再結成した日本人トリオ・バンドのGREAT ADVENTUREとのスプリット公演(という言い方をしていいのかな?)、後に出てきたMountain Mocha Kilimanjaro(2008年10月15日)のショウだけを見る。03年結成のレッド・ホット・チリ・ペッパーズのコピー・バンドに端を発する2管つきの6人組のファンク・インスト・バンド、実は先日の近藤房之介のショウ(6月16日)のときの選抜メンバーが参加したバンド音がおいしかったので、ちょい見たくなった次第。渋谷・クラブクアトロ。

 面々は、思い思いにスーツ、ネクタイ、帽子を身に付けている。で、こんなだったかなと、興味を感じるところは多々。とにかく、こんなにバンドの質感がゴリゴリだったっけか。ベース音がそういう印象を導く音質を採用していて、それに無理なく重なるバンド音がそうした所感を強める。で、ソロを聞かせる場合もなくはないが、基本は太いリフ/アンサンブルでぐいぐい流れて行くパフォーマンスを聞かせる。無骨。けっこう曲も、切れ目なしにつなげられて届けられる。ジャム・バンド濃度を増しているという、感想も得たか。他のレア・グルーヴ視点を持つ、ジャズ・ファンク系バンドと差別化を図れるところがあるなあと、納得。一度取材したとき、海外進出志向を口にしていた(すでに英国からアナログがリリースされたり、豪州ツアーをしていたりするが)が、そんなポイントは武器になるだろう。

<昔からの、ほのかな願望>
 だいぶ昔から暇なときにしてみたいと、思っていることがある。それは、家の最寄りが池尻大橋駅なので、外出するときに基本つかっている田園都市線を、隅から隅まで乗ってみたいナということ。ぜんぜん、鉄道マニアじゃないんですけどね(子供のころは電車よりバスのほうがべらぼうに好きでした)。田園都市線は地下鉄半蔵門線、さらには東武伊勢佐木線もしくは東武日光線まで一本で繋がっているのだが、それは100キロ近くと相当に長く、全部乗ると2時間半はかかるのだそう。うぬ、ちょっとした旅行だな。平日昼間に、端(田園都市線の奥は、神奈川県の中央林間)から端(埼玉県の久喜か南栗橋)までのんびり乗車して、街や人々の様の変化に触れてみたいものよのう。で、帰りは東武の下町の駅でひょっこり下車して、一杯飲む。かなり前からそんな願望をほのかに持っているのだが、残念ながら、まだ実行していない。そういえば、今日の二つのバンドは埼玉県加須市の先輩後輩にあたるようだが、加須駅にだって一本で行けちゃうんだよなー。

追記)なんて、吞気なことを書いていたが、加須市は福島第一原発のお膝元で全住民が皆退去させられた双葉町の住民が一番移ってきていて、借りの町役場も同市に置かれているのを知る。……。……。


 完全に夏の日差しがバルコニーに注いでいる(眩しいっ)が、一方ではとても風が強く、気持ちよく仕事部屋を風が吹き抜けて行く。なんか快適、鳥の鳴き声も聞こえてきたりして、一瞬ここは何処てな感じで、リゾート気分になる。気持ち良い。

 日暮れ以降は、例によって“飲みの時間”。まずは、丸の内・コットンクラブに行って、元サンディー&ザ・サンセッツのサンディーのライヴを見る。近年はハワイ育ちという属性を活かしハワイアン音楽とのつながりを前に出した方向に出るとともに、フラ・ダンスの教室を持ち成功しているのはなんとなく知っていたが、MCで「(フラのほうの印象が強くて)私が歌っていたことを知らない人も少なくない」というようなことを本人も言っていた。会場内は女性客が多し。肩がでた薄手のマタニティ・ドレス(本当はちゃんと呼び名があるんだろうけど)みたいな格好をしている人の比率が高い。彼女のフラ・スタジオの生徒なのだろう。ステージの向かって右側は楽器などを置かずスペースが作られていたが、3、4曲では計4人のダンサーが出てきて、音楽に合わせて踊ったりもした。

 と、書くと、かなりハワイアンなノリのパフォーマンスだったみたいだが、伴奏を担ったのはチャクラやキリング・タイムをやっていたピアニストの清水一登(2010年3月20日)ということもあり、好奇心広がる開かれたポップ表現になっていたのではないか。非ハワイアン曲も歌ったろうし。サンディーと清水はずっと一緒にやっているようだ。それから、菅木真智子がコーラスをつけるが確かなハモりを提供し、なかなかの実力者と見た。サンディーのステージは初めて見るが、MCや振る舞いに触れると、びっくりするぐらい無邪気な人という印象を持つ。

