まるまる一週間ぶりのコンサート行き。いろんな意味で多忙。先週は見た
いなと思っていた公演をいくつかパス。いかんいかん(と、書きつつ、マそ
んなこともあるサと思っているワタシ)。

 渡辺貞夫(33年生まれ。2004年12月17日、他)とチャーリー・マリ
アーノ(23年生まれ)、かつていろいろと関わりを持った日米アルト奏者の
再邂逅ライヴ。うーむ、マリアーノは80歳をゆうに越えているか。彼は秋吉
敏子の最初の旦那で、マンディ満ちるのお父さんでもある。昼間に双頭リー
ダー名義の67年録音のアルバムを聞いた(MCによれば、その頃2度ほど来
日中は渡辺の家に泊まって一緒にツアーをやったらしい)のだが、両者向こ
う見ずにブロウしまくり、もう血気盛んな内容でびっくり。これ、今出たら
かなりフリー(・ジャズ)な内容と書かれるはず。当然のことながら、その
40年弱後のやりとりはそんなふうにはいかないが、いいミューシャンシップ
で結ばれているのはよく判る。マリアーノの癖ある吹き方と対比的に、渡辺
貞夫は多少丹精な感じはあるがとにかく吹けていると思った。近年では一番
ではないか。

 渋谷・文化村オーチャードホール。1時間ぐらいのセットを二つ。感心さ
せられたのは、曲作りの才も持つ両者だけに安易にスタンダード曲に流れず
に二人のオリジナル曲でちゃんと勝負したこと。それなりに、気持ちと気合
も二人にはあったのだと思う。バックはピアノ・トリオ、ピアノとドラムは
やはり渡辺貞夫がボストン時代にいろいろと係わった人であるのだとか。ぼ
くは知らなかったが、ピアニストのボブ・デーゲンはけっこう有名な人であ
るそう。

 その後、渋谷・クアトロでやっているakiko(2001年12月15日
、他)のライヴに顔を出す。会場入りしたら、ちょうど彼女の新作をプロデ
ュースした小西康陽がステージに出てきてデュエット。会場はかなり混んで
いて、あっというぐらいこれまでと客層が違う。へえ、“私の考えるジャイ
ヴなるもの=洒脱でレトロでエキゾ、そして華やか”を作ろうとした新作っ
てそんなに話題になっているのお? 何より、本人が鬼のように楽しそう(
というか、あまりに違いすぎ。まあ、普段からぼやいてたいたが、本当にジ
ャズ・フォーマットでやるのがイヤだったのだな)。レコードはちゃらい感
じもあり賛同できない部分もあるが、ライヴは素直に楽しいっ、と思えた。
もともとジャズの技量やフィーリングはちゃんと会得している人であるし、
何にでも対応は利くという感じは大アリ。でもって、新たな居場所をちゃん
と得ることが出来て良かったなあ、と思うことしきり。こういう行き方なら
、かつてやっていたとう手品を余興で見せても合うナとも思った。
 NYフリー・ミュージック/アンダーグラウンド・ミュージック・シーン
の重鎮ギタリスト。彼、90年代後半にロウワー・イーストサイドのトニック
が出来たとき、キュレイターをやっていたこともあった。DJと同様に、こ
の手の人達はフットワークが軽いし、草の根的ネットワークがあるので何度
も来日しているはずだが、ものすご〜く久しぶりに見る。スキンヘッドの彼
、あんまり外見は変わりがないなあ。50代半ばぐらいにはなるのかな。新宿
ピットイン。                       

 1部はまず、ソロ(変則8弦ギターにエフェクター+ラップトップ)で30
分。激しくはない。流麗ながら、何かを噛みしめる感じもある。そして、共
演デュオ・レコードも出している臼井康浩(ギター)とのふたりで、また30
分近く。激しくはない。

 2部はシャープに、藤井郷子(ピアノ)、田村夏樹(トランペット)、加
藤崇之(ギター。2005年11月28日)が加わる。日本人3人は田村夏樹カル
テット(2003年4月7日)をはじめ、重なることは少なくないですね。当然、
ぶっつけ本番で事はすすめられたそうで、明快なメロディ楽器が二つ入って
いるからこその異化作用もあり、こっちのほうがこの日のぼくには興味深く
聞けた。単音一本で勝負の田村の飄々としたずぶとさはラヴリーね。

 ケルト系アーティストが出る例年恒例の出し物、錦糸町・すみだトリフォ
ニー。2部構成にて。1部は、ルナサのオリジナル・メンバーだったという
マンチェスター生まれのフルート奏者、マイケル・マックゴールドリック。
サポート奏者を従えてのもので、それなりに清新。そして、入れ代わりで、
ハウゴー&ホイロップ。デンマーク人のフィドル奏者とギタリストのデュオ
。ぼくにとってはちとおとなしすぎ、上品すぎ。

 2部はソーラス。アイリッシュ系アメリカ人のグループで、女性二人を含
む5人組。和気あいあいと自分たちのルーツにあるものを開いていく。ぼく
には、少し地味すぎる印象も。そこに部分的に、スリムな体系をしている女
性アイリッシュ・ダンサーのジーン・バトラーが加わる。やっぱり男女対じ
ゃなく、一人で踊るのは地味だなあ。やりずらそうな感じも受けた。そして
、最後は全員で。
 小池博史の作・演出・構成による舞台。場所は、三軒茶屋・世田谷パプリ
ックシアター。これ、区営なの? とっても、立派なホール。タイトルに
あるように、コロムビア生まれの大作家ガルシア・マルケスの『100年の孤
独』を下敷きにするもの。そりゃマルケスの名前は知っていても読書嫌いの
ぼくは彼の本を読んだことがないし、演劇関係にもほとんど興味を持ったこ
とがない。

