オマラ・モクタル“ボンビーノ”、藤本一馬。ラムゼイ・ルイス・エレクトリック・バンド
2011年8月22日 音楽 今日から3日間は、<スキヤキ・トーキョー>という帯の出し物がある。もう20年も富山県南砺市で行われているワールド・ミュージック系フェスである<スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド>の目玉出演者の公演を東京でもやろうという趣旨のもと、今年(から)開催された。
その初日はニジェールのトゥアレグ族、ようは“砂漠のブルース”系表現を聞かせるオマラ・モクタル“ボンビーノ”の巻。その露払い役として、オレンジ・ペコーのギタリストである藤本一馬が出演。彼は、南砺市の本編のほうは出ていないようだ。
藤本はオーガニックかつけっこうオープン・チューニングの素敵や快感も携える、もう一つのジャズをしたためたトリオ編成による初ソロ作『SUN DANCE』を6月にリリースしたが、今回はそのアルバム参加者を揃えてのパフォーマンス。助力者は、ウッド・ベースの工藤精と各種打楽器の岡部洋一(2011年2月10日、他)。視野の広い三者が自在に絡み、世界を旅する風情を持つアコースティック表現を悠々展開する。1時間はパフォーマンスしたと思う。
その後、風体ですぐに砂漠の人たちと合点が行く、ボンビーノたちの実演がはじまる。ボンビーノのギター弾き語りではじまり、そこにサイド・ギター、打楽器×2の3人が加わる。独特な癖ある抑揚とひっかかりが呪術的に湧き出て来る、という感じ。ギターがエレクトリック・ギターだったり、打楽器の一人がドラム・セットを叩くあたり、ティナリウェン(2005年9月2日)より若い世代の担い手だなという感じはバリバリ。あ、ティナリウェンも普通にテレキャスターを使っていたっけっか。ボンビーノは80年生まれのようだ。
次の場所への移動のため、途中で時間切れ。うえーん。そして、南青山・ブルーノート東京で、ヴェテラン・ジャズ・ピアニストのラムゼイ・ルイス(2008年7月2日、2009年8月29日、2010年9月28日)を見る。彼は70 年代中期にブラック・ファンク路線を歩んだりもしたが(それを最初に導いたのは、その10年前にルイス・トリオに在籍したEW&Fのモーリス・ホワイトですね)、今回はあの辺りの路線を踏襲すると理解して行ったら……。そんなにエレクトリック傾向にあるライヴではなかったな。
ベース奏者はアコースティックと電気の両方を弾く。感じとしては、穏健気味ファンキーなピアノ・トリオ編成に曲によってはおいしいアクセントや音色を控え目に加える電気キーボード奏者やギタリストがつき、その際はリズムもステディ度を増すと行った感じか。後にEW&F(2006年1月17日)も取り上げるホワイトがルイスに提供した「サン・ゴッテス」とかはやはり起爆力あり。やっぱ、今回はもうちょい“電気”度をあげて、パフォーマンスしてほしかった。でも、35年生まれの御大は今さら無理して若返ってもしょうがないじゃんという思いがあったろうことは、容易に推測できた。
あんまし目立たなかったが、80年代にMCAなんかにリーダー作も残すギタリストのヘンリー・ジョンソンのちょっとした弾き味にはかなり感心。本当に、伝統に連なる含蓄ある演奏をできちゃうのが露になっていて。さすが、本場の熟練者(54年生まれ)はすごい。その技量や含みの深さだけなら先に見た藤本はとうていかなわない。だが、そのぶん、藤本にはいろんな表現を受けている世代だからこその、自在の広がりと視点がある。そして、現代の担い手には、よりそういう部分の冴えが必用とされるのだよなーと、強く思わされた。
<今日のへーえ>
