ちゃんと11時過ぎには会場入りして、ホワイトとグリーンの最初の日本人出
演者(マスター・ロウとユア・ソング・イズ・グッド。後者のR&B応用ぐあ
いにはニコっ)を横目に一番奥まで進む。それらのステージ、すでに結構な入
りを示していて、今年はなるほどチケットが売れているのだなと思う。まず、
オレンジ・コートでスカ・クバーノ。英国のスカ・バンド主催者がキューバに
乗り込み、酒をふるまってラテン奏者たちにスカをやらせたグループとか。で
、これがまさにスカとラテンの美味しい折衷表現になっていてなかなか。ラテ
ンの滋養は本当にすごい(その具合は、ラティーナ誌に書きます)。トランペ
ット奏者はタンタン(2000年8月25日)とMCで紹介されていたような。
また、女性サックス奏者は日本人に見えた。

 そして、ソイル&ピンプ・セッションズ(ホワイト。ジャイルズ・ピーター
ソンに気に入られ、8月下旬に欧州巡業するとか)を少しとケイク(グリーン
。なんか音小さく、さっぱり情けなく。我が道を行っていたな)を途中まで見
て、念願の苗場スキー場施設の“ドラゴンドラ”に乗る。世界最長のゴンドラ
と表示されていたような気もするが、なるほど長い。10年強前にものすごくス
キーに凝ったことがあって、ゴンドラやリフトにはいろいろ乗っているはずだ
が、これだけ山あり谷ありの高低差を持つものは初めて。びっくり、スリル満
点。これで往復1000円はとっても安い。各ステージを少し見下ろせるのも
嬉しいし、山頂には当然ながら綺麗な休憩所もあるし、気分は変わるし、本当
におすすめ。行きのゴンドラ(20分強ぐらいは乗るかな?)のとき、非常に強
い雨が降る。以後、断続的に降ったりやんだり。

 現実フェス世界に戻り、レッド・マーキーのカイザー・チーフス。ちょいグ
リッターな手触りも持つ、なるほどのUKバンド。途中からは、けっこう楽し
みだったプレフューズ73(ホワイト)を見る。2DJ、2ドラム、電気ベース
という布陣にて。ベース奏者はタウン&カントリー(2003年11月27日)の
ジョシュ・エブライムスが弾いていたようだ。フュージョンがかった局面もあ
る、実演型DJミュージック……。で、そのままブリティッシュ・レゲエの重
鎮スティール・パルス。80年代中期の来日公演(後楽園ホールだった)いらい
、彼らを見る。オリジナル・メンバーはフロントに立つデイヴィッド・ハイン
ズ他一人しかいないようだが、けっこう満足できるステージ運び。かつてドレ
ッドを束ねた煙突頭がトレイドマークだったハインズはでっかいジョイントを
頭にこさえていた(苦笑)。

 そして、ペズ(フィールド・オブ・ヘヴン:2005年5月2日、他)の終
盤のほうを見て、ザ・ポーグス(ホワイト)。結構、混んでいたし、大きな反
響を受けていたな。復帰したシェイン・マガウアンはやはりかなり酔っぱらっ
ていたようで。彼らが全盛期のころはちゃんとアイリッシュ・トラッドなんて
聞いてなかったよなー。と、自分のほうの耳知識の蓄積にもほんの少し感無量
。そして、急いでROVO(2004年11月9日、他)。夜の、環境の良いフ
ィールド・オブ・ヘヴンのトリ。演奏的にも映像的にもやりたい放題できるは
ずでなにより。後ろの林にも特別な映像効果を施すのかとちょっと期待したが
、それはなし。いつもより、ゆったりとインプロヴィゼーションをしていたよ
うな気もしたが、それは環境のせい?

 その後、忌野清志郎(2004年10月19日)を途中からグリーンで。実は、
全パフォーマンスの3分の1ぐらいしか見ていないはずだが、今年のフジ・ロ
ックのベストは彼だとぼくは断言する。自分でも、びっくりしちゃってるんだ
けど。もちろん彼に悪い感情は持っていないが、今回見たいナというリストに
彼の名前はなかった。だが、偶然に見た彼は凄かった。もう、ちょっと触れ
ただけでぼくは引き込まれ、釘付け。独自の感性を通した歌唱法やMCに感心
しまくり(最後のマント・ショウはちょっと予定調和すぎるとは、感じるけど
)、バンドの演奏も最高級(管は片山広明や梅津和時ら)。フォークではなく
R&Bを基調とするときの忌野清志郎は本当にエモーショナルで素晴らしい。
途中で、ぼくは涙腺が緩んできて、困った。回りに人がいなかったら、泣いて
いたかもしれない。もう、そこにはある種の音楽の神が降りていたと言いたく
なるナ。本人も大フェスということで特別な気持ちで、気合をいれてやってい
たのではないか。とにもかくにも、フェスの有り難さを痛いぐらい感じたし、
これほどのパフォーマンスに触れてしまったらぼくの残りの人生は忌野清志郎
に絶対服従じゃんと思わせられるぐらいに感動した。

 夜中はレッド・マーキーで、米国西海岸ベイ・エリアをベースとする生バン
ドによるヒップホップ・グループのクラウン・シティ・ロッカーズ。白黒2M
Cに、女性キーボードとリズム隊。衝撃は受けないが、イヤでもない。その後
、知り合いと次々と会って、酒盛り。で、なんと……。
 3年つづきで、前日入り。前夜祭(けっこう、人がいたなあ。1万5千人いた
らしい)の出演者のうち、イタリアのホーン隊付きバンドのバンダ・バソッテ
ィはちゃんと見る。スカ・ビートを下敷きにするポップ・パンクを明快に展開
。あれれ、こんなに陰影や危なげのない音楽をやる連中だったの? 心意気は
たいそうありそうな連中だが、音楽的にはそれについていない。少し、がっか
り。例によって、オアシス(フード・コート)でがんがん飲む。

