コステロとトゥーサンの共演アルバム『ザ・リヴァー・イン・リヴァース
』発売を受けてのショーケース・ライヴが、昼さがりに品川・キリスト品川
教会のグロリア・チャペルで開かれた。

 まず、トゥーサンを迎えたシングルを米国で作った中島美嘉が出てきて、
シングル収録の2曲をトゥーサンとともにパフォーマンス。自分のバンド(
なのかな?)に20人のゴスペル・クワイア(うち、8人ぐらいは外国人)、
そして御大のピアノ。へえ、中島美嘉って細い小さな人なんだな。ニューオ
リンズ的アクセントを採用したメインの曲と、自分化しての(ルイ・アーム
ストロングの当たり歌である)「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」。
なんにせよ、トゥーサンはさすがの指裁き。嬉しそうにピアノを弾く。中島
美嘉のことをもっと知りたいと思った。

 そして、トゥーサンとコステロのセットとなる。ところで……。

 かつて熱心にニューオリンズ・ファンク/セカンド・ライン物を追ったぼ
くにとって、トゥーサンは最大級に土下座の存在だ。一方、コステロは土下
座しようと思ったことはないものの、ずっと気にかけているロッカーである
。でも、『ザ・リヴァー・イン・リヴァース』は出来が悪いと、言わざるを
えない。過去に二人の邂逅/共同作業の積み重ねがあろうとなかろうと、ハ
リケーンが来ようと来まいと(カトリーナ・ハリケーンは私の最良のプロモ
ーターというような、あっけらかんとした物言いをトゥーサンはしていたな
)。というのも、ぼくの耳にはあのアルバムでの二人のかみ合わせは水と油
の関係にしか聞こえないのだ。それもこれも、あまりにコステロのヴォーカ
ルが固すぎるため。それ、軽妙洒脱で、グルーヴィなトゥサーンの曲やピア
ノとぜんぜん合わない。あれを聞いて、ぼくは黒っぽい楽曲を歌えるヴァン
・モリソンがいかに偉大なシンガーかも、痛感させられた……。ショージキ
、2度とこんなアルバム、聞けないナとぼくは判断をくだした。なら、ライ
ヴに行かなきゃいいぢゃん。そう、ムカつく人もいるだろう。だが、生でや
るというなら、そりゃチェックはしたくなる。いや、ぼくはトゥーサンを見
たくて行った。だから、彼の指裁きが見えるところにぼくは座った。

 和気あいあいとした感じで、デュオのパフォーマンスがスタート。コステ
ロは基本的にはトゥーサンのピアノに合わせて歌い、たまに生ギターを持っ
たときも。やはり、コステロの声はR&B/ファンクを歌っちゃいけない声
質だとはしっかり思った。声量や存在感はあるが、伸びやかじゃない、しなや
かじゃない、艶っぽくもない。だけど、生で聞いたほうが違和感がないのは
確か。オープナーからステージ下におりて観客に歌わせようとしたりとか、
コステロの本気ぐあいもプラスに働いたか。オフ・マイクで一生懸命、歌っ
たりとか。ほんと、この人はなんでも全力投球なんだな。

 しかし、ちょっとトゥーサンが歌ったりすると、もうコステロ歌うな、横
で黙って立ってろと言いたくなったのも事実。トゥーサンは68歳という年齢
より若く見えたし、元気そう。完全なソロ・アルバム作ってほしいな。少し
前に、ネットで偶然トゥーサンのお気に入りアルバム10枚みたいのを見て、
けっこうヤワなセレクションでへえと思ったけど。

 パフォーマンス後に、二人への質疑応答タイムも。このときもコステロは
ちゃんと答えていたな。感心かんしん。それで終わるはずだったようだが、
二人は予定外のパフォーマンスをまた始める。それが3曲で、全部で11曲。
アルバムに収録されていない曲もやった。聞けば、両者は来週から、ホーン
・セクションなども従えた編成でアメリカのツアーに出るのだという。なら
、この日のギグはいい練習にもなるし、レパートリーはいくらでもあるだろ
う。

 コステロの歌への不満を差し引いても、いい出し物だっと思う。クローズ
ドな催しであり、なるべく自慢げに書くのは避けようと思ってこの項の文章
を書いているが、この日の実演は中野サンプラザあたりで行われるべき質や
重さをもっていたと思う。

 
 カナダ大使館のシアターで、ロシア〜イスラエル居住を経て、現在はカナ
ダを拠点とする、23歳の女性ジャズ・シンガーのショーケース・ライヴ。バ
ックはカナダから連れてきた奏者と日本で雇った人の混合。ジャズだと、そ
ういうことも可能なわけですね。まっとうなジャズ・ヴォーカル路線とエン
ターテインメント路線を重ねて、非ジャズ・リスナーも取り込もうとする指
針を持つ人。性格よさそう。
  
 そして、下北沢に移って、440。この顔ぶれは、昨年モーション・ブル
ー・ヨコハマ(2005年4月11日)いらいか。途中から見たのだが、音と光
の丁々発止。森俊之いわく、光の流れを浴びながら演奏するのは気持ちいい
し、その変化から演奏が動いていったりもするのだとか。なるほどお。

Pe’z

2006年5月29日
 開演時間、定刻に登場。いいな、そういう竹を割ったようなとこ。自分た
ちの身の処し方、アルバム/曲の名前からツアー名までいろんな意思やメッ
セージの発し方など、何からなにまで自分たちの態度をきっちりと打ち出せ
ているバンド。ある意味、イメージ作りが最高に上手いバンドだともぼくは
思う。そして、それはブルーノート黄金期的な二管ジャズ・サウンドと日本
人的な形而上と今の若者っぽさを巧みに重ねた音楽性に宿っているわけだが
。まだ若いのに、本当にその行き方の明晰さには唸らされる。