 そんなワタシがわざわざ見にいったのは、舎弟の下町兄弟(BANANA
ICE。工藤ちゃん。今回の共演者のなかでは、玄さんと呼ばれているらし
い)がラッパーとして出演するから。けっこう乱暴な経緯で出ることになっ
ちゃったらしいし、ちっちゃなのに出るのかと思っていたら、これがとって
も大がかりな、エスタブリッシュされたノリを持つもので(ものものしい助
成や協力がついてて、わざわざブラジルや香港からも役者を呼んでいる)、
わわわという感じではありますね。

映像、各種ステージ美術などもいろいろ多角的に駆使してのパフォーマン
ス。踊りやいろんな動きを多用し、ときに歌も用いる。非常に複合的であり
、多方面から接する者にいろいろ語りかけたり触発したりする、プロの出し
物。2部構成(それぞれ、1時間ちょいのものが二つ)で、1部は日本人、
2部は外国人が音楽を担当。それも、納得できるものでした。

 で、そんななか、工藤ちゃんはちょい役ではなく、かなり重要な出演者と
して出ててびっくり。日本人出演者のなかで一番セリフが多いし、彼が出る
ことで話が展開されるという部分もあし、狂言回し的なラッパー役以外も、
村人役や郵便屋さん役で出てきたり。もう、大活躍。おそらく、彼の能力の
高さに作り手側が感服し、どんどん出番が増えていったと想像するが、役者
デビューした工藤ちゃん、まじ素晴らしすぎる。しかし、普通の演劇ファン
のお客さんは、台詞まわしにやたら力のある面白い役者がいるもんだと興味
をそそられたのではないか。終演後、飲み屋に工藤を呼び出し、友人みんな
でもって役者に転向しろと乱暴なことを言う。

 新たなフィールドを得た工藤ちゃんに乾杯。刺激を受けたし、本当にうれ
しかった。

マドンナ

2005年12月7日
 へえ、マドンナってもう10年以上も日本に来ていないのか。新作プロモー
ションのための記者会見をやりに来日したついでに、関係者や招待に当たっ
た人達を前に女王は30分ジャストのショウをやった。場所は新木場のスタジ
オコースト、夜の11時すぎにに始まる。

 2キーボード、ギター、ドラムのバンド(プリセット音との併用にて)と
、7~8人のダンサーを付けてのもの。なんでも、ご一行は40人強であった
らしい。口パクかもなあと事前に思っていたら、きっちり歌う。きっちり喋
る。それだけで嬉しくなるというか、なんか人の気を掴むものを持っている
。説得力と華がある。ああ、売れていい人だとも思わせられたな。格好は紺
色のレオタードにジーンズ。客の反応も良好。みんな満足できたんじゃない
か。ニコニコ。ダンス様式〜文化の一般性の高い、ひとつの確かな集積〜総
括のようなものがあったかも……。

ザ・コーラル

2005年12月6日
 品川・ステラボール。こちらも会場に向かう(プリンスホテル)敷地内小
路に、青色発光ダイオードによるディスプレイがなされている。昨年、六本
木ヒルズの青色ランプ装飾が大きな話題を呼んだんだよね、と言う人がいた
けどそうなの?

 順調に伸びている、英国リヴァプールのバンド。ステージには7人もいる
(歌、ギター2、キーボード、ベース、ドラム、打楽器)。軽妙な臭みを持
つバンド。グループサウンズ的というか、ちょい古臭くもある曲調/演奏は
それはそれで大きな個性だろう。期待したほどの何かを感じとることはでき
なかったが、適切な実演能力もあり。アンコールを含め、19曲を1時間ちょ
い。



ピクシーズ

2005年12月5日
 90年前後に傍系ロック・シーンでさん然と輝いていた、ボストン発4人組
の再結成ライヴ。昨年のフジロックかなんかでもやってきているはずだが、
ちゃんと見てなかった。で、これは驚いた。とっても、感服した。もう、い
い曲/いいバンド表現様式を現在の姿を通し、プレイヤー間で信頼しあいな
がら、がっつりと押し出す。それが、こんなにも嬉しく感じられることとは
! シャープさを保ち、覇気もあるし、含みもあるし、一方ではどこか切な
くもあった。紅一点ベーシストのキム・ディールはザ・ブリーダーズの再結
成公演もやっている(2003年3月7日)が、これに触れると、あれは少
し半端なものだっと思わずにはいられませんね。朽ちることのない、“メ
インストリームでないロックの、メイストリーム表現”の真骨頂。うーむ、
おいしい説得力、滋味がありすぎ。

 男性陣はみんな半分剥げてて、スキンヘッド。もうちょっと、いい格好し
ても……。でも、中年ロック・バンドの星、なんて形容も頭に浮かぶ。彼ら
のちょっとした風情も良かったナ。とともに、再結成バンドをぼくたちは軽
く見る方向にあるが、それもモノ次第だと痛感。ちゃんと必然性のある人達
が集まって必然性のある音を出していたなら、そしてその担い手が高潔な人
間性を持ち今の自分の姿をちゃんと肯定しているなら、それも大アリなんだ
と思った。

