与世山澄子
2007年11月7日 いろんな感慨を抱かせる、沖縄の熟練ジャズ・シンガー。代官山・晴れた
ら空に豆まいて、にて。バッキングもノリも、前に見たモーション・ブルー
・ヨコハマでの実演(2005年9月11日)を引き継ぐもの。南博(2007年10
月17日、他)や菊地成孔(2005 年6 月9 日、他) ら同様の面子を従えてのド
ラムレス編成で、今回のベースは佐藤慎一。お座敷を一つこなしたあと行っ
たため後半しか見てないので、詳細には触れないが、ハコが持つ人肌キブン
の心地よさもあり(そして、コアなファンが集まっていたためもあり)、い
い感じの空間がポッカリ浮き上がっていたのではないか。菊地はやっぱりこ
ういうなんでもない(と書くと、語弊があるが)ソロを取ると本当にいい奏
者だと思わされる。そして、ジャズは水面下で舌をペロリと出した、デカダ
ンでええカッコしいの胸がキュっとしめつけられる悪魔の音楽なのダと痛感
させられるのだ。
ら空に豆まいて、にて。バッキングもノリも、前に見たモーション・ブルー
・ヨコハマでの実演(2005年9月11日)を引き継ぐもの。南博(2007年10
月17日、他)や菊地成孔(2005 年6 月9 日、他) ら同様の面子を従えてのド
ラムレス編成で、今回のベースは佐藤慎一。お座敷を一つこなしたあと行っ
たため後半しか見てないので、詳細には触れないが、ハコが持つ人肌キブン
の心地よさもあり(そして、コアなファンが集まっていたためもあり)、い
い感じの空間がポッカリ浮き上がっていたのではないか。菊地はやっぱりこ
ういうなんでもない(と書くと、語弊があるが)ソロを取ると本当にいい奏
者だと思わされる。そして、ジャズは水面下で舌をペロリと出した、デカダ
ンでええカッコしいの胸がキュっとしめつけられる悪魔の音楽なのダと痛感
させられるのだ。
ロニー・ジョーダン
2007年11月6日 丸の内・コットンクラブ。ロニー・ジョーダンといっても、トーキング・
ラウドやブルーノートから作品を出している英国人ギタリストではない(ぼ
くとはけっこう歳の離れたココロの同志は見事に勘違いしていた)、70年代
(とくに前半)にEW&F(2006年1月16日)やクール&ザ・ギャングを
凌駕するようなセールスを米国では獲得していた、真正混沌ファンク・グル
ープのウォー(74年12月の初来日の東京公演は日本武道館と中野サンプラザ
だった。また、70年代後半には後楽園球場で開かれたNFLアメリカン・フ
ットボールのハーフタイム・ショウ出演のために来たこともあったはず)の
音楽的イニチアシヴを握っていたキーボード奏者だ。彼は今やトップに米国
でイケイケのレコード会社であるコンコード傘下のファンタジー(CCR他
を出した、かつてのメジャ・レーベル。ジャズにも強い会社だが、実はスタ
ックスの権利はここが所有)から唐突にものすごーく久しぶりのリーダー作
『ウォー・ストーリーズ』をリリース(もちろん、唯一無二のウォーの財産
を受けついた内容。ぼく、大好き。たぶん、BMR誌の年間ベスト10に入れ
ると思う)したことと繋がっているのだろう。
テナー/フルート、ベース、ドラムの3人を従えてのパフォーマンス。ウ
ォーはラテン濃度の高いバンドとしても知られるが、黒人であるジョーダン
以外は皆ラテン系の人たちだったのではないか。ジョーダンがグリース(gr
ease) とういう形容をしきりに用いて紹介していたドラマーのサルヴァドー
ル・ロドリゲスの(ラテン素養もしっかりと通過した)叩き味はけっこうベ
イエリア・ファンクのそれと重なる。サンタナをはじめベイエリアはマジカ
ルなラテン応用サウンドを出しているが、ロドリゲスの演奏に触れてベイエ
リア・ファンクのドラミング・スタイルにはラテンの何かがきっちりと流し
こまれた結果のものと思わずにはいられなかった。とともに、彼のソロを聞
きつつ、スティーヴ・ガッド(2004年1月27日)のバスドラも巧みに用い
たドカスカドカスカていう(非常に曖昧な言い方ですまん)ドラム・ソロの
終盤の決めもラテンの影響ありなのかもと思った。そのドラマーさんは仕種
や表情などが役者なひょうきんさんで、冷めた会場の空気を温めた。
実は日本に帰ってからスペインでほぼ治ったはずの風邪がぶり返し、トホ
ホな体調。であろうとも、ジョーダンの妙味に触れてぼくは昇天できるはず
だったが、結果はそれなり……。それは演奏の質ではなく、披露する音楽性
がぼくが求めていたものとは離れていたためだ。なんと、彼は「フリーダム
・ジャズ・ダンス」や「枯葉」といったジャズ・スタンダードやジョン・
コルトレーンやウェイン・ショーターやセロニアス・モンク(もじって、セ
ロニアス・ファンクなんて親父ギャグもジョーダンはとばしていたな)のジ
ャズ曲を、ファンクやラテンやレゲエなどちゃんちきしたリズムを経由しつ
つも、ジャジーにインストで披露。んなこと、彼は新作ではやっていない。
年輪を積んでジョーダンはよりジャズに惹かれるようになっているのか、そ
れとも簡素な編成だとこうするのがいいと思ったのか。でも、ぼくはもっと
ウォー+アルファなる表現(ウォー時代の曲は「ギャラクシー」と「ゲット
・ダウン」をやった)や、彼の天を見上げるような歌声に触れたかった(新
作では弾き語りでもの凄い美曲を披露していたりもしたのに)。
アンコール曲はぼくが昔ウォーの曲のなかで一番好きだった、もろにラテ
ンな「バエロ」。これ、サンタナの「俺のリズムを聞いとくれ」ヴァージョ
ンと言いたくなる感じで彼らはやった。コットンクラブに出る往年の有名人
のライヴには毎度熱心なファンが集まり、極上の空間が生まれる。ウォー/
ロニー・ジョーダンはコットンクラブに出た人のなかでもっとも輝かしい成
績/セールスを治めている人なはずなのに、ぼくが接したセットではファン
らしい人はあんまし見受けられなかった。なぜ? そんなに、ウォーは鬼っ
子なの? ロニーさん、もう少しファンク傾向よりにして、もう少し人数を
増やした編成でリターン・マッチを! とにかく、ぼくはあなたが好きだ!
ラウドやブルーノートから作品を出している英国人ギタリストではない(ぼ
くとはけっこう歳の離れたココロの同志は見事に勘違いしていた)、70年代
(とくに前半)にEW&F(2006年1月16日)やクール&ザ・ギャングを
凌駕するようなセールスを米国では獲得していた、真正混沌ファンク・グル
ープのウォー(74年12月の初来日の東京公演は日本武道館と中野サンプラザ
だった。また、70年代後半には後楽園球場で開かれたNFLアメリカン・フ
ットボールのハーフタイム・ショウ出演のために来たこともあったはず)の
音楽的イニチアシヴを握っていたキーボード奏者だ。彼は今やトップに米国
でイケイケのレコード会社であるコンコード傘下のファンタジー(CCR他
を出した、かつてのメジャ・レーベル。ジャズにも強い会社だが、実はスタ
ックスの権利はここが所有)から唐突にものすごーく久しぶりのリーダー作
『ウォー・ストーリーズ』をリリース(もちろん、唯一無二のウォーの財産
を受けついた内容。ぼく、大好き。たぶん、BMR誌の年間ベスト10に入れ
ると思う)したことと繋がっているのだろう。
テナー/フルート、ベース、ドラムの3人を従えてのパフォーマンス。ウ
ォーはラテン濃度の高いバンドとしても知られるが、黒人であるジョーダン
以外は皆ラテン系の人たちだったのではないか。ジョーダンがグリース(gr
ease) とういう形容をしきりに用いて紹介していたドラマーのサルヴァドー
ル・ロドリゲスの(ラテン素養もしっかりと通過した)叩き味はけっこうベ
イエリア・ファンクのそれと重なる。サンタナをはじめベイエリアはマジカ
ルなラテン応用サウンドを出しているが、ロドリゲスの演奏に触れてベイエ
リア・ファンクのドラミング・スタイルにはラテンの何かがきっちりと流し
こまれた結果のものと思わずにはいられなかった。とともに、彼のソロを聞
きつつ、スティーヴ・ガッド(2004年1月27日)のバスドラも巧みに用い
たドカスカドカスカていう(非常に曖昧な言い方ですまん)ドラム・ソロの
終盤の決めもラテンの影響ありなのかもと思った。そのドラマーさんは仕種
や表情などが役者なひょうきんさんで、冷めた会場の空気を温めた。
実は日本に帰ってからスペインでほぼ治ったはずの風邪がぶり返し、トホ
ホな体調。であろうとも、ジョーダンの妙味に触れてぼくは昇天できるはず
だったが、結果はそれなり……。それは演奏の質ではなく、披露する音楽性
がぼくが求めていたものとは離れていたためだ。なんと、彼は「フリーダム
・ジャズ・ダンス」や「枯葉」といったジャズ・スタンダードやジョン・
コルトレーンやウェイン・ショーターやセロニアス・モンク(もじって、セ
ロニアス・ファンクなんて親父ギャグもジョーダンはとばしていたな)のジ
ャズ曲を、ファンクやラテンやレゲエなどちゃんちきしたリズムを経由しつ
つも、ジャジーにインストで披露。んなこと、彼は新作ではやっていない。
年輪を積んでジョーダンはよりジャズに惹かれるようになっているのか、そ
れとも簡素な編成だとこうするのがいいと思ったのか。でも、ぼくはもっと
ウォー+アルファなる表現(ウォー時代の曲は「ギャラクシー」と「ゲット
・ダウン」をやった)や、彼の天を見上げるような歌声に触れたかった(新
作では弾き語りでもの凄い美曲を披露していたりもしたのに)。
アンコール曲はぼくが昔ウォーの曲のなかで一番好きだった、もろにラテ
ンな「バエロ」。これ、サンタナの「俺のリズムを聞いとくれ」ヴァージョ
ンと言いたくなる感じで彼らはやった。コットンクラブに出る往年の有名人
のライヴには毎度熱心なファンが集まり、極上の空間が生まれる。ウォー/
ロニー・ジョーダンはコットンクラブに出た人のなかでもっとも輝かしい成
績/セールスを治めている人なはずなのに、ぼくが接したセットではファン
らしい人はあんまし見受けられなかった。なぜ? そんなに、ウォーは鬼っ
子なの? ロニーさん、もう少しファンク傾向よりにして、もう少し人数を
増やした編成でリターン・マッチを! とにかく、ぼくはあなたが好きだ!
