客席フロアにミュージシャンが位置する設定を持つ公演を、二つ続けてみる。

 まず、南青山・ブルーノート東京で、渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日、2017年10月8日、2017年12月16日、2018年5月28日、2018年9月2日、2018年10月6日、2018年12月15日、2019年8月6日、2019年11月12日、2019年12月15日)のオーケストラを見る。ファースト・ショウ。アルト・サックスを悠々と吹く当人に含め、全17人。ステージ上を含めて密を避けるこの時期、大人数によるこれは大胆な企画と思ったら、なるほどこうした手があったか。

 トランペット・セクションは、西村浩二(2019年4月26日、2019年4月27日、2019年4月28日、他)、奥村晶(2017年11月8日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年1月7日、他)、佐久間勲(2017年12月5日、2018年6月8日 、2018年9月2日、2019年1月7日、2020年8月2日、他)、松島啓之(2014年9月25日、2015年5月20日、2018年1月19日、2018年9月2日2019年3月29日、他)。トロンボーン・セクションは、アレンジも担当する村田陽一(2005年1月7日、2006年1月21日、2010年3月9日、2011年12月20日、2012年9月8日、2014年12月14日、2015年9月27日、2016年12月11日、2017年12月5日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年4月26日、2019年4月27日、2019年4月28日、他)と辻冬樹(2018年9月2日、他)と奥村晃(2018年9月2日、他)とベースの山城純子(2016年10月28日、2017年11月8日、2017年12月5日、2018年9月2日 、他)。サックス・セクションはアルトの吉田治(2017年7月28日、2018年9月2日、2019年1月7日、他)と近藤和彦((2011年3月28日、2011年8月6日 、2014年9月7日、2015年9月27日、2016年1月7日、2016年10月28日、2017年11月8日、2017年12月5日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年1月7日、2019年8月16日)、テナーの小池修(2010年5月11日、2011年2月10日、2011年3月10日、2011年3月28日、2013年2月22日、2015年9月27日、2016年1月7日、2017年7月28日、2017年11月8日、2017年11月17日、2017年12月5日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年1月7日、2019年7月25日、他)と竹野昌邦、バリトンの山本拓夫(2015年9月27日、2017年12月5日、2018年9月2日、他)。そして、リズム・セクションは、ピアノの小野塚晃(2016年12月11日、他)とベースの粟谷巧とドラムの竹村一哲(2016年9月27日、2018年9月2日、2019年10月6日、2019年12月20日)。粟谷と竹村の北海道出身コンビの2人が若目で、今様なルックスをしている。

 普段は全員がステージ上に乗るところ、ステージ上には少しまばら気味に管楽器奏者たちだけが2列に並ぶ。前列はサックス奏者たちで、後列はトランペットとトロボーンの担当者が位置。そして、渡辺貞夫と3人のリズム・セクション、コンサート・マスターの村田陽一の5人は客席フロアに立つ(!)。下の客席フロアは左右と一番奥に一列づつお客が座るだけで、ほぼ客を入れない状態。ほとんどの客は一段高いフロアにからの観覧となっていた。これ、キャパは相当少なくなるはずであるが、それでも大人数による出し物をやりたかったという送り手側の強い思いを感じるか。ともあれ、照明がきれいなこともあり、贅沢感も猛烈に出て、これはなんともスペシャルな設定を持つ公演なのだという思いは高まる。

 そして、比較的尺の短い設定のもと、大人数アンサンブルとソロが拮抗するビッグ・バンドの要点を伝えましょうというパフォーマンスがなされる。渡辺貞夫のオリジナルだけでなく、オリヴァー・ネルソンらの大所帯用曲も4曲だか披露。実はファーストとセカンドは別のセット・リストが組まれているそうだ。コンボでもほぼ毎回演奏される渡辺が311震災時に書いた「ウォーム・デイズ・アヘッド」は有機的なブラス陣の絡みやしっとりした中に芯を与えるリズム隊の演奏などもあり、これまでで一番魅力的なヴァージョンにぼくには聞こえた。

 なんの曲だったか、終わりの部分で、渡辺はとってもフリーキーな吹き口をお茶目に繰り出す。87歳、ノっていたんだね。アンコールは小野塚とのデュオでしっぽりシメる。以上、4日間続けられるなかの、最初のショウ。

