レイチェル・ヤマガタ、ケヴィン・ディヴァイン
2009年2月16日 音楽 日系四世という、77年生まれの本格派の米国人シンガー・ソングライター。……あれれれえ、不思議。前回来日時の彼女のショウを見て、その良き印象をここにも書いているはずなのだが、見つからない。ジャケ写はうまく撮られていると思わせ、本当に音楽面だけで認められ前線まで上り詰めた人なのだなと痛感させられた事が強く印象に残っているのだが……。気のせいかな。いや、中川五郎さんとバックのヴァイオリンとチェロ担当のお姉さんについて、どっちがいい?とか話をしたはずだあ。
南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。まず、ケヴィン・ディヴァインという、NYブルックリンに住む痩身のお兄さんが出てきて、基本地味な生ギターの弾き語り。彼、ミレニアム前半はザ・ミラクル・オブ86というけっこうがちんこなバンドも並行してやっていたのだが、オープナーとクローザー(といっても、全部で5、6曲ぐらいしかやらなかったが)はけっこうオフ・マイクで雄々しく歌う。その様に触れながら、なんかこの前のザ・スウェル・シーズン(2009年1月15日)のグレン・ハンサードの様を思い出したりして。いや、それは途中の曲説明をした際、アイルランド人は大酒飲みで狼藉しちゃうという歌で、僕もアイリッシュなんだけど……みたいな箇所があったからか。
そんな彼の歌を聞きながら、この前ぐうぜん光ファイバーのTVチャンネルで見た「時空刑事1973」という海外ドラマのある回の内容を思い出した。現代の刑事が73年にタイム・スリップしてしまい、環境の変化や原始的かつ人権無視の捜査法にとまどいつつ表面上はクールに+α……てな内容を持つもので、06年に英BBCで放映されたシリーズのようだが、ぼくが見た回はこれで大丈夫なのかあと心配せずにはいられないばりばりアイルランド人を蔑視した内容のものだったんだよなー。一時UKソウルの売れっ子プロデューサーとして大車輪したレイ・ヘイデンはアイリッシュ移民で、「子供のころは、アイルランド人と中国人と犬はお断り、みたいな張り紙がよくパブのドアにはあった」と言っていた事があったが、本当にアイルランドは英国から低く見られていたのは間違いのないことのよう。そういえば、あるUKブルー・アイド・ソウルの担い手を90年代に取材したときに、アイリシュの血を引いてる?となんとなく聞いたら、「うん。でも、そのことはあまり公言していないんだ」と、返答されたこともあったっけ。なんて、短時間のうちに、いろんな事を思い出す。ディヴァインの歌って、けっこうアイリッシュ性を持っていたのかな。ちなみに、「時空刑事1973」の原タイトルは「Life on Mars」。デイヴィッド・ボウイーの曲名を拝借したもので、もちろん劇中でいろいろ使われる音楽は70年代前半のもの。けっこう、その部分でくすぐるものがあったりする。
ヤマガタのステージはギター2、チェロ、ベース、ドラムという布陣にて。今回のサポート陣は全員男性。うち、ギターの一人はセミ・アコースティック・ギターを持ったディヴァイン。もう一人のギタリストがべらぼうに腕が立つ人なこともあり採用するサウンドはギター一本で十分済むものなのだが、どうせなら一緒にやっちゃいましょうよと、ヤマガタが彼を誘ったのか。そう、想像したくなる、いい感じの空気がバンド内にはある。ディヴァインは楽譜なしで混ざっていたはずだ。しかし、なぜデヴァインは今回同行来日したのか、けっこう謎。このあと、ヤマガタは英国に行き、そのまま欧州各所を回るようだが、ディヴァインはそれには付かないようであるし……。
ともあれ、昨年ワーナー・ブラザーズに移ってリリースした新作も素晴らしい内容だったが、ヤマガタはやっぱすげえゾ、そう思わずにはいられないパフォーマンスを彼女は堂々披露。まっとうな楽曲を開く歌の確かで、力があることと言ったなら。その歌の持つ多大な質感は、<支持者が一人もいなくなっても、私は毅然として歌い続ける>みたいな覚悟のようなものを透かさせて見せた……な〜んて書かせるものだったかも。また、ロック的なデコボコを持つ行き方と格調高く風雅なチェロが無理なく重なるバンド・サウンドも良質。伴奏者はみんな、腕達者な人たちでそれもヤマガタの才ゆえと思わせられる。書き遅れたが、彼女はピアノか生ギターを弾きながら歌う(後者のほうが少し多かったかな)がぼくはピアノを弾きながら歌う曲のほうがほうがだんぜん好き。彼女のソロ弾き語りも2曲あったが、ギターとピアノのそれ(こちらは、アンコ—ル曲)をそれぞれ1づつ聞かせた。
