トロンボーン・ショーティ
2010年12月13日 音楽 渋谷・クラブクアトロ。7時少し前に会場に入ったら、びっくり。がらーん、50人ぐらいしかいないじゃん。え? 今年のフジ・ロックに出演して大好評だったはずなのに、どうなっているのォと思ったら、この晩は7時半の開演、時間を間違えた。さすが、スタート時にはかなりいい感じの入りになっていましたが。ニューオーリンズの若大将(1986年生まれ)、2010年7月31日の項で書いているように、すぐ来るだろうと何の根拠もなく確信していたら、半年たたずにやってきた。イエイっ。
本人、テナー・サックス、ギター、ベース、ドラムという編成で、驚かされるのは、ギターとテナーとドラムは白人であったこと。彼らは地元のアート・スクールで知り合った仲間たちなはずで、同年代か。確かに、皆若い。どうせなら、女性も一人入っていると、ぼくはもっとうれしくなるけどなー。そんな彼らのパフォーマンスに触れていて、すぐにある意味、マイナスの感想を持ち驚く。とともに、かなり感心もする。そこには、音楽のマジックがあったな。
驚いたポイントは、音楽的には新しさとか、深みとかいったほめるべき美点/アドヴァンテイジがないこと。ファンク、R&B、ロックなどのこれまで出ている音楽的要素を、ガンボして、力づくでやっているという感じ。各人は有名曲の引用をソロで出すときもあるが、既成の曲を参照しながらジャムって一丁上がりといったような感じの曲が散見されたな。作曲というよりは、リフをつないで曲を完成させちゃう、みたいな説明もできるか。だから、マーヴィン・ゲイの「レッツ・ゲット・イット・オン」のようなメロディのある曲をやると、すんごく誘われちゃう。また、彼らはニューオーリンズの特徴的な音楽的語彙をあまり用いない。まあ、ヴァーヴ・フォアキャスト発の新作もそうであったけど。
だが、そう感じさせる一方、めっぽう鼓舞され、うっひょ〜と浮かれされちゃったんだよなー。もう線が太く、演奏自体に力と気持ちがある。ショーティはトロンボーンを吹くだけでなく、曲によっては高めの声で歌い、トランペットも手にし(ニューオーリンズの花形楽器はトランペット。この夏に、なんでトランペットではなくトロンボーンなのと尋ねたら、兄がトランぺットをやっていたので、一緒にバンドをやるにはトロンボーンを手にするしかなかったと返答)、他の奏者がフィーチャーされるときは応援団長のごとく横でそれを盛り上げ、心の限りオーディエンスに働きかける。客あしらいの、上手い事。まあ、小僧の頃から音楽で稼ぎ、12歳にして親元を離れ自活していたから当然か(だから、トロイ・アンドリュースという本名で出したアルバムもいろいろあります)。そのまったくもって、生理的に澄んだ姿(タンクトップを着ていた)に、ぼくは<今年一番タンクトップが似合う男>という称号を与えたくなった。
先に、ニューオーリンズの特徴的な音楽的語彙をあまり用いないと書いたが、それはセカンド・ラインとかのビートや揺れにおける部分の事を指す。一方では、出音がでかい扇情的なトロンボーンの音だけでニューオーリンズで育った吹き手であることは一聴瞭然だし、バンドに漲る仲間意識や笑顔も我田引水しちゃうなら、それもまったくそう。そして、「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」や「聖者が街にやってくる」(あれ、これやったよな。実は良く覚えていない)なんかのニューオーリンズとつながるようなスタンダードも彼ら流に披露するのだが、それはそれでめっちゃ訴求する。で、結局、伝統を溜めた豊穣な音楽の場で育ち、そこから外に出て行く、心意気たっぷりのイナセな音楽野郎が仁王立ちしていると、感激させられるのだ。さらには、ここには天下一品のパーティ・ミュージックの送り手がいるとも。
アンコールが終わり場内が明るくなり音楽が流され、客が帰りはじめる。2割近く帰ったあたりで、なんと再び出てきて、彼らは演奏をはじめる。そして、その2曲目で、アンドリュースはドラム、ドラムはギター、ギター奏者はサックス、サックスはベース、ベースはトランペットと楽器を全とっかえして、演奏する。客に演奏させてメンバーはダンスを踊ったり(2006年8月8日)、どんどん客に演奏に加わらせたり(2007年2月5日)というニューオーリンズ勢の実演に過去触れているが、ショーティたちの姿もまた同地のシェアしあうノリ(その最たるものが、パレードですね)をおおいに体現するものか。そして、本当の終演時に5人は前に出てきて、肩を組んで満面の笑み、割れるような声援に応える。これまた、美しくも、輝ける、うれしい瞬間。見る者も出演者も、皆幸せ。こういう公演終了時のステージ上でのアーテストの横一線で並ぶ様を集めた写真集とか、誰か出さないかな。結構、満たされていいキブンになれるかも。それだけで、音楽性やショウのノリや構成員間の関係を推し量れたら素敵じゃない?
