まず、渋谷・JZブラット(ファースト)で、30年前強に非常に通受けし
た人気を得ていた(いや、デビュー作は全米総合で3位となった)米国ヴェ
テン女性歌手を見る。キーボード(ベース音も左手で兼任)、ギター、ドラ
ムを率いてのもの。ジャズやルーツ・ミュージック要素をポップ・フォーマ
ットにおいて魅力的に(たぶんに、ノスタルジックな情緒を出しながら)と
り入れた事をやった先駆者的存在と言うこともできるのかな。
 
 簡素な音で、アーシーだったりジャジーだったりする曲をこぶしを込めた
りして歌う。この世で一番好きなソングライターという紹介とともに、ボブ
・ディランの曲も歌唱。実は、彼女の新作はボブ・ディラン曲集なのだ。最
後の方で、ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ(1999年8月2日)も取り上げ
た、彼女の十八番曲「ミッドナイト・アット・ジ・オアシス」も披露。ぬめ
ぬめした感じのこの曲、初めて聞く人だといまいち曲の輪郭がつかめないも
のになっていたかも。やはり、魅力的にして、難しい歌だな。アンコールに
も応え、一人で出てきて彼女はアカペラで1曲歌う。

 “オールド・タイム・レディ”は本当にオールド(60歳すぎてるしな)に
なっていた。でも、お茶目な感じは悪い印象を残すものではとなかったし、
なにより少ない観客(30人ぐらい)にも係わらず、ちゃんと客とコミューニ
ケートしようとしていて、偉いなとも思った。

 そして、南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)で、スピリチュ
アル・ジャズの大巨匠ファラオ・サンダース(2003年4月22日)を見る。
ピアノ・トリオを率いてのもの。ラヴィ・コルトレーンを従えた二管編成に
よる前回のブルーノート東京公演は見ていないが、けっこう2年前(2003年
4月22日)のときとはやっている曲調が大きく違う。前回はフツーのジャズ
曲をやったという印象が強いのだが、今回は全部コルトーン派生の太平楽系
スピリチュアル曲に終始していたんだもの。全日見た人によると、曲目はど
のセットも違い、フツーに4ビート曲をやった時もあり、このセットのほう
が例外らしい。なんにせよ、それゆえに(今の耳においては)聞きやすさ/
とっつき易さは倍増し、満員の客(非ジャズ・リスナー的風情の人が多かっ
た)も大喜び。最後の曲は踊ったり、客とコール&スポンスをしたり。1時
間45分ぐらいやったかな?

 テナー・サックス自体のフレイズは衰えを感じる部分がほんの少しあった
かも。でも……、見てくれ/風情だけでお金がとれる人であり、米国黒人音
楽のワケの判らぬ何かを確かに体現する人。それが、ファラオ・サンダース
なり。

越路姉妹、しまさい

2006年8月22日
 代官山・晴れたら空に豆まいて という、開いて間もない、新しいライヴ
・ハウスに行く。駅近くの一等地、テナント料の高そうな建物の地下2階に
あった。その前もライヴ・ハウスを営業していた場所というが、それなりの
高さを持たせたステージを持つハコ。大きさはアストロ・ホールぐらいか。
お座敷席もあって(全体的に和っぽい、かも)、そこはとても見やすそう。
場内禁煙なのも、ぼくにはうれしい。南青山の月見ル君想フ系列だそうで、
飲み物とかはちゃんとしている。月見ルより落ちついていて、大人向きとい
う感じもあるかな。

 2006年3月6日でも見ている、2組を見ました。両者は途中にちょっと重
なったりも。
 久しぶりに復活なった、野外レゲエ・フェスティヴァル。同祭のホームペ
ージをひいても会場への地図やタイムテーブルなど出ておらず不安を抱かせ
るものであったが、まったく問題なし。ぼくは、レゲエ・フェスの心地よさ
を十分に満喫した。会場は横浜みなとみらい・新港埠頭特設ステージ。赤レ
ンガ倉庫の隣の先のほうで、場所は非常に便利。かつて、横須賀のほう(ジャ
パンスプラッシュ)でやってたときは遠かったもんなあ。

 晴天。ぼくはフレディ・マクレガーから見る。先に行っていた知人がいる
ところに合流。すでに、そのころには会場は満員。会場内ブロックに入りき
れない人が、会場の回りの売店などがあるスペースにとても沢山たむろ。会
場のキャパに対して、入場者が勝っている。だけど、そのことにあんまりい
らついている人がいないようだったのは、幸いだ。客の平均年齢はそんなに
低くない。そして、やっぱりロックのフェスとは雰囲気がぜんぜん違う。ゆ
るゆる。もっと、ピースフルで、横にいる人たちとのやりとりもジェントル
に仲良しぽく。大げさに言えば、ココニ来テイル人ハ皆友達、みたいな雰囲
気がただよっている。それは、ジャム・バンド系フェス以上だな。開放的で
、男女ともに肌の露出度が高い(水着基調の人も少なくない女性の場合は、
Tシャツ&ジーンズという恰好だと、重装備すぎて浮き気味に感じますね)
のも、夏フェスという気分をもりあげる。なんか、音楽以外の部分で、ぼく
はとても和めた。

 マクレガーに続き、ウェイン・ワンダー、ルチアーノ、ジミー・クリフ(
2004年9月5日)と次々にのど自慢が登場したわけだが、驚いたのはみんな
それぞれ自分のバンドを率いてパフォーマンスしていたこと。かつてレゲエ
のフェスというと、ハウス・バンドが二組いて、フロントに立つシンガーた
ちを交互にバックアップするという体裁がとられていたように思うが。とも
あれ、それはより密度の濃い実演に繋がるわけで、とても嬉しい。ジャマイ
カからやってきた人たちは総勢100人を超えているかもしれないが。それ
ぞれに好演、一番良かったのはときにメンフィス・ソウルみたいにもなるル
チアーノだったかな。

 それにしても、レゲエの人は歌も演奏もうまいなあと痛感。そして、レゲ
エのフェスはいいなあとも実感。いろんな趣向がこらされた今時のロック・
フェスと違ってステージは一つだけ。一つが終わると少しセット・チェンジ
の時間があって、また別のアーティストが登場する。それを、仲間同士で和
気あいあいと受け取る。音楽フェスなんて、それでいいのではないかと、ぼ
くは思ったりも。繰り返すが、それぐらいぼくの満喫度、楽しいなあという
思いは高かった。

