オマール・ソーサ・アフロ-エレクトリック・クインテット
2010年8月3日 音楽 毎年来ていても、毎回違いや見所があるので、毎度見るべき人。そういう所感を、このキューバ出身の怪傑ピアニスト(2009年5月12日、他)には持っているが、まったくもって。南青山・ブルーノート東京。セカンド・ショウ。
今回は、アイランド/アンティルズ他からリーダー作を出してもいる自由主義的感覚をおおいに持つサックス奏者のピーター・アプフェルバウム(西海岸バークレー生まれで、ドン・チェリーからフィッシュまで)と、ドイツ出身らしいトランぺッターのヨー・クラウスという、二管を伴っていること。電気ベースとドラムは過去ソーサ公演に複数回同行している、チルド・トーマスとマーク・ギルモア。その5人は自在に絡み、何とも形容に困る、肉声や変テコ音や、エスニックな渦や鼓動の感覚を伴う、我流ジャズ発展インストがごんごんと送り出す。悠々、怒濤。あ、この晩のソーサのコスチュームはまた白色に戻っていました。
今回は、アイランド/アンティルズ他からリーダー作を出してもいる自由主義的感覚をおおいに持つサックス奏者のピーター・アプフェルバウム(西海岸バークレー生まれで、ドン・チェリーからフィッシュまで)と、ドイツ出身らしいトランぺッターのヨー・クラウスという、二管を伴っていること。電気ベースとドラムは過去ソーサ公演に複数回同行している、チルド・トーマスとマーク・ギルモア。その5人は自在に絡み、何とも形容に困る、肉声や変テコ音や、エスニックな渦や鼓動の感覚を伴う、我流ジャズ発展インストがごんごんと送り出す。悠々、怒濤。あ、この晩のソーサのコスチュームはまた白色に戻っていました。
エゴ・ラッピン、モリアーティ。ザ・ワイルド・マグノリアス
2010年8月4日 音楽 フジ・ロックにそれぞれ出ていたアクトがジョイントする公演、渋谷・クラブクアトロ。まず、エゴ・ラッピン(2009年8月8日、他)が出てきて、40分ほど(だったけかな)管楽器を擁する設定で、じわり自分たちの持ち味を開く。中納良恵(2009年11月1日)はいつ見ても、眩しいぐらいまっすぐ。そして、モリアーティ(2010年7月31日、他)の出番だが、ローズマリーは浴衣を着て登場(途中で、普通の格好に戻ったが、着替えの早いこと)。先のフジ・ロックの項で書いたことと同様の乗りだが、本人たちが本当に楽しんでやっていることもあり、フレッシュ度や訴求力は続けざまに見ても全然減じない。この晩はこの後にももう一本ありで、後ろ髪ひかれつつ、途中で抜ける。
そして、六本木・ビルボードライブ東京へ。ニューオーリンズのマルディグラ・インディアンのりを全面に出す、すでに40年近い積み重ねを持つファンキー集団の出演、セカンド・ショウ。
のっけの30分は、ニューオーリンズ在住で90年代中期からザ・ワイルド・マグノリアス(2007年2月3日、他)に加入した山岸潤史(2009年5月19日、他)を中心とするインスト・バート。フレディ・キングの弟ベニー・ターナー(2007年2月3日)を日本の聞き手にちゃんと紹介したいという気持ちが山岸にはあったようで、ターナーもそれにこたえて中央に出てきて、がんがんベースを弾いたが、かなりショウマンシップに長けていて、ほう。山岸もブルース・ギターをぎんぎん鳴らす。
そして、それ以後は、マグノリアスのショウ。そこから、1時間はやったよな。セカンド・ライン調ビート(だったけかな?)に乗って、マルディグラ・インディアンの派手な衣装を身にまとった3人が登場、あれれ、その衣装が新しい感じのもので新調したかな。その3人はそこそこ若そう、07年にニューオーリンズで見たときはボー・ドリスがいたはずだが、もともと健康上の不安もあり、今は離れたようだ。基本リード・ヴォーカルはパーカッション奏者が取り、フロントの3人はかけ声やタンバリンでの盛り上げ役。コーラスは皆でとって、盛り上げる。おそらくいまだミュージカル・ディレクターを勤めているだろう山岸は要所を締める。キーボードは前回見たときと同様にニューオーリンズ在住の小牧恵子(音大の電子オルガン科出ているんだってね)、ドラマーは入って間もないようだ。マルディグラのパレード(2007年2月3日)の習わしにならい、彼らはニューオーリンズ仕様ビーズや玩具(それらは、とっても他愛ないもの〜同地の土産物屋でも安価で売っている〜だが、縁起物ですね)をほいほいと投げて配る。あー、やっぱニューオーリンズ。
ただ、山盛りすぎるというか、焦点ちりがち。それなら、山岸潤史プレゼンツNOLA(現地で良く用いられる、ニューオーリンズの略称。LAはルイジアナ州のこと)てな感じの打ち出しでやったほうがすっきりするのではないか。いや、パパ・グロウズ・ファンク(2009年7月27日、他)とか、マーヴァ・ライトとか、その他とかいれて、大々的にそういう出し物を日本でやるのはアリなんじゃないかと思う。フジのオレンジ・コートの丸半日がそんな感じで、ニューオーリンズ“ガンボ”デイとか、なんないかな〜。
そして、六本木・ビルボードライブ東京へ。ニューオーリンズのマルディグラ・インディアンのりを全面に出す、すでに40年近い積み重ねを持つファンキー集団の出演、セカンド・ショウ。
のっけの30分は、ニューオーリンズ在住で90年代中期からザ・ワイルド・マグノリアス(2007年2月3日、他)に加入した山岸潤史(2009年5月19日、他)を中心とするインスト・バート。フレディ・キングの弟ベニー・ターナー(2007年2月3日)を日本の聞き手にちゃんと紹介したいという気持ちが山岸にはあったようで、ターナーもそれにこたえて中央に出てきて、がんがんベースを弾いたが、かなりショウマンシップに長けていて、ほう。山岸もブルース・ギターをぎんぎん鳴らす。
そして、それ以後は、マグノリアスのショウ。そこから、1時間はやったよな。セカンド・ライン調ビート(だったけかな?)に乗って、マルディグラ・インディアンの派手な衣装を身にまとった3人が登場、あれれ、その衣装が新しい感じのもので新調したかな。その3人はそこそこ若そう、07年にニューオーリンズで見たときはボー・ドリスがいたはずだが、もともと健康上の不安もあり、今は離れたようだ。基本リード・ヴォーカルはパーカッション奏者が取り、フロントの3人はかけ声やタンバリンでの盛り上げ役。コーラスは皆でとって、盛り上げる。おそらくいまだミュージカル・ディレクターを勤めているだろう山岸は要所を締める。キーボードは前回見たときと同様にニューオーリンズ在住の小牧恵子(音大の電子オルガン科出ているんだってね)、ドラマーは入って間もないようだ。マルディグラのパレード(2007年2月3日)の習わしにならい、彼らはニューオーリンズ仕様ビーズや玩具(それらは、とっても他愛ないもの〜同地の土産物屋でも安価で売っている〜だが、縁起物ですね)をほいほいと投げて配る。あー、やっぱニューオーリンズ。