 後半は、コンテンポラリー・ハワイアン・ミュージックのハパにいたこともあるようなネイサン・アウェアウが出てきて、ソロでやったり、サンディーたちとかさなったり。ギターやベースを達者に弾きばがら、伸びやかで透明度の高い歌を披露。それに接し、彼はハワイに生まれていなくても、音楽でそこそこ名をなすに値する才を持つ人なんだろうなと感じる。彼は子供の事から親しんだ歌と言って、昔の日本の健やかな曲を日本語で歌った。ハワイと日本の交流関係の積み重ねに思いをはせかけたが、ハワイに行ったことがないぼくには、それは無理ってもん。ちょうど今、子供に学校を休ませてハワイに家族旅行に行っている知人がいるなー。

 その後は、南青山・ブルーノート東京で、渡辺貞夫のショウを見る。アーロン・ゴールドバーグ(ピアノ)、マット・ペンマン(ベース。2010年9月5日、他)、ジョー・ダイソン(ドラム。ニューオーリンズ出身で、まだ21歳とか)、在NYの生きのいい奏者をともなってのもの。彼は6月中旬にNYで新作のレコーディングをしてきている(それは前作の録音メンバーと同じ、ようは2009年9月3日のライヴの顔触れと同じ)が、それとはまったく異なる奏者を呼んでのパフォーマンス。3.11後の寒い日々のなか書いた「ウォーム・デイズ・アヘッド」と紹介したバラードをはじめ、新作に入る曲もやった。やはり震災後に書いたと言ってやった曲(「ホワット・アイ・シュッド」というタイトルだったか。よくおぼえていない)はかなりグーヴィな曲だった。


<今日の、????>
 サンディーの初ソロ・アルバム『Eating Pleasure』(アルファ、80年)は細野晴臣(2010年11月21日、他)のプロデュースで、バッキングはYMO+久保田麻琴(2010年12月4日、他)。それ、今聞くと、その後のザ・サンセッツ作のプロト・タイプ? 4曲は細野曲で、他は久保田曲や高橋幸宏(2009年10月31日)曲やロニー・バロン曲やモータウン曲などを取り上げている。で、なぜか家のレコード棚には『Eating Pleasure』が2枚あるんだが、ジャケット・カヴァーが違う! 1枚は通常良く知られているピンク色の背景色のもの(サンディはヒョウ柄の水着かレオタード)で、もう一枚は背景色がグレイでサンディはキャベツ柄の布をおっぱいに当てている。後者のジャケ盤はどういう経緯を持つのだろうか。だれか、知っている人いないかなー。近藤さ〜ん、おせーて。

 10月に新宿周辺でやる音楽見本市のプレ・イヴェント。5つ出たうちの、後半の2つのバンドを見る。新宿・Motion。懐かしい知り合いと、何人か遇う。

 まず詩人の東雄一郎ひきいる、彼のスポークン・ワードを中央に置くFlight Of Idea。たまにアルト・サックスも吹く東はけっこう即興で、言葉を綴ってもいたのかな。客から3つのお題目をもらい、それでストーリーを作っていったりも。そんな彼の行為/言葉を持ち上げるヴァイオリン、ギター、ベース、ドラムからなるバンドはかなりバンク・ジャズ的。いいバンドを抱えているじゃないかと、頷く。NYほか海外でギグもしているようだが、そのときも日本語でやっているのだろうか。彼らの『Blue Colours』というブックレット付きCDには、ロシアの綺麗な若い娘の写真がいろいろ載せられている。ネットで知り合ったそうだが、いろいろな枠を超えた先にある芯と行動力ある個のイマジネイティヴな起立を、それはきっちりパッケージしている。

 それから、もう一つ見たのは、THE RUBIES。毎年、米オースティンのサウス・バイ・サウス・ウェストに出ているそうな、4人組ロックンロール・バンド。ショウの始まりはマイケル・ジャクソン曲を流してメンバーの一人が客席フロアで踊る。彼はタンバリンやかけ声〜盛り上げ担当で、音楽自体は他の3人でまかなっていると言えるか。なるほど、見せ方/エンターテインメント性の出し方に気遣い、企業努力をしているナと思う。熱意、あり。終盤はバンドもフロアに出てきて、客をまきこんでぐるぐる回ったりも。好意的に書けば、R&Rのイナせな馬鹿っぽさを真摯に追求。曲はエモも入ったと言うノリもあるが、ラモーンズ調の出だしから甘ったるい旋律が出てきたりして、個人的にはずっこけたりも。3曲入りのCD-Rをもらったが、音自体はライヴで聞けたものよりもそっちのほうが良いと思った。
 
