ジェム

2005年6月7日
 ウェールズ出身、03年にマドンナに楽曲が採用されたこともある女性シンガ
ー・ソングライター。現在は米国で活動していて、米国のカレッジ・チャート
で好評、けっこうなセールスを出していると伝えられる人物。

 デビュー作ではベタなヒップホップ調トラックに英国令嬢風のクールな歌を
重ねていたが、ライヴだとちゃんとバンド・サウンド(ベース奏者はアップラ
イト・ベースを用いるときも)を用いる。プリセット音を用いる曲もなくはな
かったが実演だとそれなりに手作り感覚と非コドモ感覚を持つポップ・ロック
といった印象。歌も、それほどうまくないのは同じ印象ながらもっと愛想が良
く暖色系の感触を持つもので、アルバムと印象がかなり異なる。スティーヴィ
・ワンダーの「マスター・ブラスター」のカヴァーをやったりも。いじょう、
渋谷・クラブクアトロ。

リトル・バーリー

2005年6月6日
 英国の新進ロック・トリオ。そのデビュー作はかつてのフリーやハンブル・
パイ(実際、彼らを参考にしたという。彼らの名前を出せないのもちょっとと
思うが、加えてオールドスクールのUS東海岸ヒップホップ云々という、まっ
たく見当違いな例を引き合いに出している日本盤解説はあんまり)に代表され
るようなR&B濃度の高いロックをけれん味なく出していて、ここのところの
英国勢のなかではトップ・クラスに実演に触れたかった連中だった。

 原宿・アストロホール。なるほど、メンバーが出てきてグループ名を了解。
ギター/ヴォーカルのバーリー・キャドガンが痩せてて小柄なんだもの。一方
、ドラマーくんは太っちょで“内山く〜ん”と声が客から飛んで、場内爆笑。
パフォーマンスは、ちょっと音質が素人臭かったアルバムとほぼ同じ。まあ、
逆に言うと普段の姿をそのまま商品にしたといも言えるか。曲の盛り上げ方と
か客との接し方とか、垢抜けないというか普通すぎるところもあったが、とに
かくちゃんと曲が作れる“旧型”であることが嬉しいロック・バンドであるの
は間違いない。やっぱり、応援したいな。

 翌日、取材したのだが、テーブルの上には二日酔い用飲み薬や液体ビタミン
剤が。うち、二人は二日酔い。一番ルックスのいいベースくんはもうダウン寸
前で、本当にほんとうに取材するのが可哀相だった。だって、酷い二日酔いは
とても辛いし、マジ何もしたくないもの。それは、俺が一番よく理解できる。
本当はプロ意識に欠けると思うべきなのかもしれないが、それなりに受けた初
日本公演の晩に飲みたくなる気持ちは良く分かる。それに、ぼくだって二日酔
いでインタヴュワーを務めることもあるし。さすがに重度のときは過去2度し
かないが(終わったとたん、トイレにかけこんだりして……)。でも、そうい
うときの取材のほうが研ぎ澄まされた、いい取材になったりもする。ぼく、ピ
ンチに強いかもしれない。なお、バンド名は、バーリーさんの子供のころの愛
称を用いたもので、今の見てくれから来たものではないよ、とのこと。彼ら、
今年のサマソニでまたやってきます。
 まず、大田区の池上本門寺に。ものすごくデカい規模のお寺、日蓮宗の大本
山らしい。よく分からないが、いろんな建物/施設があるようだ。歴史がある
ようなのでヘラヘラと興味深く接することができるが(実は、この公演に来た
いと思ったのは、奄美諸島の島唄に触れたいと思うとともに、この施設に対す
る純粋な好奇心もあった)、新興宗教系のそれだと足を踏み入れただけでいた
たまれない気持ちになるんだろうなあ。ぼく、宗教には相当なアレルギーを持
つ。いろんないざこざの元凶はまさに宗教にあり、って感じている人だから。
その宗教がなければ人類は滅びているという人もいるけど、強気のぼくは宗教
を必要としたことないしな。ピンチのとき、神さまァって思うことはあった
けど、それは特定の神ではなく、俺サマの神だもの。

 そこの本殿という建物(靴を脱いで上がる)のなかのホールというか、広間
というか。ステージの後ろには大仏みたいのや観音みたいのが数体、鎮座する
。会場内は椅子が並べられていて、満員。かなり、暑い。ちと苦行ぎみ。入口
横のほうにオリオン・ビールとか売っていて、なんか拍子抜け〜サバけてるじ
ゃんと思ったら、それは沖縄方面関連物産販売のものだった。

 ここ数年、広く島意外の聞き手に向かって歌おうとしている60才後半の女性
シンガー。奄美の島唄の歌手を生で聞くのは、元ちとせ(2001年12月3日)い
らい。ポップ音楽の枠組みのなかで独自の歌唱方を起立させるという元と違い
、ずっと親しんできたトラディッショナルな流儀にポップ文脈にある伴奏をや
んわり重ねるというのが彼女の行き方と言えるか。こっちのほうが、かつての
ワールド・ミュージックの方法論に近い。三味線だけを伴奏とするものから、
ピアノやパーカッションなども加わるものまで。弟子が歌うパートもある。そ
の声や節回しを聞いただけで首根っこを押さえつけられるような、パワーや未
知の流儀はぼくは感じなかった。一方で、非島唄回路なときの伴奏には違和感
を感じるところもある。だけど、本当に開かれた気持ちのもと、自分たちの文
化が育んできたものを沢山の人達に知ってもらいたいという澄んだ気持ちはと
っても伝わってくるパフォーマンス。

