代官山・ユニットで、デヴェンドラ・バンハート(2010年2月4日、他)を見る。現代ロック界の重要人物の一人であるはずなのに、会場はぎょっとするほど空いていて、愕然。フジとサマーソニックの2つのロック・フェスに挟まれているというのは、やはり大きいのか。また、前回来日時から新作を出していないというのは、ファンから敬遠された理由になっている?

 でも、そこはデヴェンドラ、前回同様の4人のサポート陣(ギター×2、ベース、ドラム)を従えたギグながら、1年半前のライヴとは別のフェイズを持っていたのではないか。前半部に淡々と続けられたのは、オールドタイムなと言いたくなる、一握りの甘酸っぱさを持つ、生理的に穏健なポップ・ナンバー。前回公演もだいぶ怪しさは減じていたものの、今回は髪もお行儀よくカットしていて、よりフツーのいい人路線は強調される。1曲終えて、彼はアイドルのように、ニコニコとお客さんに向かって手を振ったりもしたが、それもなんか違和感がなかった。で、そうしたパフォーマンスからはジューシーな歌心、ちゃんと温もりを持つ音楽家の心持ちのようなものが、浮び上がってくる。

 というような実演に触れながら、ぼくが思い出したのは、マイケル・フランティ(2006年10月5日、他)の、2008年にインタヴューしたときの以下の発言だ。

 「俺は確かに政治的なアーティストで、様々な活動もしてきている。だけど、(イラクに行って)ストリートにいるイラク人に音楽を演奏したとき、彼らは何て言ったと思う? “ラヴ・ソングを歌ってくれ!”、だよ(笑)。彼らは戦争の歌なんて聞きたくない。彼らは戦争の中に生きているんだから。だからラヴ・ソングや踊れる曲を聞きたいし、人生に対する情熱を歌い上げる曲を必要とするんだ。そういった経験からも、俺は人の心が持つすべての感情を映し出す音楽をやりたいと思っている。もちろん、社会の色々なことに対して時にはノーと言わねばならないけれど、同時に愛や文化や情熱を賛美することも必要なんだ」

 フランティの08年作『オール・レベル・ロッカーズ』(アンタイ)はその反骨的なアルバム・タイトルと裏腹に娯楽性に富む歌詞が目立ち、両手を広げるようなポップな曲が印象に残る内容となっていたが、その奥にはそういう心持ちが反映されていたのだ。そして、今回のバンハートのショウの手触りにも、ぼくはフランティが抱えた心境の変化のようなものを感じずにはいられなかった。とともに、それはバンハートが震災や原発事故という惨事を受けてしまった日本に対する思いの裏返しであるとも……。

 中盤は、しっとりギターの弾き語りを一人でやり、後半はバンドに戻り、ときに混沌方向に行きかかるところもあったが、間違いなく控え目であり、見せなくていい“暗黒”や“傷口”を回避するものであるように、ぼくには思えた。だが、それは手を抜いたわけでも、彼が分別ある大人になったわけでもなく、世界の現況、とくに日本に抱く思いの重さが、そういう行き方に彼を向かわせているのではなかろうか。ぼくは、彼の“慈しみの滴”を実演のあちこちに見てしまった。

 けっして軽くない感想を得た後に、渋谷・クラブクアトロに移動。バンハート公演が1時間半にも満たない演奏時間であったこと、そしてこちらは2つも前座があったことで、リーボウ(2010年12月12日、他)公演の1曲目に滑り込むことができて、うれし。世の中、うまくできているナ。ただし、こっちはぎょぎょっとするほど込んでいる。700人以上入っていたそう。一昨日のコンゴトロニクス公演も同様であったらしいが、悲しくなるほど前売りが伸びていなかったのに、直前になって売れたのだそう。なお、リーボウ組もフジ・ロックに出演している。