<今日の懺悔>
 夜の8時以降は絶対モノを喰わねー、と、6月中旬に言っていたことがあった。バーに行っても、そう言って、お通しさえも頑に拒否したり。何軒かで、エラソーにそれを宣言していたな。有言実行、を求めて(笑い)。
 いくら飲んでもいいから、食べ物は摂らない……そう、ぼくに決心させたのは、メタボなお腹。こ、こりゃイカン。とはいえ、お酒はやめられるはずがないので、せめて食べ物だけは夜たべるのは、やめようと思った。が、ぼくの生活パターンだと、それは無理。コンサート後に知人と流れても飲むだけになってしまうし、今はけっこう深夜型になっていて、夜が長い。ワタクシ、体内時計が微妙に狂っていて、時期によって、生活の時間パターンがおおいに変わるの→そのため、海外渡航時のジェット・ラグにはそれほど悩まされない。まあ、いま心地よく感じる時間割は、午前1時半就寝〜午前8時半起床なんだけどナー。あれ、週に何回、1時半以降も飲み屋にいる?
 ともあれ、20時以降喰わない宣言をした店に行って、軽く挫折したことことを告げると、(1週間ぐらいは続けたので)三日坊主よりはマシじゃないと、妙ななぐさめされかたをされた。おだてられて木に登るオレとしては、ありがてえ。

 ブラジル人のギター名手(2009年5月1日)とボサノヴァ弾き語りの日本人女性第一人者の小野リサの共演ステージは、六本木・ビルボードライブ東京にて。お、ぼく、小野リサを見るのは初めてだ。MCによれば、10年前に小野はネヴィスのプロデュースでアメリカの曲をボサ調で紐解くアルバムを作ったんだそう。ネヴィスも英語でMCをするが、本当に日本が好きなようだ。

 アタマの方はネヴィスの寛いだ、歌こみのパフォーマンス。バンドはフェビアン・レザ・パネ(2005年9月14日)、杉本智和(2011年4月10日、他)、吉田和雄(2010年7月6日)、ボブ・ザング(フルート)という面々。途中から、小野を呼び入れ、一時はバンドがさがる。名人が横にいるためか、小野はギターを持たずに歌う場合のほうが多い。ネヴィスは一部で、足下のペダルのコントロールでギター音に連動するキーボードっぽい音を出したりも。なんにせよ、特に夏にはありがたやーとなる清涼感あり。

 次は、丸の内・コットンクラブ。出演者のダン・ベイカーはUKジャズ・ファンク・バンドのザ・ベイカー・ブラザーズ(2008年12月11日、他)のギタリスト/キーボーディスト。O.M.D.とはワン・マン・バンドの略で、ようは彼の昨年暮れに出されたソロ・アルバムがそうであったように、一人でバンド音を出しちゃいます、という趣向のパフォーマンスを見せる。昔のポール・マッカトニーやトッド・ラングレンをはじめ、一人多重録音する人は少なくないが、彼のポイントはリアル・タイムでいろんな楽器音を出して、歌ってしまうこと。なお、すべての曲で彼は歌を披露するが、とっても一本気に朗々と歌う。
 
 まず独自なのはドラム音で、鍵盤ペダル一つ一つにハイハットやタムなどの各種ドラムのパート音を仕込み(13種類らしい)、器用に両足で鍵盤ペダルを踏んでドラム音を組み立てる。そして、それに合わせてキーボードかギターを弾きながら、彼は歌い、楽器ソロを取る。ベース音はキーボードを左手で弾いて出すが、ギターを弾いているときもそれは出ていたので、その場合は足鍵盤で出していたのかもしれない。基本、サンプラーは用いず、実直に一人バンド音をヴィヴィッドに出しながらのパフォーマンス。曲はスティーヴィ・ワンダー、ザ・ポリス、ジミ・ヘンドリックス、ザ・スペシャルズ、ブッカー・T・ジョーンズなどを取り上げる。カヴァーのほうが、その酔狂な回路の妙味はよく判りますね。個人的に、こりゃいいと思ったのは、スライの「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」だったかな。

 アンコールを含めると、90分以上やった。さすがに幅が広いわけではないので途中からちょい飽きたが、なんか嬉しそうにやる様には、少年期からのささやかな夢の実現の成就と言えるかどうかは判らないが、ポップ・ミュージックにまつわる幸福な風景があったと思う。

 そして、3つ目のギグは、渋谷のバー・イッシーでのもの。(2010年1月9日、他)ハル宮沢(ギター)、泉邦宏(アルト・サックス、ソプラノ・サックス、クラクション。2010年1月9日、他)、不破大輔(電気ベース)、植村昌弘(ドラム。2010年6月7日)。渋さ知らズの初期メンバーが集ってのもの。珍しくも、興味深い出し物に、店は満員。4人の演奏は、けっこう立ったビート感覚のもと、ノンストップで、狼藉する感覚を孕みつつ、ぐばぐば流れて行く。やっぱ、おもしれー。ファーストの最後のほうの不破のベースはダグ・ローチ(サンタナ)みたいだった。泉はけっこう、2本くわえ奏法を見せる。やはり、素晴らしい吹き手。アンコールの2曲は“有り曲”のようで、マイナー・キーのブルース、そして渋さ萌芽期のリフ曲だったよう。