カフェ・タクーバ、カバス
2007年11月3日 品川・ステラボウル。九州のNPO組織がいろんな助成を得て開くスペイ
ン語アーティストが出る公演。昼間はスペインのマジョルカ島とアルゼンチ
ンの人たちが出て、夜のほうはコロンビアとメキシコの担い手が登場。直前
にWOMEXに行ってなかったら両方見たろうけど、渡西疲れもあり、夜の
ほうだけを見る。
最初に出て来たのはカバスという、本国ではアイドル人気も得ていそうな
シンガー。同じコロンビアであるせいか、フアネス(2006年11月9日)の行
き方に少し重なる部分はあるかな。77年生まれの彼はキーボードを前に歌う
が、ほとんど弾かずにマイクを持って歌う。一応鍵盤を弾きながら歌った曲
の最後はスティーヴィ・ワンダーの有名曲(曲名失念。70年代初頭の三部作
内の曲)のさわりを挿入。ギタリストはもろにロッカーふう。
その後、メキシコの超ビッグ・グループにして、妙にロック心に触れると
ころを持つ、理屈ではなく感性に訴える変テコ・バンドのカフェ・タクーバ
。まさか、日本で知名度のない彼らが見れるとは。感無量。40歳すぎだろう
メンバーはちょうい変な髪形をしてたりして、これはメキシコのスプリット
・エンズ(70年代に活躍した、ニュージーランド出身のひねくれ玉手箱ポッ
プ・ロック・バンド。メンバーだったティム・フィンは後にクラウデッド・
ハウスを組む。それも悪いバンドでは当然ないが、スプリット・エンズのも
っていた魔法の10分の1もひきつげなかったとぼくは感じる)と、思ったり
も。関係ないけど、10cc/ゴドリー& クリーム好きのぼくはスプリット・エ
ンズが大好きでした。
甘ったれた声が特徴のヴォーカル君だけかなり小柄で、他のメンバーはメ
キやんとしては身長が高いという話を聞いたが、ステージに出てきた5人を
見てなるほど。ドラマーは一応、サポート・メンバーとなるのかな。ドラマ
ー以外が横一線に並び、お茶目にフリをつけたりしたときもあった。なんで
も、彼らは総勢18人でやってきたという。
音だけを取ると、ぶっちゃけちゃらいところも。キーボードは優秀(とい
いつつ、プリセット音も併用するので、少し判断が難しい)でメキシコのガ
ース・ハドソン(ザ・バンド)かと思わせるところも。ただし、ヴォーカリ
ストのルーベン・アルバーランのシンセ・インスト主体のリーダー作(Sizu
Yantra 名義)を聞くと、サウンドの味つけも彼の意向が一番入っているの
かとも思わせられるが。ぼくは彼らのアルバム諸作を聞いて大ファンになっ
ちゃっているので感慨深く見れたが、なんの予備知識もなくこのパフォーマ
ンスに触れたなら駄目印を出すかもと、ふと冷静に思うぼくもいた。でも、
ライヴが見る機会があるなら、ぼくは彼らをまた絶対見る。きっと何度だっ
て。
ン語アーティストが出る公演。昼間はスペインのマジョルカ島とアルゼンチ
ンの人たちが出て、夜のほうはコロンビアとメキシコの担い手が登場。直前
にWOMEXに行ってなかったら両方見たろうけど、渡西疲れもあり、夜の
ほうだけを見る。
最初に出て来たのはカバスという、本国ではアイドル人気も得ていそうな
シンガー。同じコロンビアであるせいか、フアネス(2006年11月9日)の行
き方に少し重なる部分はあるかな。77年生まれの彼はキーボードを前に歌う
が、ほとんど弾かずにマイクを持って歌う。一応鍵盤を弾きながら歌った曲
の最後はスティーヴィ・ワンダーの有名曲(曲名失念。70年代初頭の三部作
内の曲)のさわりを挿入。ギタリストはもろにロッカーふう。
その後、メキシコの超ビッグ・グループにして、妙にロック心に触れると
ころを持つ、理屈ではなく感性に訴える変テコ・バンドのカフェ・タクーバ
。まさか、日本で知名度のない彼らが見れるとは。感無量。40歳すぎだろう
メンバーはちょうい変な髪形をしてたりして、これはメキシコのスプリット
・エンズ(70年代に活躍した、ニュージーランド出身のひねくれ玉手箱ポッ
プ・ロック・バンド。メンバーだったティム・フィンは後にクラウデッド・
ハウスを組む。それも悪いバンドでは当然ないが、スプリット・エンズのも
っていた魔法の10分の1もひきつげなかったとぼくは感じる)と、思ったり
も。関係ないけど、10cc/ゴドリー& クリーム好きのぼくはスプリット・エ
ンズが大好きでした。
甘ったれた声が特徴のヴォーカル君だけかなり小柄で、他のメンバーはメ
キやんとしては身長が高いという話を聞いたが、ステージに出てきた5人を
見てなるほど。ドラマーは一応、サポート・メンバーとなるのかな。ドラマ
ー以外が横一線に並び、お茶目にフリをつけたりしたときもあった。なんで
も、彼らは総勢18人でやってきたという。
音だけを取ると、ぶっちゃけちゃらいところも。キーボードは優秀(とい
いつつ、プリセット音も併用するので、少し判断が難しい)でメキシコのガ
ース・ハドソン(ザ・バンド)かと思わせるところも。ただし、ヴォーカリ
ストのルーベン・アルバーランのシンセ・インスト主体のリーダー作(Sizu
Yantra 名義)を聞くと、サウンドの味つけも彼の意向が一番入っているの
かとも思わせられるが。ぼくは彼らのアルバム諸作を聞いて大ファンになっ
ちゃっているので感慨深く見れたが、なんの予備知識もなくこのパフォーマ
ンスに触れたなら駄目印を出すかもと、ふと冷静に思うぼくもいた。でも、
ライヴが見る機会があるなら、ぼくは彼らをまた絶対見る。きっと何度だっ
て。
コーコーヤ
2007年11月2日 笹子重治(ギター、2002年3月24日)、江藤有希(ヴァイオリン)、黒川
紗恵子(クラリネット)、ショーロ・ビヨンド表現を聞かせる3人組。青山
・プラッサオンゼ。おじさん、妙齢の女性に挟まれる。グループ名は好々爺
からきているのかな。ときに優美に、闊達に、お茶目に、澄んだ気持ちが重
ねられる。楽器構成はシンプルだが、その額面を超えたいろんな手触りを届
けてくれる。近くアルバムが出るとかで、ブラジル曲だけでなく、そちらに
入るというオリジナル曲も披露。ファースト・セットだけで失礼しようと思
っていたら、なんかいい気持ちになれて最後までいてしまった。
紗恵子(クラリネット)、ショーロ・ビヨンド表現を聞かせる3人組。青山
・プラッサオンゼ。おじさん、妙齢の女性に挟まれる。グループ名は好々爺
からきているのかな。ときに優美に、闊達に、お茶目に、澄んだ気持ちが重
ねられる。楽器構成はシンプルだが、その額面を超えたいろんな手触りを届
けてくれる。近くアルバムが出るとかで、ブラジル曲だけでなく、そちらに
入るというオリジナル曲も披露。ファースト・セットだけで失礼しようと思
っていたら、なんかいい気持ちになれて最後までいてしまった。
バルセロナvs アルメリア
2007年10月28日 セビーリャからバルセロナへ。飛行機で1時間強(だったけかな?)。
だいぶ北だが、セビーリャよりあったかいかも。まず、今回の渡西の主目
的はFCバルセロナの試合をカンプノウ・スタジアムで見ることにあった?
と言いつつ、試合日は確認していたものの試合開始時間もよくチェックせず
に来たワタシではあるが、なぜか見れる自信はあった(早い便に乗るのはイ
ヤで午後一の便をぼくは取る。昼間の試合だったら、アウトだよなあ)。ホ
テルにチェックインし、地下鉄3号線に乗ってスタジアムに来たのは17時少
し前。地下鉄内、およびスタジアムへの道すがらは閑散としていたが、さす
がスタジアム前は人がごったかえし(それも開門していないからだが)、あ
やしい(?)物販の店もいろいろ。
道なりに進んでいったらチケット売り場はすぐに見つかり、問題なく購入
。試合開始は19時。周辺を観光しようかなと思ったが、このままいることに
する。というか、目の前に何かと興味深いエサがあるのに、動く気がするも
のか。その少し先には人がよりたまっていて、セキュリティの人も沢山いて
一部スペースが空いている。ははあ、ここから選手が乗ったバスが入るのだ
ナと了解。そしたら、17時10分ぐらいか、エンジ色にペイントされたバルサの
大型バスが着いて、目の前で曲がり場内に入っていく。人々はヤンヤの喝采
を浴びせる。おお、オレも拳を振り上げシャッターを押し、いっぱしのサポ
ーター気分を味わう。
開門は17時半をまわっていたんじゃないか。とにかく、物珍しげに場内あ
っちこっちを見て回る。おお、これが世界最大級のサッカー・スタジアムか
。席はチケット売り場のお兄さんの勧めを信じてゴール裏に位置する安目の
それを購入。反対側を見てもどうやらバルサのファンが入っているようで、
どうやらカンプノウにはアウェー席というのはないと見たが(少なくても、
アルメリア戦については)。アルメリアのユニフォームを来た人たちは1組
(3人)しか出会わなかった。はて、彼らはどこに座ってたのか。スタジア
ムは正面スタンド側とバック・スタンド&ゴール裏の二つに仕切られている
だけで、上下(大きく5層になったいたか)は自由に移動可能。チェックの
係員もいないのでセカンド・ハーフは大分下のほうに座って見ていた。
18時を回っても、スタジアム内はがらがら。が、試合開始の頃には8割強
の入りになる。驚いたのは、家族づれが多く、女性/子供が沢山来ているこ
と。ただし、しっかりバルサのユニフォームを来ている人はそんなに多くな
く全体の1割ぐらいといった感じか。で、浦和レッズのような一致団結した
怒濤の応援模様はなく、みんなバラバラ。それに、多くの日本人は拍子抜け
するのではないか。各々思い思いに声や手拍子をするという感じで、とても
それはしまりがない。でも、全体主義を嫌うぼくはそれで別にいいじゃんと
感じる。ちょっとしたプレイに沸き上がる歓声はそれなり、ブーイングもそ
れなり。日本では禁止されているはずのエアフォーンを持参し吹く人は少な
くなくて、それはとってもうるさかった。
試合は……そんなにバルサとして、いい出来だったとは到底思えない。逆
になんの知識もなかったアルメリアってそんなに悪くないチームじゃんと思
った。が、前半35分すぎにアーセナルから移籍したアンリがごっつぁんゴー
ル(日本と違い、ヴィジョン〜これが小さい〜でのゴール・シーンのリプレ
イとかはなし。そういえば、試合中もそこにCF映像を流しているときがあ
ったな)。それ、まだチームにフィットしていない彼のホーム初ゴールとか
。で、バルサと言えばやはりロナウジーニョだが、生で俯瞰していると改め
てなるほどォ。とにかく、基本トップ左に位置する彼に渡るとなんかやりそ
うな感じが物凄く遠目にもバリバリ。この日はかなり不調で駄プレイも連発
してたが、一人で持ち込んで決定的なパスを出すかシュートするか、なんか
やってくれるだろうという感じがおおいにある。ただし、ディフェンスはほと
んどせず、味方がボールを持ち込んでも自分には無関係と判断するとつめな
かったりとか、かなりの省エネ志向であるのも再確認。そこらへんは、根っ
からの王様さん=10番ね。
後半の後半、ロナウジーニョに代わりついにメッシが出てきたときは、おお
いに沸く。ぼくも待ってましたと大興奮。で、確かに彼が出てきて、球の回
りがよくなった。そして、PKを得たら、それをメッシが蹴る。アンリとメ
ッシの得点で、2−0。なんか、データーだけだと、とてもいいゲームだっ
たみたいだが、バルサのホーム試合としてはダメ内容ではあった。それはと
もかく、ライカールト監督をちゃんと目で確認できなかったのは残念。オレ
、選手たちより好きかもしんない。ところで、今回スペインに滞在したなか
で一番日本人(と、韓国人)を見かけたような気がしたのはこのスタジアム
。だからか、どこから来たのとは誰からもきかれることもなく。それから、
カンプノウは想像以上にくすんだ建物で、過剰な魅力は感じなかったな。な
んか、建造物としての風情や威厳に欠けるとぼくは感じた。ピッチに降りら
れ、選手のロッカールームなんかも見れる観光ツアーも商売上手なバルサは
組んでいて、翌日に参加するのもアリかとも思ったが、なんか会場に対する
興味が薄れてパス。それよりもぼくにとってはガウディ関連に触れるほうが
重要と判断した。
そして、翌日から二日間、思うまま観光、買い物。セビーリャが音楽ず
っぽりだっただけに、音楽の項目は見事にはぼ除外。本当にいろんな所に行
って、いろんなものを満喫。酒も安いし(酒税が低いんだろうな)、食い物
も肌に合うし、夜も遅くまでにぎわっているし。リセウ駅の周辺〜ラバル地
区は11時すぎになるとディーラーやお姉さんが寄ってくるが、拒否ればそれ
以上はしつこくない。さすがオリンピックをやっただけあってバルセロナは
都会でものすごく観光都市、地下鉄網も発達していて移動もとても楽だ。意
外だったのは、ホームの掲示盤に次の電車の到着まで○分○秒としっかり表
示されるところ。スペイン人はせっかちなのかもしれない。運行本数は多く
、夜に待っても最高で3分代。駅と駅の間はそんなには離れてなく、2駅
ぐらいは歩けてしまう。総じてNYやロンドンの地下鉄より使いやすく、好
印象。
とかなんとか、初めて行ったバルセロナはゲキ印象がよかった。それから
、自動車はフランス車が人気。シトロエンはそれほどではないが、プジョー
やルノーがうようよ。さらには、フォルクスワーゲン資本のスペイン・ブラン
ドのセアトも当然ながら目に付く。ドイツ車はあまり多くなく(イタリア車
はほとんど見ない)、日本車(ニッサンが一番多かったかな)はそれよりは走
っていた。今回、スペイン語が出来ず、困ったことは皆無。すべて、片言の
英語( と、オラとグラシアス、アディオスの三つのスペイン語) で事足りた
。そのため、新たに覚えたスペイン語はゼロ。それに関しては、自分に大バ
ツを。こういうとき、電子辞書持ってて事あるごとに何んだろうと感じたス
ペイン語を引くと、確実に単語を覚えそうだけど……。
だいぶ北だが、セビーリャよりあったかいかも。まず、今回の渡西の主目
的はFCバルセロナの試合をカンプノウ・スタジアムで見ることにあった?