ただ、山盛りすぎるというか、焦点ちりがち。それなら、山岸潤史プレゼンツNOLA(現地で良く用いられる、ニューオーリンズの略称。LAはルイジアナ州のこと)てな感じの打ち出しでやったほうがすっきりするのではないか。いや、パパ・グロウズ・ファンク(2009年7月27日、他)とか、マーヴァ・ライトとか、その他とかいれて、大々的にそういう出し物を日本でやるのはアリなんじゃないかと思う。フジのオレンジ・コートの丸半日がそんな感じで、ニューオーリンズ“ガンボ”デイとか、なんないかな〜。
ワン・デイ・アズ・ア・ライオン。マイラ・メルフォード×藤井郷子
2010年8月6日 音楽 90年代と00年代の米国ロック界の重要バンドにいた二人、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(2008年2月9日、他)のラッパーであるザック・デ・ラ・ロッチャとザ・マーズ・ヴォルタ(2002年4月7日、2004年1月7日、2006年11月21日、2008年6月18日)にいたジョン・テオドアが組んだユニットがワン・デイ・アズ・ア・ライオン。初来日となる今回は、そこに変調叩き込み激ロック・バンドのザ・ロウカストのキーボード奏者のジョーイ・カラムを加えたトリオにてのもので、フジ・ロックの中日に出演して以降ずっと滞日、この日が東京お披露目なる。会場で会った知人が、(明日から始まる)サマーソニックにも出ちゃえばいいのにと言っていたが、確かにそれはそれで面白い。代官山・ユニット。
なるほどの、バンド。一声を聞いただけで彼と判るデ・ラ・ロッチャの声には甘酸っぱさとともに発汗できるし、セオドアのタイトで立体的なドラミングもうれしい。ま、それは予想どおりのものだったんだが、カラムの鍵盤音には生で触れていささか驚く。素っ気なく書くと、キーボードでギターで出すようなリフを弾き倒すとなるのだが、その通常のキーボードの演奏から逸脱した聞き味はおおいに個性と妙味あり。それは、明らかにロック・ラップという行き方に視点あるひねりと個性を与えていたのはまちがいない。
10曲ぐらいやって、半数は新曲。演奏時間は50分弱だったか。3人だけのパフォーマンスで曲趣はけっこう似ていたりもするので、フレッシュに彼らを楽しむのには適切な長さであったかも。
そして、移動。新宿・ピットイン。先のライヴが早く終わったので、予想していた以上に一杯見れて笑顔。フリー・ジャズも知る、信念を持ち開かれている米日の女性ピアニスト二人が共演する出し物。ピットインのステージには互い違いでグランド・ピアノが置かれる(この前後には、ピアノのデュオによる公演がここで4日間企画されたよう)。昨年には共演作『Under the Water』を出していたりもする両者が知り合うきっかけになったのは、80年代後期の藤井(2010年6月7日、他)の留学期とか。同じ年代で同じような背丈のピアニストの公演があるからと、師事していたポール・ブレイ(1999年6月1日)に誘われてメルフォードの公演を藤井は見に行ったのだそう。
実はメルフォードにはインタヴューもしたのだが、少女ぽさも確実に残す、とってもほんわかした感じを持つ人でへええ。なんか、新しいこと、興味深いことを、日々コドモのように追っている、という感じもあったかな。ピアノは小さい頃からやっていたものの大学は理系学部を出て、その後やっぱしピアノよねと、我が道を進んできている人物だ。ミレニアム前後はインドに1年近く住んだそうで、なんとなくヒッピー的な資質をもつところもあるかも(だが、アメリカ人的な傍若無人なノリは皆無)。日本にも何度か来ているが、音楽抜きで遊びでということもあったらしい。格好は、白と黒でまとめた“森ガール”調、と言えなくもない? ずっとNYに住んでいるのかと思ったら、04年以降はカリフォルニア大学バークレー校で教鞭をとっており、同地在住とか。
ほぼ即興で、ピアノという楽器を手段に、気持ちを交錯しあう。ときに、ガンガンガンと鍵盤を鳴らすときもあるが、概してはメロディアスでしなやかな丁々発止の連鎖と説明できるか。二人とも鍵盤を押えるだけでなく、上部から直接弦をいじって音を出す局面も。その際、どうしてこんな音が出るのと思わせときもあった。2部ではまずメルフォードがソロでパフォーマンス。とっても弾き口が細やかなであるのも、過剰なアヴァンギャルド臭から離れさせているのだナと、了解。そして、藤井が加わり、さらには田村夏樹(トランペット)と大熊ワタル(クラリネット、ベース・クラリネット)が加わる。シカラムータ(2001年3月24日)を率いる大熊の生の姿に触れるのは本当に久しぶり。飄々と、フリー流儀演奏を繰り出す。4人でやったうちの1曲は周期的に各奏者が順繰りでサインを送り、みんなでそれを実践するという趣向。指4本の場合は“肉声をみんなで出し合う”というもの、だった。
なるほどの、バンド。一声を聞いただけで彼と判るデ・ラ・ロッチャの声には甘酸っぱさとともに発汗できるし、セオドアのタイトで立体的なドラミングもうれしい。ま、それは予想どおりのものだったんだが、カラムの鍵盤音には生で触れていささか驚く。素っ気なく書くと、キーボードでギターで出すようなリフを弾き倒すとなるのだが、その通常のキーボードの演奏から逸脱した聞き味はおおいに個性と妙味あり。それは、明らかにロック・ラップという行き方に視点あるひねりと個性を与えていたのはまちがいない。
10曲ぐらいやって、半数は新曲。演奏時間は50分弱だったか。3人だけのパフォーマンスで曲趣はけっこう似ていたりもするので、フレッシュに彼らを楽しむのには適切な長さであったかも。
そして、移動。新宿・ピットイン。先のライヴが早く終わったので、予想していた以上に一杯見れて笑顔。フリー・ジャズも知る、信念を持ち開かれている米日の女性ピアニスト二人が共演する出し物。ピットインのステージには互い違いでグランド・ピアノが置かれる(この前後には、ピアノのデュオによる公演がここで4日間企画されたよう)。昨年には共演作『Under the Water』を出していたりもする両者が知り合うきっかけになったのは、80年代後期の藤井(2010年6月7日、他)の留学期とか。同じ年代で同じような背丈のピアニストの公演があるからと、師事していたポール・ブレイ(1999年6月1日)に誘われてメルフォードの公演を藤井は見に行ったのだそう。