 会場は青海・ゼップ東京。フルハウス、みんないい感じで発汗できたんで
はないか。東京は明日もここだし、スタジオ・コーストでの追加公演も出た
ようだし、なかなかの観客動員。でも、この質の高い実演ならそれも当然と
思う。

 車で行き来する。テレビ朝日前とかプリンスホテル・パークタワーをはじ
め横を通った何箇所かの施設の木々にたくさんライト(発光ダイオードだろ
う)がシーズンがら飾り付けられている。で、それらの色はことごとく寒々
しい青、それに違和感を覚える。いろんな色が開発されているはずだが、青
が一番安いのだろうか。
 グラスゴーを根城に欧州一円で活躍するアルト・サックス奏者(ロル・コ
クスヒル:2002年6月27日、なんかとも懇意にしている)が、日本人ジャ
ズ・マンを使って自らの表現を展開しますという出し物。田村夏樹/藤井
郷子夫妻がコーディネイトしたようだ。新宿・ピットイン。

 当日2時間のリハをするだけでパフォーマンスに臨んだようだが、構成さ
れた部分もうまく織り込んでの、とても的をいたフリー・ジャズ・オーケス
トラ表現を聞かせる。いろんな、風があった。マクドナルドは随所で合図を
出し、ときに皆の前に立ち指揮をする。やっていたのは、すべて彼の曲なん
だろう。彼に加え、松本健一/木村昌哉(テナー)、田村/辰巳光秀(トラ
ンペット)、中尾勘二(アルト、クラリネット)、八木美知依(筝)、加藤
崇之/臼井康浩(ギター)、藤井郷子(ピアノ)、伊藤啓太(ベース)、豊
住芳三郎(ドラム)という顔ぶれ。てな変則編成もどういうやりとりで決ま
ったのか考えると楽しくなるとともに、実現までの生理的な手間の掛かり具
合は相当なものだろうとも察し、重さも感じる。でも、表現に対する澄んだ
気持ちは国籍をはじめ、様々な壁を超える。話はズレるが、ドラマーの豊住
芳三郎はぼくのなかでは伝説が少し入っている人。もっと顔がしわくちゃに
なってだらしなくなるとアインシュタインに似てくるだろうナ、なんて彼を
見ながら思った。

 聞く層は限定されるだろうが、大人の涼しい顔した悪魔表現としてあって
しかるべきのもの。ずんぐりむっくりの禿あたま気味のマクドナルドはつた
ないMCとか聞いても、本当に人の良さそうな人。だが、そんな彼が一度音
楽に立ち向かうと、こんなことをやってしまうという事実。いやあ、人間っ
て面白い。音楽って素晴らしい。こんな人が育ったところに、中村俊輔は住
んでいるのだナ。

 キャブ・キャロウェイ・ブルックスという、御大のお孫さんとか。白基調
のきらびやかなズート・スーツに身を包んでエンターテインする。バブリー
なころ(80年代後期)、キャロウェイ自身も来日したことがあった(有明の
MZAだった)が、確か途中で具合が悪くなり退場、娘が涙ながらにごめんな
さいとステージで謝ったことがあったっけ。

 なるほど、顔は似ている。で、おじいさんの黒人芸能表現の精華的な行き
方をやんわりと踏襲し(そこにデューク・エリントンのレパートリーなども
加味)、軽妙に歌とステージ運びを見せる。やはり、「ミニー・ザ・ムーチ
ャ」での客とのやりとりは楽しいナ。彼は1曲、ギターも弾きながら歌った
。彼に寄り添うビッグ・バンドの面々は黒基調の格好で、みんな種類は異な
るもののみんな帽子を被っている。そういう他愛のない掟が楽しい。5サッ
クス〜2トロンボーン〜3トランペットにピアノとウッド・ベースとドラム
という編成の彼ら、知っている名前の人はいなかったけど、ちゃんとした音
を出していました。やっぱり、手頃な大きさの会場でのビッグ・バンドの音
は迫力あるな。また、途中でステージに華を添えるように、ポーラ・ウェス
トというシスコ・ベースでリーダー作も複数出している黒人女性シンガーが
出てきて歌いもする。1曲ぽっきりで同行させるとは太っ腹な。

 場所は、三菱地所が建てた丸の内・TOKIAビル(道路をはさんで、東
京国際フォーラムがある)に今週オープンしたコットンクラブ。新しいハ
コに行くのはウキウキっ。なかなか重厚にして、リッチな作り。座席配置な
ども適切で、かなり見やすい。もちろんその名前は20年代にNYハーレムで
名をはせた豪華ナイト・クラブ名から来ている。キャロウェイやエリントン
ら黒人エンターテイナーがいろいろと出演した同所にならい、今後は大御所
R&B系アクトが中心に出演者は組まれていくよう。場所柄、平日は小綺麗
なOLとかも多いのかなあと妄想。
 新しい車がちょうどこの日に来て、ニコニコで幕張メッセと新木場のアゲ
ハ(スタジオ・コースト)での深夜イヴェントをはしご、結局100 キロ近く
乗る。ピカピカなのはいいが、カーナビが全然つかいこなせないなどとまど
いもあり。なんてったって、バック・ギアの方向/入れ方が過去の車と全然
違う。変。フランス車には初めて乗るのだが、ぽくはあるか。クラッチ・ミ
ートのタイミングが前車とはだいぶ違い(エンジンの吹き上がりが異なるこ
とも大きいはず)、3度ほどエンスト。へへ。こんご、当分の間は新車を偏
愛するようになり、お酒を飲む日を減らせるといいが……。

