トーマス・スタンコ

2005年10月26日
 ECM他からいろいろアルバムを出している、ポーランド出身の熟達ジャズ
・トランペッター。目黒・ポーランド大使館。オーストラリアや韓国でライヴ
があり、ついでに日本でも関係者の前でレギュラー・カルテットで実演を披露
した。で、素晴らしいリアル・ジャズ演奏を展開。強く、瑞々しく、冒険心に
富み、一方では美意識にもあふれていて……。幸せな気持ちになれた。同じく
ポーランド人の若手ピアノ、ベース、ドラム奏者もまさしく秀英と言いたくな
る腕の持ち主。どこの国にも素晴らしい演奏家はいる。このカルテットはドラ
マーを除いて、マヌ・カチェのECM発05年新作に参加しています。

ラウル・ミドン

2005年10月24日
 代官山・ユニット。盲目のシンガー・ソングライターで、生ギターの弾き語
りにて。が、混みすぎ。なにも見えない。ときに、キザイア・ジョーズ(19
99年9月29日)を思わせるときもあるし、ミュート・トランペットを模して
スキャットをかましたりもする。MCで前にルイ・ヴェガとブルーノート東京
に出たことがあると言って、びっくり。で、調べてみたら、2003年7月20日
の項でちゃんと彼のことに触れているじゃないか。おお。自分で少し感心、
やっぱりちゃんと書き留めておくべきですね。

ザ・リバース

2005年10月23日
 いろんな人種がメンバーいるLAの新進ジャジー・ソウル・グループで、遅
れてきたアシッド・ジャズ・バンドてな印象も。それなりに欧州でも評価があ
るようで、夏にはロンドンのジャズ・カフェで2日間やっていたりもする。南
青山・ブルーノート(ファースト)、1日かぎりの出演。黒人女性シンガーが
フロントに立つが、肌が黒くはない男性キーボード奏者二人もそれなりに歌う
。そうすると、AOR色が濃くなる。すべて生演奏にて、ラップ的な要素は皆
無だが、クラブ・ミュージック的な俯瞰感覚は持つ。リーダー格のキーボード
奏者はブレイケストラでも活躍しているそう。ラテン・アクセントのファンク
・ナンバーがぼくとしては一番楽しく聞けた。南青山・ブルーノート東京。
 バンボレオは村上龍が肩入れしているという、約10年の歴史を持つ若手系のキューバン・グループ。ずっと前から、アオラから日本盤がでていたりもして
ますね。リーダーは指がよく動くキーボード奏者、いかにもジョー・ザヴィヌ
ルあたりが好きそうなはったりや広がり方を見せる。他に、ヴォーカルが男女
ふたりづつ(女性がリードを取る場合のほうが多い)、管楽器4人、キーボード、
電気ベース(彼もフュージョン好きそう)、パーカッション二人という布陣。
曲調も総花的というか、はまったラテン的曲趣から逃れようとする意図を感じ
させるもので、それはポップという感想も引き出すか。ぼくはもうすこし、伝
統的な種を持っていたほうが誘われるが。踊りに来ている笑顔の人達と手持ち
無沙汰的風情をなんとなく出しているビジネス乗りスーツ組の対比がなんとも
日本的にして、芸能界チック。品川・ステラボール。40分見て、六本木に移動。

 そして、スイートベイジル139 。会場入りするとコンボピアノ=渡辺琢磨(
2003年12月4日)がやっている。リズム隊を従え、内田也哉子のとても拙い
歌をフィーチャー。行間やもう一つの局面の効用に意識的な隙間にあふれた流
動ポップと言うことも可能? 好意的に見れば。最後のほう、渡辺は電気ベー
スを手にしたりも。
 
 休憩をはさんで、菊地成孔のストーリー・テリング系作品でアレンジをして
いるという中島ノブユキ(ピアノ)のプロジェクトの演奏。生ギターとウッド
・ベース(松永考義:2005年2月19日)とバンドネオンとストリング・カ
ルテットを率いてもの。ボサ曲やジャズ曲からオリジナルまでを素材に、優美
にしなやかに枠を超えていく。と、これも好意的な書き方をするなら……。本
人はかなり饒舌な人で、マメに曲の素材などを説明する。


