九段下・日本武道館。武道館手前で警備員に、駐車場が満車なのでUター
ンして手前の駐車場に止めてほしいと言われる。車で来る人が多くなる休
日ならともかく、平日でもそんなことがあるのか。アダムスのファンは車を
乗っている人が多いのか。

 満員。仕切りとかがない開放的なステージ設置がなされていて、けっこう
横のほうにもお客が入れられている。彼のことを見るのは初めて。そんなぼ
くは彼のことをどーでいい人と思っている。10年強前に一度、彼のアルバム
の雑誌レヴューを受けてしまい、予定調和な産業ロックぶりに辟易したこと
もあった。だが、結論としては、こういうロックがあってもいい、とは思え
たかな。ランクルやプリウスやMR2があり、一方でカローラを愛好する人
がいてもいいでしょう。それ自体はかなり良くできているのだから。

 とにかく驚かされたのは、その若々しさ。遠目には20代後半と言われれば
信じてしまいそう。短く刈り込んだ顔は精悍だし、体も非常に締まっている
。素直にカッコいいと思えるし、スターとして努力しているナというのがよ
く判る。で、サウンドのほうも生だと思ったほど産業ぽくないし、それなり
に骨っぽい表現を送りだしていたのではないか。ぼくが知っている曲はあま
りなかったが、オーディエンスはけっこう一緒に歌っていたな。それから、
おおっと思ったのは、アダムス以下、みんな黒いTシャツ(無地のもので、
本当に安そうなそれ)とジーンズというお揃いの格好だったこと。爽やか体
育界系、ここにあり? 面白いのはステージ中央だけでなく、左右両端にも
マイク・スタンドを置き、けっこうそっちにも出向き横にいる人を対象に歌
うこと。サーヴィス満点。お客様は神様です。だが、それがワザとらしくな
いところは人徳でしょう。ふーん。戦々恐々と会場入りしたのだが、まあ見
ても良かったとはしっかり思えました。
 新宿・ロフト。小野島大仕事の『ファイン・タイム2』発売記念パーティ
の、スペシャル・バンド。まさしく、スペシャルではあるな。その前に、レ
ベル・ファミリアと中原昌也のヘアスタイリスティックスの実演も見る。前
者はレゲエ派生の都市空間屈強表現(音がもう少し大きくても良かったので
は)、後者は笑えるキャラクタリスティックな不埒狼藉表現。

 ザ・ストゥージーズ曲から「ユー・リアリー・ガット・ミー」まで。フリ
クションの曲もやったのかな。1時間弱。1流の人達による1流のカヴァー
・バンド。考えてみれば、みんなジャズとのつながりを持っているんだよな
あ。2度ほどリハをやったようだが、スパっと決まる。大友のロック・ギタ
ーは非常に上手く、ドキドキさせる。彼のギターが導く情緒もあるだろうが
、総じては、ジミヘン的な印象。RECKは機嫌よさそう。でも、昔いっか
いだけ取材やったことあるけど、“とっても話好きな、心の素朴なおじさん
”っていう、温かいイメージがぼくのなかではずっと残っています。最後は
、声がヘロっていたのはご愛嬌。また、やってほしい。レコードをプロデュ
ースしなよと、小野島さんにハッパをかける。

 そういやあ、誘われるままワケもわからず入ったミクシィに何も書いてお
らず(やりかたが判らない。その暇もあまりない)、でものべ200 人強の人
が覗きにきていたりもするわけで多少心苦しく、なんとかせにゃあと律儀な
ぼくは思っていたのだが、会場であった人に、あれは笑える、あのままでい
たほうが良いと言われ、とーしたもんか……。
 ポルトガルのファドのシンガー。やはり万博で来日したついでの、東京公
演。渋谷・デュオ・ミュージック・エクスチェンジ。日本公演は、昨年の6
月27日につづく。

 バッキング・バンドは前回とまったく同じ面々/編成。ただし、ステージ
の進め方はけっこう違う感じを与えるもの。この日は1部制で、歌詞の説明
をすることなく、パフォーマンスを進めていく。それ、今回は飲み物を提供
するくだけた場での公演というのが関係しているのか。実際、それなりに厳
粛なステージ運びだった前回と比べるとけっこう気安い娯楽性があったと書
けそう。とともに、前回よりかなり声が良く出ていた。オフ・マイク気味の
ときもそれなりに声が聞こえたし。

 今回取材したが、昔のものではなく、今のファドを作っているのだという
気持ちを彼女は強く持っている。新作ではメンバーが作った曲やブラジルの
曲などポルトガル語の楽曲(やはり、彼女もポルトガル語だからこそファド
になる、みたいな言い方はしていた)だけでなく、フランス語やスペイン語
や英語(ジョニ・ミッチェルの曲)の曲も歌っていたりする。ビリー・ホリ
デイ他のジャズなんかを聞いてて、最初にファドを歌ったのはオランダとい
う変テコな経歴を持つ人。なんと高校時代は英国の寄宿舎制の学校に通って
いたのだそう。え、そんなの日本のバイオにはどこにも書いてないですよと
返すと、だってそんなこと私の音楽性にはとなんら関係ないじゃない、とき
っぱり。
 白色基調の風情のある譜面代がずらりと並べられ、そこに正装した人達が
やはり並ぶ。彼らがライトに綺麗に照らしだされる様だけで、なんかいいな
という軽い感慨を誘うか。