 また、唸ると言えば、そのプロダクツ発表量の多さと、ライヴ数の多さに
も。トランペッターのOhyamaのリーダーシップの取り方の上手さもあるのだ
ろうが、飽きた素振りも見せずにモチヴェイションたっぷりにメンバー一丸
で事にあたっている様には、感心しちゃうなあ。

渋谷・クラブクアトロ。米国ツアーのあと、ずっと続いていた国内ツアー
の追加公演の初日とか。MCで、追加公演はツアーと別物なのでツアーとは違
う感じでやりたい由をコメントし、この日はヒイズミは毎度のエレクトリッ
ク・キーボードではなくアップライト・ピアノを弾く。それだけで、新鮮に
はなりますね。また、次のアルバムは日本曲カヴァー集だとかで、これはツ
アー中からのならわしで客のくじ引きで曲を決めて1曲演奏。この晩は、サ
ディスティック・ミカ・バンドの「どんたく」。でも、MCでミカ・バンドの
名を出しても客はほとんど無反応。そういう年代が受け手(曲中で皆で拳を
振り上げたりとか、画一的ながらより熱心な反応を見せるようになっている
)の主なんですね。

 Pe’z(2005年5月2日、2005年9月21日他)とは関係ないが、この日ライナ
スというインディをカナダでやっているジェフというおっさんとやんわり飲
む機会を持つ。カナダのヴァージンやワーナー・チャペルに勤めたあと人に
使われるのはイヤと会社をおこし、現在まで50枚ほどのアルバムをリリース
しているとか。聞けば、ロン・セクスミス(1999年9月12日)の3作品、
アシュレイ・マックアイザック(昔、カナダ大使館で見たことがあったよな
ー)のフィドルを弾いていない新作やゴードン・ライトフット作などを出し
ている。やっぱり、ニール・ヤングやレナード・コーエンら偉大なカナダ人
先達にはちょいプライドを持っているみたい。昔からそういう話はあったが
、マックアイザックは薬やりまくりのぶっとび野郎だそう。それから、全米
No.1ヒットも持つ、カナダのバックマン・ターナー・オーヴァードライヴ(1
999年5月18日参照)の話で少し盛り上がる。彼、初めて買ったレコードがB
TO(昔は、そういう略のされかたもしましたね)なのだとか。考えてみれ
ば、ミカ・バンドもBTOとほぼ同時期に活躍していたんだよなー。
 97年に出した広角柔和型のアルバムはとっても好きだった。それ、同年の
R&B作としてはトップに愛好したんじゃないか。一度来日したこともあっ
たはずだが、商い優先の業界に染まることを良しとせず、彼女はずっと沈黙
を続けてしまう。旦那でプロデューサーのドレッド・スコット(ラッパーと
してのリーダー作も持つ。リチャード・ジュリアンやマーシャル・クレンシ
ョー作でキーボードを弾いている人と彼は同一人物なのだろか?)ともに南
米を旅していた、なんて話も本当にいい感じの人だよなあ。で、04年に2作
目をリリース。旦那と二人三脚のその2作はともに珠玉の盤である。

 丸の内・コットンクラブ(セカンド)。初日だが、なかなかの入り。やっ
ぱり、注目していた人がちゃんといるんだろうな。いつも以上に、同業者と
も会った。CDだとミニー・リパートン的な抑制歌唱を披露する彼女だが、
生だと一気に全開し、チャカ・カーン型(アンコールで、彼女のルーファス
時代の「スウィート・サング」も披露)となる。もう少しゆったりと歌って
ほしいところもあったが、シンプルな編成(鍵盤、ギター、ベース、ドラム
の鍵盤、ギター、ベース、ドラム)によるバンド音もあって、それはいたし
かたない事でもあるか。それに、まっすぐな感じ、溌剌な感じはそれはそれ
で嬉しいものであったから。白人がいたり、日本人がいたりと、バンドの面
々は人種バラバラという感じ、それも広角型の彼女らしいと思わせられまし
た。
 丸の内・コットンクラブ(セカンド)。70年結成のファンク・バンドとい
う以外の大まかな情報はあまり持っておらず、メンバーの名前も顔も知らな
い私ではあったが……。曲の合間にMCを入れたり、叩きながら渋い声の語
りをきかせたりするドラマーのビル・カーティスが率いる。目鼻だちのきっ
ちりしたドラムを叩く彼、聞くところによると70歳半ばになろうとする人ら
しいが、だとすると驚愕だな。ギタリストのジョニー・キングも全盛期から
いる人らしい。

 その二人に加え、白い肌のおばさん歌手、歌も担当する余裕のベーシスト
、キーボード、パーカョシッン、三管(アルト、トランペット2)という布
陣による。最初は少しちゃらいかも、管楽器系奏者は少し弱いかも、なんて
冷静に見ていたが、結局ワイン2本開けちゃいました。やっぱ、力ワザ系フ
ァンク曲になるとパブロフの犬。もう、冒頭3曲目ぐらいで、メンバーは客
席を列になって練り歩いたり、なんてこともしたり。エンターテインメント
性たっぷりに、なんだかんだ2時間ぐらいやったんじゃないか。ふふふふ。

ディープ・パープル

2006年5月21日
 渋谷・アックス。これは追加公演で、来日史上初のスタンディング会場で
のショウなのだとか。ヴォーカルとリズム隊が黄金期の人達で、ギターとオ
ルガンが新参の実力者たちという布陣。基本的な印象は去年のサマソニ(20
05年8月13日)で感じたのと同様。音質が悪く、印象が散漫になる千葉マリ
ーン球場ではそれほど気にならなかったが、イアン・ギランの喉は相当に衰
えてきている(なんでも、風邪で余計に声が出せなかったそう)。そのぶん
、とってもおっさん臭い風体と愛想のいいMCは印象に残った。

 途中、ギタリストのスティーヴ・モーズに与えられたソロ・パートは非常
に退屈。いろんなキャリアを持つ人だが、こんなに閃きのない人だったのと
いう感じ。他の通常曲でのソロも予定調和なものだが、それについては多少
の感慨があったかも。大昔のディープ・パープル体験/愛好はぼくのジャズ
的インプロヴィゼーションの原体験になるものではないかと思うところもあ
るから(ついでに言えば、彼らの「ウーマン・フロム・トーキョー」はもっ
とも最初に触れたファンキー要素かもしれない)。彼らがいたからこそ、ジ
ャズにも比較的小僧のころから興味を持った? 