 会場横で打ち上げられた花火(約3〜5分間)はすぐ近くで発砲しているみ
たいで、短時間であるが本当にいい感じで見れた。

マカコ、ブンブリ

2005年7月26日
 スペインのポップ・アーティストが二組出る、愛知万博のスペイン・パビリ
オンが主催する無料の公演。<スパニッシュ・ホット・サマー>と題し、ポッ
プ・アーティストからちょっと演劇がかったほうまで数アーティストの数公演
を太っ腹に只で打ったよう。いろいろあってぼくはこれしか見れなかったが、
スペインって太っ腹。印象良すぎるゾ。渋谷・デュオ。

 台風上陸の日(今年、最初となるのか)。もうずぶ濡れになってもいいとい
う備えで、徒歩で会場に向かう。単パン、裸足にサンダル履き。なんか、子供
のころから台風ってワクワクしちゃうところあるんだよなあ。不謹慎で申し訳
ないが。やっぱり、悪天候のため入りが悪い部分、あったんだろうな。前売り
買っていたほうが、無理していくわな。

 まず、マカコ。2MC、キーボード、ベース、DJ、ドラム、パーカスとい
う編成のミクスチャー・バンド。DJとパーカスは長めのソロ・パートを与え
られる。その場合はやはり奏者が映し出される映像音とのセッションみたいな
ことも両者やる。基本はヒップホップとロックの掛け合わせ。レッチリ(20
02年11月2日)の「ギヴ・イット・アウェイ」みたいな曲もあったが、ギタ
ー奏者がいないのはミソかも。それだけで、通常のロックからは離れる部分は
あるから。さらにラテン要素やラガ要素も大いにあり。同じ、バルセロナをベ
ースとするオホス・デ・ブルッホ(2005年5月30日)から見るともう少
し英米的価値観に近い部分があり、それはそれで親しみを持って聞けるかもし
れない。最後はスカ曲。で、1時間は平気でやったし終了と思いきや、少しし
てメンバーはパーカョションを持ってフロアに登場。で、サンバ隊のヴァリエ
ーションを叩き出しはじめる。練り歩きはしないが、もろにオゾマトリ(20
01年10月13日、2002年3月14日、2005年3月17日)じゃな
いか! 回りのオーディエンスをフロアに座らせたりするところも。ただし、
みんなに時間差で歌わせたり、手拍子させたりするというのはオゾはやってい
なかったと思うが。なんにせよ、いろいろ生理としての“正義”を愛好し、自
分たちなりにやろうとしている連中であるのはよーく判りました。イケイケで
頑張れ。

 そして、たっぷり休憩をとってブンブリ。ウェスタンの格好をした、まあハ
ンサム・ガイ。キーボード、女性ヴァイオリン、電気縦ベース、ギター、ドラ
ム、パーカショッョン、管楽器が二人という内訳のバッキングによる。で、臭
みのある、多分にシアトリカルでもある歌謡ポップ・ロックを聞かせる。日本
人のロックの好みからするとなじめにくい部分もあるけど、なんとなく本国で
人気を集めているのは分かるような……。

 外に出たら、もう雨はやんでいた。
 南青山・ブルーノート東京、セカンド。アントニオ・カルロス・ジョビンの
息子(カルテート・ジョビン・モレレンボウム)や坂本龍一との関わりで知ら
れるブラジル人夫妻が出演。もちろん、チェロ奏者である旦那のほうはなんと
言ってもカエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)に欠かせぬ協調者ですね。

 最初の4、5曲はパウラ(変なフリをつけて歌う)と、キーボード(いわゆ
るキーボード音から、ストリングスや管楽器音を出すだけでなく、きっちりベ
ース音も担当)、ギター(ずっとエレクリトリック・ギターを弾くが、生ギタ
ー音が出てくる場合も)、ドラムという編成でやる。
 
 そして、ジャキスが出て来るのだが、まずステージに上がってすぐに女房に
キスする。基本アルコ弾きでサウンドに、官能性や滑らかや奥行きや、広がり
を与える。当たり前といえば当たり前だが、さすが。1曲はパウラ抜きで、イ
ンストゥメンタルでやったりも。

 ありゃあと思わせられたのは、けっこうな有名曲をやっていたこと。ブラジ
リアン・ソングの夕べ、みたいな感じで。ときに、プリセット音なども用い、
多少コンテンポラリーなほうにも振らんとする意思がほんのり伺わせつつ。

 ステージを降りるときも、旦那は女房にさっと手を差し出したりして、本当
に恐妻家なのだナというのがよく分かる。パウラは多大な印象を残す歌い手で
はなかったけど、とても気持ちを込めてパフォーマンスしていたのは間違いな
い。それから、やっぱり普通のジャズやポップの公演では感じえない、寛げる
何かがあったことも……。

ヒュー・マセケラ

2005年7月20日
 南アフリカ出身の、ジャズにやられ世界に飛び出し、けっこう米国進出を果
たしてきたフリューゲル・ホーン奏者(1939年生まれ)。本人に加え、サック
ス、キーボード2人、6弦電気ベース、ドラム、パーカッションという編成に
て。みんな、アフリカの人達のよう。

 やっていることはおおまかな書き方になるが、総じてはおおらかなアフリカ
ン・ポップ〜アフリカン・フュージョン。御大は不器用なフリューゲル・ホー
ンだけでなく、けっこう歌もダミ声で歌う。メンバーもときにみんなで声を出
す。その歌声の重なりは一発でいいナ、もっと聞かせてと頷かせるものであっ
た。