実はメルフォードにはインタヴューもしたのだが、少女ぽさも確実に残す、とってもほんわかした感じを持つ人でへええ。なんか、新しいこと、興味深いことを、日々コドモのように追っている、という感じもあったかな。ピアノは小さい頃からやっていたものの大学は理系学部を出て、その後やっぱしピアノよねと、我が道を進んできている人物だ。ミレニアム前後はインドに1年近く住んだそうで、なんとなくヒッピー的な資質をもつところもあるかも(だが、アメリカ人的な傍若無人なノリは皆無)。日本にも何度か来ているが、音楽抜きで遊びでということもあったらしい。格好は、白と黒でまとめた“森ガール”調、と言えなくもない? ずっとNYに住んでいるのかと思ったら、04年以降はカリフォルニア大学バークレー校で教鞭をとっており、同地在住とか。
ほぼ即興で、ピアノという楽器を手段に、気持ちを交錯しあう。ときに、ガンガンガンと鍵盤を鳴らすときもあるが、概してはメロディアスでしなやかな丁々発止の連鎖と説明できるか。二人とも鍵盤を押えるだけでなく、上部から直接弦をいじって音を出す局面も。その際、どうしてこんな音が出るのと思わせときもあった。2部ではまずメルフォードがソロでパフォーマンス。とっても弾き口が細やかなであるのも、過剰なアヴァンギャルド臭から離れさせているのだナと、了解。そして、藤井が加わり、さらには田村夏樹(トランペット)と大熊ワタル(クラリネット、ベース・クラリネット)が加わる。シカラムータ(2001年3月24日)を率いる大熊の生の姿に触れるのは本当に久しぶり。飄々と、フリー流儀演奏を繰り出す。4人でやったうちの1曲は周期的に各奏者が順繰りでサインを送り、みんなでそれを実践するという趣向。指4本の場合は“肉声をみんなで出し合う”というもの、だった。
サマーソニック’10
2010年8月7日 音楽 今年は、また2日間開催。が、周辺駐車場は昨年よりは少しは混み具合は柔らかかったような。ビーチ・ステージは今年大きくなっていた。以下、印象に残ったアクトをさくっと書いておこう。
* リチャード・アッシュルロフト&ザ・ユナイテッド・ザ・ネイションズ・オブ・サウンド:元ザ・ヴァーヴのフロント・マン。アルバムはけっこう判り易い(ありがちな)コード進行の曲が並んでいてアレレと思うところもあったが、なんか憎めない。歌が前に出ていて、ロッカーとして正しい姿勢を感じさせられたかな。女性や黒人を含むバンドの感じも良。フェス的でもあると、言えるか。*ジェイ・Z:スタジアムのスタンドに座って開演を待っていると、ヴィジョンに数字表示が出る。それは1秒刻みで減っていって、ちょうど00:00になるとショウは開始。プリセット音とか照明とかすべてきっちりプログラムされていることがそれで判りますね。数年前の英ブラストンベリー出演に際して物議をかもした彼だが、パケージ度の高いパフォーマンス(格好やステージ美術などは黒と赤を基調とする)を堂々、披露。ま、それは“産業ラップ”という感想をひきださなくもないが、色彩感を伴う、プロのパフォーマンス。音はDJ音に生ドラム奏者が付いたりもした。
* リチャード・アッシュルロフト&ザ・ユナイテッド・ザ・ネイションズ・オブ・サウンド:元ザ・ヴァーヴのフロント・マン。アルバムはけっこう判り易い(ありがちな)コード進行の曲が並んでいてアレレと思うところもあったが、なんか憎めない。歌が前に出ていて、ロッカーとして正しい姿勢を感じさせられたかな。女性や黒人を含むバンドの感じも良。フェス的でもあると、言えるか。*ジェイ・Z:スタジアムのスタンドに座って開演を待っていると、ヴィジョンに数字表示が出る。それは1秒刻みで減っていって、ちょうど00:00になるとショウは開始。プリセット音とか照明とかすべてきっちりプログラムされていることがそれで判りますね。数年前の英ブラストンベリー出演に際して物議をかもした彼だが、パケージ度の高いパフォーマンス(格好やステージ美術などは黒と赤を基調とする)を堂々、披露。ま、それは“産業ラップ”という感想をひきださなくもないが、色彩感を伴う、プロのパフォーマンス。音はDJ音に生ドラム奏者が付いたりもした。
サマーソニック’10
2010年8月8日 音楽 行きの車中、届いて間もない、スティヴィー・ワンダーの3枚組ベスト盤をかける。気分、高まる。と思ったら、首都高もすいていて30分強で着いちゃう。もっと、聞きたかった? 以下、前日に続き印象に残ったアクトを羅列。
* バンド・オブ・ホーセズ シアトルの実直バンド。新作は結構チャート上位に入っているが、“英高米低”な日本のロック・リスナーの注目度はそれほどは高くないはずで、これはフェスだからこそ呼べたアクトで、フェスありがたや〜と思わずにはいられないか。さすが、整合感とじっくり感のある素朴ロックを送り出す。が、ずっと聞いていると、妙な真面目さ、遊びのなさに窮屈さを覚えたりも。それ、想定外。期待したほどではなかった。単独で来日したら、また見に行くと思うけど。*ホール:逆にぜんぜん期待していなかったのに、おお存在価値あるナと思ってしまったのは、おさわがせ女性ロッカーの彼女。なんか、力と存在感アリ。これがワタシよとどっかんと自分を出していく様はある種爽快でもあり、ロックはバカ者の粋がった音楽であるという側面を鮮やかに浮き上がらせていると思った。*ブラック・レベル・モーターサイクル・クラブ 我が道を行くという部分においては、シスコの彼らもそう。*ヨンシー:シガー・ロス(2006年4月5日、他)のフロント・マン、ソロ作も素晴らしい出来だったが、ライヴも滅茶素晴らしい。美意識に富みまくり滋味に溢れているのに、こんなにもドキドキさせ、音楽をやる歓びにあふれた実演をしちゃうとは。見せ方のいろんな工夫もピタリとはまる。全てにおいて、素晴らしかった。今年の、ワタシのサマーソニックのベスト・アクト。→日経新聞に書いたライヴ評には、彼のカラー写真が使われていて、うれsee。*スティーヴィー・ワンダー(2005年11月3日):いつも以上にメドレーが多かったが、ロック・ファンの前で自分を開かんとする意気あふれる。声も良く出ていた。