 最初にメッセのエレクトラグライド(2000年11月24日、2002年12
月13日)、11時ぐらいに会場についたのだが、やっぱり仲間と来たら楽しそ
うだよなあ。広いほうのステージは盛り上がっている客が光で照らされると
本当に壮観。大衆の一員(って、妙な言い方だが)になる悦楽を存分に感じ
ることができますね。
 
 今回はUKブレイクビーツの雄/ニンジャ・チューンの元締め、コールド
カットの一本釣り。狭いほうの(といっても、かなり広いが)ステージにて
、11時45分から1時間強の実演をする。確か4人のDJ/オペレーターがず
らりとならび、映像と連動した音をくみ上げていく。うわあ。音と連動する
VJソフトを開発していると言われる彼らだが、本当に音と連動した映像の
使い方には感激しまくり。本当に、DJミュージック実演の今があると思わ
される。彼らには後日、取材することになっているが、見ながら聞きたいこ
とが山のように出てきちゃった。早回しした「マツケン・サンバ」も大々的
にドラム演奏映像とかみあわせていたり、キタノ映画のシーンなんかもうま
く用いる。とにかく、楽しく、刺激的。

 MC、黒人女性シンガー、DJ KENTARO(彼は完全ソロでやる)などが
場合によっては加わる。そして最後には、なんとジョン・スペンサー(20
00年7月5日、2004年7月14日、2004年12月13日)が登場。彼らの9年ぶ
りの新作『サウンド・ミラーズ』で1曲フィーチャーしている曲があるんだ
よね。が、共演パフォーマンス自体は中途半端で不完全燃焼、バランス悪
く彼らの実演は終了した。

 その後、同じ高速湾岸線わきにある、アゲハ。臨時駐車場がもうけられて
いて一晩1000円(いちいち名前や連絡先を記入させられ、鍵も預けるという
システムをとっていて、入車するまで時間がかかる)。入場時に、あっと驚
くぐらい厳重に持ち物検査/ボディチェックを受ける。こんなに厳格なのは
海外のそれも含めて初めて(2番目は、ロンドンのディング・ウォールズ。
1999年8月1日参照)。クスリ関係のそれを周到にチェックしているとぼく
には思えたが。

 会場内に入ると、ちょうどエンダビのライヴが始まったところ。エリカ・
バドゥとの付き合いもあるダラス出身の彼女はネオ・ソウル系の隠れた実力
者という受け取られた方をしている好タレント。とはいえ、最初はドン引き
しちゃったナ。だってぶよっとした体をしているのに、ピタっとした黒いT
−シャツとスパッツ(それにブーツ。感じとしては、ベティ・デイヴィスの
乗り)を身につけているんだもの。これは醜いモノを見せられたナという気
にさせられ、困ってしまう。だが、すぐにぐんぐん引き込まれ、こりゃ最高
級のR&Bシンガーであると発汗。バック陣も上質でギター、ベース、キー
ボード、ドラム、そして二人のスマートな男性バック・コーラス(いい感じ
でしたね)がつく。激し目の曲はチャカ・カーンの名前が冠される前のルー
ファス(〜75年ごろまで)を思い出させるところがあり(実際、歌い方も似
ている部分あるかな)。覇気があり、粘りがあり。で、彼女をはじめ、バン
ドの面々も日本に来られて本当に嬉しい、という態度をまっすぐに出すのだ
から、余計に気分が良くなる。
 
 いやあ、見れて良かったというパフォーマンスの二乗。両会場とも入りは
かなりのものでした。

レオン・ラッセル

2005年11月24日
 小僧のころ、ライヴ盤が好きでした。買うレコードの5枚に1枚はライヴ
盤だったような。やっぱり、地方の子でライヴ・コンサートになかなか接す
ることができないという渇望感があったし、歓声とか聞こえて“素”の姿を
教えてくれるようなところがうれしかったし(その延長に、ライヴ好きの今
があるのか……)、当時ライヴ盤は2枚組とか多くて、外盤だと1枚分ちょ
いの値段でそれが買えるのもいいナと思えた。

 そんななか、ラッセルの『レオン・ライヴ』(シェルター、73年)は所有
してかなり満足感を与えられた一作だった(バーゲンでかなり安価に購入で
きたという記憶がある)。なにより3枚組というパッケージや物理的なヴォ
リュームが満腹にしてくれたし、その風体(<20世紀、最後の大物>てな日
本のレコード会社が作ったキャッチが昔はありましたね)や通常のロック的
編成とは一線を画す編成や人種構成などワケの分からぬ部分が好奇心をくす
ぐったのだ。

