ケルティック・クリスマス
2009年12月6日 音楽 アイルランドのアルタン(2000年5月21日、2002年9月1日、2004年12月17日、2005年3月21日)とスコットランドのカトリオーナ・マッケイ&クリス・スタウト(2005年2月1日、2008年11月9日)、2組のケルト音楽系担い手が出演するもの。いわきアリオス・中劇場。新しい、とっても立派なホールで、聞きやすい。出演者たちもこりゃうれしい、張り切んなきゃという気持ちになっちゃうだろうな。いわきは、実家があるところだが、おそらくちゃんとしたケルト系のミュージシャンが出る公演が開かれたのは初めてのことではないか(なためもあってか、通訳をちゃんと付けてアーティストのMCを訳していた。それ、別に公演の流れを妨げないし、ぼくにとってもありがたかった)。いや、東京だって、ちゃんとアイリッシュ・ミュージックの公演が開かれるようになって、15年ほどだろう。ぼくの、アリッシュ・ミュージック歴も同様だ。
先発はスコティッシュ・ハープとフィドルのデュオのマッケイ&スタウト。二人はちゃんと音楽大学を出たうえで現在進行形のトラッド・ミュージックをやることを活動の柱に据えているわけだが、今回の実演に触れて思うのは、やはり技量が長けているということ。もう、切れがあって、両者が微妙な綾を作る感覚とともに丁々発止していく様は圧巻。とくに今回のパフォーマンスはよりプレイヤーとしての野望を求める方向にあって、そのぶん難解なほうに行ってしまっているナと感じなくはないけれど。カトリオーナ(けっこう、派手なミニのドレスを着ていました。彼女はオフでも胸の谷間を出す服をよく着ていたりする)は完全にカスタム・メイドのハープをものにしているようで、あれれどういう感じで音が出ているのかなと思わせられるところも多々。音質がハープ本来の優美な響きから離れる部分があるのは無責任な聞き手にとっては痛し痒しだが、それもまた過去/伝統から一歩飛び出ようとする彼女にとっての通行手形の一つだったりするのだろう。そんな彼女は近年、電気効果経由のアブストラクト・ミュージック作りのほうにも邁進していて、そこから持ち込まれている手触り/方向性も今回の演奏にはあったのかな(そっちのほうのユニットであるストレンジ・レインボウはすでに2枚目を作ったとか)。でも、やっぱりマッケイ作のたゆたふ超美曲「スワンLK243」はやってほしかった。と、思っていたら、終演後にホワイエでその曲をアコーディオンと生ギターで演奏した日本人がいて、マッケイはそのことにとても感動していた。蛇足だが、過剰にフットボール愛好者ではないが、スタウトの贔屓のチームは(中村俊輔がいた)セルティックのライヴァルのダンディー・ユナイテッドとか。
休憩を挟んで、若い頃はお綺麗だったんでしょうねと思わせる紅一点のマレード・ニ・ウィニーを中央に置く5人組、アルタンの実演。トラッド曲/流儀に新しい風や気持ちを吹き込んで紐解き直すというのは、ケルト系コンテンポラリー・トラッド・グループにおしなべて言えることだが、アルタンはそうした行き方をもっとも無理なく広げて、清風と滋味を獲得しているインターナショナルなグループと言えるだろうか(来年は1月にパリ公演を行い、3月は各都市を回る米国ツアーを行う)。反復の快感を持つインストのダンス・ナンバーと、地元のゲール語によるマレード・ニ・ウィニーの清楚な歌を前に出したスロウを交互にやるような感じでショウは進む。ウィニーはその歌唱に焦点があたりがちだが、改めてフィドラーとしても、かなりイケる事をおおいに認知。しかし、ウィニー(今年、ちょうど50歳)の普段の気安いお茶目なキャラとあの高潔さをたっぷり持つパフォーマンスの落差はすごい。お酒が大好きなアイリッシュ音楽家の中でも彼女たちはトップの酒量を誇るというし、公演後の飲み会になるとウィニーはトラッド曲やザ・ビートルズ曲をアカペラで毎度のごとく歌いだしちゃう。とか、そんなコテコテのオフの部分と深みあるの音楽家との落差がなんかうれしく、人間が生活とともに胸を張ってやっている音楽、生理的にとても幸せで贅沢な音楽という所感を、ぼくはアルタンには多大に得てしまうのだ。アンコールではもちろん2組の出演者が一緒に演奏。それも、トラッド系ミュージシャンのいいところ、ですね。
