ジョニー・ウィンター
2011年4月13日 音楽 青海・ゼップ東京。3日間連続でやる初日、満員。こりゃ、素晴らしい動員。これまで来日していなかった大御所とはいえ、すげえな。もちろん、客の年齢層は高めだが、ブルース・ファンはどれぐらいいたのだろうか。
ギター、ベース(サム・ピッキング主体で弾く)、ドラムからなる非アフリカ系の人たちによるバック・バンドに、当人。44年生まれの彼は猫背&よちよち歩き気味でステージ中央にやってきて、椅子に座って演奏。でも、演奏は確か、バンド音がとてもデカいせいもあり、けっこう疾走感があり、足腰が衰えているわりには望外に元気という印象を受けた。彼はアルピノ(弟のエドガー・ウィンターも同様)で長生きできないので演奏が鬼気迫るものになる、なんて言われ方も大昔はされていたので、何よりだ。まあ、ガチンコなぶん、繊細さやコクはなかったが、ぼくは疑問を持たずに見れた。驚いたのは、ピックを用いず、フィンガー・ピンキングでギターを弾いていた(ようにしか、遠目には見えませんでした)こと。彼、昔はピック弾きだったよな? けっこう、ソロのパートは長かった。歌も良く聞こえたが、アンプリファイドし過ぎで、うまいのかヘタなのか、よく分らず。バンドはずっとやっている人たちか、関係は危なげなく。
フレディ・キングの「ハイダウェイ」から始まったショウはアンコールを含めて15曲ほどで、90分ぐらいだったかな。多くは素直なブルース・コード進行曲(「ストーミー・マンデイ」型のブルースや、あたまで“あがる”ブルース曲もなし。分らない人には全然??な記述だろうが、分る人には分るはず)、それをいろんなヴァリエーションのもとがしっと開いて行く。あ、でもチャック・ベリーのロックンロール曲「ジョニー・B・グッド」もやったし、本編最後はストーンズやロッド・スチュワートらのカヴァーで良く知られるボビー・ウォマック曲「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ」。それ、ハードなパブ・ロックみたいだった。それから、ザ・フーのカヴァーで何より知られるエディ・コクランの「サマータイム・ブルース」の原形曲なんても言われるらしい(隣に座っていた増淵英紀さんが教えてくれた)ラリー・ウィリアムズが書いた「ボニー・マロニー」(ジョン・レノンも『ロックンロール』で取り上げている)もそういう感じ。というか、やはり、彼が鳴りもの入りでCBSコロムビアからデビューした60年代後半は(当時のキャッチは、「100万ドルのギタリスト」)、ブルース〜ブルージィ高濃度表現はロックの重要ヴァリエーションだったのだ。
アンコールはオープン・チューニング(と思われる)のギターをもってスライド・バーを手にしつつ、エルモア・ジェイムズの「ダスト・マイ・ブルーム」とボブ・ディランの「追憶のハイウェイ61」を披露。
<今日の飲み話>
会場であった方々と、例によって流れる。そこで、ちょっといい話を耳にしたので、書き留めておく。
3月27日に、新百合ケ丘の川崎市アートセンターというパブリックの場所で<東北関東大震災チャリティーJAZZライヴ>という催しがあったのだという。同地に住むサックス奏者の岡淳の呼びかけで急遽実現し、3月最後の日曜日の午後になされた。出演者は、竹内直、江藤良人、中村健吾、大阪昌彦、多田誠司、古野光明、近藤和彦、TOKU(3月16日、他)をはじめ、そうそうたる面々。ブルーノート東京で行なわれた同様の公演(3月28日)は大々的に報じられたが、こんな催しもあったのですね。不明を恥じる。でも、気持ちを持つ音楽家たちが集う公演は草の根的にあちこちでなされているんだろう。
40人近くのミュージシャンが集まり、入れ替わりやったとか。ヴェテラン歌手の酒井俊はソウル・フラワー・ユニオン(2011年3月26日、他)の関西淡路大震災を引き金とする「満月の夕」を歌い(持ち歌としているよう)、それは聞き手の涙を誘っていたという。そして、この催しは110万円もの義援金を集めたんだとか。素晴らしい。
