南青山・ブルーノート東京で、大御所ブラジリアン・シンガー・ソングラ
イターのジョイス(2004年7月15日、2005年7月13日)を見る。ブルー
ノート東京のことを気にいっていて彼女は毎年夏場にやってくるわけだが、
いろんな有名人やゲストを同行させる過去来日時と違って、今年は彼女のグ
ループ単独による。そして、それは彼女なりのブラジリアン・ジャズを提出
した、旦那でもあるドラマーのトゥッチ・モレーノとの双頭作である新作『
サンバ・ジャズ&オウトラス・ボッサス』の内容を披露しようとするものと
なる。

 ジョイス夫妻にプラスして、ピアノとスタンダップ・ベースというカルテ
ットにて。簡素と言えなくもないが、それらが重なった演奏はそれだけで十
分なもの(“サラリ”と“密度濃厚”が同義となるような。と、書いちゃっ
たりして)で、ある側面のジョイスの魅力とブラジルの素敵は口惜しいほど
に伝わってくる。とともに、本当にジャズも好きなんですという風情も出し
ていたそれは、米国ジャズ様式の素晴らしさも再認識させるものであったか
な。

 インスト部に力を入れた実演だとジョイスのギターのうまさが実感できる
。あっさり弾いているんだけど、確かなグルーヴというか、リズム感を持っ
ているし。また、随所で全開になるスキャットもいい感じで、彼女の根にあ
るものを見事に伝える実質主義のとても充実したパーフォマンスだったと思
う。ジョイスと旦那とのデュオなんかもあったが、これも二人とは思えない
味わいにあふれたものだった。ただ、70年初頭のカエターノ・ヴェローゾ(
2005年5月23日)のアルバムに参加していたりもするモレーノのドラミング
は総じてぼくにとっては少し謎。ちょっと違和感を感じさせるアクセントを
持っていて、名前のない人だったらヘタという烙印を押しちゃうかも。そこ
らへん、ブラジル音楽にどっぷりの人はどう聞いたろうか。

 そして、丸の内・コットンクラブに移動して、ベニン出身のギタリスト
/シンガーのリオネル・ルエケ(2002年7月3日、2005年8月21日)を見
る。いかにも喧嘩が弱そうな白人リズム隊を従えてのもの。ジャズやアフリ
カ音楽その他を水に溶けさせその上澄みを濾過したような、随所に肉声がつ
いた生ギター主体の繊細表現を淡々とルエケは披露する。もう少し破天荒に
なってェと思わなくはないが、もう一つ先にワープしたものを僕は求めたい
という意思がそこにはあったような。なんにせよ、うれしい“綾”の感覚と
微風があったのは間違いがない。アルバムだと、ブラジルっぽさを感じさせ
るときもあるが、この日はあまり感じず。それは、その前にジョイスを聞い
たせいもあったろうか。
 日比谷野外音楽堂、曇天ながら雨はふらず。満員、盛況。

 トップは、腕に覚えありのの女性3人(長見順、かわいしのぶ、グレース
)によるバンチの効いたブルース。ブルースの持つ何かをやけくそな諧謔感
覚やパンク感覚でもって太平楽にぶちかましていく。20分ぐらいと、演奏時
間が短かったのが残念。

 続いて、日本のジャンプ・ブルース・バンドの草分け、吾妻光良&ザ・スウ
ィンギン・バッパーズが登場。ホーン音が重なり合う小さめなビッグ・バン
ド・サウンドと対峙する、吾妻(しかし、その特異な風体は外国人が見ると
、何人に見えるんだろ?)のテキサス・スタイル+アルファのギター演奏は
切れ切れ。良い良い。やはり素晴らしい音楽家であり、キャラクターの持ち
主。笑える「150 〜300 」はバックマン・ターナー・オーヴァードライヴ
の「テイキン・ケア・オブ・ビジネス」を応用したような曲なんだな。すで
に結成28年とか。リーダー以下みんな正業を持つ(ボ・ガンボス他でも叩い
ている岡地曙裕は違うか)かけ持ちバンドゆえ、ほとんどメンバー・チェン
ジなしでここまでやんわりと維持され、随所髄所で気張ることが出来ている
。和気あいあい、ときに緩く意気軒昂な面々を見ながら、10年後の彼ら(吾
妻は1956年生まれ。大学卒業を記念して組んでみたというし、他のメンバー
も似たような歳だろう)が本当に楽しみだナと思う。みんな仕事をリタイア
し、もっと豊かな気持ちでバンドに打ち込み、海外公演なんかもやっちゃう
。う〜ん、素晴らしいじゃないか。

 関係ないけど、吾妻光良には良くない印象もある。その1.)15年前ぐらい
にオリジナル・ラヴの田島貴男に吾妻さんに似てますね、と取材したときに
言われたこと。何を指して、彼がそう言ったかはいまだに判らない。それを
他人に言っても、?だよねとみんな言う。当時、田島は吾妻に客演を何度か
願っていて、ネガティヴな意味で言ったのではないのは確かだが。その2.)
名文家である吾妻は長年に渡り雑誌にコラム的連載ページをいろいろと持っ
ているが(大昔にプレイヤー誌で、ギターではなくブギウギ・ピアノ指弾の
コーナーを持っていたことがあった。そういえば、そのころ大学祭でのサー
クルでライヴ・ハウスをやるためのコンソール調達で、吾妻さんの市ヶ谷の実
家にそれを取りに行った事があったな。ピアノの先生をしているというお母
様が、そうぞ上がって持っていって下さい、というような感じで優しく応対
してくれたっけ)、一時はクロスビート誌に<吾妻流お宝探偵団>みたいな
連載を持っていたことがあった。で、そこにぼくがジョージ・クリントン直
筆のイラスト(90年ごろ取材の合間に、ピンク色の水性マジックでコースタ
ーに気儘に女性とかを描いていたので、もらえますかと言ったら、笑顔で署
名し、ぼくの名前も書いてくれた)を出したら、「こんなの価値なし。第一、
俺はファンクが嫌いなんだよ」といったコメントとともに、0円をつけられ
た。吾妻光良のバカぁ。

