トゥール
2007年2月9日 前を見た現代ヘヴィ・ロックの雄、会場は青海・ゼップ東京。ジェットの
武道館公演と重なっていたが、相当に混んでいたナ。
で、なかなかに壮絶な実演。一つ一つの楽器音は贅肉が殺ぎ落とされてい
る。だが、それらは効果的にがっちりかみ合い、非常に豊穣な塊、音の壁と
なって聞き手側に向かう。それ、スタイリッシュ。とともに、自分たちの流
儀を求めるのだという気持ちがちゃんと出たものになっているのが良い。照
明の当て方(ヴォーカルには一切光があてられない)、スタージ上のメンバ
ーの並び方(ほぼ、ギター、ヴォーカル、ドラム、ベースと、ほぼ横一線に
広がって並ぶ)など、我が道の出し方はいろいろと。
音は重いし、変拍子も用いるし、ちゃんじいになったぼくとしては家では
あまり聞きたくないタイプの音楽だが、音の創出過程が見えるライヴならO
K。2時間弱のパフォーマンスはアンコールなし。本編が終わってしばらく
の間、メンバーはステージ中央に集まり、歓声に応える。本当に嬉しそう。
その緊張感に満ちたパフォーマンスをしっかりと受け止める我々日本人は彼
らにとってかなり理想的な受け手なのではないのか。
そのあと、FADER JAPAN 誌のパーティに。最後は編集長とサシで、しっか
りと朝まで。最後のほうはあんまし覚えてなーい。ニューオリンズでも無茶し
てるし、オレって元気かも。いや、ただのバカだな。さあ、仕事は山積みだ。
この2月の死のロードを夜遊びもしながら飄々とこなすことが、ぼくはできる
か。
武道館公演と重なっていたが、相当に混んでいたナ。
で、なかなかに壮絶な実演。一つ一つの楽器音は贅肉が殺ぎ落とされてい
る。だが、それらは効果的にがっちりかみ合い、非常に豊穣な塊、音の壁と
なって聞き手側に向かう。それ、スタイリッシュ。とともに、自分たちの流
儀を求めるのだという気持ちがちゃんと出たものになっているのが良い。照
明の当て方(ヴォーカルには一切光があてられない)、スタージ上のメンバ
ーの並び方(ほぼ、ギター、ヴォーカル、ドラム、ベースと、ほぼ横一線に
広がって並ぶ)など、我が道の出し方はいろいろと。
音は重いし、変拍子も用いるし、ちゃんじいになったぼくとしては家では
あまり聞きたくないタイプの音楽だが、音の創出過程が見えるライヴならO
K。2時間弱のパフォーマンスはアンコールなし。本編が終わってしばらく
の間、メンバーはステージ中央に集まり、歓声に応える。本当に嬉しそう。
その緊張感に満ちたパフォーマンスをしっかりと受け止める我々日本人は彼
らにとってかなり理想的な受け手なのではないのか。
そのあと、FADER JAPAN 誌のパーティに。最後は編集長とサシで、しっか
りと朝まで。最後のほうはあんまし覚えてなーい。ニューオリンズでも無茶し
てるし、オレって元気かも。いや、ただのバカだな。さあ、仕事は山積みだ。
この2月の死のロードを夜遊びもしながら飄々とこなすことが、ぼくはできる
か。
シャーメイン・ネヴィル。リバース・ブラス・バンド
2007年2月6日 この晩はまず先に書いたdba のすぐ側にあるスナッグ・ハーバー(ちゃ
んとレストランを持つ、ちょい大人っぽいジャズ系のヴェニュー)で、ネヴ
ィル・ブラザーズのチャールズ・ネヴィル(2000年1月12日)の娘のシャー
メイン・ネヴィル。10ドルか15ドル。ピアノ、キーボード、アコースティッ
ク・ベース、ドラム、ギターがサポート。“&フレンズ”となっていて、と
きにアコーディオン奏者や男女シンガーも加わる。もろにジャズっぽいこと
もやれば(「キャラヴァン」他、ベタなジャズ・スタンダードも歌う)、もう
少しポピュラーというかルイジアナっぽい色彩も感じるところもあるし、微
妙というか、なかなか不思議なテイスト。過剰に歌のうまい人ではないのは
すぐに了解できた。大昔、来日したことがあったずだが、どんな音楽性であ
ったっけ。
そして、またメイプル・リーフへ。リバース・ブラス・バンド(2004年9
月17日)は毎火曜に出ているらしい。10ドル。すごい混んでる。すぐ近くに
は24時間営業のコーヒー・ハウスがあったが、観光客というよりは地元の学
生が騒ぎに来ているという感じ。細長〜いハコで(奥には、プール・バーが
またあったりする)、ステージはそんなに広くないのだが、よくグループ全
員がステージ上に納まったな。なんでも、レイ・チャールズの伝記映画『レ
イ』(2004年11月15日)の1シーンやビヨンセ(2001年6月25日、2006
年9月4日)の「デ・ジャ・ヴ」のヴィデオ・クリップがここで撮られたそう。
この晩の彼らは、ダーティー・ダズン・ブラス・バンドが新作でやっていた
マーヴィン・ゲイの「インナーシティ・ブルース」を演奏したりも。意識し
て? 偶然? ......雄々しい、胸を張った今のニューオリンズ・ブラス・バ
ンド表現で同地最後の晩を終える。なかなか、よろしいんではないでしょう
か。
何日かいると、ニューオリンズの特殊性/エキゾ性というのが身にしみる
。まず、なんといっても食い物が特殊だし(けっこう、好奇心あるクチだと
思うが、他の人が言うほどケイジャン料理を美味しいとは思わない。喜んで
食うけど)、建物の感じも違う(フレンチクォーターではなんかの撮影を複
数回見た)。そして、やはりマルディグラという時期にいることも大きいの
だろうけど、流儀や風情が他のどの米国の都市とも違い、超然とあるように
感じるのだ。隣のテキサス州に行けばメキシコ色が濃く入り込んでいるが、
それはLA他の都市でも感じることができるし。それに、カリブやフランス
など、いろんな文化の尻尾がここには絡みあっている。そういえば、他の大
都市に行くと日本人をはじめ、東洋系の人ともすぐにすれちがうが、ニュー
オリンズではそういうことがない(フェスの期間は別だろうけど)。ここの
ところ、ヴェトナム系の人が増えているようだが。やっぱり、日本人は少な
いのね。そりゃ、日本からの直行便がないはずだ。
んとレストランを持つ、ちょい大人っぽいジャズ系のヴェニュー)で、ネヴ
ィル・ブラザーズのチャールズ・ネヴィル(2000年1月12日)の娘のシャー
メイン・ネヴィル。10ドルか15ドル。ピアノ、キーボード、アコースティッ
ク・ベース、ドラム、ギターがサポート。“&フレンズ”となっていて、と
きにアコーディオン奏者や男女シンガーも加わる。もろにジャズっぽいこと
もやれば(「キャラヴァン」他、ベタなジャズ・スタンダードも歌う)、もう
少しポピュラーというかルイジアナっぽい色彩も感じるところもあるし、微
妙というか、なかなか不思議なテイスト。過剰に歌のうまい人ではないのは
すぐに了解できた。大昔、来日したことがあったずだが、どんな音楽性であ
ったっけ。
そして、またメイプル・リーフへ。リバース・ブラス・バンド(2004年9
月17日)は毎火曜に出ているらしい。10ドル。すごい混んでる。すぐ近くに
は24時間営業のコーヒー・ハウスがあったが、観光客というよりは地元の学
生が騒ぎに来ているという感じ。細長〜いハコで(奥には、プール・バーが
またあったりする)、ステージはそんなに広くないのだが、よくグループ全
員がステージ上に納まったな。なんでも、レイ・チャールズの伝記映画『レ
イ』(2004年11月15日)の1シーンやビヨンセ(2001年6月25日、2006
年9月4日)の「デ・ジャ・ヴ」のヴィデオ・クリップがここで撮られたそう。
この晩の彼らは、ダーティー・ダズン・ブラス・バンドが新作でやっていた
マーヴィン・ゲイの「インナーシティ・ブルース」を演奏したりも。意識し
て? 偶然? ......雄々しい、胸を張った今のニューオリンズ・ブラス・バ
ンド表現で同地最後の晩を終える。なかなか、よろしいんではないでしょう
か。
何日かいると、ニューオリンズの特殊性/エキゾ性というのが身にしみる
。まず、なんといっても食い物が特殊だし(けっこう、好奇心あるクチだと
思うが、他の人が言うほどケイジャン料理を美味しいとは思わない。喜んで
食うけど)、建物の感じも違う(フレンチクォーターではなんかの撮影を複
数回見た)。そして、やはりマルディグラという時期にいることも大きいの
だろうけど、流儀や風情が他のどの米国の都市とも違い、超然とあるように
感じるのだ。隣のテキサス州に行けばメキシコ色が濃く入り込んでいるが、
それはLA他の都市でも感じることができるし。それに、カリブやフランス
など、いろんな文化の尻尾がここには絡みあっている。そういえば、他の大
都市に行くと日本人をはじめ、東洋系の人ともすぐにすれちがうが、ニュー
オリンズではそういうことがない(フェスの期間は別だろうけど)。ここの
ところ、ヴェトナム系の人が増えているようだが。やっぱり、日本人は少な
いのね。そりゃ、日本からの直行便がないはずだ。
パパ・グロウズ・ファンク
2007年2月5日 現在、音楽の街ニューオリンズはレコード屋が1軒しかない。被災後、H
MVが撤退し、タワー・レコードがなくなってしまい、今はフレンチクォー
ター(ハウス・オブ・ブルースのとい面)にあるルイジアナ・ミュージック
・ファクトリーという店だけになってしまったのだとか。話はそれるが、ぼ
くは滞在中に本屋は一軒も見つけることができなかった。そっちのほうはや
はりネット売り商品になってしまっているのか。
ともあれ、そのミュージック・ファクトリーはびっくりできる、素晴らし
い店。いろんな都市のレコード屋にいろいろと行っているが、ぼくのなかで
筆頭に挙げることができるお店。1Fは出身者も含め、ニューオリンズ関連
アーティストが鬼のように並んでいる。ウヒっ。ファッツ・ドミノとかプ
ロファッサー・ロングヘアーとか有名/重要アーティストだとエサ箱3列ぶ
んぐらいあったりして。2Fは中古盤が置かれていて、CDだけじゃなくL
Pやドーナツ盤もならんでいる。書籍やヴィデオも興味深いものがあったし
、欲しいものだらけで、最初に行ったときはマジ気分が悪くなってしまった
。いくら、お金があってもおいつかない。あと、店に流れているヴァイブが
なんとなくいいんだよなあ。落ちつける。ジャズ&ヘリテッジ・フェスのと
きはインストア・ライヴなどもやり、かなり混むようではあるが。
夜も深まり、ヨロラ大学の前を通ってメイプル・リーフへ。ジョン・グロ
ウや山岸潤史ら5人組のパパ・グロウズ・ファンク(2004年3月30日、20
05年7月30日)は外にツアーに出ていない限り、毎週月曜にここに出るとい
う。彼らは先週まではコロラド他のツアーに出ていたそうで、去年はとって
もライヴをやった年であったとか。パパ・グロウズ・ファンクはテーパー録
音を認めるバンドであるが、ツアーのオファーが多いのはジャム・バンド愛
好層の支持を受けていることもプラスに働いているらしい。そんな彼らはツ
アーの積み重ねを反映させたスタジオ録音新作『ミスター・パターソンズ・
ハット』を近くリリースするが、なんと7曲がヴォーカル・ナンバーとなる。
前から山岸はグロウにもっと歌えと言っていたそうだが、そのタイトル・ト
ラックはカトリーナ被災後の気持ちを綴った曲で、言葉に表したい事がハリ
ケーン後に増えたというのもヴォーカル曲が増えた理由らしい。実はグロウ
って、ランディ・ニューマンのような人も大好きなんだよね。
8ドル、タダで入れてもらったけど。ぎっとり。寛ぎ、ぐりぐり。ときに
、洗練を少しまぶして。白人、黒人、東洋人と、メンバー構成もガンボなの
ね。なるほど、グロウが歌う頻度は増えている。途中で、連帯の気持ちを表
するために(?)ザ・ビートルズの「カム・トゥゲザー」のカヴァーも。い
いじゃん。『ヴードゥ・ビートルズ』を作りなよと、進言する。また、終盤
にキーボード、ドラム、ギターなんかが遊びに来ていた人達に変わる。白人
ギターは山岸のトラをやったりする人とか。ニューオリンズのバンド、Nori
Naraoka’ 93D の来日ライヴも最後は大胆にお客さんに演奏に加わらせた(2
006 年8月8日参照) が、なるほど、そういう開かれた態度、音楽をおおら
かにシェアしようというのもニューオリンズ・ウェイなんだろうな。それは
、パレードなんかに接しても感じることだ。
MVが撤退し、タワー・レコードがなくなってしまい、今はフレンチクォー
ター(ハウス・オブ・ブルースのとい面)にあるルイジアナ・ミュージック
・ファクトリーという店だけになってしまったのだとか。話はそれるが、ぼ
くは滞在中に本屋は一軒も見つけることができなかった。そっちのほうはや
はりネット売り商品になってしまっているのか。
ともあれ、そのミュージック・ファクトリーはびっくりできる、素晴らし
い店。いろんな都市のレコード屋にいろいろと行っているが、ぼくのなかで
筆頭に挙げることができるお店。1Fは出身者も含め、ニューオリンズ関連
アーティストが鬼のように並んでいる。ウヒっ。ファッツ・ドミノとかプ
ロファッサー・ロングヘアーとか有名/重要アーティストだとエサ箱3列ぶ
んぐらいあったりして。2Fは中古盤が置かれていて、CDだけじゃなくL
Pやドーナツ盤もならんでいる。書籍やヴィデオも興味深いものがあったし
、欲しいものだらけで、最初に行ったときはマジ気分が悪くなってしまった
。いくら、お金があってもおいつかない。あと、店に流れているヴァイブが
なんとなくいいんだよなあ。落ちつける。ジャズ&ヘリテッジ・フェスのと
きはインストア・ライヴなどもやり、かなり混むようではあるが。
夜も深まり、ヨロラ大学の前を通ってメイプル・リーフへ。ジョン・グロ
ウや山岸潤史ら5人組のパパ・グロウズ・ファンク(2004年3月30日、20
05年7月30日)は外にツアーに出ていない限り、毎週月曜にここに出るとい
う。彼らは先週まではコロラド他のツアーに出ていたそうで、去年はとって
もライヴをやった年であったとか。パパ・グロウズ・ファンクはテーパー録
音を認めるバンドであるが、ツアーのオファーが多いのはジャム・バンド愛
好層の支持を受けていることもプラスに働いているらしい。そんな彼らはツ
アーの積み重ねを反映させたスタジオ録音新作『ミスター・パターソンズ・
ハット』を近くリリースするが、なんと7曲がヴォーカル・ナンバーとなる。
前から山岸はグロウにもっと歌えと言っていたそうだが、そのタイトル・ト
ラックはカトリーナ被災後の気持ちを綴った曲で、言葉に表したい事がハリ
ケーン後に増えたというのもヴォーカル曲が増えた理由らしい。実はグロウ
って、ランディ・ニューマンのような人も大好きなんだよね。
8ドル、タダで入れてもらったけど。ぎっとり。寛ぎ、ぐりぐり。ときに
、洗練を少しまぶして。白人、黒人、東洋人と、メンバー構成もガンボなの
ね。なるほど、グロウが歌う頻度は増えている。途中で、連帯の気持ちを表
するために(?)ザ・ビートルズの「カム・トゥゲザー」のカヴァーも。い
いじゃん。『ヴードゥ・ビートルズ』を作りなよと、進言する。また、終盤
にキーボード、ドラム、ギターなんかが遊びに来ていた人達に変わる。白人
ギターは山岸のトラをやったりする人とか。ニューオリンズのバンド、Nori
Naraoka’ 93D の来日ライヴも最後は大胆にお客さんに演奏に加わらせた(2
006 年8月8日参照) が、なるほど、そういう開かれた態度、音楽をおおら