 と、そんな甘酸っぱい思いを喚起したりもする、70年代に独自の位置でぶ
りぶり言わしていたソングライター/シンガー/ピアニストのことは10年以
上前に九段会館あたりで見た記憶がある。詳細はよく覚えていないが、おそ
らく単独キーボード弾き語りでのもの。とはいいつつ、それは随所でエレク
トロニクス効果をかましたものであり、なんかうざいとも思わせるものでも
あったという記憶がしっかりとある。今回は渋谷・オーチャードホール。

 ラッセルが全盛期に拠点としていたオクラホマ州タルサ出身の名ドラマー
(ex. エリック・クラプトン) 、ジェミー・オールデイカーのタルサ愛爆発
のどすこいロック・アルバム『マッドドックス・アンド・オーキーズ』(コ
ンコード、05年)に関連者のなかラッセルだけが唯一参加していなくてどー
してんのかなーと思っていたんだが、ちゃんとやってたんですね。

 杖をついて出てきた(それは、前回もそうであったような記憶もあるな)
ラッセルは白い長髪と白い立派なヒゲ。怪しい、じじい。なにも知らない人
が飛行機で隣同士となったなら、かなりビビるだろう。ギター、ベース、ド
ラム、パーカッション、女性バッキング・ヴォーカルを従えてのもの。ラッ
セルはキーボードを弾きながら歌う。音はモワっとしていてそれが感興をそ
ぐ。クラシック系ホールでのロック音響は難物なのだろうか。

 実演は前出ライヴ盤で提出していたノリを、ちょっと薄めたような形で提
出。けっこうMCもはさまず、ずずずいと曲を進行させる。随所でゴスペル
様式のうま味をあからさまに用いているも大昔のライヴの進め方とまるっき
り同様。秀でたソング・ライターでもある彼ではあるのに一方ではそういう
行き方をするところに、ロックという表現の底にある真理を思い知らされた
りも。また、彼はストーンズやテンプス曲やスタンダードを随所に鷹揚に挟
んだりもする。それも、全盛期からそうでしたね。

 終盤、ほんの一部でキーボードの弾き語り。2曲のうち、一曲は多くの人
が知るだろう名曲「ア・ソング・フォー・ユー」(学生のとき、女の子にプ
レゼントした選曲カセットに入れたことありました)。するとエレピ系の音
とともに、シンセ・ストリングス系和音が一緒に重なって出てる。あ、前回
公演はこれを延々とやったのだ。純粋なピアノの弾き語りのほうが、ぼくは
もっともっと感動できると思うけどなあ。でも、そういう素っ頓狂なところ
も、ラッセルたる所以でもあるかも……。

エル・プレジデンテ

2005年11月21日
 ちょっと紛い物的な風情も持っているスコットランドのグラスゴー拠点の
新進5人組、恵比寿・リキッドルームでのショーケース・ライヴ。男女混合
編成(女性はキーボードとドラム。キーボード奏者のバック・コーラスはと
ても良い)、写真を見ると人種も少し散っている感じがあって、絶対に悪い
感じはしない。スペイン語をバンド名にしているのも憎めないし。

 そのリード・トラック「100 MPH」はもろにT・レックス。他の曲はそ
れほどT・レックスぽくはないが、グリッターなポップ・ロックをけれん味
なく披露する連中であり、今UKからいろいろ出ているあっけらかんとした
温故知新系バンドの一つと言える。そんな彼らの実演を見て、曲も粒揃いだ
し、演奏もちゃんとしているし、数あるその手の一群において相当上位に位
置させるべきバンドであるとぼくは感じた。少なくても、ぼくはフランツ・
フェルディナンドよりか数段いいと思うナ。ラベルの「レディ・マーマーレ
ード」のリフを曲に折り込んでみたり、ファンカデリック的なリズムと歌の
掛け合いパターンを取り入れた曲があったりと、ソウル/ファンク趣味を巧
みに折り込む局面があるのも彼らのポイントか。途中で、プリンス&ザ・レ
ヴォルーションのドリーミィな「ラズベリー・ベレー」(85年『アラウンド
・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』に収録)もきっちり披露。うきっ。なる
ほど、スライ&ザ・ファミリー・ストーン的な部分は皆無ながら、この男女
混合バンドのスタート地点はここらあたりにあったりもするのかな。ふふふ
。こういう若者が育つ地に、いま中村俊輔は居住しているのかあ……。ゲン
ブツの女性陣は写真よりも良く見えた。ただ、フロントに立つヴォーカル君
が風体を含めて一番しょぼい。危惧するとすればそこかな。        
 日本武道館。ディスコ度数の高まりと比例するようにちゃらい中年くささ
が増しているジェイ・ケイだが、意外なぐらいまっとうさが出ていた実演だ
ったな。その一因となっていたのが、力一杯たたいていたドラムの存在。と
きに過剰なそれは、本当にグイのりや、血が流れている感じを出していたも
の。そして、それを受けて、彼もしなやかにホワイト・ソウル・マンとして
の現在を表出していた。これは、確かに美味。ウキウキしながら見ちゃった
し、初期の颯爽とした感覚を思いださせるところもありました。