 1時間は平気でやったろう一部を見て、次に移動。演奏途中にはなかなか会
場外に出にくい感じがあったから……。こんなに、長くやる公演だとは思わな
かった。2部のほうには、お母さんが同じ島の出身だというUAもゲストとし
て出たはず。

そして、南青山・ブルーノート東京。セカンド。ここんとこマジなジャズ路
線がかなり好調な有名トランペッターの新3管編成バンド。新作『ドラゴン』
と同じメンツで、日本人4人、韓国人1人。颯爽としててヴァイタルでもある
、今の新主流派(うわ、死後を使ってしまった)的ジャズ。彼は本当にアップ
テンポな曲のリフ作りがうまいなあ。当初、他の管楽器奏者のほうが長くソロ
を取ったり、自虐的かつボロボロなMC(接してて、本当に辛い)を聞いて歳
取ったなあと思わせるところもあるのだが、ソロの取り方はより真摯だし、M
Cも飾り気のない自分をそのまま吐露するとそうなると考えられなくもないわ
けで……。とにかく、彼のなかで音楽の意味、トランペットを吹く意味がより
無垢なものに変わってきているのかもしれないという感想を微妙に引き出す実
演であったと思う。アンコールなし、2時間近くやったはず。日野晧正、見事
な音楽バカであるのは間違いない。
 夕方、雷雨を伴うかなりの降雨。少し腰がひけつつも、日比谷野外音楽堂に
向かう。バディ・ガイを今度こそ、ちゃんと見なきゃ。前に来たときインタヴ
ィーもしたのに(なかなか楽しい喋り手でありました)、欧州出張があって見
れなくて、ごめんねという気持ちが大いにあったのだ。ただ、コンサートを見
た後に知人のホーム・パーティに行くことになっていて、ずぶ濡れでそっちに
行くのは憚られたので、ガイの前に出ることになっているノース・ミシシッピ
ー・オルスターズはパスすることにする。昨年オースティンで見たとき(2004
年9月19日)にあまり良い印象を得なかったので、それについてはぜんぜん惜
しいと思わなかった。昔はそうとうに好きなバンドだったはずなのだが(初期
2枚と、ジョン・スペンサー絡みの『スペンサー・ディッキンソン』は大好き
! なんで、あんなにおとなしくなってしまったんだろう?)。

 なんとか、会場についたころに雨が止む。自分の幸運に感謝。多くの人が透
明のカッパを身につけ、かなりずぶ濡れの人も少なくない。透明カッパは売店
で500 円で売っていたようだが、相当の利益があるだろうと推測する。野音っ
て、缶ビールを400 円で売ってくれるのはいいんだけど、いつもあまり冷えて
いない。だから、ここに来たときはやはり売店でうっているカップ入り日本酒
(常温)を、温いビールよりはマシと飲むことになるのだなあ。

白のツナギに白の帽子を被ったバディ・ガイは、サイド・ギター、サックス
、キーボード、ベース、ドラムという編成でやる。出だしは、ドン・ニックス
の「ゴーイン・ダウン」。重みや思慮はあっちへホイなパフォーマンス。ブルー
・ノート使用凶悪風ギター・ソロを掻き鳴らす。コクはない。歌声は朗々、び
っくりするぐらいよく出ている。彼はステージ真ん中だけでなく、左右の横で
歌ったりも。それにあわせて、ローディがうまくスタンドを立てる。途中に、
スタンダードの「フィーヴァー」をやる。おお器用、こんな曲もソロを取れる
んだと思ったら、これはサイド・ギタリストをフィーチャーしてのもの。その
彼、うまかった。俺様なガイではあるが、ちゃんとメンバーにはソロのパート
を渡す。それ、ぼくには少しうざかった。とくに、キーボードのソロはイヤだ
ったな。

 終盤には、横を通って会場後ろのほうに出てきて弾いたりも。本編最後は、
ジミ・ヘンドリックスの「ヴードゥ・チャイル」、クリームの「ストレンジ・
ブルー」(2001年1月25日参照)、B.B.キングなどで知られるブルーズ・スタ
ンダードの「ロック・ミー・ベイビー」のメドレー。
 まず、南青山・ブルーノート東京でジョー・ロバーノ。ワン・ホーンによる
、カルテットでの出演。あちらでは相当な人気を持つ人だが、日本ではいま二
ぐらいの人気で、その落差はかなり大きい。セカンド・セット。

 声援が大きく、観客の反応がすごい。少し、驚く。アンコールはないが、た
っぷり1時間半を超えるパフォーマンス。いいテナー・サックス奏者であるの
は確認できた。だが、そのグループ/音楽性の方向性という部分においては、
ぼくの好みからするとちと刺激や意外性に欠けるなあという部分も。というか
、いまだぼくの頭のなかにはチャールス・ロイド(5月11日)の演奏の凄い余
韻が残っているのだ。なぜ、もう1度見にいかなかったか。ぼくは、それをし
なったことを後悔している。少なくても、ぼくにとってはヴェローゾ公演(5
月23日)以上の不思議や神通力を感じさせるものであった(まあ、初めて見た
というのが大きいのかもしれぬが)と、今思っている。