と言いつつ、試合日は確認していたものの試合開始時間もよくチェックせず
に来たワタシではあるが、なぜか見れる自信はあった(早い便に乗るのはイ
ヤで午後一の便をぼくは取る。昼間の試合だったら、アウトだよなあ)。ホ
テルにチェックインし、地下鉄3号線に乗ってスタジアムに来たのは17時少
し前。地下鉄内、およびスタジアムへの道すがらは閑散としていたが、さす
がスタジアム前は人がごったかえし(それも開門していないからだが)、あ
やしい(?)物販の店もいろいろ。
道なりに進んでいったらチケット売り場はすぐに見つかり、問題なく購入
。試合開始は19時。周辺を観光しようかなと思ったが、このままいることに
する。というか、目の前に何かと興味深いエサがあるのに、動く気がするも
のか。その少し先には人がよりたまっていて、セキュリティの人も沢山いて
一部スペースが空いている。ははあ、ここから選手が乗ったバスが入るのだ
ナと了解。そしたら、17時10分ぐらいか、エンジ色にペイントされたバルサの
大型バスが着いて、目の前で曲がり場内に入っていく。人々はヤンヤの喝采
を浴びせる。おお、オレも拳を振り上げシャッターを押し、いっぱしのサポ
ーター気分を味わう。
開門は17時半をまわっていたんじゃないか。とにかく、物珍しげに場内あ
っちこっちを見て回る。おお、これが世界最大級のサッカー・スタジアムか
。席はチケット売り場のお兄さんの勧めを信じてゴール裏に位置する安目の
それを購入。反対側を見てもどうやらバルサのファンが入っているようで、
どうやらカンプノウにはアウェー席というのはないと見たが(少なくても、
アルメリア戦については)。アルメリアのユニフォームを来た人たちは1組
(3人)しか出会わなかった。はて、彼らはどこに座ってたのか。スタジア
ムは正面スタンド側とバック・スタンド&ゴール裏の二つに仕切られている
だけで、上下(大きく5層になったいたか)は自由に移動可能。チェックの
係員もいないのでセカンド・ハーフは大分下のほうに座って見ていた。
18時を回っても、スタジアム内はがらがら。が、試合開始の頃には8割強
の入りになる。驚いたのは、家族づれが多く、女性/子供が沢山来ているこ
と。ただし、しっかりバルサのユニフォームを来ている人はそんなに多くな
く全体の1割ぐらいといった感じか。で、浦和レッズのような一致団結した
怒濤の応援模様はなく、みんなバラバラ。それに、多くの日本人は拍子抜け
するのではないか。各々思い思いに声や手拍子をするという感じで、とても
それはしまりがない。でも、全体主義を嫌うぼくはそれで別にいいじゃんと
感じる。ちょっとしたプレイに沸き上がる歓声はそれなり、ブーイングもそ
れなり。日本では禁止されているはずのエアフォーンを持参し吹く人は少な
くなくて、それはとってもうるさかった。
試合は……そんなにバルサとして、いい出来だったとは到底思えない。逆
になんの知識もなかったアルメリアってそんなに悪くないチームじゃんと思
った。が、前半35分すぎにアーセナルから移籍したアンリがごっつぁんゴー
ル(日本と違い、ヴィジョン〜これが小さい〜でのゴール・シーンのリプレ
イとかはなし。そういえば、試合中もそこにCF映像を流しているときがあ
ったな)。それ、まだチームにフィットしていない彼のホーム初ゴールとか
。で、バルサと言えばやはりロナウジーニョだが、生で俯瞰していると改め
てなるほどォ。とにかく、基本トップ左に位置する彼に渡るとなんかやりそ
うな感じが物凄く遠目にもバリバリ。この日はかなり不調で駄プレイも連発
してたが、一人で持ち込んで決定的なパスを出すかシュートするか、なんか
やってくれるだろうという感じがおおいにある。ただし、ディフェンスはほと
んどせず、味方がボールを持ち込んでも自分には無関係と判断するとつめな
かったりとか、かなりの省エネ志向であるのも再確認。そこらへんは、根っ
からの王様さん=10番ね。
後半の後半、ロナウジーニョに代わりついにメッシが出てきたときは、おお
いに沸く。ぼくも待ってましたと大興奮。で、確かに彼が出てきて、球の回
りがよくなった。そして、PKを得たら、それをメッシが蹴る。アンリとメ
ッシの得点で、2−0。なんか、データーだけだと、とてもいいゲームだっ
たみたいだが、バルサのホーム試合としてはダメ内容ではあった。それはと
もかく、ライカールト監督をちゃんと目で確認できなかったのは残念。オレ
、選手たちより好きかもしんない。ところで、今回スペインに滞在したなか
で一番日本人(と、韓国人)を見かけたような気がしたのはこのスタジアム
。だからか、どこから来たのとは誰からもきかれることもなく。それから、
カンプノウは想像以上にくすんだ建物で、過剰な魅力は感じなかったな。な
んか、建造物としての風情や威厳に欠けるとぼくは感じた。ピッチに降りら
れ、選手のロッカールームなんかも見れる観光ツアーも商売上手なバルサは
組んでいて、翌日に参加するのもアリかとも思ったが、なんか会場に対する
興味が薄れてパス。それよりもぼくにとってはガウディ関連に触れるほうが
重要と判断した。
そして、翌日から二日間、思うまま観光、買い物。セビーリャが音楽ず
っぽりだっただけに、音楽の項目は見事にはぼ除外。本当にいろんな所に行
って、いろんなものを満喫。酒も安いし(酒税が低いんだろうな)、食い物
も肌に合うし、夜も遅くまでにぎわっているし。リセウ駅の周辺〜ラバル地
区は11時すぎになるとディーラーやお姉さんが寄ってくるが、拒否ればそれ
以上はしつこくない。さすがオリンピックをやっただけあってバルセロナは
都会でものすごく観光都市、地下鉄網も発達していて移動もとても楽だ。意
外だったのは、ホームの掲示盤に次の電車の到着まで○分○秒としっかり表
示されるところ。スペイン人はせっかちなのかもしれない。運行本数は多く
、夜に待っても最高で3分代。駅と駅の間はそんなには離れてなく、2駅
ぐらいは歩けてしまう。総じてNYやロンドンの地下鉄より使いやすく、好
印象。
とかなんとか、初めて行ったバルセロナはゲキ印象がよかった。それから
、自動車はフランス車が人気。シトロエンはそれほどではないが、プジョー
やルノーがうようよ。さらには、フォルクスワーゲン資本のスペイン・ブラン
ドのセアトも当然ながら目に付く。ドイツ車はあまり多くなく(イタリア車
はほとんど見ない)、日本車(ニッサンが一番多かったかな)はそれよりは走
っていた。今回、スペイン語が出来ず、困ったことは皆無。すべて、片言の
英語( と、オラとグラシアス、アディオスの三つのスペイン語) で事足りた
。そのため、新たに覚えたスペイン語はゼロ。それに関しては、自分に大バ
ツを。こういうとき、電子辞書持ってて事あるごとに何んだろうと感じたス
ペイン語を引くと、確実に単語を覚えそうだけど……。
WOMEX07
2007年10月26日 ところで、24日には、主催者/要人挨拶のあと、“Qawwali-Flamrnco
Concert"と題されたスペインのフラメンコ・グループとパキスタンのカッワ
ーリーのグループによる公演(それぞれのグループ名は資料には未記載)が
開かれた。なんじゃ、それ? ステージは半分づつにそれぞれ出演者の楽器
や椅子が置かれていて、最初に左半分ステージにフラメンコのグループが登
場。彼ら(女性も二人)は、生ギター、打楽器、歌、手拍子、ときの男性ダ
ンサーの計6 人。で、やるのはもろにフラメンコ。次は、入れ代わりでお揃
いの服を来た男性9人が登場。伝統楽器/音階を用いて、もろなカッワーリ
ーのヴァイヴで会場を染めていく。それぞれ、30分ぐらいやったあと、今度
は両者がステージで仲良く並ぶ。そして、スペイン勢が延々やったあと、そ
のままノンストップでパフォーマンスはパキスタン勢になんなく引きつがれ
……。そんなのが2曲ぐらいあったあと、ついに両者はもろに一緒に演奏し
だす。まさに両方のデコボコの最大公約数を巧みに重ねたようなその共同演
奏はそれなりなものとして、生理的にイヤなものとしてでなく成り立つ。へ
え〜。そんな、少し奇天烈だけど謎ではないパフォーマンスに接し(最後、
カッワーリー勢は女性と一緒に音楽できていいナという眼差しをフラメンコ
軍団に向けていた。なーんて)、ぼくは今のワールド・ミュージックを成り
立たせている“鍵”のようなものがここにはあるナと考えたりも。
80年代後半、ワールド・ミュージックという括りが出てきたころは、自分
たちの物差し/価値観だけで音楽をやっていた“無意識な”音楽の担い手が
西側から主に拾い上げられ、魅力的なひっかりをもつ表現としてポップ音楽
愛好者に紹介された。だから、すでにそのころイナセな同時代ビート・ミュ
ージックとして認知されていたレゲエやサルサはワールド・ミュージックと
いう範疇からは離される事が多かったし、マルタン・メソニエのような翻訳
者が脚光を浴びたのだ。だが、あれから20年、より情報はイージーに伝搬し
やすくなり、基本インターネットだってどこだって使えるだろう。すると、
良くも悪くも今は“純潔”な感性で根っこと繋がった音楽をやることは困難
になっているし、皮膚感覚で自分たちの音楽が全然別の場所で受け入れられ
る予感を得たりもするのではないか。ドメスティックな感覚/立脚点を持ち
つつ、その一方では外の文化や様式を現地の彼らは認知し、それを無理なく
体内のどこかにに抱えている。自分たちのスタンダードともう一つの外の世
界を向いたスタンダード……。スペインのミュージシャンもパキスタンの伝
統音楽の担い手たちも、その両方をちゃんと持っており、外を向いたスタン
ダードを前に持ってくることで、あのとき彼らはソツなく重なることが出来
たのではないのかか。“Qawwali-Flamrnco Concert" に触れて、ぼくは
そんな事をしかと感じた。そして、二つのスタンダードを持つというのは、
今の多くの世界各地のワールド・ミュージックの担い手に共通していること
ではないのか。それは、我々がより容易に聞きやすいもの、面白いものとし
て、いろんなワールド・ミュージックが楽しめちゃう事に繋がっているはず
だ。
内と外の二つの価値感〜二つの基準の拮抗・溶解という用件があってこそ成
り立つのが、現在のワールド・ミュージックではないだろうか。ぼくがWO
MEDで見たアクトたちも、そうした内実を持つ表現者たちだった。音楽的
には、そうした“二つのスタンダード”が併置されるあり方が進むと、逆に
ドメステック/土着なスタンダードの比率が重視される時代が来るのかもし
れないけれど。蛇足だが、60年代後期、そういう二つの基準をぶつけること
で多大な音楽的魅力を得た表現がフェラ・クティのアフロ・ビート表現であ
ったろう。そして、彼の表現は比較的容易に非アフリカ音楽ファンの耳を掴
み、今も根強く支持され、生命感を逞しく維持している……。
Concert"と題されたスペインのフラメンコ・グループとパキスタンのカッワ
ーリーのグループによる公演(それぞれのグループ名は資料には未記載)が
開かれた。なんじゃ、それ? ステージは半分づつにそれぞれ出演者の楽器
や椅子が置かれていて、最初に左半分ステージにフラメンコのグループが登
場。彼ら(女性も二人)は、生ギター、打楽器、歌、手拍子、ときの男性ダ
ンサーの計6 人。で、やるのはもろにフラメンコ。次は、入れ代わりでお揃
いの服を来た男性9人が登場。伝統楽器/音階を用いて、もろなカッワーリ
ーのヴァイヴで会場を染めていく。それぞれ、30分ぐらいやったあと、今度
は両者がステージで仲良く並ぶ。そして、スペイン勢が延々やったあと、そ
のままノンストップでパフォーマンスはパキスタン勢になんなく引きつがれ
……。そんなのが2曲ぐらいあったあと、ついに両者はもろに一緒に演奏し
だす。まさに両方のデコボコの最大公約数を巧みに重ねたようなその共同演
奏はそれなりなものとして、生理的にイヤなものとしてでなく成り立つ。へ
え〜。そんな、少し奇天烈だけど謎ではないパフォーマンスに接し(最後、
カッワーリー勢は女性と一緒に音楽できていいナという眼差しをフラメンコ
軍団に向けていた。なーんて)、ぼくは今のワールド・ミュージックを成り
立たせている“鍵”のようなものがここにはあるナと考えたりも。
80年代後半、ワールド・ミュージックという括りが出てきたころは、自分
たちの物差し/価値観だけで音楽をやっていた“無意識な”音楽の担い手が
西側から主に拾い上げられ、魅力的なひっかりをもつ表現としてポップ音楽
愛好者に紹介された。だから、すでにそのころイナセな同時代ビート・ミュ
ージックとして認知されていたレゲエやサルサはワールド・ミュージックと
いう範疇からは離される事が多かったし、マルタン・メソニエのような翻訳
者が脚光を浴びたのだ。だが、あれから20年、より情報はイージーに伝搬し
やすくなり、基本インターネットだってどこだって使えるだろう。すると、
良くも悪くも今は“純潔”な感性で根っこと繋がった音楽をやることは困難
になっているし、皮膚感覚で自分たちの音楽が全然別の場所で受け入れられ
る予感を得たりもするのではないか。ドメスティックな感覚/立脚点を持ち
つつ、その一方では外の文化や様式を現地の彼らは認知し、それを無理なく
体内のどこかにに抱えている。自分たちのスタンダードともう一つの外の世
界を向いたスタンダード……。スペインのミュージシャンもパキスタンの伝
統音楽の担い手たちも、その両方をちゃんと持っており、外を向いたスタン
ダードを前に持ってくることで、あのとき彼らはソツなく重なることが出来
たのではないのかか。“Qawwali-Flamrnco Concert" に触れて、ぼくは
そんな事をしかと感じた。そして、二つのスタンダードを持つというのは、
今の多くの世界各地のワールド・ミュージックの担い手に共通していること
ではないのか。それは、我々がより容易に聞きやすいもの、面白いものとし
て、いろんなワールド・ミュージックが楽しめちゃう事に繋がっているはず
だ。
内と外の二つの価値感〜二つの基準の拮抗・溶解という用件があってこそ成
り立つのが、現在のワールド・ミュージックではないだろうか。ぼくがWO
MEDで見たアクトたちも、そうした内実を持つ表現者たちだった。音楽的
には、そうした“二つのスタンダード”が併置されるあり方が進むと、逆に
ドメステック/土着なスタンダードの比率が重視される時代が来るのかもし
れないけれど。蛇足だが、60年代後期、そういう二つの基準をぶつけること
で多大な音楽的魅力を得た表現がフェラ・クティのアフロ・ビート表現であ
ったろう。そして、彼の表現は比較的容易に非アフリカ音楽ファンの耳を掴
み、今も根強く支持され、生命感を逞しく維持している……。
WOMEX07
2007年10月25日 見たなか、印象に凝ったものをいくつかピックアップしておく。
まず、シューン・クティ&エジプト80。その名前から察せられるように、
フェラ・クティの息子であり、フェミ・クティ(2000年5月3日、2003年7
月30日)の異母弟となる。一夫多妻制を貫いたフェラだけに子供は沢山いる
のだろうが、このシューンは父が用いていたバンド名であるエジプト80を引
き継ぐことを許された、免許皆伝者なのだそう(誰がそれを判断したのかは
知らないが、そういう触れ込み)。が、それは実際のバンド音を聞くと、そ
れもあってしかるべきと思わせられる。もう強く、粘って、切れがある。い
いサウンドを出していて、見たとたんびっき〜んと来ちゃう。父親のバンド
よりも立体的にも聞こえて、いい奏者たち(女性ダンサー&バッキング・シ
ンガーを含め、20人はいたかな)を揃えている。もう、完璧な音だとうなる
。場が温まって、シューンが登場するわけだが、丸めの健やかな顔した彼は
20代半ばだろうか。締まった立派な体躯で、白と黒のシャツとパンツで着飾
っていることもあり、見栄えがする。彼の担当は父親と同じくヴォーカルと
アルト・サックス(オルガンはひかない)。アルトはけっこう下手くそであ
りゃ。だが、歌は声が太く、歯切れも良く、父親のそれよりはるか上の聞き
味をしめす。それだけで、存在理由は十二分じゃあ、と感激できる。音楽性
は父親が提出したものと変わらない。だが、変わらなくてもいいものを、よ
り輝きながらシューンは出している! それが、ぼくの所感だ。3曲入りの
ライヴCDを配っていたが、フル・アルバムの録音はこれから。が、フェラの
マネイジメントをやっていたという英国人が彼について、外に出ることを今
いろいろと画策中。ちょっと会うことが出来たそのリチャードさんはフジ・
ロックにもアプローチしていると言っていた。どうなるか判らないが、来年