 ジャズ界最大のソング・ライター/バンド・リーダーの名前を関したオー
ケストラであり、ジャズが前線のポピュラー・ミュージックであった時代の
花形オーケストラ。当人が亡くなってすでに30年以上たつが、その財産のも
といまだ維持されているわけだ。現在のリーダーはMCもやっていたサック
ス奏者であるようで、演奏者は計15人。ぱっと見てぼくが名前を知る人はい
なかったが、その黒人音楽洗練の粋のヴァリエイションをなぞられるだけで
ニッコリとなれる。現代性はないけれど、贅沢なある種の非日常もときどき
感じた。

 へえと思ったのは、ベース(もちろん、アコースティック)が30代とおぼ
しき白人の女性奏者で、ドラムがイカレた髪形(金髪のブレイズ)をした黒
人の初老ドラマーだったこと。ま、演奏のほうは普通でしたが、そういうこ
とで新たな感興を得られるというのはやはりライヴのいいところですね。

 ゲスト・シンガーとして加わっていたのは、フリーダ・ペイン。もともと
はエリントンにスカウトされて業界入りした人だが、メインストリームの変
遷にしたがうように70年代はソウル畑で活動した人。ちょっと音程不安定な
ところもあったが、そこそこ雰囲気で許せちゃうところはあったかな。南青
山ブルーノート東京、ファースト。

アトミック

2005年4月12日
 新宿・ピットイン。開演時間少し前に着くとやはりとっても混んでいる。
椅子は置いてあるが、それはいつもより詰められ、立ち見の後ろのスペース
がぐぐいと広げられている。こんなに、人が入っているピットインは初めて
のような……。だが、それも当然という気持ちを強くする。なんてったって
このクインテットは今もっともジャズらしいジャズを演奏する、ジャズ界最
大級の希望の星なのだから。

 ノルウェーのジャズランドからアルバムをリリースしている、スウェーデ
ン人の二管とノルウェー人リズム・セクションがつるんだグループ。あれれ
、フロントに立つ二人をはじめ、ドラマー以外はそんなに大柄ではないよう
な。だから、後ろからだと実演している様子が見えにくい。……でも、ぐい
ぐいと鼓舞され、感じ入りました。

 1時間弱のセットを二つ。そんな演奏時間にも現れているように(普通、
ここのセットはそれぞれ1時間を超えるという印象がある。ソロは乗れば長
くなりますからね)、最後のほうはむこうみずにつっぱしる所もあったが、
往々にしてあっち側を見ていても程よい抑制のもとバンド総合表現を展開し
ようとしていたと言えるか。ピアノはソロをそんなに取らないと思えたし、
二管の絡みの妙を聞かせる部分が随所非常に耳に残った。で、そこには知性
やある種の現代性を見いだすこともできるわけで、それはそれでふふんとぼ
くは頷いたのだった。なんにせよ、ジャズをジャズたらしめる決定的な種が
随所に埋め込まれたパフォーマンスだったのは間違いない。また、来てほし
い。
 とっても女性ファンが多い(と思われる)ドラマーとヴァイオリニストが
主催するセッション(両者ともにこのコーナーにはいろいろと出てくるが、
二人が重なったギグで過去触れているのは、2004年1月16日と2005年2月15
日)。そこにROVOの映像をやっている美形のハルカさん(一回、合コン
やろうよと言って無視された:苦笑)が全面的に重なり、他のプレイヤーは
日替わりで……という3日間に渡る出し物。初日となるこの日は、そこに勝
井人脈のギターの鬼怒無月と沼澤人脈のキーボードの森俊之が加わってのも
の。

 1時間20分、途切れのないインプロ・ギグ。基本的には鬼怒と勝井がモチ
ーフを出し、それに残りの二人が合わせ、発展/展開の種を与えていくとい
う感じの演奏か。森は相当に才覚にあふれた人だと思うが、ここではニコニ
コと“受け役”に徹する。汚れ役をいとわない名ディフェンシヴ・ハーフ、
な〜んて。人間、できているなあ。彼、シンセとエレピを片手づつ弾いてい
ることが多かったが中盤後半にて両手ともにエレピを弾いたときはザ・クル
セイダーズ1作目の「ストップ&バック・ダンス」での印象深いジョー・サ
ンプルのフレーズを非常に想起させる場面あり。そのときの、沼澤のバスド
ラは同グループのスティックス・フーパー(ベース奏者がいらないと思わせ
るぐらい異常にバスドラをドスドス鳴らすドラマーでした)みたいだった。
って、この前、彼らを見なきゃ(2004年3月8日)そんなこと思い出さなか
ったかもしれないが。そういやあ、この日のバスドラはボティ・ソニックの
ように響いていてたな。

 赤レンガ倉庫のモーション・ブルー、セカンド。なお、同所はこの4月で
4年目に突入。開店3周年を記念して、通路やバーに過去出演者の写真がい
ろいろ飾ってあった。
 桜は本当に綺麗だなあ。花見はいいなあ。毎年、このころ満開だといいの
になあ。もし、なかなか散らない桜なんてのが出てきたら、そりゃ大発明だ
なあ。