 それ以後は本場勢。まず、シカゴ・ブルース界で名前を成すハーモニカ奏
者のキャリー・ベルの息子、ローリー・ベル(ギターと歌。58年生まれで、
82年いらいの来日らしい)。サイド・ギタリストとベースとドラムを従えて
のパフォーマンス。普通の年齢相応の格好、バシっとスーツ/ネクタイ、ブ
レイズ頭で少しボヘミアン調......フロントに立つ3人の格好がバラバラな
のにクスっ。サイド・ギタリストにも歌わせたりリードを取らせたりもし、
そうするとベルの力のあり具合がよく判る。まっとう。だが、突き抜ける何
か、引きつける何かが希薄と感じる(前日のパフォーマンスは物凄かったら
しいが)。

 そんなふうに感じずにはいられなかったのは、次のココ・テイラー(まさ
に、クイーン・オブ・ブルース! やはりシカゴ在住)が素晴らしすぎたせ
い。頭にバック・バンドによるパフォーマンスを2曲やった(歌はギター奏
者が1曲づつ歌う)のだが、濃さや生理的なスピード感や華やかさが段違い
。そのバック・バンドはギター2(うち、一人はずっとシカゴで活動する菊
田俊介)、ベース、キーボード、ドラムという編成だが、伝統を受けつつ今
の輝きも適切に持つ本当にいいバンド。そして、鮮やかなオレンジ色の服を
着たココ・テイラーが登場、もう一声だけでもこりゃすごいと平伏させる手
応えや訴求力を与える。すでに78歳らしいが、貫祿たっぷり、力ありあり。
降参。とともに、今伸び盛りの年齢ではなく、鬼のようなベテランがこうい
う現役感覚に満ちたショウを思うまま展開できている様に多大な感動を覚え
る。ちょっとしたMCでも胸キュンさせるし、いやあいい物を見せてもらい
ました。
 ふつう、飛行機内ではお酒をひっかけぐうぐう寝る人なのだ(それでも、
疲労が残り、到着した晩も寝れちゃうよなあ。今回の旅も時差ボケはなくて
、良かった)が、今回の帰りの便はなんとなく眠たくなく、『武士の一分』
と『大奥』の二本も映画を見てしまった。両方ともかなり他愛ないストーリ
ーで、少し唖然。ともに江戸時代を舞台とする映画だが、前者の日本語は役
者にかなりクセがある台詞まわしをさせている。それ、確かな時代考証ゆえ
? ともあれ、それで少しチョンマゲ・モードじゃ。

 成田到着後(当初、意外に暑くなくてニコっとなったが、あまりの湿度の
差にやはり辟易。夏場の渡北米/渡欧はこれがきつい)、丸の内・コットン
クラブに直行、途中からとはなったが、カナダの女性シンガー/ピアニスト
のファースト・ショウを見る。無理したくはなかったが、彼女の公演の最終
日だったのでしょうがない。店内は平日より着飾った人が多いように感じた
が、休みの日だとここにしっかり“ハレの場”を求めてくる人が多いという
ことなのかな。

 シェパードさんに、男性のアコースティック・ベース奏者とドラマーがつ
く。リーダー作ともどもトリオ名義で活動しているのは、この3人が重なっ
てこそワタシの表現は完結するとういう気持ちからか。英国DJ名士のジャ
イルズ・ピーターソン(2002年11月7日、2004年1月16日)に気に入
られているという事実が示すようにアコーステックなジャズ・ヴォーカル表
現の随所に控え目ながらクラブ・ミュージックの機微を入れたことをする人
。実演だと、歌はアストラッド・ジルベルト的な舌ったらずな感じが出たり
も。アルバムだと饒舌でお転婆な感じもあるが、ライヴのほうが女性的とい
う感じもあるかな。演奏時間はアルバム1枚しか出していない新人としては
かなり長めだった。

 終演後、早々に帰宅しようと思ったら、キャッシャーで知り合いと会い、
荷物もったまま居酒屋に流れちゃう。おお、オレって........。
   

ジョン・ブライオン

2007年7月19日
 エイミー・マン(2005年10月4日)、フィオナ・アップル(2000年5月8
日)、カニエ・ウエスト(2007年3月31日)他を手掛ける人気プロデュー
サーのショウは、ウェスト・ハリウッドのラルゴにて。そのラルゴでのブラ
イオンの密かな楽しみ的なパーマンスが話題になったのは、やはりブライオ
ンがプロデュースしたブラッド・メルドー(2003年2月15日、2005年2月20
日)の02年作『ラルゴ』(同所でのブライオンの実演に触発されたアルバム
と言われる)がリリースされたころ。それがまだ続いていたのかと思ったら
、ずっと中断していたらしい。そのラルゴは殆どがテーブル席のしっかり食
事をして音楽を享受しましょうというお店。が、すでにテーブル席の予約は
一杯で、立ち見を当日受け付けるという。LAの知人と久しぶりに会って食
事をした後、店に行くと前にはそれなりの列が。が、一応ちゃんと入れた。

