恒松正敏グループ
2008年2月18日 元フリクション、E.D.P.Sのギタリスト/シンガーの新作リリースをフォロウする公演。一番最初に出てきた、CD-Rと名のる青年(機材でビート音を出し、声を上げたり、痙攣するように踊ったり)は息子さんだとか。さらに、二組のサポート・アクトを経て、真打ちがでてくるが、そのころにはけっこう酔っぱらってしまったな。
実力者&強面のリズム隊を従えて、無理なく走る。かつての真性ニューウェイヴも見事にオールドウェイヴ。というか、齢を重ねるとともに、より味を伴う、普遍的なロックを求めるようになってきているということか。途中、男女のシンガー、二人の管楽器、キーボード、ヴァイオリン(勝井祐二。2008年1月30日、他)らが加わったりも。渋谷・クラブクアトロ。
実力者&強面のリズム隊を従えて、無理なく走る。かつての真性ニューウェイヴも見事にオールドウェイヴ。というか、齢を重ねるとともに、より味を伴う、普遍的なロックを求めるようになってきているということか。途中、男女のシンガー、二人の管楽器、キーボード、ヴァイオリン(勝井祐二。2008年1月30日、他)らが加わったりも。渋谷・クラブクアトロ。
メイ
2008年2月15日 渋谷・O-イースト。まあ今時の、米国ヴァージニア州出身のロック・バンド。へえ、カレッジ・バンドっぽい風情を持つバンドだな。なんか、みんなジェシー・ハリス(2006年4月22日。2007年3月11日)みたいな感じの人たちなんだよお。で、そこそこメロディアスで、そこそこ奥行きのあるギター・ロックを披露する。キーボード奏者もメンバーに擁するバンドだが、その音はあんまり聞こえない。肉離れ(一切、なんのケアもしていないが、日々すこしづつ直ってきているのが分かるのはうれしい)とともに今週は扁桃腺も腫れちゃって、車で二度すこし外出した以外はひきこもり。お酒もぜんぜん飲んでいない。音楽の感興とは別に、なんか久しぶりに(といっても、1週間しかあいてないわけだが)、音とともに身体を揺らしながらお酒をの飲めてウレシー、と感じてしまったぼく。で、そのあと一つ回ろうとおもっていたのが、やっぱし喉が痛かったりして(歩行も不完全だし)、素直に帰宅。早く、春よこ〜い。
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン
2008年2月9日 普段のフツーがいかに幸せであるかを.痛感してマス。これも行くのをパスしたほうがいいかと少し思ったが、車は運転できるし、同乗者が二人いるので最悪そいつらに負担をかければいいだろうと、湾岸を飛ばす。LA4人組の再結成ライヴ。前回(2000年6月24日)の来日公演と同じく幕張メッセ。新作もいっさい出さず、メッセ2回とはすごい。やっぱ、時代の音だったんだろうな。とともに、派生バンドのオーディオスレイヴ(2006年7月10日の項、参照)はそこまでの支持は得られなかったわけで、それが示唆するのは不参加のフロントマン/意見表出者のザック・デ・ラ・ロッチャ支持者が多いということだろうか。いや、やっぱり4人の重なりのマジックや90年代中期に青筋立ててつっぱった事に対する“正の何か”がそこにはあったんだと思う。
4人がかっちり噛み合っての、肉弾戦。そう言いたくなる実演。迫力あり、噴出感もたっぷり。内実あり。DJのスクラッチ音をもしたトム・モレロのギター、懐かしい。ファンク・メタル調サウンドに乗る扇情ヴォイスにゃやはり鼓舞される。既知感もプラスの方向に働く。あの時代、この音と出会えてよかったみたいな。ということは、彼らは新しい、今ならではの何かは出していなかったというふうにも言えるのか。でも、単なる再演でもうれしいと思えた人は多かったはず。パフォーマンス時間は1時間20分ぐらい? 左足に負担をかけないように会場横の壁にもたれかかりながら聞いていたぼくにとって、それはありがたかったかも。
帰り道、首都高に入るあたりから雨が雪にかわり、かなりごんごん降ってくる。渋谷に近づこうという頃にはちょい危険を覚えるほど。演奏時間が長くなくて良かった、とそのときマジ思いました。
4人がかっちり噛み合っての、肉弾戦。そう言いたくなる実演。迫力あり、噴出感もたっぷり。内実あり。DJのスクラッチ音をもしたトム・モレロのギター、懐かしい。ファンク・メタル調サウンドに乗る扇情ヴォイスにゃやはり鼓舞される。既知感もプラスの方向に働く。あの時代、この音と出会えてよかったみたいな。ということは、彼らは新しい、今ならではの何かは出していなかったというふうにも言えるのか。でも、単なる再演でもうれしいと思えた人は多かったはず。パフォーマンス時間は1時間20分ぐらい? 左足に負担をかけないように会場横の壁にもたれかかりながら聞いていたぼくにとって、それはありがたかったかも。
帰り道、首都高に入るあたりから雨が雪にかわり、かなりごんごん降ってくる。渋谷に近づこうという頃にはちょい危険を覚えるほど。演奏時間が長くなくて良かった、とそのときマジ思いました。
セルジオ・メンデス
2008年2月7日 ウィル・アイ・アム(2001年2月7日、2004年2月11日、2007年8月8日)とのコラボレーションで見事にフロントラインに飛び出した(って書き方は、永遠の混合洗練ポッパーにはとても失礼になるかな)LA在住のブラジル人キーボード奏者/バンド・リーダー(2003年9月2日、2005年8月9日、2006年9月29日)のライヴを南青山・ブルーノート東京で見る(セカンド・ショウ)。その『タイムレス』の大ヒットを受けて前回の東京公演は国際フォーラムAやスタジオコーストなど大箱だったわけで、会場はもちろんフルハウス。
ラッパーなどを含む編成などはほぼ、その前回公演と同じ。近く出る同系新作に入っているハイパー・ヴァージョンのジョビン曲「三月の雨」などもやる。なんにせよ、メンデスはヴォーカル担当の奥さんともどもますます元気になっていると痛感。意気揚々。その新作もそうだが、エレピがよく聞こえるし、ステージではもっとうれしそうに歌をうたうようになったような。なお、今年は新作をフォロウするワールド・ツアーを大々的にやるはずで、それはまた大きな会場でするもののようだ。
ところで。うわわあ。ショウが終わり、ブルーノートの前の道を横切ろうと駆け出そうとしたとき、左足のふくろはぎに閃光がはしる。エっ。結論から言えば、肉離れ。なさけねえ。すぐにまっとうに歩けないことが判明。タクシーにて帰宅。なんと、かかとをつけて歩くことが出来ない。呆然、ぎっくり腰だって、経験したことがないのに。老いをおおいに感じる。運動不足、マジやべえ。翌日、銀座で御大を取材、ちゃんと歩けないが、クラッチを踏むのには問題ない。車を運転できてよかった。インタヴューの場所のホテル西洋は高級ホテルの矜持ゆえに、駐車場代をとらない。素晴らしい。
このホテルにくるのは、だいぶ前のクインシー・ジョーンズの取材時いらい。あまり、外タレは泊まらない所だな。最初に行ったのは、知人が結婚披露宴をやったとき。その際、新郎から世話になってる人に来てもらってご飯でも食べようと思うので(実際、世話したしな)……という電話をもらって軽い会合の気分で行ったら、マジなやつでギョギョギョ。もちろん、ちゃんとジャケットとかは着ていったけどノーネクタイだったし、会費制かと思ってご祝儀袋だって用意していなかった。祝儀受け付けがあるのを見て身が凍ったな。あ外しちゃったナと受け付けのおねーさんたちに照れ笑いとともに一言残し、そこをスルー。コノヤロー、何デチャント案内状ヲ送ラナカッタンダ……。ソウジャナイト、チャントシタ披露宴ダトハ思ワナイジャナイカ。でも、突っ張ったぼくは冷静を装い、クラクラしながらただ飯を食いました。考えてみれば、ぼくが出たなかであれが一番ハイソな結婚披露宴だったのかな。あー、シビレちゃう昔話。若い子には旅をさせろ……、ではないが小僧の時分だったからなんとか行けた話。今はもうそんなの無理。いや、場数踏んだぶん、もっと適切な打開策を思いつくだろうか。
話は飛んだが、肉離れで歩行困難気味、とうぶん移動など難儀しそう。全治2週間、時間が解決する。ということだが、当分ライヴ享受/遊びには影響を及ぼしそうだな。ぐすん。
ラッパーなどを含む編成などはほぼ、その前回公演と同じ。近く出る同系新作に入っているハイパー・ヴァージョンのジョビン曲「三月の雨」などもやる。なんにせよ、メンデスはヴォーカル担当の奥さんともどもますます元気になっていると痛感。意気揚々。その新作もそうだが、エレピがよく聞こえるし、ステージではもっとうれしそうに歌をうたうようになったような。なお、今年は新作をフォロウするワールド・ツアーを大々的にやるはずで、それはまた大きな会場でするもののようだ。
ところで。うわわあ。ショウが終わり、ブルーノートの前の道を横切ろうと駆け出そうとしたとき、左足のふくろはぎに閃光がはしる。エっ。結論から言えば、肉離れ。なさけねえ。すぐにまっとうに歩けないことが判明。タクシーにて帰宅。なんと、かかとをつけて歩くことが出来ない。呆然、ぎっくり腰だって、経験したことがないのに。老いをおおいに感じる。運動不足、マジやべえ。翌日、銀座で御大を取材、ちゃんと歩けないが、クラッチを踏むのには問題ない。車を運転できてよかった。インタヴューの場所のホテル西洋は高級ホテルの矜持ゆえに、駐車場代をとらない。素晴らしい。
このホテルにくるのは、だいぶ前のクインシー・ジョーンズの取材時いらい。あまり、外タレは泊まらない所だな。最初に行ったのは、知人が結婚披露宴をやったとき。その際、新郎から世話になってる人に来てもらってご飯でも食べようと思うので(実際、世話したしな)……という電話をもらって軽い会合の気分で行ったら、マジなやつでギョギョギョ。もちろん、ちゃんとジャケットとかは着ていったけどノーネクタイだったし、会費制かと思ってご祝儀袋だって用意していなかった。祝儀受け付けがあるのを見て身が凍ったな。あ外しちゃったナと受け付けのおねーさんたちに照れ笑いとともに一言残し、そこをスルー。コノヤロー、何デチャント案内状ヲ送ラナカッタンダ……。ソウジャナイト、チャントシタ披露宴ダトハ思ワナイジャナイカ。でも、突っ張ったぼくは冷静を装い、クラクラしながらただ飯を食いました。考えてみれば、ぼくが出たなかであれが一番ハイソな結婚披露宴だったのかな。あー、シビレちゃう昔話。若い子には旅をさせろ……、ではないが小僧の時分だったからなんとか行けた話。今はもうそんなの無理。いや、場数踏んだぶん、もっと適切な打開策を思いつくだろうか。