 トリのジミー・クリフだけはアンコールがあって、そのときは他の出演者
も出てきて、皆でフィナーレ的に「ハーダー・ゼイ・カム」を歌う。場所が
場所だけに終演時刻厳守だったのだろうけど、午後8時1分前にきっちり終
わったのにはびっくり。ちゃんとしてるう。でも、どの人たちもきっちり自
分を出すパフォーマンスをしていて、時間を気づかってパフォーマンスして
いたという感じは全然なかったのだけど。


サマーソニック

2006年8月13日
 2日目。マリーン・スタジアムの横でバイク・レースをごんごんやってて
驚いた。この日はちと精神的に辛かった部分も。夕方のマウンテン・ステー
ジのフォート・マイナー(リンキン・パークのMCのユニットで、3MC、
3コーラス、DJ、ドラム、2ヴァイオリン、チェロ、打楽器という編成。
リンキンのシンガーが加わったりも)、DJシャドウ(やっぱり映像との絡
みは面白い。ラッパーとシンガーを連れてきて、絡んだりも。妙にまっつぐ
な感じを持つ人だよな)、マッシヴ・アタック(今回はツイン・ドラムにて
。照明はちと違和感を覚えたが、音の部分では今回が一番確かだったのでは
)という出演者3連発ライヴ・レヴューを頼まれて。ぎりぎりでネリー・フ
ァタードが見れなかったり(出演が遅れて、イントロだけ聞いた。今回、時
間が遅れるステージもけっこうあったな)、最後のマッシヴ・アタック(20
03年3月25日、DJシャドウも)ぐらいは混むかも(入場規制がかかって
入れなくなったらマズい)と、横でやっているハーバートやトゥールにも行
かなかったから。一か所にずっといるのは辛い。だが、その3組はどれもい
いパフォーマンスだったので、何よりではあったが。終了は10時少し前。帰
り高速は、渋滞で辟易。12時近くに帰宅し、1時間で速攻の原稿を書き、Z
ZZZ。



サマーソニック

2006年8月12日
 久しぶりに、晴天ではないサマソニ。昼下がりに幕張メッセに着くと、一
番大きい駐車場用の案内表示に“満車”と出ている。別の駐車場に止めるつ
もりだったので別にどうでも良かったのだが、そういうことは過去なかった
ような。今年はより入りが良かったのか。恐竜展とボリショイバレエも、同
じくメッセでやっていたようだが。一時、落雷でJR山の手線は大変だった
らしいが、幕張も一時はすごい雷雨。

 この日はなんといっても、初来日となるスクリッティ・ポリッティ(マウ
ンテン・ステージ)がぼくの目玉出演者。デビュー作を出したラフ・トレイ
ドから唐突に新作を出した彼ら(というか、スクリッティはグリーン・ガー
トサイドのソロ・プロジェクトなわけだが)だが、もともとライヴ・パフォ
ーマンスをする人たちというイメージはないし、ライヴを見れるということ
でけでOK? 木曜に渋谷クアトロでやった単独公演もフル・ハウスだった
というが、会場はその前に(横の同クラスの大きさのソニック・ステージで
)見たダニエル・パウター(こなれたバンドとともに、なかなか良かったん
じゃないでしょうか。2006年3月24日)の半分の入り以下でちょい寂しい


 髭面になった元美青年のガートサイドを中心に、ギター、女性のベース、
キーホード、ドラム、キーボードと打楽器という6人編成で事にあたる。お
お、グリーン(と、やっぱりファースト・ネームで書きたくなるな。普通、
ぼくは原稿の場合、フル・ネームで書かないときは襟をただしてファミリー
・ネームを書くようにしている。なんか、ファースト・ネームだとなあなあ
な感じが出るような感じがして。でも、やはり一部の特別銘柄のアーティス
トは愛着を込めてファースト・ネームで記したくなるな。2年半前にぐらい
に、彼らのファースト再発盤のライナー・ノーツを書いたときは嬉しかった
にゃー)の声、まんまじゃないか。レコードで聞ける声は多少加工している
のかなという所感もあったけど、けっこう素がああいう感じの声質なのかな
と思えたりも。彼は大半の曲でギターを弾きながら歌う。彼はギターでモノ
を考える人だったのだな(と、初めて認知)。

 バンドはそれなりにまとまっている。特に、若い、なかなかカッコいいド
ラム奏者は腕がたつ。面白いのは、そのドラマーが曲趣によって、普通のド
ラムとエレクトリック・ドラムを使いわけて(2台、併置されていた)いた
こと。それは、スクリッティの音を知っている人なら、非常に納得ですね。
グリーンだけが前に譜面台を置いていたけど、それは歌詞を見るためか。面
白いのは、大学生風の非常に喧嘩の弱そうなキーボード/打楽器担当(そん
なに、演奏に貢献はしていなかったような)の眼鏡青年が甲斐甲斐しく1曲
ごとに、譜面台にシートを置きにいっていたこと。その風情、付き人のごと
し。グリーンがゲイという話は聞いたことがないが(そういう話題について
、ぼくは非常に疎いのだが)、二人はできてるんですよと言われれば信じそ
う。

 けっこう新作『ホワイト・ブレッド・ブラック・ビアー』からの曲をやっ
たのかな。ファースト作の「ザ・スウィーテスト・ガール」、セカンド作の
「ウッドビーズ」をやったときには夢心地。ま、パーフェクト・サウンドが
付けられていた後者の再演は知らない人が聞いたらどんな曲調かよく分から
ないモノになっていたかもしれないが。横で一緒に見ていた彼らのことを全
然知らないという娘が、良かったあCD買いますと言っていて、とても嬉ぴ
ー。まず買うなら、ファーストかセカンドだよと念をおす。

 スクリッティ・ポリッティをリアル・タイムで聞けたということは、本当
に幸せなこと也。
 
 純粋な見地に立てば、それ以上に良かったと思えたかもしれないのは、フ
レイミング・リップス(ソニック・ステージ)。夢と手作り的創意がいっぱ
い。とっても飛ばされる七色の帯(上部の鉄筋にまで届いていたものな)、
光る紙吹雪、客フロア側にまかれた大きな風船、ステージ上に登場するデカ
い風船人形、沢山のコスプレの人たち、などいろんな小道具や仕掛けを通し
て、ピースフルで夢のあるパフーォマンスをハートフルに展開。素晴らしい
。そして、愛と平和をアピールしつつ、ブッシュに対するバッシグもありで
にっこり。物理的にも生理的にも、あんなにカラフルで、満ち足りたステー
ジもそうはないのではないか。唯一、違和感があったのは「サンキュー」と
いうお礼の言葉を必ず、裏声で言っていたことぐらいか。パフォーマンスに
対する自覚と真心、鬼のようにあり。接っせれて、本当に良かった。