はシューン・クティ&エジプト80の名前が世界中を席巻するのではないだろ
うか。
そして、アフリカ勢というと、コンゴのカサイ・オールスターズも多大な
印象を残した。コノノNo.1(2006 年8 月26、27日) を超える存在としてクラ
ムド・ディスクが送りだそうとしているキンシャサの大所帯グループだ。実
は昨年のWOMEXで大々的にお披露目されるはずがメンバーのヴィザの問
題でキャンセルとなり、改めて今年のWOMEXの場に立ったそうで、参加
者側の注目度も抜群。そんな彼らのパフォーマンスはけっこう練りこまれた
もので、びっくり。電気リケンベを用いてもいるが、シロフォンや各種打楽
器奏者もいるし、ギターもときにツイン・ギターだったりもし、本能一発の
ようなコノノNo.1と異なり、もっとヴァリエーション豊かな音を強弱を伴い
つつ出す。さらに、彼らは見せ方にもいろいろと留意していて、衣装には凝
っているし(1部の人は顔や身体に派手なペインティングも施す。それ、け
っこう時間がかかえりそう)、ダンス(印象度の高い女性ダンサー陣はみん
なぷっくりとお腹の出た人たち)や動きも歌詞の内容に則しているのだろう
寸劇的な要素もいろいろと含む。アレステッド・ディウェロップメント(20
00年4月27日、2000年8月5日、2001年2月3日、2002年4月17日)の
パパ・オジェのような、何もしない人もステージ横に鎮座。アレステッドは
よくアフリカのもろもろを研究していたのだのだナと思った。人の出入りの
激しいステージだが、登場する人の数は計15人ぐらいはいたかのな。ちゃん
と見せることに留意したショウを見せた彼らはちゃんと考えたライヴを行う
集団だった。リーダーのメソ・メソ(ヴォーカル、ギター、ダンス)は大学
出で、普段は図書館書士をしているのだとか。
一方、非アフリカ勢で一番ガツンと来たというか興奮させられちゃったの
が、現在欧州ツアー中であるイスラエル・ルーツを持つ人たちで結成されて
いるバルカン・ビート・ボックス。NY在住組3人とイスラエル在住組3人
からなり、レコーディングやツアーのときだけ彼らは合流するするという。
実はその中心人物の一人であるアルト・サックス奏者のオリ・カプランはか
つてフリー・ジャズをやっていた人で、ぼくはその実演をザ・ニッティング
・ファクトリーで見たことがあった(2000年8月15日を、参照のこと。上部
の[HOME]から行けます)といったように、いろんな音楽経験を持つミュー
ジシャンたちがヒップホップの何かを介した俺たちのビート・ミュージック
をやろうとしているのが“3B”であるのだが、その生パフォーマンスはな
んか生生しく、接する者を高揚させる力を持つ。特に、モヒカン頭をしたヴ
ォーカル&打楽器担当のトマー・ユセフは途中から上半身裸になり、引き締
まった体躯を見せて動きまわる。おお、見せる力アリ。まさに、生きたグロ
ーバル・ビート・ポップを送りだしているゾ、と実感できる。イケてる同時
代ライヴ・ミュージックとして、コレはありと思わせられる。フィッシュボ
ーン(2006年4月8日)とかオゾマトリ(2006年10月8日、他)とかと、ど
こか並べたくなる連中だとも思った。
それから、カポベルデ人両親を持ち、キューバ〜セネガルを経て、03年以
降パリに暮らすまだ22歳のシンガーのマリア・アンドラーデは可憐。バンド
を従え、ときにギターを持って歌ったりもする、伸びやかな歌声/佇まいは
相当に素敵だったな。さすがスペイン勢もいろいろ見たが、そんななか一番
印象に残ったのは、ラ・シカというスキンヘッドの若い女性。ちょいシアト
リカルな動きをしつつ、ニューウェイヴ・ポップ的な行き方に手拍子などフ
ラメンコ要素をまぶした事をやる。伝統とつながったやり方として、それは
アリだろう。で、返す刀で、日本の伝統音楽的要素を持つ聞きどころあるポ
ップ・ミュージックはありえるのかと自問。ないんじゃないかー、寂しいけ
ど。日本公演を別な公演に行って見れなかったテルマリーとか、見れてうれ
しかったのはいろいろ。
まず、シューン・クティ&エジプト80。その名前から察せられるように、
フェラ・クティの息子であり、フェミ・クティ(2000年5月3日、2003年7
月30日)の異母弟となる。一夫多妻制を貫いたフェラだけに子供は沢山いる
のだろうが、このシューンは父が用いていたバンド名であるエジプト80を引
き継ぐことを許された、免許皆伝者なのだそう(誰がそれを判断したのかは
知らないが、そういう触れ込み)。が、それは実際のバンド音を聞くと、そ
れもあってしかるべきと思わせられる。もう強く、粘って、切れがある。い
いサウンドを出していて、見たとたんびっき〜んと来ちゃう。父親のバンド
よりも立体的にも聞こえて、いい奏者たち(女性ダンサー&バッキング・シ
ンガーを含め、20人はいたかな)を揃えている。もう、完璧な音だとうなる
。場が温まって、シューンが登場するわけだが、丸めの健やかな顔した彼は
20代半ばだろうか。締まった立派な体躯で、白と黒のシャツとパンツで着飾
っていることもあり、見栄えがする。彼の担当は父親と同じくヴォーカルと
アルト・サックス(オルガンはひかない)。アルトはけっこう下手くそであ
りゃ。だが、歌は声が太く、歯切れも良く、父親のそれよりはるか上の聞き
味をしめす。それだけで、存在理由は十二分じゃあ、と感激できる。音楽性
は父親が提出したものと変わらない。だが、変わらなくてもいいものを、よ
り輝きながらシューンは出している! それが、ぼくの所感だ。3曲入りの
ライヴCDを配っていたが、フル・アルバムの録音はこれから。が、フェラの
マネイジメントをやっていたという英国人が彼について、外に出ることを今
いろいろと画策中。ちょっと会うことが出来たそのリチャードさんはフジ・
ロックにもアプローチしていると言っていた。どうなるか判らないが、来年
はシューン・クティ&エジプト80の名前が世界中を席巻するのではないだろ
うか。
そして、アフリカ勢というと、コンゴのカサイ・オールスターズも多大な
印象を残した。コノノNo.1(2006 年8 月26、27日) を超える存在としてクラ
ムド・ディスクが送りだそうとしているキンシャサの大所帯グループだ。実
は昨年のWOMEXで大々的にお披露目されるはずがメンバーのヴィザの問
題でキャンセルとなり、改めて今年のWOMEXの場に立ったそうで、参加
者側の注目度も抜群。そんな彼らのパフォーマンスはけっこう練りこまれた
もので、びっくり。電気リケンベを用いてもいるが、シロフォンや各種打楽
器奏者もいるし、ギターもときにツイン・ギターだったりもし、本能一発の
ようなコノノNo.1と異なり、もっとヴァリエーション豊かな音を強弱を伴い
つつ出す。さらに、彼らは見せ方にもいろいろと留意していて、衣装には凝
っているし(1部の人は顔や身体に派手なペインティングも施す。それ、け
っこう時間がかかえりそう)、ダンス(印象度の高い女性ダンサー陣はみん
なぷっくりとお腹の出た人たち)や動きも歌詞の内容に則しているのだろう
寸劇的な要素もいろいろと含む。アレステッド・ディウェロップメント(20
00年4月27日、2000年8月5日、2001年2月3日、2002年4月17日)の
パパ・オジェのような、何もしない人もステージ横に鎮座。アレステッドは
よくアフリカのもろもろを研究していたのだのだナと思った。人の出入りの
激しいステージだが、登場する人の数は計15人ぐらいはいたかのな。ちゃん
と見せることに留意したショウを見せた彼らはちゃんと考えたライヴを行う
集団だった。リーダーのメソ・メソ(ヴォーカル、ギター、ダンス)は大学
出で、普段は図書館書士をしているのだとか。
一方、非アフリカ勢で一番ガツンと来たというか興奮させられちゃったの
が、現在欧州ツアー中であるイスラエル・ルーツを持つ人たちで結成されて
いるバルカン・ビート・ボックス。NY在住組3人とイスラエル在住組3人
からなり、レコーディングやツアーのときだけ彼らは合流するするという。
実はその中心人物の一人であるアルト・サックス奏者のオリ・カプランはか
つてフリー・ジャズをやっていた人で、ぼくはその実演をザ・ニッティング
・ファクトリーで見たことがあった(2000年8月15日を、参照のこと。上部
の[HOME]から行けます)といったように、いろんな音楽経験を持つミュー
ジシャンたちがヒップホップの何かを介した俺たちのビート・ミュージック
をやろうとしているのが“3B”であるのだが、その生パフォーマンスはな
んか生生しく、接する者を高揚させる力を持つ。特に、モヒカン頭をしたヴ
ォーカル&打楽器担当のトマー・ユセフは途中から上半身裸になり、引き締
まった体躯を見せて動きまわる。おお、見せる力アリ。まさに、生きたグロ
ーバル・ビート・ポップを送りだしているゾ、と実感できる。イケてる同時
代ライヴ・ミュージックとして、コレはありと思わせられる。フィッシュボ
ーン(2006年4月8日)とかオゾマトリ(2006年10月8日、他)とかと、ど
こか並べたくなる連中だとも思った。
それから、カポベルデ人両親を持ち、キューバ〜セネガルを経て、03年以
降パリに暮らすまだ22歳のシンガーのマリア・アンドラーデは可憐。バンド
を従え、ときにギターを持って歌ったりもする、伸びやかな歌声/佇まいは
相当に素敵だったな。さすがスペイン勢もいろいろ見たが、そんななか一番
印象に残ったのは、ラ・シカというスキンヘッドの若い女性。ちょいシアト
リカルな動きをしつつ、ニューウェイヴ・ポップ的な行き方に手拍子などフ
ラメンコ要素をまぶした事をやる。伝統とつながったやり方として、それは
アリだろう。で、返す刀で、日本の伝統音楽的要素を持つ聞きどころあるポ
ップ・ミュージックはありえるのかと自問。ないんじゃないかー、寂しいけ
ど。日本公演を別な公演に行って見れなかったテルマリーとか、見れてうれ
しかったのはいろいろ。
WOMEX07
2007年10月24日 WOMEXとはThe World Music Expoの略。いわば、ワールド・ミュージ
ック業界の交流会で、毎年ひらかれ、そこそこの回を重ねている。マメなド
イツ人が主催、近年はスペインのセビーリャで行われている。主たる開催
日は25日から3日間。24日に窓口に行き、パスとともに、本やチラシ、CD
などがいろいろつまった専用のバッグをもらう。で、その晩は前夜祭的な公
演とともに、華やかにパーティが開かれた。
WOMEXを大きく分ければ、昼の部と夜の部がある。それぞれ会場を異
にして開かれ、昼の部は情報交換/ビジネス・ミーティングの場であり、夜
になると参加者はライヴをぞんぶんに享受する。セビーリャには10年強前
に一度来て観光した(現地のエキスパートが車で普通の観光客が行けないとこ
ろをいろいろと案内してくれた)ことがあったため、今回は観光はほば無し。
というか、以下にあるようにWOMEXは本当に盛り沢山で、それらをちゃ
んと受けようとすると観光の時間はあまりない。とはいいつつ、泊まったホ
テル近くの迷路のような古い街を歩くだけでも本当にスペインらしさ横溢で
感激させられたが。
で、昼間は幕張メッセのようなところ(宮殿みたいデザインを持つ、新し
い建物)が会場。広いがらんどうのスペースにワールド・ミュージック関連
のレコード・レーベル(日本のアオラ・ミュージックもブースをだしていた
)やプロダクション、音楽振興団体、音楽雑誌、WOMAD他フェス主催者
たち、その他によるブースがいろいろ出され、参加者はそれらを回る。ちょ
いと回ればすぐに山のようにCDや資料がもらえちゃう。興行やリリース・
ライセンスに係わる人と違い情報収拾が目的のぼくのような立場の人間は気
楽だよなあ(といいつつ、アーティストにインタヴューしたりもしたけど)
。また、違う棟ではレクチャーやライヴ(夜登場のアクトとは別に、毎日2
アーティストがパフォーム)やいろんな映画(ぼくは『From Manbo to Hip
Hop:A Bronx Tale』という作品や実在のバンドを題材に今のコンゴ/ キンシ
ャサの状況を伝えもする『Jupiter’s Dance』というドキュメンタリー・フィ
ルムを見た) が放映されたりもする。と書くと、結構理知整然としたものに
思えるかもしれないが、全体的には実に和気あいとした雰囲気が流れていて
、年一度の各国ワールド・ミュージック関係者の顔繋ぎ〜お祭りみたいな感
じ(ワールド音楽業界でWOMEXが果たしている割合は相当に高いはず。
だからこそ、盛況しているわけだ)にもなっているようだ。
夜の部(9時〜2時)はもっと市中心部にある別会場でライヴを大々的に
提供。こちらは一般の人にも有料で公開している。ライヴ会場A)はものす
ごい造形をもつ重厚な劇場とその横に作られた野外ステージの二つで、ライ
ヴ会場B)はそこから徒歩5分離れたものすごいデカい&古い寺院かなんか
の前庭みたいなところに作られた二つのテント(3.000 人規模のものか) …
…、ようは4つのステージを回して、いろんなアーティストが登場する。会
場B) のバーの深夜までいる売り子の女の子たちは未成年にしか見えなかっ
たが、どうなんだろう? また、会場A)の別スペースにはDJルームも設
けられ、夜の長いスペインのこと、ライヴ終了後もノルウェーやドイツのD
Jが日替わりでずっと回していたようだ。
余談だが(このブロックは同業者に向けての記述っす)、現地まで行くの
は大変だが、登録料は安いし(プレス登録で税込み、147 ユーロ)、事前の
情報提供もちゃんとしていて(ネットの専用サイトにはそうした参加者がち
ゃんと分かるようになっている、一度参加するとそれはずっと残される)、
前もって私たちのブースを覗いてくださいという案内メールが多数来たり、
気の早い所はCDを送ってきたりする。で、実際に会場でブースを回れば、
いろんな資料をなんなく貰えるわけで、200 枚強のCDを入手したか。梱包
しきれなくて、50枚ぐらいホテルに置いてきちゃいました。最初の登録のと
きにバッグのなかに入っていたそこそこ厚いECMのカタログ(なぜか入っ
ていた)など本/冊子の類も間引きせずにはいられなかった。とかなんとか
、現地でもらえるものだけで、十二分に2万円の価値はあるだろうし、もし
ワールド・ミュージック主体でやっている人ならまさに得難い多大な情報を
得られる“黄金の会”なのではないか。
ぼくがちょい見でもライヴに接したのは、以下のようなアーティストたち
。Yamandu costa (ブラジル)、Hazmat Modine(米国) 、Samputu &
Ingeli( ルワンダ) 、Maravilla de Florida( キューバ) 、Ensemble
"Altaikai"( ロシア) 、Vieux Farka Toure( マリ) 、Fanfara Tirana
( アルバニア) 、Shanbehzadeh Ensemble(イラン/ フランス) 、
Balkan Beat Box(米国/ イスラエル) 、Bajofondo Tangoclub(アルゼンチン
/ フランス) 、Tara Fuki(チェコ/ フランス) 、The Diz Plaatjies Ibuyambo Ensemble(南アフリカ) 、Jose Antonio Ramos( スペイン) 、
Kasai Allstars( コンゴ) 、Mamani Keita & Nicolas Repac
( マリ/ フランス) 、Marful(スペイン) 、La Shica( スペイン) 、Aman
Aman(スペイン) 、Mono Blanco(メキシコ) 、Seun Kuti &
Egypt80(ナイジェリア) 、Melingo( アルゼンチン/ フランス) 、
Majorstuen( ノルウェイ) 、Electric Kulintang( フィリピン/ キューバ/
米国) 、Marya Andrade(カーボ・ヴェルデ/フランス) 、
Gaiteirous de Lisboa( ポルトガル) 、Siba e a Fuloresta( ブラジル) 、Aamaailtman Vasarat(フィンランド) 、Lo Cor de la Plana
( フランス) 、Dengue Fever( カンボジア/ 米国) 、Telmary( キューバ) 。
うわあ、すげえ数。その内容を思い出せないものもいくつもあるが。
それから、実演は見ることが出来なかったが、Julie Fowlis( スコッ
トランド) は会場であった一番綺麗な人だった。とっても、性格良さそう!
