沖縄の民謡界の大御所2人が組んだ公演を青山・草月ホールで見る。満員。2人は共演アルバムを今年出したが、それいぜん一緒に歌ったことはなかったのだとか。当然、そのアルバムを受けての公演で、演目は同作でやったものが多かったみたい。その2人に、アルバムにも関与していた島太鼓の男性(よはな徹)とお囃子や三板の女性(大城のお弟子さんのよう)がサポート。彼らの様を見ると、登川と大城の存在の大きさが実感できもする。

 1932年生まれと、1936年生まれ。アラウンド80。でも、父と娘という感じもあったか。やはり、音楽の主導権は登川が握っているというノリでショウはすすむ。リード・ヴォーカル(という書き方もナンだが)も登川がとるもののほうが多かったし、天真爛漫に暴走する登川を大城が見守り、寄り添うという感じもありました。登川はこの晩、三線ではなく六線を弾いていた。

 二部構成にて。やはり真っ先に書きたくなるのは、<ブルース・マンたるもの、こうあるべし>と言いたくなるような、登川の楽しい振る舞いやMC(沖縄の言葉でしゃべるので、けっこうよはな徹が通訳ですと言って、標準語で内容を伝えたりも。でも、これは通訳できませんと言う場合もあった)。本人もこの日はいつも以上に楽しく弾けていたという話もあるが、もしぼくの大好きなおじいちゃん外国人アーティストが同様のキャラを見せたなら、ぼくは昇天しちゃうんじゃないかと、それは思わす。だが、こと音楽が始まると凛とした、澄んだ純度の高いパフォーマンスを聞かせてくれるのだから、大きく頭を垂れたくもなる。そのギャップ、鮮やか。さすが、溜めているもの、デカいとも思わされた。

 そして、南青山・月見ル君想フに移動して、エストニアの女性シンガー・ソングライターのショウに触れる。前座が2人(湯川潮音と、世武裕子;2011年7月19日、他)いたので、かなりちゃんと見れた。ウッド・ベーシストを伴ってのもので、ガット・ギター、キーボード、アコーディオン、油絵のパレットのような木に弦を張ったような民俗楽器を弾きながら歌う。実は彼女のことを知っていたわけだはない。知人にエストニアはいいよという人が散見され、一度はエストニアに行きてえなあと思っていたので、見に行った。そしたら、ちゃんと日本盤も出ているようだ。

 北の国を確実に想起させる、透明感のあるヴォーカルの使い手。曲はやはり北欧の感覚が強いものから、英米フォーキー・ポップの流れにあるものまで、いろいろと歌う。1曲ごとに、彼女は曲の説明を英語でしたが、森と関連した曲が多かった。それは彼女も指摘し、エストニア人にとって森は重要なのと言ってもいたか。一部はけっこうノルウェー人のシニッカ・ランゲラン(2011年9月2日)と重なる聞き口もあり、先に触れた民俗楽器もランゲランが弾くカンテレと音の響きが似ている。本人はまだ20代だろう、曲に日本語の歌詞を入れたりもし、日本でできてうれしい、そして異国の聞き手に働きかけたいという純な気持ちが溢れている。音楽に対する純真を忘れてはいけないと思わさせられたりもする、いい実演でした。

<今日の、どうにも……>
 都知事選選挙日を伝える電車内吊りポスターがあまりにも酷い。たいして可愛くもない制服姿の娘たちを使った、軽薄かつなんかとっても下品なそれ。コンセプトもデザインも最低っ。こんなくだらねえものに税金が使われていると思うと、もう世の中の右翼寄り勢力の跋扈ぶりと相まって、絶望を通り越す。そういえば、家のポストには同様の目的のウェットティッシュが入れられてもいるし、選挙告知には相当に予算はとられている? 
 まず見たのは、NYに住む、ブラジル人歌手とブラジル人ギタリスト(2010年3月23日、他)のデュオ公演。丸の内・コットンクラブ。

 ボサノヴァの名作曲家ヴァルテル・サントスとテレーザ・ソウザの娘だそうなソウザは1990年代後期からNYのしなやかジャズ・マン・サークルで可愛がられていて、NYCやヴァーヴ他いろんなレーベルからアルバムを発表している。そんな彼女は今年2枚の新作をリリースしていて、1枚は別れた嫁(ジョニ・ミッチェル)の七光り的な感じもあるラリー・クライン制作(今回、ソツなくT・ボーン・バーネット/ジョー・ヘンリー人脈にある奏者を起用している。中庸で売る彼にしてみれば、かなり陰影に富む仕上がり。クラインがプロデュースした作品の中ではトップ級の出来と思う)による英語ジャズ曲歌い盤であり、もう1枚はブラジル曲を取り上げてのデュエット盤。そして、後者はデュオ・シリーズの3作目となるもので、その3枚全部に関与しているルバンボを伴って、今回は来日した。

 生で触れる歌だけをとるとソウザはぼくの好み真ん中のシンガーとは言いにくいけど、その総体はなんかひかれる。たとえば、おっと思わせられたのは、多くの曲で打楽器音を操りながら、歌ったこと。板をブラシでこすったり叩いた入り、トライアングルをならしたり、パンデイロや太鼓を叩いたり。しっとりしていても、やっぱリズムありきという感じが実にくすぐる。そして、驚かされたのはルバンボの様。日本にいろんな人のサポートでやってきている彼だが、あんなにうれしそうに高揚している様を見るのは初めて。曲が終わってソウザに大げさに握手を求めたり、やったァと片腕を突き出したり、観客に向かってVサインを掲げてみたり(!)。おお、そこまでするんですかという感じ。ソウザのサポートは、そんなに他のミュージシャンのときとは異なる感興をかんじちゃうのか。MCで、彼女のことを「マイ・シスター」なんても言っていました。

 その後は、ブルーノート東京で、ジャズ/フュージョン界の人気ベーシスト(2010年12月3日、他)と鍵盤奏者(2012年3月2日、他)が組んだ、ブラック・ポップ的なところも持つユニットを見る。クラーク・デューク・プロジェクト名でアルバムを出していたのはもう30年も前のこと。で、これはそのリユニオン・バンド的位置づけにあるものだろう。

 スタンリ−・クラークは電気ベースと縦ベースの両刀、ジョージ・デュークはキーボードやピアノだけでなく、ときにショルダー・キーボードも。そこに、マーカス・ミラーお気に入りの鍵盤奏者のボビー・スパークスと(2007年12月13日)、そしてドラマーのヘンリー・マクダニエルズが加わる。タイトなビートのもとがちんこなソロを延々のせたり、デュークがメロディアス曲を歌ったり。ジャズ・スタンダードを1曲やれば、クラークの1970年代中期のインスト曲もやる。そして、双頭プロジェクト作で昔もやっていたP-ファンク曲で怒濤の締め……。

