ケルティック・クリスマス
2014年12月6日 音楽 錦糸町・すみだトリフォニー・ホールにおける、師走恒例の出し物。舞台上には草月流の手による、デカいいけばなオブジェが3つ。へ〜え。出演者それそれをイメージしたものという。出演者、うれしいだろうな。
最初は、サム・リー&フレンズのパフォーマンス。歌と口琴と手持ちハーモニウムを扱うリー(2013年6月20日、2014年9月22日、2014年12月4日)に加え、ピアノ/(日本の)琴、トランペット/ピアノ、フィドル(女性)、ドラム/打楽器、チェロ(女性)という伴奏者を伴うもの。素材をイングリッシュ・ジプシーの伝承歌に求めつつ、それをいかにしなやかに今のものとして浮き上がらせるか。その目的するところはより明晰に出ていたのではないか。彼の2作目となる『ザ・フェイド・イン・タイム』は曲によってはかなりアレンジに凝っていて、伝統/豊かな鉱脈とつながった摩訶不思議なモダン・ミュージックという姿を出している。それから、“フレンズ”と名乗ろうとするだけあって、メンバー間の佇まいが和気あいあいとしていてそれがよろしい。それは、自然発生的な感覚、人間的な手触りをナチュラルに外に出す。今回、生で聞いて、軽妙なリーの歌は質感が澄んでいるとも再認識した。
2番目は、リアム・オメンリー(1999年9月23日、2000年10月3日、2001年7月28日、2009年5月20日、2011年12月6日、2011年12月7日、2011年12月10日、2011年12月12日、2014年12月4日)のソロ・パフォーマンス。まずは、ステージ中央背後上部にあるパイプ・オルガンの鍵盤の前に座り。荘厳な音を出しはじめる。そして、トラッドなのかどうかは知らないが、スピリチュアルに歌声を重ねもする。おお、これは興味深い。この会場においてどのぐらいの頻度でこのお化けのような鍵盤楽器が使われるかは知らないが、通常とは異なる流儀の使い手の登場で、さぞやパイプ・オルガンもうれしかろうとも、ふと思った。話は飛ぶが、ガース・ハドソン(2013年8月2日)のパイプ・オルガン公演を誰か組んでくれないかなー。←と、思いつきで書きつつ、それをとっても切望している自分がいる。その後は、ボーランを叩いたり、ピアノを弾きながら歌ったり。ゴスペルっぽいピアノ演奏を聞かせもする。気まま、その最良の例たるパフォーマンス、なり。 生ギターもステージには置かれもしたが、それを手にすることはなかった。
そして、アヌーナ(2007年12月15日、2009年12月12日、2011年12月7日、2011年12月10日、2014年12月4日)のパフォーマンスはリーダーのマイケル・マクグリン以外の構成員を全取り替えしてのもの。より歌えるシンガーたちに換えた理由は、さらに力強い肉声表現を求めたがゆえ。一気に全員取り替えちゃうところが、生理的に真っすぐでツっぱったマクグリンらしい、とは間違いなく言えるはず。メンバー入れ替えの利益が端的に出たのは、メンバーが会場客席のいろんな所に散って歌う際。それで肉声のサラウンド効果というべきものが作られるわけですね。過去はそうするとき、シンガーたちはヘッド・セットのマイクをつけて歌っていたが、今回は完全にみんな生声で事にあたっていたようだ。彼らは今回、日本語の曲を二つ披露したが、それはちゃんと歌詞を覚えて日本語で歌っていた。
▶過去の、アヌーナ
http://43142.diarynote.jp/200712161423560000/
http://43142.diarynote.jp/201001051620426983/
http://43142.diarynote.jp/201112171633334584/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111210
http://43142.diarynote.jp/201412151250144917/
▶過去の、オメンリー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm(フジ・ロック、ホット・ハウス・フラワーズ)
http://43142.diarynote.jp/?month=200905
http://43142.diarynote.jp/201112171632304826/
http://43142.diarynote.jp/201112171633334584/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111210