 花見でしっかりと浮かれてから、恵比寿・リキッドルーム。場内入りする
と(そんなに混み合っていないのが嬉しい)、K7!と契約するベルギーの
DJ二人組ザ・グリマーズが回している。入口正面、ステージに向かって左
側のところにブースが設営され、そこに二人が和気あいあいと作業している
。なんか、微笑ましい。そんなにちゃんと接しなかったが、ロック的なフッ
クを持つそれと言えるか。最後は大ベタな、ストーンズの「スタート・ミー
・アップ」。あ、ザ・グリマーズって名前、ミック・ジャガーとキース・リ
チャーズの共同作曲者チーム名である、グリマー・トゥインズから来ていた
りして?

 で、切れ目なく(タイムテーブル定刻の10時半)、シアトルのキッチュな
ダンス・ポップの送り手、ユナイテッド・ステイト・オブ・エレクトロニカ
が登場。リード・ヴォーカルがヴォコーダー使用なこともあり音盤だとダフ
ト・パンクみたいな印象を与える連中だが、生では7人編成のバンドにて生
音で勝負する。ギター/キーボード、ヴォーカル。キーボード、ヴォーカル
。ギター。女性コーラス、二人。そして、ベースとドラム(一曲、ラップも
)。まず曲がいいし、ちゃんと実演能力を持つ、相当に秀逸なパーティ・バ
ンド。ポップなダンス・ミュージックもろもろの、ラヴリーな集積あり。だ
から、高揚感とともに癒しの感覚もしっかり持つ。ちゃんとお金が取れます
ね。こんなバンドが小音量で花見の場にいたら、すごくいいんじゃあなーい
とも思った。あー、花見モードが続いている。

 本編、70分。アンコール5分。楽しかった。終演後、一緒に流れるような
人がいず(まあ、時間も時間だけどよお)、なんとなく家まで歩いて帰っち
ゃおっかなー、となる。帰り道、花見名所の目黒側ぞい(いや、本当に見事
だと思います)をゆっくりと通って帰宅するのもこの季節ならオツじゃない
か。目黒川まで来るとけっこう人はいた。ざわざわ。その側に住んでいる人
はちとうるさいだろうなあ。だが、川の両側にずらりと設置された提灯ライ
ト(すごい、数だろうなあ。普段はどこに保管しているんだろう? とか、
余計なことを考えたくなる)はすでに消灯されていて、暗がりのなか桜が非
常に地味に見えてそれにはがっかり。提灯の光量って凄かったんだあ。魅力
90パーセント減。だが、なぜか知り合いとは会い、近くに流れる。で、時々
ぼくの頭のなかにはユナイテッド・ステイト・オブ・エレクトロニカの至福
的ダンス・チューンがぽわーんと頭のなかで流れていたのであった。
 ます、映画美術学校第2試写室で、映画「シャウトオブアジア」を見る。
試写最終日なせいか、満席。4月23日より、渋谷のシネ・ラセットで公開さ
れる。

 韓国の有名シンガー・ソングライター(カン・サネという人。ナイス・ガ
イっぽい)が、日本、フィリピン、インドネシア、中国を旅し、現地の心意
気あるミュージシャンたちと親交を深め、一緒に曲を作ったりもしちゃうと
いう、ドキュメンタリー映画。そこから、アジアの人達が音楽という行為に
託す意味や、目覚めた若い世代のアジアの現場の連体の意義なんかを浮かび
上がらせるという主題も持っているのかな。

 監督は、在日二世のテレビ・ドキュメンタリー畑という1958年生まれの玄
真行という人。のっけから、彼のナレーションが入ってきて、びっくり。ち
ょっと、うざい。だったら、興行上は辛くなるだろうが、自分を主役にした
もっと赤裸々な作品を撮ればいいのにと少し思う。でなきゃ、言葉に頼らず
、なんとか映像で語ってほしいナとも。出てくる日本人のミュージシャンは
忌野清志郎とマリーという沖縄出身のヴェテラン・シンガー、後者が沖縄に
戻り母親のお墓参りをするシーンで、(辛くて)歌(「アメイジング・グレ
イス」)なんか歌えないと言う彼女を、「歌って。せっかく沖縄まで来てい
るんだから」という強制ととられなくもない彼のセリフまで入っているのに
はびっくり。そんなの吹っ飛ばして、歌のシーンだけ使うこともできるだろ
うけど。正直な作り手であるんでしょうね。

 なぜ映画で対象となるのが上記の国でミュージシャンなのかという説明は
、インドネシアやフィリピンに関してはなされない。まあ、限られた予算や
日程のなかでよく作ったとは思うし、それに?と思うのはぼくが音楽により
入り込んでしまっている人間だからかなと思うけど。主人公や監督の属性か
ら、いろんな歴史に翻弄され、北と南に、朝鮮半島と日本や中国に散らされ
てしまった朝鮮民族の実像が音楽絡みで描かれたりもする。実は、ぼくはそ
っちのほうにポイントを絞ったほうがすっきりしたんじゃないかとも感じた
(2時間強の長さの映画だ)。やっぱり、描こうとする対象が広すぎる。