 そして、代官山のAIRへ。トーマス・キャベル監督のサーフィン映画『S
PROUT』日本公開に際しての催しで、そのサウンドラック(オリヴァー・
ネルソン、HIMやトータス、モハーヴィ3やキャレキシコなどが入ったなか
なか趣味の良いものになっている)にスプラウト・ハウス・バンドという名前
で楽曲を提供していた、ジャック・ジョンソン、マーニー・マーク、トミー・
ゲレロ、アダム・トポルからなる4人組スペシャル・バンドのギグがあるとい
うので。会場入りすると、ふわーんとした音楽が。トミー・ゲレロがやってい
るという。そして、暫くするとマーニー・マークが前にたったものとなり、そ
してジャック・ジョンソンが主役に。それぞれ、持ち歌をやったのではないか
な。ベースを弾いていたゲレロは初めて接するが、印象的なルックスを持って
いるのだな。

 最初は非ステージ・フロアで知り合いと喋っていたが、途中からステージ・
フロアで見ていた。で、横に身長の高い男がいるナと思ったらG・ラヴで、本
編最後のほうには彼もハーモニカで加わった。アンコールには、ザ・ミーター
ズの「シシィ・ストラト」をなぜかやる。そのリフを応用するだけで、ぜんぜ
んセカンド・ライン・ファンクにはなっていなかったが、その曲をやりたがる
嗜好を経由しての和みなのだなあ……なんてことを感じると嬉しくなった。肩
のこらない、アフター・アワーズ的セッション。でも、彼らが興に乗って浜辺
で仲間たちのやんやの喝采を受けながら笑顔でライヴをやるとこんな感じにな
るのかな、なんても思えた。
 スペインはバルセロナを拠点とする集団で、女性シンガー、生ギター2、
パーカッション2、DJ(アフター・パーティでのCD回しに触れたが、か
けた楽曲群なかなかでした)、電気ベース、ドラム、ダンサーなど。一番の
ベースにあるのはフラメンコだが、そこにヒップホップやラテンやラガなど
いろんな要素が自在に入り込む。パーカッション・パートはサンバっぽくな
る部分もあるし、タブラが大活躍するときもある。といった感じで、絵に書
いたような活劇的混合を見せるグループ。バルセロナというと、現在イケて
る表現の重要創出地というイメージがあるが、本人たちにそれを問うと、そ
んなの知らねえという答えが帰ってくるとか。他者とはなんの仲間意識も持
ってないらしい。

 渋谷・デュオ。冒頭はなんかまったりしている感じもあったが、途中から
は無条件に楽しいって感じでにこにこ、そして高揚。コップではいかんとも
しがたいと、ワインのボトルを買いに走る。彼らはVJも同行させていて、
バックにはいろんな映像が出される。歴代の米国大統領に炎が重ねられた絵
が使われた曲があったが、それどんな歌詞内容だったのだろう? そういや
あ、デュオは出演者のライヴDVDをいくつも自前で出している。この晩、
撮影している様子はなかったのでないだろうけど、映像作品があればちゃんと
見てみたいなあ。

LOSALIOS

2005年5月28日
 昼間、少しムカっとし、悲しくなる。ある雑誌のヴィデオ・レヴューとア
ルバム・レヴューの準備をごんごんとやろうとしたら……。両方とも正商品
ではなく、試聴用に用意されたもの見(聞き)ながらのものだったのだが。
まず、ヴィデオは終盤が尻切れ。144 分の商品が120 分のヴィデオ・カセッ
トに入るわけないじゃないか! 一体、メーカーは何を考えているのだ。土
曜だから編集部の人間とは連絡とれないはずなので、メールを入れておく。
そして、気を取り直してアルバム・レヴュー用の音を聞き出したら。ん、な
んじゃいこれは。曲がみんなフェイドアウトになってるじゃないか(前にも
大物アーティストでそういうの、あったな)。それって、海賊盤対策? っ
て、ありえないありえない。カセット・テープに入っている音質、とっても
悪いもの。まあ、ちょい聞きの人にはありがたいのかもしれないが。また、
これじゃ書けませんとメールする。悲しくなったのは、なんか書き手の立場
がひどく軽視されているような気になるからか。オレ、気位高いところある
からなあ(だから、催促の電話でごめんなさいまだできてないんですと口先
とはいえ謝るのも好きくないので、原稿はちゃんと締切りまでに出す。つー
か、500 枚の論文書いているわけじゃあるまいし、それぐらいの原稿さっさ
と書けずにどーする?)。そんな音楽/大切な商品をハンパに壊すことをや
るんだったら、最初から一切プロモーション用事前情報開示をしなければい
いのに。というわけで、じっさい唐突にレコード店に商品が並ぶようにした
そうなリンプ・ビズキッド(2001年1月13日)はなんとまっとうな精神の持
ち主たちであることか。ぼくのなかで非常に株があがった。

 で、そんなヤな気持ちふっとばしてやるぞおと、LOSALIOS(2003
年12月18日。今回はロス・エイリオスと発音していたな)で日比谷野外音楽
堂。単独ライヴ。何度もここに来ているはずなのに、出る地下鉄出口を間違
えて、とほほと公園内を彷徨う。やっぱ、いい公園なのだなと気づく。
 