話は飛んだが、肉離れで歩行困難気味、とうぶん移動など難儀しそう。全治2週間、時間が解決する。ということだが、当分ライヴ享受/遊びには影響を及ぼしそうだな。ぐすん。
スプーン、ヴィア・オーディオ
2008年2月6日 代官山・ユニット。スプーンはテキサス州オースティン拠点のけっこうなキャリアを持つビート・ロック・バンドだが、今回が初来日であるという。客のアメリカ人比率多し。その前座で、スプーンのドラマーが新作制作に絡んだ、現在NYをベースとするヴィア・オーディオが登場。キーボードやギターも手にする女性が歌う曲が多いが、男性ギタリストが歌うものも。それ、トーキング・ヘッズ風だった。ニュー・ウェイヴ的語彙をいろいろ用いて、いろんな曲調をやるバンド。過剰にいい印象は何も残らなかったが、一生懸命やっているのには好感を持つ。そういえば、ギタリスト君は日本で作ったと前置きして、「ぼくたちのアルバムが2月20日に発売になりまーす」なんて断片をギターをつま弾きながら日本語で歌ったりも。
休憩時にジェイムズ・ブラウンなんかも流れる。ベース・ラインがぐりぐり聞こえ、グルーヴたっぷり。やっぱ、ええわあ。こんなの登場前に聞いちゃって次の演奏が貧弱に聞こえないかと心配になったが、出てきたスプーンのパフォーマンスは見事だった。別にグルーヴィではないが、各人の技量が確かなうえにかみ合わせがすごくいい。だからとっても密度の濃い演奏となって、聞き手の耳に届く。楽曲のほうもポップなフックを持っていて、耳にひっかかる。総じては、<過剰にひねくれた曲調の楽曲をやらない、もっと剛性感の高いスクイーズ>といった感じ。そういう意味では、彼らは少しブリティッシュな持ち味も持っているのかな。不満を言えば、ときに過大なエコーをサウンドに噛ますこと。それ、子供っぽく感じた。なお、ベーシストはザ・ゲット・アップ・キッズ(2000年2月28日)のメンバーであるとか。
ところで、過去に2、3回ぐらいは書いていると思うが、”親指シフター”であるぼくはワープロで原稿を打って、その後にPCに取り込んでメール送稿している。だから、ワード系のソフトも入れてなかったが、個人的マック・サポート・サーヴィス(PCに強い知人、のことネ)のおかげでPCでも原稿がなんとなく打てる体制になった(PC自体は15年強前に導入して、複数換えているのにネ)。で、これはPC上で打っているのだが、びっくり。誤字/脱字してると、すぐに注意を喚起するサインが出るのだな。さあ、サトーの原稿から誤字・脱字がなくなるか。
休憩時にジェイムズ・ブラウンなんかも流れる。ベース・ラインがぐりぐり聞こえ、グルーヴたっぷり。やっぱ、ええわあ。こんなの登場前に聞いちゃって次の演奏が貧弱に聞こえないかと心配になったが、出てきたスプーンのパフォーマンスは見事だった。別にグルーヴィではないが、各人の技量が確かなうえにかみ合わせがすごくいい。だからとっても密度の濃い演奏となって、聞き手の耳に届く。楽曲のほうもポップなフックを持っていて、耳にひっかかる。総じては、<過剰にひねくれた曲調の楽曲をやらない、もっと剛性感の高いスクイーズ>といった感じ。そういう意味では、彼らは少しブリティッシュな持ち味も持っているのかな。不満を言えば、ときに過大なエコーをサウンドに噛ますこと。それ、子供っぽく感じた。なお、ベーシストはザ・ゲット・アップ・キッズ(2000年2月28日)のメンバーであるとか。
ところで、過去に2、3回ぐらいは書いていると思うが、”親指シフター”であるぼくはワープロで原稿を打って、その後にPCに取り込んでメール送稿している。だから、ワード系のソフトも入れてなかったが、個人的マック・サポート・サーヴィス(PCに強い知人、のことネ)のおかげでPCでも原稿がなんとなく打てる体制になった(PC自体は15年強前に導入して、複数換えているのにネ)。で、これはPC上で打っているのだが、びっくり。誤字/脱字してると、すぐに注意を喚起するサインが出るのだな。さあ、サトーの原稿から誤字・脱字がなくなるか。
南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。ステージ上にはピアノとときにテナー・サックスを吹くリーダーのゴードン・グッドウィン率いる,17人のビッグ・バンド。ずらり、壮観。で、管楽器群の出音のデカいこと(この前のマット・ダスク:2007年12月27日:のときの倍近くあったんでは……)。歯切れもすごい。実はグッドウィンはかなりショーマンシップに則ったMCや客扱いをする人物であり、曲調やリズムもときに客に媚びようとする方向性を取ったりするが、管楽器セクションは実に確か。1曲目でソロ・パートを与えられたエリック・マリエンサル(アルト)やアンディ・マーティン(トロンボーン)をはじめ、リーダー作をそこそこ持つ腕利きが何人もいるのではないかな。ちゃらすぎる嫌いはあったが、認めるべき実力派の娯楽ビッグ・バンドと思う。
途中から、主役なはずのオースティンが登場。フュージョン・ヴォーカルの人気者だった彼女は何度も来日しているはずだが、ぼくは初めて見る。近年は“私はジャズ・ヴォーカリスト”なのという姿勢を全面に出したビッグ・バンドを従えたアルバムを出している。その新作はガーシュイン曲にのぞんだアルバムだったが、この日もガーシュイン曲ばかり歌ったのかな。って、そのアルバムの解説はオレが書いてるのになんと無責任な。
音の馬鹿デカいビッグ・バンド音にのって、ぜんぜん負けずに歌うオースティンは実に立派。スキャットをかますときも、けっこうマイクと口を離していたりして。おばさん、アンタすごいワ。生理としての自負、みなぎる。ジャズ歌手の看板掲げてもなんの問題もなし。人海戦術の大音量に対峙/融和する一人肉声の尊さを肌で感じたりました。
途中から、主役なはずのオースティンが登場。フュージョン・ヴォーカルの人気者だった彼女は何度も来日しているはずだが、ぼくは初めて見る。近年は“私はジャズ・ヴォーカリスト”なのという姿勢を全面に出したビッグ・バンドを従えたアルバムを出している。その新作はガーシュイン曲にのぞんだアルバムだったが、この日もガーシュイン曲ばかり歌ったのかな。って、そのアルバムの解説はオレが書いてるのになんと無責任な。
音の馬鹿デカいビッグ・バンド音にのって、ぜんぜん負けずに歌うオースティンは実に立派。スキャットをかますときも、けっこうマイクと口を離していたりして。おばさん、アンタすごいワ。生理としての自負、みなぎる。ジャズ歌手の看板掲げてもなんの問題もなし。人海戦術の大音量に対峙/融和する一人肉声の尊さを肌で感じたりました。
TOYONO
2008年1月31日 六本木・スイートベイジル139 。昨日に続き、沼澤と森の演奏を聞く(実
はいきあたりばったりではなく、ちゃんと歌の伴奏をしなければならないこ
ちらは少し緊張モンであったよう)。ブラジル音楽に触発された歌をうたう
女性シンガー(1999年6月3日、2007年8月23日)の特別仕立てライヴで、
他に竹中俊二(ギター)、ROVO他の岡部洋一(打楽器、2006年7月7日
、他)、鈴木正人(ベース。2007年1月17日、他)、佐野聡(トロンボーン
、他)、吉田修(リード)。昨年出たマルコス・スザーノ関与の『ペリカー
ノ・ヘヴン』曲とともに、本人がこれまでのキャリアを俯瞰するかのように
彼女のなかに残っている曲を拾ってみましたという感じか。こっちにも、羨
ましいミュージシャンシップの交換があったな。一部の曲で普通っぽいフュ
ージョン調バッキングになっていたのには、もったいないと感じた。
はいきあたりばったりではなく、ちゃんと歌の伴奏をしなければならないこ
ちらは少し緊張モンであったよう)。ブラジル音楽に触発された歌をうたう
女性シンガー(1999年6月3日、2007年8月23日)の特別仕立てライヴで、
他に竹中俊二(ギター)、ROVO他の岡部洋一(打楽器、2006年7月7日
、他)、鈴木正人(ベース。2007年1月17日、他)、佐野聡(トロンボーン
、他)、吉田修(リード)。昨年出たマルコス・スザーノ関与の『ペリカー
ノ・ヘヴン』曲とともに、本人がこれまでのキャリアを俯瞰するかのように
彼女のなかに残っている曲を拾ってみましたという感じか。こっちにも、羨
ましいミュージシャンシップの交換があったな。一部の曲で普通っぽいフュ
ージョン調バッキングになっていたのには、もったいないと感じた。
沼澤尚、他
2008年1月30日 青山・月見ル君想フ。最初にパニックスマイル(2001年9月22日)のドラ
マーである石橋英子のピアノ/歌に、ドラマー(山本達久)とダンサー(タ
カダアキコ)が即興的に絡むというステージ。へえ、いろなこと出来る人な
んだあ。
そして、沼澤尚(ドラム)+勝井祐二(ヴァイオリン)+森俊之(キーボ
ード)with迫田遙(映像)。この顔ぶれの実演は2006年5月30日いらい、見
ることになるのかな。演奏陣についてはサンパウロ(2002年11月15日、2004
年1月30日)から佐藤タイジが抜けて勝井が入ったという書き方も一応でき
るのか。いや、ぜんぜん違うナ。この日は“ULTIMATE MUZIC”と名付けられ
ていてプロデュースが沼澤となっていたが、聞けばこっちのほうしか関与し
ていないとか。ノリ一発、久しぶりに見たせいもあるだろうが、過去のクリ
シェに陥らないところあり。けっこう、それぞれが扉を開けていたとこはあ
ったのではないか。そして、見てて羨ましナと思えるミュージシャンの愉悦
があった。
マーである石橋英子のピアノ/歌に、ドラマー(山本達久)とダンサー(タ
カダアキコ)が即興的に絡むというステージ。へえ、いろなこと出来る人な
んだあ。
そして、沼澤尚(ドラム)+勝井祐二(ヴァイオリン)+森俊之(キーボ
ード)with迫田遙(映像)。この顔ぶれの実演は2006年5月30日いらい、見
ることになるのかな。演奏陣についてはサンパウロ(2002年11月15日、2004
年1月30日)から佐藤タイジが抜けて勝井が入ったという書き方も一応でき
るのか。いや、ぜんぜん違うナ。この日は“ULTIMATE MUZIC”と名付けられ