また、3Canal(トリニダード・トバゴ)はNYを経て同地に住むという日本
人のワタナベさんが付き添っていた。
ック業界の交流会で、毎年ひらかれ、そこそこの回を重ねている。マメなド
イツ人が主催、近年はスペインのセビーリャで行われている。主たる開催
日は25日から3日間。24日に窓口に行き、パスとともに、本やチラシ、CD
などがいろいろつまった専用のバッグをもらう。で、その晩は前夜祭的な公
演とともに、華やかにパーティが開かれた。
WOMEXを大きく分ければ、昼の部と夜の部がある。それぞれ会場を異
にして開かれ、昼の部は情報交換/ビジネス・ミーティングの場であり、夜
になると参加者はライヴをぞんぶんに享受する。セビーリャには10年強前
に一度来て観光した(現地のエキスパートが車で普通の観光客が行けないとこ
ろをいろいろと案内してくれた)ことがあったため、今回は観光はほば無し。
というか、以下にあるようにWOMEXは本当に盛り沢山で、それらをちゃ
んと受けようとすると観光の時間はあまりない。とはいいつつ、泊まったホ
テル近くの迷路のような古い街を歩くだけでも本当にスペインらしさ横溢で
感激させられたが。
で、昼間は幕張メッセのようなところ(宮殿みたいデザインを持つ、新し
い建物)が会場。広いがらんどうのスペースにワールド・ミュージック関連
のレコード・レーベル(日本のアオラ・ミュージックもブースをだしていた
)やプロダクション、音楽振興団体、音楽雑誌、WOMAD他フェス主催者
たち、その他によるブースがいろいろ出され、参加者はそれらを回る。ちょ
いと回ればすぐに山のようにCDや資料がもらえちゃう。興行やリリース・
ライセンスに係わる人と違い情報収拾が目的のぼくのような立場の人間は気
楽だよなあ(といいつつ、アーティストにインタヴューしたりもしたけど)
。また、違う棟ではレクチャーやライヴ(夜登場のアクトとは別に、毎日2
アーティストがパフォーム)やいろんな映画(ぼくは『From Manbo to Hip
Hop:A Bronx Tale』という作品や実在のバンドを題材に今のコンゴ/ キンシ
ャサの状況を伝えもする『Jupiter’s Dance』というドキュメンタリー・フィ
ルムを見た) が放映されたりもする。と書くと、結構理知整然としたものに
思えるかもしれないが、全体的には実に和気あいとした雰囲気が流れていて
、年一度の各国ワールド・ミュージック関係者の顔繋ぎ〜お祭りみたいな感
じ(ワールド音楽業界でWOMEXが果たしている割合は相当に高いはず。
だからこそ、盛況しているわけだ)にもなっているようだ。
夜の部(9時〜2時)はもっと市中心部にある別会場でライヴを大々的に
提供。こちらは一般の人にも有料で公開している。ライヴ会場A)はものす
ごい造形をもつ重厚な劇場とその横に作られた野外ステージの二つで、ライ
ヴ会場B)はそこから徒歩5分離れたものすごいデカい&古い寺院かなんか
の前庭みたいなところに作られた二つのテント(3.000 人規模のものか) …
…、ようは4つのステージを回して、いろんなアーティストが登場する。会
場B) のバーの深夜までいる売り子の女の子たちは未成年にしか見えなかっ
たが、どうなんだろう? また、会場A)の別スペースにはDJルームも設
けられ、夜の長いスペインのこと、ライヴ終了後もノルウェーやドイツのD
Jが日替わりでずっと回していたようだ。
余談だが(このブロックは同業者に向けての記述っす)、現地まで行くの
は大変だが、登録料は安いし(プレス登録で税込み、147 ユーロ)、事前の
情報提供もちゃんとしていて(ネットの専用サイトにはそうした参加者がち
ゃんと分かるようになっている、一度参加するとそれはずっと残される)、
前もって私たちのブースを覗いてくださいという案内メールが多数来たり、
気の早い所はCDを送ってきたりする。で、実際に会場でブースを回れば、
いろんな資料をなんなく貰えるわけで、200 枚強のCDを入手したか。梱包
しきれなくて、50枚ぐらいホテルに置いてきちゃいました。最初の登録のと
きにバッグのなかに入っていたそこそこ厚いECMのカタログ(なぜか入っ
ていた)など本/冊子の類も間引きせずにはいられなかった。とかなんとか
、現地でもらえるものだけで、十二分に2万円の価値はあるだろうし、もし
ワールド・ミュージック主体でやっている人ならまさに得難い多大な情報を
得られる“黄金の会”なのではないか。
ぼくがちょい見でもライヴに接したのは、以下のようなアーティストたち
。Yamandu costa (ブラジル)、Hazmat Modine(米国) 、Samputu &
Ingeli( ルワンダ) 、Maravilla de Florida( キューバ) 、Ensemble
"Altaikai"( ロシア) 、Vieux Farka Toure( マリ) 、Fanfara Tirana
( アルバニア) 、Shanbehzadeh Ensemble(イラン/ フランス) 、
Balkan Beat Box(米国/ イスラエル) 、Bajofondo Tangoclub(アルゼンチン
/ フランス) 、Tara Fuki(チェコ/ フランス) 、The Diz Plaatjies Ibuyambo Ensemble(南アフリカ) 、Jose Antonio Ramos( スペイン) 、
Kasai Allstars( コンゴ) 、Mamani Keita & Nicolas Repac
( マリ/ フランス) 、Marful(スペイン) 、La Shica( スペイン) 、Aman
Aman(スペイン) 、Mono Blanco(メキシコ) 、Seun Kuti &
Egypt80(ナイジェリア) 、Melingo( アルゼンチン/ フランス) 、
Majorstuen( ノルウェイ) 、Electric Kulintang( フィリピン/ キューバ/
米国) 、Marya Andrade(カーボ・ヴェルデ/フランス) 、
Gaiteirous de Lisboa( ポルトガル) 、Siba e a Fuloresta( ブラジル) 、Aamaailtman Vasarat(フィンランド) 、Lo Cor de la Plana
( フランス) 、Dengue Fever( カンボジア/ 米国) 、Telmary( キューバ) 。
うわあ、すげえ数。その内容を思い出せないものもいくつもあるが。
それから、実演は見ることが出来なかったが、Julie Fowlis( スコッ
トランド) は会場であった一番綺麗な人だった。とっても、性格良さそう!
また、3Canal(トリニダード・トバゴ)はNYを経て同地に住むという日本
人のワタナベさんが付き添っていた。
アッシュ・グランワルド、ケラー・ウィリアムズ。アラン・トゥーサン
2007年10月21日 代官山・ユニット。ぼくのいる間、ずうっとバー・カウンターは列になっ
ていた。コノ晩ハ飲ム人ガ多カッタノダローカ? まず、オーストラリアの
現代“一人行為”ブルース・マンのアッシュ・グランワルドが登場。ボブ・
ログ三世(1999年10月17日)みたいにエフェクターや機材をうまくつかっ
て、一人で暴走ブルーズ表現を展開する人。オーストラリアのバイロンベイ
・ブルース・フェス(4月9日)ですでに見ているが、あんときより無骨、
線が太いと思ったか。声もデカいしね。途中で、友人のカリスマ・サーファ
ーであるデイヴ・ラスタヴィッチが加わりパーカッションを控え目に叩く。
40分ぐらいのパフォーマンスだったかな。
そして、“一人ジャム・バンド”なんて言われるケラー・ウィリアムズ。
中央のマイク・スタンドの左右に、ギターとベースが横に立てかけてある。
生ギターを弾きながら歌う彼はかなりまっとう。それだけでも、ファンを得
る質をもっているはず。が、彼はそれに終わらず、ギター音や歌に効果をか
け、リズム音もだし、左右の加工ギター音とベース音もサンプリングし、バ
ンドというしかない音ともにパフォーマンスを展開したりもする。おお、前
回来日時(2000年12月17日)と比べものにならないぐいらい機械の使い方
が巧みになっている。アクロバティックという言い方もできるかもしれない
が、危なげなし。日々、研鑽しているのか。なんか見た目が若々しく、酔狂
ではあるが、フレッシュに事にあたっていますという風情を彼はとても出し
ていたな。客からもすごい受けかたでした。が、途中で退出し、六本木に向
かう。さすが日曜夜は道がすいていて、タクシーで10分もかかからなかった。
六本木・ビルボードライブ東京。出演者はニューオーリンズの名プロデユ
ーサー/ソングライターで、ソロ表現にも得難い魅力を示してきたアラン・
トゥーサン(2006年5月31日、2006年6月1日)。サックス(サイド・ヴォ
ーカルも取る)、電気ベース、ドラムを従えてのパフォーマンス。なんか、
なんとなくいまいちドラムが気にいらないと思ったものの、今回のギグだけ
で組まれたバンドではなさそう。結構緩急つけたバッキングをするし、急に
終わったり別な曲に移っても涼しい顔して彼らはついてくるし。途中、メド
レー的につないだピアノ・ソロ的なパートもあったが、そうした気儘な鼻唄
キブンのパフォーマンスこそはこのニューオーリンズ粋人の真骨頂と思わす
ものがあたったな。そこには、ミシシッピー川岸の心地よいそよ風が吹いて
いた、なーんて。ラベルに書いてプロデュースした「レディ・マーマレード
」はさすが歌詞が歌詞だけ(エッチなの)にインストにて。同ザ・ポインタ
ー・シスターズの「イエス・ウィ・キャン・キャン」はちゃんと歌った。と
かなんとか、前回以上に自由自在という感じ。
とにもかくにも、いい曲が次々。メロディアスさとリズミックさをマジカ
ルに両立させたそうした曲群に触れながら、トゥーサンの事を大好きでかつ
て絡みたがったポール・マッカートニーの事を思い出す。結局、絶頂期のベー
シスト=マッカートニーが求めたことも、そういう事だったんだろうな。ア
ンコールが終わった後、彼は1階客席部を握手してぐるり回る。ああ、愛の
人。とっても満足げにやっていたし、来年も来るよと言っていた。触れて損
はなし、毎年でもニューオーリンズが生んだ至宝を味わいたい。とともに、
またニューオーリンズ(2007年2月2日〜6日)行きたくなってしょうがな
くなった。
月曜にもトゥーサンのライヴはあるが、ウィリアムズのショウを半端にし
てこの日に見てしまったのは、火曜からスペイン行きなため。ぜんぜん仕事
が片づいていない。なんだかんだで、まだのべ400 字X50枚書かなくてはい
けない。ううぇ〜ん。今年は海外渡航が多かったが、けっこうスラスラこな
したのになあ。元々、海外に出てまで仕事をするほど勤勉ではないし(とい
うか、違う環境にいて遊び呆けないほうがウソでしょう)、ワープロ/PC
の類も持って出ないワタシは絶対に片付けなくてはいけない。しかも、ちょ
い風邪ひいちゃってて、少しナーバス。わわ。
ていた。コノ晩ハ飲ム人ガ多カッタノダローカ? まず、オーストラリアの
現代“一人行為”ブルース・マンのアッシュ・グランワルドが登場。ボブ・
ログ三世(1999年10月17日)みたいにエフェクターや機材をうまくつかっ
て、一人で暴走ブルーズ表現を展開する人。オーストラリアのバイロンベイ
・ブルース・フェス(4月9日)ですでに見ているが、あんときより無骨、
線が太いと思ったか。声もデカいしね。途中で、友人のカリスマ・サーファ
ーであるデイヴ・ラスタヴィッチが加わりパーカッションを控え目に叩く。
40分ぐらいのパフォーマンスだったかな。
そして、“一人ジャム・バンド”なんて言われるケラー・ウィリアムズ。
中央のマイク・スタンドの左右に、ギターとベースが横に立てかけてある。
生ギターを弾きながら歌う彼はかなりまっとう。それだけでも、ファンを得
る質をもっているはず。が、彼はそれに終わらず、ギター音や歌に効果をか
け、リズム音もだし、左右の加工ギター音とベース音もサンプリングし、バ
ンドというしかない音ともにパフォーマンスを展開したりもする。おお、前
回来日時(2000年12月17日)と比べものにならないぐいらい機械の使い方
が巧みになっている。アクロバティックという言い方もできるかもしれない
が、危なげなし。日々、研鑽しているのか。なんか見た目が若々しく、酔狂
ではあるが、フレッシュに事にあたっていますという風情を彼はとても出し
ていたな。客からもすごい受けかたでした。が、途中で退出し、六本木に向
かう。さすが日曜夜は道がすいていて、タクシーで10分もかかからなかった。
六本木・ビルボードライブ東京。出演者はニューオーリンズの名プロデユ
ーサー/ソングライターで、ソロ表現にも得難い魅力を示してきたアラン・