▶過去の、渡辺貞夫
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http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm  6日
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
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https://43142.diarynote.jp/201912161054076351/
▶︎過去の、西村浩二
https://43142.diarynote.jp/201904271153238361/
https://43142.diarynote.jp/201904281151232549/
https://43142.diarynote.jp/201904291825347224/
▶︎過去の、奥村晶
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https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
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https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
▶︎過去の、佐久間勲
https://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
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https://43142.diarynote.jp/202008040925309617/
▶過去の、松島啓之
http://43142.diarynote.jp/201409261635554506/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
https://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
▶過去の、村田陽一
http://43142.diarynote.jp/200501170151560000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
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▶︎過去の、辻冬樹
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▶︎過去の、奥村晃
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▶︎過去の、山城純子
https://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
https://43142.diarynote.jp/201711091333526195/
https://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
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▶︎過去の、吉田治
https://43142.diarynote.jp/201708081429085086/
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https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
▶︎過去の、近藤和彦
http://43142.diarynote.jp/201104041100266528/
http://43142.diarynote.jp/201108101632022013/ ノー・ネーム・ホーセズ
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/ ノー・ネーム・ホーセズ
http://43142.diarynote.jp/201501131019359012/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201601090750252990/
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http://43142.diarynote.jp/201711091333526195/ マシュー・ハーバーツ・ビッグ・バンド
https://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
▶︎過去の、小池修
http://43142.diarynote.jp/?day=20100511
https://43142.diarynote.jp/201102121001091213/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110310
http://43142.diarynote.jp/201104041100266528/
https://43142.diarynote.jp/201302281046506238/
http://43142.diarynote.jp/201501131019359012/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
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http://43142.diarynote.jp/201711091333526195/ 
https://43142.diarynote.jp/201711181233058487/
https://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
https://43142.diarynote.jp/201907261128521107/
https://43142.diarynote.jp/201908191116487861/
▶︎過去の、山本拓夫
https://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
https://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
▶︎過去の、小野塚
https://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
▶︎過去の、竹村一哲
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201910070759405954/
https://43142.diarynote.jp/201912220907352341/

 その後は、徒歩で15分のところにある、青山・月見ル君想フに向かう。出し物は、<2 PIANO 4 HANDS>。フル・コンサート型の長いものではないが、会場にグランド・ピアノを2台入れて2人のピアニストがピアノを弾き合います、という企画を持つ。こちらは顔ぶれ違いで5日間に渡って行われる帯公演の、初日となる。この晩の出演者は、元ヤセイ・コレクティヴで、ジェントル・フォレスト・ジャズ・バンドにも参画する別所和洋(2013年8月22日 、2017年7月8日、2019年7月6日)のソロ・プロジェクトである“パジャマで海なんかいかない”と井上惇志。別所はパジャマを着て、裸足。家で飾らずピアノを弾いている姿を見せますという思いがその変な活動名に繋がっているのか。

 ピアノを2台、客席フロアに向き合うように起き、客はそれを取り囲む。

 かなり、興味深かった。2人はジャズ界の中枢にいるという感じではなく、ポップ系のサポートを普段はしている奏者たちなはず。だが、ちゃんとジャズを通ってきているとともにジャズ愛を2人が持つことを伝える、インタープレイのある“今宵このとき”という連弾が披露されていく。まさに一緒にテーマを弾いたあとに主と従の立場で指を這わせるものを中心に、同じ曲ををそれぞれが弾き合ったり(別所の曲で、コードが難しく、弾くのをやめたと井上がMCで言っていたものもあり)とか、絡みは様々。というか、この2人仲がよく、鍵盤を一緒に弾くということ(もしくは、それを前提とする会話)を普段からしているのではないか。1時間のものを2セットでというオーダーであったようだが、彼らは一緒に延々と演奏できちゃうんだろうなーとも見ながら思った。

 おしゃれな雫を持つテーマを持つ曲が続いたりし、それは今の奏者らしいと思ったが、じつはけっこうスタンダードをやったのか。井上がお気に入りのジェリー・マリガンの曲をソロで弾く局面もあたっが、それも今様なバラードに聞こえた。ミルト・ジャクソンの著名ブルース曲「バグス・グルーヴ」なんてのも取り上げたが、それは2人のブルージーに行ける部分を出すとともに、ストライドやブギ・ウギっぽい方向にも奏法で飛んで行った。