 娯楽を求めつつ、随所から自分の故郷/独立を思う気持ちが溢れ出る。ぼく
はマセケラのことを大御所とも書きたくなるが、それはそういう部分で積み重
ねてきたことの大きさもあるんだろうなと肌で納得。とくに、ポップで感動的
なネルソン・マンデーラを讃える曲にはうきっとなりつつ、じいーん。“マン
デーラを家に、ソウェトに”というリフレインは一緒に歌えたりもしたけど、あ
れ誰の曲だったか? 不幸な成り立ちを持つ国の生まれでなかったら、彼はど
んな音楽人生を歩んでいたのか……、ステージに触れながらそんなこともほん
の少し思った。南青山・ブルーノート東京。セカンド。演奏時間はテンポがゆ
ったりとしてたり、けっこう語りを入れてたこともありたっぷり1時間半越え。
 アイスランドのジャズの担い手が出た公演。やはり、愛知万博流れだという。
テアトロ・スンガリー青山。過去に公演とコンヴェンションで1度づつ来たこと
がある会場だが、普段はロシア料理屋で、加藤登紀子のお店なんだそうな。へ
え。彼女の亡くなった旦那さんの弟(藤本雄三さん)はジャズ評論家/編集者
をやっていた。大昔、ちょっと付き合いがあったけど、お元気かなあ。

 かつてビョークがジャズ・アルバムを出したことでも示唆しているように、ア
イスランドでもジャズの担い手がいるのは認知していたが、リーダーとなる40
歳少しのアルト・サックス奏者は同国のジャズ大学の学長なのだという。人口
30万人弱しかいないのに、それがあるというのはへ〜え。で、同国の名手を集
った(20代から50代までといった感じか)特別編成のカルテットのようだが、
これがなかなか。1曲10分を超える尺できっちりインタープレイしながら、ち
ゃんとジャズの肝たる冒険の気持ちや洒脱を出していて。感心させられたのは
楽曲の良さ。どの曲もちゃんと流儀に則りつつ、自分なりの創意工夫が出され
たもの(サックスが書いているのかな?)で、ぼくは感心した。

 2部は、やはり同国で活躍するクリスチャーナという女性。彼女もちゃんと
ジャズの本懐を掴んでいる人だが、演奏陣の味の良さに触れちゃうとちょっと
普通。アルバムだと時々スキャットをかましていたが、アンコールの曲(スン
ダードの「バイ・バイ・ブラックバード」だったっけ?)のみ彼女はそれをや
っていた。こちらのときは、彼女に合わせて演奏陣(先の4人)もいたって常
識的なジャズ伴奏に徹する。落差ありすぎ。でも、それは手抜きということで
はありません。


 代官山・ユニット。すごく湿度の高い日、家から会場まで20分強歩いていっ
たらもう汗だく。うぎい。着いたら、パニック・スマイル(2001年9月22日)
は終わっていた。しばらくして、ザゼン・ボーイズ。ナンバーガール(199
9年12月22日、20001年2月13日、他)はある雑誌でよくインタヴュー
していたせいもあって何度も見ていたが、ザゼンをちゃんと見るのは初めてと
なるのか? やっぱり、向井秀徳は特異なというか、興味深い存在。彼の個性
/言語感覚とパンク・ファンク語彙が掛け合わせられる。
 
 で、ジェイムズ・チャンス。まさか、この人を日本で見られるとは……って
、軽い感慨を覚えるよなあ。学生時代、パンク・ジャズにはまり追いかけたな
かの印象深い一人だもの(ZEレーベルも好きだが、それは彼がいたからこそ
。あとは、オーガスト・ダーネル/キッド・クリオールもそうだけど)。ひし
ゃげ、こわれ、情けなくなったJBプラス・ジャズ的α。アルト・サックス(
ときに、キーボードも)と歌の本人に加え、ギター、ベース、ドラム。ドレミ
を吹けるようになる前に、嘶きのやり方の練習をしたんじゃないかというアル
トのブロウを聞いてふふふ。基本的なノリや引出しは四半世紀前と変わりがな
いが(身体は太くなったものの。けっこう、小柄な人なのだな)、それはそれ
でいいじゃないかともぼくは思えた。ただ、彼のライヴを見ながら、やっぱり
白人は得だよなあとも感じる。別にチャンスさんをくさすわけではなく。だっ
て、彼と重なったりしていたディザズを率いていたルーサー・トーマスなんて
全然話を聞かないもの。

 この日は3日間の最終日、オープニング・アクト勢の人気でどの日も盛況だ
ったよう(他の日はデート・コース〜:1999年12月22日他、レックと大
友良英と中村達也:2005年4月26日。今回はフリクション曲で疾走したようだ
!)。1時間ちょいぐらいだったかな、実演が終わると、白いタキシードみた
いなのを着ていたチャンスはとうぜんのこと、痩身の嫁(実演の間は、ステー
ジそででノリノリで見守る)のほうも着替えていた。なんでも、オフの彼は子
供のような人で、それを奥さんが母親のようにきっちりケアするのだという。
今回のザ・コントーションズのベースはザ・ラウンジ・リザーズで鳴らした敏
腕のエリック・サンコ。非常にニューヨーカーらしい雰囲気を持つ、恰好いい
人。彼にちょいザ・ラウンジ・リザーズのことを尋ねたらジョン・ルーリーは
今音楽をやってないとのことで、その分スケルトン・キーで頑張りたいみたい
なこと言ってたっけな? その後、いっぱい飲んじゃってよく覚えてないや。
 渋谷・Oイースト。ノルウェー出身、ニューヨーク在住のハタチの女性ポッ
プ・ロックの担い手。コンヴェンション・ライヴ。ギター2本、ベース、ドラ
ム、キーボードからなる(あまり上手くない)男性バンドを率いて、本人はギ
ターやドーボードを弾きながら歌う。そのサウンドや曲調は趣味ではないが、
ちゃんと歌える人であるのは間違いない。ときに、弾き語りで歌う曲も。「ヘ
ッズ・ウィル・ロール」とか、最後のほうは曲調も違和感ないものも。アンコ
ールの「レット・ミー・イントロデュース・マイセルフ」という曲が一番ぼく
は好きだなと、セット・リストを見ながら思った。