 もちろん、その音楽現場やミュージシャンたちの姿は興味深い。とくに、
スランクというインドネシアのバンドの自国人気はすごいないあ。ただ、属
性違いのミュージャンが一緒に作る曲が既発表曲に類似したものであるのは
非常にまずいんではないか。たとえば、出演者の多くで作られ、映画の最後
のクライマックスの野外コンサートで歌われる「シャウト・エイジア」とい
う単純な曲は、スリー・ドッグ・ナイトのヒット曲「アン・オールド・ファ
ッションド・ラヴ・ソング」のサビと酷似(インドネシア勢と韓国勢の曲の
頭のほうは、レイナード・スキナードの「38スペシャル」とかを想起する)
。偶然なのかもしれないが、胸を張った今のアジアの迸る歌たらんとするな
ら、30年前強のアメリカの有名曲と似ているなんてマヌケじゃない? 映画
にはそれなりの蓄積を持つ人も係わっているのだろうし、誰かがそれを指摘
しなきゃ。共演コンサートの場面からエンドロールに入り、そのままその曲
は流れるのだが、ちょっとぼくはシラけた。アジアの音楽力なんて、そんな
浅薄なもんじゃないだろ? それから、なんだかんだ言っても結局彼らの共
通言語となりえるのは、西欧的ポップ・ミュージックが積み上げてきた価値
観なのだとも、それは痛感させる。洋楽を中心に文章を書いているぼくもま
ったくもって、そうなのだろう……。そういやあ、この日の朝日新聞に日本
の人気バンドの類似曲に対する中途半端な擁護記事が乗ってたなあ、なんて
こともふいに思い出した。

 そして、新宿のピットイン。映画見たあとかけつけると、ちょうど2部に
間に合う。ジプシーの血を引くというハンガリーの中年ギタリスト(小柄だ
が、そこそこ風情あり)。旧ユーゴのボスニア出身の有名ジャズ・トンペッ
ター、ダスコ・ゴイコヴィッチのバンドに入ってたりもしてて、エンヤから
5枚のリーダー作を出している人。ガット・ギターを用い、椅子の横におい
たアンプで音を多少作ったりもする。うまい。アルバムで聞くよりジプシー
・ギター濃度は低いが、クラシックからボサノヴァまでいろんなアコーステ
ィック・ギターを用いる演奏を会得してて、それらを粛々と、ジャジーに束
ねたような演奏を披露。最後の方でトランペッターの原朋直が加わったが、
基本的には淡々とソロ演奏。でも、それでも十分に場を持たせていた。エン
ヤの次作はアリルド・アンデルセンらとのトリオで、オスロのレインボー・
スタジオ録音とか。
 すこしづつ、やっと家の近くの桜がピンク色がかってきた。このウィー
クエンドには見ごろになるかな。
 
 原宿、アストロホール。ありゃ、前座があった(ギターと歌を担当する、
左利きの女性を中央にに置く日本人トリオ。ちゃんとギターを弾き、声もよ
く聞こえた)。サハラ・ホットナイツを見たあと、8時ごろから始まるジミ
ー・イート・ワールドに回ろうと思っていたのだが。

 北の国(スウェーデン)のガールズ・バンドながら、“サハラの熱い夜”
と名乗る感覚はいいナ。音楽的にはベタなロックだが、けっこうしゃきっと
した音を送り出してて、感心。コーラスなんかもちゃんとしているし、健気
と言うか、一生懸命やっている様はふむふむと思わせるもの。昔、ここで見
たドナス(2000年8月30日参照)のこと、少し思い出したりも。で、酔っぱ
らってきて移動するのもかったるくなってきたし、会場で前日ジミー・イー
ト・ワールドを見た人が二人いたのだが両者とも見たほうがいいよとは言わ
なかったりしたので、そのままいちゃう。

 4人のスウェーデン娘たち、実はそんなに背が高くないように見え、凄く
ブロンドの人もいない(一番、そのイメージに近いのはドラマーか)。よう
は、純粋な北欧系の人ではないのかともふと思われたのだがどーなのか。と
もあれ、彼女たちの今回の来日は名古屋博の“スウェーデン・デイ”に出演
するためのもの(彼女たちはこの晩、名古屋に発つという)。実は、万博で
は毎日、各国主催によるイヴェントがあって、それに来たついでに、彼女た
ちのようにオマケの単独公演を開くというアーティストは今後いくつか出て
きそうだ(来週見る予定の、アトミックもそう)。

 雨が降ってて高価な靴は履きたくないゾと思わせる日、渋谷でコンサート
を二つハシゴしようとする。まず渋谷・アックス7時からのUK二人組のレ
モン・ジェリー公演を見たあと、渋谷・オネストでのブレンダン・ベンソン
のショウに向かえばいいと思った。ベンソン公演のほうは7時半からで、し
かもオープニング・アクトが入るということだから。でも、そうした“絵”
がままならないこともありますね。