かにシェアしようというのもニューオリンズ・ウェイなんだろうな。それは
、パレードなんかに接しても感じることだ。
スーパー・ボウルの日。ニューオリンズ・セインツが最後まで残ったら(
惜しかったな)、それこそマルディグラと重なってニューオリンズは常軌を
逸した大騒ぎになったろう。ちょい、それに触れたかったかも。プリンス(
2002年11月19日)がハーフタイム・ショウをした今回もまた、その音楽監
督はスティーヴ・ジョーダン(2005年11月13日、2006年11月20日、2006
年12月22日)がしたのだろうか。
昼さがり、1時すぎ。ティピティナズへ。なんでも、ティピティナズは日
曜昼にステージを開放、有名ミュージシャンが子供たちに無料で音楽を教え
るということをやっているのだという。この日はジョニー・ヴィダヴィッチ
が仕切るレッスンで、金曜の出演者に山岸潤史を加えた講師陣で事に当たる
。ヴィダコヴィッチ、山岸潤史、ポーターJr. は3人で一緒にトリオを組ん
でいて04年にはアジア・ツアーをやっていたりもするが、山岸は今回初めて
この催しに参加したようだ。
12時開始ということで、おおやってるやってる。ミュージシャンと生徒が
ステージにみんな上がっていて、パートごとに先生たちを囲んでいる。
生徒は小学校に入るか入らないかぐらいの子供から高校生のあたまぐらいの
小僧まで。人種は散っている。ステージ下には父兄がなごやかにその様子を
見ていたりするが、たまに写真を撮っている人はいても、ヴィデオを回して
いる人は皆無。これ、日本だったらヴィデオ・カメラがズラリと並ぶんだろ
うな。
そして、「シッシィ・ストラト」とか実際の有名曲やブルース・コード曲
を素材に個別にレッスンを受け、しばらくすると全体演奏になる。先生たち
はおだてて、木に登らせる。とくに、ヴィダコヴィッチは真剣そのもの、全
体演奏でも途中で止めて、アドヴァイスしたり、自ら叩いてみせたり。また
、年長の生徒が子供の面倒見て、一緒に叩いてあげたり。ああ、こうやって
セカンド・ライン・ビートは受け継がれていくんだな..... 感慨深し。見る
者にとっても、なんとも有意義な体験だった。
曲の途中で、ドラマーが変わったり、ソリストが変わったり。ウェズリ
ーはトロンボーン奏者だけでなくサックス奏者の面倒も見ている。全体演奏
のときウェズリーが曲に合わせて合いの手的なリフを入れ、それを生徒たち
が真似て音を重ねていく。すると、不思議、バラつきつつも様になったホー
ン・セクション音になっていくのだから。音楽って、本当に素敵だ。で、こ
ういうのに触れても、この界隈で管楽器奏者が多いんだろうなとも思う。
その最中、店の横をカラフルなオカマ集団のパレードが通る。ちゃんと、
予告される以外にも、こういうゲリラ的、身内乗り的なものはマルディグラ
期間中、随所で行われているのかもしれない。
3時少し前ぐらいに終了、フレッドとちょい立ち話をしていたら(「この
4月にジャボとクライドと一緒にコットンクラブ行くよ」、とのこと。東京
もすごいよな)、フレッドと一緒の写真を撮ってと言ってきたおねーちゃん
がいた。子供たちの親ではなさそうな感じ、聞けばコロラドから来ていると
いう。彼女はどうやってこの催しを知ったのか。で、日本ではダーティ・ダ
ズンとベネヴェント・ルッソ・デュオが一緒にやった(2005年2月28日)の
よねとか、やたら詳しい。ジュン(山岸)は私のなかで最高のギタリスト、
とかとも言う。やっぱり、ニューオリンズ音楽はそういうニューオリンズ外
に住むマニアックな人達に支えられているシーンでもあるんだろう、とも思
った。
このあと、被災地を回る。決壊した運河の横なども通る。さすが、いまだ瓦
礫が山積みということはないが、ときにいまだ破棄された生活関連品が見られ
たり樹木が倒れていたり、冠水で舗装道路がかなり痛んでいたりするところは
ある。すうっと、背筋が寒くなる。そして、なにより、空き家になっている
地域がものすごく沢山あり、戻ってない人が多く、相当人口が減っているだ
ろうことが判る。ちなみに、ハリケーン上陸前のニューオリンズの人口は50
万人弱とか。中心部/観光地は路面電車やバスなども走っているが、やっぱ
りニューオーオリンズは広いし、一般生活には車がないと駄目な街だとも感
じる。
ミシシッピー川(茶色です。車も積む渡しのフェリーは人だけだと無料。
約10分ぐらいだったかな、なんか乗ったら思いのほか感慨がわいたナ)と
湖にニューオリンズは挟まれているのだが、氾濫したのは湖側で、それゆ
え川側に面したフレンチクォーターは水につかってないというのも、恥ず
かしながら、ぼくは現地でちゃんと知った。また、貧困層の居住地が大打
撃を受けたと伝えられていたが、小綺麗な地区もかなりやられてもいる。途
中で、知り合いの知り合いの家にちょっと寄ったのだが、その家はかろうじ
て水につからなかったものの(でも、何かがぶつかって、屋根に穴が開いた
という)、ハリケーン上陸前に非難命令が出されて(ライフラインが復活し
ないこともあり)2ケ月間家に戻ることが出来なかったそう。まあ、そんなこ
んなで、本当に当事者にとってみればシャレになんない状況があったのだ。
比較的川側の上品な地区に住んでいる山岸は被害を受けてないし、3日
ほどの避難で済んだという。
惜しかったな)、それこそマルディグラと重なってニューオリンズは常軌を
逸した大騒ぎになったろう。ちょい、それに触れたかったかも。プリンス(
2002年11月19日)がハーフタイム・ショウをした今回もまた、その音楽監
督はスティーヴ・ジョーダン(2005年11月13日、2006年11月20日、2006
年12月22日)がしたのだろうか。
昼さがり、1時すぎ。ティピティナズへ。なんでも、ティピティナズは日
曜昼にステージを開放、有名ミュージシャンが子供たちに無料で音楽を教え
るということをやっているのだという。この日はジョニー・ヴィダヴィッチ
が仕切るレッスンで、金曜の出演者に山岸潤史を加えた講師陣で事に当たる
。ヴィダコヴィッチ、山岸潤史、ポーターJr. は3人で一緒にトリオを組ん
でいて04年にはアジア・ツアーをやっていたりもするが、山岸は今回初めて
この催しに参加したようだ。
12時開始ということで、おおやってるやってる。ミュージシャンと生徒が
ステージにみんな上がっていて、パートごとに先生たちを囲んでいる。
生徒は小学校に入るか入らないかぐらいの子供から高校生のあたまぐらいの
小僧まで。人種は散っている。ステージ下には父兄がなごやかにその様子を
見ていたりするが、たまに写真を撮っている人はいても、ヴィデオを回して
いる人は皆無。これ、日本だったらヴィデオ・カメラがズラリと並ぶんだろ
うな。
そして、「シッシィ・ストラト」とか実際の有名曲やブルース・コード曲
を素材に個別にレッスンを受け、しばらくすると全体演奏になる。先生たち
はおだてて、木に登らせる。とくに、ヴィダコヴィッチは真剣そのもの、全
体演奏でも途中で止めて、アドヴァイスしたり、自ら叩いてみせたり。また
、年長の生徒が子供の面倒見て、一緒に叩いてあげたり。ああ、こうやって
セカンド・ライン・ビートは受け継がれていくんだな..... 感慨深し。見る
者にとっても、なんとも有意義な体験だった。
曲の途中で、ドラマーが変わったり、ソリストが変わったり。ウェズリ
ーはトロンボーン奏者だけでなくサックス奏者の面倒も見ている。全体演奏
のときウェズリーが曲に合わせて合いの手的なリフを入れ、それを生徒たち
が真似て音を重ねていく。すると、不思議、バラつきつつも様になったホー
ン・セクション音になっていくのだから。音楽って、本当に素敵だ。で、こ
ういうのに触れても、この界隈で管楽器奏者が多いんだろうなとも思う。
その最中、店の横をカラフルなオカマ集団のパレードが通る。ちゃんと、
予告される以外にも、こういうゲリラ的、身内乗り的なものはマルディグラ
期間中、随所で行われているのかもしれない。
3時少し前ぐらいに終了、フレッドとちょい立ち話をしていたら(「この
4月にジャボとクライドと一緒にコットンクラブ行くよ」、とのこと。東京
もすごいよな)、フレッドと一緒の写真を撮ってと言ってきたおねーちゃん
がいた。子供たちの親ではなさそうな感じ、聞けばコロラドから来ていると
いう。彼女はどうやってこの催しを知ったのか。で、日本ではダーティ・ダ
ズンとベネヴェント・ルッソ・デュオが一緒にやった(2005年2月28日)の
よねとか、やたら詳しい。ジュン(山岸)は私のなかで最高のギタリスト、
とかとも言う。やっぱり、ニューオリンズ音楽はそういうニューオリンズ外
に住むマニアックな人達に支えられているシーンでもあるんだろう、とも思
った。
このあと、被災地を回る。決壊した運河の横なども通る。さすが、いまだ瓦
礫が山積みということはないが、ときにいまだ破棄された生活関連品が見られ
たり樹木が倒れていたり、冠水で舗装道路がかなり痛んでいたりするところは
ある。すうっと、背筋が寒くなる。そして、なにより、空き家になっている
地域がものすごく沢山あり、戻ってない人が多く、相当人口が減っているだ
ろうことが判る。ちなみに、ハリケーン上陸前のニューオリンズの人口は50
万人弱とか。中心部/観光地は路面電車やバスなども走っているが、やっぱ
りニューオーオリンズは広いし、一般生活には車がないと駄目な街だとも感
じる。
ミシシッピー川(茶色です。車も積む渡しのフェリーは人だけだと無料。
約10分ぐらいだったかな、なんか乗ったら思いのほか感慨がわいたナ)と
湖にニューオリンズは挟まれているのだが、氾濫したのは湖側で、それゆ
え川側に面したフレンチクォーターは水につかってないというのも、恥ず
かしながら、ぼくは現地でちゃんと知った。また、貧困層の居住地が大打
撃を受けたと伝えられていたが、小綺麗な地区もかなりやられてもいる。途
中で、知り合いの知り合いの家にちょっと寄ったのだが、その家はかろうじ
て水につからなかったものの(でも、何かがぶつかって、屋根に穴が開いた
という)、ハリケーン上陸前に非難命令が出されて(ライフラインが復活し
ないこともあり)2ケ月間家に戻ることが出来なかったそう。まあ、そんなこ
んなで、本当に当事者にとってみればシャレになんない状況があったのだ。
比較的川側の上品な地区に住んでいる山岸は被害を受けてないし、3日
ほどの避難で済んだという。
朝、ホテルの朝食を取る部屋で、マルディグラを見に来たのと同じくホテ
ルの宿泊客からきかれる。マルデグラの佳境はもう少し先だが、なんとなく
街が浮足立っている感じはおぼろげに判る。店だけでなく個人の家も、黄色
、紫、緑のマルディグラ・カラーたる3色を用いた飾りつけをしていたりす
るし、昨日の夜も地元の人かヴィジターかは知らないが、フレンチクォータ
ーでは仮装しはしゃいで歩いている人達が散見された。
土曜日である今日は、最初のマルディグラ・パレードが行われる。今年は
20日までにいろんな団体が主催するパレードが48ほど行われることになって
いるらしい。パレードはいろんな場所でなされるが、一番つかわれる事が多
いのはアップタウン界隈で、そのメイン・ストリートたる市電も通るセイント
・チャールズ通りの両側には仮設の観客席が設営されていた。
この晩のパレードはKUEWE DE VIEUXという団体が主宰、ニューオリンズ
の一番の観光地フレンチクォーター内を回るもので、同所を回るパレードは
あと一度しか予定されていない(道がそんなに広くないせいもあるなのかな
)。7時からということだったが始まったの1時間半ぐらいはおしてからかな
。パレードが進むことになっている道路の両側はほんとうに凄い人。いった
い、どこから沸いてきた? 昨日の夜の1000倍強? というのも、昨日のフ
レンチクォーターは人出がまばらで(歌舞伎町たる、夜のバーボン・ストリ
ートはさすがに賑やかだが)、これでいいのかなあと思わずにはいられなか
ったもの。ちょっと戸惑うととともに、やっぱりハリケーン後の影響を感じ
ずにはられなかったのだ。だが、この晩のあまりの賑わいを見て一安心する
とともに、一般的にはジャズ&ヘリテッジ・フェス以上にマルディグラのほ
うがニューオリンズの売りとなっているという説明にもなんとなく合点がい
くか。
パレードは趣向を凝らした仮装集団のオン・パレード。それに挟まれるよ
うに、ブラス・バンドが入っていて行進音を奏でる。バレードの人達はマル
ディグラー・カラーのビーズのネックレスをはじめ他愛ない小物を見物人に
ぽんぽん投げ、振る舞う。縁起物? 昔は、それを受け取った女性はおっぱ
いを出さないといけなかったそうだ。見物人も仮装している人が少なくなく
、街中で皆でトーガ・パーティをやっている感じ? だが、残念ながら、パ
レードをかじる程度で(後の方には、リバース・ブラス・バンドも出たよう
だ)、同じフレンチクォーター内にあるハウス・オブ・ブルースへ。B.B.キ
ングがそこで開店13周年を祝う特別公演をやることになっていた。
130 ドル。そりゃ、前売りを買ってたら、しっかり行きますよね。まして
や、B.B.は先の週にツアー先のテキサス州ガルベストンで入院騒ぎを起こし
たばかり。去年暮れのJBのこと(ツアー中に入院し、そのまま亡くなってし
まった)を思い出したりもし、気が気ではない。会場入りすると、ニューオ
リンズ在住のブルース・マン、ウォルター“ウルフマン”ワシントンが熱演
中。前回(2004年9 月18日)オースティンで見たときより簡素なバンドで、
よりストレートなブルースをやっていると感じる。チケットには8時開演と
だけ書いてあるだけだったが、ちゃんと前座があったか。休憩時に会場をキ
ョロキョロ。なるほど、広いハコで1万5千円という破格な値段にも係わら
ず超満員。黒人客は少ない。2階の特別席を除いて、すべてスタンディン
グ。相当な動員のはずだ。最後に彼を見たのは90年代後半にブルーノート
東京だったが、いやあ今日の条件と比べると天国だったなあ。
結局、B.B.のショウが始まったのは10時ぐらいだったと思う。ビッグ・サ
ムズ・ファンキー・ネイションの公演もいちおう10時から。あー、これで確
実に行けなくなった。ごめんよー、ビッグ・サム。まず、正装にてびしっと
決めたバック・バンドが登場し、2曲ソロを回すインストをやる。ホーン4
人、ピアノ、サイド・ギター、ベース、ドラムという布陣だったか。そして
、B.B.が登場。すごい歓声の沸き方。金色の燕尾服のようなファッションの
B.B.は中央の椅子に座る。それはずっと前からであり、顔はかなりゲソっと
しているが前からやっているダイエットのためもあるだろう。一声は「やあ
、俺は戻ってきたゼ! ああ、俺は元気だ。まだ81歳だからな、はっはっは
」みたいな感じ。それで、また割れるような喝采。
その後は、ときにジャンピーでジャジーなバック・サウンドに乗って、た
っぷりとした喉と艶のあるギター・ソロを思うまま披露していく。なるほど
、まあ元気じゃん。これだけやってくれれば、なんの不満もない。途中で、
B.B.がゲスト入りしたU2の「ホヘン・ラヴ・カムズ・トゥ・タウン」(88
年作『ラトル・アンド・ハム』に収録)をやる。何でこの曲を? ニューオ
リンズとなんか関連している曲なんだっけか。そういえば、89年だかにB.B.