<今日の所感>
 日中、外に出ると、ある意味、素晴らしい日差し。週末に梅雨明けしたらしいし(今年は雨が少なかったはず)、もう完全に夏。ながら、今日は過剰に湿度は高くなく、風もほのかに感じる。ソウダ、私ハりぞーとニ来テイルノダ、と、無理矢理思う事にする。そう思えば、多少は楽しくなる、か。
 ここのところ、暑さもあるのだろう、寝ても4時間ぐらいで目が覚める。そのぶん、シエスタは気ままにとっている。寝たいときに寝て……、それもある意味リゾートの時間の使い方だよな。と、思う事にしよう。今、ほのかな願望は、ベッド・サイドに小さな冷蔵庫を置きたいナ。寝ていて喉が渇いたときに、台所まで出向かず、寝ぼけたまま冷水を摂るのを可能とするために。どんだけ、無精? あ、それでホテル宿泊感覚を得たい? そのうち、ルームサーヴィスお願いとか、寝ぼけて誰かに電話したりして。昨年の猛暑を経験して、こんなに暑い夏は今後そんなに経験することもないだろうと思ったが、今年ももしや……。
タワーレコード渋谷店/ステージ・ワン(地下階ステージ)。オーディションを経てタワーレコードからCDを発売するアーティストが3つ出る催しで、2つの出演者を見る。まず一つは、4人組ビート・バンドのTHE PINBALLS。過剰に青筋も立てず、かといって、甘くもなく。この手のバンドってアップ・テンポ曲は勢いでもっていけちゃう一方、スロウ/ミディアムだと辛いと思わせられる(それは、ぼくの場合、けっこう有名なバンドでも)場合が多いが、彼らの場合、ミディアム曲が魅力的。ぜんぜんかったるく聞こえないのにはびっくり、にっこり。そして、もう一つは女性シンガー・ソングライターの個人ユニットであるような、yumeiroecho。普段はバンドでやっているとのことだが、この日は生ギターの弾き語りにて。ぜんぜん、問題ない。コードを良く知っている、洋楽好きの質の高い作曲家が作ったと書きたくなるような高品質な曲を、印象的な声質を介して開く。個人のなかで曲作りから歌うことまでがきっちり消化され、綱弾きしているため、それは確かな輝きを持つ。今日きいた2つの出演者は、ちゃんと曲が書けるなあと思った次第……。


<今日の食パン>
 パン党かご飯党か。そう、聞かれたら、両方デスと答えるかな。朝はパンを食べる方が断然おおいし、夜はフレンチとかイタリアンなどのレストランで食事をする以外はご飯を食べたい。インディアンに行っても、ナンではなく、だいたいはサフラン・ライスを頼む。ご飯のほうが、いろんなカレーを楽しむのが楽だから。ナンでそれをしようとすると、もう指がカレーだらけになっちゃう。って、そんなことを書きたいのではなく、いつからか、普段食べる食パンになんか、ちょい違和感を感じている。フワフワしすぎで、それが長持ちしすぎ。なんか、トーストしてもいまいちと感じるときがある。それと、昔よりもカビが生えにくくなっているとも感じる。それは、商品管理がより厳しくなっているのを示すのか。ちゃんとこだわりを持つ人間ならお気に入りのパン屋さんがあって、そこで買い求めていたりもするのだろうが、スーパーで適当に購入しているぼくゆえ、いい加減な感想ではありますが。

 結構、デカい台風が南日本を襲っているというニュースがトップ項目にある日。なんとなく、代官山のヴェニューを2つはしご。

 まず、晴れたら空に豆まいてで、世武裕子(2009年6月19日、他)を見る。渡辺琢磨(2011年5月22日、他)や南博(2011年3月2日、他。この日は、津上健太;2011年6月23日他、とのデュオであったよう)らピアニストを集めた出し物の、1番目の出演者としての出演。ゆえに、この日のパフォーマンスはインスト中心にて。