 ステージ上にはピアノ、ハモンド・オルガン、数本のギター類、ドラムな
んかが置いてある。8時半の開演時間を1時間半ぐらい過ぎて、本人は登場
。白いスーツを着て、優男ふう。LAではかなり珍しい部類の風体と言える
だろう。で、おもむろにピアノを弾きだす。クラシックの素養があるのを示
す曲やジャズ・ストライド調の曲を弾く。そして、その後は演奏しながら歌
うのだが、意外にブライオンの歌は存在感がある。ギターに持ち替えても、
歌ったり。そして、もう一人オルガン専任(ベース音も出した)である痩身
のおじさん(終演後名前を聞いたら、ベンさんとか)が出てきて、以下はデ
ュオで表現にあたる。そのとき、ブライオンはギターやピアノやドラムを担
当。そのオルガンおじさんはなかなか達者でそれほどジャズ的ではない弾き
方をする人。ときに、ザ・バンドのガース・ハドソン的な噴出感のある指裁
きを見せるなと思ったら、1曲だけ彼が歌った歌はザ・バンドもカヴァーし
ているドジャー/ホーランド曲「ドント・ドゥ・イット」だった。

 披露する曲の多くはナツメロ他人曲だったのではないか。誰の曲か判らな
いものが多かったが、ブライオンは何度も「リクエストは?」と尋ねていた
し、ときに店内は合唱状態になったから。おお、歌声喫茶ならぬ、歌声レス
トラン。という感じで、ラルゴの彼のパフォーマンスって先を見た実験的な
事をするのかとも思っていたが、少なくてもこの晩(でも、ずっとこんな感
じなのでは?)は完全に後ろ向きな、なごみ志向のものだった。ケっとちょ
っと思わなくはなかったが、しっかりいいメロディを愛でる気持ちと歌心が
あったので、ほとんどにっこり見れた。15ドルだしね(飲み代はその3倍は
つかっちゃったけど)。なお、後半は「ここにドラマーはいる?」と問いか
けて、お客をステージに上げて、一緒に延々と叩かせたりも。結局、2時間
以上、パフォーマンスしたはずだ。

50 YEARS OF STAX

2007年7月18日
 今回のLA行きはハリウッド・ボウルで行われる、スタックス(往年の名サ
ザン・ソウル・レーベルですね)設立50周年を祝う特別公演を見るため。ハ
リウッドとハイランドの交差点からハイランド通りを少し登った丘陵地にあ
るハリウッド・ボウルは1万7千人収録とかの、クラシック公演もけっこう
やる大野外会場。かなり傾斜ありの客席はけっこう升席になっているところ
もあり、それこそみんなワイン・ボトル片手に(まじ、そうなの。売店にも
ワイン・ボトルがずらり)ピクニック気分でやってくる。LAで野外会場でス
タックスというと、72年の“ワッツタックス”公演を想起もしちゃうわけだが、
もっとゆっったりしたヴァイヴが流れていたし、時代も違うし、安易な比較
は無理ですね。

 新旧のアクトが登場し、往年の名曲を歌う。そんな設定で休憩を挟んでの
2部構成の3時間弱のショウ。ホストはアメリカン・アイドルの司会で人気
を博しているベース奏者でもあるランディ・ジャクソン。1部は共通バンド
のもと、エディ・フロイド、ウィリアム・ベル、ブッカー・T・ジョーンズ
ら顔役組と、今後大々的に復活する同レーベルが新たに契約したアンジー・
ストーン(2005年3月22日)やレイラ・ハサウェイ(2002年5月13日、他)
が登場。2部はまず往年のスタックス模様を伝える映像がヴィジョンに流さ
れ、ワッツタックスの主役でもあったアイザック・ヘイズが延々と自分のバ
ンドを率いて貫祿のパフォーマンスをする。そして、最後にオーティス・レ
ディングの「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」を出演者一同にて披露。

 じわーん。
 LAに来ている。今回はハリウッドに投宿、近くの有名複合モー
ル“ハリウッド・ハイランド”の中庭で“ジャズ&ワイン”と題したフ
リー・コンサートが開かれていて、なんと先週見たばかりのポン
チョ・サンチェスが偶然出演。バンドの顔ぶれ、ノリはそのブル
ーノート東京のときとまったく同じ。だが、かなりの集客ありで、
客の反応は熱く(踊る人達もけっこういて)、とてもいいヴァイ
ブが充満している。それ、ラテン系の人達にとって、ラテン・ジ
ャズもまた身近なライフ・ミュージックであるのだなと思わせら
れた。

 その中庭を囲む、上のほうのレストランで流れてくる音ともに
テラス席でゆったり飲食。休憩を挟んで2時間、ちょうど、食事
を終えてまもなくパファーマンスは終わる。ステージ後方には人
が群がり、サンチェスが帰ったあともベース奏者やトロンボーン
奏者は彼らに気安く応対している。我等がヒーロー、なんだろ
うな。サックス奏者だけフツーの白人といった感じだが、彼は少
し前まではグリーン・デイ(2000年8月6日)のツアー・メンバ
ーで、そのときはキーボードとコーラスの担当だったのだとか。
         