はU2(2006年12月4日)の前座で来日したことがあって、そんときインタ
ヴューしたっけ。普段、変なプロ意識からインタヴューの際はアーティスト
にサインしてもらっり一緒に写真を撮ったりしない私ではあるが、さすがに
あのときはレコード数枚にサインしてもらった。よく言われるように、偉そ
うな風体ながらとっても腰の低い人で、帰り際にはピックとかカードとかい
ろいろくれたっけなー。
中盤を過ぎて以降は、ホーン陣が引っ込んで、よりじっくりダウン・ホー
ムな感じにて(と書いてしまうと、誇張になるけど)。おいおい、まだやる
のかよって、感じ。次、もう一本予定が入ってて、その勇士を最後まで見れ
なかった。
で、すでに10年以上ニューオリンズに居住しているギタリストの山岸潤史
(1999年8月5日、2000年12月7日、2001年7月16日、2004年3月30日、20
05年7月30日、2005年7月31日)と落ち合って、カナル通りに面したステ
イト・パレス・シアターに。この古い、けっこう大きな劇場の向かいはメイ
ズの『ライヴ・イン・ニューオリンズ』(キャピトル、81年)が録音された
場所だ。山岸はニューオリンズに着たとき、まずそこに行ったのだとか。
ステイト・パレスでやっているのは、この日見たパレードを主催した団体
が企画したアフター・パーティというか、これから当分つづくマルディグラ
のキック・オフ・パーティというべきもの。会場入りすると2番目の出演グ
ループである、白人のロック系バンドがやっている。すでに、予定は1時間
以上ズレているとか。会場1階の椅子は前半分は座席がとっぱわられていて
、スタンディングの仕様。集まってきている人の大半は変な格好をしている
。そして、浮かれまくっている。
3番目の出し物は、ザ・ミーターズの名ドラマーのジガブー・モデリス
テが主宰するファンク・セッション。サックス、キーボード、ギター(昨日
もティピティナズに出ていた人。ザ・ミーターズのメンバーだったこともあ
るとか)、ベース奏者(パパ・グロウズ・ファンクのツアーに参加したこと
がある人)などが加わる。それぞれに、活動歴を持つ人達だそう(山岸
大先生に名前を書いてもらった紙、どっかに行っちゃったよー。彼、けっ
こう達筆です)。けっこう、ジガブーは歌いながら叩く。1時間の奔放に
弾むパフォーマンスを、休憩を挟んで2セット。まさに、ニューオリンズ・
セカンド・ライン・ファンクの大盤振る舞い。バックステージにいることが
出来たため、そしてジガブーは後方の角に位置して叩いていたため、
「アフリカ」や「アイコ・アイコ」はすぐ真後ろからじっくりと叩く姿を見ちゃ
った。スネアのスナップが非常に特殊ネ。まさに、身に余る僥倖。ぼく
だけでなく、現地の好き者も5人ぐらいはそんな感じで彼を注視してい
た。たまらず、セカンド・セットが終わったあと、一緒に写真を撮ってもら
う。それから、セカンド・ショウの最後にはパパ・グロウズ・ファンク(2004年
3月30日)のジョン・グロウが加わり、アール・キング曲とドクター・ジョン
曲をキーボードを弾きながら熱唱した。
そして、このイヴェントの真打ちは、山岸潤史が音楽ディレクターを受け
持つ、ザ・ワイルド・マグノリアス(1999年8月5日、2001年7月16日)。
あのマルディグラ・インディアンの格好が出てくるだけで、場が華やぎ、
高揚を誘う。今、同グループには日本でチル・ヘイズというバンドに入っ
ていた小牧恵子がオルガンで参加している。それから、ベースはフレディ
・キングの弟でNO在住のベニー・ターナーがメンバー。その彼、フレディと
は全然にておらずとっても若く見え、かなり格好いい。彼(ベースをピッ
ク弾きします)と山岸は今フレディ・キングのトリビュート・アルバムを
制作中。もしかすると、そこにはあっと驚くビッグ・ネームが入るかも。
なお、ターナーがザ・ワイルド・マグノリアスに入ったのは山岸の推薦では
なく、他のメンバーが言い出したのだそう。この晩のセットの1曲目はブル
ースのインスト。山岸は水を得た魚のよう。やっぱり、ブルースは彼にと
って”ホーム”のような感じもあるんだろうな。それから、終盤にはジガブ
ーも加わり、ツイン・ドラムでやったりも。聞けば、実はジガブー、ザ・
ワイルド・マグノリアスのオリジナル・ドラマーなんだとか。なんだかん
で、皆つながっているんだよなー。パーティが終わったのは4時ぐらいだ
ったかな。
ルの宿泊客からきかれる。マルデグラの佳境はもう少し先だが、なんとなく
街が浮足立っている感じはおぼろげに判る。店だけでなく個人の家も、黄色
、紫、緑のマルディグラ・カラーたる3色を用いた飾りつけをしていたりす
るし、昨日の夜も地元の人かヴィジターかは知らないが、フレンチクォータ
ーでは仮装しはしゃいで歩いている人達が散見された。
土曜日である今日は、最初のマルディグラ・パレードが行われる。今年は
20日までにいろんな団体が主催するパレードが48ほど行われることになって
いるらしい。パレードはいろんな場所でなされるが、一番つかわれる事が多
いのはアップタウン界隈で、そのメイン・ストリートたる市電も通るセイント
・チャールズ通りの両側には仮設の観客席が設営されていた。
この晩のパレードはKUEWE DE VIEUXという団体が主宰、ニューオリンズ
の一番の観光地フレンチクォーター内を回るもので、同所を回るパレードは
あと一度しか予定されていない(道がそんなに広くないせいもあるなのかな
)。7時からということだったが始まったの1時間半ぐらいはおしてからかな
。パレードが進むことになっている道路の両側はほんとうに凄い人。いった
い、どこから沸いてきた? 昨日の夜の1000倍強? というのも、昨日のフ
レンチクォーターは人出がまばらで(歌舞伎町たる、夜のバーボン・ストリ
ートはさすがに賑やかだが)、これでいいのかなあと思わずにはいられなか
ったもの。ちょっと戸惑うととともに、やっぱりハリケーン後の影響を感じ
ずにはられなかったのだ。だが、この晩のあまりの賑わいを見て一安心する
とともに、一般的にはジャズ&ヘリテッジ・フェス以上にマルディグラのほ
うがニューオリンズの売りとなっているという説明にもなんとなく合点がい
くか。
パレードは趣向を凝らした仮装集団のオン・パレード。それに挟まれるよ
うに、ブラス・バンドが入っていて行進音を奏でる。バレードの人達はマル
ディグラー・カラーのビーズのネックレスをはじめ他愛ない小物を見物人に
ぽんぽん投げ、振る舞う。縁起物? 昔は、それを受け取った女性はおっぱ
いを出さないといけなかったそうだ。見物人も仮装している人が少なくなく
、街中で皆でトーガ・パーティをやっている感じ? だが、残念ながら、パ
レードをかじる程度で(後の方には、リバース・ブラス・バンドも出たよう
だ)、同じフレンチクォーター内にあるハウス・オブ・ブルースへ。B.B.キ
ングがそこで開店13周年を祝う特別公演をやることになっていた。
130 ドル。そりゃ、前売りを買ってたら、しっかり行きますよね。まして
や、B.B.は先の週にツアー先のテキサス州ガルベストンで入院騒ぎを起こし
たばかり。去年暮れのJBのこと(ツアー中に入院し、そのまま亡くなってし
まった)を思い出したりもし、気が気ではない。会場入りすると、ニューオ
リンズ在住のブルース・マン、ウォルター“ウルフマン”ワシントンが熱演
中。前回(2004年9 月18日)オースティンで見たときより簡素なバンドで、
よりストレートなブルースをやっていると感じる。チケットには8時開演と
だけ書いてあるだけだったが、ちゃんと前座があったか。休憩時に会場をキ
ョロキョロ。なるほど、広いハコで1万5千円という破格な値段にも係わら
ず超満員。黒人客は少ない。2階の特別席を除いて、すべてスタンディン
グ。相当な動員のはずだ。最後に彼を見たのは90年代後半にブルーノート
東京だったが、いやあ今日の条件と比べると天国だったなあ。
結局、B.B.のショウが始まったのは10時ぐらいだったと思う。ビッグ・サ
ムズ・ファンキー・ネイションの公演もいちおう10時から。あー、これで確
実に行けなくなった。ごめんよー、ビッグ・サム。まず、正装にてびしっと
決めたバック・バンドが登場し、2曲ソロを回すインストをやる。ホーン4
人、ピアノ、サイド・ギター、ベース、ドラムという布陣だったか。そして
、B.B.が登場。すごい歓声の沸き方。金色の燕尾服のようなファッションの
B.B.は中央の椅子に座る。それはずっと前からであり、顔はかなりゲソっと
しているが前からやっているダイエットのためもあるだろう。一声は「やあ
、俺は戻ってきたゼ! ああ、俺は元気だ。まだ81歳だからな、はっはっは
」みたいな感じ。それで、また割れるような喝采。
その後は、ときにジャンピーでジャジーなバック・サウンドに乗って、た
っぷりとした喉と艶のあるギター・ソロを思うまま披露していく。なるほど
、まあ元気じゃん。これだけやってくれれば、なんの不満もない。途中で、
B.B.がゲスト入りしたU2の「ホヘン・ラヴ・カムズ・トゥ・タウン」(88
年作『ラトル・アンド・ハム』に収録)をやる。何でこの曲を? ニューオ
リンズとなんか関連している曲なんだっけか。そういえば、89年だかにB.B.
