丸の内・コットンクラブ。セカンド・ショウ。この日も終日雨。かなり、
寒い。
ドラムのジョン“ジャボ”スタークス(アラバマ州モービル在住。1938年生まれ、)、同じくドラムのクライド・スタブルフィールド(ウィスコンシン州マディソン在
住。1943年生まれ。2006年7月26日)、トロンボーンのフレッド・ウエズ
リー(アラバマ州モービル在住。1944年生まれ。2007年2月2日)..... 黄
金のJBズに在籍した、替えのきかないマスターたち3人がつるんだユニッ
ト。この三人(JBズ名義で、来日公演をやっていますね。1999年10月25
日)は同名名義ですでに2枚のアルバムを出していて、次作も準備中とか。
3人にプラスして、サックス、ギター、ベースというキーボード
レス編成。ギタリストだけ、白人だ(その彼はファンク・マスターズ作品に
も参加している)。で、JB表現の流儀を用いる、気さくなショウを繰り広
げる。「パス・ザ・ピース」、「コールド・スウェット」、「アイ・フィー
ル・グッド」、「パパのニュー・バッグ」らJB曲に、ファンクマスターズ作
でしている曲(アル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」も)を並
べる。ウェズリー曲の「ハウス・パーティ」はメイシオ・ポーカーもピー・
ウィ・エリスもそれぞれのリーダー作で取り上げているが、確かに一緒に掛
け声を上げてると非常に盛り上がる。主役の3人は肉声もばりばり出し、バ
ッキングの人達も烏合の衆的な声を出す。ジャボ・ストークスが歌った曲は
、「ストーミー・マンデー」他、ブルースのコード進行曲が2曲も。実はス
タブルフィールドはあんまりドラムを叩かず、カウベルを叩いていたり(2
度ほど、カウベルを手に場内をまわったりも)、踊っていたり。
翌日3人にインタヴューしたが、JBの死に対する気持ちは聞かず。通訳
の人が「3人は昨日ラジオ出演してコメントを求められたんですけど、あっ
さりしたもんですよ。ああ、死んじゃったね。でも、俺たちはまだまだ行く
ぜって、感じの答えでした」と言っていたので。確かに、「このビートはJ
Bではなく俺たちが作ったんだ」(スタブルフィールド)と言ってもいたし
。黄金時代たる60年代後半のJBのライヴはストークスとスタブルフィール
ドのツイン・ドラムで表現にあたり、その微妙なバラツキが未曾有なスケー
ルでかいファンク表現を生んでいたのだが、それについては「俺が入ったと
きはメルヴィン・パーカー(メイシオ・パーカーの年子の弟)が中心に叩いてい
たときで、そんときはドラマーが5人も6人もいてどうすりゃいいんだと思
った。でも、ジェイムズ・ブラウンからはいいから叩けと言ってさ.....
」とか、「ある晩のライヴでドラマーが喧嘩して帰ってしまったことがあっ
てその日の演奏は目茶目茶になり、それでジェイムズ・ブラウンは保険で二
人を揃えておくようになったんだ」というような事をスタークスが言っておりました。
それにしても、顔つきはいかついウェズリー(昨年はジャズ系のアルバム
を出している)はP−ファンクのホーン隊をしきっていた(フレッド・ウェ
ズリー&ザ・ホーニー・ホーンズ)こともあったわけで70年代後半にはロック・
バンドのキッスもびっくりの格好をしてたこともあったんだなと思うと、
なんか可笑しくてしょうがなかった。取材の帰り際、ウェズリーが「また、
ニューオーリンズで会おうナ」(2006年2月4日の項、参照)。「いえ、モ
ービルで!」とぼくが返すと、彼とジャボに大受け。
寒い。
ドラムのジョン“ジャボ”スタークス(アラバマ州モービル在住。1938年生まれ、)、同じくドラムのクライド・スタブルフィールド(ウィスコンシン州マディソン在
住。1943年生まれ。2006年7月26日)、トロンボーンのフレッド・ウエズ
リー(アラバマ州モービル在住。1944年生まれ。2007年2月2日)..... 黄
金のJBズに在籍した、替えのきかないマスターたち3人がつるんだユニッ
ト。この三人(JBズ名義で、来日公演をやっていますね。1999年10月25
日)は同名名義ですでに2枚のアルバムを出していて、次作も準備中とか。
3人にプラスして、サックス、ギター、ベースというキーボード
レス編成。ギタリストだけ、白人だ(その彼はファンク・マスターズ作品に
も参加している)。で、JB表現の流儀を用いる、気さくなショウを繰り広
げる。「パス・ザ・ピース」、「コールド・スウェット」、「アイ・フィー
ル・グッド」、「パパのニュー・バッグ」らJB曲に、ファンクマスターズ作
でしている曲(アル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」も)を並
べる。ウェズリー曲の「ハウス・パーティ」はメイシオ・ポーカーもピー・
ウィ・エリスもそれぞれのリーダー作で取り上げているが、確かに一緒に掛
け声を上げてると非常に盛り上がる。主役の3人は肉声もばりばり出し、バ
ッキングの人達も烏合の衆的な声を出す。ジャボ・ストークスが歌った曲は
、「ストーミー・マンデー」他、ブルースのコード進行曲が2曲も。実はス
タブルフィールドはあんまりドラムを叩かず、カウベルを叩いていたり(2
度ほど、カウベルを手に場内をまわったりも)、踊っていたり。
翌日3人にインタヴューしたが、JBの死に対する気持ちは聞かず。通訳
の人が「3人は昨日ラジオ出演してコメントを求められたんですけど、あっ
さりしたもんですよ。ああ、死んじゃったね。でも、俺たちはまだまだ行く
ぜって、感じの答えでした」と言っていたので。確かに、「このビートはJ
Bではなく俺たちが作ったんだ」(スタブルフィールド)と言ってもいたし
。黄金時代たる60年代後半のJBのライヴはストークスとスタブルフィール
ドのツイン・ドラムで表現にあたり、その微妙なバラツキが未曾有なスケー
ルでかいファンク表現を生んでいたのだが、それについては「俺が入ったと
きはメルヴィン・パーカー(メイシオ・パーカーの年子の弟)が中心に叩いてい
たときで、そんときはドラマーが5人も6人もいてどうすりゃいいんだと思
った。でも、ジェイムズ・ブラウンからはいいから叩けと言ってさ.....
」とか、「ある晩のライヴでドラマーが喧嘩して帰ってしまったことがあっ
てその日の演奏は目茶目茶になり、それでジェイムズ・ブラウンは保険で二
人を揃えておくようになったんだ」というような事をスタークスが言っておりました。
それにしても、顔つきはいかついウェズリー(昨年はジャズ系のアルバム
を出している)はP−ファンクのホーン隊をしきっていた(フレッド・ウェ
ズリー&ザ・ホーニー・ホーンズ)こともあったわけで70年代後半にはロック・
バンドのキッスもびっくりの格好をしてたこともあったんだなと思うと、
なんか可笑しくてしょうがなかった。取材の帰り際、ウェズリーが「また、
ニューオーリンズで会おうナ」(2006年2月4日の項、参照)。「いえ、モ
ービルで!」とぼくが返すと、彼とジャボに大受け。
ニルス・ラン・ドーキー
2007年4月16日 終日雨、寒い。代官山・デンマーク大使館。ベックの公演をとらずに、大
使館公邸観察を選ぶ。ベーシストの弟クリス(坂本龍一やデイヴィッド・シ
ルヴィアンと付き合いを持ってもいますね)とともにドーキー・ブラザーズ
として米国ブルーノートと契約していたこともある、63年コペンハーゲン生
まれジャズ・ピアニストのショーケース・ライヴ。ロシアのクラシック作曲
家の楽曲をジャズ化しようとする新作曲を日本人ベーシスト(佐藤さんとい
う人のよう)のサポートを受けて披露。クラシック曲のジャズ化なるもの、
過去そうとうの試みがなされているはずだがあまり興味がもてなく、ほとん
ど積極的に聞いたこともないが(そういうのを有り難がるメンタリティが痛
い、とぼくは感じ、あまり通らないようにしてきた)、スカした感じもあま
りなく、随所に軽いジャズ的な歪みを配そうとするそれにはなんの疑問もな
く聞くことができた。ちょい、モダン・ジャズ・カルテットのことを思い浮
かべもしたか。そのMJQはリーダーのジョン・ルイスがオーネット・コー
ルマン(2006年3月27日)の応援団長をしたこともあり、そしてなにより
グループにおける洒脱な“悪魔の舌”の出し方により、かなりぼくは一目置
いている。一切雨に触れるのがイヤで車で行ったため(大使館前に停められ
てよかったあ)飲めず、あまり歓談せずにそそくさと帰る。名刺交換は1枚
、向こうから話かけてきた上品な金髪のご婦人と。PC印刷じゃなく、名刺
をちゃんと作るべきかな。
使館公邸観察を選ぶ。ベーシストの弟クリス(坂本龍一やデイヴィッド・シ
ルヴィアンと付き合いを持ってもいますね)とともにドーキー・ブラザーズ
として米国ブルーノートと契約していたこともある、63年コペンハーゲン生
まれジャズ・ピアニストのショーケース・ライヴ。ロシアのクラシック作曲
家の楽曲をジャズ化しようとする新作曲を日本人ベーシスト(佐藤さんとい
う人のよう)のサポートを受けて披露。クラシック曲のジャズ化なるもの、
過去そうとうの試みがなされているはずだがあまり興味がもてなく、ほとん
ど積極的に聞いたこともないが(そういうのを有り難がるメンタリティが痛
い、とぼくは感じ、あまり通らないようにしてきた)、スカした感じもあま
りなく、随所に軽いジャズ的な歪みを配そうとするそれにはなんの疑問もな
く聞くことができた。ちょい、モダン・ジャズ・カルテットのことを思い浮
かべもしたか。そのMJQはリーダーのジョン・ルイスがオーネット・コー
ルマン(2006年3月27日)の応援団長をしたこともあり、そしてなにより
グループにおける洒脱な“悪魔の舌”の出し方により、かなりぼくは一目置
いている。一切雨に触れるのがイヤで車で行ったため(大使館前に停められ
てよかったあ)飲めず、あまり歓談せずにそそくさと帰る。名刺交換は1枚
、向こうから話かけてきた上品な金髪のご婦人と。PC印刷じゃなく、名刺
をちゃんと作るべきかな。
リディア・ペンス&コールド・ブラッド
2007年4月15日「彼ら、海外で公演をやるの、日本が初めてなんだそうです。コールド・ブ
ラッドの事はご存じでした?」と、サーヴィスの青年がオーダーを取りなが
ら、気さくに話しかけてくる。有楽町・コットンクラブ、セカンド・ショウ。
コ─ルド・ブラッドはリディア・ペンスという女性シンガーをフロントに
置く、サンフランシスコをベースとする白人R&B/ファンク・バンド。タ
ワー・オブ・パワーと同様にデビュー作がサンフランシスコ・サウンドとい
うインディから発売され、同地在住プロデューサーのデイヴィッド・ルビン
ソン(タージ・マハール、エルビン・ビショップ、ハービー・ハンコック、
マロ、ザ・ポインター・シスターズ、他)が双方に関与していたこともあり
、70年代前半には同じくくりで日本でも紹介された。デビュー作のときか
らペンスの顔のアップをジャケットに出すなどソウルフルな喉を持つ可憐な
女性がフロントに立っていますよということを売りにしていたコ─ルド・ブ
ラッドに対し、より男っぽいノリで出ていたのがタワーだった。
全盛期はリプリーズと契約、その後活動を休止していたこともあったはず
だが、海外公演自体が初めてとは。そりゃ、生粋のローカル・バンドという
しかないな。ここのところ、ボンバ・レコードがかつての作品のリイシュー
をすすめているが、どういう経緯で来日公演が実現したんだろ?