 昨年に続いて彼らを見たのは、実はベーシストのロジャー・グローヴァー
の取材をすることになったから。やっぱり、一回ぐらいは子供のころ大好き
だったバンドのメンバーに会ってもいいと思った。……が、考えてみたら、
ぼくは90年代にディープ・パープルの外様メンバー二人にインタヴューして
いたりするのだな。すっかり、忘却の彼方であった(だから、こういうのを
ちゃんと書き留める気にもなるって訳ネ)。一人は、グレン・ヒューズでソ
ロ・アルバムを出した際、プロモ来日したとき。そして、もう一人はジョー
・リン・ターナー。これは彼がコリー・グローヴァー(リンヴィング・カラ
ー)らと企画プロジェクトに参加したときに、NYでやった。前者はとっても
R&B好きだったこと、後者はなんかちゃらい性格がいいナと思ったことを
思い出した。そして、日本トップ級のホテルに当宿していた小柄なグローヴ
ァーもまた、こなれた人だった。彼、もう30年もアメリカに住んでいるそう
だ。
                      

 イスラエル出身の、ここ10年米国のジャズ界でかなり頭角を著している若
手(といっても30代半ばだが)ベース奏者。ここのところの彼のアルバムに
参加しているピアニストとドラマーを従えた、ワーキング・バンドによるも
の。特に、マーク・ジュリアナというドラマーはかなり若そうだった。

 とってもストーリー性のある、ときにメロディ性も持つジャズを展開。思
っていた以上に、鮮やか。パっと聞いてすぐに思い出したのは、ブラッド・
メルドー(2002年3月19日、2003年2月15日、2004年2月20日)のト
リオ表現。サム・バーシュという今のランディ・ブレッカーを30才若返らせ
たような容姿を持つピアニストはメルドーほどに腕や個性が際立っているわ
けではないが、コーエンの歯切れと含みを併せ持つ生理的に立ったベース
演奏(ときに、弾きながら、パーカッシヴにボディを叩いたりも)で導かれ
るピアノ・トリオ表現はそれに通じる妙味を持つ。楽曲に関してチェックは
入れてないが、おそらくコーエンのオリジナル曲主体だったのではないか。
どれも、1曲10分弱ぐらいのものだったはず。

 ちゃんと視点のある、今のジャズを出しているじゃないかと感心。それは
、門外漢にもとっつき易いインタープレイ〜ジャズでもあっただろう。かつ
てコーエンの名前を広く知らせるきっかけになったチック・コリアのオリジ
ンというバンドのリーダー作が出たとき、“風があるジャズ”という説明の
仕方をしたことがあったが、やはりここにも風というか、確かなひっかかり
や美味しい間の感覚があった。なるほど、コリアはコーエンと出会ってオリ
ジンを組むことを決心したという話もあるが、それも頷けますね。

 突飛というか、ちょっと大げさな書き方になるが、<ジャズとしてのレイ
ディオヘッド表現>というものを、彼らはやんわりと提出していたと思う。
アンコール曲では、エレクトリック・ベースを彼は手にした。南青山・ブル
ーノート東京(ファースト)。



ビル・フリゼール

2006年5月14日
 ブルーノート東京(ファースト)。ぼくが、<ライヴ三昧>で彼の実演の
ことを書いたの2000年7月21日の項。03年にもブルーノートに来ているよ
うだが、そのときは見てないので、ぼくがこのはぐれジャズ・ギタリストの
ことを見るのはもう6年ぶりのことなるわけだ。あー、時間がたつのって本
当に早い。その前回見たときは、セックスモブのリズム・セクションを従え
てのものだったが(うち、ベース奏者は2005年12月29日でも弾いている
)、今回は現ジャズ界一番の売れっ子ドラマーのブライアイン・ブレイド(
2004年2月9日、他)とオルガン奏者のサム・ヤエル(2003年1月16
日。名前は出していないが出演)という、少なくても既発のアルバムでは披
露していない顔ぶれによる。

 へえ、こうくるのか。3人はステージに表れるとMCをはさまず延々1時
間近い演奏をする。いくつかのモチーフ(曲)を用意し(部分によっては、
ヤエルは楽譜を立てて演奏していた)、キブンで悠々と流れていくという感
じのものを彼らは綴った。例のアメリカーナ調になる部分もあるが、普通の
オルガン・ジャズ演奏のところもあるし、過去のグループ表現以上にジャズ
的フォーマットによりかかっている部分は多々。それなりの有名ジャズ曲も
取り上げていたはずだ。ただ、丁々発止しあいつつも、どこか淡々とした情
緒がおおっていて(そがまた、切れ目なく演奏を続けていく風情に合ってい
た)、フリゼールならではのパフォーマンスだなと思わせる部分はあったは
ず。彼は例によってエフェクトをいろいろ使うが、かつて用いていたような
ダーティに空間を切り裂くような音(ジム・ホールをジミヘンの音色で演奏
する、みたいな言われ方を彼はされたことがあったっけか)は一切使わず。
もう一度ジャズ的な何かによりかっかかった私の演奏を求めるのだという
意図のもとに組んだ新トリオであるのだと、ぼくは了解しましたが……。今
後の動向を見守りたい。なお、セットごとに彼らはぜんぜん違う曲目を演奏
しているという。

