笹久保伸

2014年12月12日 音楽
 打ち合わせがおして1部の最後のほうに、会場にすべりこむ。渋谷・サラヴァ東京。一部はペルーの形而上をたっぷりと通った、笹久保伸(2013年8月29日、2014年5月24日)表現の王道にあるギター・ソロ演奏であったよう。

 2部は、熱心に掘り起こした秩父で歌われた旧い労働歌を、今を生きる笹久保伸の息吹のようなものを通して(コードも、彼流に置き換える)披露する。おお、サム・リー(2013年6月20日、2014年9月22日、2014年12月4日、2014年12月6日、12月10日、2014年12月11日)と同じ方向性を持つじゃあないか。秩父にアイデティティーを持っているような笹久保はここのところ、同地古謡の再提示にのぞんでいたわけだが、その成果をきっちりと歌つきで披露する。彼の歌唱はとても朗々。ほう! それは、澄んだ情念のようなものを呼んでいたのは間違いない。いやあ、興味深し。その一連の作業は今年発表された『秩父遥拝』(チチブ/ビーンズ)として送り出されたわけが、MCによれば、(やはり、それは借り物にすぎないと感じ)これで打ち止めにしようかという気持ちを本人は持っているようだ。それを、今日聞けたのはラッキー? 今年彼はロンドン在住の藤倉大とのデーターの交換による精霊が宿るようなエレクトロニカ傾向作『マナヤチャヤ』(ソニー)を出してもいる。また、他のCDリリースや他にも自主映画作りから劇伴まで、彼のここのところの精力的な活動は量的にもハンパなく、すげえ。ツっぱった感覚も全然減じていないのもすばらしい。

 一部オリジナル曲もやり、また少し12 弦ギターも彼は手にする。なんにせよ、素のパフォーマーとしての、強い存在感と熟達あり。そんな彼は、曲間にチューニングを周到にする。それ、MCをしながらするものの、ショウの流れを切るものではある。せっかちなぼくは“調弦時間”が嫌いなのだが、音楽家としての厳格さが表われる笹久保のそれに接すると仕方がないかとも思えるか。それに、ちゃんとギター・テックが袖でチューニングをしたものを手にしたとしても、彼は自分の耳のもと、会場の音の響きなどを考慮して、やっぱりもう一度調弦するのではないか。いい加減なぼくには気の遠くなるような、表現者として責任の発露がそこにはあった。

▶過去の、笹久保
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201405271717357738/
▶過去の、リー
http://43142.diarynote.jp/201306241438288191/
http://43142.diarynote.jp/201409261634155792/
http://43142.diarynote.jp/201412151250144917/
http://43142.diarynote.jp/201412221527313725/
http://43142.diarynote.jp/201412251103164767/

<今日の、投票>
 理不尽解散にともなう衆議院選挙の不在者投票をする。なんとぼくの住む地域の選挙区が隣の区のほうに変更されていて、驚く。郵便番号の下4桁が0001ということが示すように元々区の外れではあったわけだが。新しいほうには、ドクター中松が候補者にいるのが、すこし嬉しかった。入れないけど。