トム・ベイリー

2014年12月1日 音楽
 1980年代に活躍したUKニュー・ウェイヴ・ポップのトンプソン・ツインズのフロント・マンの公演を、六本木・ビルボード東京(ファースト・ショウ)で見る。その全盛期は優男白人と女性と少し肌の濃い人の3人組で、ベイリーにはプロデューサー・クレジットもついていたりしたはずだ。1990年代初頭にグループは解散し、ベイリーはトンプソン・ツインズ表現を忘れ、また基本ニュージーランド拠点で、ダブやインド風味フュージョン(それらは総じて、ラリったとき吉と出るチル・アウト音楽と理解していいのだろうか。それは、開演前にステージに出て来たメネージャーの弁による)など作っていたそうだが、今年ハワード・ジョーンズ(2012年2月6日)の誘いで米国ツアーをやったことで、“こっち側”に戻ってきたようだ。来日は四半世紀ぶりと言っていたっけ?
 
 演目はずべて、トンプソン・トゥインズ曲か。新たに作り直しただろうトラック(オープナーには、途中でインド風がインサートされていた)とともに、かつての面影はゼロの悠々感を持つおっさんはヘッドセットをつけてサーヴィス満点に動きながら歌い、ときに鍵盤やギターやタンバリンも手にする。歌声は30分でヘロったが、四つ打ち調シンセ・ポップ曲はまだ色あせず。と、思えた。彼はけっこう背後に流す映像も用意していて、ちゃちいのもあったが、歌詞とかをうまく出すやつは何気に感心。

 プリセットの音を補完するノリで、女性3人のバック・バンド(キーボード2、ドラム)がつくのだが、それがいい。音的にではなく、見かけ的に。3人ともバック・コーラスを付ける風情も良いし、ポップ・ミュージックとしてもその設定は輝く。ぼくは、ドラマーのルックスにけっこうウキキでありました。とかなんとか、ポップ・ミュージックをポップ・ミュージックたらしめる鍵のようなものを彼はちゃんと知っているし(ポップ・ミュージックの世界から離れていたからこそ?)、ちゃんとプロとしてそれをまっとうしていた。

▶過去の、ジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/201202091203275169/

<今日の、お祝い>
 ビルボードライブ東京の後、青山・プラッサオンゼに回る。中原仁さんの還暦パーティ。現在の日本におけるブラジル音楽愛好盛況を導いた、最たる人ですね。なんか、来ている人がみんな楽しそうだったのが、とても良かった。それも、<楽しむことを知っている、永遠のシティ・ボーイ>たる中原さんの人柄ゆえか。同じ沿線の若い知人が電車なくなるよと声をかけてくれなかったら、朝までコースになっちゃった?