それはそれで親しみを持って聞けるかもし
れない。最後はスカ曲。で、1時間は平気でやったし終了と思いきや、少しし
てメンバーはパーカョションを持ってフロアに登場。で、サンバ隊のヴァリエ
ーションを叩き出しはじめる。練り歩きはしないが、もろにオゾマトリ(20
01年10月13日、2002年3月14日、2005年3月17日)じゃな
いか! 回りのオーディエンスをフロアに座らせたりするところも。ただし、
みんなに時間差で歌わせたり、手拍子させたりするというのはオゾはやってい
なかったと思うが。なんにせよ、いろいろ生理としての“正義”を愛好し、自
分たちなりにやろうとしている連中であるのはよーく判りました。イケイケで
頑張れ。

 そして、たっぷり休憩をとってブンブリ。ウェスタンの格好をした、まあハ
ンサム・ガイ。キーボード、女性ヴァイオリン、電気縦ベース、ギター、ドラ
ム、パーカショッョン、管楽器が二人という内訳のバッキングによる。で、臭
みのある、多分にシアトリカルでもある歌謡ポップ・ロックを聞かせる。日本
人のロックの好みからするとなじめにくい部分もあるけど、なんとなく本国で
人気を集めているのは分かるような……。

 外に出たら、もう雨はやんでいた。
 3年つづきで、前日入り。前夜祭(けっこう、人がいたなあ。1万5千人いた
らしい)の出演者のうち、イタリアのホーン隊付きバンドのバンダ・バソッテ
ィはちゃんと見る。スカ・ビートを下敷きにするポップ・パンクを明快に展開
。あれれ、こんなに陰影や危なげのない音楽をやる連中だったの? 心意気は
たいそうありそうな連中だが、音楽的にはそれについていない。少し、がっか
り。例によって、オアシス(フード・コート)でがんがん飲む。

 会場横で打ち上げられた花火(約3〜5分間)はすぐ近くで発砲しているみ
たいで、短時間であるが本当にいい感じで見れた。
 ちゃんと11時過ぎには会場入りして、ホワイトとグリーンの最初の日本人出
演者(マスター・ロウとユア・ソング・イズ・グッド。後者のR&B応用ぐあ
いにはニコっ)を横目に一番奥まで進む。それらのステージ、すでに結構な入
りを示していて、今年はなるほどチケットが売れているのだなと思う。まず、
オレンジ・コートでスカ・クバーノ。英国のスカ・バンド主催者がキューバに
乗り込み、酒をふるまってラテン奏者たちにスカをやらせたグループとか。で
、これがまさにスカとラテンの美味しい折衷表現になっていてなかなか。ラテ
ンの滋養は本当にすごい(その具合は、ラティーナ誌に書きます)。トランペ
ット奏者はタンタン(2000年8月25日)とMCで紹介されていたような。
また、女性サックス奏者は日本人に見えた。

 そして、ソイル&ピンプ・セッションズ(ホワイト。ジャイルズ・ピーター
ソンに気に入られ、8月下旬に欧州巡業するとか)を少しとケイク(グリーン
。なんか音小さく、さっぱり情けなく。我が道を行っていたな)を途中まで見
て、念願の苗場スキー場施設の“ドラゴンドラ”に乗る。世界最長のゴンドラ
と表示されていたような気もするが、なるほど長い。10年強前にものすごくス
キーに凝ったことがあって、ゴンドラやリフトにはいろいろ乗っているはずだ
が、これだけ山あり谷ありの高低差を持つものは初めて。びっくり、スリル満
点。これで往復1000円はとっても安い。各ステージを少し見下ろせるのも
嬉しいし、山頂には当然ながら綺麗な休憩所もあるし、気分は変わるし、本当
におすすめ。行きのゴンドラ(20分強ぐらいは乗るかな?)のとき、非常に強
い雨が降る。以後、断続的に降ったりやんだり。