ギター、ベース(サム・ピッキング主体で弾く)、ドラムからなる非アフリカ系の人たちによるバック・バンドに、当人。44年生まれの彼は猫背&よちよち歩き気味でステージ中央にやってきて、椅子に座って演奏。でも、演奏は確か、バンド音がとてもデカいせいもあり、けっこう疾走感があり、足腰が衰えているわりには望外に元気という印象を受けた。彼はアルピノ(弟のエドガー・ウィンターも同様)で長生きできないので演奏が鬼気迫るものになる、なんて言われ方も大昔はされていたので、何よりだ。まあ、ガチンコなぶん、繊細さやコクはなかったが、ぼくは疑問を持たずに見れた。驚いたのは、ピックを用いず、フィンガー・ピンキングでギターを弾いていた(ようにしか、遠目には見えませんでした)こと。彼、昔はピック弾きだったよな? けっこう、ソロのパートは長かった。歌も良く聞こえたが、アンプリファイドし過ぎで、うまいのかヘタなのか、よく分らず。バンドはずっとやっている人たちか、関係は危なげなく。
フレディ・キングの「ハイダウェイ」から始まったショウはアンコールを含めて15曲ほどで、90分ぐらいだったかな。多くは素直なブルース・コード進行曲(「ストーミー・マンデイ」型のブルースや、あたまで“あがる”ブルース曲もなし。分らない人には全然??な記述だろうが、分る人には分るはず)、それをいろんなヴァリエーションのもとがしっと開いて行く。あ、でもチャック・ベリーのロックンロール曲「ジョニー・B・グッド」もやったし、本編最後はストーンズやロッド・スチュワートらのカヴァーで良く知られるボビー・ウォマック曲「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ」。それ、ハードなパブ・ロックみたいだった。それから、ザ・フーのカヴァーで何より知られるエディ・コクランの「サマータイム・ブルース」の原形曲なんても言われるらしい(隣に座っていた増淵英紀さんが教えてくれた)ラリー・ウィリアムズが書いた「ボニー・マロニー」(ジョン・レノンも『ロックンロール』で取り上げている)もそういう感じ。というか、やはり、彼が鳴りもの入りでCBSコロムビアからデビューした60年代後半は(当時のキャッチは、「100万ドルのギタリスト」)、ブルース〜ブルージィ高濃度表現はロックの重要ヴァリエーションだったのだ。
アンコールはオープン・チューニング(と思われる)のギターをもってスライド・バーを手にしつつ、エルモア・ジェイムズの「ダスト・マイ・ブルーム」とボブ・ディランの「追憶のハイウェイ61」を披露。
<今日の飲み話>
会場であった方々と、例によって流れる。そこで、ちょっといい話を耳にしたので、書き留めておく。
3月27日に、新百合ケ丘の川崎市アートセンターというパブリックの場所で<東北関東大震災チャリティーJAZZライヴ>という催しがあったのだという。同地に住むサックス奏者の岡淳の呼びかけで急遽実現し、3月最後の日曜日の午後になされた。出演者は、竹内直、江藤良人、中村健吾、大阪昌彦、多田誠司、古野光明、近藤和彦、TOKU(3月16日、他)をはじめ、そうそうたる面々。ブルーノート東京で行なわれた同様の公演(3月28日)は大々的に報じられたが、こんな催しもあったのですね。不明を恥じる。でも、気持ちを持つ音楽家たちが集う公演は草の根的にあちこちでなされているんだろう。
40人近くのミュージシャンが集まり、入れ替わりやったとか。ヴェテラン歌手の酒井俊はソウル・フラワー・ユニオン(2011年3月26日、他)の関西淡路大震災を引き金とする「満月の夕」を歌い(持ち歌としているよう)、それは聞き手の涙を誘っていたという。そして、この催しは110万円もの義援金を集めたんだとか。素晴らしい。