ジュリアン・ルロー

2005年10月19日
 最初、バンドのキーボード奏者(ルックスがザ・バッド・プラスのドラマー
に似ている)がピアノ・ソロ。うーむ、これはちと困ったちゃん。キース・ジ
ャレットの『フェイシング・ユー』(71年)あたりの発想からぜんぜん飛び出
ておらず、なにより技術的にも発想的にも秀でたものではなく、底が浅い。40
分ぐらいはやったのかな。

 そして、休憩をおいて、フランス人リード奏者のジュリアン・ルローのグル
ープが登場する。ときにサックス音に電気エフェクトを噛ませる本人にプラス
して、さっき単独でやったキーボード(キーボードの場合はけっこうイケてる
。こうも印象が違うものかと、驚く)、電気ギター、ウッド・ベース、ドラム
という布陣。前回の来日公演(2001年11月25日)の編成とは多分に違うことに
頷きつつ、いいナと見る。前回より、電気マイルスとの繋がりやジャズ色を強
くしていた(今回はクラブ色が希薄なものでもあったな)パフォーマンスでは
なかったか。なんにせよ、確かな今的ジャズ的表現の一つ。六本木・スイート
ベイジル139 。
 恵比寿・リキッドルーム。外国人比率、高かったような。今年出た新作の曲
もいっぱいやったと思うが、それらの再現を聞きながら、彼らの表現は音作り
が凝っているようでありつつ、ちゃんと自分たちができることを正直に録り上
げて成り立っているのだと了解。ひそやかで、淡々としつつ、美味しい情報量
を持つ英国のポップ・ロックをちゃんと送出していたと思う。例により、映像
がステージ後方に大々的に映し出されるが、その手のなかではかなりしっくり
くるものではないのか。最後のほうには、東京で撮られたばかりの映像も写し
だされた。
 
 ルックスはぜんぜん晴れやかじゃない人達の音楽ながら、なんかウェールズ
らしい人を喰ったほのぼのさ/幻想感覚なんかも自然体であらわれているよう
な心持ちを得ることもでき、ぼくはなんとなくホっとでき、いい気持ちになれ
た。前回見たとき(2001年10月19日)よりも、数段印象が良かったナ。
 10月4日午前8時半すぎに父が亡くなった(9月中頃から入院して、お見舞
いには行っていたのだが)との知らせを受け、いそいで帰郷。そのまま、喪主
をする。ある程度、想像はしていたが本当にお葬式って大変。多大に不毛でも
ある。でも、父はそういう格式ばったのを望んだろうし。親不孝のぼくではあ
ったが、最後ぐらい最高の送りだし方をしてあげたかった。いろいろとしがら
みを感じ、一人でつっぱることは不可能だと感じ、人々の厚意を山ほど感じ…
…。いろんな意味で、人間かわりそお。花や弔電や香典、律儀に送っていた
だいた方々、ありがとうございました。後々にはなってしまいますが、個々に
お礼を述べさせてもらいたいと思います。残った母のために、クルマを車高の
低いものに変えなきゃ……。乗り降り大変そうだから。ふう。

 10月初旬から中旬にかけてはけっこうコンサートがあったのだが、当然のこ
とながら全部ふっとばす。で、この晩のルーマニアのジプシー・ブラス集団(
2004年8月28日)でミュージック・ライフへの復帰。生の活力あふれる元
気をもらおうと思ったのだが、彼らけっこうマイナー・キーの曲が多く、なか
なかに重く聞こえてこまった。ときに息苦しかった。あ〜、父への鎮魂歌だな
あなぞとしんみり聞いている自分もときにおりました。

 この日はP’ez (2005年9月21日、他)がオープニング・アクト。残念なが
ら、共演はなし。ときにステージに表れ華を添えていたセクシー・ダンサーを
妻に持つマネージャー氏は東ドイツのライプチヒの出身で、現在はベルリン在
住。ドイツの首相に東育ちの女性がなるんですよねと話を向けると、「え、そ
うなの。1か月旅に出ているから、何も知らないんだ」とのこと。でも、その
メルケルについては、「駄目。サッチャーと変わらぬ、キャピタリストだ」と
切り捨てる。


 恵比寿・ガーデンホール。ティル・チャーズデイにいたパツキン美形の人(
と言っていいと、今回彼女を見て思った)。来日はそのグループ時代いらい、
20年弱ぶりになるらしい。遠目にはスマートだし、いいロックねえちゃんとし
ての年の取り方をしているナと……。