<今日の、わっ>
 ブルーノート東京の後、近くのバーで2、3杯のみ、素直に電車で帰宅しようと、表参道駅に。すると、改札口につながる地下道に入ったとたん、三軒茶屋駅での人身事故のため、半蔵門線/田園都市線は渋谷止まりで、その先は運行していない由のアナウンスが流れている。これはすぐに地上に出てタクシーを拾うのが賢明だろうと、瞬時に判断。渋谷まで行きどこかに流れるという手もあったが、けっこう飲んだなという気になっていたのと、翌日も朝一でガシっと仕事をしなければならないので、その案は却下した。渋谷から家まで徒歩25分ほどなので渋谷から歩くという手もなくはないが、寒いし飲酒疲労もしているので、それも却下。で、表参道交差点近くでタクシーを拾い、帰宅の途につく。渋谷駅周辺246にはタクシーを止めようとする人が立ち、246の歩道には外側に向かって歩く人がけっこういた。時間も時間だし、渋谷の地下駅はさぞや大変なことになっているんだろう。やはり、早々にタクったのは正解かな。しかし、複数箇所で工事をしているため道路はかなり混んでいて、通常よりかなり時間はかかった。
 下に記したイヴェントを後髪ひかれる思いとともに出て、代官山・ユニットに行くと、マウンテン・モカ・キリマンジャロ(2011年7月2日、他)の実演がすでに佳境。ステージ上の面々を見て、おお貫禄出てきたなあと頷く。アンコールはメロウなフュージョン調曲、大人になったとも言えるのかもしれないが、ぼくにはタルい。

 そして、しばらくして、びんびんに歌える女性歌手のクレアリー・ブラウンをフロントにおくオーストラリアの9人組賑やかしソウル・バンドが登場。ブラウンのほかにも、レトロな雰囲気をおおいに振りまくアトラクティヴな女性コーラスが3人。とっても、華やか。格好やフリも統一感があって、見た目でOKとなってしまうところはあるよな。音楽性もそうした視覚面に合わせてレトロな曲調やコーラスを意識的に採用したりもする彼女たちだが(ライヴだと、余計にそういう側面は強調される)、ハイネケンの米国TV-CFに曲が使われただけあり、少し前には米国ツアーをし好評をはくし、一度だけの日本公演の後には英国に渡り欧州ツアーに入るという。彼らは将来的には米国を拠点に置きたいという気持ちを持っている。

 前日にインタヴューした際、ブラウンの髪は黒色だったのに、この日は赤毛。あれれ、染めた? ウィッグ? 彼女、地毛ロングだったのだが。メンバーは33、4歳を頭に10歳ほど年下まで、もともとは2009年にメルボルンで住む所をシェアしていた仲間たちでスタート。その楽しそうなグループのありかたに、どうすれば娘は入れるんでしょうかと親が聞いてくる、なんてこともあったそう。管はバリトン・サックス1本だが、その音色がけっこう効いている。バリトン担当の優男ダーシー君はジャズ・ファンで、バリトンはこのバンドをやるようになって初めて手にしたそう。

 彼女たちとマウンテン・モカ・キリマンジャロはオーストラリアのフェスで重なったりしている間柄。ザ・バンギン・ラケッツのパフォーマンスの最後には、マウンテン・モカ・キリマンジャロの2人の管奏者が加わった。

<今日の、忘年会>
 某社主催の忘年会が今日あった、今年一番目のそれとなるナ。17時半という早い時間の開始であったので、ライヴ会場に行く前に顔を出す。そして、ユニットのライヴ終了後、すぐ近くの知人が店長やっている所で一杯飲んだ後、渋谷の馴染みの店に行く。そしたら、アタマに出た忘年会流れの人たちが次々あらわれる。わー、住む世界小さすぎ。お店には、さっきユニットにいましたァという人もいたな。

 昨年のザ・ジャクソンズのショウ(2011年12月13日)はジャッキー、ティト(2010年7月15日)、マーロンによるものだったが、今回はさらにジャーメインも加わってのもの。マイケル・ジャクソンは生きていたら来年55歳なので、兄の彼らはもうアラウンド60となるのだな。というわけで、今回のザ・ジャクソンズの実演はオリジナル4人によるもので、リード・ヴォーカルはジャーメインが一番とった。一方、ダンスが一番アピールのはマーロン。かなり世界中を回って来てのショウ、アンコールなしの90分の仕立てだった。ステージ美術はそんなに派手ではなかった。

 モータウンを出て、権利関係の問題でザ・ジャクソン5からザ・ジャクソンズと改名して活動したエピック時代(1975年〜)の曲を中心に、もちろん中盤ではザ・ジャクソン5曲のメドレーも披露。また、ジャーメインは84年の個人ヒット曲「ダイナマイト」を披露したりも。それから、中盤前に一度4人が引っ込んで若き日の映像が流される場合もあった。また、マイケル・ジャクソンのソロの曲も5、6曲ちゃんとやったり、マイケルの写真を映したり(すると嬌声が上がる)と、かなり故人の名声にのっかったショウであると思った。彼らがネルソン・マンデーラ他有名人と一緒の写真も何葉も紹介されたが、うち一つはヨーコ・オノ(2009年1月21日)とがきんちょのショーン・レノン(2009年1月21日)と一緒のやつだった。

 といったわけで、4人の歌にしても踊りにしても、いかにマイケル・ジャクソンは凄かったか……ある意味、その事実を如実に知らせるショウであったとも間違いなく言える。だが、マイケル関連のもろもろに湧いていたオーディエンスはそれもまたうれしいことだったのかもしれない。

 サポートは音楽監督を務めるレックス・サラスをはじめ、皆LAのスタジオ界で活動している人たち。キーボード2人、ギター2人、ベース、ドラム、パーカッション、コーラス3人(うち、女性2人)という編成。けっこう、打楽器奏者が効いていて、ワシントン・ゴー・ゴーのビートみたいなふくらみを感じさせるときも。それぞれ与えられたソロ・パートを聞いても分るが、演奏陣の質は良好。完全に生の、好ましいバンド・サウンドを出していたと思う。有楽町・東京国際フォーラム/ホールA。

 その後、そんなに遠くない銀座・ノーバードで、ヴェテランのオルガン奏者のKANKAWA(2009年5月19日、他)のカルテットを見る。日本在住らしいジェイムズ・マホーン(テナー・サックス)、越智厳(ギター)、そしてNYから呼んだグレッグ・バンディ(ドラム)という顔ぶれ。そのバンディはハーレム・ジャズの顔役だそうだが、オル・ダラ(2001年8月1日)の黄金のアトランティック盤なんかにも名を連ねている人だ。わっ。

 ライヴの最中にお酒こぼして壊したとかで、ハモンドではなくオルガン音色の小さめのキーボードをKANKAWAは弾く。もう、俺様流儀炸裂、MCもほろ酔い風情で長々とかます。シラフに見えたが、MCによれば、バンディはお酒が主食の人らしい。最後のブルース曲で、バンディは延々と歌う。どこか愛嬌ある、ラフでタフな流儀がほわーんとありました。