 エル・マロやFOE他の會田茂一が入って、ギタリストが二人になっての
ライヴ。おお、かちっとした風情、強まりましたね。ジャズ・ロックという
よりは、伸縮性にたけたプログレてな印象が強くなった。都会の野外ライヴ
はこの季節が一番、気持ちがいいな。

ブラックメイル

2005年5月27日
 ドイツの4ピースのロック・バンドで、ヴォーカリストはトルコ系(見て
くれで、すぐに分かる)、ギターとベースはとスペイン系とか。なんか、そ
ういう“散り方”だけで少し嬉しく感じるおっちょこちょいな自分がどこか
にいる。なんだかなあ。当然のことながら、音にはそういうことは表れてい
ないが。アルバムだと溜めた風情、不思議な含みを持つのが印象に残ってい
たが、ライヴでははもっとストレート。というか、地が出たのかそこそこハ
ード。レコーディングと実演は分ける方向で行っているのか。最近、ドイツ
関連銘柄に接すると、来年のワールドカップ観戦に思いがはせる。単純だな
あ。渋谷・デュオ。
 品川のプリンス・ホテル施設内にあるステラボールというハコ。水族館や
アトラクション施設がある建物内にある。できてそれほどたっていないよう
だが、ぜんぜん新しい施設に見えないのはなぜ? 大きさはゼップ東京ぐら
いは平気であるか? バーは会場内に販売カウンターがもうけられているが
、かなり仕切り悪し。ところで、今回のジャック・ジョンソン公演はすぐに
各所のチケットが売り切れたそう。ぼくも、複数の人から買えなくてくすん
、という話を聞いた。が、良識あるチケット数販売に留めたようで、かなり
余裕を持って見ることができた。

 開演前に、「G・ラヴ(2000年1月25日、2004年11月17日)はちゃんと会
場に到着しました。定刻に始まります」みたいな、おいおいあんたはジョア
ン・ジルベルト(2003年9月12日)かいとツっこみを入れたくなるような場
内アナウンスが。後から聞いたら、先のりしていたジョンソンと異なり、成
田から彼は直行し、サウンド・チェックもなしにステージに立ったのだとい
う。わざわざMCするほど、Gのぎりぎり訪日は周知の事実だったのかしら
ん。それとも入口に開演時間が遅れるかも、という表示がなされていたのか
。ともあれ、感激させられた去年秋のパフォーマンスの出来と比較すると、
今回のGは寛ぎ感はあったけどあまり訴求力は高くなかった。当日入りの件
は後から聞いたので、感想には関係あらず。そういう場合のほうが純度の高
いパフォーマンスになる場合もあるはずだし、そういう修羅場はいろいろと
潜っている(2004年9月18日、ザ・ウェイラーズの項を参照のこと)はずだ
し。メインじゃないから手を抜いたあ? 

 ジョンソンはなんとキーボード奏者とリズム隊を率いてのもの。キーボー
ドはなんとマニー・マーク(2002年1月28日)。昨年のジョンソンの来日
公演のときもマークは飛び入りしたたとがあったという話を聞いたような気
もするが……。ジョンソンとマーク、トミー・ゲレロらは一緒にサーファー
映画の音楽用に一緒のバンドを組んでいて日本でもライヴをやるので、それ
と関係してのものか。なんでも、あちらのツアーには入ったことはないそう
だ。ともあれ、ジョンソンをちゃんと見るのは初来日(2003年9月30日)の
とき以来だが、変わらず柔和ながらもいい意味でプロっぽくなり、ずっとい
い感じになっているなと思った。どうってことないだけど、しっかりと聞く
者に音楽や気持ちが届く。で、気持ちいい。アンコールでは、G・ラヴと共
演。マドンナの「ホリデイ」もやった。そして、もう1度ジョンソンは一人
で出てきて、弾き語りで確か3曲歌う。7時に始まり、終わったのは10時近
く。ライヴ評と重なるといけないので、簡素に内容を書いておきましょう。

 夜中に知人の家に流れて、欧州クラブ選手権の決勝戦を観戦。うわあって
試合(家にもどったら、もう仕事を始めなきゃいけない時間でまたまたうわ
あ。原稿たまってんだよなあ。しっかり寝たが)。物事どうなるか分からな
いので、諦めてはいかん。なぞという、非常に青臭い教訓をしかと得る。そ
ういえば、この前やはり友達んちで「モンク」という米国の探偵TVドラマ
を偶然見たのだが、主題歌をランディ・ニューマンが歌っていた。
 池袋・東京芸術劇場。すごい残響音が大きいホール。出だしのほうの静か
なサウンドのときとか、時間差で聞こえる音の響きの酷さに集中できなくて
困った。クラシック用の会場として相当お金をかけて作った会場と推測する
が、少なくても繊細なポップ・ミュージック用途にはまったく駄目。使えな
い。卓いじりが巧みじゃないところもあったのかもしれないが、基本的には
会場の不具合というようにぼくには感じられた。ちなみに、けっこう前の方
の席での聞こえ方です(2階席にいた人も、最悪だと言ってたな)。御大を
なるべく近くで見たくて(とともに、あんまりステージが広いと、それだけ
で気分が散るところあるから)東京芸術劇場で見ることにしたのだが大失敗
。東京フォーラムにしとけば良かったあ。ぼく、こういうときは成り行きで
もいい方にころんじゃう人なんだけどなあ(たとえば、一昨年のジョアン・ジ
ルベルトはライヴ盤になった日に行った:2003年9月12日)。