「いわきでアイリッシュ・アーティストが演奏するのは初めてのことというのは聞いていたけど、ほんと素晴らしいお客さんだったと思う。反応も良かったし、立ち上がってもくれたし。ホールも綺麗で立派で、照明もとっても良かったし、完璧だったと思うわ。私たちの活動においてヴァージン・テリトリーというのは常にあるわけだけど、さすがに(アイリッシュ公演が初となる)いわきの公演前には少し緊張したのよ。でも、やりはじめたら、熱心に聞いてくれ、すぐに反応も返ってきて、どこも変わらないんだと思えたし、こんなお客さんたちにとって初めてのアーティストとなれるのは光栄だと思った」(ウィニー)
「前回日本に来た2005年のときはアイルランド大統領の訪日に同行したわけだけど、確かに音楽大使みたいな位置にいるなとは感じるよね。でも、今回は感慨深かった。もし、僕たちの公演に触れてフィドルをやりたいという子供がいわきで出てきたら、もう最高だな」(フィドルのキーラン・トゥーリッシュ)
と、これらは後日のインタヴューでの発言。ウィニーはアイルランドの地元ドニゴールでパブを持っているのは前に聞いて知っていたが、それは売却してしまったとか。同じドニゴールでもウィニーの住む地域はいまだにゲール語で日常会話をするが、トゥーリッシュの住むあたりは普通に英語を用いるそう。6歳になるウィニーの娘はゲール後で話しかけると、意地でも英語で返事をしてくるという。が、彼女もフィドルをたしなむ。なお、ゲール語と英語は全く異なり、それと比べると、同じ語源を持つイタリア語とスペイン語のほうが全然近い。そんな話になったとき、ゲール語はもともと東洋のほうの言葉から来たという話もあるし、英語よりまだ語感は日本語に近いかも、とウィニーは言い出す。確かに、ときにその歌はいろいろと“空耳”ゴコロをくすぐられるしなあ。なるほど、そりゃ初めて接する聞き手もするりと入り込めるはずだ。
先発はスコティッシュ・ハープとフィドルのデュオのマッケイ&スタウト。二人はちゃんと音楽大学を出たうえで現在進行形のトラッド・ミュージックをやることを活動の柱に据えているわけだが、今回の実演に触れて思うのは、やはり技量が長けているということ。もう、切れがあって、両者が微妙な綾を作る感覚とともに丁々発止していく様は圧巻。とくに今回のパフォーマンスはよりプレイヤーとしての野望を求める方向にあって、そのぶん難解なほうに行ってしまっているナと感じなくはないけれど。カトリオーナ(けっこう、派手なミニのドレスを着ていました。彼女はオフでも胸の谷間を出す服をよく着ていたりする)は完全にカスタム・メイドのハープをものにしているようで、あれれどういう感じで音が出ているのかなと思わせられるところも多々。音質がハープ本来の優美な響きから離れる部分があるのは無責任な聞き手にとっては痛し痒しだが、それもまた過去/伝統から一歩飛び出ようとする彼女にとっての通行手形の一つだったりするのだろう。そんな彼女は近年、電気効果経由のアブストラクト・ミュージック作りのほうにも邁進していて、そこから持ち込まれている手触り/方向性も今回の演奏にはあったのかな(そっちのほうのユニットであるストレンジ・レインボウはすでに2枚目を作ったとか)。でも、やっぱりマッケイ作のたゆたふ超美曲「スワンLK243」はやってほしかった。と、思っていたら、終演後にホワイエでその曲をアコーディオンと生ギターで演奏した日本人がいて、マッケイはそのことにとても感動していた。蛇足だが、過剰にフットボール愛好者ではないが、スタウトの贔屓のチームは(中村俊輔がいた)セルティックのライヴァルのダンディー・ユナイテッドとか。
