ロニー・ジョーダン

2007年11月6日
 丸の内・コットンクラブ。ロニー・ジョーダンといっても、トーキング・
ラウドやブルーノートから作品を出している英国人ギタリストではない(ぼ
くとはけっこう歳の離れたココロの同志は見事に勘違いしていた)、70年代
(とくに前半)にEW&F(2006年1月16日)やクール&ザ・ギャングを
凌駕するようなセールスを米国では獲得していた、真正混沌ファンク・グル
ープのウォー(74年12月の初来日の東京公演は日本武道館と中野サンプラザ
だった。また、70年代後半には後楽園球場で開かれたNFLアメリカン・フ
ットボールのハーフタイム・ショウ出演のために来たこともあったはず)の
音楽的イニチアシヴを握っていたキーボード奏者だ。彼は今やトップに米国
でイケイケのレコード会社であるコンコード傘下のファンタジー(CCR他
を出した、かつてのメジャ・レーベル。ジャズにも強い会社だが、実はスタ
ックスの権利はここが所有)から唐突にものすごーく久しぶりのリーダー作
『ウォー・ストーリーズ』をリリース(もちろん、唯一無二のウォーの財産
を受けついた内容。ぼく、大好き。たぶん、BMR誌の年間ベスト10に入れ
ると思う)したことと繋がっているのだろう。

 テナー/フルート、ベース、ドラムの3人を従えてのパフォーマンス。ウ
ォーはラテン濃度の高いバンドとしても知られるが、黒人であるジョーダン
以外は皆ラテン系の人たちだったのではないか。ジョーダンがグリース(gr
ease) とういう形容をしきりに用いて紹介していたドラマーのサルヴァドー
ル・ロドリゲスの(ラテン素養もしっかりと通過した)叩き味はけっこうベ
イエリア・ファンクのそれと重なる。サンタナをはじめベイエリアはマジカ
ルなラテン応用サウンドを出しているが、ロドリゲスの演奏に触れてベイエ
リア・ファンクのドラミング・スタイルにはラテンの何かがきっちりと流し
こまれた結果のものと思わずにはいられなかった。とともに、彼のソロを聞
きつつ、スティーヴ・ガッド(2004年1月27日)のバスドラも巧みに用い
たドカスカドカスカていう(非常に曖昧な言い方ですまん)ドラム・ソロの
終盤の決めもラテンの影響ありなのかもと思った。そのドラマーさんは仕種
や表情などが役者なひょうきんさんで、冷めた会場の空気を温めた。

 実は日本に帰ってからスペインでほぼ治ったはずの風邪がぶり返し、トホ
ホな体調。であろうとも、ジョーダンの妙味に触れてぼくは昇天できるはず
だったが、結果はそれなり……。それは演奏の質ではなく、披露する音楽性
がぼくが求めていたものとは離れていたためだ。なんと、彼は「フリーダム
・ジャズ・ダンス」や「枯葉」といったジャズ・スタンダードやジョン・
コルトレーンやウェイン・ショーターやセロニアス・モンク(もじって、セ
ロニアス・ファンクなんて親父ギャグもジョーダンはとばしていたな)のジ
ャズ曲を、ファンクやラテンやレゲエなどちゃんちきしたリズムを経由しつ
つも、ジャジーにインストで披露。んなこと、彼は新作ではやっていない。
年輪を積んでジョーダンはよりジャズに惹かれるようになっているのか、そ
れとも簡素な編成だとこうするのがいいと思ったのか。でも、ぼくはもっと
ウォー+アルファなる表現(ウォー時代の曲は「ギャラクシー」と「ゲット
・ダウン」をやった)や、彼の天を見上げるような歌声に触れたかった(新
作では弾き語りでもの凄い美曲を披露していたりもしたのに)。

 アンコール曲はぼくが昔ウォーの曲のなかで一番好きだった、もろにラテ
ンな「バエロ」。これ、サンタナの「俺のリズムを聞いとくれ」ヴァージョ
ンと言いたくなる感じで彼らはやった。コットンクラブに出る往年の有名人
のライヴには毎度熱心なファンが集まり、極上の空間が生まれる。ウォー/
ロニー・ジョーダンはコットンクラブに出た人のなかでもっとも輝かしい成
績/セールスを治めている人なはずなのに、ぼくが接したセットではファン
らしい人はあんまし見受けられなかった。なぜ? そんなに、ウォーは鬼っ
子なの? ロニーさん、もう少しファンク傾向よりにして、もう少し人数を
増やした編成でリターン・マッチを! とにかく、ぼくはあなたが好きだ!