ていてプロデュースが沼澤となっていたが、聞けばこっちのほうしか関与し
ていないとか。ノリ一発、久しぶりに見たせいもあるだろうが、過去のクリ
シェに陥らないところあり。けっこう、それぞれが扉を開けていたとこはあ
ったのではないか。そして、見てて羨ましナと思えるミュージシャンの愉悦
があった。
ピーボ・ブライソン
2008年1月28日 熟練の喉自慢シンガー(2006 年2月9日)、南青山・ブルーノート東京。
ファースト・セット。相変わらず、安定し、圧倒的な歌唱(でも、PAは歌に
リヴァーブがききすぎと感じる)を披露。そして、相変わらず、客に対して
は度を超したおもてなし。我がショウへようこそ! バンド(鍵盤2、ギタ
ー、ベース、サックス/打楽器、ドラム。そして、女性コーラス2)が演奏
するなか出てきた彼は会場を回り、ほとんどの人と握手をする。日本語を入
れたMCもたっぷり。例により、女性客への赤いバラを配るサーヴィスもあ
り。
へえっと感じたのはイントロに続く1曲目が「イフ・ユー・サムバディ・
セット・ゼム・フリー」、4曲目が「エヴリィ・ブレス・ユー・テイク」と
スティングの曲を2曲も(全10曲ぐらいのなか)やったこと。新作『ミッシ
ング・ユー』に入っていた「カウント・オン・ミー」はmimi(2001年4月1
8日、2003年2月13日、2006年12月18日)が昨年初頭に出したアルバムに
も入っていた曲だが、やっぱり好メロディ曲だ。アンコールはチャカ・カー
ン&ルーファスの「エイント・ノバディ」。中盤でやったシャーデー曲「キ
ング・オブ・ソロウ」ともども、オリジナルとは大分違うようになっていて
、キャリア組の技と矜持を感じましたね。あと、生ギターによるソロを少し
長めに披露した曲もありました。やっぱ、ギター好きそうだな。
それから、パフォーマンスに接していて感じずにはいられらなかったのは
、紳士であれ、というスタンス。それはバック・コーラスの人達の恰好を見
ても明らかでだろう。普通のソウル・マンならビッチな恰好をさせるところ
、本当におそろいで上品な恰好をさせていたもの。また、彼女たちにそれぞ
れ平等に1曲づつデュエット曲を振り分けていて、それにもうなずく。普通
は複数いるコーラス担当者のなか一人をフィーチャーしがちで、それは希有
なケースなように思う。彼、フェミニストね。
ところで、ショウが終わったあと、セカンド・セットが始まる前にブライ
ソンはインタヴューを受ける。通常は昼間にホテルでやるのだが、こんなこ
とは珍しい。お食事しているメンバーたちがいる楽屋の奥にある個室楽屋に
て、彼は親身に受け答え。やはり、男のオレがポっとなるほど、いい人やあ
。そんなにへりくだるのはやめて下さいという度数では、ぼくがインタヴュ
ーしたなかではB.B.キング(2007年2月3日)、ナラダ・マイケル・ウォル
デンにつぐ。本当に日本が好きな事が良く判りもしたな。話の内容で一番興
味深かったのは、祖母、母親、姉と女性たちに囲まれて育ち、しかも彼女た
ちが本当に尊敬できる存在だったそうで(新作は亡くなった母と姉に捧げら
れている)、自分のラヴ・ソングはそんなことからも他の人が歌うものとは
自ずと違ってくるかもと自己分析していたこと。なるほど、それには膝をう
つ。彼の楽屋にはシャツやジャケットやパンツがいろいろと沢山ハンガーに
かけられていた。さすがワードローブ係はいないようだが、マネイジャーは
二人ついているよう。いろんな色合いのポッケトチーフも10枚以上置かれて
いたな。1つだけ別にかけてあった面白い縫製と生地によるジャケットはロ
ンドンのテッド・ベイカーのもの。あ、それから、セカンド・ショウでも配
るバラもしっかりありました。
ファースト・セット。相変わらず、安定し、圧倒的な歌唱(でも、PAは歌に
リヴァーブがききすぎと感じる)を披露。そして、相変わらず、客に対して
は度を超したおもてなし。我がショウへようこそ! バンド(鍵盤2、ギタ
ー、ベース、サックス/打楽器、ドラム。そして、女性コーラス2)が演奏
するなか出てきた彼は会場を回り、ほとんどの人と握手をする。日本語を入
れたMCもたっぷり。例により、女性客への赤いバラを配るサーヴィスもあ
り。
へえっと感じたのはイントロに続く1曲目が「イフ・ユー・サムバディ・
セット・ゼム・フリー」、4曲目が「エヴリィ・ブレス・ユー・テイク」と
スティングの曲を2曲も(全10曲ぐらいのなか)やったこと。新作『ミッシ
ング・ユー』に入っていた「カウント・オン・ミー」はmimi(2001年4月1
8日、2003年2月13日、2006年12月18日)が昨年初頭に出したアルバムに
も入っていた曲だが、やっぱり好メロディ曲だ。アンコールはチャカ・カー
ン&ルーファスの「エイント・ノバディ」。中盤でやったシャーデー曲「キ
ング・オブ・ソロウ」ともども、オリジナルとは大分違うようになっていて
、キャリア組の技と矜持を感じましたね。あと、生ギターによるソロを少し
長めに披露した曲もありました。やっぱ、ギター好きそうだな。
それから、パフォーマンスに接していて感じずにはいられらなかったのは
、紳士であれ、というスタンス。それはバック・コーラスの人達の恰好を見
ても明らかでだろう。普通のソウル・マンならビッチな恰好をさせるところ
、本当におそろいで上品な恰好をさせていたもの。また、彼女たちにそれぞ
れ平等に1曲づつデュエット曲を振り分けていて、それにもうなずく。普通
は複数いるコーラス担当者のなか一人をフィーチャーしがちで、それは希有
なケースなように思う。彼、フェミニストね。
ところで、ショウが終わったあと、セカンド・セットが始まる前にブライ
ソンはインタヴューを受ける。通常は昼間にホテルでやるのだが、こんなこ
とは珍しい。お食事しているメンバーたちがいる楽屋の奥にある個室楽屋に
て、彼は親身に受け答え。やはり、男のオレがポっとなるほど、いい人やあ
。そんなにへりくだるのはやめて下さいという度数では、ぼくがインタヴュ
ーしたなかではB.B.キング(2007年2月3日)、ナラダ・マイケル・ウォル
デンにつぐ。本当に日本が好きな事が良く判りもしたな。話の内容で一番興
味深かったのは、祖母、母親、姉と女性たちに囲まれて育ち、しかも彼女た
ちが本当に尊敬できる存在だったそうで(新作は亡くなった母と姉に捧げら
れている)、自分のラヴ・ソングはそんなことからも他の人が歌うものとは
自ずと違ってくるかもと自己分析していたこと。なるほど、それには膝をう
つ。彼の楽屋にはシャツやジャケットやパンツがいろいろと沢山ハンガーに
かけられていた。さすがワードローブ係はいないようだが、マネイジャーは
二人ついているよう。いろんな色合いのポッケトチーフも10枚以上置かれて
いたな。1つだけ別にかけてあった面白い縫製と生地によるジャケットはロ
ンドンのテッド・ベイカーのもの。あ、それから、セカンド・ショウでも配
るバラもしっかりありました。
スザンヌ・ヴェガ。キアラ・シヴェロ
2008年1月24日 ヴェガは80年代中期にデビューしていらい、瑞々しいシンガー・ソングラ
イター表現で安定した(と、書いていいんだよな)支持を集めているニュー
ヨーカー。ずっとA&Mから作品を出してきていたが、昨年6年ぶりとなるア
ルバム『ビューティ&クライム』はブルーノートからのリリースとなる。会
場は有楽町・国際フォーラム ホールC。来ている人の年齢層はかなり高そ
う。ぼくが学生だったらかなりビビるだろうな。それとも、オレは大人の音
楽を聞きにきているのだと、軽い自負のようなものを覚えるだろうか。
まず一人で出てきた彼女は、左肩が異常に出た黒いワンピース(と、途中
で外したが黒い帽子)を着用。そして、アカペラで「トムズ・ダイナー」を
歌い始める。バック・バンドはギター、ベース、キーボード、ドラムという
編成で、それに合わせてメンバーが少しシアトリカルな感じで出てきて、2
曲目からはバンドによるパフォーマンスとなる。ヴェガは生ギターを手にし
たり、しなかったり。1曲はギター弾き語りのときもあったし、ベースとの
デュオで披露する曲もいくつかあった。ぼくは見ていないが、05年に来日し
たときも同じデュオ編成による公演だったそうだ。
アンコールでの曲を含め、20曲を披露。本編最後の曲はバンドによる「ト
ムズ・ダイナー」。2度目のアンコールのとき、彼女は裸足で出てきた。ち
ょうど1時間半ぐらいの演奏時間だったかな。でも、ちゃんとした軸を持ちつ
つ、いろんな編成で披露された実演はもう少し長いように感じられた。とき
に指し込まれる、短いMCもウィットあるように感じられたし。なお、シン
プルなキーボード伴奏とコーラスに徹していたなんかいい人そうでもあった
バンドの一人のライラ・ビアリはカナダ人で、ソロでも活動しているジャ
ズの素養を持つ人物。先達カナダ人シンガー・ソングライターたちの曲を主
にカヴァーした彼女の『From Sea To Sky』はけっこういい味を持つ。
実は海外で初めて取材した音楽家が彼女(その際、主だったのはジョー・
ジャクソンの新曲一発録りライヴ・レコーディング=『ビッグ・ワールド』
取材だったけど)。1986年1月に、デビュー作をプロデュースしたスティー
ヴ・アダボ同席のもとまだヴィレッジにあったフォーク・シティでやったん
だっけ。オレも若かったが、彼女もとても若かった。妹がNY在住の日本人商
社マンと結婚する(した、かもしれない)なんて、そんとき言っていたな。
そんなヴェガも2度結婚し、娘は10代らしい。初々しさと成熟をいい案配で
併せ持つ彼女の実演に触れていたら、なんか時間がすうっと止まり、ゆっく
りと小僧のころに時間が逆戻りしたような不思議な心持ちを得たりも……。
いや、少し感傷的な気持ちになった。
そして、フォーラムとは道を挟んで向かいにある丸の内・コットンクラブ
へ行って、NY在住イタリア人シンガー・ソングライターのキアラ・シヴェ
ロを見る(セカンド・ショウ)。バークリー音楽大学を出ているだけあって
、そこそこジャジーで、ピアノ/キーボード/アコーディオン、アコーステ
ィック・ベース、ヴァイブラフォンを含む打楽器(彼はNY在住の日本人)
、ドラムという布陣による。シヴェロも生ギター持って歌ったり、ピアノを
弾いて歌ったり。そして、途中でスザンヌ・ヴェガの「キャラメル」のカヴ