休憩を挟んで、若い頃はお綺麗だったんでしょうねと思わせる紅一点のマレード・ニ・ウィニーを中央に置く5人組、アルタンの実演。トラッド曲/流儀に新しい風や気持ちを吹き込んで紐解き直すというのは、ケルト系コンテンポラリー・トラッド・グループにおしなべて言えることだが、アルタンはそうした行き方をもっとも無理なく広げて、清風と滋味を獲得しているインターナショナルなグループと言えるだろうか(来年は1月にパリ公演を行い、3月は各都市を回る米国ツアーを行う)。反復の快感を持つインストのダンス・ナンバーと、地元のゲール語によるマレード・ニ・ウィニーの清楚な歌を前に出したスロウを交互にやるような感じでショウは進む。ウィニーはその歌唱に焦点があたりがちだが、改めてフィドラーとしても、かなりイケる事をおおいに認知。しかし、ウィニー(今年、ちょうど50歳)の普段の気安いお茶目なキャラとあの高潔さをたっぷり持つパフォーマンスの落差はすごい。お酒が大好きなアイリッシュ音楽家の中でも彼女たちはトップの酒量を誇るというし、公演後の飲み会になるとウィニーはトラッド曲やザ・ビートルズ曲をアカペラで毎度のごとく歌いだしちゃう。とか、そんなコテコテのオフの部分と深みあるの音楽家との落差がなんかうれしく、人間が生活とともに胸を張ってやっている音楽、生理的にとても幸せで贅沢な音楽という所感を、ぼくはアルタンには多大に得てしまうのだ。アンコールではもちろん2組の出演者が一緒に演奏。それも、トラッド系ミュージシャンのいいところ、ですね。
「いわきでアイリッシュ・アーティストが演奏するのは初めてのことというのは聞いていたけど、ほんと素晴らしいお客さんだったと思う。反応も良かったし、立ち上がってもくれたし。ホールも綺麗で立派で、照明もとっても良かったし、完璧だったと思うわ。私たちの活動においてヴァージン・テリトリーというのは常にあるわけだけど、さすがに(アイリッシュ公演が初となる)いわきの公演前には少し緊張したのよ。でも、やりはじめたら、熱心に聞いてくれ、すぐに反応も返ってきて、どこも変わらないんだと思えたし、こんなお客さんたちにとって初めてのアーティストとなれるのは光栄だと思った」(ウィニー)
「前回日本に来た2005年のときはアイルランド大統領の訪日に同行したわけだけど、確かに音楽大使みたいな位置にいるなとは感じるよね。でも、今回は感慨深かった。もし、僕たちの公演に触れてフィドルをやりたいという子供がいわきで出てきたら、もう最高だな」(フィドルのキーラン・トゥーリッシュ)
と、これらは後日のインタヴューでの発言。ウィニーはアイルランドの地元ドニゴールでパブを持っているのは前に聞いて知っていたが、それは売却してしまったとか。同じドニゴールでもウィニーの住む地域はいまだにゲール語で日常会話をするが、トゥーリッシュの住むあたりは普通に英語を用いるそう。6歳になるウィニーの娘はゲール後で話しかけると、意地でも英語で返事をしてくるという。が、彼女もフィドルをたしなむ。なお、ゲール語と英語は全く異なり、それと比べると、同じ語源を持つイタリア語とスペイン語のほうが全然近い。そんな話になったとき、ゲール語はもともと東洋のほうの言葉から来たという話もあるし、英語よりまだ語感は日本語に近いかも、とウィニーは言い出す。確かに、ときにその歌はいろいろと“空耳”ゴコロをくすぐられるしなあ。なるほど、そりゃ初めて接する聞き手もするりと入り込めるはずだ。