 今年は川の横にリバーサイド・ガーデンという簡素な小ステージが新設。
あと球場横のダンス・テント(アーバン/ダンス・ステージ)がとってもで
っかく立派になっていてびっくり。ビーチ・ステージも少し拡大し、その近
くにもデカい野外ステージ(かつて、メッセ側に設けられていたアイランド
・ステージ)が新設されていた。千葉マリーン・スタジアムは相変わらず。
リバーサイド・ガーデンとビーチ・ステージはチケット購入者でなくても観
覧可能。前にも書いたけど、中学生は電車賃とコンビニ代を持ってそこに行
け! とは、言いつつ今の中学生はお年玉とかでけっこうお金ためているか
ら、余計なお世話か。

 メッセ内で飲み物を買うと、カジノ券をくれる。で、たまったのでルーレ
ットをやっていたら、意外にあたってびっくり。楽し。博才のないぼくには
珍しいこと。まあ、お金がかかってないからな。前にルーレットをやったの
って遙か昔。オーストラリアのブリスベンのカジノでやっていらいか。
 クラブ・ミュージックがある時代のストレート・アヘッド・ジャズを標榜
するスリープ・ウォーカーを見るのは、2002年12月6日いらい。場所は渋
谷・クラブクアトロ。かなり、混んでいる。で、うおっていう歓声や拍手の
熱烈なことにはマジびっくり。アコースティックなジャズの行き方を標榜し
つつも、持って行き方によってはこんなに熱烈な反応(客はクラブに行くよ
うな人たちだろう)が受けられるんだと、かなり感心。セカンド作リリース
をフォローする公演だが、アルバム以上にまっつぐに、局地的にはちょいフ
リー気味に事にあたる。また、本編1曲とアンコールでは、UKからやって
きたベンベ・セグエがヴォーカルで参加。スキャットを多用する彼女は細い
身体に似合わずなかなか鉄砲喉の持ち主、いいんじゃないでしょうか。しか
し、本当に熱い反応が渦巻く会場であったなあ。

 そして、深夜に南青山・マンダラへ。こちらも金曜なのでけっこう混んで
いる。恒例の、<ナッシン・バッド・ザ・ミッドナイト・フラッシュ・グル
ーヴ>(2001年12月19日、2002年7月21日、2005年2月15日、
2005年10月30日、他)と名付けられたマルコス・スザーノと沼澤尚(前
回の一晩、スザーノx沼澤x内田直之の魔法のような演奏の模様は『ネニュ
ーマ・カンサフォン,ソー・ムジカ』IDCF−1003に纏められている)が
主宰する深夜セッション。この晩は二人に加えて、ブラジル人鍵盤奏者のフ
ェルナンド・モウラとトンコリ奏者のOKI(2004年8月27日)、そし
て映像の山田秀人という顔ぶれによるもの。とにもかくにも、スザーノと沼
澤のコンビネーションは鉄壁。美味しく、興味深いったらありゃしない。そ
こに、他者が自在に乗り、その総体は例によって気分でどんどん切れ目なし
に流れていく、という内容を持つ。その奥にあるのは、音楽家としての自由
を求める意思の確認のようなものもあるか。モウラはピアノとともに、キー
ボードやラップトップもいじり、ときに不思議な音を出す。OKIはトンコ
リを4本置いていた。中盤延々と使ったのはベースのような音が出ていたな
。とにかく、こういうのに触れると、ミュージシャンっていいナと思わずに
はいられない。<ナッシン・バッド・ザ・ミッドナイト・フラッシュ・グル
ーヴ>は同所で23日と24日もあります。
 この耳慣れないユニット名はアメリカ人有色女性4人が集ったグループだ。
その内訳はプリンス・ファミリーの出で(でも、70年代後半に高中正義のツア
ーで来日したことがあったらしい)一時はピンとしても多大な人気を誇ったシ
ーラE.(2002年8月12日)、ベーシストのローンダ・スミス(90年代中後期
から少し前までプリンス表現に係わる)、ギタリストのキャスリーン・ダイソ
ン(シンディ・ローパー・バンド。やはり、かつてプリンスのバンドにも関わ
り、そのときはキャットというアーティスト表記がなされた)、キーボードの
カサンドラ・オニール(ピンクやベイビーフェイス作に参加)という面々が、
その内訳。うち、オニール以外はスミスの04年リーダー作で顔を合わせている。

 シーラ・Eの近年のコンコード・ジャズ発のリーダー作群が腑抜けなスムー
ス・ジャズ調だったので、そういう路線もあるかもしれぬと覚悟して行ったら
(でも、彼女たちを見たいと思って行ったのだなー)、これが1曲以外はどれ
もちゃんと歌をフィーチャーしたポップ・ファンク路線(大まかに言うなら。
あまりプリンス色は強くない)にある表現を聞かせてくれてニッコリ。インス
ト曲もけっこう仕掛けがあって、ユニットとして私たちはがっつり絡んでいく
のよという意思があふれる。

 中心となるのは一番年長者でもあるだろうシーラ・E.(けっこう、綺麗でし
た) で、ドラムを叩きながら彼女が歌う曲が多かった。かつてのプリンスのツ
アーで驚愕のドラミングを披露していた彼女だが、すぐ側で叩く姿を見てちょ
い不器用ぽいんだけどきっちりとサウンドを締めるドラミングに少し胸キュン
。他のメンバーもそれぞれリード・ヴォーカルも取り、それぞれにソロ・パー
トも与えられる。さすが男性優位社会の荒波に揉まれつつ生きている人たち、
皆しっかり腕が立ちますね。それから、何かと彼女たちが嬉しそうに笑顔を交
わしながらパフォーマンスしているのが、とっても良かった。

アンコール前の後半2曲は、黒人女性が更に加わりリード・ヴォーカルを取
る。うち、1曲は親しみのある曲で一緒にうろ覚えで口づさんだが、なんの曲
だったかはもう忘れちゃった。最後はティンバレスのセットを前に出して、全
米トップ10内に入ったシーラ・Eの「グラマラス・ライフ」。やっぱり、彼女
のティンバレス演奏も人の気持ちをノックするものあり。往年のように赤いス
ティックを持たないのがちと残念ではあったが。丸の内・コットンクラブ( フ
ァースト) 。