 出演者が男性であるためか、客の女性比率は高い。ピアノをちゃんと入れて、普段はジャズ・プログラムをやらないハコが今の担い手たちによるジャズ・ピアノを披露させる。この晩の出演者は非ジャズ愛好者も視野に入れて、明快に即興の楽しさを提示していたのは間違いない。いい企画だな。いろいろなところから、ジャズやジャズ愛好者は育つ。グランド・ピアノはヤマハの同じものが置かれていたと思われるが、2人の出音は明らかに違い面白い。別所の音のほうが雑味ぽいテイストが出ており、井上のほうがキラキラした音を出す。弾き手に添うピアノという楽器の面白さもたいそう感じることができた。

▶︎過去の、ヤセイ・コレクティヴ
http://43142.diarynote.jp/201308251333326263/
https://43142.diarynote.jp/202001201340286359/
▶︎過去の、ジェントル・フォレスト・バンド
https://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
https://43142.diarynote.jp/201907071754237718/

<今日は、久しぶりだった>
 2月20日以来の、ライヴのはしごをした。ぼくにとって、ライヴをハシゴするのは良くあることであったので、やはり少しホッとできたところはありました。両店の入店時の検温体温は、36.51度と36.5度。一時期より少し高めだ。そういえば、3月下旬からの自主ロックダウン時、37度台の微熱が続いたことがあったっけ。小心者なので、少しびびった。ところで、休業中に月見ル君想フは少し改装、トイレは階下のステージ・フロアに移動。代わりにかつて下にあったサウンドの卓が上に移るとともに、なんと配信映像の充実のためにクレーン型カメラを新たに設置していた。

 1980年代以降、もっとも影響力と支持を誇ったロック・ギタリストと言えるだろうヴァン・ヘイレンのエドワード・ヴァン・ヘイレン(1955年1月16日〜2020年10月6日)がお亡くなりになった。2000年に舌癌であることが公表されたことがあり、その後も体調が万全ではないことがときに伝えられたりもしたが、ガンで闘病中であったという。

 彼には、1998年にロサンゼルスの自宅でインタヴューしたことがある。ゲイリー・シェローンを新シンガーに置いた新作『ヴァン・ヘイレン3』(ワーナー・ブラザーズ)をリリースする際だった。場所は丘陵地にあり、広大な敷地ゆえに移動用のゴルフ・カートも置かれていた。やはり、とっても人懐こい笑顔の持ち主だった。一時代をほとばしりに満ちたギター演奏で築いた御仁。享年65、人々が感じるロスは相当に大きそう。

 また、最初期にレゲエに臨み、大きな当たりを得たアフリカ系米国人シンガーであるジョニー・ナッシュ(1940年8月19日〜2020年10月6日)の訃報も届いた。生まれた土地であるテキサス州ヒューストンで、病気がちではあったものの自然死であると伝えられる。すでに1958年にはABCパラマウントからアルバム・デビューしていて、10代ながらそこには柔和な歌声を生かしたMOR/ポピュラー・シンガー路線が取られている。その後も、彼はそうした穏健路線を歩んでいて、作曲やアレンジやプロデュースもするようになり、1960年代中期にはマネージャーとともにジャマイカに住み、ジャマイカン・アーティストといろいろ付き合いをもったと言われる。また、長続きはしなかったもの1960年代後半には自らのレコード会社であるJADも本国で運営した。

 そんな一筋縄ではいかない彼の有名作が、キャディットを経てCBSコロムビアに移籍してリリースしたレゲエ要素をしなやかに取り入れた『アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ』(1972年)。その爽やかなタイトル・トラックは英米で1位を獲得する大ヒットとなりレゲエの存在を伝えるとともに、レイ・チャールズ、ホットハウス・フラワーズやジミ・クリフ他が後にカヴァーしている。なお、同作にはナッシュの自作曲とともに「スティアー・イット・アップ」らボブ・マーリー作の3曲やマーリーとナッシュの共作曲「You Poured Sugar On Me」も収められている。その後も、彼は1980年代中期まではいろいろとアルバムを出した

 少し雨が降り出した午後、六本木・ソニー・ミュージアムで、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ(2018年9月11日)のもろもろを紹介する「"DOUBLE FANTASY - John & Yoko" 」展のメディア内覧会に行く。昨年にジョン・レノンの故郷であるリヴァプールで持たれ、今度はオノ・ヨーコの生まれた東京でも、10月9日から(来年の1月11日まで)開かれる。場所は、ソニー・ミュージック六本木ミュージアム。東洋英和のそばですね。
 