 実は、この晩にウェスト・ハリウッドのザ・トルバドールで、
再結成なったクラウデッド・ハウスの公演があった。渡米前から
ソールド・アウトなのは知っていて、根性と金銭感覚麻痺(ダフ
屋はどのぐらいで売ったんだろうか?)があれば行こうと思って
いたが、ラテンの喧騒と豊穣なワインにそんなのどーでもよくな
ってしまう。で、その後10時すぎに、やはり近くのザ・ニッティ
ング・ファクトリー・ハリウッドに。2004年9月15日の項で書い
ているように経営者が変わってからは只のロック箱になってしま
った同所(NYダウンタウンとハリウッドに一軒づつ。脱メイン
・ストリーム/フリー・ミュージック路線を突っ走っていたころ
は、東京やローマにも進出するなんて話があったよなあ)だが、
好調なようで3つのステージは別々にお金をとっている。5〜1
5ドル。どれも、知らぬ名前ばかりでチケット売り場の小娘にど
れがお勧めと問う。あんまりヘヴィじゃないのと断りつつ。する
と、私が好きなのはこれと、一番安く小さな<アルタニット・ル
ーム>を勧めてくれた。そこでは、キーボード兼任のトロンボー
ン奏者を擁する、スカ要素ありのポップ・ロック・バンドが演奏
中。まだ、10代とおぼしき、ルックス。残念ながら、バンド名を
確認したくなるほどではなかった。

 LAは涼しい。あれれ、ここの夏ってこんなに涼しかったっけか、
という感じ。空港に到着したとき、22度とアナウンスされていた
が、ぼくはけっこう上着をはおっていた。もちろん、太陽が当たる
ところではTジャツで十分。サンタモニカの浜にちょっといただ
けでも、少し日にやけたな。夜はエアコンを切って寝ていたが、
寒くて目が覚めたりも。ある晩は朝起きると、予備のTジャツを
3枚着込んでました。

 ブルーノート東京、セカンド・ショウ。米国のウェスト・コーストのラテ
ン・ジャズのリーダー/パーカッショニスト。ときに歌いもする本人(立派
な髭ネ)に加え、打楽器2、ピアノ、トランペット、サックス、トロンボー
ン、ベースという布陣。アンサンブルにせよ、烏合の衆的な声の重なりにせ
よ、なるほど肩肘張らずにきまっている。その新作『レイズ・ユア・ハンズ
』(コンコード)はタイトル曲とか「ノック・オン・ウッド」とかエディ・
フロイド/スタックスの曲を陽気に関連者をゲストに招いてカヴァーしたた
りもしていたアルバムだったが、なぜかやらず(ファーストでは「レイズ・
ユア・ハンズ」をやったようだが)。かわりに、JB曲スパニッシュ・ヴァー
ジョンやサンタナ曲をやる。サバけてて、楽しい。ウォーの「バエロ」を想
起させるようなタイプの曲も2曲。しっかり、ラテンのうま味と娯楽性が握
手してました。 
 02年結成のNYベースのロック・トリオ。ギターを弾きながら歌う長髪痩
身白人(ショウは彼のキーボード弾き語りから始まった)に、いろいろとコ
ーラスをつける黒人女性ベーシスト(メイシー・グレイを若くしたような
人)ととどかすか叩く黒人ドラマー(レニー・クラヴィッツを25キロ太らせ
たような外見を持つ人)が付く。おお、それってジミ・ヘンドリックス・エ
キスペリエンス編成の逆じゃないか。ベース嬢は頭にヘンドリックスを想起
させる羽飾りをしている。

 ヘンドリックス濃度はそんなに高くはないが、オールドな、あの時代の開
かれた感覚〜山っ気を持つロック表現を3人はけれん味なく開いていく。C
Dで聞くほど楽曲は立ってないなと感じたのは残念だが(いかに、キャッチ
ーな曲を作るかが課題ですね)、標榜する方向性や内にもつ感覚なんかは間
違いがない。原宿・アストロホール。

オズ・ノイ

2007年7月3日
 NYで活動する、イスラエル出身のギタリスト。リズム隊を従えたトリオ
によるパフォーマンスだが、もろにジョン・スコフィールド(2007年5月10
日、他)大好き、という演奏をする人だなあ。ロッキッシュというかがちん
こなサウンド(でも、微妙な仕掛けもアリ)を採用し、ちょっとした綻びの
感覚を拡大解釈しながらずんずん突き進んでいくような実演を披露。途中、
まったりものもやったが、全面的にぐいのり曲で行く根性を持ってほしかっ
た。スロウものは、ぼくは苦手だ。最後にスコフィールドもかつてカヴァー
していたザ・ミーターズの「シシィ・ストラト」を短めに。あの有名セカン
ド・ライン・ファンク曲を自己色を出そうとするためかリズムのパターンを
ひねっていたが、ぼくはそれに気持ち悪さを覚える。リズム隊はNYで活動
する日本人と紹介されていたが、ベーシストはニューオーリンズ生活も長いノ
リ・ナラオカ(2006年8月8日)。彼はどう感じたろうか。

 1時間ほどの演奏。渋谷・MI付属の小ホールでの、ショーケース・ライ
ヴ。プレイヤー系専門学校であるMI(ミュージシャン・インスティチュー
ト)って、ハリウッド本校以外の枝校は全部日本(しかも、7校も)にある
んだァ。やっぱ、日本人って習い事好きなんだなあ。