 3人は本編で、15分近いのをもう1曲演奏。そして、一度ひっこんだ後の
アンコールはバート・バカラックの美曲「ホワット・ザ・ワールド・ニーズ
・ナウ」。フリゼールは超有名曲をくずした楽曲で占めたアルバムを出すべ
きではとないか。その美味しくも、彼らの個性も浮き上がる演奏を聞きなが
ら、ぼくはそう思わずにはいられなかった。

 ずっとオランダに住んでいる(ジョン・ゾーンを脅し、彼の出資でアムスに
スタジオを建てた、なんて話を聞いたことあるが)はずのかっとび系トランペ
ッター、近藤のことを見るのは本当に久しぶり。でも、見た目は変わらないな
。ちょっと痩せたかもしれない。自分で装置をいじりつつ、それに乗せて、エ
フェクト付きのペットを気分の向くまま鳴らす。トランペット自体の演奏もま
た変わらない。悠々延々と、オイラのパフォーマンス。生の音の演奏も聞いて
みたいと思わせる、冴えと持久力はあった。そんな近藤の演奏に、抽象画家の
トム・レイズのペインティングや、DJやVJが絡む。クロスオーヴァー・セ
ッション。すべてのパフォーマンスが終わったあと、ステージ背景に描かれた
レイズによる絵を携帯のカメラで収めようとする人、けっこういました。六本
木・スーパーデラックス。
 幸福な空気、が充満してたな。丸の内・コットンクラブ、セカンド。

 出演者はNYをベースとする、80年代型の(R&B)セルフ・コンテインド
・グループの雄と言えるだろうアトランティック・スター。そういやあ、85年
に横田の米軍基地に慰問のためにやってきた彼らを、知人に誘われて見に行っ
たことがあったっけなあ。そのころ、彼らのことをそれほど聞いてはいなかっ
たけど、普段足を踏み入れることが出来ない場に行けるというので胸弾ませて
行ったっけ。今回、オリジナル・メンバーが誰がいるのか全然気にも留めずに
行った(どうせ、それなりの事はやると思ったから。それに、日暮れ以降の夜
遊びは毎晩やっているけど、GW進行もあって昼間は仕事がパンパンでそれに
邁進。余分なことを気にかける余裕がな〜い)のだが、どうやらグループの中
心となっていたウェイン兄弟の3分の2が残っているよう。若目の男女のシン
ガーを中央に起きつつ、かつての財産を伝えるパフォーマンスが1時間15分ほ
ど繰り広げられた。

 ところで、この日でなんとも印象に残ったのはほぼ満席のお客さんのありよ
うだった。なんか、けっこう男同志の客が多いのだ。しかも、ネクタイを締め
ている人が多く、オヤジが多い。なかには、孫がいるだろう男性グループもい
る。おおっ。実はこれまでコットンクラブに何度も行っているが、場所から想
像させられるほど勤め人ふうのお客は多くないし、さほど年齢も高くはないと
いうのがぼくの所感だったのだ。というのはともかく、この晩のお客さんたち
がまた皆なんとも嬉しそう。ビートに合わせてうきうき、にこにこといった感
じで体を揺らしたり、首を大きく振ったり、歌に合わせて一緒に口を動かした
り。

 うわああ何なんだ、この円満にしてワクワク感に満ちた場内の光景は……。
そういえば、先日のファンク・ブラザーズの日には中学生の息子を連れたお父さ
んがいたりもし、心温まったりもしたな。かつて享受していた強い思いを与え
られた“宝石”に再び接しいい気分になりつつ、若い日に戻ってやんちゃにな
っちゃうというのはアリではないか。それは後ろ向きなものかもしれないが、
ひどく甘美で、癒しを持つものであり、ある意味建設的な高揚や開放を持つ行
為であると思う。とくに普段、音楽と離れた生活をしいられる人達にとって
は。そして、そんな人達の心からの喝采を受ける出演者たちの幸せそうなこ
と。ほんと、幸せの二乗ネ。

 で、ぼくはなんとなく、大げさすぎるかもしれないけど、映画『フィールド
・オフ・ドリームス』のことを思い出したりも。……あの球場に行けば、往年
の名選手の笑顔のプレイに触れることができ、童心に、かつての自分に帰るこ
とができる。あの映画で描かれていた、輝かしい“夢の空間”がここにはあっ
た。


 渋谷・NHKホールの横で“アース・デイ”というイヴェントをやっていて
、そこで知り合いが出店しているというので足を向ける。野外ステージではラ
ヴ・サイケデリコがライヴ(無料)をやっていた。
 
 そして、渋谷・クアトロでジェシー・ハリス。オルガン付き編成は前回公演
(2005年9月7日)と同じ。感じとしても、同様。バッキングのプレイヤーも
同じだったのかな。ただ、もっと絡みが練られている部分はあった。また、前
回との違いとして、今回は途中でサーシャ・ダブソンという女性シンガーがゲ
ストで入りしたこと。ボサっぽい曲とかを数曲サバけた物腰にて歌った彼女は
近く、ハリスの自己レーベル“シークレット・サン”からデビューする。で、
彼女はノラ・ジョーンズのお遊びユニットのリトル・ウィリーズのメンバーで
もあり、素晴らしいソロ新作を出したリチャード・ジュリアンのガール・フレ
ンドだそう。ダブソンの新作『モダン・ロマンス』は3人の作者クレジットが
入り交じっている。