 まず、アックス。開演時間をだいぶ過ぎてから、機材のトラブルで早くて
も開演は8時半になりますとのアナウンス。英国ツアーをやってきた後の来
日なはずだが、そーゆーの珍しい。で、それならばと、オネストに行くと、
ちょうどベンソンが登場。現在デトロイト在住の、ポップな自作自演系。ギ
ター弾き語りかと思ったら、彼と同様優男なキーボード奏者がサポートに付
く。1時間やったかやんないかぐらい。

 そして、再びアックスへ。さすがに、パフォーマンスは始まっていた。中
央に置かれたコンソールのまわりに、ターンテーブル、ギター、パーカッシ
ョン、キーボードなどいろんな楽器類が並べられている。そして、流される
電気的サウンドとともに、二人は気儘にそれらを手にする。実際に弾いてい
る音が流れているかはよく判らない。だが、やっている図を大げさ見せるこ
とが重要なのだと、彼らは思っているはず。本来プリセット音を流すだけで
済んでしまうエレクトロニック表現を、どう開かれた場で、聞き手側を向い
た娯楽表現として完結させるか。そういうことに、屈託なくのぞんでいたシ
ョウ。バッド・カンパニー他、往年のベタな有名フレイズを屈託なく入れて
、客を興味を喚起するのもそれゆえだろう。そして、そこいらは二人がミュ
ージシャン専任ではない(庭園設計士とデザイナーだそう)というのとも関
係ありか。背景にはとうぜん彼らが関与しただろう映像が流されるが、それ
は凡庸だと感じた。

カーキ・キング

2005年3月26日
 赤レンガ倉庫のモーション・ブルー・ヨコハマ。セカンド。ソロ・パフォ
ーマンスのショウに接し、すぐに音がいいなあと思った。で、それにより彼
女のやっている事が細かい部分までよりダイレクトに伝わる感じがあって、
彼女は自己と対話しながら演奏しているという事実がよく伝わってきたよう
な。昨年、東京で見たとき(2004年8月3日)は立って演奏するときのほう
が多かったような気がするが、この日はすべて座っての演奏。また、今回は
いっさい歌わなかった。

 ところで、ステージ後部/左右にはアンティークな家具が並べられ、上部
にはいくつか年季もののシャンデリアが。聞けば、赤レンガ倉庫に入ってい
るアンティーク家具屋さんとのタイアップで、今回こういう設定がなされた
のだという。ステージに上がる人数が一人であり、それが小柄な女性であり
、ギターという木で出来た楽器を扱う人だったりするから、余計に目立つと
いうか、雰囲気的に合う。こういうのもいいんじゃないかな、と思わされま
した。この日、初めてモーション・ブルーに来た人だと、普段の同所で得る
ものとはだいぶ違った感想を得たかもしれない。

 椅子の回りに、ギターが何本か置かれる。やりたいことに合わせて、彼女
は各々のギターを手にする。一番興味深い奏法は、ピアノを弾くように左右
の手を弦にあてて音を出し(80年代中期にブルーノートからデビューしたス
タンリー・ジョーダンがやっていたようなもの)ながら、同時にボディも叩
いて、ダイナミクスやスピード感をいろいろと得るとういもの。ガット・ギ
ターには手を加えていて、本人にはMCで“琴”なんて言っていたが、確か
にそう言いたくなるのも少しは判るような、音を出してたりも。

 アンコールの曲は、ボディを叩く音やいろんなギター演奏の音を次々にサ
ンプリングして重ねていくというもの。最後はそれを流すなか、彼女はステ
ージを降りた。

アンジー・ストーン

2005年3月22日
 百聞は一見にしかず。なんちって。キーボード2、ギター、ベース、ドラム
スというバンドに、二人のバッキング・シンガー。その二人のシンガーがまず
出てきたときビッグ・ママだなと思ったら、出てきた当人はもっと小さく、丸
っこい。え、かつてディアンジェロの年上女房だった彼女は、こんな体型の人
だったの。

 バンドは良好、昨日のホール&オーツがこのドラマーだったらと少し思う。
思ったほど圧倒的な喉の持ち主ではなかったけれど、統合型の美味しいソウル
表現を展開。途中、音楽監督を務めるギーボードのジョナサン・リッチモンド
が朗々と歌うくだりがあったが、これがもろにダニー・ハサウェイのマナーで
にっこり。南青山・ブルーノート東京、セカンド。充実したソウル・ショウを
お酒片手に気儘に見れるのは、本当に嬉しい。
 まずホール&オーツ。ツアー最終日、渋谷公会堂。国際フォーラム・ホール
A2回に追加で出た東京公演。この日はこじつけながらも(実際はもう少し多
いらしい)通算100 回目の日本での公演になるとかで、セットを変えてのもの
だったよう。簡素な舞台美術/照明だったが、これはセットを変えた追加公演
だったためなのか?