トゥーサン(2006年5月31日、2006年6月1日)。サックス(サイド・ヴォ
ーカルも取る)、電気ベース、ドラムを従えてのパフォーマンス。なんか、
なんとなくいまいちドラムが気にいらないと思ったものの、今回のギグだけ
で組まれたバンドではなさそう。結構緩急つけたバッキングをするし、急に
終わったり別な曲に移っても涼しい顔して彼らはついてくるし。途中、メド
レー的につないだピアノ・ソロ的なパートもあったが、そうした気儘な鼻唄
キブンのパフォーマンスこそはこのニューオーリンズ粋人の真骨頂と思わす
ものがあたったな。そこには、ミシシッピー川岸の心地よいそよ風が吹いて
いた、なーんて。ラベルに書いてプロデュースした「レディ・マーマレード
」はさすが歌詞が歌詞だけ(エッチなの)にインストにて。同ザ・ポインタ
ー・シスターズの「イエス・ウィ・キャン・キャン」はちゃんと歌った。と
かなんとか、前回以上に自由自在という感じ。
とにもかくにも、いい曲が次々。メロディアスさとリズミックさをマジカ
ルに両立させたそうした曲群に触れながら、トゥーサンの事を大好きでかつ
て絡みたがったポール・マッカートニーの事を思い出す。結局、絶頂期のベー
シスト=マッカートニーが求めたことも、そういう事だったんだろうな。ア
ンコールが終わった後、彼は1階客席部を握手してぐるり回る。ああ、愛の
人。とっても満足げにやっていたし、来年も来るよと言っていた。触れて損
はなし、毎年でもニューオーリンズが生んだ至宝を味わいたい。とともに、
またニューオーリンズ(2007年2月2日〜6日)行きたくなってしょうがな
くなった。
月曜にもトゥーサンのライヴはあるが、ウィリアムズのショウを半端にし
てこの日に見てしまったのは、火曜からスペイン行きなため。ぜんぜん仕事
が片づいていない。なんだかんだで、まだのべ400 字X50枚書かなくてはい
けない。ううぇ〜ん。今年は海外渡航が多かったが、けっこうスラスラこな
したのになあ。元々、海外に出てまで仕事をするほど勤勉ではないし(とい
うか、違う環境にいて遊び呆けないほうがウソでしょう)、ワープロ/PC
の類も持って出ないワタシは絶対に片付けなくてはいけない。しかも、ちょ
い風邪ひいちゃってて、少しナーバス。わわ。
クリス・ブラウン。南博
2007年10月17日 遠目に、なんかオッパッピーの人と似てるな〜、なんて。全米1位曲獲得
者でもある今様R&B歌手の、2作目のアルバム・リリースを控えてのショ
ーケース・ライヴ。渋谷・O-イースト。DJをバックに、屈託なく歌い、踊
る。ときに男女ダンサーたちと絡んだりも。ズリさげたG−パン(それを見
て、落ちつかないのはオヤジの証拠か)にTシャツやタンクトップ(何度か
、上着は換えた)。過剰に洗練されず、気持ちを持ってのパフォーマンス。
今の同時代ユース・ミュージックとして、こういうのはアリなんだろな。と
、疑問を感じることなく接することが出来た。アンコールもたっぷりやり、
1時間を超えるパフォーマンスだったのではないか。
その後、六本木・STB139に。鈴木正人(2007年1月27日、他)と芳垣安洋
(2005年9月17日、他)を擁しての南博(2001年10月29日、2005年6月9日
、2005年9月11日、2007年4月12日)トリオ。そこに、弦楽四重奏がつく。
その弦音は生音のような気がしたが、けっこう大きな音が出るのだな。ある
種のクールネスと甘美なダンディズムが零れ出る……。
者でもある今様R&B歌手の、2作目のアルバム・リリースを控えてのショ
ーケース・ライヴ。渋谷・O-イースト。DJをバックに、屈託なく歌い、踊
る。ときに男女ダンサーたちと絡んだりも。ズリさげたG−パン(それを見
て、落ちつかないのはオヤジの証拠か)にTシャツやタンクトップ(何度か
、上着は換えた)。過剰に洗練されず、気持ちを持ってのパフォーマンス。
今の同時代ユース・ミュージックとして、こういうのはアリなんだろな。と
、疑問を感じることなく接することが出来た。アンコールもたっぷりやり、
1時間を超えるパフォーマンスだったのではないか。
その後、六本木・STB139に。鈴木正人(2007年1月27日、他)と芳垣安洋
(2005年9月17日、他)を擁しての南博(2001年10月29日、2005年6月9日
、2005年9月11日、2007年4月12日)トリオ。そこに、弦楽四重奏がつく。
その弦音は生音のような気がしたが、けっこう大きな音が出るのだな。ある
種のクールネスと甘美なダンディズムが零れ出る……。
スモール・セイルズ 13日(土)
2007年10月12日 米オレゴン州ポートランドの、ポスト・ロックなんても言われる今様イン
スト主体バンド。今回、ステージには3人(うち、一人はわりとドラムを叩
く)で登場。ギター他の生音と淡い電気音で文様を描いていくかのように、
ホワーンとした音を漂わせる。また、ステージ背面には映像も映し出される
(途中、装置に故障のあったようだが)。なるほど、それなりの視点と美意
識があったのではないか。ほのぼのとした風情の3人が気儘に持ち楽器を換
えて音楽を作っていく様は、なんか“ポートランドの、モレーノ+ドメニコ
+カシン(2001年5月18日、2006年6月27日、2007年7月25日)”とい
った感じが少ししたかも。渋谷・O−ネスト。
スト主体バンド。今回、ステージには3人(うち、一人はわりとドラムを叩
く)で登場。ギター他の生音と淡い電気音で文様を描いていくかのように、
ホワーンとした音を漂わせる。また、ステージ背面には映像も映し出される
(途中、装置に故障のあったようだが)。なるほど、それなりの視点と美意
識があったのではないか。ほのぼのとした風情の3人が気儘に持ち楽器を換
えて音楽を作っていく様は、なんか“ポートランドの、モレーノ+ドメニコ
+カシン(2001年5月18日、2006年6月27日、2007年7月25日)”とい
った感じが少ししたかも。渋谷・O−ネスト。
ティネカ・ポスマ。ザ・ヌマ・トリオ
2007年10月10日 ティネカ・ポスマはオランダの女性リード奏者。30才ちょいぐらいだろう
か、やはりオランダ人だろう奏者(ピアノ、ウッド・ベース、ドラム)を従
えてのパフォーマンスを聞かせる。彼女はアルト・サックスを主に吹くがこ
れがきっちりジャズの香りを持つスモーキーな弾き方が出来ていてほう。フ
レイジングも確か。純ジャズを愛でるがゆえに、多大な支持を集めるのは無
理だろうが、いてほしいタレントであると思った。場所は新橋・サムディ。
また一つ、新しいハコを知る。音にも気を配る、見やすいハコ。
そして、六本木・スーパーデラックスに移動して、メンフィス出身のマン
・ドライヴ・エレクトロニカ・バンドのザ・ヌマ・トリオ。おお、3人のル
ックスが若い。曲によってはラップトップ音も下敷きにしつつ、キーボード
、電気ベース、ドラムによる生演奏を繰り広げる。ドラムがしゃかりきにな
って叩くのは主に高速ドラムンベース系のビートで、キーボードは反復音が
中心。そんなに即興性はなく、曲調も類型的だが、クラブ・ミュージッック
時代のフュージョン・バンドといった感じで清々しく突っ走っていた。
か、やはりオランダ人だろう奏者(ピアノ、ウッド・ベース、ドラム)を従
えてのパフォーマンスを聞かせる。彼女はアルト・サックスを主に吹くがこ
れがきっちりジャズの香りを持つスモーキーな弾き方が出来ていてほう。フ
レイジングも確か。純ジャズを愛でるがゆえに、多大な支持を集めるのは無
理だろうが、いてほしいタレントであると思った。場所は新橋・サムディ。
また一つ、新しいハコを知る。音にも気を配る、見やすいハコ。
そして、六本木・スーパーデラックスに移動して、メンフィス出身のマン
・ドライヴ・エレクトロニカ・バンドのザ・ヌマ・トリオ。おお、3人のル
ックスが若い。曲によってはラップトップ音も下敷きにしつつ、キーボード
、電気ベース、ドラムによる生演奏を繰り広げる。ドラムがしゃかりきにな
って叩くのは主に高速ドラムンベース系のビートで、キーボードは反復音が
中心。そんなに即興性はなく、曲調も類型的だが、クラブ・ミュージッック
時代のフュージョン・バンドといった感じで清々しく突っ走っていた。
ソウライヴ、ベティ・ラヴェット。ジョン・トロペイ
2007年10月9日 渋谷・クラブクアトロ。ベティ・ラヴェットがゲストということで、途中
でソウライヴに混じって数曲歌うのかと思ったら、自分のバンドのもと1時
間近いショウをきっちり見せる。現在はアンタイとディールを持つ(マイケ
ル・フランティだのメイヴィス・ステイプルズだの、エピタフ傘下のアンタ
イはここのところ黒い逸材といろいろ契約しているなあ)、60才ぐらいには
なっているだろう、この豪快型R&Bシンガーも朝霧ジャム参加組だ。
白人で組まれたバンドはちょっとなあと感じさせる部分もあった(ソウラ
イヴのバッキングで歌ったら、どんな感じになるかと思わずにはいれれず)
が、当人は歌(かなり、喉に負担がかかりそうな歌唱法を見せていたが、ち
ゃんと声が出て、音程も確か)にせよ、MC(「次はジョー・サイモンの曲
よ。でも、私のほうが良く歌えるけど」とか、「今、46才。(え、そんな若
いワケは思ったら)、業界に入ってからね」と落としたり)にせよ、ステー
ジ運びにせよ(ステージからフロアに降りたりも)、なかなかでした。バン
ド音がけっこうロックぽいときもあり、総じてはティナ・ターナーと重なる
味を放出していたと言えるか。
その後、ソウライヴ(2000年8月12日、2001年2月1〜2日、2003年3月
31日、2004年4月1日、2005年7月30日、他)が登場。新作ではトゥーサ
ンというシンガーを加えて4人組のソウル・バンドとしての姿を見せた彼らだ
が、3人でのインスト表現もそれなりに聞かせて、全体としては歌入りと歌
なしの比率は五分五分という感じだったかな。演奏は豪快だが、少し荒くな
ったなあと思わせられるところもあった。一方、トゥーサンが入る歌曲(ロ
ッキン・ソウルと言いたくなる、がちんこした質感の曲が主)はぼくにとっ
ては起爆力大。実は、ラヴェットの後だと彼の不備も目立つ(音程や声に内
在する強さ、など)が、そんなの関係ねえって感じで鼓舞され、ぼくはぐい
ぐい身体を揺らしてしまった。楽しかったァ。めでたし、めでたし。彼らは
前作からコンコード/スタックスを通してアルバムを出しているが、人気の
ある日本では別会社からのリリース。米国コンコードで新生スタックスの新
録部門を担当するコリン・スタンバック(その前はヴァージンでザ・ネプチ
ューンズやケイリスを担当)はソウライヴが現代のブッカー・T&ザ・MG
ズ(かつての、スタックスのハウス・バンド)みたいな存在になるのを期待
する、なーんてことを会ったときに言っていたっけ。
そして、六本木に移り、ビルボードライブ東京(セカンド)で途中からと
なってしまったが、NYのギタリストのジョン・トロペイ(2004年1月27日
)の演奏を聞く。ギター、オルガン、リズム隊、サックスが腹八分目で重な
るわけだが、絶妙なプレイヤー間のコンビネーションや抑制されたなかから
浮かび上がる綾やひっかかりの存在には自分が驚くほど感服。これは、NY
のある種のミュージシャン・サークルならではの“微妙な良さ”があると言
わざるを得ない。なんでも、トロペイは普段オレはフュージョン・ギタリス
トじゃない、R&Bギタリストだと言っているそうだが。
でソウライヴに混じって数曲歌うのかと思ったら、自分のバンドのもと1時
間近いショウをきっちり見せる。現在はアンタイとディールを持つ(マイケ
ル・フランティだのメイヴィス・ステイプルズだの、エピタフ傘下のアンタ
イはここのところ黒い逸材といろいろ契約しているなあ)、60才ぐらいには
なっているだろう、この豪快型R&Bシンガーも朝霧ジャム参加組だ。
白人で組まれたバンドはちょっとなあと感じさせる部分もあった(ソウラ
イヴのバッキングで歌ったら、どんな感じになるかと思わずにはいれれず)
が、当人は歌(かなり、喉に負担がかかりそうな歌唱法を見せていたが、ち
ゃんと声が出て、音程も確か)にせよ、MC(「次はジョー・サイモンの曲
よ。でも、私のほうが良く歌えるけど」とか、「今、46才。(え、そんな若
いワケは思ったら)、業界に入ってからね」と落としたり)にせよ、ステー
ジ運びにせよ(ステージからフロアに降りたりも)、なかなかでした。バン
ド音がけっこうロックぽいときもあり、総じてはティナ・ターナーと重なる
味を放出していたと言えるか。
その後、ソウライヴ(2000年8月12日、2001年2月1〜2日、2003年3月
31日、2004年4月1日、2005年7月30日、他)が登場。新作ではトゥーサ
ンというシンガーを加えて4人組のソウル・バンドとしての姿を見せた彼らだ