* バンド・オブ・ホーセズ シアトルの実直バンド。新作は結構チャート上位に入っているが、“英高米低”な日本のロック・リスナーの注目度はそれほどは高くないはずで、これはフェスだからこそ呼べたアクトで、フェスありがたや〜と思わずにはいられないか。さすが、整合感とじっくり感のある素朴ロックを送り出す。が、ずっと聞いていると、妙な真面目さ、遊びのなさに窮屈さを覚えたりも。それ、想定外。期待したほどではなかった。単独で来日したら、また見に行くと思うけど。*ホール:逆にぜんぜん期待していなかったのに、おお存在価値あるナと思ってしまったのは、おさわがせ女性ロッカーの彼女。なんか、力と存在感アリ。これがワタシよとどっかんと自分を出していく様はある種爽快でもあり、ロックはバカ者の粋がった音楽であるという側面を鮮やかに浮き上がらせていると思った。*ブラック・レベル・モーターサイクル・クラブ 我が道を行くという部分においては、シスコの彼らもそう。*ヨンシー:シガー・ロス(2006年4月5日、他)のフロント・マン、ソロ作も素晴らしい出来だったが、ライヴも滅茶素晴らしい。美意識に富みまくり滋味に溢れているのに、こんなにもドキドキさせ、音楽をやる歓びにあふれた実演をしちゃうとは。見せ方のいろんな工夫もピタリとはまる。全てにおいて、素晴らしかった。今年の、ワタシのサマーソニックのベスト・アクト。→日経新聞に書いたライヴ評には、彼のカラー写真が使われていて、うれsee。*スティーヴィー・ワンダー(2005年11月3日):いつも以上にメドレーが多かったが、ロック・ファンの前で自分を開かんとする意気あふれる。声も良く出ていた。
クレア&ザ・リーズンズ
2010年8月20日 音楽 彼女たち(2009年2月13日、他)、おおいに進化しているな、と思った。それは演奏陣(今回はクレアの旦那を含む、男性3人による)がよりいろんな楽器を持ち替えするようになったことにも表れているし、クレア嬢のどこか清涼感を持つ小悪魔的ヴォイスの訴求力もそう。ぼくはアルバムに関しては昨年出た2作目よりデビュー作のほうが質が高いと感じていたけど、ライヴに触れながら、その感想をもう一度再検討したほうがいいのかとも感じた。……それ、まっとうな力に満ちていた実演であることの証左となりますね。
初っぱなクレア嬢(すごい背中の空いたワンピースを来ていたナ)はウォッシュボードを首から下げて歌う。演目は半数以上は2作目から。でも、演奏にあたる人数も違うし、この場で新たに曲を開くワという感覚でギグを遂行していたのではないか。MCで東京が最後の晩で悲しいみたいなことを言っていたが、なるほど一歩退いた感じを持つ、その物腰は平均的なアメリカ人感覚からは慣れるものではあったよね。クロスビート誌のライヴ評(かなり、ほめると思う)を頼まれているので、このぐらいにしておく。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。
初っぱなクレア嬢(すごい背中の空いたワンピースを来ていたナ)はウォッシュボードを首から下げて歌う。演目は半数以上は2作目から。でも、演奏にあたる人数も違うし、この場で新たに曲を開くワという感覚でギグを遂行していたのではないか。MCで東京が最後の晩で悲しいみたいなことを言っていたが、なるほど一歩退いた感じを持つ、その物腰は平均的なアメリカ人感覚からは慣れるものではあったよね。クロスビート誌のライヴ評(かなり、ほめると思う)を頼まれているので、このぐらいにしておく。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。
ゴンサロ・ルバルカバ・クインテット。エンダビ
2010年8月22日 音楽 前に来日したとき(2007年11月21日)、あまりの生理的ヘヴィネスと闊達さでぼくが降参したルバルカバのクインテットがまた来日した。前回時はすでに同じ設定による『アヴァター』を録音済みで、新作を引っさげてのもの(と、言いつつ、世界的に発表前であったが。来日時にインタヴューしたら、録音後のツアーで一段と集団表現に磨きがかかってきて、本当はツアーが一段落してから新作を撮りたかったアということも言っていた)だったが、ルバルカバはあれ以来、ずっと在籍しているブルーノートからアルバムをリリースしていない。
今回のクインテットはピアノの当人に加え、ヨスバニー・テリー(アルト・サックス、ソプラノ・サックス、鳴りもの)、アヴィシャイ・コーエン(トランペット)、ジュニオール・テリー(ベース)、マーカス・ギルモア(ドラム)という顔ぶれ。前回のクインテットとは、トランぺッターとベーシストが変わっている。トランペット奏者はもちろん同姓同名のベーシスト(2006年5月17日)とは異人(でも、ともにイスラエル出身)で、ヨスバニ・テリーとは仲良しで、お互いのリーダー作に入り合っている。物凄く真摯で力量を必要とされるジャズということは前回と共通するものの、今回のクインテット演奏はまた別のところを向いていたところはあったんではないかな。
アブストラクトさ/いい意味での難解さは今回も持つものの、ストレートさというかエネルギッシュさでは前回の方が上。ただし、前回はいわゆる新主流派(60年代に出てきた、フリー・ジャズ的局面も見た、覇気一杯のブラック・ジャズ)ノリを直裁になぞるところがあったものの、今回はもっと含みや微妙な集団構成美学が徹底されたものになっていて(ビートもより純粋な4ビートから離れようとする意思は強まっていた。なお、蛇足ながら、ラテン濃度はほぼゼロ)、ぼくはうっすら発汗しつつ、頭をたれた。曲のイントロなんかでの、ルバルカバのソロの指さばきは、粒立ちつつ綺麗。なるほど、1日だけソロでピアノを弾く日も設定されているが、聞きたいかもとちょい思う。←ライヴ三昧をずっと読んでいる人なら知っている人もいるかもしれないが、ずっとぼくはルバルカバを嫌い、評価していなかった。
以上、丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。そして、南青山・ブルーノート東京に移動し、現在はLAに住むネオ・ソウル系実力派シンガーを見る。
99年アルバム・デビューし、今年で40歳。あれれ、ぼくが良いわあと感激した前回公演(2005年11月25日)よりか、若く見えるし、何より痩せた。実力者ながら不遇をかこっていた感じもあったが、昨年にコンコード/スタックスとディールを持ったことと、それは関係あるか。でもって、ヘアスタイルは超ヤンキー調、と言いたくなるもの。バックは女性コーラス、キーボード、ベース、ドラム。みんな、20代かな。コーラスと鍵盤は相当なビッグ・ママ体系かつ姓が同じなので姉妹かもしれぬ。