バンドは全員中年白人、オリジナル・メンバーはもしかするとそのペンス
だけかもしれない。当のペンスはとっても小柄(間違いなく、140 センチ代
ですね)。で、50代半ばぐらいになっててもおかしくはないがそんなにいっ
ているようには見えないし、若いころはルックスでも注視を受けたんだろ
うと思わせる。トランペットとサックスの管楽器担当者はソロを取るといま
いちだがセクション音はまっとう。それがバンド・サウンドというものなん
だろう。そんな彼女たち、ハマった、ホワイト・ファンク/ホワイト・ソウ
ル表現を無理なく聞かせてくれた。
ラッドの事はご存じでした?」と、サーヴィスの青年がオーダーを取りなが
ら、気さくに話しかけてくる。有楽町・コットンクラブ、セカンド・ショウ。
コ─ルド・ブラッドはリディア・ペンスという女性シンガーをフロントに
置く、サンフランシスコをベースとする白人R&B/ファンク・バンド。タ
ワー・オブ・パワーと同様にデビュー作がサンフランシスコ・サウンドとい
うインディから発売され、同地在住プロデューサーのデイヴィッド・ルビン
ソン(タージ・マハール、エルビン・ビショップ、ハービー・ハンコック、
マロ、ザ・ポインター・シスターズ、他)が双方に関与していたこともあり
、70年代前半には同じくくりで日本でも紹介された。デビュー作のときか
らペンスの顔のアップをジャケットに出すなどソウルフルな喉を持つ可憐な
女性がフロントに立っていますよということを売りにしていたコ─ルド・ブ
ラッドに対し、より男っぽいノリで出ていたのがタワーだった。
全盛期はリプリーズと契約、その後活動を休止していたこともあったはず
だが、海外公演自体が初めてとは。そりゃ、生粋のローカル・バンドという
しかないな。ここのところ、ボンバ・レコードがかつての作品のリイシュー
をすすめているが、どういう経緯で来日公演が実現したんだろ?
バンドは全員中年白人、オリジナル・メンバーはもしかするとそのペンス
だけかもしれない。当のペンスはとっても小柄(間違いなく、140 センチ代
ですね)。で、50代半ばぐらいになっててもおかしくはないがそんなにいっ
ているようには見えないし、若いころはルックスでも注視を受けたんだろ
うと思わせる。トランペットとサックスの管楽器担当者はソロを取るといま
いちだがセクション音はまっとう。それがバンド・サウンドというものなん
だろう。そんな彼女たち、ハマった、ホワイト・ファンク/ホワイト・ソウ
ル表現を無理なく聞かせてくれた。
PE’Z
2007年4月14日 2枚組新作をフォロウする6月まで続くツアーのなか、日比谷野外音楽堂。
オリジナル曲で固めた新作からの曲をつっぱって彼らは披露する。彼らは映
像作品リリースも多いバンドだが、この晩もいくつものカメラでパフォーマ
ンスを抑えていたようだ。そんな彼らのことはいろいろと見ているが、日比
谷野外音楽堂だと、2004年の春いらいとなるのか。なんか見ている途中で、
ふうっと覚醒して、自分がどこにいるんだっけかとあやふやになった。ちょ
っと、日本外にいるような気分でもあったか。また、暫くして、ステージ後
ろに見えるビル群がするりと消え、30年前の日比谷公演の風景がかさなって
きたりも。失われた、でも少しは手繰り寄せる事も可能な甘美な記憶.....
。なあんて、気候のいい(途中から、少し肌寒く感じたかな)野外会場だと
気分が良くて、いろんなことを感じたくなるナ。なんか夜空の星を追ってい
たら、ヘリコプターだか飛行機だかが何度も上空を飛ぶ。後ろに座っている
の人、ぼくのことを見てどこをみているのかと怪訝に感じたかも。でも、せ
っかくいろいろと身に受けられる開放的な場にいて、意欲を持つ音を聞いて
いるんだもの、回りをキョロキョロしたくなるじゃないか。
オリジナル曲で固めた新作からの曲をつっぱって彼らは披露する。彼らは映
像作品リリースも多いバンドだが、この晩もいくつものカメラでパフォーマ
ンスを抑えていたようだ。そんな彼らのことはいろいろと見ているが、日比
谷野外音楽堂だと、2004年の春いらいとなるのか。なんか見ている途中で、
ふうっと覚醒して、自分がどこにいるんだっけかとあやふやになった。ちょ
っと、日本外にいるような気分でもあったか。また、暫くして、ステージ後
ろに見えるビル群がするりと消え、30年前の日比谷公演の風景がかさなって
きたりも。失われた、でも少しは手繰り寄せる事も可能な甘美な記憶.....
。なあんて、気候のいい(途中から、少し肌寒く感じたかな)野外会場だと
気分が良くて、いろんなことを感じたくなるナ。なんか夜空の星を追ってい
たら、ヘリコプターだか飛行機だかが何度も上空を飛ぶ。後ろに座っている
の人、ぼくのことを見てどこをみているのかと怪訝に感じたかも。でも、せ
っかくいろいろと身に受けられる開放的な場にいて、意欲を持つ音を聞いて
いるんだもの、回りをキョロキョロしたくなるじゃないか。
中村卓也+南博+ウィンチェスター・ニ・テテ+杉本智和
2007年4月12日 バイオを見ると関与ジャンルが多彩に散ってるトランペット(エフェクタ
ーをかけない、素の音だと少し辛い)/電気音を担当する中村を中央に、清
新日本ジャズ界中枢にいるピアニストの南(2001年10月29日、2005
年6月9日、2005年9月11日)とベース奏者の杉本(2002年9月22日、20
03年6月10日、2004年8月18日)、そしてガーナ出身の打楽器奏者のテ
テという組み合わせの実演。で、ダンスィングドール、という名前がつけら
れているようだ。前知識はほとんどなしで接する。エレクトロニクな一発セ
ッションぽいノリなのかと思ったら、けっこう中村の曲なのだろうか、それ
なりにメロディ感覚のある、ゆったりした演奏を披露。一部ジャズ的なソロ
を取るところもあったが、ライヴに触れながらマーク・アイシャムあたりが
彼は好きなのかなあと思ったら、ジョン・ハッセル大好きだそう。なるほど
。杉本は全体の表現を的確にまとめていて感心。代官山・晴れたら空に豆ま
いて。遠くないとはいえ、気候も悪くないのに、行き帰りにタクシー使用。
なんか、浪費しまくり。いかんな。
ーをかけない、素の音だと少し辛い)/電気音を担当する中村を中央に、清
新日本ジャズ界中枢にいるピアニストの南(2001年10月29日、2005
年6月9日、2005年9月11日)とベース奏者の杉本(2002年9月22日、20
03年6月10日、2004年8月18日)、そしてガーナ出身の打楽器奏者のテ
テという組み合わせの実演。で、ダンスィングドール、という名前がつけら
れているようだ。前知識はほとんどなしで接する。エレクトロニクな一発セ
ッションぽいノリなのかと思ったら、けっこう中村の曲なのだろうか、それ
なりにメロディ感覚のある、ゆったりした演奏を披露。一部ジャズ的なソロ
を取るところもあったが、ライヴに触れながらマーク・アイシャムあたりが
彼は好きなのかなあと思ったら、ジョン・ハッセル大好きだそう。なるほど
。杉本は全体の表現を的確にまとめていて感心。代官山・晴れたら空に豆ま
いて。遠くないとはいえ、気候も悪くないのに、行き帰りにタクシー使用。
なんか、浪費しまくり。いかんな。
豪州で開かれるバイロンベイ・ブルース・フェスという音楽フェスを、ご存じだろうか。正式名はバイロンベイ・イーストコースト・ブルース&ルーツ・フェスティヴァルというが、主催者側を含めみんなブルース・フェスと呼んだり表記したりしている。すでに今年で18回目を重ねる音楽フェスで、これに複数回パパ・グロウズ・ファンクで出演しているニューオーリンズ在住の山岸潤史の話によると、米国のアーシー傾向にあるミュージシャンの間ではよく知られるフェスであるという。
同フェスはゴールデンウィークたるイースターを利用した5日間に渡るもので、今年は4月5日から9日にかけて行われた。平日である初日は夕方から始まり、後の4日間はお昼から夜半まで4つのステージでパフォーマンスが悠々と繰り広げられる。動員はインフォーメションの人に聞いたら8万人ぐらいかなあ、との返事。肝心の出演者は百組ほどで、うち半数近くはジョン・バトラー・トリオをはじめとする豪州のバンドといった感じだろうか。
もう少し概要に触れておくと、バイロンベイは豪州最東端にあるサーフィン・リゾート地でブリスベンからゴールドコーストを越して車で2時間南下したところにある。ものすごーく緑が溢れる(それはバリ島のそれを思わせたりもする)、生理的にナチュラルかつ爽やかなまさにリゾートで、サーフィンをしないぼくでもフェス抜きでまた来たいと思わせられる土地ではあったな。不動産研究しちゃったりして。
そして、会場となるのはバイロンベイ高校(フェス期間中はここが駐車場として使われる)の前にある、ラグビー場がある草原。その大きさは、フジ・ロックのグリーン・ステージ強ほど(ゆえに、そこを横切っても5分ぐらいか。会場内の人口密度はかなり高い)。そこに、モージョー、クロスローズ、ジャンバラヤ、アプラと名付けられた4つテントが張られるわけだが、一番デカいテントは1万人ぐらいは入ろうかというもの。当初は環境がいいのになんで屋根付き会場にするのかなと思わせられたが、それは2日目からとても納得。とにかく天候が不安定なのだなあ。陽がさしているときも当然あるのだが、結構スコール的に雨が降る。おかげで綺麗な虹もしっかり見れたが、天候の不安定さには閉口させられました。ちなみに、同地はちょうど3月いっぱいでサマータイムが終了し、秋に向かいだす時期となる。
ところで、ベイロンベイは本来サーフィン好きのヒッピーが移り住んだという土地であるよう(車で1時間半ほどの所にニンビンとういう、もろにヒッピーの街もあった)なのだが、それは会場に来ている人達を見れば一目瞭然。老若男女(まさしく、いろんな層が混在)を問わず、そういうノリの人がけっこういたからナ。なお、会場内には観覧車が設置されるなど、お祭り/娯楽ムードは横溢。夜には、派手に着飾ったサンバ隊が場内を徘徊していたりもした。ま、ピースフルで緩〜い観客が多く、さらにはリゾートたる気持ちのいいヴァイヴが流れるフェスであったとは間違いなく言えると思う。
