カーネーション

2012年6月1日 音楽
 <HMV GET BACK SESSION>という、ローソン系レコード小売りチェーン店主導のライヴ企画があるのは、今回はじめて知った。とはいえ、これで2回目のようだが。それ、昔の名盤をがっつり再演しますよ、という趣旨を掲げたライヴ・シリーズのよう。で、この日みたのは、カーネーション(2011年3月26 日、他)の、1992年作『天国と地獄』の巻。リリース20周年を期にまとめられた特別版をフォロウするショウでもあるようだ。

 設定がしっかり。直枝政広(歌、ギター)と大田譲(ベース)のメンバー2人に加え、ドラムは張替智広。そこに、『天国と地獄』のころメンバーだった鳥羽修(ギター)、そしてキーボードの渡辺シュンスケ(2012年4月2日。自分のライヴのときは1台しか置かないくせに、この日はローランドとクラヴィアのキーボード2台を前に演奏)が入った基本となるバンドに、ロベルト小山(サックス、タンバリン)や大野由美子(モウグ・シンセサイザー。2011年9月16日、他)や美尾洋乃(ヴァイオリン)がときに加わる。女性陣が入ると、コーラスが充実する。MCで20年ぶりにやりますと言っていた曲もあったが、そのサウンドはまとまり充実していて、なんの不満もない。年月を経ての成熟というと臭くなるが、充実した今もちゃんと浮かび上がっていた。ギタリストもいるため、ときに直枝はギターを持たずに歌ったりするときも。なんか、新鮮? 彼、声は朗々ほんとうに良く出ていました。

 しかし、後ろ向き企画とはいえ、本当に気持ちよく和めたり、発汗できたりする。アリ、なんだろうな、こういう過去の秀でたプロダクツに光をあてんとする実演。送り手側にとっても、自分のやってきたことを再確認したり、自信を得たり、新たな刺激の種にもなるんじゃないか。でもって、ちゃんと能力もってなきゃ、再演されてもしらけちゃうわけで、これはアーティストにとって”踏み絵”的な企画でもあるとも言えるのではないだろうか。

 渋谷・WWW、混んでいた。次の用事もひかえていたので、キリよく本編(約90分)が終わった段階で失礼する。アンコールでは、この充実した顔ぶれで、今のカーネーション曲をごんごんやったのかなあ。


<今日の、ドラマ>
 サトー家ではいま地上派のTV放送がうつらないし、ほぼ毎日夜遊びしているので、日本のTVドラマを見ていない。だが、毎月3本無料で映画やTV番組を見ることができるという光通信チャンネルのサーヴィスを活用し、フジテレビの「家族のうた」というドラマを昼間にちゃんと見ちゃった。昔のドラマを臆面もなくパクったという批判を受けつつ放映を強行したらあまりの低視聴率で打ち切りになった、という報道に興味をひかれたから。意地悪だな、オレ。とともに、あれだけロックロックロックと連呼しているゴールデン・タイム枠ドラマも希有なのではないかという知人の発言が気になったから。で、感想は……見たのは3話だけだが、打ち切りになるほど酷いドラマとは、ぼくには思えない。
 批判を受けて後からだいぶ設定を変えたのかもしれないが、真似されたと言われる「パパはニュースキャスター」ともそんなに近いとは感じなかったし。だって、あっちは<持っている者の喜劇>なのに対し、こっちは<持たざる者の人情話>だもの。知り合いが指摘していたように、浪速節ホーム・ドラマにもかかわらず、確かに“ロック、ロックンロール”という言葉が数多く使われ、その精神的スタンスを柱に置くようなストーリー運びが取られている。キース・リチャーズはァとかいう台詞も出てくるし、往年のロック曲が流されたり、その手の写真やレコードも小物として用いられる。お、映画「ブルースブラザーズ」的? 確かに、ロックにつながる項目はびっくりするぐらい出てくる。しょぼい境遇の元スター・ロッカーという設定にある主人公のオダギリジョーも薄汚くも、怪演。だけど、それについて、ぼくは否定的な気持ちは持たなかった。ましてや、放映打ち切りさもありなん、なんては。
 ただ、そうなっちゃった理由はなんとく頭のなかに浮かぶ。多くの人は、先に書いたロック関連のいろんなネタがウゼえ、クセえ、訳ワカんねえと感じてしまい、それが低視聴率に結びついたのではないか。<いまだ日本では、ロックはお茶の間には受け入れられない>、そんなことを認知して、ぼくは少しヘコみました。とほほ。→→主人公が、一時は売れたけど今は駄目なダンサーとか、ラッパーだったらどうだったのだろう?