<一昨日の、悲報>
 ブラジルの底なしの創造性を高らかに示し続けた建築家オスカー・ニーマイヤーが一昨日大往生したとのこと。103歳。彼は熱心な共産党員としても知られ、軍事政権になったのを引き金にパリにずっと住んでいたなど、緩やかな人生ではなかった部分もあったかもしれないが、長生きはなにより。建築家は機会を与えられなきゃ実力の発揮のしようがなく、世の権力側と上手くやることが必須とされると思うが、彼はブラジル大統領の住まいからNYの国連センターまで、本当にいろんなものを設計しているはずだ。そして、そんな彼のなかでぼくが一番着目する業績は新首都ブラジリアの建物設計にかかわったこと。小学生の頃に、漫画雑誌にブラジリアがカラー・グラビアで紹介されていて、ぼくはへえ〜となりまくったっけ。ブラジル、良く分らないけどスゲエ。それを見て、ぼくのどこかにそういう刷り込みがなされたはず。そして、そういう回路は他者にもあり、テリー・ギリアムの1985年映画「未来世紀ブラジル(原題:Brazil)」のタイトル付けもそうした“ブラジリアの幻想”と関連しているのではと、ぼくはずっと思っている。
 ところで、ぼくが一番最初に建築家の名を覚えたのは中学1年生のときで、米国人のフランク・ロイド・ライト(1867〜1959年)だった。サイモン&ガーファンクルの1970年最終作にはライトを讃える「ソー・ロング、フランク・ロイド・ライト」という“漂う”曲が収められていたから。それ、今聞いても清新オルタナティヴな感触を持っている。そして、その後ポール・サイモンはソロになりキングストンに(1972年作)、ニューオーリンズに(1973年作)と向かうわけだ。
 話は飛ぶが、東京国際フォーラムを設計したのは、ウルグアイ生まれ、アルゼンチン育ちで、現在はNYで活躍するラファエル・ヴィニオリという人らしい。ここのデザイン、たまに行く者としてはそんなに勝手がいいとは思えません。

 少年ナイフという大阪の女の子バンドがいて、海外では大人気なんだよという話を聞いたのはいつごろか。ものすごい、昔のように感じる。ソニック・ユース他らによるトリビュート・アルバムも出ている彼女たちだが、いわゆるグランジ/オルタナ・ロック以降の日本人バンドとしてはトップ級に海外にその名を轟かせたバンドでありますね。1990年代はヴァージンやMCAといった海外メジャーからアルバムをリリースした彼女たちだが、すでにグループを組んで30年越え(のよう)。オリジナル・メンバーはギターとリード・ヴォーカルの山野直子だけのようだが、いまだちゃんと元気に活動しているのは本当にすごい。今年も欧米やアジアをいろいろ回って、日本に戻ってきたようだ。

 渋谷・ラッシュ。あまり広い会場ではないだけにかなり混んでいる。当然、外国人もちらほら。実は、ぼくは今回はじめて、ちゃんと彼女たちのライヴを見る(はず)。なるほど、アルバムと同様に、屈託のない、ポップでパンクなギター・ロックをやる。あっけらかん、すっこんと抜けている。日本人のぼくにはやはり決定的な良さを覚えられないところもあるが、外国人には魅力的に映るのも分らなくはない。とにかく、快活で陽性で可愛らしく、いまだ弾けた印象があるのは立派だ。MCもイヤじゃない。

 1時間見て、同じく渋谷のwwwに移動し、カーネーション(2012年6月1日、他)を見る。おなじみの直枝政広(歌、ギター)と大田譲(ベース、歌)の2人を、キンモクセイにいた張替智広(キーボード)とジャズ出身の藤井学(ドラム)がサポート。15枚目となる新作『SWEET ROMANCE』の曲、その他を悠々と披露して行く。MCによれば、新作収録曲は全部やったようだ。

 15本続いたらしいツアーの最終日となるこの日は梅津和時(アルト、ソプラノ・サックス)、小貫早智子(ヴォーカル)、大谷能生(アルト・サックス、ラップ)らが曲により加わる。あと、ギタリストが混ざった曲もあった。今回、トッド・ラングレンぽいと思わせられた箇所が何度か。ともあれ、知識と技と歌心が濃密に解け合う、大人の日本語のロックを送り出していたのは間違いない。

 最後に、直枝に賞賛と苦言を一つづつ。親指を立てたいのは、あらゆる曲をエレクトリック・ギターでやっていること。本当だったら生ギターが映えるような静か目の曲でも、彼はエレキで通す。ぼく、生ギター=フォーク(←嫌い)という歪んだイメージがあるので、それには喝采。ゴー・ゴー、ロッカー直枝! ダメだと思うのは、譜面台を置いてやっていること。おそらく歌詞を見るためにおいていると思うのだが、それはぜんぜんロックじゃない。歌詞なんか、間違ったっていいじゃん、自分の曲なんだから。暴言、いや失敬。

<今日の、混雑>
 山手線の内側にあるラッシュから、外にあるwwwに行くときに、センター街を通ったのだが、ものすごーく混んでいてびっくり。まるで、初詣のためにここを歩いているのかと思えたほど? 帰りも混んでいた。パねえ、ウィークエンドの渋谷。師走であることも、混雑を助長しているのかな。

 アンソニー・ジャクソン(6弦の電気ベース)とサイモン・フィリップス(普通の人の倍以上の数のあるドラム)を従えた上原ひろみの現ワーキング・バンド、ザ・トリオ・プロジェクトの実演を見るのは、実は今年3度目。新作リリースに際してのブルーノート東京での短いショーケース・ライヴ(2012年7月25日)と、文中でふれてはいないがフジ・ロック・フェスティヴァルの初日にオレンジ・コートで。。。
 
 で、まず書いておくが、リズム・セクションの感覚の古さ、グルーヴの欠如に関してはやはり疑問を感じる。ジャクソンはギター的な役割もそれなりに兼ねる方向の実に多彩な演奏をするがグルーヴを前に出すという感じではないし、フィリップスのドラムに関しては演奏も(PAを通しての)音も平板。それを喜ぶのは、アナクロなロックの愛好者だけだろう。これがもっと揺れていたり粘着性のあるビートだったら、もっと感性の若いアフリカ系米国人だったり南米ルーツの人が関与したならと思いたくなるが、リーダーの上原がそういう奏者たちの味を好きならしょうがない。事実、MCを聞くと、本当に父親の年代であるだろう彼らのことを敬愛しているのがよく分るし、この3人でもう世界中延々と一緒にツアーしてきているわけであるから。

 でも、そう思わずにはいられない一方、こんこんキラキラと指から音が鮮やかに導きだされる様に触れると、パフォーマーとしての彼女は絶対、何を弾いても、誰とやってもお金が取れると思ってしまう。1曲だけやったピアノ・ソロ曲ではおおこんな弾き方できるのかという、場面もあったような気がした。どの日のライヴもツアーの初日であり最終日だと思ってやっている、みたいなことを彼女は言ったが、まさしく、気合いと心をこめて、ピアノとサイドマンと対峙している様はちょっとすごい。とともに、そんな彼女の演奏には、毎度音楽のミューズが微笑みまくる。で、結局、ぼくの耳には古くさい部分もあるけれど、自分の考えるインプロヴィゼーションやインタープレイを持つ、自分ならではインストゥメンタル表現を、彼女は胸を張ってやっていると思ってしまうのだ。当然、それは通常のジャズ様式からは離れるものだが、それこそが大きな美点でもあるのだと思う。