ァーも。ヴェガ自身も披露していて、この日2度目の「キャラメル」。後で
調べたら、シヴェロは1枚目でカヴァーしていた。なんでも、現在の彼女のマ
ネージャーはかつてヴェガのそれをやっていたそうな。また、現在のヴェガ
・バンドのギタリストはかつてシヴェロのバンドにいたことがあったそう。
世の中、狭いです。
イター表現で安定した(と、書いていいんだよな)支持を集めているニュー
ヨーカー。ずっとA&Mから作品を出してきていたが、昨年6年ぶりとなるア
ルバム『ビューティ&クライム』はブルーノートからのリリースとなる。会
場は有楽町・国際フォーラム ホールC。来ている人の年齢層はかなり高そ
う。ぼくが学生だったらかなりビビるだろうな。それとも、オレは大人の音
楽を聞きにきているのだと、軽い自負のようなものを覚えるだろうか。
まず一人で出てきた彼女は、左肩が異常に出た黒いワンピース(と、途中
で外したが黒い帽子)を着用。そして、アカペラで「トムズ・ダイナー」を
歌い始める。バック・バンドはギター、ベース、キーボード、ドラムという
編成で、それに合わせてメンバーが少しシアトリカルな感じで出てきて、2
曲目からはバンドによるパフォーマンスとなる。ヴェガは生ギターを手にし
たり、しなかったり。1曲はギター弾き語りのときもあったし、ベースとの
デュオで披露する曲もいくつかあった。ぼくは見ていないが、05年に来日し
たときも同じデュオ編成による公演だったそうだ。
アンコールでの曲を含め、20曲を披露。本編最後の曲はバンドによる「ト
ムズ・ダイナー」。2度目のアンコールのとき、彼女は裸足で出てきた。ち
ょうど1時間半ぐらいの演奏時間だったかな。でも、ちゃんとした軸を持ちつ
つ、いろんな編成で披露された実演はもう少し長いように感じられた。とき
に指し込まれる、短いMCもウィットあるように感じられたし。なお、シン
プルなキーボード伴奏とコーラスに徹していたなんかいい人そうでもあった
バンドの一人のライラ・ビアリはカナダ人で、ソロでも活動しているジャ
ズの素養を持つ人物。先達カナダ人シンガー・ソングライターたちの曲を主
にカヴァーした彼女の『From Sea To Sky』はけっこういい味を持つ。
実は海外で初めて取材した音楽家が彼女(その際、主だったのはジョー・
ジャクソンの新曲一発録りライヴ・レコーディング=『ビッグ・ワールド』
取材だったけど)。1986年1月に、デビュー作をプロデュースしたスティー
ヴ・アダボ同席のもとまだヴィレッジにあったフォーク・シティでやったん
だっけ。オレも若かったが、彼女もとても若かった。妹がNY在住の日本人商
社マンと結婚する(した、かもしれない)なんて、そんとき言っていたな。
そんなヴェガも2度結婚し、娘は10代らしい。初々しさと成熟をいい案配で
併せ持つ彼女の実演に触れていたら、なんか時間がすうっと止まり、ゆっく
りと小僧のころに時間が逆戻りしたような不思議な心持ちを得たりも……。
いや、少し感傷的な気持ちになった。
そして、フォーラムとは道を挟んで向かいにある丸の内・コットンクラブ
へ行って、NY在住イタリア人シンガー・ソングライターのキアラ・シヴェ
ロを見る(セカンド・ショウ)。バークリー音楽大学を出ているだけあって
、そこそこジャジーで、ピアノ/キーボード/アコーディオン、アコーステ
ィック・ベース、ヴァイブラフォンを含む打楽器(彼はNY在住の日本人)
、ドラムという布陣による。シヴェロも生ギター持って歌ったり、ピアノを
弾いて歌ったり。そして、途中でスザンヌ・ヴェガの「キャラメル」のカヴ
ァーも。ヴェガ自身も披露していて、この日2度目の「キャラメル」。後で
調べたら、シヴェロは1枚目でカヴァーしていた。なんでも、現在の彼女のマ
ネージャーはかつてヴェガのそれをやっていたそうな。また、現在のヴェガ
・バンドのギタリストはかつてシヴェロのバンドにいたことがあったそう。
世の中、狭いです。
J.ホリデイ
2008年1月23日 朝、起きたら雪。うひょお、先週頭ぐらいからけっこう寒い日が続いてい
る。と、後年に見たとき、そっかーとうなずけるように書き留めておこう。
夜は寒々しく雨、吐く息が白〜い。渋谷・デュオで、デビュー早々に本国で
大成功を収めている、23歳R&B歌手のショーケース・ライヴ。会場は超満
員、何人はいっていたろう。もったいぶることなくステージに登場したホリ
デイ君は思ったより貧相で小柄。ま、それは可愛いらしいという感想も導く
ものであるか。アルバムではしなやかさのなかに好ましい刺のようなものを
感じさせる彼だが、なるほどちゃんと歌える人。見事に迸りの感覚を持つゆ
えに、見ててすぐに高揚しちゃう。また、ちょい声を張り上げたとき、どこ
かアフリカ的なものをぼくは感じたりして、それもいいナ。恰好やステージ
の進め方は今ふう、後半は上着をどんどん脱いでいき、上半身はハダカにな
る。もちろん、ジーンズはアンダーウェア丸出しでずり下げている。床に向
かって腰をグラインドした際が一番沸いたかな。そんなパフォーマンスはカ
ラオケではなく、ちゃんと3人のバンドを伴ってのもので、それも好印象に
繋がる。バンド構成員はまだ若そうだったけどなんの不満もない音を出して
いて、みごとにホリディをバックアップ。マーヴィン・ゲイに一番影響を受
けていると伝えられる彼だが、実演を見て誰々ふうということは想起させず
、伸び盛りの若鮎くんとして完成されたものをきっちり出していたというう
れしい所感をぼくはもった。やはり、ここんとこデビューの米国男性R&B
歌手の筆頭に挙げるべき逸材か。大好きなルーファス・ウェインライト(国
際フォーラムC)に後ろ髪ひかれつつ、こっちに来ちゃったけど、オーライ
じゃ。
る。と、後年に見たとき、そっかーとうなずけるように書き留めておこう。
夜は寒々しく雨、吐く息が白〜い。渋谷・デュオで、デビュー早々に本国で
大成功を収めている、23歳R&B歌手のショーケース・ライヴ。会場は超満
員、何人はいっていたろう。もったいぶることなくステージに登場したホリ
デイ君は思ったより貧相で小柄。ま、それは可愛いらしいという感想も導く
ものであるか。アルバムではしなやかさのなかに好ましい刺のようなものを
感じさせる彼だが、なるほどちゃんと歌える人。見事に迸りの感覚を持つゆ
えに、見ててすぐに高揚しちゃう。また、ちょい声を張り上げたとき、どこ
かアフリカ的なものをぼくは感じたりして、それもいいナ。恰好やステージ
の進め方は今ふう、後半は上着をどんどん脱いでいき、上半身はハダカにな
る。もちろん、ジーンズはアンダーウェア丸出しでずり下げている。床に向
かって腰をグラインドした際が一番沸いたかな。そんなパフォーマンスはカ
ラオケではなく、ちゃんと3人のバンドを伴ってのもので、それも好印象に
繋がる。バンド構成員はまだ若そうだったけどなんの不満もない音を出して
いて、みごとにホリディをバックアップ。マーヴィン・ゲイに一番影響を受
けていると伝えられる彼だが、実演を見て誰々ふうということは想起させず
、伸び盛りの若鮎くんとして完成されたものをきっちり出していたというう
れしい所感をぼくはもった。やはり、ここんとこデビューの米国男性R&B
歌手の筆頭に挙げるべき逸材か。大好きなルーファス・ウェインライト(国
際フォーラムC)に後ろ髪ひかれつつ、こっちに来ちゃったけど、オーライ
じゃ。
デーモン&ナオミ、ゴースト。アリーシャ
2008年1月21日 渋谷・オネスト。まず、もう四半世紀に渡るキャリアを持つらしい、米ド
ラッグ・シティから作品を出している日本人サイケ・バンドのゴーストが出
てくる。ほう、こんなん。この晩は、近々再結成する大老舗J・ロック・バ
ンドであるフラワー・トラヴェリン・バンドの石間秀機も全面的に加わる。
想像していた以上にいろんなエスノ・ミュージックから影響を受けていると
感じるが、リズムの扱いが雑、というかあんまし揺れがなくて、うーむ。後
半、いっぱいいるギター奏者がけっこう怒濤の相乗を見せ、それには少しウ
フフとなれたが。約1時間の流動的演奏なり。
で、休憩時に向かいにある、渋谷・デュオに行って、元ミスティーク(20
03年11月11日)のアリーシャのシューケースのショウを見る。会場入りし
、知り合いと歓談してたら、始まる。時間のやりくりばっちりじゃん、つま
んない事に喜びを感じた。UKブラック、DJをバックに健気に歌い、とき
にラップぽい節回しをし、男性ダンサーと絡む。かなり綺麗で、これは華が
ある。20分ぐらいとパフォーマンスは短かったけど、みんなニコっとなれた
んじゃないかな。
で、再びオネストに戻り、元ギャラクシー500 の3分の2である、清新系
フォーク・デュオのデーモン&ナオミ。何度か来ているはずだが、ぼくが彼
女たちのことを見たのはもう10年前ぐらいだよなあ。歌とギターやベースを
担当する円満な二人に、なんと管楽器奏者を含む3人がやんわりサポート。
表現ヴァリエーションの幅は広いとは言えないが、歌心はちゃんと零れでる
。前身バンドから含めれば、もう四半世紀以上もボストンをベースにしてい
る人達だが、ほのかにボストンの機微を感じることもできたかも。
ラッグ・シティから作品を出している日本人サイケ・バンドのゴーストが出
てくる。ほう、こんなん。この晩は、近々再結成する大老舗J・ロック・バ
ンドであるフラワー・トラヴェリン・バンドの石間秀機も全面的に加わる。
想像していた以上にいろんなエスノ・ミュージックから影響を受けていると
感じるが、リズムの扱いが雑、というかあんまし揺れがなくて、うーむ。後
半、いっぱいいるギター奏者がけっこう怒濤の相乗を見せ、それには少しウ
フフとなれたが。約1時間の流動的演奏なり。
で、休憩時に向かいにある、渋谷・デュオに行って、元ミスティーク(20
03年11月11日)のアリーシャのシューケースのショウを見る。会場入りし
、知り合いと歓談してたら、始まる。時間のやりくりばっちりじゃん、つま
んない事に喜びを感じた。UKブラック、DJをバックに健気に歌い、とき
にラップぽい節回しをし、男性ダンサーと絡む。かなり綺麗で、これは華が
ある。20分ぐらいとパフォーマンスは短かったけど、みんなニコっとなれた
んじゃないかな。
で、再びオネストに戻り、元ギャラクシー500 の3分の2である、清新系