が、3人でのインスト表現もそれなりに聞かせて、全体としては歌入りと歌
なしの比率は五分五分という感じだったかな。演奏は豪快だが、少し荒くな
ったなあと思わせられるところもあった。一方、トゥーサンが入る歌曲(ロ
ッキン・ソウルと言いたくなる、がちんこした質感の曲が主)はぼくにとっ
ては起爆力大。実は、ラヴェットの後だと彼の不備も目立つ(音程や声に内
在する強さ、など)が、そんなの関係ねえって感じで鼓舞され、ぼくはぐい
ぐい身体を揺らしてしまった。楽しかったァ。めでたし、めでたし。彼らは
前作からコンコード/スタックスを通してアルバムを出しているが、人気の
ある日本では別会社からのリリース。米国コンコードで新生スタックスの新
録部門を担当するコリン・スタンバック(その前はヴァージンでザ・ネプチ
ューンズやケイリスを担当)はソウライヴが現代のブッカー・T&ザ・MG
ズ(かつての、スタックスのハウス・バンド)みたいな存在になるのを期待
する、なーんてことを会ったときに言っていたっけ。
そして、六本木に移り、ビルボードライブ東京(セカンド)で途中からと
なってしまったが、NYのギタリストのジョン・トロペイ(2004年1月27日
)の演奏を聞く。ギター、オルガン、リズム隊、サックスが腹八分目で重な
るわけだが、絶妙なプレイヤー間のコンビネーションや抑制されたなかから
浮かび上がる綾やひっかかりの存在には自分が驚くほど感服。これは、NY
のある種のミュージシャン・サークルならではの“微妙な良さ”があると言
わざるを得ない。なんでも、トロペイは普段オレはフュージョン・ギタリス
トじゃない、R&Bギタリストだと言っているそうだが。
オゾマトリ
2007年10月8日 代官山・ユニット。見るのが、今年2回目のオゾ(2001年10月13日、2
002年3月14日、2005年3月17日、2007年4月8日)。この4月のときは
よっぱらっていたのでいまや殆ど覚えてないが、大傑作と信じる07年新作
(あの、キャッチーさはたいしたもの。それは、本人たちも狙ったこととの
こと)の曲はそれほど多くなかったが、構成を変えたりしてて、新鮮さを感
じさせられて、ウヒヒだった。最後の客席におりての儀式はこれまでどおり。
そんな彼らは中国の2か所でやってきて、この後は韓国に行く。ともに、初め
てとか。それから、今回の(この東京公演に先立つ)朝霧ジャムでのギグは
本人たちの中でも非常に満足の行くもので、ここのところのハイライト的
なパフォーマンスになったそう。
002年3月14日、2005年3月17日、2007年4月8日)。この4月のときは
よっぱらっていたのでいまや殆ど覚えてないが、大傑作と信じる07年新作
(あの、キャッチーさはたいしたもの。それは、本人たちも狙ったこととの
こと)の曲はそれほど多くなかったが、構成を変えたりしてて、新鮮さを感
じさせられて、ウヒヒだった。最後の客席におりての儀式はこれまでどおり。
そんな彼らは中国の2か所でやってきて、この後は韓国に行く。ともに、初め
てとか。それから、今回の(この東京公演に先立つ)朝霧ジャムでのギグは
本人たちの中でも非常に満足の行くもので、ここのところのハイライト的
なパフォーマンスになったそう。
アブダル・マリクー
2007年10月5日 フランスで結構な話題を呼んでいる黒人ポエット/ラッパー。日仏学院・
ブラッセリー。DJをしたがえてのシンプルな設定で、自分の言葉を心こめ
て披露する。通訳を交えて、1曲1曲言わんとすることや背景を伝えるが、
ものすごくいい子チャンというか、あまりに理想主義に満ちたものでちょ
い痒い。人でなしラップの内容にも引いちゃうぼくのなのになあ。フロウは
軽量級、が、それ自体はちゃんと質をもつものだろう。さすが話題の人らし
く、小さな会場はフル・ハウスで、客からはあまりに熱い歓声が送られる。
が、アンコール曲の用意はなかったらしく(とはいえ、本編も6曲ぐらしか
やらなかったけど)、アイドル歌手みたいに最後の曲をまたマジメにやる。
うーん、フリーフォームでやっちゃうとか、頭のなかにある自分の詩を即興
でループ音に乗せて披露するとか、そういう根性はなかったか。それ、“箱
庭”のなかの表現という、印象を残すものだった。悪くはないが、疑問も感
じた。ストリート/ユース・カルチャーとしての肉声表現ではなく、アート
/穏健な人向けのラップをやっている、そういう説明もあるかな。
彼は3日に見たウェリー・ビー・ケアフルと並んでこの土日に開かれる朝
霧ジャム(2001年10月13日)に出る。そちらにはバンドで出演するというが
、手触りは変わるだろうか。ともあれ、週明けもそこに出た2アーティスト
を見るし、そんなことなら朝霧に行けばよかったとも思う(今年は、出演者
がオレ好みの人が多かったんだろな)。まあ、土日の用事が入ってしまって
いて、それは不可能だったのだが。出演者はギリギリにならないと判らない
ないのは辛い。環境の良さは知っているし、バカ騒ぎは好きだが、キャンプ
の趣味や寒さに震える趣味はないので、出るアーティストが判らないとなか
なか行く踏ん切りはつかないもんなあ。
ブラッセリー。DJをしたがえてのシンプルな設定で、自分の言葉を心こめ
て披露する。通訳を交えて、1曲1曲言わんとすることや背景を伝えるが、
ものすごくいい子チャンというか、あまりに理想主義に満ちたものでちょ
い痒い。人でなしラップの内容にも引いちゃうぼくのなのになあ。フロウは
軽量級、が、それ自体はちゃんと質をもつものだろう。さすが話題の人らし
く、小さな会場はフル・ハウスで、客からはあまりに熱い歓声が送られる。
が、アンコール曲の用意はなかったらしく(とはいえ、本編も6曲ぐらしか
やらなかったけど)、アイドル歌手みたいに最後の曲をまたマジメにやる。
うーん、フリーフォームでやっちゃうとか、頭のなかにある自分の詩を即興
でループ音に乗せて披露するとか、そういう根性はなかったか。それ、“箱
庭”のなかの表現という、印象を残すものだった。悪くはないが、疑問も感
じた。ストリート/ユース・カルチャーとしての肉声表現ではなく、アート
/穏健な人向けのラップをやっている、そういう説明もあるかな。
彼は3日に見たウェリー・ビー・ケアフルと並んでこの土日に開かれる朝
霧ジャム(2001年10月13日)に出る。そちらにはバンドで出演するというが
、手触りは変わるだろうか。ともあれ、週明けもそこに出た2アーティスト
を見るし、そんなことなら朝霧に行けばよかったとも思う(今年は、出演者
がオレ好みの人が多かったんだろな)。まあ、土日の用事が入ってしまって
いて、それは不可能だったのだが。出演者はギリギリにならないと判らない
ないのは辛い。環境の良さは知っているし、バカ騒ぎは好きだが、キャンプ
の趣味や寒さに震える趣味はないので、出るアーティストが判らないとなか
なか行く踏ん切りはつかないもんなあ。
ナインティーン・ナインティーンズ、マラジューブ
2007年10月4日 代官山・ユニット、若手の新進ロック・バンドが二つ出演。まず、カナダ
のフランス語圏出身の5人組、マラジューブがパフォーマンス。ポップでエ
モーショナルな曲調が売りで、演奏パートもときに延々とやる。ある種の情
熱と美意識はあるような。インスト部は芸がないと感じ、ぼくにはナッシン
グだったものの、他の同業者には好印象だったよう。そして、もうひとつは
グラスゴーのビート・バンドのナインティーン・ナインティーンズ。メリハ
リのある明快曲を小気味よく送り出してきてすぐにニコリ。が、途中から訴
求力が失速。ビールの口休めでかったここの赤のグラス・ワインは劣化して
てマズっ。酒にいやしいぼくが全部のめなかった。
のフランス語圏出身の5人組、マラジューブがパフォーマンス。ポップでエ
モーショナルな曲調が売りで、演奏パートもときに延々とやる。ある種の情
熱と美意識はあるような。インスト部は芸がないと感じ、ぼくにはナッシン
グだったものの、他の同業者には好印象だったよう。そして、もうひとつは
グラスゴーのビート・バンドのナインティーン・ナインティーンズ。メリハ
リのある明快曲を小気味よく送り出してきてすぐにニコリ。が、途中から訴
求力が失速。ビールの口休めでかったここの赤のグラス・ワインは劣化して
てマズっ。酒にいやしいぼくが全部のめなかった。
ロバート・グラスパー。ヴェリー・ビー・ケアフル
2007年10月3日 丸の内・コットンクラブ(セカンド・ショウ)。近年のジャズ・ピアニス
トのなかでは、ぼくは彼をトップに買っているのかな。テキサス州出身NY
在住、ジェイソン・モラン(1月16、17日)は高校の先輩で、ビヨンセ(2
001年6月25日、2006年9月4日)は2年後輩となる。過去、グラスパーは仲
良しのビラルのサマソニ来日(2001年8月18日)他、何度かサイドマンで来
日している。
アルバムがそうであるように今はトリオで行きたい気分だそうで、ベース
はアルバムでも弾いているヴィンセンテ・アーチャー、ドラムはチャールズ
・ロイドのワーキング・メンバーでその来日時(2005年5月11日)もいい演
奏を聞かせたエリック・ハーランド。かなりヒップホップ・アクセントを下
敷きにした人力ビートに乗って、ジャズの流儀や美意識に則ったピアノが瑞
々しく溢れだす……。
アンコールを含め4曲をやったが、うち2曲は新曲とか(既発曲は新作か
らのものではなく、その前作のブルーノート移籍第一作の収録曲だった)。実
は、ハーランドは予定されていたドラマーが駄目になって(初日は、ピアノ
とベースのデュオでやったそう。それはそれで、貴重なパフォーマンスだな
ー)、急遽来日した(彼のほうが、ずっと有名人だが)。いく
ら、高校の同級生とはいえ、けっこう複雑に構成されている曲を傍目にはな
んの問題もなく叩ききっていたのはお見事! 3曲目はブギウギやストライ
ド・ピアノを素材におきつつ、左右の指が別なテンポで動いていって新たな
局面を描こうとする。ブラッド・メルドーもびっくりの左右の自在のバラン
ス感はCDで示される以上で、本当にびっくり。聞けば、それが出来るように
なるためにはかなり練習したという。また、大好きなジャズ・ピアニストは
まずチック・コリアだそうで、これにもびっくり。アンコールでの淡い電気
効果音を併用したバラードも絶品だった。
やっぱり、彼は若い世代が触れるべき純ジャズ・ピアニストの最たる存在
だと思う。
そのあと、渋谷に移動。ザ・ゲームで、ヴェリー・ビー・ケアフルを見る
。ラテン系音楽と繋がったバンドやDJが出るパーティへの出演。LAベー
スのクンビア/バジェナートの5人組でコロンビア出身者だけで組まれてい
るのかと思ったら、コロンビアン・アメリカンはアコーディオン/歌とベー
スのガズマン兄弟だけ。あとはチカーノ二人と、ペルー/プエルトリコの血
をひいているのが一人。今月でちょうど結成10年、ずっと同じメンバーでや
っているそうだ。
フジ・ロック(04年7月31日)で見てぼくは望外にヤラれてしまったのだ
が、やはりこの日の実演も塩辛くて、哀愁があって、人間ぽくて、ようはい
い味が充満していて、浮かれる。昼間に取材をしたのだが、よく考えている
ところと天然なところがまざっている感じ。いろんな同時代音楽を楽しみつ
つ、一方でマジな姿勢でバジェナートをやろうとするとこーなったという感
じのようだ。オゾマトリとは昔は一緒にやったりしたけど、今はあちらが有
名になってしまって距離ができちゃったナとのこと。
トのなかでは、ぼくは彼をトップに買っているのかな。テキサス州出身NY
在住、ジェイソン・モラン(1月16、17日)は高校の先輩で、ビヨンセ(2
001年6月25日、2006年9月4日)は2年後輩となる。過去、グラスパーは仲
良しのビラルのサマソニ来日(2001年8月18日)他、何度かサイドマンで来
日している。
アルバムがそうであるように今はトリオで行きたい気分だそうで、ベース
はアルバムでも弾いているヴィンセンテ・アーチャー、ドラムはチャールズ
・ロイドのワーキング・メンバーでその来日時(2005年5月11日)もいい演
奏を聞かせたエリック・ハーランド。かなりヒップホップ・アクセントを下
敷きにした人力ビートに乗って、ジャズの流儀や美意識に則ったピアノが瑞
々しく溢れだす……。
アンコールを含め4曲をやったが、うち2曲は新曲とか(既発曲は新作か
らのものではなく、その前作のブルーノート移籍第一作の収録曲だった)。実
は、ハーランドは予定されていたドラマーが駄目になって(初日は、ピアノ
とベースのデュオでやったそう。それはそれで、貴重なパフォーマンスだな
ー)、急遽来日した(彼のほうが、ずっと有名人だが)。いく
ら、高校の同級生とはいえ、けっこう複雑に構成されている曲を傍目にはな
んの問題もなく叩ききっていたのはお見事! 3曲目はブギウギやストライ