 有楽町・東京国際ファオーラム/ホールA、満員。2部構成にてサーヴィス満点にたっぷり、2時間半越えのパフォーマンス。そういえば、PA音と固定カメラを用いた場内ヴィジョン映像がかなり質高し。こんなにグランド・ピアノ+αがよく聞こえるフォーラムのホールA公演には初めて接するような。拍手。

 で、タクシーに飛び乗ったが、南青山・ブルーノート東京のセカンド・ショウは始まっていた。こちらは、どうしてこんなメンバーなのという、すでにブルーノートやコットンクラブでピンで興行しているR&B系の3人の名が前に出た出し物だ。
 
 ぼくが会場内入りしたときはシャンテ・ムーア(2006年9月19日、2008年12月8日、2012年3月5日)が歌っている。もースリムで超きれい。どうせ自分がつきあえるわけでもなく有名人が誰とくっつこうと一向に気にならないワタシだが、こんだけイケたルックスだとケニー・ラティモア(2008年12月8日、他)と離婚したという情報もうれしくなる? で、すぐにバンドが良好であるのもすぐに分るが、ステージ前列の両端には変な髪型をしたキーボード奏者とギタリストが。それだけで発汗、ぼくはイカれた(外見の)黒人が大好きでしょうがないことを再認識。ウフフ。魅惑的な複音弾きをいろいろ繰り出すギタリストはリオン・ウェア作にもアンプ・フィドラー作にも、ラリー・グラハムやラファエル・サディーク作にも名を出すロブ・ベイコン。そして、キーボード奏者はもちろんアンプ・フィドラー(2004年9月25日、2005年7月30日)。実はムーアが出てくる前に彼は1曲歌ったらしい、うえん残念。でも、彼のバンドの一員としての演奏も実にいい感じで、資質的にカっとんでいても、一方では大人の協調演奏もOKというしなやかさを存分に覚えて、ぼくはまたごんごんうれしくなっちゃう。フィドラーさん、どうってことないけど、最高っス。

 ちなみに他のメンバーはイエロージャケッツ(2009年3月23日)のオリジナル・メンバーであるリッキー・ロウソン(ドラム)とレディシやウィル・ダウニング他のアルバムに名を出すドゥエイン“スミッティ”スミス(ベース)、そしてバックグラウンド・ヴォーカルのニッキー・グリアー。みんな実力者、ほんといいバンドだな。

 そして、シャンテと入れ替わりで、ウェア御大(2009年8月23日)が登場。格好いい。彼はすべて中央に立って歌う。もともとモータウンの作曲者/制作者として名を出した彼だけに、別に歌が上手いわけでないが、なんかグっと来る。それは自分の作ったメロディを歌うという強みであるとともに、非常に情緒的な言い方になるが、アーティストの姿勢が正しいからと、ぼくは思ってしまったりもする。多くの人が指摘するほど、ぼくは彼にセクシャリティを覚えないが、なんかそここからいい感じが香り立つと感じでしまうのだ。彼は音楽家として正しい(優しい)大地に立っている! 途中、またムーアが出て来て、1曲デュエットする。

 終了時間から換算するに、なんだかんだ1時間50分ほどやったんじゃないか。本編をたっぷりやったのに、ウェアはアンコールに答え、ムーアと出てきてキーボードを弾きながら、フランク・シナトラが作った著名季節曲「ザ・クリスマス・ソング」を歌う。いやあ、いい年末だああああああ。ぼくの日本で見た今年のブラック系実演のNo.1はアーロン・ネヴィル(2012年5月14日)だが、次点はこの晩のライヴだろう。

<今日の、路上展示>
 青山通りに面した一角に今、ランボルギーニが野外展示してある。それ以前はもう少し大衆的な欧州車(アウディだったっけか?)が展示してあったんじゃなかったか。で、展示車がスーパー・カーになって、車の横にガードマンが立っている。どうやら、一晩中。わー、大変だろうな。寒いだろうし、座ってはいけない感じだし、一人ぼっちだし。すごい、非人間的な労働……。トイレはどうするのだろう。その様を見て、ランボルギーニにブラックなイメージがぼくにはついてしまった。逆効果宣伝ですね。

 ブルーノート東京、ファースト・ショウ。ジャズ界重鎮ベーシスト(2011年1月30日)の今回の公演は、16人もの奏者を率いてのもの。ビッグ・バンドをやるのは長年の懸案だったらしいが、昨年アルバムを出し、来日公演もモノにした。同アルバムを聞いてもわかるが、“ダンスの場の音楽+”を情緒豊かにさくっと求めんとする行き方。それは「セントルイス・ブルース」のような有名曲の聞き味をみても、すぐに分る。それらのスコアはアルバム同様にロバート・フリードマンが担当しているのかな。フリードマンは過去のカーター作の編曲に関わるとともに、最大顧客はビリー・ジョエルとウィントン・マルサリス(2000年3月9日)という、NYベースのアレンジャーですね。

 その後、渋谷・Bar Issheeに行って、バリトン・サックス3本による酔狂な即興演奏を聞く。奏者は田中邦和(2010年12月16日、他)、吉田隆一(2004年8月20日、2006年7月3日、他)、松本健一(2008年8月24日、他)。いやあ、デカい(そして、やはり重い。ケース込みだと8キロだそう)金管楽器が3本並び、わがままにブイブイやっていると、なんか痛快。これがソプラノは当然のこと、アルト3本でやられても、こんな感興は出ないだろう。ワハハハでガハハハ、そしてときにピュルピュルなパフォーマンス。

<今日の、バー・イッシー>
 オフィシャルには今年いっぱいで、この渋谷の小さなハコはお終いとなる。開店してほぼ5年、入っているビル取り壊しのため。開店までの顛末はロック雑誌のクロスビートに<ロック・バーへの道>という連載がなされていたように、もともとはロック・バーとして開店したお店。だが、ぼくと同い年のベーシストでもある店主の人脈/好奇心のもと、フリー・インプロヴィゼーション系ミュージシャンに演奏の場を提供するようになり、今では多くの日にその手の一期一会的な出し物が組まれるようになり、現在に至っている。ぼくは、<渋谷の、フリー・ミュージックの聖地>なんても称していました。渋谷近辺で新たな物件を探し、再開店の予定とのこと。ぜひ。この店がないと、さびしい。