前回ほどの感激は覚えなかったが、触れてうれしいショウ。バック・コーラスのサラ・ウィリアムズは相当な実両者。純粋な歌のうまさだったら、エンダビより上と感じた。けっこうキャリアを重ねているはずのエンダビだが、なぜかMCの挟み方が下手。まあ、初々しいとも言えるかもしれないが。なお、彼女のショウは通常とちがい、1日1ショウ。そのため、会場はもうフルハウス。でもって、フルの長さのショウをやったはず。
今回のクインテットはピアノの当人に加え、ヨスバニー・テリー(アルト・サックス、ソプラノ・サックス、鳴りもの)、アヴィシャイ・コーエン(トランペット)、ジュニオール・テリー(ベース)、マーカス・ギルモア(ドラム)という顔ぶれ。前回のクインテットとは、トランぺッターとベーシストが変わっている。トランペット奏者はもちろん同姓同名のベーシスト(2006年5月17日)とは異人(でも、ともにイスラエル出身)で、ヨスバニ・テリーとは仲良しで、お互いのリーダー作に入り合っている。物凄く真摯で力量を必要とされるジャズということは前回と共通するものの、今回のクインテット演奏はまた別のところを向いていたところはあったんではないかな。
アブストラクトさ/いい意味での難解さは今回も持つものの、ストレートさというかエネルギッシュさでは前回の方が上。ただし、前回はいわゆる新主流派(60年代に出てきた、フリー・ジャズ的局面も見た、覇気一杯のブラック・ジャズ)ノリを直裁になぞるところがあったものの、今回はもっと含みや微妙な集団構成美学が徹底されたものになっていて(ビートもより純粋な4ビートから離れようとする意思は強まっていた。なお、蛇足ながら、ラテン濃度はほぼゼロ)、ぼくはうっすら発汗しつつ、頭をたれた。曲のイントロなんかでの、ルバルカバのソロの指さばきは、粒立ちつつ綺麗。なるほど、1日だけソロでピアノを弾く日も設定されているが、聞きたいかもとちょい思う。←ライヴ三昧をずっと読んでいる人なら知っている人もいるかもしれないが、ずっとぼくはルバルカバを嫌い、評価していなかった。
以上、丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。そして、南青山・ブルーノート東京に移動し、現在はLAに住むネオ・ソウル系実力派シンガーを見る。
99年アルバム・デビューし、今年で40歳。あれれ、ぼくが良いわあと感激した前回公演(2005年11月25日)よりか、若く見えるし、何より痩せた。実力者ながら不遇をかこっていた感じもあったが、昨年にコンコード/スタックスとディールを持ったことと、それは関係あるか。でもって、ヘアスタイルは超ヤンキー調、と言いたくなるもの。バックは女性コーラス、キーボード、ベース、ドラム。みんな、20代かな。コーラスと鍵盤は相当なビッグ・ママ体系かつ姓が同じなので姉妹かもしれぬ。
前回ほどの感激は覚えなかったが、触れてうれしいショウ。バック・コーラスのサラ・ウィリアムズは相当な実両者。純粋な歌のうまさだったら、エンダビより上と感じた。けっこうキャリアを重ねているはずのエンダビだが、なぜかMCの挟み方が下手。まあ、初々しいとも言えるかもしれないが。なお、彼女のショウは通常とちがい、1日1ショウ。そのため、会場はもうフルハウス。でもって、フルの長さのショウをやったはず。
出てきたとたん、この人にはかなわないと、なんか皮膚感覚で痛感しちゃったナ。
アルゼンチンのシンガー・ソングライター、と、書いてしまっていいのかな。だって、そういう一般的な言葉で括っちゃうのが申し訳ない、我が道を行くノリや世界観をあっさり出しているから。打楽器(時にエフェクターをかます)を叩きながら歌う……と、書くと、なんともアレだが、それで、アルゼンチンの伝統と翔んでる先鋭感覚をメビウスの環の上で同居させたような、澄んだ肉体的表現をずばり送り出してしまう人。言葉を超えた、驚異のヴァイブあり。それは聞く者の息を飲ませたり、別の所に連れて行ったり。そんな彼女は、ときにはチャランゴを弾きながら歌ったりもした。また、一部は日本在住だろうアルゼンチン人アーティストが二人、それぞれギターで重なる(うち、一人はアリエル・アッセルボーン)。
彼女はほぼ完璧な発音で、「上を向いて歩こう」をフルで歌ったりもした。なんでも、彼女はこの歌をアフリカで教わったらしい。←おお、一番インターナショナルな、日本のポップ曲。また、曲間でも、彼女はこれが私の呼吸の仕方なのと言うかのように、淡いメロディを口ずさんでいたりも。その風情が良い。とかなんとか、いろんな意味で規格外であり、なんかすげえ自分の領域を持っている音楽のムシなり。アルゼンチン、やっぱすごいよー(10月中旬には、これまた注目のカルロス・アギーレの初来日公演がある)。ここからそんなに遠くない某所で早起きのニューヨーカーに電話インタヴューしなきゃいけなくて、本編のみで退出しなければならなかったのは残念。アンコールはどんな世界が展開されたのか。南青山・マンダラ。
アルゼンチンのシンガー・ソングライター、と、書いてしまっていいのかな。だって、そういう一般的な言葉で括っちゃうのが申し訳ない、我が道を行くノリや世界観をあっさり出しているから。打楽器(時にエフェクターをかます)を叩きながら歌う……と、書くと、なんともアレだが、それで、アルゼンチンの伝統と翔んでる先鋭感覚をメビウスの環の上で同居させたような、澄んだ肉体的表現をずばり送り出してしまう人。言葉を超えた、驚異のヴァイブあり。それは聞く者の息を飲ませたり、別の所に連れて行ったり。そんな彼女は、ときにはチャランゴを弾きながら歌ったりもした。また、一部は日本在住だろうアルゼンチン人アーティストが二人、それぞれギターで重なる(うち、一人はアリエル・アッセルボーン)。
彼女はほぼ完璧な発音で、「上を向いて歩こう」をフルで歌ったりもした。なんでも、彼女はこの歌をアフリカで教わったらしい。←おお、一番インターナショナルな、日本のポップ曲。また、曲間でも、彼女はこれが私の呼吸の仕方なのと言うかのように、淡いメロディを口ずさんでいたりも。その風情が良い。とかなんとか、いろんな意味で規格外であり、なんかすげえ自分の領域を持っている音楽のムシなり。アルゼンチン、やっぱすごいよー(10月中旬には、これまた注目のカルロス・アギーレの初来日公演がある)。ここからそんなに遠くない某所で早起きのニューヨーカーに電話インタヴューしなきゃいけなくて、本編のみで退出しなければならなかったのは残念。アンコールはどんな世界が展開されたのか。南青山・マンダラ。