六本木・オリベホールで、まだ19才という米国人女性歌手のショーケース
・ライヴ。渡された資料を見たら、ローティーンのころからけっこうドサ回
りをやったりしてて、その末に現在があるようでびっくり。実演はそんな苦
労は感じさせず、初々しくも、確かな喉を披露する。カラオケで歌ったり、
ピアノの伴奏をバックに歌ったり。デビュー・アルバムはセリーヌ・ディオ
ンのアレンジをやっている人が手掛けているということだが、なるほどその
系統に入ろうとしているんだろうな。バイオ見ておおと思ったのはマサチ
ューセッツ州ケープゴッドの生まれで、父親は同地でジャズ・ピアニストを
やっていたんだとか。避暑地ケープゴッドといえば、ジ・インンクレィブル
・カデュアルズ(2006年4月14日)の本拠地じゃないか。いろいろと妄想
が広がった。

 そして、南青山・月見ル君想フに回る。行くと、ロンサム・ストリングス
(豪華メンバーだなあ。バンジョー奏者の方以外はいろんなとこで見ている
ものなあ)が淡々と演奏中。

 そして、日系アメリカ人で現在は東京に居住する、伴奏音や響きにも自覚
的なシンガー・ソングライターであるYUJI ONIKIのショウになるわけだが、
ライヴが始まる前に本人が一旦でてきて、「新作『トーキョー』と同じ順序
でやります。だから、あんまり今日は喋りません」みたいなことをわざわざ
言う。見た目は普通に日本人だし、日本語もいたって普通。

 つまり、勝井祐二(2006年12月3日、他)らバッキング・メンバーもレコ
ーディングのときと同じなのかな。ギターを弾きながら歌う本人に加え、ヴ
ァイオリン、ギター2、アイリッシュ・ハープ、ベース、ドラムスという布
陣。へえ、キーボードを排し、メロディ楽器はすべて弦楽器でまとめている
んだな。生で聞く彼の歌はそんなに上手くない。でも、しっかりと自分を出
しているし、そういう個体が中央にあっての含みある統合的表現なのだとい
うのが納得できるので疑問は感じない。

コルネイユ

2007年6月25日
 翌日からのNY出張がインタヴューが出来なくなったとかで、ドタキャン
。そうじゃなくても、この10日間はかなりやらなきゃならない仕事が山済み
で、けっこう精神的においつめらて辛かったなー(年を取るにつれ、どんど
んプレッシャーに弱くなっているナ)......。困憊気味なのと、解放感が入
りまじるなか、カナダ大使館へ。

 大使館付きホールが、オスカー・ピーターソン・シアターと新たに命名さ
れたよう。大御所ジャズ・ピアニストのピーターソンは米国人ではなくモン
トリオール生まれで、彼の快楽的でスウィンギンによく歌うピアノのスタイ
ルは黒人差別の少ないカナダ育ちという属性がもたらしたもの、なんて説明
がされたりもしたっけな。中学時代、そういう誰かの記載を読んで、カナダ
っていい国かもしれないとぼくは思ったはずだ。それとも、ジョン・レノン
がモントリオールで69年“ベッドイン”をしたりした(それって、一時米国入
国拒否され、カナダをシェルターにしていたんだっけか)情報のほうが、ぼ
くにカナダの正のイメージを与えたのかな。

 この日見たのは、コルネイユという1977年ドイツ生まれの自作派のシンガ
ー。アフリカのルワンダ・ルーツの青年で、いかにもナイス・ガイな雰囲気
を持つ長身の人。育ちはルワンダで映画『ホテル・ルワンダ』にも描かれい
た94年ルワンダ虐殺で両親を失いドイツに渡り、最終的にモントリオールに
落ちついたという経歴を持つという。実演に先立つ大使の挨拶によれば、カ
ナダとう曲は難民に優しい国で、そういう意味で彼はカナダの側面を伝える
存在でもあるそう。本国ではすでに数枚リーダー作を出していて、過去作で
はフランス語で歌っているようだ。

 非常にクリーンな演奏をするアコースティック・ギター奏者を従えての英
語曲によるパフォーマンス。米国的ソウル・フィーリングは皆無の喉自慢で
、パっと聞いて多くの人はそのヴォーカルにナイジェリアとブラジルの両親
を持つUKシンガーのシールを思い出すのではないか。アルバムにおいては
シールのようにカチとしたサンプリング・サウンドではなく、柔和な今様サ
ウンドを採用する彼ではあるが。哀愁あるメロディ曲のもと慈しみの感覚を
無理なく聞き手に与えるあたり、普遍的なポップ・ミュージックとしての需
要があるかもしれない。
 ザ・チーフタンズ(1999年5月29日、2001年5月20日、2007年6月1日
)の新ハープ奏者である、アイルランド生まれのもの静かなお姉さんの簡易
ショウ。彼女はずっとクラシックを学んでいたものの(大学はロンドンだっ
たとか)、ひょんなことからザ・チーフタンズに紹介されて一緒にやったら
パディ・モローニたちから気にいられ、2003年にアイリシュ・トラッド界に
転進しちゃったという、キャリアを持つ。ゆえに、いまだトラッド曲と出会
う日々は新鮮らしい。彼女のソロ『アイリッシュ・ハープ』はそういう日々
の積み重ねを素直にまとめたもの。クラシックのハープよりずっと小さいア
イリシュ・ハープは一時イングランドに統治されたときに、ケルト的色彩の
強い楽器であったためか、ご法度にされたことがあったという。もともと王
の前で演奏するような楽器で他のアイルランドのトラッド楽器よりは高尚な
感覚は強いそうであるが、そんな歴史もありハープはアイルランドの誇り高
き楽器と認知されもし、ギネス・ビールのマークにも冠されているわけだ。