そうしたなか、印象に残った出演者を挙げていくと、リー・ペリー(妙に場の雰囲気にあっていた。照明もきれいだったなー)、ジョン・メイヤー(なんか、ブルース・フェスという名目に合わせてか、かなりブルージィかつソウルフルなパフォーマンスに終始)、ゴメス(俺たちはどこに行っても俺たちだよーん的マイペースさが素敵)、ボー・ディドリー(お茶目に、威風堂々)、ALO(理由は後述する)、フィッシュボーン(実は解散しかかったとか。オリジナル・メンバーは2人ながら心機一転、起爆力あり。ファンで良かった!)、オゾマトリ(相変わらず。で、高揚)、カーキ・キング(例によってソロ・パーマンスながら、開かれた態度をうまく出せるようになった)、タージ・マハール(余裕。出演者のなかではもっともブルースと繋がっている部分もあったか)、ブルー・キング・ブラウン(魅力的な褐色の女性シンガーをフロントに置くオーストラリアン・バンド)、ピエール・ファッチーニ(ジャック・ジョンソンとベン・ハーパーの応援を受ける自作自演派。薄口の渋さに、嬉しい含みアリ)、アッシュ・グランワルド(新機軸のオージー・ブルースマン。一人で、ボブ・ログ三世もびっくりのパフォーマンスを披露。引きつけられた)、ボニー・レイット(彼女を見れたのは、とにもかくにも嬉しかった。老けたが、演奏は文句なく質高し。キーボード奏者はニューオーンズに住むジョン・クリアリーだった)、ベン・ハーパー(ー誠心誠意、渾身)、等々。なお、トニー・ジョー・ホウイト(渋かった。フェスの良心を体現する一人だったか)、ジョス・ストーン(異常に受けてて、本人も鬼のように気張っていた)、ジギー・マーリー(日本で見たばかりだったので、殆ど見てない)、フロッギング・モリー(彼らは、その格好もあり楽屋でちょっと浮いていたかも)、ベン・クェイラー(甘ちゃん感覚に馴染めず)らは、このフェスの前後に日本に寄ってギグをやっていますね。
それから、バイロンベイがサーフィン縁の地であることは先に触れたが、同地に住むサーファー・ミュージシャンのウィル・コナー(ロング・ボードの世界チャンピオン、ボー・ヤングが一部加わった)やサーフィン界超スターの一人で近年音楽活動に力を注いでいる米国人ティミー・カラン(昨年、フー・ファイターズがツアー前座に起用している)などは場にあったアクトだったと言えるか。いい感じで、ステージをまっとうしていたナ。で、サーフィン系シンガー・ソングライターというとまずはジャック・ジョンソンの事を思い出す人も多いだろうが、実は彼はバイロンベイに別荘を持っていて家族とともに滞在中。そんな彼は友達のウィル・コナーやALO(4曲目から加わり、それは殆どジョンソン公演になっていた。実は、事前にスタジオに入ってちゃんとリハをしたそう)のステージに飛び入りし、今年の同フェスの影のV.I.P.だったかもしれない。
さらに開放的なフェスらしいハプニングはあって、それは中日にフィッシュボーンのアンジェロがオゾマトリ(フィッシュボーンは世界一売れなきゃならないバンドだと思う、と語っていたことあり)のステージに飛び入りし男気の交換を行ったことと、最終日の最後のベン・ハーパーのステージの冒頭にわざわざボニー・レイット(実は、別のステージのトリだった)が上がってブルースを愛でる者同志のデュオ共演をしたこと。ぼくにとっては、その二つが最大のフェスのハイライト。いやあ、ともに額面以上の感興を得て、ぼくは本当に舞い上がってしまった。
このバイロンベイの音楽フェス、ブルース・フェスと堂々と言ってわりには純ブルースマンの出演はない。でもって、さすが白豪主義をとっていた国だけあって、観客はマジ白人だけだ。でも、<ブルース=地に足を付けた、オーンガニックな人間的表現>と拡大解釈されたような出演者たちの多くは雄弁に自分を出し、これぞバイロンベイ・ブルース・フェスといった内実を作りあげていたと思う。端的に言えば、了見の広いロックっていいじゃん。ぼくはこの南半球で、変わらなくてもいい、嬉しいロック的な態度/情緒に触れたような気にもなったのだ。
○以上、ザ・ディグ誌に書いたものを転載
<追記>じつはフェスの帰りに、豪州ツアーに入るベン・ハーパーご一行のブリスベン空港行きの大型バスに、やはり同時刻発の飛行機に乗るぼくは便乗させてもらったりも。彼らは国内線ターミナルで降り、ぼくは国際線ターミナル。早朝だったので、彼ら(25人ぐらいいたかな。現マネージャーはかつてジャック・ジョンソンのそれをしていた人)もぼくもグーグー寝てましたが。
同フェスはゴールデンウィークたるイースターを利用した5日間に渡るもので、今年は4月5日から9日にかけて行われた。平日である初日は夕方から始まり、後の4日間はお昼から夜半まで4つのステージでパフォーマンスが悠々と繰り広げられる。動員はインフォーメションの人に聞いたら8万人ぐらいかなあ、との返事。肝心の出演者は百組ほどで、うち半数近くはジョン・バトラー・トリオをはじめとする豪州のバンドといった感じだろうか。
もう少し概要に触れておくと、バイロンベイは豪州最東端にあるサーフィン・リゾート地でブリスベンからゴールドコーストを越して車で2時間南下したところにある。ものすごーく緑が溢れる(それはバリ島のそれを思わせたりもする)、生理的にナチュラルかつ爽やかなまさにリゾートで、サーフィンをしないぼくでもフェス抜きでまた来たいと思わせられる土地ではあったな。不動産研究しちゃったりして。
そして、会場となるのはバイロンベイ高校(フェス期間中はここが駐車場として使われる)の前にある、ラグビー場がある草原。その大きさは、フジ・ロックのグリーン・ステージ強ほど(ゆえに、そこを横切っても5分ぐらいか。会場内の人口密度はかなり高い)。そこに、モージョー、クロスローズ、ジャンバラヤ、アプラと名付けられた4つテントが張られるわけだが、一番デカいテントは1万人ぐらいは入ろうかというもの。当初は環境がいいのになんで屋根付き会場にするのかなと思わせられたが、それは2日目からとても納得。とにかく天候が不安定なのだなあ。陽がさしているときも当然あるのだが、結構スコール的に雨が降る。おかげで綺麗な虹もしっかり見れたが、天候の不安定さには閉口させられました。ちなみに、同地はちょうど3月いっぱいでサマータイムが終了し、秋に向かいだす時期となる。
ところで、ベイロンベイは本来サーフィン好きのヒッピーが移り住んだという土地であるよう(車で1時間半ほどの所にニンビンとういう、もろにヒッピーの街もあった)なのだが、それは会場に来ている人達を見れば一目瞭然。老若男女(まさしく、いろんな層が混在)を問わず、そういうノリの人がけっこういたからナ。なお、会場内には観覧車が設置されるなど、お祭り/娯楽ムードは横溢。夜には、派手に着飾ったサンバ隊が場内を徘徊していたりもした。ま、ピースフルで緩〜い観客が多く、さらにはリゾートたる気持ちのいいヴァイヴが流れるフェスであったとは間違いなく言えると思う。
そうしたなか、印象に残った出演者を挙げていくと、リー・ペリー(妙に場の雰囲気にあっていた。照明もきれいだったなー)、ジョン・メイヤー(なんか、ブルース・フェスという名目に合わせてか、かなりブルージィかつソウルフルなパフォーマンスに終始)、ゴメス(俺たちはどこに行っても俺たちだよーん的マイペースさが素敵)、ボー・ディドリー(お茶目に、威風堂々)、ALO(理由は後述する)、フィッシュボーン(実は解散しかかったとか。オリジナル・メンバーは2人ながら心機一転、起爆力あり。ファンで良かった!)、オゾマトリ(相変わらず。で、高揚)、カーキ・キング(例によってソロ・パーマンスながら、開かれた態度をうまく出せるようになった)、タージ・マハール(余裕。出演者のなかではもっともブルースと繋がっている部分もあったか)、ブルー・キング・ブラウン(魅力的な褐色の女性シンガーをフロントに置くオーストラリアン・バンド)、ピエール・ファッチーニ(ジャック・ジョンソンとベン・ハーパーの応援を受ける自作自演派。薄口の渋さに、嬉しい含みアリ)、アッシュ・グランワルド(新機軸のオージー・ブルースマン。一人で、ボブ・ログ三世もびっくりのパフォーマンスを披露。引きつけられた)、ボニー・レイット(彼女を見れたのは、とにもかくにも嬉しかった。老けたが、演奏は文句なく質高し。キーボード奏者はニューオーンズに住むジョン・クリアリーだった)、ベン・ハーパー(ー誠心誠意、渾身)、等々。なお、トニー・ジョー・ホウイト(渋かった。フェスの良心を体現する一人だったか)、ジョス・ストーン(異常に受けてて、本人も鬼のように気張っていた)、ジギー・マーリー(日本で見たばかりだったので、殆ど見てない)、フロッギング・モリー(彼らは、その格好もあり楽屋でちょっと浮いていたかも)、ベン・クェイラー(甘ちゃん感覚に馴染めず)らは、このフェスの前後に日本に寄ってギグをやっていますね。
それから、バイロンベイがサーフィン縁の地であることは先に触れたが、同地に住むサーファー・ミュージシャンのウィル・コナー(ロング・ボードの世界チャンピオン、ボー・ヤングが一部加わった)やサーフィン界超スターの一人で近年音楽活動に力を注いでいる米国人ティミー・カラン(昨年、フー・ファイターズがツアー前座に起用している)などは場にあったアクトだったと言えるか。いい感じで、ステージをまっとうしていたナ。で、サーフィン系シンガー・ソングライターというとまずはジャック・ジョンソンの事を思い出す人も多いだろうが、実は彼はバイロンベイに別荘を持っていて家族とともに滞在中。そんな彼は友達のウィル・コナーやALO(4曲目から加わり、それは殆どジョンソン公演になっていた。実は、事前にスタジオに入ってちゃんとリハをしたそう)のステージに飛び入りし、今年の同フェスの影のV.I.P.だったかもしれない。
さらに開放的なフェスらしいハプニングはあって、それは中日にフィッシュボーンのアンジェロがオゾマトリ(フィッシュボーンは世界一売れなきゃならないバンドだと思う、と語っていたことあり)のステージに飛び入りし男気の交換を行ったことと、最終日の最後のベン・ハーパーのステージの冒頭にわざわざボニー・レイット(実は、別のステージのトリだった)が上がってブルースを愛でる者同志のデュオ共演をしたこと。ぼくにとっては、その二つが最大のフェスのハイライト。いやあ、ともに額面以上の感興を得て、ぼくは本当に舞い上がってしまった。
このバイロンベイの音楽フェス、ブルース・フェスと堂々と言ってわりには純ブルースマンの出演はない。でもって、さすが白豪主義をとっていた国だけあって、観客はマジ白人だけだ。でも、<ブルース=地に足を付けた、オーンガニックな人間的表現>と拡大解釈されたような出演者たちの多くは雄弁に自分を出し、これぞバイロンベイ・ブルース・フェスといった内実を作りあげていたと思う。端的に言えば、了見の広いロックっていいじゃん。ぼくはこの南半球で、変わらなくてもいい、嬉しいロック的な態度/情緒に触れたような気にもなったのだ。