フォーク・デュオのデーモン&ナオミ。何度か来ているはずだが、ぼくが彼
女たちのことを見たのはもう10年前ぐらいだよなあ。歌とギターやベースを
担当する円満な二人に、なんと管楽器奏者を含む3人がやんわりサポート。
表現ヴァリエーションの幅は広いとは言えないが、歌心はちゃんと零れでる
。前身バンドから含めれば、もう四半世紀以上もボストンをベースにしてい
る人達だが、ほのかにボストンの機微を感じることもできたかも。
クーラ・シェイカー
2008年1月16日 10年強前に停滞するUKロックの救世主といった感じで出てきて2枚のア
ルバムを出して解散した、特に日本で大受けした人気バンド。05年再結成後
は3度目となる来日公演(前2回はフジロックへの出演)、恵比寿・リキッ
ドルーム。最初に15分、スキンヘッドのおじさんが出てきて生ギターの弾き
語り。どうってことないが、日本語を用いた曲などもまじえ、場を和ませる
。けっこうな拍手をもらって、本人もとても嬉しそう。
その後、相当な歓声が沸くなか登場した4人は、古いロック様式と同時代
的な鮮やかさをうまく両立させた、質量感のあるロックをきっちり送りだす
。やっぱ、フロントに君臨するクリスピアン・ミルズは実力があると再認識
。ヴォーカルとギターが一体化した彼のパフォーマンスの様に触れながら、
(旧来の)ロックの歩みとは概ねエレクトリック・ギタリストの創意工夫が
導く歴史なんだなと痛感。また、クリスピアンはやっぱルックスがいいナと
も思う。そりゃ、人気を得ますね。パフォーマンス前にはR&Bが場内には
流されていたけど(クリームの「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」の女性
歌手のカヴァーは誰なんだろう?)ときに黒っぽく感じるときもあったり、
ボブ・ディラン曲を下敷きにしたみたいな曲があったのは新鮮(歌い方もそ
う)。じつは、前日のヘヴィ・トラッシュよりウキウキ見れた。ヘヴィ・ト
ラッシュのほうはデビュー作のライナーノーツを書いたりして、より聞き込
んでいて、既知感たっぷりだったせいがあるかもしれぬ。一人オリジナル・
メンバーではないキーボーディストは揉み上げが長く口髭を蓄えた人物。な
んか、タイム・マシーンに乗ってやってきたみたいだった。感じとしては、
60年代後半のロビー・ロバートソンやラリー・コリエルあたりを想起させた。
ルバムを出して解散した、特に日本で大受けした人気バンド。05年再結成後
は3度目となる来日公演(前2回はフジロックへの出演)、恵比寿・リキッ
ドルーム。最初に15分、スキンヘッドのおじさんが出てきて生ギターの弾き
語り。どうってことないが、日本語を用いた曲などもまじえ、場を和ませる
。けっこうな拍手をもらって、本人もとても嬉しそう。
その後、相当な歓声が沸くなか登場した4人は、古いロック様式と同時代
的な鮮やかさをうまく両立させた、質量感のあるロックをきっちり送りだす
。やっぱ、フロントに君臨するクリスピアン・ミルズは実力があると再認識
。ヴォーカルとギターが一体化した彼のパフォーマンスの様に触れながら、
(旧来の)ロックの歩みとは概ねエレクトリック・ギタリストの創意工夫が
導く歴史なんだなと痛感。また、クリスピアンはやっぱルックスがいいナと
も思う。そりゃ、人気を得ますね。パフォーマンス前にはR&Bが場内には
流されていたけど(クリームの「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」の女性
歌手のカヴァーは誰なんだろう?)ときに黒っぽく感じるときもあったり、
ボブ・ディラン曲を下敷きにしたみたいな曲があったのは新鮮(歌い方もそ
う)。じつは、前日のヘヴィ・トラッシュよりウキウキ見れた。ヘヴィ・ト
ラッシュのほうはデビュー作のライナーノーツを書いたりして、より聞き込
んでいて、既知感たっぷりだったせいがあるかもしれぬ。一人オリジナル・
メンバーではないキーボーディストは揉み上げが長く口髭を蓄えた人物。な
んか、タイム・マシーンに乗ってやってきたみたいだった。感じとしては、
60年代後半のロビー・ロバートソンやラリー・コリエルあたりを想起させた。
ヘヴィ・トッラシュ、レディオ・キャロライン
2008年1月15日 酔狂な奴らに、悪いヤツはいない。やはり、いろいろクスっと出来るとこ
ろあったなー。ブルース・エクスプロージョンのジョン・スペンサー(2000
年7月5日、2004年7月14日、2004年12月13日、2005年11月25日)とダチの
マット・ヴェルタ・レイ、二人のシンガー/ギタリストがつるんだ、ロカビ
リー・ビヨンド・グループ。その二人にプラスして、ギター/コーラス/キ
ーボード担当、アコースッティック・ベース奏者、ドラマーがつく。のだが
、ギター/コーラス/キーボード担当者は卓いじりもやっていて、コンソー
ルのところに位置して、楽器を演奏したり歌ったりしている。ハハハハ、ん
なの初めて見た。会場の渋谷・デュオはコンソールが2階に置かれているか
ら、余計に生理的な距離があき、変テコさが増す。
メンバーの二人と縦ベース奏者は黒のスーツを着用。スリムだから、様に
なる。とくに、スペンサーはやはり風体だけでカッコいいなあ、なんかやり
そうだなあと思わせる。嫁(cf. ボス・ホッグ)と息子同伴の彼、今回は生
ギターをがしゃがしゃ弾いていた。パンクで黒い疾走ビート・ロックを標榜
するブルース・エクスプロージョンと異なり、ロカビリーを根っこに置くヘ
ヴィ・トラッシュはもう少しレトロでなあなあで、笑顔がある(白人的生理
に忠実、という言い方もアリか)。やっぱ、ブルース・エクスプロージョン
だと青筋立てて音楽と格闘している感じがあるものなあ(あれを見ていると
、誰かスペンサーに麻酔銃を撃ってくれと思ちゃったりするもん)。が、後半
、スペンサーがギターを置いて歌うあたりから、ネジが巻かれてきた感じが
あって、ロックな気持ちがよりぐりぐり押し出されたか。とともに、JB的
黒人音楽語彙もやんわり加味されるようにもなった。結局、奥にあるのは同
じ……、だな。
前座で、日本人トリオのレディオ・キャロライン。ガツンと、一直線。や
はり黒のスーツの着こなしがカッコいいベースのナイス・ガイくんには、数
年前に流れで深夜にラーメンをおごってもらったことがありました。
ろあったなー。ブルース・エクスプロージョンのジョン・スペンサー(2000
年7月5日、2004年7月14日、2004年12月13日、2005年11月25日)とダチの
マット・ヴェルタ・レイ、二人のシンガー/ギタリストがつるんだ、ロカビ
リー・ビヨンド・グループ。その二人にプラスして、ギター/コーラス/キ
ーボード担当、アコースッティック・ベース奏者、ドラマーがつく。のだが
、ギター/コーラス/キーボード担当者は卓いじりもやっていて、コンソー
ルのところに位置して、楽器を演奏したり歌ったりしている。ハハハハ、ん
なの初めて見た。会場の渋谷・デュオはコンソールが2階に置かれているか
ら、余計に生理的な距離があき、変テコさが増す。
メンバーの二人と縦ベース奏者は黒のスーツを着用。スリムだから、様に
なる。とくに、スペンサーはやはり風体だけでカッコいいなあ、なんかやり
そうだなあと思わせる。嫁(cf. ボス・ホッグ)と息子同伴の彼、今回は生
ギターをがしゃがしゃ弾いていた。パンクで黒い疾走ビート・ロックを標榜
するブルース・エクスプロージョンと異なり、ロカビリーを根っこに置くヘ
ヴィ・トラッシュはもう少しレトロでなあなあで、笑顔がある(白人的生理
に忠実、という言い方もアリか)。やっぱ、ブルース・エクスプロージョン
だと青筋立てて音楽と格闘している感じがあるものなあ(あれを見ていると
、誰かスペンサーに麻酔銃を撃ってくれと思ちゃったりするもん)。が、後半
、スペンサーがギターを置いて歌うあたりから、ネジが巻かれてきた感じが
あって、ロックな気持ちがよりぐりぐり押し出されたか。とともに、JB的
黒人音楽語彙もやんわり加味されるようにもなった。結局、奥にあるのは同
じ……、だな。
前座で、日本人トリオのレディオ・キャロライン。ガツンと、一直線。や
はり黒のスーツの着こなしがカッコいいベースのナイス・ガイくんには、数
年前に流れで深夜にラーメンをおごってもらったことがありました。
ジョン・ピザレリ
2008年1月14日 ロックといってもいろいろあるように、ジャズと言われる表現にもいろい
ろある。この晩に見た洒脱系シンガー/ギタリストのジョン・ピザレリはそ
うとう柔らかい方向にある和み傾向のジャズ表現を聞かせる人と言えるだろ
う。彼の父親はバッキー・ピザレリというスウィンギンなジャズとサバけた
イージー・リスニングの間を行き来してきたギタリストで、ジョン・ピザレ
リは父親と同じ道(レトロ味のギタリスト)を歩みつつ、それだけじゃ芸が
ないと思ったのか飄々とした質感を持つ歌もうたっており、地元ニュージャ
ージーの大学を卒業してすぐにアルバムを出して以降、おおむね順調に来て
いる人物だ。キャリアを重ねるごとに小粒ではあるが、ナット・キング・コ
ールやフランク・シナトラに代表されるようなジャズとポピュラー・ヴォー
カルを兼ねるようなスタイルを見せるようにも彼はなっている。
なーんて、わかったフリして書いているが、ジャズに狂気や越境や血や精
液の感覚を求めるぼくはその名は知っていてもちゃんとその表現を聞いたこ
とはなかった。が、ある雑誌からライヴ評の打診があったのも何かのご縁、
新年で浮足立っている(今週は3件、新年会の予定が入っているなー)こと
だし、和みのジャズ・ヴォーカル表現もいいんでないかい、と聞きにいった
わけ。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。この冬、一番の寒
さとのことで、初めて家でエアコンを大々的に使用(相変わらず、洒落でエ
コロな生活をやろうとしてまーす)。でも、外に出たら過剰に寒くなかった
よーな。
そしたら、まあ予想どおり、新年ボケの耳には心地よい、スウィンギンか
つ娯楽精神に満ちたパフォーマンスが適切な緩さとともに、スタンダード曲
中心にて展開される。ギターを持ち歌う(枯れた、ときにユーモア感覚を持
つソロも取る)ピサレリを、ピアノ、ベース(ジョン・ピザレリの弟)、ド