 そして、南青山・ブルーノート東京。今年のジョイスはドリ・カイミをゲス
トに呼んでもの。去年(2004年7月15日)同様、“空洞ギター”を手にし
、ベース(今回は電気ベースだけを弾く)とドラムは同じ人ながら、絶妙な絡
みを見せる二人のリード奏者はおらず、そのかわり若いピアニスト(かなり達
者にジャジーなソロを取る)を従えてもの。鍵盤入りって、珍しくないか。と
いったわけで、バッキング・サウンドは去年とけっこう違う。まあ、ジョイス
が歌うと、いいもん聞いているという気になり、軽く思考停止してしまうが。
中盤(全体の5分の3ぐらいだったか)、かなり米国にも進出していてクイン
シー・ジョーンズが持っていたクェスト・レーベルからアルバムを出したこと
もあるカイミが加わる。彼も空洞ギターを手にする。彼がギターを弾いている
ときは、ジョイスはギターを手にしない。そういうものなのか。
 まず、現在LAに住むシンガー・ソングライターのコンヴェンション・ライ
ヴを六本木・ハードロックカフェで見る。ここに来るのはとっても久しぶり、
昔トッド・ラングレン(2002年9月19日、9月28日)のコンヴェンショ
ンをやったとき行っていらいか、それともT.M.スティーヴンス(2001年10
月31日)やスティーヴィ・サラス(2004年8月3日)と一緒だったとき
か。ここ、ミュージャンが行くと、宣伝効果に繋がるから只なんだよね。アメ
リカでもほとんど無名の人ながら、アルバムを聞くとG・ラヴやプリンスの影
響を感じさせる人であり、ソウルやファンクの要素をうまく自分なりに出せる
人。ぼくはなんとなくジェドソン・スペンスを思いだしたりもした。実演は生
ギターの弾き語りにて。自作曲にまじえ、なんとプリンス(2002年11月19日
)の「キッス」をフルで演奏。うわあ、本当に好きなのだなあ。彼からは、ジ
ェイ・ケイ(ジャミロクワイ、1999年11月17日)っていい人じゃんという興
味深い話を聞く。へえ〜。そのネタはBMR誌にて。

 そして日本武道館に向かいヒップホップ界の売れっ子、ネリー。この日は電
車で行ったが、もう人格低すぎの声のかけ方をするダフ屋には閉口(そういう
こと、前にも書いたことがあったな)。ほんとにヤ。この会場だけは車で行き
たい。あの人たちに遭遇せずにすむから。

 前座にあちらではシングル・ヒットをかましている新進R&B歌手のエイコ
ン。セネガル生まれで、父親はNYのフリー・ジャズ系セッションでけっこう
活躍しているパーカッション奏者。バンドを従えての20分の実演だったが、よ
く伸びる声やなんとなく出自を思い出させるような揺れる感覚をソツなくアピ
ール。

 そして、現ヒップホップ界で売れっ子の最たる一人だろうネリーの実演は、
彼がずっと地元で組んでいるヒップホップ集団のセント・ルナティックスとの
もの。彼に加え、マーフィー・リーら3MCに、マスクを付けた狂言回し役ダ
ンサー。そして、1DJ。で、これがもう最初から終わりまで、全員での総力
戦(途中には、セント・ルナティックス主体のパートも。そのとき、ネリーは
完全にわき役に徹する)。もうみんなが声を出し、動き回る。訛りたっぷりで
歌うようにラップすると揶揄されるネリーのフロウはいまいち軽いと感じたが
、その声群の重なりやみんなの絡みの妙には深く納得。原始的にして今でもあ
る、いい米国黒人芸能ではないかと、ぼくはかなり満足した。少し、3人の女
性ダンサーが出てくるときも。

 二日間ということで2階などは空席もあったが、オーディエンスは女性のほ
うが多い。で、驚かされたのはその反応。けっこう密なコール&レスポンスが
あり、リフレインの合唱があり。全米1位常連者らしい完成度の高いショウ(
ラップに珍しく長く、1時間半やった)に、それに見合う反応のいいお客さん
でした。

松田美緒

2005年7月11日
 基本、ポルトガル語で歌う20代半ばの歌手。ファドにやられ、ポルトガルに
住んでそのエッセンスを会得した行動派の人のよう。ながら、今はブラジルも
のなんかにも興味を持ち、そちらにも住んだりもし、結果としてポルトガル語
が繋ぐ広角型の郷愁音楽を求めていると言ったほうがいいのかな。生ギター、
そしてサックス(ぜんぜん、知らない人だったがいい奏者でした)がバッキン
グ。なんとなく、姿勢が嬉しく感じられるシンガー。北青山・プラッサオンゼ
。とっても久しぶりに、カイピリーニャをグビグビ飲んじゃった。
 1929年ニューヨーク生まれ、東欧系ルーツの大御所女性ジャズ・ヴォー
カリスト……。ジャズにせよロックにせよ、ぼくはそんなに女性シンガー愛
好者ではないのだが、やっぱり“ニューヨークのため息”なんて異名も持つ彼
女には不思議な愛着を覚えるところあるかも。50年強前のクリフォード・ブ
ラウンとのエマーシー盤は本当に好きだな。南青山・ブルーノート東京、ファ
ースト。1週間やってた、最終日。遠目には顔ツルツル。皺取り手術、やって
るんだろうなあと思う。