 ジャキス・モレレンバウム(この夏に、ブルーノート東京で女房が主役と
なる公演があって、バッキングをする)ら5人のプレイヤーを擁してのもの
。バッキングはときにトリオによるものだったりとか、臨機応変。ギター弾
き語りのパートもあったし、1曲はアカペラで歌ったりもした。全体のノリ
としては一番新しいアルバム『ア・フォーリン・サウンド』を受けたセット
を基本とするもののようだが、そこは久しぶり来日公演ゆえにいろいろな曲
を披露。新作のりの英語曲ばかりだと寂しいなと思っていたけど、英語曲の
実にアーティスティックかつロマンティックな開き方にも関心。見事な“恩
返し”の具現だった。

 アンコールをふくめ、約24曲。およそ2時間のショウ。客はすぐに、スタ
ンディング・オヴェイション。ぶっちゃけ8年前に渡辺貞夫が呼んだときの
ほうが、感動は大きかった。あのときは、この世のものとは思えない、とま
で感激したはずだから。でも、十分に堪能。モンスターであるのは間違いな
い。その後のお酒も、とてもおいしく飲めた。そえいえば、カエターノの横
には、透明の液体(水か?)と赤色の液体(赤ワインか?)が入ったグラス
が一つづつ置かれていた。カエターノが口にすることはなかったが。
 78年生まれ、ジェフ・マルダーの娘さんなのだか。だだし、ジェニー・マ
ルダー(87年だっけか、『ニアリー・ヒューマン』リリース後のトッド・ラ
ングレンの来日公演にバッキング・シンガーとして同行したことがあったけ
なー)と違い、マリア・マルダーの血は入っていないとか。つまり、別れて
からの娘なのか。でも、彼女もそれなりに小悪魔ふうの声を持つ。下北沢・
ラカーニャ。

 旦那でもあるというフランス出身のフィドル/ギター奏者の伴奏を受けて
、手作り感覚に満ちた、オールドタイムなフォーキィ表現を送りだす。本人
は大方ギターを弾きながら歌うのだが、ルーツィな表現の大家である父親の
もとで渋い音楽に浸って育ち、若いながらも奇特に迷いなくそういう表現
にあたっているのかあ……と思わせられた。のだが、休憩のとき、入場時に
くれたそれなりの情報が載せられている手作りパンフ(そういう、配慮うれ
しいですね)を見たら、なんとバークリー音楽大学でジャズを学んでいたと
書いてある。旦那もバークリー出身だそうだが、そうするといろいろな音楽
経験を経て、時代遅れな、だからこそ今光る部分もある表現にフレッシュに
あたっているということになるのか。

 歌がそれほどうまくないこともあり、かなり初々しさを感じさせもするそ
れ。簡便なパフォーマンス環境であることもあってか、ぼくはあまり疑問も
たず、素直に楽しんで見れた。でも、ずっとアメリカのフォーク・ミュー
ジックに触れている人が聞いたら、どんな感想を持つのかなあとも少し思う
。19日のトーチのときのことが、すぐに頭に浮かんだもので……。

トーチ

2005年5月19日
 テキサス州オースティンのジャズ・コンボという触れ込みではあったが。
女性ヴォーカル、ギター、縦ベース、ドラムという編成。ありゃりゃ。これ
はジャズではない、ジャジーな非ジャズ・グループであり、ジャズ・スタン
ダードをカヴァーする態度の軽いカフェ・グループなのだと、パフォーマン
スが始まってすぐに自分に言い聞かせようとする。でなきゃ、聞けない。か
と言って、ポップ側に通ずる洒脱な何かをぼくは感じるところもなく。人は
良さそうなんだけどねえ。同じオースティンのホット・クラブ・オブ・カウ
タウン(2004年10月10日)のときも思ったが、男性陣はみんな育ちが良さそ
うな顔しているなあ。女性シンガーはインド系アメリカ人だそう。おお、ノ
ラ・ジョーンズと同じだなあ(彼女もテキサス育ちじゃ)。彼らのアルバム
は聞いていなかったのだが、バッファロー・レコード発のグループだから悪
くないのかなと行ったのだが……。きっと、ジャズを聞かない人には魅力的
に聞こえる場合もあるのだと思う。聞き手によって、音楽の聞こえ方は大幅
に変わる。途中からは外のバー・スペースで知り合いとお話をしちゃう。延
々と。こんなに、そういうことをしちゃったのは初めて。表参道・FAB。

 ところで、14日冒頭の記述を見た人からの感想。それって、日本のおばは
んが目先を変え、韓国の俳優にいれあげるのと同じですか? ……。当たっ
てはいないと思いますが。だって、その動きは『冬のソナタ』のカンゲキあ
ってこそのものでしょ? 
 お酒片手にフラメンコを(5月13日参照)ということで、赤レンガ倉庫・
モーションブルーヨコハマ。

 主役のモリーナさんはまだ20歳という女性ダンサー。彼女にプラスして、
ギターが二人、カンテ(歌)が二人、打楽器が一人という布陣。主役のダン
サー以外はすべて男性で、ギタリストの二人は男前だ。

 踊りに関してはよく分からないというのが正直なところ。なんか、足のス
テップはアイリッシュ・ダンスを思い出させるところもあるし、ちょっとし
た見栄の切り方とか、指の折り方まで意味があるんだろうなとも思え、興味
深くはあるが、ハっと息を飲ませられはしませんでした。少なくてもぼくは
。それ、少し鈍重そうな体つきや顔つきから得る印象が妨げになった部分は
あるのかな? 