 キーボード、ギター、ベース、ドラム、サックスというバック・バンドに、
お二人。オーツ(2002年9月12日参照)はギターとバック・コーラスで裏方に
徹する。でも、またそれもグループ長寿の秘訣? バンドは全員白人。で、そ
の事実に少し首を傾げる。というのも、いまだお二人はフィラデルフィア・ソ
ウルへの思いみたいなのを延々と話してくれるわけで(今、両者はフィリーを
離れているので、同地に対するオマージュ的な色あいも今のホール&オーツ表
現にはあるのだと、今回インタヴューしたときに感じました)、そんなにソウ
ルにやられつづけているなら、なんでバッキング・プレイヤーに黒人を雇わな
いのか……。というのも、それぞれに腕の立つのだが、リズム隊にせよ、ギタ
リストにせよ、決してソウル風味の演奏を聞かせる奏者ではないからだ。逆に
言うと、ホール&オーツの表現は曲はソウルに根ざしつつも、色付けの部分に
おいてはロック的な揺れないビートやギター・ソロをうまく介してこそのもの
なのだということに今回気づかされたわけですが。

 途中でやった初期曲「シーズ・ゴーン」は本当によく出来た曲で改めて驚嘆
。メロディ/コード進行、アレンジともに完璧。聞きほれ、夢心地になる。ま
た、「プライヴェイト・アイズ」が出てきたときにはちょっとむず痒さを感じ
る。大昔学祭のとき後輩のバンドでベースを弾いてくれといわれて、そちらの
選曲で「プライヴェイト・アイズ」をやったことあったのだった。ふひ。終盤
、ホールはキーボードを弾いて歌ったりもしたが、なかなか上手い。へえ。そ
れにしても、彼のヴォーカルは素晴らしい。キーが低かった「ファミリー・マ
ン」は音程が不安定だったが、あとは良好で、思っていた以上にいいブルー・
アイド・ソウル・シンガーだと思った。

 また、そのホールは本当に心からキミたちが好きなんだという態度をまっす
ぐに、嬉しそう出す人なのだな。ぜんぜん、飽きている感じなしに。偉い。で
、本編最後の曲は日本だけの曲だよみたいなことを言って、なんとニルソンが
ヒットさせたポール・ウィリアムズの「ウィズアウト・ユー」のカヴァーをや
る。え、なんでこの曲を取り上げるのかと少し戸惑ったが(それとも、彼らと
関わりのある曲なの?)、日本のファンに対する強い気持ちをその曲で示した
かったのか。お二人は、いっぱいピックを客席に蒔いたりもしましたね。なん
だかんだで、かなり満足できたショウ……。

 そして、ウキっとした気分で、渋谷・デュオに向かいアルタン(2000年5月
21日、2002年9月1日、2004年12月17日)の公演。この公演はアイルランド
大統領の来日に同行してついでに、唯一行ったもの。今回の彼らの宿泊先はオ
ークラであるとか。ビールが2000円もするとこぼしてましたが。ともあれ、
人柄あふれる、生理的に豊かなショウ。  

テテ

2005年3月18日
 渋谷・クラブクアトロ。ありゃ、昨日のオゾマトリよりずっと混んでいるぢ
ゃん。セネガル人とアンティル諸島出身の両親を持つ、フランス在住のシンガ
ー・ソングライター。生ギターを持っての弾き語り。すらりと長身、その顔つ
きを見ただけでなんか性格良さそうな人という印象を得るが、それはしゃべり
方や身のこなしに接するとよけいに増幅される。MCは、英語とフランス語と
日本語の単語をお茶目に合わせる。

 ジャック・ジョンソン(2003年9月30日;曲によっては、彼やドノヴァン・
フランケンレイターの味をかなり思い出させるなあ)からキザイア・ジョーン
ズ(1999年9月19日;あまり弾けずに、メランコリックな行き方をするほう)
まで。その間を自由に行き来するようなパフォーマンスと説明するのが一番適
切ではないか。曲調は豊富、それはいろんなロック表現に触れてきて、そうし
たものをしっかりと彼の特性を通して出しているぞと思わせるもの。弾き語り
だけのパフォーマンス(90分弱ぐらいやったかな)でも飽きさせることはなか
った。そして、総じてはフランス音楽ファンでもなく、当然アフリカ音楽でも
なく、ロック・ファンに聞かれるべきという感想を強く持つ(でも、ロック愛
好者の場合、この日はブライト・アイズに行く人のほうが多かったんだろうな
)。アンコールは、ボブ・マーリーの「リデンプション・ソング」で締める。
マーリーの最終アルバムの一番最後に置かれていた、やはり弾き語りで披露さ
れる曲。まさしく、彼の風情にぴったり。それから、客の反応の熱烈さ、温か
さにも少しびっくり。送り手と聞き手、会場内には本当にいい空気のやり取り
があったのではないか。

オゾマトリ

2005年3月17日
 昨年のフジ・ロック(触れてませんが、やはり興奮させられた)以来の来日。
しかし、同祭でも相当にアピールしているだろう世界最上級のライヴ・バンド(2002年3月14日。2001年10月13日)であるのに、東京の場合クラブクアト
ロ公演一回だけというのは一体どうしたことか。釈然としねー、納得できねー
。なんか、自分のなかにある正義が萎んでいく思い。