 実は彼女(79年シスコ生まれ)の両親はジャズ・ミュージシャン。父親のス
ミス・ダブソン(01年没)は大昔リッチー・コールのバッキングで来たとき、
ぼくは見たことがあるはず。スミスとボビー・ハッチャーソンとの88年双頭ア
ルバムの名前は『サーシャ・ボッサ』という。母親のガイルはそれなりに黒い
歌い方をするシンガーで、そのリーダー作を聞くとチャカ・カーンがジャズを
歌ったときのことを少し思い出したりも。で、本人も実はマジなジャズ・ヴォ
ーカル・アルバムを出したことがある(01年録音、04年リリース)。というか
、そんな両親の元、ずっとジャズで来た人で、ポップ・ミュージックをちゃん
と聞き出したのはここ数年のこと。だから、今が物凄く新鮮とも彼女は言うし
、今回新たなスタートを切ったという気分も持っている。ジャズ側からポップ
側にシフトしたというのはまるっきりノラ・ジョーンズと同じ筋道を持つが、
彼女はジョーンズとも友達なのだとか。だから、彼女と比較さるのはかまわな
いそう。鼻ピアスをし、右腕に鎖の入れ墨をした彼女はオフで接するととって
もアメリカンな感じの人だった。

 夜中、デイズド&コンフスューズド誌主催のイヴェントをやっている南青山の
クラブ、ヴェロアに行く。ブルーノート東京の近く。なんか、フロアが細長が
ったのと、混んでてトイレを使うのに並んだことぐらいしか、よく覚えてない
や。あと、バーの人がバーボンのロックを頼むときに大盛りでと言ったら、多
めについでくれたナ。
 わははは。台湾アーティスト、デビューぢゃ。

 1976年米国NY州ロチェスター生まれでバークリー音楽大学なんかにも通っ
た、日本でも人気の(6月には、鈴木京香と共演した映画も公開されるよう)
このハンサム・ガイのことを、ぼくは最近まで認知していなかった。だけど、
CD聞いたらけっこうすごいんだよね。基本はR&B/ヒップホップがメイン
・ストリームたる時代のポップ・ミュージックなんだけど、自作派の人でかな
りの作曲能力を持っているし、ときにアジア的な要素も巧みに入れていて眩し
いミクスチャー感覚を感じさせてくれたりもするのだ……。

 で、きらびやかな、アイドル的でもあるショウを渋谷・NHKホールで見た
。客はおばはんは多くなく、若目の女性が多かった(ように思う)。とうぜん
黄色い声援が飛び、いろんな色の蛍光スティックやメッセージ・シート(ちょ
うど、彼は30歳になったみたい)を持つ人も少なくない。そんななか、いたた
まれなくなるかとも思ったのだが、これがかなりいい感じで見れたのだな。そ
れは、一重に彼がやはりいい曲を次々に繰り出してくるから。どこかで聞いた
感じのものもあるのだが、ぼくの見立てでは作曲能力はベイビーフェイスより
上ではないか、と。

 出だしのころ、パっと見て思ったのは、プリンスのこと好きなのかな? な
んか、ちょっとした声の出し具合とかから。バッキング陣は、音楽監督のキー
ボード、ギター、ベース、ドラム、パーカョション、コンピューター担当。そ
して、ダンサーが男性四人、女性二人だったか。バンドは西洋人も複数入って
いたが(打楽器の人は中近東名だった)、もう少しバシっとした重厚感のある
音を出してほしいところ。また、当初は本人の歌も少し弱いかもと感じたが、
ハードディスクのバック・コーラスを使うことはあっても、すべてを自分の生
の声で2時間を通したのは褒めていいとぼくは思った。とかなんとか、一番劣
っていると感じたのはダンサーたちのスキルだったな。

 ステージ設定や音楽傾向は手を変え、品を変え。彼は歌ったり(ラップも少
々)、踊ったりするだけでなく、ときにピアノを弾いたり(弾き語りみたいな
ときも)、ヴァイオリンを弾いたり、ドラムを叩いたり、ギターを弾いたり。
さすが、音楽大学出身者ネ。あと、台湾かどこかの伝統的な弦楽器を弾いたり
もしたが、期待したほどはエイジアンな要素は高くなかった。でも、繰り返し
になるが、次々に送りだされる曲はどれも完成度の高いものであり、ぼくは今
度はどんな曲が出てくるのとドキドキしながら聞けた。MCは英語や日本語な
どの併用。プロでしたね。

 今回、ひさしぶりにNHKホールに行って感じたのはいくら改装などのメイ
ンテナンスはちゃんと行われていたとしても、過剰に古さを感じさせないハコ
だなあということ。だって、間違いなく築35年近くたっているはず。確か、ロ
ック・アーティストで同所で最初にコンサートをやったのは、73年ごろのジェ
スロ・タルだったはず。もちろんそれを見てはいないが、『パッション・プレ
イ』というアルバム・タイトルとともに、ぼくはそのニュースを記憶の襞に留
めている。それともその後、改築されているのかな。
 2005年11月4日の項でちょい触れている映画。そこで、ヴィム・ヴェンダ
ースが監督と書いているけど間違いで、彼は制作総指揮を担当。監督/脚本は
ヴェンダースの教え子、アルゼンチン出身でドイツ在住のヘルマン・クラルと
いう人がやっている。

 『ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ』に出演していた老シンガーのビオ
・レイバが主人公。彼が新世代の名グループであるインタラクティボのマネー
ジャーをしつつタクシーの運転手をしている人物と出会ったことで、彼の手引
きで新しい世代の新しいキューバ音楽のタレントたちと次々出会っていき、新
バンドのザ・サンズ・オブ・キューバを結成。目標は海外公演で、運良く日本
人のスポンサーが表れ、彼らは東京に飛ぶ……。

 ロス・バン・バン(2005年8月10日)のマリオ“マジート”リベーラ、イ
ンタラクティボのメンバーでもあるテルマリー・ディアスをはじめ、本当にい
ろんなミュージシャンが実名で参加。それらは周到な取材のもときっちり脚本
になっているそうだが、主なミュージシャンのインタヴュー的な話が挿入され
たりもし、巧みにフィクションとノンフィクションを行き来する感じでストー
リーはすすめられる。きっと、『ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ』もそ
ういう成り立ちを持っていたんだろう。