 現実フェス世界に戻り、レッド・マーキーのカイザー・チーフス。ちょいグ
リッターな手触りも持つ、なるほどのUKバンド。途中からは、けっこう楽し
みだったプレフューズ73(ホワイト)を見る。2DJ、2ドラム、電気ベース
という布陣にて。ベース奏者はタウン&カントリー(2003年11月27日)の
ジョシュ・エブライムスが弾いていたようだ。フュージョンがかった局面もあ
る、実演型DJミュージック……。で、そのままブリティッシュ・レゲエの重
鎮スティール・パルス。80年代中期の来日公演(後楽園ホールだった)いらい
、彼らを見る。オリジナル・メンバーはフロントに立つデイヴィッド・ハイン
ズ他一人しかいないようだが、けっこう満足できるステージ運び。かつてドレ
ッドを束ねた煙突頭がトレイドマークだったハインズはでっかいジョイントを
頭にこさえていた(苦笑)。

 そして、ペズ(フィールド・オブ・ヘヴン:2005年5月2日、他)の終
盤のほうを見て、ザ・ポーグス(ホワイト)。結構、混んでいたし、大きな反
響を受けていたな。復帰したシェイン・マガウアンはやはりかなり酔っぱらっ
ていたようで。彼らが全盛期のころはちゃんとアイリッシュ・トラッドなんて
聞いてなかったよなー。と、自分のほうの耳知識の蓄積にもほんの少し感無量
。そして、急いでROVO(2004年11月9日、他)。夜の、環境の良いフ
ィールド・オブ・ヘヴンのトリ。演奏的にも映像的にもやりたい放題できるは
ずでなにより。後ろの林にも特別な映像効果を施すのかとちょっと期待したが
、それはなし。いつもより、ゆったりとインプロヴィゼーションをしていたよ
うな気もしたが、それは環境のせい?

 その後、忌野清志郎(2004年10月19日)を途中からグリーンで。実は、
全パフォーマンスの3分の1ぐらいしか見ていないはずだが、今年のフジ・ロ
ックのベストは彼だとぼくは断言する。自分でも、びっくりしちゃってるんだ
けど。もちろん彼に悪い感情は持っていないが、今回見たいナというリストに
彼の名前はなかった。だが、偶然に見た彼は凄かった。もう、ちょっと触れ
ただけでぼくは引き込まれ、釘付け。独自の感性を通した歌唱法やMCに感心
しまくり(最後のマント・ショウはちょっと予定調和すぎるとは、感じるけど
)、バンドの演奏も最高級(管は片山広明や梅津和時ら)。フォークではなく
R&Bを基調とするときの忌野清志郎は本当にエモーショナルで素晴らしい。
途中で、ぼくは涙腺が緩んできて、困った。回りに人がいなかったら、泣いて
いたかもしれない。もう、そこにはある種の音楽の神が降りていたと言いたく
なるナ。本人も大フェスということで特別な気持ちで、気合をいれてやってい
たのではないか。とにもかくにも、フェスの有り難さを痛いぐらい感じたし、
これほどのパフォーマンスに触れてしまったらぼくの残りの人生は忌野清志郎
に絶対服従じゃんと思わせられるぐらいに感動した。

 夜中はレッド・マーキーで、米国西海岸ベイ・エリアをベースとする生バン
ドによるヒップホップ・グループのクラウン・シティ・ロッカーズ。白黒2M
Cに、女性キーボードとリズム隊。衝撃は受けないが、イヤでもない。その後
、知り合いと次々と会って、酒盛り。で、なんと……。
 しっかりご飯を食べ、今日からけっこうな雨になるという情報なので入念に
身支度をしようとしたら、ん? あれれ、(カッパやタオルを入れて持ち歩い
ている)バッグが見当たらない。折り畳み椅子も同様に。実は昨日飲んでて、
いつのまにかまったりと東京で飲んでるような気持ちになっちゃって会場にそ
れらを置き忘れ、焼酎はいった紙コップ片手にホテルに知人たち(誰も指摘し
てくれな〜い)と戻ってしまったんだよなあ。いやあ、昨晩はそんなに気を許
してしまっていたか。ぼく、東京でもまず飲んでも忘れ物しない人なのに(と
いうか、本当にかったるいのでぼくは荷物を手にしない。親しい人なら、普段
ぼくが本当に手ぶらで行動するのを知っているはずだ)。で、急いで会場に向
かいオアシスのテントの裏に行ったら、しっかりとあった。さすが、世界一安
全なフェス? ロス・ロボスのグリーン朝一ステージは彼らが飛行機に乗り遅
れてなしになったし、雨対策の重装備をするため、一度ホテルに戻る。