http://43142.diarynote.jp/201112191500441741/
http://43142.diarynote.jp/201412151250144917/
▶過去の、リー
http://43142.diarynote.jp/201306241438288191/
http://43142.diarynote.jp/201409261634155792/
http://43142.diarynote.jp/201412151250144917/
▶過去の、ハドソン
http://43142.diarynote.jp/201308110826574632/
<10月の、やりとり>
マイケル・マクグリンがアイルランド人歌手に固執しない姿勢を出しているのは、純粋なコーラス力の向上をもとめるとともに、アヌーナの肉声表現をアイルランドという属性で語られたくないという気持ちがあるからだ。オレたちの表現は過去の情報には明るいものの、どこにも属さない発想のもと、どこでもない音楽をやっている、という自負を、彼は抱えている。「アヌーナのコーラスのどこがアイルランドっぽいと言うんだい? もう、アイリッシュだ、ケルトだ、ヒーリングだ、といったレッテル付けはたくさんだ」と彼は言ったし、「レッテル付けされていない初期の自由なアヌーナに戻るための構成員の選取っ替えでもある」とも、彼は明言した。その発言を聞いて、横にいたマクグリンのプロモーションやワークショップに同行した新メンバーのローラ・インマン(米国人)は、「でも、あなたはアイルランドに生まれ育っているわけであり、アヌーナにはそんなあなたのいろいろなものが出てるので、アヌーナはアイルランドの音楽であると言えんじゃないかしら」と、口を挟む。アヌーナの全舵取りはマクグリンに委ねられているわけだが、自由な発言の機会は十全に残されているようだった。そんなやりとりを受けて、「たとえば、オスカー・ニーマイヤーの建造物に深く心を奪われても、そこにブラジル人としての直接的な属性を感じるわけではない。でも、こんなものを作る人を生んだブラジルって国はなんかすごいと、興味を喚起させられる。と、同様に、あなたたちの音楽を聞いて、こういう音楽を生み出すアイルランドという国は興味深いとなることは、イヤじゃないですよね」と、僕が発言をしたところで、取材時間は彼らの移動もあり、タイムアップ。続きは、次回のインタヴュー時にとなったのだった。
最初は、サム・リー&フレンズのパフォーマンス。歌と口琴と手持ちハーモニウムを扱うリー(2013年6月20日、2014年9月22日、2014年12月4日)に加え、ピアノ/(日本の)琴、トランペット/ピアノ、フィドル(女性)、ドラム/打楽器、チェロ(女性)という伴奏者を伴うもの。素材をイングリッシュ・ジプシーの伝承歌に求めつつ、それをいかにしなやかに今のものとして浮き上がらせるか。その目的するところはより明晰に出ていたのではないか。彼の2作目となる『ザ・フェイド・イン・タイム』は曲によってはかなりアレンジに凝っていて、伝統/豊かな鉱脈とつながった摩訶不思議なモダン・ミュージックという姿を出している。それから、“フレンズ”と名乗ろうとするだけあって、メンバー間の佇まいが和気あいあいとしていてそれがよろしい。それは、自然発生的な感覚、人間的な手触りをナチュラルに外に出す。今回、生で聞いて、軽妙なリーの歌は質感が澄んでいるとも再認識した。
2番目は、リアム・オメンリー(1999年9月23日、2000年10月3日、2001年7月28日、2009年5月20日、2011年12月6日、2011年12月7日、2011年12月10日、2011年12月12日、2014年12月4日)のソロ・パフォーマンス。まずは、ステージ中央背後上部にあるパイプ・オルガンの鍵盤の前に座り。荘厳な音を出しはじめる。そして、トラッドなのかどうかは知らないが、スピリチュアルに歌声を重ねもする。おお、これは興味深い。この会場においてどのぐらいの頻度でこのお化けのような鍵盤楽器が使われるかは知らないが、通常とは異なる流儀の使い手の登場で、さぞやパイプ・オルガンもうれしかろうとも、ふと思った。話は飛ぶが、ガース・ハドソン(2013年8月2日)のパイプ・オルガン公演を誰か組んでくれないかなー。←と、思いつきで書きつつ、それをとっても切望している自分がいる。その後は、ボーランを叩いたり、ピアノを弾きながら歌ったり。ゴスペルっぽいピアノ演奏を聞かせもする。気まま、その最良の例たるパフォーマンス、なり。 生ギターもステージには置かれもしたが、それを手にすることはなかった。