 スペースメン3派生の、ジェイソン・ピアース率いる20年のキャリアを持つ英国妄想飛躍ロック・バンド。あれ、過去にも見ているはずなんだけど、書き留めたものを見つけられない。渋谷・O-イースト。過去、ゴスペル引用などもしたことがある彼らだが、バンドにプラスして黒人女性歌手を2人コーラスとして置く。演奏部にもおおいに留意し〜あんなにソニック・ユース(2007年4月20日、他)状態になるところあったっけか〜、じわじわと歌心という名の綾を紡ぎだして行くような実演を淡々と披露していく。

 いかにも英国的なサイケデリック感覚を持つ彼らではあるが、今回そこここからアメリカのロック愛好/影響の様が見えたのはぼくだけか。だって、ザ・バンドを思わす曲もあったし、けっこうグレイトフル・デッドっぽいというギター演奏やキブンの広がりが認められたりもしたもの。また、米国土着R&R的なリフを基調とする曲が散見され、ジョー・ウォルッシュ(2011年3月5日)の「ロッキー・マウンテン・ウェイ」やザ・ビートルズ(まあ、彼らは英国バンドだが)の「アイヴ・ガッタ・フィーリング」を思い出させる曲もあった。本編最後はインスト曲だったのだが、それは映像の使い方も含めて、かなりROVO(2006年12月3日、他)を想起させる。それを認知し、ROVOは“テクノ・ミュージック時代のデッド”という捉え方もできるのかと思った。と、いくつかのバンドの名前を引き合いに出したが、それはスピリチュアライスドが真似っぽいことをやっているということではない。いろんなものを消化した(それは想起を誘う)うえで、彼らは自分たちならではの超然とした風景を描いている。示唆の膨大な実演はとてもうれしい。

<今日の、初めて>
 パフォーマンスを50分弱やったところで、フロント・マンのピアースがギター・テックの返事をギターをつま弾きながら少し待ち、耳打ちされると、さっとステージから下がってしまった。それを見て他のメンバーもアレレという感じで、ステージから降りる。で、客放置の、空白の4、5分。そして、また出て来て、何事もなかったように、なんらコメントもなく(他もMCナシ。曲間のとき、一言「静か」と発したっけ?)、ショウはまた進む。あれ、なんだったんだろう。大人っぽい感じも持つピアースだが、尖ったアーティストが持ちがちな突発的行為? 少し、ドギマギしちゃいました。そんなこと、初めて体験するような。

トクマルシューゴ

2012年12月14日 音楽
 トクマルは、自分の世界/風景をマノラミックに積み上げる、シンガー・ソングライターだ。たとえば、七尾旅人(2011年4月16日、他)を初めて聞いてときもそうだったが、親のコレクションがあったりと最初から横に当たり前のもののように洋楽があった世代なんだろうな、なんてことも、彼のアルバムを聞くと思わせられる。彼の場合はその業界スタートが、NY インディ発のアルバムだったという事実は別としても。ともあれ、ちょっと中世的な歌声は好みじゃないが、パっと聞いても持っている音楽習熟度や具現能力が鮮やかと思わせる担い手だと思う。なんだかんだ、ぼくの知り合いの中には天才と言い切っている人もいるもの、な。そんな彼のライヴに触れるのは今回が初めて、結構楽しみで行きました。渋谷・アックス。

 卓録でなされたアルバムの音(ただし、この人はローファイではなく、ハイファイ)を、5人のミュージシャン(ベーシスト以外は、いろんな楽器や装置を担当する。曲によってはもう1人加わる)とともに、無理なく開いて行く。けっこう、アフリカの音楽を聞いているのかなと思わす、アレンジの曲も何曲か。ライヴ会場限定で本人と5人のサポート・メンバーたちが1曲づつ出した6曲入り500円のCD も販売しているというから、相当に仲間意識をもっているんだろう。

 意外に朗々と歌う人でもあり、いっぱいしゃべる人。そして、思った以上にフォークな手触りを感じさせる人であるとも、ぼくは感じた。それは濁りの感覚を持たないことから得た所感でもあるか。

<今日の、驚き>
 公演前の場内音楽に、わッ。タイのグループの昔の曲が流されたから。それ、ザ・ビートルズの「ペイパー・バック・ライター」とザ・ナックの「マイ・シャローナ」を技アリにマッシュ・アップして、タイ語で歌ったもの。グランド・EX’という男性4人組による。ぼくがその曲を知ったのは、1980年代の後半。タイに行ったとき、音楽カセットを売っているおばちゃんだかおねーちゃんだかにおすすめはと聞いて買ってかえって来た10個強のなかに、グループ・サウンズ然とした彼らのカセット(他の曲は皆つまらない)も入っていたのだ。いらい、ぼくのなかでは、<脳みそとろけそうな、技アリのモンド曲>として、重宝視されている。話はズレるけど、遊びごころを持つトクマル一座は途中で、サンダーバードのテーマ曲を嬉々として披露する。<2012年4月10日>の項にあのようなことを書いているように、ぼくはとうぜんニンマリ。30代あたまの人にもサンダーバードは身近なものなのか? 彼らが歌ったのは、日本語歌詞によるもの。ぼくが見ていたときは、そんなものは作られていなかった。

渡辺貞夫

2012年12月15日 音楽
 渋谷・文化村オーチャードホール。すべての曲でアルト・サックスを吹く本人(2012年6月29日)に加え、リチャード・ボナ(b)、エティエンヌ・スタッドウィック(p)、養父貴(g)、オベド・カルヴェール(ds。2012年3月20日、2012年6月29日 )、スティーブ・ソーントン(per) 、ンジャセ ニャン(per)という面々。過去ライヴ盤も含めて3作もの共演作を出しているボナ(2012年5月14日、他)を迎えているのがポイントだが、過去と異なり、渡辺貞夫人脈にある奏者も入れているのが注目を引く。鍵盤のスタッドウィックはボナお抱えと言っていい奏者だが、養父貴とスティーブ・ソーントンとンジャセ ニャンは渡辺貞夫が重用しているプレイヤー。そして、ガルベールはこの6月の渡辺のジャズ・ツアーのとき呼んでいたNYの奏者だが、それ以前にはボナのレコーディングに関与していたこともあったので、中間派ということができる?