○以上、ザ・ディグ誌に書いたものを転載
<追記>じつはフェスの帰りに、豪州ツアーに入るベン・ハーパーご一行のブリスベン空港行きの大型バスに、やはり同時刻発の飛行機に乗るぼくは便乗させてもらったりも。彼らは国内線ターミナルで降り、ぼくは国際線ターミナル。早朝だったので、彼ら(25人ぐらいいたかな。現マネージャーはかつてジャック・ジョンソンのそれをしていた人)もぼくもグーグー寝てましたが。
以下は、2月初旬にニューオーリンズに行ったときに、山岸潤史と交わし
た会話。パパ・グロウズ・ファンクはけっこうヨーロッパに行っているとい
う話のあとに......。
「パパグロはオーストラリアにも毎年行っているな。今年は行かんけど」
「え、なんでオーストラリア?」
「おまえ、知らんの? ブルース・フェスってのが毎年春にあるの。デカい
やつ。俺ら、毎年そこに呼ばれてた」
「えー、そんなのあるなんて知らなかった。行ってみたいなー」
「おう、あれはいいぞ」
なんて、会話をかわしていたら、実際行ってしまった。
正式名称は、“Byron Bay East Coast Blues & Roots Music Festival
2007" 。なんと今年で18回目を数えるフェスで、ここ5年ぐらいで立派なも
のになったらしい。バイロン・ベイとは、ブリスベンからゴールド・コース
トを越して南下し、車で2時間ちょい行ったサーフィンの有名地でもあるリ
ゾート地っぽいところ。で、大幅に略して、ブルース・フェスと呼ばれ、記
載もされる。とはいえ、純粋なブルース・マンの出演は今年はゼロで、ルー
ツと繋がった自然体のアクトや人間ぽいグループが呼ばれていて(ベン・ハ
ーパー、ボニー・レイット、フィッシュボーン、オゾマトリ、ボ・ディドリ
ー、リー・ペリー、ジョン・メイヤー他)、出演者は100 組あまり。うち半
数はジョン・バトラーらオージーのアーティストといった案配かな。イース
ター・ウィーク、ようはあちらのゴールデン・ウィークにあわせて5日間も
のあいだ開催され、4つの大小ステージを持ち昼から11時すぎまで(平日で
ある初日のみ、夕方から)、パフォーマンスを楽しむことができる。ラグビ
ー場(というか、それなりの高低を持つ芝生地にしか、思えなかったが)を
利用した野外会場だが、各ステージはテントが組まれ、屋根つき。でかいテ
ントは幕張メッセの1区画ぶんぐらいあるかも。なんでまだ夏場なのに熱く
てたまらんだろと感じたが、それについてはずっとフェスに付き合うとその
必然性を鬼のように感じたわけで......。なお、ジャック・ジョンソンはバ
イロン・ベイに家を持っていてずっと家族たちと滞在しているとかで、AL
Oやウィル・コナーのライヴに出演するなど大車輪の活躍で観客を沸かせた
りも。他にも、オゾとフィッボーンのアンジェロの正義の共演とか、ハーパ
ーとレイットのハート・オブ・ブルースな共演とかもあり。詳細は、だいぶ
後にアップします。やること多すぎて。とともに、せっかく和んできたのに
、根を急につめると身体や頭に悪そうだしい....... 。公式ホームページは
http://www.bluesfest.com.au/index.html
と書いて、おいて1年以上なにも追記してなかったが、The Dig誌にフェスの
模様を書いていたので、それを転載する(→4月6日の項に)
た会話。パパ・グロウズ・ファンクはけっこうヨーロッパに行っているとい
う話のあとに......。
「パパグロはオーストラリアにも毎年行っているな。今年は行かんけど」
「え、なんでオーストラリア?」
「おまえ、知らんの? ブルース・フェスってのが毎年春にあるの。デカい
やつ。俺ら、毎年そこに呼ばれてた」
「えー、そんなのあるなんて知らなかった。行ってみたいなー」
「おう、あれはいいぞ」
なんて、会話をかわしていたら、実際行ってしまった。
正式名称は、“Byron Bay East Coast Blues & Roots Music Festival
2007" 。なんと今年で18回目を数えるフェスで、ここ5年ぐらいで立派なも
のになったらしい。バイロン・ベイとは、ブリスベンからゴールド・コース
トを越して南下し、車で2時間ちょい行ったサーフィンの有名地でもあるリ
ゾート地っぽいところ。で、大幅に略して、ブルース・フェスと呼ばれ、記
載もされる。とはいえ、純粋なブルース・マンの出演は今年はゼロで、ルー
ツと繋がった自然体のアクトや人間ぽいグループが呼ばれていて(ベン・ハ
ーパー、ボニー・レイット、フィッシュボーン、オゾマトリ、ボ・ディドリ
ー、リー・ペリー、ジョン・メイヤー他)、出演者は100 組あまり。うち半
数はジョン・バトラーらオージーのアーティストといった案配かな。イース
ター・ウィーク、ようはあちらのゴールデン・ウィークにあわせて5日間も
のあいだ開催され、4つの大小ステージを持ち昼から11時すぎまで(平日で
ある初日のみ、夕方から)、パフォーマンスを楽しむことができる。ラグビ
ー場(というか、それなりの高低を持つ芝生地にしか、思えなかったが)を
利用した野外会場だが、各ステージはテントが組まれ、屋根つき。でかいテ
ントは幕張メッセの1区画ぶんぐらいあるかも。なんでまだ夏場なのに熱く
てたまらんだろと感じたが、それについてはずっとフェスに付き合うとその
必然性を鬼のように感じたわけで......。なお、ジャック・ジョンソンはバ
イロン・ベイに家を持っていてずっと家族たちと滞在しているとかで、AL
Oやウィル・コナーのライヴに出演するなど大車輪の活躍で観客を沸かせた
りも。他にも、オゾとフィッボーンのアンジェロの正義の共演とか、ハーパ
ーとレイットのハート・オブ・ブルースな共演とかもあり。詳細は、だいぶ
後にアップします。やること多すぎて。とともに、せっかく和んできたのに
、根を急につめると身体や頭に悪そうだしい....... 。公式ホームページは
http://www.bluesfest.com.au/index.html
と書いて、おいて1年以上なにも追記してなかったが、The Dig誌にフェスの
模様を書いていたので、それを転載する(→4月6日の項に)
ジギー・マーリー、カニエ・ウェスト
2007年3月31日 昨年(4月2日)からやっている、“スプリング・グルーヴ”。千葉県・
幕張メッセ。やれ花見はしなきゃいけないし、来週火曜夜からオーストラリ
ア行きで仕事山積みだ(会場で逃避モードに入り、車にも係わらずグビグビ
飲みたくなり、自制するのに一苦労)し、延々と会場にいるのは無理で、終
盤に出る3組だけを見にいく(つもりだったが)。
往路、大井から有明にかけてものすごく高速が混んでた。東京ディズニー
ランドのへんはかなりな降雨。幕張についたときにはやんでいたけど。イヴ
ェントの全体像は去年と同様、さらに小さなヒップホップ・ステージが新設
され、そちらにはグランド・プーバ他が出たようだ。
昨年はダミアン・マーリーが出たが、今年は兄のジギー・マーリーが出演
。彼が求めるレゲエ・ビヨンド表現に父親の曲も混ぜるが、違和感やイヤな
感じはなし。きっちりとパフォーマンス。アフリカっぽい音も出したギタリ
ストの一人は日本人だったよう。バック・コーラスの一人が可愛かったよう
な。20分押しておわった。
そして、本来7時15分からローリン・ヒルが出てくるのはずだったが、会
場にまだ着ていないということで、トリのカニエ・ウェストが先に、予定時
間よりも25分早く、8時ちょうどに登場。ヒルは単独公演でも2時間ほど遅
れて始まったということだが、彼女そーゆーう人なの? そういやあ90年代
末だったかな、プロモーションで来日した彼女のパーティが開かれたことが
あって、和服を着た彼女と写真を撮ったことがあったな。あの頃は、初々し
かった。フロントライナー契約のカニエ・ウェストはよく先に出たな、と某
氏。ギャラ増しになったのかな?
着飾ったカニエ・ウェストのショウがさすが。白人のDJに加え、6人だ
かのストリングス・セクションを後ろに並べてのもの。加えて、2人のコー
ラスもいたか。ぶっといビートにカニエ・ウェストは肉声をとばし、そこに
ストリング音が絡む。声に迫力はないが、なんか思った以上にがちんこなノ
リを持つもの(でありつつ、ストリングス隊の存在が洒脱な通風口のような
ものにもなっている。その案配は絶妙ネ)で、彼が完全に実演と音盤を分け
ているのがよく判る。そして、総体としてはクールで、才ある人であること
をきっちりアピール。感心。こういう人が現代米国黒人音楽の舵取り役をや
っているのは素敵なこと。
10時ちょいには東京にもどらなけばならなく、ローリン・ヒルを見るのは
断念。ちぇっ。風邪、ひいた。やばっ。
幕張メッセ。やれ花見はしなきゃいけないし、来週火曜夜からオーストラリ
ア行きで仕事山積みだ(会場で逃避モードに入り、車にも係わらずグビグビ
飲みたくなり、自制するのに一苦労)し、延々と会場にいるのは無理で、終
盤に出る3組だけを見にいく(つもりだったが)。
往路、大井から有明にかけてものすごく高速が混んでた。東京ディズニー
ランドのへんはかなりな降雨。幕張についたときにはやんでいたけど。イヴ
ェントの全体像は去年と同様、さらに小さなヒップホップ・ステージが新設
され、そちらにはグランド・プーバ他が出たようだ。
昨年はダミアン・マーリーが出たが、今年は兄のジギー・マーリーが出演
。彼が求めるレゲエ・ビヨンド表現に父親の曲も混ぜるが、違和感やイヤな
感じはなし。きっちりとパフォーマンス。アフリカっぽい音も出したギタリ
ストの一人は日本人だったよう。バック・コーラスの一人が可愛かったよう
な。20分押しておわった。
そして、本来7時15分からローリン・ヒルが出てくるのはずだったが、会
場にまだ着ていないということで、トリのカニエ・ウェストが先に、予定時
間よりも25分早く、8時ちょうどに登場。ヒルは単独公演でも2時間ほど遅
れて始まったということだが、彼女そーゆーう人なの? そういやあ90年代
末だったかな、プロモーションで来日した彼女のパーティが開かれたことが
あって、和服を着た彼女と写真を撮ったことがあったな。あの頃は、初々し
かった。フロントライナー契約のカニエ・ウェストはよく先に出たな、と某
氏。ギャラ増しになったのかな?
