ブリック。ニコール
2007年9月22日 2000年3月9日(デューク・エリントン曲を題材とする、ウィントン・マ
ルサリスのリンカーン・ジャズ・オーケストラ公演)の項でぼくは以下の事
を記している。
なんか、いまいち薄い印象を残す公演ではあったなあ。考えすぎというか、どこか生理的にストレートじゃないのだ。ここでそれを書き留める根性はないがとにかくエリントンの楽曲は無敵なんだから、もっと素直にやっても良かったのでは。その豊穣さを引き継ぐアンサンブルとかはさすが。でも、それを延々と繰り広げずに、すぐにソロ・パート(それもあまり長くはない)に持っていってしまい、その場合はリズムだけがバッキングするという感じにしちゃっているのも不満。それはリハ不足ゆえのもの? しかし、そういうお膳立てのアルバムも前に出しているしなあ。家に帰って、同楽団のエリントン曲集を聞いたら、もっと濃かったし、集団演奏の醍醐味はあったので、この日は不出来と言われても仕方がないだろう。
とともに、あまりこういうことは書きたくないが、客層が良くなかったことも、“乗り切れなさ”に繋がっていた部分はあったんじゃないのか。オーチャード・ホールの出し物ファンが結構来ていたのかどーかは知らんが、あんましジャズのこと知らないんじゃないかという人が多そうな雰囲気あったもんなあ。なんかイヤな書き方になるけど。
拍手の感じがそうなの。なんか、一応曲が終わると拍手はあるのだが熱意がない。MCにも反応はない。しらー。ようは、送り手側と受け手側のやり取りが全然ないわけ。それじゃ、やるほうも拍子抜けするわな。という感じで、改めてコンサートにおけるお客さんの重要性というのを痛感した。
別にのべつまくなし声援を送れとは言わない。パフォーマーに媚びろとも言わない。いやならイヤという態度を出すのは当然ですね。だが、こちらから一歩歩み寄り、温かく迎える感じを相手に伝えるだけでも、送り手側は安心ができたり、気分良くなったりするのではないのか。そして、それは演奏にも跳ね返るはず。つまりは送り手のいい演奏を引き出すような、反応の仕方というのはあるのではないのかしら。そんなことを痛感させられた夜……。
それにならうなら、この晩は客の反応が大いに実力以上の好演を引き出し
ていたのではないか。なかには、テーブルに彼らのレコードを並べて事ある
ごとにメンバーに見せたり、レコードを遺影のように飾っていた人もいた。
当然のことながら歓声等は好意的にして熱狂的で、そりゃ彼らだって意気に
感じ、熱くパフォーマンスを遂行しようとするよな。丸の内・コットンクラ
ブ(セカンド)。ああ、ステージと観客側が一体化するにはこのぐらいの大
きさがちょうどいいのかもな、とも感じた。
ブリックは76年から82年の間はチャートの上でも好成績をおさめていた
アトランタのファンク・バンド。解散していたこともあったはずだが、オリ
ジナル時と同じ5人組(うち、3人がオリジナルなよう)での来日となる。ス
テージ上に登場した彼らの風体はラフ。ここに出る熟練ブラック・アクトは
着飾ることが多いので、少し見すぼらしいナと感じなくはなかった。
まずおおと思わせたのは、ホーンと歌担当のジム・ブラウンがアルト・サ
ックスを肩にかけつつ、マイク・スタンドの回りにもトランペット、トロン
ボーン、ソプラノ・サックス、フルートを置いていたこと。ぼくの記憶が確
かならソプラノとトロンボーンは手にしなかったが、こんなに管楽器を並べ
る人をぼくは初めて見た。ふふ。一番手にすることが多かったトランペット
演奏はお粗末気味(一番、ムズカシイ事をやろうとしていたせいもあったは
ず。ファルセットで歌う事が多かった彼はサッチモの真似のもと、芸ある
編曲がなされた「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド』も歌った。それ、
良かった)、またバンド演奏も最初はちょい荒いかなと感じたのだけれど、
どんどん訴求力と熱量を持つものになってなっていって、それは冒頭に書い
たことが最たる理由ではないのかとぼくは感じたわけだ。ぼくもどんどん回
りにつられて発汗しちゃったという所があったかもしれない。で、結局、ア
ンコール時には立ち上がって喝采。十分に楽しみました。
その前に、渋谷・CAMELOTでニコールという褐色のダンス系シンガ
ーを見る。ザ・プシーキャット・ドールズ(A&Mの売れっ子制作者ロン・
フェアー扱いのよう)というアイドル・グループのリード・シンガーをして
いた人だそうで、その初リーダー作はウイル・アイ・アム(2001年2月7日
、2004年2月11日、2007年8月8日)、NE−YO(2006年6月7日)、フ
ァレル・ウィリアムズ(2006年4月2日)、エイコン(2005年7月12日)、
カニエ・ウェスト(2007年3月31日)、スティング(2000年10月16日)ら
ビッグ・ネームが関与しているというスーパー政治物件。で、彼女はワール
ドワイドなプロモに出ているらしい。なるほど痩身で綺麗なニコール嬢はカ
ラオケに合わせて、口パクではなくそれなりに2曲歌う。うち、1曲は男性
ダンサー陣と絡みながらのもので、担ぎあげられる場面も。
ルサリスのリンカーン・ジャズ・オーケストラ公演)の項でぼくは以下の事
を記している。
なんか、いまいち薄い印象を残す公演ではあったなあ。考えすぎというか、どこか生理的にストレートじゃないのだ。ここでそれを書き留める根性はないがとにかくエリントンの楽曲は無敵なんだから、もっと素直にやっても良かったのでは。その豊穣さを引き継ぐアンサンブルとかはさすが。でも、それを延々と繰り広げずに、すぐにソロ・パート(それもあまり長くはない)に持っていってしまい、その場合はリズムだけがバッキングするという感じにしちゃっているのも不満。それはリハ不足ゆえのもの? しかし、そういうお膳立てのアルバムも前に出しているしなあ。家に帰って、同楽団のエリントン曲集を聞いたら、もっと濃かったし、集団演奏の醍醐味はあったので、この日は不出来と言われても仕方がないだろう。
とともに、あまりこういうことは書きたくないが、客層が良くなかったことも、“乗り切れなさ”に繋がっていた部分はあったんじゃないのか。オーチャード・ホールの出し物ファンが結構来ていたのかどーかは知らんが、あんましジャズのこと知らないんじゃないかという人が多そうな雰囲気あったもんなあ。なんかイヤな書き方になるけど。
拍手の感じがそうなの。なんか、一応曲が終わると拍手はあるのだが熱意がない。MCにも反応はない。しらー。ようは、送り手側と受け手側のやり取りが全然ないわけ。それじゃ、やるほうも拍子抜けするわな。という感じで、改めてコンサートにおけるお客さんの重要性というのを痛感した。
別にのべつまくなし声援を送れとは言わない。パフォーマーに媚びろとも言わない。いやならイヤという態度を出すのは当然ですね。だが、こちらから一歩歩み寄り、温かく迎える感じを相手に伝えるだけでも、送り手側は安心ができたり、気分良くなったりするのではないのか。そして、それは演奏にも跳ね返るはず。つまりは送り手のいい演奏を引き出すような、反応の仕方というのはあるのではないのかしら。そんなことを痛感させられた夜……。
それにならうなら、この晩は客の反応が大いに実力以上の好演を引き出し
ていたのではないか。なかには、テーブルに彼らのレコードを並べて事ある
ごとにメンバーに見せたり、レコードを遺影のように飾っていた人もいた。
当然のことながら歓声等は好意的にして熱狂的で、そりゃ彼らだって意気に
感じ、熱くパフォーマンスを遂行しようとするよな。丸の内・コットンクラ
ブ(セカンド)。ああ、ステージと観客側が一体化するにはこのぐらいの大
きさがちょうどいいのかもな、とも感じた。
ブリックは76年から82年の間はチャートの上でも好成績をおさめていた
アトランタのファンク・バンド。解散していたこともあったはずだが、オリ
ジナル時と同じ5人組(うち、3人がオリジナルなよう)での来日となる。ス
テージ上に登場した彼らの風体はラフ。ここに出る熟練ブラック・アクトは
着飾ることが多いので、少し見すぼらしいナと感じなくはなかった。
まずおおと思わせたのは、ホーンと歌担当のジム・ブラウンがアルト・サ
ックスを肩にかけつつ、マイク・スタンドの回りにもトランペット、トロン
ボーン、ソプラノ・サックス、フルートを置いていたこと。ぼくの記憶が確
かならソプラノとトロンボーンは手にしなかったが、こんなに管楽器を並べ
る人をぼくは初めて見た。ふふ。一番手にすることが多かったトランペット
演奏はお粗末気味(一番、ムズカシイ事をやろうとしていたせいもあったは
ず。ファルセットで歌う事が多かった彼はサッチモの真似のもと、芸ある
編曲がなされた「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド』も歌った。それ、
良かった)、またバンド演奏も最初はちょい荒いかなと感じたのだけれど、
どんどん訴求力と熱量を持つものになってなっていって、それは冒頭に書い
たことが最たる理由ではないのかとぼくは感じたわけだ。ぼくもどんどん回
りにつられて発汗しちゃったという所があったかもしれない。で、結局、ア
ンコール時には立ち上がって喝采。十分に楽しみました。
その前に、渋谷・CAMELOTでニコールという褐色のダンス系シンガ
ーを見る。ザ・プシーキャット・ドールズ(A&Mの売れっ子制作者ロン・
フェアー扱いのよう)というアイドル・グループのリード・シンガーをして
いた人だそうで、その初リーダー作はウイル・アイ・アム(2001年2月7日
、2004年2月11日、2007年8月8日)、NE−YO(2006年6月7日)、フ
ァレル・ウィリアムズ(2006年4月2日)、エイコン(2005年7月12日)、
カニエ・ウェスト(2007年3月31日)、スティング(2000年10月16日)ら
ビッグ・ネームが関与しているというスーパー政治物件。で、彼女はワール
ドワイドなプロモに出ているらしい。なるほど痩身で綺麗なニコール嬢はカ