 いかにもありがちなストーリーであるが、やっぱりいろいろと嬉しいし、興味
深い映画。88分と短い映画であるが、もっと長く感じる。あと、見ててアレレ
と感じたのは、登場するキューバ人(ミュージシャンも民衆も含めて)がほと
んど黒人であること。それに触れると、キューバにおいて白人と黒人の間には
かなり距離があるように感じられてしまう。昔、キューバに行ったときは白い
人も黒い人も一緒にいる感じで、キューバには人種差別が存在しないという話
を肌で納得できたりもしたのだが。差別は存在しないが、けっこうすみ分けさ
れているように、この映画は描いている(と、ぼくは感じた)。渋谷。シネカ
ノン試写室。

ドゥエレイ

2006年4月19日
 ヴァージンから2枚のアルバムを発表している、デトロイト・ベースの今様
しなやかソウル・マン。丸の内・コットンクラブ、ファースト。ステージに表
れた本人はジャケットを着てたりして、今どきのブラック主流のそれからは離
れているのは間違いない。彼、白いシャツの下にはスティーヴィ・ワンダーの
Tシャツを着ていた。ファルセット多用の男性バッキング・ヴォーカル、キー
ボード、ベース、ドラムスを従えてのもの。全員黒人。

 ステージの左側と右側にフェンダー・ローズが2台おいてある。だが、ドゥ
エレはエレピを弾かず、中央に立って歌うほうが圧倒的に多い。また、中央マ
イク・スタンドの横にはアナログとCDのDJセットがおいてある。彼は登場
するときにアナログの束を持って出てきたのだが、なんと1曲ごとにアナログ
をターンテーブルにセットして回すのだ。その音がほとんど聞こえないときが
多く、彼が自分でこすってスクラッチを地味に入れるときもあった。そんなの
なくてもいいかもしれないが、“儀式”としては笑えたし、それもまた彼の姿
勢/音楽観を顕すものであるだろう。なお、CDのプレイヤーのほうは使わず
。あと、可笑しいのは、1曲終わるごとにレコードと白い紙ケース(マジック
・ペンで曲名が書いてある)を怖い顔をしたキーボード奏者にぞんざいにぽい
っと投げること。彼なりのショーマンシップ? 

 ニュー・ソウル期表現を根っこにおき、今を自分なりに泳ごうとしているの
がよく分かるパフォーマンス。ワンコードで日本への気持ちを綴っていくよう
な曲なども、やってました。

    
 <ラブレター フロム 彼方(ラブかな)>という集団が企画した、“JA
ZZ TODAY in Komaba2005" という6日間に渡る無料イヴェントのなか
の1日を駒場・東京大学駒場小空間(それなりの大きさのホール)で見る。こ
の日は、" フォー・デレク・ベイリー" と題されたもの。

 まず、アンダース・エドストロームという写真家としてのほうが知られるら
しい人物のベイリーのドキュメンタリー映画『one plus one2 』が上映される
。UKフリー・ジャズ・ギターの巨匠(2月23日の項、参照)の晩年のどって
ことない日常を緊張感のないカメラで描いたもの。自分のライヴの録音物を聞
き直したり(それを隣の部屋からぼんやり写す)、電話に出たり、公園を散歩
したり、奥さんらしき人とご飯を食べているシーンもちょい出てきたか。TV
でクリケット中継を見ているところもあったが、さすが英国人。で、やはり一
番興味深いのは部屋でギターをそれ風に弾いているシーン。へーえ。まあ、全
体としてはぼくにとってはよく分からない仕上がりではあるが、御大の普通の
時間を垣間見れることは確か。

 その後、3人のミュージシャンがソロにて1曲づつ演奏。

 まず、COMBOPIANO/渡辺琢磨はピアノとシンセを用いての演奏
。やはり、二つの楽器の合わせ味は独自にし、存在価値あり。ピアノ・ソロ部
分はキース・ジャレットの『フェイシング・ユー』のころのソロ演奏を思い出
させる。続いて、大友良英。右手に持つスライド・バーを多用したりもする、
彼にとっては正調(?)の轟音狼藉演奏。

 そして、ジム・オルーク。大友と同様、セミアコを手にしての演奏ながら、
こちらはほとんど非アンプリファイドな音も局面的には用いたりもし、メロデ
ィアスにベイリーへの思いを綴っていくという感じの演奏。一人で淡々と30分
ぐらいは平気でやってのではないのか。なんか、見直した。

 無料だと人が集まるんですね、と大友が言っていたが、確かに超満員。であ
るとともに、確かにこれが無料とは素晴らしい。三者の演奏のあと、トークも
あったようだ。
     
 5人の管楽器奏者たちによるビッグ・ホーンズ・ビーを赤レンガ倉庫・モー
ション・ブルー・ヨコハマで見る。テナー、バリトン、トロンボーン、トラン
ペット、トランペットという布陣。全員の前に譜面台がおいてあったが、MC
によれば新しい曲中心のパフォーマンスであったよう。エリントン曲のオープ
ナーからJB調に写り、アンコール曲はもろのタワー・オブ・パワー調。ファ
ンキーなノリを基調に、管楽器が前面に出た滋養豊かな表現を聞かせるという
感じか。バッキング・バンドは沼澤尚や森俊之ら毎度の顔ぶれで固定してやっ
ているようで、ぬかりはない。ともあれ、フロント陣は長年の積み重ねだろう
アンサンブル等はこなれ、ビッグ・バンド風な絡みも上手い。ゆえに、一曲ぐ
らい5人だけの演奏も聞きたくなるところではあったけど。