 会場はとっても混んでいた。で、曲によってはかなり客席側が沸いたりして
いて、かなり固定ファンもいるのネと思う。まさか、彼女のソロ作をしこしこ
プロデュースするうちに大プロデューサーになった(まさか、カニエ・ウェス
トのアルバムまで手掛けるようになるとは)ジョン・ブライオンのファンが集
まっているとは思えないし。あれ、ブライオンもティル・チャーズデイのメン
バーだったことあるんだっけか(ちゃんと調べる気力ありましぇ〜ん)。

 ギターやベースをときに持ったりもする彼女に、キーボード、ギター、ベー
ス、ドラムのバッキング。起伏のない曲を地味に披露する、まあ実質主義とい
う言い方もできるだろう実演。広がりがない、ロックの狭い世界観のなかで、
丁寧に表現を愛でているという感じもあり。1時間ぐらいの本編だったが、ア
ンコールは2回出てきて、それなりの長さに。なんとなく、非常に珍しく飲み
に流れることなく、おとなしく帰宅。
ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが夫婦役で主演のダグ・リ
ーマン監督の映画を、半蔵門・東宝東和試写室で。なかなか粋で、良く作ら
れた娯楽アクション映画。最後はあまりにマンガっぽく、やりすぎとは思う
が、楽しめた。ジョー・ストラマー、オゾマトリからソフト・セルまで、い
ろんな洋楽ポップがうまく使われている。この年末に公開。

そして、南青山・ブルーノート東京でエリック・ベネイ(ファースト)。
キーボード2、ギター、ベース、ドラムス、そして女性バッキング・ヴォー
カリストという布陣。彼女ははそれなりに美形。スーツを着こなす、痩身の
ベネイはさすがに格好いい。なんか、映画『ミスター・ソウルマン』の主演
(白人なのに、黒人に扮していた)C・トーマス・ハウエルにそっくりじゃ
んと思った。そのことは、もっと間近に接した翌日の取材時にも感じた。古
着をお洒落に着こなしてたナ。さすが、別れた女房は人気女優のハル・ベリ
ーってのも無条件に納得。

 なんとオープナーは、スライ・ストーンの「イフ・ユー・ウォント・ミー
・トゥ・ステイ」。デビュー作で取り上げていたとはいえ、のっけからカヴ
ァーで来るとは。で、最初から上手に客をあしらいながらコール&レサスポ
ンスをやったりする。また、途中で「あなたがいてくれてうれしい」みたい
な、日本語をポロリと言ったりも。時に出す日本語の単語のイントネーショ
ンがかなりまっとう。耳がいい人なんだろうな。

 6年ぶりに出した『ハリケーン』はデイヴィッド・フォスターが主任プロ
デューサー。よりAORっぽくなったり、ライトにラテンぽかったり、フラ
ンク・シナトラみたいになったりとか、悪い言い方をすればより白い方向性
を取った内容を持つ。だが、この日のやはり純R&B回路から離れた曲調を
いろいろと採用する行き方に触れて、彼は彼なりに自分の信じるR&B道を
突き進んでいるとぼくは実感できたのだなあ。王道的な黒い行き方だけをし
ないからこそ、フレッシュなブラックネスが得られると彼は確信している…
…。1曲目のようなまっとうな黒い行き方と、外し気味の行き方の効果的な
かみ合いも何かを生んでいるような。そうすると、なんとなくバック・バンド
も全て黒人でまとめているのも生理的に納得できちゃう。なんか、前回の来
日(1999年7月11日)のときに書いていることと相反する感じもありますが。

 とにかく、いいR&Bショウだったのは間違いない。なんせ、翌日会うの
分かっていながら、アンコールで彼が横を通ったとき思わず握手しちゃった
ぐらいだから。なんか、そういう“青さ”を煽る力も彼の実演は持っていた
と思う。
 まず、渋谷Oイースト。本当は前座のマションダを見たかったのだが、会
場についたときは終わっていた。残念。この3月4日にちらりとショーケー
スで見たシアラはちょい今様なジャネット・ジャクソンという感じもあった
か。DJが音を出すだけでなく、いろいろと煽りの声を発してて大活躍。
ダンサーといろいろと絡みながら歌うが、口パクだったかも。