けっこう暖かい日が続いていたが、今日は日が暮れてからかなり冷えひえ。うーん、キツい。かなしい。
南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。まず、ケヴィン・ディヴァインという、NYブルックリンに住む痩身のお兄さんが出てきて、基本地味な生ギターの弾き語り。彼、ミレニアム前半はザ・ミラクル・オブ86というけっこうがちんこなバンドも並行してやっていたのだが、オープナーとクローザー(といっても、全部で5、6曲ぐらいしかやらなかったが)はけっこうオフ・マイクで雄々しく歌う。その様に触れながら、なんかこの前のザ・スウェル・シーズン(2009年1月15日)のグレン・ハンサードの様を思い出したりして。いや、それは途中の曲説明をした際、アイルランド人は大酒飲みで狼藉しちゃうという歌で、僕もアイリッシュなんだけど……みたいな箇所があったからか。
そんな彼の歌を聞きながら、この前ぐうぜん光ファイバーのTVチャンネルで見た「時空刑事1973」という海外ドラマのある回の内容を思い出した。現代の刑事が73年にタイム・スリップしてしまい、環境の変化や原始的かつ人権無視の捜査法にとまどいつつ表面上はクールに+α……てな内容を持つもので、06年に英BBCで放映されたシリーズのようだが、ぼくが見た回はこれで大丈夫なのかあと心配せずにはいられないばりばりアイルランド人を蔑視した内容のものだったんだよなー。一時UKソウルの売れっ子プロデューサーとして大車輪したレイ・ヘイデンはアイリッシュ移民で、「子供のころは、アイルランド人と中国人と犬はお断り、みたいな張り紙がよくパブのドアにはあった」と言っていた事があったが、本当にアイルランドは英国から低く見られていたのは間違いのないことのよう。そういえば、あるUKブルー・アイド・ソウルの担い手を90年代に取材したときに、アイリシュの血を引いてる?となんとなく聞いたら、「うん。でも、そのことはあまり公言していないんだ」と、返答されたこともあったっけ。なんて、短時間のうちに、いろんな事を思い出す。ディヴァインの歌って、けっこうアイリッシュ性を持っていたのかな。ちなみに、「時空刑事1973」の原タイトルは「Life on Mars」。デイヴィッド・ボウイーの曲名を拝借したもので、もちろん劇中でいろいろ使われる音楽は70年代前半のもの。けっこう、その部分でくすぐるものがあったりする。
ヤマガタのステージはギター2、チェロ、ベース、ドラムという布陣にて。今回のサポート陣は全員男性。うち、ギターの一人はセミ・アコースティック・ギターを持ったディヴァイン。もう一人のギタリストがべらぼうに腕が立つ人なこともあり採用するサウンドはギター一本で十分済むものなのだが、どうせなら一緒にやっちゃいましょうよと、ヤマガタが彼を誘ったのか。そう、想像したくなる、いい感じの空気がバンド内にはある。ディヴァインは楽譜なしで混ざっていたはずだ。しかし、なぜデヴァインは今回同行来日したのか、けっこう謎。このあと、ヤマガタは英国に行き、そのまま欧州各所を回るようだが、ディヴァインはそれには付かないようであるし……。
ともあれ、昨年ワーナー・ブラザーズに移ってリリースした新作も素晴らしい内容だったが、ヤマガタはやっぱすげえゾ、そう思わずにはいられないパフォーマンスを彼女は堂々披露。まっとうな楽曲を開く歌の確かで、力があることと言ったなら。その歌の持つ多大な質感は、<支持者が一人もいなくなっても、私は毅然として歌い続ける>みたいな覚悟のようなものを透かさせて見せた……な〜んて書かせるものだったかも。また、ロック的なデコボコを持つ行き方と格調高く風雅なチェロが無理なく重なるバンド・サウンドも良質。伴奏者はみんな、腕達者な人たちでそれもヤマガタの才ゆえと思わせられる。書き遅れたが、彼女はピアノか生ギターを弾きながら歌う(後者のほうが少し多かったかな)がぼくはピアノを弾きながら歌う曲のほうがほうがだんぜん好き。彼女のソロ弾き語りも2曲あったが、ギターとピアノのそれ(こちらは、アンコ—ル曲)をそれぞれ1づつ聞かせた。
けっこう暖かい日が続いていたが、今日は日が暮れてからかなり冷えひえ。うーん、キツい。かなしい。