 その後、横浜・サムズアップに移動。「いいハコですよ」という話は聞いて
いて行きたいナと思っていたのだが、なるほどいい感じで見れるヴェニュー。
天井がもうちょっと高ければとは思うが。お客さんにぜんぜん、サラリーマン
風の人がいずへえっと思う。ハコ自体の固定客が多そう。

 で、特殊酔狂ギタリストのチャーリー・ハンター(1999年6月22日、2002
年1月24日)を見る。ドラマーがパワフルに叩ける人に変わったせいか、サ
バけた客/反応につられたせいもあるのか、これまでで一番飛ばした感じの実
演だったのは間違いない。よりストレートで、ときにロッキッシュでもあった
な。あと、なるほどなと思わせられたのは、過去にも同行しているテナー・サ
ックス奏者(一部、バスクラも吹く)のジョン・エリスがけっこうエレピ(と
きにはピアニカ)を弾いていたこと。かつてのハンターはオルガン風の加工音
で演奏することも多かったのだが、そんなこともあり、この晩はわりかし素直
なギター(とベース)の音で勝負していたことは、聞き手にその妙味をストレ
ートに働きかけることにつながっていたのではないか。やっぱり、ギターで過
剰にアクロバティックなことをするというのは、どこかに無理がある。

 ところで、サムズ・アップはハコのディスプレイから食べ物まで、なにもか
もがアメリカン。で、途中から、空気が澄んでいて、誰も煙草を吸っていない
のに気づく。テーブルに灰皿もない。え、ノー・スモーキングもアメリカ流?
な〜んて半信半疑ながら思っていたら、それはアーティストの意向でこの日だ
けのよう。残念。

 帰り際に、ハンターとちょい言葉を交わす。初来日時にインタヴューしたこ
とを覚えていたので、そのときの話題から(1999年6月22日の項、参照のこ
と)「今回もパンデイロを持ってきている?」と聞いたら、ちょいすまなそう
に「いや、もうずっと触ってないんだ」。ちょっと、寂しかった。
 南青山・月見ル君思フ。まず、オープニング・アクトとして、直枝政広ひ
きいるカーネション(2003年10月3日、2004年12月12日)が登場。威
風堂々、1時間近くのパフォーマンス。途中、キーボード奏者が入った曲も。

 そして、休憩を挟みジ・インクレディブル・カジュアルズ。マサチューセ
ッツの有名リゾート地ケイプコッド拠点の、NRBQ(1999年5月22
日。かなり、のぼせた文章かいているなー)と横並びで紹介されもする(N
RBQのジョーイ・スパンピナートの弟ジョニーがいることもあって。その
ジョニーはNRBQのメンバーでもある)、知る人ぞ知る四半世紀ものキャ
リアを持つ4人組。もう、何もかもがいい案配。NRBQよりは少し参照す
る世界がせまい部分も感じられるが、音楽的にも精神的にもロックの本懐を
口惜しいぐらいに掴んだイカしたロックンロールが適切な隙間感とともに送
りだされて、ぼくはほんとうに高揚し、有頂天になれた。不条理なことは世
の中いくらでもあるわけだが、その実演に触れ、そのやっていることの素晴
らしさと評価の大きさの差がトップクラスに著しい現役バンドではないかと
もしっかり思う。

 歌/ベースのチャンドラー・トラヴィスは途中でメモを見ながら、「戻っ
てこれてうれしいです。カーネションと対バンやるのは久しぶりです」と、
たどたどしく日本語でMC。もちろん、彼らは初来日。ひゃひゃひゃ。そう
言えば、ドラマーのリッキー・ベイツはきっちり化粧し、女装(胸にはツ
メものをする)するのがならわし。いい歳こきながら、その精神はまったく
もって素晴らしい。でもって、腕がたつのだから言うことない。

 アンコールの頭2曲ではカーネーションの二人が混ざって、ストーンズ曲
をやる。そして、4人でまたやって、客電がついたあとも出てきて、また1
曲。志もあるが、心意気もあるんだよなあ。4月11日に続いて、ぼくのココ
ロのメーターはふりきれました。
 赤レンガ倉庫のモーション・ブルー・ヨコハマ(セカンド)。英国の、メ
ロディアスなフォーキー・ソウルの達人。ガット・ギターを弾き語りする彼
(2001年3月19日、他)に加え、ベースとパーカッション奏者(彼はハン
ガリー出身とか)を従えてのもの。アンコールを含め全13曲、1時間ちょい
のパフォーマンス。

 取材で会っても非常に物静かな人だが、それはパフォーマンスでも同様。
多分にボサっぽくもある繊細な表現を淡々と聞かせていく。先にフォーキー
・ソウルと書いたが、思ってたよりはソウル度は低め。でも、ソウル度だけ
が尺度となる人ではないということも、その実演は飄々と語っていたと思う
。アンコール最後の曲はビル・ウィザーズの「ユーズ・ミー」。その曲はか
なりファンキーにやった。

 終演後に流れたら、当然のごとく電車がなくなる。横浜泊にしても良かっ
たのだが、翌日の仕事のこともあったので、タクシー帰還。ああ、流れる光
の帯……、酩酊の第三京浜。    
 ファンク・ブラザーズとは60年代のモータウン表現の屋台骨を担った、そ
の奥にはいろんなドラマありの、同社ハウス・ミュージシャンたちの名称。
名音楽映画『永遠のモータウン』(2003年12月2日)の評判から興行を
やるようになったものが、やっと日本にやってきた。