 ライジング・サン・ロック・フェスの事前盛り上げ東京公演にて、PE’Z
とUKしなやかソウル・マンのネイト・ジェームス(2006年4月2日)が共演
するというので、その出演時間に合わせてTVサッカー観戦を後半途中で切り
上げ恵比寿・リッキッドルームに行く。

 まずは、お揃いの夏仕様の恰好をしたPE’Zの面々が登場して、過去の持ち歌
や日本の印象深い曲をカヴァーしたアルバムの収録曲を軽快に演奏。そして、
ネイト・ジェイムズを招き入れ、一緒にきっちり3曲を披露する。その内訳は
、ネイトのデビュー作のなかに入っていた「ユニヴァーサル」、ブラック・ク
ロウズ(2001年7月25日、2005年8月14日)もカヴァーしたことがあるオ
ーティス・レディング曲「ハード・トゥ・ハンドル」、そして両者共作という
「リヴ・フォー・ザ・グルーヴ」。ほうって感じの、組み合わせ。ごつごつし
てたり、伸びやかだったり、有意義な発展あり。ジェームスは現在シンプリー
・レッド(1999年7月31日、日本に住むようになった屋敷豪太は不参加だが
、ケンジ・ジャマーはちゃんと参加しているそう)とツアー中で、そのブレイ
クを利用しての来日とか。

Nori Naraokas’93D

2006年8月8日
 ここにはベーシストも、ギタリストも一杯いるの知っているよ。みんな上が
りなよ、さあジャム・セッションだ! みたいな、MCとともに始まったアン
コールはお客が出演者の楽器を演奏し、肝心のメンバーの4人はステージ中
央で踊ってる。いやあこんな光景、初めて見た。

 ニューオリンズでずっと腕を磨いていた(ハリケーン来襲の直前から、NY
在住という)日本人ベースト率いるセッション・バンド。なんと、ドラマーは
ヴァイダ・ブルー(フィッシュのキーボード奏者のペイジ・マッコールとジ・
オールマン・ブラザーズのオテイル・バーブリッジとのトリオ・バンド)やザ
・ファンキー・ミーターズのラッセル・バティーステ、ギターは山岸潤史(19
99年8月5日、2000年12月7日、2001年7月16日、2004年3月30日)も認
めるというやはりあちら在住のノリ・キクタという日本人、そして、キーボー
ドは痩身長身白人のブライアン・クーガンという人。なんか同胞(彼ら、30代
ちょいと20代といった感じかな)ゴコロもくすぐられるし、嬉しい編成だな。

 場所は赤坂・Bフラット。入替えはないが、その前にすでに1件はいってい
た(某レコード会社を退職する役員プロデューサーを送る会。坂田明が司会を
つとめ、渡辺貞夫、日野テル<あるはずだが、変換の漢字見つからず。すみま
せん>正、小曽根真らいろんなミュージシャンたちが演奏する。六本木・スイ
ート・ベイジル139 )ので、セカンド・ステージから見る。普段と異なり、ス
テージ向かいの客席中央部は机や椅子は置かれておらず、スタンディングのダ
ンス・スペースになっている。ナラオカはジャズもやるようだが、ここでは全
編エレクトリックを手にする。冒頭、2曲はあまりニューオリンズが入ってい
ない(といっても、バティーステがドカスカ叩くとそういうニュアンスがほの
かに出てくるが)重めのファンク曲。ソロをあまり回さず、リフの延々の繰り
返し(そこから生まれる微妙なニュアスの追求)に終始してほしいと、ぼくは
少し思ったかも。途中から、日本人パーカッションが控えめに加わったりも。

 3曲目からは、「ヘイ・ポッカウェイ」「シシィ・ストラト」「アイコ・ア
イコ」のニューオリンズ・セカンドライン(ザ・ミーターズ)・ファンク名曲
を三連発。ひゃはははは。もう、歌は歌うし、MCも主にするし、バンドのリ
ーダーはバティーステと言ってもいいのでは? 

 あと1曲、グラハム・セントラル・ステーション風のリフを持つ曲を披露す
る。本編は45分ぐらいで幕。そして、その後に、バティーステのMCにより、
冒頭に書いたアンコールが始まったのだ。バティーステは演奏の最初のほうは
ドラムを叩いたのだが、日本人に変わるとまず音の大きさが全然違う。デカい
音を出せる奴は偉い、ニューオリンズにはそういう価値観がしかとあると思う
ことにした。そのバティーステは終始はしゃいでいて、他の楽器もつまみぐい
的に演奏したりも。演奏した日本人のなかでは女性キーボーディストが一番弾
けてたような気がした。翌日のギグは、横浜のサムズアップ。より、盛り上が
るんだろうなー。

 英国の温故知新型ファンク・バンドのザ・ニュー・マスターサウンズのベー
シストとキーボード奏者、それにギタリストとドラマーが合流したバンド。ダ
ブという名前がユニット名につけられているが、ダブ風味はあまりなかったも
のの、多くの曲がレゲエ・ビートを基調としていた。初老の一番年齢がいってい
るギタリストはけっこうジャジーな弾き方を見せ大々的にソロを取り、大昔の
ジミー・クリフ・バンドにおけるアーネスト・ラングリンのごとし、かな。途
中から、一時けっこう脚光をあびかけたLSK(2000年10月14日、2001年
1月10日)が)がステージ中央にあがり、しなやかに歌う。横浜赤レンガ倉
庫のモーション・ブルー・ヨコハマ。
 南青山・ブルーノート東京(セカンド)。西アフリカのギニア生まれのグ
リオ出身、80年代後半のワールド・ミュージック期の代表的アーティストだ
が、いやあほんとこの人、ちょっととぼけた性格の良さそうな顔しているな
あ。アコースティック・ギターを弾きながら歌う(ときに、コラも持つ。も
っと弾いて欲しかったかな)本人に、女性バック・ヴォーカル、バラフォン
、アフリカン・ドラムス(ベース・ドラム、ハイハット、コンガとジャンベ
っぽいのを組み合わせる。シンバル類はなし)、パーシカッション、ベース
、ギター、アフリカン・フルート奏者たちが加わる。何人かは肌の色が白い人
たちで、パリ在住なのだろうか。その楽器群の微妙な噛み合いから生まれる
ポリリズムのビートはやはり興味深い。張りのある歌声はやはり嬉しい。やいろ
んな感興や誘いはあったナ。普段、会場にいると体が冷えてきて上着を着た
くなるのが常だが、この日はずっと半袖のまま。それは、会場の体感温度が
高かったためか。