 過去ボナとやった曲もやったが、もっと昔の曲やここのところの曲も、より温もりや弾みの感覚をつけて披露。けっこう、ブラジル調の曲もやる。上のバンド構成にも表われているように、渡辺/ボナの双頭バンドというよりは、リーダー=渡辺、バンドの4番打者的重要メンバー=ボナという体制で実演は進められたと書けるだろう。ま、カメルーンに住んでいたときから渡辺貞夫の音楽にボナは親しんでいたので、それもボナにとっては楽しいことであると推測される。この年末から1月にかけてサンパウロに新作レコーディッグのため渡る渡辺貞夫は元気そう、意欲たっぷりなように見えた。

<今日のフクアリ、その他>
 朝10時代に家をでて、千葉市のフクダ電子アリーナにいく。見に行ったのは、天皇杯の、勝てばベスト8となる試合。このサッカー専用スタジアムに前から一度は行きたいと思っていたものの、さすが真冬にサッカー観戦をするほど、ぼくは一本気ではない。風邪ひきたくないしなあ。なのに、わざわざ行ったのは、福島市のチーム、福島ユナイテッドのジャイアント・キリングを見るため。彼らはJFLの下のカテゴリーの地域リーグのチームながらJ1(新潟)やJ2(甲府)のチームを破ってここまで上がって来たのだ。これはなかなか燃えるシチュエーションではないか。で、風邪を引いても、ここは福島県出身者としては応援しに行くべきではないかと判断した次第。この日の相手は、フクアリをホームとするJ2のジェフ千葉。幕張メッセに行く感じで電車を乗り継ぎ、蘇我駅でおりてスタジアムへ。アウェイ自由席、当日2000円なり。なるほど、見やすい。雨天だが、屋根付きなので濡れずにも見ることができた。でもって、かなり重装備であったので(前日に防寒用品を買うのが、けっこう楽しかった)最初は汗ばんでマフラーを解いて見たりもしていたのだが、やはり前半途中からごんごん寒さを覚える。実は天気予報では気温は前後の日より高めで、風もあまりなかったにも関わらず。会場で売っていた日本酒の熱燗と知人が持ち込んだワインを飲んでいたが、寒いもんは寒い。ぼくはJリーグの冬期を挟む秋〜春制(現在は夏を挟む春〜秋制)移行はエンスー観戦者以外は無理だと痛感した。
 試合は0-5のぼろ負け。まだ、前半は少しは希望を持たせるところもあったわけだが。福島ユナッテッドは来年、上から3番目のカテゴリーとなるJFL に上がる。少しは試合を見れればいいけど。その後、コンサート取材があったので渋谷にとんぼ返り。渋谷の雑踏を歩いていると、さっきまでスタジアムでサッカーを見ていたのが嘘のよう。そのギャップの感覚はなかなかうれしい。時間調整で入った中華屋で飲み食いしていたら、店で流されていた夕方のTVニュース(フジだったかな)で、ぼくが見た試合が大々的に報道される。これが0−2ぐらいだったら惜敗という感じで持っていきやすかったんだろうけど、こん大敗の体にはTV局の人間はチっとなっちゃったんだろうな。
 オーチャードホールでライヴを見ている間は熱くてしょうがねえ。これは事前に容易に想像できたのだが、なかなか困った。そして、終演後は某所でやっている忘年会に乱入。秋の飲み会で飲んでいんだときに忘れていったワイズの上着を店主から出される。わー、忘れていたというか、そんな忘れものをしたことしたこと自体、ぜんぜん認知していなかったYOー。
 1980年代の英国ジャズの希望の星/超実力者であり、一頃は毎年のように日本に来ていたリード奏者(2004年9月26日、他)が久しぶりに自己グループのもと来日した。そしたら、だいぶ前の来日の感興はけっこう忘れているものの、今までの来日公演のなかで一番いい、と口走りたくなるショウを見せてくれたんだから! うれしー。丸の内・コットンクラブ。

 2011年作『Europa』に準ずるライヴということで、今回はバリトン・サックス一本で勝負。威風堂々、ときに機を見るに敏。よっ大将、ぜんぜん飽きない。ただし、きっちりコートニーの吹き方で(ま、テナー・サックスと横繋がりの聞き味とも言えるか)、エリック・ドルフィーを想起させるとことかはなかった。が、ほめるべきは、興味深いサイド・マンを伴った総体かもしれぬ。編成は、ソロとして一部で高い評価を受けるピアノのバングラデシュ・ルーツのゾーイ・ラーマン(女性)、ヴィオラのアマンダ・ドラモンド(女性)、長年一緒にやってきているギターのキャメロン・ピエール、そしてベースのヴィダル・モンゴメリーとドラムのロバート・フォージョーという面々。

 彼らが絶妙に重なり、ときに大胆に発展する流動的かつストーリー性も持つサウンドはきっちり視点を持ち、他の百凡なジャズとは差別化が計れるポイントを山ほど持っており、そこにいかしたソロが乗るのだから、言うことないではないか。いやあコートニー、全然衰えていない。で、MCはかつてとった杵柄で、けっこう日本語の単語を混ぜ、曲の始まりのカウントを出すときは、イチ、ニ、サン、シとやる。とにもかくにも、これはアルバムよりか格段にヴィヴィットで大胆なジャズを開いていると大きくぼくは頷いた。

 パインは年明け早々には、秋にリリースした新作『House of Legends』をフォロウする英国ツアーに入る。そちらはジャマイカやトリニダード出身者を起用してのスカ・ビート、カリプソ・ビートを採用するソプラノ・サックスを吹くアルバム。おそらく、ぼくは今回の行き方のほうに魅力を覚えるはずで、別の行き方に移行する前に今回の”変だけど正しい”パフォーマンスを聞けたのはラッキー。というか、今回の編成の指向も続けてほしいと願わずにはいられない。

 続いては、南青山・ブルーノート東京でマリア・シュナイダー・オーケストラを見る。近年外国人ビッグ・バンド系公演はなかなか盛況であるのだが、さすが今あるジャズ・オーケストラのなかで一番清新なことをやっている彼女たちだけにフルハウスの入りだった。

 ミネソタ大学で学んだ後、1985年にNYにやってきて、1988年まで故ギル・エヴァンスのアシスタントをやっていた(エヴァンスは88年没)とも伝えられる彼女。1990年代あたまから自らの作編曲した作品を実践する集団を率いていて、じわじわと高い評価を獲得して来た。当初、彼女のアルバムをリリースしたのは独エンヤですね。近年の彼女の“いい話”については<2011年6月22日>の項の欄外でほんの少し触れているが、ステージに向かうときに横を通った彼女は、身軽な感じの、透明感を持つ人だった(年齢は50歳近くか)。今回が初来日のようだ。

 現在のジャズのビッグ・バンドは多くの場合、プレイヤーがリーダーを兼任し、自分の持ち楽器を演奏しつつ要所要所でバンド員にディレクションを出す場合が多いが、彼女は楽器を担当せず(もともとは打楽器専攻だったという話もある)、完全に指揮者として、中央でお客に背中を見せバンド員と対峙する。わあ、<私の作/編曲したものとともに、私は指揮者であることをまっすぐに追求する>といったような静なる覚悟のようなものをぼくは勝手に感じてしまい、なんか胸が一杯になっちゃった(←あ、これ、少し誇張した書き方ですが)。バンドは、サックス、トロンボーン、トランペットのセクション各4人づついて(先日のロン・カーターのビッグ・バンドとは3人が重なっているとか)、さらにピアノ、アコーディオン、ギター、ベース、ドラムという布陣。音が分厚いときはアコーディオンやギターの音は聞き取りにくいものの、それだけでも枠に沿ったビッグ・バンドではないことは示唆されるか。トランペット・セクションで異彩を放つ女性がひとり。お、イングリッド・ジェンセン(2010年9月4日)じゃないか。