 一応ピアノの前に譜面を置き、少しモチーフは用意しつつも、基本は即興でやっていたんだろうな。反復系のフレイズをだす左手音に、自由に右手でいろんな気持ちをのせていくようなパフォーマンス。即興作曲演奏? クラシックでもあらずジャズでもあらずポップでもあらず、とここでは書いておこうか。確か、10分ぐらいのソロ・ピアノ演奏を4曲、4曲目の途中からはドラマーが加わる。彼女のような弾き手にグルーヴを求めようとは思わないが、もう少し強弱のダイナミズムがあってもいいかも、それだともっと、指から紡ぎ出される旋律が輝くのにと少し思ったか。最後の曲はヴォーカル曲(決してポップな感じではなかったが、面白い曲だと感じた)で近く出るシングル曲と言っていたか。いろんな個性と広がりを持つ人だが、ぼくは歌付き表現のほうが好きかな。

 そして、ユニットに移動。そちらは、すげえ芸名を持つ、香港生まれ英国育ちの女性シンガー・ソングライターのショウ。ちょうど、始まる前に着く。

 生ギターを手に出てきて、弾き語りを聞かせる彼女に触れ、へえと思う。屈託なく、自分のノリをさらりと出して、一人ながら会場をそれなりに自分の掌握する空間にしている。MCはけっこう日本語でしようともする。そんな彼女はけっこう同業者受けしている人だが、4曲目ぐらいからは、ちょうど来日中のアッシュのティム・ウィーラーがやはり生ギターを手に出てきて、以後はデュオによるパフォーマンス。まあ、やっていることは別に特筆すべきことではないが、次々にストレスなくエミーやアッシュの曲を繰り出し、ヴォーカル・パートの分け方やハモりがとてもこなれていて、こりゃ過去にも2人は人前で一緒にやっているナといいうのは了解。まあ、他愛ないが、娯楽としてアリ。ウィーザーの曲もやったな。気さくにMCに日本語をまぜるのは、ウィーラーも同じ。彼は、「ナデシコ・ジャパン、イチバン」なんても言ったか。


<ここんところの憂慮>
 見事に、夏カゼにかかっている。1週間強前に、扇風機の強めの風にあたったまま昼寝していらい。もう嚔や咳がすごく、鼻水だらだら。ティッシュの使用量がすごい。扁桃腺が少し晴れ気味なので、たぶん微熱もあると思う。が、外気が暑いので、それでダルいのか、熱でダルいのか判別つかず。えーん、酷い夏風邪をひくのは、初めてのことだな。市販薬を3日分摂ったが、まるで効かない。16日からの世間の三連休に入れていたイヴェントも、それですっとばす。おかげで、女子サッカーのワールド・カップの決勝はゆっくり見る事ができたが。しかし、サッカーのW杯で優勝なんて、超すげえ。これが男子だったら、世間はもっと大騒ぎだろう。その中継をなじみのバーで大画面で見たあと、ちょい起きはしたものの、19時間ぐらい延々と寝てしまったのにはびっくり。その前だって、ならせば1日11時間ぐらいは、寝ていたはずなのに。身長、0.3ミリぐらい、伸びたかな。てな、体調なので、ユニットの後は流れず、素直に帰宅。電車に乗る気になれず、タクったのだが、車内冷房が目茶効いていて、仰天。運転手はおじいちゃん、こんなに寒い中ずっといて、平気なんですかあ。普通なら冷房を落としてと言うはずなのに、すぐに着くからとも思い我慢しちゃったぼく……。体調不良で、なんか弱気、消極的になってんなーと実感。
 

 南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。モダン・ジャズのヴァイブラフォン奏法の第一人者たるバートン(2005年8月21日)は、冒頭に客とヴェニューに対し謝辞を言う。淡々、どってことないが、なんか気持ちが伝わってきて、いい感じ。43年生まれ、なんかキャリアの重みをそこに感じたかな。

 ドラムのアントニオ・サンチェス、ギターのジュリアン・レイジ(2009年6月24日、他)、ベースのホルヘ・ローデル(ペルー出身)をともなってのもの。バートンの新作『コモン・グラウンド』(Mack Avenue)に倣う編成で、ベース奏者だけレイジのバンドのローデルに変更、そしてセルビアやクロアニチアを含む欧州ツアーをへて、日本にやってきた。

 寛ぎに満ちた(でも、ときにスピード感も保つ)、我々のリヴィング・ルームの営みへようこそ、てな、ノリの実演。さりげない手触りのなかに、質や一握りの閃きが見え隠れ。それぞれの手に2本のマレットを持ち、自在に鍵を軽快に叩くバートンの様は意外性はまったくないもののさすが。やはり、クリスタルな感覚、アリね。そんなアフリカや民俗音楽に大きな興味を持たなかった世代ならではのマレット裁きに触れつつ、今のヴァイヴ奏者だと膨大な情報を受けざるを得なく、それだけである種の透明感からは離れざるを得ないよなと思う。大御所らしく固定のファンもいるのか、いつもの場内の雰囲気とも少し違うと感じたか。90分のパフォーマンス、サンチェス作の同時代感覚にあふれる曲から、「アフロ・ブルー」や「バグス・グルーヴ」(MCで、ミルト・ジャクソンに触れる)などの有名曲まで、いろんな曲をやった。

