豪州で開かれるバイロンベイ・ブルース・フェスという音楽フェスを、ご存じだろうか。正式名はバイロンベイ・イーストコースト・ブルース&ルーツ・フェスティヴァルというが、主催者側を含めみんなブルース・フェスと呼んだり表記したりしている。すでに今年で18回目を重ねる音楽フェスで、これに複数回パパ・グロウズ・ファンクで出演しているニューオーリンズ在住の山岸潤史の話によると、米国のアーシー傾向にあるミュージシャンの間ではよく知られるフェスであるという。

 同フェスはゴールデンウィークたるイースターを利用した5日間に渡るもので、今年は4月5日から9日にかけて行われた。平日である初日は夕方から始まり、後の4日間はお昼から夜半まで4つのステージでパフォーマンスが悠々と繰り広げられる。動員はインフォーメションの人に聞いたら8万人ぐらいかなあ、との返事。肝心の出演者は百組ほどで、うち半数近くはジョン・バトラー・トリオをはじめとする豪州のバンドといった感じだろうか。

 もう少し概要に触れておくと、バイロンベイは豪州最東端にあるサーフィン・リゾート地でブリスベンからゴールドコーストを越して車で2時間南下したところにある。ものすごーく緑が溢れる(それはバリ島のそれを思わせたりもする)、生理的にナチュラルかつ爽やかなまさにリゾートで、サーフィンをしないぼくでもフェス抜きでまた来たいと思わせられる土地ではあったな。不動産研究しちゃったりして。

 そして、会場となるのはバイロンベイ高校(フェス期間中はここが駐車場として使われる)の前にある、ラグビー場がある草原。その大きさは、フジ・ロックのグリーン・ステージ強ほど(ゆえに、そこを横切っても5分ぐらいか。会場内の人口密度はかなり高い)。そこに、モージョー、クロスローズ、ジャンバラヤ、アプラと名付けられた4つテントが張られるわけだが、一番デカいテントは1万人ぐらいは入ろうかというもの。当初は環境がいいのになんで屋根付き会場にするのかなと思わせられたが、それは2日目からとても納得。とにかく天候が不安定なのだなあ。陽がさしているときも当然あるのだが、結構スコール的に雨が降る。おかげで綺麗な虹もしっかり見れたが、天候の不安定さには閉口させられました。ちなみに、同地はちょうど3月いっぱいでサマータイムが終了し、秋に向かいだす時期となる。

 ところで、ベイロンベイは本来サーフィン好きのヒッピーが移り住んだという土地であるよう(車で1時間半ほどの所にニンビンとういう、もろにヒッピーの街もあった)なのだが、それは会場に来ている人達を見れば一目瞭然。老若男女(まさしく、いろんな層が混在)を問わず、そういうノリの人がけっこういたからナ。なお、会場内には観覧車が設置されるなど、お祭り/娯楽ムードは横溢。夜には、派手に着飾ったサンバ隊が場内を徘徊していたりもした。ま、ピースフルで緩〜い観客が多く、さらにはリゾートたる気持ちのいいヴァイヴが流れるフェスであったとは間違いなく言えると思う。