そして、アヌーナ(2007年12月15日、2009年12月12日、2011年12月7日、2011年12月10日、2014年12月4日)のパフォーマンスはリーダーのマイケル・マクグリン以外の構成員を全取り替えしてのもの。より歌えるシンガーたちに換えた理由は、さらに力強い肉声表現を求めたがゆえ。一気に全員取り替えちゃうところが、生理的に真っすぐでツっぱったマクグリンらしい、とは間違いなく言えるはず。メンバー入れ替えの利益が端的に出たのは、メンバーが会場客席のいろんな所に散って歌う際。それで肉声のサラウンド効果というべきものが作られるわけですね。過去はそうするとき、シンガーたちはヘッド・セットのマイクをつけて歌っていたが、今回は完全にみんな生声で事にあたっていたようだ。彼らは今回、日本語の曲を二つ披露したが、それはちゃんと歌詞を覚えて日本語で歌っていた。
▶過去の、アヌーナ
http://43142.diarynote.jp/200712161423560000/
http://43142.diarynote.jp/201001051620426983/
http://43142.diarynote.jp/201112171633334584/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111210
http://43142.diarynote.jp/201412151250144917/
▶過去の、オメンリー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm(フジ・ロック、ホット・ハウス・フラワーズ)
http://43142.diarynote.jp/?month=200905
http://43142.diarynote.jp/201112171632304826/
http://43142.diarynote.jp/201112171633334584/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111210
http://43142.diarynote.jp/201112191500441741/
http://43142.diarynote.jp/201412151250144917/
▶過去の、リー
http://43142.diarynote.jp/201306241438288191/
http://43142.diarynote.jp/201409261634155792/
http://43142.diarynote.jp/201412151250144917/
▶過去の、ハドソン
http://43142.diarynote.jp/201308110826574632/
<10月の、やりとり>
マイケル・マクグリンがアイルランド人歌手に固執しない姿勢を出しているのは、純粋なコーラス力の向上をもとめるとともに、アヌーナの肉声表現をアイルランドという属性で語られたくないという気持ちがあるからだ。オレたちの表現は過去の情報には明るいものの、どこにも属さない発想のもと、どこでもない音楽をやっている、という自負を、彼は抱えている。「アヌーナのコーラスのどこがアイルランドっぽいと言うんだい? もう、アイリッシュだ、ケルトだ、ヒーリングだ、といったレッテル付けはたくさんだ」と彼は言ったし、「レッテル付けされていない初期の自由なアヌーナに戻るための構成員の選取っ替えでもある」とも、彼は明言した。その発言を聞いて、横にいたマクグリンのプロモーションやワークショップに同行した新メンバーのローラ・インマン(米国人)は、「でも、あなたはアイルランドに生まれ育っているわけであり、アヌーナにはそんなあなたのいろいろなものが出てるので、アヌーナはアイルランドの音楽であると言えんじゃないかしら」と、口を挟む。アヌーナの全舵取りはマクグリンに委ねられているわけだが、自由な発言の機会は十全に残されているようだった。そんなやりとりを受けて、「たとえば、オスカー・ニーマイヤーの建造物に深く心を奪われても、そこにブラジル人としての直接的な属性を感じるわけではない。でも、こんなものを作る人を生んだブラジルって国はなんかすごいと、興味を喚起させられる。と、同様に、あなたたちの音楽を聞いて、こういう音楽を生み出すアイルランドという国は興味深いとなることは、イヤじゃないですよね」と、僕が発言をしたところで、取材時間は彼らの移動もあり、タイムアップ。続きは、次回のインタヴュー時にとなったのだった。