まず、渋谷のプレジャー・プレジャーで、米国と日本のミックスの女性歌手を見る。日本人ギター奏者2人にキーボード、日本に住むアフリカ系米国人のリズム隊がつく。彼らはJ・ソウル系サポートのファースト・コールと言っていのか。

 基本、英語の歌詞を持つオリジナル曲を歌う人で、それが確か。実は彼女をちゃんと聞いたのは2012 年新作からだが、それは今っぽいジャジーさや弾みを持つ高品質アダルト系シンガー・ソングライター作に仕上がっていて少し驚いた。で、それを生の場で開かんと、的をいたバッキング音のもと、しなやかな歌を載せる。その裏声もよく用いる歌唱をさして、知人はヨガの呼吸法を応用していると指摘。へー、そうなの?

 MCによれば、昨年もまったく同じ日にここでライヴをやったという。おお、まだ浮き足立ちまくりの時期。それは、さぞやピンと張りつめた空気のもと始められたと思う。そのさい、震災を受けて新たに作った曲を披露したそうで、今回はその練り上げヴァージョンをやったりもした。

 そういえば、深夜によったバーで昨年の震災時の話になったが、そこで聞いた話にはびっくり。有名企業でそれなりのポストにつく彼は3.11当日に仙台であった知人の通夜に車で向かい、高速道路でそれにあったという。一般道に降りさせられて仙台まで行き、線香をあげた後がもーたいへん。とりあえず帰路についたものの、ガソリン入れられず途中で足止め。車で行ったものだから喪服でコートも持たず、寒さに震え、そのまま途中で4泊することを余儀なくされたそうな。ガソリン入手も気の遠くなるような苦労があったようだが、ぼくが今まで聞いた東京在住の知人の体験談のなかではもっともそれはヘヴィ。電話もバッテリー切れし、なかなか連絡がつかなく、捜索願をだされる一歩手前であったという。

 その後は、南青山・ブルーノート東京。1969年テキサス州生まれの人気と実力を兼ね備えるジャズ・トランペッター(2011年2月2日、他)の公演を見るが、何気におおきくうなずく。いろんなことをできる人だが、ここのところは、少なくてもアルバムや来日公演においては精鋭を集めたクインテット表現に邁進していて、今回もそう。

 まっすぐに、王道のジャズ表現を聞き手に問う。澄んでいる、という言葉も形容として使いたくなるか。彼の場合、セットごとに大幅に曲を変えるようで、この日このセットの感想となるかもしれないが。トランペット(ときに、フリューゲル・ホーン)とアルト・サックスが気の利いたテーマ部を奏で、管楽器とピアノの瑞々しいソロ・パートが順に浮かび上がり、テーマに戻る。その様は甘さを排して、ある意味淡々。

 だが、その普通さが生理的に強くも、心地いい。ジャズという表現/歴史に対する愛着や知識、そして、その“環”のなかにいる自分を謳歌する様は瑞々しく、頼もしい。気をてらわらないのに(いや、てらわないからこそ)、ジャズという表現のすごさもさあっと浮かび上がる。とくに、今回はリズムもおさえ気味の4ビートでずっと行き、前回見せた娯楽性追求に基づくハーグローヴのくだけたヴォーカル披露もなし。で、最後のほうになって、やっと8ビートの曲が出てくる。アンコール曲はサム・クックの「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」をゴスペル濃度を高めつつ。2時間近い演奏時間、濃密で、高潔。セロニアス・モンクの「リズマニング」も彼らはやったな。

 お見事。みんな腕がたち、そんな彼らがジャズ愛のもと音を真摯に出し合い、その総体は今の何かを持った純ジャズ表現として結実する。そのハーグローヴたちのパフォーマンスに触れて、彼らはNYジャズ水準/動向の観測定点となりえる最たるコンボであると、ぼくには思えた。ハーグローヴは毎年やってきているが、それはまこと理にかない、意義のあることであると、ぼくは大きくうなずいた。


<今日の、オーネット>
 本編最後の曲だったか、ハーグローヴはオーネット・コールマンの著名曲「テーマ・フロム・ア・シンフォニー」をけっこう延々と引用。この二管による<オーネット・コールマン&ドン・チェリー>を根底に置く表現を聞いてみたいと思った。あ、蛇足だが、ドン・チェリーの娘のニーナ・チェリーはこのところ、ノルウェーの真性ジャズ・バンドのザ・シング(2008年9月25日、参照)と一緒にやっているみたい。そのパッケージで東京ジャズにこないかな。