 綺麗な白い壁群にいろいろな展示がなされる。ジョンとヨーコが出会ったころから年度順に、いろんなアイテムを盛り込みながら、入場者は2人の歩みを追体験していくこととなる。かなり配置/回廊構成がたくみで、知っていることであってもなるほどと頷きながら見れるし、初めて接するアイテムも多い。前衛アーティストだったヨーコの1966年の出し物を再現したものから、各種メモ(ヨーコって日本語とり英語の方が字がきれいなような)や書類、ジブラルタルの結婚式(1969年共同名義の『ウェディング・アルバム』のジャケット写真もそれかな?)で着ていた衣服まで、いろんなものが解説とともに並ぶ。また、2人の映像も何箇所かで流されており、それも興味深い。NYのセントラル・パークにあるジョンのメモリアル場所である“ストロベリー・フィールズ”を再現したコーナーや、ショーンも含めた軽井沢での様を伝えるコーナーはもあって、それは日本独自の展示のよう。

 2人の音楽に焦点を合わせるというよりは、唯一無二な関係性のもと様々な社会の壁や偏見に立ち向かった行動家としての2人に焦点を合わせているとも感じるが、それは正解の指針だろう。一方では、音楽アイテムの展示もあるし、会場を動いていくと、ときに流れてくるジョンの歌声やメロディには耳奪われて、えも言われぬ気持ちになる。音楽映像を流す“イマジン・シアター”という広めの場所も作られていた。

 最後は、七夕の短冊のように、自ら書いた紙片を木の葉っぱに結びつける部屋がある。それをオノ・ヨーコは過去の展覧会でやっており(その過去の模様は大きな写真で紹介されている)、ここでもじきにものすごい短冊のツリーができあがるんじゃないか。先に、白い壁が基調となる展覧会であることを触れたが、クリスマス期のキブンにも合いそう。そこで、ジョンの「ハッピー・クリスマス」とか聞いたら、じいーんとなっちゃうんじゃないか。普遍的な男女の関係を伝える展覧会でもあるし、カップルにもおすすめかな。

 出口前には、物販スペースが。もちろん、アイテム数は多し。両者のイラストのポスト・カード6枚セットは値段も手頃(1200円)。1971年に東京とニューヨークでなされた2人へのインタヴューの模様を透明レコードに彫った限定アナログも2種あり。

▶過去の、ヨーコ・オノ
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
https://43142.diarynote.jp/201809121745334226/ 新作
▶︎過去の、ジョンとヨーコを扱う映画
https://43142.diarynote.jp/201105282358273180/ ショーン・レノンの、両親を語るインタヴュー付き
▶︎過去の、ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm 15日

 その後は、京橋テアトル試写室で、2019年タイ映画を見る。監督/脚本/プロデュースは、1984年生まれのナワポン・タムロンラタナリット。これが7作目で、日本でも注目を受けている監督らしい。脱捨離に向き合う女性の家族関係や人間関係を描くものだが、よくぞこのストーリーを作ったなと思った。最後にもう一つなんか出来事を作ったほうがぼくとしてはより好みになるとは思うが、感心する。キャスティングもうまい。そして、頷くのは確かな都会性も抱えるこの映画に、ぼくが知るところのタイの風景は全然写っていないこと。これは、あらゆる都市に置き換えても違和感はまったくないはずであり、この映画のストーリー権を取った映画が他国で作られると聞いてもぼくは驚かない。メロディアスなものからジャジーなもの、効果音的な電気音まで、いろんな音楽をつけているジャイテープ・ラールンジャイは日本の音楽専門学校を今年卒業し、そのまま日本に滞在して、これらを作ったという。