 恵比寿・イニシュモア。やっぱり、清らかな音色/情緒を持つ楽器であり
、確実に聞く者を誘う不思議な力を透明感とともに持つ楽器。途中、和な格
好でスキンヘッドなこともあり坊さんみたいな感じを与える外国人が琵琶(
少し、尺八も吹いたか)で加わり、一緒にやはりトラッドぽいのを演奏。シ
ョーンという名の生真面目そうな彼はなんとトリーナのお兄さん。ずっと、
日本に住んで薩摩琵琶の道を究めんとしているそうだ。

 ザ・チーフタンズのツアーが空いたときトリーナや同行ダンサー/フィド
ラー陣(ビラツキ兄弟)はモローニに勧められたことがきっかけでザ・チー
フタンズのマット・モロイのパブで仲間を誘って“お楽しみライヴ”を行い
、それがトレッドというアイリシュ/カナディアンの若手混合グループの結
成に繋がった。彼らのアルバム『ライヴ・フロム・マット・モロイズ』はそ
ういうグループの成り立ちをタイトルに持ってきたスタジオ録音作だ。そのト
レッドは12月にやってくることになっている。ルーツと人の情が導く、尽き
ぬ連鎖......。
                                        

 有楽町・コットンクラブ、セカンド・ショウ。ジャイヴ・レコードから05
年にアルバムを出している(店内販売していたが、映像商品やCDなど仲間
たちといろいろ出しているのね)、ネオ・ソウル(70年頃のマーヴィン・ゲ
イらのしなやかソウルに対する、今の人達の憧憬表現についた呼称)の担い
手。が、多くの同勢が提出するものをはるかに超える内実を送り出してくれ
て、びっくり。感激した。

 ステージに、楽器とともに絵が10枚ほど置かれている。DJが音楽を流す
なか、メンバーが登場。キーボード、電気ベース、ドラム、男性バッキング
・ヴォーカル二人。そして、ヴォーカルの当人とともに、ペインターがステ
ージに上がる。ペインターは演奏中、白いTシャツを張ったキャンバスの上
に絵をカラフルに描きはじめ、その終わりには1枚の完成品を仕上げる。な
るほど、ステージ上に飾ってあるのは、他の日(この日は3日目、のべ6度
目となるショウとなる)に描いた絵もあるのネ。なんか、仲間とともに自在
に自分たちにポップ・アート表現を求めたいのダ、という気持ちはよく伝わ
ってきた。
 
 当人の冒頭のMCはヒップホップ風だが、とても歌える。終盤、DJやバ
ック・コーラス陣もフィーチャーされたが、みんなそれなりに歌えるな。そ
んな彼らは、ほとんど切れ目なしに、壮大なサウンドスケイプといった感を
抱かせるパフォーマンスをしなやかかかつエモーショナルに展開していく。
ラテンとレゲエのビートを肉感的に交錯させていく曲もあれば、オーセンテ
ィックなソウル感覚に貫かれた曲(ほんの少し、伝統的ソウル・ショウを受
けた、設定やステージ・アクションもあり)もあるし、EW&F曲やレッド
・ツッペリン曲の大胆な人力サンプリング使用曲もあり。それらは有機的に
繋がりながら、今の確かなソウルの形を作っていく。そして、それを支えて
いたのは、3人ながら強さや流動性を両立させていた演奏陣であったのは間
違いない。まだ若そうだったが、彼らも素晴らしい。

 で、そんな人達を雇い、自分の意のまま演奏させているデヴォーンは凄い
ときっちり思わせられもするわけ。そんな、素敵な事ってあるかい。基本を
抑えたうえで、自分のソウルを、今のソウルをという気持ちがあふれ、結果
それを実に明晰に彼は具現。見事すぎました。

 家に帰ってから資料を見て、彼の父親はジュリアス・ヘンフィルやアーサ
ー・ブライスとの共演でなにより知られるNYロフト・ジャズ系チェロ奏者
のアブドゥル・ワダッドであると知る。うわあ。ワダッドも参加のブライス作
『イリュージョンズ』(コロムビア、80年)はいまだはみ出しビート・ジャ
ズの金字塔だし、たまに聞いて高揚する。なるほど、あの才人の息子なら、
この才気のあり具合も当然ではないか、との感を強くした。
 渋谷・ショーゲート試写室で、ザ・クラッシュの故ジョー・ストラマー(
2000年1月17日、2001年11月2日)を扱った映画を見る。監督は英国音楽
関連映画の顔役監督のジュリアン・テンプル。2001年11月2日の項に記して
あるように、印象に残る邂逅をしただけに感無量。彼って、パブリック・ス
クール出のぼんぼんだったのか。