<今回のジュリアン>
 翌々日に、ギタリストのレイジには取材。朝、10時から。場所は一等地ながら駅からは離れたホテルゆえに、車で行く。道の混雑状況が見えないため、70分前に家を出たら、道がびっくりするぐらい空いていて、15分でついてしまった。この時間帯だと多少通勤ラッシュにもかかるはずなんだが、なんでー? 帰り道も空いていたが、それはたまたまなのか。
 クラシックとブルーグラスやフォーク・ミュージックを同一軸に捉えることができ、チェロ奏者を含む変則ワーキング・バンドを南米各国出身者で固めるレイジは、まだ23歳。前回来日時も取材したので、スムースにその続編といった感じで話は弾む。ステージにちゃんとネクタイをしてステージにあがっていた(4人中、彼だけ)が、それはバートンに敬意を表してだそう。開始時間に爽やかに取材場所に表れた彼、朝は強いのかと思ったら、スタッフにはもう少し時間が遅くならないのとこぼしていたそう。


アン・サリー

2011年7月24日 音楽
 場所は座・高円寺2。高円寺駅を降りて線路沿いを歩いていったら、老舗ヴェニューのジロキチの先のほうに、この複合文化施設はあらわれた。公の建物で、NPO法人が運営しており、阿波踊りの練習もここでやっているそうな。

 独自の位置を得ている、女性歌手(2011年4月24日)のショウ。伴奏はピアノ、アコースティック・ギター、トランペット(ニューオーリンズで出会った旦那さんとか)というシンプルなもので、それは隙間の妙、いろんな音楽が交錯するがゆえの“綾”を持つ。そんな伴奏のもと、アン・サリーはさらりと、自然体で歌って行く。取り上げる曲はボサノヴァ曲「あなたと私」、スタンダードの「アイ・ウィッシュ・ユー・ラヴ」や「スマイル」、オリジナルの「新しい朝」、50年以上も前に発表された「夏の思い出」や「蘇州夜曲」、阪神淡路大震災から生まれた「満月の夕」、など。また、途中にショーロ・クラブ(2002年3月24日)のコントラバス奏者の沢田穣治(2010年4月19日)が出てきて、彼女が参加した彼の武満徹曲集に収録された2曲をデュオでやる。

 アンコール最後の曲は、マリア・マルダー(2010年6月18日、他)で知られる妖艶洒脱曲「ミッドナイト・オアシス」。マルダーが今歌うと喉の衰えもありかなりわちゃくちゃになってしまうメロディ取りが難しい曲を、アン・サリーはさりげなくもソツなく歌う。秀でた佇まいを持つ歌手であるだけでなく、歌の上手な人物であると、実感できました。とともに、彼女の確かな居場所/支持者の存在は洋楽享受文化の積み重ねがあってこそのものである、ということも。


<今日のレコード>
 なにをトチ狂ったか、モノを捨てなきゃと思い続けているのに、さいきんアナログ熱が復活し、よく中古盤屋を覗いている。23日に四ッ谷の“いーぐる”でお話しして音楽をかけた際にも、すべてアナログを用意した。ちゃんとした装置で聞くと、より良さを実感できるよな。アナログを用意したことについては、来た方からお褒めも受けた。今日もライヴ前にレコード屋に寄りそうになったけど、手ぶらで会場入りしたかったので我慢がまん。アナログ購入はお店で買うのを決まりとし、絶対にネット買いはしない。。。それだけは、守るようにと、自分に言い聞かせている。


日野皓正

2011年7月25日 音楽
 基本1コードの怒濤&混沌のビート・サウンドに、アブストラクトなトランペット・ソロが炸裂! それが、1時間50分! 南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

 新作『アフターショック』に基づく実演で、日野(2011年3月28日、他)御大に加え、DJのdj honda、アコースティック・ピアノの石井彰(2006年11月3日、他)、電気ギターの小沼ようすけ(2011年3月28日、他)、電気ベース/ラップの日野賢二(2006年1月9日、他)、キーボードのPenny-k(2007年11月27日。アルバムに参加していた佐藤允彦の代役)、コントラバス/タブラの須川崇志(2010年3月14日)という面々。ようは、ドラムレス編成で、ビートはスクラッチングもするDJホンダが送り出し、そこに2ベースと2鍵盤、ギターがえいやって入るというものなり。