<今日は、インタヴューもした。対面は久しぶり>
 試写会のあとは、大貫妙子(2005年9月14日、2009年1月16日、2016年9月27日 )にインタヴュー。場所は、銀座の音響ハウスのスタジオ1。広い録音ブースには、フルコンサートのグランド・ピアノも置いてあった。映画『音響ハウス Melody-Go-Round』(2020年9月4日)のプロモーション取材を彼女が受けてのもの。この日8つも取材が入っていたそうで、その7番目だったが、疲れた感じもなく接していただく。音響ハウスには30年ぶりぐらいに行った。たぶん改築がされていると思うが、映画で坂本龍一がエレベイター内を叩いた音を録り使ったということを語っていたが、ちょい感慨深い。このビルにはエレヴェイターは一つしかない。隣に映像アイテムを扱う映像館というビルもできていた。
 そういえば、昨日はジェイミー・カラム(2004年1月28日、2006年6月13日、2014年1月30日)の、<Jamie Cullum Zoom Christmas Showcase-クリスマス・アルバム・オンライン試聴会&生演奏->というものに、ズームで参加。日本、豪州、アジアの時差の少ない地域をプレスを対象とするもの(60人ぐらいの人が入っていたな)で、近くクリスマス・アルバムを出すカラムがいろいろしゃべり、クリスマス・ソングを次々にピアノで弾き語りする。30分強。ナット・キング・コールやフランク・シナトラら先達の表現に言及しもしたが、新作はグッド・オールド・タイムな部分をリッチに押し出すものとなるか。そのアルバムは、オーケストレーションつきなようだ。
▶︎過去の、大貫妙子
http://43142.diarynote.jp/200509161722260000/
http://43142.diarynote.jp/200901171017206901/
https://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
▶︎過去の、『音響ハウス Melody-Go-Round』
https://43142.diarynote.jp/202009051915549699/
▶過去の、ジェイミー・カラム
http://43142.diarynote.jp/200402051857060000/
http://43142.diarynote.jp/200606182131580000/
https://43142.diarynote.jp/201401311458223738/

 とってもインターナショナルな活動もした、トランペッターの近藤等則 (2006年4月28日, 2007年1月8日、2015年6月29日、2019年2月18日)の急死の報が届いた。音楽的にも人間的にも破格、自由にしてスケール大。あんな傑物ミュージシャン、そうはいない。ショックを受けている。

▶︎過去の、近藤等則
https://43142.diarynote.jp/200604301346130000/
https://43142.diarynote.jp/200701131418140000/
https://43142.diarynote.jp/201507021227231770/
https://43142.diarynote.jp/201902201002506739/

<ここのとこの、涙>
 先週の木曜昼間に発熱。以後、平熱36、5度(弱)のところ、最高37、1度という微熱が続いている。37、5度ぐらいになったり、嗅覚/味覚がなくなったりするとちゃんと対処しなきゃとなる。だが、なんか熱っぽいなあ、少し寒気がするなあ(この時期に、暖房エアコンを使うのは初めてのことではないか)、ちょいダルいなあ(でも、それはいつものこと?)という感じだけで終わっているので、自主完全引きこもりするのにとどめている。微熱状態継続というのは4月にもあったので、慌てていないというところはあるか。原稿仕事は一応できているしね。でも、行くことにしていたライヴは3つ、大事をとり行くのを諦めた。ぼくの予定では今日のお昼あたりから、平熱になる予定。週末には対面取材も入っているので、そうじゃないといろんな人に迷惑をかけることになる。

 1960年代のブルース/R&Bをベースとする英国ビート・ミュージックの代表的な担い手であったスペンサー・デイヴィスが、肺炎で入院中だったロサンゼルスの病院で亡くなった。1960年代中期、ギターや歌やハーモニカ担当の彼が率いるザ・スペンサー・デイヴィス・グループにはスティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)が在籍したことで知られる。2000年代までグループ名や個人名でいろんな作品を出しているが、1970年代に入ると彼は生活費を得るためにアイランド・レコードに勤務したこともあった。アーティスト発掘に携わり、すでにその頃には米国在住だったという話もある。レゲエのサード・ワールド(2006年8月3日)は彼は契約したようだ。そんなデイヴィスは勉強家で、周りからプロフェッサーと一目置かれていたとも伝えられる。

▶︎過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶︎過去の、サード・ワールド
https://43142.diarynote.jp/200608041000150000/

<今日の、思い出>
 スペンサー・デイヴィスはロングビーチの沖にあるリゾート地である、カタリナ島に住んでいたとも伝えられる。四半世紀ほど前に、一度カタリナ島に連れていってもらったことがあった。覚えているのは帰りの船がバカみたいに揺れたことと、その街並みが欧州的と感じさせたこと。カジノという場所もあったが、それはカジノではなかった。

 今年早々にアルバム『Time Remembered』(Days of Delight)を出した須川崇志のリーダー・トリオのライヴを見る。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 ベースの須川崇志(2010年3月14日、2011年7月25日、2016年6月27日、2017年6月21日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年3月29日、2019年12月14日、2019年12月20日) にくわえ、ピアノの林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日、2016年7月16日、2018年5月13日 、2019年1月7日、2019年10月6日、2019年11月19日、2019年11月21日、2019年12月18日、2020年8月28日)、そしてドラムの石若駿(2014年9月26日、2016年6月27日、2016年7月21日、2016年9月4日、2017年6月21日、2017年7月12日、2019年1月21日、2019年3月16日)という3人による。