 曲のテーマやメロディ、管のアンサンブルとソロの関係などをいろいろと突き詰めつつ、彼女はしなやかに音を届ける。ドラマーは著名人のクラレンス・ペンだったが、彼の緩急自在の演奏を聞いても、これは(ビッグ・バンド表現として)オルタナティヴ、ひと味違うと思わせるものだったのは間違いがない。乱暴に書いてしまえば、<なぜ私は今ジャズ・オーケストラ表現をやろうとするのか>、<その本意を出すためには何を用意すべきなのか>ということを、鋭意求める俯瞰する感覚を持つ大所帯表現の数々。と書くと、アーティスティック一辺倒の表現のように思われる方もいるかもしれないが、彼女の音には親しみやすいメロディ性や少女趣味的柔らかさなどもしっかり存在していた。

<今日の、2つの公演>
 共に、現代ジャズのありかたを真摯に模索する、素晴らしいジャズ公演だった。パイン公演のほうはともかく、シュナイダー公演は滅茶混んでいた。それは自ら情報を仕入れ、興味深いジャズを受けとりたいと思うジャズ愛好者がちゃんといることを伝えてくれもした。あれだけ熱烈な反応を受けて、シュナイダーもさぞや感激至極であったろう。そこには、大学のジャズ研絡みだろう人たちも散見されたが、よりパインの行き方に力と発想と技を感じたぼくは、若い聞き手はまずパイン公演のほうに行くべきと感じなくもなかったが。ともあれ、今年屈指の来日ジャズ・ミュージシャン公演が重なってしまい、送り手にとっても受け手にとっても不幸であったと思う。

 代官山・晴れたら空に豆まいての、昼下がりの公演を覗く。ECMその他からアルバムをリリースしているスイス人ピアニスト(2006年10月26日、2008年4月27日)のライヴ。ぼくが過去見た時はソロによるもの(ダンサーがついたときはあったものの)だったが、今回は彼が組む4人組バンドであるローニンの一員であるシャーを伴ってのもの。アルバムだといろんな楽器をやっている彼だが、この日はバスクラのみを吹く。

 いやはや、アーティスティック、そして瑞々しい。ベルチュ、すげえと思わせられたパフォーマンス。本編では2曲を演奏、30分ぐらいの曲と40分強の曲。ともに、ミニマム・ミュージック的な反復を随所に散りばめ、自在に広がり、起伏とストーリーのある流れを刺激的に紡ぐというもの。で、その様がなんとも悠然さと細微さ、光と影の感覚をべらぼうに持つもので、ぼくは息を飲んだ。二日酔い気味で頭がウニ気味だったのに、2人の演奏はぼくに雄弁に語りかけて来て、ぼくの心は凛々。お酒もおいしく、ぐびぐび飲んじゃう。

 2人は譜面を置いてなかったが、その噛み合い、協調の様は尋常ではない。不思議と思えたのは、ベルチュのピアノの音色。弦を手で押さえていないのに、左手で押さえる音にミュートがかかっている場合がある。エフェクターは使っていないようであるし、卓は専属ではないだろう日本人がやっていた。それ、低音の一部の弦を最初からミュートするセッティングがなされていたのか。他にも、ベルチュは弦を挽いたり、ピアノのボディを叩いたり、いろんな効果を出す演奏を志向。ぼくがここで聞いた中では、一番多彩で、いい音でピアノ(ショート・スケールのグランド・ピアノ)は鳴っていたと思う。一方の、シャーのベース・クラリネットもベルチュと同様に、多彩な弾き方を見せる、かなりの使い手で、これもすごいとぼくは唸った。タンギングによる反復音、スタイリッシュだったな。

 そして、アンコールには勝井祐二(2008年2月18日、他)がそこに加わる。こちらは10分強の演奏。勝井は5弦ヴァイオリンを弾く。現在は電気ヴァイオリンとアコースティックな5弦を半々ぐらいの比率で使っているそう。かなり癖のある曲/コンビネーションを持つゆえ、彼は最低限重なったという感じだが、ぼくは勝井の演奏者としてのまっすぐな姿勢を滅法感じて、なんかグっと来てしまったりもした。

 あと、ベルチュさん、MCをあんなに快活する人という印象はなかった。なんでも、来年はローニンで来るとのこと。これはあまりに楽しみ、ジャズの重要な何かとつながった現代表現を求めるリスナーは必聴と思う。

<今日の、成り行き>
 昨晩、知人宅でのパーティでおいしく飲食〜会話をし、泊まっちゃう。そのまま代官山のライヴ会場に向かったら、前座として出た、勝井祐二と成井幹子によるヴァイオリンのデュオ・ユニットであるPHASEの演奏はすでに最後の方だった。が、ベルチュたちは2人の演奏後、5分も間を置かないような感じでステージに登場。こんなにオープニング・アクトとメイン・アクトの出演の間が短い公演も初めてだ。会場でまずビール、ジョッキ1杯で顔が赤くなるのを自覚。おお、お酒残っているな。終演後、満足まんぞくと外に出ると、周辺は人がいっぱい。赤い顔をしているのがなんか恥ずかしかった。そして、いそいで着替えに戻る。

 このアフリカ系米国人によるアカペラのコーラス・グループの結成は、NYのハーレムにて1962年。つまりは、今年は結成50周年。おお、ザ・チーフタンズ(2012年11月30日、他)と同じではないか。

 実は、ザ・パースエイジョンズのことをちゃんと聞いてきたわけではない。でも、その名前を聞いて、なんか頭の奥でうずく感じがあるのは、彼らがフランク・ザッパのレーベルであるストレイトから、その名も『アカペラ』(1970年)というアルバムを出したことがあったからだろう。変態王ザッパはドゥーワップの熱烈な愛好者であったから、彼が気に入って当時有名ではなかったザ・パースエイジョンズをビザールに引っ張ったという話は納得がいく。そして、そのディールにより、彼らは知名度を得て、キャピトルやMCA、A&M、エレクトラなどからアルバムを出すようにもなった。テイク6(2012年9月8日、他)の元祖なんても言われる彼らだが、たとえばキャピトル72年盤のジャケット・カヴァーはもろにストリート系の若者の姿が切り取られている。なお、そのアルバムではボブ・ディラン曲を取り上げているが、彼らの最新作(になるのかな)『Knockin’ on Bob’s Door』(Zoho、2010年)はそのタイトルに示唆されるようにボブ・ディラン曲集であるようだ(←未聴デス)。

 そして、ザ・パースエイジョンズと言えば、もう一つ……。ジョニ・ミッチェルの評価高い、映像作品にもなっている1979年録音ライヴ盤『シャドウズ&ライト』(メセニーやパストリアスらのサポート盤ですね)に呼ばれてちょい歌っていたことで、彼らの名前を記憶している人もいるだろう。そして、その歓びあふれる共演の様にふれると、そこにあるジャズやドゥーワップ愛好の様は米国派生音楽への憧憬が根にあるものであり、彼女の音楽はそれをカナダ人ミッチェルのものとして鮮やかに転化した結果であるとも了解できるのだ。

 丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。5人のうち2人がオリジナル・メンバー。それはステージに登場した面々を見ても、すぐにわかる。非オリジナル組は40歳代だろうか。で、彼らはサクっと歌いだすのだが、うわああ。びっくり。声の重なりが精としていて、生きた肉声表現だと一発で実感できちゃう。とくにベース担当のジェイオーティス・ワシントンの喉はぜんぜん衰えていない(リードも2曲とった)。うーぬ、思った以上に重厚で手応えアリ。ぼくは驚き、うれしくなった。

 アカペラのグループだから、もちろん演奏陣はいず、5人のヴォーカリストだけでパフォーマンスは進められる。でも、ビートの感覚も望外にあるし、飽きさせない。ときに、シアトリカルな絡みも見せるし、「俺たちの表現は、ドゥーワップかソウルかゴスペルか」なんてMCでも言っていたが、そうしたものを見事に俯瞰するヴォーカル表現群は送り出すものが多彩。何曲かはゴスペル調の曲をやったが。そのときはあれれ俺はブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ(2004年9月17日、他)のショウに来ているんだっけと思わせられた? というのは大げさでも、かなりスピリチュアルな感じも彼らが振りまいていたのは間違いない。

 メンバーは黒のスーツに赤いシャツ(ノーネクタイ)と赤のポケットチーフ、という出で立ちでバシっと決める。その佇まいもよく、おー俺はハレの場の黒人音楽表現を聞いているのだなと実感させられる。実は一人だけジャケットがダブルだったり、微妙に黒の色調が異なっていたり、一人だけパンツの幅がズート・スーツ風にダボっと広かっていたり。とうぜん、個人の趣味が活かされたオーダーメイドなのでしょう。1時間強のショウ。アンコールをおえて、彼らはバックステージに戻る途中、お客さんから誕生日であることを伝えられたのか、ハッピー・バースデイを歌ってあげたりも。本人たちもとっても楽しんでやっているのがよく分ったし、かなり幸福感のあるショウでもあったと思う。

 聞くところによると、なんと彼らは初めての来日になるよう。それゆえ、あちらだったら英語のMCでスラスラやり取りできるところが円滑にすすまない部分があったり、シャイな日本人の反応の仕方をつかみきっていないところも見られたが、ぼくが見たショウは初日。じきに日本人オーディエンスのノリも分ってくるだろうし、4日の間(公演は29日まで)にそのあたりはだいぶ是正されるのではないか。そういえば、アップ目の曲で会場を弾ませた後におそらくさらにアップ目の曲を披露しようとして「ファストかスロウ、どっちが聞きたい」と客に問うたら、スロウを求めるファンしか呼応しなくてあらら、という場面もあった。でも、そこは百戦錬磨にしてレパートーリーも数多(というか、リード・ヴォーカルが何かを歌ったら、自然に歌声を重ねられ、ザ・パースエイジョンズ表現は完成するだろう)の彼ら、ザ・ビートルズの「イエスタデイ」をじんわり歌った。そんなに好きな曲ではないけど、グっと来たな。

 いやあ、米国黒人音楽にある重要な襞をがばっと指し示してもいた公演。とっても得るもの大、感興も大だった。

<今日の、空気>
 ライヴに行くため外に出たら、月と星がくっきり。お、なんか空気が澄んでいると感じる。とともに、風が少しあると体感温度はだいぶ下がるが、寒さを感じた晩でありました。今年1番? もうすぐ、2012年もおしまいかあ。

 <1948年NOLA生まれ>と<1952年NY生まれ>。ファンキー表現が大得意のギタリストが率いるバンドの公演を、六本木・ビルボードライブ東京と南青山・ブルーノート東京で見る。うわあ、贅沢なハシゴ。東京というライヴのシーンもすごいっと思わずにはいられないな。両公演とも切羽詰まった(?)年末ながら、盛況ナリ〜。

 まず、E.W.&F.黄金期の楽曲群をがっちり聞かせますよという方針を持つ、アル・マッケイ(2012年9月12日)率いる大所帯のバンド(2011年9月15日、他)。3人の専任のシンガー、4人のホーン、2人のキーボード、ベース、ドラム、パーカッション。ドラマーをはじめ数人が白人。あれ、こんなに非アフリカンいたっけ? でも、とてもいい感じ。往年の宝物をなぞっているだけとも言えるが、起爆力、ワクワク度膨大。前にも本欄で書いたことがあるが、音だけを取るなら、今のE.W.&F.より完成度は高い。でもって、なんか、少なくても前回のショウよりもグっとこさせるものあり。イエーイ。これで、キーボードの一人がやはりEW&Fの黄金期を支えたラリー・ダン(2009年9月29日)だったりしたら……。

 そして、移動してシック(2011年4月18日、他)。今はアフリカ系の女性シンガー2人をフロントにたてて、観客を魅了せんとする。毎度のことながら、こちらも充実度大。彼らは今年2度目の来日であるが、ぼくは見なかった4月の来日の際から、ここのところ恒例だった観客参加の“ギター・カッティング・コンテスト”はなしになったよう。そのほうが、公演としてのまとまりは上がる。こちらはショウの頭から多くの観客が立ち上がる。

 両公演に共通していたのは、バンドのメンバーたちがマイクで歌声が拾われなくても、うれしそうに歌を口ずさんでいたこと。本当に、両者が持つ印象的なヒット曲群は無敵であるとともに、数多。サポートの人が思わず歌いたくなるバンド、そりゃ聞き味が悪いわけがないし、なんか満たされたキブンになりますね。

 “パブロフの犬的”な訴求力を持つヒット曲の魔力。そんなことも、ぼくは両者の実演に触れながら実感しちゃう。そして、彼らの場合は、それが決定的なグルーヴやリフともつながっている、その素敵にも、ぼくは胸が一杯になった。

 翌日にロジャースには、約20年近くぶりにインタヴュー。それで、シック曲/表現の特殊性はロジャースの出自にあることを痛感。ジャズやクラシック(譜面、ばっちりだそう)やロックもたっぷり通ったがゆえのギター演奏の妙がその底にはアリ。そんな彼は、シックがアトランティックと契約する前に、同レーベルの音楽監督だったキング・カーティスのザ・キング・ピンズに関与、具体的に言えばコーネル・デュプリー(2010年8月30日、他)の代役ギタリストをやっていたそうな。

<今日の、つながり>
 そういえば、両バンドにはドラマーの沼澤尚が超仲良しなミュージシャンが一人づついた。前者はリーダーのマッケイ。沼澤はLA居住時代にとても懇意にし、彼が所属した13キャッツの来日公演のときに、マッケイを同行させたりもした。そして、後者はベーシストのジェリー・バーンズ。沼澤はかつて彼や兄弟のシェロット・バンーズ(2008年3月5日)やジェフ・リー・ジョンソン(2012年9月9日、他)やロイ・ハーグローヴ(2012年3月23日、他)らと一緒にザ・バーンズ・プロジェクト(3月23日、他)というユニットを立ち上げかけたことがあった。新年あけては、沼澤尚がらみの2つのライヴで幕開けする予定……。