 終わったあと、南青山・月見ル君想ウに向かう。見やすいし、けっこうい
い感じのハコ。そこで、芳垣安洋(2005年9月17日、他。本当に彼が叩く出
しモノをぼくは見ているよなあ……)による、3人のピアニストをそれぞれ
にフィーチャーしてのピアノ・トリオ企画をやっている。ウッド・ベースは
鈴木正人(2004年11月30日、2005年6月9日、2005年10月31日、他)
が担当。残念ながら清水一登と南博(2001年10月29日、2005年6月9日、
2005年9月11日)の各セットは終わっていたが、板橋文夫(2004年8月
20日、2004年10月10日)のそれが始まる前に着くことができた。やっぱ
彼、弾けてたなあ。アウトすることと歌心を掘り下げることを両立させ
つつ、思うままかっとぶ。板橋はいろんな編成を披露する人だが、ホーン奏
者と渡りあうときより小さな編成のほうがそのギザギザやデコボコはストレ
ートに伝わってくる感じもあって、よりロック側の聞き手にも親しみやすい
んじゃないか。で、これこそは今ロックの聞き手に聞かせたいナンバー1の
ピアノ・トリオという実感を得る。
 モダン・ジャズ史上もっともテナー・サックスを堂々と吹ける男がロリンズ
だ。現在75才になる。そんな彼の今回の来日公演のお題目は、最後の日本ツア
ーになるということ。今回ドラマーとして同行し、10年ぶりの来日を果たした
スティーヴ・ジョーダンも目茶忙しいけどロリンズの最後の日本ツアーと聞い
たら参加しなきゃと思ったと言っていたので、宣伝文句ではなく、送り手側に
もそういう認識があるのは間違いない。有楽町・東京フォーラムホールC。こ
の日は追加公演となる、日本公演最終の日。正規公演のフォーラムA公演は休
憩を挟んで2部構成で行われたというが、この晩は一気に2時間パフォーマン
スを続けた。

 トロンボーン(甥のクリフトン・アンダーソン)、電気ベース(ボブ・クラ
ンショウ:1999年7月15日参照)、ギター(ボビー・ブルーム)、ドラム
(ジョーダン)、パーカッション(キマチ・ディニズル)という、彼にとって
は不思議ではないがジャズの王道から見ればかなり変則と言える構成のバンド
を従え、御大は悠々と吹き上げる。「セント・トーマス」他カリプソ・ビート
の曲を3曲、ブルースのコード進行曲を2曲、「イン・ア・センチメンタル・
ムード」他スタンダード系も3曲、など。オープナーの「ソニー・プリー
ズ」という曲はアグレッシヴなビートの曲だった。アンコールを含め全10曲、
彼らはやった。

 けっこう、アウトする感覚のブロウを随所に散りばめていたのにはびっくり
。そして、感心。まだまだ吹けるし、彼はいまだリアルなジャズ・マンだと思
わせるところ、大いにあったもんなあ。『サキソフォン・コロッサス』とかヴ
ィレッジ・ヴァンガードのライヴ盤の再現なぞを求める向きの人以外は、まだ
まだやれるぢゃんという思いを多大に抱いたはず。でも、80年代中期にNYの
美術館の公演中に卒倒したこともあった彼だし、こんご飛行機に長時間乗れと
いうのは酷な注文かもしれない。ともあれ、その格好や仕種さともども格好い
い、なんか味があると思わせるところは多々。やはり、不世出のジャズ巨人で
あるのは間違いない。

 先に触れたスティーヴ・ジョーダンは80年代からぼくのアイドルの一人で(
24丁目バンドにはまったことはなかったが、スティーヴ・カーン・アイウィッ
トネスは大好きだった)、この朝(9時台。もう、早起きなんだから)にイン
タヴュー。80年代中ごろにジャズ/フュージョン系からロックのほうに大幅に
シフトし、キース・リチャーズ、ソウル・アサイラム、ファビュラス・サン
ダーバーズ、JSBX(ジョーダンは、ジョン・スペンサーと同じ弁護士を雇
っているらしい)他のアルバム・プロデュースをはじめ、いろんなTV/映画
/DVD映像のミュージカル・ディレクターをいろいろとこなしている(珍し
いところでは、民主党大会のイヴェントなども)、まさしく米国音楽業界セレ
ブの一人。スティーウィ・ワンダーが国家を歌い、ストーンズがハーフ・タイ
ム・ショウに出る予定になっている来年のスーパーボウルの音楽監督も彼がす
ることになっている。ウィリー・ウィークスを引っ張りだし、リズム・セクシ
ョンを組んでここのところよくレコーディング・セッションに参加している彼
だが、来年はそのコンビでエリック・クラプトンをバックアップするという。

                                  

テイク6

2005年11月10日
 この最強のアカペラ・コーラス・グループを見るのは本当に久しぶり。かつ
て見たのは渋谷公会堂かどこかで、10年以上前だったように思うが。厳格なク
リスチャン/ヴェジタリアンの彼らに来日時に肉を食わせて堕落させたのは僕
です、なんて言っていた日本のA&R担当者がいたっけなあ。