 案の定、昼過ぎから大雨に。夕方あたりと深夜はやんでいたが、日中は基本
的に相当な降雨の一日。2時すぎからのビル・ラズウェルのプラク
シスの演奏(レッド・マーキー)からちゃんと見る。ベース、ドラム、トラン
ペット、DJという、重量級インプロ・セッション。

 ところでフジ・ロックの場合、ぼくは<レッド・マーキー(オアシス)とグ
リーン>、奥にある<ホワイトとフィールド・オブ・ヘヴンとオレンジ・コー
ト(とジプシー・アヴァロン)>というふうに区分けをしている。やはり、グ
リーンとホワイトの間は距離がありすぎ。一度、ホワイトのほうに行ってしま
うとなかなか戻る気にはなれない……。

 で、4時少し前ぐらいからはずっと<奥>でうだうだ。クリス・マーレー・
コンボ(ただ、ちんたらやっているような……)、ザ・カリフォルニア・ギタ
ー・トリオ(ぼくにとっては不毛。イエスの曲、カヴァーしてたな)、アンプ
・フィドラー(2004年9月25日のブルーノート東京のときと異なり、本人
を含め3人による簡素なパフォーマンス。すると、ダニー・ハサウェイ的な持
ち味が強調されたものになり、それはそれで興味深いし、いい味を出していた
はず)、セネガルのザ・ピース・イン・ラヴ・パーカッション(けっこう観光
地的でもある、打楽器&パフォーマンス・チーム。火の扱いや踊りなどで客を
沸かせる)、ライトニング・ブルース・ギター・セッション(パパ・グロウズ
・ファンク:2004年3月30日に、日本人がいろいろと絡むセッション。た
だの駄目おやじロックになっていた部分も)、マイ・モーニング・ジャケット
(最初にちょい見て、終盤をまたちょい見て。けっこう落差があった。意外に
派手という印象もあったか)、ギャング・オブ・フォー(切れ味あり、素晴ら
しかった。なんでも、やはり今年のフジ・ロックに出演していたエディ・リー
ダーはほんの少しギャング・オブ・フォーに入っていたことがあって、裏でメ
ンバーたちと熱い邂逅をしていたそうな)、エイドリアン・ブリュー(けっこ
う好きで期待したのだが、トリオによるプログレ・フュージョンみたいなグル
ープ・コンセプトがぼくにとっては駄目でした)などなどを齧る。

 そして、頭のほう少しダイナソー・Jr(ホワイト)に触れてグリーンに行
く。娯楽DJミュージックの首領、ファット・ボーイ・スリムの出演。とにか
く、大衆の一員になり快楽的な馬鹿となることがとっても楽しみだった。運
良く3D仕様眼鏡もゲットでき、ニコっ。今回、ファットボーイ・スリムは
6月24日に出演した英グラストンバリーとこの晩のフジ・ロックのためにそれ
を製作。フジでは1万個配ったという。メガネを入手できなかったら、了見の
狭いぼくはムカつくので見るのは止めようと思っていたので、良かったよかっ
た。それ、紙製で薄紫色のセロファン・レンズつき。で、そこから光を見ると
カラフルなニコちゃんピースマークが浮き出るというもの(米国特許でテネシー
州で作られている)。それはステージの光だけでなく、あらゆる光(売店のラ
イトからも、それは浮き上がる)に反応する。つまり、このライヴ以外でも使
える。頭をグリグリ揺らすと、ニコちゃんマーク群も立体的にぐりぐり動く。
天候は降雨だけでなく、稲妻や雷を伴う。ひえ〜、避雷針とかあるのかなと少
し心配になる。途中から、レンズが濡れたりして、3D眼鏡なしで見る。それ
でも、十分楽しめたとは思うが。ただ、音は小さ目だったし、もっと映像と光
と音のあっと驚く効果的な組み合わせがあっても良かったかもしれない。でも
、本人が時々ヴィジョンに映ったりもし(それなりに臨機応変にお皿を回して
いたのかな?)、表現のブラック・ボックス化を避けていたのは良かった。あ
と、他愛なく“ラヴ&ピース”のメッセージを映像に折り込んでいたが、お茶
目なそれは背伸びしておらず、イヤミな感じはない。ロック・ミュージックの
メッセージのアピールって、このへんが丁度いい? 

