まず、赤坂・カナダ大使館。「For Glowing Hearts/Le Coeur Grand Ouvert/心輝く旅へ」というカナダ観光局が立ち上げる新キャンペーンを紹介するイヴェントに顔を出す。なんとトーク・ショーのゲストが、元サッカー選手の中澤祐二と聞けば、サッカー好きのぼくは行くしかないではないか。あと、もう一人のゲストはモデルの高山都。二人はそれぞれ仕事でカナダを旅し(中澤のほうはTV番組になり、高山のほうはFRAU TRAVEL 10月号にまとめられた)、その経験を話す。中澤祐二は現在ラクロスの指導者をしていて、カナダの夏の国技がラクロス(冬はアイス・ホッケー)であり、彼はラクロスの歴史にあたるため、この9月に訪加したのだそう。綺麗にスーツを着た中澤の話はほんとうに如才ない。いや、うますぎると思えるほど。高山のほうは、カナダに現代文明をさけた村があること(米国のアーミッシュみたいなものなのだろうか)とモントリオールではプロジェクション・マッピングで綺麗な照明が当てらているという話が興味深かった。お二人とも強調していたのは、移民が多いゆえに寛容で優しい国民性をカナダは持ち、そうした人々と接することが自分の立ち位置を再考させるような機会を与えてくれるということだった。確かに、カナダ人ミュージシャンにインタヴューすると、ちゃんと芯を持ったしなやかさを感じるものな。

 また、モンキー・マジックがミニ・ライヴをする。日本に住むカナダ人と日本人からなるポップ・バンドだが、この晩は歌とアコースティック・ギターのカナダ人兄弟の二人でパフォーマンス。その後、別フロアでレセプションが和やかにもたれる。そこには、LGBT支援のブースも用意されていた。そこで、Bunkamuraの方を紹介され、同シアターコクーンで来年7月にカナダ人ロベール・ルバージュ演出/構成による壮大な演劇「HIROSHIMA 太田川七つの流れ」(1994年初演)が完全版でなされることを知る。それ、7時間(休憩が5回入るそう)もの長さを持ち、使用言語は英語、フランス語、ドイツ語、日本語であるという。

 レセプションを抜け出し、赤坂・B-flatに行き、女性シンガーのtea(2017年10月10日)の新作『アンノウン・プレイセス』(ソニー)発売をフォロウするライヴを観る。ちょうど、セカンド・セットに間に合った。

 超然とした佇まいを持つ彼女を、エレクトリック・ベースの時枝弘(2017年10月10日)、ピアノ/キーボードの柴田敏孝(2017年10月10日)とピアノの佐藤浩一(2014年10月22日、2016年7月11日、2017年10月27日、2018年1月7日、2018年4月7日、2018年6月4日、2019年1月5日)、ギターとチェロの伊藤ハルトシ(2017年10月10日)、ドラムの大津惇(2017年10月10日)、バックグラウンド・シンガーのアイミー・ブラックシーガー(2017年10月10日)とチャーリ岡村がサポート。本編1曲と、アンコールでアフリカ系ラッパーもステージに上がり、少しラップを加える。

 緩急自在なジャジー都会派サウンドに、teaの超然としたヴォーカルが乗る。自作曲を中心に、山下達郎の「シャンプー」のカヴァーもしっとり披露。すごい自然で身の丈感を持つんだけど、不思議と今様な気分がすうっと浮かび上がっていた。12月13日にはボディ&ソウルで佐藤浩一とコントラバスの須川崇志(2010年3月14日、2011年7月25日、2016年6月27日、2017年6月21日、2018年1月19日、2018年4月7日)のサポートのライヴをするそうで、それだとかなり感じがかわるんじゃないか。

▶︎過去の、tea
https://43142.diarynote.jp/?day=20171010
▶︎過去の、時枝弘
https://43142.diarynote.jp/?day=20171010
▶︎過去の、伊藤ハルトシ
https://43142.diarynote.jp/?day=20171010
▶︎過去の、大津惇
https://43142.diarynote.jp/?day=20171010
▶︎過去の、アイミー・ブラックシーガー
https://43142.diarynote.jp/?day=20171010
▶︎過去の、佐藤浩一
http://43142.diarynote.jp/201410251055118180/
http://43142.diarynote.jp/201607121045394372/
http://43142.diarynote.jp/201711020707155260/
http://43142.diarynote.jp/201801081118162617/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201806060708363548/
▶︎過去の、須川崇志
http://43142.diarynote.jp/201003191715113498/
http://43142.diarynote.jp/201107310727152406/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160627
http://43142.diarynote.jp/201706220952582448/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/

<今日の、移動>
赤坂6丁目から、7丁目へと移動。だが、歩けば30分以上かかる距離なので、タクシーを使う。その乗車した車の運転手さんはまだ若い人だったのだが(いっていても、30代前半なのではないか。結婚指輪はしていた)、接客態度や会話作法がパーフェクト(慇懃無礼ではないという意味も含む)で驚くとともに、とてもいい心持ちを得る。ぼくがこれまで接した運転手のなかで、ナンバー1かも? ありがとう、KMタクシー、車番5345。タクシーの運転手がみんな彼のようなら、ぼくはもっとタクシーに乗るだろう。7丁目のハコからは、会場であった吉岡さんが渋谷の飲み屋まで送ってくれる。みんな、いい人だあ。