はU2(2006年12月4日)の前座で来日したことがあって、そんときインタ
ヴューしたっけ。普段、変なプロ意識からインタヴューの際はアーティスト
にサインしてもらっり一緒に写真を撮ったりしない私ではあるが、さすがに
あのときはレコード数枚にサインしてもらった。よく言われるように、偉そ
うな風体ながらとっても腰の低い人で、帰り際にはピックとかカードとかい
ろいろくれたっけなー。
中盤を過ぎて以降は、ホーン陣が引っ込んで、よりじっくりダウン・ホー
ムな感じにて(と書いてしまうと、誇張になるけど)。おいおい、まだやる
のかよって、感じ。次、もう一本予定が入ってて、その勇士を最後まで見れ
なかった。
で、すでに10年以上ニューオリンズに居住しているギタリストの山岸潤史
(1999年8月5日、2000年12月7日、2001年7月16日、2004年3月30日、20
05年7月30日、2005年7月31日)と落ち合って、カナル通りに面したステ
イト・パレス・シアターに。この古い、けっこう大きな劇場の向かいはメイ
ズの『ライヴ・イン・ニューオリンズ』(キャピトル、81年)が録音された
場所だ。山岸はニューオリンズに着たとき、まずそこに行ったのだとか。
ステイト・パレスでやっているのは、この日見たパレードを主催した団体
が企画したアフター・パーティというか、これから当分つづくマルディグラ
のキック・オフ・パーティというべきもの。会場入りすると2番目の出演グ
ループである、白人のロック系バンドがやっている。すでに、予定は1時間
以上ズレているとか。会場1階の椅子は前半分は座席がとっぱわられていて
、スタンディングの仕様。集まってきている人の大半は変な格好をしている
。そして、浮かれまくっている。
3番目の出し物は、ザ・ミーターズの名ドラマーのジガブー・モデリス
テが主宰するファンク・セッション。サックス、キーボード、ギター(昨日
もティピティナズに出ていた人。ザ・ミーターズのメンバーだったこともあ
るとか)、ベース奏者(パパ・グロウズ・ファンクのツアーに参加したこと
がある人)などが加わる。それぞれに、活動歴を持つ人達だそう(山岸
大先生に名前を書いてもらった紙、どっかに行っちゃったよー。彼、けっ
こう達筆です)。けっこう、ジガブーは歌いながら叩く。1時間の奔放に
弾むパフォーマンスを、休憩を挟んで2セット。まさに、ニューオリンズ・
セカンド・ライン・ファンクの大盤振る舞い。バックステージにいることが
出来たため、そしてジガブーは後方の角に位置して叩いていたため、
「アフリカ」や「アイコ・アイコ」はすぐ真後ろからじっくりと叩く姿を見ちゃ
った。スネアのスナップが非常に特殊ネ。まさに、身に余る僥倖。ぼく
だけでなく、現地の好き者も5人ぐらいはそんな感じで彼を注視してい
た。たまらず、セカンド・セットが終わったあと、一緒に写真を撮ってもら
う。それから、セカンド・ショウの最後にはパパ・グロウズ・ファンク(2004年
3月30日)のジョン・グロウが加わり、アール・キング曲とドクター・ジョン
曲をキーボードを弾きながら熱唱した。
そして、このイヴェントの真打ちは、山岸潤史が音楽ディレクターを受け
持つ、ザ・ワイルド・マグノリアス(1999年8月5日、2001年7月16日)。
あのマルディグラ・インディアンの格好が出てくるだけで、場が華やぎ、
高揚を誘う。今、同グループには日本でチル・ヘイズというバンドに入っ
ていた小牧恵子がオルガンで参加している。それから、ベースはフレディ
・キングの弟でNO在住のベニー・ターナーがメンバー。その彼、フレディと
は全然にておらずとっても若く見え、かなり格好いい。彼(ベースをピッ
ク弾きします)と山岸は今フレディ・キングのトリビュート・アルバムを
制作中。もしかすると、そこにはあっと驚くビッグ・ネームが入るかも。
なお、ターナーがザ・ワイルド・マグノリアスに入ったのは山岸の推薦では
なく、他のメンバーが言い出したのだそう。この晩のセットの1曲目はブル
ースのインスト。山岸は水を得た魚のよう。やっぱり、ブルースは彼にと
って”ホーム”のような感じもあるんだろうな。それから、終盤にはジガブ
ーも加わり、ツイン・ドラムでやったりも。聞けば、実はジガブー、ザ・
ワイルド・マグノリアスのオリジナル・ドラマーなんだとか。なんだかん
で、皆つながっているんだよなー。パーティが終わったのは4時ぐらいだ
ったかな。
ボノラマ。ジェイムズ・ブラウン・トリビュート
2007年2月2日 ニューオリンズに来た。初めて。ああ、やっと来た。
05年秋のハリケーン・カトリーナの一連のもろもろで胸を痛め、bmr誌
の06年度のベスト・アルバム10選の中で、ニューオリンズ名人が集ったザ
・ニューオリンズ・ソーシャル・クラブの『シング・ミー・バック・ホー
ム』、ジョー・ヘンリー仕切りの顔役満載の『アワ・ニューオリンズ』、
そしてカトリーナ後の心象をかつてのマーヴィン・ゲイのメッセージ名盤に
重ねたザ・ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ホワッツ・ゴーイン・オ
ン』とニューオリンズ関連盤を3枚も挙げてしまい、ニューオリンズ音楽に
対する思いの深さを噛みしめていただけに、空港から出たとたん涙がでてく
るんじゃないかと思っていたが、そんなことはなかった。まずはその寒さに
プルルと震えた。同地にとってかなり寒ほうの陽気が続いているようだが、
東京より寒い。あれだけ暑さと湿度の高さが喧伝される街であるがゆえに先
入観もあり、寒さは余計に身にこたえる。だが、そんななかTシャツ同然の
格好で歩いている人もほんのたまにいる....それはニューオリンズにかぎら
ず、米国の各地で見られるものだが。
生牡蠣にガンボに、煮エビかけご飯。ああ、ニューオリンズじゃ。地元ビ
ールのアビータの“ターボ・ドッグ”はそのダーク・ビアー版。滞ニューオ
リンズ中にビールは基本的にこればっかり飲んでいた。で、フレンチ・クォ
ーターのほんの外にあるdbaに行って、ボノラマというバンドを見る。10
ドル。昨日はここで、前出『シング・ミー・バック・ホーム』にゲスト入り
して美声を聞かせてもいたジョン・ブッテがやっていたよう。ボノラマはト
ロンボーン奏者4人(20代ぽい人から50代とおぼしき人まで年齢層は散って
いる)を中央に置いたグループで、他にスーザフォン奏者、ギター、ドラマー
を擁する。ドラマー以外は肌の黒くない人たちで、これまでに2枚のライヴ
盤をリリース。通常のベース奏者を置かずにスーザフォン奏者でベース音を出
すというのはとてもニューオリンズ的、そのベース音とかみ合うタイトなビ
ート(1枚目はラッセル・バティーステが叩いていた。2枚目では、ギャラ
クティックのスタントン・ムーアがゲスト入りしていた)の上にジャズやニ
ューオリンズ・ブラス表現の要素を持つアンサンブルや各ソロが思うままに
泳ぐというインスト主体のグループだ。ときに、簡単な肉声が入るところも
あったし、モンク曲をやったりも。ザ・ダーティ・ダズン・ブラス・バンド
と同様にギター音の扱いはぼくの好みと合わないところもあるけど、なかな
か高揚し、フフフとなれる。
途中まで見て12時すぎに、だいぶ離れた有名クラブのティピティナズへ。
“ティピティナ”とはニューオリンズ・ピアノ偉人のプロフェッサー・ロン
グヘアーの十八番曲だが、入口を入ってすぐのところに彼の像が鎮座し、ス
テージ後方上部にも彼の顔がでかく描かれている。じいーん。20ドルでジェ
イムズ・ブラウン・トリビュートという出し物をこの日はやっていて、元J
Bズのフレッド・ウェズリー(1999年10月25日。彼は車で2時間半の位置
にあるアラバマ州のモービルに住んでいる)、元ザ・ミーターズのジョージ
・ポーターJr.(ベース)、ギャラクティック(2000年12月7日、2001年10
月13日、2004年2月5日)のスタンントン・ムーアの師匠というよりニュ
ーオリンズ・ドラムの大御所ジョニー・ヴィダコヴィッチ(プロフェッサー
・ロングヘアーからハリー・コニックJr. まで。ニューオリンズ・ファンク
をやりたがったジョン・スコフィールドのグループに請われ、入ったことも
。蛇足だが、スコの兄のマーク・ビンガムはニューオリンズ在住) の3人が
表に立ったもの。その3人での演奏をはじめ、そこに打楽器/ギター奏者が
入ったり、4人のトロンボーン奏者やサックス奏者が加わるものまで。演目
はJBズ曲からニューオリンズ縁のファンク/R&B曲など。いろいろ。ど
れも、わくわく。
うち、ふとっちょのトロンボーン奏者が一人やたら音がでかく、ソロが雄
々しい。メンバー紹介のMCは聞き取れなかったが、すぐに彼は元ザ・ダー
ティ・ダズン・ブラス・バンド(2002年7月30日、2005年2月28日)のビ
ッグ・サム(2002年7月30日のときのトロンボーン奏者は彼)であると了解
。彼が率いるファンク・バンドのビッグ・サムズ・ファンキー・ネーション
の日本デビューの通算2作目のライナーノーツも書いてそんなにたってない
し、2階から彼がステージ横にいるのは見えたので、なんかちょっと挨拶し
たくなって1階に降りる。で、ステージ手前にいるパス・チェックの係員に、
東京から来たんだけどビッグ・サムと話がしたいのサと告げると、あんまし
長居すんなよと言って入れてくれた。いいハコだあ。彼はファンキー・ネー
ションで明日ライヴをメイプル・リーフでやるのだが、名刺を渡したらゲス
ト・リストに入れてくれるという。いい奴だあ。
ファンキー・ネイションに関与している弁護士を通じて、ぼくとビッグ・
サムが会ったことが日本の発売元のP-ヴァインに伝えられているのを、帰国
後に知る。驚くなあ。
05年秋のハリケーン・カトリーナの一連のもろもろで胸を痛め、bmr誌
の06年度のベスト・アルバム10選の中で、ニューオリンズ名人が集ったザ
・ニューオリンズ・ソーシャル・クラブの『シング・ミー・バック・ホー
ム』、ジョー・ヘンリー仕切りの顔役満載の『アワ・ニューオリンズ』、
そしてカトリーナ後の心象をかつてのマーヴィン・ゲイのメッセージ名盤に
重ねたザ・ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ホワッツ・ゴーイン・オ
ン』とニューオリンズ関連盤を3枚も挙げてしまい、ニューオリンズ音楽に
対する思いの深さを噛みしめていただけに、空港から出たとたん涙がでてく
るんじゃないかと思っていたが、そんなことはなかった。まずはその寒さに
プルルと震えた。同地にとってかなり寒ほうの陽気が続いているようだが、
東京より寒い。あれだけ暑さと湿度の高さが喧伝される街であるがゆえに先
入観もあり、寒さは余計に身にこたえる。だが、そんななかTシャツ同然の
格好で歩いている人もほんのたまにいる....それはニューオリンズにかぎら
ず、米国の各地で見られるものだが。
生牡蠣にガンボに、煮エビかけご飯。ああ、ニューオリンズじゃ。地元ビ
ールのアビータの“ターボ・ドッグ”はそのダーク・ビアー版。滞ニューオ
リンズ中にビールは基本的にこればっかり飲んでいた。で、フレンチ・クォ
ーターのほんの外にあるdbaに行って、ボノラマというバンドを見る。10
ドル。昨日はここで、前出『シング・ミー・バック・ホーム』にゲスト入り
して美声を聞かせてもいたジョン・ブッテがやっていたよう。ボノラマはト
ロンボーン奏者4人(20代ぽい人から50代とおぼしき人まで年齢層は散って
いる)を中央に置いたグループで、他にスーザフォン奏者、ギター、ドラマー
を擁する。ドラマー以外は肌の黒くない人たちで、これまでに2枚のライヴ
盤をリリース。通常のベース奏者を置かずにスーザフォン奏者でベース音を出
すというのはとてもニューオリンズ的、そのベース音とかみ合うタイトなビ
ート(1枚目はラッセル・バティーステが叩いていた。2枚目では、ギャラ
クティックのスタントン・ムーアがゲスト入りしていた)の上にジャズやニ
ューオリンズ・ブラス表現の要素を持つアンサンブルや各ソロが思うままに
泳ぐというインスト主体のグループだ。ときに、簡単な肉声が入るところも
あったし、モンク曲をやったりも。ザ・ダーティ・ダズン・ブラス・バンド
と同様にギター音の扱いはぼくの好みと合わないところもあるけど、なかな
か高揚し、フフフとなれる。
途中まで見て12時すぎに、だいぶ離れた有名クラブのティピティナズへ。
“ティピティナ”とはニューオリンズ・ピアノ偉人のプロフェッサー・ロン
グヘアーの十八番曲だが、入口を入ってすぐのところに彼の像が鎮座し、ス
テージ後方上部にも彼の顔がでかく描かれている。じいーん。20ドルでジェ
イムズ・ブラウン・トリビュートという出し物をこの日はやっていて、元J
Bズのフレッド・ウェズリー(1999年10月25日。彼は車で2時間半の位置
にあるアラバマ州のモービルに住んでいる)、元ザ・ミーターズのジョージ
・ポーターJr.(ベース)、ギャラクティック(2000年12月7日、2001年10
月13日、2004年2月5日)のスタンントン・ムーアの師匠というよりニュ
ーオリンズ・ドラムの大御所ジョニー・ヴィダコヴィッチ(プロフェッサー
・ロングヘアーからハリー・コニックJr. まで。ニューオリンズ・ファンク
をやりたがったジョン・スコフィールドのグループに請われ、入ったことも
。蛇足だが、スコの兄のマーク・ビンガムはニューオリンズ在住) の3人が
表に立ったもの。その3人での演奏をはじめ、そこに打楽器/ギター奏者が
入ったり、4人のトロンボーン奏者やサックス奏者が加わるものまで。演目
はJBズ曲からニューオリンズ縁のファンク/R&B曲など。いろいろ。ど
れも、わくわく。
うち、ふとっちょのトロンボーン奏者が一人やたら音がでかく、ソロが雄
々しい。メンバー紹介のMCは聞き取れなかったが、すぐに彼は元ザ・ダー
ティ・ダズン・ブラス・バンド(2002年7月30日、2005年2月28日)のビ