今年トップ級のライヴ・バンド、それがトロンボーン・ショーティと彼の仲間たちだ。なお、まだデモ作りの段階だそうだが、米ユニヴァーサル・ミュージックのリリース・リストの6月には彼の名前が載っているそうだ。
終了後、すぐそばのBar Issheeに行く。藤井郷子(2010年8月6日、他)プロデュースの4つの単位の出し物をやっていたはずで、入ると最後の<田村夏樹×大熊ワタル>をやっていた。玩具っぽい小道具/肉声を用いる無邪気なやりとりが続く。終わった後の藤井の締めのMCは、「二人が、こんなにバカだったとは」。藤井にクアトロに行ってから来たらあんまし見れなかったと伝えると、彼女は「私は昨日、クアトロ(二階堂和美)に行きました」。へえ。なお、田村、藤井、松本健一(2008年8月24日、他)、臼井康浩(2009年7月29日、他)、ケリー・チュルコ(2008年12月17日、他)が発起人となって、スペースワンと名付けた自主ライヴ・スペースを来年持つようで、この晩の出し物はその先行企画となるもののよう。それ、ジョン・ゾーンのNYザ・ストーン、大友良英の吉祥寺GRID605のようなものか。期待したい。
本人、テナー・サックス、ギター、ベース、ドラムという編成で、驚かされるのは、ギターとテナーとドラムは白人であったこと。彼らは地元のアート・スクールで知り合った仲間たちなはずで、同年代か。確かに、皆若い。どうせなら、女性も一人入っていると、ぼくはもっとうれしくなるけどなー。そんな彼らのパフォーマンスに触れていて、すぐにある意味、マイナスの感想を持ち驚く。とともに、かなり感心もする。そこには、音楽のマジックがあったな。
驚いたポイントは、音楽的には新しさとか、深みとかいったほめるべき美点/アドヴァンテイジがないこと。ファンク、R&B、ロックなどのこれまで出ている音楽的要素を、ガンボして、力づくでやっているという感じ。各人は有名曲の引用をソロで出すときもあるが、既成の曲を参照しながらジャムって一丁上がりといったような感じの曲が散見されたな。作曲というよりは、リフをつないで曲を完成させちゃう、みたいな説明もできるか。だから、マーヴィン・ゲイの「レッツ・ゲット・イット・オン」のようなメロディのある曲をやると、すんごく誘われちゃう。また、彼らはニューオーリンズの特徴的な音楽的語彙をあまり用いない。まあ、ヴァーヴ・フォアキャスト発の新作もそうであったけど。
だが、そう感じさせる一方、めっぽう鼓舞され、うっひょ〜と浮かれされちゃったんだよなー。もう線が太く、演奏自体に力と気持ちがある。ショーティはトロンボーンを吹くだけでなく、曲によっては高めの声で歌い、トランペットも手にし(ニューオーリンズの花形楽器はトランペット。この夏に、なんでトランペットではなくトロンボーンなのと尋ねたら、兄がトランぺットをやっていたので、一緒にバンドをやるにはトロンボーンを手にするしかなかったと返答)、他の奏者がフィーチャーされるときは応援団長のごとく横でそれを盛り上げ、心の限りオーディエンスに働きかける。客あしらいの、上手い事。まあ、小僧の頃から音楽で稼ぎ、12歳にして親元を離れ自活していたから当然か(だから、トロイ・アンドリュースという本名で出したアルバムもいろいろあります)。そのまったくもって、生理的に澄んだ姿(タンクトップを着ていた)に、ぼくは<今年一番タンクトップが似合う男>という称号を与えたくなった。