ラムがソツなくバッキング。みんなちゃんとスーツ着用、それが似合う実演
だったとも書けるかな。
ジャズの横にあるポップ表現やエンターテインメント感覚や末広がりの気
分やハレの場の感覚、……そこにはある種のアメリカで温められてきた娯楽
にまつわる記号が山のように折り込まれていたのは間違いない。なお、若い
ころの写真を見るといかにも育ちのいい好青年という風情のピサレリだが、
初めて触れる彼(60年生まれ。イタリア系なのかな。なんにせよ、ラテン入
っている感じ)はかなりオヤジくさくなっていて、ディーン・マーティン的
というか、ちょい悪代官ふうだった。
ろある。この晩に見た洒脱系シンガー/ギタリストのジョン・ピザレリはそ
うとう柔らかい方向にある和み傾向のジャズ表現を聞かせる人と言えるだろ
う。彼の父親はバッキー・ピザレリというスウィンギンなジャズとサバけた
イージー・リスニングの間を行き来してきたギタリストで、ジョン・ピザレ
リは父親と同じ道(レトロ味のギタリスト)を歩みつつ、それだけじゃ芸が
ないと思ったのか飄々とした質感を持つ歌もうたっており、地元ニュージャ
ージーの大学を卒業してすぐにアルバムを出して以降、おおむね順調に来て
いる人物だ。キャリアを重ねるごとに小粒ではあるが、ナット・キング・コ
ールやフランク・シナトラに代表されるようなジャズとポピュラー・ヴォー
カルを兼ねるようなスタイルを見せるようにも彼はなっている。
なーんて、わかったフリして書いているが、ジャズに狂気や越境や血や精
液の感覚を求めるぼくはその名は知っていてもちゃんとその表現を聞いたこ
とはなかった。が、ある雑誌からライヴ評の打診があったのも何かのご縁、
新年で浮足立っている(今週は3件、新年会の予定が入っているなー)こと
だし、和みのジャズ・ヴォーカル表現もいいんでないかい、と聞きにいった
わけ。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。この冬、一番の寒
さとのことで、初めて家でエアコンを大々的に使用(相変わらず、洒落でエ
コロな生活をやろうとしてまーす)。でも、外に出たら過剰に寒くなかった
よーな。
そしたら、まあ予想どおり、新年ボケの耳には心地よい、スウィンギンか
つ娯楽精神に満ちたパフォーマンスが適切な緩さとともに、スタンダード曲
中心にて展開される。ギターを持ち歌う(枯れた、ときにユーモア感覚を持
つソロも取る)ピサレリを、ピアノ、ベース(ジョン・ピザレリの弟)、ド
ラムがソツなくバッキング。みんなちゃんとスーツ着用、それが似合う実演
だったとも書けるかな。
ジャズの横にあるポップ表現やエンターテインメント感覚や末広がりの気
分やハレの場の感覚、……そこにはある種のアメリカで温められてきた娯楽
にまつわる記号が山のように折り込まれていたのは間違いない。なお、若い
ころの写真を見るといかにも育ちのいい好青年という風情のピサレリだが、
初めて触れる彼(60年生まれ。イタリア系なのかな。なんにせよ、ラテン入
っている感じ)はかなりオヤジくさくなっていて、ディーン・マーティン的
というか、ちょい悪代官ふうだった。
ローズ・ロイス
2008年1月7日 夜はライヴ享受を柱とする、快楽的でありたい生活がまた始まる。
正月にふと、オレってけっこう仕事人間なのだナと思った。だって、日々
の生活でやったァとか気持ちいい〜とか思う事の大きな一つが、思うような
原稿を書けたナとか馬鹿みたいに原稿がスラスラ書けちゃったゾとか感じる
ときだったりするから。もちろん、他人からあからさまに褒められたときや
なんかおねえちゃんからモテてんなと思えたときなども人間ができていない
ぼくはとっても嬉しい心持ちを得るが、回数的にはぜんぜん前者のほうが多
い。タハハ。実は昨年は例年以上に多くの原稿を書いた1年だったのだが、
仕事でワクワクしちゃう感触もいろいろ得たもん。原稿書きが天職だとは絶
対に思わないが、どっちかと言うと向いているほうの職業についていると思
いたいぼくにとってそれはかなりヘルシーなこと。08年はもっともっとヘル
シーに行けたらいいナ。もっともっと、楽しいことや嬉しい出会いがあると
いいな。
というのはともかく、08年はもう少し身体をいたわりたい(いつまでも若
くないんだから〜)のと、本を2冊ぐらいは読みたいなあと思っている。も
ともと読書好きではないというのはあるのだが、昨年は1冊も本を読まなか
った。今のぼくには本を読んだり、いろいろ映画を見たりする時間はない。
だからこそ、夜これだけ遊び回っていてもしっかりと原稿仕事をこなせるわ
けだ。ただ、本は読まないといっても子供のころから新聞はけっこう読む(
ずっと2紙とっている。起床して、コーヒーを飲みながら興味ひかれる記事
や広告をふんふんと見るのはかなり好きな時間だな)し、かつては雑誌とマ
ンガはそれなりに見ていた。が、近年は雑誌とマンガもあんまし見なくなっ
た事に気づき、ちょい愕然としているワタシ。別に文章は<(本能で)喋る
ように書く>をモットーとしているから本を読まなくてもなんら困ることは
ないのだが、なんか行いの幅が狭くなっているように感じるのがイヤ。年末
年始はけっこう車を運転したけど、運転する事にも喜びを感じなくなくなっ
ているなー。この2年で、1万キロしか乗っていない。ふむ、マニュアル・
シフトから上がるのが早いか、運転するのをやめるのが早いか。なんにせよ
、もう少し行動ヴァリエーションのささやかな広がりを日常生活に求めたい
となんとなく思っている。でも、かつてはマンガは追われる原稿書きからの
逃避みたいな感じで買い求めていたりもしたので、興味を持たなくなったの
はそれでいい事なのかもしれないが。とにかく、マゾじゃないぼくはなるべ
く楽なほう、心地いいほうに流れながら、笑顔でいきたいにゃ。
で、08年ライヴ享受+アルファは新年あけの月曜からスタート。ローズ・
ロイス(英国高級車/エンジン・メイカーのロールス・ロイスをもじったネ
ーミングだろう)はデビュー時に出した76年映画『カー・ウォッシュ』(ワ
シントンD.C.のキャブ会社を舞台とする、“持たざるもの”の心意気を描い
た作品。けっこう好きな娯楽映画だったナ)のテーマ曲が全米1位に輝き、
80年代前半にかけて恵まれた活動を見せた女性シンガーをフロントに置く大
人数グループ。その「カー・ウォッシュ」はモータウンの数々の名曲を作っ
たノーマン・ホイットフィールドが書いた曲で、ローズ・ロイスはホイット
フィールドに見いだされてデビューしたグループであり、メアリー・J・ブ
ライジ(2002年3月13日)がカヴァーした彼らの「アイム・ゴーイング・
ダウン」なんかもホイットフィールド作だったはず。
ステージ上に表れた彼らは全9人、女性ヴォーカル、三管(トランペット
2、テナー)、2キーボード、ギター、ベース、ドラムという布陣。うち4
人が当初から在籍している人たちのようだが、あちらのライヴ・サーキット
できたえられているらしく音は上々。なんか、チームワークの良いバンドだ
なあとも思わせられたな。ときに入れられる踊りやフリもニコっとさせるも
のだし、メンバー紹介などのやりかたも勘どころをつかんだもので、顔がど
んどんほころぶ。ヴォーカルは新参者らしいおばさんの女性シンガーと、そ
してときにトランペッターが主にとる。それに関してはもう少しストロング
であったならと思えなくもなかったが、そう感じたのはローズ・ロイスが年
季を積んで、より総合的なテイストを持つソウル・バンドに成長していたか
らでもあったろう。全盛のころはディスコ・ポップ調や電気音などもいれ、
時流に乗った(少し、ちゃら目の)表現を志向した彼らもいまやバリバリの
オールド・スクール。だけど、それがぼくには心地よかったし、うれしかっ
た。丸の内・コッントクラブ、セカンド・ショウ。
正月にふと、オレってけっこう仕事人間なのだナと思った。だって、日々
の生活でやったァとか気持ちいい〜とか思う事の大きな一つが、思うような
原稿を書けたナとか馬鹿みたいに原稿がスラスラ書けちゃったゾとか感じる
ときだったりするから。もちろん、他人からあからさまに褒められたときや
なんかおねえちゃんからモテてんなと思えたときなども人間ができていない
ぼくはとっても嬉しい心持ちを得るが、回数的にはぜんぜん前者のほうが多
い。タハハ。実は昨年は例年以上に多くの原稿を書いた1年だったのだが、
仕事でワクワクしちゃう感触もいろいろ得たもん。原稿書きが天職だとは絶
対に思わないが、どっちかと言うと向いているほうの職業についていると思
いたいぼくにとってそれはかなりヘルシーなこと。08年はもっともっとヘル
シーに行けたらいいナ。もっともっと、楽しいことや嬉しい出会いがあると
いいな。
というのはともかく、08年はもう少し身体をいたわりたい(いつまでも若
くないんだから〜)のと、本を2冊ぐらいは読みたいなあと思っている。も
ともと読書好きではないというのはあるのだが、昨年は1冊も本を読まなか
った。今のぼくには本を読んだり、いろいろ映画を見たりする時間はない。
だからこそ、夜これだけ遊び回っていてもしっかりと原稿仕事をこなせるわ
けだ。ただ、本は読まないといっても子供のころから新聞はけっこう読む(
ずっと2紙とっている。起床して、コーヒーを飲みながら興味ひかれる記事
や広告をふんふんと見るのはかなり好きな時間だな)し、かつては雑誌とマ
ンガはそれなりに見ていた。が、近年は雑誌とマンガもあんまし見なくなっ
た事に気づき、ちょい愕然としているワタシ。別に文章は<(本能で)喋る
ように書く>をモットーとしているから本を読まなくてもなんら困ることは
ないのだが、なんか行いの幅が狭くなっているように感じるのがイヤ。年末
年始はけっこう車を運転したけど、運転する事にも喜びを感じなくなくなっ
ているなー。この2年で、1万キロしか乗っていない。ふむ、マニュアル・
シフトから上がるのが早いか、運転するのをやめるのが早いか。なんにせよ
、もう少し行動ヴァリエーションのささやかな広がりを日常生活に求めたい
となんとなく思っている。でも、かつてはマンガは追われる原稿書きからの
逃避みたいな感じで買い求めていたりもしたので、興味を持たなくなったの
はそれでいい事なのかもしれないが。とにかく、マゾじゃないぼくはなるべ