 その途中、オレンジ・コートに行って部分的にロザリオス(2003年12月
8日、2005年28日)を見る。そのとき、ジミヘンやザッパを彷彿とさせる
ような演奏をやっていた。あと、ブラフマン(ホワイト)も出だしだけをちょ
っと。エスニックな要素満載の導入部にはちとびっくり。彼らに少し興味を持
った。

 深夜は、オアシスにある苗場食堂(去年の項にも書いたが、ここの乱暴な仕
切りのライヴ、ぼくは好きです)で永井隆&ザ・ブルース・パワー。永井“ホ
トケ”隆(ヴォーカル、ギター)、浅野祥之(ギター)と沼澤尚(ドラム)か
らなる、ベースレス編成によるブルース・バンド。この面子でツアーもやって
いるらしく、後者の二人はJ&B(2004年7月22日)やアズ・ウィ・スピ
ーク(2004年2月21日)の同僚でもある。ホトケは半分以上空いた赤ワイン
のボトルを片手に登場。出来上がっている感じだが、そこはブルーズに献身し
て30年強。なんの問題もない。ぐっさりと、雑なライヴ環境のなかで(途中で
照明が消えたりもした)、エルモア・ジェイムズの「ダスト・マイブルーム」
ほか有名ブルーズ曲を披露する。ホトケは指でギターを弾き、浅野はときにス
ライド・バーを手にする。回りには偶然居合わせた客(外国人も多かった)が
集まり大盛り上がり、ブルースという巨大で抗しがたい何かを彼らはしっかり
と受け止めたのではないか。アンコールには山岸潤史(1999年8月5日、
2000年12月7日、2001年7月16日、2004年3月30日)も出てきた
。いろんな意味で生理的に美しい“音楽の光景”がそこにはあった。

 最後に、場外のパレス・オブ・ワンダー内テントで、ビッグ・ウィリーズ・
バーレスクを見る。昨日もジプシー・アヴァロンでちょっと彼らのことを見た
んだけど、米国西海岸をベースとするらしいこの4人組(ドラム、フルート/
アルト、キーボード、ウッド・ベース)+1はなかなか面白い。ラウンジやク
ラブ・ミュージック的なフックをうまく取り込んだ、ジャズ・コンボ。ザ・バ
ッド・プラス(20045月13日)のドラムのような愛嬌あるスキン・ヘッド
のドラマーがリーダーで、ちゃんと基本を受け継ぎつつ、相当に下世話な娯楽
性を持ち込んだショウを展開する。なんせ、ときにマルティナというストリッ
パー(そんなに露出はしないけど)がダンサーとして加わって場を盛り上げ
ちゃうのだから。これは、相当に秀逸な色モノ・バンドであるとぼくは思っ
た。
 昨日あまりに雨が降ったためか、起きたらけっこうな晴天。ホテルのフロン
トも終日晴れのようですと言ってるので軽装で出ちゃおうと思ったけど、今日
だけ来る人に昨晩「雨具と泥道対策は必須」と進言したことがひっかかって(
?)それなりの装備で会場入りしたら、夕方から土砂降り。二日目が中止にな
った台風直撃の初回(富士天神平スキー場)をのぞいて、今まで一番天気には
恵まれないフジ・ロックとなったのではないか。