ラオケに合わせて、口パクではなくそれなりに2曲歌う。うち、1曲は男性
ダンサー陣と絡みながらのもので、担ぎあげられる場面も。
ラリー・カールトン & ザ・サファイア・ブルース・バンド・ウィズ・ケブ・モー
2007年9月19日 六本木・ビルボードライヴ東京(セカンド)。なんか電車に乗るのがお
っくうで、飲めなくてもいいやと車で向かう。ここ(東京ミッドタウン)の
駐車場は面倒な様式をスカして取る六本木ヒルズと違い、開いている枠に車
を入れるという普通のもの。幅広の高級車がパークする比率も低くはないは
ずで、もう少し一台一台の枠を広めにとってもいいのではないかと感じる。
ちょい貧乏くさい。近年のハイテク駐車場は出庫ゲート以前に清算するとゲ
ートに差しかかったとき自動的にゲートが開くシステムのもの(どういう、
からくりになっているのかな。先日のRADを見に行ったさいのTOKIA ビル
も、そうだった)があるが、ここはそういう便利機能の導入はなし。あー、
ザ・リッツ・カールトン東京(日本語表記でちゃんと冠詞をつけているのは
珍しい。我々は唯一です、というのを強調しているのかな)に泊まってみた
ーい。
定時に出てきたテカった禿げ頭のヴェテラン・フュージョン・ギタリスト
の姿を上から見下ろしつつ、カールトンのことをちゃんと見るのは初めてな
んだなーと確認。この晩だって、近年カサンドラ・ウィルソン(2004年9
月7、他)やマーカス・ミラー(2006年9月3日、他)のアルバムで秀でた
客演をしているケブ・モー(94年にエピック/オーケーから今の風を持つ
カントリー・ブルース・マンとしてデビューし、現在に至る)がゲストで出
る(どうやら、日本ツアーだけのスペシャル・アピアレンスのよう。今、モ
ーはソロでパーフォマンスをすることが多いようだ)から見にいったという
のは否定できない。
ここのところ、ロベン・フォード(1999年8月28日、2004年4月21日、20
04年10月22日、2004年12月17日)との双頭のブルース傾向バンドで活動して
いた(この4月上旬に行った豪州バイロン・ベイのブルース・フェスにも彼
らは出演)カールトンはずっとブルース・モードが続いているらしく、自身
の新プロジェクトもブルースという単語を冠してのもの。で、なんと四管を
擁する(セクション音主体。ソロはテナー奏者だけがホンキーな感じでとっ
ていたが、なんとそれは長年フランク・ザッパ・バンドで吹いていたアル
バート・ウィングだったよう)総勢8人組にての編成で、キーボード奏者は
ハイラム・ブロック・バンド(2000年6月21日、他)でお馴染みのデイヴィ
ッド・デローンみたいだ。
ブルース・バンドというわりにはブルース色の強い曲を連発するわけでは
なく、地に足をつけたがんちんこ気味のフュージョンをやる、と説明するの
が適切だろう。きっと、カールトンの演奏が光っていたザ・クルセイダーズ
の初期人気曲「プット・イット・ホエア・ユー・ウォント・イット」をここ
でやっても全然違和感はなかったはずだ。目鼻だちのしっかりしたサウンド
に乗るカールトンのソロは流麗にして非常に引っ掛かりがある。なるほど、
それは確かに魅力を見つけることができるもので、彼がスター・ギタリスト
になったのもよく分かる。どこかカールトンははしゃぎ気味(ルックスと異
なり、子供っぽい人という印象を持った)で、このバンドでライヴするのが
嬉しくてしょうがないという感じがあったかな。そういう様に触れるのは、
もちろん悪い気はしない。
途中出てきたケブ・モーは長身痩身で遠目にはとってもカッコいい。オー
プン・チューニングでスライドを弾く1曲目はカールトンとドラマーと3人
で。おお、イケる。彼はそのままあと2曲やったが、そちらはバンドがつい
て(管はウィングのみが参加)のもので、レギュラー・チューニングによる
。ちょっと工夫にかけるブルース・コード進行曲が素材だったのは残念。で
も、声はとってもデカいし、思っていた以上に存在感のある人で余は満足じ
ゃ。
アンコールは最初、カールトンがソロでギターを爪弾く。それ、ぼくには
ナッシング。というか、早くまたゲブ・モーが出てこんかい! と待ち構え
ていたもので。
っくうで、飲めなくてもいいやと車で向かう。ここ(東京ミッドタウン)の
駐車場は面倒な様式をスカして取る六本木ヒルズと違い、開いている枠に車
を入れるという普通のもの。幅広の高級車がパークする比率も低くはないは
ずで、もう少し一台一台の枠を広めにとってもいいのではないかと感じる。
ちょい貧乏くさい。近年のハイテク駐車場は出庫ゲート以前に清算するとゲ
ートに差しかかったとき自動的にゲートが開くシステムのもの(どういう、
からくりになっているのかな。先日のRADを見に行ったさいのTOKIA ビル
も、そうだった)があるが、ここはそういう便利機能の導入はなし。あー、
ザ・リッツ・カールトン東京(日本語表記でちゃんと冠詞をつけているのは
珍しい。我々は唯一です、というのを強調しているのかな)に泊まってみた
ーい。
定時に出てきたテカった禿げ頭のヴェテラン・フュージョン・ギタリスト
の姿を上から見下ろしつつ、カールトンのことをちゃんと見るのは初めてな
んだなーと確認。この晩だって、近年カサンドラ・ウィルソン(2004年9
月7、他)やマーカス・ミラー(2006年9月3日、他)のアルバムで秀でた
客演をしているケブ・モー(94年にエピック/オーケーから今の風を持つ
カントリー・ブルース・マンとしてデビューし、現在に至る)がゲストで出
る(どうやら、日本ツアーだけのスペシャル・アピアレンスのよう。今、モ
ーはソロでパーフォマンスをすることが多いようだ)から見にいったという
のは否定できない。
ここのところ、ロベン・フォード(1999年8月28日、2004年4月21日、20
04年10月22日、2004年12月17日)との双頭のブルース傾向バンドで活動して
いた(この4月上旬に行った豪州バイロン・ベイのブルース・フェスにも彼
らは出演)カールトンはずっとブルース・モードが続いているらしく、自身
の新プロジェクトもブルースという単語を冠してのもの。で、なんと四管を
擁する(セクション音主体。ソロはテナー奏者だけがホンキーな感じでとっ
ていたが、なんとそれは長年フランク・ザッパ・バンドで吹いていたアル
バート・ウィングだったよう)総勢8人組にての編成で、キーボード奏者は
ハイラム・ブロック・バンド(2000年6月21日、他)でお馴染みのデイヴィ
ッド・デローンみたいだ。
ブルース・バンドというわりにはブルース色の強い曲を連発するわけでは
なく、地に足をつけたがんちんこ気味のフュージョンをやる、と説明するの
が適切だろう。きっと、カールトンの演奏が光っていたザ・クルセイダーズ
の初期人気曲「プット・イット・ホエア・ユー・ウォント・イット」をここ
でやっても全然違和感はなかったはずだ。目鼻だちのしっかりしたサウンド
に乗るカールトンのソロは流麗にして非常に引っ掛かりがある。なるほど、
それは確かに魅力を見つけることができるもので、彼がスター・ギタリスト
になったのもよく分かる。どこかカールトンははしゃぎ気味(ルックスと異
なり、子供っぽい人という印象を持った)で、このバンドでライヴするのが
嬉しくてしょうがないという感じがあったかな。そういう様に触れるのは、
もちろん悪い気はしない。
途中出てきたケブ・モーは長身痩身で遠目にはとってもカッコいい。オー
プン・チューニングでスライドを弾く1曲目はカールトンとドラマーと3人
で。おお、イケる。彼はそのままあと2曲やったが、そちらはバンドがつい
て(管はウィングのみが参加)のもので、レギュラー・チューニングによる
。ちょっと工夫にかけるブルース・コード進行曲が素材だったのは残念。で
も、声はとってもデカいし、思っていた以上に存在感のある人で余は満足じ
ゃ。
アンコールは最初、カールトンがソロでギターを爪弾く。それ、ぼくには
ナッシング。というか、早くまたゲブ・モーが出てこんかい! と待ち構え
ていたもので。
ヤコブ・ヤング・グループ
2007年9月18日 岩本町・東京TUC。もうだいぶ前からあるジャズ専門ヴェニュー(HP
では、“陸の孤島にあるジャズの隠れ家”と記されている)という認識を持
つが、出演者がコンサバな人主体だったこともあり、ぼくはここに初めて来
る。東京ユニフォームという業務用衣料を作っている会社がそのビルの地下
に持つ施設。ライヴは不定期にやっているようで、普段は社員の和みサロン
かなんかに使われているのかなあ。
ECMと契約するギタリストにプラスし、リード、トランペット、ベース
、ドラムという布陣による。生ギターと電気ギターを弾き分けるヤングはカ
ーリン・クログ(2006年11月2日)とデュオ・アルバムを作っていて03年に
は一緒に来日したことがあるらしい。彼、人望はあるようで、今回のサイド
・マンはノルウェーの曲者/手練が集まっててかなり豪華。ドラマーはEC
M叩き上げのヨン・クリステンセン(レジェンダリーと言う事も出来るかも
しれないが、とっちゃん坊や的な風貌の人。飄々と叩いていた)だったり、
トランペッターのマティアス・アイク(トランペット)はヤガ・ヤシストや
モティーフのメンバーだったりとか。
やった曲はどれもヤングのオリジナルなのかな。彼の爪弾くようなギター
演奏が下敷きになり、そこにサイドマンたちが広がりあるアンサブル音を加
え、随所でソロ(それほど延々と取らないが、それぞれに達者でした)が浮
かび上がるという感じの抑制された演奏を披露。ある種の美意識や見解が投
影されていると思わずにはいられない、室内楽的なもう一つのジャズ……。
だけど、生ならばもう少し燃え上がってほしいと思うところがぼくにはあっ
た。
一応休憩が入ったが、両方合わせて1時間半ほどの演奏時間か。ハコの常
連客なのか、1部が終わるとなんじゃこれはという感じで席を立つ年配の方
が何人か。ジャズに限らぬが、同じ音楽ジャンルに属していても表現ヴァリ
エイションは様々ですね。
では、“陸の孤島にあるジャズの隠れ家”と記されている)という認識を持
