-M-とは、“ポ、ポポポ、ポップ・ミューヂック”と歌われるテクノ・ポップ曲を1979年に大ヒットさせた英国人のロビン・スコットのMではなく、1971年生まれのフランス人ロッカーのマシュー・シェディットのほう。父親は人気ポッパーで叔母さんは詩人/作家をするなど、恵まれた環境にあり、見事にフランスの音楽界で人気者になっている。聞けば、日本での知名度の低さは承知のうえで、自ら私費を投じ、公演を打ってしまったんだそう。代官山・ユニット。
告知が行き渡らずチケット(前売り8800円というのはちょい高いな)の売れ行きは良くないと聞いていたが、あけてみればフル・ハウスなり。というのはともかく、その9割は誇張抜きでフランス人だったのではないか。なるほど、フランスでは大スターだというのは、あっさり実感。で、ショウが始まると、それはより痛感させられてしまう。
最初は、エフェクトのかかるアコースティック・ギターを持っての弾きがたり、すでに3曲目で女性客をあげてコーラスをつけさせるなど、アタマのほうからいろんな趣向を出して客に働きかけ、臨機応変に(アナログな感覚で)パフォーマンスを続ける。
終始フロア側からは声がかかり、曲が始まると嬌声が起こり、ずうっとシンガロング状態となり、場が生理的に膨張する。ナンカ凄イトコニ来チャッタゾ……。曲間にブレイクが入り無音になったときには、サッカー場のようなチャントが始まる。わあ、これはやっぱり日本での公演の感じじゃない。
4曲目からはギタリストと黒人ドラマーが加わってバンドでコトはすすめられるのだが、とにかく見せ方は多彩。サイドの2人を大々的にフィーチャーするときもあるし、自らジミ・ヘンドリックス演奏をぶち噛ますときもあり。また、和太鼓3人や不思議なパフォーマーが入るときもあり、最後はお坊さんがお経や仏教なりもので加わった。電飾を頭につけて客を沸かせもしちゃうし、次から次へと新たなネタを繰り出し、軽妙なフランス語MCで客にはたらきかけ、とにもかくにもライヴは見せる。下世話という形容はちょい違うかもしれないが、本当に屈託なく両手を広げて、-M-はお楽しみ精神に長けたパフォーマンスをこれでもかと遂行。彼の多大な本国人気は、訴求力の大きなライヴ・パフォーマンスが導いた所もあったのだろう。
音楽性はフレンチ・ポップと英米ロックのあかけあわせ。レゲエとかへの出張りもあり。ヴォーカルはけっこうファルセットを多用していて、それは彼の個性と言えるか。バークレー/ユニヴァーサル発の近作『IL』は初期デイヴィッド・ボウイを思い出させるような、ロック初期衝動的キラキラ感やシアトリカル性を持つ仕上がりとなっていたが、生はもっとおおらかで、遊園地的な愉しみに満ちていた。
<今日の、-M->
昼間、-M-ことマシューさんにインタヴュー。曲を書くようになり1997年にソロになったが彼、1990年代半ばにギタリストとしてカンバセーションの<フェスティヴァル 春>やレ・リタ・ミツコ公演で来日しているという。もの静かに賢人ふうに受け答えする様と、ステージ上での弾けた姿がなかなか結びつかないなが、ステージにおいては存分にロック・スター像を楽しんでいるようにも思えるな。なんか、そのライヴ総体に後からじわじわきて、ライヴ・ショウのありかたの機微を頭のなかで考えてしまったYO。取材の際、布バッグとTシャツをいただいたが、シャツのバック・プリントは香港、シンガポール、ソウル、上海、東京というツアーの日程。同行女性ジャーナリストに、日本のおすすめのアーティストを3つ教えてとこわれる。そういうのって、なんかかまえちゃうなあ。エイヤっとあげたけど。
告知が行き渡らずチケット(前売り8800円というのはちょい高いな)の売れ行きは良くないと聞いていたが、あけてみればフル・ハウスなり。というのはともかく、その9割は誇張抜きでフランス人だったのではないか。なるほど、フランスでは大スターだというのは、あっさり実感。で、ショウが始まると、それはより痛感させられてしまう。
最初は、エフェクトのかかるアコースティック・ギターを持っての弾きがたり、すでに3曲目で女性客をあげてコーラスをつけさせるなど、アタマのほうからいろんな趣向を出して客に働きかけ、臨機応変に(アナログな感覚で)パフォーマンスを続ける。
終始フロア側からは声がかかり、曲が始まると嬌声が起こり、ずうっとシンガロング状態となり、場が生理的に膨張する。ナンカ凄イトコニ来チャッタゾ……。曲間にブレイクが入り無音になったときには、サッカー場のようなチャントが始まる。わあ、これはやっぱり日本での公演の感じじゃない。
4曲目からはギタリストと黒人ドラマーが加わってバンドでコトはすすめられるのだが、とにかく見せ方は多彩。サイドの2人を大々的にフィーチャーするときもあるし、自らジミ・ヘンドリックス演奏をぶち噛ますときもあり。また、和太鼓3人や不思議なパフォーマーが入るときもあり、最後はお坊さんがお経や仏教なりもので加わった。電飾を頭につけて客を沸かせもしちゃうし、次から次へと新たなネタを繰り出し、軽妙なフランス語MCで客にはたらきかけ、とにもかくにもライヴは見せる。下世話という形容はちょい違うかもしれないが、本当に屈託なく両手を広げて、-M-はお楽しみ精神に長けたパフォーマンスをこれでもかと遂行。彼の多大な本国人気は、訴求力の大きなライヴ・パフォーマンスが導いた所もあったのだろう。
音楽性はフレンチ・ポップと英米ロックのあかけあわせ。レゲエとかへの出張りもあり。ヴォーカルはけっこうファルセットを多用していて、それは彼の個性と言えるか。バークレー/ユニヴァーサル発の近作『IL』は初期デイヴィッド・ボウイを思い出させるような、ロック初期衝動的キラキラ感やシアトリカル性を持つ仕上がりとなっていたが、生はもっとおおらかで、遊園地的な愉しみに満ちていた。
<今日の、-M->
昼間、-M-ことマシューさんにインタヴュー。曲を書くようになり1997年にソロになったが彼、1990年代半ばにギタリストとしてカンバセーションの<フェスティヴァル 春>やレ・リタ・ミツコ公演で来日しているという。もの静かに賢人ふうに受け答えする様と、ステージ上での弾けた姿がなかなか結びつかないなが、ステージにおいては存分にロック・スター像を楽しんでいるようにも思えるな。なんか、そのライヴ総体に後からじわじわきて、ライヴ・ショウのありかたの機微を頭のなかで考えてしまったYO。取材の際、布バッグとTシャツをいただいたが、シャツのバック・プリントは香港、シンガポール、ソウル、上海、東京というツアーの日程。同行女性ジャーナリストに、日本のおすすめのアーティストを3つ教えてとこわれる。そういうのって、なんかかまえちゃうなあ。エイヤっとあげたけど。