トン・ゼー

2019年10月31日 音楽
 破天荒にして。オルタナティヴ。天衣無縫ブラジリアン・ロックの総元締め、83歳ながらいやあ矍鑠。最高に颯爽としていていて、ブっとんでいた。三鷹市公会堂・光のホール。以下は、頭に残っていることを箇条書きにて。そのうち、ライヴ評が日経新聞電子版に出ます。  追記:一緒にショウを見た記者が内容の素晴らしさを認め、電子版だけでなく、その短縮ヴァージョンが夕刊文化欄にも掲載されることになった。ともに、11月28日の掲載です。

 ▶︎冒頭、赤いコートを着た御大が一人で出てきて、それだけで、皆の注視を誘う。千両役者!  ▶︎そして、彼はバンド・メンバーをユーモアたっぷりに一人づつ呼び込む。陣容は、パーカッッション/マンドリン、エレクトリック・ギター、キーボード(女性)、エレクトリック・ベース、ドラム。ドラマー以外は皆コーラスをおおいにつける。▶︎その1曲目は、ギターのパート、キーボードのパート、リズムのパートを別々にちょい出しさせ、バンド・サウンドの妙を伝えんとするかのように、その後にせえのでバンド・サウンドを出す。▶︎そういった音の伝え方、見せ方はいろいろ。ときに、トン・ゼーがバンド・メンバーの方を向き、指揮するように嬌声をださせたり。なんか、フランク・ザッパやんけ? ▶︎また、トン・ゼーがアコースティック・ギターを手にする場合も3曲。うち、2曲はそれを弾かずに小道具として用いる。一つは座って、擬人化してそれを扱う。また、もう1曲ではパフォーマンス中にそれをバラバラにしていったり。▶︎また、黒いジャケットをわざわざ着て、それを歌いながら引きちぎっていくという曲もあった。▶︎曲は変テコな構成を持つアヴァン風味を持つものから、ボサノヴァ調+まで、本当にいろいろ。それらが、様々な趣向のもと、送り出されるわけで、ショウに接していると、ええっ次はどんなものが送り出されるのと本当にワクワク。大人の遊園地に来てアトラクションをいろいろと体験しているという形容はあり? ▶︎すべての曲で、背後にポルトガル語歌詞の日本語訳が出てくる。それ、荒唐無稽な言葉使いやストーリー運びをしていて、その大意を掴みづらいが、世のつまらぬ流儀なんかあっちへホイという自由な創造性を持つことはばっちり確認できる。▶︎また、ときにはスタッフにポルトガル語のMCを通訳させたりも。うち一つは政権批判は好きじゃないが、今の米トランプと懇意にするブラジル政府には異議を覚える。これはトランプを歌った曲だ、みたいな説明をしたあと、「ポリティカ」(だったかな?)という曲を披露。背後に出るトんだ歌詞を見て、そういう意図を持つ曲と感じる人は少ないだろうが、その題材からして比較的最新の曲なのだろうか。▶︎一部器用なんだか不器用なんだか分からないところがあって、フェニズムを出すために、彼は赤い女性用の下着を身につけて歌ったりもした。▶︎とにかく、シアトリカルなショウの進め方(一度は、床に倒れたりしたときもあった)は、多大に印象が残る。そして、それはどんどん連鎖して、大きく、破格な像を結ぶ。ある意味、体験。これは、すごいゾ。▶︎温もり満載なんだけど、キレキレ。朽ちることのない、飽くなき表現精神に乾杯。▶︎最後は、踊りたかったら皆んな前に来てという言葉もあり、客が前につめかけて大団円。▶そんな彼は83歳にして、初来日。歌声もよく出ていたし、随所随所にアクションし、身のこなしも基本軽い。本当に驚くしかない。▶また、いい人ビームもどばあっと横溢で、日本にこれて嬉しいという気分も望外にだしていて、ショウ終了後はファン対応を誠心誠意やったよう。

<今日の、驚き>
 朝、外国人の友人から、ポール・バレル(2000年12月8日、2012年5月22日、2019年8月31日)が肝臓癌で亡くなった、とのメール。ええ? トップ・ページにその逝去を伝えるリトル・フィートのHPをはじめ、ネットを引くとその悲報が出ている。1948年7月3日〜2019年10月26日。肝臓病治療の副作用のため直近のツアー参加をキャンセルして、UCLA病院に入院していたよう。自宅はウェストウッドにあり(バーバンク生まれで、生粋のLAっこだった)、奥さんと3人の子供がいるとのこと。この8月末に来日したとき、彼だけ一人座って演奏しており、健康に陰りがあるのかもとは思っていたが、歌には味があり、死の影は感じなかった。リトル・フィートはぼくのロック心をもやした5傑に入る。ほんとうに本当に、あなたのギターや歌はぼくの心に刻まれています!
▶︎過去の、ポール・バレル/リトル・フィート
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/

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