 ステージに上がったミュージシャンの数は、なんと14人。そのなか、オリ
ジナル時(60年代のあの頃の)の奏者はパーシッションのジャック・アシュ
フォードとオルガンのジョー・ハンター。その二人だけが年配で、あとは年
齢がいってても50才ぐらいか。だが、6弦で粘ったフレイズを弾くリック・
ジェイムズ似のベーシストをはじめ、力量は十分なもの。ラリー・ジョンソ
ンというフロントに立つシンガーも無名ながらきっちり歌い進行の出来る人
だし、二人の女性コーラス(とくに白人のおばちゃんはうまかったなあ)も
ちゃんとしている。やっぱり、アメリカのショービズの世界には巧い人がゴ
ロゴロいるんだろうなと痛感。とともに、モータウン曲は彼らにとってはま
さしく基本にある“課題曲”のようなものだろう。唯一ナゾと言えば、サイ
ド・キーボードの白人のおちっゃんの存在(他はプレイヤーの多くは黒人)
。ほとんどキーボード弾かないで、後ろのほうで地味な振り付きでコーラス
を笑顔で付けていた。でも、なんかそれもほほえましくて、そういう無駄も
ありかも知れぬと思ったりして。

 テンプスの「エイント・トゥ・プラウド・トゥ・ベッグ」や「マイ・ガー
ル」をはじめ、スプリームス、スティーヴィ・ワンダー、マーヴェレッツ、
マーヴィン・ゲイ他の超有名曲がずらり。それを、しっかりと送り届ける。
モータウンがいっぱい。そりゃ、無条件でいい気分になっちゃうよなー。レ
パートリーはいろいろありますという感じで、彼らはセットごとに曲や曲順
を少し変えてやっているようだ。

 アンコールはジュニア・ウォーカーの「ショット・ガン」。ビートに合わ
せて、ぐいぐい踊っちゃう。本当に楽しかった! とっても、気持ち良かっ
た! 実はぼく、高校入るころからファンクやブルースは聞いていたが、甘
ったるく感じるモータウンはほとんど接したことがなくて(テンプスの「パ
パ・ウォズ・ア・ローリングストーン」は不気味な歌だなあと思って、ポイ
したことあり。ポップなほうは、ロックでまかなえばいいと思っていたかな
)、ちゃんと接するようになったのは社会人になってからだった。だが、い
つの間にか、本当に本当に大好きになっちゃってるんだなーとも思い感無量
。そのパフォーマンスに触れながら、モータウンって本当に幸せな音楽であ
り、希望を感じさせる音楽であるとも感じずにはいられず。ああ、モータウ
ンって凄い。丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)

 そして、時代は15年先に進み、場所はデトロイトからNYへ移る。

 南青山・ブルーノート東京に移動して、シック(2003年4月15日、20
03年8月24日)を見る。やはり、事情が許せば来日するたびに触れたいと
思わせる素晴らしいライヴ・バンドと言うしかない。今回も質が高く、サー
ヴィス満点で、最高にぼくは楽しんだ。アメリカ黒人音楽、万歳。

 こちらは、全10人編成による。ファンク・ブラザースのほうは服装を黒基
調でまとめていたが、こちらはみんな真っ白な服で揃えている。曲よし、演
奏よし、エンターテインメント精神よし(最後のほうには、ブルーノートで
写真を撮れるのはシックだけ、みたいな前置き付きで、写真撮影タイムもあ
り)。80年代中期には一時、ロックのほうまで仕切った(デイヴィッド・ボ
ウイの『レッツ・ダンス』他)シック軍団だが、彼らもまた確固たる財産を
築いている。曲が出てくると、あ〜コレコレコレの連続。ギターのナイル・
ロジャーズとベースのジェリー・バンーズ(妹のカトリース・バーンズや沼
澤尚らと一緒にレコーディング・ユニットを組んでいて、アルバム発売リリ
ース/ライヴお披露目を目指している)とオマー・ハキムのトライアングル
はとにかく強力。3人だけの手癖演奏、聞いてみた〜い。

 というわけで、この晩は米国黒人音楽の蓄積にいっぱい触れる。至福。な
ぜか新富町にあるお店(銀座あがりの和服女性がいたりするのが、場所柄ね
)に流れるが、途中から合流した先輩Yさんが家まで送ってくれる。いい人
だあ。3時ぐらい、すごい雨だった。
 グループ名を聞いただけでちょっと萎えちゃう(前者はザ・ダーティ・ダ
ズン・ブラス・バンドのアルバム名をまず思い出すよなあ……)、英国の若
手バンドを二つ見る。ときに虚勢張ったダミ声が入ったり、はったりっぽい
激情やヘヴィ傾向パーツが組み込まれたり、ということについて、両者は重
なっていたりもする。二つともフェス関連ですでに来日済みのようだが、と
もにぼくは初めて見る。恵比寿・リキッドルーム。集まっている人は、普通
のロック・ファンという感じの人たち。普段会う、同業者の知り合いとは一
人も会わなかった。恵比寿・リキッドルーム。

 まず、バステッドにいた人が中央にいるファイトスター。これが、今のハ
ード・ロックなのかな、だったらぼくは耐えられるゾと思いながら見る。歌
声の不自然さはバツだが、妙な清々しさも感じたし。40分ぐらいはやりまし
た。そこそこ、声援も飛ぶ。

 そして、フューネル・フォー・ア・フレンド。ファイトスターと比べると
、貧相でカッコ悪い。その動きを含め、なんかちゃらくもある。でも、送り
だされる音はまっとうだし、娯楽性も持つ。どう見ても、ぼくの好みから離
れることをやっているに、ばっちり音が決まっていて聞かせる。コーラスも
とれる。これはこれでいいだろうと思わせる説得力がある。お客の反応も実
に熱烈で(まあ、ぼくの所感においては“パラパラ客”−2002年2月15
日の項を参照してね−ではあるのだが)、「ジュナウ」という曲などはみん
な大合唱。途中に、ファイトスターの人が出てきてちょっと歌ったり。けっ
こう、傍目には仲が良さそうな感じも。ちゃんと気持ちがあって、気持ち良
く身体を揺らすことが出来ました。

 仏政府、新雇用制度を撤回というニュースをその後、流れた場所で知る。
フランスの民衆、すげえ。フランス車のってて良かったぁ?

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