ア・フィレッタ。ダン・ペン・ウィズ・ボビー・エモンズ
2010年8月25日 音楽 ア・フィレッタはフランスのコルシカ島の、驚異のアカペラの男性コーラス・グループ。銀座・王子ホール。PAなしで、生声勝負のパフォーマンスなり。公演終了後、音楽作りもしている論客同業先輩が、「ヌスラットを聞いたとき以来の衝撃。こんなプログレ、聞いたことない」と、コドモのように感嘆しまくっている。
地中海に浮かぶコルシカ島はフランスに属しつつも、独自の言葉を持つことに顕われているように、我が道を行く文化や流儀やツっぱりを持つそうで、島のアイデンティティ復興の機運とともに、同地で育まれてきたポリフォニーなヴォーカル表現をちゃんとやろうという流れが出てきたのだとか。その代表格である彼らは78年の結成、プロとしてやるようになって、10数年たつそうだ。リーダーのジャン・クロウド・アクアヴィヴァは40代半ば、結成時は13歳だったそうで、多くのメンバーは25年以上やっているという。
ステージ上には、黒いシャツと黒いパンツで固めたおっさんとあんちゃん(←まさしく、そういう風情。ちゃんと音楽教育を受けた人はいないそう)が7人。彼らは思うままに重なり、流動性の高い肉声表現を自在に送り出す。なぜ、男性だけ? それはコルシカのコーラス表現の伝統だそうで、労働歌を歌っていた側面もあるし、男性だけのほうがすっきり幅が出るから、みたいなクロウドさんの答え。あなたたちの表現は癒しを与えたり、ときには刺激とともに導きを与えるようなところもある、聖職者が男性であるように、だから男性だけで歌われるのかと思ったと質問を続けると、「ああ、それもある。宗教歌流れの曲もあるしね」
ちらしを見れば、この晩歌われた曲の多くはオリジナル曲で、それがなんともとりとめもなく自在に変化していく感覚を持つのだが、彼らはちゃんと道は見えていると言った感じで重なり(それ、おいしい紋様を描くような感じもあったか)、メロディ的にもテンポ的にも展開が読めない曲を完成させていく。スパっと終わるのも不思議。クロウドが言うには、かなり即興性を持つものだそうで、今はPC(楽譜に基づいて音を出すソフト)を使いメンバーは曲を覚えたりもするそうで、それを言ったあと、クロウドは我々の幻想をぶちこわすような真実を言っちゃったネと笑う。あと、グルジアのコーラス表現との偶然の相似性について、彼は強調していたナ。なんでも、同地に行くと、気候も似ていて地元にいるみたいに寛げるそうだ。
コーラスはときに音叉やハーモニカで音を取ったあと、始められたりも。選抜隊3人で歌われる曲もあった。メンバーが自分の声の音程を把握しやすくするため、耳に手を当て歌う場合が多く、リーダーのクロウドは両手を広げて、時には指揮をするように歌う。その彼のポーズは祈りという言葉を想起させ、絵になるもので、なんか俳優みたいだとも思わせる。男性コーラスやっているとコルシカではモテたりするんですかと聞くと、いやカッコいい奴に負けちゃう(笑い)、との返事でした。なお、いま積極的に外の人たちともいろいろ絡むようにしている彼らは国外向けと島向けとで演目を変えているそう。取材はソトコト誌記事用にやったが、いろんなNPOにも関与しているクロウドは雑誌の内容を喜んでいました。
そして、六本木・ビルボードライブ東京に移動。数々のソウル曲を書いた南部のリジェンダリーな名ソングライター(41年、アラバマ州生まれ)のショウ。エルヴィス・プレスリーをはじめメンフィスでいろんな人をサポートしている鍵盤奏者(ハービー・マンの『メンフィス・アンダーグラウンド』にも参加)を伴ってのもの。その痩身エモンズさん、終始ニコニコしていて、いい味ふりまく。
主役のペンはずんぐりむっくり体系というのはともかく、ジーンズのオーヴァーオールを着用。おお、オーヴァーオールを身につけた人をほんとうにしばらくぶりに見たゾ。で、アコースティック・ギターを爪弾きながら、彼は歌うのだが、朗々としていて、声明瞭。先日のジョン・フォガティ(7月31日)もそうだが、じじいたち余裕で矍鑠としているなー。そんな彼に、エモンズは簡素な音色を持つキーボード演奏で地味に寄り添う。
オーティス・レディング、ジェイムズ・カー、アレックス・チルトン他、曲の説明にはそうそうたる名前が次々に出てくる。簡素なアコースティック伴奏であるためもあり、ソウル・マン提供曲を歌ってもそれほどソウルっぽい感じはないが、年輪はじわーんと広がる。一部は声量のあるエリック・クラプトン(2006年11月20日)なんて思わせるところもあった。蛇足だが、ECの新作はカヴァー主体のとても枯れたアルバムで、スタンダードの「枯葉」を気色悪くキブンだしてやっていたりもする。ライ・クーダーが昔カヴァーしていた曲等もやり、ある意味、ルーツィな米国白人の襞のようなものを解き放っていたところもあったか。
地中海に浮かぶコルシカ島はフランスに属しつつも、独自の言葉を持つことに顕われているように、我が道を行く文化や流儀やツっぱりを持つそうで、島のアイデンティティ復興の機運とともに、同地で育まれてきたポリフォニーなヴォーカル表現をちゃんとやろうという流れが出てきたのだとか。その代表格である彼らは78年の結成、プロとしてやるようになって、10数年たつそうだ。リーダーのジャン・クロウド・アクアヴィヴァは40代半ば、結成時は13歳だったそうで、多くのメンバーは25年以上やっているという。
ステージ上には、黒いシャツと黒いパンツで固めたおっさんとあんちゃん(←まさしく、そういう風情。ちゃんと音楽教育を受けた人はいないそう)が7人。彼らは思うままに重なり、流動性の高い肉声表現を自在に送り出す。なぜ、男性だけ? それはコルシカのコーラス表現の伝統だそうで、労働歌を歌っていた側面もあるし、男性だけのほうがすっきり幅が出るから、みたいなクロウドさんの答え。あなたたちの表現は癒しを与えたり、ときには刺激とともに導きを与えるようなところもある、聖職者が男性であるように、だから男性だけで歌われるのかと思ったと質問を続けると、「ああ、それもある。宗教歌流れの曲もあるしね」