着飾ったカニエ・ウェストのショウがさすが。白人のDJに加え、6人だ
かのストリングス・セクションを後ろに並べてのもの。加えて、2人のコー
ラスもいたか。ぶっといビートにカニエ・ウェストは肉声をとばし、そこに
ストリング音が絡む。声に迫力はないが、なんか思った以上にがちんこなノ
リを持つもの(でありつつ、ストリングス隊の存在が洒脱な通風口のような
ものにもなっている。その案配は絶妙ネ)で、彼が完全に実演と音盤を分け
ているのがよく判る。そして、総体としてはクールで、才ある人であること
をきっちりアピール。感心。こういう人が現代米国黒人音楽の舵取り役をや
っているのは素敵なこと。
10時ちょいには東京にもどらなけばならなく、ローリン・ヒルを見るのは
断念。ちぇっ。風邪、ひいた。やばっ。
ラリキン・ラヴ
2007年3月28日 代官山・ユニット。髪の毛を切るのに時間がかかって遅れて会場入りした
のだが、かなり混んでいる。勘どころありの期待のUK若手バンドだが、ち
ゃんと話題になっているのがよく判りました。例によって後方からだとあま
りステージが見えず、無理せずヴィジョンを見る。アイリッシュの血をひく
奴が集まっているらしく、ザ・ポーグス(2005年7月29日)みたいなとこ
ろも持つバンドだが、今様サーフ・ロック系(ジャック・ジョンソン他)な
んですと言われても違和感のない寛いだ曲もやったり。あと、CD聞いても
すぐに判るが、レゲエなんかも取り入れているバンドね。というか、好奇心
旺盛にあまり気取りもなく実質主義の音楽語彙に興味を持っているという感
じかな。なんにせよ、手作り感覚や人間的な感覚を持っているバンドであり
、若いくせに奇特なバンドという印象もぼくは実演に触れて感じました。5
年後に、コイツら何をやっているかなとふと思わなくはなかったけど....。
まあ、余計なお世話でしょう。今の満足を求めて突っ走っていただきたい。
終了後、知人を誘い、中目黒にくだり、目黒川側道でプチ花見。やっぱ、
ぼくは桜が好きだ。
のだが、かなり混んでいる。勘どころありの期待のUK若手バンドだが、ち
ゃんと話題になっているのがよく判りました。例によって後方からだとあま
りステージが見えず、無理せずヴィジョンを見る。アイリッシュの血をひく
奴が集まっているらしく、ザ・ポーグス(2005年7月29日)みたいなとこ
ろも持つバンドだが、今様サーフ・ロック系(ジャック・ジョンソン他)な
んですと言われても違和感のない寛いだ曲もやったり。あと、CD聞いても
すぐに判るが、レゲエなんかも取り入れているバンドね。というか、好奇心
旺盛にあまり気取りもなく実質主義の音楽語彙に興味を持っているという感
じかな。なんにせよ、手作り感覚や人間的な感覚を持っているバンドであり
、若いくせに奇特なバンドという印象もぼくは実演に触れて感じました。5
年後に、コイツら何をやっているかなとふと思わなくはなかったけど....。
まあ、余計なお世話でしょう。今の満足を求めて突っ走っていただきたい。
終了後、知人を誘い、中目黒にくだり、目黒川側道でプチ花見。やっぱ、
ぼくは桜が好きだ。
ザ・ロウズ・ファミリー
2007年3月22日 兄弟姉妹がずっと仲良くできるのっていいな。
ヒューバート(フルート、39年生まれ)、エロイーズ(歌、47年生まれ)、
ロニー(サックス、50年生まれ。LA期アタマのEW&Fにいたこともあったか
)、デブラ(歌)。テキサス州ヒューストン出身の4人兄妹たち。ジャズ・
フュージョンやR&Bの世界でそれぞれリーダー作を持っている4人が一緒
にやるという出し物。4人にプラスして2キーボード、サックス、ベース、
ドラムという編成で、もう一人の若いサックスは息子かなんからしい。有楽
町・コットンクラブ(ファースト・セット)。この晩の、男性客のスーツ率は
高かったナ。
皆でやるときもあれば、それそれが前に出たときもある。当然、パフォー
マンス時間は長くなり、1時間半を超えたはず。音楽的には、上品なソウル
・フュージョンといったノリ。それがエスタブリッシュされてて自適悠々、
和気あいあいな4人の様に合う。で、冒頭の感想に繋がるわけ。本当に、円
満な空気がそこにはありました。
ヒューバート(フルート、39年生まれ)、エロイーズ(歌、47年生まれ)、
ロニー(サックス、50年生まれ。LA期アタマのEW&Fにいたこともあったか
)、デブラ(歌)。テキサス州ヒューストン出身の4人兄妹たち。ジャズ・
フュージョンやR&Bの世界でそれぞれリーダー作を持っている4人が一緒
にやるという出し物。4人にプラスして2キーボード、サックス、ベース、
ドラムという編成で、もう一人の若いサックスは息子かなんからしい。有楽
町・コットンクラブ(ファースト・セット)。この晩の、男性客のスーツ率は
高かったナ。
皆でやるときもあれば、それそれが前に出たときもある。当然、パフォー
マンス時間は長くなり、1時間半を超えたはず。音楽的には、上品なソウル
・フュージョンといったノリ。それがエスタブリッシュされてて自適悠々、
和気あいあいな4人の様に合う。で、冒頭の感想に繋がるわけ。本当に、円
満な空気がそこにはありました。
ノラ・ジョーンズ
2007年3月21日 恵比寿・ガーデンホール。一般客も招いての1時間のショーケース・ライ
ヴ,1曲ごとの演奏時間はかなり短目で、けっこう曲数はやった。リー・アレク
サンダー(ベース)、アンドリュー・ボーガー(ドラム)、アダム・レヴィ
(ギター)、ダルー・オダ(バック・コーラス、ベース、フルート、ピアノ
)といういつもの4人がバックアップについてのものだったが、シンガー・
ソングライター方向に振られた新作曲中心のパフォーマンスはショプの進め方に
いろいろと変化アリで興味深った。まず冒頭の4曲、ジョーンズ(2002年5
月30日、2002年9月14日)は生ギターを持ちながら歌う(他にも、ギタ
ーを持って歌った曲も)。うち、1曲は電気ベースを持つオダとのデュオに
て。彼女の付き人的存在なんて言われていたオダは上に記しているように、
今回いろんな楽器を持ちかえていたな。また、彼氏のアレキサンダーも同様
で、電気ベースに持ち替えるとこもあったし、ギターを手にしたときも。変
化は美徳なり。そうした設定のもと、なんか余裕綽々という感じで彼女はパ
フォーマンスを続けていく。本当にみんな仲がよさそう。なんでも、このショウ
とTV出演のためにちゃんとフルの編成で来日したらしい。
終盤、出世曲「ドント・ノウ・ホワイ」もやる。ギター基調のこの曲、ま
ずノラが歌いはじめてすぐに、レヴィがギターをとちって中断。「しばらく
、この曲をやってなかったから。ギターはアダム・レヴィよ」みたいな臨機
応変なMCに会場は大いにわく。で、やり直したら、今度はギターの弦がブ
チと切れてまた中断。あらら。そしたら、ノラはピアノを弾きながら歌いは
じめ、バンドがそれについていき、ピアノ主体ヴァージョンの「ドント・ノ
ウ・ホワイ」に。かなり投げやりというか、彼女は崩した歌いかたに終始。
それ、とっても貴重だったかも。
ジョーンズはかなりスリムになった。さすが、映画スター。観客の反応が
地味だったためもあってか、予定されていたアンコール3曲はやらずにショ
ウは終了。
ヴ,1曲ごとの演奏時間はかなり短目で、けっこう曲数はやった。リー・アレク
サンダー(ベース)、アンドリュー・ボーガー(ドラム)、アダム・レヴィ
(ギター)、ダルー・オダ(バック・コーラス、ベース、フルート、ピアノ
)といういつもの4人がバックアップについてのものだったが、シンガー・
ソングライター方向に振られた新作曲中心のパフォーマンスはショプの進め方に
いろいろと変化アリで興味深った。まず冒頭の4曲、ジョーンズ(2002年5
月30日、2002年9月14日)は生ギターを持ちながら歌う(他にも、ギタ
ーを持って歌った曲も)。うち、1曲は電気ベースを持つオダとのデュオに
て。彼女の付き人的存在なんて言われていたオダは上に記しているように、
今回いろんな楽器を持ちかえていたな。また、彼氏のアレキサンダーも同様
で、電気ベースに持ち替えるとこもあったし、ギターを手にしたときも。変
化は美徳なり。そうした設定のもと、なんか余裕綽々という感じで彼女はパ
フォーマンスを続けていく。本当にみんな仲がよさそう。なんでも、このショウ
とTV出演のためにちゃんとフルの編成で来日したらしい。
終盤、出世曲「ドント・ノウ・ホワイ」もやる。ギター基調のこの曲、ま
ずノラが歌いはじめてすぐに、レヴィがギターをとちって中断。「しばらく
、この曲をやってなかったから。ギターはアダム・レヴィよ」みたいな臨機
応変なMCに会場は大いにわく。で、やり直したら、今度はギターの弦がブ
チと切れてまた中断。あらら。そしたら、ノラはピアノを弾きながら歌いは
じめ、バンドがそれについていき、ピアノ主体ヴァージョンの「ドント・ノ
ウ・ホワイ」に。かなり投げやりというか、彼女は崩した歌いかたに終始。
それ、とっても貴重だったかも。
ジョーンズはかなりスリムになった。さすが、映画スター。観客の反応が
地味だったためもあってか、予定されていたアンコール3曲はやらずにショ
ウは終了。
カルロス・ジョンソン(16日)
2007年3月18日 日本のブルース関係者からやたら熱い視線を送られまくりの、地元で録ら
れたライヴ盤がP-ヴァインから出て間もない、シカゴのかっとびブルース・
ギタリスト/シンガー。実際はどうだか知らぬが、よく出来た人間性が出た
ルックス(ぜんぜん若い人ではない)もほんのり魅力的ね。バッキングをす
るのは小出斉(2005年6月16日)他らによる日本人ブルース・バンドのロ
ーラー・コースター。ジョンソンはローラー・コースターと一緒に出てきて
、2時間弱ぐらいやったか。やはり、ギター・ソロのパートは長く、バンド
にもソロを回す。
渋谷・オネスト。やっぱしフルハウスで、後からだとあんまし見えない。
暑いし、珍しく手に買い物したものを持っていてかったるい(箸より重い物
を持つと脱臼する、というのがぼくの口癖....)ので、上のバー・フロアで
お酒片手にゆったり座り“大人見”をしちゃう。もう少し、はっきりした(
ステージを写す)画面が見れたらなあ。でも、こちらはタダでもいられるス
ペースなので営業上それは無理なのか。