 手慣れてて、安定したパフォーマンス。で、流石ともしっかり思わせる。ヒ
ップホップからジャズまでいろんな要素の混成手腕もソツがない。全編アカペ
ラに戻った新作『フィールズ・ソー・グッド』からの曲を沢山やっていた。マ
イルス・デイヴィスの「オール・ブルース」のカヴァーはそれぞれがマイルス
のソロを模して歌っていて、本人たちは「フォー・マイルス」と題しているよ
うだ。旧曲によっては、メンバーが弾くピアノや生ギターをバックにして歌っ
たりも。本編はきっかり1時間、そしてアンコール1曲。南青山・ブルーノー
ト。ファースト。
 日本人出演者たちがいろいろ出る、慈善イヴェント。渋谷・Oイースト。会
場入りすると、打楽器奏者と女性ダンサーのデュオ。続いて、けっこう腕が立
つ管楽器3本とドラム(岡地曙裕)からなるニューオリンズ・エレクトロとい
うユニット。なるほど、ブラスは電気エフェクトをかまし、そこにタイトなビ
ートが重なる。ふううむ。出し物はサブ・ステージに移って、元ウシャコダの
藤井康一(老けないなあ)率いる3人組のリトル・ジャイヴ・ボーイズ。ルー
ツを抑え、軽妙に。そして、再びメインのステージに戻って、元ヒューマン・
ソウルの二人が組んでいるジェイ&シルキーがカラオケで歌いはじめる。1
曲目はプリンス〜ザ・タイム色の濃い曲。このあと用事があって、そこまで
しかいることはできなかったが。やっぱり、趣旨上、ニューオリンズのもろも
ろに世話になったと痛感している身としては顔を出したかった。お客が少なく
て、ありゃりゃ。で、募金を奮発。いい音楽をありがとう。ニューオリンズに
は今後ももっともっと、送りだしてほしいのだ!
 渋谷・デュオ。まず、上々颱風が出てくる。見るの、15年ぶりぐらいだと思
うが、やっていることがほぼ同じであることに驚く。アリだと思うし、見たら
見たで高揚はさせられます。

 続いて、フランスのストラスブールに住む盲目のマヌーシュ・アコーディオ
ン奏者、マルセル・ロフラーのクインテットが登場。彼に加え、ロフラーの血
縁者3人にによるギターと、非マヌーシュの縦ベース奏者が構成員。ロフラー
はノート・マヌーシュ(2003年8月30日)のプレイヤーでもあるが、ここ
の二人(ギター一人とベース奏者)もやはりノート・マヌーシュのメンバーだ
。ボタン式のアコーディオンを弾く彼、器用だしうまい。彼を聞くと、いかに
リシャール・ガリアーノが駄目かがよく分かる。ステージでは寡黙な印象を与
える彼だが、取材をしたらとても雄弁。そんな彼はかつてシンセサイザーに引
き込まれ、アコーディオンを捨てたこともあったとか。で、サンタナ他のロッ
クをやったこともあるし、マイケル・ジャクソンとか好きだったこともあった
そう。やっぱし、放蕩は必要ですね。でも、そんな彼も、今の若い同胞たちは
ヒップホップを聞きやがって困ったもんだ、と言う。あなただって昔は同じじ
ゃんというツっこみは入れなかったが。……大丈夫ですよ、あなたたちの文化
は強いし、ジャンゴ・ラインハルトだって当時としては最大限にカっとびまく
った人であったろうし。

 そして、ルーマニアの狼藉集団、タラフ(2000年5月21日、2001年
9月2日、2004年10月19日)のパフォーマンス。おお、今回は人数が少な
いじゃないかと思ったら、二人引退し、一人は喧嘩別れしたという。管楽器奏
者がいなくなった編成となる。視覚的には寂しい部分があり、下世話さも減じ
てはいるが、音楽的にはすっきりとし、よりで芸術的というか、うまく聞こえ
るようになったのは確か。アンコール後はステージからそのまま客席フロアに
下りて演奏、また会場出入口付近でも同様で、例により御布施を集める。使い
たおした中古のアコーディンオンやヴァイオリンも彼らはCDと一緒に販売し
ていた。

ジューサ

2005年11月4日
 スティング、リチャード・ボナ、ミシェル・ンデゲオチェロ、P.J.ハー
ヴェイらを同様のヴィジョンを持つ人の名前にあげる(かつてやった電話イン
タヴューによる)、キューバの開かれた新世代シンガー・ソングライター。南
青山・ブルーノート東京、セカンド。ほう、華奢な人なんだな。ベーシストと
しても知られる彼女だが、今回の来日はすべてギターを弾きながら歌い、キー
ボード、ギタリスト、ベース、ドラム奏者をバックにおいてのもの。その2作
目はミシェル・ンデゲオチェロ色がけっこう感じられるものだったが、ライヴ
ではそういう色は皆無。ジョニ・ミッチェルみたいだなあと思わせる曲は1曲
あったけど。

 淡々と、ブラジル色やラテン色やジャズを通った流動的なポップ表現をきか
せる。が、ぼくにとってはなんか色が薄いかなと感じる部分も。まあ、それも
“身内”のアーティストと感じるからかもしれないが。一番、感銘を受けたの
は、彼女の逆三角形のような形をした珍妙なヘア・スタイルだったかも。