 途中で出て、ザ・ストリング・チーズ・インシデント(2003年4月12日、
2004年4月22日)がやっている渋谷・アックスへ。セカンド・セットが
始まったところ。03年のときは鷹揚な仕切りだったが、今回は係員が2階席
チケットをきっちりチェックしていた。インストものを中心でやっていて、
ファーストは歌もの中心であったという。回りの喧騒をほうとながめつつ、
こういう公演は途中から聞き出すと疎外感を感じるところがあるなあ、なぞ
とも思う。ちょっと、乗りきれなかった。

オマール・ソーサ

2005年9月24日
 もう、見るたびに設定が違う。けっこう毎年来ている(2001年8月24日、
2002年7月22日、2004年8月2日)が、それが必然性があり、ちゃ
んと毎回みるべき人と痛感する。今回は電気ベースとドラムス、そしてスペ
シャル・ゲストとして元JBズ〜JBホーンズのテナー・サックス奏者のピ
ー・ウィ・エリスが加わるという編成による。南青山・ブルーノート東京、
セカンド。

 ソーサはグランド・ピアノ中心ながら、フェンダー・ローズ(その必然性
のない音で弾いていたな)やコントローラー他を用い効果音もいろいろ出す
。リズム隊もちょい変則的で、みんな肉声も出す。総じては、なんとも説明
に困る、とりとめのない電波系表現……。確か2曲目以降にピー・ウィーは
加わり、以後ずっと協調したわけだが、悠然とそのちょい変てこジャズ/フ
ュージョン表現に寄り添う。もう、メンバーのように。彼も不思議な実力者
だな。そして、随時その“不思議”は“音楽の素敵”に転化していたわけで
、ふふっと聞いちゃうのだ。組曲のように連なる感じを持つ構成で、全体と
しては1時間半を軽く超える演奏時間。でも、当然のことながら、ぜんぜん
その時間を感じさせず。もっともっと、と言いたくなる。

アンナ・ナリック

2005年9月22日
 カリフォルニアの、21才の発展途上の新進シンガー・ソングライター。ギ
ター、ベース、ドラムを率いての、ちょうど1時間の公演。キーボード抜き
で、けっこうベタっとしたギター・サウンドのもと歌う。途中で、アコース
ティックっぽい曲も少しやったがそっちのほうがいい感じ。声はかなり太い
。ときに見せるアクションは鈍臭い。でも、性格はとても良さそう。アンコ
ールはジミ・ヘンドリックスの「エンジェル」のカヴァー。彼女たちは、フ
ェイセズ・ヴァージョンを参考した感じであったが、なるほどあのころのロ
ックに対する共感もまたバネになっているのか。渋谷・クラブクアトロ。

Pe’z

2005年9月21日
 NHKホール。これまで大ホール会場での公演を拒否してきた彼ら(20
05年5月2日、他)の、初めてのホール公演。まあ、過去の演奏とそれほ
ど変わりはないが(でも、これまでの歩みを括ろうとする意思はたっぷり)
、ツっぱったバンドとして落とし前を付けていたところはいろいろ
。まだ若いのに、生理的に確かなものを持ちつづけいるとは思わずにいられ
ないよなあ。
 南青山・ブルーノート東京、セカンド。すごいグループ名がついているが
、これまでどおりギター、電気ベース、ドラムがバッキングするというのは
変わりなし。とくに、黒人のベースとドラム(デイヴィッド・バラードとハ
ーマン・アーネット3世)はもうすでに30年もずっとレベナック卿と一緒に
やっているそうだ。別に、テロやカトリーナ災害に対するコメントはなし(
と、思う)。ドクター・ジョンはNYに家を持っているが、そのリズム隊は
ニューオリンズ在住らしい(でも、ロードに出ていたらしい)。なんにせよ
、二人とも陽気……。そんなところにも、“セカンド・ライン”の伝統(葬
式でも帰りの列は陽気に騒ぐ)を感じたかも。……ああ、魔法と滋養の街ニ
ューオリンズに幸あれ。