つが、出演者がコンサバな人主体だったこともあり、ぼくはここに初めて来
る。東京ユニフォームという業務用衣料を作っている会社がそのビルの地下
に持つ施設。ライヴは不定期にやっているようで、普段は社員の和みサロン
かなんかに使われているのかなあ。
ECMと契約するギタリストにプラスし、リード、トランペット、ベース
、ドラムという布陣による。生ギターと電気ギターを弾き分けるヤングはカ
ーリン・クログ(2006年11月2日)とデュオ・アルバムを作っていて03年に
は一緒に来日したことがあるらしい。彼、人望はあるようで、今回のサイド
・マンはノルウェーの曲者/手練が集まっててかなり豪華。ドラマーはEC
M叩き上げのヨン・クリステンセン(レジェンダリーと言う事も出来るかも
しれないが、とっちゃん坊や的な風貌の人。飄々と叩いていた)だったり、
トランペッターのマティアス・アイク(トランペット)はヤガ・ヤシストや
モティーフのメンバーだったりとか。
やった曲はどれもヤングのオリジナルなのかな。彼の爪弾くようなギター
演奏が下敷きになり、そこにサイドマンたちが広がりあるアンサブル音を加
え、随所でソロ(それほど延々と取らないが、それぞれに達者でした)が浮
かび上がるという感じの抑制された演奏を披露。ある種の美意識や見解が投
影されていると思わずにはいられない、室内楽的なもう一つのジャズ……。
だけど、生ならばもう少し燃え上がってほしいと思うところがぼくにはあっ
た。
一応休憩が入ったが、両方合わせて1時間半ほどの演奏時間か。ハコの常
連客なのか、1部が終わるとなんじゃこれはという感じで席を立つ年配の方
が何人か。ジャズに限らぬが、同じ音楽ジャンルに属していても表現ヴァリ
エイションは様々ですね。
メイシオ・パーカー・ウィズ・フレッド・ウェズリー&ピー・ウィー・エリス
2007年9月13日 六本木・ビルボードライヴ東京、セカンド・ショウ。東京ミッドタウン
(初めて行く)内の商業施設棟にあって、まず最初の所感はテナント料高
そう。
メイシオ(アルト)、フレッド(トロンボーン)、ピー・ウィー(テナー
)のJBズ時代の名ホーン隊同僚(メイシオとフレッドはP−ファンク=ホ
ーニー・ホーンズの同僚でもある。かつてメイシオにJBとジョージ・クリ
ントンの違いを聞いたところ、パーティがあるとしてちゃんと正装でいらっ
しゃいというのがJBだとしたら、ジョージのほうは普段着で騒ごうゼとい
う感じだ、とコメント)たちは90年前半に一緒にJ.B.ホーンズとして活動、
そのいっぽうメイシオはヴァーヴと契約したソロ路線(そこには、フレッド
とピー・ウィーも当初は助力)が受けて徐々にメイシオが単独での仕事(19
99年8月6〜8日、1999年10月28日、2001年4月17日、2005年9月6日)
が繁盛し、現在にいたるわけだ(彼はプリンスの来日公演にも同行:2002年
11月19日)。フレッドはJBズと名乗りジャボ・ストークス(2007年4
月18日)やクライド・スタブルフィールド(2007年4月18日)らを交えて来
日したこと(1999年10月25日)もあった。ピー・ウィーには90年代に渋谷
の東武ホテルでインタヴューした記憶があるが、彼はそのときなんで来てた
んだろう。彼はオマール・ソーサ(2006年10月28日、他)のバンド客演で
やってきたこと(2005年9月24日)もあった。
バンドはいつものメイシオのバンド(あんなに、P-ファンク出身のロドニ
ー・カーティスって太っていたっけか)。同バンドのトロンボーン奏者(フ
レッドの後釜でP−ファンク入りしたグレッグ・ボイジャー)とトランペッ
ト奏者(JB表現にも係わったことがあるらしく、またジャコ・パストリア
スとも親交を持ったロン・トゥーリー)を抜いて、代わりにフレッドとピー
・ウィーが加わるという感じ。それから、ずっとメオシオ・バンドにいた
白人ウィル・ブールウェア(現在は日本主導で、ジャズ・ピアノのアルバム
を出したりも。なんかローランドをしょぼい音色で弾いていたけど、ハモン
ドB−3をちゃんとつかってほしかったな)がバンドに出戻っている。
演目もJB財産を根っこに持ちつつ鷹揚に広がるメイシオ毎度のレパート
リーが中心。流儀も同様。実はフレッドは名ソングライターでもあり、JB
ズ時代にいくつもJBと曲を共作していることを、「ソウル・パワー」のリ
フを聞きながら思いだしたりも。また、ジャコ・パストリアスがカヴァーし
てより知られる曲になった「チキン」はピー・ウィがJBズ時代に書いた曲
で、彼を立てるかようにこの曲もやったが、それはジャコ・ヴァージョンに
寄った演奏だった。また、メイシオが旧作で取り上げているポール・マッカ
トニー曲「マイ・ラヴ」では3人でソロ回しをしたりもしたが、基本的には
二人は付け足しのホーン・セクションという感じで重なっていて少し残念に
思うところもあったな。とにかく、それはメイシオが「これは俺の名前で興
行している、俺のショウなんだ」と言わんばかりにずっと中央に君臨してい
たからよりそう感じたのかもしれない。それもまた、ショウビズの掟かな。
終演後、誘われて楽屋に行ったのだが、今年会うのが3度目となるフレッ
ド(2007年2月2日、3日。2007年4月18日)はぼくを見るなり「おう、入
れ入れ」。さすが覚えているのかと思ったら、「キミはミューシジャンなの
?」。ありゃりゃ、「いえ、音楽ジャーナリストで……」。「そうか、そうだ
った。ニューオーリンズのティピティナズで会ったんだよなあ」。そして、
嬉しそうに繰り返し、横にいたバック・シンガーのマーサ・ハイにも「コイ
ツとはなんとティピティナズで出会ったんだよ」と紹介してくれる。JBファ
ミリー・ディーヴァの一人である金髪ブレイズのマーサさんはお歳はめして
いたがかなり綺麗な人だった。「ショウはどうだった? 楽しめた?」と話
かけてくる彼女はとっても気立てが良さそう。彼らに12日に亡くなってしま
ったボビー・バードの話を振ろうと思ったら、そのときなぜかバードの名前
が出てこなくて(ああ、歳はとりたくない)、まいっかとあっさり諦める。
テーブル(メイシオ曲の「オフ・ザ・フック」の楽譜が置いてあった。それ
、フレッドとピー・ウィーの確認用?) の向かいではコーラス/ラッパーの
コリー・パーカーが紅色スペシャル・メイドのi-ブックとにらめっこ。そし
て、メイシオは頼まれたサインを一生懸命やってたな。ピー・ウィーはジュ
ースを3本袋に詰めてたと思ったら、いなくなる。それぞれの楽屋、ショウ
は続く。
(初めて行く)内の商業施設棟にあって、まず最初の所感はテナント料高
そう。
メイシオ(アルト)、フレッド(トロンボーン)、ピー・ウィー(テナー
)のJBズ時代の名ホーン隊同僚(メイシオとフレッドはP−ファンク=ホ
ーニー・ホーンズの同僚でもある。かつてメイシオにJBとジョージ・クリ
ントンの違いを聞いたところ、パーティがあるとしてちゃんと正装でいらっ
しゃいというのがJBだとしたら、ジョージのほうは普段着で騒ごうゼとい
う感じだ、とコメント)たちは90年前半に一緒にJ.B.ホーンズとして活動、
そのいっぽうメイシオはヴァーヴと契約したソロ路線(そこには、フレッド
とピー・ウィーも当初は助力)が受けて徐々にメイシオが単独での仕事(19
99年8月6〜8日、1999年10月28日、2001年4月17日、2005年9月6日)
が繁盛し、現在にいたるわけだ(彼はプリンスの来日公演にも同行:2002年
11月19日)。フレッドはJBズと名乗りジャボ・ストークス(2007年4
月18日)やクライド・スタブルフィールド(2007年4月18日)らを交えて来
日したこと(1999年10月25日)もあった。ピー・ウィーには90年代に渋谷
の東武ホテルでインタヴューした記憶があるが、彼はそのときなんで来てた
んだろう。彼はオマール・ソーサ(2006年10月28日、他)のバンド客演で
やってきたこと(2005年9月24日)もあった。
バンドはいつものメイシオのバンド(あんなに、P-ファンク出身のロドニ
ー・カーティスって太っていたっけか)。同バンドのトロンボーン奏者(フ
レッドの後釜でP−ファンク入りしたグレッグ・ボイジャー)とトランペッ
ト奏者(JB表現にも係わったことがあるらしく、またジャコ・パストリア
スとも親交を持ったロン・トゥーリー)を抜いて、代わりにフレッドとピー
・ウィーが加わるという感じ。それから、ずっとメオシオ・バンドにいた
白人ウィル・ブールウェア(現在は日本主導で、ジャズ・ピアノのアルバム
を出したりも。なんかローランドをしょぼい音色で弾いていたけど、ハモン
ドB−3をちゃんとつかってほしかったな)がバンドに出戻っている。
演目もJB財産を根っこに持ちつつ鷹揚に広がるメイシオ毎度のレパート
リーが中心。流儀も同様。実はフレッドは名ソングライターでもあり、JB
ズ時代にいくつもJBと曲を共作していることを、「ソウル・パワー」のリ
フを聞きながら思いだしたりも。また、ジャコ・パストリアスがカヴァーし
てより知られる曲になった「チキン」はピー・ウィがJBズ時代に書いた曲
で、彼を立てるかようにこの曲もやったが、それはジャコ・ヴァージョンに
寄った演奏だった。また、メイシオが旧作で取り上げているポール・マッカ
トニー曲「マイ・ラヴ」では3人でソロ回しをしたりもしたが、基本的には
二人は付け足しのホーン・セクションという感じで重なっていて少し残念に
思うところもあったな。とにかく、それはメイシオが「これは俺の名前で興
行している、俺のショウなんだ」と言わんばかりにずっと中央に君臨してい
たからよりそう感じたのかもしれない。それもまた、ショウビズの掟かな。
終演後、誘われて楽屋に行ったのだが、今年会うのが3度目となるフレッ
ド(2007年2月2日、3日。2007年4月18日)はぼくを見るなり「おう、入
れ入れ」。さすが覚えているのかと思ったら、「キミはミューシジャンなの
?」。ありゃりゃ、「いえ、音楽ジャーナリストで……」。「そうか、そうだ
った。ニューオーリンズのティピティナズで会ったんだよなあ」。そして、