クラブクアトロで、ボンビーノたちが出てきて、ほうと頷く。みんな、頭が小さい。見事に。身体も華奢ネ。だから、イロ男ぽくも見える? というのはともかく、トゥアレグの人たちって、頭が小さい(太陽光を過剰に受けるのをふせぐため、とか)という定説はあるのだろうか。それとも、食べ物が関係しているのかな。
その初日はニジェールのトゥアレグ族、ようは“砂漠のブルース”系表現を聞かせるオマラ・モクタル“ボンビーノ”の巻。その露払い役として、オレンジ・ペコーのギタリストである藤本一馬が出演。彼は、南砺市の本編のほうは出ていないようだ。
藤本はオーガニックかつけっこうオープン・チューニングの素敵や快感も携える、もう一つのジャズをしたためたトリオ編成による初ソロ作『SUN DANCE』を6月にリリースしたが、今回はそのアルバム参加者を揃えてのパフォーマンス。助力者は、ウッド・ベースの工藤精と各種打楽器の岡部洋一(2011年2月10日、他)。視野の広い三者が自在に絡み、世界を旅する風情を持つアコースティック表現を悠々展開する。1時間はパフォーマンスしたと思う。
その後、風体ですぐに砂漠の人たちと合点が行く、ボンビーノたちの実演がはじまる。ボンビーノのギター弾き語りではじまり、そこにサイド・ギター、打楽器×2の3人が加わる。独特な癖ある抑揚とひっかかりが呪術的に湧き出て来る、という感じ。ギターがエレクトリック・ギターだったり、打楽器の一人がドラム・セットを叩くあたり、ティナリウェン(2005年9月2日)より若い世代の担い手だなという感じはバリバリ。あ、ティナリウェンも普通にテレキャスターを使っていたっけっか。ボンビーノは80年生まれのようだ。
次の場所への移動のため、途中で時間切れ。うえーん。そして、南青山・ブルーノート東京で、ヴェテラン・ジャズ・ピアニストのラムゼイ・ルイス(2008年7月2日、2009年8月29日、2010年9月28日)を見る。彼は70 年代中期にブラック・ファンク路線を歩んだりもしたが(それを最初に導いたのは、その10年前にルイス・トリオに在籍したEW&Fのモーリス・ホワイトですね)、今回はあの辺りの路線を踏襲すると理解して行ったら……。そんなにエレクトリック傾向にあるライヴではなかったな。
ベース奏者はアコースティックと電気の両方を弾く。感じとしては、穏健気味ファンキーなピアノ・トリオ編成に曲によってはおいしいアクセントや音色を控え目に加える電気キーボード奏者やギタリストがつき、その際はリズムもステディ度を増すと行った感じか。後にEW&F(2006年1月17日)も取り上げるホワイトがルイスに提供した「サン・ゴッテス」とかはやはり起爆力あり。やっぱ、今回はもうちょい“電気”度をあげて、パフォーマンスしてほしかった。でも、35年生まれの御大は今さら無理して若返ってもしょうがないじゃんという思いがあったろうことは、容易に推測できた。
あんまし目立たなかったが、80年代にMCAなんかにリーダー作も残すギタリストのヘンリー・ジョンソンのちょっとした弾き味にはかなり感心。本当に、伝統に連なる含蓄ある演奏をできちゃうのが露になっていて。さすが、本場の熟練者(54年生まれ)はすごい。その技量や含みの深さだけなら先に見た藤本はとうていかなわない。だが、そのぶん、藤本にはいろんな表現を受けている世代だからこその、自在の広がりと視点がある。そして、現代の担い手には、よりそういう部分の冴えが必用とされるのだよなーと、強く思わされた。
<今日のへーえ>
クラブクアトロで、ボンビーノたちが出てきて、ほうと頷く。みんな、頭が小さい。見事に。身体も華奢ネ。だから、イロ男ぽくも見える? というのはともかく、トゥアレグの人たちって、頭が小さい(太陽光を過剰に受けるのをふせぐため、とか)という定説はあるのだろうか。それとも、食べ物が関係しているのかな。