アイルランド大使館主催の<東北復興応援コンサート アイルランドから歌の贈り物>と題された出し物の2/3、福島県浜通り地方の東京電力福島第一原子力発電所を挟んだ北と南にある相馬市といわき市の公演に同行する。ともに、40キロ強の位置にある。それには、在日アイルランド大使がすべて同行、彼は震災後に連絡の取れない同胞を慮って東北に出向いたりしていたという。

 まず、この日は相馬市。宮城県に近い常磐線沿いの都市だが、地震や津波や原発事故のため、仙台からもいわきからも両方向から鉄道は不通になっている。原発があるため海側の陸路は封鎖されているため、東北道を北上し、福島市の方からぐるりと入る。

 会場は相馬市総合福祉センターのはまなす館というホール。この市はHEATWAVEの山口洋(2011年6月5日、他)がボランティアで何度も訪れているところ(クールな彼は個人が広い地域を見るのは無理と判断し、ピンポイントで相馬市を支援している。彼は仲間たちと“MY LIFE IS MY MASSAGE”という催しを持っている)で、山口と彼の仲間たちが開催に尽力した。

 ハンディキャップを持つ子供たちを招いてのもの。隣のより原発に近い南相馬市(一部は避難地域になっている)の施設の子供たちもやってくる。なかには他県に避難しているのにも関わらず、このために戻ってきた生徒もいるとか。会場には、アイルランドの小中学生が東北の仲間たちに描いた絵が飾られている。それは、子供以上に大人がグっときそうな魅力/訴求力を持つ。

 大使の言葉に続いて、ホットハウス・フラワーズ(2001年7月28日)のリアム・オメンリー(2009年5月20日、他)がティン・ホイッスルのソロ。さらに、バーロンを叩きながら歌ったり、ピアノを弾きながら歌ったり。彼の歌には祈りや癒しがある。すうっと、空気がかわる。子供たちが息を飲んだり、目を輝かす様に触れるゆえに、よりそういう魔法が感じられるのだろうが。おかえしに、子供たちが歌や踊りを披露し、その最後のほうは山口やオメンリーもギターやピアノで混ざる。大使からは、ティン・ホイッスルのプレゼントもあり、場はより沸く。そして、その後は、一緒に記念撮影大会になったり、より密な邂逅の時間……。人は重なり合うもの。自分を、他者を思いやり合うもの。生きるには、ちゃんと足をつける心おきない土地が必要。柄にもない思いがいろいろと、わき上がってきて困った。

<今日の、リアム>
 その後、案内され、津波で一切が洗われてしまった、海岸地域を見る。途中には津波による廃材が山積みされた広大な一角もあり。………………。そこにたたずむリアムは何を思ったか。
 彼とは、昨日、今日とホテルの朝食を偶然一緒になって食べたが(今日は7時。子供いるし、普段、このぐらいには起きるよ、とのこと)、なんでもおいしそうにぱくぱく食べる人(ご飯よりはパン党、です)。もう、本当にスッコーンと抜けた、まさに自然児と言うにふさわしいマインド/佇まいの持ち主。今回は子供たちの前でやるけど、なんかプランはあるのと問えば、何もォ、と。でも、僕も子供いるし(5歳と15歳)、大丈夫だよ、と答える。実際、でたとこ勝負(?)のパフォーマンスは誰が接しようと、与えられるものたっぷり。やはりそこは、超然としたグローヴァリストたるオメンリーならではさりげないパワーがありまくり。そういえば、前夜に飲んだとき、俺はダブリンにいても疎外感を感じる、というような発言もしていました。一人ぼっちの裏返しで、彼にとっては誰もが対等なものであり、リスペクトする対象なんだろうな。彼、生ギターも持ってきていたが、今回の滞日中には手にしなかったはず。万が一、ピアノがないところでやるときのことを考えて、一応持参したかな。彼、ネイティヴ・アフリカンのことが書かれたペイパーバックを持ってきていて読んだり、オフには水性マジックで絵をささっと描いたりも。あと、ホテルの入り口横のPCで熱心にフェイスブックを見ていた。自然児は、PCは持ち歩きません。