 フジ・ロックのときとほとんど同じ(進行も)でそれはちと不満に感じなく
もないが、やっぱり何度接しても、おまえらは偉いって思わせるパフォーマン
ス。2曲目に日本人ラッパーが出てきたが、あれは誰だったんだろう。最後は
例によって、舞台下をいろいろと練り歩く。そのとき、可愛い娘にはアフター
・ショウの場所が書いてあるのかホテルの部屋番号が書いてあるのかは知らぬ
が小さな紙片を手渡していたという(苦笑)。ぼくは気づかなかったが、もら
えなかった女性の情報提供による。
 南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。著名重厚ベーシストのヘイ
デンと、彼とは何かと関わりを持つキューバ出身ピアニストであるルバルカバ
とのデュオ。もう、腹6分目の演奏。音のほうも生音重視の地味かつ音量の低
いもの。という行き方は、ヘイデンとケニー・バロンとの同所でのデュオ演奏
(2001年11月20日)とだいたい同じ成り立ちであると言うことができるかもし
れないが、あのときよりずっと印象が良い。けっこう、感銘。2001年8月3月
〜5日の項で、ぼくにバカ呼ばわりされているルバルカバもかなりしっとりと
、味わい深い演奏をしていたと思う(ちなみにぼくが彼を嫌いなのは、リーダ
ー作で電気ベース奏者を用いて曲芸のような表現を聞かせるからだ……)。

 音数が少ない分、音量にダイナミクスがない分、二人はかなりかみ合いに気
を使って演奏していたはず。けっこう、打ち合わせにも時間をかけたところも
あるかもしれない。まあ、ゆったり聞ける演奏ではあるが、注意深くそのやり
取りを受け止めようとしたら相当に疲労を覚えるそれでもあったと書けるので
はないか。照明もそんなパフォーマンスに合わせて、薄暗い店内のなか二人に
ピンスポの光が一つづつ当てられるとても地味なもの。で、それだと、各テー
ブルに置かれたランプのぼんやりした光がなんとも気分であった。
 去年のカンヌ国際映画祭の審査委員長を務めたというエミール・クリストリ
ッツァ監督の新作、新橋のスペースFS汐留での試写会。6時半から。ルースタ
ーの公演にしようか迷ったが、こっちを気分で取る。戦渦時のボスニアの田
舎を舞台とする、数奇な(寓話的であもある)人間模様/ラヴ・ストーリー。
いろんな用件がくさいほど決まった、手が混んだ2時間半を越える映画。軽妙
なところも多々あるのだが、重いっちゃ重い。同監督率いるノー・スモーキン
・オーケストラのいかにも東欧な音楽も大活躍で非常に納得。この初夏よりロ
ードショー公開。
 南青山・ブルーノート東京。セカンド。今回のショウを見る前までだったら
フュージョン・グループと書いただろうが、見たあとだとやっぱりファンク・
ジャズ・グループと書きたいなあと思った。ようは、ザ・クルセイダーズは旧
ブルー・サム時代に限ると感じているぼくにもにっこりさせる実演だったわけ
です。20年前ぐらいに急遽デイヴィッド・T・ウォーカーが日本ツアーに加わ
ったことがあったが、ザ・クルセイダーズに接するのはそのとき以来と2度目
となるのかな。

ファンキーなビートのうえで、二管が無骨なアンサンブル/ソロを取る。リ
ズムはもっとがちんこにアタックしてほしいナとか、サックスのウィルトン・フ
ェルダーは音程が悪くなっているなあとか、不備に感じるところもあるのだが
、その総体としては、ああこれこれと無防備に(?)盛り上がらせるものあり
。いまやオリジナル・メンバーはキーボードのジョー・サンプル(後日、取材
したのだが、黒い南部的価値観を重要なものとして意外なくらい強調する人で
した。数年前から、地元のテキサスに戻ったそう。男性誌の取材だったせいか
、アルバムの話は一切しませんでした)とウィルトン・フェルダーしかいなく
なったわけだが、いやあけっこう身体揺らしちゃいました。ギタリストは「ゴ
ースト・バスターズ」のヒットを持つレイ・パーカーJr. (ぼくにとっては、
ハービー・コンコック他での刻み大王、というイメージがあります)が現在参
加。最後のほうで彼が少しフィーチャーされたが、いい蓄積があることをチラ
リと出し、彼一人でもお金が取れるナ(ようは、見たいな)と思わせられた。
 今時のちょい激なポップ・ロックを送り出すアメリカ勢が二組出る、お得な
公演。渋谷・クラブクアトロ。最初に出てきたのは、元マーヴァラス3のブッ
チ・ウォーカーのほう。いやあ、こんなに一生懸命やっている風情を出す人も
珍しいのでは。音楽的にはどう見てもぼくのストライク・ゾーンにある人では
ないのだが、とにもかくにも誠意100 パーセントで、張り切りまくり。曲調は
あまり面白いと思わないけど、そのパフォーマンスは“清々しい迸りの発散ロ
ック”となっているゾと思わすものあるもん。途中でちょっと生ギターを持っ
ての、アコースティック乗りの部分も。40分ぐらいの実演か。現在、アヴリル
・ラヴィーン他のプロデュース業で売れっ子のウォーカーだが、やっぱりアー
ティストとしても現役でいたいんだろうな。それとも、煮詰まるスタジオ作業
のいい通風口を求めている? とともに、彼がプロデュースするときはやっぱ
り熱い野郎と化して親身のケアをスタジオで目一杯するのかなあなぞともその
実演を見ながら思わされた。なんか、望外に後味が良くて、3日後のラヴィー
ン(2002年8月8日)のライヴも行っちゃおっかなーとちょい思ってしまった。