 エンジ色のハマった派手なスーツを来た御大(2000年5月24日、200
2年3月23日)はグランド・ピアトとハモンド・オルガンに挟まれて座る。
多くはピアノを弾いていたが。そして、ときに大小のタンバリンを叩いたり
も。ヴードゥを想起させる小さな髑髏がピアノの上においてあるのはこれま
でどおり。歌声はぜんぜん衰えてなし、受けたうれしさは山ほど。日替わり
、セット替わりで相当に曲目を入れ換えているしらいが、30年も一緒にやっ
ているのならどーにでもできるでしょう。この日のセカンド・ショウは、往
年の曲だと「ライト・プレイス、ロング・タイム」をやった(そのとき、オ
リジナルだと女性コーラス隊が出している嬌声を伴奏隊はうまく出してまし
た)。
 芳垣安洋(2000年7月29日、2000年9月14日、2001年2月3
日、2002年3月17日、2003年6月28日、2004年1月21日、20
04年5月31日、2004年5月28日、2004年5月31日、2004年6月
2〜3日、2004年10月10日、2004年11月17日、2005年2月19
日、他) 率いる、10人編成のパーカッション・アンサンブル。ストロボ他、
対バンになったりとかいう日々のライヴの場の出会いから、構成員は集まっ
たのだという。セルフ・タイトルのデビュー作のレコ発記念のライヴだ。

 新宿・ピットイン。まず、会場に入っておおっ。客席側のほうにまで楽器
があふれている。いろんな打楽器がところ狭しと並べられている。もう、搬
入とかセッティングとか、本当に大変だったろうなあ。楽器を置くためにス
テージに向かって左側の帯の席の3の1がつぶされ、また右側も楽器ケース
がずらりと積まれて、少し削られている。ふう。と、いつもより席数は少な
いものの、立ち見の人たくさん。

 打楽器集団といっても主に高良久美子が担当するのだが、マリンバやヴァ
イブラフォン(それらは音大では打楽器科の範疇に入るのか)などメロディ
楽器が入る場合が少なくなく(スティール・パンが使われるときもあり)、
そんなに打楽器音だけがストイックに重なるという印象はない。だから、け
っこうカラフルな感じもあるし(それは、自在のリズムの多彩さもあるだろ
う)、飽きもこない。ラテン・アメリカ的要素、西欧(ミニマル・ミュージ
ック)的要素もあるし、もちろんアジア的な要素もある。無国籍風というか
、遊びある自在の感覚の重なりのなかからストーリー性がもわもわと出てく
るという感じか。肉声を用いるときもあった。

コモン

2005年9月15日
 渋谷・Oイースト、満員。昨年(6月11日)は同じ建物内にある、キャ
パはだいぶ下がる渋谷・デュオ。今回はここと恵比寿・リキッドルーム。本
人も気分良かったろうなー。

 前回はDJとさしで実演した彼だったが、今回はさらにキーボード奏者と
パーカッション奏者がついてのもの。前回の項でもかなり褒めているが、そ
りゃ悪いわけがない。根本の力、大いにあり。ながら、変テコなダンスや終
盤のエレピ弾きは苦笑しちゃうが。まあ、サーヴィス精神おうせいな奴とい
うことにしときましょう。途中、アイズリー曲に乗せて女のコをステージに
あげて絡んだが、オンナ好きそうではあるなあ。

 なお、今回同行した打楽器奏者はコモンの97年作以降ずっと彼のアルバム
にプロデュース関与しているカリーム・リギンズ。実は彼、秀でた真面ジャ
ズ・ドラマーでもある。02年に亡くなったジャズ・ベースの大御所レイ・ブ
ラウンが晩年トリオ表現の相手役としてリギンズを使っていたことでもそれ
は明白だろう。他にもオスカー・ピーターソンやマルグリュー・ミラーなど
、彼を雇った有名じじいジャズ・マンはいろいろ。そんな彼はまだ20代、そ
の振り幅の大きい、ながら飄々とした様を見ると、ジャズもヒップホップも
どこかでつながったアフリカン・アメリカン・ミュージックであるのダとす
うっと納得させられるなあ。    


K’DO

2005年9月14日
 大貫妙子(歌)にプラスして、フェビアン・レザ・パネ(ピアノ)、森俊
之(キーボード)、沖山優司(ベース)、沼澤尚(ドラム)からな
るユニット。後のほうの3人はアズ・ウィ・スピーク(2004年2月21日
)のメンバーでもあり、森と沼澤はサンパウロ(2002年11月15日、2
004年1月30日)他、いろいろと一緒にやってますね。MCによれば、も
う5年ぐらいこの面子でやっているそうだ。二人のピアノ/キーボード音の
魅惑的な絡み(見てて、本当にいい感じでした)と確かなリズム隊のうえに
、大貫の特殊個性が無理なく開かれるという感じか。彼女のオリジナル曲と
ともに、映画曲やサセミストリート派生曲なんかもやった。パフォーマンス
を見てて、10年以上前に彼女に取材したことがあったことを思い出した。発
売レコード会社もタイトルも忘れたが、なんか墨絵のなかにクリスタルが眩
く輝いているようなアルバムが出たときだった。そういえば彼女、先日のメ
イシオ・パーカーも見にきていましたね。横浜赤レンガ倉庫のモーション・
ブルー・ヨコハマ。セカンド。 