 だが、伴奏陣も加わった総合的な印象はやはりかなりよく、高揚できた。
演奏陣の数が曲によって変わったり、ダンサーは出たり入ったりし引っ込ん
だときは衣装を毎度代えること、そしてアンコールの声に応えてアカペラと
手拍子のなかステップを披露するというのは、13日の公演と同様。それが、
フラメンコ公演の普通のあり方なのだろうか? 打楽器はちょっと電気効果
を介した音を出したときもあり、そのはときは少しマルコス・スザーノ(20
05年2月15日、他)を思い出させる。

 より高尚だったのは13日で、音だけを取るならポップ・ミュージックの聞
き手により引っ掛かる部分があったのはこの日のほうと言えるだろうか。と
にかく、どのぐらいオーセンティックなフラメンコであるのかは全然分から
ないが、まったく別の所にある美味しい流儀を無理なく味わえ、嬉しい気持
ちになれたのは間違いない。それから、ちょっとした掛け声とかにしても、
スペイン語ってキブンあるなとも両日の公演を見て痛感させられました。

 フィンランドの若手ロック・バンド4組を集めたイヴェント。これが米国
や英国のそれだったから、まず行かなかったろうけど。あんまり馴染みのな
い遠い北の国(でも、英国に行くより飛行時間は短いんだっけ?)のことを
ちょっとでも触れられればと思い、向かう。僕の知っているフィンランドの
風景は、ジム・ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』でのも
のだけ……。

 原宿・アストロホール。会場に着いたときは、1番目のバンドが終わった
ところ。実は、一番見たかったのはそのバンドだったのだが。2番目はタイ
ガーボムズというパワー・ポップ・バンド。大仰なフリをつけて一生懸命。
まあ、こんなこと日本人がやっていたら軽く切り捨てるだろうと思いながら
、ニヤニヤ見る。逆差別? 次に出てきたディープ・インサイドという4人
組は、かなりちゃんとしたエモ系バンド。音がばしっと決まって気持ちいい
、というか先のバンドがいかに甘かったかを再認識。ぼくの趣味ではなかっ
たが、こっちは無理なく見れました。で、9時から約束があったので、ヴァ
ージンと契約したらしいもう1バンドが始まる前に外に出る。

 英米の価値感を追うような感じで、同国にもいろいろなバンドがいるんだ
と思う。サーミー(エスキモー)もいるから、とうぜんそっちの色が濃い担
い手もいるだろうし、ノキアを生んだ国であることを想起させるようなテク
ノ系の担い手もいるだろう。結局、2バンド(両者ともハタチちょいぐらい
の人達かな)見ただけでは……。なんにせよ、たしか人口500 万強の国。会
場にいた外国人はとうぜんフィンランド人だろうが、500 万分の1と1億分
の1じゃあ、ぜんぜん違うなあと変な考え方をする。
 電車に乗ると、乗り換えの関係で一番前の車両に乗ったのだが、これが女
性専用車両。窓にピンク色のシールがベタベタ。う、やばいと思ったら、普
通に男性も乗っている。どうやら、時間限定のようなのだが、もう少し分か
りやすく表示してほしいな。毎日電車に乗る人は合点承知なのかもしれない
けど。ラッシュアワー時に乗る必要のない我が身に少し感謝する。でも、電
鉄会社は電車に不慣れな人も使うことを認知してほしい。

 5月にいろいろ組まれている“フラメンコ・フェスティヴァル・イン・ジ
ャパン2005”と題されたイヴェントのなかの一つ。この日の出演者が本場で
どんな位置にいる人かはぜんぜん知らない。でも、おっちょこちょいなな私
(スペイン贔屓でもあるかな)は行ける機会があるなら、見てみたいと素直
に思うのだなあ。女性シンガーと女性ダンサーが主役で、他にギター2(こ
の二人だけが男性)、ヴァイオリン、バッキング・コーラス2という構成。
パフォームする形態は様々で、ときにシンガーとギター奏者がデュオでやる
ときもあるし、ちょっと場の繋ぎでギターやヴァオリンが独奏する部分も。
ダンサーは全体の半分出るかでないか。引っ込む度に衣装をかえる。

 なんか、不可解というか、不思議な気持ちにさせられたのは、主役のシン
ガー。声や身長は女性なのだが、恰好や体つきはまったくの男性。最初はず
っと女性だと思って聞いていたのだが、途中から男性にしか思えず。結局、
終演後にちらしを見るとどうやら女性のようであり。ともあれ、柔らかさや
しなやかさがあるそれは、なんか青筋たてたヴォーカルを想像しちゃうぼく
のフラメンコ観からするに、非常に広がりを感じさせるものではあった。

 会場は、有楽町・東京フォーラムホールC。今回、意外にでかい会場なの
だな(東京厚生年金会館ぐらいある?)と思う。お客の成人女性率高い。踊
りやっている人も少なくないのかな? 息をひそめて聞かなきゃならないよ
うな感じ(ぜんぜん風邪ひいてないのに、咳をしたくなったもんなあ。ゲホ
ゲホ)であるのは、クラシックのりの会場なせいもあるか。まあ、多分に芸
術的なノリがあるのは間違いないだろうけど。ヴァイオリンは完全クラシッ
クから来た人だな。でも、これがお酒片手に、椅子にふんぞりかえって聞け
たら、心地よい異文化に浸れて相当いい感じだろうなあとは思った。