 一言でいえば、尖った楽器ソロがのった、“極左”と言うしかない、フリーでヴァイタルなファンキー・ジャズ表現が展開される。演奏した多くの曲は『アフターショック』に入っていた日野曲だったようだが、この設定で、「メリー・ゴーランド」や「アボリジナル」など彼の81年作『ダブル・レインボウ』(CBSコロムビア。菊地雅章の『ススト』と対になるような逸品)の曲をやってほしいと思ったか。あ、話はズレるが、ビュークの「ペイガン・ポエトリー」(2001年『ヴェスパタイン』収録)を聞くと、ぼくは『ダブル・レインボウ』収録の「イエロー・ジャケット」を思い出す。

 熱とどう転がるか判らない現場性をたたえたライヴに触れながら、こんなことも考えた。……マイルス・デイヴィスが亡くなったのは65歳。80年代中ごろ以降はバッキング・トラック作りを丸投げし、本人は素直なメロディをなぞることに徹した。ま、それはそれでいい。が、現在、68歳の日野はなんら枯れるなく(今回の設定は息子の賢二がけっこうお膳立てしたようだが)、アブストラクトでフラッシイなトランペット演奏を青筋立てて怒濤のビートにのせまくり、身軽に踊りまくる(ショウの後半)。ほんと、日野はモンスター。破格にして、賞讃するにあまりある。

 そのトランペット演奏にある名人芸たる冴えたフレイジングや心狂おしい含みは、もしかすると70年代中期には完成していたもの、披露していたものかもしれない。だが、これだけエモーショナルな曖昧〜ジャズたる輝かしい暗黒と直結した何かを“今”とつながりつつ出せる人は、そうはいないのではないか。やはり、ぼくは日野皓正のことが大好きなよう。自虐的というか、どんどんコワれていくMCはちょいしんどいが。

<今日の記憶>
 日野皓正というと、思い出すことがある。彼の公式サイトのディスコグラフィーには載せられていないが、89年に東芝EMIから『オン・ザ・ロード』というスペイン録音のアルバム(ワールド・ミュージック旋風を受けた内容、とも言えるか)を出したことがあった。が、なぜかジャケット・カヴァーはタイのプーケットで撮影し、取材はそこで受けますとなった。ああ、バブリーなころ。レコード会社の人間や撮影スタッフなどに加え、確か二媒体がその撮影ツアーに呼ばれ、ぼくはそのうちの一媒体のインタヴューアーとしてプーケット行きに加わった。
 行きは日野さんも一緒。成田空港の免税店で、彼は沢山の洋酒を買い求めた。ああ、お酒大好きなんだ……。リゾート・ホテルでは一緒にテニスをさせてもらったり、ディスコに行ったり。ディスコに入るやいなや、彼は派手に踊りっぱなし。ああ、楽しむ事にも一流で、何をやるのも全力投球なんだァと了解できた。そして、彼はお酒も煙草も嗜まない人であることも。
 取材陣が帰国する前夜、彼は一緒に来た人間を一人づつ部屋に呼んだ。「こんなボクのためにわざわざ一緒に来てくれて、本当にありがとう」。そう言って、彼が渡したのは、成田で買い求めたお酒だった。


サム・ムーア

2011年7月27日 音楽
 サム・ムーア(2010年12月15日、他)の公演は基本のノリはこれまでどおり。歌う曲に少し変化はあるものの。彼はサム&デイヴの黄金のダイナマイト曲だけでなく、ルイ・ジョーダン曲、アラン・トゥーサン曲、スライ・ストーン曲、エディ・フロイド/スティーヴ・クロッパー曲、アン・ピープルズ/ドン・ブライアント他曲、レイ・チャールズ曲など、アフリカン・アメリカンの財産を太っ腹にくくる方向の選曲を取り、バンドも日本で入れた2人の管楽器奏者ともども、ほぼこれまでと同様のメンツ(ステージ上には13人)。と、思っていたら、あれれと思うことが。MCをする奥さんをはじめ、彼はバンドの構成員を白人でまとめているのだが、4人いる女性コーラスの一人がなんとアフリカン! よく見ると、彼女は東京在住の喉自慢、ブレンダ・ヴォーンではないか。たぶん。ブルーノートのHPには彼女の名前は載せられていないので、急遽加わることになったのか。でも、彼女も一部でムーアとのかけあいをまかされたりして、輝いていましたね。

 南青山・ブルーノート東京。セカンド・ショウ、満員。過去、彼の公演は喉の消耗を考慮に入れてだろう1日1回で興行されていたが、この日の2度目のステージもなんら問題なし。75歳矍鑠、何度触れても熱くなれ、気持ちよくなれる、珠玉のR&B名人芸なり。なお、24日には北海道の岩見沢でやった邦楽中心のフェスに出たそう。そして、このリヴィング・リジェンドなソウル・マンは、この週末にはフジ・ロックに出演する。彼のことをあまり知らない聞き手をノックアウトしてほしい。


