ジョイス

2014年7月15日 音楽
 毎夏恒例のブラジル人シンガー/ギタリスト(2004年7月15日、2005年7月13日、2007年7月24日、2008年9月7日、2009年9月29日、2010年7月29日、2011年8月3日、2012年8月15日、2013年7月30日)の公演。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。彼女のショウを見ると、ああ夏が来たんだな。と、実感したりして……。

 ジョイスは白いサマー・ドレスを着て、ステージにあがる。1948年リオ生まれ、66歳。芸歴、50年とか。16歳のとき、ホベルト・メネスカルのレコーディングにコーラス参加したのが初仕事のよう。中盤、弾き語りで当時お世話になったり大好きだった、メネスカル曲やバーデン・パウエル曲も披露したっけ? そんな彼女の2014年新作『ハイス』は、ティーンエイジャーのころ親しんだ曲を取り上げている。

 エリオ・アルヴィス(ピアノ)、ブルーノ・アギアール(ウッド・ベース)、トゥチ・モレーノ(ドラム)という、ピアノ・トリオを擁してのパフォーマンス。アルヴィスと旦那のモレーノは毎度のサポート奏者だが、アギアールは今回が初来日という。そのアギアールは現代ブラジル清新クロスオーヴァー表現の旗手であるアントニオ・ロウレイロ(2013年8月29日、2013年9月6日)とリズム・セクションを組んでレコーディング参加していたりもする人。なるほど、型通りの歌もの演奏からも、ジャズ的奏法からも少し離れて、個を出さんとする音を出していたか。それが、今回の出し物と合っていたかは見解保留としたいが、時に妙に凝ったベース音のもと(こんなラインじゃ、私はちゃんと歌えないというプロ歌手も少なくない?)、よくジョイスは悠々と歌っていたと思う。とともに、安住せず、新しい種を求め続ける彼女の意志も確認できた。なお、ジョイスはトレードマークとなっていた“空洞ボディ”ギターを手にせず、ガット・ギターを弾く。はて、前回はどうであったか。結構、バッキング音が生理的に激しいので、輪郭がはっきりした音が出る空洞ギターのほうがギター演奏音は聞きやすいかもとふと思う。

 それにしても、ジョイスは独自の位置にいると、改めて痛感。こんなに丁々発止する意志を抱えるジャズなバッキングや回路を採用しつつ(本人のギター演奏も基本シャープです)、ヴォーカル・ミュージックであることをまっとうしちゃっているブラジル人もそういないのではないか。その研ぎすまされた、知識や技量の蓄積の様、ため息をつかせますね。で、曲によっては、5歳年長のジャニ・ミッチェルみたいだなと思わずにはいられず。ブラジル音楽至上主義者ではないぼくにとって、それはすごい褒め言葉だな。いやあ、凛とした態度ともに、スポンテニアスな風をこれでもかと舞わせていく様は重なる。とともに、どうしてミッチェルはきっちりアコースティックなピアノ・トリオをバックに自分の瑞々しいポップ・ミュージックを開かなかったのかとも思う。さぞや、すごいものが表れたと思うが。いまや引退している彼女に(難病にかかっているという話もあるか)、それは望むべくもないのであるが。そこから、見ていて、ほのかな悲しみを感じてしまいました。

▶過去の、ジョイス
http://43142.diarynote.jp/200407151608250000/
http://43142.diarynote.jp/200507161357340000/
http://43142.diarynote.jp/200708051737070000/
http://43142.diarynote.jp/200809081534510000/
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/
http://43142.diarynote.jp/201008111723131487/
http://43142.diarynote.jp/201108101628235325/
http://43142.diarynote.jp/201208201259398163/
http://43142.diarynote.jp/201308021400578638/
▶過去の、ロウレイロ
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/


<週末の、悲報>
 ずっと病床にあると伝えられていたジャズ・ベーシストのチャーリー・ヘイデン( 2001年11月20日、2005年3月16日、2009年9月10日)が亡くなってしまった。昨年暮れに、オーネット・コールマン表現憧憬からヘイデンを何度も使っていたパット・メセニーに彼のことを尋ねたら「確かに病気だけど、心配する必要はないよ」という返事が返ってきて、なんとなく、また勇士は見られるかなとも思っていたのだが。。。ジャズ史上、もっともストレートで真摯なメッセージ・アルバムを作った人物である。その『リベレイション・アンサンブル』(インパルス、1969年)は彼30歳と少しのときのデビュー作であり、問題意識の深さが音楽的な広がりやオルタナ性をおおいに生みもした奇跡的な内容だった。後にどんどん和みの方向を持つようにもなった大人(たいじん)だが、娘たち(2009年1月21日)やコステロ(2002年7月5日、2004年9月19日、2004年12月8日、2006年5月31日、2006年6月1日、2006年6月2日、2011年3月1日)や義理の息子のジャック・ブラックたちも入ったカントリー経由ポップ・アルバム『ランブリング・ボーイ』(デッカ、2008年)は本当に寛いだ、楽しいアルバムだった。ただ、セールスも好調だった2002年作『アメリカン・ドリーム』(ヴァーヴ。マイケル・ブレッカー、ブラッド・メルドー、ブライアン・ブレイドがコリーダーとしてクレジット)を作ったことには疑問を持つ。というか、どうして出してしまったのか? 同作は2001年NYテロ事件を引き金としただろう、慈しみの情をたたえたゆったり曲をストリング音も加味して13曲配したもの。オリジナルやキース・ジャレットやメセニー曲の他、裏国歌たる「アメリカ・ザ・ビューティフル」も取り上げていた。そこには、テロを受けた米国や犠牲者に向けての鎮魂の意やそれでもアメリカは尊いんだという情が充満。しかしながら、どうして米国がそういう惨事を招いたのかという視点は欠落していた(その観点を出すのことに失敗していた)と、ぼくは判断している。1作目はぎょっとしちゃうほど、政府を目の敵にしていたのに。
 また、時を同じくして、フリー/前衛ジャズの評論〜啓蒙に長年尽力した副島輝人さんもお亡くなりになった。一度行ったメルスのジャズ 祭のジャーナリスト登録は彼を介したもので、お世話になりました。芯の強さと裏返しであろう、とても柔らかな紳士でした。
▶過去の、チャーリー・ヘイデン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200503240453290000/
http://43142.diarynote.jp/200909120650273142/
▶過去の、ペトラ・ヘイデン
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
▶過去の、コステロ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200410121003440000/
http://43142.diarynote.jp/200412111752390000/
http://43142.diarynote.jp/200606071933120000/
http://43142.diarynote.jp/200606071936190000/
http://43142.diarynote.jp/200606101341360000/
http://43142.diarynote.jp/201103040825532252/