 そして、九段下・イタリア文化会館に向かい、イタリアの4人組グループ
のバンダリアーナを見る。オルガネット(小さな形のアコーディオン)、キ
ターと歌、各種サックス(2本同時に吹くときも)、パーカッションとドラ
ムが一緒になったような変則キット(主に手で叩き、ときにはドラムのよう
にスティックを用いたりも。変拍子もあり)という編成。メンバーはみんな
40歳代越えと思われるが、ものすごく興味深いグループ。なんでもトスカー
ナ地方の伝統音楽を受けているところもあるようだが、プログレッシヴ・ロ
ック、ジャズ、フォーク音楽、広義のエスノ音楽(中近東ぽい旋律が散見さ
れた)などいろんな要素が手作り感覚でミクスチャーされたことを、彼らは
飄々と披露する。いまいちどういう人が聞き手として付くのか想像しにく
い部分もあるが、ちょっと素朴でエキゾなことをしたいときのスティング
(ザ・ポリス) が彼らをバッキングに雇ったなんて聞いたら、ぼくは膝をう
っちゃうと思った。イタリア文化会館はこの1ケ月の間<地中海音楽の夕べ
>と称して毎金曜日にイタリア人グループが出るコンサートを開いていて、
これが5番目となる最後の出し物。都合がつかなくて、彼らだけを見ること
となったが、他の回の出し物はどんなのだったろう? て、思わせる好ア
クトではありましたね。

 その後、ジェイムズ・チャンスのピアノ・ソロ公演を見るために、六本木
・スーパーデラックスへ。が、会場目前で知り合いに拉致られ、見ることが
出来ず。飲みを取っちゃうオレって、一体......。そして、代官山の夜は更
けていった。なんでも、チャンスはエリントン曲とかを彼なりの手癖で弾い
たという。

 渋谷・CCレモンホール。なるほど、命名権獲得とともに、場内飲み物は
サントリー関連銘柄を出しておるのだな。ビールの量、もう少し多くしてく
れないかあ。あれだと、サントリーはセコい企業という印象を確実に与える
と思う。でなきゃ、CCレモンの無料サーヴァーぐらいは設置すればあ。あ
れだけ、会場をお金で買ったという姿勢(玄関ディスプレイ)を堂々と出す
ならば......。中学生のころ、偶然いかにサントリーのウィスキーは嘘っぱ
ちかという本(三一新書だったかな)を目にしていらい、どこかサントリー
には偏見もっちまってるな。

 なんか会場音響良くなっているかも、と思えたとこも。サントリーから出
たお金で椅子とかは新しいものに代えられたわけだが、音響面でのリファイ
ンはあったか否や。ともあれ、響きや音色やリズムの感覚の重なりの妙の導
きから、渋さ=エスノ・ミュージック・オーケストラという好ましい印象を
これまで(2007年1月13日、他)以上に与えてくれるところはあった。

 途中で、ジャイムズ・チャンス(2005年7月16日)が混ざる。彼はフリー
キーなサックスを吹いたり、歌ったり、電気キーボードを弾いたり、渋さの
女性ダンサーと絡んだり踊ったり。少しだけ重なるのかと思ったら、30分ぐ
らいは一緒にやっていたな。そのとき、リーダーの不破(2007年6月3日、
他)は横のほうで傍観者的ににやにやとヴィデオを撮っていたように遠くか
らは見えた。

 全部の演奏時間は2時間強。最後はみんなで演奏しながらステージを列に
なっておりて、ロビーでそれを続けて幕。

 終演後、ぼくと比較にならないほど”音楽生活道"を歩んでいる人たちと流
れ、アトランタ在住で日本語で勝負している黒人天才という黒人ラッパーの
事を教えてもらう。そして、さらに流れ、その酔狂な音を聞く。笑った。世
のなか、やっぱりいろんな事あるなあ。

リアダン

2007年6月11日
 やっぱり、若い娘が嬉々として素朴な楽器音や清楚な歌声を重ねる様は無
条件にいいなあ。先々週のザ・チーフタンズ公演での客演の様子がなかなに
良かったので、単独公演を見に行く。代官山・晴れたら空に豆まいて。アイ
リッシュ・トラッドを奏でるだけでなく、ハモれたり、ダンスも出来たりす
るのは、とても強みになるな。とはいえ、この日はダンスはしなかったけど
。残念。彼女たちの風情とハコの大きさや雰囲気がけっこうあってたな。

NOON

2007年6月8日
 ニューオーリンズ録音の『ウォーク・ウィズ・ジー・ニューオーリンズ』
リリースをフォロウする、女性シンガーのライヴ。六本木・スイートベイジ
ル139 。同作プロデューサー/トランペッターのリロイ・ジョーンズ(ハリ
ー・コニックJr. :2000年3月31日のバンドにずっといて、米国ソニーから
のリーダー作もあり) を迎えてのもので、他にニューオーリンズと日本を行
き来しているという女性ピアニスト、縦ベース、ドラム(BBBB:2000年
12月6日、2002年10月16日他、の人)、サックスがバッキング。管楽器音
が効果的に活きた演奏のなか、ふんわりと歌を乗せる。なんか、全体的に気
持ちがあったな。

MONO

2007年6月7日
 MONO(2001年10月18日) の実演は5年半ぶりに見る。渋谷・オネスト
、いつにも増して、混んでて見えにくい。すっかり海外拠点のバンドになっ
ちゃっているわけで、完全洋楽ノリの(って、変な言い方だが)、風情たっ
ぷりのインストのギター・ロックを披露。なるほど、立派になっているなあ
。つづく、主役はeksperimentoj 。残念ながら、次の予定があり、1曲も見
れず。