嬉しそうに繰り返し、横にいたバック・シンガーのマーサ・ハイにも「コイ
ツとはなんとティピティナズで出会ったんだよ」と紹介してくれる。JBファ
ミリー・ディーヴァの一人である金髪ブレイズのマーサさんはお歳はめして
いたがかなり綺麗な人だった。「ショウはどうだった? 楽しめた?」と話
かけてくる彼女はとっても気立てが良さそう。彼らに12日に亡くなってしま
ったボビー・バードの話を振ろうと思ったら、そのときなぜかバードの名前
が出てこなくて(ああ、歳はとりたくない)、まいっかとあっさり諦める。
テーブル(メイシオ曲の「オフ・ザ・フック」の楽譜が置いてあった。それ
、フレッドとピー・ウィーの確認用?) の向かいではコーラス/ラッパーの
コリー・パーカーが紅色スペシャル・メイドのi-ブックとにらめっこ。そし
て、メイシオは頼まれたサインを一生懸命やってたな。ピー・ウィーはジュ
ースを3本袋に詰めてたと思ったら、いなくなる。それぞれの楽屋、ショウ
は続く。
ロイ・ハーグローヴ・クインテット
2007年9月10日 なんか想像していたよりも遙かに訴求力あるストレート・アヘッドなジャ
ズをやってくれて、ぼくは驚いた。切れと覇気がたっぷり。思わず、身を乗
りだしたな。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
ウィントン・マルサリス(2000年3月9日)の後に続く俊英トランペッタ
ーとして世に出て注目を集めたハーグローヴ(2003年2月18日、2003年9月
21日)だが、ミレニアム以降は自身のファンク/R&B趣味を投影したソウ
ル・フュージョン路線を歩んできていた。(所属レコード会社の)ヴァーヴ
も純ジャズじゃないほうを望んでいると当人が言っていたことがあったけど
、昨年出た新作『ナッシング・シリアス』は久しぶりに正調ジャズ路線にあ
るものだ。
アルトとリズム隊を従えて、マジなジャズを繰り広げる。バラード(スタ
ンダードの「アイム・グラッド・ゼアーズ・ユー」。この曲だけ、フリュー
ゲルホーンに持ち替える)以外はみんなバリバリと突き進む。だだし、新作
とは全然異なる面子を率いてのもので、そこからの曲も1曲しかやらなかっ
たし、ハーグローヴ自身、このクインテットはアルバムの先にあるものと位
置づけて意気込んでやっていたんじゃないのかな。別に新しいことは何もし
てないものの、まっとうなジャズ語彙が渦巻くこの晩のパフォーマンスはそ
う思わせちゃう輝きを持っていった。
それから。ハーグローヴ(スーツを来ていたが、靴はスニーカー)は姿勢
よく、直立でトランペットを吹く。ちょっと背をそらせ気味にトランペット
を真っ直ぐにマイクに向けて。その様、本当にカッコいいし、彼の真っ直ぐ
な心持ちを伝えてくれるような気がして、ふふふとなれた。
ズをやってくれて、ぼくは驚いた。切れと覇気がたっぷり。思わず、身を乗
りだしたな。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
ウィントン・マルサリス(2000年3月9日)の後に続く俊英トランペッタ
ーとして世に出て注目を集めたハーグローヴ(2003年2月18日、2003年9月
21日)だが、ミレニアム以降は自身のファンク/R&B趣味を投影したソウ
ル・フュージョン路線を歩んできていた。(所属レコード会社の)ヴァーヴ
も純ジャズじゃないほうを望んでいると当人が言っていたことがあったけど
、昨年出た新作『ナッシング・シリアス』は久しぶりに正調ジャズ路線にあ
るものだ。
アルトとリズム隊を従えて、マジなジャズを繰り広げる。バラード(スタ
ンダードの「アイム・グラッド・ゼアーズ・ユー」。この曲だけ、フリュー
ゲルホーンに持ち替える)以外はみんなバリバリと突き進む。だだし、新作
とは全然異なる面子を率いてのもので、そこからの曲も1曲しかやらなかっ
たし、ハーグローヴ自身、このクインテットはアルバムの先にあるものと位
置づけて意気込んでやっていたんじゃないのかな。別に新しいことは何もし
てないものの、まっとうなジャズ語彙が渦巻くこの晩のパフォーマンスはそ
う思わせちゃう輝きを持っていった。
それから。ハーグローヴ(スーツを来ていたが、靴はスニーカー)は姿勢
よく、直立でトランペットを吹く。ちょっと背をそらせ気味にトランペット
を真っ直ぐにマイクに向けて。その様、本当にカッコいいし、彼の真っ直ぐ
な心持ちを伝えてくれるような気がして、ふふふとなれた。
大西順子
2007年9月7日 90年代に米国ブルーノート・レコードから5枚のアルバムを出すなどワー
ルド・ワイドな活動をしていたジャズ・ピアニストながら、00年に突然引退
してしまった女性(1999年10月9日)。近年また演奏しはじめたという話
は聞いていたが、アルバム等はリリースしてはいない。南青山・ブルーノー
ト東京。ぼくはファースト・ショウを見るが、ジャズ側の知り合いといろい
ろ会う。やはり、彼女の真価を認め、その復活を待つ人が少なくないのだろ
う。
レジナルド・ヴィール(2004年9月7日)とハーリン・ライリー(2000年
3月9日)、彼女のザ・ヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ盤と同じベー
シストとドラマーを呼んでのもの。かなり秀逸なリズム隊演奏に乗り、彼女
は気持ち良さそうに指を踊らす。いろんな表情を持つ演奏を明快に、するす
ると。大人になったという言い方も出来るだろうが、かつての業の深さのよ
うなものは出さなくなっているかな。そこらへん、ほんの少し残念に感じた
かも。さあ、これからどーなるか、、、。
ルド・ワイドな活動をしていたジャズ・ピアニストながら、00年に突然引退
してしまった女性(1999年10月9日)。近年また演奏しはじめたという話
は聞いていたが、アルバム等はリリースしてはいない。南青山・ブルーノー
ト東京。ぼくはファースト・ショウを見るが、ジャズ側の知り合いといろい
ろ会う。やはり、彼女の真価を認め、その復活を待つ人が少なくないのだろ
う。
レジナルド・ヴィール(2004年9月7日)とハーリン・ライリー(2000年
3月9日)、彼女のザ・ヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ盤と同じベー
シストとドラマーを呼んでのもの。かなり秀逸なリズム隊演奏に乗り、彼女
は気持ち良さそうに指を踊らす。いろんな表情を持つ演奏を明快に、するす
ると。大人になったという言い方も出来るだろうが、かつての業の深さのよ
うなものは出さなくなっているかな。そこらへん、ほんの少し残念に感じた
かも。さあ、これからどーなるか、、、。
RAD
2007年9月6日 2006年12月7日の項で触れているようにミネアポリス在住のプリンスはベ
イエリアの音楽語彙フェチである。スライ・ストーンの影響は当然のこと、
彼のギター・ソロの最大の影響源はカルロス・サンタナだもんな。そして、
彼はシーラ・E、エリック・リーズ、エディ・Mらベイエリアのプレイヤー
をことあるごとに自分のバンドに入れてきた。
RADはサンフランシコのベイエリア地区の、実力派女性シンガー/キー
ボーディスト。で、彼女も04年ごろのプリンスのツアーに雇われていたらし
い。が、それもこの闊達な指裁きに触れると納得ですね。しかも、彼女はき
っちりとベイエリア・ファンク(本人はイーストベイ・ファンクと言ってい
たか)の流儀をきっちりと会得し、それをジャズ的発展性を介して(歌は旋
律取りが非常に難しいだろうなあ、と思わせる)魅惑的に押し出しちゃうの
だから。その事実は何枚かのアルバムを聞いて合点していたが、生を聞くと
想像していた以上に達者でクリエイティヴな迸りがあって参った。
そう感じずにはいられなかったのは、同地の実力者たち(それが、現在の
彼女のワーキング・バンドらしい)によるサポートの見事さもあったろう。
。とくにギタリスト(ベイエリアの主任セッション・マンであるレイ・オビ
エド。すげえ器用で、百戦錬磨であることを思わせる)とベーシスト(欧州
出身のマルク・ファン・ヴァーゲニンゲン。シーラ・Eファミリーと懇意に
している人のようだが、見事にタワー・オブ・パワーのロッコ・プレスティ
アを想起させるフレイジングを自分のものにしていた)は完璧。また、アル
ト・サックス奏者は件のエリック・リーズ。プリンスのペイズリー・パーク
・レーベルからアルバムを2枚出した彼のユニットであるマッドハウスの曲
もやったな。
丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。この晩は翌朝にかけて最大
級の台風の関東上陸が報じられており、ときに風と雨がすごっかたりしたの
で、飲めなくてもびしょぬれになるよりはマシと車でコットンクラブのある
東京ビルディングに行く。かなりここには来ているが、お酒と対なので車で
来るのは初めて。普通だったら興がのって、さぞや飲んだろうなあ。
イエリアの音楽語彙フェチである。スライ・ストーンの影響は当然のこと、
彼のギター・ソロの最大の影響源はカルロス・サンタナだもんな。そして、
彼はシーラ・E、エリック・リーズ、エディ・Mらベイエリアのプレイヤー
をことあるごとに自分のバンドに入れてきた。
RADはサンフランシコのベイエリア地区の、実力派女性シンガー/キー
ボーディスト。で、彼女も04年ごろのプリンスのツアーに雇われていたらし
い。が、それもこの闊達な指裁きに触れると納得ですね。しかも、彼女はき
っちりとベイエリア・ファンク(本人はイーストベイ・ファンクと言ってい
たか)の流儀をきっちりと会得し、それをジャズ的発展性を介して(歌は旋
律取りが非常に難しいだろうなあ、と思わせる)魅惑的に押し出しちゃうの
だから。その事実は何枚かのアルバムを聞いて合点していたが、生を聞くと
想像していた以上に達者でクリエイティヴな迸りがあって参った。
そう感じずにはいられなかったのは、同地の実力者たち(それが、現在の