 バックはテッド・ローゼンタール(ピアノ)が中心となる、とても紳士ぽい
風情を出しているトリオ。さすが、まだヴァリューは朽ちていないようで、い
いミュージャンたちを従えている。喉はときに音程が不安定だったりし、衰え
ている。とくに、「マイ・フェヴァリット・シングス」のとき結構旋律を外し
てておおおおって感じ。だが、痛々しいという感じはあまりなく、それも滋味
あるシンガーの今であるのだとマイナスの感想を持たずに受け止めることが出
来るのは、彼女のパフォーマンスにジャズ・シンガーらしい品格があったから
。媚びた、いやしらい所もなく。MCには日本語の単語を混ぜるが、彼女は67
年から約5年間、旦那の赴任かなんかで一緒についてきて日本に住んでいたん
だよなあ。その時期、けっこう日本のジャズマンとも絡んだはずだ。それ、た
とえば80年代にリンダ・ロンシュタットが突然東京に住みだしちゃうのと同じ
ような感じかな。

 向かってステージ右手にはギターが2本置かれていて?と思っていたら、途
中になんと息子のアラン・メリルが登場。両親と一緒にやってきて、アイドル
系グループサウンズを東京でやってた人。そのころの表現を聞いたことはない
が、東京期最後のほうに彼が組んだウォッカ・コリンズというロック・バンド
のことは子供ゴコロに記憶に残っている。それに彼はあの故ローラ・ニーロと
も従兄弟の関係にあるというのは有名な話だよな(すると、ニーロとヘレン・
メリルの関係は?)。日本語も達者な彼は2曲歌う。1曲目はブルース・ロッ
ク調の曲で、2曲目はジョーン・ジェットやブリトニー・スピアーズなんかで
知られる「アイ・ラヴ・ロックンロール」。へえ、これは彼の曲であったのか
。後で調べたら、ウォッカ・コリンズ(10年前弱に再結成盤とか出ているらし
い)の後、英国に渡って組んでいたジ・アロウズ時代の曲らしい。今もNYで
活動しリーダー作を出しているようなアラン・メリルだが、別にどうっていうこ
とはないパフォーマンス。そのとき、正調ジャズ・トリオは情けなく8ビート
のバッキングをつけてて大笑い。また、母親は横で本当に嬉しそうに息子の実
演を見守る。すげえ、親馬鹿。でも、なぜかイヤな感じはしなかった。そうい
えば、彼女は04年盤でレディオヘッドの曲(「ユー」)をカヴァーしていた
けど、それは息子の意向は関係ありか。

ティム・リース

2005年7月3日
 99年以降、ザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)のツアーで
ホーン・セクションの一員を務めているリード奏者がリースだ。北テキサス大
学他、米国における最高クラスのジャズ教育を受け、80年代前半にメイナード
・ファーガソン楽団を入口にジャズ/セッション業界に入った人物。円満で落
ちついていて、ちょい坊ちゃんぽい感じも与えるもするか。「あまりポップ・
ミュージックには浸っていない。でも、ストーンズ命じゃないからこそ、スト
ーンズの面々は僕のことを気に入ってくれたんじゃないかな」とは本人の弁だ
。ストーンズの前回ツアーをまとめたライヴ盤『ライヴ・リックス』にはキー
ス・リチャーズが歌うジャズ・スタンダード「ニアレス・オブ・ユー」が収録
されているが、リチャーズが(チャーリー・ワッツの次にジャズ好きなのは彼
であるという)その曲をやりたいと急に言いだして、泊まっていたホテルの部
屋にホーン・セクションが呼ばれてアレンジしたのだという。そして、リース
は同ツアーをやっているうちにストーンズの曲を自分なりに繙きたくなって、
ビル・フリゼール(2000年7月21日)やブライアン・ブレイド(2000
年12月6日)からノラ・ジョーンズ(2002年5月20日、2002年9月21
日、2004年1月19日)やシェリル・クロウ(1999年10月16日、200
2年10月21日)、もちろんワッツ(2001年10月31日)やリチャーズらも入
ったストーンズ・カヴァー集を作ってしまう。米国では暇を見て何度かそのノ
リ(面子は純ジャズ・マンのみ)でライヴを彼はやっていたりする。

 六本木・スイートベイジル136 。当人に加えギター、生ベース、ドラム(彼
のみ、黒人。まだ24才とか)という布陣によるもので、ピアノはときに少しだ
けリースが弾く。NYのジャズ・スタンダード(2004年9月13日)での過去
ライヴではビル・チャーラップがちゃんと弾いていたはずで、いわば片肺と言
えるものではあったろう。クリス・クロス他に5枚リーダー作を残すリースで
はあるが、この日はすべてストーンズ曲を演奏する。本人はそのストーンズ・
プロジェクトをサックス奏者だけでなくアレンジーとしての自分を大きく出し
たものと言っていたが、洗練されたオトナの感性でストーンズ曲を開こうとし
ていたのは間違いない。イヤな感じはなし、ただもう少し爆発的だっり、グル
ーヴィだったりするほうが個人的には好みではあるが。学生時代、一番コピー
したことがあるバンドなので、一言もちたくなってしまいますね。さすが、リ
ースの各種サックス演奏は流麗ではありました。