フィリップ・ウー

2007年6月6日
 現在は日本で活動している、メイズにいた中国系アメリカ人キーボード
奏者が仕切るライヴで、ビリー・プレストン(1946年〜2006年)に捧げたも
の。プレストンはゴスペルの底無し/枠無しのマジックを素に鮮やかに多彩
なポップ表現を送りだした唯一無二の人。そんな大好きなプレストン曲が聞
ければと、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)に行く。いつもより、女
性同士の客がとても多い。

 各種キーボードを弾くウーに、在日アメリカ人が中心となった編成。曲に
よっては、三管もつく。で、実演に接しながらR&B/ファンクの特殊性に
も頭が向かう。だって、基本的にプライドあるプロのロッカーのライヴだっ
たら全部カヴァーのライヴなんて考えられないし、ぼくも絶対にいきたくな
い。それは、ロックは基本的にオリジナルで勝負するべきものという認識が
ぼくのなかであるからか。ロックは発想やアイデアがまず優先される音楽で
あり、R&Bは味や積み重ねを重視する音楽であるということなのだろうか。

 ちょっと首をかしげたのは「ゲット・バック」と「レット・イット・ビ
ー」、ザ・ビートルズ曲を2曲やったこと。確かに、プレストンはザ・ビー
トルズとザ・ローリング・ストーンズという二つの名UKバンドの表現を助
けており、それも彼の天賦の才を語ることの大きな材料だ。だけど、やるな
らまずはストーンズ曲でしょう。ザ・ビートルズに係わったのは後期の一時
期だけだったが、ストーンズの場合は70年代初頭から5枚ものアルバムにじ
っくり関与、間違いなく同時期のストーンズ表現はプレストンから多大な貢
献を受けていた(確かキース・リチャーズだったか、あの頃はプレストンに
やんわり牛耳られていた、みたいな発言もあったはず)。そして、その時期
こそがストーンズの黄金期であるとぼくは確信する。『ブラック&ブルー』
収録の「メロディ」はプレストン既発曲を改作したもの、たとえばそれを演
奏してほしかった。
 冒頭、ジョン・フルシアンテがギターをファンキーに刻みはじめ、そこに
フリーが雄弁なベースのフレイズを絡める。おおカッコいいと、すぐに興奮
。そこにドラムのチャド・スミスが加わり、でだし1曲目はジャム・バンド
状態の流動的なインスト。いけてるじゃん。2曲目以降、フロント・マンの
アンソニー・キーディスが加わる。アンコール部(その冒頭、フリーはトラ
ンペット演奏をたっぷり披露したりも)でも歌のキーディスはいつのまにか
下がり、3人の丁々発止で終わった。本編でも、けっこうジャムぽいと思わ
せる断片はあったな。

 3月に予定されていたものが延期になった公演、東京ドーム(その場内広
告ペイントの実に田舎臭いこと)。企業冠はついいていない。当然ここは野
球や大雑把なイヴェントのためのスペースであって、音楽を披露するには音
響の部分などで非常に不向き。メッセとかもそうだが、できるならここでは
音楽コンサートを見たくない。ましてや、ぼくは付和雷同を避けたいと思う
タイプの人間であり、今のレッド・ホット・チリ・ペッパーズにも積極的な
気持ちを持つことができない。最新作の2枚組には曲作りに息苦しさを覚え
(自然発生的ではなく、技巧的に作っているように感じてしまう)、好きじ
ゃない。なのに、やはりドキドキしちゃうのは、破格なもの、過剰なイヴェン
トに対して、心地よさを感じるからなのだろうか。

 そんなぼくがドームのようなアリーナ会場の音楽公演に望むのは、技術と
アイデアの粋をとことん凝らしての、仕掛けたっぷりの大エンターテインメ
ント・ショウであること。が、そういう部分において、レッド・ホット・チ
リ・ペッパーズのコンサートはとてもフツー。芸がない。ステージ後方にヴ
ィジョンが置かれいろいろと用いられるがそれは常識的なものであるし、ス
テージ美術にもお金はかけてないし、通常のこの手のアリーナ公演より、レ
ッド・ホット・チリ・ペッパーズのそれの上がりは相当大きいと見た。
 
 だが、ぼくはずっとニッコリしながら聞けた。たとえば、<ライヴ三昧>
が始まってからは、ジョージ・クリントンが最後に飛び入りした2002年7月
28日フジ・ロックと2002年11月2日幕張メッセ公演をぼくは見ているわけ
が、どー考えてもそのときより彼らは力を持ち、感情移入を誘った(クリン
トン乱入時は別。あの瞬間は興奮した!)。実は先の二つの公演は彼らが諦
観ロック期間に入ってからのもので、アンコールの「ギヴ・イット・アウェ
イ」以外はほぼリズムがはねない黄昏曲を取り上げていたわけだが、今回は
けっこうハネ曲を採用していたという事実はぼくの好印象につながる最大要
因となっているのだろう。それだと、キーディスの喉の弱さも表に出にくく
なるし、メロディアス曲の味わい深さも再認識できるし、やっぱアップな曲
あってのレッド・ホット・チリ・ペッパーズではないか。とはいえ、一般的
な観客の反応はビート曲より静か目の曲に対する反応のほうが大きいわけで
、多くの人の感想はまた異なるのかも知れない。また、今回の曲目は昨年
のフジ・ロック出演時のときと同じものだそうで、それに触れていたらぼく
もまた別の感想を持つかもしれない。

 ただ、それほど仕掛けにこらず、彼らがきっちり4人で事をまっとうした
のはまぎれもない事実なのだ。

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