 で、張り切って、真心たっぷりということでは、メイン・アクトのアメリカ
ン・ハイファイも負けちゃいない。キャラの立ち方はウォーカーには負けるが
、こっちも日本語を交えて、本当にオーディエンスに熱い気持ちを真っ直ぐに
与えようとする。曲はちょっとジョー・ジャクソンを思い出させるものからデ
ィスコ調まで幅広く、ウォーカーよりもぼくの趣味には合う曲をやっていた。
「アッシュ(2001年9月12日)って知ってる? お気に入りのバンドなんだ」
と前置きして、彼らの「バーン・ベイビー・バーン」(だったかな?)をカヴ
ァーしたりも。                      

 そして、そのあと渋谷のセルリアン・タワーのボールルーム(けっこう広い
宴会場です)でやっているソニー仕切りのインヴェントにジェニファー・ロペ
スを拝みに行ったのだが、ホテルに着いたとき、会場を出てきた知り合いから
ちょうど5分間のパフォーマンスが終わったことを告げられる。ガク。表れて
いた時間は短かったけど、さすが華はあったそうな。

 この日は、渋谷・クラブクアトロに行く前に青山一丁目のユニバーサル・ミ
ュージックの会議室で、フリップサイドのアコースティック・ライヴも見た。
インタースコープ一押しの3人組。チカーノとアフリカン・アメリカンと白目
の肌の人という組み合わせで、見た目は貧相で相当に恰好悪い。たぶん、ロス
・ロンリー・ボーイズ(2004年9月17日)よりも。けっこう政治的なことを歌
っているそうで、インタースコープ側は“レッチリ・ミーツ・レイジ”という
ノリで売りたいのだとか(……ヒップホップと繋がりを持っていること以外、
音楽的には重ならない感じですけど)。というわけで、CDではどっしりとし
たビートや装飾音も付けられているが、メンバーだけによるこの日はラップ、
生ギターと歌、生ギターという内訳でパフォーマンスする。基本的にマイナー
・キー基調のなんともベタな曲調に歌やラップが乗る。5曲やったが、うち1
曲「ノー・モア」という曲はボブ・マーリーの「ノー・ウーマン・ノー・クラ
イ」のコード進行を捩ったような曲だなあと思わせられたが、彼らは実際に「
ノー・ウーマン・ノー・クライ」の一節を終盤に差し込んだ。まあ、ルックス
はともかく、売れ線なところはなくもない。インタースコープのマーケットに
対する力がどのぐらいあるか見物。もしビッグになったら、この日のノー・マ
イクによる完全アンプラグド実演は貴重なものになるなあ。

 深夜の帰宅時、セルシオを用いたタクシーに乗る。ほお。確かに、乗り心地
が良い。蛇足だが、先週の4日には渋谷・Oイーストで全米1位獲得ティーン
エインジャーのマリオ(混んでて、全然見えなかった)とシアラ(下品なポー
ズとってたナ)一緒のショーケース・ライヴがあったりと、その手のがここの
ところ続いている。
 渋谷・クラブクアトロ。ここのところずっと来日時はブルーノート東京(20
02年7月30日、2004年7月28日)に出演していたDDBBだが、今回はスマッ
シュ仕切りでホール公演。で、なんと前座としてキーボード奏者とドラマーの
ユニットであるザ・ベネヴェトン/ルッソ・デュオが出演。その組み合わせは
ローパドープに両者が在籍していることから実現したようだが、これはとって
も嬉しい。というのも、その二人によるジョーイ・ワロンカー制作の『ベスト
・リーズン・トゥ・バイ・ザ・サン』はNY自由地下系ジャズ・ファンクとシ
カゴ系ポスト・ロック・サウンド(実際、トータスなんかは大好きだそう)の
見事な合致表現といえるものだから。

 実演は、事前の印象にプラスしてジャム・バンドっぽい喧騒/盛り上げ感覚
を加味したような感じ。なるほど、元フィッシュのマイク・ゴードンとツアー
をやったというのも頷けるな。ほんと、とてもいいじゃないか、という感想を
強くしました。DDBBの客層にも、彼らはかなり受けてたなあ。演奏はきっ
ちり1時間。自分たちがメインのときは二人だけで2,3時間やるときもある
という。一部プリセット音を使用していたが、それはドラマーが出していたよ
うだ。まだ20代半ばちょいの彼ら、けっこうルックスもいい人達。次はぜひフ
ジ・ロックで!

 そして、DDBB。歳をとって往年のあっと驚く切れ味や血沸き上がるよう
な躍動感を失い、それを経験でどうカヴァーするかという課題にこのところず
っと望んでいる彼らだが、肉声の使い方や態度の介し方などを通しまあ上手く
補っていたのではないか。終盤、ベネヴェントのほうがオルガンで客演。音の
ほうはあんまし聞こえなかったが。

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