彼女のワーキング・バンドらしい)によるサポートの見事さもあったろう。
。とくにギタリスト(ベイエリアの主任セッション・マンであるレイ・オビ
エド。すげえ器用で、百戦錬磨であることを思わせる)とベーシスト(欧州
出身のマルク・ファン・ヴァーゲニンゲン。シーラ・Eファミリーと懇意に
している人のようだが、見事にタワー・オブ・パワーのロッコ・プレスティ
アを想起させるフレイジングを自分のものにしていた)は完璧。また、アル
ト・サックス奏者は件のエリック・リーズ。プリンスのペイズリー・パーク
・レーベルからアルバムを2枚出した彼のユニットであるマッドハウスの曲
もやったな。
丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。この晩は翌朝にかけて最大
級の台風の関東上陸が報じられており、ときに風と雨がすごっかたりしたの
で、飲めなくてもびしょぬれになるよりはマシと車でコットンクラブのある
東京ビルディングに行く。かなりここには来ているが、お酒と対なので車で
来るのは初めて。普通だったら興がのって、さぞや飲んだろうなあ。
ボビー・ハッチャーソン
2007年9月3日 南青山・ブルーノート東京(ファースト・ショウ)。真摯ゆえに生理的に
ハードだったり、ファンク/R&B色過多だったりするここでの出し物にとき
に触れると、ふと感じることがある。そういう場合、アーティストの事はな
にも知らずに趣味の良いジャズをいい雰囲気のもと浸りましょうという心持
ちでやってきたお客さんはどう感じちゃうのかナと。その点、この晩の内容
はそういう人たちもニッコリ、安心して接することができたのではないか。
ブルーノート・レコード育ちのモダニストという言い方もありかもしれな
いジャズ・ヴァイブラフォンの第一者のショウはピアノ、ベース、ドラムを率
いてのもの。ゆったり感と闊達な気分が矛盾なく繋がったような、瀟酒に舞
う感覚を持つ穏健な4ビート演奏を誠実に披露。後半2曲ばかしテンポが早
い曲をやって、そこには60年代の作品のように(考えてみれば、ちゃんと彼
を聞いているのはそのころだけだな)野心が見え隠れし、フフフとなれたり
も。ぼくにとってはちょっとおとなしめと感じるところもなくはなかったが
、ジャズとしての質や品格のようなものは十分にあった公演だと思う。で、
アタマに書いたことも思ったわけ。
ハードだったり、ファンク/R&B色過多だったりするここでの出し物にとき
に触れると、ふと感じることがある。そういう場合、アーティストの事はな
にも知らずに趣味の良いジャズをいい雰囲気のもと浸りましょうという心持
ちでやってきたお客さんはどう感じちゃうのかナと。その点、この晩の内容
はそういう人たちもニッコリ、安心して接することができたのではないか。
ブルーノート・レコード育ちのモダニストという言い方もありかもしれな
いジャズ・ヴァイブラフォンの第一者のショウはピアノ、ベース、ドラムを率
いてのもの。ゆったり感と闊達な気分が矛盾なく繋がったような、瀟酒に舞
う感覚を持つ穏健な4ビート演奏を誠実に披露。後半2曲ばかしテンポが早
い曲をやって、そこには60年代の作品のように(考えてみれば、ちゃんと彼
を聞いているのはそのころだけだな)野心が見え隠れし、フフフとなれたり
も。ぼくにとってはちょっとおとなしめと感じるところもなくはなかったが
、ジャズとしての質や品格のようなものは十分にあった公演だと思う。で、
アタマに書いたことも思ったわけ。
ラウル・ミドン
2007年9月1日 FM番組絡みのショーケースのライヴで、渋谷・クラブクアトロ。前回の
ショーケース・ライヴ(2005年10月24日)と同様に生ギターの弾き語りに
よるもので、感想はほぼそのときと同様。円満にしてヒューマンな手触りを
与えるパフォーマーであるのは間違いない。あんまり深く考えなかったけど、
なるほど彼はアルゼンチン系アメリカ人なのか。そういう襞は前よりも出て
いるし、もっと出てほしいな。
ショーケース・ライヴ(2005年10月24日)と同様に生ギターの弾き語りに
よるもので、感想はほぼそのときと同様。円満にしてヒューマンな手触りを
与えるパフォーマーであるのは間違いない。あんまり深く考えなかったけど、
なるほど彼はアルゼンチン系アメリカ人なのか。そういう襞は前よりも出て
いるし、もっと出てほしいな。
木下航志
2007年8月29日 ここのところ、少し秋っぽい感じも出てきて、少し過ごしやすくなって来
ている。この日は雨天気味。品川・品川教会。1989年生まれの、盲目のシン
ガー/ピアニスト。スティーヴィー・ワンダーが大好きで、散々聞いて自分
の表現の土台を作ってきたきた人なんだろうな思わせるパフォーマンスを2
部構成にて。子供づれからそれなりに年配の人までかなり客層は広い。
1部は基本ベースと生ギターを従えて、オリジナル曲を中心に披露。ギタ
ー奏者は不要だったかもしれない。声質はけっこう太い、そう感じるのはス
ティーヴィー・ワンダーのそれと比較してしまうせいか。ちょっとぼくにと
っては不自然に感じる声の張り上げ方をするが、それもスティーヴィー・ワ
ンダー耽溺から来ているんだろう。楽曲も同様にアイドルのそれを通過して
いるのがよく分かる。が、そのうえにもう一つの澄んだ情感、切実さを彼は
持つ。最後には、「竹田の子守歌」のアダプト曲を。それを聞きながら、彼
なりのソウル表現の引き金はいろんなところにあるんだろうなと思う。もし
、彼がスティーヴィー・ワンダーではなく、例えばハマったのがビリー・ジ
ョエルだったら……。これだけ高い咀嚼能力を持つ人、それはそれで質の高
い普遍的なポップ・ミュージックの担い手になったんじゃないか。なんてこ
とも、休憩時に感じた。
2部はもう少し大きな編成(ながら、フル・ドラムは用いず、やはりアン
プラグドのり。それは会場の制約だろう)にて、ソウル曲カヴァーを真っ直
ぐに披露。確か冒頭2曲はオルガンとのデュオだったが、その設定かなり良
し。おもしろいのは、「ワイルド・ホーシズ」(ストーンズ)、「サマー・
ブリーズ」(シールズ&クロフツ)、「明日にかける橋」(サイモン&ガー
ファンクル)ら、ロック有名ヒット曲を取り上げていたこと。彼はアリシア
・キーズやアイズリーズ他、R&Bカヴァー・ヴァージョンでそれらの曲の
存在を知ったようだけど。それら手触りのいい実演に触れながら、高校の勉
強なんかおろそかにしていいから、どんどんいろんな音楽に触れて(結局、
それはいろんな世界や価値観や機微に触れることになるはず)“木下航志と
いう太い音楽回路”を隆々と築きいてほしいナと思う。本当に今、伸び盛り
だろうし。
ている。この日は雨天気味。品川・品川教会。1989年生まれの、盲目のシン
ガー/ピアニスト。スティーヴィー・ワンダーが大好きで、散々聞いて自分
の表現の土台を作ってきたきた人なんだろうな思わせるパフォーマンスを2
部構成にて。子供づれからそれなりに年配の人までかなり客層は広い。
1部は基本ベースと生ギターを従えて、オリジナル曲を中心に披露。ギタ
ー奏者は不要だったかもしれない。声質はけっこう太い、そう感じるのはス
ティーヴィー・ワンダーのそれと比較してしまうせいか。ちょっとぼくにと
っては不自然に感じる声の張り上げ方をするが、それもスティーヴィー・ワ
ンダー耽溺から来ているんだろう。楽曲も同様にアイドルのそれを通過して
いるのがよく分かる。が、そのうえにもう一つの澄んだ情感、切実さを彼は
持つ。最後には、「竹田の子守歌」のアダプト曲を。それを聞きながら、彼
なりのソウル表現の引き金はいろんなところにあるんだろうなと思う。もし
、彼がスティーヴィー・ワンダーではなく、例えばハマったのがビリー・ジ
ョエルだったら……。これだけ高い咀嚼能力を持つ人、それはそれで質の高
い普遍的なポップ・ミュージックの担い手になったんじゃないか。なんてこ
とも、休憩時に感じた。
2部はもう少し大きな編成(ながら、フル・ドラムは用いず、やはりアン
プラグドのり。それは会場の制約だろう)にて、ソウル曲カヴァーを真っ直
ぐに披露。確か冒頭2曲はオルガンとのデュオだったが、その設定かなり良
し。おもしろいのは、「ワイルド・ホーシズ」(ストーンズ)、「サマー・
ブリーズ」(シールズ&クロフツ)、「明日にかける橋」(サイモン&ガー
ファンクル)ら、ロック有名ヒット曲を取り上げていたこと。彼はアリシア
・キーズやアイズリーズ他、R&Bカヴァー・ヴァージョンでそれらの曲の
存在を知ったようだけど。それら手触りのいい実演に触れながら、高校の勉
強なんかおろそかにしていいから、どんどんいろんな音楽に触れて(結局、
それはいろんな世界や価値観や機微に触れることになるはず)“木下航志と
いう太い音楽回路”を隆々と築きいてほしいナと思う。本当に今、伸び盛り
だろうし。
ディー・ディー・ブリッジウォーター
2007年8月24日 うひょう。びっくりするぐらい力があり、ひきつけられた。こんなに凄い
人だったのか。
音楽家庭に育ち(1950年、メンフィス生まれ)、74年に日本のトリオ・レ
コードで録音した以降は、アトランティック、エレクトラ、ポリグラム/ユ
ニヴァーサルとずっとメジャーに在籍し続けるジャズ・シンガー(2003年
8月1〜2日。ずっとパリに住んでいるのかな)。当初は広がりあるフュー
ジョン調バッキング音で歌っていた彼女だが、成熟した現在も正調ジャズ路
線としなやかな拡大路線をうまく併置して取っているという印象をぼくは持
つ。今回のバンドは生ベースのアイラ・コールマン(2000年3月14日、2004
年10月29日)他いろんな肌の色をした奏者を雇ってのもので、やはり普通
のジャズの枠には納まらない演奏指針を取るものだった。
乱暴に言えば、エラ・フィッツジェラルドからJBまで自在に行き来しち
ゃってるようなパフォーマンス。でもって、最新作はマリ録音だったりして
、奥にアフリカを想起させるときもあり。お洒落な衣服を身にまとった彼女
はがんがん動いたりもするが、音程は全然乱れない。とにかく、あらゆる歌
い方や喉の使い方ができ、そのどれもが堂にいっていて、多大な訴求力を持