 オープナーは、そのアルバム・タイトルにもなったビル・エヴァンス(ピアノ)曲を演奏する。あぁけっこうメロディアスに行くんだな、と感じる。須川は個人としてはけっこうフリー・フォームに流れるというイメージを持つがゆえに。それはともかく、そこからこの顔ぶれならではの窓を持つ演奏を開き、流れていく。途中まで、曲を続けて演奏。そして、なんと真ん中の3曲だかは、須川はエレクトリック・ベースを手にする。ぼくは、彼が電気ベースを手にする姿を初めて見た。

 PC用の近くに焦点を合わせた眼鏡をかけたまま出てしまったため、それがフレッテッドかフレットレスかはよく分からず。音色で判断するにフレットレスだったのかな。彼は曲の頭に足元のエフェクターをいじり、電気的な異音を出しもする。この場合、石若はクラブ・ミュージック的な叩き口を持つドラミングにシフトし、そこにまた異化以下を加える林のグランド・ピアノ音(いつもより少しリヴァーヴをかいしていたかもしれぬ)がいい感じで、もう一つの現代ジャズを提示する。うわー、おもしれー。

 15分だか20分のその電気ベースを弾くブロックを終えて、須川はやっとMCをする。そして、その後はまたダブル・ベースを弾くアコースティック路線に戻るが、先のエレクトリック・ベースを弾くセットを経た後だとまた新鮮で、興味深い。これは、一粒で2度美味しい。MCによると、この7月にこのトリオの新作をすでに録っているそう。そして、そのとき録っていない新しい自作曲も演奏する。曲は3人がオリジナルを出し合い、さらにはケニア人シンガー・ソングライターのアユブ・オガダや2000年以降ずっとウィンター&ウィンターからアルバムをリリースしているドイツ在住のヴェテラン・ピアニストである安田芙充央の曲を演奏もした。アルコ弾きは1曲で披露したかな。

▶︎過去の、須川崇志
http://43142.diarynote.jp/201003191715113498/
http://43142.diarynote.jp/201107310727152406/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160627
http://43142.diarynote.jp/201706220952582448/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/201912161052582124/
https://43142.diarynote.jp/201912220907352341/
▶過去の、林正樹
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/
https://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
https://43142.diarynote.jp/201910070759405954/
https://43142.diarynote.jp/201911201705565775/
https://43142.diarynote.jp/201911230723444744/
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
https://43142.diarynote.jp/202008290914077509/
▶︎過去の、石若駿
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
http://43142.diarynote.jp/201607221000152412/
http://43142.diarynote.jp/201606281737237220/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170621
http://43142.diarynote.jp/201707130853185809/
https://43142.diarynote.jp/?day=20180404
https://43142.diarynote.jp/201901231045028294/
https://43142.diarynote.jp/201903171331065828/

<今日の、どうでもいいこと>
 乾燥がいやで長年、加湿器は使っていた。電気ポットを平たくしたようなものをはじめ、いろんなタイプの加湿器を使ってきたよなー。だが、ここ数年は歳をとって面倒臭がりになっているのか、トランク・ルームから引き出さず、加湿器を使わないできた。あ、コードが見当たらなかったんだっけ? 雑になっており、別になしでも平気じゃんという思いがあった。しかし、この状況下では湿度は低くないほうがいいだろうと考え、ハイブリット型のものを購入。やはり、デザインをはじめ、新しいものはいいよねという思いを得る。でも、一度湿度を設定したら、そのまま使うのでリモコンはいらないよなあ。とともに、切タイマーがついているのにも?。寝ている間の湿度ケアこそ肝要であると思うので。

 オルガンやリード楽器やアコーディオンを担当する1937年生まれのガース・ハドソン(2013年8月2日)。歌とドラムやマンドリンンのリヴォン・ヘルム(1940〜2012年)。ピアノと歌とドラムのリチャード・マニュエル(1943〜1986年)。歌とベースその他のリック・ダンコ(1943〜1999年)。ギターと作曲のロビー・ロバートソン(1943年〜)。この5人が、ザ・バンドのオリジナル・メンバー。そして、ヘルム以外はカナダ人だった。3人が鬼籍入り、浮世離れしているハドソンだけは存命だが、ロバートソンの話で映画は進められる。その語りは2017年に撮影されたようだが、かなり若めに映っていてなにより。彼が「Testimony」という回顧録やコンピレーションを出したのは、それより少し前だったっけ。