先に、ニューオーリンズの特徴的な音楽的語彙をあまり用いないと書いたが、それはセカンド・ラインとかのビートや揺れにおける部分の事を指す。一方では、出音がでかい扇情的なトロンボーンの音だけでニューオーリンズで育った吹き手であることは一聴瞭然だし、バンドに漲る仲間意識や笑顔も我田引水しちゃうなら、それもまったくそう。そして、「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」や「聖者が街にやってくる」(あれ、これやったよな。実は良く覚えていない)なんかのニューオーリンズとつながるようなスタンダードも彼ら流に披露するのだが、それはそれでめっちゃ訴求する。で、結局、伝統を溜めた豊穣な音楽の場で育ち、そこから外に出て行く、心意気たっぷりのイナセな音楽野郎が仁王立ちしていると、感激させられるのだ。さらには、ここには天下一品のパーティ・ミュージックの送り手がいるとも。
アンコールが終わり場内が明るくなり音楽が流され、客が帰りはじめる。2割近く帰ったあたりで、なんと再び出てきて、彼らは演奏をはじめる。そして、その2曲目で、アンドリュースはドラム、ドラムはギター、ギター奏者はサックス、サックスはベース、ベースはトランペットと楽器を全とっかえして、演奏する。客に演奏させてメンバーはダンスを踊ったり(2006年8月8日)、どんどん客に演奏に加わらせたり(2007年2月5日)というニューオーリンズ勢の実演に過去触れているが、ショーティたちの姿もまた同地のシェアしあうノリ(その最たるものが、パレードですね)をおおいに体現するものか。そして、本当の終演時に5人は前に出てきて、肩を組んで満面の笑み、割れるような声援に応える。これまた、美しくも、輝ける、うれしい瞬間。見る者も出演者も、皆幸せ。こういう公演終了時のステージ上でのアーテストの横一線で並ぶ様を集めた写真集とか、誰か出さないかな。結構、満たされていいキブンになれるかも。それだけで、音楽性やショウのノリや構成員間の関係を推し量れたら素敵じゃない?
今年トップ級のライヴ・バンド、それがトロンボーン・ショーティと彼の仲間たちだ。なお、まだデモ作りの段階だそうだが、米ユニヴァーサル・ミュージックのリリース・リストの6月には彼の名前が載っているそうだ。
終了後、すぐそばのBar Issheeに行く。藤井郷子(2010年8月6日、他)プロデュースの4つの単位の出し物をやっていたはずで、入ると最後の<田村夏樹×大熊ワタル>をやっていた。玩具っぽい小道具/肉声を用いる無邪気なやりとりが続く。終わった後の藤井の締めのMCは、「二人が、こんなにバカだったとは」。藤井にクアトロに行ってから来たらあんまし見れなかったと伝えると、彼女は「私は昨日、クアトロ(二階堂和美)に行きました」。へえ。なお、田村、藤井、松本健一(2008年8月24日、他)、臼井康浩(2009年7月29日、他)、ケリー・チュルコ(2008年12月17日、他)が発起人となって、スペースワンと名付けた自主ライヴ・スペースを来年持つようで、この晩の出し物はその先行企画となるもののよう。それ、ジョン・ゾーンのNYザ・ストーン、大友良英の吉祥寺GRID605のようなものか。期待したい。