く楽なほう、心地いいほうに流れながら、笑顔でいきたいにゃ。
で、08年ライヴ享受+アルファは新年あけの月曜からスタート。ローズ・
ロイス(英国高級車/エンジン・メイカーのロールス・ロイスをもじったネ
ーミングだろう)はデビュー時に出した76年映画『カー・ウォッシュ』(ワ
シントンD.C.のキャブ会社を舞台とする、“持たざるもの”の心意気を描い
た作品。けっこう好きな娯楽映画だったナ)のテーマ曲が全米1位に輝き、
80年代前半にかけて恵まれた活動を見せた女性シンガーをフロントに置く大
人数グループ。その「カー・ウォッシュ」はモータウンの数々の名曲を作っ
たノーマン・ホイットフィールドが書いた曲で、ローズ・ロイスはホイット
フィールドに見いだされてデビューしたグループであり、メアリー・J・ブ
ライジ(2002年3月13日)がカヴァーした彼らの「アイム・ゴーイング・
ダウン」なんかもホイットフィールド作だったはず。
ステージ上に表れた彼らは全9人、女性ヴォーカル、三管(トランペット
2、テナー)、2キーボード、ギター、ベース、ドラムという布陣。うち4
人が当初から在籍している人たちのようだが、あちらのライヴ・サーキット
できたえられているらしく音は上々。なんか、チームワークの良いバンドだ
なあとも思わせられたな。ときに入れられる踊りやフリもニコっとさせるも
のだし、メンバー紹介などのやりかたも勘どころをつかんだもので、顔がど
んどんほころぶ。ヴォーカルは新参者らしいおばさんの女性シンガーと、そ
してときにトランペッターが主にとる。それに関してはもう少しストロング
であったならと思えなくもなかったが、そう感じたのはローズ・ロイスが年
季を積んで、より総合的なテイストを持つソウル・バンドに成長していたか
らでもあったろう。全盛のころはディスコ・ポップ調や電気音などもいれ、
時流に乗った(少し、ちゃら目の)表現を志向した彼らもいまやバリバリの
オールド・スクール。だけど、それがぼくには心地よかったし、うれしかっ
た。丸の内・コッントクラブ、セカンド・ショウ。
フランク・マッコム
2007年12月28日 この秀でたシンガー/コンポーザー/キーボーディストについてのぼくの
所見は前回公演の項(2006年12月7日)で書いたとおりだ(他に、2004年4
月15日、2004年5月10日、2006年9月3日)が、過去の単独公演のときよ
りけっこう歌ったかも、いやインスト部が邪魔に感じる部分が少ないナとい
う感想をもった。やはり鍵盤ソロもけっこう取るのだがそれが不毛じゃなく
聞こえるときが多かったし、前回と違いリズム隊の音が大きくなかったのも
幸いした(前回と同じく、ベース、ドラム、打楽器がサポート。ベーシスト
だけ留任しているよう)。ただ、マッコムの歌はもう少しPAから大きく出し
てもいいと思ったかな。それ、過去より彼の歌声が伸びていなかったと
いう、ぼくの印象から来るものかもしれない。亡くなったオスカー・ピー
ターソンに捧げますと言って、スティーヴィー・ワンダーの「リボン・イン
・ザ・スカイ」を披露したりも。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショ
ウ。07年のライヴはこれにて打ち止め也。
所見は前回公演の項(2006年12月7日)で書いたとおりだ(他に、2004年4
月15日、2004年5月10日、2006年9月3日)が、過去の単独公演のときよ
りけっこう歌ったかも、いやインスト部が邪魔に感じる部分が少ないナとい
う感想をもった。やはり鍵盤ソロもけっこう取るのだがそれが不毛じゃなく
聞こえるときが多かったし、前回と違いリズム隊の音が大きくなかったのも
幸いした(前回と同じく、ベース、ドラム、打楽器がサポート。ベーシスト
だけ留任しているよう)。ただ、マッコムの歌はもう少しPAから大きく出し
てもいいと思ったかな。それ、過去より彼の歌声が伸びていなかったと
いう、ぼくの印象から来るものかもしれない。亡くなったオスカー・ピー
ターソンに捧げますと言って、スティーヴィー・ワンダーの「リボン・イン
・ザ・スカイ」を披露したりも。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショ
ウ。07年のライヴはこれにて打ち止め也。
マット・ダスク、サラ・ガザレク
2007年12月27日 若手のジャズ・ヴォーカルの担い手が一緒に出演する出し物で、南青山・
ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。ステージ上にはタイ着用の全17人
(日本人も3人混ざっていた)がずらり、強弱のダイナミクスに富んだビッ
グビッグ・バンド伴奏によるショウ。やっぱ、それだけで生理的に絢爛豪華
、なんか年末を飾るという感じもあって悪くない。昨日で年内の原稿仕事は
終わりにしたので、よりそう感じるのかもしれないが。
まず、登場したのは、1982年シアトル生まれLA在住のサラ・ガザレク。
かつて見たショウの項(2006月3月22日)で触れているように自己スモール
・グループと一体で少しポップな方向にもかする方向性を取る彼女、この正
統仕様にうまく乗れるのかなと思ったら初々しくもソツなくこなす。大学の
専攻がジャズだったから、ビッグ・バンドで歌う機会もあったんだろうと推
測する。日本は4度目とかで、MCではけっこう日本語でしたりも。日本が
大好きなのがとっても良く伝わる。5曲歌ったかな。
そして、ガザレクと入れ代わりで、78年カナダ・トロント生まれで、現在
はラスヴェガスを拠点としているダスクが登場。エンターテインメント性と
洒脱が同義語となる、ある意味ジャズ・ヴォーカルとしては王道と言えるだ
ろうフランク・シナトラとかハリー・コニックJr. ( 2000年3月31日 )ら
の系統に入るショウを悠々と披露する。新味はないが、まっとうなパフォー
マンス。ルックスも悪くないしね。バンドは彼のものなんだろう、彼の曲に
なると音のヴォリュームが一目盛り大きくなった。彼のなかでビッグ・バン
ドを従えたジャズ・ヴォーカル表現はアメリカの豊かさを象徴するものでも
あるそうだ。ダスクはトロントの大学でジャズを専攻、ピアノを弾きながら
歌うこともできるそうだが、100 パーセントお客さんと対峙できなくなるの
で、ステージでそれをするつもりはないと言う。彼は空で歌えるスタンダー
ド曲のリストが載せたカード(そこには、曲毎に適正キーも書かれている)
をポケットに忍ばせていて、いつでも他者とお手合わせできるようにもして
いる。なんかあったとき、ここにある曲なら歌えるよと奏者にそのリストを
見せるわけだ。彼はハンサムで真摯なジャズ・キャットだと思う。
アンコールはダスクとガザレクが一緒に手を取り合って出てきて、「ベサ
メ・ムーチョ」をベタなデュエット・ソングの如く歌う。笑えました。
ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。ステージ上にはタイ着用の全17人
(日本人も3人混ざっていた)がずらり、強弱のダイナミクスに富んだビッ
グビッグ・バンド伴奏によるショウ。やっぱ、それだけで生理的に絢爛豪華
、なんか年末を飾るという感じもあって悪くない。昨日で年内の原稿仕事は
終わりにしたので、よりそう感じるのかもしれないが。
まず、登場したのは、1982年シアトル生まれLA在住のサラ・ガザレク。
かつて見たショウの項(2006月3月22日)で触れているように自己スモール
・グループと一体で少しポップな方向にもかする方向性を取る彼女、この正
統仕様にうまく乗れるのかなと思ったら初々しくもソツなくこなす。大学の
専攻がジャズだったから、ビッグ・バンドで歌う機会もあったんだろうと推
測する。日本は4度目とかで、MCではけっこう日本語でしたりも。日本が
大好きなのがとっても良く伝わる。5曲歌ったかな。
そして、ガザレクと入れ代わりで、78年カナダ・トロント生まれで、現在
はラスヴェガスを拠点としているダスクが登場。エンターテインメント性と
洒脱が同義語となる、ある意味ジャズ・ヴォーカルとしては王道と言えるだ
ろうフランク・シナトラとかハリー・コニックJr. ( 2000年3月31日 )ら
の系統に入るショウを悠々と披露する。新味はないが、まっとうなパフォー
マンス。ルックスも悪くないしね。バンドは彼のものなんだろう、彼の曲に
なると音のヴォリュームが一目盛り大きくなった。彼のなかでビッグ・バン
ドを従えたジャズ・ヴォーカル表現はアメリカの豊かさを象徴するものでも
あるそうだ。ダスクはトロントの大学でジャズを専攻、ピアノを弾きながら
歌うこともできるそうだが、100 パーセントお客さんと対峙できなくなるの
で、ステージでそれをするつもりはないと言う。彼は空で歌えるスタンダー
ド曲のリストが載せたカード(そこには、曲毎に適正キーも書かれている)
をポケットに忍ばせていて、いつでも他者とお手合わせできるようにもして
いる。なんかあったとき、ここにある曲なら歌えるよと奏者にそのリストを
見せるわけだ。彼はハンサムで真摯なジャズ・キャットだと思う。
アンコールはダスクとガザレクが一緒に手を取り合って出てきて、「ベサ
メ・ムーチョ」をベタなデュエット・ソングの如く歌う。笑えました。
ドゥウェレイ
2007年12月20日 昨年の来日のとき(2006年4月19日)より、ギター奏者とバック・ヴォー
カリストがもう一人増えた布陣にてパフォーマンス。前回の記載を見ると全
員黒人と書いてあるが、今回ギター奏者とベース奏者は白人。また、前回や
っていた酔狂なDJ儀式はなしで、しなやかなサウンドに乗り彼は気持ちの
良い流麗ソウル・ヴォイスを乗せていく。やっぱり、普通にやっていても、
颯爽とした風を持つショウになっていたはず。そこには、ヒップホップ時代
の柔和なR&Bという内実があったと思う。南青山・ブルーノート東京、フ
ァースト。そのあと知人たちが飲んでいる某所に行って飲んでいたら、某レ
コード会社洋楽部門忘年会流れの人達がやってくる。ぐじゃぐじゃ。もう、
そんなのばっか。深夜、カラオケに拉致される。ものすごく、久しぶり。や
っぱり、好きになれねえ。とはいえ、下町兄弟(2005年12月8日、2006年