 それから、特筆したいと思ったのは3分の1強ぐらいで歌っていたバーナー
ド・ファウラーの歌の聞き味の良さ。器用だけど味の軽い広角派シンガーとい
うイメージをぼくはずっと持っていたが、声の輪郭がはっきりしていて、すう
っと気持ちが聞く側に入ってくるなかなかの歌い手だとぼくは感じた。前回
ストーンズのサポートで来日した際のシークレット・ギグ(2003年3月13
日)ではそんなふうには感じなかったのだが。80年代前半以降ビル・ラズウェ
ルの舎弟といった感じでいろんなセッョンに関わるようになり、ロン・ウッド
の92年作『スライド・オン・ディス』を共同でプロデュースしていたりもする
彼は当然のことながら関わったアルバムは山ほどあるものの正規リーダー・ア
ルバムはない。ニッケルバックという名義でスティーヴィ・サラス(2004年8月3日)との双頭ユニット作品を10年ぐらい前にポニーキャニオンから出したことがあったと記憶はするが(それ、もちろんロードランナー所属のバンドとは別モノね)。自分のアルバムを1枚ぐらい作っても良いんではないか、その実演に触れながらぼくはそう思った。

 リース(とファウラー)はまたストンーズのツアーにかりだされる。
 シー・アンド・ケイク(2003年1月30日)の中心人物サム・プレッコップの
、久しぶりの個人名義公演。前座に彼のサポート・プレイヤーでもあるコルネ
ットのロブ・マズレク(2000年10月15日、2004年1月20日)とドラムのチャド
・テイラーによるシカゴ・アンダーグウランド・デュオが登場というのは、前
回のプレコップ公演(1999年6月6日)と同じ。ただし、前回と異なり今回は
ずっと二人で演奏を繰り広げたが。場所も同じく南青山・カイ。客はかなり男
が多かった。そういうやあ、シカゴ系って大方ルックスはお粗末だよなあ。

 <寒い国で一人知恵の輪遊びを淡々とやっているようなギター弾き語りにジ
ャズ・コンボがたるバック陣が寄り添う>とぼくは前回公演報告文で書いてい
るが、今回のプレコップはもう少し温かみがあったと言えるか。バック・バン
ドにはアーチャー・プレヴィット(ギター)やタウン&カントリー(2003年11
月27日)のジョシュ・エイブラムス(ベース)がいて、なかなかに興味深い。
風通しは良いながらサポート陣との重なりがもっと緊密になり、そのなかでな
んか誘われる歌をプレコップは歌っていた。

 ところで、会場に行く前に夕刊記事でルーサー・ヴァンドロスが亡くなった
ことを知る。この公演ではその話題を分かち合える人はいないかもなと思って
いたら、黒モノ好きという印象をぼくが持つ某レコード会社のディレクター氏
もいて、彼とその話をひとしきり。54歳でした。
 そんなに年はいっていない(まだ20代だろう)デンマークの黒人歌手。今回
が2度目の来日で、前回はデンマークのお偉方の来日に同行し、皇族も出席し
たパーティで歌っているという。とはいえ、ラフな恰好していたし、パっと見
た目は硬いイメージは一切ないさばけた感じを与える人。そんな彼女はピアノ
(1曲はバンドネオン)だけをバックに歌を披露したが、相当にうまい。朗々
、危なげなさ100パーセント。それだけで、ひねくれ者のぼくも感心。ジャズ
・スタンダードも歌うが、ジャズ・シンガーというよりはもう少し広い層を狙
える大人向きのMOR系シンガーといった感じか。ウテ・レンパーとか、そう
いうタイプのシンガーになるのも可能といった印象も得た。

 新しく出来た芝公園・東京プリンスホテルパークタワー(いったい、前は何
があったところなのか。会場で会った人とひとしきりその話題になる)の1階
にあるメロディラインというジャズ・クラブ(ホテル側はジャズバーと表記し
ているが、それなりに広いし、そこそこ立派。ただ、テーブルや壁に用いられ
る焦げ茶色の合板プリント柄は安っぽく感じられて仕方なかった。蛇足だが、
一応この施設は食堂課の一部門となっているようだ)でのコンヴェンション。
ここ、東急のセルリアン・タワーのJzブラットと異なり、乱暴な出し物はな
しに上品に和み系のジャズを提供する場として運営していくようだ。

 実はヘンダーソン以上に、このホテルには興味があった。まあ、親分の逮捕
なども絡み、好奇心はとても引きますよね。天気が良かったのでクルマで行か
ず汚いスクーターで乗り付けたのだが、ホテルマンたちが困惑したりせず丁寧
に対処したのは立派。入口すぐに横に、ドアで仕切られた自転車/バイク置場
が設置されていた。また、いろんな問い掛けに対しての反応もソツなく、かな
り気合いれてオープンしているのが分る。ぼくが触れた範疇においてはまあ合
格、俺はいいホテルに来ているのだという心持ちになれました。

A−Show

2005年6月27日
 40才近くになってプロになったという、R&Bやブルースなどを栄養とする
滋味系シンガー・ソングライター。1部は生ギター弾き語り。2部はレコーデ
ィング・メンバーでもあったというバンドが付いたが、なかなか良質なバッキ
ングをしていた。

 下北沢・440 。下のライヴ・ハウスからか、かなりの(騒)音が零れてきた
のには少し閉口。でも、そんなの気にしないと言う感じで、飄々とパフォーマ
ンスを続けていたのは実に正解。マイナスに過剰に反応していたら、実のある
音楽はできないというか、そんなことに負けない歌を歌っているんだよという
風情が感じられるような気がしたから。マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴー
イン・オン」他のカヴァーも披露したが、ぼくは英語で歌われるよりは大意に
沿った日本語でやったほうがずっと曲の妙味〜ひいては本人の持ち味が伝わる
んじゃないかと思った。なんか、先の中川五郎の項で書いていることと矛盾し
ていますが。MCはぼくとはまるで波長が合わず、きつかった。