ッグ・サム(2002年7月30日のときのトロンボーン奏者は彼)であると了解
。彼が率いるファンク・バンドのビッグ・サムズ・ファンキー・ネーション
の日本デビューの通算2作目のライナーノーツも書いてそんなにたってない
し、2階から彼がステージ横にいるのは見えたので、なんかちょっと挨拶し
たくなって1階に降りる。で、ステージ手前にいるパス・チェックの係員に、
東京から来たんだけどビッグ・サムと話がしたいのサと告げると、あんまし
長居すんなよと言って入れてくれた。いいハコだあ。彼はファンキー・ネー
ションで明日ライヴをメイプル・リーフでやるのだが、名刺を渡したらゲス
ト・リストに入れてくれるという。いい奴だあ。
ファンキー・ネイションに関与している弁護士を通じて、ぼくとビッグ・
サムが会ったことが日本の発売元のP-ヴァインに伝えられているのを、帰国
後に知る。驚くなあ。
鈴木正人。アイアン&ワイン、キャレキシコ
2007年1月27日 リトル・クリーチャーズのメンバーであり、アップライト・ベーシストと
してもいろんなギグで活躍中の鈴木正人(2003年12月4日、2004年7月
6日、2004年11月30日、2005年10月30日、2005年11月15日)の、リーダ
ー作リリースをフォロウする公演。原宿・クエストホール、5時から。
まず、鈴木(縦ベース)、内橋和久(ギター)、外山明(ドラム)という
、UAのバッキングで一緒になってもいる3人にて冒険的即興と浮遊感と情
緒を併せ持つ演奏を30分強やる。以下、ドラムの芳垣安洋(けっこう、この
後はツイン・ドラムで)、クラリネット/サックスの塩谷博之、トロンボー
ンの青木タイセイ(2006年11月14日、他)、ペダル・スティールの高田漣、バ
ンジョーと歌の青柳拓次、歌のUAが曲により加わる。
UA(2004年7月6日、2004年8月12日。そういや、去年インタヴュー
したとたき、声が大きくて歌がうまそうでね、と彼女から言われた。照れく
さかった)はなんとセーラー服を着て登場。それ、鈴木と同級生という理由
で着用とのこと。彼女は2曲歌う。とくにより難しい旋律を持つ2曲目の歌
唱はぼぼ完璧。びっくりした。また、最後のほうには、チャールズ・ミン
ガスの有名曲「ベター・ゲット・ヒット・イン・ユア・ソウル」(実は、渋
さのエイベックス第2弾に入っている「ダスト・ソング」もこの曲を彷彿と
させる。それを指摘すると、不破大輔も同意)を演奏する。怒れる黒人ベー
ス巨人のミンガスと洒脱で飄々とした鈴木はあまり結びつかないが、やはり
鈴木はジャズ好きなのネ。ただ、この晩のこの曲の演奏は芸がないものでぼ
くはバツ印を与えるが。だが、総じては美意識と新鮮な目が随所に顕れてい
た、聞きどころのある公演だったと思う。
鈴木の本編が終わったときに、渋谷・クラブクアトロに移動。
キャレキシコとの共演作を昨年出したアイアン&ワイン(サミュエル・ビ
ームのソロ・プロジェクト)のショウが始まっていた。アルペジオ系の生ギ
ターの調べの上に澄んでて柔和な声を乗せる。そして、けっこう随時と書き
たくなるぐらい女性シンガーがハモリの歌声を重ねる。なるほど、地味では
あるが、それなりに質のあるシンプルな弾き語り表現。老成したような表現
を披露し、立派な髭をたくわえているが、ビームさんはけっこう若そうな感
じも。途中で、キャレキシコのジョーイ・バーンズが2曲で助演。
少し間を開けて、キャレキシコ(2001年12月18日、2004年2月15日)の
面々が登場。実は、彼らの昨年出た新作『ガーデン・ルーイン』は可能な限
りメキやん〜国境ノリを排して王道の(?)現代ロック・バンドとして勝負
しようした一作だったが、中盤はそこに収められていた曲を続けたか。普通
のロック・バンドとしても、彼らは多大な輝きを持つ。そして、エキゾな方
に戻るとやっぱしこれじゃのう、とも思わせる。やはり得難い、美味しいバ
ンドですね。人間的にこなれたうれしい妙味が伝わってくるのも、彼らの美
点。最後はビームとバック・コーラスのおねいちゃんも加わる。
してもいろんなギグで活躍中の鈴木正人(2003年12月4日、2004年7月
6日、2004年11月30日、2005年10月30日、2005年11月15日)の、リーダ
ー作リリースをフォロウする公演。原宿・クエストホール、5時から。
まず、鈴木(縦ベース)、内橋和久(ギター)、外山明(ドラム)という
、UAのバッキングで一緒になってもいる3人にて冒険的即興と浮遊感と情
緒を併せ持つ演奏を30分強やる。以下、ドラムの芳垣安洋(けっこう、この
後はツイン・ドラムで)、クラリネット/サックスの塩谷博之、トロンボー
ンの青木タイセイ(2006年11月14日、他)、ペダル・スティールの高田漣、バ
ンジョーと歌の青柳拓次、歌のUAが曲により加わる。
UA(2004年7月6日、2004年8月12日。そういや、去年インタヴュー
したとたき、声が大きくて歌がうまそうでね、と彼女から言われた。照れく
さかった)はなんとセーラー服を着て登場。それ、鈴木と同級生という理由
で着用とのこと。彼女は2曲歌う。とくにより難しい旋律を持つ2曲目の歌
唱はぼぼ完璧。びっくりした。また、最後のほうには、チャールズ・ミン
ガスの有名曲「ベター・ゲット・ヒット・イン・ユア・ソウル」(実は、渋
さのエイベックス第2弾に入っている「ダスト・ソング」もこの曲を彷彿と
させる。それを指摘すると、不破大輔も同意)を演奏する。怒れる黒人ベー
ス巨人のミンガスと洒脱で飄々とした鈴木はあまり結びつかないが、やはり
鈴木はジャズ好きなのネ。ただ、この晩のこの曲の演奏は芸がないものでぼ
くはバツ印を与えるが。だが、総じては美意識と新鮮な目が随所に顕れてい
た、聞きどころのある公演だったと思う。
鈴木の本編が終わったときに、渋谷・クラブクアトロに移動。
キャレキシコとの共演作を昨年出したアイアン&ワイン(サミュエル・ビ
ームのソロ・プロジェクト)のショウが始まっていた。アルペジオ系の生ギ
ターの調べの上に澄んでて柔和な声を乗せる。そして、けっこう随時と書き
たくなるぐらい女性シンガーがハモリの歌声を重ねる。なるほど、地味では
あるが、それなりに質のあるシンプルな弾き語り表現。老成したような表現
を披露し、立派な髭をたくわえているが、ビームさんはけっこう若そうな感
じも。途中で、キャレキシコのジョーイ・バーンズが2曲で助演。
少し間を開けて、キャレキシコ(2001年12月18日、2004年2月15日)の
面々が登場。実は、彼らの昨年出た新作『ガーデン・ルーイン』は可能な限
りメキやん〜国境ノリを排して王道の(?)現代ロック・バンドとして勝負
しようした一作だったが、中盤はそこに収められていた曲を続けたか。普通
のロック・バンドとしても、彼らは多大な輝きを持つ。そして、エキゾな方
に戻るとやっぱしこれじゃのう、とも思わせる。やはり得難い、美味しいバ
ンドですね。人間的にこなれたうれしい妙味が伝わってくるのも、彼らの美
点。最後はビームとバック・コーラスのおねいちゃんも加わる。
OKI DUB AINU BAND
2007年1月26日 代官山・ユニット。トンコリ奏者のOKI(2004年8月27日。2006年
8月11日、2006年9月24日)に加え、もう一人トンコリ奏者、ベース奏者、
ドラマー(沼澤尚)、卓(内田直之)という顔ぶれによる。休憩をいれて2
部構成にて。セカンド・セットのほうがよりレゲエ・ダブ色が強かったか。
いろんな属性の絡み合い。アンコールもたっぷりやる。終演後、外に出ると
、ちょっと雨がちらついていてびっくり。一緒に流れた知人に合わせて、最
後にラーメンを食べたのは失敗だった。
8月11日、2006年9月24日)に加え、もう一人トンコリ奏者、ベース奏者、
ドラマー(沼澤尚)、卓(内田直之)という顔ぶれによる。休憩をいれて2
部構成にて。セカンド・セットのほうがよりレゲエ・ダブ色が強かったか。
いろんな属性の絡み合い。アンコールもたっぷりやる。終演後、外に出ると
、ちょっと雨がちらついていてびっくり。一緒に流れた知人に合わせて、最
後にラーメンを食べたのは失敗だった。
シザー・シスターズ
2007年1月25日 青海・ゼップ東京。NYベースの、人気の新進バンド。男女のシンガーに、ギ
ター、ベース、キーボード、ドラム。(今井裕が入った後の)ミカ・バンド
と同じなんだな、と思う。しかし、すごいな。あそこまで、娯楽精神に徹す
ることができるのは。格好にしろ、フリにしろ。見ながら、ぼくが頑な10代
だったら、ちゃらくて引いちゃうかもなあ、と感じる。で、楽曲は万人を相
手にできるだろう、ときにソウルっぽくもあるポップ・ロック調、彼らは
それを屈託なく披露していく。なるほど。そうした、捨て身の娯楽精神はR
&Bの世界では特別なことではない。クレバーな彼らはR&B的お客様は神サ
マです的価値観をロックという枠のなかで開こうという意思は持っていると、
ぼくは確信するが。回りに外国人客が多く、そいつらがぐいぐいビールを飲
んでいて、車で行って飲めないぼくは非常にひもじい思いナリ。
ター、ベース、キーボード、ドラム。(今井裕が入った後の)ミカ・バンド
と同じなんだな、と思う。しかし、すごいな。あそこまで、娯楽精神に徹す
ることができるのは。格好にしろ、フリにしろ。見ながら、ぼくが頑な10代
だったら、ちゃらくて引いちゃうかもなあ、と感じる。で、楽曲は万人を相
手にできるだろう、ときにソウルっぽくもあるポップ・ロック調、彼らは
それを屈託なく披露していく。なるほど。そうした、捨て身の娯楽精神はR
&Bの世界では特別なことではない。クレバーな彼らはR&B的お客様は神サ
マです的価値観をロックという枠のなかで開こうという意思は持っていると、
ぼくは確信するが。回りに外国人客が多く、そいつらがぐいぐいビールを飲
んでいて、車で行って飲めないぼくは非常にひもじい思いナリ。
カナディアン・ロックンルール
2007年1月19日 カナダのロック系アクトを4組紹介するショーケース・イヴェント。渋谷
・Oイースト。渋味系シンガー・ソングライターのジェイソン・コレット(
トロンボーン奏者をむ5人編成バンドを率いる)、スターズやブロークン・
ソーシャル・シーンにも係わるシンガーのエイミー・ミラン(コレットのバ
ンドを流用)、ザ・ポリスやザ・クラシュの影響大の3人組ベドウィン・サ
ウンド・クラッシュ(ベースは黒人ね)、そしてオルタナ・カントリー歌手
として独り立ちもしているニーコ・ケイス(2004年9月16日)を含む男女7
人のパワー・ポップ・バンドのザ・ニュー・ポルノグラファーズ(みんな分
別ありそうでそんなに若い感じではなく、経験豊かそう。男性鍵盤奏者は日
本語を勉強している?)、という順で登場。7時7分に始まり、終わったの
は11時ぐらいだったか。ザ・ニュー・ポルノグラファーズはびっくりするぐ
らい良かった。今年のロック・ライヴのなかでもきっと上位に入るはず。観
客の反応も大きく、来ていたファンの多くは彼ら目当てであったよう。CB
誌のライヴ・レヴューと重なるのでこのぐらいにしておく。
・Oイースト。渋味系シンガー・ソングライターのジェイソン・コレット(
トロンボーン奏者をむ5人編成バンドを率いる)、スターズやブロークン・
ソーシャル・シーンにも係わるシンガーのエイミー・ミラン(コレットのバ
ンドを流用)、ザ・ポリスやザ・クラシュの影響大の3人組ベドウィン・サ
ウンド・クラッシュ(ベースは黒人ね)、そしてオルタナ・カントリー歌手
として独り立ちもしているニーコ・ケイス(2004年9月16日)を含む男女7
人のパワー・ポップ・バンドのザ・ニュー・ポルノグラファーズ(みんな分
別ありそうでそんなに若い感じではなく、経験豊かそう。男性鍵盤奏者は日
本語を勉強している?)、という順で登場。7時7分に始まり、終わったの
は11時ぐらいだったか。ザ・ニュー・ポルノグラファーズはびっくりするぐ
らい良かった。今年のロック・ライヴのなかでもきっと上位に入るはず。観
客の反応も大きく、来ていたファンの多くは彼ら目当てであったよう。CB
誌のライヴ・レヴューと重なるのでこのぐらいにしておく。
映画『ドリームガールズ』
2007年1月18日 ジェイミー・フォックス(2004年11月15日参照)、ビヨンセ(2006年9
月4日)、エディ・マーフィーらブラック・スターたちが出る、81年初演の
ブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品を東銀座の試写場で見る。盛況
。それにしても、『ドリ─ムガ─ルズ』というミュージカルがあるのは知っ
ていたが、こんなにモータウンのもろもろに沿ったもの(端的に書けば、ベ
リー・ゴーディJr. とダイアナ・ロス&スプリームスの成功の光の影をなぞ
ることで、音楽産業を舞台とするダイナミックな人間物語を作ろうとしてい
る)であるとは。けっして正の存在としては描かれてはおらず、さぞや当事
者はムカついたことと思う。差し止め訴訟とか、なかったのかな。
繰り返すが、本当に巧みにモータウンのいろんな事が入れられていて、そ
れを知っているといないとでは大分感じ方が違うんじゃないだろうか。あー
、このエピソードはこうこうでと推測しつつ、ドキドキしながら見れちゃう
。が、一方ではあまりモータウンの事を知らないほうが生々しくないぶん、
楽にドラマティックなストーリーを楽しめるような気もする。どーいうもの
か。なんにせよ、各人のパフォーマンスは見応え/聞き応えがある、きらび
やかな娯楽映画。でもって、どんな醜いサイドストーリーがあろうともソウ
ルっていいな、とも素直に思える。
さすがエディ・マーフィー(ジャッキー・ウイルソンとマーヴィン・ゲイ
を兼ねたような役柄)は一時は音楽活動に邁進した(そのとき、バック・コ
ーラスをしていたのがmimi:2001年4月18日、2003年2月13日、2006年
12月18日) のも伺える好演。時代ごとに容姿やファッションを変えるビヨン
セは本当に綺麗で、スターだァと感激させる。そして何より、重要な脇役の