つ。オールマイティという形容もアリで、それだと器用貧乏的で個性が薄い
ような感じがしてしまうが、何を歌っても強固に威厳ある自分を打ち出すの
だから降参。今後、日本に来たときは全部チェックしなきゃ、と思った次第。
唯一マイナスに感じたのは、彼女の芝居っ気たっぷりのMC。それは過剰
すぎて、少し引きました。会場はお盆休みの間に少し改装された、南青山・
ブルーノート東京。まあ、秀でたプロには関係ないのかもしれないが、公演
初日のファースト・セットでこの度を超した濃密具合。すごすぎ、です。
人だったのか。
音楽家庭に育ち(1950年、メンフィス生まれ)、74年に日本のトリオ・レ
コードで録音した以降は、アトランティック、エレクトラ、ポリグラム/ユ
ニヴァーサルとずっとメジャーに在籍し続けるジャズ・シンガー(2003年
8月1〜2日。ずっとパリに住んでいるのかな)。当初は広がりあるフュー
ジョン調バッキング音で歌っていた彼女だが、成熟した現在も正調ジャズ路
線としなやかな拡大路線をうまく併置して取っているという印象をぼくは持
つ。今回のバンドは生ベースのアイラ・コールマン(2000年3月14日、2004
年10月29日)他いろんな肌の色をした奏者を雇ってのもので、やはり普通
のジャズの枠には納まらない演奏指針を取るものだった。
乱暴に言えば、エラ・フィッツジェラルドからJBまで自在に行き来しち
ゃってるようなパフォーマンス。でもって、最新作はマリ録音だったりして
、奥にアフリカを想起させるときもあり。お洒落な衣服を身にまとった彼女
はがんがん動いたりもするが、音程は全然乱れない。とにかく、あらゆる歌
い方や喉の使い方ができ、そのどれもが堂にいっていて、多大な訴求力を持
つ。オールマイティという形容もアリで、それだと器用貧乏的で個性が薄い
ような感じがしてしまうが、何を歌っても強固に威厳ある自分を打ち出すの
だから降参。今後、日本に来たときは全部チェックしなきゃ、と思った次第。
唯一マイナスに感じたのは、彼女の芝居っ気たっぷりのMC。それは過剰
すぎて、少し引きました。会場はお盆休みの間に少し改装された、南青山・
ブルーノート東京。まあ、秀でたプロには関係ないのかもしれないが、公演
初日のファースト・セットでこの度を超した濃密具合。すごすぎ、です。
ALO。TOYONO
2007年8月23日 現在はジャック・ジョンソン(2003年9月30日、2005年5月25日、200
7年4月6日)ファミリー入りしているサンフランシスコ拠点の中堅4人組
(2007年4月6日)だが、本国ではジャム・バンド需要がデカいバンドなん
だろうな。2セットで、正味2時間半近くやったもん。でも、腕はたつし(
生ギターでいろんな電気ギター的な音を出すギタリストは酔狂にして驚異的
)、気持ちはあるし、曲調は豊かだし、グルーヴもあるし、飽きずにニッコ
リ見れちゃったよな。今、トップ級のアメリカン・ロック・バンドと言うに
ぼくはやぶさかではありません。渋谷・クラブクアトロ、客の反応が熱烈な
のが救いだったが、入りはあまりいいものではなかった。昨日のO−イース
トのそれとあまりに落差がありすぎで、胸が痛む。
その後、青山・プラッサオンゼに、ブラジル音楽語彙/情緒を介する女性
シンガーのTOYONO(1999年6月3日)を見にいく。彼女の3作目『pe
licano heaven 』をリリースを祝うもので、レコーディングに参加していた
マルコス・スザーノ(1999年8月11日、他)他を従えてのもの。ALOのシ
ョウが長かったので、セカンド・セットの途中からしか見れなかったが、い
い感じのヴァイヴと、しなやかに舞うヴォーカルがしっかりあって楽しかっ
たな。アンコールではスザーノもシング・トークを披露する。この日、カイ
ピリーニャの砂糖抜きという頼み方があるのを知る。←ちょっと嬉しい。
7年4月6日)ファミリー入りしているサンフランシスコ拠点の中堅4人組
(2007年4月6日)だが、本国ではジャム・バンド需要がデカいバンドなん
だろうな。2セットで、正味2時間半近くやったもん。でも、腕はたつし(
生ギターでいろんな電気ギター的な音を出すギタリストは酔狂にして驚異的
)、気持ちはあるし、曲調は豊かだし、グルーヴもあるし、飽きずにニッコ
リ見れちゃったよな。今、トップ級のアメリカン・ロック・バンドと言うに
ぼくはやぶさかではありません。渋谷・クラブクアトロ、客の反応が熱烈な
のが救いだったが、入りはあまりいいものではなかった。昨日のO−イース
トのそれとあまりに落差がありすぎで、胸が痛む。
その後、青山・プラッサオンゼに、ブラジル音楽語彙/情緒を介する女性
シンガーのTOYONO(1999年6月3日)を見にいく。彼女の3作目『pe
licano heaven 』をリリースを祝うもので、レコーディングに参加していた
マルコス・スザーノ(1999年8月11日、他)他を従えてのもの。ALOのシ
ョウが長かったので、セカンド・セットの途中からしか見れなかったが、い
い感じのヴァイヴと、しなやかに舞うヴォーカルがしっかりあって楽しかっ
たな。アンコールではスザーノもシング・トークを披露する。この日、カイ
ピリーニャの砂糖抜きという頼み方があるのを知る。←ちょっと嬉しい。
SUPERFLY
2007年8月22日 ラヴ・サイケデリコのように、女性シンガーと男性ギタリストという構成
の日本人デュオ・ユニット。まだ、メジャーからはシングルのみでアルバム
は出していないようだが、渋谷・O−イーストは相当な入り。カーティス・
メイフィールドの有名サントラ曲「スーパーフライ」が流されるなか、彼ら
は登場する。オープナーはハンブル・パイ曲のカヴァー。それに表れている
ように、オールドなどすこい〜手作りロック(米国も英国も区別なしに愛好
といった感じか)を健気にやろうとするユニット。なんの芸もないけれど、
ちょい胸が騒ぐところあったな。若い人たちがやるから価値が出るわけであ
って(バック・バンドも若そう。ベースは女性)、オヤジがやってもお客は
集まらないんだろうな。
の日本人デュオ・ユニット。まだ、メジャーからはシングルのみでアルバム
は出していないようだが、渋谷・O−イーストは相当な入り。カーティス・
メイフィールドの有名サントラ曲「スーパーフライ」が流されるなか、彼ら
は登場する。オープナーはハンブル・パイ曲のカヴァー。それに表れている
ように、オールドなどすこい〜手作りロック(米国も英国も区別なしに愛好
といった感じか)を健気にやろうとするユニット。なんの芸もないけれど、
ちょい胸が騒ぐところあったな。若い人たちがやるから価値が出るわけであ
って(バック・バンドも若そう。ベースは女性)、オヤジがやってもお客は
集まらないんだろうな。
フランク・カタラーノ(19日)
2007年8月12日 丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。シカゴ出身(デルマーク
から複数枚出したりも)の若手テナー・サックス奏者がカルテットで登場。
ときにかなり音は軽め(盤上だとどこかホンカー的煽情性を感じさせる部分
もあったが、実演ではそういうテイストはあまりない)だが、確かな吹き口
を持つ人。当人はずんぐりむっくり、これでルックスがよかったら、もっと
話題を呼んでもおかしくない。
バンドのメンバーは主役よりもっと若く、みんな20代半ばではないのか。
ギター、電気ベース(音が大きすぎ、でした)、ドラムという編成。それで
、わりと普通の4ビート曲っぽいものから(ジョン・コルトレーンのマナー
をほんの少し踏襲しようとしたものも)、すこし尖り気味のフュージョン調
(グリーン・デイ曲カヴァーも)までを屈託なく披露。初々しさもあり(今
回、彼らがやったなかで一番綺麗なヴェニューであり、一番いいホテルに泊
まったのでは)、これも今のノリのジャズの一局面かと少し思ったりもした
。ともあれ、総じて明快な伴奏の上に、ちゃんとしたジャズ的ソロを乗せよ
うとするパーフォーマンス。その簡便な編成もあり、今のジャズ研所属学生
が見たら大いに刺激を受けるものなのではないのかとも感じた。
から複数枚出したりも)の若手テナー・サックス奏者がカルテットで登場。
ときにかなり音は軽め(盤上だとどこかホンカー的煽情性を感じさせる部分
もあったが、実演ではそういうテイストはあまりない)だが、確かな吹き口
を持つ人。当人はずんぐりむっくり、これでルックスがよかったら、もっと
話題を呼んでもおかしくない。
バンドのメンバーは主役よりもっと若く、みんな20代半ばではないのか。
ギター、電気ベース(音が大きすぎ、でした)、ドラムという編成。それで
、わりと普通の4ビート曲っぽいものから(ジョン・コルトレーンのマナー
をほんの少し踏襲しようとしたものも)、すこし尖り気味のフュージョン調
(グリーン・デイ曲カヴァーも)までを屈託なく披露。初々しさもあり(今
回、彼らがやったなかで一番綺麗なヴェニューであり、一番いいホテルに泊
まったのでは)、これも今のノリのジャズの一局面かと少し思ったりもした
。ともあれ、総じて明快な伴奏の上に、ちゃんとしたジャズ的ソロを乗せよ
うとするパーフォーマンス。その簡便な編成もあり、今のジャズ研所属学生
が見たら大いに刺激を受けるものなのではないのかとも感じた。
サマーソニック
2007年8月11日 例により、幕張メッセと千葉マリーンスタジアムにての開催。が、ステー
ジの設定などいろいろ変更あり(それは、年々リファインしようとしている
んだなと思わせるか)、これまでで一番専有面積の広いサマーソニックとい
うこともできるか。
今回、初めて電車で行く。海浜幕張駅からの道すがら、チケット売ってく
ださいと書かれた紙を持った人を何度も見かける。ダフ屋も同様に。おお。
普段はクルマで行き一番近くの駐車場に止めていたためかそういう光景に触
れなかったが、それは毎度の事なのかな。炎天下のもと我慢強く待機してい
る人たち、ならば関係ない人も外から見れるビーチ・ステージに行けばいい
のにと思ったが、お目当てのアーティストが見たいのか。