与世山澄子

2005年9月11日
 沖縄の1940年生まれのジャズ・シンガー。20年ぶりの新作を一緒に録った
、ピアノの南博(2001年10月29日)、ベースの安カ川大樹(2004年11月2
2日、他)、テナーの菊地成孔(2004年8月12日、2005年6月9
日、2004月7月6日、他)をサポートにおいてのもの。

 外見は小柄な普通の、民謡を歌ったら似合いそうな感じの人。白いドレス
も似合っているとはいいがたい。が、昔は米国人を相手にしたのだろう、歌
やフィーリングなどは確か。だって、発展や暗黒がぽっかりと口を開けた、普
通の歌い手だったらなかなか乗りこなせない演奏(ドラムレスの編成ってい
いものだな。とっても、再確認)に、見事悠々に自分を開いていたもの。へ
え〜。ふんわかしているけど、しっかりその人が伝わる。なるほど、印象的
な味あり。で、歌への気持ちの込め方、そこからすうっと自分の素顔を出す
回路なんかはなんとなくビョーク(2001年12月5日)と近い部分がある
かもとも思った。

 それから、かつて沖縄がアメリカであったこともぼくは思い出し、ちょっと
言葉にならない感慨を得た。横浜赤レンガ倉庫のモーション・ブルー・ヨコ
ハマ。
 スワンプ・ロック臭が売りだったヴェテラン・シンガー・ソングライター。
バッキングは、日本のラリーパパ&カーネギーママ。最初は彼らだけのパフ
ォーマンスだったのだが、ザ・バンド、リトル・フィート(2000年12月
8日)、「ブラザーズ&シスターズ」時代のジ・オールマン・ブラザーズな
どの妙味を活かした曲(メロディはほんわかした感じのものが種)を次々に
披露、なるほどの趣味のバンド。ザ・バンドふうの曲のときのギター・ソロ
はピッキング・ミュートでやってほしかった。物販のところ見たら、けっこ
う商品を出しているのだな。

 休憩を挟んで、マーク・ベノが登場。かつての面影はまるでないが(でも
、1947年生まれだから、そんなにじじいではない)、それなりにくつろいだ
生活をしていることを伝えるかのようにこざっぱりとした感じで、やさぐれ
たノリが皆無なのはいいナと思う。で、頭から全面的にラリーパパ&カーネ
ギーママがバッキング。やはり、70年代初頭〜中期のA&M時代の曲は良い
。歓声も沸く。が、一方ではなんの変哲もないブルーズ曲の洒脱なカヴァー
には、もっと歌う曲があるだろと思ってしまわなくはないが……。アンコー
ルは生ギターを持っての(あと一人、日本人の生ギター奏者をおいての)、
弾き語り。なかなか。彼の公演、弾き語りでも良かったかもしれない。渋谷
・クラブクアトロ。

エイモス・リー

2005年9月8日
 ノラ・ジョーンズのスタッフが全面関与というお膳立てでブルーノートか
らデビューした男性シンガー・ソングライター。渋谷・デュオ。生ギターを
弾いて歌う本人に加え、ギター、ドラム、ベースという編成で。バックのギ
タリストがときにマンドリンを弾くこともあり、より田舎っぽいほんわかさ
を感じさせる部分も。70年代ふうの素朴な行き方を中心に、わりと今っぽい
ほんのりソウル臭を感じさせるものまで、その間を淡々と行ったりきたり。
同じ場所で続けて聞いてしまうとどうしても比較してしまい、昨日のハリス
のほうがソング・ライターとしては深みがあると思うが、悪い印象はないで
す。終わったあと、彼とほんのちょっとお話したらフォーチューン・クッキ
ーのなかに入っているリボンに印刷されている諺の長めのようなもの(内容
は、あなたに幸せが訪れるますように、みたいな感じ)を言われてヘっ?と
なる。そういうお礼の言い方をした人、かなり年月を重ねている書き手稼業
のなか初めてだ。

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