<今日のワタシの考え>
 このブログでも何度か触れてきているが、エアコンを使わないなど、省エネ志向の生活を2009年からやっている。軽い気持ち、ゲーム感覚で。まあ、ぼくもおしげもなく電気を浪費しているところはあるだろうし〜やっぱし音楽愛好は電気を使うと思う〜、まあ可能な部分は少しでもしちゃいまーすという感じ。だから、電気は喰ってもライヴ会場ではちゃんと冷房を効かせてほしいと、ぼくは切に思う。汗だくで、ライヴを享受するのはやはり勘弁。そのかわり、汗だくでいても第三者の目にも触れず、不快感を与えないだろうプライヴェイトな場では頑張ってみようかと思ったりするわけです。ぼくの場合は無駄にクルマにも乗っているし、やはりそれについてのなんらかのペナルティは負うべきだとも思う。
 節制しなくても現在電力会社が供給している電気量でなんとかなるし、夜間は電気が余剰となるのだから、ガンガン使ってしかるべきという人もいる。そうかもしれないが、皆でちょっとづつ電気の使用量を抑えることで全体の消費量が減じれば、それにともない電力会社の発電計画も縮小見直しにつながらないか。なにも、現在供給されている量を是としちゃうこともないだろう。それに、火力にせよ原子力にせよ、電気を作る量を減らした方が後の環境には優しいはずで、地球の寿命ものびるはず。ぼくは、そういう思いで、なるべく自宅では我慢するようにしている。

 昨年再活動なった菊地成孔(2011年5月5日、他)率いるハイパーで混沌も求めているファンク・ジャズ・バンド(1999年12月22日、他)の、恵比寿・リキッドルームでの実演。2日前にはフジ・ロックでやっているはずだが、満員。随時、熱い声援も沸く。

 全11人。残留メンバーは菊地を入れて4人で、あとは新しい顔ぶれ。SOIL~(2011年6月23日、他)の鍵盤奏者の丈青は目玉人事であろうと推測するが、この日は不参加で別なプレイヤーが演奏。かつては横のほうに位置していた菊地だったが、今はステージ中央に堂々立ち、サウンド全体を舵取りする。で、前よりも派手にCDJ、キーボード(マイルス風の音色設定)を操りもし、指揮の仕草もかなり大仰。それ、マイルス・デイヴィス流れのかつてのコンダクターぶりを自己パロディしているみたいに見えた。ともあれ、彼の合図で、アンサンブルやソロや曲調がすいすいスウィッチされたり、重ねられたりする。

 グルーヴィだったりクールだったり凸凹だったりするいろんな音楽語彙の重ね合わせは、そういう判り易い見せ方を伴うこともあり、とても明解。新生DCPRGはかつての表現の両手を広げた普及版を目指しているようにも、ぼくにはなんとなく思えた。エンポリオ・アルマーニならぬ、エンポリオ・デートコース?

 DCPRGの出発点にあったのは、菊地雅章(2004年11月2日、他)の『ススト』(←それ、プリンスの好調作に肩を並べる仕上がりを見せた日本人の唯一のアルバムだとぼくは思っている)表現。菊地雅章が病床にある今、実現する可能性は低いと言うしかないが、一度は“菊地×菊地”を見てみたいよなー。単音でロックぽくギンギン弾きまくるギターくんだが、ぼくの好みで言うなら、スリルに欠ける。ジェイムズ・ブラッド・ウルマーとかケルヴィン・ベルのようなタイプのギタリストを雇ってほしいところだが。アーサー・ブライスの突出パンク・ジャズ盤『イリュージョン』(コロムビア、80年)で弾いていたのはウルマーだが、それをフォロウする80年代初頭の2度の来日公演はケルヴィン・ベルが代役で同行。そして、ベルは菊地雅章のオルタナティヴなファンキー・ジャズ・バンドたるオール・ナイト・オール・ライト・オフ・ホワイト・ブギー・バンド(通称、AAOBB)の一員でもあった。また、ドレッド・ロックス頭の彼はザ・ケルイヴィネイターというブラック・ロック・バンドを組んでいたこともあった。

 9月には、今年6月にリキッドルームで収録された2枚組ライヴ・アルバムが、ユニヴァーサル・ミュージックからリリースされる。

<今日の懺悔>
 なんの準備もしていなかったが、知人の天使のような申し出もあり、フジ・ロックに行くぞうと一時は思った。ものの、天気予報がとても芳しくないのと、夏カゼの治癒状況や仕事の溜まり具合、その後の見たいライヴ予定の入り具合(なんで、今年はこんなに多い?)などから、行くのを迷いつつもやめる。そういうことすると、フジは行かなくなるんだよーと、別の知り合いから脅され(?)た。それゆえ、今日のライヴは見れたのだけど。