12月21日)の曲が複数入っているのは嬉しかった。酔っぱらってホテルで
H〜と、彼のラップ曲をがなってしまいましたとサ。うひゃ。
カリストがもう一人増えた布陣にてパフォーマンス。前回の記載を見ると全
員黒人と書いてあるが、今回ギター奏者とベース奏者は白人。また、前回や
っていた酔狂なDJ儀式はなしで、しなやかなサウンドに乗り彼は気持ちの
良い流麗ソウル・ヴォイスを乗せていく。やっぱり、普通にやっていても、
颯爽とした風を持つショウになっていたはず。そこには、ヒップホップ時代
の柔和なR&Bという内実があったと思う。南青山・ブルーノート東京、フ
ァースト。そのあと知人たちが飲んでいる某所に行って飲んでいたら、某レ
コード会社洋楽部門忘年会流れの人達がやってくる。ぐじゃぐじゃ。もう、
そんなのばっか。深夜、カラオケに拉致される。ものすごく、久しぶり。や
っぱり、好きになれねえ。とはいえ、下町兄弟(2005年12月8日、2006年
12月21日)の曲が複数入っているのは嬉しかった。酔っぱらってホテルで
H〜と、彼のラップ曲をがなってしまいましたとサ。うひゃ。
ジェフ・テイン・ワッツ。デイヴィッド・T・ウォーカー
2007年12月18日 いけねえ、11時間強も寝ちまっった。外出時間までの3時間弱で原稿2500
字、打ちまくる。いや、当人のなかでは、撃ちまくるという感覚だな。くう
っ。
ジェフ・テイン・ワッツは現純ジャズ界の、最たる働き盛りドラマー(60
年生まれ)。マルサリス兄弟のバッキングをはじめ80年代あたまから、いろ
んなジャズ・アルバムに参加するとともに、数枚のリーダー作を出してきて
いる。今回のバンドはここ数年の彼のリーダー作のレコーディング・メンバ
ーの選抜群ともいうべきもので、マーカス・ストリックランド(テナー。と
きにソプラノ)、デイヴィッド・キコウスキ(ピアノ。一部、キーボードも
)、クリスチャン・マクブライド(ベース。電気ベースも置いていたが、こ
のセットはすべて縦を弾く。2005年1月18日、2006年9月17日。なお、こ
の日は普通の靴を履いていた)を従えてのもの。テイン&ジ・エボニクスと
いうバンド名(それは、07年の新譜タイトルから来たもの)が付けられてい
て、各人ともに数枚づつリーダー作を出している手練たちですね。
覇気(テインの叩き音はデカかった)のある、今のジャズを1時間半弱(
6〜7曲演奏したか)。ワッツは4ビート曲はレギューラー・グリップ(左
手は、掌を上に向けるようにスティックを握る)で叩き、叩き込む曲や非4
ビートのときはマッチド・グリップ(両手とも、スティックを鷲掴み的に握
る。ロックやR&Bのドラマーは多くがこっちなはず)で演奏。曲調によっ
て握り方を使い分け、曲の途中でも変えたときがあったな。本編最後にやっ
た、メンバー全員の烏合の衆的なヴォーカル(かなりいい感じ)を出だしと
クロージングに用いるワッツ曲「JC・イズ・ザ・マン」はけっこうオーネ
ット・コールマン(2006年3月27日)ぽい曲だった。丸の内・コットンクラ
ブ、ファースト・ショウ。
そして、南青山・ブルーノート東京に移動。今年2度目の来日となるデイ
ヴィッド・T・ウォーカーが出演。受付階に下りると人が沢山いる。なるほ
ど、演奏時間が長いのだな。それゆえ、ファーストとセカンド・ショウの入
替え時間が押してしまうというわけだ。
モータウン他、R&Bバッキングのヴァーチュオーソ。60年代後期からリ
ーダー作も出すようになっていて、フュージョンとはならないギター・イン
スト表現を控えめながら世に送り、しっかりと人々のココロに火を灯してる
人。朋友ジェリー・ピータース(キーボード)や一緒にザ・クルセイダーズ
のサポートをしたンドゥグ・チャンスラー(ドラム)など、気心の知れた名
手たちを従えてのもの。
メロウ。まったくもって、唯一無二の嬉しい手癖。適切なひっかかりを持
ちつつ曖昧な文様を描くようなその特殊演奏はアーニー・アイズレーの複音
弾き演奏とともに、米国黒人音楽/流儀の嬉しい何かをしかと教えるもの。
かつ、デイヴィッド・Tの場合は人徳というか、ある種の高潔さみたいなの
があるのがポイントですね。演目はジャジィに気儘に流れていくような曲が
主体、そして「ラヴィング・ユー」、「ホワッツ・ゴーイン・オン」や「ウ
ォーク・オン・バイ」などの有名曲も取り上げる。個人的には単純なファン
ク・リフに乗って弾きまくり、妙味が溢れ出るような曲が1曲ききたかった
な。彼はセミアコ・タイプのギター(をステージに置いてはいたものの)を
弾かずに、カスタム・メイドっぽいソリッドなエレクトリック・ギターを弾
いていた。
彼の演奏を聞きながら、ぼくが最初にLAに行ったのは89年だったことを
思い出す。ちょうどNYとワシントンD.C.とシンシナティに遊びに行く機会
があり、ならついでにLAにもおいでよと誘ってきたのが、当時デイヴィッ
ド・Tのアルバムをプロデュースしていた基本LA在住の日本人Oだったの
だ(ぼくは海外出張と重なり出ていないが、駒場エミナースでやった彼の結
婚披露宴にはデイヴィッド・Tも出席したはず)。ぼくがLA入りする日と
Oが東京からLAに戻って来る日を合わせて、LAXで待ち合わせ。もし、
なんかあったときの保健で彼はデイヴィッド・Tの自宅の電話番号を教えて
くれたっけ。NYやロンドンは何度か行っていても、LAはそのときが初め
てで、その後LAに行く仕事が増え、Oのアパートには2、3度ほど延長滞
在時に泊めてもらったことがあった。なんて、デイヴィッド・Tの絶妙な指
裁きに触れつつ、遠い昔のことがふんわり浮かんできた。
デイヴィッド・Tの演奏は聞き手の遠い昔の記憶と繋がった甘美な音であ
る。だが、その豊かな昔の音は今という時もやんわりやさしく、でもしっ
かりと揺り動かす力を持つものでもあると思う。
字、打ちまくる。いや、当人のなかでは、撃ちまくるという感覚だな。くう
っ。
ジェフ・テイン・ワッツは現純ジャズ界の、最たる働き盛りドラマー(60
年生まれ)。マルサリス兄弟のバッキングをはじめ80年代あたまから、いろ
んなジャズ・アルバムに参加するとともに、数枚のリーダー作を出してきて
いる。今回のバンドはここ数年の彼のリーダー作のレコーディング・メンバ
ーの選抜群ともいうべきもので、マーカス・ストリックランド(テナー。と
きにソプラノ)、デイヴィッド・キコウスキ(ピアノ。一部、キーボードも
)、クリスチャン・マクブライド(ベース。電気ベースも置いていたが、こ
のセットはすべて縦を弾く。2005年1月18日、2006年9月17日。なお、こ
の日は普通の靴を履いていた)を従えてのもの。テイン&ジ・エボニクスと
いうバンド名(それは、07年の新譜タイトルから来たもの)が付けられてい
て、各人ともに数枚づつリーダー作を出している手練たちですね。
覇気(テインの叩き音はデカかった)のある、今のジャズを1時間半弱(
6〜7曲演奏したか)。ワッツは4ビート曲はレギューラー・グリップ(左
手は、掌を上に向けるようにスティックを握る)で叩き、叩き込む曲や非4
ビートのときはマッチド・グリップ(両手とも、スティックを鷲掴み的に握
る。ロックやR&Bのドラマーは多くがこっちなはず)で演奏。曲調によっ
て握り方を使い分け、曲の途中でも変えたときがあったな。本編最後にやっ
た、メンバー全員の烏合の衆的なヴォーカル(かなりいい感じ)を出だしと
クロージングに用いるワッツ曲「JC・イズ・ザ・マン」はけっこうオーネ
ット・コールマン(2006年3月27日)ぽい曲だった。丸の内・コットンクラ
ブ、ファースト・ショウ。
そして、南青山・ブルーノート東京に移動。今年2度目の来日となるデイ
ヴィッド・T・ウォーカーが出演。受付階に下りると人が沢山いる。なるほ
ど、演奏時間が長いのだな。それゆえ、ファーストとセカンド・ショウの入
替え時間が押してしまうというわけだ。
モータウン他、R&Bバッキングのヴァーチュオーソ。60年代後期からリ
ーダー作も出すようになっていて、フュージョンとはならないギター・イン
スト表現を控えめながら世に送り、しっかりと人々のココロに火を灯してる
人。朋友ジェリー・ピータース(キーボード)や一緒にザ・クルセイダーズ
のサポートをしたンドゥグ・チャンスラー(ドラム)など、気心の知れた名
手たちを従えてのもの。
メロウ。まったくもって、唯一無二の嬉しい手癖。適切なひっかかりを持
ちつつ曖昧な文様を描くようなその特殊演奏はアーニー・アイズレーの複音
弾き演奏とともに、米国黒人音楽/流儀の嬉しい何かをしかと教えるもの。
かつ、デイヴィッド・Tの場合は人徳というか、ある種の高潔さみたいなの
があるのがポイントですね。演目はジャジィに気儘に流れていくような曲が
主体、そして「ラヴィング・ユー」、「ホワッツ・ゴーイン・オン」や「ウ
ォーク・オン・バイ」などの有名曲も取り上げる。個人的には単純なファン
ク・リフに乗って弾きまくり、妙味が溢れ出るような曲が1曲ききたかった
な。彼はセミアコ・タイプのギター(をステージに置いてはいたものの)を
弾かずに、カスタム・メイドっぽいソリッドなエレクトリック・ギターを弾
いていた。
彼の演奏を聞きながら、ぼくが最初にLAに行ったのは89年だったことを
思い出す。ちょうどNYとワシントンD.C.とシンシナティに遊びに行く機会
があり、ならついでにLAにもおいでよと誘ってきたのが、当時デイヴィッ
ド・Tのアルバムをプロデュースしていた基本LA在住の日本人Oだったの
だ(ぼくは海外出張と重なり出ていないが、駒場エミナースでやった彼の結
婚披露宴にはデイヴィッド・Tも出席したはず)。ぼくがLA入りする日と
Oが東京からLAに戻って来る日を合わせて、LAXで待ち合わせ。もし、
なんかあったときの保健で彼はデイヴィッド・Tの自宅の電話番号を教えて
くれたっけ。NYやロンドンは何度か行っていても、LAはそのときが初め
てで、その後LAに行く仕事が増え、Oのアパートには2、3度ほど延長滞
在時に泊めてもらったことがあった。なんて、デイヴィッド・Tの絶妙な指
裁きに触れつつ、遠い昔のことがふんわり浮かんできた。
デイヴィッド・Tの演奏は聞き手の遠い昔の記憶と繋がった甘美な音であ
る。だが、その豊かな昔の音は今という時もやんわりやさしく、でもしっ
かりと揺り動かす力を持つものでもあると思う。