 そうしたなか、印象に残った出演者を挙げていくと、リー・ペリー(妙に場の雰囲気にあっていた。照明もきれいだったなー)、ジョン・メイヤー(なんか、ブルース・フェスという名目に合わせてか、かなりブルージィかつソウルフルなパフォーマンスに終始)、ゴメス(俺たちはどこに行っても俺たちだよーん的マイペースさが素敵)、ボー・ディドリー(お茶目に、威風堂々)、ALO(理由は後述する)、フィッシュボーン(実は解散しかかったとか。オリジナル・メンバーは2人ながら心機一転、起爆力あり。ファンで良かった!)、オゾマトリ(相変わらず。で、高揚)、カーキ・キング(例によってソロ・パーマンスながら、開かれた態度をうまく出せるようになった)、タージ・マハール(余裕。出演者のなかではもっともブルースと繋がっている部分もあったか)、ブルー・キング・ブラウン(魅力的な褐色の女性シンガーをフロントに置くオーストラリアン・バンド)、ピエール・ファッチーニ(ジャック・ジョンソンとベン・ハーパーの応援を受ける自作自演派。薄口の渋さに、嬉しい含みアリ)、アッシュ・グランワルド(新機軸のオージー・ブルースマン。一人で、ボブ・ログ三世もびっくりのパフォーマンスを披露。引きつけられた)、ボニー・レイット(彼女を見れたのは、とにもかくにも嬉しかった。老けたが、演奏は文句なく質高し。キーボード奏者はニューオーンズに住むジョン・クリアリーだった)、ベン・ハーパー(ー誠心誠意、渾身)、等々。なお、トニー・ジョー・ホウイト(渋かった。フェスの良心を体現する一人だったか)、ジョス・ストーン(異常に受けてて、本人も鬼のように気張っていた)、ジギー・マーリー(日本で見たばかりだったので、殆ど見てない)、フロッギング・モリー(彼らは、その格好もあり楽屋でちょっと浮いていたかも)、ベン・クェイラー(甘ちゃん感覚に馴染めず)らは、このフェスの前後に日本に寄ってギグをやっていますね。

 それから、バイロンベイがサーフィン縁の地であることは先に触れたが、同地に住むサーファー・ミュージシャンのウィル・コナー(ロング・ボードの世界チャンピオン、ボー・ヤングが一部加わった)やサーフィン界超スターの一人で近年音楽活動に力を注いでいる米国人ティミー・カラン(昨年、フー・ファイターズがツアー前座に起用している)などは場にあったアクトだったと言えるか。いい感じで、ステージをまっとうしていたナ。で、サーフィン系シンガー・ソングライターというとまずはジャック・ジョンソンの事を思い出す人も多いだろうが、実は彼はバイロンベイに別荘を持っていて家族とともに滞在中。そんな彼は友達のウィル・コナーやALO(4曲目から加わり、それは殆どジョンソン公演になっていた。実は、事前にスタジオに入ってちゃんとリハをしたそう)のステージに飛び入りし、今年の同フェスの影のV.I.P.だったかもしれない。

 さらに開放的なフェスらしいハプニングはあって、それは中日にフィッシュボーンのアンジェロがオゾマトリ(フィッシュボーンは世界一売れなきゃならないバンドだと思う、と語っていたことあり)のステージに飛び入りし男気の交換を行ったことと、最終日の最後のベン・ハーパーのステージの冒頭にわざわざボニー・レイット(実は、別のステージのトリだった)が上がってブルースを愛でる者同志のデュオ共演をしたこと。ぼくにとっては、その二つが最大のフェスのハイライト。いやあ、ともに額面以上の感興を得て、ぼくは本当に舞い上がってしまった。

  このバイロンベイの音楽フェス、ブルース・フェスと堂々と言ってわりには純ブルースマンの出演はない。でもって、さすが白豪主義をとっていた国だけあって、観客はマジ白人だけだ。でも、<ブルース=地に足を付けた、オーンガニックな人間的表現>と拡大解釈されたような出演者たちの多くは雄弁に自分を出し、これぞバイロンベイ・ブルース・フェスといった内実を作りあげていたと思う。端的に言えば、了見の広いロックっていいじゃん。ぼくはこの南半球で、変わらなくてもいい、嬉しいロック的な態度/情緒に触れたような気にもなったのだ。

○以上、ザ・ディグ誌に書いたものを転載


<追記>じつはフェスの帰りに、豪州ツアーに入るベン・ハーパーご一行のブリスベン空港行きの大型バスに、やはり同時刻発の飛行機に乗るぼくは便乗させてもらったりも。彼らは国内線ターミナルで降り、ぼくは国際線ターミナル。早朝だったので、彼ら(25人ぐらいいたかな。現マネージャーはかつてジャック・ジョンソンのそれをしていた人)もぼくもグーグー寝てましたが。