青山・月見ル君想フで、二組の出演者が同時に位置し触発されながら1曲づつ交互にパフォーマンスしあうという、同ヴェニューの名物企画“パラシュート・セッション”を見る。今回で、なんと58回目となるという。出演者はSaigenji (2006年6月27日、2007年11月27日、2009年3月14日, 2009年8月9日、2012年6月13日、2013年1月7日、2013年2月11日 、2013年4月12日、2014年2月9日、2016年2月11日、2016年11月30日、2017年2月11日)と結成2年でアルバムを1枚出しているというFontana Folle というユニットだ。

 Fontana Folleはヴォーカル、ギター、スタンダップ電気ベース、エレクトリック・ピアノ、トランペット(1曲フリューゲル・ホーン)/フルート、ドラムという編成。チーム・ワーク良さそうでセクステットなのかと思って聞いたのだが、後でHPを引いたら、歌とギターと縦ベースの3人からなり、他はサポート奏者のよう。曲としては都会的な広角型ジャジー・ポップをやり、ソロも無難に交わしていて、ジャズ研上がりの奏者たちの単位に、甘い味を持つシンガーが入ったバンドなのかと思ったが、そうではないよう。散々ライヴに接してきているぼくを騙したことを、彼らは誇っていい。あ、ごめんなさい。なんかこの書き方、偉そう?

 ぼくが見たパラシュート・セッションの中では一番いい、両者のやりとりがあったのではないか。Saigenjiは洒落たセンスを生かそうとする若い担い手たちに本当に両手を広げるかのように優しく接し、一方のFontana Folleの面々は熟練アリのSaigenjiが繰り出す曲、ギター演奏や歌に随時わあ〜という感じで反応したり。お互いの存在を愛で、コミュニケーションしようとする気持ちのやりとりをおおいに感じることができた。なんか、両者の心和むプライヴェイトな集いに参加した気分にもなった? とともに、そのやりとりは両者ともにミュージック・ラヴァーなんだなとも思わせる。

 しかし、バンド好きにも関わらず、こういう場合に一人は自由だとぼくは思った。相手の出した曲に反応して、思いついた曲をすぐに出せるから。そうくるなら、僕はジャズ・スタンダードをやりますとか、Saigenjiはそういう反応も出しながらことをすすめる。彼は一切歌詞カード/譜面を置いておらず、それも風通しの良さを倍加させる。Fontana Folleの曲にSaigenjがフルートで入る曲もあったし、逆も少しアリ。両セットの最後の曲はともに一緒にやった。

▶過去の、Saigenji
http://43142.diarynote.jp/?day=20060627
http://43142.diarynote.jp/200711290932200000/
http://43142.diarynote.jp/200903161734533723/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090809
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/201301151819527787/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130211
http://43142.diarynote.jp/?day=20130412
http://43142.diarynote.jp/?day=20140209
http://43142.diarynote.jp/201502140823232703/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160211
http://43142.diarynote.jp/201612030915436915/
http://43142.diarynote.jp/201702120725278375/
▶︎過去の、パラシュート・セッション
http://43142.diarynote.jp/201407261219061857/
http://43142.diarynote.jp/201504241016038747/

<GW中の、訃報>
 雨も降り、終日寒さを覚えた1日。ゴールデン・ウィークは飛行機に乗ったりもし、比較的暖かいところにいたので、通常の生活が始まってからの日々はより寒い。会場では某社社長に会ったので、GWは家族サーヴィスに励んだのと聞いたら、「ぜんぜん。小沢健二やリロイ・ハトソンのライヴにも行ったもん」とのこと。わあ。その両方に行った人はそうはいないと思うぞ。いや、いるか。
 ところで、ジェイムズ・ブラウンの黄金期を支えたドラマー(1965年から11年在籍)のジャボ・スタークス(2007年4月18日。1938年10月26日生まれ)が、5月1日にアラバマ州モービルの自宅で死去した。かつて、5月2日に亡くなった忌野清志郎(2004年10月19日、2005年7月29日)と同様に後から訃報を知ったワタシ。ああ、こんなことも、ぼくは書いていた。http://43142.diarynote.jp/200905101005501321/。そういえば、本日の毎日新聞夕刊には、彼の命日にちなんで彼の記事が大々的に2面で組まれていた(1面にも少し)。スタークスはJBと関わる前にはボビー・ブランドのところにおり、JB後はB.B.キング(2007年2月3日)のバンドにはいったりもした。ブルース畑出身と言えなくもない、サンプリング需要も高い名手でした。
追記)6月売り号のドラム・マガジン誌に、彼についての4000字の原稿が出ます。
▶︎過去の、ジャボ・スタークス
http://43142.diarynote.jp/200704251224130000/
▶過去の、”ブルース・ボーイ”キング
http://43142.diarynote.jp/200702112125550000/
▶過去の、忌野清志郎
http://43142.diarynote.jp/200410240628530000/
http://43142.diarynote.jp/200508042335560000/