サード・ワールド

2006年8月3日
 アイランド・レコードからおくりだされて、一時はもっともインターナ
ショナルなレゲエ・バンドでもあった(今回の来日は、大々的な欧州ツアー
のあとのものらしい)サード・ワールドのことは、大昔(84年ごろかな。
誰に誘われて行ったんだろ?)中野サンプラザで見て以来。グループを結成
して、すでに30年越え。ヴォーカル、ギター、ベース、キーボード2(内ひと
りは非常に外様っぽい)、ドラムという布陣にて、うちオリジナル・メンバ
ーはキャット・クーアだけのよう。彼、あんまし老けている感じなかったな
ー。

 バンド音が出たとたんドキドキっ、来て良かったァと確信(一発で、この
ハコの音の良さも再認識)。切れがある、重みがある、力がある。68年以降
NYに住んでいるらしいリード・シンガー(彼、インナー・サークルにいた
ことがあって、そのときサード・ワールドを組む前のキャット・クーアもメ
ンバーだったらしい)の声もよい。ギター・ソロ(彼はアンコールで、エレ
クトリック・チェロでマーリー曲を演奏)、ベース・ソロ、ドラマーのパー
カッション・ソロは生理的に“観光地的”と思わせ、全体の塊感を削ぐもの
ではあったけど。

 彼らを熱心に聞いたのは、アイランド在籍時の初期3枚のみ。濃ゆーいバ
ンドの質量感には目をみはりつつ、マイナー・キー基調の曲があまり好みで
はなく、どんどん洗練スウィート指向(だからこそ、スティーヴィ・ワンダ
ーと共演したりもしたわけだ)になっていくにつれ、疎遠になった人たちでは
あったが、実演は確か。レゲエという項目を抜きにしても、彼ら聞きどころ
あるロッキン・ソウルをやっていたと思う。いや、ラスタなロッキン・ソウ
ルと書いたほうが適切かもしれないが。丸の内・コットンクラブ(ファース
ト)。


 ブルーノート東京が毎夏くんでいる<ルーツ・ミュージック・フェスティ
ヴァル2006>の一環にて、キング・オブ・カリプソが出演。すでに、70才を
超えているはずの御大だが、見た目はそこまで爺には見えない。歌い方はビ
ミョーに荒いが、それも魅力的ながらっぱちな味と繋がるものか。サックス
とトランペット、女性ヴォーカル、ベース音も器用に左手で出すキーボード
、ギター、ドラムをバックに、スパロウはぐいのりで歌う。ときに、お笑い
系の歌い方も見せ、カリプソはノベルティ色の強い表現なのだなとも思う。
また、終わりそうで、どんどん煽りつつ曲が終わらないというのも、ライヴ
・ミュージックとしてのカリプソの醍醐味なのだとも知る。一度ぐらい、ト
リニダード・トバゴにも行ってみたいなー。南青山・ブルーノート東京(フ
ァースト)。

 実は、この前に、映画『クリムト』を東銀座・メディアボックス試写室で
見る(秋に公開)。もちろん、画家のクリムトを扱ったもので、チリ出身の
ラウル・ルイスが脚本・監督、ジョン・マルコヴィッチ(なんとなくジーコ
に似ていると思える瞬間があって、ちょっとイヤな気分になった)主演の多
国籍映画。かなりの美意識を貫いた、非一般性を持つ、完成度の高い映画。
クリムトが持っていた世界観やそれを取り巻く社会/時代とまったく正反対
の生理を持つような音楽をその後にすぐに享受できる、美味しい目茶苦茶な
環境に幸せを覚えたか。
    
 この日もフジ・ロックに出た、米国からの女性アーティストを二組見る。
ライロ・ケリーというグループもやっているルイス嬢のパフォーマンスは一
緒にレコードを作ったワトソン姉妹(コーラス)、さらにギター、ベース、
ドラム、キーボードという布陣にて。

 女性3人のアカペラで始まったパフォーマンスは、手作り気分に満ちたフ
ォーク・ロック的路線を行く。どこか古き良きアメリカを思わせるところも
あるし、オルタナ・カントリーという言い方がピンと来る局面も。だが、そ
ういう音楽性を書くだけでは、その不思議な魅力は伝わらない部分もあるか
。彼女たち、見てくれが変。ルイスは超ミニ・スカートだし、ワトソン・ブ
ラザースも大昔のガールズ・グループが着そうな派手な色のミニのワン・ピ
ースを身につけて、今っぽいタイムレス加減があるような。なんか逆に病ん
だ感覚というか、不思議な騙し絵的構造も感じたりして。キャラ込みでの、
私の考える音楽……。最後の2曲は、ルイスはピアノを弾きながら歌う。

 続いて、LAの白人女性3人組のザ・ライク。歌とギターがプロデューサ
ーのトニー・バーグ(マイケル・ペン、エイミー・マン、エディ・ブリッケ
ル他)、ベースがミッチェル・フルーム、ドラムがエルヴィス・コステロ・
バンド他の名ドラマーのピート・トーマス、それぞれの娘なのだとか。チャ
ーリー・ヘイデンやレニー・ワロンカーの娘たちはザット・ドッグというグ
ループを組んでいたが、有名人二世たちでちゃらちゃら行こうというノリは
西海岸的ということができるのだろうか。

 オルタナっぽいポップ・ロックからニュー・ウェイヴっぽいのまで、いろ
いろ。ハード・ロック的な部分は皆無。ベース奏者が技量的には一番まっと
う。ま、音楽だけ聞くぶんには絶対に父親たちの名前は思い出すことがない
だろうけど、若い娘たちが一生懸命やっている様になんの文句があろうか。

 ここに来る前にビヨンセの新作をソニー・ミュージックで聞いてきたのだ
が、鼓動と肉声が見事に対峙する、かなりな傑作。いやあ、メインストリー
ム/売れることを前提に置くアーティストにして、このかっとび/フログレ
具合。一部の黒人は凄いことになってる。その点、白人は保守的なほうが多
いのだろうか。
 週末にどうしても外せない用事があって、車も新しいし行きたい気持ちは
あったものの、今年はフジ・ロックはパスする(一度行かないと行かなくな
りそうで怖いにゃー)。……今年のフジ・ロックに出演した英国人たちを2
か所で見る。恵比寿・リキッドルームのほうは<フジ・ロック・ブリティッ
シュ・アフター・パーシティ>と題されていて(昨年も行われた。2005年8
月2日)、英ニュー・ミュジカル・エキスプレス誌が主催しているようだ。