 NY狼藉ジャズ〜ボーダーレス・ミュージックの主任ギタリストにして、曲者ロッカーからも表現に生きた陰影やはみ出しを与える奏者として引っ張りだこ(今は、T・ボーン・バーネットとジョー・ヘンリー;2010年4月4日他、現米国ロックの二大制作者がもっとも重用するギタリストでもありますね)のリーボウが90年代後期に突如始めたキューバン・ラテン音楽バンドが偽キューバ人たち(Los Cubanos Postizos)。もともとはアフロ・キューバンの偉人トレス奏者であるアルセニオ・ロドリゲスの魔法をなんとか引き寄せんと結成したもので、98年と00年にアトランティックから2枚のアルバムを出し、01年にはそれで来日したこと(2001年1月19日)もあった。で、今回の偽キューバ人も前回とまったく同じ顔触れによるもの。結局、ブラッド・ジョーンズ(2004年9月13日)は身内の不幸かなんかで別の人に変わったが、その代理のベーシストもかっちょいいベースを弾いていたな。

 技術と経験とバカヤロの心とラテン音楽愛が濃密にとぐろを巻く、よく弾み、飛躍もある、笑顔のインスト表現。このバンドだとリーボウは過剰に“破れ”たり“迷宮入り”することはせず、ビートに乗って、無理なく歌う。カルロス・サンタナみたい、と言う人もいたか。ともあれ、受け手は、生きた意思を持つ音楽の醍醐味を目一杯享受したに違いない。

<今日のリーボウ>
 16時過ぎ、サウンド・チェックを終えたリーボウに、楽屋で取材。前回、偽キューバ人で来たときにもインタヴューしたので、ちょうど10年ぶりの取材。どこか斜に構えたところも感じさせるが、それは照れと諧謔の裏返しであり、今回の取材で、かなり太い芯と知性をもつがゆえの独立独歩であることが実感できた。
 90年にアイランド/アンティルズから出した『ルートレス・コスモポリタンズ』という彼のアルバムがあって、セロニアス・モンク的回路をパンク・ジャズ的環境に移したような内容でぼくは大好き(そう言いつつ、ずっと聞いていないが、かつてはこれこそがぼくの理想のジャズの一つ、と思っていた)なんだが、リーボウ自身はそんなに好きじゃないとか。ガクっ。ただし、ナチスのユダヤ人排斥までさかのぼるそのルートレス・コスモポリタンという言葉の本来のダークな由来についてはじっくり説明してくれる。へえ。今回の取材は2誌に書き分けることになっているが、その項目については、ともに使わないだろうけど。
 取材前にやっていたバンドのリハーサルもばっちし見る事ができた。本編は激込みで(→でも、またの来日が決まりやすくなるはず)、とっても見づらかったから、それはとてもありがたかった。ちんたらやってるなーと思ったら、けっこうギンギン弾き出したりもし、さらにはバンド一丸の白熱(=魔法を持つ)演奏に発展したりも。そこはミュージシャン、やってると興が乗っちゃうんだよなあ。
 コンソール部を見ると、エンジニアリングをしているのはオノセイゲン(2009年1月17日、他)。ありゃ。ライヴの現場やるのは久しぶりじゃねえのと話しかけると、まさしくそうとか。リーボウさん、今の偽キューバ人はいい感じにあって、この日のライヴ・レコーディング(を考慮にいれたので、いつもより、少し入念にリハしたというのはあったかも)音源を商品化する可能性もあるとか。期待しよう。なお、セイゲンのアルバムにはリーボウが入っているものもある。まあ、カエターノ・ヴェローゾ(2005年五月23日)がライナーノーツを書いた(そのポル語原稿の英訳はアート・リンゼーが担当)リーダー作も持っている御仁だからなー。
 それから、カナダの超歌心アリの現代ロック・バンドのパトリック・ワトソン(2008年11月12日、2009年8月8日、2010年1月21日)のギタリストにギターを教えたことがあるのと問うと、本当だそう。でも、それは希有なケースらしい。リーボウは3年連続で年末の矢野顕子のツアーに参加してバンド表現を育んできたが、今年はやらないとのこと。残念。