エフィー役の新人ジェニファー・ハドソンの歌は訴求力抜群で、必ずや見る
者の感情移入を誘うだろう。米国の映画賞に彼女がノミネートされまくって
いるというのも非常に納得。元の曲を作ったのは白人だが楽曲もちゃんとし
ている。監督/脚本のビル・コンドンをはじめやはり、スタッフの多くは白
人のよう。
60年代初頭は、まだブルースとR&B(最初のタレント・ショウの部分
で示唆) 、ジャズとR&B(クラブでジャズ・マンとともに曲作りをしてい
く部分でやはり示唆) が共存していること。黒人が出したネタを白人がパ
クってヒットさせ一般化すること(乱暴に言えば、それは事実だ)。ヒット
させるにはペイオラ(ラジオ局DJの買収)が不可欠なこと。なんかも、映
画では描かれる。上映後、久しぶりに会った、年長ながらぼくは強気に出
れる映画評論家O(音楽好きだが、ソウルはあまり聞いていない)とお茶。
O味な映画、とのお言葉。そういうもんすかあ。ぼくはこの映画を見て、
ここ数年いい米国音楽映画が多いなあという実感を新たにしたのだが。そ
れを言うと、ケケケと笑いやがった。
月4日)、エディ・マーフィーらブラック・スターたちが出る、81年初演の
ブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品を東銀座の試写場で見る。盛況
。それにしても、『ドリ─ムガ─ルズ』というミュージカルがあるのは知っ
ていたが、こんなにモータウンのもろもろに沿ったもの(端的に書けば、ベ
リー・ゴーディJr. とダイアナ・ロス&スプリームスの成功の光の影をなぞ
ることで、音楽産業を舞台とするダイナミックな人間物語を作ろうとしてい
る)であるとは。けっして正の存在としては描かれてはおらず、さぞや当事
者はムカついたことと思う。差し止め訴訟とか、なかったのかな。
繰り返すが、本当に巧みにモータウンのいろんな事が入れられていて、そ
れを知っているといないとでは大分感じ方が違うんじゃないだろうか。あー
、このエピソードはこうこうでと推測しつつ、ドキドキしながら見れちゃう
。が、一方ではあまりモータウンの事を知らないほうが生々しくないぶん、
楽にドラマティックなストーリーを楽しめるような気もする。どーいうもの
か。なんにせよ、各人のパフォーマンスは見応え/聞き応えがある、きらび
やかな娯楽映画。でもって、どんな醜いサイドストーリーがあろうともソウ
ルっていいな、とも素直に思える。
さすがエディ・マーフィー(ジャッキー・ウイルソンとマーヴィン・ゲイ
を兼ねたような役柄)は一時は音楽活動に邁進した(そのとき、バック・コ
ーラスをしていたのがmimi:2001年4月18日、2003年2月13日、2006年
12月18日) のも伺える好演。時代ごとに容姿やファッションを変えるビヨン
セは本当に綺麗で、スターだァと感激させる。そして何より、重要な脇役の
エフィー役の新人ジェニファー・ハドソンの歌は訴求力抜群で、必ずや見る
者の感情移入を誘うだろう。米国の映画賞に彼女がノミネートされまくって
いるというのも非常に納得。元の曲を作ったのは白人だが楽曲もちゃんとし
ている。監督/脚本のビル・コンドンをはじめやはり、スタッフの多くは白
人のよう。
60年代初頭は、まだブルースとR&B(最初のタレント・ショウの部分
で示唆) 、ジャズとR&B(クラブでジャズ・マンとともに曲作りをしてい
く部分でやはり示唆) が共存していること。黒人が出したネタを白人がパ
クってヒットさせ一般化すること(乱暴に言えば、それは事実だ)。ヒット
させるにはペイオラ(ラジオ局DJの買収)が不可欠なこと。なんかも、映
画では描かれる。上映後、久しぶりに会った、年長ながらぼくは強気に出
れる映画評論家O(音楽好きだが、ソウルはあまり聞いていない)とお茶。
O味な映画、とのお言葉。そういうもんすかあ。ぼくはこの映画を見て、
ここ数年いい米国音楽映画が多いなあという実感を新たにしたのだが。そ
れを言うと、ケケケと笑いやがった。
ジェイソン・モラン&ザ・バンドワゴン
2007年1月17日 丸の内・コットンクラブ。ファースト。その直前に楽屋でモランに取材し
、そのままこの日も見る。演目や流れは、前日とだいたい同じ(この日のほ
うが、ちょっと長かったか?)。たぶん、セカンドは違う感じでやっている
と思うが。実は、モランは親日家で今回の出し物は坂本龍一の「ラスト・エ
ンペラー」をやるなど、日本向きのもの。けっこう、構成を練って来たもの
と思われる。彼はこの日の昼間に歌舞伎座に行って、大好きな玉三郎に会っ
て涙が出たなんて言っていた。そんなに簡単に会えるものなのか、間に入る
人がいたのかな。知り合いのアートの展示物を見にいくなんても言っていた
し、いろいろ芸術関連に対する興味は深く強そう。この日は昨日と全然違う
格好していてお洒落ですねと振ると、衣服も好きなんだと答える。そして、
彼はテキサス州ヒューストン生まれ、ゆえにヒューストンの空港はジョー
ジ・ブッシュ・エアポートっていうんだよねと振ると、苦笑しつつ本当にイ
ヤそうな顔をする人物でもある。
モランはNYに戻ると、ジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月
21日)が作った小さな箱であるザ・ストーン(昨年暮れに、梅津和時:20
01年、9月21日、2005年7月29日、2006年1月21日他がソロのギグをこ
こでやってるはず)のカサンドラ・ウイルソン(1999年8月27日、1999年9
月2日、2001年2月12日、2004年9月7日)が唐突に一回だけやる変則編
成ライヴをサポートするという。同会場、スティーヴ・コールマン&ザ・フ
ァイヴ・エレメンツがこの1月は箱バンで入っている。モランはそれには加
わらないが、ザ・ファイヴ・エレメンツのレコーディングには何枚か参加し
ている。
、そのままこの日も見る。演目や流れは、前日とだいたい同じ(この日のほ
うが、ちょっと長かったか?)。たぶん、セカンドは違う感じでやっている
と思うが。実は、モランは親日家で今回の出し物は坂本龍一の「ラスト・エ
ンペラー」をやるなど、日本向きのもの。けっこう、構成を練って来たもの
と思われる。彼はこの日の昼間に歌舞伎座に行って、大好きな玉三郎に会っ
て涙が出たなんて言っていた。そんなに簡単に会えるものなのか、間に入る
人がいたのかな。知り合いのアートの展示物を見にいくなんても言っていた
し、いろいろ芸術関連に対する興味は深く強そう。この日は昨日と全然違う
格好していてお洒落ですねと振ると、衣服も好きなんだと答える。そして、
彼はテキサス州ヒューストン生まれ、ゆえにヒューストンの空港はジョー
ジ・ブッシュ・エアポートっていうんだよねと振ると、苦笑しつつ本当にイ
ヤそうな顔をする人物でもある。
モランはNYに戻ると、ジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月
21日)が作った小さな箱であるザ・ストーン(昨年暮れに、梅津和時:20
01年、9月21日、2005年7月29日、2006年1月21日他がソロのギグをこ
こでやってるはず)のカサンドラ・ウイルソン(1999年8月27日、1999年9
月2日、2001年2月12日、2004年9月7日)が唐突に一回だけやる変則編
成ライヴをサポートするという。同会場、スティーヴ・コールマン&ザ・フ
ァイヴ・エレメンツがこの1月は箱バンで入っている。モランはそれには加
わらないが、ザ・ファイヴ・エレメンツのレコーディングには何枚か参加し
ている。
ジェイソン・モラン&ザ・バンドワゴン
2007年1月16日 99年のアルバム・デビュー以降、ずっと米国ブルーノートが自社アーティ
ストとして抱えつづける俊英ジャズ・ピアニスト(1975年生まれ)。その
デビュー作以外、日本盤はリリースされていないが、それなのにコットンク
ラブはよく招聘したな(彼の来日しての演奏は、97年のカサンドラ・ウィル
ソン公演に同行して以来)。演奏の味は異なるものの、グレッグ・オズビー
に親身に可愛がってもらったり他、ちょいマイケル・ケイン(2003年11月
18日、同22日)と立ち位置が重なる部分があるかも。丸の内・コットンクラ
ブ。ファースト・セット。
お洒落な、一癖ありそうな3人(ピアノ、ベース、ドラム。3人はもう7
年ほど一緒にやっている)がステージに登場。冒頭、ヒップホップ的な効果
音が流されてビックリ。確かに新作『Artist In Residence 』で一部つかっ
ていたりはするものの。翌日インタヴューした際、凄く悩んだ末に自分と対
比して並べるべき人の名前としてチャック・D(パブリック・エネミー:20
05年8月14日)を挙げたのにはビックリ。奥さんはオペラ歌手だし、本人
もクリオール系なのか肌の色はかなり薄いんだけど、アフリカン・アメリカ
ンとしての自負は山ほど。そんな彼、ウータン・クランのゴーストフェイス
・キラーとデュオ・アルバムを作る予定もあるそうだ。そのアルバムをブル
ーノートは歓迎する?と問うと、もちろん。が、しばらくして、そう願う
よとポツリ。でも、クロスオーヴァー/大衆趣味迎合路線をおおいに取るブ
ルーノートは喜んでそれを受け入れるとぼくは思うが。あ、そういえば、も
うすぐリトル・フィートのロウエル・ジョージの娘の清新ポップ・ユニット
、ザ・バード・アンド・ザ・ビーのフル・アルバムがブルーノートから出ま
す。
演奏の内容は、和みや寛ぎを与えるためのピアノ・トリオ表現ではなく、自
らの強い自我や美意識を流し込もうとする研ぎ澄まされたピアノ・トリオ表
現。モランはジャズ初期のストライド調からフリーっぽいものまでいろん弾
き方をしながら、俯瞰する感覚を持つ、美味しい相互作用を孕んだ演奏を凛
として送りだしていた。手応えと感慨アリ、今年のジャズ公演上位入り、間
違いなし。
2〜3曲で、グランド・ピアノ演奏に続いてパっと身体の向きを変えてエ
レクトリック・ピアノを弾いたりも。それは、よく判らない。そんなに効果
的な使用法をしているとは思えず。自分の顔を客に正面から見てもらうため
に、時にエレピに向かうのだと思うことにした。
テレンス・ブランチャード(2002年7月3日、2005年8月21日)やスタン
リー・カウエルらのバックもやってきたベース奏者のターラス・マティーン
(アトランタの大学を出ていて、アウトキャストやグッディ・モブ表現にも
関与)は4弦の電気フレットレス・ベースを使用しているだが、その音には
うわー。それ、ブラインドで聞くぶんには、音がちょい硬めでエフェクター
を通しぎみの縦ベースの音にしか聞こえない。それ、不毛とは感じず、凄い
と素直にぼくはなぜか思った。弾いている楽器はスペイン製であるとか。で
も、本人の弾き方がモノを言っているようにも思えたが。ベースやっている
人は必見と思う。
ストとして抱えつづける俊英ジャズ・ピアニスト(1975年生まれ)。その
デビュー作以外、日本盤はリリースされていないが、それなのにコットンク
ラブはよく招聘したな(彼の来日しての演奏は、97年のカサンドラ・ウィル
ソン公演に同行して以来)。演奏の味は異なるものの、グレッグ・オズビー
に親身に可愛がってもらったり他、ちょいマイケル・ケイン(2003年11月
18日、同22日)と立ち位置が重なる部分があるかも。丸の内・コットンクラ
ブ。ファースト・セット。
お洒落な、一癖ありそうな3人(ピアノ、ベース、ドラム。3人はもう7
年ほど一緒にやっている)がステージに登場。冒頭、ヒップホップ的な効果
音が流されてビックリ。確かに新作『Artist In Residence 』で一部つかっ
ていたりはするものの。翌日インタヴューした際、凄く悩んだ末に自分と対
比して並べるべき人の名前としてチャック・D(パブリック・エネミー:20
05年8月14日)を挙げたのにはビックリ。奥さんはオペラ歌手だし、本人
もクリオール系なのか肌の色はかなり薄いんだけど、アフリカン・アメリカ
ンとしての自負は山ほど。そんな彼、ウータン・クランのゴーストフェイス
・キラーとデュオ・アルバムを作る予定もあるそうだ。そのアルバムをブル
ーノートは歓迎する?と問うと、もちろん。が、しばらくして、そう願う
よとポツリ。でも、クロスオーヴァー/大衆趣味迎合路線をおおいに取るブ
ルーノートは喜んでそれを受け入れるとぼくは思うが。あ、そういえば、も
うすぐリトル・フィートのロウエル・ジョージの娘の清新ポップ・ユニット
、ザ・バード・アンド・ザ・ビーのフル・アルバムがブルーノートから出ま
す。
演奏の内容は、和みや寛ぎを与えるためのピアノ・トリオ表現ではなく、自
らの強い自我や美意識を流し込もうとする研ぎ澄まされたピアノ・トリオ表
現。モランはジャズ初期のストライド調からフリーっぽいものまでいろん弾
き方をしながら、俯瞰する感覚を持つ、美味しい相互作用を孕んだ演奏を凛
として送りだしていた。手応えと感慨アリ、今年のジャズ公演上位入り、間
違いなし。
2〜3曲で、グランド・ピアノ演奏に続いてパっと身体の向きを変えてエ
レクトリック・ピアノを弾いたりも。それは、よく判らない。そんなに効果
的な使用法をしているとは思えず。自分の顔を客に正面から見てもらうため
に、時にエレピに向かうのだと思うことにした。
テレンス・ブランチャード(2002年7月3日、2005年8月21日)やスタン
リー・カウエルらのバックもやってきたベース奏者のターラス・マティーン
(アトランタの大学を出ていて、アウトキャストやグッディ・モブ表現にも
関与)は4弦の電気フレットレス・ベースを使用しているだが、その音には
うわー。それ、ブラインドで聞くぶんには、音がちょい硬めでエフェクター
を通しぎみの縦ベースの音にしか聞こえない。それ、不毛とは感じず、凄い
と素直にぼくはなぜか思った。弾いている楽器はスペイン製であるとか。で
も、本人の弾き方がモノを言っているようにも思えたが。ベースやっている
人は必見と思う。