 アンコールは例によってしつこい拍手に出演者が何度か出てきたあと、や
っとみんなで1曲。それがみんなで手拍子し、シンガーがノー・マイクで歌い
つつ、代わる代わる、一人づつダンスをするというもの。なんか、良かった。
音楽と踊は横つながり,,,,,,。

 帰り、もらったチラシを見たら、愛知万博のスペイン館では期間中、けっ
こうフラメンコの人達が無料ライヴをやっているのだなあ。


チャールズ・ロイド

2005年5月11日
 いまや、ジャズ・サックスの大御所。いやあ、良かった。びっくりすぐら
いジャズだった。おそらく、今年のブルーノート東京有数の出し物になるの
ではないのか。ファースト・ショウ。

 ジュリ・アレン(2004年11月3日)他のピアノ・トリオを率いてもの(ベ
ーシスト以外は新作と同じ)だが、まさしく悠々。生理的に思いっきりよく
。不可解な襞をなぞりながら、自在にときにスピリチュアルに流れていく様の
ジャズらしさ、澄んだ風情の美味しさたるや。うまく説明できないが、送り
だす全ての要素が甘さを排しつつ(でも、聞き手を撥ねつけはしない。なん
か包むような情緒も演奏は持っていたのではないか)、良質のジャズ感覚や
美意識に繋がっているんだもの。どれも1曲15分ぐらいの演奏時間で、全部
でちょうど1時間30分ぐらいのパフォーマンス。この15年ほどずっとECM
から作品を発表している彼だが、近年の諸作はいかにも明快に作ってるのだ
なとと了解。アンコールなし、MCも一切なし、というのもシビれた。恰好
もなかなかいいし、いやあジャズっていいなあと痛感(ただし、ジャズにそ
れほど入り込んでいない人には浸れない実演であったそう)。初日のファー
スト・ショウでこれなんだから、少し日を重ねた日のセカンドは一体どーな
ることやら。当然、彼はファーストとセカンド・ショウをまったく別の曲で
やっている。

 不毛な比較を書いておこう。ライヴの聞き味、2004年2月9日のウェイン
・ショーターは大完敗だと思う。それ以前のライヴ(2001年8月3〜5日、
2002年8月25日)はいい勝負。いや、なんかロイドのほうが嬉しい人間味に
あふれていて、ぼくはこっちを取るかもしれない。それぐらい、ロイドの実
演は素晴らしい。

マデリン・ペルー

2005年5月10日
 通受けしている、ノスタルジック味をうまく活用する73年生まれ米国人女
性ジャジー・シンガー。南青山・カイ。ピアノ・トリオを率いていたのかな
? ステージ高がない会場ゆえ例によって、ほとんど実演の様は見えず。で
も、零れてくる音を聞いてあんまり見えなくてもいっかと思ったのも確か。
ま、後ろのほうでお酒は美味しく飲めました。写真だとそれなに見てくれ悪
くないようにも見えるが、ゲンブツはどーだったんでしょ? 前で見た人に
よると、ギターを持つときもあって、けっこううまかったそう。
 ちょっと東洋が入ったような顔は、少しスモーキー・ロビンソン似(恰好
もノー・ネクタイながらスーツの上下を来ていて、彼とか、古い世代の人を
想起させる)。キング牧師をちょいセコくしたとも言える? カニエ・ウェ
スト派に属する、今大きな注目を浴びるピアノ弾き語り野郎(旧名、ジョン
・スティーヴンス)。渋谷・デュオ。

 ヒップホップ世代の、変わらなくていいソウル表現を繰り広げる。なるほ
ど、才がある人であり、応援したくなる人。バンド(なぜか、ベースの音量
だけがとても大きい)を率いてのパフォーマンスで、サポートのキーボード
奏者にまかせて、当人はマイクを持って歌ったりも。そんなに歌が魅力的と
は思えないが、実演だとマーヴィン・ゲイが好きなこともよく伝わる。あと
、ボブ・マーリーが好きなことも。彼、最後に「ノー・ウーマン・ノー・クラ
イ」の一節を歌いこんだりも。

 あーあ、ヴァン・ハントもやってこないかなあ。
 ルーマニアの大所帯バンド。というと、タラフ・ハイドゥークス(2000年
5月21日、2001年9月2日、2004年10月19日)やファンファーレ・チョカリ
ーア(2004年8月28日)ら同国のジプシー・ブラス・バンドを思い出すが、
彼らはタラフと同じマネイジャーが仕切り、ここでのメンバーでもあるとい
う。六本木ヒルズ・アリーナ。

 ホーン隊、ヴァイオリン、いろんな打楽器隊、ダンサーなど、最高でいっ
たいステージ上には何人いたのだろう。照明も綺麗な野外会場にそれは非常
に映え、本当に嬉しい祭祀的空間が生まれていたのではないか。なるほどと
思わせられたのは、古い世代と新しい世代の混成バンドであるという触れ込
みであったが、メンバーにちゃんとベース(ほんとんど、エレクトリック・
ベース)とドラマーがいること。それは上出の二つの先輩には見当たらない
部分で、それだけでも彼らがもう少し西側のポップ環境に近い集団であるこ
とが了解できる。しかも、そのリズム隊が腕が立つ。でもって、嬉しいメリ
ハリやグルーヴを加味する。