で、CDで示されているように、ギター・ソロは多彩にして、雄弁。スク
イーズ(キュイ〜ンってノリの煽情的な指づかい)も多用するが、内に抱え
る世界が豊富なため、音楽的偏差値が低くならない。偉い。また、曲調もま
ったくもって同様。ストレートなブルース・コードの曲は少なく、途中でラ
テン調になったりとか、本当に自由自在。キャノンボール・アダリィ(正確
には彼のバンドにいたジョー・ザヴィヌル作の)の ソウル・ジャズ名曲「
マーシィ・マーシィ・マーシィ」のコードの置き換え、ブルース・マンであ
んなことできる人は彼だけだろう。彼が同様の資質を持った白人だったらど
うなっているか....そんな事も夢想してしまうワタシでした
れたライヴ盤がP-ヴァインから出て間もない、シカゴのかっとびブルース・
ギタリスト/シンガー。実際はどうだか知らぬが、よく出来た人間性が出た
ルックス(ぜんぜん若い人ではない)もほんのり魅力的ね。バッキングをす
るのは小出斉(2005年6月16日)他らによる日本人ブルース・バンドのロ
ーラー・コースター。ジョンソンはローラー・コースターと一緒に出てきて
、2時間弱ぐらいやったか。やはり、ギター・ソロのパートは長く、バンド
にもソロを回す。
渋谷・オネスト。やっぱしフルハウスで、後からだとあんまし見えない。
暑いし、珍しく手に買い物したものを持っていてかったるい(箸より重い物
を持つと脱臼する、というのがぼくの口癖....)ので、上のバー・フロアで
お酒片手にゆったり座り“大人見”をしちゃう。もう少し、はっきりした(
ステージを写す)画面が見れたらなあ。でも、こちらはタダでもいられるス
ペースなので営業上それは無理なのか。
で、CDで示されているように、ギター・ソロは多彩にして、雄弁。スク
イーズ(キュイ〜ンってノリの煽情的な指づかい)も多用するが、内に抱え
る世界が豊富なため、音楽的偏差値が低くならない。偉い。また、曲調もま
ったくもって同様。ストレートなブルース・コードの曲は少なく、途中でラ
テン調になったりとか、本当に自由自在。キャノンボール・アダリィ(正確
には彼のバンドにいたジョー・ザヴィヌル作の)の ソウル・ジャズ名曲「
マーシィ・マーシィ・マーシィ」のコードの置き換え、ブルース・マンであ
んなことできる人は彼だけだろう。彼が同様の資質を持った白人だったらど
うなっているか....そんな事も夢想してしまうワタシでした
イーグルス・オブ・デス・メタル
2007年3月14日 ガラっぱちな(MCで、“ファッキン”という言葉が何度出てきたろう)
心意気を分かりやすく出し、それと繋がる笑える要素も楽しく持っている、
素敵なアメリカのB級ロックンロール・バンド。代官山・ユニット。
その近作のジャケット・カヴァーはザ・ローリング・ストーンズの『ステ
ィッキー・フィンガーズ』のパロディなり。色使いは、ザ・J・ガイルズ・バ
ンドの『ホット・ライン』みたいという言い方もあるかな。歌/ギター、ギ
ター、ベース、ドラムという編成。モヒカン頭のギター、長髪のベースもコ
ーラスを取る。パワー・ポップ曲からけっこうハードなものまでいろいろと
やるが、一言で言えばイナセなロックンロール・バンドと言っちゃえそう。
ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラシュ」とザ・フーの「サマー・
タイム・ブルース」のもどきのような曲も彼らはやった。学生時代にストー
ンズっぽいバンドを一番やったぼくは、バンドをたいそうやりたくなりまし
たとサ。
実はエクササイズもちゃんとやってそうと思わせる体つきのヴォーカル/
ギター氏はずっこけた写真よりずっとロッカーぽい。オールバックの髪(リ
ーゼントでは非ず)に櫛を通す仕種やサングラスをうまく自らの酔狂なロッ
ク流儀を出すのに彼は用いる。その彼の前には2本、マイク・スタンドが。
ゲスト・シンガーでも出てくるのかと思えば、そのうち一つは彼が歌とギタ
ー単音を混ぜたトーク・ボックス(ヴォイス・モジュレイター)調のギター
・ソロを取るとき用のもの。アナクロな音楽性を持つバンドだが、その装置
だけは目新しかった(過去、そういう事をするギタリストは管を加えてソロ
を取っていたから)。
もう一人のギターは途中でギターをオープン・チューニングにして、ザ・
フェイセズ時代のロン・ウッドのようにスライド・バーを手にして単独演奏
をしたりも。それを他の3人がすげえぞと言う感じで見守るとういう仕種を
見せたが、それ並で、全然凄くなかった。終盤、ヴォーカルもオープン・
チューニングを用いたりも。オープン・チューニングを使うギタリストがい
るバンドに悪いバンドはいない。
しゃきっと8のロックンロール・ビートを叩き出すドラムは一級。一番丹
精なルックスをしていた彼はクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ(ネ
ーミングのセンスが重なる?)のギタリストだというが、だとするとその巧
さは驚異的。いやあ、いいドラマー。一緒にスタジオ入ったら気持ちいいだ
ろうにゃ。→追記、忙しくて,別の人が来日し叩いていたよう。。。
アンコールはダムド、ザ・ラモーンズ、ストーンズのカヴァー3連発(ら
しい)。ストーンズは「ブラウン・シュガー」。その歌詞に“ニューオリン
ズ”と出てくるだけで、また余計に高揚。まだ、“ニューオリンズ熱”は覚
めてないよう。ドラマーがカウベルを叩いたときもあったが、実はガキのこ
ろから、グランド・ファンク・レイルロードの「アメリカン・バンド」とかザ
・J・ガイルズ・バンドの「ラヴ・アイティス」とか、カウベルがハイハッ
ト代わりに叩かれるロック曲をぼくは目茶好きだった。で、先にニューオリ
ンズでいろんなライヴに触れたら、マグノリアス(2007年2月3日)のフロ
ントをはじめ、けっこうな頻度で出演者たちが歌や楽器演奏の合間にカウベ
ルを手にしていて、カウベルはニューオリンズ・ミュージックに欠かせない
重要楽器なのだなと思い知らされたのだよなあ。少しだけ、ぼくはニュー
オリンズに向かう運命であったのだと思ったりもしました。
心意気を分かりやすく出し、それと繋がる笑える要素も楽しく持っている、
素敵なアメリカのB級ロックンロール・バンド。代官山・ユニット。
その近作のジャケット・カヴァーはザ・ローリング・ストーンズの『ステ
ィッキー・フィンガーズ』のパロディなり。色使いは、ザ・J・ガイルズ・バ
ンドの『ホット・ライン』みたいという言い方もあるかな。歌/ギター、ギ
ター、ベース、ドラムという編成。モヒカン頭のギター、長髪のベースもコ
ーラスを取る。パワー・ポップ曲からけっこうハードなものまでいろいろと
やるが、一言で言えばイナセなロックンロール・バンドと言っちゃえそう。
ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラシュ」とザ・フーの「サマー・
タイム・ブルース」のもどきのような曲も彼らはやった。学生時代にストー
ンズっぽいバンドを一番やったぼくは、バンドをたいそうやりたくなりまし
たとサ。
実はエクササイズもちゃんとやってそうと思わせる体つきのヴォーカル/
ギター氏はずっこけた写真よりずっとロッカーぽい。オールバックの髪(リ
ーゼントでは非ず)に櫛を通す仕種やサングラスをうまく自らの酔狂なロッ
ク流儀を出すのに彼は用いる。その彼の前には2本、マイク・スタンドが。
ゲスト・シンガーでも出てくるのかと思えば、そのうち一つは彼が歌とギタ
ー単音を混ぜたトーク・ボックス(ヴォイス・モジュレイター)調のギター
・ソロを取るとき用のもの。アナクロな音楽性を持つバンドだが、その装置
だけは目新しかった(過去、そういう事をするギタリストは管を加えてソロ
を取っていたから)。
もう一人のギターは途中でギターをオープン・チューニングにして、ザ・
フェイセズ時代のロン・ウッドのようにスライド・バーを手にして単独演奏
をしたりも。それを他の3人がすげえぞと言う感じで見守るとういう仕種を
見せたが、それ並で、全然凄くなかった。終盤、ヴォーカルもオープン・
チューニングを用いたりも。オープン・チューニングを使うギタリストがい
るバンドに悪いバンドはいない。
しゃきっと8のロックンロール・ビートを叩き出すドラムは一級。一番丹
精なルックスをしていた彼はクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ(ネ
ーミングのセンスが重なる?)のギタリストだというが、だとするとその巧
さは驚異的。いやあ、いいドラマー。一緒にスタジオ入ったら気持ちいいだ
ろうにゃ。→追記、忙しくて,別の人が来日し叩いていたよう。。。
アンコールはダムド、ザ・ラモーンズ、ストーンズのカヴァー3連発(ら
しい)。ストーンズは「ブラウン・シュガー」。その歌詞に“ニューオリン
ズ”と出てくるだけで、また余計に高揚。まだ、“ニューオリンズ熱”は覚
めてないよう。ドラマーがカウベルを叩いたときもあったが、実はガキのこ
ろから、グランド・ファンク・レイルロードの「アメリカン・バンド」とかザ
・J・ガイルズ・バンドの「ラヴ・アイティス」とか、カウベルがハイハッ
ト代わりに叩かれるロック曲をぼくは目茶好きだった。で、先にニューオリ
ンズでいろんなライヴに触れたら、マグノリアス(2007年2月3日)のフロ
ントをはじめ、けっこうな頻度で出演者たちが歌や楽器演奏の合間にカウベ
ルを手にしていて、カウベルはニューオリンズ・ミュージックに欠かせない
重要楽器なのだなと思い知らされたのだよなあ。少しだけ、ぼくはニュー
オリンズに向かう運命であったのだと思ったりもしました。
ジェシー・ハリス、リチャード・ジュリアン、サーシャ・ダブソン
2007年3月11日 NYの仲良し3人が一緒になった公演。渋谷・クラブクアトロ。
まず、出てきたのはジェシー・ハリス(2002年12月21日、2005年9月7
日、2006年1月23日、2006年4月22日)。トリオ編成にて、ベースはと
きにザ・バンドのリック・ダンコみたいなフレイジングをきかせる前回同行
しているベーシスト。ドラムはリトル・ウィリーズの人。彼はすでに新作『
フィール』(ヴェロアからのリリースとなる。その社長のジェフ・クラズノ
ー:2000年8月16日:とは奥さんを通して、ハリスはけっこう長い付き合い