 旧いロックに関してぼくは、まずザ・ビートルズとザ・ローリング・ストーンズ。そして、ザ・バンドとリトル・フィートという人。その次はトッド・ラングレンや10cc /ゴドリー&クリームとかのポップの魔法を出した担い手を出したくなる? そりゃ楽な姿勢で見たけど、冒頭の「アップ・オン・クリップル・クリーク」のスタジオ演奏映像から、生理的には背筋をピンと伸ばして見入りました。

 まだ20代だというカナダ人のダニエル・ローアーが監督した2019年カナダ/アメリカ映画「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」(原題「Once Were Brothers: Robbie Robertson and the Band」)を、渋谷WHITE CINE QUINTOで見る。製作総指揮はマーティン・スコセッシとロン・ハワードという有名映画監督が務める。「Once Were Brothers」という曲は、映画公開に合わせて出したロバートソンの新作『Sinematic』(UMe /Universal,2019年)に収められている。

 冒頭の3分の1ほどは、映画「ランブル」(2020年3月26日)ともリンクするロバートソンの生い立ちやロバートソンが中学中退のような感じで身を投じ、ロニー・ホウキンスやボブ・ディランのバック・バンドをザ・バンドのメンバーたちとしていた時代に割かれる。あの下積み時代に、ザ・バンドのブラザーフッドが築かれたといことが、そこで示される。

 しかし、正式デビュー前のディランとのツアーは行く先々で本当に非難轟々の反応を観衆から受けまくりで、ザ・バンドのメンバーたちは精神的にたっぷり疲弊したよう。途中で、ヘルムはそれで音楽をやるのがイヤになりバンドを抜けてニューオーリンズの油田で働きだし、ロビー・ロバートソンはステージ恐怖症となり催眠術を受けてザ・バンドの初期ライヴをしたなんて、話も出てくる。フォーク時代のディランのファンって……。なんか、マイルズ・デイヴィスの電気路線転向後の当時のジャズ・リスナーの困惑と重なる部分があるかもしれないと思った。

 ロバートソンの奥さんはやはりカナダ人で、1966年だかディランのサポートでパリに行ったときに偶然出会いナンパして、米国に呼び結婚したそう。証言者として、彼女もけっこう出てくる。今はセラピストをしているようだが、知的な感じの人ですね。そんな彼女にロバートソンはぞっこんで、妻と子供達を優先させるクリーンなロバートソンと、酒と薬に明け暮れる他のメンバーたちとのスタンスの乖離が友情が崩れる大きな理由になったことがあげられる。超越感のあるハドソンがどっち側の人間であったかは不明だ。

 リヴォン・ヘルムやジョージ・ハリソン(1943〜2001年)の発言映像が出てきたりもし、けっこう昔の材料も用いられる。ロニー・ホウキンスはヤクザなじじいで本当にいい感じ、笑かす。まじにザ・バンドに入りたがったエリック・クラプトンが証言者と出てくるのは当然として、ぼくが魅力を覚えることができないブルース・スプリングスティーンがザ・バンドのファンであるのは初めて知った。彼の「ロック界最高のソングライター(ロバートソン)と最高のシンガーが3人(ヘルム、マニュエル、ダンコ)いた無敵のバンド」というようなコメントはまったく的を得ている。そこに、付け加えるなら、ギターを弾くロバートソン以外は楽器を持ち替えたりもし、最高の手作りロック・サウンド創出を行なった集団であったということか。作曲印税が入るロバートソンと、おれたちの集団アレンジや演奏があったことで曲は実を結ぶと考えたヘルムらとの考え方の相違があったことも映画は伝える。

 あれ、そうだったのということはいくつも紹介されるが、グレイトフル・デッドとザ・オールマン・ブラザーズとザ・バンドの3組が出た1973年7月の野外コンサート〜60万人だか米国音楽史上一番観客を集めたフェスと言われる〜のワトキンスグレンのことにも触れて欲しかった。どんな感じのものだったんだろ?