 まず、渋谷・クラブクアトロで、中国系の血も入っているというUK女性
シンガー・ソングライターのケイティ・タンストール。本国でかなりのセー
ルスをあげているそうだが、ジェイムズ・ブラントをはじめ、英国ってなん
か今シンガー・ソングライター系に対する需要があるんだよなー。
 
 おお、才ある人。ちゃんとした曲を書き、ひっかかりのある声で歌え(主
に、アコースティック・ギターを持って歌う)、バンドともにそれを開ける
人ですね。そして、きっちり公の場で自分を出せて、くだけた態度で客とち
ゃんとコミュニケートもできる人。繊細な情緒を持ついかにも弾き語り基調
の曲から、オールド・ロックっぽい曲(ザ・ウィングスの『バンド・オン・
ザ・ラン』を思わすような、単音のシンセ音が用いられる曲も)、黒っぽい
曲まで、いろんな引出しを持つ。カーキ・キング(2004年8月3日、200
5年3月26日)のようにギターのボディを叩く音やギターのストローク音を
サンプリングし、それを基調の音に設定してから始まる曲もあった。とにか
く、適切で、まっとう。ギター、ベース、ドラム、キーボードがサポートす
るが、バック・バンドというよりはカンパニーと言ったほうがいいと思える
雰囲気があってそれもマル。彼女は、いいバンド経験も持っているはず。こ
こ数年ライヴ・パフォーマンスに触れた新進の女性シンガー・ソングライタ
ーのなかで、一番共感が持てる人だった。

 会場はゲキ込み。800 人ぐらいは入っていたのではないか。クソ暑くて参
った。40分見て、後ろ髪ひかれる思いで移動するが、苦行にならない環境だ
ったら、もっといたかも。

 そして、恵比寿・リキッドルーム。最初に登場したイアン・デューリーの
息子であるバクスター・デューリーは見ることが出来なかったが、2番目の
フィールズはけっこう見れた。キーボードとヴォーカルの女性を含む、5人
組。実際のところは知らないが、大学の同好会あがりみたいな風情を持って
いる連中。基本は、ほのかな青春的な手触りを感じさせるかもしれない飄々
ギター・ロック。けっこう男性と女性が一緒にリード・ヴォーカルを取るの
が面白い。ときに、シューゲイザー的轟音が入るときも。

 続いて、4人組のザ・ライフルズ。基本はパンク・ロック期の心意気あり
きのギター・バンド的表現。リードをとるギタリスト君はU2のエッジのよ
うな奏法をうまいだろ的にかましたりも。そこここ、青い。途中で、飽きる。

 最後は、ミステリー・ジェツ。父親と息子が一緒にやっている、という事
でも話題を呼んでいるが、なるほどねえ。パーカシッョン(中央前方に堂々
とパーカショッン・キットが位置する)、ギター、リード・ヴォーカル担当
の小僧と横でキーボードやギターを弾くちょい渋おやじが親子なのだろうか
。他に、ギター、ベース、ドラム、若いほうはみんなハタチぐらいらしい。
耳年増のお父さんがどのぐらい音楽的イニチアシヴを持っているのかは知ら
ないが、けっこう皆で歌ったりする怒濤のポップ・ロック表現は確かな訴求
力あり。随所に妙な過剰さがあって、それが導く美味しい違和感のようなも
に、なぜか方向性は違うのにぼくはマーズ・ヴォルタ(2004年1月7日)の
ことを思い出したりも。不可解な回路を経由しながら発散に至る感覚や、わ
が道を行くしなやかな強さ〜自由が介在していると思わせるところが重なる
からか。

 こちらの会場は混んでいなくて、途中から冷房がきつくてたまらなくなっ
たナ。そういえば、どのバンドもバスドラの音がボディ・ソニック的に床を
通してどすんどすんと伝わる。この前のバッファロー・ドーターのときもそ
うだったが、ここ(新宿時代から、音は良かった)のPAって普段からクラ
ブ・ミュージック的な仕様でロック・ライヴも行っていたっけか。不自然だ
という声もあるかもしれないが、今の時代、それもありだろうとは思う。

 梅雨明けて早々の今日、昼間もかなり過ごしやすかったが、外に出ると異
常に涼しい。フジの夜もびっくりの肌寒さ、なり。
 マスター・オブ・クルーヴという大上段に構えたグループは、60年代後半
のブルーノートからいろいろとリーダー作を出しているオルガン奏者のリュ
ーベン・ウィルソン(1935年生まれ)や、ブルーノートが最厚遇したギタリ
ストのグラント・グリーン(ウィルソンの大きな仕事のデビューは彼のバッ
キングだったのでは……)の息子であるグラント・グリーンJr.(年齢不肖な
がら、おやじくさい)らが集ったグループ。その名前でアルバムをすでに2
枚出している。本来はバーナード・パーディがそこでドラムが叩いていたが
、今回の来日公演はジェイムズ・ブラウンの黄金期の屋台骨をジャボ・スタ
ークスとともに担ったクライド・スタブルフィールド(1943年生まれ)がな
んと同行。彼への声援が一番大きかった事実のが示すように、彼が一等集客
力を持っていたのではないか。スタブルフィールド(1999年10月25日)
はここ10年で最低2枚のリーダー作を出していて、1枚はかつてJ.B.ホーン
ズもプロデュースしたことがある英国人のリチャード・マツダ、もう1 枚は
ベン・シドラン(2006年4月9日)のプロデュースによるもの。シドランは
スタブルフィールドのことを大好きで、70年代初頭から自己作品レコーディ
ングに彼を呼んだり、90年代のゴー・ジャズ録音作で彼を起用したりしてい
るんだよな。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 偉大なマスターたちとやりとりするグリーンJr. が前に見た自己公演( 20
03年4月18日) より格段にうまく聞こえたのには驚いた。共演者マジック
、と言っていいのかな。長身のリューベンはほんといい感じ。フット・ベー
スにも感心。最初は4ビートのブルース曲をやる。だが、あとはモータウン
曲あり(グリーンJr. はテンプス他で知られる「ジャスト・マイ・マジネー
ション」で朗々とヴォーカルを取る)、アイズリー・ブラザーズ曲あり、ジ
ェイムズ・ブラウン曲あり。余裕と笑顔がある(3人で顔を見合わせて、ニ
コニコしていたな)の、米国黒人流儀/因子の包括的活用……。