ジェントル・ソウツ

2005年6月20日
 スタッフと並ぶ、フュージョン萌芽期の代表バンドといっていいのか。ぼく
がフュージョンを多少なりとも聞くようになったのは業界入りしてからで、ち
ゃんとしたジャズは聞いてもフュージョンはいまいちなじめない人だった。そ
うしたなか、ジェントル・ソウツはわりとリアル・タイムで聞いた数少ないグ
ループ。というのも、当時彼らはダイレクト・カッティングによるアルバムを
出していて、ほんの少しオーディオ小僧でもあったぼくはそっちのほうの興味
からその西海岸の手練グループのことに興味を持ち、聞いたりしたのだ。いっ
さい修正がきかない一発録りの潔いレコードというのが、ぼくの好みをくすぐ
った。まあ、そのうちにジェントル・ソウツには飽きたが、そのメンバーだっ
たハーヴィ・メイソンの76年初リーダー作『マーチング・イン・ザ・ストリー
ツ』は未だになぜか大好きだな。

 南青山・ブルーノート東京、セカンド。なんか、お誘いを受けてひょこり行
ったら、超満員。すごい人気、なのだな。オリジナルからメイソンとデイヴ・
グルーシンが抜けたかたちで、あとはみんなオリジナル・メンバーによるパフォ
ーマンス。けっこう、説明っぽい楽曲をやっていたんだなとも思った。2時間
ぐらい演奏したような。日本人歌手と結婚したというリー・リトナーは客席に
いた女房をわざわざ紹介していた。マメですね。

中川五郎

2005年6月17日
 本郷・セヴンオークスパブ。本当に小さな場。客は30人弱でぎちぎち。い
つもやっているHONZI(ヴァイオンリン、アコーディオン)とのデュオ
。2時間弱、正真正銘ノー・PAにて。まず、ひどく感銘したのは内容より
も、完全に生声〜生楽器音での実演であったということ。後で聞いたら、声
の音量とのバランスを考えてギターは普段より軽く弾いた(この日は主に12
弦を使用)そうだが、合いの手を入れるヴァイオリンらの音バランスも含め
て、全然問題なかった。おお、物事ってなんだかんだ上手く回るじゃんとい
うか、電気/装置を一切介さない快適さ、生理的な気持ちよさを非常に実感
した。そして、その事実は、中川五郎(1999年8月9日、2004年2
月1日)のパフォーマンス能力の意外な高さを伝えるものでもあるだろう。
さすがずっとちょこちょこライヴをやっているだけあって、声はよく出てい
るし(喋るときよりずっと明瞭で溌剌)、ギターも全然つたなくないし(っ
て、かつてプロとしてバリバリやっていた人に対して、失礼な言い方だが)
。フォークどまんなかの音楽性は心から馴染めるものではない(やっぱり、
外国曲の日本語カヴァーには抵抗がある)が、親しい先輩であるというのを
差し引いても、質はあるんじゃないかと思った。

 「お時間があって,女の子探していたら、ぜひきてください」とは事前の
五郎さんのメール。女の子、そんなにいませんでしたよね。あと、五郎さん
が死んだら、やっぱりとっても悲しいだろうなあとライヴに接しながら思い
ました。
 前座として、キャリア豊かな日本人4人(石川二三夫、小出斉、江川ほー
じん、岡地曙裕)からなるジャングル・ホップ。ブルーズ表現/ブルーズ曲
を広い視点から俯瞰しなおして、エイヤっとファンキーに提出する。これ、
黒いアメリカ人がやっていたら、うわあブルーズは今生きているなんて実感
とともに、大感激しまくっちゃうだろうなあ。

 そして、昨年のフジ・ロックにも出演したリトル・ジョー・ワシントン(
2002年12月15日)。オースティンでホームレスをやっている、相当に危ない
老人(3度も日本にやってきて、アルバムとDVDも出して、ホームレスか
ら抜け出すお金は得ているのではないかとも思われるが)。昨年は犬にかま
れた傷が化膿して車椅子にての出演だったが、今回はピンピン。ベース、ピ
アノ、ドラムをバックに実に奔放で、味のあるパフォーマンスを展開する。
ブルーズとして大切な、いやブルーズだけが持ちえる何かをしっかりと送り
だす。こればかりは、見てみなきゃ分からないだろう。ネタは過去出してい
るのと同じだが、いままでで一番力があり、充実していたパフォーマンスだ
ったのではないか。このあと用事ありで、途中退座を余儀なくされたが。渋
谷・クラブクアトロ。

 ああ、それにしてもピックを用いず指でギターを弾くというのはなんて素
敵で、格好よいことなんだろう。ワシントンの演奏に触れると、そう思わず
にはいられません。
 恵比寿・リキッドルーム。下のフロアに椅子が出ている。この日のロスのパ
フォーマンスは昨日の面子に、コルネット奏者のロン・マイルス(当日、東京
着)を加えてのもの。昨年はこのカルテットでのパフォーマンスだったはずだ
し、この日のライヴを聞くと、なるほど今のロスのソロ名義パフォーマンスは
マイルスの演奏をちゃんと組み込んでこそのものというのがよく分かる。より
豊かで、スリリング。純度が高いというか、カルテットのほうがよりジャジー
という感じもあったかな。ヴォーカル曲も少なかったし。効果音的な絡み方を
するときもあるが、マイルスのソロがかなりフリー・ジャズの文脈に沿うもの
であったこともそういう印象を強めているかもしれない。まあ、基本的にはジ
ャズをきっちりと根っこに置く、いまのもう一つのボーダーレス・ミュージッ
クであり、エッジを持つ都会生活者のもう一つのフォーク・ミュージックと言
えるものになっているわけだが。

 ロスはしっかりと服装をかえている。マイルスも結構お洒落な印象を与える
黒人。この日はハリエット・タブマンみたいだと思わせる局面は少なく、また
フリゼールっぽいなと思わせるときも少なかった。1時間ちょいのセットを一
つ。アンコールにも答える。