 一番そうだったのかあという情報は、アサイラム・レコードを作ったデイヴィッド・ゲフィン(彼も1943年生まれ。やはり、証言者として出てくる)がディランと関係を持ちたくて、ロバートソンにアプローチしたという件。それが功を奏し、ディランは1974年にザ・バンドと一緒に全米ツアーを行い、そのライヴ盤とザ・バンドがサポートするスタジオ録音作をアサイラムは1974年に出した。最初にロバートソンと会った際にゲフィンは「マリブはいいよ、引っ越しなよ」と誘い、ロバートソンはそれに従い西海岸に引っ越してしまい、「マリブは最高〜、満喫ぅ」との発言も出てくる。他のメンバーは東海岸のウドストックに住み続けたわけで、それも1976年の解散につながっているのは間違いない。また、引っ越ししなかったら、ハリウッドの住人であるスコセッシともロバートソンは知り合うことはなかったかもしれない。その後も、ゲフィンやDGCなど大きなレーベルやドリームワークスという映画の会社を司るデイヴィッド・ゲフィンだが、ちょい罪作りな人だな。

 スコセッシが記録映像の監督をした、実質解散豪華公演「ザ・ラスト・ワルツ」の場面までが語られる。それ、映画を撮る都合で東海岸ではなくサンフランシスコでやることになったのか? 今、改めて考えると、場の必然性はないよな。そして、映画の最後には、各メンバーのかつての家族写真が出される。なんか、救われた気持ちになる。……とにもかくにも、不世出なバンド。思うところもいろいろあり、映画を見たあと、飲みに流れずにはいられなかった。
(追記、2021年3月22日:早朝ぽっかり目が覚め、なんとなくTVをつける。そしたら、映画チャンネルでちょうど『ラスト・ワルツ』が放映されていて、そのテーマ曲にあわせダンサーが踊っている頭の場面。そのまま、ゆったり見る。メンバー証言はロバートソンだけのものが目立つと、改めて思う。プロデューサー・クレジットに彼の名前が単独であり、この映画もロバートソン視点が大きい映画なのだなと気づかせられた。その際、サンフランシスコでラスト公演をやるのはザ・バンドが最初にライヴをやった場所だから、というような発言をしている。しっかし、豪華なゲスト陣たちだよな。裏の様子が知りたい、ともおおいに思った。https://43142.diarynote.jp/202102241815558190/ で触れているが、なるほどローレンス・ファーリンゲッティも詩の朗読をしている。彼が出てくるのは、映画ではクライマックスにさしかかるボブ・ディランが登場する前だった。

▶︎過去の、ザ・バンド関連の記載
https://43142.diarynote.jp/201204221307297965/ 下の方の<>内
https://43142.diarynote.jp/201308110826574632/ ハドソン夫妻
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/ ザ・ウェイト・バンド
▶︎過去の、ストーンズ関連
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月15日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日(バック・バンド)、15日
https://43142.diarynote.jp/201904200941516964/
▶︎過去の、リトル・フィート関連
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/
https://43142.diarynote.jp/?day=20191031 ポール・バレル訃報
▶過去の、トッド・ラングレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200804081929500000/
http://43142.diarynote.jp/201010111257003810/
▶過去の、10cc /ゴドリー&クリーム関連
http://43142.diarynote.jp/?day=20100523
http://43142.diarynote.jp/201208091454209002/
https://43142.diarynote.jp/201501251406119601/
▶︎過去の、映画「ランブル」
https://43142.diarynote.jp/202003271634082075/
▶︎過去の、エリック・クラプトン
http://43142.diarynote.jp/200611221236140000/

<今日の、渋谷>
 さて、またハロウィーンのシーズンですね。警察官大集合という感じで、たくさんの警官を見かけた。ウィルス感染が気になるおり、今日はそれっぽい若者は見かけなかったが、ちょうど土曜と重なる明日が本番。どうなるでしょう。
 ところで、映画館は渋谷パルコの8階にあった。新開店した渋谷パルコの中には初めて入る。好奇心が減衰していると考えるべきかとも一瞬思ったが、客のターゲットはぼくよりもずっと年下だろうし、そんなもんだよな。ところで、昨日の毎日新聞の夕刊1面に映画「鬼滅の刃」が大ヒットしているというでっかい記事が掲載されていた。そういうマンガがあるのは知っているものの、ちゃんと見たことはなく、その映画にもまったく興味がないぼく……。かなりすいていたザ・バンドの映画を見た後、オレってずれているのかと一瞬考えたが、多様性とはそういうものであり、大切にすべきこと。それが許容されなくなったら、そんなに恐ろしいことはない。