 あと、もう一つ彼女の魅力関知に集中できなかったのは、同行キーボード奏
者のロベルト・カルカセスを後日取材することになっていて、彼のほうを結構
注視しちゃったせいは少しあったかも。2年前に話題になった『クール・クー
ル・フィーリン』他、彼の係わったプロダクツをチェックすると本当に才があ
るなあと思わずにはいられない人。キューバン・ラテンの伝統や妙味を知りつ
つ、ジャズ〜R&B〜ヒップホップというアメリカ音楽の流れも異常なほど俯
瞰し捉え、それらを重ねた先に美味しい“音楽の園”を描くことができる驚異
のタレントで、彼のリーダー・グループであるインタラクティボ(ジューサも
その構成員)の近く仕上がるだろう新譜も凄く良く出来ている。ラテンとジャ
ズとか、ラテンとフュージョンという重ね方をする人はいろいろいるが、彼ほ
どアメリカ音楽の総体をしっかりとモノにしちゃっている人も珍しいのではな
いのか。そんな彼は来年公開されるヴィム・ヴェンダースの映画『ミュージッ
ク・クバーノ』にもフィーチャーされる。彼も当然演奏している、同映画のク
ライマックスのシーンとなるらしい鶯谷の東京キネマ倶楽部(2003年6月
28日参照)でのライヴ映像はうわあって感じ(去年、ご一行が来て、撮ってい
ったという)。インタヴューのときの彼、同じヴィジョンを持つ人として、さ
らりとジャミロクワイの名前を挙げたのには少しびっくりでした。
 10年ぶりの新作『タイム・トゥ・ラヴ』の宣伝活動のために、長いキャリア
のなか初めてプロモーションで来日したスティーヴィー・ワンダーをこの日、恵
比寿のホテルでインタヴュー。前日の記者会見でもサーヴィス満点にラジオ局
やTV番組のジングルを「シェルター・イン・ザ・レイン」や「ドンチュー・
ウォーリー・バウト・ア・シング」他を用いての即興替え歌にて披露してくれ
(やっぱり、見物でした。普段、不毛なので記者会見には出向かないが、翌日
短時間ながらも取材できることになっていたので、様子見にでかけたのだ)、
そのときはキーボード(エヴォルーションというメイカーのもの)を前にして
いたが、この日はハーモニカ(けっこう、大きいんですワ)を手にして受け答
えをする。取材中は吹かないが、終始手はリズムをとったり、ピアノを弾くよ
うな仕種をしたりしながら、彼は質問に答える。「僕はミュージック・ラヴァ
ー」というのがスティーヴィの口癖。この日も、2回ぐらい口にしていたな。
それから、さらりとした下ネタもお好きなご様子。記者会見のとき、娘(アイ
シャ)が横にいるのに、曲の由来の説明で、付き合っていた女性と熱烈なメイ
ク・ラヴをしてどーたらこーたらという言い方をしたが、この日も「夫として
うまくやるには、ちゃんとベッドの時間をを取ること」なんて言っていた。さ
すが、“愛の人”(笑)。

 そして、ザ・ビートルズの話をしたこともあったのか、インタヴューが終わ
ったとたん彼はザ・ビートルズの「ラヴ・ミー・ドゥ」のあのハーモニカのフ
レイズを吹き出した! オリジナルではジョン・レノンが一生懸命吹いたと言
われる印象的なメロディが、スティーヴィの手によりもうひとつふくよかで、
弾んだトーンで吹かれる。うわあああああ。なんか、ジョンとスティーヴィの
像がぼくのなかで立体的に重なった。その後、写真を撮られている(写真を撮
る前に、メイク担当の人から少しファウンデーションを塗られたのだが、その
とき眼鏡を取った顔も見ちゃった)間もスティーヴィはごきげんにフリーフォ
ームでハーモニカを吹く。うひひひひい。まさか、彼のハーモニカ演奏をこん
な間近に、生音で聞けるなんて。夢みたい。彼のハーモニカの音はけっこう大
きめでファットな音色、CDなんかで聞くことができる音はもう少し軽い音質
で収められていると思った。それは、スティーヴィの好みなのだろうか? あ
あ。間違いなく、今年の裏ベスト“ライヴ”。至福じゃ。

 とともに、この日の取材はぼくの今年の“音楽仕事”で一番印象深いものと
なるのも間違いない。というのも、インタヴューの内容をスティーヴィの兄の
ミルトンに褒められちゃったんだもん。終わった途端、横で聞いていた初老の
男性がぼくに歩みよってきて、「一番いいインタヴューだよ。ありがとう」と
握手を求めてきたのだ。誰かと思えば、兄というじゃないか。やったあ、って
感じで達成感ありあり。自慢になちゃってゴメンね、人間できてないもので。
眼鏡をかけて短髪の彼は肌の色も比較的薄目で、スティーヴィとはあまり似て
いない。どことなく、キース・ジャレット(2001年4月30日)に似ている
なあという感想をユニバーサルの宣伝担当の人(ジャレットも日本ではユニバ
ーサル所属)にもらすと、同意された。
 マルコス・スザーノが来日したおり(今回は、CF音楽の録りだったかな。
ちょい話したとき、すげえ酔っぱらっててよく覚えてないや。彼、奥さんと一
緒にいました)、南青山・マンダラで深夜おこなわれているセッション(20
01年12月19日、、2002年7月21日、2005年2月15日、他)。今回
は顔ぶれ違いで四夜にわたって企画され、この日は初日。勝井祐二(ヴァイオ
ン)と鈴木正人(ベース、最後のほうはピアノを弾いたりも)も加わる。例に
よって、2時間ノンストップの流動一大絵巻演奏。ぽっかり、なにかが開いて
いたかな。過去のセッションは電気系装置も用いていた(と思う)スザーノが
パンデイロ一本で通していたのにはビックリ。そういうモードなのだろう、と
もあれ無敵ですね。

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