を持つという)を完成させていて、10曲中半数はその新作からのもの。本人
曰く「ムーディだった前作よりも、パーカッション奏者なども入って、明る
い感じかな」。途中1曲、彼のプロデュースでアルバムを作った(今回の来
日時に行ったとか。彼、一人でバッキング音を作ったらしい)畠山美由紀が
コーラスをつける。最後の曲にはリチャード・ジュリアン(2006年7月23
日)が加わり、次の曲から(ハリスはひっこみ)ジュリアンのセットになる。
同じリスム隊を用いてのジュリアンのパフォーマンスに触れると、各々の
個性が浮き彫りになるなあ。ジュリアンはちょいアーシーとうか、ルーツっ
ぽいノリを滲ませる曲の味がいい。最後の曲になると、サーシャ・ダブソン
(2006年4月22日)が登場し、そのまま彼女のセットに突入。そして、彼
女の近作のプロデューサーのジェシーも出てくる。ダブソンの同居人/彼氏
であるジュリアンはバック・コーラスもつけるが、ハリスは生ギターかバン
ジョーを弾くのみで歌わない。ジュリアンはノラ・ジョーンズ(2002年5月
30日、2002年9月14日)とリトル・ウィリーズを組んでいて、ハリスはも
ちろんジョーンズのブレイクの立役者で、その二人は仲良くジョーンズの新
作レコーディングに参加している。ちなみに、ダブソンのNYリヴィング・
ルームでのギグをジュリアンやハリスがバッキングすることはあっっても、
この晩のように順繰りに3人が前に立つという形式のギグはやってないそう
。この晩にハリスが最初に出たのは、それがおさまりがいいと思えたからと
か。そのハリスはイーサン・コーエンの新作映画の音楽作りをしたり(そこ
に、役者としても出ているという。ノラ・ジョーンズみたいですねとツっこ
みを入れると、いやあ彼女は大スターだから…と答える)、フランス人や
アルゼンチン人シンガーのアルバムのプロデュースも完了済みとか。おお、
働いてるナ。
男性陣は皆、メガネをかけ髭を伸ばしている。そして、控えめな感じで物
腰が柔和。見事に、感じが重なっている。それはステレオタイプなアメリカ
人像からはかなり離れるものだが、ある種洗練されたニューヨーカー像を感
じさせるものだったかも。それを、ハリスに伝えると、意外なくらい照れた
反応を見せた。それから、3人のセっトそれぞれに1曲か2曲でおおはた雄
一がワイゼンボーンで無理なく加わる。そういやあ、ダブソンはその前歴を
生かして、リズム・セクションだけをバックに1曲もろジャズのりで歌い、
スキャトを聞かせたりも。
まず、出てきたのはジェシー・ハリス(2002年12月21日、2005年9月7
日、2006年1月23日、2006年4月22日)。トリオ編成にて、ベースはと
きにザ・バンドのリック・ダンコみたいなフレイジングをきかせる前回同行
しているベーシスト。ドラムはリトル・ウィリーズの人。彼はすでに新作『
フィール』(ヴェロアからのリリースとなる。その社長のジェフ・クラズノ
ー:2000年8月16日:とは奥さんを通して、ハリスはけっこう長い付き合い
を持つという)を完成させていて、10曲中半数はその新作からのもの。本人
曰く「ムーディだった前作よりも、パーカッション奏者なども入って、明る
い感じかな」。途中1曲、彼のプロデュースでアルバムを作った(今回の来
日時に行ったとか。彼、一人でバッキング音を作ったらしい)畠山美由紀が
コーラスをつける。最後の曲にはリチャード・ジュリアン(2006年7月23
日)が加わり、次の曲から(ハリスはひっこみ)ジュリアンのセットになる。
同じリスム隊を用いてのジュリアンのパフォーマンスに触れると、各々の
個性が浮き彫りになるなあ。ジュリアンはちょいアーシーとうか、ルーツっ
ぽいノリを滲ませる曲の味がいい。最後の曲になると、サーシャ・ダブソン
(2006年4月22日)が登場し、そのまま彼女のセットに突入。そして、彼
女の近作のプロデューサーのジェシーも出てくる。ダブソンの同居人/彼氏
であるジュリアンはバック・コーラスもつけるが、ハリスは生ギターかバン
ジョーを弾くのみで歌わない。ジュリアンはノラ・ジョーンズ(2002年5月
30日、2002年9月14日)とリトル・ウィリーズを組んでいて、ハリスはも
ちろんジョーンズのブレイクの立役者で、その二人は仲良くジョーンズの新
作レコーディングに参加している。ちなみに、ダブソンのNYリヴィング・
ルームでのギグをジュリアンやハリスがバッキングすることはあっっても、
この晩のように順繰りに3人が前に立つという形式のギグはやってないそう
。この晩にハリスが最初に出たのは、それがおさまりがいいと思えたからと
か。そのハリスはイーサン・コーエンの新作映画の音楽作りをしたり(そこ
に、役者としても出ているという。ノラ・ジョーンズみたいですねとツっこ
みを入れると、いやあ彼女は大スターだから…と答える)、フランス人や
アルゼンチン人シンガーのアルバムのプロデュースも完了済みとか。おお、
働いてるナ。
男性陣は皆、メガネをかけ髭を伸ばしている。そして、控えめな感じで物
腰が柔和。見事に、感じが重なっている。それはステレオタイプなアメリカ
人像からはかなり離れるものだが、ある種洗練されたニューヨーカー像を感
じさせるものだったかも。それを、ハリスに伝えると、意外なくらい照れた
反応を見せた。それから、3人のセっトそれぞれに1曲か2曲でおおはた雄
一がワイゼンボーンで無理なく加わる。そういやあ、ダブソンはその前歴を
生かして、リズム・セクションだけをバックに1曲もろジャズのりで歌い、
スキャトを聞かせたりも。
テリー・キャリア
2007年3月8日 来た際はいつでも見たくなる(2002年5月21日、2004年4月19日、20
05年2月17日)、ジャジィでもある、在シカゴのフォーキー・ソウルの才
人。今回も南青山・ブルーノート東京(ファースト・セット)、やっぱりい
い気分になれたな。生ギターを持って歌う彼に加えて、キーボード、サック
ス、電気ギター、ベース、ドラム、打楽器という毎度の編成(英国人中心。
ドラム、打楽器はミューシシャンが変わっているかも)。けっこうソロ・パ
ートを与えられる毎度同行するギタリストのジム・マレン(23年前ぐらいに
、ポニーキャニオンは彼のフュージョン調アルバムを出したことがある)が
この晩はかなり歌ってる(サム・ピッキングでソロを取る)と思わせられた
かも。アンコールのさい、バンドを従えキャリアーはギターを手にせず、立
って歌った。前回のアンコール時は、バンド抜きのギターの弾き語り。臨機
応変にショウは流れる。そして、美しい弧を描いていく。最後の曲はマイル
ス・デイヴィスの「オール・ブルース」..... 。
05年2月17日)、ジャジィでもある、在シカゴのフォーキー・ソウルの才
人。今回も南青山・ブルーノート東京(ファースト・セット)、やっぱりい
い気分になれたな。生ギターを持って歌う彼に加えて、キーボード、サック
ス、電気ギター、ベース、ドラム、打楽器という毎度の編成(英国人中心。
ドラム、打楽器はミューシシャンが変わっているかも)。けっこうソロ・パ
ートを与えられる毎度同行するギタリストのジム・マレン(23年前ぐらいに
、ポニーキャニオンは彼のフュージョン調アルバムを出したことがある)が
この晩はかなり歌ってる(サム・ピッキングでソロを取る)と思わせられた
かも。アンコールのさい、バンドを従えキャリアーはギターを手にせず、立
って歌った。前回のアンコール時は、バンド抜きのギターの弾き語り。臨機
応変にショウは流れる。そして、美しい弧を描いていく。最後の曲はマイル
ス・デイヴィスの「オール・ブルース」..... 。
ピーター・ビョーン・アンド・ジョン
2007年3月7日 スウェーデンの人たちって、素朴でいい人が多いんだけど、彼らも出てき
た途端、そういう感じは大アリ。アルバム記載を見ると3人ともいろんな楽
器がクレジットされているけど、ライヴではピーターがギター、ビョーンが
ベース、ジョン(ヨン。スウーデン語では)がドラム。何曲かはプリセット
音をほんのり無理なく重ねたりも。歌はピーターとビューンが取り(ピータ
ーがリードを取る場合が多い。二人ではもり合うときも)、ドラマーも1曲
歌う。ギタリストはとてもいろんな弾き方が出来る人で、器用。また、彼は
足元に置いたカンペを見ながらではあったが、簡単なMCを日本語でこなす
。人間味ありました。
話題を呼んだ口笛使用のほのぼの曲「ヤング・フォークス」に代表される
ようにほんわかした感じで進むのかと思ったら、けっこうビートはあるし、
ギターも効いてて、思った以上にビート・バンドっぽいと思った。また、ザ
・ビートルズの尻尾を感じさせる(ピーターの歌は、ジョン・レノンぽいと
感じさせる局面もありました)ときもあるし、簡素な編成のわりにはライヴ
におけるアレンジもしなやかで、音楽の自由を意外なくらいぼくは感じてし
まったな。ちょっとしたところにアイデアや洒脱があり、一方でしっかりと
ロックでありたいという気持ちもあり。聞くに耐えないとのたまって後半か
えってしまった同業者がいたけど、その所感はまったくもって謎。あまりの
感じ方の差に驚く。
なんと、「ヤング・フォークス」ではオリジナルでも歌っていたヴィクト
リア・バーグスマンが出てきてピーターとデュエット。そして、アンコール
では、そのバーグスマンが参加していたスエーデンの先輩バンドのザ・コン
クリーツの「ティーン・ラヴ」を3人(バーグスマン抜き)で演奏。また、
続けて英国ポスト・パンク・バンドのテレヴィジョン・パーソナリティーズ
の「シリー・ラヴ」も彼らはカヴァー披露した。会場は、恵比寿・リキッド
ルーム。
た途端、そういう感じは大アリ。アルバム記載を見ると3人ともいろんな楽
器がクレジットされているけど、ライヴではピーターがギター、ビョーンが
ベース、ジョン(ヨン。スウーデン語では)がドラム。何曲かはプリセット
音をほんのり無理なく重ねたりも。歌はピーターとビューンが取り(ピータ
ーがリードを取る場合が多い。二人ではもり合うときも)、ドラマーも1曲
歌う。ギタリストはとてもいろんな弾き方が出来る人で、器用。また、彼は
足元に置いたカンペを見ながらではあったが、簡単なMCを日本語でこなす
。人間味ありました。
話題を呼んだ口笛使用のほのぼの曲「ヤング・フォークス」に代表される