その、ぼくが大好きなビーチ・ステージは畳スペースなどが新設されてい
たが、公共の浜への入口が少し意地悪になっていて(リスト・バンドないと
が浜に入れないと、気弱な人なら錯覚しそう)、バツ印を。毎年同様のこと
を書いているが、公の場を専有しちゃってるだろうここぐらいおおらかに運
営されてもいいではないか。ぼくが行ったときのビーチ・ステージにはいろ
んな国籍の人がいるGANGA ZUMBA が出演。マルコス・スザーノ(2006年12月
28日、他)他らによる多国籍型サウンドはこういう開放的な場にはとても向
き。が、MCでも「(前の出演者のときより)客が帰ってしまッた」なんて
言っていたけど、けっこう空いていた。実は、ぼくが今回顔を出したステー
ジはどれも楽にふるまえる入り。一方で、横を通ったときダンス・ステージ
には入場規制がしかれていたりもしたので、混んでいるところは混んでいた
ろうけど。
4時少しまで会場にいて、同じJR京葉線の新木場駅へ。5時集合となる
、知り合いの知り合いが企画する、東京湾大華火祭を屋形船で楽しむ会へ。
会費27.000円也、オトナ遊びじゃ。屋形船は、かなり昔に隅田川の花火大会
のときにに乗って以来。同駅に舟屋さんから2台のバスが迎えにきていて、
東雲から屋形船に乗り東京湾の花火観覧ポイントまで行く。なんだけど、運
河のようなところを行くときから屋形船はかなりの揺れ。湾のほうに出ると
、船が通ったとき発生する波でより派手にグワングワン揺れる。派遣コンパ
ニオンの娘たちもこんなに揺れるの初めてです、と言っていたもんなあ。
船はポイントで停泊。あたりには、同様の船舶がいっぱい。そのうち、船
に弱いぼく(はしゃいで、がんがん飲み食いしていたんだが)はだんだんや
ばいかもと思うようになってくる。花火は7時に始まり、最初は船首のベス
ト・ポイントに出て見ていたのもののなんか気分がすぐれず、船内に戻る。
で、途中の30分は畳に横たわり、ぐだぐだ。そのときは、来るんじゃなかっ
たァと思ったか。約1割の参加者は同様に船酔い気味となっていたのではな
いか。コンパニオンのなかの一人の東工大二年生娘もグロッキー寸前です、
と言っていた。が、時間が進むにつれ、船の行き交いがなくなったせいもあ
り、船もあまり揺れなくなり、途中から復活。朗らかに花火を堪能。にっ。
ジの設定などいろいろ変更あり(それは、年々リファインしようとしている
んだなと思わせるか)、これまでで一番専有面積の広いサマーソニックとい
うこともできるか。
今回、初めて電車で行く。海浜幕張駅からの道すがら、チケット売ってく
ださいと書かれた紙を持った人を何度も見かける。ダフ屋も同様に。おお。
普段はクルマで行き一番近くの駐車場に止めていたためかそういう光景に触
れなかったが、それは毎度の事なのかな。炎天下のもと我慢強く待機してい
る人たち、ならば関係ない人も外から見れるビーチ・ステージに行けばいい
のにと思ったが、お目当てのアーティストが見たいのか。
その、ぼくが大好きなビーチ・ステージは畳スペースなどが新設されてい
たが、公共の浜への入口が少し意地悪になっていて(リスト・バンドないと
が浜に入れないと、気弱な人なら錯覚しそう)、バツ印を。毎年同様のこと
を書いているが、公の場を専有しちゃってるだろうここぐらいおおらかに運
営されてもいいではないか。ぼくが行ったときのビーチ・ステージにはいろ
んな国籍の人がいるGANGA ZUMBA が出演。マルコス・スザーノ(2006年12月
28日、他)他らによる多国籍型サウンドはこういう開放的な場にはとても向
き。が、MCでも「(前の出演者のときより)客が帰ってしまッた」なんて
言っていたけど、けっこう空いていた。実は、ぼくが今回顔を出したステー
ジはどれも楽にふるまえる入り。一方で、横を通ったときダンス・ステージ
には入場規制がしかれていたりもしたので、混んでいるところは混んでいた
ろうけど。
4時少しまで会場にいて、同じJR京葉線の新木場駅へ。5時集合となる
、知り合いの知り合いが企画する、東京湾大華火祭を屋形船で楽しむ会へ。
会費27.000円也、オトナ遊びじゃ。屋形船は、かなり昔に隅田川の花火大会
のときにに乗って以来。同駅に舟屋さんから2台のバスが迎えにきていて、
東雲から屋形船に乗り東京湾の花火観覧ポイントまで行く。なんだけど、運
河のようなところを行くときから屋形船はかなりの揺れ。湾のほうに出ると
、船が通ったとき発生する波でより派手にグワングワン揺れる。派遣コンパ
ニオンの娘たちもこんなに揺れるの初めてです、と言っていたもんなあ。
船はポイントで停泊。あたりには、同様の船舶がいっぱい。そのうち、船
に弱いぼく(はしゃいで、がんがん飲み食いしていたんだが)はだんだんや
ばいかもと思うようになってくる。花火は7時に始まり、最初は船首のベス
ト・ポイントに出て見ていたのもののなんか気分がすぐれず、船内に戻る。
で、途中の30分は畳に横たわり、ぐだぐだ。そのときは、来るんじゃなかっ
たァと思ったか。約1割の参加者は同様に船酔い気味となっていたのではな
いか。コンパニオンのなかの一人の東工大二年生娘もグロッキー寸前です、
と言っていた。が、時間が進むにつれ、船の行き交いがなくなったせいもあ
り、船もあまり揺れなくなり、途中から復活。朗らかに花火を堪能。にっ。
ウィル・アイ・アム
2007年8月8日 この週末のサマーソニニックに出演するブラック・アイド・ピーズ(2001
年2月7日,2004年2月11日)のリーダーにして、超売れっ子プロデューサー
のウィル・アイ・アムがソロ作『ソングス・アバウト・ガールズ』を出すとい
うことで先乗り(取り巻き、多そうだったな)。本人解説つきの、プレス向け
試聴会をやった。現在32才というウィルは表情豊かで、健全な人に見えた。
今、マライア・キャリーやホイットニー・ヒューストンの仕事もやっていると
いう。
当人の曲解説はサウンドやサンプリングのネタ(ジャクソン5の「帰って
ほしいの」を使っているのもあったな)などへの言及はほぼなく、歌われる
歌詞の内容や背景についてに終始。そして、曲が終わると判を押したように
「クール!」と自賛する。ハハ。ブラック・アイド・ピーズと差別化できる
ものにしようしたというアルバムは総じてポップで、歌モノ中心。1曲イン
スト曲もあったが、それはザ・ファミリー・スタンドの荘厳なバラードを思
い出させるような曲調だった。なんでも、彼は19歳のときに28歳の日本人女
性とつきあっていたんだとか。今はいい友達だというその女性は駆け出しの
ころのザ・ブラック・アイド・ピーズを題材とした本を出すという。そんな
ことを彼は最後にわざわざ女性の実名を出して、発言した。
ところで、会場は六本木(ヒルズにある)・グランドハイアット東京。ホ
テル好き(普段から一休やヨヤQを見て、掘り出しモノ探してますよお)/空
港好き(空港で働いてもいいなと行くたびにいまだ思うほど、なんとなく好
き)のぼくとしてはまだ行ったことがなかったので、足を運びたかった。お
お、ここ完全バレー・パーキングなのね。偉そうな玄関に車を乗り捨てるの
は気分がいい。が、そのぶん出庫には時間がかかる。そういやあ、一昨年六
本木ヒルズの某企業と仕事をしたときヒルズの駐車場を何度か使ったが、集中
管理みたいな時間がかかる車預かりのシステムをとっていたな(結論、目新
しいが、つかえねえ)。ホテルのトイレはちょっとスタイリッシュな作りと
色使い(すこし客室も見たくなったか)。が、高級ホテルならではのハンド
・タオル群は置いてなく、普通のトイレに備付けになっているようなのペー
パー・タオル設置でとても興ざめ。
年2月7日,2004年2月11日)のリーダーにして、超売れっ子プロデューサー
のウィル・アイ・アムがソロ作『ソングス・アバウト・ガールズ』を出すとい
うことで先乗り(取り巻き、多そうだったな)。本人解説つきの、プレス向け
試聴会をやった。現在32才というウィルは表情豊かで、健全な人に見えた。
今、マライア・キャリーやホイットニー・ヒューストンの仕事もやっていると
いう。
当人の曲解説はサウンドやサンプリングのネタ(ジャクソン5の「帰って
ほしいの」を使っているのもあったな)などへの言及はほぼなく、歌われる
歌詞の内容や背景についてに終始。そして、曲が終わると判を押したように
「クール!」と自賛する。ハハ。ブラック・アイド・ピーズと差別化できる
ものにしようしたというアルバムは総じてポップで、歌モノ中心。1曲イン
スト曲もあったが、それはザ・ファミリー・スタンドの荘厳なバラードを思
い出させるような曲調だった。なんでも、彼は19歳のときに28歳の日本人女
性とつきあっていたんだとか。今はいい友達だというその女性は駆け出しの
ころのザ・ブラック・アイド・ピーズを題材とした本を出すという。そんな
ことを彼は最後にわざわざ女性の実名を出して、発言した。
ところで、会場は六本木(ヒルズにある)・グランドハイアット東京。ホ
テル好き(普段から一休やヨヤQを見て、掘り出しモノ探してますよお)/空
港好き(空港で働いてもいいなと行くたびにいまだ思うほど、なんとなく好
き)のぼくとしてはまだ行ったことがなかったので、足を運びたかった。お
お、ここ完全バレー・パーキングなのね。偉そうな玄関に車を乗り捨てるの
は気分がいい。が、そのぶん出庫には時間がかかる。そういやあ、一昨年六
本木ヒルズの某企業と仕事をしたときヒルズの駐車場を何度か使ったが、集中
管理みたいな時間がかかる車預かりのシステムをとっていたな(結論、目新
しいが、つかえねえ)。ホテルのトイレはちょっとスタイリッシュな作りと
色使い(すこし客室も見たくなったか)。が、高級ホテルならではのハンド
・タオル群は置いてなく、普通のトイレに備付けになっているようなのペー
パー・タオル設置でとても興ざめ。
ソフィー・ミルマン
2007年8月7日 南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。近年出た新人女性ジャズ