そして、菊地(2004年8月12日、他)の、新譜つながりの新グループによる
パフォーマンス。あらら、バンドネオン奏者やハープ奏者、さらにストリング
ス・セクションも入れての豪華仕様。リズム隊は南博(ピアノ、2001年10月29
日)、鈴木正人(縦ベース、2004年11月30日他)、大儀見元(パーカッション
)。

 菊地はのっけから気分出して歌う。なるほど、これはスパンク・ハッピー(
2002年11月30日)みたいなものと理解したほうがすっきりするなと了解。ディ
スコや歌謡ポップのちゃらさや下世話さを題材にする代わりに、こちらはラテ
ンやジャズの官能性や洒脱や含みを彼なりに再構築/編集して提示する。カヒ
ミカリィもシンガーとして参加。

付録:ロスが考える、私が満足いったレコーディング参加作品(除く、『コス
チューム』)。
ハリエット・タブマン:『I am a Man』(98年、Knitting Factory) 、『Trea
sure Hunt for the Prototype 』(00年、Avant)
ヘンリー・スレッギル: 『Spirit of Nuff…Nuff』(91 年、Black Saint)、『
Where’s Your Cup』(96年、Columbia)
カサンドラ・ウィルソン: 『ブルーライト』(93年、ブルーノート)
ロン・マイルス・カルテット:『Laughing Barrel 』(03 年,Sterling Circle
)
 年齢よりも若く見えます。と言ったら、「緑茶を飲んでいるからね」と答え
るお洒落なギタリストはステージ上でも、緑茶のペットボトルを飲んでいた。
その発言、昨年にインタヴューしたときのこと。で、「年齢をきいてもいいで
うすか?」と問うたら、「いいけど、その質問には答えないよ」。あのときは
カサンドラ・ウィルソンのバッキングは見たものの(2004年9月7日)、
その後に行われた彼の自己グループでの実演はアメリカ行きがあったため見て
いない。嬉しい。やっと、彼のグループのパフォーマンスが見れた。新宿・ピ
ットイン。

 昨年と同様、ツトム・タケイシ(ベース)とJ.T.ルイス(ドラム)を従
えてのもの。この3人はたぶん、ビル・ラズウェル制作のヘンリー・スレッギ
ル96年盤で顔を合わせたのが最初だと思う。彼らは譜面の束を手にしてステー
ジにあがる。確かに、初ソロ作『コスチューム』はすべて譜面になっていると
言っていたけど。3人がしっかりと対峙し合って、音を紡ぎだしていくといっ
た感じの演奏。ルイスはハービー・ハンコック(2003年8月23日、2001年12月
27日、2000年3月14日)のロックイット・バンドで一躍知られた人でR&B系
レコーディング・セッションもいろいろとやっているが、けっこうゴツゴツと
ジャズ流儀で叩く人なのだなあ。

エレクトリック濃度が高い曲だと、まんまハリエット・タブマン(ロスとル
イスとメルヴィン・ギブスによるトリオ)だなと思わせる。また、そのときだ
と、ちょっとおとなしいビル・フリゼールという印象を聞くものに与えたりも
(純粋な弾き手としては、もっちっと爆発してもいいかも。あれ、大人なのか
、それとも……)。ふーむ。フリゼールがそれなりに認知され、受けているの
だから、ロスだってもうちょっと注目を集めてもいいのではないのか。彼もま
たストーリーを作れるギタリストであるし、フリゼールと違い素敵な声で歌う
こともできるし、そして何より、本当にお洒落で雰囲気を持っている。

 そういやあ、ロスが可哀相と言えば、カサンドラ・ウィルソンが彼に取る扱
いも少しそう。前作『グラマード』でまたレコーディングに呼ばれたと思った
らウィルソンとの共同プロデューサーにはファブリジオ・ソッティ(英語読み
)という無名のフランス人ギタリストが抜擢されていたし(結局、彼はどうし
たのだろう。あのアルバム以降、ぜんぜん名前を見ない)。また、ウィンソン
の新作はなんとT・ボーン・バーネットがプロデュースを請け負っているのだ
が、ロスから受けた情報によると、近くある彼女のツアーには呼ばれているも
のの、新作レコーディングに呼ばれていないという。なんだかなあ。実は、ミ
ックス前のものながら1曲だけ(クレジットはいっさい、不明)その新曲を聞
いた。生楽器は多用していながらけっこうプログラム的質感を持つサイバー・
サウンドが採用されたもので(バーネットも異常に張り切って事にあたってい
るのは一聴瞭然)、それは“ディープ・サウスのビョーク”なんて感想も少し
引き出すものになっている。ともあれ、次作でまた一つ別の所に彼女が行くの
は間違いないし、超期待できるものであるのは疑いがない。

 会場には、タケイシ(2004年5月28、29日)を米国版ビッグ・バンドで起用
する田村夏樹/藤井郷子夫妻も。ああ、お二人とこの前に会ったときもW杯予
選の北朝鮮戦の日だった(あの晩のライヴ原稿は2月10日の項に載っているけ
ど、本当は9日。間違って入れてしまって、直すのが面倒でそのままにしてあ
る)。

 日本にはギターを3本持ってきたといった言ってたが、ステージでは4本を
使用。エレクトリック。バンジョー、アコースティック、枠だけで中が空洞な
ギター。3分の1ぐらいは歌が入る曲だったか。そして、歌はアルバムで感じ
るよりか訴求力があっていい感じ。純粋なヴォーカル・アルバムも所望したい
ところであるか。そういえば、ロスはチョコレート・ジニアスとも仲がよく、
一緒にレコーディングしたいナという気持ちも持っている。なお、彼の最初の
ギター・アイドルはスティーヴン・スティルス(CSNY、マナサス他)です。

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