ようにほんわかした感じで進むのかと思ったら、けっこうビートはあるし、
ギターも効いてて、思った以上にビート・バンドっぽいと思った。また、ザ
・ビートルズの尻尾を感じさせる(ピーターの歌は、ジョン・レノンぽいと
感じさせる局面もありました)ときもあるし、簡素な編成のわりにはライヴ
におけるアレンジもしなやかで、音楽の自由を意外なくらいぼくは感じてし
まったな。ちょっとしたところにアイデアや洒脱があり、一方でしっかりと
ロックでありたいという気持ちもあり。聞くに耐えないとのたまって後半か
えってしまった同業者がいたけど、その所感はまったくもって謎。あまりの
感じ方の差に驚く。
なんと、「ヤング・フォークス」ではオリジナルでも歌っていたヴィクト
リア・バーグスマンが出てきてピーターとデュエット。そして、アンコール
では、そのバーグスマンが参加していたスエーデンの先輩バンドのザ・コン
クリーツの「ティーン・ラヴ」を3人(バーグスマン抜き)で演奏。また、
続けて英国ポスト・パンク・バンドのテレヴィジョン・パーソナリティーズ
の「シリー・ラヴ」も彼らはカヴァー披露した。会場は、恵比寿・リキッド
ルーム。
ザ・レイクス
2007年3月2日 気取りがちょっと田舎くさいゾとぼくは思ってしまうが、ちょっとヒネた
ポップ・センスと美意識の出し方はいかにも英国らしいナと思えるバンド
。5人でパフォーマンスをやっていたが、あまり音が聞こえないキーボード
はサポートだったのかな。このバンドはライヴだと、けっこうドラムが重要
項目になりますね。別にグルーヴはないけどシャキとしたビートをキープし
ていて(PAから出る音色はかなりプラスティックでもあったな)、それは
確実に演奏に疾走感に寄与していたもの。とっても楽曲はコンパクト、アンコ
ールを含め20曲近くやったと思うが、演奏時間はちょうど1時間ぐらい。原
宿・アストロホール。やっぱり、先日のザ・フォーマットは混んでいたんだ
な。
ポップ・センスと美意識の出し方はいかにも英国らしいナと思えるバンド
。5人でパフォーマンスをやっていたが、あまり音が聞こえないキーボード
はサポートだったのかな。このバンドはライヴだと、けっこうドラムが重要
項目になりますね。別にグルーヴはないけどシャキとしたビートをキープし
ていて(PAから出る音色はかなりプラスティックでもあったな)、それは
確実に演奏に疾走感に寄与していたもの。とっても楽曲はコンパクト、アンコ
ールを含め20曲近くやったと思うが、演奏時間はちょうど1時間ぐらい。原
宿・アストロホール。やっぱり、先日のザ・フォーマットは混んでいたんだ
な。
フォール・アウト・ボーイ
2007年2月27日 渋谷・アックス。大人気の米国シカゴのパンク・ポップ系4人組。すでに
、2度ぐらいは来日公演をやったいるはずだが、ぼくは初めて見る。うわあ
、すごいお客さんの反応。もう、その様を見て、年寄りの出る幕はないと感
じる。写真を見るとそうでもないのだが、遠目にはステージに立つ面々の姿
は相当にダサく見える。オーラもまるでなし。それでもトップに立てるとい
うのは、今のコドモたちがロックに求めるものが変わっているのかとも少し
思う。
ギター、ヴォーカル/ギター、ベースが前横一線に並び、その定位置の前
には2,5メートル平米ぐらいのお立ち台がそれぞれ置いてある。タマに上
がるぐらいで、基本的には台の奥に面々は立つ。うち、歌わない二人は物凄
く動く。だが、ぜんぜん演奏が乱れないのは称賛に値する。上手だな。とき
に、ギター専任者はプレイ中に半回転ジャンプをしたりも。大いに笑えた。
MCはすべて、一番年長者のベースが勤める。
友達も連れてきているらしく、アンコールにはデブ君が出てきたり、最後
には女性がベースを弾いたりも。力いっぱい、スカっと連中はパフォーマン
スを遂行した。
、2度ぐらいは来日公演をやったいるはずだが、ぼくは初めて見る。うわあ
、すごいお客さんの反応。もう、その様を見て、年寄りの出る幕はないと感
じる。写真を見るとそうでもないのだが、遠目にはステージに立つ面々の姿
は相当にダサく見える。オーラもまるでなし。それでもトップに立てるとい
うのは、今のコドモたちがロックに求めるものが変わっているのかとも少し
思う。
ギター、ヴォーカル/ギター、ベースが前横一線に並び、その定位置の前
には2,5メートル平米ぐらいのお立ち台がそれぞれ置いてある。タマに上
がるぐらいで、基本的には台の奥に面々は立つ。うち、歌わない二人は物凄
く動く。だが、ぜんぜん演奏が乱れないのは称賛に値する。上手だな。とき
に、ギター専任者はプレイ中に半回転ジャンプをしたりも。大いに笑えた。
MCはすべて、一番年長者のベースが勤める。
友達も連れてきているらしく、アンコールにはデブ君が出てきたり、最後
には女性がベースを弾いたりも。力いっぱい、スカっと連中はパフォーマン
スを遂行した。
ザ・フォーマット
2007年2月22日 アリゾナ州フェニックスをベースとする、新進のポップ・ロック・バンド
。エレクトラ、そしてソニーBMGが配給するインディから1枚ずつアルバム
を発表している。後の『ドッグ・プロブレムズ』には、ロジャー・マニング
Jr. やジョーイ(スペイン)&アンナ(ザット・ドッグ)・ワロンカーらも
ゲスト入りしてたりもし(みんなベックの表現に関与してますね)、それな
りに業界的認知度を上げてきているのだと思う。
定時に出てきたお兄ちゃん達は6人。ヴォーカル、ギター/キーボード2
、ギター、ベース、ドラムという布陣。そんなに人数が必要なサウンドかと
も、ふと思う。右側にいたお調子者っぽいギター/キーボード君はヴォーカリ
ストとともに手拍子をお客にうながしたり、音に合わせて妙なフリをつけた
り(レトロとも言えそうなそれ、米国の田舎で純粋培養されたロック感覚か
なと思わせるものがありました)してて、盛り上げ役という感じもあったか
らなあ。でも、そういう無駄はある種の余裕に繋がるものであり、過剰に巧
いとは思わないが過不足のないサウンドを彼らは出していたと思う。それに
、近所の皆が集まって和気あいあいとやっている風情は悪くない。というか
、ぼくは好き。そういうのもまた、バンドの機微だと思う。
そんな気のよさそうな彼らが送り出すのは、かなりまとまった、ポップな
ロック。そんなに露骨に影響元を感じさせず、そんなに臭くもなく、ある程
度若々しいロック感覚を持たせつつ、彼らはそれを送っていたのではないの
か。フリート・ウッドマックの「ドリームス」やスパークスの捩じれたポップ
曲カヴァーもやったが、それらも彼らの影響源であるのかな。
場所は原宿・アストロホール。広くない会場だが相当に混んでいて、そし
てかなり熱烈な反応をお客は帰す。へ〜え。でも、そういう反応にも頷けた
な。
。エレクトラ、そしてソニーBMGが配給するインディから1枚ずつアルバム
を発表している。後の『ドッグ・プロブレムズ』には、ロジャー・マニング
Jr. やジョーイ(スペイン)&アンナ(ザット・ドッグ)・ワロンカーらも
ゲスト入りしてたりもし(みんなベックの表現に関与してますね)、それな
りに業界的認知度を上げてきているのだと思う。
定時に出てきたお兄ちゃん達は6人。ヴォーカル、ギター/キーボード2
、ギター、ベース、ドラムという布陣。そんなに人数が必要なサウンドかと
も、ふと思う。右側にいたお調子者っぽいギター/キーボード君はヴォーカリ
ストとともに手拍子をお客にうながしたり、音に合わせて妙なフリをつけた
り(レトロとも言えそうなそれ、米国の田舎で純粋培養されたロック感覚か
なと思わせるものがありました)してて、盛り上げ役という感じもあったか
らなあ。でも、そういう無駄はある種の余裕に繋がるものであり、過剰に巧
いとは思わないが過不足のないサウンドを彼らは出していたと思う。それに
、近所の皆が集まって和気あいあいとやっている風情は悪くない。というか
、ぼくは好き。そういうのもまた、バンドの機微だと思う。
そんな気のよさそうな彼らが送り出すのは、かなりまとまった、ポップな
ロック。そんなに露骨に影響元を感じさせず、そんなに臭くもなく、ある程
度若々しいロック感覚を持たせつつ、彼らはそれを送っていたのではないの
か。フリート・ウッドマックの「ドリームス」やスパークスの捩じれたポップ
曲カヴァーもやったが、それらも彼らの影響源であるのかな。
場所は原宿・アストロホール。広くない会場だが相当に混んでいて、そし
てかなり熱烈な反応をお客は帰す。へ〜え。でも、そういう反応にも頷けた
な。
ヨ・ラ・テンゴ
2007年2月19日 ぼくがこのいかにもイースト・コーストな3人組ロック・バンドを見るの
は、サン・ラーのメンバーが客演した03年のフジ・ロック・フェスティヴァ
ル以来。渋谷・Oイースト。しなきゃならない仕事のプレッシャーのなか(
青息吐息気味、10日ぶりのライヴ行きだ)、知人たちとお酒を酌み交わしな
がら、楽しく見る。
見聞が広く、確かな視点がうかがえる、大人のパフォーマンス。ときに持
ち楽器を変えつつ、いろんなタイプの楽曲を送りだしていく様はまこと共感
できる。どこかに心の嵐を残したいという(ソニック・ユース状態のときも
あったが、それは逆にすこし予定調和に思えたナ)気持ちや、まずは自分た
ちで楽しまなきゃという澄んだ気持ちを感じさせるのもいい。だからこその
得難い歌心もあるし。はやグループを組んで20年強、技量はプロだけど、ノ
リとしては青臭さを保ちつつバンドが続いているという事に拍手。
は、サン・ラーのメンバーが客演した03年のフジ・ロック・フェスティヴァ
ル以来。渋谷・Oイースト。しなきゃならない仕事のプレッシャーのなか(
青息吐息気味、10日ぶりのライヴ行きだ)、知人たちとお酒を酌み交わしな
がら、楽しく見る。
見聞が広く、確かな視点がうかがえる、大人のパフォーマンス。ときに持
ち楽器を変えつつ、いろんなタイプの楽曲を送りだしていく様はまこと共感
できる。どこかに心の嵐を残したいという(ソニック・ユース状態のときも
あったが、それは逆にすこし予定調和に思えたナ)気持ちや、まずは自分た
ちで楽しまなきゃという澄んだ気持ちを感じさせるのもいい。だからこその
得難い歌心もあるし。はやグループを組んで20年強、技量はプロだけど、ノ
リとしては青臭さを保ちつつバンドが続いているという事に拍手。