ベン・シドラン、リオ・シドラン、ジョイ・ドラグランド。ザ・ルーツ。ホリー・コール
2007年1月15日 まず、3時から丸の内・コットンクラブ。 モーニング娘。の事務所がベ
ン・シドランのレーベル“ナルディス”をライセンス、日本盤をリリースし
て行きますよ(配給はソニー)というお披露目会がそこで。ベン・シドラン
と息子のリオ・シドラン、そしてリオとジョイ・アンド・ザ・ボーイという
洒脱ポップ・ユニットを組んでいるジョイ・ドラグランドの3人が少しパフ
ォーマンス。シドラン親子は昨年に来て(2006年4月9日)いて、そのとき
リオ(30才だそう)はドラムを叩いていたが、今回はピアノを弾いたり、ボ
サ調の生ギターを弾いたり。器用ね。
他に、映像でナルディス在籍アーティストが紹介されたが、興味深かった
のはそのなかの一人、JBファミリーの出身の名ドラマーであるクライド・
スタブルフィールド(1999年10月25日、2006年7月26日)の発言。家で大
きなチクタク音が出る時計があって夜寝ている時にそれがうるさくて、云々
。なるほど、その時計の音が彼の美味刻みドラミングを生み出したものか。
そのコメントを聞いて、ぼくは往年の名門南部ソウル・レーベルのハイ・サ
ウンドのドラム音のことも思い浮かべた。同社のドラム音/ビート感覚はよ
くリズム・ボックス音にそっくりなんて言われるが、それを導いたのも制作
者やドラマーたちがずっと聞き慣れ、体内にしみ込んだ時計音だった……。
なんて考えると、とっても楽しいじゃないか。
ベン・シドランが言うには、70年代初頭に行ったクラブでジェイムズ・ブ
ラウン(2000年8月5日)と喧嘩してスタブルィールドがクビにされる場面
に出くわし、それで彼と一緒にやるようになったのだとか。で、リオのドラ
ムの先生はスタブルフィールドであるそう。スタブルフィールドはベンと同
じウィスコンシン州マディソンに在住し、リオは現在NYに住んでいる。
次の公演まで少し時間が余ったので、奥さんのために夕食を作らなきゃい
けないんですうと言う先輩を拉致、有楽町のガード下の飲み屋に。疑似、サ
ラリーマン気分。ホッピー他、ぐびぐび。
そして、渋谷・Oイーストへ。案の定、少し開演時間におくれてしまった
。フィリーの生演奏ヒップホップ・バンド、ザ・ルーツ(2002年12月29日
、2003年12月2日。2004年9月19日)の公演を見る。相変わらずでっかい
アフロ・ヘアのドラマーのクエストラヴを中心に、ギター、ベース、キーボ
ード、パーカッションという編成のバンドだったか。そして、ブラックソウ
トが肉声を噛ます。他の楽器担当者も烏合の衆的な声は出す。切れ目なしで
続けられたそれは、今までで一番バンドぽいパフォーマンスだなあと思わせ
るもの。これまでで一番まとまっているせいもあって、フュージョンぽいか
も、と思えた局面もあったか。ヒップホップらしく、シュガーヒル・ギャン
グ曲他有名曲リフ引用もいくつか。「移民の歌」だったか、レッド・ツェッ
ペリンの曲も。
さらに南青山・ブルーノート東京へ行って、カナダ出身の洒脱系ジャジー
・シンガーの(セカンド・)ショウ。何度も日本に来ているがずだが、ぼく
は初めて見る。たぶんこんな感じかなあと予想していた感じのものながら、
バックの演奏(ピアノ、ベース、ドラム、リードという顔ぶれ)のためか、
よりジャジーかもと感じさせもしたか。ちゃんと、人に見せる回路を会得して
いるなとも感じる。実は翌日に取材をすることになっいたのだが、体調不
良とかでそちらは直前に飛んじゃう。カナダ人であることに焦点を絞ったイン
タヴューをしようと思ったのだが。この晩のパフォーマンスに触れる分には、
なんか体調に不都合がある感じはなかったが。
そのアップライト・ベース奏者は終盤で取ったソロでシカゴの「長い夜」
と、ディープ・パープル(2005年8月13日、2006年5月21日)の「スモー
ク・オン・ザ・ウォーター」を引用。どちらも日本でヒットした曲なはずだ
し、双方とも70年代前半に武道館公演をやっている人気バンドの楽曲。だが
、シカゴ曲のほうには一切、客は沸かず。その温度差は奇異に感じる。なん
にせよ、この日は70年代にシーンを賑わせた大ロック・バンドの有名曲断片
を3曲も聞いたことになるのだなあ。
ン・シドランのレーベル“ナルディス”をライセンス、日本盤をリリースし
て行きますよ(配給はソニー)というお披露目会がそこで。ベン・シドラン
と息子のリオ・シドラン、そしてリオとジョイ・アンド・ザ・ボーイという
洒脱ポップ・ユニットを組んでいるジョイ・ドラグランドの3人が少しパフ
ォーマンス。シドラン親子は昨年に来て(2006年4月9日)いて、そのとき
リオ(30才だそう)はドラムを叩いていたが、今回はピアノを弾いたり、ボ
サ調の生ギターを弾いたり。器用ね。
他に、映像でナルディス在籍アーティストが紹介されたが、興味深かった
のはそのなかの一人、JBファミリーの出身の名ドラマーであるクライド・
スタブルフィールド(1999年10月25日、2006年7月26日)の発言。家で大
きなチクタク音が出る時計があって夜寝ている時にそれがうるさくて、云々
。なるほど、その時計の音が彼の美味刻みドラミングを生み出したものか。
そのコメントを聞いて、ぼくは往年の名門南部ソウル・レーベルのハイ・サ
ウンドのドラム音のことも思い浮かべた。同社のドラム音/ビート感覚はよ
くリズム・ボックス音にそっくりなんて言われるが、それを導いたのも制作
者やドラマーたちがずっと聞き慣れ、体内にしみ込んだ時計音だった……。
なんて考えると、とっても楽しいじゃないか。
ベン・シドランが言うには、70年代初頭に行ったクラブでジェイムズ・ブ
ラウン(2000年8月5日)と喧嘩してスタブルィールドがクビにされる場面
に出くわし、それで彼と一緒にやるようになったのだとか。で、リオのドラ
ムの先生はスタブルフィールドであるそう。スタブルフィールドはベンと同
じウィスコンシン州マディソンに在住し、リオは現在NYに住んでいる。
次の公演まで少し時間が余ったので、奥さんのために夕食を作らなきゃい
けないんですうと言う先輩を拉致、有楽町のガード下の飲み屋に。疑似、サ
ラリーマン気分。ホッピー他、ぐびぐび。
そして、渋谷・Oイーストへ。案の定、少し開演時間におくれてしまった
。フィリーの生演奏ヒップホップ・バンド、ザ・ルーツ(2002年12月29日
、2003年12月2日。2004年9月19日)の公演を見る。相変わらずでっかい
アフロ・ヘアのドラマーのクエストラヴを中心に、ギター、ベース、キーボ
ード、パーカッションという編成のバンドだったか。そして、ブラックソウ
トが肉声を噛ます。他の楽器担当者も烏合の衆的な声は出す。切れ目なしで
続けられたそれは、今までで一番バンドぽいパフォーマンスだなあと思わせ
るもの。これまでで一番まとまっているせいもあって、フュージョンぽいか
も、と思えた局面もあったか。ヒップホップらしく、シュガーヒル・ギャン
グ曲他有名曲リフ引用もいくつか。「移民の歌」だったか、レッド・ツェッ
ペリンの曲も。
さらに南青山・ブルーノート東京へ行って、カナダ出身の洒脱系ジャジー
・シンガーの(セカンド・)ショウ。何度も日本に来ているがずだが、ぼく
は初めて見る。たぶんこんな感じかなあと予想していた感じのものながら、
バックの演奏(ピアノ、ベース、ドラム、リードという顔ぶれ)のためか、
よりジャジーかもと感じさせもしたか。ちゃんと、人に見せる回路を会得して
いるなとも感じる。実は翌日に取材をすることになっいたのだが、体調不
良とかでそちらは直前に飛んじゃう。カナダ人であることに焦点を絞ったイン
タヴューをしようと思ったのだが。この晩のパフォーマンスに触れる分には、
なんか体調に不都合がある感じはなかったが。
そのアップライト・ベース奏者は終盤で取ったソロでシカゴの「長い夜」
と、ディープ・パープル(2005年8月13日、2006年5月21日)の「スモー
ク・オン・ザ・ウォーター」を引用。どちらも日本でヒットした曲なはずだ
し、双方とも70年代前半に武道館公演をやっている人気バンドの楽曲。だが
、シカゴ曲のほうには一切、客は沸かず。その温度差は奇異に感じる。なん
にせよ、この日は70年代にシーンを賑わせた大ロック・バンドの有名曲断片
を3曲も聞いたことになるのだなあ。
E.S.T.。渋さ知らズ
2007年1月13日 6時から渋谷・オーチャードホールでスウェーデンのジャズ・トリオ、E.
S.T.。寒空のもと、会場前はすごい列。空席もそれなりにあったE.S.T.公演
を見る人ではなく、もちろん向かいのエッシャー展を見ようとする人達なり
。1時間半待ちですと、案内人が言っていたっけ。へー休日とはいえ、エッ
シャーってそんなに人気があるの? そういう列に並ぶことを拒否/回避し
ないメンタリティを持っていたなら、ぼくの人生はだいぶ違っほうに行って
いるかもなあと、ふと思う。
前にぼくがE.S.T.のことを見たのは初来日時の2003年6月17日だったの
で、4年近くぶりに見る。彼らは04年と05年にも来ているはずだが、日本に
いなかったり外せない用事があったりして、見ることができなった。その間
の彼らはいくつかのプロダクツを出しているわけだが(ぼくもCDとDVD
の解説を書いているなあ)、基本的に<リアルなピアノ・ジャズ・トリオ表
現>と<今ならではの音響処理やビートの感覚>の効果的なかみ合わせとい
うのは、後者の項目はその比率が減じられつつも維持されてきたわけだ。
やはり、質の高いの高い、魅力的なピアノ・トリオ。電気処理音が少なく
なったぶん、旧来のジャズ文脈にはあまりないメロディや曲構成で彼ららし
さを出そうとしているところがあると、今回ぼくは感じたが。いくつかの美
意識に富んだ曲を聞きながら、3人はシガー・ロス(2003年4月14日、20
06年4月5日)を知っているだろうか、なんて思ったりも。
約1時間のセットを二つ。プラスして、アンコール。純朴そうな本人たち
は普段着で演奏していたが、ステージ美術が格調高く、綺麗。
そして、近くのO・イーストでやっている(横のデュオの前あたり、混ん
でいたが、何をやっていたんだろ?)レコ発をフォロウする渋さ知らズ公演
を覗く。こっちのほうが開演時間が遅かったのと丸3時間パーフォーマンス
したお陰で、「ウィ・アー・フィッシャーマンズ・バンド」以降のアゲアゲ
の部分をばっちり楽しんだ。ステージからは小さな出道がちょい出ていて、
ダンサーの数も多い。音の暴れ具合と比例するように演奏者たち(お酒を回
し飲みしてたりしてたな)がいろいろ前に出てきたり、なによりあんな元気
そうに振る舞う不破大輔は初めて見るような。奔放、壊れ気味。なかなかに
新鮮でした。
S.T.。寒空のもと、会場前はすごい列。空席もそれなりにあったE.S.T.公演
を見る人ではなく、もちろん向かいのエッシャー展を見ようとする人達なり
。1時間半待ちですと、案内人が言っていたっけ。へー休日とはいえ、エッ
シャーってそんなに人気があるの? そういう列に並ぶことを拒否/回避し
ないメンタリティを持っていたなら、ぼくの人生はだいぶ違っほうに行って
いるかもなあと、ふと思う。
前にぼくがE.S.T.のことを見たのは初来日時の2003年6月17日だったの
で、4年近くぶりに見る。彼らは04年と05年にも来ているはずだが、日本に
いなかったり外せない用事があったりして、見ることができなった。その間
の彼らはいくつかのプロダクツを出しているわけだが(ぼくもCDとDVD
の解説を書いているなあ)、基本的に<リアルなピアノ・ジャズ・トリオ表
現>と<今ならではの音響処理やビートの感覚>の効果的なかみ合わせとい
うのは、後者の項目はその比率が減じられつつも維持されてきたわけだ。
やはり、質の高いの高い、魅力的なピアノ・トリオ。電気処理音が少なく
なったぶん、旧来のジャズ文脈にはあまりないメロディや曲構成で彼ららし
さを出そうとしているところがあると、今回ぼくは感じたが。いくつかの美
意識に富んだ曲を聞きながら、3人はシガー・ロス(2003年4月14日、20
06年4月5日)を知っているだろうか、なんて思ったりも。
約1時間のセットを二つ。プラスして、アンコール。純朴そうな本人たち
は普段着で演奏していたが、ステージ美術が格調高く、綺麗。
そして、近くのO・イーストでやっている(横のデュオの前あたり、混ん
でいたが、何をやっていたんだろ?)レコ発をフォロウする渋さ知らズ公演
を覗く。こっちのほうが開演時間が遅かったのと丸3時間パーフォーマンス
したお陰で、「ウィ・アー・フィッシャーマンズ・バンド」以降のアゲアゲ
の部分をばっちり楽しんだ。ステージからは小さな出道がちょい出ていて、
ダンサーの数も多い。音の暴れ具合と比例するように演奏者たち(お酒を回
し飲みしてたりしてたな)がいろいろ前に出てきたり、なによりあんな元気
そうに振る舞う不破大輔は初めて見るような。奔放、壊れ気味。なかなかに
新鮮でした。
リリー・アレン
2007年1月12日 85年ロンドン生まれのおきゃんなキャラ立ち小娘で、デビュー早々UKで
は好成績を収めたニューカマー。きっちり、バンド(キーボード、ギター、
ベース、ドラム、3人のブラス隊によるパフォーマンス)。力まかせなその
音はけっこうレトロな感覚を増幅させる。今っぽい作りの音盤のほうがいろ
んな歌い方してるし、曲趣も広がりがあってぼくは好みだけど、魅力的なタ
レントであるのは間違いない。彼女の曲はスカっぽいビートの曲も少なくな
いが、アンコールではザ・スペシャルズの曲をカヴァー。ステージでけっこ
う煙草をプカプカやってた彼女は、「フジ・ロック・フェスティヴァルに出
た〜い。誰か、招待してよ」と中盤で屈託なくアピール。なんでも、芸人を
やっている彼女の父親はフジ・ロックのパレス・オブ・ワンダーに出演した
ことがあるそうで、彼女はそのとき同行し、フジ・ロックが大好きになった
らしい。ちょっと、いい話かも。恵比寿・リキッドルーム.