 この日、まずちゃんと見たのは日本のブルース・バンドの草分けウェスト・
ロード・ブルーズ・バンド(オレンジ)。オリジナル・メンバーにて。さすが
、みんな勘どころを掴んでらっしゃる。みんなおっさんの体系になっていて格
好も良くないのだが、永井“ホトケ”隆だけはスマートでちゃんとカッコつけ
ているのにまず感服する。そう、それはブルースは70年代初頭にヒップな存在
で、スタイリッシュな若者が飛びついたという事実を示唆するものではないか
。とともに、彼はフロントに立つ資質をきっちり持っていることも思い知らさ
れた。これまで彼のことをちゃんと見たことがなかったということもあるかも
しれないが、今回のフジ・ロックでぼくのホトケ評価は物凄く上がった。フジ
・ロック会場のなかでは比較的年齢層が高めのオーディエンスもなんの負荷も
なく彼らの演奏を楽しんでいたと思う。

 そのあと、ホワイトのソウル・フラワー・ユニオン(1999年12月16日:
満員の客が盆踊り状態になっていて微笑ましかった)とグリーンのエゴ・ラッ
ピン(けっこう、感じが変わっていたなあ)を横目にオアシス(フード・コー
ト)まで行って人と落ち合いぐだぐだ飲んでいたら、ちょい見たいナと思って
いたアースリート(セカンドはいまいちだけど、ファーストは大好き)をミス
。後日取材をすることになっているザ・フューチャーヘッズの真価をレッド・
マーキーで最低限見極めてまた奥に戻り、上原ひろみ(オレンジ)、ヤンダー
・マウンテン・ストリング・バンド(ヘヴン)、犬式(ジプシー・アヴァロン
)、ソウライヴ(ヘヴン)、ロス・ロボス(オレンジ)などをつまみ食い。ソ
ウライヴ(2004年4月1日、他)は二管を伴ってのもので、リーダー格の
アラン・エヴァンス(ドラム)がウォーの「スリッピン・イン・ザ・ダークネ
ス」を歌ったりも。ロス・ロボス(2004年10月7日)のステージにはかつ
て彼らが米国きってのモダン・ロックの担い手であったことを示すように(?
)、マーズ・ヴォルタ(2004年1月7日)のオマー他が加わったという。

 それから、ホワイトのシガー・ロス(2003年4月14日)、レッド・マー
キーのスーコ103、グリーンのプライマル・スクリーム(2000年2月11
日、2002年11月16日)、などにも触れる。月曜帰りだとゆっくりしてられ
ていいなあ。

 05年は過去一番の観客動員があったようだが、過剰に混んでいるとは感じな
かったな。ヘヴンやオレンジにいることが多いためだろうけど。それにしても
自分でも阿呆かと思ってしまうほど、落ちつきのないショウ享受の仕方をして
いる。雨降りってこともありなんかじっとしているのがイヤだったのと、ある
ことが理由で今回はできるだけ動こうと思ったからでもあったのだが。まあ、
備忘録もかねて、今年はちょい見のも含めて一応書いておこう。

 なお。今年はオレンジ・コートの奥にオート・キャンプ・サイトというのが
出来た。サッカー・コートを用いていて、オレンジ・コートから徒歩5分のと
ころにあるという。知人がそこを今回利用したのだが(二人ぶんの3日券と駐
車料をあわせて、9万円とか)、みんなキャンピング・カーではなく普通の乗
用車を停め、その横にテントを張っていたそう。ともあれ、スペースの余裕は
あるし、火を使ってもいいし、水場も近いそうで、かなり使い勝手はいいらし
い。オレンジやヘヴンを主に見るなら、相当に便利なのではないか。ちょい休
みに戻ることも容易だろうし。ただ、木曜に入り、月曜に帰ることを強いられ
るそうだが。

 最後に要望というか、注文を。出演者の数がどんどん増えているのに、一時期
よりアーティスト選択の幅がせまくなっているように感じるられるのはどうし
たことか。今年に限ってみれば、ブラック系出演者はサマー・ソニックに大敗
だし、オレンジ・コートとヘヴンの出演者に関してはどうにもこうにも首を傾
げたくなっちゃう。