ちらしを見れば、この晩歌われた曲の多くはオリジナル曲で、それがなんともとりとめもなく自在に変化していく感覚を持つのだが、彼らはちゃんと道は見えていると言った感じで重なり(それ、おいしい紋様を描くような感じもあったか)、メロディ的にもテンポ的にも展開が読めない曲を完成させていく。スパっと終わるのも不思議。クロウドが言うには、かなり即興性を持つものだそうで、今はPC(楽譜に基づいて音を出すソフト)を使いメンバーは曲を覚えたりもするそうで、それを言ったあと、クロウドは我々の幻想をぶちこわすような真実を言っちゃったネと笑う。あと、グルジアのコーラス表現との偶然の相似性について、彼は強調していたナ。なんでも、同地に行くと、気候も似ていて地元にいるみたいに寛げるそうだ。
コーラスはときに音叉やハーモニカで音を取ったあと、始められたりも。選抜隊3人で歌われる曲もあった。メンバーが自分の声の音程を把握しやすくするため、耳に手を当て歌う場合が多く、リーダーのクロウドは両手を広げて、時には指揮をするように歌う。その彼のポーズは祈りという言葉を想起させ、絵になるもので、なんか俳優みたいだとも思わせる。男性コーラスやっているとコルシカではモテたりするんですかと聞くと、いやカッコいい奴に負けちゃう(笑い)、との返事でした。なお、いま積極的に外の人たちともいろいろ絡むようにしている彼らは国外向けと島向けとで演目を変えているそう。取材はソトコト誌記事用にやったが、いろんなNPOにも関与しているクロウドは雑誌の内容を喜んでいました。
そして、六本木・ビルボードライブ東京に移動。数々のソウル曲を書いた南部のリジェンダリーな名ソングライター(41年、アラバマ州生まれ)のショウ。エルヴィス・プレスリーをはじめメンフィスでいろんな人をサポートしている鍵盤奏者(ハービー・マンの『メンフィス・アンダーグラウンド』にも参加)を伴ってのもの。その痩身エモンズさん、終始ニコニコしていて、いい味ふりまく。
主役のペンはずんぐりむっくり体系というのはともかく、ジーンズのオーヴァーオールを着用。おお、オーヴァーオールを身につけた人をほんとうにしばらくぶりに見たゾ。で、アコースティック・ギターを爪弾きながら、彼は歌うのだが、朗々としていて、声明瞭。先日のジョン・フォガティ(7月31日)もそうだが、じじいたち余裕で矍鑠としているなー。そんな彼に、エモンズは簡素な音色を持つキーボード演奏で地味に寄り添う。
オーティス・レディング、ジェイムズ・カー、アレックス・チルトン他、曲の説明にはそうそうたる名前が次々に出てくる。簡素なアコースティック伴奏であるためもあり、ソウル・マン提供曲を歌ってもそれほどソウルっぽい感じはないが、年輪はじわーんと広がる。一部は声量のあるエリック・クラプトン(2006年11月20日)なんて思わせるところもあった。蛇足だが、ECの新作はカヴァー主体のとても枯れたアルバムで、スタンダードの「枯葉」を気色悪くキブンだしてやっていたりもする。ライ・クーダーが昔カヴァーしていた曲等もやり、ある意味、ルーツィな米国白人の襞のようなものを解き放っていたところもあったか。
コーネル・デュプリー
2010年8月31日 音楽 お、デュプリー。久しぶりだな。ソウル・サヴァイヴァーズ名義では近年もけっこう訪日しているはずだが、同郷先輩(テキサス州フォートワース)のキング・カーティスのバンドに入って60年代アトランティック・ソウルを支えた、この個性派ギタリストをぼくが見るのは、2002年6月25日(極東ワールド・カップの期間中でした)以来。サポートするのは、コンパス・ポイントに住む前(70年代初期〜中期)の故ロバート・パーマーに重用されたことで知られるジェイムズ・アレン・スミス(キーボード)、この7月にはリーダーとしてブルーノートに出演していたロニー・キューバー(サックス)、デュプリーも在籍したスタッフのリーダーだったゴードン・エドワーズ(ベース)、やはりサポートで6月にブルーノートに出演しているバディ・ウィリアムズ(2009年6月17日、他)という面々。キューバー以外はアフリカ系。あ、キューバーとデュプリーはキング・カーティスのザ・キング・ピンズの大人な発展を主目的としたザ・ガッド・ギャング(80年代後期にスティーヴ・ガッドが組んだ、“ポスト・スタッフ”的なバンド)の仲間でもありましたね。
ちょい遅れ気味に、面々は出てくる。え、と少し息を飲む。というのも、エドワーズは杖をつき、デュプリーは機械と繋がったチューブを鼻に差し込んでの登場ではあったから。やはり、痛々しい。と、思うのもつかのま、デュプリーの緩〜いMCもあり、スーダラした乗りがすぐにぽわーんと出てくるわけだが。手には(多分)バーボンのロック、デュプリーは途中でおかわりも要求した。飲んでいたのは、彼だけだったな。90年代前半に取材したとき、(NYから)故郷のフォートワースに戻ったんだと言っていた彼だったが、今はどうなんだろう。確かに90年代に入る頃からデュプリーの参加セッションは激減したはずだが。そんな彼の最後の方のビッグな仕事は、マライア・キャリーの『エモーションズ』(91年)のレコーディング参加。どういう経緯で入ったのとそのとき聞いたら、ウィル・リー(2009年8月19日、他)からの連絡だったとか。そして、スタジオに行ったら「(デュプリーがバッキングをした)アリサ・フランクリンの雰囲気を求めたくて、あなたを呼びました。よろしくお願いします」と、本人から言われたそう。
オープナーはエディ・ハリスの「フリーダム・ジャズ・ダンス」。で、ぼくはいささかびっくり。そして、引き付けられる。あのグルーヴィにして複雑なテーマを持つ曲を見事に彼ら流に解釈してやっていたから。定型コード進行のもとちんたら楽器音を流すのではなく、ちゃんと自分たちの意義を理解し、意気と共に重なりあうのダという意思にそれは満ちていた。な〜んて、実は来日時に毎度手癖で披露するおなじみのレパートリーだったりするのかもしれないけど。でも、間違いなく、デュプリーはイケてる。8年前に見たときより確実に引っかかりを持ってぼくを引き付けたのは確か。オーイエイ。何度もぼくは演奏中に、ココロの中で喝采しました。
途中で1曲、もろなスロウ・ブルース。良い、味ありすぎ。7分目で弾いているのもグっとこさせ、ここにしっかりと伝統を抱えたオーセンティックな大人のブルース・ギター弾きがいると感激できた。また中盤には、ザ・ビートルズの「サムシング」を演奏したりも。いい感じで開かれるそれを聞いて、ぼくはこのジョージ・ハリソン作の曲を一瞬ジョン・レノン主導の曲かと勘違いしちゃった。だって、なんか掛け替えのない心の欠片が一杯そこに見えたんだもの。ゴードン・エドワーズのことをレノンが気に入り、かつて起用していたことを思い出していたからかもしれないな。エドワーズは1曲、お茶目に歌う。それ、スタッフのアルバムに入っていたっけ?