 移動して、南青山、ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。まず、出て
きたのはホワイト・ブルースの大御所、ジョン・ハモンド(1942年生まれ)
。米国でもっとも権力あるジャズ・プロデューサー(CBSとの関わりも深
く、初期ボブ・ディランも手掛ける)であり、もともと大富豪の出という恵
まれた立場が導いたであろうリベラルさで米国黒人地位向上のために尽力し
た名士の趣味人たる息子(それゆえ、かつてはジョン・ハモンド・シニアと
区別できるように、ジョン・ハモンドJr. と表記されたりも) 。白人ゆえの
薄いブルースをやるというイメージから、ぼくはちゃんと彼の表現に触れて
きていないが、ブルース基調の白人弾き語り表現として聞けばぜんぜん問題
はない。生ギターやドブロ、そしてハープを用いて、アーシーさと軽妙さを
自在に行き来。羨ましい、悠々自適さもやはり感じたな。

 そして、デイヴィッド“化け物”リンドレー(1944年生まれ)。こちらも
、ソロ・パフォーマンスにて。ドラマーのウォリー・イングラムとのデュオ
であった前回の来日公演(2003年5月21日)のときとはけっこう印象が違
う。でも、やはり妙味に富んだマスターであり、アメリカの奥深さをしかと
感じさせる人のは間違いない。ウードみたいなのを弾くとき以外はワイゼン
ボーンを膝において演奏し、美味しい癖を持つ声で歌う。

 最後は、和気あいあいと一緒にやる。実は、リンドレーとジョン・ハモン
ドは同じエイジェントがついているらしい。ビル・フリゼール(2000年7月
21日、2006年5月14日)やアラン・トゥーサン(2006年5月31日、6
月1日)やチャーリー・ワッツ(2001年10月31日、2003年3月15日
)やブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ(2004年9月17日、他)らも
同じようだ。リンドレーはこの後すぐに朋友のジャクソン・ブラウン(20
03年5月2日)とともに、欧州ツアーに入る。



ザ・ダズ・バンド

2006年7月24日
 オハイオ州クリーブランド(と、書くだけでちょいうれしくなるなあ。R
&Bもロックもいろんな人を輩出している街だ)で組まれたセルフ・コンテ
インド・グループ。モータウンと契約し、80年代を代表するブラコン系グル
ープ表現を送りだした集団だ。もう30年近いキャリアを持つグループだが、
出てきた連中はけっこう老けていない。おなじみのボビー・ハリス(ヴォー
カル、サックス)と、一時クール&ザ・ギャングに入ったこともあったスキ
ップ・マーティン(ヴォーカル、トランペット)を中心に、ギター、ベース
、キーボード、ドラムという布陣。なんと、ドラマーはずっとギャップ・バ
ンドで叩いていた人だという。

 楽しかったのは当然として、相当に興味深いパフォーマンスだった。まず
は、その恰好。R&Bグループの場合、けっこう恰好を揃える場合が多いの
だが、彼はみんなバラバラ(といっても、汚い恰好ではない)。それはそれ
で、彼らの自由闊達さ、その流儀を感じさせるものであった。きっちりと噛
み合うバンド・サウンドにのる管楽器も担当するフロントの二人の歌は、オ
ーティス・クレイの熱唱に触れた後だと軽量級だと感じさせはするものの、
もちろん悪いものではない。

 で、印象に残ったのは、ディスコ・ミュージック風のエンターテインメン
ト性をアピールしたり、一方ではスムース・ジャズ風のインスト(個人的に
は嫌いだ)を長めにかましたりとか、けっこういろんな米国黒人音楽のヴァ
リエーションを総花的に俯瞰している所が伺えたこと。それは絶対に、80年
代に彼らが展開していたパフォーマンスとは別モノのはずで、そのことは彼
らが現役バリバリであり、懐古的ではない今のパフォーマンスをしっかりと
やっていると認識させる。拍手。で、恰好もそれに合っている。丸の内・コ
ットンクラブ、セカンド・ショウ。
 毎年やっているブルース・カーニヴァル(2005年6月4日、他)が、上記
の名前に変更になって、今年も開かれた。毎度のごとく、日比谷野外音楽堂
。今週はずっと雨が降っていた(長野県や九州はひどい災害を受けている。
地球温暖化とともに、悲劇はどんどん増えていくのか……)ものの、この日
はかろうじて降雨をまぬがれる。

 まず、元ブレイク・ダウンの近藤房之助。ブルース曲だけでなく、ブルー
ス・ビヨンド曲も余裕でかます。ものすごーく前に偶然な流れで一緒に飲ん
だことがあって、そのとき「キミはオンナにもてるでしょ」と言われて以来
、ぼくのなかで彼はとってもいい人になっている。彼はギターもギュンギュ
ン弾く。

 続いて、ヴァン・ハント。彼の来日は超うれしかった。だって、スライ・
ストーンへの良質な憧憬表現曲を何曲もアルバム(2枚出している)で聞か
せる彼、新世紀に入ってから出たR&B系の新人のなかではもしかして一番
いいゾとぼくが思えた人であるから。おお、長身な人なんだあ。混合型の音
楽性を持つ米国黒人って、比較的小柄な人が多いというイメージをぼくはな
んとなく持っているのかな? あと、肌の色も薄目。その恰好は帽子をかぶ
り、ネクタイ/ジャケットを見につけるとともに、ロング・ブーツをはく。
ちょっと、イカれた感じは出ている。ギターを持ちながら歌う本人に加え、
キーボード、ギター、ベース、ドラム、コンガ奏者を従える。うち、鍵盤と
ベースは白人女性。3曲目あたりでスライの「ハイヤー」を挿入。だけど、
それ以外はスライ風な部分はあまりなく、その代わり(?)プリンス風、フ
ァンカデリック風、アイズリー・ブラザーズ風といった感じの曲をやる。ま
あ、まっとうな好みを持つ、変な有色の人というイメージは増幅されますね
。アルバムで感激しちゃったほどの味を感じさせる人ではなかったが、また
来日したらもちろん見に行きたい。現在28才の彼は、10年前にサポートで東
京に来た事があるそうだ。