は好成績を収めたニューカマー。きっちり、バンド(キーボード、ギター、
ベース、ドラム、3人のブラス隊によるパフォーマンス)。力まかせなその
音はけっこうレトロな感覚を増幅させる。今っぽい作りの音盤のほうがいろ
んな歌い方してるし、曲趣も広がりがあってぼくは好みだけど、魅力的なタ
レントであるのは間違いない。彼女の曲はスカっぽいビートの曲も少なくな
いが、アンコールではザ・スペシャルズの曲をカヴァー。ステージでけっこ
う煙草をプカプカやってた彼女は、「フジ・ロック・フェスティヴァルに出
た〜い。誰か、招待してよ」と中盤で屈託なくアピール。なんでも、芸人を
やっている彼女の父親はフジ・ロックのパレス・オブ・ワンダーに出演した
ことがあるそうで、彼女はそのとき同行し、フジ・ロックが大好きになった
らしい。ちょっと、いい話かも。恵比寿・リキッドルーム.
ベースメント・ジャックス
2007年1月11日 英国のDJミュージック派生の娯楽ポップ・デュオ、今回の公演は10人を
超える陣容でのもの。DJ/オペレイション・ブースを中央に、左右にギタ
ー、ドラム、パ─カッション、3本のブラス隊。そして、複数の女性シンガ
ーや男性DJ(ラッパー)やダンサーなんかがいろいろと曲に合わせて出た
りひっこんだり。それら出演者は恰好やフリなんかにも留意したパフォーマ
ンスをする。場所は、青海・ゼップ東京。
ときに眼鏡のフィリックスは前に出てきてラップし、大いに煽ったりも。
一部ツメの甘さやちゃらさもあるのだがそれも含めて、親しみやすい、聞き
手になんの構えも要求しない破顔一笑的なエンターテインメント表現をまっ
とう。興味深いなあと思ったのは、DJ系アクトというと映像に凝る傾向に
あるものだが、今回の彼らの場合は照明は派手なものの、いっさい映像の類
は用いず流さずの姿勢を貫いていたここと。それは、本人たちが音に自信を
持っていたからか。それとも、生身の人間たちの視覚効果だけで十分な娯楽
効果が獲得できていると判断したからか。確かに、十分に楽しかったです。
超える陣容でのもの。DJ/オペレイション・ブースを中央に、左右にギタ
ー、ドラム、パ─カッション、3本のブラス隊。そして、複数の女性シンガ
ーや男性DJ(ラッパー)やダンサーなんかがいろいろと曲に合わせて出た
りひっこんだり。それら出演者は恰好やフリなんかにも留意したパフォーマ
ンスをする。場所は、青海・ゼップ東京。
ときに眼鏡のフィリックスは前に出てきてラップし、大いに煽ったりも。
一部ツメの甘さやちゃらさもあるのだがそれも含めて、親しみやすい、聞き
手になんの構えも要求しない破顔一笑的なエンターテインメント表現をまっ
とう。興味深いなあと思ったのは、DJ系アクトというと映像に凝る傾向に
あるものだが、今回の彼らの場合は照明は派手なものの、いっさい映像の類
は用いず流さずの姿勢を貫いていたここと。それは、本人たちが音に自信を
持っていたからか。それとも、生身の人間たちの視覚効果だけで十分な娯楽
効果が獲得できていると判断したからか。確かに、十分に楽しかったです。
コン・ファンク・シャン
2007年1月10日 丸の内・コットンクラブ。セカンド・ショウ。メンフィスで結成され、70
年代初頭から活動しているセルフ・コンテインド・グループ。……彼ら、フ
ァンク的な男っぽさとブラコンっぽいちゃらさを上手く併せ持ってるんだな
。ミディアムはどこかトッド・ラングレン(2001年11月9日。2002年9月
19日。2002年9月28日)調だなと仄かに思わせる曲も。彼らけっこう、
メロディアスな曲をやっていたことも了解。
前列に5人。白いスーツを来た管楽器担当の3人(ショウ冒頭、吹きなが
ら出てきてステージに上がった。掴みはばっちり)を挟む感じで、黒い服を
来たギタリストとベーシスト(痩身で、ええカッコしいな感じが良い)が両
側に立つ。彼らはもちろん、いろんな美学が反映されたフリをつける。そし
て、ステージ後列にはキーボード、ドラム、パーカッション奏者。リード・
ヴォーカルはオリジナル・メンバーのギタリスト(マイケル・クーパー。彼
は主に進行役の担う)とトロンボニスト(フェルトン・パイレイト。彼はキ
ーボードを少し弾いたりも)が取る。
70年代中期から約10年間マーキュリーからバリバリとアルバムを出してい
たころが一応全盛期となるのかもしれないが、現役感覚もたっぷり。間違い
なし、のソウル・ショーを展開。
年代初頭から活動しているセルフ・コンテインド・グループ。……彼ら、フ
ァンク的な男っぽさとブラコンっぽいちゃらさを上手く併せ持ってるんだな
。ミディアムはどこかトッド・ラングレン(2001年11月9日。2002年9月
19日。2002年9月28日)調だなと仄かに思わせる曲も。彼らけっこう、
メロディアスな曲をやっていたことも了解。
前列に5人。白いスーツを来た管楽器担当の3人(ショウ冒頭、吹きなが
ら出てきてステージに上がった。掴みはばっちり)を挟む感じで、黒い服を
来たギタリストとベーシスト(痩身で、ええカッコしいな感じが良い)が両
側に立つ。彼らはもちろん、いろんな美学が反映されたフリをつける。そし
て、ステージ後列にはキーボード、ドラム、パーカッション奏者。リード・
ヴォーカルはオリジナル・メンバーのギタリスト(マイケル・クーパー。彼
は主に進行役の担う)とトロンボニスト(フェルトン・パイレイト。彼はキ
ーボードを少し弾いたりも)が取る。
70年代中期から約10年間マーキュリーからバリバリとアルバムを出してい
たころが一応全盛期となるのかもしれないが、現役感覚もたっぷり。間違い
なし、のソウル・ショーを展開。
ディーヴァ・グレイ&ザ・ソウル・サーチャーズ
2007年1月9日 目黒・ブルースアレイ。ディーヴァ・グレイは70年代中期ぐらいからNY
のシーンで活躍している、バックグランド・ヴォーカルのスペシャリスト。
現在、渋谷の学校で歌を教えるために滞日中なのだとか。で、この晩はその
百戦錬磨のその喉を思う存分に披露してもらいましょうという出し物(オー
ガナイズは吉岡正晴さん)。バック・バンドも現在は日本に住むアメリカ出
身者が主体になるもので6人編成、それに二人の女性コーラス。
故ルーサー・ヴァンドロスと一緒にバック・コーラスを付けたシックのも
ろもろのヒット曲をはじめ、ジョージ・ベンソン、チェンジ、ナタリー・コ
ール、BBQバンド、セリーヌ・ディイオン&R・ケリーなど、歌われる曲
はすべて彼女がオリジナル・レコーディングに参加したもの。また、ディー
ヴァ・グレイ&オイスターという名前で出した自己作からも歌う。さらに、
スティーリー・ダンの「バビロン・シスターズ」も! なるほど、実はトー
キング・ヘッズ、デイヴィッド・ボウイ、スクリッティ・ポリッティなど、
ロック系レコーディング参加が多い人とうイメージをぼくは彼女に持つ。そ
んな事実は実演を聞いても、なんとなく納得させられるか。こってりギトギ
トだけでない、洗練やまろみを彼女は持っており、だからこそ洒脱都会派を
目指したシック(その後のプロデュース仕事にも表れていたように、彼らは
ロック派でもありましたよね)からも望まれる人材であったし、ロック系や
デイヴィッド・サンボーンやマーカス・ミラーをはじめフュージョン系セッ
ションからもひっぱりだこになったのだナと……。
2部構成で、計2時間を超えるパフォーマンス。お客の反応もすごいもの
で、送る側の気持ちと受け取る側の気持ちがとってもいい感じで交錯。いろ
んな意味で、暖かく、熱い。両者を繋いでいたのは、ソウルという表現が積
み重ねてきたフィーリングやストーリーを愛でる気持ちであったはず。
のシーンで活躍している、バックグランド・ヴォーカルのスペシャリスト。
現在、渋谷の学校で歌を教えるために滞日中なのだとか。で、この晩はその
百戦錬磨のその喉を思う存分に披露してもらいましょうという出し物(オー
ガナイズは吉岡正晴さん)。バック・バンドも現在は日本に住むアメリカ出
身者が主体になるもので6人編成、それに二人の女性コーラス。
故ルーサー・ヴァンドロスと一緒にバック・コーラスを付けたシックのも
ろもろのヒット曲をはじめ、ジョージ・ベンソン、チェンジ、ナタリー・コ
ール、BBQバンド、セリーヌ・ディイオン&R・ケリーなど、歌われる曲
はすべて彼女がオリジナル・レコーディングに参加したもの。また、ディー
ヴァ・グレイ&オイスターという名前で出した自己作からも歌う。さらに、
スティーリー・ダンの「バビロン・シスターズ」も! なるほど、実はトー
キング・ヘッズ、デイヴィッド・ボウイ、スクリッティ・ポリッティなど、
ロック系レコーディング参加が多い人とうイメージをぼくは彼女に持つ。そ
んな事実は実演を聞いても、なんとなく納得させられるか。こってりギトギ
トだけでない、洗練やまろみを彼女は持っており、だからこそ洒脱都会派を
目指したシック(その後のプロデュース仕事にも表れていたように、彼らは
ロック派でもありましたよね)からも望まれる人材であったし、ロック系や
デイヴィッド・サンボーンやマーカス・ミラーをはじめフュージョン系セッ
ションからもひっぱりだこになったのだナと……。
2部構成で、計2時間を超えるパフォーマンス。お客の反応もすごいもの
で、送る側の気持ちと受け取る側の気持ちがとってもいい感じで交錯。いろ
んな意味で、暖かく、熱い。両者を繋いでいたのは、ソウルという表現が積
み重ねてきたフィーリングやストーリーを愛でる気持ちであったはず。
近藤等則+レック他
2007年1月8日 1週間強、コンピューターを開けないで(まあ、手元になかったんだけど
)惚けまくり。で、暫くぶりにメールをチェックして、うーむ。ぼくは二つ
のプロヴァイダーを併用しているだが、メインじゃない方の昔から使ってい
るアドレスの受信メール・ボックスのほうが大変なことになっている。米国
発信のスパムが山ほど。やれ、ヴァイアグラだのロレックスだのオンライン
・カジノだの、愚にもつかない勧誘メールが500 通強。普段はイヤだなあや
っかいだなあと思いつつ日に何度も事あるごとに消しているので、常軌を逸
した負担にはなってないので見逃していたが、さすがにこれだけ山になって
いると……。新年早々や〜な、感じ。きっと、必要な内容のメールも流れで
一緒に消しちゃってるな。うーむ、そろそろアドレス変えるとか対策したほ
うがいいのか。でも、それも面倒臭い。
新年第二週から、わりかしフツーの日常が開始といった感じ。いまいち、
調子でないけど。吉祥寺・スターパインズ・カフェ。5年前の新年最初のコ
ンサートもここだったな。99年5月以降、“ライヴ三昧”をずっと書いてい
るが、昔よりだいぶ細かく公演内容を書き留めるようになっているのは間違
いない。それは、後から使える事が少なくなく、便利だからそうなったのだ
が。まあ、昔みたいな他愛ない文章を書くのも嫌いじゃないのだけど。
近藤等則(2006年4月28日)、レック(2005年4月26日)、高田宗紀(
ターンテーブル)、湊雅史(ドラム)という布陣のセッション。近藤が80年
代に鋭意やってたIMAバンドの流れを組む編成(ドラマー以外は当時のメ
ンバーみたい)によるもの。プリセット音も用いつつ、わりと整合感のある
インタープレイ演奏を聞かせる。終わり方なんかにしても手探りでというよ
りはシャキっと終わるので、けっこリハをやってこの実演に臨んでいるよう
。レックのベースはとてもビル・ラズウェル(2005年7月30日、2006年1
月21日、2006年11月26日、他)ぽいなと思わせるもので、おおこんな弾き
方もするんだ、という感じ。それにしても近藤は昔よくレックに声をかけた
し、レックもそれに応じたよな。近藤の演奏は例によって全編、電気を通し
てのもの。ばくは、バック音が電気臭が強いのだから生で疾走したほうがカ
ッコいいと思うが。
)惚けまくり。で、暫くぶりにメールをチェックして、うーむ。ぼくは二つ
のプロヴァイダーを併用しているだが、メインじゃない方の昔から使ってい
るアドレスの受信メール・ボックスのほうが大変なことになっている。米国
発信のスパムが山ほど。やれ、ヴァイアグラだのロレックスだのオンライン
・カジノだの、愚にもつかない勧誘メールが500 通強。普段はイヤだなあや
っかいだなあと思いつつ日に何度も事あるごとに消しているので、常軌を逸
した負担にはなってないので見逃していたが、さすがにこれだけ山になって
いると……。新年早々や〜な、感じ。きっと、必要な内容のメールも流れで
一緒に消しちゃってるな。うーむ、そろそろアドレス変えるとか対策したほ
うがいいのか。でも、それも面倒臭い。
新年第二週から、わりかしフツーの日常が開始といった感じ。いまいち、
調子でないけど。吉祥寺・スターパインズ・カフェ。5年前の新年最初のコ
ンサートもここだったな。99年5月以降、“ライヴ三昧”をずっと書いてい
るが、昔よりだいぶ細かく公演内容を書き留めるようになっているのは間違
いない。それは、後から使える事が少なくなく、便利だからそうなったのだ
が。まあ、昔みたいな他愛ない文章を書くのも嫌いじゃないのだけど。
近藤等則(2006年4月28日)、レック(2005年4月26日)、高田宗紀(
ターンテーブル)、湊雅史(ドラム)という布陣のセッション。近藤が80年
代に鋭意やってたIMAバンドの流れを組む編成(ドラマー以外は当時のメ
ンバーみたい)によるもの。プリセット音も用いつつ、わりと整合感のある
インタープレイ演奏を聞かせる。終わり方なんかにしても手探りでというよ
りはシャキっと終わるので、けっこリハをやってこの実演に臨んでいるよう
。レックのベースはとてもビル・ラズウェル(2005年7月30日、2006年1
月21日、2006年11月26日、他)ぽいなと思わせるもので、おおこんな弾き
方もするんだ、という感じ。それにしても近藤は昔よくレックに声をかけた
し、レックもそれに応じたよな。近藤の演奏は例によって全編、電気を通し
てのもの。ばくは、バック音が電気臭が強いのだから生で疾走したほうがカ
ッコいいと思うが。