 てなわけで、彼らは先の二つグループと繋がっていても、聞き味はモダン
で相当に視野が広い。それは次々と趣向の違う曲が送りだされる(それにな
らい、曲ごとにステージでパフォーマンスする人間は自在に変えられる)ス
テージの進め方を見ても一目瞭然。とにかく、それらはいろんな要素が見て
とれる(ジャンベ似の打楽器2本が活躍する時もあったが、そんなのも彼らの根っ
こには本来ないものだろう)ものであり、それらを適正なバランス感覚のも
と処理していると思わされるのだ。であるのに、こじんまりとした感じはせ
ず、非常に奔放で下世話な感じも与えるのだから素晴らしい。

 総じては、非常に混合している、実のある民族フュージョンという感じ。
4人いた女性ダンサーの一人であり、2、3曲リード・ヴォーカルもとった
ローナ・ハートナー(トニー・ガトリフ監督の『ガッチョ・ディーロ』に主
演もしている)はDJを伴ったアルバムを出したばかりだが、この日の彼ら
の実演を見ると、そういう発展した行き方も当然アリだろうと思わされた。

 そして、渋谷・デュオに移動。そのマハラ・ライ・バンダと一緒にレコー
ディングするという、女性シンガー二人と楽曲/サウンド担当男性からなる
日本の3人組を見る。バッファアウト誌が仕切るイヴェントで、トリとして
数曲パフォーマンス。短いながら、ちゃんとバンド付きの実演。プリセット
音にうまく生音を重ねたところに、二人のシンガーが声を重ねる。アルバム
で聞くよりぜんぜん魅力的に聞こえる。もっと明るく聞こえるし、弾む感じ
も受けたし、曲自体もよりキャッチーに聞こえた。エスニック要素を巧みに
取り入れる方向性を持つポップ・ユニットだが、いい意味でもっと一般受け
する要素も持っているナと思わせられました。

 その後、三軒茶屋・DUNEの<bring the noise >というパーティでD
J。昼間に選曲考えていたらなんとなく全部ライヴ盤にしちゃえとなり、ラ
イヴ盤だけをかける。
 まず、渋谷・クラブクアトロ。ツアーの東京公演はクアトロ7日間連続で
、この日はその3日目。満員、お酒買いにくく、空気の濁り具合に閉口。

 若いのによくその回路(まっとうなジャズ・コンボ編成で、もう一つの別
の局面にある親しみやすさをなぞりながら突っ走る)を思いついたなと思わ
ずにいられない創意工夫とともに、逞しく。昔と比べると、フロントの二管
はソロを取るようになったな。演目もだいぶ違うものになってきているナと
も。中盤で、1曲マイケル・ジャクソンの「ビート・イット」のカヴァーを
やる。MCによれば、ツアーちゅう日替わりでカヴァーを1曲をやることに
しているそうで、ツアーが終了すると全部で45曲のカヴァーの数になるそう
な。

 そして、渋谷・Oイーストに向かい、東京ドイツ文化センターが主催のド
イツのエレクトロ系アーティストが出るフェス(明日もやる)へ。行くと、
かつてジャーマン・ニュー・ウェイヴ・バンドとして名をはせたデア・プラ
ンの最後のほう。仮面を付けた3人がステージに。なんでも、バカバカしく
、最高であったという。もうちょっと、ちゃんと見たかった……。

 この日は5アーティストが出るようで、Oイーストの上にあるOクレスト
という会場もサブ・ステージとして使用。ぼくが行ったときはすでにこちら
の出し物は終えていたようだが、へえこんな場もあったのか(バーもちゃん
と併設されていた)。会場にはルフトハンザのブースも設置されていて、そ
こで小さな飛行機のチョロQをもらう。来年、ワールド・カップを見に行き
たいけど……。少なくても、海外で見るワールド・カップ国としては、ドイ
ツはもっとも過ごしやすい国となるはず。それは、昨年に行ったとき感じま
した。

 そして、O・イーストの方の最後の出演者は、DJアトム・ハート率いる
セニョール・ココナッツ・アンド・ヒズ・オーケストラ。ヴォーカル、サッ
クス、トランペット、二人のマリンバ、パーカシッョンに、ラップトップと
いう布陣によるもの。理に合わない変な編成で期待させたが、気の抜けたよ
うなラテン表現を温〜く送りだす。なんだこりゃ? そりゃ、マジなラテン
なんか最初から期待はしない。だが、それは情けなく常識的にキューバン・
ラテンをなぞるだけのもので、正しい洒落っ気も批評も皆無。もちろん、D
Jミュージック経由のエッジも。それで、シャーデーの曲を歌わてもなあ。

 あまりの聞き味の悪さに早々に退出。ちょっと、あれはぼくの耳には辛か
った。某女史がクラフトワークの曲もやったりして見物ですよと前宣伝して
くれたが、とてもぼくはそれをやるまで持てませんでした。まあ、グループ
名からの単純な連想に過ぎないが、キッド・クリオール&ココナッツ(ドク
ター・バザーズ・オリジナル・バンド)は偉大だったナなんてことも思った。

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