終盤、デュプリーがリクエストはとかMCをしていると、奥からマネージャーだろうおばさんが「ウォッチング・ザ・リヴァー・フロウで、とっとと締めなさいよ」みたいな感じの声をあげる。無視して、また少し話した後、ボブ・ディラン曲だよと言って、ザ・ガッド・ギャングの定番曲だった、その「ウォッチング・ザ・リヴァー・フロウ」を悠々演奏。熱い拍手。それでおしまいかなと思ったら、デュプリーは声援に応えるようにもう一曲演奏しようとし……そしたら、また件の女性が「なにやろうとしてんの。ケツかっちんの時刻を8分も過ぎてるんだから、もう駄目よ」とか、わめく。が、彼はそんなこと知るかといった感じ(にやりと腕時計を見たりも)で、やはりザ・ガッド・ギャングでやっていたザ・クルセイダーズ(2005年3月8日)がオリジナルの「ウェイ・バック・ホーム」を、まさにクロージングのテーマ曲のようにおおらかに演奏しはじめる。その瞬間におばさん、「オー・マイ・ガッド」と嘆く。あはは、最高。客が喜んでくれるならオイラはそれに応える、といったような澄んだ音楽家侠気をぼくはそこにおおいに見ちゃったナ。素晴らしい! でも、楽屋に戻り、彼は怖いマネージャーにこってりしぼられたんじゃないだろうか(←でも、暖簾に腕押し、かな)。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。
ちょい遅れ気味に、面々は出てくる。え、と少し息を飲む。というのも、エドワーズは杖をつき、デュプリーは機械と繋がったチューブを鼻に差し込んでの登場ではあったから。やはり、痛々しい。と、思うのもつかのま、デュプリーの緩〜いMCもあり、スーダラした乗りがすぐにぽわーんと出てくるわけだが。手には(多分)バーボンのロック、デュプリーは途中でおかわりも要求した。飲んでいたのは、彼だけだったな。90年代前半に取材したとき、(NYから)故郷のフォートワースに戻ったんだと言っていた彼だったが、今はどうなんだろう。確かに90年代に入る頃からデュプリーの参加セッションは激減したはずだが。そんな彼の最後の方のビッグな仕事は、マライア・キャリーの『エモーションズ』(91年)のレコーディング参加。どういう経緯で入ったのとそのとき聞いたら、ウィル・リー(2009年8月19日、他)からの連絡だったとか。そして、スタジオに行ったら「(デュプリーがバッキングをした)アリサ・フランクリンの雰囲気を求めたくて、あなたを呼びました。よろしくお願いします」と、本人から言われたそう。
オープナーはエディ・ハリスの「フリーダム・ジャズ・ダンス」。で、ぼくはいささかびっくり。そして、引き付けられる。あのグルーヴィにして複雑なテーマを持つ曲を見事に彼ら流に解釈してやっていたから。定型コード進行のもとちんたら楽器音を流すのではなく、ちゃんと自分たちの意義を理解し、意気と共に重なりあうのダという意思にそれは満ちていた。な〜んて、実は来日時に毎度手癖で披露するおなじみのレパートリーだったりするのかもしれないけど。でも、間違いなく、デュプリーはイケてる。8年前に見たときより確実に引っかかりを持ってぼくを引き付けたのは確か。オーイエイ。何度もぼくは演奏中に、ココロの中で喝采しました。
途中で1曲、もろなスロウ・ブルース。良い、味ありすぎ。7分目で弾いているのもグっとこさせ、ここにしっかりと伝統を抱えたオーセンティックな大人のブルース・ギター弾きがいると感激できた。また中盤には、ザ・ビートルズの「サムシング」を演奏したりも。いい感じで開かれるそれを聞いて、ぼくはこのジョージ・ハリソン作の曲を一瞬ジョン・レノン主導の曲かと勘違いしちゃった。だって、なんか掛け替えのない心の欠片が一杯そこに見えたんだもの。ゴードン・エドワーズのことをレノンが気に入り、かつて起用していたことを思い出していたからかもしれないな。エドワーズは1曲、お茶目に歌う。それ、スタッフのアルバムに入っていたっけ?
終盤、デュプリーがリクエストはとかMCをしていると、奥からマネージャーだろうおばさんが「ウォッチング・ザ・リヴァー・フロウで、とっとと締めなさいよ」みたいな感じの声をあげる。無視して、また少し話した後、ボブ・ディラン曲だよと言って、ザ・ガッド・ギャングの定番曲だった、その「ウォッチング・ザ・リヴァー・フロウ」を悠々演奏。熱い拍手。それでおしまいかなと思ったら、デュプリーは声援に応えるようにもう一曲演奏しようとし……そしたら、また件の女性が「なにやろうとしてんの。ケツかっちんの時刻を8分も過ぎてるんだから、もう駄目よ」とか、わめく。が、彼はそんなこと知るかといった感じ(にやりと腕時計を見たりも)で、やはりザ・ガッド・ギャングでやっていたザ・クルセイダーズ(2005年3月8日)がオリジナルの「ウェイ・バック・ホーム」を、まさにクロージングのテーマ曲のようにおおらかに演奏しはじめる。その瞬間におばさん、「オー・マイ・ガッド」と嘆く。あはは、最高。客が喜んでくれるならオイラはそれに応える、といったような澄んだ音楽家侠気をぼくはそこにおおいに見ちゃったナ。素晴らしい! でも、楽屋に戻り、彼は怖いマネージャーにこってりしぼられたんじゃないだろうか(←でも、暖簾に腕押し、かな)。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。