歌手のなかではひとつ抜きんでた人気/セールスを得ている、20代半ば前の
カナダ人。あ、カナダ人と書いていいのかな? もともとロシア生まれで、
閉塞的な体制から逃れるために家族と子供のころイスラエルに引っ越し、高
校のとき政情不安でさらにカナダに移住したという経歴を持つ人だから。ゆ
えに、3つの国の言葉を出来るということだが。
スタンダードやアルバムに入っていたロシア民謡やゲス・フーのカヴァー
とともに、本編最後にはジ・エヴァリー・ブラザーズの「バイ・バイ・ラヴ
」(サイモン&ガーファンクルのヴァージョンでぼくは聞き親しんだが)も
、いい感じで披露。新作でも冴えた編曲/楽曲を提出していたキャメロン・
ウォーリス(ピアノ)を擁するカルテットがサポートしているが、MCによ
ればミュージカル・ディレクターはリード奏者とか。まあ、微妙なバンド内
力学があるんだろう。それはともかく、昨年のショーケース・ライヴ(2006
年5月30日)のときより、破格に成長。基本的にかなりオーソドックスな線
をなぞりつつ、敷居の低い親しみやすさやとっつきやすさ〜ジャズのある種
の魅力を明快に出している。これからも成長するだろうし、息の長いシンガ
ーになっていく感じは大。健気さも、ずっと持ちつづけますように。
歌手のなかではひとつ抜きんでた人気/セールスを得ている、20代半ば前の
カナダ人。あ、カナダ人と書いていいのかな? もともとロシア生まれで、
閉塞的な体制から逃れるために家族と子供のころイスラエルに引っ越し、高
校のとき政情不安でさらにカナダに移住したという経歴を持つ人だから。ゆ
えに、3つの国の言葉を出来るということだが。
スタンダードやアルバムに入っていたロシア民謡やゲス・フーのカヴァー
とともに、本編最後にはジ・エヴァリー・ブラザーズの「バイ・バイ・ラヴ
」(サイモン&ガーファンクルのヴァージョンでぼくは聞き親しんだが)も
、いい感じで披露。新作でも冴えた編曲/楽曲を提出していたキャメロン・
ウォーリス(ピアノ)を擁するカルテットがサポートしているが、MCによ
ればミュージカル・ディレクターはリード奏者とか。まあ、微妙なバンド内
力学があるんだろう。それはともかく、昨年のショーケース・ライヴ(2006
年5月30日)のときより、破格に成長。基本的にかなりオーソドックスな線
をなぞりつつ、敷居の低い親しみやすさやとっつきやすさ〜ジャズのある種
の魅力を明快に出している。これからも成長するだろうし、息の長いシンガ
ーになっていく感じは大。健気さも、ずっと持ちつづけますように。
バーニー・ウォレル
2007年8月3日 P−ファンクの黄金表現を支えたウィザード鍵盤奏者?の、ショーケース
・ライヴ。渋谷のタワーレコード7階の本売り場の一角にて。カラフルな格
好の彼は昔から老けた顔つきだし、全然変わってないな。ちょっとアブない
感じは減じたかもしれない(90年代あたま、グラマヴィジョンから『ファン
ク・オブ・エイジズ』を出すときにNYで取材したことがあって、かなりそ
のときの物腰は正体不明だった)が、電波系じじいとしていい感じに歳を取
ってるんではないか。彼は10分弱、モーグ・シンセサイザーとピアニカ(
いつも、持ち歩いているらしい)を演奏。とってもぽかったけど、短すぎ。
普通だったら、あっけなさすぎて本欄に多分書かないだろうが、8月はあま
りライヴ予定もないので、一応書いておこうかという気になった。今回の来
日(って、いつ以来なんだろう)は、ビル・ラズウェル(2004年9月5日、
2005年7月30日、2005年8月20日、2006年11月26日、他)ご一行として
のものらしい。本売り場にはラズウェルたちの姿も。彼は暑いのに長袖ジャ
ツにベストという恰好。ほんと、ラズウェルも変人だよな。
・ライヴ。渋谷のタワーレコード7階の本売り場の一角にて。カラフルな格
好の彼は昔から老けた顔つきだし、全然変わってないな。ちょっとアブない
感じは減じたかもしれない(90年代あたま、グラマヴィジョンから『ファン
ク・オブ・エイジズ』を出すときにNYで取材したことがあって、かなりそ
のときの物腰は正体不明だった)が、電波系じじいとしていい感じに歳を取
ってるんではないか。彼は10分弱、モーグ・シンセサイザーとピアニカ(
いつも、持ち歩いているらしい)を演奏。とってもぽかったけど、短すぎ。
普通だったら、あっけなさすぎて本欄に多分書かないだろうが、8月はあま
りライヴ予定もないので、一応書いておこうかという気になった。今回の来
日(って、いつ以来なんだろう)は、ビル・ラズウェル(2004年9月5日、
2005年7月30日、2005年8月20日、2006年11月26日、他)ご一行として
のものらしい。本売り場にはラズウェルたちの姿も。彼は暑いのに長袖ジャ
ツにベストという恰好。ほんと、ラズウェルも変人だよな。
フジ・ロック・フェスティヴァル
2007年7月29日 最終日だけは苗場にちゃんといました。でも、取材も飛んだし、飲んだく
れてて、ちゃんとは何も見てませーん。でも、それでも良かったし、フジは
いいナ・楽しいナという気持ちを望外に持ってしまった。
翌日、帰り道の雨はすごかったナ。台風の被害など、近年自然災害のひど
さにアレレ〜となること多々。そういえば、今年の夏にトライしているのは
、なるべくエアコンをつかわない、ということ。偉そうに書けば、いろんな
負を呼び込んでいる地球温暖化に自分なりに胸をいためてのこと。原発もや
だしなあ(今回の柏崎の地震はやっぱり日本に原発を置いてはいけないこと
を示していると思う)。無駄に自家用車も乗っているし、CDを聞くにせよ
コンサートを享受するにせよ電気を必要とする趣味/生業を持っているわけ
だし(そうじゃない人のほうが珍しいだろうけど)、だったら自分の出来る
範囲でなるべく電気消費量/熱放出量をおさえよっかとしているわけ。根性
なし、わがまま気分屋のぼくなのでどこまで続くか分からないが、今もこれ
を汗だくで打っている。ま、ゲーム感覚。窓を開け放つと意外と風が入って
くるので助かるが、1日に何度もTシャツを代えたりして、洗濯モノの量は
とても増えている。洗濯に使う電気消費量はそんなに多くないよな......。
れてて、ちゃんとは何も見てませーん。でも、それでも良かったし、フジは
いいナ・楽しいナという気持ちを望外に持ってしまった。
翌日、帰り道の雨はすごかったナ。台風の被害など、近年自然災害のひど
さにアレレ〜となること多々。そういえば、今年の夏にトライしているのは
、なるべくエアコンをつかわない、ということ。偉そうに書けば、いろんな
負を呼び込んでいる地球温暖化に自分なりに胸をいためてのこと。原発もや
だしなあ(今回の柏崎の地震はやっぱり日本に原発を置いてはいけないこと
を示していると思う)。無駄に自家用車も乗っているし、CDを聞くにせよ
コンサートを享受するにせよ電気を必要とする趣味/生業を持っているわけ
だし(そうじゃない人のほうが珍しいだろうけど)、だったら自分の出来る
範囲でなるべく電気消費量/熱放出量をおさえよっかとしているわけ。根性
なし、わがまま気分屋のぼくなのでどこまで続くか分からないが、今もこれ
を汗だくで打っている。ま、ゲーム感覚。窓を開け放つと意外と風が入って
くるので助かるが、1日に何度もTシャツを代えたりして、洗濯モノの量は
とても増えている。洗濯に使う電気消費量はそんなに多くないよな......。
アドリアーナ・カルカニョット+モレーノ+ドメニコ+カシン
2007年7月25日 恵比寿・リキッドルーム、ブラジルのピカ一現代女性ソンガー・ソングラ
イターを、同国新感覚ポップ仲良し3人組(2001年5月18日、2006年6月27
日)がサポートする公演。カルカニョットが歌う曲が中心だが、男性陣が歌
う曲ももちろんある。ステージに一緒に並ぶ4人はなんか姉弟たちといった
感じもあったな。
みんな、いろいろと担当楽器を変えつつ、楽曲を重ねていく。自由自在、
遊びゴコロあり。出演者が持ち楽器をコロコロ代える公演に悪いモノなし。
この晩も、それを証明していましたね。うっすらとした質感を持つ曲調が中
心(でも、生理的にとっても豊か)、もうちょっとビートを効かせてほしい
と思わなくもなかったが、音楽の妖精が終始ステージには舞っていたはず。
下のメインのフロア(の中ほどより後)はそんなに混んでいないのに、人
の通り道となる段差部はかなりの混み具合。で、そこにいた方々、人が通ろ
うとしてもしらんぷりでとうせんぼ、ごめんなさいと通ろうすると露骨にイ
ヤな顔を見せる人もいた。過去、そんなことあまりなく、かなり困惑。すみ
ませんねえ、珠玉の音楽に熱中せず、お酒買いに何度も往復しちゃって。ケ
っ。身長があまり高くない女性以外、通り道にはなるべく立たないでほしい
。って、書いてて、説教じじいになっちゃう気分でイヤ......。
イターを、同国新感覚ポップ仲良し3人組(2001年5月18日、2006年6月27
日)がサポートする公演。カルカニョットが歌う曲が中心だが、男性陣が歌
う曲ももちろんある。ステージに一緒に並ぶ4人はなんか姉弟たちといった
感じもあったな。
みんな、いろいろと担当楽器を変えつつ、楽曲を重ねていく。自由自在、
遊びゴコロあり。出演者が持ち楽器をコロコロ代える公演に悪いモノなし。
この晩も、それを証明していましたね。うっすらとした質感を持つ曲調が中
心(でも、生理的にとっても豊か)、もうちょっとビートを効かせてほしい
と思わなくもなかったが、音楽の妖精が終始ステージには舞っていたはず。
下のメインのフロア(の中ほどより後)はそんなに混んでいないのに、人
の通り道となる段差部はかなりの混み具合。で、そこにいた方々、人が通ろ
うとしてもしらんぷりでとうせんぼ、ごめんなさいと通ろうすると露骨にイ
ヤな顔を見せる人もいた。過去、そんなことあまりなく、かなり困惑。すみ
ませんねえ、珠玉の音楽に熱中せず、お酒買いに何度も往復しちゃって。ケ
っ。身長があまり高くない女性以外、通り道にはなるべく立たないでほしい
。って、書いてて、説教じじいになっちゃう気分でイヤ......。