 そして、左利きブルース・マンのエディ・クリアウォーター。たしか、15
年ぐらい前に来日したことがあったよなー。MCで“チーフ”というミドル
・ネームを入れて紹介された彼はインディアン風の羽飾りを頭につけて登場
するのがならわし(すぐに、それは外されるが)。で、ギターを手に、煽情
的なブルースを聞かせる。歌声は朗々、ギター・ソロも目鼻だちがくっきり
。バックはサイド・ギターとベースとドラム。いろんなヴァリエーションを
けれん見なく、颯爽と披露していく彼は、白人にも受けそうだと感じる。そ
の明快さが、乱暴な野外の場では映えるとも思う。そういえば、この12月に
P−ヴァイン発で、TSUTAYA独占発売のブルースのコンピレーション
(『ブルース虎の穴』というシリーズ名になるはず)を2作品出す予定。5
月にその選曲をしたのだが、それを組みながら今のぼくはいかに定型のブル
ース・コードや単音ギター・ソロをかったるく感じる人間であるかを痛感し
たのだけど、彼のパフォーマンスは鼻をつまむことなく接することができま
した。

 そして、名士(70年代後半に、かなり日本でも人気を博した)オーティス
・クレイ。白色のパンツとシャツ、少し痩せたかな。いやあ朗々の声、重量
級のソウル・ショー。スリルには欠けるとどこか感じさせる部分もあるが(
逆に言うと、安定感たっぷり)、実にはまったR&B表現を展開。ゆったり
したリズムの曲を中心に取り上げていることもあるが、本人の節回しの妙を
バンド音とかみ合わせながら悠々と出していく様式を持つ各曲はかなり長め
。バンドも良く、ずっと日本には来ていなかったと思うが、現役バリバリで
あることを痛感。女性コーラス2、管楽器(トロンボーン、トランペット、
バリトン・サックス)、キーボード2、ギター、ベース、ドラムという布陣
。ずっとシカゴをベースとする彼、なんとキーボードの一人は名アレンジャ
ーのトーマス・ワシントン(2002年6月23日の項、参照)。へ〜え。
 ノラ・ジョーンズ(2002年5月30日、2002年9月14日他)らとのリ
トル・ウィリーズの活動で一気に名前を知られるようになった、シンガー・
ソングライター。ショーケース・ライヴで、六本木・スーパーデラックス。
達者に、訥々と生ギターの弾き語りを披露。ぼくはアルバムで聞くことがで
きる、バンド付きの表現のほうが好きだ(まったく逆の感想をもらす、識者
もいましたが)。というか、ぼくはあのEMI作(『スロー・ニューヨーク
』)をとても買っているのだ。もしかすると、サーシャ・ダブソン(2006年
4月22日)とともに11月か12月に一緒に来日公演ができるんじゃないか、と
のこと。



コールドプレイ

2006年7月18日
 ひどく雨の降る日(でも、久しぶりに涼しい)、九段下・日本武道館。2
日間公演のうちの初日。満員。やっぱ人気あるのだなー(駐車場には、非首
都圏ナンバーの車もそれなりに留まっていた)。でも、ぼくにとって、彼ら
はいまいち縁遠いバンドだった。なんか、きっちりと聞く機会もなく、勘(
ぼくを、動かしている一番大きなもの?)により多大な興味も持てず、なん
となくぼくは傍観者でいいやと思うまま現在にいたっていたのだ。プロの言
いぐさではないかもしれぬが、でも、そういう事ってあるよな。人間、すべ
てをカヴァーするのも無理だし。

 結論から言うと、とっても感心した。やっぱり、売れているバンドは本当
にすごいとも思えた。まず、見せ方が適切、いや卓越していた。客電が消え
る前には地味な配置だなと思えたステージ・デザインであったが、暗くなっ
て始まるとうわあ。背後に置かれた細長いヴィジョン(映される映像も非常
に素晴らしい)や多彩な照明の用い方(それは、渋さと派手さをうまく行き
来するもの)なんかが絶妙にかみ合って、今のロック・バンド像をうまく表
出すことに成功していた。途中に2階後方から、ドデカい風船がいっぱい落
ちてきたりとか、エンターテインメント性を持たせることにも抜かりない。
なんか、レイディオヘッド(2001年10月4日、2004年4月18日)やシ
ガー・ロス(2003年4月14日、2006年4月5日)らが持つ今様な美意識をも
っと砕けた感じで出すことが出来ていた、とも書けるかな。しかし、すごい
な、コイツらまだ20代だもんな。

 で、音楽のほうも悪くない(なんで、ぼくは敬遠していたのか)。まず感
心したのは、きっちりバンドの演奏をしていたこと。なんとなく、テクノロ
ジー音も多用するバンドというイメージを持っていたが、ちゃんと生身の人
間が演奏しているという質感をしっかりと出していた。それは、彼らが(ギタ
ー・バンドとしての)U2に強く影響を受けている事実をぽっかりと浮き彫
りにするものでもあった。フロント・マンのクリス・マゥーティンの裏声も
うまく使う歌声も良く聞こえたナ。彼(キーボードやギターを持って歌う時
も。全ては彼を中心にショウは展開する)、今時珍しいぐらいに(レトロな
タイプとも言える)ステージ上を動き、見栄を切ったポージングをする。で
も、それも全然ワザとらしいものではなく、ロック様式としてこういうモノ
もアリだと思わせられた。

 終盤2曲、U2やストーンズ(2003年3月15日)がそうであるように、
ステージ前方にメンバーが出てきて中央に固まり、アコースティックのりで
演奏。それを見て、本当はステージの出島のようなところでそれが行われる
のかとも感じ、海外ではもっと大きなスタジアム級の会場で彼らはライヴを
しているのかもと思う。曲によっては、観客は当人たちに合わせてけっこう
合唱状態。

 知人にコールドプレイに行くんだと聞いたら「あ、そう」とつれない返事
を過去は返したと思うが、今だったら「いい、ライヴ・バンドだよねえ」と
笑顔でぼくは応えを返すと思う。また来たら、また見に行きたい。

 夜半、帰宅して、なに気にTVをつけると、この前教会でやった(2006年
5月31日)中島美嘉とアラン・トゥーサン(2006年6月1日)の共演ライヴ
の模様を放映してて、びっくり。その来日時に収録しただろう対談の映像も
。芸能界流儀にソツなく合わせるトゥーサンって、度量がデカいな。

< 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 >