登川誠仁&大城美佐子。マリ・カルクン
2012年12月4日 音楽 沖縄の民謡界の大御所2人が組んだ公演を青山・草月ホールで見る。満員。2人は共演アルバムを今年出したが、それいぜん一緒に歌ったことはなかったのだとか。当然、そのアルバムを受けての公演で、演目は同作でやったものが多かったみたい。その2人に、アルバムにも関与していた島太鼓の男性(よはな徹)とお囃子や三板の女性(大城のお弟子さんのよう)がサポート。彼らの様を見ると、登川と大城の存在の大きさが実感できもする。
1932年生まれと、1936年生まれ。アラウンド80。でも、父と娘という感じもあったか。やはり、音楽の主導権は登川が握っているというノリでショウはすすむ。リード・ヴォーカル(という書き方もナンだが)も登川がとるもののほうが多かったし、天真爛漫に暴走する登川を大城が見守り、寄り添うという感じもありました。登川はこの晩、三線ではなく六線を弾いていた。
二部構成にて。やはり真っ先に書きたくなるのは、<ブルース・マンたるもの、こうあるべし>と言いたくなるような、登川の楽しい振る舞いやMC(沖縄の言葉でしゃべるので、けっこうよはな徹が通訳ですと言って、標準語で内容を伝えたりも。でも、これは通訳できませんと言う場合もあった)。本人もこの日はいつも以上に楽しく弾けていたという話もあるが、もしぼくの大好きなおじいちゃん外国人アーティストが同様のキャラを見せたなら、ぼくは昇天しちゃうんじゃないかと、それは思わす。だが、こと音楽が始まると凛とした、澄んだ純度の高いパフォーマンスを聞かせてくれるのだから、大きく頭を垂れたくもなる。そのギャップ、鮮やか。さすが、溜めているもの、デカいとも思わされた。
そして、南青山・月見ル君想フに移動して、エストニアの女性シンガー・ソングライターのショウに触れる。前座が2人(湯川潮音と、世武裕子;2011年7月19日、他)いたので、かなりちゃんと見れた。ウッド・ベーシストを伴ってのもので、ガット・ギター、キーボード、アコーディオン、油絵のパレットのような木に弦を張ったような民俗楽器を弾きながら歌う。実は彼女のことを知っていたわけだはない。知人にエストニアはいいよという人が散見され、一度はエストニアに行きてえなあと思っていたので、見に行った。そしたら、ちゃんと日本盤も出ているようだ。
北の国を確実に想起させる、透明感のあるヴォーカルの使い手。曲はやはり北欧の感覚が強いものから、英米フォーキー・ポップの流れにあるものまで、いろいろと歌う。1曲ごとに、彼女は曲の説明を英語でしたが、森と関連した曲が多かった。それは彼女も指摘し、エストニア人にとって森は重要なのと言ってもいたか。一部はけっこうノルウェー人のシニッカ・ランゲラン(2011年9月2日)と重なる聞き口もあり、先に触れた民俗楽器もランゲランが弾くカンテレと音の響きが似ている。本人はまだ20代だろう、曲に日本語の歌詞を入れたりもし、日本でできてうれしい、そして異国の聞き手に働きかけたいという純な気持ちが溢れている。音楽に対する純真を忘れてはいけないと思わさせられたりもする、いい実演でした。
<今日の、どうにも……>
都知事選選挙日を伝える電車内吊りポスターがあまりにも酷い。たいして可愛くもない制服姿の娘たちを使った、軽薄かつなんかとっても下品なそれ。コンセプトもデザインも最低っ。こんなくだらねえものに税金が使われていると思うと、もう世の中の右翼寄り勢力の跋扈ぶりと相まって、絶望を通り越す。そういえば、家のポストには同様の目的のウェットティッシュが入れられてもいるし、選挙告知には相当に予算はとられている?
1932年生まれと、1936年生まれ。アラウンド80。でも、父と娘という感じもあったか。やはり、音楽の主導権は登川が握っているというノリでショウはすすむ。リード・ヴォーカル(という書き方もナンだが)も登川がとるもののほうが多かったし、天真爛漫に暴走する登川を大城が見守り、寄り添うという感じもありました。登川はこの晩、三線ではなく六線を弾いていた。
二部構成にて。やはり真っ先に書きたくなるのは、<ブルース・マンたるもの、こうあるべし>と言いたくなるような、登川の楽しい振る舞いやMC(沖縄の言葉でしゃべるので、けっこうよはな徹が通訳ですと言って、標準語で内容を伝えたりも。でも、これは通訳できませんと言う場合もあった)。本人もこの日はいつも以上に楽しく弾けていたという話もあるが、もしぼくの大好きなおじいちゃん外国人アーティストが同様のキャラを見せたなら、ぼくは昇天しちゃうんじゃないかと、それは思わす。だが、こと音楽が始まると凛とした、澄んだ純度の高いパフォーマンスを聞かせてくれるのだから、大きく頭を垂れたくもなる。そのギャップ、鮮やか。さすが、溜めているもの、デカいとも思わされた。
そして、南青山・月見ル君想フに移動して、エストニアの女性シンガー・ソングライターのショウに触れる。前座が2人(湯川潮音と、世武裕子;2011年7月19日、他)いたので、かなりちゃんと見れた。ウッド・ベーシストを伴ってのもので、ガット・ギター、キーボード、アコーディオン、油絵のパレットのような木に弦を張ったような民俗楽器を弾きながら歌う。実は彼女のことを知っていたわけだはない。知人にエストニアはいいよという人が散見され、一度はエストニアに行きてえなあと思っていたので、見に行った。そしたら、ちゃんと日本盤も出ているようだ。
北の国を確実に想起させる、透明感のあるヴォーカルの使い手。曲はやはり北欧の感覚が強いものから、英米フォーキー・ポップの流れにあるものまで、いろいろと歌う。1曲ごとに、彼女は曲の説明を英語でしたが、森と関連した曲が多かった。それは彼女も指摘し、エストニア人にとって森は重要なのと言ってもいたか。一部はけっこうノルウェー人のシニッカ・ランゲラン(2011年9月2日)と重なる聞き口もあり、先に触れた民俗楽器もランゲランが弾くカンテレと音の響きが似ている。本人はまだ20代だろう、曲に日本語の歌詞を入れたりもし、日本でできてうれしい、そして異国の聞き手に働きかけたいという純な気持ちが溢れている。音楽に対する純真を忘れてはいけないと思わさせられたりもする、いい実演でした。
<今日の、どうにも……>
都知事選選挙日を伝える電車内吊りポスターがあまりにも酷い。たいして可愛くもない制服姿の娘たちを使った、軽薄かつなんかとっても下品なそれ。コンセプトもデザインも最低っ。こんなくだらねえものに税金が使われていると思うと、もう世の中の右翼寄り勢力の跋扈ぶりと相まって、絶望を通り越す。そういえば、家のポストには同様の目的のウェットティッシュが入れられてもいるし、選挙告知には相当に予算はとられている?