ド・ピアノを素材におきつつ、左右の指が別なテンポで動いていって新たな
局面を描こうとする。ブラッド・メルドーもびっくりの左右の自在のバラン
ス感はCDで示される以上で、本当にびっくり。聞けば、それが出来るように
なるためにはかなり練習したという。また、大好きなジャズ・ピアニストは
まずチック・コリアだそうで、これにもびっくり。アンコールでの淡い電気
効果音を併用したバラードも絶品だった。
やっぱり、彼は若い世代が触れるべき純ジャズ・ピアニストの最たる存在
だと思う。
そのあと、渋谷に移動。ザ・ゲームで、ヴェリー・ビー・ケアフルを見る
。ラテン系音楽と繋がったバンドやDJが出るパーティへの出演。LAベー
スのクンビア/バジェナートの5人組でコロンビア出身者だけで組まれてい
るのかと思ったら、コロンビアン・アメリカンはアコーディオン/歌とベー
スのガズマン兄弟だけ。あとはチカーノ二人と、ペルー/プエルトリコの血
をひいているのが一人。今月でちょうど結成10年、ずっと同じメンバーでや
っているそうだ。
フジ・ロック(04年7月31日)で見てぼくは望外にヤラれてしまったのだ
が、やはりこの日の実演も塩辛くて、哀愁があって、人間ぽくて、ようはい
い味が充満していて、浮かれる。昼間に取材をしたのだが、よく考えている
ところと天然なところがまざっている感じ。いろんな同時代音楽を楽しみつ
つ、一方でマジな姿勢でバジェナートをやろうとするとこーなったという感
じのようだ。オゾマトリとは昔は一緒にやったりしたけど、今はあちらが有
名になってしまって距離ができちゃったナとのこと。
チック・コリア&ベラ・フレック
2007年10月1日 ジャズ界の人気ピアニスト(2006年9月3日)とジャム・バンド界の人気
バンジョー奏者(2000年8月12日)、共演デュオ・アルバムを経ての、二
人だけのパフォーマンス。大人、洒脱、アメリカ人、そうしたキーワードが
思い浮かぶ、軽め(とは感じるものの、もう少し明快な楽曲を素材にしても
いいんじゃないかとも感じる。けっこう、とりとめのない曲や暗めの曲をや
っていた)の対話が淡々と繰り広げられた。南青山・ブルーノート東京、フ
ァースト。
バンジョー奏者(2000年8月12日)、共演デュオ・アルバムを経ての、二
人だけのパフォーマンス。大人、洒脱、アメリカ人、そうしたキーワードが
思い浮かぶ、軽め(とは感じるものの、もう少し明快な楽曲を素材にしても
いいんじゃないかとも感じる。けっこう、とりとめのない曲や暗めの曲をや
っていた)の対話が淡々と繰り広げられた。南青山・ブルーノート東京、フ
ァースト。
タラフ・ドゥ・ハイドゥークス。UNKIE
2007年9月26日 渋谷・O−イースト。なんと、このルーマニアのジプシー音楽集団(2000
年5月21日、2001年9月2日、2003年8月30日、2004年10月19日、2005年
11月7日)の来日は今回で6度目の来日となるのだとか。今回はくるりが主
催する京都の大野外フェス出演もあったりして、その縁でくるりが進行役(
2部構成で、2部のはじめにメンバーを一人ひとり呼び込む)をした。
いい感じのヤレたじじいの多い集団ではあるが、最初の来日メンバーと比
べると死んじゃった人が複数いるらしい。だが、バンドは続く。新作では、
ジプシー音楽を素材とするバルトークのクラシック曲なんかも逆カヴァーし
ていたが、今回はそうしたクラシック曲もしたたかに取り上げる。おらおら
あ、これも俺たちと繋がったもの、文句あっかって感じい? 無条件に何か
を鼓舞するところ、そして自分の足元をふと見つめ直させるところがあるよ
なあ。今に始まったことではないが。
そして、下北沢に行き、クラブ251 。すでに始まっていたが、ロック・イ
ンスト・トリオのUNKIE(2006年3月23日)を見る。インプロヴィゼイ
ション要素をできるだけ排して、構成/かみ合いの妙を求めるようにしてい
るようだが(事実、変化に富む曲の尺は短め。3倍ぐらいに伸ばそうとすれ
ば可能だったはずだが)、カチとしたなかで綾や刺や突起を描くのが醍醐味
といった感じかな。
それにしても、カウンターの近くにいたせいかもしれないが、一時タバコ
の煙がきつかったア。ライヴ会場であれほど煙いと思ったのは久しぶり(と
いうか、禁煙の会場が増えているんだろうな)。ここのところ、煙草の煙に
一段と弱くなっているのを感じる。ぼくが他人といさかいを起こすとしたら
、きっと煙草の煙をめぐってだろう。傍若無人な歩き煙草をとがめたら、そ
の相手が危ない人でいきなりナイフでブスリと刺されちゃう……マジにそん
なことが起こりそうで怖い。煙草を吸うのは自由じゃないかと主張する人が
いるが、まったくもってそのとおり。ぼくがイヤなのは喫煙という習慣では
なく、他の人が発する煙草の煙や臭いをかがされること。だから、他の人に
煙が行かないプライヴェイトな場所ならば勝手に山ほど吸っとくれ。だが、
公の場所であるならば、喫煙者の出す煙は間違いなく近くにいる人にも触れ
るのだというのを自覚してほしい。オナラをぷーぷー垂れ流ししている人が
側にいて、望みもしないのにその臭いを嗅がされたら誰だってムカっと来る
でしょ。煙が駄目な人はオナラ以上にイヤかもしれないのだよ。と、自分の
飲酒癖は他の人に迷惑をかけていないか危惧しつつ、これを書いている。
年5月21日、2001年9月2日、2003年8月30日、2004年10月19日、2005年
11月7日)の来日は今回で6度目の来日となるのだとか。今回はくるりが主
催する京都の大野外フェス出演もあったりして、その縁でくるりが進行役(
2部構成で、2部のはじめにメンバーを一人ひとり呼び込む)をした。
いい感じのヤレたじじいの多い集団ではあるが、最初の来日メンバーと比
べると死んじゃった人が複数いるらしい。だが、バンドは続く。新作では、
ジプシー音楽を素材とするバルトークのクラシック曲なんかも逆カヴァーし
ていたが、今回はそうしたクラシック曲もしたたかに取り上げる。おらおら
あ、これも俺たちと繋がったもの、文句あっかって感じい? 無条件に何か
を鼓舞するところ、そして自分の足元をふと見つめ直させるところがあるよ
なあ。今に始まったことではないが。
そして、下北沢に行き、クラブ251 。すでに始まっていたが、ロック・イ
ンスト・トリオのUNKIE(2006年3月23日)を見る。インプロヴィゼイ
ション要素をできるだけ排して、構成/かみ合いの妙を求めるようにしてい
るようだが(事実、変化に富む曲の尺は短め。3倍ぐらいに伸ばそうとすれ
ば可能だったはずだが)、カチとしたなかで綾や刺や突起を描くのが醍醐味
といった感じかな。
それにしても、カウンターの近くにいたせいかもしれないが、一時タバコ
の煙がきつかったア。ライヴ会場であれほど煙いと思ったのは久しぶり(と
いうか、禁煙の会場が増えているんだろうな)。ここのところ、煙草の煙に
一段と弱くなっているのを感じる。ぼくが他人といさかいを起こすとしたら
、きっと煙草の煙をめぐってだろう。傍若無人な歩き煙草をとがめたら、そ
の相手が危ない人でいきなりナイフでブスリと刺されちゃう……マジにそん
なことが起こりそうで怖い。煙草を吸うのは自由じゃないかと主張する人が
いるが、まったくもってそのとおり。ぼくがイヤなのは喫煙という習慣では
なく、他の人が発する煙草の煙や臭いをかがされること。だから、他の人に
煙が行かないプライヴェイトな場所ならば勝手に山ほど吸っとくれ。だが、
公の場所であるならば、喫煙者の出す煙は間違いなく近くにいる人にも触れ
るのだというのを自覚してほしい。オナラをぷーぷー垂れ流ししている人が
側にいて、望みもしないのにその臭いを嗅がされたら誰だってムカっと来る
でしょ。煙が駄目な人はオナラ以上にイヤかもしれないのだよ。と、自分の
飲酒癖は他の人に迷惑をかけていないか危惧しつつ、これを書いている。
テテ、クラムボン
2007年9月24日 前回(2005年3月18日)と同じく、渋谷・クラブクアトロ。前座にクラム
ボン。初めて見たが、素敵なグループだあ。天衣無縫なノリを持つシンガー
/キーボーディストと味とスキルを併せ持つリズム隊がとても効果的に絡み
合う。楽曲の感覚もかなり好み。時間は短かったが、彼女たちに触れただけ
で、今日ライヴに来た甲斐があったと思ってしまったな。なんでも、テテが
前回来日中にクラムボンの曲を偶然耳にして、CDを全部買いそろえるほど
大ファンになってしまったのだそう。
で、本編。かなり混んでいて、テテが固定客を多大に獲得しているのを実
感できる。今回も生ギター一本の弾き語りで勝負。話はとぶが、彼の場合、
生ギター音をプラグして(ギターを代えたるときも乱暴にさしてブチブチ音
を出す)もいるので、エレクトリック・ギターを使ってもいいんじゃないか
と思ったりも。元々いろんな英米ロックに触れて音楽をやりだすようになっ
た人と伝えきくゆえ、余計にぼくはそう感じる。彼が頑にアコースティック
・ギターを用い、バンドを用いずに弾き語りライヴに終始するのはどうして
なんだろうか。えてしてフォーク嫌いのぼくはそう思わずにはいられません。
今回はケイという爆発した髪形をもつバッキング・シンガーを連れてきて
もいる。リードを取ることはないが、彼女はいろいろとでしゃばらずに絡み
、変化や広がりに貢献する。とはいえ、基本的なノリは前回とそれほど変わ
りはないか。今回のほうが訥々としたフォーキー曲をやるという印象をぼく
を得たのと、曲によっては少しブルージィなギターの弾き方をしていたのは
耳新しかった。なんでも、彼は現在ブルース・モードにあるらしい。
なーんて書いても、公演の持ち味は全然書き留めることにはならないかも
。だって、とんでもなく真心と愛あふれた人懐いアフリカ系フランス人がそ
こにいて、そのなんとも嬉しいキャラクターが口惜しいほど伝わってくるこ
とこそが彼のショウのすべてであると思わせられるから。そういう面では前
回も今回もなんら変わりがないしね。彼はステージを下りたときのファン扱
いもとても丁寧らしい。
アンコールではテテ勢とクラムボンがザ・ビートルズの「アクロス・ザ・
ユニヴァース」をほんわか一緒にやった。そして、また二人でやったが、最
後の曲は前回来日時と同じようにボブ・マーリーの「リデンプション・ソン
グ」。よほどボブ・マーリーが好きなのねと思ったら、前日のクアトロ公演
ではやらなかったそう。
ボン。初めて見たが、素敵なグループだあ。天衣無縫なノリを持つシンガー
/キーボーディストと味とスキルを併せ持つリズム隊がとても効果的に絡み
合う。楽曲の感覚もかなり好み。時間は短かったが、彼女たちに触れただけ
で、今日ライヴに来た甲斐があったと思ってしまったな。なんでも、テテが
前回来日中にクラムボンの曲を偶然耳にして、CDを全部買いそろえるほど
大ファンになってしまったのだそう。
で、本編。かなり混んでいて、テテが固定客を多大に獲得しているのを実
感できる。今回も生ギター一本の弾き語りで勝負。話はとぶが、彼の場合、
生ギター音をプラグして(ギターを代えたるときも乱暴にさしてブチブチ音
を出す)もいるので、エレクトリック・ギターを使ってもいいんじゃないか
と思ったりも。元々いろんな英米ロックに触れて音楽をやりだすようになっ
た人と伝えきくゆえ、余計にぼくはそう感じる。彼が頑にアコースティック
・ギターを用い、バンドを用いずに弾き語りライヴに終始するのはどうして
なんだろうか。えてしてフォーク嫌いのぼくはそう思わずにはいられません。
今回はケイという爆発した髪形をもつバッキング・シンガーを連れてきて
もいる。リードを取ることはないが、彼女はいろいろとでしゃばらずに絡み
、変化や広がりに貢献する。とはいえ、基本的なノリは前回とそれほど変わ
りはないか。今回のほうが訥々としたフォーキー曲をやるという印象をぼく
を得たのと、曲によっては少しブルージィなギターの弾き方をしていたのは
耳新しかった。なんでも、彼は現在ブルース・モードにあるらしい。
なーんて書いても、公演の持ち味は全然書き留めることにはならないかも
。だって、とんでもなく真心と愛あふれた人懐いアフリカ系フランス人がそ
こにいて、そのなんとも嬉しいキャラクターが口惜しいほど伝わってくるこ
とこそが彼のショウのすべてであると思わせられるから。そういう面では前
回も今回もなんら変わりがないしね。彼はステージを下りたときのファン扱
いもとても丁寧らしい。
アンコールではテテ勢とクラムボンがザ・ビートルズの「アクロス・ザ・
ユニヴァース」をほんわか一緒にやった。そして、また二人でやったが、最
後の曲は前回来日時と同じようにボブ・マーリーの「リデンプション・ソン
グ」。よほどボブ・マーリーが好きなのねと思ったら、前日のクアトロ公演
ではやらなかったそう。